劉備の入蜀 益州争奪戦
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
あと主に呂蒙伝から読み取れるのは
不平等だからというより単純に荊州全土を奪い取る方針に転換しただけといったところ >>190
実際領土分割が不平等でまとめたから不満が大きくなったのは当然と言ってる
これは逆の配分でも蜀は不満を持っただろ?
これを自国の将がやったとしたらどんな国でも不満は出てくるだろうという話だよ
どこに全部呉にやれなんて意味のレスがあったっけ? >>189
でも今までのこと考えるとそこも不明なんだよな
一度承諾して魯粛に内緒で密かに奪取計画してたのか >>192
そもそも何をもって不平等でどういう状況が平等なのかを示してもらわないとね >>193
内緒というより
呂蒙は魯粛の生前からそういう考え持ってて(孫権もそっち寄りの考えで)魯粛の死を契機に方針転換した流れだと思う 劉備側が提示した条件でまとまれば平等だったんじゃないか
ただその後どうなるかは知らんけどさ >>197
言いなりより悪い条件を返した弱腰外交の大都督だったから多少はね…?
不満の捌け口が倍になって帰ってきました >>198
言うて三郡要求して二郡手に入ってるんだから落とし所としては妥当とも言える
洋の東西を問わず不満の出ない外交なんてものは有り得ず恨まれない外交官なんて居ないという事 妥当というより妥協で譲歩だろう
外交で何度も譲ると舐められて足元見られて次の外交に支障きたす
結果的に急ブレーキ方向転換で油断を誘うことに成功したが >>200
相手の要求に対し文字通り二郡譲ってるのは劉備だし力づくで奪いとった三郡の内一郡を譲ってるのは魯粛であり孫権だからどっちもどっち
まあ呂蒙や孫権は内心その内全部奪い取ってやろうと思ってた可能性は高い なんで魯粛が荊州分割推進派にされてるんだ
史書に明記されてるのが「やらせ」と思うのは個人の自由だが、なんか根拠あるん? >>109
これどうなんだろうな武陵
>>202
ないよ
>>201
上げた返した譲歩じゃなく取り分の問題のことじゃないの譲歩って >>202
呉書の主張通り貸してたかどうかはともかく荊州の分割に関わってる事が多いからな
劉備に南郡を貸す(与える)判断したのも魯粛と思われるし >>203
その取り分の話で
孫権が三郡要求して劉備が全部拒否したところからスタートして孫権に二郡渡す事で決着してるんだからどっちもどっちで問題ないよ >>205
単に劉備全拒否というマイナスから始まって2群提案からの劉備取り分が多い決着は魯粛が更に譲歩したということってことよ >>206
別に孫権が与える話じゃないのにマイナスが設定されてて草 >>208
荊州自体は劉備のものでもないから全部返さねえから始まること自体がマイナスだろうよ >>207
単刀赴会にしろ鴻門の会にしろ
元ネタとなる様な会見があったと考えるのはいいけど史書に書いてあるまんまの言動があったと信じ込むのは歴史を考える上でどうかと思うよ
重要な事は大局的に何が行われて何を意図した記述なのかを考えること >>209
江夏は孫権が領有してるし江夏に限らず荊州各地に配下の奉邑は存在してるから前提の認識間違ってるよ 晋書にこんな記述がある
張光字景武,江夏鐘武人也。身長八尺,明眉目,美音聲。少為郡吏,家世有部曲,以牙門將伐吳有功,遷江夏西部都尉,轉北地都尉。
魏で私兵を持ってた例だな >>211
そもそもこの最初の方から戻ってくれ
共同で取ったものという認識から始まって分割で揉めてる 譲歩してあげたんだとか言い出したら、劉備だって譲歩してあげたて終わりだろ >>213
お互いあちこち領有してて分割で揉めてるんだから
お互いプラスが有りマイナスが有る状況だよと言ってる
借荊州は呉側の記述だけだから貸したのどうの言うのはナンセンス >>215
分割しないという状態はあり得ない
そこから分割の席につく状態までもって行くことは譲歩ではないということだ 魯粛は本当に北だけ考えており劉備信者だったというのありえないけどねえ
だって魯粛って孫権を皇帝にってことで周瑜と意気投合してたんだろ?
いずれ荊州も呉のものにと考えててもぜんぜんおかしくないんじゃないか >>217
誰も北だけを考えてたとか劉備信者だとか言っとらんけどな
出自含めて呉の豪族とは立脚点が全く異なるだけの話
あと周瑜とは意気投合しつつも劉備の処遇では意見が異なってる事は見て取れるよ >>219
劉備についても結局利用するという点では同じじゃない
劉備を制御できると考えてたのが魯粛取り込もうと考えてたのが周瑜
荊州についても正史であることを否定する要素もあるわけじゃないよ
それこそ同盟に気を使って返したくらいだ
関羽を殺すのを同意したととれる描写も嘘になってしまう >>220
周瑜の場合は劉備を切り離して軍閥を取り込む事を考えてたから「劉備を」利用するのとは根本的に違うよ 魯粛としては劉備を利用しようとは考えてたにしろ
どこか読み違えたとこはあるんじゃないの?
ここまで拗れるとこまでは 魯粛は孫権の部下の一人に過ぎないんじゃねえの。
関羽からすれば取り次ぎ役かもしれんが。
孫権が呂蒙に荊州侵攻させるにあたって魯粛に期待した役割は時間稼ぎやろ その孫権の立場が豪族の神輿的なのが呉という国の特徴やけどな 豪族の神輿だ、みたいな論よく見るけど
イメージ先行で割と妄想入ってない? 天下二分の計に関して孫権は乗っかって
他の奴にやらせるだけだから
孫権は好き勝手に評論してただけだからな 周瑜が劉備軍を解体しようとして
魯粛が反対したが
孫権は魯粛にそうさせておいて
後で欠席裁判
自分で領土拡大に動く立場でない
評論家の態度 お前らと同じで孫権も魯粛も言っていることと考えていることは違うんだよ だから行動で判断する
言っていることとやっていることが違う人は周りにたくさんいるだろ >>223
これだったと思うね
普通にこれで話通じるし >>225
最初はそうだったかもしれんけど周瑜とかわりと心酔してたみたいだし
後々のことを見てもみな結構孫権への服従度高いから途中から本気で主として仰いでるように見える
あと評論家の立場ってそりゃ自分が使った部下への評価だから別に何か悪いか?という感
だから上手く呂蒙へ交代させてるし結局自分で責任取ってるじゃないかって話だよな >>228
えっ荊州蜀方面を他に任せてただけでしつこいくらい合肥担当してるだろ
防衛にも自分で動いてるしドラマかなんかのイメージ? >>222
上手く動いてくれなかったから途中から魯粛も計画変更に乗って>>223だとしたら単刀赴会が実際にあったことと成り立つよな
魯粛って臨機応変の人だからひとつのことに拘らないし自分の寿命も感じてたなら自分が交渉人としての時間稼ぎ役にまわることは十分考えられる
呂蒙ともだいぶ色々相談してたみたいだし死んだから計画変えたより自然だろう >>227
袁紹は配下粛清しまくりで神輿どころか恐怖政治に近い
それこそイメージ先行過ぎるわ >>199
先の武陵孫呉保有説だと孫呉からすると
三郡要求して二郡手に入れて一郡手放して
実質一郡しか手に入れてないので
落とし所としては悪手でしかない まあ武陵はど田舎だから多少はね
(なお人口の多い南郡零陵長沙の一部も持ってかれてる模様) >>177
そんなゲームみたいなこと言われてもな。広さは問題ではないやろ >>240
上に原文有るけどそんな記述は無いよ
もしかして裴松之の注(借荊州に関しては主に江表伝から)と勘違いしてない? >>244
孫瑜の益州攻めの時に荊州を自分の領土として発言してない
まあ、劉璋を攻められたら荊州放棄するとも言っているし そもそもここは劉備の益州攻略を話すスレであって
荊州問題について話すのであれば別に立てた方が良いんじゃない?
