曹丕のいい所あげてけ2
そもそも司馬糞とチンカス劉禅など貴族の模範になったことない。 曹魏アンチ怒りの連投
南朝貴族は司馬懿が九品官人法の中正を改悪したのが萌芽だぞ(呆れ その司馬懿を重用したのは無能曹親子だから間違いではない 司馬懿謀反の戦犯を曹魏から探すなら
コロコロ態度買えた挙げ句劉放止められなかった曹叡だろうよ 戦犯は個人じゃなくて寿命
曹丕曹叡が早死にしなければ司馬懿なんか付け入る隙なかった 曹丕があと10年くらい長生きしてたら曹叡は皇帝になれたの? >>304
知れば知るほど録な奴いないよなこの時代 >>308
問題は寿命じゃなくて魏の皇帝に実績がないことなんだよなあ
むしろ親の七光りだけで何の功績のない無能な皇帝の治世が長続きしたほうが革命の気運が高まりそう いや、寿命だよ
曹魏は東漢と同じで常に権臣台頭の危機に晒されてる
漢は西漢の権威もあって献帝期までは簒奪されなかったが
魏は建国時から早世が続いて駄目だった 加えて魏は自分で簒奪の前例を作っちゃったから
曹操の魏は漢に寄生して興った国だから同じ立場の司馬懿が同じ理屈で晋を興しても文句を言えないんだよね まあどれだけ長生きしたところで王朝の寿命を削ることしかしないだろうけど
なにせ親の喪が開けぬ内に馬脚をあらわしてる有様だし 劉氏でもない曹操が魏公から魏王へ爵を上げた時点で曹氏の簒奪ルートは確定してるんだよね
結局、操丕叡の三代のうちに漢帝並みの権威を確立出来るかいなかの勝負だった
残念ながら負けて司馬氏に横取りされたと 曹丕と曹叡が崩御直前まで後継者決めてなかったのも痛いね
安定した権力の継承に連続で失敗してる 司馬糞や糞ニート安楽公に本朝神仙伝、捜神記の先駆け「列異伝」を書けるわけがない。貴族の元祖曹丕様以外は無理。 >>316
帝権が定まらず後継も明らかでないうちに亡くなったらそらね 献帝に酷いことした曹操の魏は嫌い
かといって劉備や孫権も好きになれないし
最後に晋が統一したのはいいオチだと思うよ >>315
あの霍光も王にはならなかったのにやっちまったよね 弟の曹植は中国史に残る詩人、日本の源実朝との類似を思わせる
やはり権力の座には兄がいるからたどり着けない、目立つと誅殺される、だから文化的に生きようと思うところがあるのだろうか?
どちらも日中を代表する詩人。ただの詩人のひとりという次元じゃなく、どちらも歴史上最高峰の人物
どういう理由でそうなったか意見がある人は教えてくれ 詩好きは元々でしょ
曹植はむしろ詩よりも国家の要職に就きたかったタチだし >>319
献帝にどんなひどいことした? 寡聞にして知らないんで教えてくれ 端的にいえば生涯傀儡にして専横を極めた
伊尹、霍光、王莽、梁冀に並ぶのが曹操
献帝の話抜きにしても三国志は面白いから読んでみたらいいと思う >>325
傀儡にしたのは仕方ないだろ、実力のない皇帝なんだから。でも形式的には存続させて、天寿を全うさせた。曹丕は献帝を大事にしてる。曹操も。曹操は光武帝劉文叔を尊敬してたから、その王朝を滅ぼすのは忍びなかったんだろう 曹操は天子と仲のいい連中も容赦なく粛清して皇后まで殺したね
骨の髄まで利用して魏国をつくって、最後は曹丕が禅譲を強いた
根っこは董卓と変わらんな >>326
悪いけど剰りにも美化し過ぎ。それならなんで個人の限界悟った時点で議会制にスライドしようともしなかったのか。
華陀を殺した時期や理由と同じで、本当に生涯傲慢から解脱できなかったと言わざるを得ない。 曹操が悪辣なのは同意だが議会制云々は指摘としておかしい
そんな制度の生まれる土壌が全くない >>329
議会制って、豪族の当主の共和制か。それなら実質そんなもんだろ。最終決定権は皇帝にあるが。もちろん、教養のない庶民に政治をさせるわけないし。 >>331
その頭目たる元首の地位を革めて設けられなかった点が曹操個人の限界かねえ。藤原氏はわざわざ摂関家作ったけど。
本当にね、親子揃って才能だけはあったんだろうよ、才能だけは。 それは共和制というより寡頭制だな
貴族政治ならまさに魏晋に続く王朝の特徴やん オスマン帝国のように皇族男子は全員鳥かごの中に幽閉して
皇帝がなくなると最年長の男子が即位する制度とか >>333
そこで養子制度などを活用せず皇帝に登極一択なんだから、雲泥の差だよ。 自制できるかどうかだよ。もちろん先見性(皇帝という家業と権能をスピーカー、祭祀に限定して劉氏にやらせる)も含めてだが。
こんなんで曹操は漢に忠義があったとか平気でおべんちゃらかます連中がいるのが不思議だよ。 それな
もっと言えばこの後漢末期に漢室に本当の意味で忠義を持ってた群雄なんていない
いたらそいつは群雄にはならないし シナ畜は権力に取り憑かれると虐殺、粛清は当たり前。理性を保って前王朝を虐殺しなかった魏の文帝と北宋の太祖はシナ畜の奇跡である。 権力に取り憑かれると虐殺粛清はどこの国でも当たり前 演義で曹丕は曹植にゴーストライターいること疑ってたけど、むしろ曹丕のほうがゴーストライターいる可能性ありそう
本人の人間性と詩文の作風にギャップがありすぎる >>332
曹操「あんな才能ない不出来と一緒にするなよ」 三国志って歴史書が優れてるからあの時代が人気なのかね
平家物語があるから平安から鎌倉の移り変わりの時期が人気なのと同じで
中国の分裂期とかいろんな勢力がいて面白いんじゃないか、周から春秋が不人気なのは封神演義がつまらないからか
北方謙三先生が岳飛を書いてくれたおかげで北宋期の混乱時期がだいぶ知名度上がったかな 封神演義はむしろ「呪術妖術がだいぶド派手に虚飾され捲ってる」部分を除けば、実相はあんなモンじゃなかったかと思われ。
何せ竹書紀年と照合しても違和感ゼロという恐ろしさ。逆らうやつらを本当に何の躊躇も無く殴殺どころか、一々殴殺後に誇らしげに宴会かますという生臭い描写ばかり。 ひらがな革命の基盤は曹丕の文章経国
もう歴史は戦国時代飽きたから平安時代をメインしようぜ 例えれば、狩猟で獲物を撃って罪悪感を感じないようなもの >>345
日本の戦国時代と似ているから
末期まで王を名乗らず、群雄も正式な肩書は官職だし
ついでに地元の長官にはなれないから出身地以外の長官になってる 北魏を滅ぼす六鎮の乱は兵戸の乱のことである。
鎮とは兵戸のことである。
兵戸、北魏においては鎮という。
鎮の人間は、
孝文帝以前は非常に地位が高かったのに、漢化政策で没落した。
武が蔑視されたことが最も大きい。 結局のところ、
この約300年の主役は異民族だったのである。 373年9月、東晋から蜀を奪う。
これが、前秦と東晋の戦いの始まりである。
347年に桓温が成漢を滅ぼして蜀を獲得して以来、
東晋は蜀を26年間保持してきた。
桓温が世に出た最初の功績が成漢討伐であった。
その蜀を桓温が死去した直後に、前秦に奪われたのは、
運命的である。
前秦が桓温の動向を随時マークしていたことの現れではないかと私は考える。
そうでなければ、このタイミングの蜀攻略はない。 論理で考えるとこいつを産んだことが曹操の大きな失敗の一つみたいな奴を賢明な偉人みたいに思ってる人がいるのが人類の不思議なところ そりゃあ反知性的な人の語る「国語」なんて何をどう考えたって解るはずないからなあ 嫌ってる曹氏の爪の垢でも煎じて飲んだら人並みの皮肉が言えるようになるかもよ そもそも曹丕は
曹氏三代で断トツに駄目すぎるだろう… ここまで詩文の才以外の美点があげられてないのは奇跡的だな
や陳寿評神 その詩文も著作は散逸し詩も隋唐以降大した注目されず、魯迅が文学という単語にかこつけて無理に引っ張ってくるまですっかり忘れられてたからおおもう それな
三国志関連の創作で曹操曹丕とかいう漢賊が董卓よりマトモな扱いで描かれてるの見ると草生えるよね 志怪小説を撰述した功績は不変
あれがなければそれ以後の短編小説集みたいなのはなかったかも
日本でも日本霊異記とか今昔物語は曹丕がいなければなかった・・・ さすがに針小棒大すぎる
そうでもしないといいところないのは事実だけど >>372
三国志の物語としては曹氏は主役級で董卓は悪役だが
史実の後漢として見るとやってること変わらないっていう 廃帝の殺害
歴代の皇帝陵を暴く
首都に火をつける
この辺りを2、3年でやりとげた董卓は殿堂入り 曹氏も董氏もさすがに司馬氏には敵わん
現役皇帝を白昼堂々殺害してお咎めなし+逆に賈充以外の関係者皆殺しとかヤバ過ぎる そもそも漢を維持するのが正義ではない
漢の朝庭は不正が酷かった
革命が起きても仕方ない😁 董卓ですら相国止まりだったのに平然と王になった曹操のアレっぷりよ 問題はその革命でできた新しい王朝がまず初代皇帝からダメすぎて漢のほうがまだマシだったところ 魏は言ってみれば残虐な文王と武王が作った短命な周みたいなもんだわな 徳治で人望を集め基盤を作った文王とそれを引き継いで周を興した武王
武力と謀で漢室を弄んだ曹操とそれを引き継いで簒奪した曹丕
比べるのが失礼だったかなw >>379
最終的には太師だけど
この官職は董卓も北宋の蔡景も日本の恵美の尾死活もみんなろくなめにあっていない 無能でクズでブサイクな金持ち権力者のボンボンというどんな作家や漫画家でも実在するこいつよりゴミなキャラ作るの至難の業だから事実は小説よりも奇なりを地で行くある意味すごい人
ていうかどうしようもなさすぎて後で惨たらしく殺される役以外で絶対お話に出せない 残虐非道な親父とその倅という清々しいほどのテンプレ悪役
そら三国志演義も人気出るわ 禅譲とかルール違反をしなくても
単純に献帝の養子になって帝位を継ぎましたとか
劉氏を与えられて王になりましたとか
魏皇とかにして王でも皇帝でもないからと言い張るとかやり方あったよね ルール違反としては禅譲よりもまず魏王への封建があるので分岐点はそこになるね
漢室の養子や劉姓の下賜は内外から拒否反応がありそう
最後のは後に五胡の君主が名乗る天王号みたいなものかな?
国制に背きながら既存の権威を滅ぼさず並立するってのはあり得ないでしょ 劉氏でなければ王になれないで、例外は後漢初代の光武帝の時が最後だったのに
わざわざ王でない公になったのに、3年で魏王って何でだろうね
魏公でも諸侯王より上で、実質王以上だったのに 日本の天皇と将軍の関係を特別視する人多いけど
イスラムのカリフとスルタンがあるし
周王と覇者の関係もまさにそれだし
周王と周公とかあったんだし、安漢公もそれに近いけど
例えば、天伯とか、皇帝(天子)より下だと言い張りながら実質上の位つくるとか 斉で丁公のことを王丁・王公と書いて王であるように現わしたり
要するに縦書きで
王丁
王公
鄭で祭足を卿にできないから卿大夫とか
皇帝も王も名乗れないから南唐(江南)で国主としたりで
ついでに蜀から呉への文書は皇帝と呼びたくないけど王だとまずいから
西朝(蜀漢)から東尊(皇帝にも使われるがそれ以外に使うこともある)だったと >>390
曹操が王位に就いたのは、一代で統一出来ない関係で子孫により確実に地盤を継がせようとしたと聞いたことがある
でも実際はわからんね
死期を悟って唐突に王になりたくなったのかもしれない 曹操は王が最後で、司馬懿は太傅が最後
伝統的な肩書の好んだのかね
曹氏は数十年で司馬氏に乗っ取られたし >>386
それを三國無双4でひっくり返し、挙句の果てにシナに逆輸入までさせた肥はある意味すごいわな
よく起用しようと考えたわと
>>394
前例踏襲して神話や偉人の活躍で自身を箔付けというのがシナ文明の特徴
特にこの時代は新後漢からの儒教の影響が強い >>395
傭兵部隊長兼やべーヤクザの劉備を仁義溢れるヒーローに仕立てた三国志演義やら
血と謀略と破壊の権化の曹操をイケメン完璧超人に描いた蒼天航路に比べたら
まぁコーエーなんて可愛いもんよ 漫画とか武侠小説や剣客小説は史実を誇張してなんぼ
司馬遼太郎もよく批判されるが歴史として描いてないんだから別にいいだろ
現実ではなさけなくてもかっこよくかくことで人を感動させることもできる
リアルなのを指向する私小説作家がトルストイの小説を読んでも嘘としか思えない、実体験じゃなきゃ作り物だとしか思えないとかいってた
これと同じ感情が、ロマンを楽しむ邪魔をするんだな 史実のやるせなさや混沌とした流れをありのまま受け入れるのもロマンを楽しむ事なんだがな 曹丕を軸に徹底して悲観的に描写した真三国志を誰か書いてみたらどうだ
歴史ものは通説と異なるものがウケることがあるのでヒットするかもしれんぞ どこが真なのかわからんが
異説ものならもっとマイナーな人物を主軸に据えた方が面白そう 先ず三流学者じゃねえと無理だよ、こんな失敗をうえたる己の責任と悟る前に死んじまったやつ視点の描写はなwwwwwwwww 三国志は作り話。文学や法律に業績を残した魏の文帝が上。 魏の文帝がいなければ日本は別の国になっていた。
日本は太古から家柄で出世が決まる貴族制の国だと自覚しろ!