史記の記述には元々無理というか矛盾があった。

史記によれば、

蘇秦の初仕事は、燕の昭王に進言して趙との同盟を成立させた事。
その後、韓・魏・斉・楚の王を説いて回り、戦国七雄のうち秦を除いた六国の間に同盟を
成立させ、六国の宰相を兼任、以後、秦は15年に渡って東に侵攻しなかった。

そして、不遇だった張儀はすでに趙で出世していた蘇秦を頼って訪ねたが、予期に反して
大いに侮辱されたため、発奮した張儀はこの屈辱をばねに秦に仕官する事が出来た。

となっている。

しかし、昭王即位は紀元前312年。
張儀は紀元前316年頃に秦に仕官し、309年に死去している。