ずっと荊州の話になってる >>246
陳寿は基本的になるべく不確定要素(自分がよくわからん事)は排除して
伝の文を簡潔にして信頼性を高める書き方なので
陳寿の原文を信頼するというのはよくわかるが
裴松之の注に関しては玉石混同なので一概に言えんが
少なくとも検証せずに一律に注は嘘というスタンスは宜しくない
江表伝でも裴松之がダメ出ししていない部分は概ね信頼に足る記事 >>249
江表伝とか完全に呉側の資料なんだから現代の人間が安易に信頼したらアカンやろ >>250
その主張が正しいとすると例えば
『襄陽耆旧記』や『漢晋春秋』とか完全に蜀側の資料だから
現代の人間が安易に信頼したらアカンやろ
という事になるのだが >>251
誰がどういう立場で書いたかとか実際に発生した事実とかと付き合わせて考えなきゃ歴史の見方が偏る言ってんだよ
歴史考える時に一番気をつけなきゃならん事やろ
史書上の人物の発言なんてその最たるもんや 『江表伝』:旧魏臣(兗州高平郡の人)虞溥が鄱陽国内史の時に地元の歴史の資料を編纂して作成
『襄陽耆旧記』:旧蜀臣(荊州襄陽郡の人)の末裔習鑿歯が故郷の人物伝や名勝旧跡について広く見聞を集めて作成
『漢晋春秋』:旧蜀臣(荊州襄陽郡の人)の末裔習鑿歯が魏を僭称者とする自説(蜀漢正統論)を基に後漢〜西晋の歴史を編纂
どちらかといえば虞溥よりも習鑿歯の方が忖度入っている >>254
特に注意しなきゃいけないのが誰が聞いていたのかも分からない人物の発言関連
正史だろうがなんだろうが(むしろ正史だからこそ)物語性としての評価はともかく史料として安易に盲信するのは歴史観の偏る元 返すなんて劉備は言ってねーから交換やってのもよくわからんし
そりゃ蜀側からならそうなるやろねとしか言えんよな 当然なのは結構だが親が軌道を作ってるものに乗っかるだけなのはやはり何かを成したとは言いがたいさ
しかもその後特に何かやれたわけでもない >>258
江陵も夏口も孫権領だしなあ
2chでは劉キが夏口に赴任したなんて正史無視な事を言ってるが >>260
確かそれしか一応正式な記述ないよな
2chで広まったことなのか…どこが出発だろうな >>261
江夏郡=夏口で勝手に理解してるからでしょ 普通に劉gが江夏太守として万の兵を率いてると明記されとるやん
正式な記述が無いとか何処の世界の三国志だよ 江夏、夏口の解説に関しては俺が見た中ではこの記事が一番正確だと思う
http://diary.sousokou.jp/?eid=1046
行政区としての江夏と地域、領域の通称としての夏口というややこしさと漢、呉の行政区に共に江夏郡が同時期に同時に存在していて三国志の記述がどちらの江夏郡のことか明記されていない点も勘違いを生みやすいんだと思う >>265
劉gの赴任先は上昶城近くで夏口城では無いって事だね >>266
劉gの軍と夏口に移動してると明記
このタイミングで夏口が劉表と敵対してた孫権のものだったらこの動きは有り得んから少なくとも夏口までは劉表の支配領域と考えるのが自然
程普の伝を見ても赤壁後に江夏太守となった際に沙羨に入ってるからこの頃の(公安に劉備が入ってる)南郡と江夏における支配地域が入り組んでいた事が見て取れる
だからこそ周瑜の死後に主導権を握った魯粛が一度整理を行ったんやろな >>260
荊州刺史だろうが荊州牧だろうが
荊州全域実効支配していない時点で
荊州全て俺のモノというジャイアン的発想は無意味
まぁ同じ事は寿春支配してない揚州刺史や揚州牧にも言えるが >>269
江夏太守の支配領域として夏口があって黄祖時代に江夏城があり夏口には船団基地があったり江夏城が移転して西寄りになったり更に劉gが赴任した時には夏口の拠点を山寄りに移動して城を新設したりで本当にややこしいw
更に赤壁後には武昌が都市化していき呉が建国された後には武昌周辺の城塞都市化が行われた頃は蜀と呉が緊張関係にあって漢口、武昌の区割と管轄者が二転三転していて夏口の地名が出てこなくてなったりするからねえ
何にせよ荊州支配に欠かせない長江漢水の軍事支配と流通ルート確保の為にこの辺りに配置される人物は魏呉蜀いずれも屈指の強者なのよね
黄祖も演技、正史両方で孫策孫権の猛攻を耐える劉表麾下では超優秀な人物
ゲームでの能力は鞏志と変わらないぐらいのC級扱いだけど曹仁、呂蒙、魏延クラスの能力が妥当だと思う >>269
江夏太守の支配領域として夏口があって黄祖時代に江夏城があり夏口には船団基地があったり江夏城が移転して西寄りになったり更に劉gが赴任した時には夏口の拠点を山寄りに移動して城を新設したりで本当にややこしいw
更に赤壁後には武昌が都市化していき呉が建国された後には武昌周辺の城塞都市化が行われた頃は蜀と呉が緊張関係にあって漢口、武昌の区割と管轄者が二転三転していて夏口の地名が出てこなくてなったりするからねえ
何にせよ荊州支配に欠かせない長江漢水の軍事支配と流通ルート確保の為にこの辺りに配置される人物は魏呉蜀いずれも屈指の強者なのよね
黄祖も演技、正史両方で孫策孫権の猛攻を耐える劉表麾下では超優秀な人物
ゲームでの能力は鞏志と変わらないぐらいのC級扱いだけど曹仁、呂蒙、魏延クラスの能力が妥当だと思う 孫権側も夏口を落として黄祖を殺したはずなのに赤壁まで誰を入れるでもなく専ら柴桑を拠点としてる
再度劉表に落とされたか放棄したかして赤壁直前は劉表勢力下に戻っていたと考えるのが自然 >>273
魯粛が劉表への使者として荊州に向う途中、夏口で情報収集している
柴桑拠点も別に夏口を落とした直後に近い状態で曹操が南下して
合肥方面も不安な状態なんだから不思議じゃ無い 大陸における高位の官職の名称
太師、太宰、太傅、太保、大司徒、大司馬、大司空、司徒、司馬、司空、司空、
相邦、相国、太尉、御史大夫、少傅、令尹、大丞相、丞相、右丞相、中丞相、
左丞相、仮左丞相、冢宰、大宰、大宗伯、大司寇、右師、左師、司寇、仮王、
領尚書事、録尚書事、平尚書事、省尚書事、尚書令、阿衡、宰衡、周公、卿士、
右卿士、左卿士、卿、正卿、上卿、亜卿、侯伯、都督中外諸軍事、都督六合諸軍事 >>269
劉gは曹操に追われて南に逃げて
劉備と合流出来たから初めて夏口に入れた
赴任先に夏口には行っていない >>271
黃祖は野戦は全敗で味方を見殺しにして城に立て籠もるだけだぞ
城を高性能にすれば良いだけ 中原の官職の偉いと思われる順
@太師
A太宰
B相邦
C相國(相国)
D太傅
E太保 中原官職順序
@太師
A太宰
B相邦
C相国
D太傅
E丞相
F右丞相
G中丞相
H左丞相
I仮左丞相
J太保
K大司馬
L大将軍
M太尉
N大司徒
O司徒
P御史大夫
Q大司空
R司空
S司城 >>270
まあ貸したのにそれ返さず全部俺のものな劉備たちと同じ観点から返しただけでしょ >>273
放棄するにしろ戦果として住民移動してないからありえない
取り返したならそれこそ記述があるだろ 記述あるだろと言うけど現在でも結構何でこれを書いてないんだって多いから >>282
住民移動が容易く出来る訳じゃない
正史であっても負けは載らない事の方が多い
劉表みたいな三国以外の群雄側の記録は殆ど残ってない >>285
>住民移動が容易く出来る訳じゃない
何のために夏口に攻めたんだよ
城を確保しなきゃ戦果として住民確保はセットで魏呉蜀も戦争してるんだが
まさか黄祖の首だけが目的とか言わないでくれよ ぶっちゃけ関羽が「借りた?ふざけんな交換だったろ」って返してないことや蜀側のそういう記載もないことからまあ邪推にすぎんよな
だから今まで江陵だけは貸し借りというのが定説だったんだし
関羽との会談のやつも呉の捏造という論も根拠もないし(つーかこの論初耳) >>286
そりゃ夏口周辺が交通の要衝だからに決まっとるやろ
後に建業から人を連れてきて武昌を作った事も知らんのかな?
逆に人を攫ってくるなんてとても言える話じゃない >>287
借荊州に対する反論は中国では昔から一般的な説の一つだよ(有名どころだと清時代の学者である趙翼が唱えてる)
日本だと人物像にフォーカスした研究が一般的で借荊州問題取り上げる人が少ないけどね >>288
夏口は黄祖の船団拠点でここを放置しておくと呉は江夏城攻略の大部隊を送れないんだよね
だからまず夏口を封じ込めるか占拠しようとするのは自然 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています