劉備の入蜀 益州争奪戦
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魯粛は孫権の部下の一人に過ぎないんじゃねえの。
関羽からすれば取り次ぎ役かもしれんが。
孫権が呂蒙に荊州侵攻させるにあたって魯粛に期待した役割は時間稼ぎやろ その孫権の立場が豪族の神輿的なのが呉という国の特徴やけどな 豪族の神輿だ、みたいな論よく見るけど
イメージ先行で割と妄想入ってない? 天下二分の計に関して孫権は乗っかって
他の奴にやらせるだけだから
孫権は好き勝手に評論してただけだからな 周瑜が劉備軍を解体しようとして
魯粛が反対したが
孫権は魯粛にそうさせておいて
後で欠席裁判
自分で領土拡大に動く立場でない
評論家の態度 お前らと同じで孫権も魯粛も言っていることと考えていることは違うんだよ だから行動で判断する
言っていることとやっていることが違う人は周りにたくさんいるだろ >>223
これだったと思うね
普通にこれで話通じるし >>225
最初はそうだったかもしれんけど周瑜とかわりと心酔してたみたいだし
後々のことを見てもみな結構孫権への服従度高いから途中から本気で主として仰いでるように見える
あと評論家の立場ってそりゃ自分が使った部下への評価だから別に何か悪いか?という感
だから上手く呂蒙へ交代させてるし結局自分で責任取ってるじゃないかって話だよな >>228
えっ荊州蜀方面を他に任せてただけでしつこいくらい合肥担当してるだろ
防衛にも自分で動いてるしドラマかなんかのイメージ? >>222
上手く動いてくれなかったから途中から魯粛も計画変更に乗って>>223だとしたら単刀赴会が実際にあったことと成り立つよな
魯粛って臨機応変の人だからひとつのことに拘らないし自分の寿命も感じてたなら自分が交渉人としての時間稼ぎ役にまわることは十分考えられる
呂蒙ともだいぶ色々相談してたみたいだし死んだから計画変えたより自然だろう >>227
袁紹は配下粛清しまくりで神輿どころか恐怖政治に近い
それこそイメージ先行過ぎるわ >>199
先の武陵孫呉保有説だと孫呉からすると
三郡要求して二郡手に入れて一郡手放して
実質一郡しか手に入れてないので
落とし所としては悪手でしかない まあ武陵はど田舎だから多少はね
(なお人口の多い南郡零陵長沙の一部も持ってかれてる模様) >>177
そんなゲームみたいなこと言われてもな。広さは問題ではないやろ >>240
上に原文有るけどそんな記述は無いよ
もしかして裴松之の注(借荊州に関しては主に江表伝から)と勘違いしてない? >>244
孫瑜の益州攻めの時に荊州を自分の領土として発言してない
まあ、劉璋を攻められたら荊州放棄するとも言っているし そもそもここは劉備の益州攻略を話すスレであって
荊州問題について話すのであれば別に立てた方が良いんじゃない?
