五胡十六国南北朝を語るスレ16
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五胡十六国南北朝を語るスレ15
https://matsuri.5ch.net/test/read.cgi/chinahero/1628202812/
晋書
ttps://zh.wikisource.org/wiki/%E6%99%89%E6%9B%B8
→晋書訳サイト二点。
・晋書簡訳所
ttps://readingnotesofjinshu.com/
・いつか読みたい晋書訳
ttp://3guozhi.net/sy/top.html
魏書
ttps://zh.wikisource.org/wiki/%E9%AD%8F%E6%9B%B8
資治通鑑
ttps://zh.m.wikisource.org/wiki/%E8%B3%87%E6%B2%BB%E9%80%9A%E9%91%91
資治通鑑本末訳(渡辺 省氏)
tp://www2.ktarn.or.jp/~habuku/tsukankize.htm
勢力変遷動画
ttps://www.youtube.com/watch?v=ugjAoQJKBWc 数年後のチャンコロが
「むしろ今よりマシ」と思うかもしれない時代乙 吐谷渾「五胡十六国時代初期から唐まで続いていたのにガン無視ですか…orz」 吐谷渾の末裔はいくつかの氏族に分かれて唐に仕えたのだが
特に有力な氏族が…なんと「赫連」
なんで鮮卑吐谷渾の末裔が匈奴「赫連」を氏族名にしたのかは謎のまま >>11
吐谷渾よりも少し低地の前涼後涼他は中華扱い
なにこの高地民族差別 吐谷渾が飼育する馬は青海駿と呼ばれて日に千里を行く名馬として有名だった
他にも銅や鉄の鉱山を所有し採掘業や冶金業も盛んだった
本拠地は穀物が育ちにくい不毛の地だったためシルクロード交易に力を入れていたのが判明している
吐谷渾のキャラバン隊が鉄製品や青海駿を携えて長安まで交易にやって来ると人々は待ってましたとばかりに群がったという
ただシルクロードの交易の利潤を狙う北魏とは何度も交戦している
劉宋に朝貢して官位をもらっていたのは北魏を牽制する狙いがあったとされる 小月氏もそうだけど
騎馬民族が青海に住むと
騎馬(キバ)抜かれて草食動物化する感が 前スレ埋めに便乗して
曹操ガンダムがいるなら
石勒ガンダムとか劉裕ガンダムとかもあっていいだろ 石勒ガンダムは大破してもすぐ欠片が集結して再生しそう >>14
日本の歴代通り魔も公務員や正社員だったら事件は起こさなかっただろうしね 大陸における高位の官職の名称
太師、太宰、太傅、太保、大司徒、大司馬、大司空、司徒、司馬、司空、司空、
相邦、相国、太尉、御史大夫、少傅、令尹、大丞相、丞相、右丞相、中丞相、
左丞相、仮左丞相、冢宰、大宰、大宗伯、大司寇、右師、左師、司寇、仮王、
領尚書事、録尚書事、平尚書事、省尚書事、尚書令、阿衡、宰衡、周公、卿士、
右卿士、左卿士、卿、正卿、上卿、亜卿、侯伯、大将軍、将中軍、佐中軍、
将上軍、佐上軍、将下軍、佐下軍、尚父、仲父、亜父、都督中外諸軍事、
都督六合諸軍事、宇宙大将軍、摂皇帝、仮皇帝、真皇帝、摂政王、親王、王、
国王、郡王、行人、衣王、周方伯、小伯、伯、天王、尚書左僕射、尚書右僕射、
内閣大学士、天皇、内臣、外臣、使持節、驃騎大将軍、驃騎将軍、車騎将軍、
衛将軍、中都護、行都護、都護、左都護、右都護、西域都護、牧伯、牧、太守 中原の官職の偉いと思われる順
@太師
A太宰
B相邦
C相國(相国)
D太傅
E丞相
F右丞相
G中丞相
H左丞相
I仮左丞相
J太保
K大司馬
L大将軍
M太尉
N大司徒
O司徒
P御史大夫
Q大司空
R司空
S司城 中原官職順序
@太師
A太宰
B相邦
C相国
D太傅
E丞相
F右丞相
G中丞相
H左丞相
I仮左丞相
J太保
K大司馬
L大将軍
M太尉
N大司徒
O司徒
P御史大夫
Q大司空
R司空
S司城 官職なのに王とか混ざってるし本当に意味が分からない 蕭道成は劉裕みたく長安洛陽取り返したなんて戦果上げてないのによう簒奪できてたな 「王」と言うのは中央アジアで遊牧民の中に発生した。
「王」呼び名は「Kwang」とされた。
遊牧民は各地に王国を築いた。
東に来てモンゴルでは「w」が「h」に変わって「Khaan」となり、
中国では「k」が消えて「Wan」になった。
朝鮮では「kan」から「kim」になり、日本に来ると「kimi」になる。
一方、遊牧民が西に行くと「Kwang」から「King」に変わるのである。 >>22
仮王もスペインの副王(ヴァイス・ロイ)みたいなものだし
東洋も西洋も爵位の起源は官職だし
王も恐らく、死刑執行人かイタコみたいなものが起源だし 寡兵で大軍を破った戦いだと日本ならやっぱ桶狭間の戦いだな
駿河・遠江・三河を支配し、海道一の弓取りとまで言われた今川義元の軍2万5千を
小国尾張の一領主に過ぎない織田信長が3千で撃破し、義元の首級をあげた
まさに戦国最大の番狂わせ
日本史で兵力差8倍以上を覆した戦いって桶狭間以外でなんかある? 中国史だとやっぱ合肥の戦いか
10万の孫権軍が7千の曹操軍に大敗した
そしてヒスイの戦いもそうだよなあ >>30
戦国末期の朝倉氏の家臣の富田長繁軍700人が一向一揆軍2万人、実に30倍の敵に勝った例がある。
ちなみに富田長繁は「樊カイが勇にも過たり」と評されるほどの武勇を誇っていた。 >>31
大秦天王の軍87万が東晋軍8万にやられたのが最悪かね なんで交戦した先鋒25万ではなく本隊87万なんだい? >>25
まるでインドのチャトランガが
西方へ伝来してチェスに
東方へ伝来して中国象棋や日本将棋になったような感じか
モンゴルに伝来してシャタルになったが
シャタルは東アジアなのに中国象棋や日本将棋と違って
チェスにほぼ近いのが面白い
中身はほぼ中国象棋のパクリで名前は日本将棋のパクリの
朝鮮将棋というのは無視で・・・ >>24
放伐じゃなく禅譲だから
前王朝が衰退して各方面から吉兆が報告されれば
長安洛陽取り返さなくても禅譲できるんすよ 「進撃の巨人」のマーレ編以降とか
「ドラゴンボール」のサイヤ人編以降とかを
読んでないようなもんか >>33
まさかあの「越前の狂犬」がこの板に出ようとは
しかし敵どころか味方になり得る者まで殺しに殺しに殺しすぎて
味方に射殺されたよな
70年後の張献忠を先取ったというか >>38
寿王が自害しなければ、武王は形式的には禅譲にしたかもね 慕容恪と王猛って最後まで直接対決は無かったんだっけ?
お互い軍事も政治も完璧超人ぽいがどっちが優れてたんだろうか
性格面は誰とでも波長合わせれそうな慕容恪だと思うが >>43
石虎や姚一族がいなければ340年代に華北を征服してたであろう基地外軍事力を持ちながら
強ければ何をしてもいいという思想に堕ちずに国に忠を尽くした慕容恪のが一回り上
たぶん天王にならざるを得ない立場になったとしても、飲み込まれず帝王学を実践できてたと思う
王猛は東晋を飛び出して運よく前秦と逢うまでがハードル高いし、君主が進言を9割呑む苻堅だったからこそ栄達できた
一歩間違えれば国を奪う、国を滅ぼす方向に振り切れる危うさがあるし、そうなったら王敦よろしく人心を軽視して墓穴掘る >>39
三国時代の知識しかなくても
徐盛が二百人に満たない数で
黄射の十倍以上の軍勢を撃退した話とか
すぐ出てこない時点でたかが知れてる 慕容恪(324年以前 - 367年)
王猛(325年 - 375年)
2人は同世代といっても差し支えないのにほぼ接点なし
王猛が世に出るのが遅かったのと活動範囲が違うのが原因か
365年に前燕が洛陽侵攻した時に王猛が迎撃してれば直接対決有ったかもだが
その時王猛は苻幼の反乱鎮圧してたので叶わなかったな・・・ 崔浩曰く
・王猛=苻堅にとっての管仲
・慕容恪=慕容暐にとっての霍光
・劉裕=司馬徳宗にとっての曹操
