】【春秋時代】晋の六卿について語ろう
晋の正卿
先しん、先且居、趙盾、げきけつ、荀林父、士会、げき克、欒書
、韓けつ、知おう、荀えん、士匂、趙武、韓起・・・
無恤:恤むものが無い(ほど恵まれてる) という意味でよいかな。
「無」という名前は他にも公孫無知や魏無忌にも使われているよ。
無という字の原義は「舞」だからなあ
そういえば、一時囁かれていた史記の人名当て字疑惑って結局どうなった? 無忌といってすぐ思い出すのは信陵君ではなくて費無忌だな ごめん俺張無忌だわw
確かに凌煙閣一位の人も捨てがたいが モンゴルでも強敵の名を子に付けるような風習があったような。 士?の抜擢とか領土の拡張とか、タダの筋肉バカではないとして
老醜をどう評価するか。
孫権みたいなもんかね。 別に過小とは思わんな
リキを寵愛して嫡男は死に追い込んで、ヘタすりゃ国そのものが分裂しかねない
混乱を生んだ蒙昧っぷりは拭い様がない
文侯の時代までから較べれば飛躍的に国土を大きくした功績はあるから、
評価を下げるなんて事にはならんけど、上げる必要性は考えられんなあ
中国は特に晩節を汚すとどうにもならんってのは詩経なんかを見るだけでも
わかるし 珍しい名前の人って近い時代に何人かいることが多い。流行りがあったんじゃないかなーと思う。 >>489 たとえば どんな名前?中国史に暗いので、
よくあるのと珍しいのとの区別が つかん。 >>490
劉邦の家臣の酈食其(れきいき)と審食其(しんいき)とか。食と書いて「い」と読むのはこの二人だけと
言われるくらい珍しい。 >>491 レスthanks。そういえば「食=イ」の読み方が珍しいという事については、以前読んだ気がする。
それを考えると「嬰」(晏嬰、田嬰、夏侯嬰)とかは、好まれる字なのかも
しれんね。しかも「偃」にいたっては何故か、「郭」に結びついていることが多いように思える。卜偃こと
郭偃の他にも南郭偃、東郭偃といった名前が歴史に登場するよね確か・・
おっと、小説作品のネタばかりになってしまった(汗) 史料ぐらいにしか登場しない人物名を拾うと
もっと面白いのかもしれないが、俺は読み込みが足りないから、このぐらいで・・(汗)
>>487
晩節を汚すのは桓公も同じ、国のその後も斉と余り変わらん
末子を溺愛するのもよくある話。
武公時代から比べて献公時代の領土拡大はとてつもなく大きい
このベースが無ければ文公は覇者にはなれん 文公を讃えるには献公を貶めるのが簡単な手法。
力量で評価するなら叡哲の「献」に悖るような暗君ではないね。
晋の支族をなくしてしまったことは大失点だけど。 >晩節を汚すのは桓公も同じ
>末子を溺愛するのもよくある話。
同じやらよくある話やらで済む問題とも思えんが。
結果として晋は混乱してんだし。 >>494 歴史のつながりを思えば「献公が全くの暗君」とはいえない
と愚考するけど(分家が乗っ取ったあとの晋を運営する手腕は十分だろう)、
それでも「有名エピソード=リキを溺愛して嫡男を死なせ、その後 長きに亘って国が
乱れる」となってしまう君公だと、晋に詳しい人はともかく、一般的な評価は
低くならざるを得ないかもね
このスレにお集まりの皆様にお尋ねしたい疑問があります。マイナーな話にもつきあってくれそうで、レスの
伸びてる所で聞いてみることにしました。(世界史の方には貼ってません)
中国の(特に歴史的な人物の)名前が小説とかで複数回、登場する場合には
二回目以降の表記には、慣習的にルールみたいなものがあるんでしょうか?
Ex.分厚い本じゃなくても、「史記と十八史略から学ぶビジネス心理術」
みたいな本(何冊も流し読みしたため、すぐにタイトル列挙できませんが、雰囲気わかってください)を
読んでると、伍子胥は、アザナ二字で子胥、と文中に出てくることが多いですけど
これだと姓(氏?)が抜けてしまいますよね。姓はすでに分かってるから
これでOK、という慣習ですか?二字が語呂の点でいい、というのなら
イミナとあわせて、伍員の方がすっきりしてると思うんです・・。孫武はずっと孫武で、たまに
敬称の孫子なんですよね。これって全部、今に至るまでの講談とか伝説とかの
慣習が蓄積したんでしょうか?
長文でごめんなさい・・・ お見苦しい醜態をさらしております・・・
スレよごし申し訳ない。 >>499
それは慣習と著者の嗜好だな。伍子胥を子胥と書くのは前後の文脈でそうと判る場合でなければ
あり得ないでしょう。そこで伍子胥と書くか子胥かそれとも伍員か、それは著者の好みでしかない。
しかし晋の文公こと重耳は姓が無くても慣習的にそれと判るから重耳と書く。 ありがとうございました。さきほどの醜態は、ボンクラ兄貴に
からまれたことによるものです(汗&苦笑)。
>>502さんへ。本日、無断でしたけど(汗)、レスを拝借
してコピペさせて頂きました。ありがとうございました。
>>505 事後報告だけど>>502さんに ひとこと 断っておくべきかな、と思っただけです、コピペしまくる荒らしと
間違われたりしたら心外なので(汗)。掲示板の経験が浅いので、お気に召さないレスをつけてしまったかもしれませんが、
出来れば生温かく見守って頂きたいと思いますが・・・ これが掟破りなら消えますから、お気になさらず。
>>505
むしろブログもってるなら、教えてほしいところ 502です。ブログはやってません。499さんのブログにコピペしたんなら見たいかなと思って聞いてみただけです。
オハズカシイ。
>>506
俺は気にしないけど、気にする人もいるだろうから聞いてからにした方が良いかもです。 ブログは持ってないんですけど、>>499の時に「他の所でも聞いてみようか」という訳で、
別のスレで>>499と同じ質問をして置きました。解決したのはココでしたけど、そっちのスレで
「どんな風に解決したの」と尋ねられたので>>502の文をコピペさせて頂いた、という経過です。
>>505で質問されてるのとは違って、ブログに貼ったという事じゃありません。
説明が足りなかったようで申し訳ありません。次からは詳細に書くようにしますね・・。m(_ _)m
>>510
あーなるほど。何処で訊いたか判らんけど、同じ質問を複数のスレに投下するのは場合によっては
マルチポスト認定される可能性も有るから気をつけた方が良いです。この場合だと歴史系の板は
マルチポスト扱いされると思います。 晋って北方の遊牧民起源なんじゃないの?
周から嫁を迎えて姫氏を名乗るようになったとか。 姫氏の大部分がそうやって成立した可能性もあるような気さえしてきた。
姫氏に限らず、姓ってみんな「女」って付いてるし。 調べたら、宮城谷昌光が全く同じこと書いてたらしい。
まあ少なくとも鄭は周の完全な分家とみて間違いなさそうやね。
他は娘を嫁がせて同族にした可能性があるけど。 宮崎市定は分家は全部同盟関係が出来てから作った話って書いてたな。
そもそも幽王のころの周の東遷も、武王による商の征服と同じこと、
つまり周民族が西から追われて民族大移動で中原にやってきた同じネタを
時代が分れた2つの話にしたって説だから。 >>521
西から追われた周に商が滅ぼされたって、フン族に追われたゲルマンの侵入で西ローマ帝国が滅亡した、
みたいな話だな。 松平から嫁迎えた有力大名はみんな松平姓になってたっけか。 なるほど似てるな。
みんな我が子に押し付けられて文王もあの世で溜息だろうな。 晋で一番の名宰相は誰になるんだろ?
どうも決め手に欠ける >>399-400で、似たような話題が出ているけど
「決定的な一番」が誰なのか、よく分かりませんね 文公の覇業を助けた一番の功臣は史記だと趙衰、左伝だと狐エン
この違いはいったいなんだ? いやそういう意味じゃなくて史記だと左伝にある狐偃の文公への発言が
ほとんど趙衰のものに変わっているんだよ
もちろん左伝だと史記にある趙衰の発言が狐偃のものというふうに
史記、左伝どちらが正しいのか そういえば荀林父の擁護をしたのも左伝と史記で記述が違ったな 左伝には「指掬すべし」のシーンがなかったような。
「責任とって死ぬ」「死ぬならもろとも」「国に帰らないと無責任だ」「じゃあ帰ろう」 >>536
翻訳だけど岩波文庫のには載ってたぜ。宣公十二年。 >>536
「舟中之指可掬也」
>>537のいうとおり、宣公十二年に記述があるよ
俺は明治書院版で確認した
前々から感じてたんだが、あんた、たまに抜けてるな 重耳が亡命した際の随行メンバーも史記と左伝で違うしなあ
正確なメンバーがわかることができるのか >舟中之指可掬也
銀英伝のイゼルローン陥落時の帝国軍の混乱ぶりはこれが元ネタかな 弟に比べて空気な狐毛
狐毛は庶兄なんじゃないかと思えてくる 孔子が目立つからアレだけれども、戦国期までの嫡庶ってぶっちゃけ確立されてないんじゃないかなあ。 個人的に晋で一番の名宰相は趙武だと思っている
何故なら趙武が中軍の将(宰相)の時、楚、秦といった敵対していた国と和平がなったから
叔向、韓起といった名臣たちの補佐があってこそだけど 個人的晋の名宰相(中軍の将)ランキング
1位趙武:楚や秦との和平に成功した
2位先軫:政治家らしいことは何もしてないけど、中軍の将として城濮・殽山の戦いといった天王山で勝利し晋に覇権をもたらした
3位趙盾:ミスが多いが、それでも文公・襄公死後の難しい状況で晋の覇権を守った
3位は士会・郤缺・韓蕨あたりと迷った >>548
趙氏、上位に二人も選ばれてますます調子に乗りそうだ
という冗談は置いといて
名宰相候補なら、個人的に硬骨漢の荀オウも推したい 諸侯の中で強くありたい者と政治家として優れた者は異質で当然。
パラメータ評価とかするのは無粋。 荀林父も邲の敗戦さえ無ければ名臣として評価されたろうに 趙氏孤児をベースにした映画見てきたが
韓蕨がただのチンピラになってて泣いた
てかやっぱメインターゲットって中高年なのかな たしか、あらすじを読んだ限りでは公孫杵臼は居ないんだよな。 韓蕨がただのチンピラって映画作った奴は左氏伝も読んでないのか? 公孫杵臼でてくるよ。すぐ消えるけど。
というかあの作品に史実を期待するのが間違い。
趙盾が死ぬわ、程嬰がただの医者だわ、韓蕨がチンピラだわと。
こういう歴史改変は別にかまわないんだけど、別に映画としても面白くないんだよな。 最初の趙盾が馬車に乗って出てくるシーンは迫力があってよかった たしかに前半は面白かったね。
後半はなんだか消化不良。 話聞いてるかぎりじゃ、なんか宮城谷の短編の方が面白そうだな >>558
2番目の短編がなかなか感動できるよ。史実じゃないという説もあるが(...)
ただ、宮城谷節に慣れてないと読みづらいかも 中行呉はなかなかの名将だと思うんだが、そういう話をあまり聞かないなぁ。
ウィキペディアにも記事ないし。
相手が鮮虞や肥などの周辺小国・異民族なのが目立たない理由かね。
鼓を無血開城させた話とか好きだ。 >>560
俺も中行呉は名将だと思う
凡庸な人物が多い中行氏の当主の中でも随一というか唯一といってもいいくらい
なんじゃないかとも思う
あまり話題に挙がらない名将といえば魏舒もそうだろうね
この時代に地形と兵科の適正を認識したうえで、それをすぐさま実行して
なおかつ戦果を挙げるなんてそうはできないし
春秋時代の戦史を語るならけして欠かせない人物だろうとも思う >>561
おお、さっそくレスどうも。
中行氏唯一の名将かwたしかに。
父親の偃は、上司にキレられたり今年中に死にますよとか言われて尻に火がつくような、
用兵に波というかむらのある人なのにな。曾お祖父さんもそんな感じだな。
魏舒は戦車隊を歩兵部隊に再編成して狄を破った人だよね。
言われるまでそんな話もあったな〜って感じだったけど、
たしかにこれは離れ業だ。魏舒が名将なのは疑うべくもないね。 >>563
ヒツの戦いは運が悪かった。しかし将とか卿になってからは立派に晋の顔だったね
荀氏のDNAは、時どき名将というのがデフォなんだろうか というよりも中行氏と智氏で分けて考えた方がいい気がする
智氏は荀首に始まってほぼ累代水準以上の当主が続いたけど、
中行氏は中行呉以外は揃って凡庸といってもいいくらいのもん
総領の甚六みたいなもんなのかもしれん 荀林父も邲の敗戦以外はなかなかの名臣だし
中行偃も最後、斉に勝利して名誉挽回できたし
決して凡庸だとは思えないな 一回の失敗だけで過小評価されてる人って結構いるよね