【もう一つの】宋・遼・西夏【三国志】
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北宋
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%8C%97%E5%AE%8B
遼
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%81%BC
西夏
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E5%A4%8F
三国の興亡を語れ。 西夏は遼金元と違って、多民族国家志向がなかったと思う
機会がなかったのか、民族固有の性質なのかはわからんけど 今週号のスピリッツで連載が始まったシュトヘルは西夏が舞台らしい 西夏はどう見ても宋に従属していただろう。
仏教を国教としていたそうだが、宗教的にもタングートはシャーマニズム信仰で行政、宗教を漢化する事により従属する姿勢を採ったのでは?
本当は戦争もしたくない弱小国。
従属はしてなかったよ
戦争というか略奪で宋との国境を荒らした。そもそも仏教は純粋な漢文化じゃない
インドから西域を経由して中国に入った物 タングートが元々影響を受けていても不思議ではない
軍が弱体化してた宋は当初遼と西夏が共倒れになってくれる事を期待してたけど結局失敗
どっちにも金や財物を送って周辺荒らさないでねって和議を結ばざるを得なかった
金が台頭すると 西夏はむしろ金に服属の姿勢を見せる。西夏の内乱に際して反乱軍を捕らえてくれた金とは
感謝の念もあったのか滅亡まで友好的な関係だったそうだ。
西夏はチベット高原方面には進出しようとは思わなかったのかな >>83
西夏は末期には、南宋と結んで金と戦っているよ。 李安全が長年の外交政策を転換し、金からモンゴルに乗り換えようとして金を攻撃。
しかしモンゴルは西夏なんぞ属国としか見ておらず、チンギス・ハンに西征の兵を出すように要求される。
しかし西夏は拒否。その結果、怒ったモンゴル軍に攻め込まれ、やがて滅亡…。
長らく同盟関係にあった金をあっさり捨てたからある意味仕方ないか。 加藤徹明治大教授は著書「貝と羊の中国人 (新潮新書) 」で、
宋の趙匡胤はトルコ国家の後唐の近衛兵の世襲軍人家系だからトルコ系の可能性はかなり高いって書いてる。
そら確かに沙陀はテュルク系だけどな
宋をトルコ国家という言い方するのはどうだろうな
ドイツ人とインド人は同じアーリア系です的なもんだろそれじゃ >>89
井上靖の「敦煌」から始まり、基本は岡崎精郎の『タングート古代史研究』
西田龍雄の『西夏王国の言語と文化』 「史学雑誌」「東洋学報」の論文とか
ですかね。 西夏文字で則天文字の「圀」みたいに後世まで使われてる文字ってある? 契丹の遺物を展示してたのを見に行ったわ
豪華な装飾品が多く、いかに遼が栄えていたかよくわかった 東京藝術大学美術館
日中国交正常化40周年記念 特別展
「草原の王朝 契丹 ―美しき3人のプリンセス―」 7月12日〜9月17日
http://www.geidai.ac.jp/museum/exhibit/2012/kittan/kittan_ja.htm 全く伸びなさそうだなこのスレ。
じゃあせっかくだから契丹展にあやかって優秀な皆さんに質問。
耶律阿保機が926年に渤海国くだした後、東丹国と改称して皇太子の突欲を冊立して国主とした理由って、唐朝がキビ統治を行ったことと関係ある?
契丹展終わっちゃったのか
どのみち遠方なんて観に行くのは無理だったけど
図録だけでも手に入らないかな
>>92
西夏が滅んだ後も碑文に使われていたことはあるらしい 明朝、北元、ティムールで三国志状態になったら面白かったのに・・・ \
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tニゝ ちょっと覗いたけど、ここは中英で巧妙に耶律休哥を語るスレでは無かったか。 魏・呉・蜀→晋が統一
北周・北斉・陳→隋が統一
宋・遼・西夏→元が統一
なぜなのか? 西夏(タングート)も遼(契丹)も民族が異なるから三国志じゃねえだろ 五胡、契丹、女真は完全に漢化されたけど
蒙古だけはそうならなかったね 秦漢>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>倭
隋唐>>>>>>>>日本
明清>>日本
日本>>>>>>>>民国
日本>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>共産中国
どうしてこうなった?古代あたりまでは中国の方が遥かに文明的だったのに…
明治維新と日清戦争で完全に逆転したな 【調査】 人類史上お金持ちランキング 1位マンサ・ムーサ、2位カエサル、3位神宗(北宋6代皇帝)・・・米誌TIME
米誌TIMEはこのたび、人類の有史以降の長者番付をまとめ、1位はアフリカ・マリ王国の国王マンサ・ムーサだった。
ローマ帝国のカエサル、北宋の神宗ら歴史上の人物が上位を占めた。今の時代の世界一の大富豪であるビル・ゲイツ氏は9位にランクインしている。
これまでにも全時代の長者番付は試算が行われたこともあるが、1913年の1億ドルを、2013年にの20億299万ポンドに換算して算出している。
今回の調査方法では世界のGDPのうちで、その国家が何%を占めているかという点に着目し、
国家元首の資産として割り出している。ランキングは次のようになる。
◆人類史上長者番付(氏名、推定資産額、生存年)
1 マンサ・ムーサ 世界の産金の半分以上 1280〜1337
2 カエサル 4兆6000億ドル 前63〜後14
3 神宗(北宋6代皇帝) 世界のGDPの30% 1048〜1085
4 アクバル(インド) 世界のGDPの25%支配 1542〜1605
5 ジョセフ・スターリン GDPの9.6% 1878〜1953
6 アンドリュー・カーネギー 3720億ドル 1835〜1919
7 ジョン・D・ロックフェラー 3410億ドル 1839〜1937
8 アラン・ルフス 1940億ドル 1040〜1093
9 ビル・ゲイツ 789億ドル 1955〜
10 チンギス・ハーン 領土 1162〜1227
歴史上の人物が多数を占め、「現役」は9位のビル・ゲイツ氏のみとなっている。
国王や国家元首が大勢を占め、マンサ・ムーサ、カエサル、神宗、アクバル、スターリン、ルフス、チンギス・ハーンが名前を連ねた。
http://media.yucasee.jp/posts/index/14799?la=0003 西夏文字が美しい??
