まあ、この時代の日本はまだまともな国家の体をなしてなかったわけで。

隋の時代になってやっと大和政権の輪郭が見えてきて、その時点で
「日が昇る国の天子が、日が沈む国の天子に書を送ります。ご機嫌いかがですか?」
なんて(いい意味で)クッソ生意気な書面をよこすのが痛快だ。

煬帝が「まったく、夷狄は文章の書き方も知らんのか。今後このような無礼な者が来たら取り次がんでよい」
と呆れたのも頷ける。