秀吉頑張れば中国に王朝立てれたって
秀吉が大明国に攻め入った時、
その兵の人数はヌルハチが明を倒した時の10倍。
軍事力では朝鮮には楽勝して明だって倒せるレベル。
実際に陸では連戦連勝。
でも海が駄目だった。秀吉が海賊禁止令なんて出すから
船の技術の進歩が遅れていたんだ。
海戦で負けて補給路を断たれた。それで現地の兵は
篭城とか苦しい戦いを強いられたんだ。
でも負けて良かったかもね。日本が中国征服したら
中国が勢力回復した時に日本も吸収されただろう。
実際に満州民族は明を滅ぼし清を立てたが
清王朝が滅亡した時、満州もいつの間にか
中国のものになっていた。 朝鮮が徳川幕府との関係改善に積極的だったのは、
満州族の脅威に対して、日本を後ろ盾にして対抗したかったからみたいだね。
見事に失敗しているけどw 仮にうわべだけ同盟結んでも日本は助けにいかないだろうな
申し訳程度に九州の小大名の軍が数千送って三方ヶ原の佐久間状態になるだけだろう その出兵を命じられた九州の大名も、嫌々の出兵だろうから、
元を取るために掠奪とかしそうだしなw
つか朝鮮側も、清に対してそう見せかけたいだけど、
実際に日本軍に来てもらおうなんて全然思っていないだろうし。 >>493-495
つーか、援軍に呼んでおきながら、
途中で朝鮮が寝返りそうな予感 朝鮮人は日本を裏切ることに対しては良心の呵責を覚えないだろうからなw >>478
山田長政の事跡ってどこまで本当なんだろうね。
伝説的な人物だけど。 山田長政の伝説はかなり創作も入って過大評価だと思うけど、
そのわりに日本では扱いが地味で、かえって過小評価な気も。 >>487
鬼石曼子の威名って、実際のところ、
明の本国にはどれぐらい浸透したんだろうね?
どうも日本側で過大評価している気がするけど・・・・・・ >>501
鬼はゾンビや幽靈だと言うから、そもそも威名でないのは今日周知の事実だし、
それが明帝国に浸透していたとしても水滸伝の太閤とやらと同レベルの卑称であったろう。 秀吉みたいな貧農の成り上がりが天下を取ってしまったから、
足るということを知らずに余分な欲望に駆られたんだな。
シナとは付かず離れずの付き合いするのが聖徳太子以来の日本の一種の国是なのに、
そういう教養がないから無理をする。
昭和になって陸海軍の学校が農民の次男三男坊の出世コースになって以降、
皇道派などアホな過激派が力をもってしまって軍隊の道の誤りと堕落に繋がったのと同じ。
>>504
>貧農の成り上がりが天下を取ってしまったか
明を建国したあのお方の耳に入ったら…… >>504
3行目は今の日本の政治家や財界人たちにぜひ言ってやってくれ ぶっちゃけ秀吉の外征は、領土獲得への欲望と言うより、
国内問題に対処するための必要な政策という側面が強かったと思う。
内戦終結で大量の浪人が生じ、軍需産業は停滞、
余剰な軍事力があるという状況に直面したわけだから。 清太宗と豊臣秀吉の差異は豊臣秀吉は朝鮮を攻撃したが
清太宗は明を滅亡させた. 朝鮮が宗主国にする明を滅亡させると
朝鮮も屈服する. また戦略的に見る時サポート勢力が消えるから
朝鮮は自然易しく征腹することができる.
豊臣秀吉は利点が分からなかったのだ.
朝鮮を征伐する前に先に明を滅亡させたら
彼は中国の皇帝になっていたはずだ. これは歴史的教訓だ.
>>508
だから、その明を征服するのが、
実際実行するとなると難しいって話しているんじゃないかw >>508
清(後金)は入関前に朝鮮を屈服させてるんだが。 >>511
清が朝鮮を屈服させることができたのは、何より進撃速度の速さじゃないかと思う。
国境を突破してから数日で漢城まで攻め寄せ、国王に江華島へ逃げる間を与えなかった。 文禄・慶長の役の時も、朝鮮王が北へ逃げずに江華島に籠っていたら、
どうなっただろう?
国王が捕虜になったら、朝鮮側は別に新たな王を立てる? その前に秀吉軍は清(後金)とまともに戦えたのか?
日本人が大陸で騎馬民族軍を相手にしたのってないだろ。
明の凡将ですら、日本の名将せいぞろいが実質負けたわけだぞ。
その明を降した騎馬民族を、日本が相手できたとおも思えない、
彼らをなんとかしないと、明を降すなんて夢だろう。
明の絶頂期でも清の絶頂期でも、まともに相手すれば日本なんて負けた可能性がある。
なのに日本の絶頂期でも出来たばかりの北方の国とまともに相手できないんだぞ。
どうやって明を降して王朝立てることが出来るのよ。
家光だって清にはびびっていたから再三の援軍要求にも関わらず鎖国してこもったわけだろ。
まずは清(後金)の前に全滅しないことを考えようよ。加藤だってヌルハチにびびって
逃げ帰ったんだから。明なんて無理だろ >>513
日本もそれとさほど変わりない速さで首都陥落。
なのにゲリラ戦頻発。清の場合は国民ごとあっさり降伏。
なんでこの差がついた考えないとね。
清相手に元や日本のように全力で戦おうとしなかったわけを。
でも清相手に日本の徳川軍が朝鮮で激突。果たしてドルゴンが勝つか
家光が勝つか。
勝てないとすぐ上で書いているけど、結構面白い結果になったんだろうな 戦う場所によるんじゃね
日本が大陸に攻め込んだらまず大陸側が勝つし反対なら元寇のように日本が負ける >>515
無駄無駄無駄
当時の日本と女真が正面衝突したら、
チャルディラーンの戦いよろしく、
女真がサーファーヴィー朝の二の舞を演じ、
ヌルハチがイスマーイール一世のように飲んだくれになるだけさ(ヌルハチは酒を嗜まなかったらしいが)
女真は、騎馬民族といっても、家付き、土地付きの狩猟、農耕の連中なんだから、
草原の遊牧民と違い、
形勢が有利ならば進み、不利ならば退き、決戦を避け、相手の戦線が延びきったところで反撃する、
っていう戦略をとれないから、決戦を避けることは出来ないしな
まっ、そもそも太閤が出兵した時点では女真は統一されてないし、鎧袖一触というものだろう
それと、
宣教師も、
日本人をキリスト教に改宗させ、自分らの船で兵士として大陸に送り込めば、
容易に大陸を征服できるだろう、
って言ってんだから、
明征服は別に荒唐無稽な話でもなんでもねーよ
万里の長城なんていうネズミのクソほどの役にもたたねーもんを必死こいてこしらえていたような、
愚劣極まりない明ごときを過大評価しすぎだっつーの、ここの連中は
結論は、
やり方がまずかっただけ、海軍力が足りなかっただけ、明征服は十分可能、
それ以上でも、それ以下でもない >>518
しかし以前の朝鮮出兵スレでは明も清も
清の兵一人をもって日本軍30人にあたる、と書きこのされたくらい
勇猛だったそうだが。
実際明も日本軍そのものの兵力は過大に見ても、
日本軍そのものが明より明らかに強かったなんて記述があるのか。
清も日本のことを見くびっていたようだぞ。
実際、他国の侵略というよりは、倭寇の拡大と見なしていたようだしな
>>518
ここのスレ全体としての流れとしては、
戦闘そのものでは、明軍に勝つことは十分にあり得る。
ただ、戦闘に勝つこと=征服には、必ずしも繋がらない、
という意見が多いと思う。
一時的に土地を荒らし回るぐらいならともかく、
征服と言う場合は、領土化して支配すると言うことだろうし、
一筋縄ではいかない。
Battleには勝ててもそれがWarの勝利に繋がるとは限らないからね。
まあ、国力において絶頂期の明に、永楽帝のような歴戦の皇帝がいても、
日本を征服することは無理。
同じように、日本が明を征服することは無理。
渡海作戦による征服はそれだけ難しい。 19世紀と違って、16世紀の時点では、双方の軍事技術の差が、
そこまで隔絶したものになっているとは思えない。 明朝側の“やる気”も大いに関係してくるよね。
何しろ、この当時の明の皇帝は、あの万暦帝なわけだし。 万暦帝はかなりケチだったらしいから、
本音では、莫大な戦費を食う援軍なんて派遣したくなかっただろう。
何らかの形で、日本の狙いが朝鮮半島限定だと分かれば、
平気で朝鮮を見捨てそう。 明には、日本の大軍百万人が、朝鮮半島と江南から攻め込んでくる、
なんて伝わっていたらしい。 朝鮮以外に、琉球も明にいろいろ通報していたらしいからな 嘉靖年間の倭寇騒動程度の規模を想定していたんじゃないの、明朝は 倭寇という問題は朝鮮の戦争と全然違う。
朝鮮で戦っていた明軍の戦闘力は東南地方の軍隊より強いね。
また、明朝の倭寇は大分中国人である。 >>531
朝鮮の王も、そういう今までの倭寇のようなものを連想して、
報告があった初日は何の対処もしなかったらしいしな。 忠州に北方で女真族との交戦経験もある精鋭部隊を集結させて、
ここで絶対に防ぎ止めるぞ、って覚悟だったらしいけど、
数時間の戦闘であっさり壊滅しちゃったらしい。
斥候さえ出さなかったらしいからな、朝鮮軍は
待ち構えていた日本軍に出会いがしらで開戦したらしいしw 明・朝鮮側は日本軍との戦闘を通して、
鉄砲戦術を真似して取り入れたようだけど、
日本軍側は、大陸側の騎兵戦術とかは真似してみたのかな。 >>536
まあ実戦経験があるだけまし、っていうことでしょ
>>537
馬匹の体格はいかんともしがたいんじゃないかな >>538
戦国期日本の馬と、蒙古あたりの馬は、体格的にはそう変わらかったようだよ。
大型の馬が飼われていたのは主に西方世界。 そもそも大陸の騎兵戦術とかの前提にある
会戦に適した平野が日本には無い・・・・・・。 朝鮮の役で日本軍が戦った相手って、実質的には遼東の李氏軍閥だよな。 >>542
前半はおおむねそうだと思うけど、
後半もそうだったのかな。 『壬辰の乱-東アジア三国戦争』:チョン・ドフィ・イ・ギョンスン編、ヒューマニスト、460ページ、2万8000ウォン
[新東亜]壬辰の乱(文禄・慶長の役、1592〜1598)と言う国際戦争に責任のある一人をあげれば、豊臣
秀吉を真っ先に指折るだろう。しかし、壬辰の乱以後、実際に東アジア秩序の主導権を握ったのは清
朝を建設したヌルハチだった。この二人は16世紀末、東アジア世界の既存秩序を転覆しようと野心を
燃やす挑戦者という点で同じだが、このように結果は大いに異なった。どうして豊臣秀吉は失敗し、
ヌルハチは成功したのだろうか。キョ・スンボムの文はその差をとてもおもしろく説明する。
筆者はヌルハチや秀吉が自分たちの野望を実現するためにまず明の分身のように思われていた朝鮮に
向い合わなければならなかったが、その対応方法が対照的だ。ヌルハチは外交を通じて朝鮮と明との
結束を遮断した後、中原を狙う慎重な歩みを見せた一方、秀吉は朝鮮を侵攻してむしろ朝鮮と明の軍
事同盟を強化させ、結局それによって失敗してしまったというのだ。
それでも秀吉の誤判断が個人的問題に起因したとは思わない。WJボートもこの本の他の論文で秀吉は
決して戦争狂ではなかったし、合理的で理性的な人物だったと指摘した。キョ・スンボムは秀吉の選
択が東アジア世界で日本が持つ歴史的位置と関連することを想起する。秀吉の日本は、明が主導する
東アジア世界の中に入った経験がないから、冊封-朝貢制度の明確な意味が分からず、ただ自分が得意
な戦争のやり方によっただけ、というのだ。一方システムの内部でその長短所を正確に理解したヌル
ハチは、新しい世界を建設することができた。 東アジア史に対する無理解
ヌルハチと秀吉の比較は朝鮮と日本の関係の中で侵略とレジスタンスの話として壬辰の乱を理解して
来た私たちに新しい視点を開いてくれる。先に東アジア史の観点で壬辰の乱を理解する必要性を提案
する。東アジア史の観点とは朝鮮と日本、中国と遼東などを含む他者との関係分析と同時に冊封-朝貢
関係に基礎を置いた東アジア秩序の性格に対する細心な理解を要求する。その上で壬辰の乱が論議さ
れる時、私たちは秀吉の軍事的冒険に対する歴史的評価が初めて可能であることを理解できる。
次に壬辰の乱がどのように記憶されるかについて。この本に載せられたタカギヒロシの文は明治維新
以後、日本が秀吉を顕彰して記念する過程とその現実的背景を詳しく紹介している。特に韓日強制合
邦以後、朝鮮侵略の先駆者として、ひいては大東亜建設の雄志を抱いた先覚者として秀吉のイメージ
が拡大再生産されていることをよく見せてくれる。このような操作された記憶が通用する土壌は一次
的に東アジア歴史に対する集団的な忘却と無理解にあるだろう。
西欧史学の流入で歴史の理解が国家単位に割れることで東アジア史に対する総合的理解は不可能にな
った。このような状況で東アジア史研究を推進することは現在の国家記憶が抱えている問題点を理性
的に示すことで、この地域に和解と共存の礎石を押し堅める作業になるだろう。
以上の議論は「壬辰の乱-東アジア三国戦争」における問題意識のキーポイントと言える。この本は1、
2日の努力で書かれたのではない。西江大チョン・ドヒ教授主導の下、2003年から基礎研究と資料の
調査、そして国際学術会議を経て本が出るまで5年の時間が必要となった。その結果、韓国と日本、ア
メリカ、オランダなど多様な地域の専門家が著者として参加して十分な時間を持って論文を作成した。
にわか造りの研究成果が珍しくない現実で、このような努力は高く評価を受けなければならない。
豊臣秀吉の欠陥を指摘することは韓国人の民族的情緒に符合する面があって読者に別に拒否感を起こ
さないだろう。しかし、実際この本は不都合な真実にもっと多くの章を割いている。戦争記憶の操作
は韓国人にも親しいことだったからだ。この本の前半部に載っているいくつかの文はそういう問題を
正面から扱う。 暗い過去を直視する勇気
チョン・ジヨンは驚くべきことに論介(ノンゲ)が倭将を抱えて死んだという話は立証できない、と主
張する。にもかかわらず今日、ノンゲが歴史中の人物と記憶されているのは、6・25戦争(朝鮮戦争)
以後、国家的危機を突破するイデオロギー装置としてノンゲの忠節が活用された結果だ。この話の中
でノンゲは芸者として本来堕落した存在だが、国家に忠誠を捧げれば純潔になることができると設定
された。ノンゲを民族の名前で顕彰するが、実は女性と疏外階層性を排除する位階論理が民族談の中
に働いていることを鋭く指摘する。
ヨネタニの文は壬辰の乱の時の日本で捕らえられていった人々の運命を追跡した。その数およそ数万
に達し、終戦後六千人以上が帰還したと推定されるが、意外にも帰還捕虜らが大部分罪人の烙印を押
される不幸な運命を受け入れなければならなかったことを淡々と叙述する。これまで日本の大規模な
人身掠奪を責める声が高かったが、実際に帰還捕虜たちを朝鮮でどのようにもてなしたのかについて
は関心がなかったことは事実だ。
ハ・ヤンヒの文は、紅衣将軍、郭再祐(クァク・チェウ)が丁酉災乱(慶長の役)の時、昌寧の火旺
山城で日本軍を打ち破った、という話が後代に操作されたことを実証する。英祖(ヨンジョ)代の老
論(訳注:李氏朝鮮の党派の一つ)の精神的支えである趙憲と七百の銃を顕彰すると、彼に対抗して
南人(訳注:同じく党派の一つ)集団が「同苦禄」を出版して火旺山城の話を作り出したというのだ。
以上の文等は壬辰の乱に対する韓国人の民族的記憶が実際には信頼できない、という戸惑う事実を悟
らせてくれる。
一方ジョン・B・ドンコンは歴史では、記憶が国家や特定の集団によって操作されるだけではないこと
を幅広い視点で見せてくれる。彼は壬辰の乱以後民間に流布した「壬辰録」に現われた日本と中国に
対する敵対感を指摘した後、開港以前にすでに朝鮮の非エリート層の間に自分たちが住む郷村社会を
飛び越えた一体感が存在したと評価する。壬辰の乱という戦争経験は漸進的に韓国社会に‘民族’が
形成される基盤を提供したわけだ。
李舜臣の記憶に対する系譜を追跡したチョン・ドヒは、さらに記憶研究の当為性を強調する。彼は李
舜臣に対する近代的記憶を検討した結果、シン・チェホを除けば、みな李舜臣が当面した朝鮮の現実
を話さなかったと指摘する。李舜臣は恐ろしい現実をしばらく忘れるための逃避先(229ページ)だった
わけだ。チョン・ドヒは韓国でも日本でも自分たちの暗い過去を直視する勇気がなければならないし、
そうするためには李舜臣と壬辰の乱に対する記憶の歴史を歴史的に暴く努力が必要だと力説する。
キム・ソグ郡山大講師・史学
naver/新東亜(韓国語)‘壬辰の乱-東アジア三国戦争’ 新東亜
http://news.naver.com/main/read.nhn?mode=LSD&mid=sec&sid1=103&oid=262&aid=0000000958 ■対馬島(テマド)を征伐した李氏朝鮮は、どうして領土編入しなかったのか
〜 『朝鮮、平和を片思いする』:張学根(チャン・ハックン)著
著者は李氏朝鮮時代に起こった戦争を大きく四種類に分ける。朝鮮初期、他民族の侵入に
積極対処した領土開拓戦争、朝鮮・中国・日本が参戦した東アジア国際戦争、外交の失敗
が呼んだ戦争、19世紀末の帝国主義列強との戦争だ。
海軍兵学校教授と海軍兵学校博物館長を務めた著者はこのように戦争史のレンズで朝鮮
の歴史全体を分析する。
世宗時代の対馬島征伐(訳注:日本側の呼称は「応永の外寇」。西暦1419年)と北進政策
は、領土開拓戦争に属する。著者は、国家体制が未整備だった頃に朝鮮を苦しめた倭寇を
征伐した対馬島征伐は朝鮮最初の軍事行動であり、新生国家朝鮮の軍事力を誇示する機
会だったする。
しかし、軍事戦略面から見れば成功しなかった戦争だ。当時朝鮮は、対馬島を朝鮮領土に
編入してくれれば朝鮮の臣民となるという降伏申し出を対馬島征伐後に受けたにもかかわ
らず、対馬島の戦略的価値と経済的価値を予想できずに対馬島を朝鮮領土に帰属させる
ことができなかったためだ。
仁祖時代に起きた丁卯胡乱と丙子胡乱は、当時の東アジアの力学構図が明から清に移動
しているにもかかわらず明に頼る政策を展開して手酷い試練にさらされた痛恨の経験だ。
著者は、国際関係に疎い朝鮮が外交的妥協の可能な問題を敢えて無視したためだと指摘
する。
▽東亜日報(韓国語)(2008.02.16 02:57)
http://www.donga.com/fbin/output?n=200802160058 ■李氏朝鮮はどうして幾多の侵略にあったのか
倭乱と胡乱、そして日本に国を丸ごと明け渡した庚戌国恥まで。李氏朝鮮はどうしてこんな
に多くの外侵を受け、ただの一度も勝利をおさめることができなかったのだろうか。そして、
そうした中でいかに500年間も存在を失わないで国を守ったのだろうか。
これについて答を出す本が出版された。軍事史専門家である張学根(チャン・ハックン)氏の著書
『朝鮮、平和を片思いする』がそれだ。
著者はまず、朝鮮時代に起きた戦争を大きく四種類に分ける。朝鮮初期の女真・倭寇討伐
戦争、倭乱と胡乱、そして朝鮮末期の帝国主義列強との戦争に区分する。そして、これらの
戦争がどのように進行し、何が問題で、今日の我々にどのような意味を持つのかを一つ一つ
説明する。
朝鮮が唯一、先に他国領土に入って行った女真・倭寇討伐戦争。著者はこの戦争を、初期
朝鮮を苦しめた勢力に対して朝鮮が積極的に対処した証拠だとして高く評価する。
壬辰倭乱(訳注:秀吉の朝鮮出兵のこと)について著者は「兵法論理を飛び越えた戦争」だ
とする。あまりにも多くの被害を被った戦争だったが、李舜臣という超人的な指揮官の活躍
のおかげで侵略を阻止できたということ。しかし同時に、「この戦争を朝鮮の勝利と見ること
はできない」という点を明確に述べる。<後略>
▽ソース:毎日経済(韓国語)(2008.02.15 18:09)
http://news.mk.co.kr/newsRead.php?sc=30000023&year=2008&no=85453&sID=300 ↑は、頑張れば対馬を領土化できたって、ってところかw 資源に乏しい朝鮮が、自給自足できない対馬なんて取っても
余計なお荷物が増えるだけだしな…。
そこを足掛かりに外征なんて国力もなかったし。 ちなみに大陸の城と戦国末期の日本の城では、日本の城の方が圧倒的に合理的。
朝鮮出兵でも倭城の方が堅固で、それを朝鮮側も認めてる
まあ、市民を守ることを考えてる都城と、純粋に戦闘力を追求した倭城では比較できないんだが
さらに秀吉は。糧秣のほとんど本国から送っている。
現地調達が基本な時代にこれほど補給を重視した戦い方は、後のナポレオンを待たなければならない。
また、戦争を通じて海上補給が破綻したことはない。 日本の戦国時代の城、主に山城だけど、
合戦時には、領内の住民も収容して籠城することが多かったみたいだね。
毛利元就が尼子晴久に攻められた吉田郡山城の戦いがいい例だけど。
これは領民を守るというよりは、
同じ地域の仲間的な意識が強かったのかな。 >>553
だけど、落城した時は、みんな一緒に捕虜となって、
人買いに売り飛ばされてしまう。 >>552
>また、戦争を通じて海上補給が破綻したことはない。
朝鮮出兵ででしょ? 無茶苦茶破綻してなかったか!?
兵糧を欠いて苦しむ蔚山城だかに、博多あたりの米商人が現れて
ボッタクリ価格を吹っ掛けて来たりとか(考えてみりゃスゲェ話だ)。 少なくとも敵の妨害によって、破綻ということはなかったんじゃないか。
あまり戦線を北に伸ばすと、物理的に補給線の構築が難しくなるだろうけど。 豊臣秀吉、小田原の陣の時は、船で兵糧を駿河に集めたんだったよね。
たしか、二十万石分。 スレ違いだけど・・・
今は、1850年代の幕末の明治維新前と同じ。このまま行けば、日本は、
政治経済上は中国の植民地。軍事は、アメリカの植民地、エネルギーは、
ロシアの植民地になる。
今こそ、平成の、坂本竜馬、高杉晋作、西郷隆盛、大久保利通、勝海舟、
吉田松陰、伊藤博文・・・ら、英傑が現れない限り、中国、アメリカ、ロシア
によって、日本は、確実に分割統治されるだろう。
それを避けるには、憲法を改正して、核保有し、核抑止力を持つ以外に道は、無い。
核反対、スパイ防止法反対、という連中は、中国が侵略してきたら、真っ先に
外国に逃げるに違いない。
核を持ちたくなければ、中国に第二の毛沢東を登場させ、内戦を起こさせ
7つくらいの国に、独立させるしかない。本当はそちらのほうが、
中国の一般民衆は教育水準も生活水準も向上し、民主主義の中で生きられ、
幸せであるに違いない
スレ違いと思うなら書き込むなw
とりあえず豊臣秀吉が、海上輸送による補給の思想を持っていたのは確かだろうな。
朝鮮の役の場合は、単純に戦線を広げすぎて、距離が大きくなりすぎたことが失敗の原因だろう。 >スレ違いと思うなら書き込むなw
おまいなぞに言われとうない。 秀吉があと10歳若かったら戦略も変わったのかな。
朝鮮はともかく、北京城を当時の日本軍の装備で力攻めで落すのは、
いくら十数万の軍勢がいても無理だろう。
当時の日本では大城の本郭ぐらいでしか使ってないような
高石垣並みの高さをもつ城壁が壮大に街を囲んでいる様と、
城門一つだけで当時の一般的な城の本丸クラスの防御力をもってそうな
北京城を見ただけで並みの大名は途方に暮れるんじゃないか。
もし秀吉が直接全軍の指揮をとって北京を攻めるとしたら、
小田原城攻めのような戦略をとるのかな?
気付いた時には逆に取り囲まれてそうな気もするが・・・。 この時期に中国目指さずに、沖縄→台湾と、マリアナ方面、あと、北海道から樺太・沿海州・千島からアリューシャンあたりを押さえてればなぁ・・・。350年後に役に立ったのに 国力無いのにいたずらに拡張したって列強相手に維持できるとも思えんけどな。 >>562
樺太、カムチャツカあたりはそう思うな。
オーストラリアも領土にしておけばとは思う。
つーか、遠くから来た西洋人に取られるなんて
アジア人なにやってんのよって感じ。 >>561
当時の大阪城は面積にして世界最大の城郭、北京城よりでかい
国内でそういう城作ってて、実際家康は落したわけだから途方にくれるということはないだろう
まあその大阪城も正攻法では落ちなかったわけだけど
大砲で石垣崩しても意味がないから(中の土塁が露出するだけ)精神攻撃以上の意味を持たなかったし あと北京城の縄張りは非常にシンプルで戦国末期の織豊系城郭に比べると心許ない
目的が違うんだから都城と純粋な防御施設を比べる方がおかしいけど
全然関係ないけど大陸の城で近代戦に耐えた城ってあるの?
日本は熊本城があるけど つーか、デカ過ぎ&外郭の防衛に特化した北京城は、守るのも困難そうだな。
近代戦での北京城の例「義和団の乱」
ttp://yokohama.cool.ne.jp/esearch/kindai/kindai-hokusin.html
まあヒデキチ君でもイエヤシ君でもいんだけど、鎖国なんかせず貿易とか技術開発バンバンやって、
伊達とか島津抱きこみながら屯田兵&貿易商で蝦夷樺太千島とか沖縄台湾ルソンとかガッツリ押さえて、
サイパングアムハワイまで朝貢させる海洋国家に発展を遂げつつ、満を持して
長江や黒龍江の河口を拠点に四川やバイカル湖ウラル山脈までジワジワ遡って、
半島や中原なんか華麗にスルーつうか、漢韓以外の北東南を全部押さえる方向でよかったろ
そうすりゃ浪人問題とか華麗にクリアだし、中原や半島なんか外濠埋められた大坂城みてーな内陸ヒッキー国家に成り下がり、
あとはボタッと落ちるのを待つもよし。いやむしろ
実はあまり役にも立たない無駄に厄介なエリアとして、包囲し無力化したまま放置みたいな?
余剰兵力や軍需産業のエサ場として生かさず殺さず、時々攻めては占領もせずに恩賞用の物質や土地少し強奪して終わりみたいな?
信長ならそんなビジョンが持てたかどうか知らないが、まあ今に及ぶ鎖国による日本弱体化はなかったろうな 鎖国は鎖国で、それなりに明治維新につながるものがあったけどね。 鎖国、キリスト禁止令は西洋から、自国を守るための手段であって、
弱体化といっても、インドみたいに植民地になってたら、弱体ではすまないし。
俺の中学の先生もそうだったんだけど、生々しい虐殺のあったキリスト禁止令はわかるけど、
自国防衛の鎖国を、間違いのようにしか言ってなかった。 現在の中華人民共和国と混同してないか?
あくまで相手は漢民族。
漢民族居住地はそんな広く無い、制海権さえ抑えれたら
充分倒して支配下に入れれたよ。
でなきゃ女真族は漢民族を支配下には置けなかったろう。
南部に明を追いやって南明とでもなってもらって、北部に傀儡政権樹立が妥当だろうな。 そもそも戦国日本軍は、根本的に長距離遠征能力がないからな。
小田原の陣も、補給ではかなりギリギリな局面があったみたいだし、
朝鮮の役も、一旦北部まで制圧しながらも南部に徹底したのは、
根本原因に、補給を続けるのは南部が限界だったからだろう。
中国大陸まで補給を続けられるようになるには、
まずは朝鮮半島で練習を続けるしかないね。 豊臣秀吉は寧波を首都とした東アジア帝国のようなものを構想していたらしいけど、
恐らくはあまり事情を知らずに日明貿易で知名度の高かった寧波を念頭に置いただけのこととは思うけど、
実際に、東シナ海を囲むような形で、日本・中国の連合帝国が実現した場合、
どのような形態の国家になるんだろうか? 寧波は中国を支配する拠点としては、辺境すぎるね
運河は杭州までしか伸びていないから、交通の便があまりよくない
日明貿易の窓口とはいえ、経済力で絹織物産業のある蘇州や、塩取引の中心揚州に遠く及ばない
日本史専門だからわからないんだけど、
明が朝鮮に援軍を送る義理なんてどこにあるの? 明の朝廷は、日本の動向については、属国の朝鮮や琉球、
あるいは日本との間を往来していた福建の商人なんかから情報を得ていたわけだけど、
結構いい加減で、秀吉は二百万の大軍を動員して明に攻め込む、なんて報告になっていたようだからね
それなりの危機感があったんだろう
明にしてみれば、属国の朝鮮が滅びようがどうなろうが、本音ではどうでもいいこと。
だけど、秀吉の目的が明の制服にあると伝わっていたから、
朝鮮が占領されれば次は遼東に攻め込まれ、遼東を突破されれば北京が狙われると認識があったはず。
だから予防的に、朝鮮で日本軍の侵攻を食い止めようという意識が強かったと思うよ
宗主国として属国を助けるという大義名分もあることだしね 琉球経由の情報だと、朝鮮が日本軍の先導役になるという報告で、
朝鮮にそれを問いただしたら、
「宗主国様、それは誤解ニダ」と必至に弁明したらしいしw >>564
地図を見たら、オーストラリアって、ジャワ島あたりから島伝いでいけそうな気もするんだがなあ
まあ、いけなかったところを見ると、海流かなんかの関係で難しかったんだろうね オーストラリアとかシベリアとかの話持ち出して脱線する奴は世界史板に行け
池沼仲間がたくさんいるぞ、思う存分語って来ればいい まあ仮にできたとして、
1000年王国など築けるはずもなく、
10年、遅くても100年で体制は滅び
今頃日本は中国の一部だったろうね まだあるwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww
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( ・∀・)lllll ガッ
( つ||||| 从 ∧__Λ∩
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ワイが聞いた情報によると、もうじき中国はバブルがはじけて昔の貧乏な中国に戻るらしいで
もう経済は破綻してて、取り戻すのは無理なんだそうや
その世界ではごっつい有名な政府関係者筋から聞いた確かな情報やで
まあお前ら頭の良い連中には、今さらなくらいのネタやな、
お前らからすればもう常識的なくらいの知識やろ?