ずっと荊州の話になってる >>246
陳寿は基本的になるべく不確定要素(自分がよくわからん事)は排除して
伝の文を簡潔にして信頼性を高める書き方なので
陳寿の原文を信頼するというのはよくわかるが
裴松之の注に関しては玉石混同なので一概に言えんが
少なくとも検証せずに一律に注は嘘というスタンスは宜しくない
江表伝でも裴松之がダメ出ししていない部分は概ね信頼に足る記事 >>249
江表伝とか完全に呉側の資料なんだから現代の人間が安易に信頼したらアカンやろ >>250
その主張が正しいとすると例えば
『襄陽耆旧記』や『漢晋春秋』とか完全に蜀側の資料だから
現代の人間が安易に信頼したらアカンやろ
という事になるのだが >>251
誰がどういう立場で書いたかとか実際に発生した事実とかと付き合わせて考えなきゃ歴史の見方が偏る言ってんだよ
歴史考える時に一番気をつけなきゃならん事やろ
史書上の人物の発言なんてその最たるもんや 『江表伝』:旧魏臣(兗州高平郡の人)虞溥が鄱陽国内史の時に地元の歴史の資料を編纂して作成
『襄陽耆旧記』:旧蜀臣(荊州襄陽郡の人)の末裔習鑿歯が故郷の人物伝や名勝旧跡について広く見聞を集めて作成
『漢晋春秋』:旧蜀臣(荊州襄陽郡の人)の末裔習鑿歯が魏を僭称者とする自説(蜀漢正統論)を基に後漢〜西晋の歴史を編纂
どちらかといえば虞溥よりも習鑿歯の方が忖度入っている >>254
特に注意しなきゃいけないのが誰が聞いていたのかも分からない人物の発言関連
正史だろうがなんだろうが(むしろ正史だからこそ)物語性としての評価はともかく史料として安易に盲信するのは歴史観の偏る元 返すなんて劉備は言ってねーから交換やってのもよくわからんし
そりゃ蜀側からならそうなるやろねとしか言えんよな 当然なのは結構だが親が軌道を作ってるものに乗っかるだけなのはやはり何かを成したとは言いがたいさ
しかもその後特に何かやれたわけでもない >>258
江陵も夏口も孫権領だしなあ
2chでは劉キが夏口に赴任したなんて正史無視な事を言ってるが >>260
確かそれしか一応正式な記述ないよな
2chで広まったことなのか…どこが出発だろうな >>261
江夏郡=夏口で勝手に理解してるからでしょ 普通に劉gが江夏太守として万の兵を率いてると明記されとるやん
正式な記述が無いとか何処の世界の三国志だよ 江夏、夏口の解説に関しては俺が見た中ではこの記事が一番正確だと思う
http://diary.sousokou.jp/?eid=1046
行政区としての江夏と地域、領域の通称としての夏口というややこしさと漢、呉の行政区に共に江夏郡が同時期に同時に存在していて三国志の記述がどちらの江夏郡のことか明記されていない点も勘違いを生みやすいんだと思う >>265
劉gの赴任先は上昶城近くで夏口城では無いって事だね >>266
劉gの軍と夏口に移動してると明記
このタイミングで夏口が劉表と敵対してた孫権のものだったらこの動きは有り得んから少なくとも夏口までは劉表の支配領域と考えるのが自然
程普の伝を見ても赤壁後に江夏太守となった際に沙羨に入ってるからこの頃の(公安に劉備が入ってる)南郡と江夏における支配地域が入り組んでいた事が見て取れる
だからこそ周瑜の死後に主導権を握った魯粛が一度整理を行ったんやろな >>260
荊州刺史だろうが荊州牧だろうが
荊州全域実効支配していない時点で
荊州全て俺のモノというジャイアン的発想は無意味
まぁ同じ事は寿春支配してない揚州刺史や揚州牧にも言えるが >>269
江夏太守の支配領域として夏口があって黄祖時代に江夏城があり夏口には船団基地があったり江夏城が移転して西寄りになったり更に劉gが赴任した時には夏口の拠点を山寄りに移動して城を新設したりで本当にややこしいw
更に赤壁後には武昌が都市化していき呉が建国された後には武昌周辺の城塞都市化が行われた頃は蜀と呉が緊張関係にあって漢口、武昌の区割と管轄者が二転三転していて夏口の地名が出てこなくてなったりするからねえ
何にせよ荊州支配に欠かせない長江漢水の軍事支配と流通ルート確保の為にこの辺りに配置される人物は魏呉蜀いずれも屈指の強者なのよね
黄祖も演技、正史両方で孫策孫権の猛攻を耐える劉表麾下では超優秀な人物
ゲームでの能力は鞏志と変わらないぐらいのC級扱いだけど曹仁、呂蒙、魏延クラスの能力が妥当だと思う >>269
江夏太守の支配領域として夏口があって黄祖時代に江夏城があり夏口には船団基地があったり江夏城が移転して西寄りになったり更に劉gが赴任した時には夏口の拠点を山寄りに移動して城を新設したりで本当にややこしいw
更に赤壁後には武昌が都市化していき呉が建国された後には武昌周辺の城塞都市化が行われた頃は蜀と呉が緊張関係にあって漢口、武昌の区割と管轄者が二転三転していて夏口の地名が出てこなくてなったりするからねえ
何にせよ荊州支配に欠かせない長江漢水の軍事支配と流通ルート確保の為にこの辺りに配置される人物は魏呉蜀いずれも屈指の強者なのよね
黄祖も演技、正史両方で孫策孫権の猛攻を耐える劉表麾下では超優秀な人物
ゲームでの能力は鞏志と変わらないぐらいのC級扱いだけど曹仁、呂蒙、魏延クラスの能力が妥当だと思う 孫権側も夏口を落として黄祖を殺したはずなのに赤壁まで誰を入れるでもなく専ら柴桑を拠点としてる
再度劉表に落とされたか放棄したかして赤壁直前は劉表勢力下に戻っていたと考えるのが自然 >>273
魯粛が劉表への使者として荊州に向う途中、夏口で情報収集している
柴桑拠点も別に夏口を落とした直後に近い状態で曹操が南下して
合肥方面も不安な状態なんだから不思議じゃ無い 大陸における高位の官職の名称
太師、太宰、太傅、太保、大司徒、大司馬、大司空、司徒、司馬、司空、司空、
相邦、相国、太尉、御史大夫、少傅、令尹、大丞相、丞相、右丞相、中丞相、
左丞相、仮左丞相、冢宰、大宰、大宗伯、大司寇、右師、左師、司寇、仮王、
領尚書事、録尚書事、平尚書事、省尚書事、尚書令、阿衡、宰衡、周公、卿士、
右卿士、左卿士、卿、正卿、上卿、亜卿、侯伯、都督中外諸軍事、都督六合諸軍事 >>269
劉gは曹操に追われて南に逃げて
劉備と合流出来たから初めて夏口に入れた
赴任先に夏口には行っていない >>271
黃祖は野戦は全敗で味方を見殺しにして城に立て籠もるだけだぞ
城を高性能にすれば良いだけ 中原の官職の偉いと思われる順
@太師
A太宰
B相邦
C相國(相国)
D太傅
E太保 中原官職順序
@太師
A太宰
B相邦
C相国
D太傅
E丞相
F右丞相
G中丞相
H左丞相
I仮左丞相
J太保
K大司馬
L大将軍
M太尉
N大司徒
O司徒
P御史大夫
Q大司空
R司空
S司城 >>270
まあ貸したのにそれ返さず全部俺のものな劉備たちと同じ観点から返しただけでしょ >>273
放棄するにしろ戦果として住民移動してないからありえない
取り返したならそれこそ記述があるだろ 記述あるだろと言うけど現在でも結構何でこれを書いてないんだって多いから >>282
住民移動が容易く出来る訳じゃない
正史であっても負けは載らない事の方が多い
劉表みたいな三国以外の群雄側の記録は殆ど残ってない >>285
>住民移動が容易く出来る訳じゃない
何のために夏口に攻めたんだよ
城を確保しなきゃ戦果として住民確保はセットで魏呉蜀も戦争してるんだが
まさか黄祖の首だけが目的とか言わないでくれよ ぶっちゃけ関羽が「借りた?ふざけんな交換だったろ」って返してないことや蜀側のそういう記載もないことからまあ邪推にすぎんよな
だから今まで江陵だけは貸し借りというのが定説だったんだし
関羽との会談のやつも呉の捏造という論も根拠もないし(つーかこの論初耳) >>286
そりゃ夏口周辺が交通の要衝だからに決まっとるやろ
後に建業から人を連れてきて武昌を作った事も知らんのかな?
逆に人を攫ってくるなんてとても言える話じゃない >>287
借荊州に対する反論は中国では昔から一般的な説の一つだよ(有名どころだと清時代の学者である趙翼が唱えてる)
日本だと人物像にフォーカスした研究が一般的で借荊州問題取り上げる人が少ないけどね >>288
夏口は黄祖の船団拠点でここを放置しておくと呉は江夏城攻略の大部隊を送れないんだよね
だからまず夏口を封じ込めるか占拠しようとするのは自然 >>290
それも有るけど
濡須口と同様に漢水との合流地点という南北を繋ぐ水運の最重要地点 >>289
呉は臣下が人民ごと魏に降伏していたりするし
豪族が古代の王の臣下の諸侯みたいなものになっている
だから劉備は同等の扱いみたいに書かれているけど呉の臣下みたいなもの
例えて言えば、社長が結構自由にやらせていた事業部長が独立して
会社の所有物である不動産も備品も返さないようなものかと
そして元事業部長は部下ではなかったと言い張っている 三国時代やその前では、独立勢力か部下かの議論はあるけど
形式的にはみんな漢の官僚なのだから
群雄も形式的には上司・部下や同僚の関係ということになる
日本で言えば、埼玉支店長は実質神奈川支店長の部下だったが
形式的には違うからその面を押して部下ではなかったと
埼玉支店では言っているような >>296
江陵が維持出来る人材と兵力があるのに
夏口のそれが出来ないって根拠は? >>292
「だから」が全然つながってなくて草
むしろ孫権が王や皇帝になったあとの降伏者何かと違って
赤壁前後はそれこそ呉の文官重鎮が曹操に降伏しようとしたくらい漢の官僚形式が強い時代でしょ
つうか「孫呉には親分子分の関係があったから、別に劉備も臣下だったに違いないの!」
って論理ガバガバすぎだろ
どう考えても劉備は揚州のように征服された勢力でもなければ
臣下のようにいちいち軍事的行動や外交の許可を求めた立場でもない ちなみに陳壽も江表伝も
明確に「同盟」という語を使っている >>296
国力も外交状況もタイミングも全然違う話を比べて何か楽しい? >>300
ほぼ一緒だぞ
黃祖討伐と赤壁の戦いは同年で
その戦力で江陵を占拠してるんだから >>298
反論に全くなってなくて草
なんの為に黃祖討伐したのか説明してよ
首だけが目的なら黃祖が居なければ攻めなかったのか? >>297
契約社員みたいなもので雇い入れて普通に
いや、派遣かコンサルで常駐していてずっと出勤して外面からは社員に見えるような状態だったとか >>300
旧劉表勢力の一部である劉備と共同で曹操と戦って勝った後の状況がほぼ一緒扱いで草 放棄したとも劉きが仕切っていたという記載もないし
普通に考えれば撃ち取った将の土地はそのままいただくはずだね というかそもそも手に入れる経緯が書かれてるのにそこが取り戻されたという証拠がないし交換の証拠もない
江陵も取った経緯ある上にちゃんと貸したという始末の付け方もしている
呉が恩にきせるために書かなかったとしても蜀側の記載がないのは変だしな
注にもその旨あるのならまあもうあとはどっち贔屓かってくらいの議論でしょ 全くヒントも出せない話ならばヒントのあるほうを取るのが普通だよ
取ったのに拠点にしてないからおかしいなんてちょっと弱すぎる >>282
あとに続くように呉にとっても重要な土地だからこそ取り返されたら一文くらいはあるはずよな >>305
>呉が恩にきせるために書かなかったとしても蜀側の記載がないのは変だしな
例えば襄樊戦後に曹仁らが襄樊捨てて一時宛に撤退した時に
呉の陳邵が襄陽占領しているのは魏の曹仁伝には載ってるが
呉側の史料には何故か載っていない
記述が片方側にしか残っていないなんて事象腐る程あるのに
片方側しか記述がないから云々で目鯨立てるのは側から見てて滑稽 >>308
>記述が片方側にしか残っていないなんて事象腐る程あるのに
>片方側しか記述がないから云々で目鯨立てるのは側から見てて滑稽
借荊州が片方側しか記述がないから云々で目鯨立てるのは側から見てて滑稽だよな 片側しか記述がない事の意味を考えるのが史料研究
目くじらを立てるとかいう感情論で何か反論した気になってて草 >>305
いや、劉邦の時でさえ、複数回、楚から奪い取ったと書かれていたりする
これは奪って、奪い返され手を繰り返したからだと思われるし
不名誉だからか面倒だからか、そういうのを書いていない
また、漢では一部を除いて死んだ将軍の名将が出て来ない
功臣上位でも誰か不明なのが多いか
彼等も誰かの別名でなければ、楚との戦いで亡くなったのだろう >>310
かっこ良くないのは書かなかったりするし
中国以外でも戦争記録で、両方が勝ったと書いているのもあったりする
また、そういうかっこ悪さを気にしないとしても細かくみんな書かないのが普通
だから、楚漢戦争時の記録は少なくて今では分からなくなってしまっている
劉備最後の戦いで無名の将軍とかが大量にいなくなっているけど
彼等のかなりの割合はその前の戦いとかにもいただろうに
事実上の総大将である領軍将軍の憑習すら記録がない
一部、本当に初陣のもいたかもしれないけど、武将の大半が初陣は流石に考えにくい >>312
そもそも蜀は特に入蜀までの記述が薄いからまあ >>313
荊州、益州で劉備配下になったものの正史に名前の残らなかった人も多かっただろうな
夷陵での人的損失がなければその後の北伐やらのところで活躍したかもされない30,40代の武官とか 借りたから返すなんて格好悪いから
荊州を与えるって誤魔化したいもんな ガチの左将軍劉備に行車騎将軍ってことにしてもらって
ウキウキで幕僚任命し始める討虜(笑)将軍孫権さん 功臣席次上位でさえ誰だか分からないのいるレベルだし
夷陵の戦いでも趙雲とか孔明とかがいないのは親呉派なのもあるだろうけど
日本が満洲や朝鮮、台湾を失って逆に栄えたように
豊かな土地を失うと逆に発展するのはある
蜀も荊州を失って強くなった 時系列と因果を混同しちゃいかんでしょ
満州台湾失った後に栄えただけであって、それらに直接的な因果関係はないよ >>317
強くなった訳じゃなくて漢中からの攻勢を続けて見せてないと防衛で常に後手に回るから北伐事業が行われたんやと思うけどな
人的資源と食糧庫を失ってただ黙って睨み合いしてたら魏の方が準備整って漢中までは確実に迫ってくるだろうと
あとは呉との提携を維持する為には共同戦線を張るつまり同盟が必要で呉は蜀と争うのはやめといた方が得なんですよっていう外交的な駆け引きもあるだろうしね >>318
一部の人はどこそこなんかに金とかを注ぎ込んでと思っていたし
外地のために注ぎ込んだ資金等があるし
豊かな土地って昔から領有することで他国とかに狙われるし
ハリマンに満州鉄道の利権を渡していればアメリカと敵対にならなかったって考察もある
ショウカとかも良くない土地だったら子孫が駄目でも奪われなくて済むと言ってる >>320
20年くらい前まではハリマン協定の受け入れで日米英の同盟強化の話が割と言われていたね
ただハリマンの利益とアメリカ政府の意向は必ずしも一致していなかった
だから協定を結んでいても太平洋周辺での資源と港の取り合いで世界恐慌以降は対立すしただろうというのが一般的な見解になってると思うよ ホウ統という呉のスパイを戦場で始末してから劉備軍の本当の蜀侵攻が始まったんだよ
それまでタイミングを計って苦戦していた振りをしていたわけ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています