【李陵】中島敦【山月記】
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中島敦の作品には中国古典を題材にしたものが多くあります
ちょっと語ってみませんか。
うちの高校
山月記を全部暗誦できたら国語10なんだけど
出来たやつ10人以上いたかも >>50
いい高校だな。
うちの高校は、教師が人生論にしてしまっていたよ。
科挙に合格して賤吏とは何事だとか、
下積みで辛抱できない人間は、
失敗する典型的な人間だとか、、
で、その当時は中島敦は好きになれなかったというか、
ほとんど意識の外だったな。
その後、ちくま文庫の全集を読んで好きになったな。
特に「名人伝」は好きで、全部暗誦できるよ。
「山月記」、「牛人」も江守徹の朗読を何遍も効いているから、
主なところは、暗誦できる。
三月記について質問です。最初、李徴は袁さんのことを「故人」と言っていますが、途中から袁さんが李徴に言ったのと同じように「友」と呼ぶようになっています。
理由が分かる方がいらっしゃれば是非教えてください。
>>53
李徴の自尊心の高さを念頭に於いてくれ。
最初はあくまで「故人=旧知の人物」であり、気障でよそよそしい感覚。
友と呼んだ頃にはそんな虚飾を投げ捨てて気を許している。 和歌でない歌?
?http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%92%8C%E6%AD%8C%E3%81%A7%E3%81%AA%E3%81%84%E6%AD%8C
遍歴
??ある時は淵明(えんめい)が如疑はずかの天命を信ぜんとせし
?ある時は李白の如く醉ひ醉ひて歌ひて世をば終らむと思ふ
?ある時は王維をまねび寂(じやく)として幽篁の裏(うち)にひとりあらなむ?
ある時は阮籍(げんせき)がごと白眼に人を睨みて琴を彈ぜむ?
ある時は老子のごとくこれの世の玄のまた玄空しと見つる?
ある時は巣父の如く俗説を聞きてし耳を洗はむ心?
遍歴(へめぐ)りていづくにか行くわが魂(たま)ぞはやも三十(みそぢ)に近しといふを 中島敦かっこいい。
でも、読み始めが漢文とか混じっててとっつきにくいな。
漢文読めないから。
山月記はあんまりだが弟子がよかった。
あとパラオの日記と小説は名作が多いな。 山月記を高校の教科書に載せるのはいいけど
高校教師が教えるのは腹が立つな
何時間もかけて段落分けたり、一行一行「筆者の気持ち」とか、記憶もできない単語メモったり、
トラの状況を無理やり現代人の全員に当てはめたり
それなら音読CDを何周も流し続ける方が何倍も有益。あとは自分で考えろ、今はわからんくてもいいって感じで。
正直高校生で作者がなんであんな作品を描いたか共感できるやつがいたらあぶないわ 自尊心と羞恥心のせいで虎になるってどういう理屈だよ
意味わかんねえよ >>58
2chでは、自尊心と羞恥心を抱えた虎が、あちこちで吠えまくってるんだぜ
見たこと無い? 無い
比喩としても低レベル
何も感じないし何も価値がない
ただ勘違い負け犬が浸ってるだけのゴミ
人殺したから罰で虎になりましたって方がシンプルで美しい
明らかに改悪 “己が玉にあらざるを潔しとせず”で、虎に変容しちまうんだろ?
いいじゃん、虎だよ虎!シャクトリムシとかミソサザイとかに
されてもよかろうに、強くてかっこいい動物になるとは。 文体は神がかってるけど
元ネタありきってのが中島敦を微妙な評価にしてるんだろうなぁ…
俺も虎に変身する理由はオリジナル人虎伝の方が納得いく。
中島敦は自分がオリジナルから変えた部分と整合性が取れるように
虎に変身するという部分も丸々変えるべきだったと思う。 人虎伝では虎になった理由として李徴が袁サンに答えたのは、
「わたしがいつも忘れないことがある。南陽城の郊外で、かつてある後家とねんごろになった。
その家人はひそかにそのことに気づき、いつもわたしを殺害しようと企んでいた。
その後家は、それからは二度とつきあえなくなった。
わたしは、風につけこんで火を放ち、一家数人、ことごとく焼き殺して逃げたのである。
これが心のつかえなのだ。」
ここでは残虐な行為の報いという因果応報が明確にされてるね。 山月記だとこの部分は外されて、虎になった理由は実ははっきりしていないんだよね。
李徴は理由を色々考えて、納得の行く説明をつけようとしているけど、
彼がそう考えているだけで、結局は分からないまま終わっている。>>69
中島が後家殺しの部分を外して、虎になった理由をはっきりさせなかった理由は、
「理由も分からずに押しつけられたものをおとなしく受け取って、
理由も分からずに生きていく」人間の生き方を描く意図があったんだろう。 例えば、ある部分で李徴は
「人間はだれでも猛獣使いであり、その猛獣に当たるのが、各人の性情だという。
おれの場合、この尊大な羞恥心が猛獣だった。虎だったのだ。」
と自らの性情が理由で虎になってしまったと語る。
ところが別の部分では違う理由をあげていて、
「本当は、まず、このことのほうを先にお願いすべきだったのだ、おれが人間だったなら。
飢え凍えようとする妻子のことよりも、己の乏しい詩業のほうを気にかけているような男だから、
こんな獣に身を堕とすのだ。」
と詩にかまけて愛情に乏しい人間だから、虎になってしまったのではないか、と考える。
さらに別の部分では、
「いったい、獣でも人間でも、もとは何かほかのものだったんだろう。
初めはそれを覚えているが、しだいに忘れてしまい、
初めから今の形のものだったと思い込んでいるのではないか?」
と、何かから人間になり、今また虎となったのではないかとも考えている。 理由も分からず押しつけられたものを〜っていうのは中島敦の他作品にも頻出のテーマだよね ダメだどうしても分からない
第三段落の問題で
李徴の運命観を述べた部分を、一続きの二文で本文中から二カ所抜き出し、それぞれ初めの五字を示せ。
これって第三段落の中から探さなきゃダメなのかな?
そうじゃなかったらきっと
1 これが己を
2 本当は、先 「弟子」も「名人伝」も「山月記」も面白いのに、
なんで一番つまらない「李陵」が短編集のトップなんだろ。 図書館で借りた評伝「夏雲」が面白かった
奥さんの話が切ない
一緒に岩波文庫も借りてきた(山月記以外知らんかった)
初めて読んだ狼疾記はモダニズム文学という感じでびっくりした 中島敦は、日本でもっとも早くカフカを読んで評価していた一人らしいけど、
やっぱり「山月記」は「変身」にもヒント受けてるんだろうね。 短編なのに読後感は長編一冊分
誰とは言わんが短編で十分な題材を引き伸ばして長編にするよりは良心的 >>51
俺のとこの高校教師もそんな感じだったな
そもそも、全く共感するところがなかったんだろう
教師になって安定した生活ができて人生成功と思っているような人種にはな
俺の方では、当時、カフカとか安部公房を好んで読んでいたから、
ああ、カフカの亜流かくらいにしか思わなかったな
あの頃の自分と教師を小1時間問い詰めたい おれは先日、志賀直哉スレで次のような書き込みをした。
みなさんは、志賀直哉をちゃんと原文で読んでますか?
旧仮名遣いの原文で読まないと意味がないですよ。
どこの馬の骨か分からん奴が書き直した現代仮名遣いの文章なんて
ただのゴミですよ。
そうしたら、原文なんか読んだことのない無教養な奴らが、悔しさで怒り狂って
大変なことになった。 霧雨の魔理沙は博学才穎、旧作時代、早くから名を東方に連ね、ついでWin版自機に補せられたが、
負けず嫌いでひねくれ者、努力家で勉強家だが、そのことを人に知られるのを潔しとしなかった。
いくばくもなく実家を出た後は、迷いの森に帰臥し、妖怪と交りを持って、ひたすら弾幕勝負に耽った。
跡取りとなって魔法の道具を扱ってない霧雨店を継ぐよりは、霧雨魔法店で魔法の品を扱おうとしたのである。 >>71
多分漢学者の血じゃねえの、血肉になっていたとはいえ忌まわしくもあったと思う
やたら英文学に没頭したのもその反発からだと思う。
年齢的にそれを諦観で受け入れるかどうかの境目だったと思うから、そういうテーマ
が多いのだと思うよ アニメ バケモノの子のモチーフが悟浄出世だった。
死後70年以上経ってアニメになるとは。
主人公のバケモノのキャラクターは悟浄出世の孫悟空そのもの。 難解
存在論的差異は既に架橋されているのか
虎としての原罪からの跳躍という観点から見た『山月記』
兼本浩祐
https://web.archive.org/web/19991104111843/http://www.bekkoame.or.jp/~penta2/Knemtoppr14.html >>90
言わんとすることはそう難しいことではない
哲学用語で書いてるから意味不明なだけ ここ20年、大晦日は山月記をよんでいます。
今年も反省の年でした。 こんなスレが有ったんだ。
悟浄出世や名人伝も好きですが
プライドと実力の間で今年も足掻いたので
やはり晦日は山月記を読んで、一年を悔います 男性の方でしょうか?
プライドと実力の差で悩みますよね。
大晦日に山月記っていい習慣ですね ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています