劉禅が治める蜀漢が40年持った理由を考察するスレ
そもそもなぜ反乱が起きなかったのかが謎
風評通りの無能なら孔明の代で玉座を奪われているはず >>1
劉備存命中に反乱した黄元とかも知らない輩と思われる
とりあえず蜀の反乱全部調べて纏めてから来なさい 山だから。この国やべえなと大体の奴が思ってたから。孔明と後任が有能だったから。劉禅は何もしないけど
積極的な大量粛清をするとか無理に独断で大規模外征するとかでかいこともしなかったから安定した 手っ取り早くいうと安倍内閣みたいなもんだろ
無能とわかっていても対抗馬がいない
野党が存在しないも同然だから内側から崩れない 統治の面で蜀の四英が優秀だったから
国防の面でいえば天然の要害が守ってくれたのと何だかんだいいつつ蜀将が優秀だったから
末期は統治が乱れ人材も少なくなったから滅ぼされた 働き者の無能よりも働かない無能の方が害はないからな
ダメなのは250年以降ぐらいでそれまでは概ね賢臣に政治を任せていられたのだし
言うほど無能ではないと思う ほんと劉禅は働かない無能の典型だわ。孫皓や煬帝のような働き者の小才子より働かない無能の方が
君主としてはよっぽど優れてる好例 孫晧とかと違って阿斗ちゃんの場合、有能か無能かを判定する資料自体が少ない。
人となりはとりあえず出師表などを読む限り「勉強嫌いで遊び好き。諫言を屁理屈でやり込めてお気に入りの人間しか近づけない」印象が目に浮かぶけど具体的に被害被ったの弟だけ。
好色については劉エンが被害者だけどこれももしかしたら使えない古参処分した可能性もある。 ぶっちゃけると東晋が元凶
元は晋の司馬氏は 劉氏→曹氏→司馬氏の禅譲が、自分らの正統性の根拠だった
しかし自分らが禅譲くらいそうになる立場になると事情が変わり、こういうプロパガンダを発令した
・禅譲とかクソ ただの簒奪 やる奴は畜生
・よって正統は蜀漢である
・しかし劉禅は暗愚すぎたので、偉大なる司馬昭サマが制圧して皇位を受け継いだのだ
こうして曹操悪玉・蜀漢正統・劉禅無能という三設定が作られ、広まって今に至る それ言ってるの習鑿歯だけで同時代人からも「単なるご都合主義やろ?」ってDISられてたで >>10
劉禅はまず有能な点がない。マイナスではない点はあるけど。無能と断言できるほどの話もないが、
有能さを示す話もない。少なくとも才知をひけらかすタイプではない
普通に考えれば凡庸〜無能。後の五胡十六国〜南北朝時代の君主を思えば比較的有能という意味でなら同意 まともな臣下に政治を丸投げできるなら無能ではないよ
本当に無能だったらそんな体制は残せないし忠臣は駆逐されてしまうから
蜀間末期の10年弱は無能と言っていいけれど 阿斗ちゃんの家臣に政治丸投げって易中天あたりに言わせると完全に思い込みで、実態は諸葛亮にしても蒋琬や費禕や董允にしても実権をなるべく持たせないかキツイお目付け役つけてないとアカン気質っぽい。
(易中天は劉禅は実は宮中から一歩も出た事がないとまで言ってる) 司馬懿の深謀遠慮で蜀は生き残っただけだよ
司馬懿が本気なら、孔明死後の蜀なんてあっという間に司馬懿に滅ぼされてるよ
死せる孔明生ける仲達を走らすは、ただのパフォーマンス
じゃあ何で司馬懿は孔明死後の蜀を滅ぼさなかったか?
蜀を滅ぼせば、その軍功は大きすぎて、洛陽の宮廷から呼び出されて処刑される可能性大
軍功が大きすぎる将軍が宮廷の命令で処刑されるのは、白起・李牧から枚挙に暇なし
だからあえて孔明死後の蜀を滅ぼさないようにしたんだろう
曹叡も愚かだよ
俺が曹叡ならば、孔明死後直後に魏延が劉禅の勅命で処刑されたとの一報が入ったら、
すぐさま司馬懿を大都督に任命して30万の大軍を与えて漢中へ攻め込ませ、
同時に合肥には兵5万を派遣して満寵の指揮下に置かせ、
呉への守備を固める
そうすれば蜀を滅ぼせるか、少なくとも漢中は切り取れた
何せ魏延は長く漢中の長官であり、漢中の要害を知り尽くしていた名将軍だが、
その魏延が急にいなくなったんだから 全否定なんかされてないが
もちろん証拠や史料的裏付けはない
だが司馬懿は曹丕死後直後に呉が襄陽と江夏を攻めた際、
孫権みずから出馬してきていた江夏ではなく、あえて襄陽に進んで諸葛瑾率いる
呉軍を大破して撃退した
そして孔明死後の蜀軍にも追撃を仕掛けて、
孔明の木像をみて「孔明生きていたのか!」と驚いて引き下がったとされている
追撃していれば蜀軍を大破して漢中まで攻め上れたのにだ
思うに司馬懿は軍功をよく立てるが、宮廷から粛清されないように、
大手柄を立てすぎないようにしていたのではないか?
司馬懿が本気を出せば江夏で孫権は討死かそれに近い状態で、呉は壊滅的打撃を受け、孔明死後の蜀軍は追撃されて五丈原で壊滅。
呉と蜀を事実上滅亡させた大功労者となった大都督司馬懿に待ち受けていた運命は、
白起と同じ運命になっただろう 孔明の木像とかどこのフィクションだ
あとその文はもうコピペしなくていいからな 司馬懿からすれば、自分たち司馬氏が生き残るためには呉と蜀が生き残り、
程々に魏の脅威となってくれればいいのである
司馬懿がクーデターで実権を握り、
息子の司馬昭が皇帝を斬って、もはや魏帝が後漢の献帝同然の傀儡とになると、
呉や蜀の存在が司馬氏の保身のために考える必要もなくなり
司馬昭は一気に蜀を滅ぼしにかかったわけだ 北朝鮮という独裁国家が国の成り立ちを考えると蜀漢に酷似しているな
3代目の先まで存続できるのだろうか
蜀漢のイデオロギーが劉備の連れてきた荊州閥が荊州経由で中原へ戻ることだから
滅亡するのは不可避だったわけだが
単純に国を存続させるだけなら攻める詐欺を繰り返し不戦協定を結べばいいだけ
その点キム氏はよくわかっている 蜀漢と北朝鮮 似てるかというと全然違うと思うけど
てか国際事情も全然異なるが
まあキム3代は優れた政治力してると思うよ よくあのクソ地勢で国を保てるものだ
日本とは利害対立してるからあれだが 北朝鮮とどこが似てるんだ…
現代でもうちょい似てるもの挙げるなら台湾だな
中共に軍事的に破れ、海という天険の要害を利用して粘る
そしてどっちも正当な中国の支配者と言い合って幾星霜 軍事を優先して民政を疎かにする先軍政治という点では共通点はあるんじゃね?
でもそれは三国時代のどの勢力にも言えることだけど 蜀と北朝鮮の類似性とか、君の持論になんて誰も興味ないから >>19司馬懿が五丈原後の蜀軍を追撃しなかったあるいは途中で止めたのは
前に追撃した張コウが殺されたからだよ
司馬懿は基本、慎重に事を運ぶ人間
確実に勝てる状況と判断しないと動かない 張コウは追撃しない方がいいと言ったのに
司馬懿は追撃させたんだよな >>19
北伐時点で走狗煮らるなんて司馬懿が気にする必要ないし
そんなことがわかるほど情勢が読めるなら身内のアホさや九品官人法改悪の結果くらいお見通しだろうに
西晋のあのざまよ 今風に言うと制服組のナンバー2が戦死だからね。
この事でしばちゅうさんが責任問われなかったのが不思議なほど どうでもいいけどしばちゅうとかかれると司馬衷や司馬伷が浮かぶ
伷はよつぎで衷こそまことのしばちゅう 張郃伝が引く魏略でも晋書宣帝紀でも、この案件は司馬懿の勇み足が原因っぽい
両者とも張郃が慎重策を提言し、司馬懿が追撃を急いだ点で共通してるし >>31
司馬懿が慎重な人物だからこそ蜀を滅ぼすような
大手柄をあげて宮廷から睨まれないようにしたんだろう
兵法だけでなく処世術の達人が司馬懿だ
逆に兵法だけ長けていて処世術がダメだったのが日本史の源義経
迅速に平家を滅ぼしたら兄頼朝から用済み扱いで粛清された
後白河法皇に義経が接近しすぎて、朝廷と距離を置く幕府構想を練っていた頼朝を
怒らせたという説もあるが、頼朝からみて「模範的」な弟だったはずの範頼も、
後で粛清されているから、義経が後白河法皇に接近してなくても、
いずれは粛清されたとみるべきだろう 蜀を滅ぼさなかったのではなく滅ぼせなかった
つか字が読めないバカ息子にも処世術教えとけよ >>39
きみ、コテハンつけたほうがいいと思うよ
つけ方はわかる? >>39もし蜀軍を追撃して全滅させる事ができたのならその後、蜀を滅ぼす事ができたかもしれないが
普通に司馬懿はビビって追撃しなかっただけだと思う
司馬懿が張コウを死なせたのは謀殺でも何でもなくタダのミスだからな 処世術の達人は范蠡
司馬懿の能力は西晋の崩壊が物語ってる むしろ後漢中期で潰れてもおかしくなかったのが運良く西晋までもった印象 処世術言っても司馬懿の子孫は曹操の子孫より先に滅んでるじゃん
兄弟の子孫は唐まで生き残るけど 師昭炎と半端な奴が続いたなー。やっぱ簒奪はあかんわ 他の簒奪系(桓温とか劉裕)に比べたら司馬懿は弟(司馬孚)と息子3人(師と昭と駿)が駒として優秀でむしろ反則レベルやぞ。 息子の司馬倫や司馬亮のせいで良さを全部帳消しにするような散々な結果に終わったが >>45
曹操の子孫の系統の陳留王も
司馬懿の子孫の系統の零陵王も
途中で系譜不明のところあるから実際に繋がってるかはわからんよ
ただわかっている事は
曹操の子孫の系統の陳留王は南斉の479年まで
司馬懿の子孫の系統の零陵王は梁の502年まで続いたという事 話を蜀に戻すと蜀では御家騒動が起こらなかったことが魏、呉、晋と比べると特徴的だと思う
劉禅がなぜ長期政権を築けたのか、有能なら有能なりに、無能なら無能なりに御家騒動となり得る火種が存在していたはずなのに 運がよければバカでも有能と見られ
運が悪ければ頭がよくても無能と見られる >>51
お家騒動の前に荊州閥に権力を握られてるじゃん
蜀も劉ショウから騙し討ちして得た国だから簒奪と同じ様なもんだし 身分に明確な上下関係がないなら騙し討ちしただけで簒奪ではないな >>54荊州閥に権力を集中させるのはそれで国が上手い事回ってるのなら別に問題ないだろ 万暦帝も徳川家斉も西太后も長期政権やけど優秀とはいえんで 毎回劉禅と万暦帝が比較されてるけど何代も続いた統一王朝を継承した万暦帝と
親父が大敗北喫して一州に押し込められた状態の劉禅を比較して同等だと本気で考えてるのか 皇帝は個人の資質より置かれた状況が9割だよ
ド派手な業績で教科書にも載ってる前漢の武帝なんかは
匈奴の弱体化と倹約皇帝が続いて国庫が充実していたというだけで
その実は暗君と暴君を兼ね備えたとんでもない愚帝
漢の絶頂期じゃなかったら帝国は滅亡していただろうな 宦官の腐敗で後漢は天下を失って滅んだというのに、
性懲りもなく漢再興を掲げる蜀が宦官制度を採用して、
また宦官の腐敗で蜀も滅亡
学習能力ねえのかよ
木牛流馬を考える知恵があるんなら、宦官を廃止しておけ 黄皓は陳寿センセイが私怨に加えて益州人士のメンツを守るために亡国の罪を押し付けられた感が。
仮に陳寿センセイの言う通りに黄皓が専横してたなら阿斗ちゃんは家臣団まったく信用してないって話になるし >>63
後宮って皇帝の私的空間が有る限り無理。
ヨーロッパ風にでも出来りゃよかったろうが、養う妾が多数になればなる程
男の腕力が多数要るし、でも後宮に皇帝と息子以外の男が居るのはマズいから
結局後宮縮小しない限り宦官は不要にならない。 >>63
姜維が漢中の防衛ライン壊したのが滅亡の原因。 諸葛亮の息子諸葛瞻を筆頭に成都にいる人間が黄皓を利用して
姜維を権力の座から追い出そうとしてた節があるんだよな
巫女のお告げによ援兵を出さなかったという話も胡散臭くて
姜維にこれ以上兵を持たせないために諸葛瞻達がが黄皓を動かしたというのが実態じゃないだろうか
黄皓が全く悪くないとは言わんが
それ以上に姜維を中心とした軍部と諸葛瞻を中心とした成都の人間との対立が蜀滅亡の大きな要因に思える 尚書令の陳祗が死んでから姜維の出兵がピタッと止まるのを見ても、成都の重臣の大半は姜維の出兵に反対なのは明らかだし。
阿斗ちゃん個人は姜維に好意的なんだろうけど重臣連中に加えてお気に入りの黄皓まで反対してるのを押し通す程の胆力はなかったんだろ。 >>69
孔明の実子と孔明の愛弟子が抗争して、蜀は滅亡
あの世の孔明も浮かばれないな 姜維は内政顧みずに出兵し過ぎ。諸葛瞻は能力もないのに多大な期待を負わされて高い地位に就いてやらかす
まー人材不足やな。1州でやっていくのは他が余程カオス状態でないと無理 諸葛亮は姜維の才能を認めてたけど
まさか軍部のトップにまで上り詰めるとは諸葛亮も思ってなかった気がする
姜維は涼州出身で魏からの降将だし、蜀漢の主流である荊州の人脈とは異質な人間だもんな >>72
諸葛亮が例外で
武官でよそ者のキョウイが
蜀の内政に口出しはしにくいだろう 董允伝だと「ケ艾は黄皓の姦悪な事を聞きこれを憎み殺そうとしたが黄皓はケ艾の側近に贈賄し逃れた」って記述があるけど、これも単に私怨のある奴(おそらく譙周の弟子連中あたり)がケ艾に吹き込んで蜀の政界に暗いケ艾が人気取りに殺そうとしただけでたいした悪事ではないんだろう。
本当に憎まれてるなら司馬昭が殺してるはずだし。(演義では司馬昭に処刑される) せっかく魏の皇族・曹氏一族と連なる夏侯覇が蜀へ亡命したんだから、
そのツテを活かして蜀が曹一族と接近して、
魏が分裂するように離間の計をとればよかった 夏侯覇程度でなんとかなるようなもんじゃないだろ
呉も孫壱や孫秀のような皇族が魏晋に亡命したけど大局的な影響なんて全くなかったし 呉とは違う
魏では臣下の司馬氏が国を乗っ取って、新しい王朝を立てようとしていた
曹氏にとっては一族存亡の危機だ
孔明が生きていたら
曹氏と司馬氏の内紛を活かして離間の計を活用した北伐にしてたね
惜しいかな当時の蜀には大局的な戦略を立てられる人材がいなかった
戦場での用兵だけ長けている姜維
皇帝のご機嫌取りだけ長けている黄皓
黄皓を排除するどころかおもねっている閻宇と諸葛瞻と董厥
そして劉禅 >>78
あんたがどれだけ夏侯覇を過大評価してるのか知らんけど魏での夏侯覇は政治的実権を一切持たない涼州方面のいち武将にしか過ぎない
血統においても曹氏の本流から遠すぎる
孔明がどう頭をひねろうと離間策の弾になんかならねえよ そりゃそうだ
夏侯覇にそれだけ力があれば蜀に亡命しないで司馬氏に対抗できるだろ 反乱起こさせようとしても十分警戒してただろうし普通に失敗しただろうな ちなみに夏侯覇の娘は羊祜の妻だったりする
そんで羊祜の姉は司馬師の妻だったりする
そんで夏侯覇の甥(夏侯覇の弟、夏侯威の子)夏侯荘の妻は羊祜の従姉妹にあたり、このような姻戚関係から夏侯荘は伯父の亡命に連座することなく却って権勢を誇ったそうな
また司馬師の前妻は夏侯玄の妹にあたることを鑑みると司馬氏と夏侯氏は姻戚関係で深く結ばれていたのがわかる
司馬師の夏侯玄粛清に端を発して夏侯覇は蜀に亡命したわけだけど、こっちの線から夏侯覇亡命の経緯を考えると複雑怪奇だ >>79
劉氏の本流から遠すぎる草鞋売りが建てた国に40年も手こずっていたというのが
このスレのテーマなわけだが
あと右将軍になっているので辺境の一武将は言い過ぎ わらじ売りのエピソードは所謂「中流士族としてのステータスを満たす資産がなかった」程度のテンプレ表現やぞ。 途中から司馬氏と曹氏で戦ってて他関係なかったな。終わったら蜀滅ぼされたし 外敵より内患の方が大きな問題だからな
それぐらい国力差がはっきりしてたってことでもあるけども >>86
やっぱり定軍山の戦いが惜しかった
あそこで曹操が戦死していれば、いかに国力の大差があれ、
曹操1人のカリスマで建国したばかりの魏は滅亡していただろう
曹操の前歯が二本折れたという話だが、前歯で済んでしまったのが蜀にとって不運 >>87
>曹操の前歯が二本折れたという話
え?嘘物語三国演義以外でそんな話聞いた事ないが・・・ >>87実際は劉備が漢中の要害を頼って籠城して
曹操がそれを攻めたが兵に被害でるばかりで効果無いから退却した戦いなので
曹操を殺す事ができたとは思えない 「劉備が即位して、ひそかに期待していた中原の漢の忠臣は失望した」ってどこにかいてる? 内政の要である官僚が魏の降将に殺されたのが痛かったな
馬良辺りが長生きしてればね 一般的に蜀の全盛期は劉備が漢中王名乗った時とされているけど、支配地域的には益州獲得後〜単刀赴会直前の頃な気がする
漢中≧長沙・江夏・桂陽とは思えないんだけど >>87
中国英雄版で三国演義、吉川三国志、横山三国志を基に
歴史考証しようとするのはある意味勇者
普通は恥ずかしくて街歩けないぞ >>95
その三郡は孫権が本気だせばあっさり取られてしまうような程度の脆弱な支配しかできてなさそう
しっかりおさえていたはずの南郡や公安ですらあの体たらくだし >>39
関東平氏ども、とくに北条政子が自分たちが頼朝亡き後実権を握るために、
弟たちの粛清を讒言やなんやで唆したとかもあるかもね。