なぜ趙括さんは英雄になれなかったのか?
諸侯は漢王の軍が章邯を破ったという認識で韓信のことは無関心では。 >>537
まあ・・・本邦の戦国くらい一次史料が豊富な時代ならまだマシなんだけどね。
別の角度からの再検討が困難なこちらの戦国は人物・事件の再評価ほぼ不可能やから。 廉頗が他国へ亡命してもまだ李牧が出てくるあたりが趙の国力だわな
まぁ奸臣とバカ国王のせいで滅亡したけど >>540
ほぼ史記の記述だけで能力が確定してる奴多いしな 白起が趙括の軍を包囲したところで、昭襄王自身が河内まで出向いて15歳以上の
民を挑発して趙の糧道を絶つべく動いてたはずなんだけどさ…
これって秦国内の壮丁をほぼ外征につぎ込んだために余力がなかったための
緊急の処置とみるか、まだ制圧間もない地域からも兵を出せるほどの底力とみるか、
どうなんだろうね >>535
それは無能な将軍なだけ。
被害しか生まないよ。 >>541そこらへんは武霊王と恵文王の遺産だなって思うわ >>543
白起の合流で弾が尽きた可能はあるかもね
が、秦国内の壮丁をすべてVS廉頗・趙括につぎ込んだってのはなさそう
そこに河内の根こそぎ動員加えた秦軍は趙軍の兵力を大きく上回る可能性が高い…
鉄道でも使って補給しないと趙括包囲している秦軍が飲まず食わずで自爆するw
戦地に近い諸侯、地域に兵を出させるやり方は古今東西よくあるし秦もやっている
>>545
李牧とその二王はそこまで関係ないんじゃ、少なくとも史料には見えない おそらく河内の一部はBC280年代には秦の支配下に入ってる、徴発はわりと普通のことなのかもしれん。
・・・長平に近い河内が戦力として計算できる時点で勝てる気がしない。 確かに秦軍を撃破するのは不可能じゃない
いくら相対的に強いと言っても前近代の軍、たとえ名将が指揮していても隙はいくらでもあるだろう >>548
それ長平から15年近くも後の事じゃないの >>550
長平から30年間東進できなかったわけですが? 優秀な将軍がいくら頑張ったところで
すぐに内部から足引っ張る奴(秦に賄賂貰ってる奴)が出て来て
謀反人にされるからなw 廉頗や李牧みたく失脚する側に、弱腰や寝返りの疑惑を払拭できない弱さがあったとも言える
臣下の足の引っ張り合い説話なんて古今東西どこにでもある
戦国時代は他人を誹謗中傷し失脚させれる奴が名臣や!(例:張儀) >>551
秦にとっても長平の戦いは、マクロ戦略の失敗だよな。
趙攻略に入る前に、
10年ぐらい戦争を避けて国力の充実に邁進していれば、統一はもっと早まっただろう。 秦は1国ずつ時間かけて滅ぼして、安定させてから次を滅ぼせば短命で終わらなかったのに。 >>556
秦がマクロ戦略を失敗してたってのはそうかもしれんが
溜めた国力を使い現実より早い六国併合を実現すると違う形で同じ失敗をすることになるんじゃ?
戦国後期の諸侯には秦を脅かす実力は既になかったので対外進出を急ぐ理由はあまりないはず
557氏が言ってるように時間をかけて占領地の不安要素を徹底的に排除し支配体制を強固にしないと危うい 秦も新興国ではないけど、古い国は体質も古いから、今の発展途上国みたいに王族と貴族ははんぱない特権階級だっただろうし、そういう足の引っ張り合いをなくして他国の人間をどんどん採用したのは大きいと思う。
外国人官僚、最高権力者が外国人。
既得権益者からしたら邪魔者でしかないし、国民感情だってよくない うーん、言いたいことは分からんでもないが
むしろ新興勢力の他国人が権益を巡る臣下同士の足の引っ張り合いを激化させたことを示唆するエピソードが多いので… 商鞅を切り捨てたけど商鞅の政策は引き継いだ恵文王と
呉起の改革を無に帰した楚の粛王という対比はよく言われるよね。 秦って中原の諸国に較べると内乱というか、臣下が君主を脅かす例が
目立って少ない様な気もする
君主が追放されただの亡命しただの弑されたのなんていまいち思いつかないし さては宮城谷ファンだな?
たしかに春秋期は少ないけど戦国期は六国と比べて目立って少ないというほど少なくは無い
懐公、少子、昭王、秦王政の時代に内乱がある、商鞅の挙兵も含めると恵文王期も >>546
武霊王が胡服騎射で趙の武の土壌を作り
恵文王が名将達を抜擢する事で新しい人材が抜擢されやすい環境を作ったのではないかなと思って ・胡服騎射→尚武の土壌(わかる)
・名将達を抜擢する事で新しい人材が抜擢されやすい環境を作った(わからない)
恵文王体制の人材登用傾向が全体的にどうであったか?李牧の出身階層は?
これが明らかでない以上なんとも 宦官の客だった蘭相如や田部の吏だった趙奢を引き上げたあたり、
そこまで門閥重視の登用に偏ってる感じでもないけど、どうなんかな
楽乗なんかも代々趙に仕えた系列じゃないだろうけど 趙は人材を登用するところまでは良かったと思うよ。
生かせなかっただけで。
三晋の中じゃ一番優れた人物が多い。
魏は序盤だけだし、韓は居たの?としか思えない。 そこは国(時代)ごとの情報の偏在という要素が大きいので優劣断言はいささか早計かと
>>567
寵臣らしき宦官のコネがあるとはいえ藺相如は抜擢と言えるでしょうね
ただ公族ないし公族の可能性がある趙氏がなかなか多いし
早くから将軍に起用され長年枢要の地位を占めてたと思われる廉頗や
戦国初期or中期から趙及びその近隣での活動が見られる楽氏は有力世族かもしれません 燕の楽毅、趙の李牧
他にもたくさんいるけど結局は王の信任がないと能力があっても活躍できないのを示してるな
逆に言えばチョウカツみたいな大した能力無くても王に気に入られれば出世する
まぁこんなのは今の日本でも一緒だし結局は人間の性なんだろう 優れた人物に仕えないと大変。
愚かと言われた景公は晏嬰を信用して、諌言も聞き入れた。
ほんとに愚かではなかった。
李牧や楽毅は恵まれなかった。 それは少々稚拙な理屈でござろう
君に異なる背景・得手不得手・山あり谷ありの臣下多数と付き合っていく能力(努力)が必要とされるように
臣には君主や他の臣下、つまり社会と良いお付き合いをする能力(努力)が必要とされる
信任や諫言の成否は君主の能力依存じゃないよ
>>572
世評に名高い頭脳派エリート趙括さんは今風に言えば
超名門校を首席で卒業、その優れた学説と鋭い舌鋒で老害を一蹴、権威ある賞を総ナメ→ノーベル兵学賞授賞
若くして国民の期待を集めるくらいの有能やぞたぶん 口だけの御用学者
って言われて終わり
職歴もない世襲の学者が労働者の現状を語るようなもん 学者ってのは議論で勝負するもの故それで無双状態だったのならば諸子百家としては有能だろう
将としては無敵に近い秦軍相手に一戦一敗するよくある記録しかないから何とも言えない感じ 父親のチョウシャと兵法論議して打ち負かしたと自慢してたって書いてるしな
要するにああ言えばこう言うって感じの今で言えばディベートだけは達者な実務経験ゼロの学者や政治家ってところだな >>574
能力だと思うが・・・。
暗君は聞き入れる耳は持たない。
自身の政治能力が低くても、聞く耳持つ人間は、結構成功する。
現代でも一緒だよ。
自分が能力あるか、臣下を見極め能力ある人物に託す。
それも才能の一つ・
聞き入れて信頼すると言うのは無能には出来ないこと。 そういう無能が部下に良い様に利用されて滅亡する例もたくさんあるわけだが
今で言えば安倍晋三とか 斉の桓公も本人は大したことないけど管仲を信頼して全て任せてたから覇者になれた。
管仲が死んだら遺言を守らずに佞臣に任せて最後は死体から蛆虫が湧くありさまだった。 >>579
あのさ、国家は賢君と賢臣の二人でやるお芝居じゃないんよ
現代? 賢人政治は結局のところ国家社会を停滞させ、悪くすると崩壊ってのが近現代的じゃないかね?
優れた知識人の意見によく耳を傾け本人も高性能のオバマ流より、有能をクビにし続けるトランプ流が成功している世界だぜ
古代中国に話を戻すと
自身に政治力がないのに聞き耳はある・託す・信頼するってことは権臣を作るということ
亡国によくみられる事例の一つでもある >>582
トランプ成功してると思ってるんだ。
目先だとそう見えるよね。
何を見てきたか知らないけど。 >>583
そりゃそうよ、未来ではなく現在の話ですからね
古代中国大陸など足元にも及ばん地球の覇者をやってる男を成功者と言わずして何と言う
貴方が何を見てきたかは知らないけれど、
著名人数名の進退(説話)のみで古代国家の興亡を説明するのは危険だと思うよ 何も成功してないでしょ。
だから何を見てきたのか?と言ってるんだけど。 現状成功してるぞ、まず遠慮なく大暴れしてるのに権勢を維持している
権力を維持する力こそ為政者の最も偉大な資質
そして公約通りアメリカファースト実施中、各所で摩擦を起こしているがアメリカ経済は好調である
なかでも最も手強い敵であり近年急速に強大国化しつつあった中共に圧倒的な国力差を見せつけその拡大を抑えた
これはまさに覇者の仕事であり歴史的偉業に成り得る、楚の台頭を抑え込んだ晋覇に勝るとも劣らない快挙かと なかなか面白い流れだが諸兄の考える「賢」とは投資家のことだったのか笑
いやまあ古代中国人など前近代の人間と比べたら断然頭は良いだろうけどね…。
という冗談は置いて話を先秦に戻すが
管仲って後世の評価的には早く死んで良かったんじゃないか?
桓公晩年〜死後の混乱という歴史を変える能力を管仲は持ち合わせてない。
李斯枠になってしまう希ガス 混乱の原因が管仲の死なんだから管仲が生きてれば混乱しない。 管仲は鮑叔を指名しなかったらしいので多分健在だろう
なにぶん古代の事なので確たることはいえないけど
管仲には桓公に倣って贅沢をしたという批判がある
混乱の原因である体制の緩みを綱紀粛正できたかどうか・・ >>581桓公は軍事は自分でやってるぞ
桓公は数々の軍事行動を成功させて斉を覇者の国にした
もちろん管仲のサポートあってのものだが桓公自身も能力のある英雄だ 確かに軍事は出来るし管仲の矢で死んだふりをして油断させるという機転も利くが
管仲のサポートが無かったら色々やらかして悪名を残しただけに終わってただろう。 >管仲は鮑叔を指名しなかったらしいので多分健在だろう
意味が分からない
普通指名しない方が死んでる確率高いと判断する場合多いだろ
まあ鮑叔は管仲の死の1年後に死んでるらしいが
その頃は鮑叔の存在感無いので引退もしくは病気で政務に関わってないんだろうな あれ?
何かで桓公が枕頭の管仲に後継を鮑叔ではどうかって訊いてたりしてたのを
見かけた様にも思うんだけど、もしそうなら現役ってことかね
出典も思い出せないし単なる虚構かもしれんけど >>595
ああすまん、596氏が言ってる荘子にある逸話のことです
桓公が鮑叔を後継候補に挙げたのに管仲は指名せず鮑叔を外した 荘子にあるけど荘子の話はどこまで本当か判らないようなエピソードが多くて信頼性に欠ける。
易牙・豎刁と並べてあるけど史記ではこの二人は公子開方という人物と三人並べて三貴と呼んでいる。
荘子には公子開方は出てこない。代わりに鮑叔牙になってる。 まー史記とかも説話部分は荘子レベルの信頼性かもだし無視は出来ないかと。
例えばその管仲の先見性を示す三貴排除の説話はなんかは相当怪しい、諫言内容が中傷・讒言の類でちと拙劣な気がする。
覇権崩壊の核心は覇者桓公や管仲が推す大本命の公子昭に国内の支持が集まっていない点だろうに…
いつの間にか外国の介入を恃むところまで桓公-管仲体制が追い込まれている謎。 とりあえず 3 が好きなのはわかる
我らが趙括さんの長平の戦いも一番詳細な白起伝見る限り長平での対峙は半年ほどなのに3年扱い
どちらも後代の作り話では?
大貴族の寡頭政治が伝統っぽい斉国に彗星の如く現れ公子を擁立し
その後諸侯の軍事介入を一度は退ける料理人一党とか鬼才すぎるw 料理人舐めんな
伊尹とか知らんのか
今はともあれ昔は料理人は優秀な人材の象徴最高級の職業
戦で捕虜になっても斬られず厚遇される >>603
まあ神話の世界に片足突っ込んでる伊尹が実際料理人だったかは怪しいものだが(笑)
・・・彼にも君主の世代交代でやらかした説がありますよね、、、、アレ?これもしかして・・・・ 恐らく任用してはいけない人物説話には第三の男(公子開方、鮑叔)が異なるパターンが数多く存在したんだろう
リアルタイム斉で生きてない人間には降って湧いて来た五公子とその支持者勢力とか国氏高氏鮑氏の動向とかよくわからんからしゃーないね 新年迎える前に戦死して遺体だけになってたんだろうな。 馬謖さんの場合そもそも街亭に押し寄せた魏軍の数が尋常な数ではなかったって説も。 後の結果も含めた結果論だけど、皮肉にも副将の王平は大軍相手だろうと名将相手だろうとまともに戦えたわけだからな
王平個人は上手く壊滅しない様に退却させた事も含めて完璧に立ち回ってたから個人の資質の問題
経験を積めばいい指揮官になった可能性が無いわけではないけど、この段階では力量不足で話にならない でも韓信みたいな例もあるからな
股くぐりなんて馬鹿にされてるやつを大元帥に抜擢するのは頭がおかしいとしか >>620
韓信は実際は没落した名家の出とか、どっかの庶子の子孫とかじゃないの?
家柄至上主義ではなくても、ある程度の家柄がないと読み書きすらできないし、書物を読むなんてレベルなら尚更。 劉邦以前にそれなりの地位に登用されているし
上から数えた方が早い家系の可能性は十分にあるでしょうね なぜ趙佶さんは名君になれなかったのか
すまん何となしに言いたくなっただけなんだ反省してる 馬謖の相手だった張郃って名将なの?
ゲームだと馬謖より知力低いよね? >>626
劉備と諸葛亮が魏の最大の敵と評価してる記述が残る程度には名将
有名な劉備の言葉として
「夏侯淵を倒した?そんな雑魚はいい、張コウを殺せ」
みたいな事言うぐらい警戒されてた
劉備の人を見る評価は確かだしね 諸葛亮は別に張コウを魏の最大の敵と評したなんて記述無いぞ
劉備も張コウ>夏侯淵と言っただけ 劉備も本心で夏侯淵<張郃と思ったのではなく、夏侯淵を討って浮かれる自軍を戒める意味で言ったかもしれないけど
そういうハッタリが通用するぐらいには張郃は強敵って劉備軍には浸透してたって証明にもなるね 達人伝の趙括は無駄にカリスマだけはあるから
みんなこいつに賭けてみようって思うし被害を大きくしたって感じがするなぁ 南京、慰安所に群がりはしゃぐ日本兵。
://twitter.com/Ah5000m/status/1253680429032333315?s=20
https://twitter.com/5chan_nel (5ch newer account) >>6
日本の軍エリートや官僚の無能さに比べたら趙括さんはまだマシ
ムダグチよりも趙括がいれば良かった >>72
むしろ逆に趙高が李斯を説得したように
秦には二代続いた丞相はおりません
皆、罪をでっち上げられて処刑されました
将軍も同様で、手柄を立てすぎた将軍は死に追いやられています >>607
でも、うまいから毎日のように食っていたはないな
綏靖天皇は毎日何人も食べていたらしいけど 日本を見ると戦前も戦後も試験で選ばれた奴等は恐ろしいぐらい頭が悪い 前近代社会の人類の平均寿命はおおむね二十歳代であり、子供を5人生んでも大人まで育つのは2人か3人というのが普通だった。 >>621
あの時代だと紙が無くて竹簡だしね、兵法書なんて宝物扱いでしょ。
現代の感覚なら数百万円って感じの兵法書暗記するぐらい読み込んでたって没落貴族の
息子だと思ったほうが自然ですよね。
張良だって韓の宰相の息子だし、諸葛亮だって出師の表では「自称南陽の耕夫」ですが
琅邪郡の豪族の一族だったらしいしね。
又潜りの逸話も、名門の御曹司が没落してチンピラに絡まれたって方が正しい気がする やたら生活力がないのもボンボンだったからと考えると納得感ある 秦の昭王というテレビを見ている。(だいぶ前銀河チャンネルで放送されたやつ) 趙括さん、かわいそ過ぎる。 全く無能。 登山家は擁護できないけど、超カツは本人の人間性に問題があったとはいえ、ちょっと可哀想だよね 馬謖が山に登ったのに理由があるとか言っている人があるけど
一応頭のいい奴が考えてやったんだから理由はあるだろって
それが水のことを考えていなかっただけで
兵法書に水は大切だと書いていない 司馬遼太郎も「項羽と劉邦」で項羽について書いてたけど、
いい生まれの人ほど人に世話されることに慣れてるから、
兵の食い物とか、寝るところとか、休息に神経が行かないんだってね
兵糧については兵法書に必ず書かれてるから考えたかもしれないけど
飲み水に関しては馬謖くん、下々がよきに計らうものぐらいに
軽視してたかもね あさま山荘の時も、実は隊員の水分補給が考えられてなくて、渇きに耐えられなくなった応援の警視庁や神奈川県警の隊員が雪を口にするって事態になった
幸い重大な事故にはならなかったけど
長野県警の隊員はさすがにこういう場面に慣れてて、のどが渇いても雪に手を出すことはなかったそうだ 休元は敵を軽んじたため、国家に損失を与え死を招き、文進は奮闘して、共にこの敗北で命を失った。
災難は一人から生まれ、広大な影響を与えた。
馮休元・張文進を賛える 張コウ軍って何万人ぐらいだったか判明してるんだっけ?
10万の蜀漢軍をボコりに来たんだから、諸葛亮本軍が攻撃してた隴西にもある程度の戦力はあるとはいえ、やっぱり10万前後の戦力はあったって考えるべき? >>617
読める字は十字もないとされているから
馬謖以外もよく見ていなかったのでは
おそらく読める文字の内、2つは王と平だろうし >>649
戦前の陸軍のむだぐちと同じ
勉強はできてもちょっとしたことに気がつかないし
後で分かっても失敗を認められないから問題ないと言い張る 、曹操は、袁紹の戦略を横取りした。
ノープランの曹操は、袁紹が死んだのをいいことに、
「河北を平定して元手とし、中原を制覇する」
を踏襲した。 張郃という武力統率が90台のまずまずの戦争屋に、 文官の馬謖をぶつけた孔明のミス
いくら知力が圧倒しても無理ゲーでしょう まあ、実際は経験値・引き出しの数を含めた頭脳で、張コウが馬謖を圧倒したわけだが 知力は馬謖が87で張郃は69、馬謖の方がずっと高いぞ それは小説をベースにしたコーエー三国志のデータっしょ
短気で、張飛との知恵比べでも負けた経緯で低めにされてるというが、
現実の張コウは呂蒙に近い司令官タイプの切れ者で
そっち基準で考えれば知力は80台後半はあってもおかしくない
逆に馬謖は気のきいたセリフで孔明を感心させたぐらいで、
実務では知力の高さを示す機会はなかったと言っていい
太守としては硬直思考で失敗してるし 一体いつから劉備が弱いと錯覚していた?
曹仁や陸遜にここぞってところで負けたうえ、小説では戦下手に書かれてるせいで弱い印象があるのかもしれないが、実際はあの時代最強クラスの戦争屋だわ。逆張りでなく 趙括の起用については、いくつかの伝承が存在してたんじゃないかな
それを因果応報譚の好きな司馬遷が、自分好みの劇的なお話を採用しただけな気がする
廉頗解任から趙括起用までの背景は、実際にはもう少し深刻でおごそかだったと思うんだが… 趙括の才能は秦にまで知られてて見掛け倒しだとバレてたって話が胡散臭いわ
范雎の謀略により廉頗を更迭させたのは事実かもしれんが
趙括に交代させるように仕向けたのは後から作られた話だと思う それねー>趙括の才能は秦にまで知られてて見掛け倒しだとバレてたって話が胡散臭いわ
この辺が寓話っぽいというか、かえって現実味が乏しく感じられる点だよね
てかこの戦いは趙と秦のがっぷり四つじゃない点が、結構忘れられてる気がする
虞卿列伝に書かれているように、魏と楚を引き込む外交的な駆け引きがあったわけで、
廉頗→趙括の交代は、この辺の外交も絡んだ政治的な事情があったんだろうな、と思う
少なくとも、
「マヌケな国王と側近がお馬鹿なボンボンを起用して、たいへん無惨な結果を招きました」
という単純な構図ではなかっただろうなあ、と でも両親と藺相如が反対してるからな
この辺まで創作とすると、趙括に関する記述ゼロにならないか? >>667
そういう親しい者だけが趙括の実態が分かっていたというのはまだ現実味があるんだよ
秦の首脳部にまでバレてたってのが怪しい 敵対してても使節の遣り取りはある
貴族間での婚姻等で国を超えた繋がりもある
秦に限らず全く諜報に無関心であるはずもない
捕虜から情報を聞き出す等もある
他国の貴族を宰相に迎えるもしくはその逆もある
史料から他国の貴族の性格や噂を伺える記述は趙括以外にもある
趙括の評判を趙が秘匿しているという様子は覗えない
勘繰り過ぎにも思うけど ここらの時代だと当時の重要人物でも記述ゼロなるのはよくあること
逆に言えばそういう時代にも拘わらず妙に詳しい説話は要注意
范雎や趙正書の件がそこそこ知られて来た昨今だし
史記ほかの趙括説話もそろそろ鵜呑みから離れるべきかもね
タイムマシンでもない限り答えは出ないけど… どっちかというと母親が息子使わないように王に進言のほうが胡散臭いエピソードだと思う
藺相如が廉頗擁護するのは理解できるが 藺相如の反対論は、たぶん廉頗を解任するやり方がまずい点を批判したんじゃないかと想像する
楽乗を攻撃した話からして、廉頗が相当の激情家だったことがうかがえるし 司令官が廉頗のままだったとしても当時の状況だと趙の敗北は変わらなかったと思うけどな
その場合は秦が趙括に司令官が交代することを恐れて宮廷工作して交代を妨げたというエピソードが残っていたかも >>672
その趙の重臣廉頗が同じく趙の重臣かつ楽毅の縁者である楽乗を攻撃するとかいうヤベー不祥事
もっと様々な説話が作られてもよさそうな事件なのに原因も経過も淡白な記述しかないよな >>673
同感>趙の敗北
というか三年も戦争してる割には、趙の首脳部がどこを落とし所にするつもりだったのかが書いてないんだよね
まさか、「上党全部いただいて、ウチがまるっとボロ儲けェ!!」なんて都合のよすぎる考え方をしてたはずがないし
もし首尾よく上党郡を総取りしたとしても、その場合秦だけじゃなく魏も黙ってないだろうしなぁ
趙と関係の深い魏の信陵君だって、さすがに国内の反趙派を抑えきれなくなると思う
個人的には、趙の孝成王が「戦後」に目の届かない、愚かしい王様だったとは考えにくいけど… この時代、勝つ&成功する以外の落としどころが提示されてないって割と普通では?
上党争奪以上の期間、斉攻撃してた燕の昭王と楽毅とかも軍事的勝利以外の方法による決着は最後まで出来てないし
強大化によって内外が動揺・緊張することの心配やその対応策を事前に用意した話も特にない 大体戦国策etcのせいで行き当たりばったり感がものすごい時代
たとえなんか理屈捏ねてても3日くらいで変節しそう 阿解又宮於然矩丹而居。曰叙圖耶。是爲離京。阿解生而異相。頭有刄角。好捉鬼[鬼+居]。乃頒蘇命遮似ァ桿禁呪二十四般之法。于今有驗也。 2012/07/21(土) 05:59:32.51 2012/07/21(土) 05:59:32.51 頭いい無能は時代問わずいるが
腸活さんは歴史のはじめの方に生まれてしまったばかりに有名になってしまったのだ 名将は負けた時のことを考えて逃げ道を確保しながら戦うから大敗はしない
その差や 秦末楚漢を経験した百戦錬磨の劉邦と漢軍すら逃げ道失って完敗するという大ポカが歴史に刻まれてる
古代中国において比類なき勝者といえる者どもでも大敗する時は大敗する、難しいものよ 白起持ってきて昭襄王が援軍持ってくるぐらいだから趙括さん秦が思ってたよりは有能だった説 「六朝時代」というと、華北と華南では別の時間が流れていたようである。しかし、密接に関わっている。 あの被災地の状況、ハワイのマウイ島にそっくりですよね...DEW? 監視社会を作る目的だけでなく、緊急事態条項を作るため、改憲(憲法改正)のためでもあります! 自由と民主主義と言っとけば全体主義にも気が付かないという 国民が馬鹿であればあるほど支配側としては楽に人々を動かせることができるとは思いますが、実際のところどうなんでしょう。