】【春秋時代】晋の六卿について語ろう
晋の正卿
先しん、先且居、趙盾、げきけつ、荀林父、士会、げき克、欒書
、韓けつ、知おう、荀えん、士匂、趙武、韓起・・・
荀林父は晋に大いに貢献してるけど、邲の敗戦を帳消しにするほどの事はできてないからな
中行偃も秦に敗戦してるけど、取り返せないほどの敗戦じゃないからまあいいんじゃないかな >>570
基本的に関係は不明だけど伯だから多分兄。 六卿の肩書の正式名称は原文だと
将中軍 正卿
佐中軍 次卿
将上軍
佐上軍
将下軍
佐下軍 >>573それなら何故献公が後継ぎになったんだろうか
羊舌文は庶兄だったとか? 長男が後を継がないことはかなり多かったからね。
戦国時代末期も趙や楚は王の兄が継いで抵抗したりしていたから。
羊舌氏は厳密には不明だけど伯を名乗っているから多分長男でしょう。 >>576
武公が元気すぎてなかなか死ななくて、先に死んだってのを見たな。
事実かどうか知らないけれどw 晋の正卿として最後に名前があるのは士鞅だけど、
中行寅が六卿時代最後の正卿だと思う。 当時第一級の政治権力者だった趙鞅vs在野の政治活動家だった孔子
の戦いという妄想歴史が面白い。 各国の名宰相と名将軍を一同に介して
蟲毒見たいに競わせたい。
皿 >>25
今更過ぎるけど魏寿余ってどこら辺に入る? [拡散希望!]
参考になりそうなURL送っておきます
電磁波による拷問と性犯罪
http://denjiha.main.jp/higai/archives/category/%E6%9C%AA%E5%88%86%E9%A1%9E
公共問題市民調査委員会
http://masaru-kunimoto.com/
この方たちは集団訴訟の会を立ち上げてマスコミに記事にしてもらう事を目的に集団訴訟を被害者でしようという試みを持っている方達です
訴訟は50人集めてしようという事なのですが50人で訴訟をすると記事に書けるそうです
記事には原発問題を取り上げてテク犯被害を受ける様になった大沼安史さんらが取り上げて下さるそうです
大沼安史さんがテク犯に遭っているという記事
http://ameblo.jp/hilooooooooooooo/entry-11526674165.html
大沼安史の個人新聞
http://onuma.cocolog-nifty.com/blog1/4/index.html
この方たちは電話相談等も受け付けている様で電話番号を載せている方達は電話かけ放題の契約をしていますのでこちらから電話して本人にかけ直してくれと頼むとかけ直してくれます
音声送信被害等を受けている「電磁波による拷問と性犯罪」の記事の水上さんは年金暮らしなので時間には余裕があるそうで宗教等に付随する集団ストーカー等の被害内容の話も聞いて下さいます
もう一人の電磁波犯罪には遭っていない国本さんという方は電磁波犯罪をしっかり理解されている方で年金暮らしの方なので長電話も大丈夫です
大沼さんはこちらのページからメールを受け付けておられる様です
http://onuma.cocolog-nifty.com/about.html
電話をかけたい場合は人によってはメールで電話番号を訊くと教えてくれると思います
この文章を見られた方は全文コピーをしてできるだけ多くの知り合いの被害者の方等にメールを送るなり被害者ブログに書き込むなりしていただければ大変有難いです
もし大勢の方に送る事が出来なければまだこの文章に触れていない知り合いの被害者に少しでも全文コピーで送っていただけるとその方が次の何人かの方に繋いで頂ける場合があり結果として大勢の方に見て頂く事が出来るはずです
ご協力よろしくお願い致します 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:f70dfdc711a7c6ae6accccb939f27fbf) 1.狐偃
2.先軫(〜BC627)
3.先且居(BC627〜BC622)
4.狐射姑(BC622)
5.趙盾(BC621〜BC601)
6.郤缺(BC601〜BC597)
7.荀林父(BC597〜BC593)
8.士会(BC593〜BC591)
9.郤克(BC591〜BC587)
10.欒書(BC587〜BC573)
11.韓厥(BC573〜BC566)
12.智オウ(BC566〜BC560)
13.中行偃(BC560〜BC554)
14.士カイ(BC554〜BC548)
15.趙武(BC548〜BC541)
16.韓起(BC541〜BC514)
17.魏舒(BC514〜BC509)
18.士鞅(BC509〜BC497)
19.智レキ(BC497〜BC493)
20.趙鞅(BC493〜BC463)
よそからコピペした奴だけど、大体あってる? 趙盾より前は正卿という号自体がないので、歴代正卿一覧という意味では誤ってる
(狐射姑も正卿号を持ってた気がするけど記憶が曖昧)
政権首班という意味でそのリスト作ったような記憶があるけど、コピペ元はどうなってた? やっぱり宰相候補一覧になってるな
中軍の将だと狐偃を省かないといけないし、正卿一覧だと狐射姑以前を省かないといけない
改めて見ると宰相って言葉でお茶濁したリストになってるなあ ごめん。見直したら、正卿じゃなくて宰相の表だったね。すまん 文公以前でいうと献公時代の士イや荀息、恵公時代の郤芮も実質的な宰相やと思う スレが盛り上がってないし、文公以前のも含めて話をしてもいいかも https://youtu.be/N3g-t2439IE
おもろいから聞いてみ
ちなみに帽子かぶってないほうがマスオさんです!
このスレよりこっちのほうが絶対おもろいよ 六卿スレはあれど晋自体のスレは無いからな
晋のことなら何でもいいんじゃないの >>381の話って何年のことなんだろ。
上のほうの表(>>59)で、荀庚が中軍の佐だったのがBC578だから、
そのあたりと考えていいのかな 人を祝うべきときに祝うことのできぬ人は、その悪声がおのれにふりかかってくるものです >>606
たしか趙武の生存が韓厥によって景公に知らされて復興を認められたのが583年
そこから慣習に則り(足かけ)3年の服喪を終えてからの様だから、581年頃の事では
ないかなと思うんだけど
で当時は4軍だったから卿8人に序列に順って挨拶したって事なんだろうけど
>>609が晏弱なら>>608は高厚って事なんかな 実際、三位一体だから二卿の衰弱と共に太公望以来脈々と続いてきた伝統国・姜斉も墜落したね、惜しい。 晋にしても斉にしても
公族筋の名家が消える→公室の権威が衰える→異姓or外来の氏族に乗っ取られて伝統ある国が亡ぶ
残念なことよ
日本と違って垣根のない大陸は社会の流動性が高く伝統維持の難易度高杉や >>612
なるほど。
>>59に
>583BC
>中軍将 欒書 上軍 将 荀庚 下軍 将 ??
> 佐 荀首 佐 士燮 佐 ??
とあるけど、服喪の間に荀首が引退or死去して卿の構成があの8人になったのかな。
>>607が疑問に思ったように、BC578時点の表と見比べると、郤犨と趙旃が入れ替わってるのは不思議だよね。 >>617
周以降、前近代の中国には同姓不婚(例外あり)という公族の結束と権勢の維持に大変不利な文化がある。
なんだかんだ国家と公室を安定的に存続発展させるには藩屏たる同族の勢力と権威が不可欠、重大な欠陥だ。 韓氏とかいうれっきとした晋の公族なのになぜか戦国期まで生き残った一族
韓氏は晋の公族っていう感じが薄いけど >>619
確かになー
宗家と分家、公族系の名門同士が縁遠くなる一方のシステムは宜しくない。
>>620
六卿ブランドに染まりきってる。 襄公と悼公は早死にしてはいけなかったよな。
次の代がアレな感じになっちゃって権力が臣下たちに行ってしまって・・ 悼公は14歳で即位してよく晋を治める事ができたものだなって思う
晩成の文公に次ぐ晋の名君が早世の悼公だというのが面白い 悼公は詞を暗殺した正卿の欒書がほどなく歿してくれたのは大きいかな
やり手だけど名門意識も高くて鼻息荒い老齢の大臣なんて少年の君主には
扱い難いことこのうえないし、へたすれば詞の二の舞にされかねない
もう一人の荀偃がまだおとなしめの人間なのもよかったろうし
それに即位ほどなく刷新した人事が絶妙だろうな
強欲だったり傲岸だったりといった大きな偏りの少ない、能力や人格のつり合いのとれた
人物を昇進させてるんで
代表的な魏絳なんて三国志(正史)でもたびたび出てくるくらい後世にも有名だし 韓厥・知罃と連続で、できるいい人を正卿にできたのが当たりだったよな。
若くして即位した悼公に人事権があったかは微妙だが・・
襄公も10代で即位したはずだけど、生きている間目立った失敗もないし
もう少し長生きしていれば結構名君扱いされた気がする 襄公は在位は短いけど十分、名君じゃないか?
秦の穆公の中原進出を阻み晋の覇権を守ったのは立派な功績だ
失敗というなら先シンを死なせてしまった事ぐらいか
まあ襄公が悪いかというと微妙だが 長いこと権力の頂点に立ち続ける
長く政権を守ってこそ名君だから在位短いのは大きなマイナス要素
でもまあ襄公の成績は非凡なんで名君といえるだろう 文公は9年程度しか在位してないけど
五覇の代表格だよな 晋で名君ベスト3を挙げるとすると
1位が文公、2位が悼公、3位が襄公になると思う 襄公が20年長生きすれば晋の公室も少しはマシだっただろう
襄公以降は家臣に擁立された君主だったから力が無い 武公・献公「俺たちの長生きは評価してくれんのか?」 御二方の武断武徳によって晋は超大国の高みに駆け上がった本当にありがとうございます いくら晋を大きくしたといってもあの大乱を思えば献公はあまり評価できないわ
人間が下衆過ぎて 公族弱体化政策を少しやりすぎて国にまとまりがなくなったのはマイナスだけど
晋が覇者になれたのは間違いなく献公の武断と機会主義のおかげなんで高評価
あれだけ急拡大すれば試練(乱)の一つや二つは発生するもんだし
地政学的に有利というわけではなく四方は強敵だらけ
既存の秩序に反しながらも強引に突破し覇者になった晋(曲沃)
この国の歴史を通観すると敵対的な外敵による緊張感って大事だな、と思う 献公は覇業の礎と三晋の分裂の遠因を作った
良くも悪くも晋の未来に多大な影響を及ぼした
評価としては上の下もしくは中の上 献公の攻略が無ければ魏も虞もカクも文公の時代も残ったままだっただろう
そうだったら文公の覇業なんてほとんど出来なかったよ
斉が桓公の後に伸び悩んだのは領土拡大を怠ったのも一因 前世代の仕事の成果は次の世代に顕れるからねえ。
ヤルことやって障害潰してくれてたら綺麗に伸びるし逆なら次世代の為に悪戦苦闘しなきゃならん。
>>639
献公時代の爆発的な軍事拡大とそれに伴う国際的地位の向上をみるに
統一の効果ってやっぱすげーわ。 そらどんなに優秀な為政者&勢力でも国家分断で常に足引っ張られてちゃ平均以下のパフォーマンスしか出んからな
執念と武力さえあれば他のモノは後からついてくることを証明した曲沃さん 大望を持つ者(国)ほど摩擦と困難に直面するからね
十全を望んでたら突き抜けられない 晋に勝るとも劣らない伸張を成し遂げた上に分裂することもなく栄え続けた楚と楚王室 十全老人「朕を愚弄した罪で>>644を凌遅刑に処す なんだかんだ戦国末まで高い次元で安定してる楚はすごいな。 清朝は棚ぼたで明王朝の力を受け継ぐ→武力は劣化しつつあったけど国力で伝統的な外敵を全部平らげる→長期の平和、超人口増
十全老人含む歴代皇帝は優秀だったけど上手いこといきすぎて弛緩しちゃったな
>>648
献公は始皇帝に近いと思う 親政開始後の始皇帝と似てますね
次世代への相続でやらかすし 領土や人口が増えすぎると引き締めきれずに空中分解or資源不足窮乏化で破滅する
恵公〜文公初期に悪名全開大活躍した郤氏って何気にスゲーと思う
ムチャクチャなのに然程国力を落とさず文公にバトンタッチするとか只者じゃない 斉桓公と晋献公って大雑把に同時代君主で、
両者ともに大規模に領土を拡張して、死後の後継にしくじってるのに、
片や五覇の皆勤賞で片や暗君扱い、は言い過ぎでも猪武者だったり晩年耄碌扱い
一体どこに差があったのか >>652桓公も菅仲頼りの駄目君主とか割と駄目な評価貰ったりしてるけどな >>652
管仲がいたかいなかったかの一言に尽きるでしょうなw 桓公というか管仲は領土拡大より商工業の発展に力入れたでしょ
斉は領土を2倍に出来たと思う >>652
当時の覇者の定義に則って考えれば自明に過ぎない気もするけどな
そもそも晋の献公は領土を拡大させても諸侯を総覧するでもなく、周に対して勤王の
姿勢を対外的に示すでもなく、一地方の強豪、酷な言い方すればお山の大将
ましてや同姓諸侯をあれやこれや滅ぼしてるわけで覇者でもなんでもない
斉の桓公や晋の文公が覇者として揺るぎない双璧扱いなのも、楚や異民族の外圧で
苦慮する周や諸侯を援けた事が最大の要因だもの
斉の桓公はたしかに後継を曖昧にして死後に内乱の種は残したが、その一方では
他国からの亡命者を迎え入れる度量があるし、公族を虐げもしなければ側妾を妄信して
子を殺すなんて愚行も犯してない
晋を拡大飛躍させた献公の事績そのものが大きいのは疑いないのだけど >>656
同意。献公には覇者にふさわしい信義が不足していた でも斉は桓公が継ぐ前から大国だったけど晋は献公によって大国の仲間入りした、と言える でもそれだって文公が名君だったからだろ
途中で死んでたり殺されてたら秦に吸収されてたかもしれない >でも斉は桓公が継ぐ前から大国だったけど晋は献公によって大国の仲間入りした、と言える
これな、献公というか当時の晋は斉の桓公型の覇者になろうと思ってもなれない
中小国の状態で信義を掲げた覇者レースに参戦したら宋の襄公、いや虢公のように滅ぶだろう 桓公が君主となる前に斉も釐公と襄公が国を拡大化させたのが結構大きかったと思う
そういう点では文公が君主になるまでに武公、献公によって大国化していった晋と一緒 ただ恵公と懐公が国威をどん底に突き落としてくれたという 文公が王室のいざこざを解決した時って、
一軍すら編成できなかったんだっけ?
んで解決した後王室から四城を与えられて
国力増大→三軍編成へ >>632
老齢の君主にまだ10代の太子ってあまりいいイメージないけど、
文公と襄公は例外やな 晋の名君は俺なら
文公・悼公・武公・襄公って並べるな。
5人目は献公かな、さらに100年昔の文侯も候補だけど 郤犨って臭そうな名前だなとかつい思ってしまう人いる? wikiに記事ある君主って平公までなんだね。
それ以後は存在軽すぎて書くこともないって感じか