補給・兵站を語ろう PART2
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中国では、万一自軍の補給拠点が奪われた時の備えとして
自分らの食糧の一部に糞尿や毒薬を入れたと聞きます。
三国時代の袁術が部下の孫堅に送った兵糧でも同様の被害が出たとか。。。
前スレ
http://hobby9.2ch.net/test/read.cgi/warhis/1136422769/ 籠城戦の究極の補給は、安録山の乱の時の、
張巡とかだろうか。 遊牧民族は家畜が食料源であり資金源で補給拠点と共に移動するわけだから
補給線というのは存在しない。 そもそも、補給・兵站って出来て当たり前の話だよね?
孔明入る前の劉備軍団は、管理部門が適当だったから補給や兵站がダメで
攻めたいときに攻められなかったりしたってのは聞いた事あるんだけど。
どうも、弁当だのハンカチ・ティッシュだのを忘れたまま
学校に行ってしまう小学生のような印象なんだが 補給は緻密な計画が必要だからね
流浪の集団に、それを求めるのも酷なような気もす >>14
いや、家畜と共に移動してたわけじゃないよ。チンギスの遠征なんかに羊が
付いていったら邪魔なだけ。 というか遊牧民は家畜が中心なんだが、
家畜の産卵を中心に生活が営まれてるから、家畜が産卵しやすい気候なり
風土を選んで定住するんで、むやみに家畜を連れまわすのは無謀なことらしい。
それに騎馬中心のモンゴル軍に、家畜が終始一緒じゃ機動力が失われる。
モンゴル軍に補給が不要だったのは、一重に戦術面で最強だったから。
食糧なんかは基本的に現地調達。 >>18
家畜と共に移動していたわけではない、と言い切るのもどうかと思うが。
チンギスのホラズム遠征の場合はシル河まではずっと草原で現地調達なんか
出来ないし。
遊牧民は敵の領内に侵入する前に輜重をまとめて置いていくことが多い。
モンケが四川に侵攻したときは長安の西の六盤山に輜重を留めているし、遼の
太宗が太原にやってきて後唐軍を破った時も輜重と戦えないものは後方に
置いてきている。ただしその中に家畜が含まれているかは分からないけど。 >>16には蕭何がどうして功第一等に評価されたかなんて
理解できないだろうな 食糧や武器弾薬の調達は当然として、車や馬匹、牛の調達、
輸送に適した道路の選定、中継基地を設ける場所の選定、
そしてそれらの要素を組み合わせ、実際に軍隊を前進させる手腕。
こういった事の苦労と難しさを知っていれば、「出来て当たり前」とは言えないよな。 五代後周期、北漢の州都晋陽に攻めた世宗は、次第に欠乏していく物資の調達に苦しんだ。
その際布告したのは、攻略した敵州の領民は既に自国民となっている、として
自国の徴税を課して、食料調達に及んだこと。
それは新領土として統治がはじまっていないのに、この仕打ちは領民をしてそっぽを向かせた愚策だった。
この後、北漢軍の逆撃のため後周遠征軍は退却を余儀なくされたが、もともと早すぎる侵略作戦だったので
成果のないまま引き上げざるを得なかったのも当然。
また、征淮南の役では、淮河や江北一帯の渇水期を狙っての出陣で、
水軍を使わずとも江北一帯を席巻するはずだった。
しかし、寿州でてこずったため、十分な軍事展開ができず、ついに雨季に突入し
淮河その他の水源が水にあふれ、兵站線はそのために寸断されてしまった。
水軍を軽視し用意不足が祟った結果、最前線には物資の補給ができず、兵たちは民家に略奪を働いた。
そのせいで、江北住民の忌避を買い、白甲軍という抵抗勢力を生んでしまった。
中国統一への気運が高まっていた時期の英主として名高い後周の世宗だけど、
以上のような手痛い失敗はやらかしている。
それくらい補給というのは難しいし、民衆もまただまってやられてはいないのだった。
ただこの後、巨大戦艦を建造して、再び淮南に乗り込んだわけで
同じ失敗を繰り返さないところが、英主たるゆえんか。
ちなみに、対する南唐では江北に屯田させていたのだけど、その負担を民衆にも課していたので、かなり苦しんでいた。
後周軍を解放軍と期待した淮南の民は、しかし略奪行為で裏切られ、武装して沼沢に拠って抵抗した。
その後、再び世宗が江北へ親征したとき、略奪行為を一切禁じる命を出し、よく守らせたので
今度は民衆のほうから、食料を提供してきたという。
まぁ、それでも軍全体を養えるほどの量ではなかったのは当然だろうけど。 そう考えると曹操の屯田制は当時さぞ画期的だったんだな >>24
蕭何が勲功第一等なのは、韓信が滅ぼされたからなのでは?
とはいえ、一戦だけであれば当たり前のことが
戦争が長期にわたった際、当たり前をやり続けること自体が力に転化していることを
高祖は感じていたんだろうね。
補給物資の不足ゆえの、略奪→人心乖離>>27や撤退→無駄なロスがなくなるし
兵をも補充しつづけたことから戦術的な失敗すらフォローできる。
こういう粘り強い漢を相手にするのは、敵は嫌だったろうな。
まあ、「一等」なのは補給だけでなく、生産拠点を治め続けた手腕(内政)も加えて評価されているのだろうけれど。
当たり前をやりつづけるのは難しいし、力になるって話ならわかるつもり。
>>26
補給・兵站の裏付けなく戦争するということ自体
マトモじゃないというか
弾が無いのにどうやって鉄砲撃つんですかとか
三日飯食ってない人間とたらふく食った人間どっちケンカ強いですかとか
鉛筆ないのにどうやってノートに字を書くんですかみたいな。
「戦争するなら」出来て「いて」当たり前って言い換えるといい?
まあそうも言ってられない事情もあるのかもしれないんだけど
開戦するときには。 >>33
弾薬がない、はまだマシとも言える
銃が無いのに戦争に駆り出される兵隊が、近代戦ではたくさんおった
栄養のあるメシが喰えないから、戦争になれば病死の方が戦死者を上回る
みんながみんな>>33みたいに頭が良いわけでも、有能なわけでもないと言うのに いろいろ意思に齟齬があったようだが、16さんは別に補給や準備にかかる作業を軽視しているわけではない、ということ?
補給ができて当たり前、というのは、戦争をする、あるいはさせる側が万全にできていて当たり前、という意味かな。
先のレス16では、どんだけ鈍臭いやつでもできて当然。そんなことはいいから、お前らさっさと戦って来い!(ワシの手柄のために!!!)
と言ったように、すくなくともおれには見えたw
…というのは冗談だけど、補給や準備に思考がわまらない、あるいはそんなもん後でもできるんじゃ、というやつは、バーチャルでも上司に持ちたくない。
だが、補給や先を見据えた上での準備というのは、視野と思考と構想力がないと、なかなかに難しいもんなんだと思う。 >>33
その当たり前だと思っている事が出来ていない場合が殆どなんだよ。
ナポレオンも、戦争の度に食糧や馬匹、車両の調達に腐心したが、
遠征軍の物資を賄い切る程は調達できず、
結局、かなりの部分を現地での徴発と、敵貯蔵庫からの強奪に頼らなければならなかった。
モルトケの鉄道輸送も、線路の破壊や、駅での積み下ろしの不手際などで、
計画通りに補給する事は出来ず、多くの食糧を腐らせたり、
多くの弾薬を後方に置き去りにしたまま前進したりした。
20世紀に入ってからも補給の困難は同様で、バルバロッサ作戦やオーバーロード作戦でも、
補給を計画通りに行えてはいない。
やらなければならない事であっても、出来ていて当たり前などと言えるほど簡単じゃない。
兵站計画が完全でなくて、しばしば勝利を収める事が出来るのは、
ナポレオンの言うところの、戦争の4分の3を占める、精神の要素によるものなのかもしれない。 >>34
すいません、私がアホでした。
蕭何の功績すら知らなくて>>24に言われて初めて調べた者です。
>>35
会社の物品担当や会計担当を見て、ある程度は想像できるつもりですが。
とはいえ
素人は戦術・戦略を語り、玄人は補給・兵站を語るというフレーズを目にしたことがありまして。
その重要性が未だ腑に落ちていなかったので>>16では挑発的に書いた部分はあります。
反論してくださってありがとうございます。すみませんでした。
>>36
豊富な実例をありがとうございます。
改めて文献に当たってみます。 >>34
確かに従軍中の病死は多いね。
実のところ、衛生管理が非常に重要だったと。 明日はD-day,the Longest day.
6月 ノルマンディ上陸
8月 パリ解放
9月 連合軍ライン河到達←実はここで補給切れ、進軍停止
11月 マーケットガーデン作戦←失敗
12月 バルジ反抗
圧倒的物量を誇り、補給難という言葉を知らないのでは無いかと思われてさえいる第二次世界大戦のアメリカ軍でさえもこんな感じ。 ああっ、マーケットガーデン作戦は9月末だっ。
スミマセン オーバーロード作戦は、1年半も前から準備を行い、緻密な兵站組織を作り上げたが、
緻密すぎて冗長性を欠いたりとか、マイナス面もあったからなぁ。
作戦が進むにつれて、種々の要素によって輸送能力が低下し、
それが前線と後方との間の摩擦や軋轢を生み出し、
その摩擦が規律の失われた徴発などを生み、更に輸送能力を低下させる。
人間がやっている以上、どれだけ入念な準備をしても、
敵の抵抗や、自軍の輸送能力や物資消費量の、過小評価や過大評価などが生じ、
実行の段階で計画との乖離がどんどん大きくなる。
そもそも、満足な準備ができるだけの時間が与えられる事の方が少ないし。
兵站を考えるのは難しいね。 モノが沢山あっても、必要な場所に必要な物をキッチリ揃えるのは並大抵のことじゃないね。 アイゼンハワーの提唱した壁のような前進てのが補給への負担となった
モントゴメリーの北方重視案が採用されていれば補給の負担は減ったと思われ アイゼンハワーは、「アントワープ港を制さなければドイツ心臓部への突進は不可能」
と考えていたようだね。
補給戦の著者であるマーチン・クレフェルトは、ギリギリながらルールへの突進は可能としているけど。
それでも、ベルリンまでの前進は不可能な上、危険極まりないとは言っているが。 カルタゴの名将ハンニバルは、ローマ駐屯中の16年間で本国からの補給がたったの
二回だったということだ。 しかもスペインからフランスを横断してのアルプス越えなので
完全に敵地に孤立していたので、実質的に補給という概念はなかったということになる。
まあだから最終的に負けたのか分からんが、戦術的に最強なら補給という概念を喪失
しても相当な形で戦えるということなのかもしれない。
遊牧民族であるモンゴルが、輜重隊のみ引き連れて、あとは敵地での略奪に頼っていた
形で世界を制覇した点も興味深い。
敵地を陵辱し尽くせばいいんだよ。さすれば補給は必要ないよ。
相手国を屈服させて植民化して搾取しつくそうとかいうなら別だけど。
モンゴルなんかは敵地の人間殲滅して、牧草地にしようとか考えてた民族だからな。
基本補給とかいう概念があんまりない。
そんでヤリツソザイとかに怒られてる。 >>47
敵地陵辱はたまにあるが、それによって現地住民は姿を晦ます。
そうなれば、奪うべき食料がそこから消えるというのは理解できるでしょ。
一時的な飢えは略奪でしのげても、「敵」の攻撃があればそうはいかなくなる。
相手がいて、しかも黙って殴られてはいないのだし。
基本、陵辱やら略奪やらの暴力行為は何も生み出さない。
わかってるとは思うけど、一応念のために。 いや現地住民根こそぎ皆殺しにして、そこで遊牧すんだよ。
遊牧規模が大きくなって、モンゴル的にはOKなんだよ。
>>49
最初の実りが見込めるまでの間はどうすんの?
本国の物資をあてにする?
そうなると拡大した領地は空洞化となり、不平反乱分子が跋扈しかねないなぁ。 横からだが>>50は他者のレスを良く読んだ方が良いな。 >>51
そうか、それはすまない。
中国のような土地に根付く農耕民族とでは異なって当たり前だしな。
放牧に適するかどうか、という問題もあるが、それは別だろうかね。 >>52
今の都会と田舎の関係と同じでさ、
昔の連中も「無い物は買う」って習慣がついてるんだよね。
遊牧民は本来的には馬や獣皮を売ったり、交易で生業を立て、
その代価として麻布だの小麦だの自分達が作らないものを買う。
彼等の文化、その本来的なものとしては牧畜だけで生きてけるんだよね。
それでもなお食い詰めた時に周辺を荒らす。
足りれば帰っていくので、侵入は一時的なものに留まる。
五胡十六国以前の遊牧民(秦も入れるべきか?)が広大な版図を築かなかったのは結局、
領土経営の文字が遊牧民の脳内に無かったからな訳で。 五胡十六国の主役となった胡族たちは、すでに漢人になっていたのだろうな。 ロジスティクスの専門誌「月刊ロジスティクス・ビジネス」。
http://www.logi-biz.com/backnumber/2014_08.html
2014年8月号の特集は「物流を学ぶ、教える」
この特集記事に、一橋大学、東京海洋大学と並んで、流通経済大学の
ロジスティクス教育プログラム「サプライチェーンロジスティクス・人材育成プログラム」
が特集される。
http://www.rku.ac.jp/home/topics/20140819_01.html ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています