中国の姓・名・字・諡号
日本人には何かと分かりにくい事の多い中国の姓・名・字・諡号について語ろう 字は自分でつけていいらしいかんね
長子なら伯とかつけたらそれらしいのができる
もっとも使う機会がないけど 春秋や戦国はよく知らんけど秦楚漢の頃は字が一文字の人が多いよね
三国になると基本二文字の人が多いけどこういうのは時代の流れ的なもんなのかな? 氏姓や名は時代や出身により二字になったり一字にされたりと外的要請で変わったけど、字の字数規制は一度も歴代王朝から発令された事が無い。
完全に時代の流行みたいなもんだろな。 こないだ欧陽姓の女性にあった…本当に二字姓ているんだな
あと蒙古族で姓作ってない人がまだいるってことにびっくりした
復字姓への憧れは日本で言うところの武者小路とか小鳥遊へのそれに似てんのかね
後最近古典好きの学生が字を作ってたりするけど道楽止りで文化として再興するとはとても思えなかった 欧陽菲菲くらい知ってるわww
その人とはその話で盛り上がったよ
あと欧陽詢と欧陽脩で有名だよねって
実際に現物を見たのが初めてだったからびっくりしただけです 毛沢東(潤之)や蒋介石(この人は字のほうで通ってる)のころまではあざなを持っている人も多かったのだろうが、
公用を止めた途端たった60年であっさり消えてしまうとも思えないところが復古ブームよ 後漢初代光武帝から。
昭は明かである事と照に通じ、光に符合
烈は武威の嚇々たる様を示す。
良かれ悪しかれ後漢末の人々にとり、光武帝は一度は滅びた漢を再興した良き後漢の栄光の象徴みたいな存在で憧れに近い人だった。
それ故、蜀の朝廷は(当時正式な国号は漢)劉備に漢の再興者の思いを込めた諡を奉じた。 >>174
へーへーへー
そんな深い意味有ったんだ
全く知らなかった 昭烈≒光武は史書やその注釈とかには書かれてないけど
三国演義の毛宗崗本にあったと思う http://i.imgur.com/O3Ezd0V.png
赤字が毛宗崗批評
しごくまっとうな解釈と思うけどなぜか史書には出てこない 一番大きな血縁関係のくくりが姓で
そこから居住地や職業などに応じて枝分かれしたのが氏
みたいな感じ 斉の田氏はもう分けれくれよ!っていつも思うけど広がっていったら分別氏とかできたのかな? >>180
楚漢戦争終了後、劉邦が斉の田氏を軒並み長安に移住させた結果、
第一、第二、第三、……という氏に変化した
漢書か後漢書に、第五氏と第八氏の列伝があるはず 日本だと苗字が名字になってしまうが
中国は百家姓と周辺民族由来、あとは役職かな
日本は姓があるから名字を変えても遡れるが
成りすましや新平民がよくわからない名字を付けるようになり今に至る
中国ではさすがにないだろう?家を偽るようなら改姓は上から下る話だからな こうなんだってよ。
中国人は六千年前から七千年前に存在したたった三人の男性の子孫が四割を占めるといわれています。
これがその記事。
http://jump.2ch.net/?www.ncbi.nlm.nih.gov/pmc/articles/PMC4149484/figure/pone-0105691-g001/
三人は、
Oα M117 (周王室、隋皇帝の祖先)
Oβ F444,F46 (何? どの型?) ←どうせ唐の太宗の子孫とかじゃねえの?
Oγ 002611,F11 (漢皇帝の祖先)
これは、遺伝子が優秀なのではなく、歴史上、地位が高かったからだね。
周王室の遺伝子と漢皇帝の遺伝子だ。あと一個がわからないけど。
この三人の男性は一億人以上の子孫を残したことになりますね。 中国人の四割を占める三人の男性の正体とは?
Oα M117 (周王室、隋皇帝の祖先) M133(秦→唐→宋)と同祖。
Oβ F444,F46 (何? どの型?) ←唐の太宗の子孫じゃありませんでした。誰の子孫なんでしょうか?
Oγ 002611,F11 (漢皇帝の祖先) わかりました。
中国人の四割の祖先となる三人の男性は、
Oα O3a2c1a (周王室の祖先) 隋と同祖。秦、唐、宋も同祖。
Oβ O3a2c2 (北魏の鮮卑族の拓跋氏の祖先)
Oγ O3a1c1 (漢皇帝家の祖先)
です。 不勉強ながら、中国皇帝家のY染色体ハプロを書きます。
殷 O2a-M95 (O3だという説も有力)
周 O3a2c1a-M117(確定。この子孫は大繁栄した)
秦 O3a2c1a−M133(始皇帝は周王室と同祖)
項羽 O3a3b*-M7
漢 O3a1c-002611
曹魏 O2*-M268(xM95)
孫呉 O3*-M122(xM324)
晋 O2*-M268(xM95)
北魏 O3a2c2−F444(どうやら北魏の鮮卑の拓跋氏の子孫はO3のハプロのようだ)
隋 O3a2c1a-M117 (周王室と同祖)
唐 O3a3*-P201(xM7,M134):O3a2c1a−M133(唐は始皇帝と同祖)
宋 O3a2c1a−M133(宋は唐と同祖)
元 C2e1a1a−C407(有名なチンギス・ハンの子孫)
明 O2*-M268(xM95)
清 C2b1c1−C401(ヌルハチの子孫)
おまけ。
孔子 O−F316(O3で周王室と同祖になる) >>188
かなり昔から出ている説だが
周がF444
殷がM117の可能性がある >>126
班超みたいに西域に飛ばされた漢民族だっているんだから。 >>185
隋は周の子孫だったのか???
やはり周も異民族か >>188
呂不韋は陽的の商人だし周王の子孫だったのか >>193
周王朝の姫氏は禹の後裔とされ禹の先祖は遼東半島北部の移民だったと思う
ただ禹の時代から周王朝誕生までの期間が約2000年あるんでその間に黄河の北側には既に氏族として存在していたと思われる >>195
何でもハプロ(Y染色体、男系子孫に伝わる)では
周は東の出で、殷は西の出というように、本拠地と逆になるらしい
ついでに秦も遺伝的には東らしい
これが秦王系統なのか始皇帝系統なのか不明だけど >>158
アメリカを嫌うのにアメリカの名前を付ける
アッカド王がシュメールを嫌っていなかったと言えるのであろうか 季は四男とあるが
斉の君主の長男が季子だったりするから後継者という意味があるんじゃなかろうか 他人に損害を与えることがさらに多いからである。仮にも他人に損害を与えることがさらに多ければ、その不仁はますますひどく、罪はますます重い。 このようなことは世の中の君子は、皆知っていてこれらを非難し、これらを不義と言っている。 >>198
季で「すえ」とも読むんで
四男に限らず末弟の意味も
>斉の君主の長男が季子だったりするから後継者という意味があるんじゃなかろうか
そういう意味合いはないと思うけど 末っ子か四男かと思いながらも
斉の季子、サイチョの先祖が弟に譲ったってあって
兄なのに季なのかって思った 丁公(ていこう)は斉(姜斉)の第2代公。周の成王が重用し、康王の治世では大臣に任命されている。
丁公の嫡子の季子は、斉公の継承を固辞して弟の乙公に譲り、自らは崔邑(現在の山東省済南市章丘区)に隠棲して、崔氏の始祖になったと伝えられる。 乙公(いっこう)は斉(姜斉)の第3代君主。兄に季子がいたが、斉公の継承を固辞して弟に譲り、自らは崔邑(現在の山東省済南市章丘区)に隠棲したことから、斉公の地位を継承する。 姫姓が最高位っぽいが、結局は晋とか中山とか異民族に与えている
漢が匈奴に劉を名乗らせた?勝手に?ようなものか 仮に中国人に生まれるならと考えても香港やマカオでないと良くないが
差別される南の人間だし
共産党幹部でさえ外国に逃げたがる
そして集金兵や胡錦涛の子に産まれても権力は握れるかどうか 親孝行で行いが廉直であるとして抜擢された「孝廉」が当時のキャリアであり、これに受かると、郎から少府の部局である「尚書」へ、そして皇帝の近側の官である「侍中」、「侍御史」へと累進し、途中で地方官(県の令、郡の太守、州の刺史)に出向し、中央に帰って丞相府の官署に配属される 強い軍隊には、質の良い兵隊が不可欠です。ここで言う「質の良い」とは何を表すのか?命令を理解し、指示に従順に従う事を言います。軍隊は集団行動ですので、集団行動に適した人間である必要もあります。 将軍は義に厚い壮士であって、敵の鉾先を砕き難局を克服し、功業を打ち立てた当時における重鎮だった。
黄漢升を賛える >>191
廟号は付いた文字通りな功績に近くて人物のイメージを作りやすいな