正史はどこまで信用できるのか?
中国の歴史について基本となっているのが正史。
ただ、人の手を介している以上は、
編纂の過程で、史実が歪曲されてしまった部分も、
少なからずある。
果たして、正史というものの位置づけをどうするべきだろうか? >>236
たとえばどのスレ?
関連スレはよく見てるけど、史書同然とか思ってそうな奴はほとんどいないと思うが。 個人的に>>232>>234>>236みたいに
>創作を元にした創作
って感じで史記とか歴史書を「創作物」扱いする輩のほうが鬱陶しい
内容に事実と異なる部分が含まれ得るからって
史書を「創作物」扱いされたらたらんわ。 全然違うぞ。
>>232は、史記や等に残される殷周代の記録ははるか数百年後のもので考古学などでの裏付けが乏しく、
信憑性に欠けることを言っている(春秋時代に入るとそうでもなくなるが)
>>234や236は「封神演義は創作だ」と言ってる。一緒にしてはいけない。 >>234>>236の
>創作を元にした創作
の部分に突っ込んでる。
創作(史記)を元にした創作(封神)って言ってるんだろ?
史記の記述をただの創作扱いされたらたまらんわ。
>>232も信憑性に欠けるってのを「創作」と言われるとちょっと違うだろうと言いたい。
たとえば唐の玄武門の変みたいに、明らかに記録を残す側が曲筆してるなら
「創作」と言うのはまだ分かるけど、史記の殷周時代の記述みたいに
考古学裏づけが無いってだけのものを「創作」と言うのは違うだろうと。
史記にある殷の歴代の王の名前は考古学的に存在自体は裏付けられてる(はず)。
(発掘された甲骨文に名前が刻まれてるんでしょ?)
司馬遷の時代から見てもかなり昔ではあるけど、
参考にしたであろう記録物がただの創作とは断定できないはず。
神話部分は「創作」でも構わんがさ。 「封神」は「武王伐紂」という小説をアレンジしたもので「創作を元にした創作」で合ってる。
つうか、史記の該当部分の分量どんだけか分かって言ってるのか? すまん、説明不足だった
俺は>>242のつもりで書き込んだんだわ
武王伐紂は封神演義よりはかなり現実寄りの話だったかな、あんまり詳しくは無いんだが
史記は評価は高いけど、商代以前の内容はあんまり信用してない、ちょっと昔過ぎるからね 確かに、商代は司馬遷の時からさらに千年くらい前の話だからね。
俺らが安倍晴明の話をしてるようなもんだ。そう考えると凄い。
でも、中には考古学的な裏づけがあるものも意外とあったり。
事実そのままと受け取るのはさすがに贔屓の引き倒しだろうけど、思ってるよりは
根拠がある話が多い、何からの事実があったことが多い、と言うべきかなと思っている。
殷王の系譜がかなり正確であることは周知のことだし、西周の王の系譜もほとんどが金文から
確認できる。殷周交代の経緯も意外と事実を何らかの形で反映してそうだし。
甲骨の資料から、周が殷に服属していたこと、しかも殷の文化圏に属していたこと、
しかし何らかの理由で反乱を起こして殷を滅亡に導いたこと、それが(多分)殷側にとっては
突発的に起こったこと、が推測できる。これらは史書の記述と矛盾しないと思う。
しかも書経の牧誓などで牧野の戦いは甲子の日と記載されてるけど、西周初期の金文(利簋)
にも、「武王殷を倒す。戦いは甲子の日の朝始まり、昏はやく終わった」、いう内容の記述が
あるみたい。考古学的な資料が全くないわけではないのかな。あいまいな部分が多いけどさ 史書は事実ではないからな
あくまでも記録
当時の権力者にとって都合の悪い事は決して書かない、書いてはいけないという
暗黙のルールがあるんだから当然、虚構も多いだろう
創作物とは明らかに違う分類ではあると思うけど、本当の事実だの真実だのが
史実で完全に明らかになるわけじゃない 正史なんか信用できるわけないだろ
劉備の事を中山靖王の末裔と書いてるぐらいだしなw 史記には崔杼の記事のような権力者におもねって筆を曲げる事をしない史官が複数いた事も書いてあるし、
史記自体も劉邦に都合の悪い事は高祖本紀には書かなくても項羽本紀に書いてあったりする。
何が暗黙のルールなのか?適当な事言ってんじゃねぇ。 >>248
結局は記録の羅列だろう。
映像媒体かなんかで残ったりするのか、史実の絶対的な真実みたいなものが?
事実、真実って言葉を軽々持ち出しすぎだ。
史実の虚構と、小説の虚構は種が違うという話じゃダメなのか?
>>250
なにを言っているんだ?
史実ってのは記録の羅列の中から相互関係を洗い出してより事実に近い事柄を導き出した結果だぞ?
正史二十四史だけでそれが完結できるわけがない
その意味では正史といえど「信用」などできないのはそのとおり。
ただの有力な参考文献のひとつだよ ならばやはり史実と小説、異種の虚構という事だろうな >>252
きょ‐こう【虚構】
1 事実ではないことを事実らしくつくり上げること。つくりごと。
2 文芸作品などで、作者の想像力によって、人物・出来事・場面などを現実であるかのように組み立てること。フィクション。仮構。
正史と小説はどちらも100%信頼できるものではないが、前提が全く異なる
正史は建前上、事実に近いものを目指して作られている。都合により一部事実と異なる
小説は虚構が含まれることを前提に作られている。場合によってはほとんど虚構
「異種の」という言葉をくっつけようと、「虚構」という言葉でひとくくりにするのは妥当ではない 史実もまさに
1: 事実ではないことを事実らしくつくり上げること。つくりごと。
この類だと思うが?
>>254
つくりごとが混ざっていても、「本来」「建前上」つくりごとではないものを
虚構と呼ぶのは日本語として不適切 つくりものなんだから虚構でいいだろ
何をそんなに拘ってるんだ?
結局、事実でないことを事実として作り上げてるんだから おかしな日本語に拘ってるのはお前だろう
つくりごとが主体でないものを虚構と呼びたがるのは
正史の中の事実ではない部分の割合を不当に高く強調したいだけじゃないのか
正史に書かれた事柄をひとつひとつ検証して整合性がとれない部分を虚構と呼ぶなら分かるが、
「正史=虚構」と頭ごなしに決め付けることは冷静な見方ではない
「正史は100%事実とはいえない」「虚構を含む」なら同意するが、
100%事実とはいえないもの全体を指して虚構と言うのは日本語としておかしい 正史の記述を事実と信じるも、信じないも人次第じゃないのか?
そもそも「正史=歴史の事実」なんて誰が言い始めたんだ?
記述の羅列による記録であることは分かるが。
そんな媒体ならば、小説とは種の違う虚構と言われても
日本語としておかしいことなんてなにもないだろう?
真実、事実なんてのは本当に現在において確認できる事だけなんだから。 >>258
おいおい、史学についてというか学問について1から説明しなきゃならないのか?
お前が個人的に信じないのは勝手だが、
正史の妥当性について独自に検証するでもなくソースを示すでもなく
信じない理由が「個人の自由」だけじゃ、理屈は無いに等しいな
議論にも何にもなりゃしない。チラシの裏にでも書いてろ 単なる史学への信仰に近いほど敬虔で激しすぎる一本木な思い込みのぶちまけとか勘弁なのだが・・・
自分の思い通りな流れにならないと、議論にならないとかなんだそりゃw
俺を「正史=歴史の事実、真実」と思わせるような根拠を伴った論を展開してくれよ。
史学に興味ない人間に同様なツッコミもらったら、そんな意見で切り返せば
納得してもらえるとでも思ってんの?
>>258
歴史学を否定するようなこと言うなよw
正史の裏付けは、他の史料や石刻のような物証が補ってくれるよ。
それをもって「より事実関係に近い」事柄が浮き彫りにされるんだよ。
正史ってのは、それを知るうえでの最有力史料。
小説ってのは、特に『三国演義』などは、二次三次の創作物であることと
客観性を欠いた文体であることで、歴史記録とは一線を画しまくる しかし、曹操の墓騒動の話を見たら、史実で書かれてる事は
明らかなウソだと思えちゃったしなあ
あんな豪壮な装飾品に膨大な数、どこが薄葬なのかとw >>262
>>曹操の墓騒動の話を見たら、史実で書かれてる事は
明らかなウソだと思えちゃったしなあ
ここが勘違いの元だな。
正史=史実ではないのだということをよく理解し、なおかつ
史実を追求する上での史料のひとつという認識をもつことだな。
史実というのは、今回の「物証」などにもよって次第に明らかにされていくものだが
そのとっかかりは歴史記録である各歴代史書にある。
言ってる事がよく分からんよ
根本の問題に上がってた史実は事実、真実ではないって事はどうなったの。
結局、ウソもあるんだから虚構と呼んでもなんの差し支えもないんでしょ。 史実はあくまでも「より事実関係に近い」だよ。
いろんな資料や記録からそれを判別するのが歴史研究。
反論があるなら説得力の在る根拠を携えて学会に提言するんだね。
>>結局、ウソもあるんだから虚構と呼んでもなんの差し支えもないんでしょ
差し支える。
全部が嘘ではないから、虚構とは言い切れない。
個別の嘘を嘘だとする根拠が伴い、おおむね反論がなければ、その嘘のみは虚構とみてよいが
それがために、すべてを虚構よばわりするのは暴論。 >>264
>根本の問題に上がってた史実は事実、真実ではないって事はどうなったの。
一応ツッコミ入れとく。史実は歴史的事実の事だ。その上で正史が史実を伝えてるとは限らない。
しかし正史の記述が事実でないとするに足るだけの理由もなしに虚構という事は出来ない。
一方小説は虚構である事が前提だから一緒くたにするな。 嘘もある=虚構ってどんだけ短絡的なんだか
白か黒かの二元論で物事を決め付けたがる基地外はつける薬無しだなw >262
え?普通に薄葬だと思ったよ
生前に使っていた物しか入っていなかったじゃないか
諸侯クラスでももっと副葬品豪華なの沢山あるし >>265
それはそれで極端にぶった切りすぎでしょ
史実の全てが嘘なんていい切れないし、元々小説も
史実の真実として語れてる部分をベースとしている。
西遊記や封神演義などは虚構部分がそのほぼを締めるが
三国演義は非常に史実面の記述を重視した
史実に近い内容の時系列を纏めた小説として仕上がっている。
小説=虚構が前提とは三国演義のような例外もあるのでそうは言いきれない。
そして、正史の嘘らしき部分も曹操の墓騒動でより鮮明になった。
あれをさすがに庶民レベルでも薄葬なんていうのは無理があるし
一般の王レベルの立派な墓なのに、何故わざわざ「薄葬」などと書くのか、というのは
紛らわしすぎ。
意図的に正史において曹操をヨイショした記述とも言える。
わかり易い小説の虚構は虚構。
正史は分かりにくい虚構はそれでも事実と言い張るのは如何なものだろう?
正史にも虚構と思わしき部分は現にあったじゃないの。 >>269
>小説=虚構が前提とは三国演義のような例外もあるのでそうは言いきれない。
それでも小説は小説と口を酸っぱくして言わざるを得ないのは、演義の影響で3世紀に鐙が有ったとか
あんな武装してたとか、諸葛亮が魔術師だったと思ってる輩が多いから。 それはわかり易い虚構部分だろ?
それを虚構と呼ぶのは当たり前だと思う。
しかし、正史の虚構は何故「虚構」と呼ぶことを毛嫌いするのかと。 >>271
知ってる人には当たり前でも知らない読者も多い。それなのに「小説は虚構が前提とは言い切れない」とは
これ如何に?
正史の虚構だって虚構であると確定してる部分は虚構だし、虚構っぽいとされてる部分は「虚構の
可能性が高い」であって、毛嫌いしてる訳じゃなかろう。 三国演義は時系列、勝者となった国は史実をなぞり本当にきっちりしてるからな。
この部分は史実との差もないでしょ。
七実三虚という例えもあるように七分も史実の記述そのものを踏襲している。
これはさすがに「虚構」とは言い切れないのでは?
西遊記や封神演義を見れば分かるけど、虚構によって構築された
小説は虚構が前提というのはその手の小説を指す物だと思うよ。
道教や老荘思想をベースにはしているけども、小説ならではの伸び伸びとした
自由演技がメインで史実から用いてる物といえば人物の名前くらいのもの。
頭とケツは史実にあわせてるけども、それ以外は独自の世界観で展開されており
これらは三国演義とは全く趣の違う、虚構を膨らませる事によって物語をより壮大に
展開する事を機軸としている傑作小説。 >>273
>七実三虚という例えもあるように
だから三分は虚構でしょ?西遊記や封神演義とは一緒に出来ないけど、そこまでこだわる必要あるの?
あと封神演義はグダグダなんで西遊記と一緒にするのもどうかと思う。 三国演義は正史がベースだが、視点が特定の個人に偏っている
そこで真実があったとしても、「記録」としての信頼性、客観性はない
そういうのは資料とはいえず、たまたま真実が語られたにすぎない。
しかも、その裏づけを正史はもとより関連史料で見ることができる
というならなおさら。
二次・三次の創作物だからだ。
史実に近い時系列で歴史を俯瞰できる史料ならば講談調文体の『三国演義』
に求めずとも司馬光の『資治通鑑』がある。
>>271
史書における虚構、粉飾はすでに史家によってある程度読み解かれている。
君がよくしらないだけなのでは?
それをもって、史書の全てを虚構だというのは(ry
>>269に訊く。
史実とはなにか?
正史=史実ではないというのは、再三指摘されているが。 なんか凄い論理が満載な流れだな
とりあえず>>268が流されてるが
発掘された曹操の墓は簿葬だったと中国の学者が認定したはず
理由は上のレスにあるとおり
>>268は正史の信ぴょう性を批判する前に自分の知識不足を心配しろ >>274
封神演義は四大奇書じゃなく文学的に二流で西遊記より格下だが
どっちも三国志演義のような歴史小説じゃなく神魔小説ってジャンルなのは一緒だし
あと問題になってるのも虚構と史実であって内容がグダグダなのは
全く関係ないんだからむしろ一緒にしてはいけない理由が全くないんだが >>275
結論としては史実にも虚構はあり
小説とは種の違う虚構ってことでしょ?
虚構が存在するのに、史実の虚構を虚構と呼ぶのは日本語として
おかしいとか言い出した奇妙な奴がいたのよね。
>>276
それは一介の学者の私見であり、大衆的な意識とは無関係でしょ。
あれだけの副葬品が見つかって、それでも簿葬だと言い張るのは立場を利用した暴論の類だよ。
その学者が曹操の素行にも深い思い入れを持ってるだけでは?
第一、中国社会科学院が正式に「曹操高陵」と格式高く認めており墓の規模も一代の王に
相応しい巨大で豪壮なものなんだから
それを、節約に尽くした簡素な墓であると思うほうがおかしいんじゃないのか?
始皇帝の墓と比べたら・・・とか極端な事いうなよ?
あれは桁違いすぎだから。 >>279
>結論としては史実にも虚構はあり
何度言っても判らん奴だな。お前さんは用語から間違っている。史実は歴史的事実であって虚構では無い。
だから史実を虚構と呼ぶのは明らかに間違っている。(史実の虚構というのは成立しない。)その上で正史に
書いてあるのが史実とは限らない。間違っている場合も有る、というだけの事だ。
>>278
>むしろ一緒にしてはいけない理由が全くないんだが
だって一括りに傑作小説って呼んでるから。 >>279
>>結論としては史実にも虚構はあり
こう言い直すのならば、ある程度の人らも納得する。
「結論として『正史』にも虚構はあり」
正史=史実と思っているその頭をまずなんとかしてください。 ttp://members.jcom.home.ne.jp/invader/works/works_6_b.html
↑馬王堆1000点以上の副葬品。
ttp://www.shuiren.org/sangoku/syuzen.htm
↑朱然の墓。盗掘されていたが、副葬品140点ほどが残っていた。
ttp://members3.jcom.home.ne.jp/masa-aze3377/htm/azemi103.htm
↑真ん中より下辺り曹騰の墓の銀縷玉衣。もしかしたら曹嵩かも
曹操は墓の大きさは大きいけれど、副葬品に関しては本当に簿葬だと思うんだが
これ見てもそうは思わないか? >>279
×大衆的な意識
○俺様の意識
テメエの脳内基準を勝手に世論認定してんじゃねえよ、カス。
頭のおかしな人の判定基準
・「みんなの意見」「他の人もそう思ってる」など、自分の意見なのに他人もそう思ってると力説する人
他人が自分とは違うという事実が受け入れられない人です。自分の意見が通らないとコピペや荒らしなど
無茶をし始めるので見かけたら放置してください。
http://www.2ch.net/before.html >>280
まあ、知らない事を知ったかぶったのは良くないやね。
他人には散々、史実=正史ではないと力説してる一方で歴史小説と
神魔小説の違いを堂々と間違えるとは・・・。 >>284
判らん奴だの。>>273が一流の西遊記とグダグダの封神演義を同列に扱って「傑作小説」と呼んだから、
一緒にすんなと書いたんだ。読解力が無いのか? 墓を作ったのは簿葬令を出した本人じゃないから、薄葬令を出したことが虚構とは限らないだろ
身分相応よりも質素なら薄葬令があったと考えるほうが自然だ
>>279
反対意見に対して勝手に「結論としては」とか言うなボケ
まともな反論が何度も出てるのに全く理解できてないんだな
お前はまず自分の読解力と言語感覚を疑え
「正史にも虚構はあり」 これには最初から反対してる人はいない
「正史は虚構」 全部が虚構ではないものは虚構とは言わない
正史の中にも史実と虚構があり、小説の中にも虚構と史実があるが、
「正史は虚構」と言うことは「小説は史実」と言い切ることと同じくらい有り得ない >>285
ああ、それは悪かったな。
まあ、あんまりトゲトゲするなよ。
もっと分かりやすく書けば彼も理解できるんじゃないのか?
三国演義もまた史実としての有用性があり、史実の史料として
当たり前のように利用されている、とか。
どうにも史実=正史という適当な日本のメディアが垂れ流した嘘を
鵜呑みにしてるだけのヤツに見えるからな。
しかし、曹操の墓の話題にしても人それぞれの感覚によって
簿葬だった、そうは感じない、だの確固たる物証の前では正史の記述も
とことんあやふやだな。
>三国演義もまた史実としての有用性があり、史実の史料として
>当たり前のように利用されている、とか。
また脳内世論ですか >>だの確固たる物証の前では正史の記述も
とことんあやふやだな。
そういうときは虚構というのではなく誇張という場合もある。
朱仙鎮の戦いはなかった、とする虚構説もあれば
軍隊水増しの誇張もある。
それをひとつの史料だけで判断せず、クロスチェックしてつまびらかにするのだよ
>>287
流石に演義は明代の作品であり
三国時代の資料にはならないだろう
>>288
中国のサイトで三国志の武将の事調べたりすると普通(主に蜀の武将)に
文献として三国演義とか書いてある場合もあるぞ。
陳寿が取り上げなかったという民間に伝わる伝承を史実として
とらえてたりもするんだろう。
正史=史実 じゃないのは分かってるよな? それはただ正史だけじゃなく演義の実績も参考にしてるというだけの話だろ
イコール演義が史実として参考にされてるとはならない
まあそのサイト観たこと無いけど その場合、『三国演義』が元ネタとした民間伝承から引いてこないと
資料的価値はないよ。
「『三国演義』にこういう話もある」という参考程度の紹介ならわかるが
いきなり史実と結びつけることは無茶だろう。
演義=史実じゃないんだから。また民間伝承=史実でもない。 >>291
中国の件はウィキペディアの武将の項目に演義のことが書いてあるのと同じレベルだろw
日本なら「演義では〜」と分けて書いてあるが、あちらは正史を知らない人が多いからな
日本もほんの20年ほど前までは演義と正史ごっちゃの本が大半だったが。
三国志が中国の話だからって中国のほうが日本より進んでるわけじゃない
大体民間伝承って言ってもそのほとんどは講談や演義で人気が出た以降に現れたものや、
講談や演義以降に、元々あった三国志と無関係の伝承と、三国志の武将が後から結びついたものばかり
伝承のひとつひとつを検証して後から発生した可能性を否定していない伝承に資料的価値などない >>291
そもそも、演義は資料とするために書かれたものじゃない。正史を否定する流れで書かれたものでもない
演義は講談人気のおかげで荒唐無稽なトンデモ三国志が広く知れ渡っていた時代に、
講談の流れをくみ大衆にとっての面白さを残しつつ「正史」を基本にすることで史実に近づけた小説
お前は必死に正史を下げて演義を引っ張り上げようとしているようだが、
演義書いた人は正史アンチじゃない、むしろマンセーなわけだがw >三国演義もまた史実としての有用性があり、史実の史料として
>当たり前のように利用されている、とか。
つかこんなことを堂々と言っておきながら
ソースが「どっかの中国のサイト」しかない時点でお笑い草なんだが
サイトの内容なんてそこの管理人・住民の方針、知識で決まる偏りまくったもの
そんなこと日本の三国志サイトでも巡回してれば分かるはず
持ってくるなら実際にプロの考証の場で演義の記述が使われてるような記事を持ってこいよ >>291はどうして相手の土俵で戦おうとするんだw
演義が正史に勝る部分は小説としての面白さや大衆受けや知名度や時系列のわかりやすさであって、
演義が史料として正史に勝る必要なんかないだろ
正史と演義は書物としての性質が全く異なるから、史料としての価値が正史>演義だったとしても
書物としての価値が決まるわけじゃないのに
もしかしてあれか。関羽か馬超か誰かのファンで「○○は正史だと演義ほどすごくない」とか言われて
正史を否定したくて仕方ないだけか
「自分は“演義の”誰それのファン」と自覚して、自分の中の正史の存在を黙って無視すりゃいいじゃん
そういう感情的な理由で正史を信じないのは自由だよ
世間や他人の中にある正史まで否定しようとするから間違いなんだ
正史を否定したいのは感情であって理屈じゃないから他人をどうこうすることはできないと自覚して、
考察系のスレに寄り付かないのが自分のためじゃないのか 演義は、日本で言えば
吉川『宮本武蔵』みたいなもんだな
頁1頁分の資料しか無いと言われてる宮本武蔵を
あれだけの大河ロマンに仕立てた吉川は凄い。三国志演義はもっと恵まれてると思う 演義厨って何でこんなにアホなんだろうな。
書いてて恥ずかしくないのか 正史が100%正しいかどうかはわからない
演義の中にも真実があるかも知れない こんにちは。いつもお世話になっています。
いよいよOPEN価格も8月31日で終了します。
31日以降は通常価格に戻りますのでご了承ください。
http://hayaiyasui.issekinicho.com
良かったら見てください。
1000年以上空いてるのに、演義の中に真実なんてある訳ねーだろw
どんだけお花畑なんだw >>301=302
下手な自演だなー
1行目はわかるが、2行目は根拠も示してないし
そんなのに同意するのは本人だけw 「曹操の墓はニセモノ!」、画像石から電動ノコギリ跡=専門家が指摘―中国
ttp://news.livedoor.com/article/detail/4965445/
残念だったな演義厨www ニセ物ってのは別人の墓って意味じゃなく
墓自体が大昔っぽく作ったニセモノってことかよw
ちょっと無理あるだろ 先ず正史から学ばずに、何を学ぶんだ?
その上で、科学的検証や文中の矛盾点を考えればいいこと 光武帝紀は元になった東観漢記の光武帝紀からして胡散臭い 光武帝紀って明帝自ら作ってるのがあるんだよね
父のことを客観的に書いていたかと言われればものすごく怪しいところだね
史記、漢書と違って後漢書の元になったと思われる史書はどれもこれも官撰だっていう 誰も食いついてこないからって自分で賛同レスつけて楽しいか?w >>309
しかし、その矛盾点を叩くと必死こいて理由も無く正史妄信に走るヤツの
異常な攻撃性とかはどうだろう?
一介の記録に過ぎないものに歴史の真実の全てが詰まってると思い込むのも
一種のロマンにだろうに。
具体例をあげてくれんと説得力も何もない。ただの叩きにしかならんぞ にちゃんねる名物の「見えない敵と戦う」ってのがこれかw ちょっと上のほうでは三国演義や民間伝承として三国時代の事実の可能性
完全否定とか物凄いじゃん。
何を根拠に否定しとるのかと。
完全に正史妄信の類じゃね? レス番指定してくれ
どうするのが「完全否定」なのかよく分からんので
あと三国演義の事実の可能性、とやらもよく分からん
実際に正史に無くて演義にのみに載ってる事実の可能性とやらをあんた具体例挙げられんの? >>316
その「三国演義」が事実の可能性があるってことを証明するための工具書の
ひとつとしても、正史「三国志」は関わっているのだが?
正史「三国志」を無視して、「三国演義」単独で、その書かれた内容のどれかが
事実に即していると、説得力をもたせうると思うのか?
だいたい、歴史事実を読み解くのに、正史か演義しかないその考えをどうにかしろよと。
上の方でも言われているのに、まだそれか。
進歩のないやつだ。 >>317
つ>>305
もはや単なるバッシングだわなw
正史だけしか歴史事実と認めないという困った我儘ちゃん。
>>318
稗史 だからさ、具体例挙げてくれよ
実際に演義にしか載ってないけど事実の可能性がある記述とやらを見つけたんだろ?
「稗史」とだけ言われても意味分からんし >>319
出てきたのが稗史だけかよ
石刻とか出土品の物証が大きく関与しているのを知らんのかい
で、「三国演義」にしかない「証明された」歴史事実とは一体なんのことか
趙雲が針に刺されて死んだとかいうやつか? 清代に出来たもんが史跡扱いでも何の不思議も無いわけだが
会話が通じるなら早く演義の中の事実とやらを教えてくれ お前のすぐ前のレスの話じゃねえかw
どこまで人の話聞いてないんだよorz
史跡三義廟:
三国演義、桃園結義に由来した劉関張を祀った廟
史跡とは?
し‐せき【史跡/史蹟】
歴史上重要な事件や施設などのあった場所。
稗史の中にしかない話がちゃんと歴史として認められてる例。
石刻とか出土品の物証が大きく関与してる云々に関係なく
認められてるものは認められてるんだよ。
>>323
>清代に出来たもんが史跡扱いでも何の不思議も無いわけだが
その理由は? >>325
それは、「三国志」時代の「歴史事実」を紐解く上で重要な歴史的物証
というわけではないことを理解してください。
その意味では、「三国演義」も歴史的に価値の在る「娯楽小説」なわけだが
その歴史的価値は、元末明初の世相とか、講談三国志がどのように
推移して結実したか、というあたりの研究材料であって、三国志時代の
史実への寄与は薄い。
もともと「三国演義」は正史「三国志」をベースと書かれているわけだから
たとえば日本で言えば、「NHKの大河ドラマに歴史事実がある」と言ってみても
元ネタの方にこそ重要性があるわけで、それをすっ飛ばして「大河ドラマも史実だ」と言って
みたところで空しい。
しかし、稗史が歴史として認められている事実は揺るぎようが無いぞ?
そんな自分自身で納得の出来るポイントに着陸するんじゃなくて現実も見てくれんかな。 歴史は歴史でも三国時代の事実としてではなく講談や民間意識としての「歴史」だがな
>>327も言ってるがその辺を混同するのはいけないね >>328
君は現実どころかなにも見えてないみたいだぞ?
「稗史が歴史として認められている事実」というのは、どうして認められているのか
わかっているのかな。
そして「三国演義」は稗史ではない。
君の主張の根底はいったいなんなんだ? >>330
>「稗史が歴史として認められている事実」というのは、どうして認められているのか
>わかっているのかな。
>そして「三国演義」は稗史ではない。
上から目線で行ってくるのなら、その証拠提出を是非お願いしたい限りなんだけども?
常に居丈高に意味不明な否定だけされても説得力ないよ?
つまり歴史的な信憑性がないものを史跡と呼んでるだけだろ
最近作られたものを史跡と呼ぶことはなくても、そこそこ古いものなら
昔の人が信じて大事にしていたからとか観光地としてとかの意味や価値を認められているわけだ
「認められている」って言っても史学者じゃなく役所や観光協会みたいな連中だろうしな
つまり、史跡と呼ばれていることと歴史的事実とは絶対的な関係はないわけだが
それで何が言いたいのかサッパリ分からん ちょっと抜けた
「認められている」って言っても、“認めたのは”史学者じゃなく役所や観光協会みたいな連中だろうしな なんでそんなに上から目線なんだ?
史学者のみが認めないと史跡として認められないという
意味不明な俺ルールを強引に押し付けてくる意味が分からないんだが・・・
お前の価値観がどうでもいいとして、ちゃんと史跡として認められてる事実が
あるんだよ。
それに歴史的事実って何よ?
歴史的事実ってどうやって確かめんの? >>334
おいおい、お前日本語大丈夫か?
史学者が認めないと史跡として認められないなんて誰も言ってないんだがw
>>325の
>>稗史の中にしかない話がちゃんと歴史として認められてる例。
に対して
「史跡と呼ばれること」は「ちゃんと歴史として認められていること」とイコールではないと言ってるだけだ
史跡と呼ばれているものがちゃんとした歴史を示しているかどうかは
ひとつひとつを検証しなければはっきりしたことは言えない
で、お前の言う「認める」の主語は誰なんだよ?
大勢の庶民が認めていたら物証が何一つなく検証を何一つしなくても「ちゃんとした歴史」と言えるのか? >>335
だからなんで
その主観、つまり
「史跡と呼ばれること」は「ちゃんと歴史として認められていること」とイコールではないと言ってるだけだ
史跡と呼ばれているものがちゃんとした歴史を示しているかどうかは
ひとつひとつを検証しなければはっきりしたことは言えない
と言い切れるかという証明が欲しいのだが?
お前さんが幾らそんな風に吠え立てようようが
中国には現実として史跡としての三義廟は存在している。
その自分ルールの中に当てはまらないものは
歴史として認められている事にはならないとでも?
現実として存在している「歴史ととして認められてる史跡」はあるんだよ。
三国時代の事実とやらがあまりにも不鮮明すぎるので
民間に委託した歴史の事実や、その史跡も生まれたんだとは思うが・・・