【仁】最高の君主【徳】
いや乱世なら毛沢さんはどこでも出られるだろ。
で太平の世では盗賊の大頭目か謀叛の首領扱いだが。 実在の人物かどうか微妙だけど、殷の湯王が旱魃の時に祈って、
「私一人に罪があるなら、人民に罰を与えないで下さい。人民に罪があるなら、私一人に罰を与えて下さい」
って言ったのは感動した。 >>332
昔の中国にそういう君主像が有ったこと自体が驚き。 >>334
今の中国共産党のイメージが頭に突き刺さっていて、
殷の湯王のような有徳者が新鮮に映ったんだろうよ。 殷は実在の王朝だから、湯王も実在したかもしらんね。実際どういう人物かはわからないけれど。 劉秀は名君だけど、後漢王朝は皇帝の短命のせいでいまいちな印象がある。
皇帝の短命を劉秀のせいにはできないけどさ。 場当たり的な戦闘は強いが君主として観るべき物はあるのか? 君主としても領主としても余り特に明確な功績を示さないまま亡くなってる。
強いていうなら、荊州で曹操から逃げる時に民衆がついていったので人気はあったろうというのが想像出来る位。
夷陵の戦を起こさず、大人しく四川の経営をしてたら何か評価すべき事もあったかもしれないが。
どうも禁酒令だけは出したらしいけど、古参の配下に窘められてその法令を止めた逸話であるのでこれを以って仁君とするのは無理がある。
劉備を落としめるのではなく、単に判断材料が無さすぎるってだけの話。 起こした時点で駄目だろ
孔明にも趙雲にも反対されたのに 結局最後に私怨で戦争起こしちゃったのは不味かったよね 光武帝 VS 宋太祖
つーかつまり孔子だろ。最高の君主のあるべき姿って。 学者に政治やらせるとろくなことにならんのは古今東西世の鉄則
建前じゃ国は治まらん 実際ある程度実績上げても、孔子は結局排斥されて
長年の流浪の挙句、晩年近くにやっと故郷の実権のない顧問扱いだもの。
それとて弟子達が各地で就職してたお陰。
指導者・教師としては当代随一だったけど、政治家としては今一。ある意味万世師表という称号は正当な評価ではある。 学者に株やらせても儲からないのと一緒
彼らは理論には長けているけど現実を理解できない
韓非子の死に様なんかもそれをよく現してると思う
兵法も読むだけなら誰でも出来るけど実際に戦場で活かすことが出来る人はそうそういない いやいや
仁や徳を重視したのは孔子だろ?そしてそれを体現してるのが。
現実的にどうかとか関係なく儒教なんてそんなもんで
漢以降は大抵儒教じゃん
だからどんな人間が君主になるべきか?理想の君主とは誰のような人間であるべきか?
それは孔子のような人間だ
ってことだよ
実際孔子が君主になったらどうなるかとかそういう事を言った訳じゃない >>352
その孔子は周公旦が理想だと言ってる訳だが。 いや儒教と孔子は違うじゃん
なんつーか後の儒家が目指したものと孔子が目指したものは違うとでもいうかな
孔子は周公旦が大好きだったっぽいけど後の儒教では孔子こそ一番凄いというか…
まあいいや。
現実的に言うなら光武帝と宋太祖の2強しか思いつかん
後は柴栄とか? 饅頭が小さいという理由で店主を殺そうとした柴栄さん 周公旦のように、兄弟順に継承した地位を兄の子に返したって人は他にいないのかな 柴栄は儒教の模範になるような君主じゃないよ。
才能を愛し、怠惰を嫌うのは曹操にも通じるところがあるし。 >>356
水戸黄門こと徳川光圀。
実子がいたのに兄の子を養子に迎えて水戸藩の家督を相続させた さすが史記伯夷列伝に感激した黄門様だけの事はある。 だけど水戸に居残った佐竹旧臣や大日本史編纂のための長期増税に喘いだ領民 あ、途中送信した。
水戸に居残ってイジメられた佐竹旧臣、大日本史編纂資金のために長期増税喰らった領民、寺を破却された僧侶からは恨み骨髄だからねぇ。
逆に黄門は黄門でも、後世の斉昭の方が地元民の人気は高かったりする。 黄門って宦官の役職だったような…
日本では中納言の意味らしいけど。 >>356
それ、成功したから美談みたいに語られてるけど
兄の子に譲ろうとして自分の実子たちの反発食らって
後継者争いになるって可能性もあるよな >>368
呉の件だよな。延陵の李子だっけ。って357に書いてあるじゃん。 現在の中国のトップの中で、後世の歴史家から徳のある人物とか言われる
人いるのかね〜。太子党、新幹線事故揉み消し、南シナ問題、チベット人
虐殺、数々の汚職、などなど・・・。なんか中国共産党、政権末期乱世に
一歩手前だと思うのは俺だけか? 今の中国は宦官が政権たらい回ししてるようなもんだから
その内崩壊するでしょ
中国の王朝崩壊は地方の反乱から >>224-226
>朱元璋はやってないだろうなぁ
>自分の卑しい過去を武器にしてのし上がった男だし
朱元璋集団が他の群雄よりも抜きん出ることができたのは、
イデオロギーを、民衆の間に広まっていた白蓮教から儒学(朱子学)に切り換えて、
劉基、宋濂らの儒者集団を味方にすることができたからだ。
朱元璋が儒学/朱子学を完全に理解していたのかはともかくも、
表向きは、一般民衆の間に広まっていた白蓮教から、
支配階層の教養/イデオロギーである儒学/朱子学に宗旨変えしている点で、
朱元璋は思想面において一般庶民と異なっており、
「自分の卑しい過去を武器にしてのし上がった」とは言えない。
むしろ、上流階層/知識人階層にすり寄ることになった。 >>180-181
>逆に朱元璋は、なんで2ちゃんでこんな評判いいのか理解できん。
>常人の理解を超えた怪物としか思えないので、とても感情移入できないよ。
朱元璋についてだが、
「貧農、乞食坊主出身」、「どす黒い権謀術数で皇帝にまでのし上がる」、
「大規模、過酷な粛清」という点はどうしても共感できない。
立身出世はいいことだが、生まれた境遇が超ド貧乏だと、
現代の恵まれた社会に生きる我々からすれば、かえって感情移入しにくい。
どす黒い権謀術数でライバルを追い落としたこと、大規模な粛清をしたことについては
言うまでもない。
朱元璋の人間臭いところ(一般の人間の性格に近いところ)は、
>>372のように、イデオロギーを白蓮教から朱子学に切り換えて、
上流階層/知識人階層にすり寄ったことかな? 朱元璋は「コイツ常人じゃねえ、理解不能だ、カッコイイ!!」と興味を持って調べていく内に
「案外人間臭いじゃねえか……やりすぎだけど」ってなる >>372、>>374-375
>案外人間臭いじゃねえか
朱元璋の権力欲/出世欲の強さは、人間臭く感じられる。
しかし、そのことで朱元璋を「庶民の味方」、「庶民の代表」であるかのように
持ち上げるのはおかしい。
>>372でも触れられているように、
朱元璋は劉基、宋濂らの儒者集団を味方につけるために、
一般民衆の間に広まっていた白蓮教から儒教/朱子学に宗旨変えをしたわけだが、
このことは、朱元璋が思想面・社会面において、
一般民衆から離脱して、上流階層/知識人階層に接近したことを意味する。
朱元璋が本当に「庶民の味方」「庶民の代表」であるならば、
白蓮教を旗印にしていたはずだ。
古くから、朱元璋は「豪傑、盗賊、聖賢を兼ね備えた人物」と評価されてきたが、
2ちゃんでは、朱元璋の「聖賢」としての側面だけを過剰に強調する傾向がある。
それが鼻について仕方がない。 庶民出ゆえになんの耐性もなく権力の世界に晒され、身を崩していく姿は、一種の庶民の代表に見えるけどね。女だったら宮廷物語だw
朱元璋の人間臭さって権力欲・出世欲の一言で済まされるようなものではないでしょ。
白蓮教から儒教に宗旨替えした瞬間だけじゃなく、儒教に絶望して粛清しまくった時期をよく見ておくといいよ。
呉王即位の時が朱元璋と儒教の蜜月で、皇帝即位の時には既に……って感じだし。
というかイデオロギーで儒者にすスリ寄ったのではなく、儒者=浙東の豪農・豪商集団だから天下取りに必要だったんだろうけど。
地方官に直接指示して免税、開墾、屯田、徒民、灌漑を徹底して行わせて農民を回復させたのは事実だし
そこに儒学者がいうような寛仁の政策はない。
皮肉な事に、民衆の教化政策は儒者が粛清され、朱元璋が独裁を始めた事に行われるのであって
既存の体制=儒者=豪農・富商による既得利権の容認、富・権力の独占であった糧長制度によって苛められていた農民を
年度による交代や、収入に対して課税を増やし、簡単な揉め事なら郷里の習慣に一任する里甲制によって救ってるわけだ。
朱元璋の儒学=浙東系集団への傾倒は朱元璋の経歴において殆ど一瞬の出来事なのに、
それを中心であるかのように言われると、それこそ鼻について仕方ないな。
基本的に彼は自分の母体集団である淮西集団を優先してきたし。
故郷である鳳陽に蘇州の富豪や農民を強制移住させるなど、仁君のするようなことじゃない子供っぽい事をやってるけど、
それもこの郷土集団への仲間意識であり、その昔から共に戦ってきた二十四人衆の放蕩もまた朱元璋の絶望の一つだろう。
彼の治世の殆どは南方文化人との対立であり、それは民衆を搾取する富裕層との対立だったよ。
科挙を実施しておきながら、これを採用しなかったのも南方人が多すぎたからだし。これは宋代から続く頭痛の種だが。
国家経営論を持っていた劉基や宋濂(彼は官吏採用が南方人に偏らないよう、朱元璋に命じられて北方出身者の教育をしている)ですら
その子弟に浙東系集団を持っていて、影響を排除しきれなかったことが、朱元璋が彼らを切ることに繋がるんだけれども。
この朱元璋の孤独、理想、猜疑、絶望、失望、憤怒を、ただ一言権力欲・出世欲と評してよいものか >>377
朱元璋についてそこまで綿密に調べることができるのなら、
明代中期・後期についても同様に、
綿密に調べて、話題を多く出すようにしてもらえないだろうか?
2ちゃんでは、明代についての話題というと、
圧倒的に明初、それも朱元璋ばかりに偏っていて、
明代中期・後期や、朱元璋以外の人物についてまともに語られたことがない。
「明初・朱元璋偏重」「明代中期・後期の軽視、無視」の傾向を是正すべきだ。 >>376
2chでは盗賊の面ばかりが取り上げられてる気がするが。 明王朝は洪武帝と永楽帝→英雄かもしれませんが、粛正等の暗い面も多く
王朝名のように明君なのかなと思います。ただし、私見するに
1年未満の在位だったといえ、明史において評価されている第4代皇帝
仁宗の治世はすばらしいです。あとは宣宗と孝宗ぐらい(仁宗にはかなわないけど) まあ永楽帝の治世の半ばは洪煕帝のもんだから…
でもそれだったら洪煕帝を選んで任せた永楽帝を評価してやっても良いはずだ >>377
>地方官に直接指示して免税、開墾、屯田、徒民、灌漑を徹底して行わせて農民を回復させたのは事実だし
地方官に命令したのは事実だろうが、免税、開墾、屯田、徒民、灌漑によって、
ただちに農村が復興したとは考えにくい。
14世紀には寒冷な気候のために飢饉が頻発したこと、
紅巾の争乱、明朝の中国平定の際の争乱、靖難の変の際の争乱という相次ぐ争乱などを
考慮すれば、洪武年間中に農村、都市が復興したとは考えにくい。
実際、都市、農村の復興の様子が文献史料からうかがえるのは、正統・成化期からである。
明初については、同時代史料が少ないために研究が進んでいない。
しかし、洪武帝一代で復興したかのように言い立てるのはおかしい。 朱標が早死にしたのは惜しい。長生きしていれば洪武帝の晩年の粛清も
抑えられただろうし、靖難の変もなかったはず。 >>383
後世に最高の君主と評されたかも?
ちょっと苦しい気がする。 ところで、日本の天皇はどの程度?
明治以降は仁徳だとけっこうなランクに入ってそうだけど。
名前も仁だし。 はっきり言って無学な俺には仁とか徳とかよーわからん。
人を惹きつける魅力?親分肌の人の事?とかいうの??
論語読んでも理解できない・・・。
>>386
ここ数代(数十代?)の名前はみんな仁だし。 廃帝が亡国の皇帝でもない限り悪諡は贈られないし
「仁」や「徳」が入ってても名君とは限らない むしろ諡に徳の字が使われてる天皇って不幸な末路をたどった人が多いような
偶然かもしれないが 劉邦て徳みたいなもんあったのかな?
まあ儒官の冠にションベンしたとか役立たず
とか言ってたらしいが。
でも農民から皇帝になり、あれだけの人材が
集まったという事は何かあったんだろうが。 >>390
むしろ非業の死を遂げたから「徳」の字をつけられる >>391
徳っていうかカリスマはあったんじゃないか? 曹丕が長生きしてればかなりの名君として評価されただろう。 >>387
そもそも仁はともかく「徳」は目に見えるような概念じゃない。
仏教の「悟り」と似たようなもんだ。
それを得ている人間が一番凄くて偉いがじゃあどうすればそれが得られるのか、それは何なのか、結局誰にも分からない。
だから極端な話最終的に勝った人間=最も徳が有った、の図式が成り立つ。 「徳」って単に倫理的に正しい行いのことじゃないの? 有徳の聖人。(徳を身に備えた理想的な人物)
「徳」=「行い」では成立しない。 >>397
出発点はそんな感じのはずだけど、時代が下るにしたがって
思想家とかお偉いさんが、政治的に複雑な意味合いをくっつけてた希ガス 現代の日本の政治家に本当の意味の徳のある人って
いるのかな?
ま〜徳がある振りやあると思い込んでいる人は
掃いて捨てるほどいるんだがw >>400
まあ、いないだろうね。
つーか、日本どころか世界中探しても本当の意味の徳のある政治家なんていないと思う。 昭和天皇がそれに近いけどな。
まあ今の日本にはいないな 本屋などで論語に学ぶ何々とかたくさんあるが
正直そういった本たくさん読んだからといって
有徳者になれるとはかぎらないっすよね。 中国の徳の概念って
飢饉、洪水、人心の乱れは上に立つ人間の徳が低いから起きるよ
徳がある人間が天子になれば治水しなくても洪水にならないし飢饉も起きないよーってシロモノだから
在位期間でこれらが起きなかった期間が一番長い=徳が高い >>404
なれる奴ばかりなら暗君なんてそうそう出ないだろ 朱元璋はたしかに粛清してるけど、相手が相手感あるんで
キレイにも見えるし権力欲にとりつかれたようにも見える こういう徳っていうものはどうしたら持てるんかな〜
天然で生まれながらにある人いるし、逆にいくら
勉強しても身につかない人もいるし・・・
勉強するよりも世間の荒波にもまれて人との付き合い方を学ぶべきだと思う。 >>410
それを礼って言ったんだけど・・
そんなバカな事言ってる暇があるならさっさと勉強してなさい。 >>403
え?
……ああ、明治天皇と間違えたんだな
それなら分かるわ >>415
莫迦だなぁ、お前。礼の話なんか何処に出てるんだよ。アンカーミスじゃないのか? >>413
人の話を「価値観」で否定するならお前は二度と自分の意見は書き込むなよ
それとも自分は偉そうに自分の価値観を喋り散らして
人が何か言うと「いやお前の価値観なんぞ知らんて 」って返すのか。
何で自分に友達が一人もいないかよく考えろよw >>416
人を煽るだけで大したこと何も言ってないのに
偉そうなこと言ってんだよなw
>>418
確かに俺は大した事は言ってないが、お前は何処で礼の話をしたんだ?
「それを礼って言ったんだけど・・」ってのはどのレスだ? まー人柄良くても、政治運営や人材管理能力とか低い君主は名君とは言えんもんね。
別に政治立案の能力とか実務能力やら軍事能力なんかは、得意な配下がいたらそいつら使えばいいんで君主は無理に無くてもいいんだけど。 徳を積むていう事からしてよー分からん。
性格をよく磨けというんか? 礼を重んじれば徳に結びつく。
他者との接し方がまず第一。 道徳は必要だけど今の世の中は、道徳で
人や物事を判断する人はあんまり社会の上の
立場にはなれないというのが現代の悲しい現実・・・ いやー実際の所、現代じゃなくても道徳が勝れてるから人の上に立つなんてのは極稀なんで。
ちっこい村やら地域、町内レベルなら無い訳じゃないけど
それだって紛争がその中で起こった時に上手く調停する力量が必須。
理屈やルール絶対!のみでは世間は上手く廻らないのは今も昔も変わらない。
強いて言うなら、財政が比較的安定していて儀礼以外は特に何もしなくていい江戸中期の藩主位じゃないか
道徳だけ勝れていてもいいトップの時代は。
初期だといつ改易喰らうかビクビク者で立ち回りを間違えると御家断絶だし、逆に幕末に近づく程大飢饉やら藩財政破綻やら幕末の動乱やらで
呑気に道徳云々しか能が無い藩主はとても生きた心地がしなかった筈。 >>408
>朱元璋はたしかに粛清してるけど、相手が相手感あるんで
>キレイにも見えるし権力欲にとりつかれたようにも見える
朱元璋が行った粛清のどこが「キレイ」なんだ?100%「権力欲」だろ。
粛清の末にたどりついたのは、「朱氏一族による国土・人民の私物化」だろ。
「支配階層による国土・人民の私物化」は前近代の社会であればどこでも見られることだが、
明朝の場合、この特徴が特に顕著だ。
自分の意図に従わない者を平気で殺す、身内には甘く諸王に莫大な経費を使うといった
朱元璋の行動パターンは、明朝の歴代皇帝にしっかりと受け継がれている。 皇帝に支配されるか富豪に支配されるか……あんま変わらんな、それ
富豪層が自分たちの好きな人間を官僚に任命できる薦挙システムとか無くなって当然だろ 日本の戦国時代でいわゆる徳の高い武将て誰だろう?
信長、秀吉は違うと思うし家康はなんか微妙な感じだし。
やっぱ日本は巨大な徳というものが育ちにくい環境なのかな。