韓非子について語るスレ2 [無断転載禁止]©2ch.net
諸葛亮の丞相は、事実上の相国である。
全権委任という形で権限を握る。
蒋琬以降は、大将軍という形で権限を握る。
大将軍は非常設でそもそも武官であり、
非常時という名目で、全権を掌握するという建前があった。
相国とは権限の握り方が違う。 なお、九錫とは天子(皇帝)にのみ許されている格式のものを許すというものである。
九錫の、「錫」は、「賜」と同じ意味であり、
九つの栄典を与えるという意味である。
@車馬
A衣服
B楽器(舞楽)
C赤門(朱塗りの門)
D納陛(階段。階)
E儀仗兵(虎賁)
F斧鉞
G弓矢
H酒
以上九つの栄典のことを指す。 ちなみに、二里頭文化に実在した王朝については、名前が伝わっていない。そもそも、二里頭文化に続く「殷王朝」も自称ではなく殷を滅ぼした周王朝による命名であり、おそらく王朝の名前を付けるということ自体が周代に始まった文化であると考えられる。 >>212
韓非子のほうがマキャベリより冷徹でしょ。
龍が龍で有るのは雲に乗るからで、雲を失うと只の蛇って説明とかさ。
この雲って言うのが論功行賞の権限だと思うよ。
軍事力は、論功行賞を実行するための手段で有って どんな刑罰も恐れなくはないけど
どんな褒美も喜ばないのはある
それも珍しいんじゃなくてお金では今でもちゃんとした収入があれば動かなかったりする
まあ、出世できるなら動く奴はいるけど 給料だけではなく、待遇や条件が釣り合いがとれて、ちゃんとしたところは、どれほどあるだろうか
【仕事】ハロワ求人の低賃金ぶりに怒り 「田舎だと正社員でも年収250とかザラ」「転職しようと思ったけど諦めた」★5 [どこさ★]
http://asahi.5ch.net/test/read.cgi/newsplus/1604781241/ 季常は誠実、文経は勤勉、士元は折り目正しい言葉を吐き、処仁は計策を立て、
孔丘・文祥は、一人は才能を持ち、一人は善良で、いずれも広く志を伸ばし、楚の地の優れた人物だった。
馬季常・衛文経・韓士元・張処仁・殷孔休・習文祥を賛える 始皇帝、織田信長
韓非子信者は一時は勝ちまくるが、長続きしない
理由は恨みを買うから >>329
できれば出版社を教えてもらえたら幸いです。 >>315
そう言って教育しなくなって
従業員も後輩や部下を育てると自分の立場がまずいからまともに教えなくなった
それで使えねー使えねー言って
今のIT業界は異常な高齢化だ >>323
言ったことよりできたら罰しろはやめるべきだな
結局結果の予測は難しいし手柄を立てようとしなくなってしまう
国がこれだけの恩賞を与えてやったと思っても家臣は不満
刑罰は国はこの程度と思ってもそれを受ける可能性があるなら成功報酬なんていらん
また官を兼ねるの害は、三国志の孔明も司馬懿も普通にいくつも兼任して権力を握っている 韓非子は厳罰主義にすると役人が手柄のために冤罪を作りまくるのを想定していない
現在の日本でも冤罪を作った警察官や検察官や裁判官は冤罪でっち上げの手柄で出世して勲章をもらっている
秦で人をころす役人が忠臣というのはそれだけの罪人を処刑して手柄を立てたから
ただし、その九割は何も悪いことをしていない 日本の警察官は容疑者を脅して苦しめて自白させるだけ
自白しなければ釈放せず取り調べを続ける
小刻みな再逮捕再勾留の繰り返し
わざと転んで公務執行妨害のでっち上げや証拠のでっち上げは日常茶飯事
証拠の捏造や脅迫が判明してもまず罰せられることはない
極稀に検察が起訴する場合も求刑罰金十万円w
更に現職検察官が罰せられた件数は日本の歴史上0件という異常事態
日本の裁判官が腐り切っているから証拠なしの有罪判決多発
証拠のでっち上げが判明しても再審拒否 「百済から来たばかりの高官「鬼室集斯」が学頭職(文部科学大臣)になったということは、言葉の問題がなかったことを意味している。(佐々克明)」 >>324
NBAみたいなのスーパースターたちも安く済むはずなんだがな 外交官の発言でロシアとかで一億貰えるなら普通に友人売るとか
でも何億も貰っている奴の給料を増やしても大して喜ばない
しかし少し減らすと恨まれる
刑罰も与えると憎まれるし、刑罰を受ける可能性があるだけで嫌がる
高い給料を与えてもたいして満足しない 公務員とかでも責任が関わると嫌がる
企業でもそうだけど手柄を立てた場合の褒美さえこの程度かとしか思わない
上は高い給料を出していると思っていても
高い給料を出してやってるのにと言うと、相手は怒って仕事をやめたりする
秦の法のように屋敷や服装で差をつけてもその上位を大して嬉しがらない
見た目の爵位や役職が上がるだけで喜ぶ奴には効果があるけど 上と下は利益が反するからと、その加減の難しさを韓非子も言ってたね 毎年1000万の固定した収入よりも、数百万でも毎年昇給していく方が幸福度は高いそうだ 単純かつアホな質問で悪いけど
韓非が出てきて説くまでは「法(決まり、ルール)」自体がなかったの?
授業で聞いて用語調べたら
法律と刑罰で厳しく統治する法治主義を説いた
と書いてあったんだけど >>343
法家の先人として商鞅とか鄒衍とかがいる。韓非は先人の理論を体系化して集大成した。 >>344
じゃあ、その人たちが出てくるまでは決まりとか法とかルールだとかはなかったの?
と言うのは、徳治主義とか礼治主義っていうのがいかに浸透してたり
あるいは優れていて、お手本とされていたとしても、
実際問題国家を統治するにあたって上に挙げたようなものがなく、
なかったからこそ法家が説いて行ったなんて無理あるんじゃないの?
と思っていて >>345
聖徳太子の憲法17条みたいな決まりはあったけど明確な成文法はなくて
最終的には権力者の判断が全てだった。それが徳治主義。だから法家は
こういう罪はこういう罰を与えるという法を作ることを主張した。 >徳治主義とか礼治主義っていうのがいかに浸透してたり
あるいは優れていて、お手本とされていたとしても、
実際問題国家を統治するにあたって上に挙げたようなものがなく、
なかったからこそ法家が説いて行ったなんて無理あるんじゃないの?
実際に明確な法が無くて権力者がその度に判断するから色々と不都合があったのです。
例えば江戸時代でも8代将軍吉宗の時代に「公事方御定書」を制定するまでは裁判の度に
担当者が刑罰を判断するから担当者によって量刑が違うとかあったんです。それでは
いけないと過去の判例を調べてこの罪状はこの刑罰というのを江戸幕府としては初めて決めたのです。 >>346
>>347
ありがとう
ただ読んでると、
「罰を与えるときの問題(統治者による恣意性)を解決し(ようとし)た」
としか読めなくて、それはいわゆるルールの類いが制定されてなかった
ということにならないんじゃないかと思うんだけど
例えば宗法で軍団の規模が12500×いくつ持っていい、と決められていた、とかあるし
しつこくてごめん >>348
そういう規則の類はあったけど罰則を伴う法律がなかったの。 罰則(と恩賞)を伴う法律がないと人を動かすことができないのです。 では、
「それまで存在しなかった『規則』の制定を唱えたわけではない」
し、
「国内平定と王への権力集中のために(大まかに)国内法(:特に刑法)を制定してそれを信賞必罰の心構えで行うべしと説いた」
という理解であってます? >>349
しかし法家思想を取り入れた国でも為政者による法の恣意的な運用はあったのでは? >>351
はっきり言うと決まり自体がなかったの
殷の紂王とかの悪逆も王がやっていると諫めるぐらいしかできないように
トップがこうしろと言ったらその刑罰がかせられるってこと
日本で言うと刑法とか自体がない
問題があると思えば、役人が罰するかどうかもどのような罰にするかもそのたびに決める
ただし、先輩の決めた判例?があるからそれに近い罰をって傾向はある
一言で言えば
何が犯罪かは裁判官が決める
どのような刑罰を与えるかも裁判官が決める
刑法、以上、みたいな感じ >>353
決まりがないのにどうやって役人が役人足り得るの?
決まりがないのにどうやって税を取ったり労役を課したりしていたの? >>354
いや、決まりはあるんだよ。
ただしその運用は為政者の胸三寸ってこと >>353 と >>355 、どっちなんだよ…
俺は >>348 と >>351 で書いたように考えていたら決まりあったと言う人と
いやなかったという人が出てきてよくわからないよ
まさか刑法に当たるものはなかったけど行政法に当たるものはあったわけでもないだろうし >>354
だから秦の法治国家化で役人の裁量権を奪っていった
ただし、現在でさえ下っ端役人の裁量でも法律を超えるから
昔の偉い人が決めた判断に新たな偉い人の判断を加えていくの
ギリシャや中国でも法典を開示したけど内容は慣習法をそのまま書いているだけ
殺人だと死刑で上場の余地があれば多少減刑ぐらいな >>354
日本の江戸時代でも庶民どころか捕まえる側の役人でさえ法を知らなかったらしい
ただ、今でも公安が誰でも逮捕できると笑っているように
言いがかり的に何かに適用することは可能
明でも光という文字を使ったら皇帝をハゲだとののしった罪で族滅
道という文字を使ったら皇帝を盗人だとののしった罪で族滅(道と盗は音が似ているから)
生も僧も駄目、同じ音や似た音の文字も使ったら死刑
更に何がいけないかを伝えることができない(説明したらその役人が死刑になる) 税と労役をどうやって課してたの?
役人の任命はどうやってたの?
罰を明文化することと法や決まりがあることは同じじゃないでしょ
>>357 韓非子は家臣や重人の余計な嘆願など聞き入れず、君主も法に従い淡々と処理をこなす機関、立憲君主であることを目指していた、とも言えるけれど、人々の倫理や道徳の成熟や思想の発展が必要となるし、また戦乱を乗り切らないといけないので絶対君主の部分も必要となる。
西欧と違って同レベルの異文明が周辺になかった中国大陸は、思想の発展よりも解釈に終始してしまい、歴史も似たような歴史の繰り返しとなってしまった。 伯唱而不成。和征而不克。陽勇于津防、而易賣節畔之。周師次牧焉。淮徐方力于郊戰、而姜從内火之。商祀終亡矣。潢浮海、潘北退、宛南辟。嘻朱申之宗、毒賄倒兵、東委盡頽。 >>354
子産が法律を明示したら叔京が批判したように
刑法が慣習法みたいになっていて公示されていなかったってこと
江戸時代も民衆どころか取締る側も法律を知らなかったらしい
だから何かしゃべらせれば何かの罪には該当するから誰でも罪人にできる >>362
「公示されてなかった」なら知ってる人が少なかっただけで「あった」事実は変わらないのでは?
韓非子がそれを周知徹底、明確化・明示すべきって言ってるのはわかるよ >>363
ギリシャと一緒で成文法と言っても慣習法をそのまま書いたっぽい
貴族というか支配階級だけが知っていたとか >>365
灰を捨てたら手の切断とか夜間外出したら二十叩きになっていることが多いぐらいだよ >>365
窃盗ではこのぐらいからこのぐらいの刑罰で
傷害ではこのぐらいの刑罰になっているなあ
じゃあ、窃盗をしたら何々と書こうぐらいだよ これの罰は足の切断になってるな
だから走ったら足を斬るという成文法を作るみたいな 何回言えば伝わるのかわからないんだけど
法そのものはあったってことでよいのですか
現代の法と比べて成立過程に問題があるとか
適切な手続きで成立してるとは言えないとか
法概念から外れるとか明示されていないとか
そういうのはとりあえず置いといて
法があってその運用方法を明確化・明文化しようと
主張したのが韓非子って事で合ってるの? >>369
日本で例えれば刑法はありません
刑罰は事件が起きるたびに裁判官が決めるけど
過去の先輩の判決に似たようなものに集約している
秦とかの法が民衆の支持関係なく何々をしたら何々みたいなもので恣意的に決めているけど
それすらなかったってことかと
秦の法で民から税を取る時はその美悪は問題なしとせよとか
この場合はこうしろって事細かに書かれているらしい
内容はともかく会社でも規則とかあるけどそれが明文化されていなくて
これはいけないどうこうは言われないと分からなかったりする >>369
法を作るなんて最低だみたいな手紙を送っているから
慣習法というのも法が存在しているのではなく
問題があったたびに当時の権力者がこうしろってやって
後輩は先輩の決定を真似して
法が明文化していない、つまり文章として書かれていないってことなんだから
あったのっと聞かれれば、ないと答えるしかない
どんな集団でも掟みたいな何かやっちゃいけないこととされているのはあったり
盗人でも出るとどうするかで手足を切り落としていたから
その罪人の手足を昔から切り落としていたなあ、特に規則はないけどってのが慣習法 >>369
ようつべの歴史もの作っている人とかも現代の感覚で言うことが多いけど
何々をしたら何罪にするという決まりは何にも書かれていない(成文法)
それでは、犯罪者をどうするかと言えば、
例えば殺人の場合は死刑になっているなあというのがある(慣習法)
法律を文章として示してはいないけど法律が口伝で伝わったとかではない
殷王とかの話で問題になるのも王が命令すれば処刑されたりしていることなど
法を超越した存在というか何をしても罰せられない他人を罰するだけというか うーん
成文法:「何でやったのかと聞いた者は死刑に処す」と文章で書かれている
慣習法:習慣的に昔から「何でやったのか」と聞いた者は死刑にされている
文章として法を作ったのではなく
文章に書かれなくても支配階級が集まってこういう法にしようと決めたものでもない
今の国際慣習法でも特に誰かが決めたわけでもないけど習慣として決まっているというか 初代日本国王「何か問題があったらしいな」
部下A「BがCをコロコロしたそうです」
初代日本国王「その原因は何だ?」
部下A「Bが最近ハゲたので、CがBのことをハゲハゲと言っていました」
初代日本国王「気持ちは分かるが、仲間をコロコロした以上Bには死んでもらうしかないな」 二代様「EがFをコロコロする事件があったそうだな」
部下D「いえ、コロコロはしていなく、傷を負わせただけだそうです」
二代様「その原因はなんだ」
部下D「Fは走るのが遅く、FがEのことを努力してないからだ、何でやらないんだと言ったそうです」
二代様「暴力は良くないが、Eがそういうことを言うのが良くないな」 三代目日本国王「この訴えはどうするべきだろうか」
大臣G「過去の日本国王はこの場合はこのように判断していたので同じような刑罰を加えるべきでしょう」
【まあこんなのが慣習法かな】 二十三代「人民に刑罰を加える場合に法律を制定しよとはどういうことだ?」
法術之士H「これまでは犯罪が起こると過去の例に合わせて刑罰を決めていました。
しかし、過去の例に当てはまらないようなものが多く、
また、同じような罪で死刑になったり、許される場合もあります。」
二十三代「それではどうすれば良いのか」
法術之士H「何々をしたら、何々の刑罰を加えると法律を制定し、それを人民に伝えるのです
現在も人をコロコロしてはいけないとか盗みをしてはいけない等が悪事だと民は知っていますが
着物を着てはいけないというようなことは、判決を下す王によって
足切りの刑だったり、鼻そぎの刑だったり、刑罰が一定していなく
また、民の中にはそれが罪であるということを知らなかったりします」
法術之士H「そのため、法律によって禁じられている内容を示し、民や役人が罪を犯さないようにします
手始めにニートは独立させなければ税率を二倍に引き上げる
遅刻をしたら罰金、書類をその日の内に処理しなければ鞭打ち等の刑罰から創っていきます」
他国の有徳者「法律を作れば、人民は法律の抜け穴を探すようになるだろう
日本国はいずれ滅びるだろうな」
法術之士H「貴方の意見は正しいですが、将来のことよりも今のことだけでていっぱいなのです」 成文法がなかった、は、法がなかったとイコールじゃないでしょ、それこそ慣習法に言及してるし
恣意的運用がなされているし、それが明示されていないってだけで
刑法が特にそうであったのは散々聞いたが、
それこそ役人の任用どうしてたの?