なので属性少し違うが王猛慕容恪2人とも歴代の名臣の1人 強盛をもたらしたがヘイト溜めて殺されたという点で商鞅・呉起なんてどうだろう 孝の漢典からすれば仕える先なんぞより家門の保持のほうが圧倒的に重要だぞ 晉自棄中華,非吾叛也。民既無主,強則托命。既已事人,安可改節! >>51
儒教の観点からすると孝みたいな八徳は重要だが
北魏は仏教や道教の世界なので…
売国奴という意見もわからんでもない 胡は古代漢民族からみたら犬猫畜生
それを主君に崇めるってどうなの? 西周が犬戎に滅ぼされたり
犬戎を吸収した秦が天下統一したり
元々古代漢民族は犬猫畜生の下僕ですよ >>57
秦自体がペルシャ系と言われてるからな
ローマを大秦と称するあたり、古代から西方民族の流入が相当の影響を及ぼしたのは推測できる 源平の頃
都の人間は坂東武者を東夷と見下したが
その坂東武士は常陸の武士を東夷を見下していた はるか昔の東夷は斉(山東省)にいて
早くに華夏族に吸収されたので漢民族
その後の東夷は概ねエセ東夷 >>66
日本人も沖縄に行くと腑抜けになるからな。 世界の四大文明はほぼ北緯20度〜40度の間で
寒過ぎず暑過ぎずというところか
ちなみに東京は北緯36度で
欧米の先進国のほとんどは北海道より北緯高かったりする >>62
後白河法皇「源頼朝は東夷」
源頼朝「佐竹秀義は東夷」
佐竹秀義「」
そんな佐竹が南北朝時代を経て近代では侯爵
現代では秋田県知事になろうとは でも現代の佐竹の中身ってどこからかの赤の他人の養子やん >>69
四大文明の頃は今より寒冷だから、メソポタミアと黄河がやや寒いといった具合
双方とも侵略が色濃い文明でもある 佐竹といえば
宗家で佐竹義重が2人居るとは
戦国時代好きには有名な鬼義重(18代)と
東夷扱いの秀義の息子の義重(4代)
まぁ伊達氏でも伊達政宗が2人
独眼竜政宗(17代)と大膳大夫政宗(9代)
居るので珍しい事ではないが
日本で同姓同名がたまに出てくるのなら
日本よりも姓が短く少ない中国なら如何や >>72
確か12代佐竹義人が上杉家からの養子で旧名上杉義憲
佐竹(源氏)だけど中身は上杉て
越後上杉家と似てて仲良い理由がわかる >>74
有名なのは漢の高祖・劉邦に仕えた韓信だが普通は”国士無双”の韓信を指し、戦国時代の韓王室の一族の方は韓王信と呼んで区別している。 >>76
現在の佐竹はほぼ相馬だったっけ?
スレチだからどうでもいいけど >>77
韓信(斉王、楚王、淮陰侯、etc…)
韓信(韓王、代王、etc…)
と呼べばいいのに一人だけ韓王信とか
利便性優先して違和感
これもスレチだからどうでもいいけど 謝安の兄弟って字に諱を含んじゃってるよね
謝奕:無奕 謝安:安石 謝萬:萬石 謝石:石奴
忌諱のルールがよくわからない… 司馬道子なんか皇族のくせに字も道子だぞ
慕容紹宗も字が紹宗なんだよな >>80
皇帝とか目上の諱と同じだとまずいから避けるのであって
自分の諱を避ける必要はないんじゃないの 謝裒「さすが石勒石虎!おれたちにできない事を平然とやってのけるッ!
そこにシビれる!あこがれるゥ!」 桓沖 幼子
謝玄 幼度
幼の字にかっこ悪いイメージはなかったんかな >>81
中学の社会の授業で
唐の詩人孟浩然が字も浩然で大概にしろと思ってたが
もっと先輩が居たとは そういや郭子儀も字が子儀だったな
この時代なら他に誰かいるの? ジョッキーでいえば
ミカエル・ミシェル
みたいな感じか
芸人でいえば
寺門ジモン
みたいな感じか 諱と字の常識を覆すみたいな感じで当時は一種の流行だったりして >>96
>>97
今の中国人は使っていないって意味かと思う
日本でも本当の名前は隠しているという話も
また本名は部下でも呼ばないっぽいから
アザナは普段使う名前だから今の免許証に書いている奴が字になるのかねえ 呼ぶのに失礼じゃない順
丞相>諸葛丞相>諸葛孔明>諸葛亮>曹丕 こういうの親は名前で呼ぶの?
劉備の母親は劉備を備と呼ぶ?
それとも字の玄徳? ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています