【呉越】 春秋 【五覇】
なんか春秋時代って日本の中世(平安末期〜安土桃山)に似ている
気がしますが? 呉越の時代劇、中国で多いけど、
呉越の抗争はやっぱり人気のある歴史分野なのかな。 >>4
呉越同舟とは、そこから来ている
両方とも喧嘩して溺死しちゃうけど 確か呉楚越あたりの国で
庶民の桑の葉の取り合いから戦争にまでエスカレートしたケースがあった気がする 頭脳のハンレイ
感情のゴシショ
ゴシショは中国でも人気物の一人 >>6
さすがに隣町とまではいかないだろうけど、
日本の戦国大名ぐらいの規模の争いだったかもね。 夫差は覇者にもなってるからね。戦国時代とは地理的にも兵力的にも違うから比べようがない。スケールが違いすぎる。 呉楚の戦いは伍子胥の父兄、太子の無念の死に対する費無忌、楚王への復讐でもあったな… この時代の英雄はみんな悲惨な末路だな
讒言と裏切りばっか 孫武なんかは政争に巻き込まれる前に引退したから伍子胥とかと違い、
穏やかな最後だったとみたいだね。 孫武は司馬遷から300年前の人物、呉が滅んでしまったので、既に伝説的人物だったと思われる。 DVD『東周列国=春秋篇』はお勧め、衣装とかちゃちなところがあるが、退屈せずに楽しめる。
戦国篇はつまらん。嫌いな奴にでも薦めてほしい。 一人の力で国ががらっと変わるよなこの時代は
諸侯もぽっと出の人間をいきなり重用するし
なんか後世の時代よりもロマンを感じる 春秋五覇の時代は、混乱期に入って100年程。
調度日本の天下人の時代に似ている希ガス 周王朝は、財政的にはかなり窮乏していたのかな。
それとも諸侯から寄付がたくさんあった?
慎ましやかな生活なら大した出費はいらんか。 東周の首都洛邑は戦国時代には大商業都市だったので春秋時代んときでもそんなに財政が圧迫されることはなかったんじゃないかな
ただ食糧はよく貧窮になって何度か諸侯に援助してもらっている ソフトバンク携帯について
「全然繋がらないから解約しようとしたら、6万請求された」とよく聞く※。
(繋がりにくい理由は、ソフトバンクが使用する周波数が建物に弱いことによる)
そして、各種プランが良くないが、ホワイトプランが特に良くない。
携帯のメーカーの数で考えて「友人の4分の1くらいは持ってる?」と考えがちだが…
ソフトバンク携帯を持つのは 約300人 に 1人。
300人の友人がいても、確率的にはそのうち1人しか無料にならない。(契約数/日本人口で計算)
その1人以外の通信料はすべて、他社の約2倍。1日たった7分でも1万円を超える。
長者番付にのるような在日企業は、ほぼ全部がパチンコ・サラ金・風俗と、法の裏側を行くものばかり。
(本社が韓国にあるものは違う。まあ、本社がハンバーガー屋で支社がサラ金というのも有り得ないが)
日本に本社を置く在日企業としては、まさにソフトバンクは、ただ1つの例外。 なのだが…
思い込みやら、まず読まない契約書の解約金やらを利用した商法も目立つ。気をつけて欲しい。
※…新聞記事は「0円携帯 解約に6万円 県、ソフトバンクに改善要望」で検索
↓ついでに。思い込みを利用されているのは、実は、投資家も同じだったり…
ttp://news21.2ch.net/test/read.cgi/bizplus/1176891847/ >>26-27
形式的ではあったが、周代は周王朝のために諸侯が定期的に集まって
会同をおこなうしきたりは存在した。
困窮してれば援助をしたり人をだしたりはしたんだろうね。
礼記あたりにも書かれてたはず。 >>29
もし援助したら、見返りに官位と言うか称号のようなものを与えたりしたのかな? 晋が楚の牽制のために呉と結び強国になるよう援助し、楚は呉を牽制するために越と結んだのだね 尊王の晋が王を名乗っている呉と結ぶのに晋国内では異論は無かったのだろうか? >>36
対外的には王号を称さずに子爵で通してたんじゃないの?
後に黄池の会で晋と呉が盟主の座を争ったとき、
晋の言い分は「俺の方が爵位が上」だったし。 呉が今の蘇州あたりで、越が今の紹興あたり?
かなり近いな。 俺は、斎の桓公から楚の荘王までの五覇の時代が好きだな >>40
何となく日本や欧州の中世に似ている気がするところ 自分は春秋の時代は何となく地に足がつかないような、
現実感のないようなイメージだな。 >>1
なぜなら天皇家は呉の太伯の子孫。
天皇家の教養は春秋戦国のものが基本。
武田信玄は都に上り呉の栄光時代の軍師
孫武たらんと風林火山の旗印を掲げた。 >>24
まさしくその通りなんですよ。
呉は周王室の兄からの流れ、
呉の子孫である天皇家は
まさしく周王室の生き残りなのです。 かつて後醍醐天皇が隠岐に
流される時に尊皇の志士
児島備後三郎高徳は
天皇奪回を再三試みるも
ついにかなわず
帝にその志しだけでも伝えるべく
通り道の木に
天こうせんをむなしゅうすることなかれ
時にはんかいなきにしもあらず(原漢詩)
と書いた。
それを見た後醍醐天皇は
児島の真意を悟り涙したというが、
戦国時代の知識がない警護の鎌倉兵達には
なんのことかまるでわからなかったのである。 幕末の尊皇の志士、昭和維新の歌、
日本の尊皇派には全て春秋戦国の知識がある。 三国干渉の時は日本国民は
先祖の故事を思い出した。
臥薪嘗胆。 建国時の呉とか越って、中原と楚だと、どちらの影響が大きかったんだろう? 伍子胥って日本だったら絶対祟り恐れられて神様になってるよな
地元で祭ってたりするんだろうか 5 名前: 呉王フッサール 投稿日: 2001/01/09(火) 13:59
,,,,,,,,,,,,,,,∧,,∧ / ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄
〜′,,,,,,,,,,ミ,,゚Д゚彡< 高専ぶっ殺すぞゴルァ!
UU"""" U U \_____________ 春秋時代の傾国の美女というと、
息姫、夏姫、西施の3人かな?
まあ、西周が亡んで春秋が始まるきっかけとなった
褒女似が一番の傾国の美女だと思うが 息の息嬀とかは、国自体がかなり小さい気がするしな。 「殷墟」並み、21世紀最大の発見か?5000年前の「良渚」古代都市、高度な文
明物語る―中国
2007年11月29日、浙江省杭州市良渚文化区で、約5000年前の古代の都市の遺跡
が発見された。その規模は290万平方キロメートルを超えると見られ、「殷墟
」に匹敵する大発見だと見られている。チャイナフォトプレスが伝えた。
良渚文化は5000―4000年前に長江下流域で栄えていたとされる中国の古代文明
。黒陶を主とした陶器をはじめ、玉器・銅器・シルクなどさまざまな文物が発
見されており、高い文化を築いていたと推測される。
今回発見された遺跡は良渚文化の古代都市としては最大のもの。都市は1500か
ら1900mの正方形を象っており、街は南北の軸に平行になるよう建設されてい
る。発見された城壁の下部には幅40mにわたり石が敷き詰められていた。当時
はその上に黄土を突き固め、高さ4m程度の城壁にしていたと見られる。関係者
はこの大規模な遺跡の発見は良渚文明の文明の高さを証明するものになると話
し、20世紀の「殷墟」発見に匹敵する考古学界の一大ニュースだとコメントし
た。
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20071130-00000005-rcdc-cn
こんなニュースが出て来たぞい >>58
力ちゃんが勾践の声当てるのか
見てみたいな 日本の戦国時代と、中国の春秋〜戦国初期が似てるのは、
両者とも下剋上の世の中だからだな。
桓公の最後なんて哀れスグル…
俺は、趙襄子と豫譲の絡みが好きだ。
士は己を知る者の為に死ぬ、…カッケーゎ…。
あと笵蠡と西施は実は恋仲で、呉を滅ぼした後、戦を捨てて二人仲睦まじく幸せに暮らした、
というエピローグは、たとえ作り話であっても素敵だなと俺の中にいる乙女がウットリするんだ 豫譲は、実は趙武の身代わりになって死んだ子供の家の子孫だった
だから執拗に趙襄子をつけ狙った
「士は己を知る者の為に死す」とは、真の目的を隠すための詭弁にすぎない >>61オリジナルでしょ。小説のネタとかにはいいかもね。 と言うか、塚本青史の「裂果」まんまじゃないか!
豫譲が死ぬ場面も、塚本の好きな弩弓が大活躍ですよw 豫譲の生きた春秋時代末期だと弩より弓矢の方が自然な気がするな 「趙大卿。そこまで、みどもに注意を向けてくれたのか?」
予譲は、自分に特別な注意を向けてくれる者に、異常な喜びを見出すようだ。
以上、「裂果」より抜粋。
文庫版だと、ここから3ページほどグダグダな会話が続いて予譲自害。
周囲から「妙なマネをすれば、弩弓の矢が貴様を射抜くぞ」と脅される姿は、
とても「侠」・「士」のものとは思えん…。 中国の脅威が日増しに高まる今こそ全日本人にとって重要な映像作品と言える
久松 文雄 の『呉越燃ゆ』は面白かったな
塚本は、才能無さ過ぎ
春秋の五覇
鄭 荘公
斉 桓公
(秦 穆公)
晋 文公
楚 荘王
出典は俺 春秋五覇
斉の桓公(在位紀元前685年 - 紀元前643年)
秦の穆公(在位紀元前659年 - 紀元前621年)
宋の襄公(在位紀元前651年 - 紀元前637年)
晋の文公(在位紀元前636年 - 紀元前628年)
楚の荘王(在位紀元前614年 - 紀元前591年)
出典は孟子
斉桓公、晋文公、楚荘王は一致
性善説の孟子はそこに宋襄公と秦穆公を、性悪説の荀子は呉闔閭と越勾践をくわえて五覇
性格出るな 宋襄公は会盟の主催者ってだけで覇を唱えたと言えない。会盟も成功せず。
秦穆公は勢力を大きく広げたが、楚や晋と比べて優位だったとも言いがたい。
呉闔閭の頃はまだ中原進出しておらず、覇者とは言えない。会盟も?
覇権の推移は
斉桓→晋文(城濮の戦い)→楚荘(?の戦い)→晋氏i?陵の戦い)→和平(弭兵の会) 王覇の別などは後世の考えであって
周本国もまた同盟の盟主たる覇者以上の存在ではなかった
って宮崎市定が書いてたな >>10
勾践は覇者になったけど夫差はなってないでしょ 会盟を主催したら覇者という見方もあるから
その見方からしたら間違ってはいないぞ? >>80
会盟を主催した奴なんてたくさんいるけどね 勾践は周王朝に滅ぼした呉の財宝を贈ったこともあるからな ハンレイによれば、つらい時代を家臣と励ましあって耐え忍ぶ事は出来るけど、羽振りが良くなると疑り
深くなって功臣も信じない人物。 名君ではないだろw
会稽では范蠡の諫めも聞かずに滅亡寸前、呉滅亡後は范蠡に逃げられ文鍾は粛清
結局政軍の両輪失ってそこで終わってしまった 夫差は臥薪しますと言ってしてない嘘つきだからなぁ。 俺も自分で書いといて出典は何だろうと思って、よく考えたら横山光輝のような気がする。 夫差って孫武に逃げられて伍子胥は粛清して
句践は范蠡に逃げられ文鍾は粛清して
似た者同士だよね >>95 死に際が全然違うとオモ
>>90>>92
部屋を出入りするたび「夫差よ、越王が汝の父を殺したのを忘れたか」…と
言わせ続けたのが史実で、臥薪は後世の人が潤色した話
という事に、宮城谷説ではなっています(春秋の名君)。 >>95
孫武に逃げられてたって根拠はあるの?
あなたが立てた仮説なら否定をする気はないですけど >>96
wikipediaソースだから書かなくても良いかと思ったけど、臥薪のエピソードは十八史略が最初らしい。 臥薪は史記や左伝には無いエピソードらしいね
>>97『呉越春秋』によると夫差の時代に孫武は讒言によって辞職することになったらしい
『呉越春秋』の信憑性がいかほどかはわからないけど 伍子胥も遠ざけられたし孫武も一緒に煙たがられたかな 句践の粛清は劉邦と似たようなものだろ
張良がさっさと引退したのもハンレイに似てる 范蠡って元から越の人間なのか
なんか他国からの亡命者みたいな雰囲気があるんだよね
やっぱ范とつくから晋出身だろうか 范蠡に習ったっぽいのは范雎と張良かな
さっさと権力手放して悠々自適だもんなぁ まぁ一番かっこいいのは陳平みたいに最後まで頑張った奴だけどね 伯嚭って史記じゃ処刑になるけど左氏伝じゃ生き残って越に仕えてるんだよなあ それだと伍子胥を陥れて自分はのうのうと
生き延びたってことになってしまうな この手のある意味内通者は滅亡後に殺されるパターンが多いような気はする
ただなんで左伝で生き残ってるのに史記で処刑扱いなんだろうね
成立年代からして司馬遷は左伝を見てないわけがないのに 左氏伝の成立には異説が多かった気がする 史記の前に完成してたと断言はできない、とか >>107
既出と思うけど、伍子胥とかの先例からしっかり学んで行動したはず
それに加えて権力欲が薄かったんだろう。やるべき仕事が
終わったらそそくさと引退(范雎は復讐済んでるし) >>114
張良はともかく、范雎は無欲というよりも引退するしか道はなかったんじゃないかな。
秦の法では完全に処罰されるところを昭襄王の温情で不問にされてるわけで、
それでもそのまま宰相でいる事は自身の後難は勿論の事、国家の為にもならない。
処罰なしで引退することは、昭襄王の気持ちを汲みつつも保身と国事を考慮した苦慮の結果じゃないだろうか。 張良は引退後も呂后に相談を求められたりしてるし、
完全に引退はできなかったように感じる。 斉桓公のエピソードがやっぱり一番面白いな
だいぶ脚色されてるだろうけど
斉桓公は劉禅と比較されることが多いな
名臣に補佐されていた間は名君でいられたが
名臣の死後は目も当てられない さすがに劉禅と比べるのはかわいそうだろ
自分を殺そうとした管仲を宰相にし、自身で軍を率いて戦に明け暮れた君主だぞ
劉禅なんて劉備と諸葛亮が用意してくれた物に頼りきっただけ 桓公は度量が広い
確かに管仲が死んだ途端に国は傾いたけどね
能力のある臣を登用するという部分からしてこの時代の君主には結構ハードルが高いわけでさ
まぁ管仲が生きている内に後継者を準備できなかったという点では不幸だったね 司馬ちゃんはべつに桓公を讃えたかったわけじゃないだろ
NOマンの意見を取り入れる事が肝要、
という教訓のイソップを書いたわけだ
>>122
管仲が後事を託した隰朋がいるんだが。
まぁ彼も管仲死後にすぐ死んだんだけどね。
隰朋が生きていれば桓公の名声に傷がつく事はなかっただろうな。 そしたら蛆が湧くまで葬式出してもらえないなんて事も無かったのに。 伍子胥は激情家だったからこそ歴史に名を残した気がする
分別くさい伍子胥だったら、楚への復讐なんてできなかったろうし
長平の戦い、趙の孝成王が流言に引っかかって趙括を起用した風に
書かれてるけど、宮中の主戦派・講和派みたいな構図ってなかったの?
戦うにしても、趙側はどんな着地点を目指していたんだろう >>128
主戦派は平原君、講和派は藺相如。
ただ、この当時藺相如が病に倒れてて、それで平原君への歯止めがなくなってしまった。
そしてあの始末。 個人的に上党を取って秦と戦った事は悪いとは思わないけどな
天下統一を目指す秦とはいづれ戦わなければならない運命だったわけだし
問題は廉頗を更迭して趙括を総大将にした事
あれがなければ、趙は上党を手にいれて万々歳だった
>>129>>130
なるほど
虞卿列伝の始めの方を読んで、趙は魏や楚との連携を
模索してたのかなーという印象もあったり 范ショと白起が秦の高位にいるかぎり、趙の将兵はかなり危険だと思う。
もちろん秦と国境接してる国はみな叩かれてるが、上党関連で秦の恨みの矛先が趙に向いてる状態だから、いずれ苦しい持久戦になる気がする
たらればっぽい話になるけど、早々に白起を失脚させるのが一番の上策だったんじゃないかな。まあ、長平で絶体絶命に追い込まれたからこそ、
蘇代(だったよね)を送りこむという死に物狂いの策略が生まれたんだろうけど。時すでに遅し>45万人の戦死
>>131
和氏の璧がそれだという見方もあるね>楚と仲良くする
(スレタイ「春秋」だけど、連続してる時代だし、俺は気にせずカキコした) >>128
普通は平王と費無忌が死んだ時点で復讐なんてやめるよな >>133
うん、以後の伍子胥は行き場のない怒りをぶちまけてる印象。
でもその辺が魅力の一部でもあるというか。 平原君って本当に糞の役にも立たねーなwww
戦国四君でこいつだけしょーもねーエピソードばっかだしwww 伍子胥と范蠡って対照的な軍師だなと思う
不器用な生き方しかできない伍子胥も何をやっても成功できる范蠡も二人とも魅力的 伍子胥は費無忌の讒言で父と兄を殺され、自分も伯ヒの讒言で殺されるんだよな。
奸臣に振り回された人生だ。 >>137
奇しくもその奸臣達は誅殺されてるのが何とも。
これも伍子胥の呪いか? 伍子胥で思い出したが孫武が辞職したのっていつ頃なんだろうな? >>139
単に因果応報だな。
伍奢も伍子胥も不器用な生き方しかできない。 そうかな?
あの時代に、国家の後ろ盾もなく弟子を連れて諸国行脚しただけでも
並はずれたバイタリティがあると思うんだが。 歴史に残るような名宰相に「孔子は無能」って烙印押されてる訳で
今で言う哲学者みたいなもんで詭弁だったんでしょ 孔子は政治家としてもそこそこな業績は残している(儒者の捏造の可能性もあるが)
だから全くの無能って事はないと思う
ただ全部任せると王莽みたいになる可能性がありそう 孔子って今で言えばマイケル・サンデルみたいなもんでしょ
熱狂的な支持者もいるけど殆どの人は「ただの言葉遊びで世の中の役に立たない」って見抜いてる 孔子は国をちゃんと治めた業績あるから無能はないと思うぞ。
過大評価させてる原因は後世の儒家だと思われ。
というか儒家を批判するために孔子を使ったかもねw 孔子って他の諸子百家と議論するというより儒家の中で討論してただけ
というイメージが付きまとうんだが
イエスマンに囲まれて社会的地位を失うような激しい討論にさらされてないような 仕方ないじゃないか。諸子百家の大部分は孔子より後の時代だ。孔子の少し後に墨子が出て、
非儒と言って儒家を批判した。他は墨子より更に後から来て孔子も墨子もひとまとめにして批判した。
管子とか孔子より前の人もいるけど、それらの人は孔子が生まれる前に死んでるから議論も出来ないし。 孔子がいなければ戦国時代の諸子百家はなかったかもな
孔子のおかげで身分の低い人間でも学問を学ぶ事ができるようになった >>150
権力構造が大夫、士へと下に降りてきているのがこの時代で、
それにともなって学問の敷居も下がっているわけだから、孔子は関係ないだろ。
むしろそれに反して身分による秩序を礼だなんだといって説いたのが孔子。 周朝の「姫」姓って秦が統一する頃には
ほとんど登場しなくなったな 史記などの文献を信じれば始皇帝(秦王政)に刺客を送った燕が姫姓だった。 あと韓の公族の韓非、張良とか。
魏も姫姓だけど信陵君死んでからは楚漢期までこれといった人物は出てないね。
秦の人材で姫姓と断言出来るのは確かにいないな。
大分遡って商鞅ぐらいか。
さすが法治国家、血胤なんて何も関係ない。 子楚がその噂をどう思ってたのかも気になる。
自分の子だと疑いもしなかったか、呂不韋に逆らえなかったか。 中国は易姓革命だから別に血筋の正当性にこだわらないよな 正味の権力と血と比べたら正味の権力を当たり前に受け入れる土壌がある 日本の天皇も初期は王だしな
中国の周朝的な権威だけの神輿になってそのまま生き延びたのは
日本独特の流れだけど
中国も秦が西周潰してなければ違う道もあったかな いや、東周時代の末期の、王畿(洛陽周辺)にしか影響力の無くなった頃に東西に分裂したんだよ。
これをそれぞれ東周/西周というんだ。ややこしい話だが。 孔子が当時の王に受け入れられなかったのは当然だと思う。
儒教は帝王学ではない、王以下、下々のあるべき姿を説いたもの。
礼儀正しくてよい人だと言われても、結局何も成すことが出来ない。
王が死ねばすべてが終わる、非道でも勝てば官軍、後から歴史は
塗り替えられる。史家が当時危険な仕事だったのもそのせいだろう。
(現代の史家はマスコミ、しかし大半が長いものに巻かれている・・)
立場によって支持する思想は違うのだろう。
ちなみに一神教を本気で信じこまされている人々は最下層に属する哀れな盲目。
祈る暇があったら隣人や家族に手を差し伸べれば、と思う。
殷の紂王が炮烙の刑とか妊婦の腹裂いたとか
この誰が作ったかわからないテンプレってその後も延々と使い続けられてるよねw
日本でも武烈→継体のクーデターの正当化に使われてるし
中華の継承はやたら男系に拘るね。系図厨として違うのは郭威柴栄くらいしか思いつかない。 そりゃ女系で姻族に権力奪われたくないでしょ
この時代一族の結束が重要だし 外戚は権力握っても、大概は代替わりで失脚するでしょ。 王莽くらいじゃないの。明確な外戚の簒奪って。
唐とかは違うだろうし。 斉の桓公って徳川家康とちょっと被るな
昔冷遇した奴にしっかり仕返しするところとか 桓公本人はクズだからな。管仲の進言には必ず従ったから覇者になれたけど。 アホの子が語るとこういう尖った事を言いたくなるのね じゃぁ管仲の進言無しで桓公が何をやったか書いてみろよ。 なんか変な奴が涌いてるな
君主は万能でもなきゃ無能とか思っちゃってるんだろうか お前こそ桓公の事よく知らないで書いてるだろ。
具体的な事は何も書けないのがその証拠だ。 管仲敵に回して公位を襲っただけでもクズではないだろうさ。少なくとも公子糾よりは。 その時は管仲が小臼の演技に騙されたんだからしょうがない。糾の責任ではない。 なにこの桓公アンチ
私怨で嫌ってるとしか思えないキチガイっぷりに笑える 「小臼」に気づくのに1日かかった。ちょっと悔しい。 桓公って死んだあと棺の中に入れられたまま放置されて虫が湧いた・・・
餓死説もあるよ。
死んだあと放置なら本人にとっては大して悲惨じゃないな。 自分の息子を料理したエキガってすげーなw
料理番から側近ってのもスゲーが 料理人といえば屠蒯という人もいるな
君主に出す料理を取り仕切るだけあって、料理長には人物が多いのかな DVDで出てる「燃ゆる呉越」と「復讐の春秋」は同じような内容ですかね
どっちがお勧めでしょうか? 呉越といえば仲の悪いもの同士の代名詞だけど
かつてのアメリカとソ連みたいなものかな 呉越同舟をたとえるならオバマとクリントン(嫁)みたいな感じだろうな なんか21世紀のアメリカは春秋時代末期の呉と似ている気がするな
呉王夫差は覇者の威厳を見せつけようとして度々出兵して国力を疲弊させ
アメリカも超大国の威厳を保つために世界各地に軍事介入している所とかそっくり >>202
米ソはどっちかっていうと「晋と楚」だろ
>>204
呉越は同じ民族の中での政権交代とみたほうがいい
越になってからは強国としてそれなりに長く続いてる
呉を滅ぼしてから約80年間は四大強国の一つだったし
その後、BC378年に南遷するまでの約20年近くの間もそれなりに強国だったはず 呉越で殴りあってた頃なら、闔閭の改革を経てるから呉の方がやや上じゃない?
句践が夫差に勝てたのも、会盟で呉都に居ないのを奇襲したからなようなもんだし 句践が帰国を許されて10年近くをかけて国力増強に勤しんだけど、
それでも呉を凌駕する軍事力を手に入れたってわけでもないもんなあ
むしろ夫差が戦争しまくりで疲弊してたからってのも大きいと思う そもそも富国強兵したからって簡単に強くなれるもんなの?
そんならその間他の国は何をしていたんだ?
未開拓の余地がある、肥沃な国が、開拓して限界に達していた国を凌駕したってこと? 史記読めばわかるが大概の国は一族や官僚が政権を牛耳って
自己の利益誘導に走り国力が伸びないか低下するパターン
そんな中で呉起みたいな改革官僚を登用すると不正が一掃されて
国力増強にリソースを使って国力が飛躍的に上昇ってパターン
今の日本の政治見てもわかるが利権を突き崩そうとすれば社会的に抹殺される
当時の中国では文字通り抹殺される
呉起も登用した王が死んだらすぐに暗殺されたし >>210
商鞅とかもそうだけど最後は無惨なもんだよな
ただそれだけ有能なら王の後継者にもしっかり取り入っておけばいいのに、とかオモタ 呉の伍子胥とかも皇太子に嫌われて代替わりで最後は自決するはめになったね 商鞅はあれで取り行ったつもり(法を曲げて太子を罰しなかった)なんだろうけどなー
あと次王に取り入るって簡単に言うけど
性が合わない上司とかこちらを嫌ってるクラブの先輩と仲良くやっていけるのか、という命題にすると
現代でも相手次第でこちらがどう頑張っても無理ゲーっていうケース一杯あるしな
范蠡みたいにさっと身を引くのは難しい やっぱ中途半端な刑で生き残らせて恨まれるより
3族皆殺しのほうが理に適ってるんだなw 太子はそもそも自分と関係者が罰せられるという発想がなかったんだろうな。
何とも言えないすれちがい >>75
wikiだとほかにもいろんな五覇の考え方が載ってたな 【内乱罪】 無効選挙 【反逆罪】
実は、非常に奇異な点があるのだ。それは、区によって、「票があるところ」と「まったくゼロな区」があるのだ。三宅洋平の得票では、
豊島区ではなんとゼロ票
中央区ではゼロ票。
江東区ではゼロ票、
荒川区ではゼロ票
足立区ではゼロ票
通常、こんなことは考えられない。
慶応の学生です。大学の教授が今回の選挙についておかしい部分が多いとツイートしています。
500の束のバーコードを他者に振り替えていると考えられると言っています。
例として幸福実現党は都内に信者がある程度いるはずなのに、3区以外はすべて0票。犬丸氏も同じだったと言います。
また、娘さんが練馬区で三宅氏に投票、他知り合いが3人も入れたのに、0票。 池袋、渋谷で0票もおかしいと書いています。
明らかにム サシの機械での操作があった可能性が高いと書かれています。
2011年
3月18日 「致死量の放射能を放出しました」東電の小森常務は、こう発言したあと泣き崩れた。
2016年
6月25日 『悩みのない世界へようこそ』のスピリチュアルTV主催者テディ小泉(52、埼玉)さん、脳梗塞で倒れ、心筋梗塞で死去。
7月 2日 昨日、友人が脳梗塞で倒れ頭を打ち家でトイレの前で亡くなっていた。40歳だぜ!俺は放射能汚染が本気で憎い
7月 2日 ブロガーのサランさんが今日日本で心肺停止で亡くなったそうです。倒れる前日までブログが更新されてて
7月21日 ケニアに帰国したジョハナ・マイナ(25)選手が急逝。2012年に入社。仙台国際ハーフマラソンで3度優勝
8月 3日 写真家の宮本敬文(50)さん 脳出血で死去、SMAP写真集など手がける そういえば晋滅ぼす事になる趙と魏の祖先って文公の配下に居たんだな >>223
韓にいたってはもともと晋の公族から分かれた家だけど 韓は春秋の頃はいい感じ
(名宰相スレでミスター・パーフェクト扱いだった韓厥とか)だったのに、
戦国でパッとしないよな。
やはり地政学的な問題かね。 >>205
米ソを晋楚に例えるなら鄭とか宋とか斉とか衛とか、
どのへんだろうかね >>225
地政学的な問題なので、ある意味ミスターパーフェクトな春秋韓氏のせいかもしれませんね。
戦国韓氏でよく名の知られた大物は昭釐侯、公仲侈くらいでしょうか。 韓非は大物なのかどうか微妙なとこだな
申不害とセット売りで多少有名な昭侯はともかく公仲はしぶすぎる希ガス
宮城谷小説になんかそんな奴がいたようないなかったような?程度の認識w 三番目に実力者とは言い難い公子非が出てくる時点でやばいぜ 韓の公仲家・公叔家は存在を知ってる時点で詳しい人認定されそうな存在 >>230
思想的には大きいからあげたけど、
政治的には大物ではなかったな 近代になるまで韓非子の評価は低かった
よく生き残ったもんだ >>229
「甘茂と戦った人」ってイメージしかない 逸話を拾っていくと結構なオールラウンダーって印象だなぁ>公仲朋
外交も内政も軍事も出来そうだから強大国の相国だったら名宰相に数えられてたんじゃないか? 六国にも名相が相当数いたんだろうなぁ
戦国は説客ばかり目立ってる気がする ここは春秋専門スレだし、
そろそろ戦国から離れようぜ >>239
代々あくの強い当主がでなかったからな
しかも豊かでもなく政争に関わらない様にして他家の妬みも買わずにきた
韓起がそれを嘆いた事があるけど、叔向からむしろそのおかげで禍から逃れられてると
寿がれて韓起も素直にうけいれてる
欒氏や范氏あたりは富強で政柄を握っていながら傲慢さや強欲さが他家の恨みも
買ってたし 韓は本拠地が度々遷ってる
当初は韓原だったが、韓起の時代に更に北方の平陽に遷り、更に子の時期には
黄河北岸域の州に、更に鄭を滅ぼして漸く落ち着く
北部を趙に、中原を魏に抑えられていたのもあって、なかなか大きな地盤に根を張るのが
難しかったのかな 山西をフラフラ→中原に進出
というのは三晋共通の現象。 ↑動機が幼稚すぎる。
突出して美談が多い趙はなんか違和感あるね。 韓厥以前の韓氏もエピソード聞かないよな。
放火しただけ魏氏のほうがましとかいうわけではないが 族滅したり中山王に娘を嫁がせておいて攻めたり、美談ばかりでもない。 趙武だって晩年は、耄碌した、ほどなく死ぬだろう、なんて云われたりする >>251
趙武ってどんなポカエピソードあったっけ? 最近ほかの春秋戦国系スレが盛り上がってるしこっちも盛り上げようぜ >>20
確かにロマンはあるが、無能には容赦ないのが乱世だから生き抜くのが大変そう 呉で使われていた呉鉤という武器は実際どんな形状だったのかな
秦の兵馬俑から出てきた細く湾曲したものだったのかな >>255
なんという遅レスwww
無能にも有能にも一般人にも厳しい時代だな
20の意見には同意できない、特に一行目と二行目
人材抜擢は身分の垣根が低い後世(現代含む)の方が盛んだろう ぽっと出の人間をいきなり重用って
どっちかというと戦国なイメージ 曹沫「マジで」
管仲「マジで」
百里奚「マジで」
伍子胥「マジで」
范蠡「マジd……というか俺ら学説によると戦国時代か?」 たしかに晋楚の覇者体制が確立されてくると
ぽっと出の人物がいきなり政柄を握るのはぐっと少なくなるな
社会秩序を維持するための覇者体制という学説があるくらいだから
秩序をわざわざ崩すような振る舞いはやらんだろうし >>259
伍子胥はさほどぽっと出でもないけど、
曹沫管仲百里奚は春秋前期でぽっと出が続いた感じか。
これは前言するわ撤回 ・有力公子に付いてる管仲はコネ十分
・伍子胥は超大国の有力貴族
・史実性低い范蠡
・百里奚の出身が士以下なら伝説を割り引いても凄いけどよくわからん
・曹沫は仮に左伝のインテリ曹沫を史実とするなら、ぽっと出→そこそこ重用なので該当する
多くは資料の貧困を主要な原因とする「ポッと出」なので実際の出自は悪くないと思われる
恐らくポッと出→いきなり重用は春秋の時代的特徴ではないでしょう 人材の量、把握可能な事績が違いすぎるからな……
まあ質の点でも家康秀吉クラスに比肩しうる英雄は春秋時代にゃ存在しないが 平安末期の武家台頭〜戦国安土桃山くらいまでって
春秋時代と人口スケール同じくらいやし悪くない比較対象だと思うよ
比較すると古代中国史の内容からっぽ空白すぎて泣ける・・ オバマ前大統領=楚の共王説とかひらめいたんだけどどうかね? >>266
5、600年前と紀元前の話を同列に語るのどうかと思うが 類似点があるなら語ってもいいんじゃね?
中国史という理由で古代も中世も近世も近代も現代も同じノリで語る日本人はすごく多い 同時代と言えば世界的に有名&ビジュアルに優る古代エジプトに古代ギリシャか、これは手強い。 >>272
すまんすまん、アケメネス朝には春秋戦国の覇者たちもさすがに敵わないなw
レベルがちょっと違う。 秦帝国はペルシャ帝国のパクリ説がまことしやかに囁かれるぐらいだしのう。 その書籍は地味に影響力ありますよね
日本で簡単に手に入る春秋戦国通史的な読み物は安能氏の書籍しかない時期が長かった その本を知らない世代なんだけど、
この板では珍しいんか?(世代関係なく知ってないといけないならすまん) 俺も知らんから安心しろ。
安能務は封神演義が酷評されていたんで俺は信用してない、 先に史記を読んでたからかもしれんけど、昔読んだ時は、
史記にある春秋戦国時代に該当するエピソードを簡略化して時系列順に並べてみたもの
っていう印象だったなあ
史記を一読すれば不要ではあるから、今なら知らなくてもええと思うよ >>284
2ちゃん世代(30代〜50代)に直撃する作品だね
氏の著作に影響を受けたり同じような中国史観を持った自称中国史通の日本人はかなりいた
まあ30歳未満はあんま知らないと思うけど
大多数の人間は史記の春秋戦国部分の通読なんてしないし出来ないから
春秋戦国志や横山史記みたいな本で十分なところがある ちなみに285の俺は50だが知らん。史記は岩波文庫で世家と列伝を読んだけど本紀が無いので
どうしようと思いながら未だに通読してない。劉邦とか項羽の分はちくま学芸文庫のを読んだけど
コレジャナイ感が…。
俺が安能務を知ったのは封神演義が話題になった時だった。直後に盛大に批判されてたんで
その程度の人かという印象しかない。「申公豹が実は許由であるという設定を勝手に作った」とか。 彡(゚)(゚)と学ぶ中国春秋時代
というのがなかなか面白い。 >>288
普通の人は直後に盛大な批判が飛び出すようなコミュニティに属してないから問題を感じないのよ
一般的に封神演義はフジリューと原作の安能版しか読まれてなかったし
彼の儒教否定、韓非子法家称揚のベクトルと曹操が人気で蒼天航路が流行る本邦は相性が良かったね 中国史といえば儒者ですが歴オタの儒教敬遠は根強いな >>291
>一般的に封神演義はフジリューと原作の安能版しか読まれてなかったし
読まれてなかったというか、他には光栄の抄訳しか無かったんだよね。
それなのに原作を改変してることを隠してたから、それを知ってる人らは盛大な批判をした。
俺は多分ニフティーサーブの会議室で見たんだと思う。指摘してた人の一人はのちに
三国志平話の翻訳本を出した二階堂氏だった。 確かに懐かしい話ですな>>293
宮城谷作品世代もそろそろ加齢臭が気になるお年頃
春秋時代をライフワークとする次世代の作家が必要だ 20代前半の俺「・・・・ひょっとしてこの板で最年少?」 三十歳未満は珍しいと思われ。常駐している人が少ない板だし最年少の部類かと思う。
2ch全体の高齢化&中国史クラスタ高齢化による先細りは顕著、新規参入の若い人は少ない。
話を春秋時代に戻そう、おまいら五覇の中で誰が一番好き? 春秋五覇のメンツって諸説あって確定されてないよね?
秦穆 楚の荘王と言いたい所だが晋の文公
晋以外に覇者なし! 問:もっとも評価する覇者は誰か?云々
という質問の方が盛り上がるかもしれんね 斉桓は個人的に好きだけど、晩年と死後の後継者争いのせいで評価され難いだろうな
管仲がいてこその桓公って感じもするし 古代中国は(時代を区切ると)これという候補者の数は少ないし
好みの一等賞は比較的決めやすい気がするけど人物評価は逆に難しいかな
それぞれの具体的な政策や行動の詳細が不明すぎる 春秋に限るなら斉桓・管仲ペア時代の斉の作戦範囲が頭おかしいレベルで広いからねえ
楚の勃興期だったんだろうとはいえ郢の近くまで攻め込んでたり、
遠く晋の内紛にまで介入してたりするし 晋の文公は直接交戦して楚を破ったからねえ・・
斉は大軍を見せつけて威圧した感じでしょ?