冗談抜きでキモイわ。
あのビジュアルは まるで毛虫か三葉虫。
ハングルは禍々しく不気味で不快だが、
この毛虫文字と来たら もう見てるだけで鳥肌立って来る 北宋って文献も増えてきて政治家をぶっ殺すことがなくなったからかなり面白いのに人気ないなあ。なんでやろ 【福島認知症、認定″】 12日、交差点(52) 11日、通学路(75) 10日、スーパー(55) 9日、線路(70?)
http://rosie.5ch.net/test/read.cgi/liveplus/1528765728/l50
4日連続で、アクセルとブレーキの、踏み間違え死亡事故、発生、原因は放射能しかありません! >>14
そういうの亡くなった西夏の人たちからしたら嬉しいだろうなあ >>43
へー
鉄銭溶かして武器でも作ってたのかな
それともコレクションか 後元・清・順・西・南明・後明(鄭氏台湾)
→清が統一 宋は文治政治などというアホな政治をしたのが間違いのもと
天下を統一したら次は蛮族退治だろJK
遼も西夏もモンゴルも略奪で生計をたてる合同集団なのだ
そんな危険な強盗集団の蛮族が国境の外では跋扈しているのに軍人の力を弱めて文治政治とか、趙匡胤の脳には馬糞でも詰まっていたのか 宋「一緒に遼を倒そうぜ!」
金「いいよ」
↓
宋「うはー全然勝てねえ・・・」
金「いいよ、俺がその分、戦うから」
↓
金「遼滅亡したけど報酬金は?」
宋「そんな金は無い(キリッ」
金「・・・」
↓
宋「金ウゼーし、遼の残党と組んで金を叩こうっと!早速手紙を送るお!」
↓
金「宋が遼に送った使者捉えたけど何だろう?この手紙・・・これは流石にキレちまったよ」 女真「ヒャッハー!石刻遺訓?やっぱ宝の在り処が示されてるんだろうな」
趙匡胤に皇位を譲った柴氏一族を子々孫々にわたって面倒を見ること。
女真「ええ話やん・・・」
崖山の戦いで柴氏の子孫が戦死しているなど宋代を通じてこの遺訓が守られたことを示している
宋滅亡後、趙氏一族は大都に送られ、フビライに厚遇されたという 南明と後明は滅びたけど朱氏は清末まで残った
一方、北元は後金に降伏し
後元はジュンガルにモンゴルを追われ清に亡命したが
どちらのハーンも既にクビライの系統ではなくなっていた 姜維は、諸葛亮の作り上げた軍の残骸から新たな軍を再生しようとした蒋琬の下で、己の指揮すべき理想の軍を作り上げた。
だがそれも、費禕の手によって僅か四年の後に解体を余儀なくされる。中核となっていた虎の子の中軍だけは何とか保つも、それは最早大作戦に対応できるような軍ではなかった。
費禕輔政期、彼は己の軍と、費禕から借り受けたかつての自分の軍を使って隴右への介入を行うも、廖化や張翼に率いられたそれらの軍は戦略的な判断力を欠き、彼の戦略を実現できるような状態ではなかった。 >>120
水滸伝の柴進は後周の末裔だよね。
皇帝のお墨付きは結局役に立たなくて、高廉に拷問されちゃったけど。 日本人の中国理解が深まらない原因
話を戻そう。日本人は、そのような漢文を一所懸命に読んで、中国や中国人を理解しようとしてきた。そして、中国は古来から変わらず、信義に篤く、礼を尊ぶ文化人の国であると信じてきた。
これでは、実際の中国や中国人を見れば、ショックを受けるのは当然である。
漢文に書かれていた、美化された中国人と、現実の中国人とのギャップに出合ったとき、たいていの日本人は中国人を嫌いになり、もう二度と中国に行きたくないと思うようになる。また、それとは逆に「こんなはずはない」と言って、漢文を通じて築き上げた中国人イメージのほうが正しく、現実の中国人のほうが「間違っている」と思う人も珍しくない(中国史学者の中には、そういうタイプの人間が多い)。
これだけ情報化が進み、往来も便利になったというのに、日本人の中国理解がいっこうに深まらない最大の原因は、ここにあると私は考えている。つまり、日本人は中国人に会う前からイメージを膨らませすぎていたために、客観的な観察ができない。情が先に立ってしまっているから、理が働かないのでおる。 る「公」称謂が周代に先行する殷代において〈君主称謂としては〉
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