これも恣意的で明示されてなかったとでも?
俺刑法に限って聞いてなんかいないんだけど 成文法がないという場合に文章化していないけど法はあるかというと
そういうのもなくて裁判の判例みたいなのがあると言えばあるけど
子産が初めて成文法となっている以上、決まっているのはないとしか
何々をした場合に何々ぐらいの罰を受けるみたいな傾向があるってのは
歴史から何となく分かるぐらいでしかないかと
もっと言えば君主が死刑と言ったら死刑ってのは変わらない
近い時代の孔子も弟子を奪った奴を特に罪もなく処刑している
これは罪をでっち上げたとではなく罪は何だと批判しているから
死刑、罪状なし、ってことだし ルールは特に決まっていないけど
過去の先輩達の決定に逆らえないみたいなのがあって
そういう不文律が刑罰をどう適用するかになっていて
アテネのドラコンも鄭の子産もそれらを整理して文章にしたのが成文法としか
ただ、過去の慣習法の全てを知っていたかと言えば抜けているのもあるだろうし
やりやすいように慣習法を変えたのもあったかもしれん
また、先輩の決定で恐らく矛盾するようなものもあっただろうし
似たようなので全然対応違うのもあったんだと思う 官僚の天下りも彼らが何で権限を持つかというと
現在の官僚達の先輩だからぐらいしか理由がないんだよね
まあキャリア官僚のシステムも法律の根拠規定はなく慣習でやっているらしいし
国際慣習法も成文化されず、条約とかの約束事もないけど慣習としてやっているとして裁判所が認定している
そしてそれらの中に何か変なのもあるし
明文で駄目としているものをOKだとしたりする
日本国憲法の軍備の放棄も国際的に国防のための軍事力を持つのは当然の権利だと主張しているネトウヨ学者もいる、国際的にそうでも日本は放棄するってのが憲法の精神だと思うんだが 結局、王権が刑罰を行う者ぐらいなものみたいだし
この場合どうするとか何々は禁止するみたいな禁令とかも古代はなかったとしか
完全にないかと言えば、王が諫める者は処刑するみたいに宣言するのを
広義では禁令とみなせるかもしれん
孔子の逸話でも通常は何々をした罪で処刑すると普通やるのを
孔子が卯にやった時は特に理由なく処刑して批判されても
奴は態度を改めないとか弟子が命懸けで抗議しないとか言っているから
処刑した理由は良くて卯の態度が酷くおごり高ぶっているから、悪くて俺の弟子を奪ったから まあ、現代でも気に入らない奴を陥れるのには一応何らかの罪をでっち上げることが多いけど
日本も最近上級国民も以前と比べて取り繕うことすらしなくなったから
本音の気に入らないから刑罰だが、理由ないけど刑罰だになっただけとも言える まあ、王が死刑と言ったら死刑
死刑の理由はと聞いて、王が答えてくれたら、それが死刑の理由というのが広まって
そして長年経つと慣習的だけど刑法みたいなのになっていくんだってことかな
法を制定したことを批判した連中も犯罪が起こればその慣習的な罰を下すのを悪いとは考えないからな 殺人犯を死刑にすることを批判しているのではなく(今はいるから当時もいたかもしれんが)
人を殺したら死刑に処す、と法律で規定するのに反対しているってことだから
慣習的に死刑になっているって方が問題に思えるけど >>385
知らないけど、知らなくていいよ
法学者はどんなに素晴らしいとされていようが
日本での自白なんて犯人かどうかと関係ないことを批判もしないのだから 私は自白を採用する日本の放送や法学者は信頼しません 私は自白を採用する日本の法曹や法学者は信頼しません 掲示板特有の言葉の定義を明確にせずに堂々巡りを繰り返すのマジできつい
しかもそれが韓非子スレとか・・・ 韓非は信賞必罰を旨としているというのと、
信賞が先に来て、必罰が後ということは、
賞が重くて、罰がはその次という解釈ができる。
一般に厳罰化といわれがちなのは、儒家がそう吹聴したから。
韓非の説は賞と罰を等しく使うことだった、
昭王の時代に、戦に勝利しても応候(范雎)と穰侯が手柄を独り占めして、兵卒が賞されず、
賞罰が適正に行われていないと書かれている。
秦が滅んだのは、二世皇帝胡亥の代になって、
賞を与えず罰ばかり与え、どうやってもみんな死刑という事態になって反乱がおきた。
少なくとも始皇帝は恩賞を十分に与え、兵卒が一つ首級を上げれば爵一級を与えた、
爵一級とは、奴隷と農地がついた家を与えるということである。 匈奴はトルコ系、匈奴はトルコ人、匈奴はテュルク、匈奴はツルク
匈奴は北方民族、匈奴は北方遊牧民
犬戎は周と同族に近い
越は呉と同族に近い、呉は異民族、呉の姫姓は偽り
秦は異民族
楚は異民族
晋は異民族、晋の姫姓は偽り
北魏は異民族、隋は異民族、唐は異民族、宋も異民族
今の中国人は北方民族の子孫
タイは夏人
倭人は庶殷
漢は秦なり
この世の文字は全てウルクの文字が起源、甲骨文字はインダス文字なり
人間は存在価値がない動物
日本人はいじめが大好き、日本人は自称優しい
アメリカ人はいじめが大好き、アメリカ人も自称優しい
スウェーデン人はいじめが大好き、スウェーデン人はアジア人差別が大好き
イギリス人はいじめが大好き、英語は欠陥言語 韓非子が全てではないけれど、今のコロナ禍見てると、韓非子は人の流れやすい体質をよく見ているなと感心する。
ドラッカーも熱くて、韓非子と似てる感じする。
格差拡大社会を予見していたけれど、そのために労働組合の存在が大切と「マネジメント」だかで主張していたドラッカー。
労働組合の弱さは、マネジメントの強さに繋がらないだっけ
でも、格差拡大ばかりが注目され、引用される。
二代皇帝の胡亥も韓非子を丸々引用してたけれど、胡亥はそっち系なのかな(笑) 韓非子が全てではないけれど、今のコロナ禍見てると、韓非子は人の流れやすい体質をよく見ているなと感心する。
ドラッカーも熱くて、韓非子と似てる感じする。
格差拡大社会を予見していたけれど、そのために労働組合の存在が大切と「マネジメント」だかで主張していたドラッカー。
労働組合の弱さは、マネジメントの強さに繋がらないだっけ
でも、格差拡大ばかりが注目され、引用される。
二代皇帝の胡亥も韓非子を丸々引用してたけれど、胡亥はそっち系なのかな(笑) 別の話で「赤子のようなもの」とも言ってるよな。
そういや事業者向け動画でも、評論家な社員の話なんて聞く必要ないて言っている人もいたな。
一方で、民衆や将兵を法に従わせ公平に賞罰を駆使し、法を畏れさせ奮起させるように扱わないと国力が富まないとは各篇でも述べている通り。 呉子の膿を吸う逸話も韓非子は使っているし、別に巧詐は拙誠に如かずと言っている
酷薄と誠意の矛盾した部分について、後世に問題提起しているとこは大きいなあと思える
駆使しないといけない、そういうものという感じが
上で紹介されてる動画は、頑張っているけれど上っ面だな、て思えるよ
まず、韓非子が不法や道徳に欠ける人間に、甘い言葉は掛けない 和氏の壁の話もあるけれど、当時の韓非子ですら「君主にとって何の損もないのに」なんて指摘されている
どこの時代にも不道徳で非行としか思えない行為と、賢者聖人の政策と同列に扱っているのはどうなのかな、と思えるね >>360
> 西欧と違って同レベルの異文明が周辺になかった中国大陸は、
思想の発展よりも解釈に終始してしまい、歴史も似たような歴史の繰り返しとなってしまった。
なるほど 帝舜は紀元前2277年から紀元前2178年の間に生きた帝王であると言われています。舜の姓は姚で氏は嬀、名を重華と言い、中国部落連盟の首領で虞国を建国しました。後世ではその功績を称え、五帝に列せられており、帝舜や虞舜、舜帝などという尊称で呼ばれています。 仕事を頼まれても、突っぱねる。これが正解なのだ。なぜか。ラインに組み込まれたら、監査を出来なくなる。 日本古代史は、当時の世界史(アジア史)の中で捉えるべきだ。現代の中国、朝鮮、日本の個別の国家が、成立する前である。とくに中国史との関係で、日本史を捉えるべきだ。 『魏志倭人伝』が、政治的な狙いなく、後世に伝えられるわけがない。 西域を担当し、大月氏と交渉を持っていたのは、司馬懿のライバル・曹爽である。曹爽よりちっぽけな東方諸国の担当では、司馬懿がショボくなる。
(=司馬懿が曹爽に競り負けていたことの証明になる) 中国史の英雄たちは、故事にそっくりの事例を探して、自分の行いを正当化する。しかし日本史には「故事」がないから、故事をむしろ作ってしまった!
中国史を知ってから『日本書紀』を読むと、驚くことがある。中国の故事が、まるで引用されていないことだ。本紀なんて記述スタイルを使ってるから、よほど中国の史書に学んだだろうに。
白村江で中国と敵対し、「日本だけの歴史」を創作したんだろう。 神々によって魔界に押込められた魔族を救わんと侵攻していた 世界の危機にだけ現れ、世界を救い去っていく勇者は人間にとって都合がいいだけの存在であり、平時には疎まれる 世の人間のうちですぐれた資質を有する人物、特異な才能をもつ者は少数であり、数にして絶対多数を占める世の人間は、その資質においては凡庸な輩である。人間観を形成し、何にもまして人間を対象とする政治を考えるうえで、視点を置かねばならないのは凡庸な資質を有する者である。 『韓非子』の絶対多数の「凡庸な輩」は「理性的判断をおこなわず、本能的に功利へと、打算へと向かう」 『韓非子』は「人は利で動く」という人間観を持っている。儒家が根本倫理としている親子・家族の関係でさえ、『韓非子』は、利益と打算で成り立っている、と言い放つ。 法を語る時に「統治の対象たる人間を集団として捉え、個人、個性にはきわめて冷淡である」こと、言い換えれば、一個人の理性的判断のことを考慮していないこと。 人間というものは、一般に恩知らずで、空惚(そらとぼ)けたり隠し立てをしたり、危険があればさっさと逃げ出し、設けることにかけては貪欲であるから、彼らに恩恵を施しているあいだはひとり残らずあなたの側へついてくる……いざという時には当てにならないのだから。そして人間というものは、恐ろしい相手よりも、慕わしい相手のほうが、危害を加えやすいのだから。……邪(よこしま)な存在である人間は、自分の利害に反すればいつでも、これ(恩愛)を断ち切ってしまうが、恐怖のほうは、……付きまとって離れない処罰の恐ろしさによって、つなぎ止められているから。 外敵よりも民衆のほうを恐れる君主は、城砦を築くべきだが、民衆よりも外敵のほうを恐れる君主は、これ無しで済ませるべきだ。……最良の城砦があるとすれば、民衆に憎まれないことだ。 どのようにすれば君主が側近を見分けられるのか。それには決して過(あやま)たない方法がある。すなわち、あなたから見て、側近があなたのことよりも自分のことのほうを考えているときには、またすべての行動においてひたすら自分の利益を追求していることが明らかなときには、そういう輩は忠実に保たせるためには、側近のことを思いやり、その名誉を称え、彼を富ませることによって、自分への恩義を深めさせ、数々の地位と任務とに彼を与(あずか)らせて、君主がいなければ自分が存在し得ないことを、……配慮しなければならない。互いにこのような関係になったとき、一方が他方を信頼できるようになる。 両者の相違を《人間の中に存在する「理性」を認めるかどうかにかかっているのではないだろうか》と書いている。または『君主論』は《他者が理性にもとづいて判断し、行動するものと考え、それにより導き出される結果を期待》して、『韓非子』はその可能性を排除する。 上の引用では『君主論』は民衆や臣下を信頼することが可能であることを示している。その一方で『韓非子』はそのような可能性を端(はな)から考慮に入れていない。『韓非子』は「人は利で動く」という人間観を徹底している。 『韓非子』はそもそも一個人の自然権など全く考えていない。『韓非子』は一個人の理性、さらに言えば一個人を考慮することすらしていない。
『韓非子』の主張する統治方法の根底にある考えは以下のようなものだ。すなわち、人間(集団)は自己の利益でしか動かず、彼らを統治するには威嚇を用いて一方的に統制するしか功を奏さない。 罪刑法定主義と『韓非子』の違いは、前者が法の条文で威嚇して犯罪を予防しようとするのに対し、後者は刑罰の執行を庶民に見せることによって威嚇して予防しようとする点にある。
言い換えれば、前者が庶民の理性的判断(心理的抑制)を前提としているのに対し、後者は理性ではなく本能的功利的判断(人は利で動く)を前提としている。 現代中国の法と体制に関する話。
現代中国の法の運用は今でも見せしめ刑の様相が根深いそうだ 中国の法律が見せしめ刑であるのは中国の人口が多すぎるせいだと説明している。 遊牧民(モンゴル人)に支配されたユーラシア(ロシア・中国など)の社会システムは独裁体制 中国史において、人口増加や遊牧民支配は『韓非子』が編纂された後の時代に起こった出来事なので、『韓非子』が中国の体制・法体系を作った原因だ、とは言えない。
むしろ、人口増加・遊牧民支配の結果 出来上がった中国社会を統治するために『韓非子』が採用された、と言ったほうが辻褄が合うだろう。 『韓非子』の人間不信については《人主の患は、人を信ずるにあり。人を信ずれば則ち人に制せらる》(備内篇)の言葉を引用して説明を済ませることもできるが、この記事ではもう少しだけ深堀りして見ようと思う。
『韓非子』はどうして「人間不信」に至ったのか? 子貢「食料、軍備、信義、この三者のうち何が不可欠でしょうか?」
孔子「それは、信義だ。人間は死から逃れられない以上、飢餓と安全もある意味では犠牲にせねばならないこともあろう。しかし、信頼・信義は違う。これがなければ人間はそもそも存在しないのだ」(『論語』顔淵) 「信なくば立たず」、今日でも政治家のキャッチフレーズとして使われる言葉だが、韓非はそういった楽天主義を、ものの本質がまったく理解できていない愚かで浅薄、それゆえ間違いと不幸を招来する考えとして切り捨てるのである。 「わたしは戦争がいかに不利益であるかを力説することで戦争をやめさせたい」
孟子「あなたは、利ということをもって説得し、説得されたほうも利益に従って撤兵し、兵隊たちも闘いを喜んでやめ、利益を第一と考えるでしょう。臣下は利のうえから君主に仕え、子たるもの打算のうえから親に仕え、弟たるもの打算のうえから兄に仕えるということになります。これでは、君臣兄弟すべて仁義をうちやり利益・計算だけを考えて人間関係をもつ。そのような状態が長く続いた国はありません。利益を捨てて仁義のみによって人間の関係を保つべきです」 徳・仁・義をその根本倫理に置く儒家思想、その出発点は血の繋がりにもとづく人間関係、親と子、家族である。家族の結びつきに認められるアプリオリな[先天的な--引用者]意識・感情、つまりそれは親が子に対する愛情、子が親に懐(いだ)く敬意(孝)、兄弟間の融和と尊敬(悌)であり、これらは生まれながらにして備わる人間の善意と考えるのである。 家族の情を根本に、それを君臣関係に拡大擬制することで、国家権力の承認に転化させること、これが儒家の唱えた統治イデオロギーであった。 韓非にとって、あまりに理想主義的、楽天的で、実現にほど遠く、しかしながら、したり顔で倫理道徳の実現を説く思想、まったくもって現実離れしているがゆえ、どうにも我慢できない一派、それは儒家であり、とりわけ孟子の思想であった。 君主にとって、人を信ずることは有害である。人を信ずれば、自分がおさえられる。
臣下は、君主と血縁関係があるわけではない。君主の力におさえられて、やむをえず服従しているだけだ。 君主がわが子を盲信すると、腹ぐろい臣下は君主の子を利用して私欲をとげようとする。 君主が妻を信ずれば、腹ぐろい臣下は君主の妻を利用して私欲をとげようとする。 君主の妻は、血縁関係になく、老いて容色を失えば寵愛を失って自分が生んだ子も愛されなくなる。しかし子供が君主になれば国母としてやりたいことは何でもできる。だから妻は夫の死を願うのだ。 儒家は人間同士の信義をもって人間存在の条件、言い換えれば信義が無ければ「人でなし」、と考えていた。
ところが、『韓非子』はそれを否定し人間存在の条件とか性善説・性悪説などという議論をことごとく否定して、人間はただただ利益を求めて行動するという性質にだけ言及している。 人は己の利益を求めて行動する。利益とは、金銭的、物質的な実利はもちろんのこと、名誉、自己満足も含み、いってみればすべて己にとってプラスになるもの、ひとはそれを無意識のうちに計算し、それを得ようと行動する、人間のもって生まれた性とは所詮そんなものだと、韓非は明快に言い放つ。 人を雇って農事をしてもらうのに、主人が美味しい食事を作って雇い人に食べさせたり銭布を調達して支払ったりするのは、雇い人を愛するからではなく、彼に良い仕事をしてもらおうとするからだ。雇われた者も一生懸命に働くのは、主人を愛するからではなく、そうすれば美味しいものが食べられ、金がもらえるとふんでいるからだ。自分のプラスのみを考える、だから人が事業をおこなったり、物を与えたりするとき、互いに得をすると思えば仲よくなり、損をすると思えば、親子の間にも恨みの気持ちが生ずる。 そして人間の感情的なものを思考の外に置いた『韓非子』は「人は利で動く」という一点だけを前提にして論を組み立てる。
家族関係は、(儒家の主張する)愛や孝などで結ばれているのではなく打算・利益によって結ばれている。家族関係からしてそうなのだから、君臣関係ならなおさらそうだ。
君主たるもの君臣が信義で結ばれているなどと信じれば、寝首をかかれる。それだけではなく、妻には(比喩ではなく)寝首をかかれないように十分に注意すべきだ。
これが人間不信に至る考え方だ。 「人は信用できない。信義など期待しない」、人間に対する不信、これが韓非の思想の基礎であり、出発点だったのである。 現代中国では庶民に至るまで、『韓非子』の考え方が浸透している。 さすがに、『韓非子』ほどドライではないが、日本人の情緒で中国人に接すれば、《信ずれば則ち人に制せらる》どころか、資産を吸い取られた後にお払い箱にされる。中国大陸に進出した日本の企業を思い起こせばすぐに理解できるだろう。 名君は二つの柄(え)を握るだけで、臣下を統率する。二つの柄とは刑・徳のことである。刑・徳とは何か。罰を加えることを「刑」といい、賞を与えることを「徳」という。臣下というものは罰をおそれ賞をよろこぶ。君主が二つの柄を自分の手で握っていれば、臣下を「刑」でおどし「徳」で釣り、思いのままにあやつることができる。 「刑・徳」はつまりは「アメとムチ」で、「徳」とは「アメ」にほかならない。『韓非子』に出てくる「徳」は基本的に「アメ」程度の意味に考えておけばいいらしい。 「徳」の原義
さて、戦国時代の思想家たちはこの「徳」の概念を意味は違えど重要視していた。そうなると思想家の色眼鏡にかかっていない本来の「徳」の意味とはどういうものだったか。
「徳」という漢字の語源をネットで調べると、諸説あるのだが、一番多く見られる説は
《彳+直+心》
で元々は「悳」という字があってこれに彳がついて「真っ直ぐな心で行動する」が原義になった、というもの。この説は儒家の「徳」と直結するが、その他の「徳」とは縁遠い。
次に多かったのが、
《彳+省+心)》
で、これは《彳+省》に心が後から付いた、というもの。これは白川静『字統』にあるようだ。「徳」あるいは「省」の「目」の上にあるものは呪飾(古代の呪術的なメイク?)を表している。古代の為政者たちは目の上にメイクをして地方を視察したらしい。この視察のことを「省」または「省道」という。呪飾による一時的でしかなかった呪力から、次第に恒久的な内面的な力(他人に影響を与える力)へと変化して、それが「徳」の原義となる。そして後になって、「得」と同音であることから「力を与えられて生成されたもの」という意味で使われるようになった。 いろいろ調べてみると「直」という字は「省」から派生した字だという。 「徳」の意味は「ある家系が王権との関係を通して持っている生命力」を意味することが明らかになっている 意味は「天はわたしに使命を果たすべき力を与えてくれているのだ」。
儒家が用いる「徳」が道徳的な意味合いを持つようになるのは孟子からかもしれない。 楚の国に盾と矛とを売る男がいた。かれはまず自分の売る盾の宣伝をした。
「この盾の丈夫さときたら、たいしたものだ。何で突いたって、突きとおせるものではない」
つぎに、男は矛の宣伝をした。
「この矛のするどさときたら、たいしたものだ。どんなものだって、突きとおせないものはない」
ある人がたずねた。
「その矛でその盾を突いたら、どうなる」
男は答えにつまってしまった。
何によっても突き通すことができたに盾と、何でも突きとおすことのできる矛とが、同時に存在することはできない。 宋の国である男が畑を耕していた。そこへウサギがとびだし、畑の中の切株にぶつかり、首を折って死んだ。それからというもの、かれは畑仕事はやめにして、毎日切株を見張っていた。もう一度ウサギを手にいれようと思ったのだ。しかしウサギはそれきり。かれは国中で笑い者になったという。 堯・舜、そして桀・紂などは、賢聖、暴君としての両極であり、千年にひとり出るか出ないかの存在である。われわれが考えねばならないのは、そのような例外に属する人物ではなく、ごく平凡などこにでも転がっている輩であり、世の中それが大多数を占める。したがって堯や舜の聖人の出現を待つなどということは、千年に一度の偶然を期待するようなもの、乱世を千年我慢して、ただの一度の治安を願うに等しい。しかも、たとえ堯・舜が出てきたとしても一個人としては自らの能力には限りがある。全体、大多数を治めるには、然るべき地位・権威を盾に褒賞・刑罰をシステマティックに運用していくことが一番である。 権勢、地位よりもいっそう技術的、テクニックに傾くものとして、君主はいまひとつの「術」を習得しておかねばならない。「術」とは、臣下・部下の操縦術、掌握術であり、功利的行動を人がとり、それゆえ「人を信ずれば、人に制せらる」という教訓から導き出されたものであった。
『韓非子』内儲説上篇に「七術」篇があり、そこで七種類の操縦術を開陳している。
多くの手がかりを集めてそれを突き合わせて総合的、実証的に判断する。
威厳をもって、必罰をおこなう。
能力を発揮させるために、然るべき者に恩賞を与える。
個別に分離独立して意見を聴取し、実績に従って結果責任を問う。
不可解な命令や態度をわざとして、臣下を疑心暗鬼にさせ、また臣下をそれで試す。
知らないふりをして、質問して、どう応えるのか観察する。
意図することの逆のことを言ったりしたりして、相手の反応を見る。
右にいう「信賞必罰」「実物証拠主義」は、改めていうまでもなかろう。 県の長官であった龐敬は、市の役人を視察し、責任者を呼び出した。しばらく立って対面していたが、別に何も命令せずにそのまま帰した。役人たちは、長官と自分たちの責任者が何か自分たちのことに関して話し合ったに違いないと疑心暗鬼になり、何もしないでも統制がきいた。 第一には、法律を準則としてそれに忠実に乗っ取る、刑罰と徳を運用における推進力とする。第二には、為政者個人の資質に過度な期待をせず、権威・地位という装置の上で、臣下を掌握する術を会得して政治をおこなう、そうすればどんな凡人君主でも一定の成果をあげることができ世の中の安寧秩序は達成できる。これが韓非の政治論であった。 韓非子は先輩の申不害から、形名参同術の理論を導入したのだが、韓非子は術的法や厚賞厳罰、君主の権勢などを、形名参同術と密接に結合する形に理論を進展させている。こうした操作によって形名参同術は、形名術に委ねれば自動的に臣下を督責でき、君主は賢智を用いた煩雑な判断をせずに無為でいられるといった申不害の段階から、法と賞罰による威嚇を背景に、より積極的に君主権への絶対服従を強制する段階へと、その威力を増大させたのである。 国家の要職を占める重臣たちは、その権力を悪用して、さまざまな陰謀をめぐらす。いかにも国家や君主のためにしているかのように見せかけながら、その裏では私腹を肥やし続ける。 だが法術の士は、どんなに利益を餌にみせられても、決してつられたりはしない。どんなに脅迫されても、決してひるんだりはしない。法術の士は、自分の利益には目もくれず、命を落とす危険も顧みない。 法術の士が活躍するためには、その価値を高く評価して任用してくれる君主が必要である。そうした君主を韓非子は「明主」とか「明王」と呼ぶ。明主と法術の士。韓非子によってこの二種類の人間だけは、曇りなき叡智を備え、欲望に目が眩(くら)まず、恐怖にたじろがず、決然として国家の前途に深謀をめぐらす、純粋な仕事師、ピューリタン的人間として描かれる。だがそうした人間が出現する保証は、実はどこにもない。