(それはそれで小さくないことだけど城濮ほど偉いわけではない) >>307
斉も晋も戦う前から勝っていた
楚成王もそれを分かっていた
違ったのは子玉みたいな阿呆が戦端を開いたかそうでないかでしかない 偉そうに、さも見てきたが如く語るねぇ…
なんでそう言い切れんだよw 成王は重耳(文公)が楚に来た時に殺しとけば
楚の天下だったよな 子玉が阿呆呼ばわりされてるけど、一方で子玉の死を聞いて文公は初めて喜びをあらわにしたというエピソードもあるよね。 >>311
才幹云々は別として、大国楚の晋を敵視する猛々しい令尹の存在は文公も
脅威を感じていたからね
成王自身は晋と敢えて事を構える考えは薄かったのもあるし
この敗戦国の将(子玉)が死んで戦勝国(晋文公)が喜んだという一件が
ひとつの故事として後代まで折につけ引き合いに出される様になるね
一例として楚に大敗した晋の将帥の荀林父を弁護する際とか 実際、城ボクの戦いだと他の軍兵が敗退してる中で子玉が率いる兵だけは負けてなかったんだから
将軍としてのは才能はあったんだろうな
まあ、総大将の器ではなかったが 城ボクの戦いは戦いが始まる前から晋軍の勝ちが決まっていたかのような戦いに思えるな
そういった状態に持って行くまでの晋の動きが凄い 別板の中国史の名将がどうたらってスレで、
先畛の話を誰もしてなくてええってなったことがある >>317先シンは春秋時代を代表する名将だと思うけど、やっぱマイナーである事は否めないから仕方が無い これでマイナーならほとんどこの時代について知られてないも同然じゃ・・ >>319先シンは史記に列伝も無いし晋世家でも記述が少ないからね
この時代、史記は読んでても左伝は読んでない人ってのは結構多い
先シンを宮城谷氏の小説って知ったって人が日本では多そう この時代にありそうなアニメのタイトル
・重耳の奇妙な冒険
・けいこう! >>320
史記だと亡命にくっついてった事とあとどれくらい書いてあるっけ? >>312
歴史を学ぶってこういうことなんだなって思った。 吾も悦も仲良いでしょう。
ちょっと、やきもち……(´_`。)グスン もう一度、はっきり言います。
私からすれば、私の同期も、お世話になっている総務の女性社員もちゅらかーぎーだと思っております。
これは冗談ではありません。
それに、ニシウラさんと結婚された方も、ちゅらかーぎーに違いありません。
女性社員は皆さん、ちゅらかーぎーだと私は思います。
ただ、私はミウラさんよりは大人にはなれないとつくづく思います。
総務のご意向を汲んだのですから、何卒、荒立てないようにお願い申し上げます。
Slightly Catalyst こと ツジサワタダシ 333、334に書いたものです。
気になさらずに。
失礼しました。 エッチャンの男は、カープ好きですよ。
私でも清でもありません。
勿論、ちゅらかーぎーですので、男として焼き餅は焼きますけど(´_`。)グスン
ホントうらやましいです。
それはそうと、
頭痛治す為に、病院に行っています。
早く治すことが先決。 "清でも私でもありません"
の方が良かったですか↗
エッチャンのこと考えたら、それは出来ませんでした(-_-;) ん?( ´△`)
自分でも、どっちも良くない気がしてきた。
書かんかったら、よかったーっ!!
( ̄ロ ̄lll) チュウチョウもキュウチョウも大事ですね。
悪気はありませんが、悦にも清にも失礼なことしてしまったかもしれません。
どうか、逃げないでください(>_<)
大変、失礼しました。 スピナーベイトは良く釣れるようですね。実績あります。 皆イカしたくなる女性No.1
さすがです
優しい人(*´ー`*) キュウチョウよりシャチョウが良いのなら、キャディーするか↗ 晋の文公は四十二か三で亡命したが
その兄の更に姉は翌年嫁に行っている
四十五??? 范 蠡は後の世でもよく名が挙げられるけど
実際に范 蠡ほど主君のために功績を上げながら、完全に綺麗に姿を消した人はいないんだよな 正しい行いに背いたというが、その罪は一体何だったのか? >>361
真の名将は無名で終わったとあるようになるんじゃないかな
本当の名将だと戦争が起きないから有名になれない これを不思議に思うのはよいが、これを恐れるのは間違っているのだ。」と。 「もし法孝直が生きていれば、陛下の東征を止められたはずだ。
仮に止められなくとも、今回のような大敗はしなかったろうに」 後漢光武帝は王莽の路線を否定し、という記述も見受けられるが、
それは勘違いである。
王莽の路線を否定するのならば、
人材採用に至っては、法を重視し、実績主義でなければならない。 後漢光武帝は、
自身の統治においては、法家と儒家を交えるといった
前漢宣帝のやり方を踏襲したものの、
人材採用に関しては王莽の考え方に倣っている。
どうしても偽善者を生んでしまう後漢の郷挙里選。
後漢の皇帝が、親政ができなくなると、途端に偽善者で、
実際の実力のない者が力を握る。
第二、第三の王莽が力を握るわけである。 >>371
あのエピソードはキツイわ
本人は使命果たして後悔しとるだろ
孫子姫兵を勒すも大概キツイ
時代だね 古代の逃亡の臣は、追い詰められた末であった。
ところが彼らは司令官に対して怨みを抱き、大徳を顧みず、
国を救う功もなく、裏切って逃亡を遂げ、人から見離される結果を招き、二国の笑い者となった。
麋芳・士仁・郝普・潘濬を賛える >>372
現在でも家族も捕まるのに正論を言う奴とか結構いるし
メンツのためなら何でもやる習性なんだろうね
だからメンツのために朝貢で属国に搾取されるというおかしなことになっている 爵 称 と しては 「侯」 が一般 的で あ ること,西 周時 代の 「公」 は王 の卿士 で あり「伯」 は畿内の小国の君主で あることが析 出され,「 子」・「男」 は資料 が少 な くは っきり しないと王世民 はい う。