太公望!!!!!!!!!
まあ、昔過ぎて、太公望に限らず、あの時代の人物のことはよく分からない場合が多いけどね。
姓は姜、氏は呂、だそうだけど、この頃って姓と氏が明確に区別されていたんだね。 日本においては、とりわけ若年層において、
太公望のイメージは、漫画「封神演義」の影響が大であることは否定できない事実である。 >>3
>姓は姜、氏は呂
これも有名な話だけど
斉国呂産の地に封じられたから呂尚と呼ばれる(商於に封じられたから商オウみたいに)
って説もなんかの本で読んだ記憶がある 姓と氏の区別は秦の統一以降だんだんと曖昧になっていったらしい
ちなみに姜や姫など「女」を含む字は元々姓であるらしい 普通に「太公望」でぐぐっても、釣りのサイトが真っ先にヒットしてくるあたり、
この人のイメージは、やっぱり釣りなんだな。 中国に仏教が来たのは後漢ぐらいだけど
殷の時代にインドに仏教はすでにあったかもね 呂尚
周の軍師でのち斉の建国者謚は太公で兵法書六韜の作者として知られている 常識レベルのことをスレの途中で流れに関係なくレスするやつってなんなんだろうな?>>17
それも自分の意見が一切入ってないような 太公が望んだ軍師って聞いたんですが、
太公って誰? >>13-15
ていうかこの時代バラモン教やウパニシャッド哲学すら生まれてないよ 哲学は無くとも姫昌が千里眼を持ち散萓生が亀の甲羅や稲を焼いた炭で占いをしてたらしいからなんらか独自の原始的な信仰はあったんじゃない。ただ立て床式住居の城だった可能性も 実像はどんな人だったんだろうね。
宮城谷とか読んでると殷に生贄にされる事が多かったきょう族の
有力者みたいな感じだったけど、ここまで古いと実像はわからんよね。 太公が望んだから太公望ねえ
結構安直につけられた名前なんだな 太公望がいた3000年前って日本じゃ縄文後期じゃね? 針は縫い針だと聞いたのですが。
餌も付けず、水にも入れてないと。 しかし、ここで語られている様々な英雄が皆、呂尚だけは一致して英雄だと思っ
ていただろうね。
史記には「後世、兵法及び周の権謀術数に言及するものは、皆、太公望を始祖と
し、謀略の中心人物とみなした」とある。
誰か「黄河の覇王−太公望のナゾ」とか読んだ人いません?
武吉とか知ってる人いないかな?
このスレはかなり好きなんだけど、レスがいまいち伸びないんだよね。
期待してageてみましょう。 >>32
文王「何を釣っておいでですか?」
太公望「年月を釣っているのですよ」
という話もあったなぁ。 ちなみにこの頃は、釣った魚をどんなふうに料理していたんだろうか? 焼くか煮るでしょ多分。それより、行軍時の兵糧のほうが気にならないかな?
豆とかが主だったのではと思うのだけど この頃の江東の辺りでは稲作はまだ始まっていなかったのかな 武王の嫁さん王姜と親戚なんだっけ?
あれは宮城谷の創作かな ちゃんと史記の注釈に邑姜は斉太公の娘って書いてある 史記と竹書紀年でもかなり違いがあるからね…。
あの時代は何を信じてよいものか…。 竹書紀年も原本散逸して
宋以降の「収集編纂」だしなぁ。
口の悪い学者は「ありゃ捏造w」なんて平気で言うし。
史記は史記でああだしね。
やっぱ金石文が定石かな? それによると太公望はいくつくらいで死んだと考えられる? 「六韜三略」読むべし。読みやすくなっていた。
90歳以上と考えられる。
横山光輝 「殷周伝説22巻」コミックは解りやすく、はいりやすく面白い。
小説よりも面白かったな。 こいつと張良って、名声の高さの割りにいま一つ何をしたか良く分からないんだが。 >>1-46
お前ら完全な番地外だ!ジャンプ信者は出て行け!!
【望ちゃん】太公望×普賢【幼馴染】とかいう話題は801板でやれや! 普賢真人の可愛らしさにハフハフするスレになりました。 もとい
姜子牙という呼び方から考えて
子牙はいかにも字だから
姜が姓
名が尚って感じ? >>49-50
えーと、だからそれがどうした?例えばそれ
諸葛孔明という呼び方から考えて
孔明はいかにも字だから
諸葛が姓
名が亮って感じ?
ていってるのと同じなんだが…
いまさらそんな当たり前のことを聞いてどうしたいわけ? 太公望と王天君が合体してフッキになるスレはここですか? 姓と氏の関係ってよくわかんとです、、。
たとえば 源徳川家康みたいなものですか? 優れた軍師だったらしいけど、具体的にどんな献策をしたの? 釣りとは関係のない部族なのに釣り師の象徴。
何か変じゃね? 太公望は川で釣ってたらしが、針は付いていなかったとか。
彼は「王」を釣ったですよね。
どんな献策をしたかは「六韜、三略」を読むとわかるよ。
検索すると出てくるので読むと大変勉強になりますよ。
現代にも通用する考え方かも。 >>55
殷王朝が滅んだ後、チュウ王の幼子に八つ当たりしたり、張奎の老父母を
虐殺したり、韓変、韓昇を問答無用で殺害したりした。 >>59
>>45や他のスレでもむやみに六韜三略を勧めてくるのと同じ人?
ネタじゃなく本当に検索したならわかるはずだが
「六韜、三略」は後世の偽書だからあてになんないんだけど。
>>60
どれも封神演義のフィクション、というか
>チュウ王の幼子に八つ当たりしたり、
してない
>張奎の老父母を虐殺したり、
それ楊センの独断。しかも父は殺してないし。
>韓変、韓昇を問答無用で殺害したりした
問答無用?二人は鄭倫に捕まる前に多くの周の将や兵を殺してるのに?
小説のフィクションと史実の区別がつかないどころか
ちゃんと読めばわかるようなデタラメばっかじゃん。
小説もまともに読めないゆとり世代か? ↑
あなたは色んな所でケチバカリ付けている人でしょ。
間違っているとか、いないかなんて誰もその場にいなかった
んだから断定できないのですから、批判はやめたら。
それともあなたは4000年前に居たんですか?
意見は意見として聞くもんですよ。
大層な学者さんか先生。
因みに地球温暖化と騒いでいますが、反対に地球寒冷化という学者も50%近く
いるとも言われているんですよ。
何でも決め付けての発言こそ笑止。
ゆとり世代でない人へ。
>>62
>>59の六韜についてのほうはともかく
少なくとも60のほうは、誰もその場にいなかった、3000年前に居たとか居ないとか
>>55は史実じゃなくフィクションの話でも別にいいのだろうか?
とかそんなことは全く関係なく、普通に間違いだらけなんだが。
とりあえず小説と史実の区別はおいとくとして
60のレスってどうみても封神演義 だ け を参考にしてるようだから
それについては封神演義を読めば間違いかどうかは断定できるだろ。
もし60本人だったら文句つける前に
まずせめてちゃんと封神演義を読み直してくれ…
60みたいなことは安能版でも書かれてないから。 あの〜史記が書かれたのは江戸時代じゃないし、
日本に伝わったのも江戸時代よりずっと昔なんだけど… 封神演義スレがフィクション小説スレ化してるんで
院の厨王 周の文王武王などを語るスレは こちらのほうがいいかもね 結局、この人どうなったの?
普通に生涯をまっとうしたの?? 仏教も儒教も生まれる前の時代ってどんなアレだったんだろ >>70
儒教は中国土着の生活習慣を道徳という形で孔子が纏めて提唱しただけ 文王 (=゚ω゚)ノぃょぅ 「何を釣っておいでですか?」
太公望 ( ̄ー ̄)ニヤリ 「お前をな〜! 」
これだと殺されるな・・・
>>72
四不象は清朝の宮苑に残っていた。
太公望の時代はもっとたくさんいたんだろうね。 >>77
漢の時代までは黄河流域に広大な森林地帯があったらしい。
シフゾウもそんなところに生息する動物だったのかもね。 四不象って昔の中国でもそれなりに神聖視された動物だったのかな? >>79
一時は野生絶滅までいったんだし、
あまり大事にはされていなかったような・・・・・・ 太公望が建設した初期の斉は何邑くらいでどれくらいの規模だったのか?
最初からリンシが首都? >>82
史記読めよ
俺達はお前のお母さんじゃないんだから何でも聞いて済まそうとするな 結局この人は実在したのかな?金文に出てくるんだろうか?
武王とかは金文にも登場してたはずだが。
姜は羌なんだろうかなとも思う。すると、殷に生贄狩りの対象とされていた人達だ。
殷に生贄として支配されていた人達の反撃が殷周革命の真相なんではなかろうか。
この時代には謎が多い。殷と周は別の民族だったのか?
太公望呂尚の名は、金文ではこれといったものは知らないが、
西周代の作とされる「詩経・大雅・大明篇」に、牧野の戦いで
武王を補佐する「師尚父」の名で出てくるから、伐殷に功のあった
将軍としてそういう人物がいたことはまあ事実と考えてよさそう。
それが斉に封ぜられたとか、経歴とかもろもろのおもしろい話が
出てくるのはみんな「史記・斉太公世家」から。司馬遷が何を見て
それを書いたかは知らない。
呂尚の娘で、武王の妃+成王の母である王姜(邑姜)なら、やたら
金文に出てきて大活躍してるんだけどね。でも金文でも「呂尚の娘」と
書いてあるわけじゃないけど。 「真の天子よ、かかってこい。」
「では文王西伯候姫昌!お相手つかまつる!」
「そうじゃない。」
太公望って羌の出身だったって事は、今で言うチベット人だったって事?
今さっき宮城谷昌光先生の太公望を読み終えた
しばらく余韻を楽しんだあと、久しぶりに中英板を覗いて見たくなった。そこで来てみると太公望スレが一番上に上げられていた
何だか運命というものを信じてしまいそうだ >>101
チベット系だけど今のチベット人とは別物じゃないか?
羌族は中原あたりにいたらしい。 太公望は羌族っていうより、チベット系や今の羌族の同祖と呼ばれている古羌族っていった方がいいかもなあ。
あの後東の羌族の国は滅ぼされるし、チベット系でも遺伝子的に東と西で別れたようだし。
ただY染色体を調べてみると、日本人と古羌族の同祖と呼ばれるチベット系や彝族は同じ系統が見つかるんだよね。
そこにロマンを感じる。 姜斉の二代目の名前の漢字がわからない、姜尚の次の姜キュウのキュウは表しにくい漢字なのかね 渭水の太公望は、ツァラトストラがやった「ましな人間」釣りとダブる。
見事に釣られた右手の王が文王で、左手の王が武王、だとロバは周公旦だなw 周王朝の創始に大きく関わった太公望。
偉人として扱われる事がおおいが、
中国に、春秋戦国時代を招いた奸物と捉えることもできる。
殷のチュウ王って、そんなに悪い人ではないと思う。
大儀が無く天下を取った、周の武王と斉の太公望。
その結果、下克上の乱世へと移って行くのである。 桓公以降の子孫は桓公を意識しても太公望を意識してる感じがしない 周が封建した諸侯の大半が同族なのはおかしいよね。
同族以外で有名なのは燕公や斉侯ぐらいだよね。 >>111
楚や秦は無視か?春秋五覇の一人に数えられる事も有る宋は有名じゃないのか? >>108
史実通りかどうかはともかく、
その時代は多かれ少なかれ元から荒れていたんだと思うよ。 横山の殷周伝説で
嫁をもらいつつも宋異人に養ってもらってる時のエピソードが面白すぎ 呂尚は読書しまくった無職から大出世って凄いね
俺も読書しまくろう 傅説(ふえつ)は道路工事をしていた所をスカウトされて殷の高宗の宰相になったというよ。 孫子を読んでると太公望が殷にスパイとして潜入していた事が書かれてあるな 史記読むと周が勢力拡大できたのは太公望の働きが大きいと書いてるけど
具体的に何したかは書いてないんだよなあ
そこが知りたいのに そこは誰も知らないんだよ。何しろ「太公望」という名称自体、文王の父が大公で
その人が待ち望んだ人物という意味だとか、呂尚自身の位が大公だったとか、
諸説有って本当の事は誰も知らない。 >>108意味がわからん
春秋戦国時代に移っていくのは武王と太公望が殷を倒してから200年以上後の事なのに
武王と太公望のせいにされても困るだろ なんかちょっとよく分からん逆説を唱えてみたかったんだろう。
もっとも受王を逆に再評価してる奴はいる。
いわゆる史書で悪く言われてるだけで、実は何も悪くなかった、というような。
もちろんでっちあげはあるんだろうけど、正しいともいえない。
そもそも史記は受王を頭脳明晰で怪力を持ってたとプラス面も書いてるんだよ。
そしてそういう英邁な暴君が、臣下の意見を聞かない、やたら戦争をする、反対者を殺す、というのはよくあることで
そんな失策の中で周に攻められ国を滅ぼした、というのは別におかしくない。 宮城谷の作品だと受王は頭の良い改革者って書かれ方だったな
だけど、改革が性急すぎたのと、傲慢な性格と、敵である太公望達も天才だったから滅んだみたいな感じだった 太公望は桓公の時代辺りで斉の箔付けの為に虚像が作り上げられたという説があるらしいんだが
詳しい人いない? 丁公に王へんを付けていて王扱いしていたとか
王丁
王公
って刻んだらしい 浦島太郎のモデルは、この人なの?
浦島太郎は亀を釣って蓬莱島に行ったというけど
山東半島は蓬莱山とされて秦の始皇帝が祭祀を行ったんだよね 初期は十干諡号だし殷末甲骨文にも斉って出てくるから、
太公望はやっぱり後付けなんだろうね