【仁】最高の君主【徳】
古代の伝説上の人物より、もっと後代の皇帝たちの中で、
「仁」「徳」と評されるべきは誰だろうか? 「仁」「徳」だから、名君であっても、残酷なことしていたらアウトか? 前漢の文帝、後漢の光武帝、唐の太宗、宋の太祖なんかはどうなの 清の歴史家の趙翼によれば
趙匡胤>李世民>漢の武帝=始皇帝
だそうな
>>14
文武のバランスがとれているか、後ろめたいことがないか。
だったはず。
で、軍閥出身だけど節度使の割拠を防ぎ、先帝の遺族を優遇したり、士大夫保護したりしてるから
宋の太祖がぶっちぎりなわけ。 >>20 細かいが、より正確をきするなら…
趙匡胤が節度使を兼任したのは、陳橋の変の2年前。
といって、任地にいたわけではないので、軍閥=藩鎮としての名望ではなく、禁軍の大将としての名望だった。
そして、最初に手がけたのが禁軍将帥の兵権奪取で、節度使のそれは太祖期にはまだ完全になされていない。
抑藩というかたちで制御したに留まったが、多少の不満を言うものはいたものの、抵抗されなかったのはすごいこと。 司馬炎に決まってるじゃんあの一番有名な三国時代を統一した英雄だぞ
人格者で天才なんだよ 治世の世なら劉禅だな
家臣の独裁政権を許せる唯一の名君 李世民ってあれだろ、兄弟を家族もろとも皆殺しにして親を脅迫して帝位を奪
った極悪人だろ。しかも歴史家まで脅して捏造する小人ぶり。救えない奴よ。 でも民は救えたな。 よかったよかった。
これぞ、名君。 >>25
李世民は名君だが仁君ではない。朱元璋だって民は救っている名君だ。それと
どうレベル。 >>26 レベルの高い同位置だな、それ。
ボンクラには想像もできないような統治手腕と忍耐と人事の適正があってできることだ。
殺された方は未知数で比較はできないが、少なくとも殺したほうがこんなに名君で当時の人は、助かったことだろう。
暴君であれば目も当てられなかったが…
後半、高句麗に負けているが、それは宋太祖だって北漢に負けている。
ことさら貶める必要はないって。
名君になろうと努力して、そういう評価と荒れた国土を回復させただけで十分だろう。
宋太祖は北漢に勝たなきゃならん理由があるが
唐太宗の高句麗征伐は完全な自己満足だから
同列に語るのはどうだろう? たしかに。
同列に置くのは軽率な発言だった。 そこは訂正します。 切磋琢磨の衛武公が「徳」部門では最高の名君じゃないかい? >>20
その基準だと後漢光武帝もトップクラスだな。
簒奪ではなく自力で創業した分、後ろめたさの無さにかけては宋太祖を上回る。 確かに皇帝個人としては光武帝は非常に優れていると思うが、
後漢というイマイチな王朝の創始者というところがどうにもなあ。 イマイチというなら宋だってイマイチだったさ
共通点は暴君は出ないが暗君は出る つまり王朝の性格がハデな方がいいと?
堅実なイメージはあるが、そのイマイチという認識(一般的だろうなぁ…)にすっげー不満アリアリ。 後漢っていまいちか?
前漢、後漢、唐、宋、元、明、清をいけてる順にすると、どんな感じ? 派手な王朝だと民衆は外征に駆り出されて大迷惑。
結構内乱も多いしな。
統一国家を維持できていれば、イマイチ王朝の方が民衆は幸せで内科医? 元はもう考慮の外として(フビライ期の外征の多さと、後継者たちの政治不在は酷すぎる)。
宋>清>明>前漢>後漢>唐 こんなとこかな。
後漢と唐は一時期を除いてとにかく規模の大小問わず反乱内紛が多すぎる。その点では
前漢のほうがまし。 東アジアに与えた影響という点で、唐は無視してはいけない王朝。
しかもこのとき、ユーラシア規模で、巨大国が揺らぐという共通の事象がみとめられるので、より象徴的なものとしても捉えることができる。
内実は>>唐は一時期を除いてとにかく規模の大小問わず反乱内紛が多すぎる<< に尽きるが、民族が多国籍化した王朝としては統一への求心力を、最後の最後まで保てたのは、結構すごいことだと思う。
結局は、内部の人間(朱温)によって乗っ取られたわけだからね。 ドコまでを民衆とするかだ
富豪連中まで含めるなら明が圧倒的に豊か >>41
内紛反乱の多さなら明だって負けてないだろ。 実は民衆にとっては、武則天なんかが一番いい君主なんじゃ・・・ >>31
衛武公って春秋時代の武公和ですか?
兄貴を殺して君主になっているから、業績から考えて唐太宗に及ばないのではと思います。
お爺さんになっても諫言に耳を傾けたいうことは素晴らしいと思いますが。
世界史板の春秋戦国スレで聞いたら、過去の「瑕」が彼を名君にしたんじゃないかって言ってました。 >>45
貴族官僚弾圧と寒門からの人材登用は高く評価されていい。
密告制度も民衆の政治参加という面で語ると名君という評価も当て嵌まる。 >>45 >>47
確かに善政をしいてるケド個人的な人徳については大いに問題あるよなー 個人的人徳なら徽宗だって善人だから仁君になる。
名君には個人的感情を殺して政治を行う冷酷さが必要だし、
それは仁や徳とは逆のもの。
両方を兼ね備えている人間は稀有の存在で、冷酷な人間が仮面を被っているか、
人格者が世のために己を殺しているかどちらか。
極端だが洪武帝と光武帝が例としてわかりやすいか。 >>50
自分が負けるのは、自分が弱いのでは無く、
天が自分を滅ぼそうとしている・・・・
最後の最後まで勘違いしてましたね そこは感動するところで、イヤミを言うところではないんだよ〜 符堅や蕭衍なんてどうだろう
殺戮皇帝続出の魏晋南北朝時代にあって稀有な存在だと思うけど 蕭衍は晩年仏教に傾倒しすぎで国政を乱し宇宙大将軍が暴走して最後は国を崩壊させたのが痛いな。
もっと早く死んでいればここのスレの条件に合致したのに…
つまり、そうやって他人を食いつぶそうと寄ってきたヤツラが、北宋六賊の正体なわけね… 趙匡胤や劉秀も友人としてはいいんじゃない?
ただ酒の席で愚痴やつまらんギャグ連発されそうだけど。
李成民は友人としては嫌だな落ち着かない。
いくら名君でも雍正帝とだけは係わり合いになりたくないな。 雍正帝みたいな上司は悪夢だな。
庶民にとっちゃ、雍正帝みたいなのは結構いい方の君主だろうけど。 光武帝は名君だけどなぜか中国でもマイナーで人気がないらしい
どっちかというと日本人好みの君主なのかな?日本でもマイナーだけど 名君でいるのってストレス溜まって身体に悪そうだな。
長生きした名君はストレス発散する方法があったか、
仕事が趣味みたいな人間なんだろうな。 そう考えるとあの在位の長さで名君の評価を揺るがせにしない康熙帝は偉大だよな >>62
光武帝の人生って完全なハッピーエンドだからじゃない。
天下を取り、惚れた女を妻にし、息子も優秀で後継者争いもなく、功臣の叛乱もないときてる。
幸福な人生より悲劇的な人生のほうが物語としてうけるんだろう。 {\
.,iト .゙ミ.
._,,yr!″ 《yyy,,,,_
,メ″ .{l厂 ´゙)z
.l| l厂 ゙lly_
.,ノミly ,メ゙゙\.
,i「 .゙\u,,,,,,__ .___,,,yr!″ .¥
《 ⌒゙゙¨⌒′ il|、
ノ'\ -=金- -=沢=- _yl¨゙《y
i|′ .゙\u_ _,yr厂 ゙ll
li, .゙゙^冖¬─ー¬冖゙¨′ .メ
.\,_ \__/ ,zl「
゙゙\u,,_ \/ .__,,yrll^″
¨^〜---vvvvrr冖¨¨′
>>65
同じように幼いうちに即位して、在位期間が長かった皇帝として、
少し前に万暦帝がいるね・・・ >>68
万暦帝も最初はまじめだったらしいけど・・・
子供のころから皇帝やってりゃおかしくなるかもな。
康煕帝は死んだはずの父親が実は出家してたって伝説あるけど、
もし本当ならアドバイスとか受けていて、
それが皇帝としての勉強になったのかも。 最初はまじめと言うか、先生の張居正に厳しく躾けられたからな。
せっかく張居正が財政を建て直してくれたんだから、
あの後真面目にやっていたら、明はもっと続いただろうに。
>>70
結局は政治家としての資質の差か。
誰かから強制されないとまじめにやれないやつは、結局自由になればサボりだすよ。
きっと自分のこと意外は、考えるのも嫌だったんだろう。
そんな責任感の無いやつが皇帝になったのが、明にとって不幸だったんだな。 それを思えば、康熙帝の父親の順治帝もとても立派ですね。
彼も幼少の頃は、ホンタイジの弟のドルゴンが摂政として、清の基礎を固めてましたが、
ドルゴンの死後も毅然とした態度で政治に臨んだ点など、万暦帝とは天と地ほどの
差があると言っても良いでしょう。
また、ドルゴンの死後にその一党を罰しながらも、政策路線を変えなかった点は、
何気に商鞅を罰しながらも、変法を推し進めた秦の恵文王を思わせるものがあります。 でも順治帝は弟の妻を奪ってるんだよな。
儒教的モラルから母の再婚相手のドルゴン憎んでたのに、
自分もそのモラルを守れなかった。
それほどその女性を愛していたのだろうけど。 清の皇帝は、明だったらいずれも名君に分類されるレベルだな。
まあ、少数派異民族の王朝という弱点があるから、昏君なんて出す余裕がなかったんだろうけど。 清が明みたいな皇帝を輩出していたら、早晩崩壊しただろう。 清朝では並みの皇帝も、明朝だったら名君扱いになっただろうね。 順治帝と康熙帝が宦官の定員を大幅に削減して
明の轍を踏まないようにしたのも要因かもね。
何せ明代は宦官が十万人近く居て、その大半が金目当てに自宮した
たちの悪い人間。 自分で自宮したのに、宦官として採用してもらえなかった可哀想な奴もいたらしいねw 宋も太祖・太宗・真宗・仁宗・神宗と名君が多いと思う。
しかし徽宗のイメージが強すぎて馬鹿皇帝ばっかりとか思われてそう。 と言うか、宋朝自体が、軍事面でそんなに強くなく、
版図も小さいめだったから、ぱっとしないイメージを抱かれがち。
文化面、経済面で超大国だったけど。 三国志とかからの延長でみれば、どうしても軍事力とか大版図とか、そういう目で見る傾向があるだろうからな。
宋は軍事力マンセー、英雄マンセーに対するアンチとしての国家体制だから、そういう方面からみる人にはつまらんのだろう。
そう、今の日本を見ているようで、ね。 >>81
ただ南宋のイメージがあるからなんか好きになれないんだよな
性格が曲がっちゃってるというか…… ぶっちゃけ北宋も趙匡義のせいでイメージ悪い
李世民も永楽帝もその意味じゃ一緒なんだが、やった相手が趙匡胤ってコトがその理由だろうか
あとは趙兄弟のイメージが日本の足利兄弟のイメージと重なるというのもある だが、仁宗や神宗時代のイメージはかなりいいぞ。
多少、停滞気味だが名臣と呼ばれる官僚たちが生き生きしている。 >>83
いわゆる主戦派の皆さんが北宋の実力も無視、たーだ「中華」のプライドだけで
金にぶつかってったお陰で危うく死ぬ目にあった高宗は、そうとう性格ひん曲がったらしいね。 人質にされている最中にも、主戦派の皆さんは和議を無視して、
平気で金軍に攻撃をかけてくれたりしたからなあw 仁君なら、自分の命より祖国の存立のほうを大事とするだろう。きっと。 >>89
頭でっかちな主戦派も皇子である以上、「自分の事は気にせず敵を打て」
と言って、壮絶なryとでも思ったのだろうが、
「俺があっちにいる間は絶対攻撃すんなよ、絶対だぞ」だった高宗だからねえww。 >>87 主戦派が、欽宗が人質なのに和議を蹴りまくったわけではない。
高宗が、和議の条件で欽宗に帰還されると、非常に困るから影で主戦派たちを煽動し、いらなくなったら実権を奪ったり、抹殺させたりした。
欽宗は治世が短すぎてどんな皇帝かよく判断できないけど、
可哀想イメージは強いな。 アホなオヤジの尻拭いで一生懸命がんばってたのに敵に異郷に拉致。
後を継いだ弟からは自身の保身のために、帰国を拒否られ失意のうちに死去だからな。 可哀想と言えば明朝最後の崇禎帝も。
袁崇煥を処刑したのは非難されてしかるべきだっただろうけど、
仮にそれがなくても、即位した時点で、
明を再建することはほぼ絶望的になっていたんじゃないだろうか。 清の康熙帝だろ。
この人の節約っぷりは凄すぎる。
国政を維持する費用は莫大なものに達するというのに
自らは率先して節約に尽くし、減税処置を毎年の如く実施。
庶民が着ているような物を着て、政務に尽くしていたというのだがら
もはや人民を労わるために天が使わした聖君ともいうべき逸材。
61年の長期に渡る治世も納得してしまう。
春秋戦国の鄭の簡公も、ある意味立派では?
子産、子展・子皮父子、子大叔と言った有能な人材を用いて、
不安定だった鄭の国勢を安定に導いたのですから。 劉備とかいいんじゃない?天才軍師孔明を迎え、すばらしい人徳で蜀を治めた。その功績は大きい。 >>100 実際に治めた期間が短すぎ、だれも劉備のおかげとは思わない。
というか、四川では劉備より諸葛亮。 >>102 まじで?
読んでないから知らんが、劉備と諸葛亮の君臣関係は後世の君主にとっては、結構理想像だったようで
たんまに史書なんかに、劉備と諸葛亮のように、とか、年若い太子を頼むときに託子の故事だしたりしてるのはある。
>年若い太子を頼むときに託子の故事
普通は周公旦を持ち出すがな そりゃダントツで劉備でしょ。同時代の曹操が、人格低劣、酷薄無残の最低君主
だったのと対照的に、あの変転極まりない時世にあって、誰も裏切らず、欺かず、
正直に生きて大をなした男。その人格、志の高さは中国至上、稀有。真に民を愛し、
民とともに歩んだ民衆政治家。まさに非の打ち所のない英傑だと思う。 >>104 三国志が大人気な宋代に書かれた「旧五代史」李昪伝(南唐烈祖)に、似通った記事があった。
呉の権臣徐温が、呉の幼帝についてどうたらこうたらいうときみたいだな。 >>105が一番真相に近いと思う。曹操はいつも孔明にやられて逃げ回っているくせに人を裏切ってばかり。ほんと劉備の爪の垢を(ry >>108
> 曹操はいつも孔明にやられて逃げ回っているくせに
工エエェェ(´д`)ェェエエ工 >>109
どう考えても釣り以外の何者でもないだろ 治世の王としてなら劉備はこの上ないほどの適任者。
戦争下手で常に精強無比な家臣がいたからこそ戦の天才である曹操とも互角に戦えるほどになった。
逆に曹操は絶対に治世の王にはなれないな。
曹操は乱世でこそ光る英傑。曹魏が全土を統一したら、どこかしらで必ず反乱が起きて次世代の争乱の火種となるよ。
曹操と劉備が親子なら、一番バランスがとれた。親父の覇道(創業)路線を、息子
が修正(守成)。 >>112
曹操って治世の能臣なんじゃないの
てか治世の王だったら諸葛亮を推薦しますよ
>>106
演義の劉備も裏切り欺きの常連だった気がしなくもない 何言ってんの。劉備は正義だよ。曹操は暗君だが劉備は史上稀にみる名君。曹操などと同列に語ってはいけない。 とりあえず明の朱元ショウや前漢の劉邦より後漢の光武帝劉秀の方が格上と言うのは断言できる
前者の2人は汚い。権力を手に入れたら本性現して功臣を粛清粛清! 劉週も権力を得るために嫁さんとっかえたり自分の妹可愛さに無実の官僚を処刑しようとしたりして大して変わらん気がするけどな >>劉週も権力を得るために嫁さんとっかえたり
漁色でないのは北宋の皇帝だけ。
あとは女関係ではいろいろ問題アリ。
特に非難することもなかろう。 北宋の徽宗はかなり女漁りもしてたみたいだね。
息子や娘がたくさんいるし。 北に連行される間に生まれた子や孫もいる。
長くは生きられなかっただろうなあ。 漢の文帝もなかなかだと思う
薄葬令や対外消極策など光武帝が手本にした人でもある 度量というのは裏付けとなる実力があってこそ、大衆に「寛容」として受け止められる。
実力に欠けた度量はスタンドプレーか偽善でしかない。 逆に、国家が滅亡の危機に瀕している時でも、
後宮に美女を集めることに精を出す昏君もいるし 好意的に見れば天下人の器が3人もいたから統一できなかった
意地悪く見れば天下人の器がいなかった 周恩来はどう?
名「君」とまでは行かないだろうが。 あ、もしかして>>139ってコレ?
110 名前: 名無しさん@お腹いっぱい。 [sage ] 投稿日: 2007/05/09(水) 05:25:16 ID:Qvu513jt0
中国を中華人民共和国の略だと思ってファビョる人、
たまにいるんだよ。
多分古い資料とか読めない人だと思うけど。
>>137
間違いなく前者だよ
他の時代に比べ三国時代は参謀のレベルが高すぎる
劉備には孔明と五虎将がいて魏延もおり、孫権には天才周瑜と魯粛がついているし
曹操にも司馬懿・張遼・張コウ・トウ艾と名軍師・名将が多くいた
3国時代は他の細く長い内容の薄いしょうもない時代に比べ
太く短いので内容が濃い
彼らが完全に統治した領域では平穏が守られ、凌ぎを削った場所では戦乱が訪れる
野心と理性をバランスよく持ち合わせた英雄とそれを支える参謀たちが
生まれる環境・条件が後漢末期には揃っていたという事
よく英雄の名を挙げ、もしあいつとこいつが同じ時代を生きて
戦っていたらどうなってたとか勝手に妄想するやつがいるが
それが現実の形として唯一実現したのが三国時代ってわけよ
>>145「ですよねぇ〜?」
/ ,ィ .:/ /::::∨:ヽ |:.: \:. |
// .: .:.:| :/´`ヽ/゙|:. |:.:. l:. |
/ / .:.:l .:.:./| .:/ !:. ∧:.: |: |:./}
{ .:. .:.:.:.| .:.:/ .| .:/ |: / l:.: l:. ヽ l/ }\
| .:.: .:.:.:.:| .:/\!./ /:../ !:.:. /:.: |:. !/ト、 、
| .:.|:. :.::.:!⊥=、 \ /:.:/ l:.:.:. ハ:.:.: |:. |/l ', 〉
| .:.|:. .:.:.:.:.ィl:| `ヾ、 _/_,/‐ 一十、/ |:.: :.: |:.:. |イ ∨
| .:.|:.: \:.:.:.| リ (::) //イ´ ̄ 7 ∧ヾ:. :.:. ト:.: | ! |
| .:ハ:.:. :.ヽ:ヾミ、_,, ´ (::)// 〉} .:.:.: .:|:|:.:. l | |
',:.:.:| ',:.: .:.:.:.:\\ , ミ、 _,, ´ノ .:.:.:.: .:/:|:.:. l | /
\{ ヽ:. :.:.:∧ ̄ __ /.:.:.:.:.:.: :∧:|:.:.:./:.!´
ハ:.:.:.:.:.:.:ハ ヽ  ̄` ァ /-ー:.´:.:.:. .:.// |:.:/:.:ハ
/ ∧:.:.:|:.:.:|\ ゝ-- ' イ:.:.:.:.:.: .:.:∧ ,j/ \:.ヽ
. l ヽ \l:.:.:| > 、 __,. <´ /:.:.:.:.:.:.:.:/ ヽ __ --ミ }
', \ !:.:.| / 丁 | | /:.:.:.:.:.:.:.:/ / ',:|
〉 ヾ:.:.|′ | ! !/:.:.:.:.:.:.:.:/ / l|
三国志厨は焼きギョーザを食っただけで中華料理を理解したつもりになってるに等しい。
他の人はもっと美味いいろんな中華料理を知ってるから、焼きギョーザだけを取り立てて
褒め上げたりしないだけだ。しかも「焼き」という形式は中国におけるギョーザ本来の食べ方じゃないわけで。
にも関わらず、彼らにとっては中華料理=焼きギョーザ、とにかくマンセーを主張してるって感じ。 ところが、そいつらが食った様々な中華料理は全て
三流以下の中華料理店で食したものであるにもかかわらず
中華料理の全てを理解したと勘違いし、
まるで巨匠にでもなったかのような気分になり、しまいには>>150のような
しょうもない書き込みをして自己満足に浸ってしまう人間が出てきてしまう
ただ実際は本場のギョーザすら食した事すらないただの知ったかだったのであるw
後漢明帝あたりは仁徳の皇帝だな。
それと明の洪煕帝かな。 >>153
洪煕帝が長生きしていたら、明朝の方向性は何か変わったかな。 >>155
むしろ永楽帝や宣徳帝が異色で、洪煕帝はわりと明朝の標準路線だったのでは?
ま、明朝の場合、その標準皇帝が変なのばかりなわけだけど。
明はあれだけおかしな皇帝ばかりでよく続いたもんだ。
中央集権の皇帝以下がぎりぎり破錠しないというか微妙なラインでもっ
た感じがする。皇帝が異常でもなんとかやりきる。
宋は逆に皇帝が糞だと国政への影響が甚大な気がする。 137
たしか陳瞬臣先生は後者だと断言していたね
しかし三流や四流の英雄ばかりだからこそ我々は彼らの生き様に共感できるのだ
ともあった。 李世民や朱元璋のような傑物には確かに感情移入は難しいかも分からん 李世民は無理でも朱元璋は結構感情移入できると思うぞ。
人間の持ってる感情を鋭角化したような人物だから、書きようによっては凄く好感度の高い人物になると思う。 145
曹操・・・器用貧乏、すぐにぶち切れる、色ボケで失敗
孫権・・・ただの酒乱、後半は完全暗君
劉備・・・裏切りの天才、疫病神(彼が頼っていった所は全て悲惨な最期を遂げている)
はて、どこに器がいるって? >>163
最も情けないのは、その三人の国のどれでもない晋が天下を統一したってとこだな
まぁ、いいオチではあると思うがw >>163
劉備の資質は悪くないようだな。
周りがアホなだけということになるw 清の歴代皇帝は全体的にクオリティが高い
本当に「暗君」って声を大にして言える奴なんていないんじゃないか? 清の支配層である満州民族は絶対数が少ないから、
嫌でも皇帝が奮起しないといけなかったんだろうね。 実際清は咸豊帝・宣統帝を除けば優秀だね。
それに宣統帝は幼少で大した事は出来なかったから仕方ないと言えるし
咸豊帝にした所で彼が存在したから国が傾いたという程の暗君でもない。
総じて言えるのは殆ど全員が真面目な努力家。無茶苦茶な天才は余り居ないが、そこは努力で補う連中。
それでいえば明太祖の基礎を食い潰し続けた殆どの明の歴代の異常さが際立つわな。
幾ら後世補正があるといっても、如何にも典型的バカ皇帝が続いたのはある意味凄い。 天下に聞こえた料理人も、いち老婦人の真心を込めた味に匹敵せず
その虚名だけで高給をとっていたから、「いらん」と殺したにすぎない。
と、かばいだてすることもできる。
これはふと思ったことだから、そう言ってるだけだけど
趙匡胤はかの六合の戦いのおり、俸禄を貰って戦地にいるのに
戦いをサボった将兵を、戦いの後斬って捨てたことがある。
立場と報酬、それにみあうだけの存在意義をみせなければ容赦しなかったのだ。
これはもしかしたら、柴栄の影響を受けたのかもしれんけど、そういう一面も趙匡胤にはある。
あああああああああああああああああああああああああ 日本も清を真似て皇太子制度を廃止すれば、親王方はみな奮起なされると思う。 清朝の皇帝と比べて
天皇になってもそれほどいい事はないのでは? >>174
早死にしてなければ世界は大きく変わってた・・・ry 春秋戦国の名君達
姜氏斉:呂尚、桓公、頃公
田氏斉:威王、宣王
晋:文侯、桓叔、武公、文公、悼公
魏:文侯、武侯
趙:武霊王、恵文王
韓:昭侯
魯:荘公
宋:襄公、文公、景公
鄭:武公、荘公、簡公
衛:武公、文公
楚:文王、成王、荘王、恵王
燕:昭王
秦:穆公、孝公、恵文王、昭襄王 すげえ亀レスだが
>>162
逆じゃないかな?
李世民は、いいとこのボンボンで兄貴と弟ぬっころして
父親幽閉して権力奪取。ええかっこしいだから評判気にして
歴史粉飾を強いる。すごく人間臭いじゃん。
実際有能で名君だったところも含めて、すごく魅力的だと思うんだよな。
逆に朱元璋は、なんで2ちゃんでこんな評判いいのか理解できん。
常人の理解を超えた怪物としか思えないので、とても感情移入できないよ。 たまに言われるけど
2ちゃんねらーは李世民嫌いが多くて朱元璋好きが多いらしい 漢の景帝は文帝と共に讃えられることが多いが
よく史記とか読むと相当冷酷な権謀家だと思う。 聖祖康熙帝 当たり前 異民族なのにこの送り名は有り得ない
近代に、これほど傑出した名君であったということは
五帝以上の評価でもおかしくない
中国というより古今東西の皇帝の中でも一頭抜けてる スレ違いかもしれんが、順治〜雍正の並びは素晴らしい。乾隆は、ちょっと?かな。 >>186
乾隆帝も中期までは良かったんだが、末期がなあ……。 前漢武帝、梁武帝、玄宗、乾隆帝
在位が長すぎて後半老害化した四天王 >>189
秦の始皇帝の曽祖父の昭襄王は在位55年と、ある意味その四天王以上なのに、
最期まで秦による中華統一事業を推し進めたりと、老害とは全く無縁だったもんな。 >>194
そこはキンタマ取られた悲劇に涙するところだろ。 亜ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 冗談抜きで朱元障
実質彼一代の遺産で明朝が約300年保たれた事を考えれば
中国史に残る名君である事に疑いの余地は無い 明の弘治帝
長生きしてれば明の印象も良くなっただろうに 康熙帝と李世民に唯一ケチつけるとなると
後継者問題の争いかな
二人とも子供廃嫡してる。 康熙帝の場合は勤勉な雍正帝が後継者になったからよかったけど、
李世民の場合は柔弱な高宗を後継者にしてしまったからな。
李承乾や李泰に継がせるわけにはいかないだろうが。 朱元璋は失敗した口かね?
結果だけ見たら
朱棣は名君だったけど 子育てに失敗したのか、嫁の御し方に失敗したのか曖昧なヤツが結構いるな 楊堅
曹操や司馬懿は生前に簒奪せず、劉裕も簒奪に16年もかかったのに
北周武帝の死後たった3年で簒奪に成功したのは凄い
趙匡胤のケースは「簒奪」とは言えないだろうし >楊堅と趙匡胤
いや、よく似たケースじゃないか?
周囲がより強いリーダーを求めているという点と、分裂時代が長く続いていて強者への権力委譲が常態化している中での権力委譲という点で。
同一軍閥内での権力委譲の経験があるという点も似ているか。
曹操、司馬懿、劉裕はなんだかんだでどれも分裂時代が始まってから百年も経ってないし。
晋を入れなきゃ劉裕は経ってるといえるが。 >>214
>>213
その論調なら、半年で簒奪しちゃった趙匡胤はもっとすごい
になっちゃう? 趙匡胤は柴宗訓を殺していないし、柴氏は南宋時代まで手厚く保護されている。
劉裕以降、禅譲した皇帝は殺されるのが当たり前の状態だったわけで
趙匡胤の行為を簒奪とは言いがたい。 >>219
文脈からいけば、簒奪の準備で踏みとどまり、最後の一線を越えなかった
(越えられなかった?)曹操よりも、三年であっさり簒奪してのけた
楊堅スゲー。
でも趙匡胤は簒奪という暴力的なものではなかったから比較しちゃだめだよね
ってことじゃないかな。
しかし、曹丕だって漢献帝は保護しているんだぜ……
趙匡胤の柴氏への厚遇ほどじゃないにしても。 もちろんその人の解釈もありだろうが
軍部の支持を盾に脅迫したようにも見える 山陽公(献帝)の家系も晋代まで存続したな。
曹氏は禅譲後の漢室を結構厚遇したんじゃないか?
劉協に生前は天子の礼楽を行う事を認めて
死後も「献帝」という諡号を贈ってるし。
身内をネチネチいたぶったがw 金世宗は出発点は悪くなかっただろうけど
その後海陵王の悪行をあげつらうという名目で
悪く言う奴ほど重く賞したとかいうあたりで結構腹黒い所があると思う その程度のことならほとんどの皇帝が多かれ少なかれやってるだろ。
李世民とかな。 朱元璋はやってないだろうなぁ
自分の卑しい過去を武器にしてのし上がった男だし 政治力は強大で、中原に威信が響き渡って、それとも仁君の君主は苻堅です >>227
晩年にジェノサイド
>>228
劉秀の奴隷解放やら減税やらは仁とか徳ではなく、利のためにやったもの 利の為にやったとしても大勢の人が感謝したならそれはそれでいいんじゃね?
何のためにそうしたのかなんて本人にしか分からないしな
尭や舜だって(彼らの存在・業績が事実ならばの話だが)結局は利のために
善政敷いたのかもしれんわけで。 情けは人のためならじ。
利のための善政は結果、仁に通じる。
しかし逆境時に自己の利益か大勢の民衆(他人)の生活か
という選択のとき、前者優先されると馬脚が現れる。
王朝の末期はその発露だな。 劉秀は『後漢書』が訳出されたから最近あら探しが容易になったというだけな気も。 汚点が少ないひとだけなら結構いると思う
行動しないことが汚点というなら減るだろうが 毛沢東とムガベは建国時に死んでれば20世紀に残る英雄だったろうに 仁コ- -笑~
宋襄公最仁义,不击半渡,结果是与霸主失之交臂,
李U也很仁义,光兴佛寺,结果是江山易主,幽禁鸩死。
可见,过仁则庸。
真正明君如唐宗宋祖,秦皇汉武者,从来是不拘小节,不择手段的。 『臣光曰:若周世宗,可謂仁矣!不愛其身而愛
民;若周世宗,可謂明矣!不以無益廢有益。』
雍正帝は民にとっては最高だけど
上司にはしたくないタイプ 李世民は名君なのは間違いないが、人徳ってタイプじゃないだろ
李世民と趙匡胤はかなりの短期であったそうだからな
劉秀の冗談好きもウザそう 趙匡胤はメシがまずかったという理由で料理人を数百人単位で殺してる
海原雄山を危なくしたようなオヤジ 漢文帝
漢景帝
漢宣帝
漢光武帝
唐大宗
宋太祖
元世祖
清康熙帝
清雍正帝 あんだけ善政して、最後に「民に何もいいことをしてやれなかった」と言って死んだ光武帝はすげ得 劉秀や李世民や雍正帝みたいに君主としての心構えを弁えた
皇帝って珍しいよね 劉秀や李世民は鼻につくと思ってしまう俺は捻くれてるな 劉秀も李世民もある程度恵まれた家柄に生まれたからな。
朱元璋は貧民から成り上がった傑物。 恵まれた家柄に育ったことと
恵まれた家族を得たことは微妙に違うと思う
李世民は家柄も恵まれ、父、兄ともに優れた人物で共に統一まで戦ってくれた
劉秀は家柄に恵まれたが、兄は謀反の罪を着せられ始めの妻は増長していた
朱元璋は家柄に恵まれなかったが、賢妻に恵まれ甥子に李文忠という才人がいた
統率の趙政
武力の項籍
知力の朱重八
政治の愛新覚羅玄曄
魅力の劉秀
中華史上最強の皇帝のできあがり 行動力の柴栄
ってのもいれてください……
司馬光大絶賛の仁君ですから 小さい饅頭を出されて饅頭屋の親父を殺そうとする行動力も備えている >>269
まぁ、一人だけ光栄ゲーに無い基準だとなんか言われそうだけどな。 >>276
戦術能力って感じではあるな。
それだと、項羽が断然。
>>275
そういえばあったっけ。
あれ、政治能力で左右されるんだっけな。
柴栄は特殊能力で1.5倍ということで……w >>277
光栄の三国志バトルフィールドだと項羽より李世民、趙匡胤の方が統率高かったよ。
項羽は武力100で統率80台。 >>282
史書に書いてあることが真実であれば、劉秀は世界史上でも稀に見る名君。
あまりにも話が出来すぎてるから、鵜呑みにはできないが。 李世民には瑕(兄殺し)というのがあって、消そうにも消せない事実として残った
劉秀にはこれといった瑕がないように思う。
重箱の隅的なものなら、どうとでも見つけられるだろうが。 両方希に見る名君だしそれでいいだろうに、何故双方とも「自分の挙げている方が」をやらなきゃならんのか。
「そりゃ李世民のことだろ」と劉秀を排除するのも、李世民の瑕疵ばかりを挙げるのも不公正というもの。
双方とも治世に対する致命的失点に至ってない点でも同じだし、大して喧嘩するようなことじゃない。 つーか李世民は兄殺しが問題なんじゃなくて
それを隠そうとして兄を無能にしたり色々弄ったりする部分が
「貞観政要とか残して自称名君なのに、やることが小っせーなぁ」って逆に小者感を出してしまっていて
2chとかでは嫌われてるんだと思う
で、そう思う人間には「アンタが皇帝になるとか冗談みたいだねぇ」
と近所のオバチャンに言われてはにかむ光武帝はよく見えるだろうさ
あと別に李世民は初代じゃないのに、初代に匹敵する扱いで推すファンが多いのも不興を買う一因だろう
そしてその李淵をまるまるスルーして唐王朝誕生の功績を李生民一人、というのも李世民の工作臭いというスパイラル 李世民を実質初代とみなすなら、永楽帝も建文帝政権を滅ぼした
永楽帝政権の初代とみなせる 光武帝も太宗も実在を確認される人間では一二を争うくらいにすごい
前者は廃后、廃太子、法治主義で、後者は玄武門、高句麗遠征で
後世の歴史家に色々言われてるが
あとは好みの問題 光武帝の廃后は若い頃から好きな陰麗華を皇后にしてあげたかっただけだと思う。
その証拠に廃后された皇后の一族はこれをきっかけにより取り立てられるようになったから。
あと廃太子は皇太子自らが言い出したこと。
そのままだったら幼帝の連鎖は起こらなかったかもしれないが。 廃后がどうこう言われてるのは、後の代の廃后の有効な先例になってしまっていることと絡んでのこと。
光武帝の時代どうだったかは関係がない。
廃太子の件は同情すべき点はあるだろう。
暗殺疑いについてはさておくにしても、
後に、野心家の劉荊が異母弟であるにも関わらず担ごうとしている点を見ると、
自我が弱いと見なされていたか、身体が病弱であったかなどの理由から、
当人或いはその嫡子を傀儡としやすい性質であると見なされていたのだろう。
幼帝の件についてはおそらく仮に誰がついても変わるまい。
魏になっても早死にが続いているあたり、病弱や陰謀ではなく無知から長寿薬としてヒ素や水銀が使われていたのだろう。 自分から言い出そうが廃さないという選択肢も当然あったろ。
太宗の廃太子よりは結果も過程もマシな方とは言えるだろうが、
好き嫌いで天下国家に関わる序列を変えた、その前例を残した、のは
光武帝が一番マシだと思ってる俺でも微妙としか言い様がない >>296は>>295へのレス。念のため。
廃后問題については、もう少し詳しく言うと、
後の和帝時代のケ氏が陰氏を排斥する政争の際に有効な先例となっていることなどが問題とされている。
政争が国家を弱体化させたという理屈だね。
ただ、弱い勢力となっていた陰氏の人間が内部の礼法的優位だけでそのまま国家を指導する立場にあっても
「固定化した階級が国家を弱体化させた」といわれそうな気がするけどね。
ケ后の父のケ訓は対外戦争の名将だし、ケ隲も極めて優秀な人間で国家への忠誠も揺るぎないものだった。
結局安帝がケ氏でもフォローしきれない、自我強すぎの割に国が見えてないボンクラだったことが問題なんだろ。 何もそこまで深読みしなくてもと思うが。
歴史は全て個人の感情で動いているものだから、光武帝の廃后も単に愛のためにやったのだと自分は信じている。
それを政争とかに受け取るのはどうかな〜って感じた。
数々の苦難を乗り越えて善政を行った光武帝がこんな事でマイナス評価されるのはちょっと可哀想だと。 ここで語られるのが偉大さの証拠。
批判されるのは別に嫌われているからとか軽く見られている訳ではなく、
リスクのある行動をした以上仕方ないことよ。
他の候補にしてもそういう要素は転がってる訳で、パーフェクトな為政者などいないということさ。 >>297
>好き嫌いで天下国家に関わる序列を変えた、その前例を残した、のは
そもそも漢では景帝からじゃね?と思わんでも無い。
景帝はもっとえげつないが。 光武帝はたぶん実在してない。
豪族達が政権維持のため作り上げた架空の存在。 アグネス・チャンなんか信望も高いし権力を握れば
民にとってはいい君主になりそう >>307
ネタならつまらん
本気で言ってるなら精神科逝け >>308
アグネス・チャンは民からの信望厚いでしょ。
まさか民からの信望が高い=正義感が強いとか
勘違いしてない?民がいつそんな賢い人種になったんだよ 第一に文化人として信頼されてるのと、為政者としての信望についての時点で大きな隔たりがある。
第二に民からの信望篤いことと、民にとって良い君主ということにも大きな隔たりがある。
第三にそもそも文化人としても、アイドル上がりの彼女に対する信望というものは疑わしいものがある。 自分としては
1位ー清の康煕帝
2位ー後漢の光武帝
3位ー前漢の文帝
かな。 「常に」圧倒的多数の漢民族の上に立っている事を戒めて自らを律し、
「常に」善政を敷いて建国の父でもないのに後世に歴史上ただ1人「聖祖」と讃えられ、
最後の大仕事である後継者選びもついに誤りがなかった。
究極にして至高の皇帝、それが康煕帝です キリスト教に帰依すればとんでもない昏君でも神の如く賛美する宣教師がどうしたって? 康煕帝は後継者を選ぶときに少しイザコザがあったよ。
結果的に大成功したけど。 >>324
中国共産党員と歴代王朝の名君達を一緒にするな。 ケ小平は別名「共和国の世祖」と言われてるしな
毛沢東は皇帝的な性質を持っているから三国志時代でも通用する人物だし いや乱世なら毛沢さんはどこでも出られるだろ。
で太平の世では盗賊の大頭目か謀叛の首領扱いだが。 実在の人物かどうか微妙だけど、殷の湯王が旱魃の時に祈って、
「私一人に罪があるなら、人民に罰を与えないで下さい。人民に罪があるなら、私一人に罰を与えて下さい」
って言ったのは感動した。 >>332
昔の中国にそういう君主像が有ったこと自体が驚き。 >>334
今の中国共産党のイメージが頭に突き刺さっていて、
殷の湯王のような有徳者が新鮮に映ったんだろうよ。 殷は実在の王朝だから、湯王も実在したかもしらんね。実際どういう人物かはわからないけれど。 劉秀は名君だけど、後漢王朝は皇帝の短命のせいでいまいちな印象がある。
皇帝の短命を劉秀のせいにはできないけどさ。 場当たり的な戦闘は強いが君主として観るべき物はあるのか? 君主としても領主としても余り特に明確な功績を示さないまま亡くなってる。
強いていうなら、荊州で曹操から逃げる時に民衆がついていったので人気はあったろうというのが想像出来る位。
夷陵の戦を起こさず、大人しく四川の経営をしてたら何か評価すべき事もあったかもしれないが。
どうも禁酒令だけは出したらしいけど、古参の配下に窘められてその法令を止めた逸話であるのでこれを以って仁君とするのは無理がある。
劉備を落としめるのではなく、単に判断材料が無さすぎるってだけの話。 起こした時点で駄目だろ
孔明にも趙雲にも反対されたのに 結局最後に私怨で戦争起こしちゃったのは不味かったよね 光武帝 VS 宋太祖
つーかつまり孔子だろ。最高の君主のあるべき姿って。 学者に政治やらせるとろくなことにならんのは古今東西世の鉄則
建前じゃ国は治まらん 実際ある程度実績上げても、孔子は結局排斥されて
長年の流浪の挙句、晩年近くにやっと故郷の実権のない顧問扱いだもの。
それとて弟子達が各地で就職してたお陰。
指導者・教師としては当代随一だったけど、政治家としては今一。ある意味万世師表という称号は正当な評価ではある。 学者に株やらせても儲からないのと一緒
彼らは理論には長けているけど現実を理解できない
韓非子の死に様なんかもそれをよく現してると思う
兵法も読むだけなら誰でも出来るけど実際に戦場で活かすことが出来る人はそうそういない いやいや
仁や徳を重視したのは孔子だろ?そしてそれを体現してるのが。
現実的にどうかとか関係なく儒教なんてそんなもんで
漢以降は大抵儒教じゃん
だからどんな人間が君主になるべきか?理想の君主とは誰のような人間であるべきか?
それは孔子のような人間だ
ってことだよ
実際孔子が君主になったらどうなるかとかそういう事を言った訳じゃない >>352
その孔子は周公旦が理想だと言ってる訳だが。 いや儒教と孔子は違うじゃん
なんつーか後の儒家が目指したものと孔子が目指したものは違うとでもいうかな
孔子は周公旦が大好きだったっぽいけど後の儒教では孔子こそ一番凄いというか…
まあいいや。
現実的に言うなら光武帝と宋太祖の2強しか思いつかん
後は柴栄とか? 饅頭が小さいという理由で店主を殺そうとした柴栄さん 周公旦のように、兄弟順に継承した地位を兄の子に返したって人は他にいないのかな 柴栄は儒教の模範になるような君主じゃないよ。
才能を愛し、怠惰を嫌うのは曹操にも通じるところがあるし。 >>356
水戸黄門こと徳川光圀。
実子がいたのに兄の子を養子に迎えて水戸藩の家督を相続させた さすが史記伯夷列伝に感激した黄門様だけの事はある。 だけど水戸に居残った佐竹旧臣や大日本史編纂のための長期増税に喘いだ領民 あ、途中送信した。
水戸に居残ってイジメられた佐竹旧臣、大日本史編纂資金のために長期増税喰らった領民、寺を破却された僧侶からは恨み骨髄だからねぇ。
逆に黄門は黄門でも、後世の斉昭の方が地元民の人気は高かったりする。 黄門って宦官の役職だったような…
日本では中納言の意味らしいけど。 >>356
それ、成功したから美談みたいに語られてるけど
兄の子に譲ろうとして自分の実子たちの反発食らって
後継者争いになるって可能性もあるよな >>368
呉の件だよな。延陵の李子だっけ。って357に書いてあるじゃん。 現在の中国のトップの中で、後世の歴史家から徳のある人物とか言われる
人いるのかね〜。太子党、新幹線事故揉み消し、南シナ問題、チベット人
虐殺、数々の汚職、などなど・・・。なんか中国共産党、政権末期乱世に
一歩手前だと思うのは俺だけか? 今の中国は宦官が政権たらい回ししてるようなもんだから
その内崩壊するでしょ
中国の王朝崩壊は地方の反乱から >>224-226
>朱元璋はやってないだろうなぁ
>自分の卑しい過去を武器にしてのし上がった男だし
朱元璋集団が他の群雄よりも抜きん出ることができたのは、
イデオロギーを、民衆の間に広まっていた白蓮教から儒学(朱子学)に切り換えて、
劉基、宋濂らの儒者集団を味方にすることができたからだ。
朱元璋が儒学/朱子学を完全に理解していたのかはともかくも、
表向きは、一般民衆の間に広まっていた白蓮教から、
支配階層の教養/イデオロギーである儒学/朱子学に宗旨変えしている点で、
朱元璋は思想面において一般庶民と異なっており、
「自分の卑しい過去を武器にしてのし上がった」とは言えない。
むしろ、上流階層/知識人階層にすり寄ることになった。 >>180-181
>逆に朱元璋は、なんで2ちゃんでこんな評判いいのか理解できん。
>常人の理解を超えた怪物としか思えないので、とても感情移入できないよ。
朱元璋についてだが、
「貧農、乞食坊主出身」、「どす黒い権謀術数で皇帝にまでのし上がる」、
「大規模、過酷な粛清」という点はどうしても共感できない。
立身出世はいいことだが、生まれた境遇が超ド貧乏だと、
現代の恵まれた社会に生きる我々からすれば、かえって感情移入しにくい。
どす黒い権謀術数でライバルを追い落としたこと、大規模な粛清をしたことについては
言うまでもない。
朱元璋の人間臭いところ(一般の人間の性格に近いところ)は、
>>372のように、イデオロギーを白蓮教から朱子学に切り換えて、
上流階層/知識人階層にすり寄ったことかな? 朱元璋は「コイツ常人じゃねえ、理解不能だ、カッコイイ!!」と興味を持って調べていく内に
「案外人間臭いじゃねえか……やりすぎだけど」ってなる >>372、>>374-375
>案外人間臭いじゃねえか
朱元璋の権力欲/出世欲の強さは、人間臭く感じられる。
しかし、そのことで朱元璋を「庶民の味方」、「庶民の代表」であるかのように
持ち上げるのはおかしい。
>>372でも触れられているように、
朱元璋は劉基、宋濂らの儒者集団を味方につけるために、
一般民衆の間に広まっていた白蓮教から儒教/朱子学に宗旨変えをしたわけだが、
このことは、朱元璋が思想面・社会面において、
一般民衆から離脱して、上流階層/知識人階層に接近したことを意味する。
朱元璋が本当に「庶民の味方」「庶民の代表」であるならば、
白蓮教を旗印にしていたはずだ。
古くから、朱元璋は「豪傑、盗賊、聖賢を兼ね備えた人物」と評価されてきたが、
2ちゃんでは、朱元璋の「聖賢」としての側面だけを過剰に強調する傾向がある。
それが鼻について仕方がない。 庶民出ゆえになんの耐性もなく権力の世界に晒され、身を崩していく姿は、一種の庶民の代表に見えるけどね。女だったら宮廷物語だw
朱元璋の人間臭さって権力欲・出世欲の一言で済まされるようなものではないでしょ。
白蓮教から儒教に宗旨替えした瞬間だけじゃなく、儒教に絶望して粛清しまくった時期をよく見ておくといいよ。
呉王即位の時が朱元璋と儒教の蜜月で、皇帝即位の時には既に……って感じだし。
というかイデオロギーで儒者にすスリ寄ったのではなく、儒者=浙東の豪農・豪商集団だから天下取りに必要だったんだろうけど。
地方官に直接指示して免税、開墾、屯田、徒民、灌漑を徹底して行わせて農民を回復させたのは事実だし
そこに儒学者がいうような寛仁の政策はない。
皮肉な事に、民衆の教化政策は儒者が粛清され、朱元璋が独裁を始めた事に行われるのであって
既存の体制=儒者=豪農・富商による既得利権の容認、富・権力の独占であった糧長制度によって苛められていた農民を
年度による交代や、収入に対して課税を増やし、簡単な揉め事なら郷里の習慣に一任する里甲制によって救ってるわけだ。
朱元璋の儒学=浙東系集団への傾倒は朱元璋の経歴において殆ど一瞬の出来事なのに、
それを中心であるかのように言われると、それこそ鼻について仕方ないな。
基本的に彼は自分の母体集団である淮西集団を優先してきたし。
故郷である鳳陽に蘇州の富豪や農民を強制移住させるなど、仁君のするようなことじゃない子供っぽい事をやってるけど、
それもこの郷土集団への仲間意識であり、その昔から共に戦ってきた二十四人衆の放蕩もまた朱元璋の絶望の一つだろう。
彼の治世の殆どは南方文化人との対立であり、それは民衆を搾取する富裕層との対立だったよ。
科挙を実施しておきながら、これを採用しなかったのも南方人が多すぎたからだし。これは宋代から続く頭痛の種だが。
国家経営論を持っていた劉基や宋濂(彼は官吏採用が南方人に偏らないよう、朱元璋に命じられて北方出身者の教育をしている)ですら
その子弟に浙東系集団を持っていて、影響を排除しきれなかったことが、朱元璋が彼らを切ることに繋がるんだけれども。
この朱元璋の孤独、理想、猜疑、絶望、失望、憤怒を、ただ一言権力欲・出世欲と評してよいものか >>377
朱元璋についてそこまで綿密に調べることができるのなら、
明代中期・後期についても同様に、
綿密に調べて、話題を多く出すようにしてもらえないだろうか?
2ちゃんでは、明代についての話題というと、
圧倒的に明初、それも朱元璋ばかりに偏っていて、
明代中期・後期や、朱元璋以外の人物についてまともに語られたことがない。
「明初・朱元璋偏重」「明代中期・後期の軽視、無視」の傾向を是正すべきだ。 >>376
2chでは盗賊の面ばかりが取り上げられてる気がするが。 明王朝は洪武帝と永楽帝→英雄かもしれませんが、粛正等の暗い面も多く
王朝名のように明君なのかなと思います。ただし、私見するに
1年未満の在位だったといえ、明史において評価されている第4代皇帝
仁宗の治世はすばらしいです。あとは宣宗と孝宗ぐらい(仁宗にはかなわないけど) まあ永楽帝の治世の半ばは洪煕帝のもんだから…
でもそれだったら洪煕帝を選んで任せた永楽帝を評価してやっても良いはずだ >>377
>地方官に直接指示して免税、開墾、屯田、徒民、灌漑を徹底して行わせて農民を回復させたのは事実だし
地方官に命令したのは事実だろうが、免税、開墾、屯田、徒民、灌漑によって、
ただちに農村が復興したとは考えにくい。
14世紀には寒冷な気候のために飢饉が頻発したこと、
紅巾の争乱、明朝の中国平定の際の争乱、靖難の変の際の争乱という相次ぐ争乱などを
考慮すれば、洪武年間中に農村、都市が復興したとは考えにくい。
実際、都市、農村の復興の様子が文献史料からうかがえるのは、正統・成化期からである。
明初については、同時代史料が少ないために研究が進んでいない。
しかし、洪武帝一代で復興したかのように言い立てるのはおかしい。 朱標が早死にしたのは惜しい。長生きしていれば洪武帝の晩年の粛清も
抑えられただろうし、靖難の変もなかったはず。 >>383
後世に最高の君主と評されたかも?
ちょっと苦しい気がする。 ところで、日本の天皇はどの程度?
明治以降は仁徳だとけっこうなランクに入ってそうだけど。
名前も仁だし。 はっきり言って無学な俺には仁とか徳とかよーわからん。
人を惹きつける魅力?親分肌の人の事?とかいうの??
論語読んでも理解できない・・・。
>>386
ここ数代(数十代?)の名前はみんな仁だし。 廃帝が亡国の皇帝でもない限り悪諡は贈られないし
「仁」や「徳」が入ってても名君とは限らない むしろ諡に徳の字が使われてる天皇って不幸な末路をたどった人が多いような
偶然かもしれないが 劉邦て徳みたいなもんあったのかな?
まあ儒官の冠にションベンしたとか役立たず
とか言ってたらしいが。
でも農民から皇帝になり、あれだけの人材が
集まったという事は何かあったんだろうが。 >>390
むしろ非業の死を遂げたから「徳」の字をつけられる >>391
徳っていうかカリスマはあったんじゃないか? 曹丕が長生きしてればかなりの名君として評価されただろう。 >>387
そもそも仁はともかく「徳」は目に見えるような概念じゃない。
仏教の「悟り」と似たようなもんだ。
それを得ている人間が一番凄くて偉いがじゃあどうすればそれが得られるのか、それは何なのか、結局誰にも分からない。
だから極端な話最終的に勝った人間=最も徳が有った、の図式が成り立つ。 「徳」って単に倫理的に正しい行いのことじゃないの? 有徳の聖人。(徳を身に備えた理想的な人物)
「徳」=「行い」では成立しない。 >>397
出発点はそんな感じのはずだけど、時代が下るにしたがって
思想家とかお偉いさんが、政治的に複雑な意味合いをくっつけてた希ガス 現代の日本の政治家に本当の意味の徳のある人って
いるのかな?
ま〜徳がある振りやあると思い込んでいる人は
掃いて捨てるほどいるんだがw >>400
まあ、いないだろうね。
つーか、日本どころか世界中探しても本当の意味の徳のある政治家なんていないと思う。 昭和天皇がそれに近いけどな。
まあ今の日本にはいないな 本屋などで論語に学ぶ何々とかたくさんあるが
正直そういった本たくさん読んだからといって
有徳者になれるとはかぎらないっすよね。 中国の徳の概念って
飢饉、洪水、人心の乱れは上に立つ人間の徳が低いから起きるよ
徳がある人間が天子になれば治水しなくても洪水にならないし飢饉も起きないよーってシロモノだから
在位期間でこれらが起きなかった期間が一番長い=徳が高い >>404
なれる奴ばかりなら暗君なんてそうそう出ないだろ 朱元璋はたしかに粛清してるけど、相手が相手感あるんで
キレイにも見えるし権力欲にとりつかれたようにも見える こういう徳っていうものはどうしたら持てるんかな〜
天然で生まれながらにある人いるし、逆にいくら
勉強しても身につかない人もいるし・・・
勉強するよりも世間の荒波にもまれて人との付き合い方を学ぶべきだと思う。 >>410
それを礼って言ったんだけど・・
そんなバカな事言ってる暇があるならさっさと勉強してなさい。 >>403
え?
……ああ、明治天皇と間違えたんだな
それなら分かるわ >>415
莫迦だなぁ、お前。礼の話なんか何処に出てるんだよ。アンカーミスじゃないのか? >>413
人の話を「価値観」で否定するならお前は二度と自分の意見は書き込むなよ
それとも自分は偉そうに自分の価値観を喋り散らして
人が何か言うと「いやお前の価値観なんぞ知らんて 」って返すのか。
何で自分に友達が一人もいないかよく考えろよw >>416
人を煽るだけで大したこと何も言ってないのに
偉そうなこと言ってんだよなw
>>418
確かに俺は大した事は言ってないが、お前は何処で礼の話をしたんだ?
「それを礼って言ったんだけど・・」ってのはどのレスだ? まー人柄良くても、政治運営や人材管理能力とか低い君主は名君とは言えんもんね。
別に政治立案の能力とか実務能力やら軍事能力なんかは、得意な配下がいたらそいつら使えばいいんで君主は無理に無くてもいいんだけど。 徳を積むていう事からしてよー分からん。
性格をよく磨けというんか? 礼を重んじれば徳に結びつく。
他者との接し方がまず第一。 道徳は必要だけど今の世の中は、道徳で
人や物事を判断する人はあんまり社会の上の
立場にはなれないというのが現代の悲しい現実・・・ いやー実際の所、現代じゃなくても道徳が勝れてるから人の上に立つなんてのは極稀なんで。
ちっこい村やら地域、町内レベルなら無い訳じゃないけど
それだって紛争がその中で起こった時に上手く調停する力量が必須。
理屈やルール絶対!のみでは世間は上手く廻らないのは今も昔も変わらない。
強いて言うなら、財政が比較的安定していて儀礼以外は特に何もしなくていい江戸中期の藩主位じゃないか
道徳だけ勝れていてもいいトップの時代は。
初期だといつ改易喰らうかビクビク者で立ち回りを間違えると御家断絶だし、逆に幕末に近づく程大飢饉やら藩財政破綻やら幕末の動乱やらで
呑気に道徳云々しか能が無い藩主はとても生きた心地がしなかった筈。 >>408
>朱元璋はたしかに粛清してるけど、相手が相手感あるんで
>キレイにも見えるし権力欲にとりつかれたようにも見える
朱元璋が行った粛清のどこが「キレイ」なんだ?100%「権力欲」だろ。
粛清の末にたどりついたのは、「朱氏一族による国土・人民の私物化」だろ。
「支配階層による国土・人民の私物化」は前近代の社会であればどこでも見られることだが、
明朝の場合、この特徴が特に顕著だ。
自分の意図に従わない者を平気で殺す、身内には甘く諸王に莫大な経費を使うといった
朱元璋の行動パターンは、明朝の歴代皇帝にしっかりと受け継がれている。 皇帝に支配されるか富豪に支配されるか……あんま変わらんな、それ
富豪層が自分たちの好きな人間を官僚に任命できる薦挙システムとか無くなって当然だろ 日本の戦国時代でいわゆる徳の高い武将て誰だろう?
信長、秀吉は違うと思うし家康はなんか微妙な感じだし。
やっぱ日本は巨大な徳というものが育ちにくい環境なのかな。 正味の儒教などでいう徳なんか高かったら生き残れなかったのが日本の戦国時代。
ただ教養レベルでは守護大名や守護代大名など比較的規模の大きい大名の当主や子弟は儒教的徳行を教わっていたし、それに悖る所業は他国の諸侯から指弾された。
でも儒教的徳行に優れて大大名となった武将は全くと言っていいほどいなかった。
武功かその他策謀に長け、経済の足固めを早くしっかりしていた武将が軒並み大大名への道を歩んでいる。それはほぼ儒教的理想とは真逆の方向での成功。
儒教的徳行が優れてる云々を言い出すのは、治世がある程度安定してから領主の権威を高めるためでしかないのが日本。
徳行の優劣を問われたのは天皇くらい。
それは早くから天皇が権力や実際の政権の当体でなく、政権の権威の源泉若しくは権威そのものになってたから徳の有無が問われるようになった。 あと日本において「有徳」とは平安末くらいから「富裕層や有力者」を指す言葉だったのも日本での徳の意義の一端を示している。
この場合、富裕層や有力者が有徳とされるのは富裕であったり実力があるから「徳が有る」のであって
「徳が有る」から富裕となったり実力者となったとは考えられてはいなかったのだ。
あくまで徳は力の源泉ではなく、力に付随するもの特に権力より権威に付随するものと見做されていた。
そのため権威者である天皇や幕府や藩権力が確立して権威者となる徳川将軍や諸大名に徳の有無が問われた。 徳川家が儒教を推奨したのは、そのほうが国を治めるのに
好都合だったからという解釈でOK?
綱吉なんかは全国の藩主達を学問所に集め5時間近く
儒教の講釈をほぼ毎日してたらしいが・・・
藩主の人たちゴクローさんというほかない。 徳川幕府成立前からある程度の階層にとっては儒教は教養で倫理であったけどね。
でも忠孝を重く取る朱子学は徳川幕府支配にはうって付けだったのは確か。
でもそれがよもや水戸学を産んで、幕府を転覆させる要因の一つになろうとは想像してなかったろうけど。
同じく幕府転覆の原動力である国学神道もまた、その淵源には朱子学の仏教批判の論法などがある。
朱子学は徳川幕府の体制維持にとり必須であったけど、幕府を滅亡へ導く毒でもあった。 このスレタイ見て劉秀と康熙帝って言いに来たんだがやっぱり多いなw もし上司にするなら無能だけど徳のある人か
有能だけど徳のない人かどっちか選ぶとしたら
どの人がいい? 無能だけど徳がある上司…その人が人を上手くおだて使い配置出来る人なら付いて大丈夫。
だけど優柔不断ならば部下が必ず難儀な事は丸被り。無能故に上司自身が事態を処理出来ないから。
さもなくばグダグダになった挙句共倒れになるのが殆ど。
とはいえ徳があるなら、失敗はその上司が被ってくれる筈だから詰め腹切らされる確率は低い。
有能で徳がない上司…典型的イメージの織田信長と思えばよい。
貴方が何等かの高い能力を持ち、それが役に立つ限りその上司は貴方を大事にするか使い回すだろう。
役に立つ間昇進などしてくれる人物ならば付いていっても良いが、常に貴方自身のポテンシャルも高めてないとすぐ見捨てる。
またそうでなく狭量だったり人を使い捨てにする傾向の人物やたとえ役に立つ内は優遇してくれる人物も役に立たないとなると手の平を返すので
狭量な人物や自身が役に立たなくなった時と感じたらすぐに身を退くか逃げねばならない。
必ず詰め腹を切らされたり、とんでも無い目に遭う。基本的に自分以外は人と考えいないからだ。 やっぱ個人的には劉邦みたいな人が上司になってほしい。
ヘタに能力あると思ってる人が上司だったらアホの俺は
いつ手討ちされるか分からんし。
今の上司達、高学歴でテストなんかは得意なんだが、それだけで
能力が曹操、信長並だと思い込んで、さらに器ももの凄く大きい
し人望もあると思ってるらしい。ただのカスなのに。
そう、今いる会社は東電系列の会社だ。こんな人ばっかだぞここw
ま、さすがについていけないので転職の予定。 劉邦は韓信を粛正するにあたっても、無実なのに処罰するのは心苦しいと考えていたからなぁ。
韓信が、こんな事なら蒯通の勧めに乗って謀反すれば良かったというのを聞いて、無実ではなかったと
かえって安心した。しかも蒯通の事は弁明に納得して許している。 >>439
心配すんな、チミの上司みたいなんは典型的な
「無能で徳の無い上司」
だから。
でもどこも就職は氷河期だ、転職するにせよ居続けるにせよ何にせよ自分の能力を高めるこった。そうでなきゃ転職すら夢のまた夢だ。
がんがれ。 現代の日本の政治家の人たちみんな俺は徳があるぞ〜
みたいな顔して今の政治を滅茶苦茶にしているが
昔の中国の政権末期でも似たような人たちたくさん
いたんだろうな〜。 各中国王朝末期の官僚は殆どが定まった王朝のやり方や方式を踏襲するか、とことん方式を維持する事に執着して
思考が固定化し柔軟さを失ってるのが多いので外敵によるのであれ、体制の経年劣化の果ての王朝崩壊によるのであれ対応出来ないのばかり。
また既得権益も王朝が長ければ長い程強固で潤沢だから失う事を恐れるばかりに、逃げや権益の確保・隠匿に走りがち。 聖祖康煕帝かな
満洲人だから漢人には人気ないのかもしれないけど 現代の日本の日教祖の教育は、要は徳のある聖人君子になれ
という事か?
そんな教育してるから草食系男子とか言われる人が増えて
きたんだろうか・・・ でも雍正帝は臣下には優しくないぞ、仕事上では。
その代わり私意を交えた出鱈目はないけど。 雍正帝は臣下として仕えるのは結構辛いかも。
民としてならかなりいい部類の皇帝だけど。 同意するかは自由ですが、
欧米の貴族
↓
欧米の銀行家
↓
世界の大企業・政府高官
↓
中小企業の経営者
↓
一般労働者
あくまでざっくりとしたモデルだがこう言った大きなシステムの中に日本社会のシステムも組み込まれているのだとしたら日本だけを批判しても仕方がない。
逆らえば経済封鎖された上に原爆を落とされ
迎合しても経済奴隷にされる
何故民主党が国民無視の政策をするか?
そりゃスポンサーが外国人だからじゃないかね
「欧米は素晴らしい。夏休みが一ヶ月で労働時間は五時間なんて理想の天国だ。それに比べて日本は腐っている」
いやいや待てと
欧米人が一ヶ月のバカンスをとり五時間労働なのはその不足分を全人類が奴隷化して補っているからではないのか?
とりあえず儒教叩いときゃかっこいいと思ってるバカが多いよな 儒教批判は三国志における演義批判、劉備・諸葛亮批判と同じで誰もが一度は通る道だと思う
で、後になって当時の自分を省みて余りの恥ずかしさに同じような事を言ってる人を叩かずにはいられなくなる、までテンプレじゃないかな
スレとは何の関係もないけど しお焼のりニンニク乗客贅肉ポイ捨てゴムエアラインメジャーラス糖尿関西京スラム規定野球へアスケロンとるこイラン飲会インドフレ英とんこつニューヨーク骨折森林交際爆竹味flashマックさいむらアリナミン胡麻バブル法香CDラーメン
しお焼のりニンニク乗客贅肉ポイ捨てゴムエアラインメジャーラス糖尿関西京スラム規定野球へアスケロンとるこイラン飲会インドフレ英とんこつニューヨーク骨折森林交際爆竹味flashマックさいむらアリナミン胡麻バブル法香CDラーメン
しお焼のりニンニク乗客贅肉ポイ捨てゴムエアラインメジャーラス糖尿関西京スラム規定野球へアスケロンとるこイラン飲会インドフレ英とんこつニューヨーク骨折森林交際爆竹味flashマックさいむらアリナミン胡麻バブル法香CDラーメン
歯鼻科賞金旅人豪州牛仕掛人ラボセコムユーザー福岡内政アゴエコノミー解体車業しお焼のり駐車禁止管理代番号盗り逃げEUふなぶっしゅバンコク花火シルク平壌大全集CaPSIM5ラ・トゥーfxメン
保険依存王宿題auロボットヤーフォーレポート日本評価カウントダウンサロン「わー!オぉあ」↓☆↓☆内閣飲み会郵政省mannernhk証券ディレクターDJ玩具研究員デズネーespana牧師TeNQdio店長少年 朱元璋は恐ろしすぎて、いまでもつまむのをためらうわ ☆ 日本人の婚姻数と出生数を増やしましょう。そのためには、公的年金と生活保護
を段階的に廃止して、満18歳以上の日本人全員に支給する、『ベーシックインカム』
の導入は必須です。月額約70000円位ならば、廃止すれば財源的には可能です。
ベーシックインカム、でぜひググってみてください。お願い致します。♪♪ フリードリヒ・ヴィルヘルム1世が世界最高の名君であろう 「六朝時代」というと、華北と華南では別の時間が流れていたようである。しかし、密接に関わっている。 政治の世界では、何事も偶然
に起こるということはない。
もし何かが起こったら、そう
なるように前もって計画され
ていたと見て間違いない」
第32代米国大統領
フランクリン・D・ルーズベルト 自然環境におかれた場合の生物の寿命を「自然寿命」といい、脊椎動物の自然寿命の推定に利用されるのが、「DNAのメチル化」といわれる現象です。そして、このDNAのメチル化から割り出された人間の自然寿命が38歳でした。チンパンジーやゴリラの自然寿命もほぼ38歳で、私たちの「親戚筋」ともいえるネアンデルタール人やデニソワ人の化石のDNAを調べると、ともに38歳でした。 霊長類の自然寿命はどうやら38歳あたりのようで、同じ霊長類の仲間である人間の自然寿命が38歳というのは、妥当な線といえるでしょう。 自然のままの生物としての寿命を「自然寿命」といい、人間の自然寿命は38歳と推定されます。40歳以降は本来ならとっくに死んでいるはずです。ちなみに、観察されている限り、ほかの生物たちでは、自然寿命と実際の寿命がほぼ一致します。人間だけが自然寿命の倍以上も生きられるのです。 版図と冊封国範囲で、永楽帝を推しとく。
中華最大の威光をはなった。