何故、魏は大国でありながら呉と蜀に苦戦したのか5
>>98
史料を見る限り曹操曹丕の代は倹約に務め、曹髦の代になると曹叡が行っていた建築事業を止めたってことしか覚えてないよ
つまり曹叡時代の後期くらいしか重役の記述に乏しい
しかしそういう話で言うなら劉備も普通に重い負担を与えていたし蜀の連年の出兵負担も批判されていたからな
さらに史料を見る限り魏呉蜀を通覧して負担を比較した記述なんて覚えがない
まあ呉に関してはさほど読み込んでないから正直記憶が曖昧だな >>93
漢中の話になるが
曹操が漢中の住民を強制移住した後、劉備が漢中を手に入れるが
住民を手に入れる事ができなかったと書かれているレベルなので
僅かなんてことはなく普通に大規模な人数だよ 他だと曹操は長江北岸の住民を強制移住しようとするが
それを嫌がって十数万の住民が孫権領に逃げたという記述もある 長江の移住は俺なら曹操領を選んだのになあと思ってしまうわ >>102
それはこの記述のことを言ってるのか?
太祖還,拜襲駙馬都尉,留督漢中軍事。綏懷開導,百姓自樂出徙洛、鄴者,八萬餘口。
これのどこが強制移住なんだ?
呉との国境の話も十万を強制移住させようとした、というより十万の民がその話に恐慌を起こして逃げたという話な上に
白馬の例を引いていることからいって別に恒常的な移住ではなく一時的な退避の話だろう というか中国は移住に限らず流民化等による住民の大量移動なんて場所を問わず日常茶飯事やろ
だからこそ後漢末の戸籍が激減してる訳だし人口の少ない呉や蜀で特に良く見られる蛮族討伐による人狩りが発生しとる訳やし 無知が威張ってるようだが
魏の民の税率は1%だぞ。
50%とか60%は士族層や >>108
すまんがお前には語ってない
他の人が間違った情報に惑わされないようにしただけや 何が諸葛亮や孫権がしっかり治めてるだ。諸葛亮は死んだから負債を払わずに済んだだけだ。 三国志の後はご存知血で血を洗う西晋末から五胡十六国時代に突入するけど、そのあたりの時代で曹魏の治世を懐かしむ声がまるでなかったあたり曹魏の治世がどんなものだったかはお察し というかな、あんな困難が何世紀にも亘り当たり前になってる社会で「他人への忖度類、仁義」より実力(嗤)だか能力(嗤)だかをセールスポイントにしたいとか、はっきり言って麻続かいな??(呆 密告で冤罪もかなり多いだろうね
楊儀だって本当か分からんし、本当でも酒の上野口だろうし
どうでもいいけど
『隷続』巻十二「劉寛碑陰門生名」は中平二年ごろ立てられたが、「涿令・遼西令支の公孫瓚伯圭」と見える。
とあるから姓名字の順で全部書くこともあるんだね はじめての三国志で魏の人口は440万、兵力は最大時で67万だってさ 曹操やその軍師たちみたいな賢い人たちより失敗ばかりの馬鹿な曹丕のほうが正しい判断してると考える人がいるのは中々不思議なことだ 賢いはずの参謀がトップになると組織が崩壊するんだよね 密告に公正に対処できる諸葛亮
密告で失敗しても非を認めて反省して善処できる孫権
そして密告で失敗しても非を認めないし反省もしないししても口だけの曹丕 >>119
反省というより貴族連合に「次はお前をミンチにしたるぞ」って脅されてビビって軟化したのが孫権
だからその力関係がひっくり返らないようになった途端、二宮でボロクソになるまで暴れ散らかした
その痛みの対価として孫俊孫淋の時代は皇族が復権したものの、皇帝独裁を志した孫休がまた破壊
貴族と組むのはいいが、独裁をするつもりが権力切り売りをしないと国体持たなくなった結果が孫皓の自暴自棄
因果は巡る >>120
そうなんよな、曹丕の問題は個人の資質の問題が多いけど孫呉の場合は構造的問題。
結局ガラガラポンで上から下まで全部パアにするしか打つ手が無かった。
でも孫家が定期的に大暴れするだけしか起こらなくて、江東豪族はなんだかんだで存続してしまった。 >>121
孫氏ってほぼ根なし草だし、確固たる地盤持ってる貴族には敵わないのよね
戦力も国に帰属(魏晋)や独裁機関(蜀)ではなく、貴族ごとの私兵の寄せ集めである世兵制なのも問題だった
呉の滅亡は、呉でしか生きられないものが玉砕しただけであって、それ以外はポーズだけして投降っていうオチなのも納得がいく >>122
ちょっと違うな
呉郡孫氏は江東貴族の中では階級低いだけで根無し草ではない
孫呉滅亡後は元の階級に戻っただけ
あと呉の滅亡時は呉の貴族は国に殉じた者と
家を存続させる為に生き残る者とに分かれているぞ
例えば呉郡陸氏では陸晏や陸景は国に殉じて玉砕
陸機や陸雲は生き残って西晋で羽撃いている 孫家って三代続けてのカリスマで持ってたしそれ以後はああなるのもしゃーなし 孫家は低い階層扱いされるけど
それは日本で言えば皇族や摂家ではないけど
一応中下級の貴族ぐらいのもんだよ
劉備も同様で貧しいと言っても石川啄木や宮沢賢治レベル >>125
貧民と言えど名を馳せる奴は最低でも識字くらいできる
日本は昔から識字率がダントツで高いから馴染みはないが、海外じゃ識字ってだけでもそれなりの教育を受けてるか頭がいい証になる
この時点で日本基準の根なし草や貧民とかなり異なる
日本基準でぼ根なし草や貧民は、中国じゃ食肉加工されるからな 中国史で暗君というと、指導力がない人や讒言に惑わされる人や奢侈に溺れる人みたいなイメージがあるが、曹丕は皇帝の仕事には意欲的だし奢侈どころかむしろ倹約してるほうなのに、能力が最大限贔屓して大甘に見ても凡庸くらいのくせに自己顕示欲が強すぎて独り善がりだから、クソみたいな政治で頼りなかったり贅沢三昧だったりな不明惰弱な皇帝よりよっぽど国を疲弊させて臣下や民を苦しめてるし、その上讒言に惑わされるような皇帝でも引くようなことをするから前三つのタイプより皇帝として中々いない上によっぽど最悪な類だよ >>128
アンチ曹丕は、叩きやすい穴だらけのテンプレ礼賛と三國志本編推しを行い、興味を持って調べた人間に現実を学ばせて、曹丕への嫌悪感で満たす奴のことを指すぞ
短所をしっかり指摘してるうちはまだマシ そもそもアンチの一言で逃げないで、逐一反論してみせろってんだよ。はっきり言ってどれもこれも実際のやらかしばかりじゃねーかよ。 どれも、も何もすごいフワッとしたことしか列挙できてないんだけど
本人の中では立派な論文になってるのかな 私は頭が悪いので正史を読めませんし理解できませんし現実とフィクションの区別がつかないのでコー○ーとかの三国志ものを史実だと思ってますって素直に言えよ いや、曹丕の政治って兄弟冷遇して一族全体の将来を暗くするとか、外交はバカじゃねーかとしか言い様の無いものだとか、臣下に対しても登極後に曹洪殺そうとした挙げ句に母親から厳しい叱責喰らって諦めるとか、本当にコイツ推した魏臣たちは何を考えてんだってレベルだけど。
そういや劉備は孔明に託子の鞭与えたけど曹操はそんな臣下(できれば実務能力は無いけどお堅い気の利かないやつ)用意しなかったな。 >>135
