家が貧乏だったやつしかわからないこと Part.26
そんなこと常識、教養の問題で経験不足なんて言い訳もいいとこ。 うちの場合だが田舎から出た事のない貧乏な親は教養も常識もない
ほんの些細な事でもきちんとしたおうちの子との格差は感じる 乾杯前に飲んだ事はさすがに無いけど新人の頃
飲み会最中に先輩から課長のグラスに酌をしろって促されて
テーブルの上のビールが三割くらい入った課長のグラスに
ビール瓶を左手で持って「どうぞ」とだけ言って注いで
全部間違えてるわって先輩に怒られた事ならある(課長は笑ってた) >>418
それは先輩が先に教えておくべき社会人のマナーではないのかな
家庭で親が教える事ではないような(教えられるものなの?)
両手で瓶を持ちラベルを上にしろ
残り少なくなった瓶のビールを注ぐのは失礼
目上の人から自分が注いでもらう時は飲み干してから受けろ
自分はこんな感じで先輩に教えられた >>420
先輩曰く、学生時代に飲み会やってりゃ身に付く作法だそうな
学生の頃は生活費とか稼ぐのにバイト掛け持ちしてて
>>414同様サークルの飲み会とか参加した事無かったから
「貧乏人は飲み会マナーでも遅れを取ってんのか」と思ったもんよ 酒の飲み方は学生時分に覚えるものって上司に言われたなあ
今も昔も周りにやたら気を使う会社の飲み会が全然楽しくなくて、無いなら無いで一向に構わない オレいつも運転手でどこ行ってもほとんど出先で呑めない。
相方は酒飲み。昼飯でもビール飲みたい派
呑むのはいつも好きにすれば。いうてる。
付き合い始めたとき空のグラスを放置したとき中身がねえなぁアピールされたわ。
最初のうちはなるたけ注いでやってたけど、もう最近では気が付いたときだけ注いでやる程度で
気にしないようにしてる。 小学生の時、美男子で妹が可愛くて親が金持ちの同級生が居た。
天は二物を与えずって言うが与え過ぎだろ
こっちは家は貧乏で兄弟揃ってブサイク‥なんでだよ >>425
力関係が良くわからん
取引先とか上司でもなく友人だろ?
そしてお前さんはハンドルキーパーで飲めない
手酌で十分だろ、ずいぶんと図太いヤツだね >>420
>それは先輩が先に教えておくべき社会人のマナーではないのかな
その通り
いかに先輩が普段から後輩を飲みに連れて行っているか否かが問われる 芸人の世界もそうらしいけど、他人の金で酒を飲むって当たり前らしいね。
奢られて傲慢な態度に我慢しながら酒を飲むのも
なんの敬意もないクソ生意気な後輩に只酒振舞うのもまっぴら御免。 会社の先輩70代が夕ご飯を奢ってやるっていうから楽しみにしてたら、やよい軒だった
普通の人ならショックを受けるだろうが貧乏人の俺にはご馳走だった つうか、街にあった中華屋に380円のラーメンとか400円の炒飯とか食べに行くことすら
我が家では年に1~2回ほどの大イベントだった。 そんな外食すらなかった
家での食事もおかずがないことも時々あったな >>435
奢ってくれるなら文句は言えないよね
なんでも美味しくいただくのがモットー 子供の頃の外食は正月2日の初売りにお年玉持って親戚一同の子供たちみんなで買い物に行ってその後レストラン街で食べるのが楽しみだった
親戚の子は普通のサラリーマン家庭でうちより裕福だったのでいろいろ手慣れてたように思う
うちら兄弟はお子様ランチとソフトクリームが金属のスタンドに載って来るのにめちゃ興奮してた 酒飲みで酔って大声をあげる父親が自分も嫌いだったけど同い年の親戚の子に
◯◯のお父さん嫌いと言われた時は子供心に傷付いたな DVって家族内にやるからドメスティックなわけで
外部にやったらただの刑事事件やろ。 >>433が相当痛い所突かれてるって事はわかったw なんなんだろうか、酒を飲むたびに自分の女房子供を怒鳴り散らして暴れまわる男と言うのは。俺のオヤジなどは戦争に行ってよく生て帰ってこれたというような激戦地で戦い精神を病んだのかとも思ったが、だとしても子供として許せない。未だに絶対許せない。 ウチの親父も酔っ払ってめんどくせぇ時はあったけどあんま暴力は無かった
小学生の時に妹泣かしてぶっ飛ばされたのは覚えてて歳いって生まれた女の子だから
妹のこと相当可愛がってたよなーと家族集まった時には懐かしくその話はする
貧乏だったけど親が嫌いって事は無いかな >>434
>奢られて傲慢な態度に我慢しながら酒を飲む
仕事が終わったら先輩と二人でよく飲みに行ったが
反省会みたいなもんだぞ
会計時に全額払ってもらって初めて礼を言うわけであり、
飲んでいる最中は奢ってもらえるのを前提にしていないし
奢ってもらう気満々で飲むほど厚かましくもない >>414
なんか解るな
自分は入社前研修という名目で先輩社員の出張に同行して初日の夜中華屋に飯食いに行った
他の人はビール飲んで一品頼んでみんなでつついてって感じだったんだが、そういうのがわかんなくて一人で天津飯とか頼んで会計時に「じゃあこれ自分の分で」とか言って払ったら「お、おう…」みたいな感じになった
常識
>>431
そうは言っても最初の最初はしょうがない部分でもあると思う >>447
大抵は経験ない事に遭遇したら先輩や周りの行動を見て合わせる事で乗り切るもんだけど
そういう事は一切しないの?
たぶんそれは貧乏で経験してないからっていうより持って生まれた性質の方が強いと思う 何回もおんなじこと書くの嫌だけど、本当に最初だからわかんなかったってことよ
以降はちゃんと周り見るようにしたよ いや、社会に出るまでの学校生活でだってそんな事沢山あるやん
自分はわかんなくて周りは当たり前にやってる事
そういうのに合わせるって子供の頃からしてこなかったのかなって 周りを見て自ら学習する。という能力をむかしは自然にに身につけていったんだよなあ。
言われてないから出来ませんとかやりませんとか言わなかったし言わせもしなかった。 宴会の席の立ち居振る舞いなんて大人になってからだから貧乏関係ないだろ
よっぽどでもなければ「ああ、新人君だなw」って思われるだけ 初日って書いてんのにわからんのかい
目上の人と食事行くのも最初だし割り勘で料理広げてなにか食べるのも初よ
それ以降は周り見てるとも書いたぞ
それでもなにか言いたかったら35年前の俺に言ってくれ なんか自分が書いた事がうまく伝わらず噛み合ってない感じがするけど
よけいな事言ってすまんかったね 三十数年前の他人の失敗談を詰めて人格否定までするなんて良い趣味してる 歯が痛い時、母親に虫歯に正露丸詰めとけって言われたわ >>459
それも貧乏って言うより母親の教養や常識の問題では?
生活保護受給世帯だと医療券を貰って自己負担無しで受診できるし
そうでなくても我が子にその場凌ぎでやり過ごすなんて発想にはならないと思うんだけど
自治体に相談するなりして何らかの解決法を探らなかったのかな こういう事書き込むバカって何様のつもりで生きてるんだろうなw
役にも立たねえアドバイス()して偉くなった気にでもなってんのかな 笑い話のつもりで書いたのになあ
説教されるとは思わんかったわ >>459
オレも言われた事あるわ
アレって口の中が臭くなるだけで効かないんだよね 日々の暮らしに精一杯で子供を歯医者に行かせるなんて発想はない。大人になって自分で稼げるようになったら治せというくらいだろう。当時はどこもそんな感じだった。 昔は乳歯だったら糸で結んで引っこ抜いた。虫歯は今治水とかいうのがあって
正露丸の味だった。民間療法みたいなもの 正露丸は歯痛に使えるって正式に書いてあるよね。昔から
https://www.seirogan.co.jp/seirogan/products/seirogan/truth/trouble.html
正露丸の主成分である木クレオソートには一応鎮痛効果もあるということで
最終的に歯医者に行くにしても、歯医者にすぐに行けないときの緊急対処として、
一応アリということになっていたのでは
ただ進行した虫歯の穴に押し込んだらむしろ刺激して痛い気がw 正露丸詰めたとこを恐る恐るベロで触ってニガいのを確認してたw
パックマン貯金箱が流行った頃、当然ウチもそんなの買ってもらえるわけもなく
それでも自分の貯金箱が欲しくてネスカフェの空き瓶に小銭やお年玉を貯めてた
それ見て真似しようって言ってた友達が、後日買い物に行くのについて行ったら
仄かに正露丸の匂いを纏ってて「瓶を何回洗ってもお金が臭くなっちゃうんだよ」
って言って正露丸臭い500円札を嗅がせてくれた >>463
本人は笑い話のつもりでもやっぱ常識から外れた行動ってのはあるんじゃね >>470
知ってる。
けどそういう話ではなく効かないって事を言ってる。 虫歯に効く飲み薬ってまだねえんじゃね?
飲んで虫歯を治す!なんクスリが出来たらノーベル賞もらえそうだが。 せめて歯ブラシを使わないで歯をきれいにできる技術とか うちは正露丸ではなく、今治水だった。
苦いだけで感覚的にはあまり効かないけど。 >>469
昔のコーラ1リットル瓶や1.5リットルペットボトルって500円玉でも入るくらいの広口だったよね
24時間TVで映った小銭いっぱい入ったコーラの瓶がなんかかっこよく見えて貯金始めたけど、すぐ何かに使って半分以上貯まった事無かったわ
2リットルペットボトル一杯のタバコの灰を花屋が買い取ってくれるという噂を信じて貯めてたけど、半分くらいでデマだと聞いてやめた事も思い出した
そんな広口瓶の思い出 コーラの500ml瓶が初めて出た時、こんな化け物みたいな量は誰が飲むんだ、と驚いたもんだが今は当たり前に軽く飲んでる。 歯痛の話だけど叔父さんがいて、半紙に小筆で何か
お呪いの言葉を書いて小さく折りたたみ、それを痛む歯で
暫く噛んでいれば治ると言う処方をされた思い出がある
今では笑い話だけど、そんな時代だったんだろう。 縁日の瀬戸物売りが、この茶碗に水を入れて個々の柄の部分で痛い歯の側の頬っぺたを撫でれば歯痛は直ぐに治ると言ってた。そういうふざけたことを言う香具師だったが、それを真顔で聞いて買求める俺の母親にも呆れた。 服は大概兄貴や近所のお兄ちゃんのお下がりで
何回も洗濯して生地が薄くなってるようなTシャツとかばっか着てた
夏の林間学校に珍しく母親が買ってくれた新品のTシャツを着て行ったんだけど
なんだかしっかりした生地のTシャツが分厚くすげえ暑く感じた記憶が残った
ここんとこ暑い日が続いてそんな事思い出した 昔の大人は、暑ければ平気で上半身裸でうろついてた。 そういえば子供の頃は親戚の子が着た服が我が家に送られてきてそれを着たりしてた。
それはウチが貧乏だったのもあると思うが、親の世代って物を捨てることを嫌う結果、
単にウチがリサイクルの場所になっていた気もする。
他にも、親戚の子があまり読まなかったっぽい本とか。歴史の本とか、文学全集みたい
のとか。俺は本を読むのが好きだからそういうのも端から読んだ。
今でもそのとき得た知識が役に立っているかもしれない。
そうやってある意味「残飯」みたいなもので成長したのがこの俺ってわけだ。 お下がりの服なんて親戚やご近所でグルグルしてたよ
うちが着たあとまたもっと下の子がいる家に回してた
醤油の貸し借りもまだあったしな
田舎だから近所に店がないってのがあるかもしれんが >>478 >>479
公園とか河原とか案外落ちてるもんだなっていう印象
近所の中学生のにいちゃんが綺麗なエロ本拾ったら一応楽しんでから後日古本屋に持って行くって言ってた
こんな話してたら遺失物横領罪とか野暮なこと言い出すやつが現れそうだけど、実際昭和の町はけっこう無法な宝の山だった >>462
まさかおまいらの子供にも同じ事をしてないだろうなという問いかけじゃないのか?
昔はネットでググることもできず、
公的な子供医療への救済方法があっても利用できない親は沢山いただろうから
親を責めるわけにもいかないけれど 幼少の頃、暑い日はタライをウチの親が用意して水道は隣家の人が出してくれて簡易プールとして隣家の子と遊んでたな
でも水道代が気になり出したのか数回でヤメテしまった。
数少ない幼少時代の思い出だ
あの頃が懐かしい うちの田舎は消防署の貯水槽をプールとして無料開放してたな
アメンボが泳いでたような水だった
今なら体こわしそう 市営プールが2時間30円だった
小学校のプール開放日が何より楽しみ
ラジオ体操は欠かさず毎日出るそれはお出掛けがないから 電車に乗って隣市の市営プールに行く。1日いても30円ほどだと記憶している。ランニングシャツにビーチサンダルで電車に乗るなんてと田舎者の子供は罪悪感満載。帰りは駅までの途中でおでんや50円の大きなあんぱんを食べるのが楽しみだった。 オレ泳げなかったからプール満喫してる子供が羨ましかったな
誘われても毎回断ってた。
他にも虫捕りや魚釣りも誘われた事があるが、暑いのが苦手なのでそれも断ってた
夏場は何も楽しくなかったな 夏のプールはおでんは定番だったね
あと、お湯の出る自販機でカップヌードルも食べた
帰りのバスは、今思えば住之江ボートの客でごった返しだったけど、おっさん達は優しかった 子供は夢中でプールで遊ぶが、その実 もの凄い体力を消耗してる。だから遊び終わると腹が猛烈に減って屋台のおでんは堪らなかった。貧乏な親がどこにも連れて行ってやれないと不憫に思い、プールもおでんもひと夏に1回くらいの贅沢だった。 自分も子供の頃からずっと泳げなかった
50過ぎてから思い立ちスイミングスクールに入ってなんとか25メートル泳げるようになった
習い事させてもらうなんて1ミリも考えた事なかった子供時代のやり直し
楽器も習いたい >>499
他人のレスの批判より、オマエもネタを披露しろよ 夏休みは小学校のプールが開放されててどこも連れてって貰えない子が通ってた
先生やPTAの人が交代で監視員やってたり市場の人のスイカの差し入れとか
家庭科調理室でカレー作ってくれたりとかそれなりに楽しい夏休みだったけど
やっぱり帰省や旅行に行ってきた子らが羨ましかったよ
新幹線に乗っただの流れるプールだの大きな滑り台だの未知の体験談満載で 昔から小学校は近所の子供が集合して列をなして登校していたが
ときどき気持ち悪くなって列から外れたことを思い出した
なにか学校に近づくとなだめだった。PTSDだったかのかもしれん すべて団体行動をとらされる個の自由のない場所にこれから行くからだよ。俺も同じで逃げ出したい気持ちはあった。 俺も嫌いな先生が担任だった年度は家出る前にオェッってなってた
少々傷んだ食材食っても腹壊した事無い貧乏育ちに吐き気を催させる程の嫌な先生だった 給食費払えなくて
しばらくしてから、先生に渡してたなぁ
先生もわかっていたのか、あんま怒られなかった記憶 怒るわけないw
小学生が困窮してるのか、ウソついてるのかくらいは普通わかるから。 俺の場合は中学校の給食の集金がホームルームの時間に月一であったが、
払えない時は「あ、お金を『「家に』忘れてきちゃった(テヘペロ)」 とショボい道化芝居をし、
後日先生の所へ持って行ってた。むなしい。
ちなみに月によっては家に金があって期日に払える場合もあったので、まあ何というか
周囲にそれなりにバレてはいたと思うが、一応グレーゾーンということで。 最近、食品に異物混入のニュースが増えてきたな
昔の方が劣悪な環境だったのにそういうニュースはあまり聞いた事が無かった
単にニュースにならなかったのか混入に気付かずに食ってのか
そう言えば子供の時によくお腹壊してたな
貧乏のせいかと思ってたが‥ 小4の時に生活保護受けてて、文具やら本やらを貰えることになった
今だったら大問題になりそうだけど、ホームルームの時間にみんなの前で先生から渡された
何故かVサインをしながら受け取る俺と、「いいなあ」「ずるいなあ」と、俺を羨望の眼差しで見るクラスメイト達 小学校の同級生にデブの女がいたんだが家族とレストランで食事をするって理由でよく早引きしてたな
給食で肉がでて脂身が付いてたりすると
「わ〜た〜し〜、あ〜ぶ〜ら〜み〜た〜べ〜ら〜れ〜な〜い〜〜〜」
この豚女何言ってんだって思ったわ
見た目中年のデブ女で話し方も中年女そのものだった。
安物の脂身のついた肉なんて食えるかってとても気持ち悪い物をみるような態度だった
こちとら肉なんて家じゃ食えないから御馳走だったわ うちは生活保護で給食費が一部免除100円負担で、給食費の封筒に1個だけ入った100円玉がストンストン音がして
他の人の封筒と明らかに質感重量感が違うのバレないように先生が回収する時スピード勝負みたいな渡し方してた 子供なりの気の使い方、恥の晒し方が微笑ましい。と今なら言えるが、当時の苦しさ辛さはよく判るよ。 40年近く前に先輩と焼肉屋に入るなり「タン・シロ・ホルモン、あとビール!」って注文してた
タンって昔は安い部位だったんだなと改めて思う
油でブリンブリンのホルモンもおいしくいただいてたなあ 給食費は持たされて納めていたとは思うが記憶に残っていない
小中は給食だったけど 学級連絡網
~~~~(呼出)
おかあさ~ん、このカッコよびだしってなあにい? 熱線反射タイプ呼ばれてるカーテンつけりゃいいだけでフィルムである必要なない。
クルマの話をしてるのなら贅沢品だからどっかいけよ。 今となっては数千円の給食費が払えないってどんだけ、と思うが、実際どんだけだったのだ
たった数千円がないために苦しんだり恥をかいたり馬鹿にされたり....
思い出したら予想外に目頭が熱くなったぞ、このやろう 現代は金がなくて払えないんじゃなくて払いたくない輩がごねるそうだね 子供はチャラっと給食食べて毎回お替りしてる。その母親はホテルバイキングでランチして、給食費は公費負担が当然として頑として払わない。他のことならともかく、こと食に関しては大勢に従えよ。と思う。 今だったら、個別に強制購入させないようなものを昭和の時代は平気で個々に強制購入させてた。
その一つが剣道の竹刀と小手の防具
購入したら竹刀の握り革の部分にはマジックで名前を大書きしろ。などいう。
近所のお兄さんが卒業してもう要らんよ。いうのを母親がツテでもらってきたのを譲り受けて
オレが体育の剣道の授業の初日に持参したらみんな真っ白のなか、使い古された色合いの
知らん名前の竹刀が一本だけ・・・
これ持ってきたきたヤツ誰~~っ!って大声で咎める体育教師。
はい!って手を挙げたら。オマエか!ちっ。って言ったあと吐き捨てるように
貧乏くせえことしやがって。って聞えよがしにつぶやきやがったのをオレは聞き逃さなかった。
40年以上経っておそらく向こうも85くらいになってるだろうがどんなにヨボヨボだったとしても
法的に許されるなら今でもフルスイングのグーパンチを顔面に叩き込んでやりたい。 周りはみんな共同購入の絵の具セットだったが自分はブルーチップで交換してた絵の具セットだったな
筆を洗う容器はみんなプラ製のを使ってたが自分は空き缶を束ねたのを持って行ってた 絵の具セット習字セットは姉のお下がりで
男子みんなが青いケースの中俺だけ赤いケースだった
お決まりの「男の中に―女がひとりー!」って何回やられたか
うちの学校は理解ある教師が多かったから「道具を大事にしてよろしい」
と庇ってくれることも多かった 時代的に上からのお下がり使うのって当たり前じゃなかったか
自分長子で学校が斡旋するものを買ったピアニカ(今は違う呼称なんだっけ)や画板に担任がご丁寧にマジックで名前書いて渡されて
下が使う時に名前を訂正する羽目になり余計な事をって思ったわ
気の利かない担任だよね、ヒステリーのおばさん教師で大嫌いだった 小学生の頃、募金付きの鉛筆を売りに来てたなあ
当然うちは買わなかったけど 赤い羽根募金の同調圧力が嫌だった
クラスの殆どが通学帽に赤い羽根を付けて登校してて
付けてない子への攻撃材料にするやつもいた
ある日貧乏な子が10円募金して赤い羽根を手に入れてた
「オマエいくら募金したんだよ」「ハッ!たった10円かよ」
どうしたって攻撃されるんだなと思った 少ないというか、なかったな。子供ながらに無学無教養でお洒落も出来ないと旅行なんて恥ずかしくて嫌だった。 乗り物酔いが激しくて小中の修学旅行が全然楽しくなかったから高校の時は行かなかった
積立金が帰ってきて母親が何か買ってやろうか?って言ってきたけど
高校にもなって親に買い与えてもらうのもかっこ悪い気がして断った 長距離のバスや電車移動で気持ち悪くなってたのは旅行慣れしてなかったからかもな ある程度経験で慣れてくってのもあるんじゃないかな
大人になるにつれて大抵平気になるっぽいが 中学の時、修学旅行前に酔いやすい生徒だけ集めて、鉄棒やマットで前転などを練習させられた。その時の体育の先生が乗り物酔い何てたるんでる奴がなるんだ、と怒鳴っていたがある湖の遊覧船上でただ一人、その先生だけがゲロを吐いた。 酔いやすいのは体質だから酔い止め飲んで遠足バスって当たり前だのクラッカー 致命的にだめな人はいるけど子供の頃酔いやすくても成長とともに平気になるよ つまらないからだろ。
つまらない
その時間が耐える時間になる
我慢するしかない
内に篭る
ますます我慢するしかない
自分の意図しない揺れでシェイク
もうゲロ吐くしかない
楽しかったらこうはならない。 どんなに楽しくても、修学旅行のしおり等、車内で文字読んでたら酔ってしまうよ そもそも馬車やリヤカー以外のエンジン付きの乗り物に慣れていない。 教習所に通い始めた最初頃の実技教習で、何回か自分の運転で気持ち悪くなって吐いた事がある
教習が進むにつれて慣れていき、電車やバスでも酔わなくなったけど
子供の頃はバスの中のニオイでもうダメな時はあった 車乗るようになって酔わなくなったな
うちも子供の頃家に車無くて我が家に初めて来た車が俺が買った軽四で特に乱暴な運転してるわけでも無いのに弟妹は乗ったら大体酔ってた
弟妹も免許取ったら平気になってた 昭和の頃の軽自動車なんてサスがふわふわでブレーキ踏むと乗員全員がカックンとお辞儀するような代物。酔うのは当たり前。 >>550
昭和の頃はアルトやミラの4ナンバー軽が全盛だったから、足回りはガチガチで乗り心地が悪かった
昭和の末期頃に税制が変わり、フロンテやクオーレみたいな5ナンバーが売れだした
アルトワークスもミラーターボTRXXも、ミニカダンガンも最初は全て4ナンバー ガチガチっていうよりバタバタだったかな
最近趣味で料理をするようになった
カレーに入れる肉を切る時に、少しでも数が多くなるように小さく切ってしまう
子供の頃のカレーには角切り肉なんて入ってなかったけどね ウチはキーマでもないのにカレーの肉は豚の挽肉って決まってた。
いまオレが作るときも挽肉。 それは挽肉が根本的に嫌いという話じゃなくて?
苦手ってあるの?w
80代の戦後の食糧難を経験した世代とか中国人とか挽肉を口に出来ない人って
結構居るけど。 カレーのルーや野菜、肉を味わおうと思うと口の中に挽肉が混じって来て、その辺の感触がいまいちなんだよ。因みに俺は60代前半。 週刊少年ジャンプとか、漫画雑誌は親に買ってもらえてたかな? ID:InFSK1bn
50代以上板のキチガイ(通称:ポインコ) うちは豚バラだったな
脂身がついてるとこが美味かった
写真やテレビで見るゴロゴロした肉のカレーはなんか現実味がなかった うちのカレーは肉の代わりに竹輪だったよ。
時々かまぼこの時もあった。
他の具はなし。 色々思い出すわ
母親が「今日のカレーは挽肉だけど良いかい?」って聞いてきた事
一人暮らししてカレー作る時にわざと脂身の多い豚バラスライス選んでた事
大量の玉ねぎのみじん切りとひき肉で作ったカレーがなんだか母親のカレーに味が近かった事 大丈夫、キーマカレーという名前でちゃんと認知されている 子供の頃には肉が入っていた
今は肉を食べなくて大豆ミートかじゃがいもで十分 カレーライスの翌日は
カレーうどん
でもカレーが嫌いな子供なんていないだろ? コミックボンボン、コロコロコミックは買ってもらえていた友達が半年くらいで捨てるというのを貰ってた。
週刊のジャンプサンデーマガジンは近所の大人が1か月くらいで捨てるのを貰って読んでた
貰うときには鍋敷にされたりして汚い状態だったけど気にならなかった。
おかしなプライドで、発売後に「読んだら貸して」とは言えず、「いらなくなったら頂戴」といってた。
新しい状態のを貸してというのはダメだけど、惜しくなくなったものなら貰ってもOKってなぜか思ってた。
一人暮らし時にカレーはよく作ったけど玉ねぎ多めとか隠し味でインスタントコーヒーとかいれたらなんか変になったから説明書通りに作るようになった。。
若いときはカレーとお米が大好きで10皿分作っても夕食で7皿分食べて残りは冷蔵して次の日の朝に食い切ってた。
お米大好きで一人なのに毎日8合炊いてた
シーチキンの缶1つでコメ4合食えた。(油漬けのほうのシーチキンにとんかつソースかマヨネーズまぜて) やはり、ジャンプは貰ってた人が多いみたいだね
自分も読まなくなったジャンプは、人にあげてました。 周りでは誰も週間少年誌買ってる人はいなかったな
自分で買う単行本も揃いで持ってるのはなかった
マカロニほうれん荘も3巻だけだった 少年画報、ぼくら、冒険王、の月刊漫画誌の1カ月遅れの中古本を20円で買ってもらうのが唯一の楽しみ。 マカロニほうれん荘や少年画報、ぼくら、冒険王ともなると
世代が上になるんですよね
自分の世代は、ドクタースランプや後々に北斗の拳とかでした。
週刊少年ジャンプ黄金期の世代だったもので。 キャプテン翼、ドラゴンボール、ジョジョこのあたりの作品は連載開始から知っている
世代がちょっと下かな 50歳〜52歳の世代は、ジャンプ黄金期世代ですね。 ハレンチ学園と男一匹ガキ大将、ど根性ガエル、トイレット博士の世代だけど
これがジャンプの黄金期じゃないのか 発行部数を考えれば、北斗の拳やキン肉マンが連載してた
ころですよね。当時170円であのボリュームは異次元超える
くらいでしたね。 今日はここに来てるのな
精神障害ID:Lra6k7ZT 上でマカロニほうれん荘買った書き込みした者だけど、その頃はチャンピオン全盛期だったかな
そういやトイレット博士も2冊持ってた
博士が主人公の頃とマタンキ団がワイワイやってた頃
うんこの色が黒いと癌の疑いがあるって書いてあって、それ以来今に至るまでうんこの色には敏感になってる マカロニほうれん荘の最終回は、コミックで読んだけど
最後、きんどーさんと肘かたさんがアパートをそうじに
内緒で出ていくんですよね。。。 ビターエンディングと
いうのかな。 週刊雑誌読んでる奴らが羨ましかったな
掲載漫画の話題で盛り上がってる集団には入っていけなくてだんだん孤立していったな 上記の漫画家の当時の連載漫画は、自分の世代は
読んでないですね。 やっと50代に入った世代ですので。 >>576
エコエコアザラク
キューティーハニー
ドカベン
の頃やな 漫画本買うお小遣いなどはなかったので散髪に行くのが楽しみだった よく町内の古紙回収に出されてた漫画拾ってきたな
貧乏じゃないヤツラも同じ事してたので争奪戦だったな ウチは商店でなぜか雑誌だけ店頭販売してた。
営業日ベースで前日にトラックが届けに来る。
ま昔よくあったジャンプを土曜に売ってる店w
いつも届けられた納品束の中からお目当てのマンガ雑誌を引っこ抜いて読んでた。
束から引っこ抜くと束が崩れるから引っこ抜くなつうの。って親にイヤミ言われつつ。 教育熱心で漫画買い与えられないという人いたな
日曜は親と一緒に大きな本屋まで行って参考書コーナーへだってさ >>585
最近の話だけど、深夜にマンションのゴミ庫に漫画雑誌をまとめて出して
ダンボールも出そうと一旦部屋に戻ってまたゴミ庫に行った数分の間に
さっき出した雑誌類が全部綺麗に無くなってた
昔自分もやってたとはいえ気持ち悪くなった 家がびんぼーになるまではゲームウォッチとか持ってた
今は古事記でもスマホを持っているとかいう話を聞いたことが
炊き出し情報とかの収集の為のサバイバルデバイスだとか何とか... 先月母親が亡くなり実家を整理してたら、俺に宛てた手紙が出てきた
日付は約一年前、自分なりに死期を悟ってたのかなあ
「やりたい事をやらせてあげられずにごめんなさい。食べたいものを食べさせてあげられずにごめんなさい。」
「欲しい物を買ってあげられずにごめんなさい。」
あのね母ちゃん、俺はもう昔の話は笑い話に出来るくらいには、人並みに暮らせてるんだよ
俺こそ親孝行しないどころか文句ばかり言ってごめんな
親孝行、したい時には親は無し
両親が健在なやつは精一杯親孝行しておけよ