正史はどこまで信用できるのか?
中国の歴史について基本となっているのが正史。
ただ、人の手を介している以上は、
編纂の過程で、史実が歪曲されてしまった部分も、
少なからずある。
果たして、正史というものの位置づけをどうするべきだろうか? 587 名前:名無しさん?[sage] 投稿日:2008/03/19(水) 11:28:45 ID:???
日本で三国志をテーマにしてる作品はほとんど全部が三国志演義のことを指してると思うよ
だからその指摘は無意味
589 名前:名無しさん?[sage] 投稿日:2008/03/19(水) 11:30:32 ID:???
>>587
三国志演義題材にしているというと三国志の二次創作だな
三国志の二次創作で内容が光栄に似てるとか常識的にまずいだろw
3次創作ジャン
592 名前:名無しさん?[sage] 投稿日:2008/03/19(水) 11:32:22 ID:???
意味分かって言ってるのかお兄ちゃん
593 名前:名無しさん?[sage] 投稿日:2008/03/19(水) 11:34:10 ID:???
後漢の書物を題材にして作られたゲームは、三国志時代を扱っているといえるんだよ
三国志自体が後漢書とか後漢の書物の引用文が相当な量入っている
ようするに写本である三国志を基にゲーム作るか後漢時代の原本でゲーム作るかの差だ
599 名前:名無しさん?[sage] 投稿日:2008/03/19(水) 11:36:32 ID:???
国取が三国志もとにしたのでは無いというのも正しいが
三国志の時代を国取が扱ってるゲームというのも正しい
なぜかというと三国志自体二次創作物だから
三国志の翻訳前の読んでこいやお前らw
603 名前:名無しさん?[sage] 投稿日:2008/03/19(水) 11:39:23 ID:???
三国志の翻訳前の一部分でも読んだことある奴なら
後漢書が元だから三国志では無いとか恥ずかしくていえない台詞だよ
実際の三国志は注訳や引用だらけ
書かれた時代がだいぶ後になってからだろ?
実際は当時の生の記録ではなく編集本なんだよ なんの議論かさっぱりわからんw
ここでいう「三国志」とは何を指しているんだろう? >>137
572 名前:名無しさん? 投稿日:2008/03/19(水) 11:17:24 ID:???
>>566
三国志というのはもともと色々な逸話を集めて歴史家が編集した創作歴史小説
途中で中国が正史に分類して歴史と定めた
最初から肯定の内容を記した後漢書とは違うよ
598 名前:名無しさん? 投稿日:2008/03/19(水) 11:36:08 ID:???
だから写本である三国志じゃなくて
歴史小説である三国志演義だってばよ
あと三国志じゃねえってキレてたのはお兄ちゃんであって
今さら後漢だけど三国志だとか主張するのは何なんだ
603 名前:名無しさん? 投稿日:2008/03/19(水) 11:39:23 ID:???
三国志の翻訳前の一部分でも読んだことある奴なら
後漢書が元だから三国志では無いとか恥ずかしくていえない台詞だよ
実際の三国志は注訳や引用だらけ
書かれた時代がだいぶ後になってからだろ?
実際は当時の生の記録ではなく編集本なんだよ
【春だねー☆】ラウンジ三国志1878【春だよー☆】
http://love6.2ch.net/test/read.cgi/entrance/1205844916/
三国志風ゲームを作成しているみらいす(桃鈴)氏の発言
・官職や地名などは驚くほど精巧で下手な三国志解説サイトよりも詳しい
・各地の人口は後漢書地理史に基づいており正確
・三国志(正史)は色々な逸話を集めて歴史家が編集した創作歴史小説
・三国志(正史)には後漢書や当時の書物、民話からの引用が相当な分量ある
・三国志(正史)は後漢書などからの引用だらけなので、三国志(正史)を基にして作った
ゲームを三国志ゲームといってる奴は素人
・三国志(正史)は歴史書ではなかったが、人気が出たから正史とされた
・三国志(正史)は後漢書を基にした二次創作物
・三国志(正史)を基にしたゲームより、三国志(正史)の原本である後漢書を基にした
自分のゲームのほうが上
※自分のゲームを三国志じゃないと主張していたが、後になって三国志も含まれると
主張を変えるために、後漢書からの引用で三国志(正史)が書かれたと主張している? >>三国志(正史)を基にしたゲームより、三国志(正史)の原本である後漢書を基にした
自分のゲームのほうが上
つまり、ここが言いたかったわけね。
後漢書が宋のときってのは、この人には関係ないのかな? >>142
正史じゃない後漢書は正史三国志以前に多数書かれてるから
それを参考にしたんじゃないの?
どうやって入手したんだ、そんな散逸文献とは思うが >>143
>>どうやって入手したんだ
そこまで専門的なんだろうか?
ふつうに大金はたいて《後漢書》の訳本買って舞い上がってるとか思ったけど…
何で続漢書やねん。范曄の『後漢書』の元となった6つの『後漢書』があり、プラス『続漢書』で七家後漢書という。
范曄以外は全部散逸だけどね!
あるいは『東觀漢記』を基にしたのかもね。これは輯本がある。 >>147
現代では続漢書の志も合わせて後漢書って呼ばれてるから気にしない
別にここ学会でもなんでもないしな >>147
あ、そういう意味やったんか。スマソ、首くくってくる。 単純に書かれた順番を知らずに、逆に後漢書が三国志を
参照していたのを勘違いしただけのような 中国学科教員 問題言動集
N.S教授・・・・・授業中に、
「人間は働かなくても生きていける」
「(自分のことを棚に上げて)中国語学科の学生は常識が無さ過ぎる」
「(上に同じく)教育学科の学生はロリコンだらけ」
「三国志が好きな奴は中国学科に来るな」
「一般教養など必要ない」
「セクハラというものはその行為を行う本人に悪気が無ければセクハラには当たらない」
「大学教授は世間を知らなくて当たり前だ」
etc迷言・珍言多数
W.Y教授・・・・同じく授業中に、
「第123代天皇は精神異常者」
「N.K(D大名誉教授)、F.N(T大教授)、S.T(元G大教授・故人)、H.I(元N大教授)、
I.S(芥川賞作家・都知事)、K.Y(妄想漫画家)は人間のクズ」
「金持ちに対する税制優遇を廃止して、税金をできるだけ多く搾り取るべきだ」
Y.Y准教授・・・・退学願を提出した学生に対して、
「私の言う通りに行動すれば、君の要求が通るように私が裏で話をつけておいてあげよう」
という内容の取引を持ち掛けた。
以上のように、中国学科はキ○ガイ教員の巣窟です。
これから大○文化への入学をお考えの皆さんは、
中国学科にだけは絶対に出願をしないようにして下さい。 >>154
お前の頭の中の「正史」は三国志だけかよw
せめて昔くらいにしておけ。 范曄後漢書の史料批判が唐代から行われてきた話が出ると
いきなり人格崩壊したのが現れてドン引きした
人間の精神とはかくも脆いものなのか 諸家後漢書の存在を知らなければあの話題に参加する資格は無いよな
醜態さらした上に犬だの人格破綻者だの言われて総スカン食っても
まだ戻ってこれるのは本格的に狂ってるからだろう >>158
最近大枚はたいて購入したオレ様ちゃんの《後漢書》(邦訳)が捏造だなんてゆるせなーーーーい!!
だったんじゃないの? 史記、漢書、三国志、後漢書の評価が高いのは古代の歴史書で、他に参照す
べき史書がないことが大きく、実態は他の微妙な評価の正史と大差がないの
ではないかと思ったんだが、どんなものだろ?
古代中国は纏まっている割に資料の種類が少ないイメージがある。 そういう以前のレベルで本としての体裁が酷いのがあるんで、少なくともそういうのとは比べられない。 許チョの身長184センチは良いとして
「牛の尻尾を持って100歩余り引きずった。」
とか本当の事なの??
信用したい人間だけが信じればいい。
宗教の信仰と同じようなもんでしょ。 リアリティを持たせたいというか、矮小化したい人間なら
「牛を引っ張って相手をびびらせた逸話は有ったんだろうけど、100歩も引きずったは誇張だろう」
とか考えるんだな。 >>164
つまり、思考停止したい人はご勝手に
ということですね。 大人しい牛で自分からある程度後退りしてくれたんだろう >>168
子牛!そうか… それで読めたぞ、この事件 >>170
貼る奴が異論反論が来ると感情的だの煽りだのとレッテル貼りするDQNだからさ。
過大評価スレでもフルボッコにされて捨てゼリフ吐いてやがったな。
つか、おまえと同一人物だろw 違うに決まってる。
>>1にも書いてるように「正史」とされてるもの全般。
そこのところ分からずに三国志叩きしてる馬鹿がたまに居るだけ。 史記みたいに勝利者が万能正義じゃないやつのが読んでて面白いね。 なんで司馬遷や陳寿は史記や三国志を個人的に書いたことになってんだ? 司馬遷なんかも公の仕事として史記を編纂したわけだが >>180
でも司馬遷の役職って史官じゃなくね?親父は史官だけど。
どういう形で「公の仕事」として編纂したの? 詳しくは覚えてないが、司馬遷は官職についてたはず、その官職の仕事が史記の編纂
仕事だから当然手伝ってた部下もいたんじゃね? 司馬遷は周朝以来史官の家系の生まれ
父親の司馬談は宮中の記録や資料の管理をする太史令だったが、当時では天文・暦法に関する仕事ばっかだったんで、自らの御家芸である史書の編纂を始めた
しかし、武帝が始皇帝以来の封禅の儀を行うにあたって、故事に詳しい自分を無視し参加させてもらえなかった事に憤り死んだ
その時、遺言として史書編纂を引き継ぐように司馬遷に言った(史記太史公自序参考)
史記の正式名称は「太史公書」であり、父亡き後同じく太史令になった司馬遷による書と言う意味しかない
史記と呼ばれるようになったのは、三国時代以降であり、正史とされたのは唐代以降
唐の太宗李世民が国家事業としての正史編纂システムを創ったわけだが、それ以前は史家の家系の者が独自に編纂していた 平せ隆朗『史記の「正統」』講談社学術文庫
これ読んでみ史記の矛盾とかを検証してるから >>184
ついでに要点も書いてくれればなお良いものを。
ググった感じ、史記の本文の年代の矛盾とかについてがメインっぽいんだけど、
話題に昇ってる史記の編纂された過程について面白いことでも書いてるの? >>184
その本は最近見かけたね
著者の平勢センセーは『世界の歴史』(中央公論社)や『中国の歴史』(講談社)で春秋戦国時代を担当されてた
それらの中で独自の年代論を展開されてたんだが、それについて色々反論があり、学界においてまだ十分なコンセンサスが得られてないのに、概説書で自説を展開するのはいかがなもんかって批判もあってね
そんなんで、その本を身銭切って買う気にならなくてスルーしてたんだ
よかったら、関係する部分をかい摘まんで教えて欲しいな 平勢さんについては世界史板のスレ見るとどんな人だかわかる。 >>185
『史記』が司馬遷の個人の考えで編纂されたわけではなく、漢王朝を正当化するために作られた欽定史書であると主張している。
ただ、平瀬氏は現時点で半ば無視されており、学界の主流からは非常に遠い存在。少なくとも鵜呑みにはしないように。 >>183
>司馬遷は周朝以来史官の家系の生まれ
それ司馬遷のフカシというか、凄い昔の先祖がそうだった、ってだけだぞ
近い先祖は秦・漢の下級役人だが、史官とはまるで関係なさそうだ >>189
昌、無沢を生む。無沢、漢の市長となる。
無沢、喜を生む。喜、五大夫となる。卒す。
みな高門に葬る。
喜、談を生む。談、太史公となる。(太史公自序)
>>183は引用や長文にすんのが面倒だったんで、ツッコミ所のある文章になってるのは認める
一応、ソースは提示してるから、そっちを見てくれれば幸い
司馬遷が史記を編纂したっていう根拠として、太史公自序を挙げたってことで勘弁してね 史官というものについて凄い誤解があるようだ。漢までの史官はようするに占星術師。
礼記とか漢書とか古い文献では、当時の史官の職掌は天体の運行を調べ、暦を作り、吉兆を占い、
儀式を司り、国家に異変や変事があればこれを記す、となっている。
たぶん、殷代に甲骨文をせっせと刻んでいた人たちの後裔が史官だと思う。国家の異変を記す
ことも吉兆を占ったことの結果を判定するためにやっていることで、本来の任務は占いと言ってよい。
司馬遷自身も手紙で「文史、星歴は卜祝の間に近し。もとより主上の戯弄するところにして、唱優として
これを養い、流俗の軽んずるところなり」と自ら卑下している。
史官は歴史編纂なんて高尚なもんでは全然ない。むしろ軽く見られる官職だったし、実際に品等も低い。
大体、今でいう歴史書なんて観念自体がなかったと見てよい。欽定史書なんてありえない。 そうか春秋があるから一応歴史書という観念はありましたね。
ただ、呂氏春秋とかも春秋という名が付されてたり、かなり大雑把な把握だったような
気がするのですよ。「春秋」も「書経」も一緒くたにされてたんではないのかなと。
それに春秋は歴史書というより、新聞記事のスクラップがそのまま流出したような
感じですよね(甲骨文資料が年代順に並べられて出土したような感じか?)。左伝は違うけれども
本体の春秋あってのものでしょうし。
とにかく司馬遷の頃の史官に歴史編纂の任務なんて本来なかったと思います。
あの親子が勝手に思い込んだだけで。
まあ、こう言った意見も、ほとんど武田泰淳の司馬遷〜史記の世界、の受け売り
なんですけど。 戦国晋だったかどこだったかで、こんなエピソードあっただろ。
史官のAが、権臣Zの主君殺しを記録した。
ZはAを殺害した。
Aの弟BはZがAを殺したことを記録した。
ZはBを殺害した。
Bの弟CはZがBを殺したことを記録した。
Zは史官を殺すことを諦めた。
舞台やら固有名詞やらは忘れたが、この話からすると歴史記録を職掌とする官はあったと思うのだがね。 >>193
『史記』の研究は山ほどあるんで、とりあえず宮崎市定の『史記を語る』などが読みやすくて良いのではないだろうか。
小説家を出発点にするのは良いが、到着点にはしないように。 『史記を語る』は史記の内容の一部は市場の講談に取材したものだとか
趙高が趙の王族だったとか、説得的ではあるが結構アクの強い話をしてるぞ
それに史記は以降の歴代正史と毛色が違ってて文学作品として読む人もいる訳で
小説家の評論をゴールにする人がいても別にいいんじゃないか 宮崎は古代史においては特に大胆で奔放だから
甲骨文字なんて、春秋の鄭時代のもまざっとるとか
西周なんて時代ほとんどないとか
事実はそんなものかもしれないけど、それに基づいて、歴史を
語るには躊躇する 確か犬戎に追われて周が東遷したのと、周が東征して殷を攻略
したのは同じ事件が分裂したものだとかいっていたような
いや、実際はそうかもしれないんだけれども、それはちょっと・・・
という感じ さすがにそれは「実際はそうかもしれないけど…」って受け入れられる範疇を超えてるわ 内藤湖南による『史』という字に対する考察
http://mirror.aozora.gr.jp/cards/000284/files/2609_4360.html
>最初の史と云ふ職務は弓の數取であつたらうと思ひます〜中略
>夫で第一史の職務といふものは弓の中つた數をかぞへる所から、其外の數を記憶する
ことも段々の史の職務になつて來たのであらうかと考へます。
>數をかぞへると云ふことが段々發達しますと、昔は暦日天文の事が餘程大切なことに
なります、數の發達したのが古代では天文の職務であります、そこで大史の職務の中に
は天文の職務が主もなる職務になつて入つて來た、それから段々史といふものが筆を執
つて物を書くやうになつたらうと思ふのでありますが、兎に角史官の起原は然ういふ所
から來た、それは何時代頃からかと云ふと、殷虚の龜の甲に書いてあつた所から觀れば、
殷代には既に在つたらうと思ひます
エドゥアール・シャヴァンヌも太史とは占星の長という説をとっている。
根拠として『周禮』では太史を占卜者の後、占星者の前に置いている
『礼記』では太史は立春の祭に関する職で、天体の運行を調べる役目としている
最後に、司馬遷自身が歴史に登場するときは、公的な職務上としては暦法および儀式にからんでの記事しかない、
これらを根拠に太史は本来は歴史とは関係がない職としている
>>201
神武と崇神が同一人物説とかも似たような発想なんだろうか? 読んでないのに批判するのも何だけど、
その手の発想は結局考古学的な物証が無いもの全部に適用できそうだからなあ。
甲骨文字ってものがそもそも存在してなかったら
夏、商、西周全部まとめて存在否定しそうな感じ。 >>199のは『史記を語る』じゃなくて宮崎市定全集の「史記」に載ってたわ
同じ巻に収録されてたから勘違いしてた
ただ春秋までの歴史については擬古派の左派に属すると自認してるし
結構ラジカルな面があるね 正史はどの辺りから何とか同時代の書簡や公文書、日記と照らし合わせられるんでしょ?
それがないと、他に資料がないから、多少怪しくても信じるしかない、の範疇を越えられないのでは? >>207
漢は木簡なんかの出土資料がある
全く史書に書かれてない事が分かる一方で、史書に載っている行政文書の様式が木簡から確認できたりする
下って宋あたりからは正史はほとんど実録やら日記やらのダイジェスト的な資料価値しかなくなる >>207
そこまでいくと、もう専門家だけの世界になってそう。
それにしても、何で古代は正史くらいしか残らないんだろ?
正史の分量が多いから、これで十分と思ったのかもしれないが。
時代が近代に近ければ、別に正史を参照しなくても、豊富な資料がありそうだが、便利ではなさそうだ 正史が残るだけでも凄いんだけどな。紙や木簡・竹簡は保存の問題もあるし。
日本だって鎌倉時代の文書は室町時代以降の写本か廃棄書類を漆壺の蓋にした
漆紙文書とかでやっと確認出来るくらいなんだし。 そらあっちだって当時のものがそうそう残ってるわけじゃなかろう
凄いのはオリエント。粘土板は砕けさえしなければ、土中に埋まっている状態ではほぼ
半永久的に残るから、3千年くらいまえの行政文書のきれっぱしみたいなものまで保存されている。
古代オリエントに関する正史と言えば、イスラム以前のものは滅んでしまったものが大変多く、旧約聖書とか、
ヘロドトスやトゥキディデスとか伝世されたものは大変少なく、所詮は資料編纂者にとっての外国のことなので、
内容も結構怪しかったりする。
なのだが、粘土板のかけらから今やかなり詳しい歴史が再構築されるようになっている。ちょっと前までは存在自体
が知られてなかったりしてるのにね。ヒッタイトとか。アッシリアなんかは確実な王統譜がBC15世紀くらいまで遡れる
ようだし凄いことだ。
対照的に悲惨なのがインド。貝葉文書とかの保管限度は200年くらいと言われていて、あれだけの
歴史の長い文化地域なのに古代史は結構五里霧中。熱いところは大変ですよ。すぐ腐るし虫が食うし。 殷代後期は甲骨文字のおかげで結構分かるといえば分かる。
かえってより新しい西周の方が分からない。金文なんて断片的だし
甲骨は保存性が良いね。なんで周になってから止めたんだか・・・ その頃は単純に事績を細々残そうと考えてなかっただけなんじゃない? 殷と周じゃ祭祀の形態が違うからね
殷は動物の骨に文字彫ってたから、使用済みの骨は漢方薬くらいしか再利用されなかったけど、周は銅器に文字彫ってたから、銅は鋳つぶして再利用出来るからね
周の方が文化的には後進であるから、細かく記録する概念があまりないとか
記念に銅器に鋳込むことはあったにしても
祭政一致の度合も薄らいできてるし 後進ってのは言いすぎだろ。要は宗教観(という言い方をすると誤解を招くだろうが。)の違い。
周の人たちは鬼神に対してさほど遠慮する必要を感じなくなった。だからいちいち細かいことまで鬼神に報告することもしなくなったし、占いの結果を逐一記録することも無くなった。
現代的観点から言えば、迷信を廃した「進歩的な考え方」になるわな。後進とか進歩とかあまり安易に使うべきでない。 そういうのじゃなくて技術的な部分での話じゃないの?
青銅器とかの製造技術とか。 周も元は甲骨に文字を刻んでたんだけどね。
周の故地から周原甲骨と呼ばれる甲骨文字が発掘されてる。時代は正に殷征服の
直前。でも、いちいち鬼神にお伺いたてて、それを大切に記録してたのは周も同じ。
殷を支配した途端に無くなったのはなぜなんだか?亀卜自体はずっと後世まで尊重
されてたんだけど(それこそ孔子の頃まで)。 後、甲骨文字に関する本を読んでると色々と面白い。
殷周交代に対する正史の伝える内容ってとてもそのまま事実とは取れないものではある。
でも、殷周交代を演出したと言われてる勢力が甲骨文字の中にちょくちょく出てきたりするようで、
あ〜本当にいたのね、と思ってしまう。
しかも、殷王の主要な遊猟地(ってことは重要な配下)として出ることが多いような。
周もそうだし、召公セキ勢力と思われる「召」も出てくる(しかも言及回数が多い)。
「斉」も配下として出てくる。「微」(微子?)も結構顔を出す。
微と言えば書経の牧誓にも出てくる。
〜庸・蜀・羌・ボウ・微・盧・彭・濮の人々よ、汝の矛を上げ〜って奴。この牧誓に出てくる
奴らの半数以上が甲骨文字にも現れていたはず。しかも、羌は敵対勢力として出てくるけど、
後は全部殷に臣従する勢力として出てくるはず。甲骨文字の中では。ってことは周も含めて殷は
味方に裏切られたということなのか?しかし、現存する甲骨文字は帝辛(紂王)時代のもの
まで残ってるけど、周の反乱の兆候すらも内容からは伺えない。むしろ人方という東方勢力への
遠征を盛んにやっている(甲骨文字では〜方と付いたらそれは敵)状態。殷はまったく衰退の
兆候を見せず、むしろ強勢を誇っている最中に突然滅んだ印象(世界史でも稀では)。
一体何があったんだか?
ちなみに、個人的な感想では周が長期間かけて殷を滅ぼしたという平勢説は何か違うような気が
します。甲骨文字からそんな戦争は伺えないし、周は最後まで臣下扱いだし。
長文の独り言すまん 221年6月29日
222年1月1日
222年11月30日
日食多すぎねえ? 皆既オンリーじゃなくて部分食も含めればそれくらいは普通に有るんじゃね?
http://www.hucc.hokudai.ac.jp/~x10553/china/c5.html#AC3
プログラムによる日食予測。3世紀の洛陽のデータ。
221/8/5
222/1/30
223/1/19
旧暦に直せばモロに記録上の日付と一致。
古代文明の日食記録は舐めちゃいかんと思う。 >>222
史書に残ってる殷滅亡時の話からしても、殷は強勢だった、
って印象はあるね。
たいがい滅亡王朝の最後って、だんだんと勢力が衰えていって、
ジリ貧になって、最終的には決戦といえるようなものもなく
終了、って感じが多いのに、
寄せ集め裏切り続出とはいえ、反乱諸侯勢力より数で勝る軍勢(70万もいたかは謎だけど)、
を用意して、牧野で一大決戦行ってるしね。
そういう考古学的な研究から見ると、長年引っかかってた記述なんかも、
個人的に「なるほど」と思えたり。 付け加えておくと、自分も殷周革命は、表だっての戦闘と政権交代自体は
比較的短期間で終わったんだろう、と思う。
経過的には、関ヶ原+本能寺みたいな感じなんじゃないかな。
おー周原甲骨の話が出てくるとは。
周原甲骨で面白いのは帝乙(帝辛の父、つまり紂王の父)を祭祀していること。
ほかに殷王の狩猟についての卜占もある。どうみても周は殷に隷属していたとしか思えない。
そして、周原甲骨には人為的に砕かれて埋められたような形跡があるんだな。
一体何があったのやら ( ̄ー ̄)ニヤリ こういう話になると封神演義がいかにアレかよくわかるなw >>234-235
全くその通りだが殷周時代や封神関連のスレじゃそれが通じない人が多いんだよな
このスレの人たちは違うがよそじゃ創作を元にした創作、物語としてじゃなく
小説どころか歴史書同然だと思ってる奴も珍しくなかったりする >>236
例えば>>233みたいな人間だよな。困ったもんだよ
>>236
たとえばどのスレ?
関連スレはよく見てるけど、史書同然とか思ってそうな奴はほとんどいないと思うが。