曹丕の五官将配下や東宮の人事は普通に曹操の意向だよ
そこにそういう人材がゴロゴロ載ってるけど
正史読んだことないのか? 創業の功臣が曹操死去前後にほぼ同時に亡くなっていて曹操子飼いの準一門扱いの人物を大切にした人事託された面はあるわな >>136
へえー、寄りに寄って「信者にとっては絶対的存在(キリっ!」な曹操さんの采配なんだ?(鼻ホジ
はっきり言って劉備さんよりもよほど深刻な失敗だったことを自省した方が建設的だと思いますけどね(これでも容赦してます >>139
なんの信者なのか知らんが曹操がその人事に関与してることは普通に記録に残っている
本当に正史読んだこともなく知ったかしてるんだな・・・ >>140
かれはそれなりに悪名ある曹操アンチだからね 曹丕アンチとか言うけど、後世の捏造とか抜きにして史実で考えたら曹操はともかく曹丕に賛に値するところ皆無やろ 名士と対峙して彼らの勢力拡大を抑えた功績がある。獅子身中の虫の曹洪を殺せなかった甘さがだめだったな むしろ曹丕がやることなすこと悉く失敗ばかりだからかえって名士の声望が増して勢力が拡大した >>143
大躍進してるんだよなぁ…河内司馬氏をはじめ名士層が確実に侵食してきた
九品でも名士が有利なのを是正しなかったせいで、その後も悪化の一途を辿ることになる >>144
曹丕は楊俊や鮑信の子など反乱分子は始末をつけている。司馬懿と結びつきが深い彼らを正当化する史書が描く曹丕像が曹丕に厳しいのは当然のこと。 >>146
九品を是正する時間は曹丕にはないだろう。そもそも曹丕の時代に九品が導入された証拠はどこにもない 曹洪が獅子心中の虫?
吝嗇家だったりと問題が無かったわけではないが
功績の大きい曹洪を処刑にしようとした曹丕の方が狭量で問題のある人物としか思えないわ >>140
むしろこんな惨憺たる結果を賛美したい剰りに成功(嗤)と言い張る人たちこそ、頼むから現実を直視してほしいものですねえ(染々 >>148
しょうがないんだよ、なにせインテリ(嗤)ちゃんたちは「米一粒に七福の神宿る」みたいな“規模こそショボいけどなかなか辛辣な格言”がどういう経緯で生まれたのかなんて何の興味も持てないのだから。
はっきり言ってねえ、曹操こそ清盛よろしくこんなブルジョワジーな寝言吐く連中を「助走つけて殴り倒した後にマウントポジションで顔面ボコボコにする」機会を死後に熱望したんじゃないかと(素 むしろ陳寿は一応前王朝の初代皇帝で司馬懿を重用してくれた人だからあの非の打ち所がない暗君に物凄く手心加えたと思う
素朴な疑問なんだけど、曹丕擁護する人って言ってることが陰謀論とまるで変わらないけど歴史や学問やってる人として恥とか微塵も感じないの >>151
陰謀論に失礼になるレベル
大失敗してることは漠然と褒め称えるか責任転嫁に励み、大した効果のないことを偉業のように持て囃す
他の人物には逆パターン(重箱の隅をつつく)で過小評価や名誉毀損するという救えない存在
陰謀論は結果が固定されてない以上、思考とか構図とかの一部見るべきとこがあるが
曹丕擁護は結果が見えてるから、文字どおり罵詈雑言や虚言に過ぎない 曹丕擁護というが非難を否定しているだけで擁護しているわけではない。 取り敢えず呉に攻めて負け
呉に負けた劉備の戦を批判し
また呉に攻めて負ける曹丕
コイツって何が凄いの? 曹丕、人間性については満場一致でグズ
軍事については、三方面は結果敗北だけど方針は間違ってなかったと思う そもそも賈詡の適切な分析付きの諫言無視して呉を攻めたのが間違ってるぞ >>128
その人物をNGワードにするかこのスレを去るしかない
ただニコニコとかも似た論調なんだよなぁ 三方面作戦、昔曹操がやって失敗した作戦の焼き直しで方面軍の大将が全員縁故枠で案の定各個撃破されたのがしょうもなさすぎる 三方面の戦いは朱然が驚異的な粘りを見けなければ勝っていただろう
夏侯尚曹真曹休も活躍してるし
一番いいところがないのは宿将の曹仁戦線 夏侯尚は結局諸葛瑾突破できなくて戦果なしだし曹休はたまたま敵船が悪天候で壊滅しただけで賀斉に防がれたし曹真に至ってはあれだけ有利な条件だったのに勝てなかったから情けなさすぎるのが活躍とかあまりにもしょぼすぎる 曹丕は人間性だけでなく能力も最低ランク
曹操だってこんなパーフェクトな馬鹿を後継にしたくなかった 朱然が粘らなければというのが口癖だがそれなら圧倒的有利な状況でで粘れなかったほうの威信が傷付くだけなんだけどね 三国志の正史に伝記のある人物でクズと無能を兼ね備えているのは曹丕だけ 劉備が有利な川上から攻め込んでるのに
孫権が戦力を温存した状態で完勝するなんて予想する方が無理があるよ
劉備かあれほどボロ負けしなければ三方向侵攻は成功してるだろ 陸遜の蜀手打ちへの見切りも速かった
劉備深追いしてたら色々間に合ってなかっただろうよ >>155
間違いでしょ
名目的にも実利的にも漢中攻めに回すべきだった
漢中確保すれば北伐進路が完全に塞げて戦線を縮められたし、士気的にも計り知れないダメージを与えられた
何故属国である呉を優先してしまったか 蜀攻めるのも間違いとは言わないけど
魏延守る漢中落とせるかはこれも怪しくないか?
病症がどこまで魏に伝わってるかわからないがギリギリ馬超存命だし
漢中攻めのほうがリスク高いと認識してもおかしくない状況だったと考える
もし漢中抜けなかった場合、白帝城追撃する呉だけがさらに領土広げることになる 陸遜が食を攻めなかった理由も落とせないと判断したからだろうし
魏も信用していないから膠着状態で攻められると滅亡する >>169
曹丕が漢中を攻めれば陸遜は白帝城で劉備の首を斬れただろ >>170
切る価値ない
強いて挙げれば首を魏に献上して再度臣従するのに使えるくらいか
というか呉が蜀の領土を取ると「長江バリア効かない陸戦地帯を守る」という一番コスト的にまずい事態が発生するのがね
そこら辺が全く理解できてないボケナス孫休ならまだしも、孫権は嫌がりそう 魏が手出ししないという条件付きなら
呉は夷陵の後なら蜀漢を滅ぼせたんじゃないかな
主力軍が壊滅状態だし南方の地方で大規模な反乱が起きてるしであの時の蜀漢は滅亡寸前の状況だろう
まあ、魏が手出ししないなんて事は十中八九無いだろうけど >>169
落とせないと判断したんじゃなく朱然が魏が来ると判断したから深追いしなかったんだよ まあ東晋においては
長江から益州に攻め上った軍があっけなく征服してるからね >>164
自分自身は贔屓目に見ても並以下のくせに自分より遥かに優れた他人のことを見下していて見通しが甘いの、自分が愚かなことに他人が気付いてるのに自分だけまるで気づいていない曹丕のどうしようもない愚かさが端的に現れてる >>174
蜀にはまだ数万の兵がいるだろうし
完全に防御に徹しられたら簡単には落とせないだろうし
魏が来る予定がなくても硬直状態を攻められたら終わる
呉は最大時でも十万の遠征軍しか出せず、それだと蜀に勝つのは厳しい 陸遜も朱然も、慎重論の理由として曹丕の動向を挙げてる
少なくとも劉備追撃が困難だからとは言ってないね 曹丕的には友好関係で攻めて来ないだろうと思っていたのかな
蜀の大軍の後に魏から三方面の攻撃でよくもったものだ 三方面作戦は結局全方面まるで戦果なしなあたり一見するといかにも良さそうだけど実際は杜撰な作戦というのが実に曹丕らしい 曹爽がこのスレで悪く言われない不思議
曹爽の蜀征伐失敗&司馬懿クーデター後の「降伏してやってもいい」は曹一族死んでも死にきれなかっただろうな まあ普通に曹爽が魏滅亡の一番の戦犯だろうね
曹爽がまともなら司馬氏に乗っ取られることも無かっただろ >>181
孫資劉放の犠牲者だし、槍働き以外は無難だからな
三國志では悪く書こうとし過ぎて裏に隠れた要素が浮き彫りになってる >>181
無能ポジ過ぎて何も責任を求められていないんだろ
ほんのもう少し旧臣をまともに懐柔しているだけで、司馬懿のクーデターはあそこまで綺麗に成功してなかったと思う 別に誰も誉めようとも擁護しようともしないからな、曹爽。それこそ満場一致で駄目だしされてる人物が議題に挙がるはずも無く。 曹魏はまず初代皇帝が今流行りの漫画で例えると頭と人間性はそのままに見た目を冴えなくして強さを雑魚並にした鬼○辻無惨みたいなもんだし
曹操が天下統一できずに死んだ時点で半ば終わってた 曹丕は呉と戦う気がなかったんだよ
だから三方面作戦はちぐはぐに見えるし正史はアンチ曹丕だから重要な事項を指摘しないので曹丕が何を考えていたのかさっぱりわからないように生っている。 >>187
前線に立つ将兵が必死じゃない、戦いの重要性を理解できてないからこそ、ちぐはぐになるのよ
司馬氏与党ばかり(曹爽)とか酷使での疲弊(殷浩)より酷い、私怨に付き合わされてるという要因で発生したことだけど
こういう切り口からでも、曹丕体制がいかほどのものかが伺い知れる 呉反抗(人質拒否)に対しての示威行動として進軍ってのはないとは言わないが
ちょっと損害が大きすぎるね
三方の合計被害がどれほどになるのか纏まってる情報どこかにあるかな まあ一度の失敗はあれどその後失敗を別の方向で埋めずに執拗に同じこと何度も繰り返したのがあかんポイントかもね
その間蜀が完全復活する時間をやっちゃったわけだし >>189
賈詡伝に漠然と大きな損害を被ったと書いてある さーて皆さん、ここで今私がポッと思ったこと、すなわち曹丕はなぜ「自ら危険分子を自認する蜀」よりも呉に「フラレた故にストーカー行為に奔った」のか議論してみませんか?
たぶん突き詰めたら「苦笑以外に何の効用も無い深刻な現実」の数々が溢れ捲くるとは思いますけどねって 短い治世の中で軍事面でのやらかしが一度じゃないから擁護が難しい 現実的には補給等の問題で対呉の方が大規模な軍事行動起こしやすいって事情があるやろな(荊州へも揚州へも河川等による輸送が可能) あの性格でそんな合理的なこと考えたかねえ
服従しないなら天誅を(蜀は死にかけなんでどうでもいい)って理由しかないと思うよ 次の曹叡時代の曹真が行った蜀侵攻も補給の問題で分散進撃せざるを得ず失敗に終わってる
結局劉備孔明魏延が構築した防衛体制は涼州の整備が進んだケ艾の時代まで待たなきゃ突破出来なかったんだよ 前秦や西魏みると蜀侵攻失敗する方がどうかしてる
要するに曹魏は弱すぎる >>197
突破できないのは呉もだからしかも後回しにされてるし難解なのはむしろこっちって思われてたんだろ
だから曹丕はなぜ?ってことになる