諡号について語るスレ [無断転載禁止]©2ch.net
あの諡号っていい意味なの?悪い意味なの?
とか
あの君主って諡号の割に大したことしてないよねww
とかそういうことを語っていきましょう 文公には外れあるけど武公には外れがないよなって最近思ったんだけど
異論ある? 色んな国の武公
鄭……民の返却を渋った東方諸国を滅ぼして鄭の基礎を固める。荘公と共叔段の父。
晋……翼の本家を滅ぼして諸侯に認められる。献公の父。
斉……周が共伯和で混乱してた頃の君主。詳しい事績は不詳
魯……末っ子が周宣王に気に入られて無理やり太子を替えられる。帰国後急死して案の定内乱に。
曹……事績不詳
陳……事績不詳
衛……周平王を助けて公爵になる
宋……狄を打ち破った(BC8世紀)
秦……弟の死後即位。弟を殺した家臣を誅殺し、周辺諸国を切り従えた。初めて殉死が行われた。
趙……弟を後継者に指名したが、自分の息子も君主にしてねと頼んだ。死後、案の定内乱に。
中山……事績不詳
比較的名君多いけど、後継者が内乱起こしてるケースが目立つ印象持った 武帝になるとトンでもない連中がそろい踏みするな
春秋戦国期までの「武(剛彊理直曰武)」よりは「荘(兵甲亟作曰荘)」に近いイメージ >>121
秦の武公は知名度ゼロやけどかなりの名君っぽいな(今調べた)
その時点で西方の覇者に限りなく近いレベルまで到達してる感じ
周の宣王って良くも悪くも結構やらかしてるな>魯 魯は安定って自分が余計なことした後始末をしただけだと思うが 宣王は魯の孝公が東方諸侯を指導する役割を担うことを期待していたらしい。本当に、ただの余計なことだったのかな?
近隣の斉国も何度か王軍の征討対象になってるし、介入しなければならない情勢が東方にあったのかもしれないよ。 周ってイメージないから言われてもピンとこないな
Wikipedia見ても周王朝の記述はすっからかんやし
なんか王に《夷王》とかいう妙な諡号の王がおられるけど“夷”でいいのか?w 諡号が生まれて初期のころは、
後世と意味が違ったりしたんじゃね 西周の頃だと生前から諡号で呼ばれてたり
周の与国のはずなのに国元では王号名乗ってるの居たり
商系の諡号が使われてたりするケースとか後世目線から見ると結構カオスだしな >>133
商系の諡号って、姜斉の諡号で、丁公、乙公、癸公っていて、すごい異様に感じた。
>>131
克殺東正曰夷という意味では悪諡だけど、安心好静曰夷なら平諡と言える。
姜斉と陳には胡公っているんだけど。胡って何w 周系の諡号に変わった最初の例が
周に処刑された斉哀公っていうのが何かもう色々考えさせられるよなあ 紀侯の讒言による誅殺ってのはテンプレパターンじゃなさそうですな >>134
年取って喉の肉が垂れた様子が「胡」じゃなかった?
治世が長いという意味で良い諡号だったはず 私は元創価の会員でした。
すぐ隣に防衛省の背広組の官舎があるのですが、
自分の家の窓にUSB接続のwebカメラを貼り付けて、そこの動画を撮影し続け、
学会本部に送っていました。
別に大したものは写っていません。ゴミだしとか奥さんが子供を遊ばせている所とか。
官舎のほうが老朽化し使われなくなってから、
今まで法人税(うちは自営業です)をほぼ払わなくても済んでいたのが、
もう守ってやれないのでこれからは満額申告するように言われました。
納得がいかないと言うと、君は自業自得で餓鬼地獄に落ちる、
朝夕南無妙法蓮華経と三千回ずつ唱えて心をきれいにしなさいと言われ
馬鹿らしくなって脱会しました。
それ以来、どこへ行くにもぞろ目ナンバーの車につけまわされたり大変な日々です。
全ては自分の出来心から起きた事で、どこに訴えて出ると言う訳にもいかないのですが、
なんとかあの人たちと縁を切った上で新しい始まりを迎える方法はないんだろうか。 >>135-136
後代の斉桓公が増長したのはもしかして…
諌めた管仲は周的な思想(体制)の擁護者だったりするかも 伐楚問責・封禅撤回・上卿の礼辞退のことかな?
たしかに周王朝、天子の立場を尊重する殊勝な陪臣といえるね。 死んだことにされただけで、どこかで生きてたかもしれないよね。
ところでID:QWYzQ7Ox0氏とあちこちのスレで会うなw
この板の人口の少なさがry 明確に南征で亡くなったと書いてある先秦の文献はないはず 中国英雄板に常駐してる民は(紀元前を扱ったスレに限る)三人ぐらいの感触
過半数のスレがほぼ死んでるし >>149
紀元前……というか先秦に絞れば確かに少ない感触
楚漢はときどき人が涌く >>149
大昔、洋楽板住人三人説とかあったな
懐かしい 五胡(と言いつつ魏晋南北朝)、劉備天下統一、宮城谷スレが勢い三強で内容も充実している印象
項劉、周後半春秋戦国はもう少し人気ありそうな気もするけど微妙
名宰相や名将議論スレはかなり低調、語り尽くした感じかなあ 劉備スレは三戦の蜀滅亡スレの新スレが立たなかった影響で人が流れてきた感がある >>147
楚の言い分としては「うちら殺してないッスよ」だから
多分交戦する前に昭王が行方不明になっちゃったんだろうね
洪水巻き込まれ説とかあるんだっけ? >>155
晋の六卿スレとかはもっと閑散としてるな
>>157
周側内部の権力闘争で暗殺されたとかは考えられない? 春秋戦国は分散しすぎだろう
昭って諡号、業績を残す前に志半ばで死んじゃった(詰めが甘かった)人が多い印象
燕の昭王とか蜀漢の昭烈帝とか >>159
その二人って出発点の低さから考えると、ちょっと酷な気もする。
昭って諡号でもっといい死に方できなかったのがいると思うが ついでに言うと、この板は平日のほうがスレ進行が速い印象があるな。 >>138
ご教示さんくす。漢和辞典では書いてあった。ネットではみあたらなかった。諡法解の原典にあたらないとないのかな...
>>139
いわんとすることはわかるから;;インカの伝説上の初代皇帝と似たような話; >>160
北斉の孝昭帝は落馬で亡くなっている。
晋の昭公については、世家に即位して6年で死んだと書いてあるだけ。
前漢の昭帝、燕の昭王、楚の昭王、蜀漢の昭烈帝は普通の死に方だと思うが...
暗君や暴君ではなくむしろ名君かもしくは名君に近い人物が多いが、なんか終わりがよくなかったり、業績が中途半端のようだとは思う。 >>164
楚の昭王って孔子に
「あんなに英明な君主がいるんだ、楚が滅びないのもわかる」
と評価された人だよね。幼少で即位して10代のころに呉に滅ぼされかける
という苦難が成長を促したんだろうな >>159
乱立したスレを統合したほうがいいんかねぇ? 東晋の穆帝がなぜ「穆」なのかずっと考えていたんだけど
この人も秦の穆公と同じで「繆」とのダブルミーニングっぽい感じがするんだよねえ
東晋の版図を急激に拡大して黄河流域まで一度は回復したこともあったけど
(武安の才をもって疆場を啓く、文王の風をもって江漢を被う)
権臣桓温の増長を招くなど、負の功績も確実に遺した人物だった
幼児期も含めて十数年間北伐に関与し続けた治世でもあった
北伐のために宮廷の食費を削ったり、水路開鑿を目的とする労役の負担増を強行したり
どうも「徳を広め私せず、義を執ること」という謚法解の評価まんまじゃなさそう
「名は美しいが実の傷ついていること」という「繆」が言外に含まれていそうな感じ >>121
>魯……末っ子が周宣王に気に入られて無理やり太子を替えられる。帰国後急死して案の定内乱に。
まるで暗殺されたみたいだなww http://www.toride.com/~fengchu/sigou/
諡号の話があるサイトってなかなか少ないな。
一つ見つけたのでageがてら >>172
さんくす。しかしここの住民は知ってると思う ここって君主だけでなく臣下の諡号の話もあり?
范武子とか晏桓子とかそういうの 周王を戴く周系諸侯による覇権が久しぶりに成立したじゃないか! そういえば魏は姫姓だったし、
ある意味そうかもな。 もう一つ言えば、まだ晋公も魏を盟主とする三晋に推戴される形で生き延びてる。
久方ぶりに姫姓諸侯主導の国際秩序を回復した偉大な王かもしれない。 魏の覇権が継続していたら千年王朝も夢じゃなかった、惜しい。 文侯
↓
武侯
↓
恵成王
周初を意識していたのかな。
>>183
呂氏の胤は続かんなぁ... 晋国が確立した天子を保護し諸侯を指導する覇者体制は唯一無二に近い
魏国の発言力を最大化してくれる体制を自ら放棄するなどまず有り得ぬ 魏氏の祖先は周の武王の弟だから血胤は甚だよろしい!w >>188
元々母親は、魏氏って魏の王族だった。
魏が滅んだ後に、薄氏との間に薄姫が生まれた。 荘って春秋戦国で多いけど、
そのあとの時代にあまり見かけないよね 北魏の孝荘帝くらいかな?
廟号なら後唐の荘宗とかはいるけどね
逆に明は春秋戦国にはないけど、後漢以降はよく見かける >>192
皇太后でよけりゃ、清に荘は使用例はあるな。 >>191
そうなんだよね
荘って木に葉が繁るって意味だからいいはずなんだけどな たくさん戦に勝った君主に贈られるって聞いたことがある 荘って、後漢の明帝の諱だよね。確か。
それで、荘を違う漢字にして史書に載せた例があるから、
案外と遠慮したのかなぁ? >>192 >>198
荘と明が入れ替わってしまったのか・・な?
なかなか面白い >>198,>>199
荘の代字は、厳なのにねえ... 酒と女と音楽の平公は聞いたことあるけど二番目おったっけ? 同一人物ですよ
昔このスレに春秋期の隠れ二字諡号君主を何人か書いた覚えがあるけどもう一度書く
晋:平公(壮平公)
楚:平王(景平王)、恵王(献恵王)、簡王(柬大王)、声王(聲桓王)、悼王(悼哲王) おお、なるほど
平公のイメージってなんかの又聞き程度しか持ってねぇけど
荘を冠すると腐っても覇者って感じするなー 二文字以上の名称は、伝統的に省略好きな中国知識人がどんどん省略するぜ
中国語と漢文の性質上しゃーないけれども
春秋時代の楚王の諡号からは、そこはかとなく敬意のようなものを感じる。乱暴な君主多いのに悪意がない そりゃちょっとくらい乱暴さがあったほうがいいお土地柄だったからじゃないの?
>>205
ある意味ハッピー☆な男だよなw>平公のイメージ そりゃやっぱり楚は王権が強くて王に対する畏敬の感情が薄れる事がなかったからじゃね?
この辺りをエンターテイメントにした日本人は90年代の宮城谷のみ
平公のハッピー☆イメージの本もそこからやな 本格派の中国史ベストセラー作家は氏を最後に絶滅っぽいから一般イメージはもはや更新されそうにないな・・・ ただ日本史も戦国か幕末に集中してて
室町時代や鎌倉時代を舞台にした作家って北方以外は皆無やし。 小説家はそうでも日本史は戦国以外もネタが多く歴オタの層が桁違いに分厚い
新しいイメージ(歴史認識)は結構な頻度で語られていると思うよ
掘り起こし可能な歴史素材の魅力は古代中国史より日本史の方が上だから比較対象にならぬが >柬とか聲とか見慣れない字だな。
金文によれば中国文化の本宗にして諡号ネーミングの手本たるべき西周王室にも
見慣れない諡号の王が存在する時代なのよね 134 曰く
克殺東正曰夷という意味では悪諡だけど、安心好静曰夷なら平諡と言える。
とのこと。
>>208 >>209
仮にイメージ更新するならどんな風になるんだろう。 俺みたいな情弱には諡号とか廟号とかなんたら号とか言われても区別がつかぬ >>218
〜宗というのが廟号、文、武、昭、宣。霊などの「(明や清みたいに)元号でない」〜公、〜王、〜帝というのが諡号(おくりな)ととりあえず覚えておけばいい。