時間旅行ができたら行ってみたい中国の時代と場所
もしタイムマシンがあったり、超能力が備わるなどして、過去の世界へ時間旅行ができるようになったとする。
そうなった場合、中国史の範囲なら、どの時代のどんな地域へ行って、どんな事件、あるいは風景等を見てみたい? いや。逆にちゃんと祭祀毎の犠牲を立てた甲骨文がむしろ出てる。
犠牲の数などは卜で神や祖先に尋ねて決定され、捧げてのち更に満足したか否か問うのが普通だったらしい。
それは殷の習俗では正しく祭祀するのは王の勤めを行ってる証だから。
殷の祭祀では犠牲は不可欠な為、一回停止しても恒例にはならず次回の祭祀では更に神霊に卜し
神霊が犠牲を立てよ・某数を捧げよと卜して決したなら、また犠牲は再開される。
殷はある種の神政国家だったとされるから、王の意志より神や祖霊の意向が重んじられていた。
その他の政務・軍事に関わる帝辛の卜辞がコンスタントに出ており、当時何事も卜を行い神意を問う殷の習俗から鑑みて彼がきちんと政治を行っていた証明な訳で
伝承通りに政治に倦み遊興に耽った暗君などでは決して無かったのを示してる。 出土した甲骨文字では妲妃なんてのは全く記されていないらしいね
帝位を簒奪した周王朝の捏造ひどすぎだわw >>103
周が日本の皇室的存在たりえたのは五覇の時まで。
以降は以前は王化の外の存在と認識された故に王を称していた楚以外の、周の爵位を受けていた筈の諸国が王を称し
周の王としての権威が相対化されたので、もうそうなれない流れになってしまった。
例えば、戦国時代の大名が以前は朝廷の位階を受けてたのに途中から朝廷を無視してそれぞれ勝手に帝と名乗り始めてしまったようなもので
周は権威の安定化を出来ないまま衰滅の道を辿った。
これは日本の皇室と古代豪族が長らく神の権威をそれぞれ仰ぐ、神政国家まではないが中世までそれを引きずった故に権威化を果たし得たのと違い
周は殷の神政国家から人が人を治める人政国家へ移行したので、完全に王という人そのものの権威権力を背景とするものになったから
王が何等かの形で力を衰えさせたら、支えるものが他に無いという状況に陥ったからである。
神に頼らず人そのものに源泉を持つ権力は成程絶大だけど、個人の力量のウエイトが大きいので春秋戦国時代の実力主義の世界では
当然力の無い王の権威など塵芥の様に見做されてしまう訳。
日本皇室では存在意義とすら言える祭祀も周王のみする天の祭祀や封禅はあったけど、日本程の絶対性を含んだものでなく
各諸侯もそれぞれ祖先と土地の祭祀を普通にやっていた。
ただそれらは日本のように古代からの神の権威を引きずった(その権威は末裔たる皇室や豪族にまで及ぶ)ものというより、大切な儀礼の一環になっていた。
しかも孔子の頃にはある種の主君の諸侯と臣下の士大夫らとの年次契約更改の場という、世俗性の高い意味合いが大きくなっていた。
そこに諸侯を支える権威に神など別の存在は事実上介在すべくも無く、人対人の関係があるのみである。
人との関係が崩れたらそれまでの権威、それは周が殷を滅ぼし人以外の政治的権威を否定した時点で不可避の事態だった。 日本の場合はヤマトが諸勢力との緩やかな連合で成り立ってたって言われてるね
実際には王も何度か入れ替わってるようだけど決まった枠内でのトップ争いでしか無かった
殷→周みたいな王朝交代とは根本的に違うもんな 織田信長とか徳川家康が天皇家に対してどう考えていたのかってのが気になる
信長は途中で死んでしまったけど、徳川幕府は初期は幕府が朝廷を統制する感じだっただろ
もし徳川家が朝廷を廃して徳川王家になっていたとしたら…
幕末には天皇家が無くて日本を一つにまとめるものがなく
列強に分割されていたかも?と考えたことがあって
戦国末期だってキリシタンが意図のあるなしはともかく
結果として外国勢力を引き込んで植民地か独立地域を造ったりしたのかも?とか
何かの本で見たんだけど天皇家が衰退していって
都から遠いからか東日本のほうでは天皇?何それ?おいしいの?
くらいに気にもされてなかったとか…
それで同様に周はいちばん期間が長いし、
もし中国大陸で周が権威だけの存在であってもずっと続いていたら
清末のようなグダグダは無かったのか?と考えた。
ただ大陸の場合は漢民族の間でも違いが大きいし
隣りあう他民族も多くて活発で文化も違いすぎるから
日本の天皇家みたいには成れなかったのかと考えた。
あとついでに
日本に武家政権時代が来なかったら朝鮮の李朝みたいになっていたかと考えたこともある
以上駄文すまそ うーん、東日本で天皇なにそれ?状態は徳川家斉の頃に実際起こった。
この時家斉の余りに長い政権&大御所時代でいつの間にか儀礼の格式まで東西逆転し、将軍家の儀礼上の格式が朝廷を凌いでしまった。
何せ天皇が代替わりしても江戸で家斉が居座って安定していて、家斉の子女をあちらこちらの大名家に養子として送り込み
男子を送り込まれた大名家はその子を次代藩公としなくてはならなくなったので、各地の大名家は徳川将軍家が事実上の宗家になるという異常事態にあった。
その為書式などは朝廷より将軍家宛のものが上位の扱いに変化した。
その結果、徳川将軍家が家斉の死後しばらくたっても完全に日本の最高の家に見做されてしまった。
しかも当時の人々が天皇や朝廷を意識するのは、代替わり毎の崩御に伴う歌舞音曲の遠慮と年号の変更だけという有様だから尚更の時代背景があった。
だから明治になって幕末時の幕府の状況を聞くべく、歴史家たちが当時幕府に勤めていた人々に話を聞くと
彼等は口を揃えて家斉こそ徳川時代で最高の将軍で、幕府にとりその治世が栄光の時代だったと答えたという。 征夷大将軍の肩書きで幕府開いてるのに天皇退けるならそもそもの大義名分がなくなる
中国みたいに易姓革命の世界になるわな そう、征夷大将軍職にしろ源氏長者や太政大臣など徳川将軍家が歴任されるものは全て朝廷からの叙任。
大名のは武家官位で少々扱い違うけど、将軍家のは間違いなく朝廷の叙任だった。
だけど家重以降は「代替わりしたから位階くれや!」と幕府が言うと
朝廷は「ハイハイ勅使送りますね」という有様で、年号も幕府主導で名目朝廷が発令してるけど実態は幕府が決めてるという状態。
黙って権威付けさえしてくれたら、幕府的にはいつまでも朝廷は居たらいいよな感じだった。
それに封禄も皇室より実際に公家を統括している五摂家を厚めにしていた。
綱吉の時にも身分の低い母に高位の叙位を請うて認められるなど、前々から無理は利いてたけど。
それ故水戸学者や国学者などは幕府に対して僣上の極みとブチ切れになってた訳で。
でも家斉の子供押し付けで各地の大名家を内部から徳川色に染め上げ、それが徳川の権威を最大に高めたけど
それに伴う各地の大名への無理が結局倒幕の流れを醸成したのだから、まあ何だかなあではある。 王朝交代時の勝った側の今でいう戦争犯罪を調べてみたい
勝った側(新王朝)が負けた側(旧王朝)になすりつけているとかありそう まだ乞食坊主だった頃の明太祖をぬっ殺す!例えホームレス殺しと罵られても。 ていうか新婦用ってあの後どうなったんだ?
ケイカは始皇帝にズタズタにされて新婦用は何も出来ずに立ち尽くしていた
って所で終わってるんだが
当然処刑されたんだよね? だよね
その立場だったら「私は何も知りませんでした!!!!」って必死だと思うけど
まあ結果はそうなるよね シンプヨウって恥晒すためだけに名前残してるな・・・ しょせんチンピラなんてそんなもん
ケイカもそれを指摘したのにな
ただ待てど暮らせど来ない「信頼できる人物(名前不詳)」の話は
実際はできればやりたくなかったという可能性も否定出来ない 350年頃の洛陽でリアル北斗の拳かどうか確かめたい タイムスリップした先が、
殷の紂王の、炮烙の刑の焼けた銅柱の上! もしくは項羽によって今まさに穴埋めにされてる最中の捕虜とかな >>110
何かあれば滅ぼしたかもしれない
実際に魏も晋の官職である正卿の地位に
周から諸侯と認定された後もずっと就いていた
周が韓の圧力で秦を覇者にしたから夏王を名乗ったわけで
周が魏を覇者にしていれば王は名乗らなかった
日本だって反発がなければ皇室を消したい奴はいただろう 過去の人物の姿を見たいと思ったけど多分がっかりするだけだろうな
美人だと言っている画像を見てがっかりするだけのように 歴史の事実は痛切とは嘘だと思うけど
孔明とか見たいと思ったけど他の人物でもがっかりするだけだろうな >>131
美人だあるいは可愛いと言われて画像を見に行って大したことないなとしか思えないからなあ
というか有名人含めて魅力的な顔ってない、、、
顔が整っているから美人なんだとは思っても魅力を全然感じない
ダッキも(いないらしいけど)ホウジも西施も虞美人も則天武后も大したことないんだろうな
後宮の美女も、整体号であれだし、写真見てもろくなのいない、、、 どうでもいいけどトロイや戦争の原因のスパルタの王妃ヘレネも
何か前調べていたら娘がいて、それも結構成長してるんだよなあ、、、
女神に世界一の美人を願ったら、日本の婚活オバサンを渡されそう、、、 古代中国人がインド人みたいなので始皇帝がカレーを食べていたりして 昔、鄭の国の武公は胡の国を討伐したいと考えていた。 天下に正しい道が行われているならば、私は誰かと一緒に世の中を変えようとはしないのだ。 堯や舜はいないか、いても聖人じゃないな
肉刑をやっていたらしいし 龐萌は、光武と同格か、それ以上だな。更始の方面軍としては、かなり優秀。光武が龐萌に「私の幼子をたくせる」と言ったのは、ご機嫌とりだったのだ。ほんとうに、腹心だったのでない。光武は、ウソばっかりだ。