三島由紀夫VS太宰治 P35
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三島はハードゲイだが、太宰はゲイじゃなくて女好き。 つか、男らしさで太宰を引き合いに出すほうが・・・・ 何故三島は太宰を嫌ったか.それは自分の家より太宰の家の方が少し家柄が良くかつまた太宰の家より自分の家の方が少し宮中に通じていたゆえである.所詮三島とはこの程度の人間.
三島は男色家で男同士のSMプレイを趣味とするガチムチのM男。 必ず三島由紀夫のスレに粘着する必死なアンチがいるね Mって言っちゃえばそれまでだが、「聖セバスチャン殉教図」で射精できる変態男の性癖なんか理解できねーよ。
現代日本でそれを再現するのはせいぜい写真集か映画までだ。
現実には到底起こりえない設定。
が、日本には過去にそれに代わる物があった、切腹だ。
三島は元々復古趣味があったし、行為自体に好感はある。
しかし、切腹は本来何か罪を得たり、自らの失敗があってはじめて行うことが出来る業だ。
何もないのにただ腹切っちゃえば、単なるオタになっちまう。
だけど三島にはそんな罪も失敗も何もなかった。
そこで天皇とか憲法とか言掛かり考えて、実現不可能な、「確実に」失敗する理屈をこさえ、おもちゃの軍隊まで作り、リアルな自衛隊員には野次飛ばさせる根回しもした。
貧弱青びょうたんが、まず体を鍛えるってとこから始めて、超の付く運動オンチが大嫌いだった剣道までやったんだ。
あまりにもバカバカしいことかもしれんが、10年以上もの期間かけたあたりは評価できるんじゃね。
後世の、我々のようなメタポリ2ちゃねらーが見習わなければならない点が数々存在する。 セバスチャンはあの受難では死ななかったんですけどね
なんであれで殉教したと思うかな
…いや思うかwみんな思うよな。無理もない 太宰はイメージに反して運動神経は抜群だった。仮に三島が太宰と殴り合いの喧嘩をすれば三島はボコボコにされる。 そう
大柄だったし
病弱なイメージあるけど
病弱なのは三島 私は個人的に太宰治を好ましく思っています。彼のものの考え方が私と似て
いるせいかもしれません。 三島は生前に「関西人は日本人ではない」と暴言をかましている。 そりゃあ初耳だ。大和朝廷の時代から皇室は千年以上も関西にあったのに。
天皇を日本人と認めないってことは、市谷駐屯地の割腹自殺は何だったんだ?
まるっきり矛盾してるなあ、盾の会は。 ■平成19年度 武蔵野大学 日本語・日本文学科公開講座
会場: 本学グリーンホール
申込: 不要
聴講: 無料
月/日 時間 演 題 講師名
6/20(水)13:00〜14:30
「三島由紀夫が問いかけるもの」 松本 徹 文芸評論家・元本学教授
>>1
貴族の娘が、台所を「お勝手」、「お母さまのお食事のいただき方」などといったり
(本当は「お母さまの食事の召上がり方」が正しい)
母親が自分に敬語をつけ「かず子や、お母さまがいま何をなさっているか、あててごらん」といったり
何でも敬語さえつければいいと思っていると批判してた
作中の貴族はもちろん作者の寓意で、リアルな貴族でなくてもよいが、
小説である以上、そこには多少の「まことらしさ」が必要と、批判してたね でもこうして来てるんだから、好きなんだ(・∀・)ゲラゲラ
↑この態度も嫌いだったのだ
シャキ━(`・ω・´)━ン!!
byきみたけ 両方却下。あのころは、小説より、詩の方が面白いんじゃないか。 太宰も三島も、全盛期のころに書いた作品の多くは、おれより年下のころに書いている。
だから、おれはもう、小説は読まない。ノンフィクションが好きだ。年上の書いたノンフィクション。 『暴流のごとく』
公威は、独特の笑顔を持って生まれてきた赤ん坊であった。
明るく、底の方から湧き出るような笑顔である。笑うつもりもなく自然に顔中の筋肉がほぐれ、こぼれるように溢れる笑顔こそ、生涯をかけて私を励まし慰めてくれたものだった。
二十歳の健康な母親には豊かな乳房があり、赤ん坊はほとばしる乳をたっぷり呑んで育った。
この世から、もしこの顔が消えることがあったら、私は生きていることは出来ない、とその時から幾年もずっと思い続けて来た。
もしそのような事があったら、誰が何を言おうと一緒にお棺の中に入ってしまおう。家中の者が泣き喚いて止めても実行しよう、と思い定めていた。
それは、公威が長じて大人になってからも、消えるどころかだんだん強固なものになって来ていたから、事件の時点で当然実行する筈であった。
ところが、あの時、はっきり拒否する公威の声があった。私は意味を考え、そして分かった。
折角の彼の行為が汚れるからだ。私が何をしたところで、公威の味わった苦しみにはとても近寄れないが、これから先に立ち現れる障害に耐える力をあの時の公威が私に授けてくれたように思う。
(平岡倭文重「暴流のごとく」から)
三島はテロリストでお騒がせ野郎。アルカイダと三島は同類。 (´・ω・`)死んで何十年経っても話題にされるだけでたいしたもんだ
三島みたいな親父が欲しい
太宰みたいな友人が欲しい 三島みたいに手前勝手な理屈で死んでしまうような変態を親父には欲しくない
太宰みたいに借金して踏み倒すような奴を友人には欲しくないw >>40
その前におまえなんか
三島由紀夫と太宰治のほうから断わられるよw >>42
そうは言ってもこうやって来てるんだから、やっぱり好きなんだろ?
なぁ、やっぱりすきなんだ。 どうでもいい話だけどさ、
江戸時代に切腹した人間って10人程度だったそうだよ。
三島はこのことを知ってたのだろうか。 仮面の告白は、大部分が三島自身の生活の事実と符合はしていますが、虚実がとり混ざった、一つの「作品」だと思われます。
テーマは「ソドム(悪行)の美」で、理性の目と、感情の目に見える美の違いと、それに苦悩する主人公の葛藤を描いています。
同性愛者の告白という筋立てにはなっていますが、むしろ、それを「仮面」にして、
彼の本来持っている強いマゾヒスティックな「超我、エロス、死への願望、悲劇への願望(人間超脱への希み)」の暗い衝動を、ある種、赤裸々に「告白」というか露呈してしまっていると思います。
小説の後半については、同性愛者の仮面の叙述のベールの裏に、実在の園子(K子)への三島の何か断ち切りがたい感情が感じられます。
日本の文芸では古来より万葉調と古今調の形式的美学的対立があり、王朝文学が様式美の洗練へと発達した経緯があったためか、
近代以降は自然主義のヘタウマ的リアルが幅を利かせるようになる訳です。
王朝文学の継承を自認する三島にしてみれば文章はうまくなければいけませんし、
そこで文体重視の観点から鴎外と鏡花を双璧として評価しています。風景描写も観念的に再構成しているので、
三島文体をわかっていない奥野健男などは「潮騒」を読んでも潮の香りがしないし、銭湯の富士のペンキ画みたいだと、まるで抽象名画を前にして本物らしく見えないと言ってるような間抜けな評論をしています。
自分と同様の資質を持つ太宰に対する嫌悪というのは、太宰が自らを道化にしているところですね。道化というのは、だいたいヒーローの引立て役で太鼓持ちですよね。太宰は悲壮美の人、イエス・キリストの太鼓持ちです。
三島の美意識というのは自らの肉体から不随意筋及び脂肪を駆遂するかのように、同情を引くような自己憐憫や笑いを駆遂する事にあり、文字通り、自らの存在にヒーローを体現する事にあるんですね。
誰か他者の太鼓持ちなんて死んでもやらないという強いこだわりがあって、政界なんかに身を置いた日には金に体を縛られて美意識なんていってられなくなってしまう。
江藤淳に無意識過剰と呼ばれた慎太郎は三島のポートレートに辟易する訳ですが、最後に絶対に美しい写真を見たといいます。
それは大自意識家である三島が誰の視線も意識する事なく、その無意識を露見させて市ヶ谷の総監室で学生達に指揮しているところを隠し撮りされた写真で、慎太郎はそれを、さる警察官から見せられたといいます。
「中世 剣」(講談社文芸文庫)収録の安藤武が作成した年譜によると、三島は12歳で太宰の「虚構の彷徨 ダス・ゲマイネ」を同じ痛みを感得して読んだとあります。
そして、「国文学 解釈と鑑賞」11月号に掲載された「対談『十代書簡集』をめぐって 安藤武──富岡幸一郎」中の安藤発言によると、あの出会いの事前に作家の三島由紀夫だと言う事を教えてくれていれば、
もっと話の仕方があったと大変残念がって太宰が言っていたという事を、太宰と交流のあった林富士馬から聞いたと言うエピソードが紹介されています。
太宰の中で三島の顔と名前が一致していなかったと言う話が出てきて、私はそれまで知りませんでした。
一方、「含羞の人 私の太宰治」の著者矢代静一は、太宰が、三島由紀夫なんて小説家知らねぇと上機嫌で言ったと書いています。
ただ、松本徹の年譜によると、太宰が山崎富栄と行方不明になって捜索されていた6月16日の午後、三島は「古今集の古典性」と題して、国学院大で講演していましたが、そのとき、亀井勝一郎も一緒だったということです。
太宰と三島の出会いに同席していた亀井が、太宰の遺体が引き上げられる3日前に三島と共に講演をしていたという訳です。
根拠はないのですが、なんだか太宰は三島を知っていたような気がします。
三島は「仮面の告白」によって、そのフィクショナルな生涯の起点とした、というのは松本健一の「三島由紀夫亡命伝説」に見られる解釈でありますが、この作品が「人間失格」を意識して創作されたとする批評家に奥野健男と猪瀬直樹がいます。
奥野は太宰の全作品が滅んでも「人間失格」は永遠に読まれるだろうとし、文壇はおろか社会から抹殺される事も厭わない真実の告白、書いてしまった以上もう生きてはいられないような魂のバイブルとして、この作品を絶賛して止まない訳ですが、
三島が「人間失格」を読んで同類相憐れむとも言うべき共感を得て、「仮面の告白」創作の動機としたのではないかという仮説のもとに、「三島由紀夫伝説」の論理を展開しています。いわば奥野の脱文学的な内的必然性の書物と言えるでしょう。
ですから、命と引き換えに初めて書けるような「仮面の告白」を書いてしまった三島がいかに生きたかという関心が、この作家との18年間に及ぶ交流を支えた、と回顧しているんですね。
奥野は三島が太宰の文学的問題を継承しているという認識から、戦後派とは対立的立場にある作家と位置付けています。「仮面の告白」以前の三島は異端的なマイナー,ポエットであり、
もし大蔵省での官僚生活を持たずに学生からそのまま有名作家になっていたら、堀辰雄の亜流ハイカラ抒情作家で終っていただろう、
近代官僚制=日常性の中で自分が普通ではない怪物であるという違和感を抱いて、「仮面の告白」を書く決意を固めたからこそ大蔵省を辞めるに至ったのだ、
まさにその時にライバルともいうべき太宰の自殺と「人間失格」を知って、嫉妬し、それを超える事を目標とした、
というように、そこまで奥野の筆は滑りに滑って、ほとんど断定的に仮説を伝説として語りつづけています。
三島の自殺によって文学の終焉を実感、作家志望を断念した猪瀬直樹は三島の「仮面の告白」をマーケティングリサーチによる成功例として、彼独特の三島文学評論を展開しています。
太宰の命と引き換えにベストセラーとなった「人間失格」が懺悔録であった事から、自分にもまた懺悔に値する内面的問題があるはずだと、三島が倒錯的同性愛の世界を捏造したという事を、
三島の独身時代の異性遍歴や同性愛文献の研究、某心理学者を訪問しての自己分析、等の経緯を取材し追求しています。
また終戦後の焼け跡では進駐軍の解放ムードから性的通俗本が氾濫していたという時代背景もあって、
私小説を逆手に取った性的倒錯者のスキャンダラスな手記ということであればベストセラー間違いなしと、三島は睨んだという考察もしています。
奥野、猪瀬両氏は三島が太宰を仮想敵として「仮面の告白」を執筆したという認識を共通項とするものの、
その性的倒錯を真実の告白とする奥野説を採用すれば、それを書く内的必然性を認める事になりマーケティングリサーチ説は説得力を欠く事になりますが、
猪瀬説を採用すれば性倒錯そのものが営業戦略である事から村松剛の同性愛仮面説を擁護する可能性を開きます。
奥野、猪瀬の三島理解は「金閣寺」においても対立する事となるのですが、面白いことに「鏡子の家」を評価する少数意見を二人で支えるという事になるのです。
二人にはそれぞれ日本の官僚制批判という問題が背景にあって、そこから三島という記号が再構成され一つのシンボルとして結実しているように見えます。
>>1
おまえを基準にふつうとか言わない方がいいよ
いろんな人間がいるんだから、20代でも三島由紀夫読んでる奴いるよ
おまえは凡人だから赤川しか読めないだろうがな 私は三島由紀夫の春の雪が好き 映画より本のがおもしろかった
長文さんの話は参考になったよ
太宰はぜんぜん読んだことないから、気の利いたレスできなかったけど
>>51>>53
ホー
かなーり雑学として為になった 女に自慢して話そwww 49〜57は色男no、1という人の文章をコピーしたものだよ。 同性愛でも異性とSEXできるって不思議
相手の裸見たところで興奮しないのに・・・
考えただけで苦痛だよねそんなSEX 三島由紀夫は同性愛者じゃなく、男も女も愛せるバイセクシャルです。
三島由紀夫と親しかった湯浅あつ子、美輪明宏の著書に付き合っていた女性との恋愛についても書かれてあります。
美輪明宏は三島由紀夫は同性愛者じゃなかったとはっきり言ってます。
太宰治の家 富農
三島由紀夫の家 貧農
こういう身近な階級コンプレックスがあって、三島は太宰を敵視していた。 バイって男の裸を見ても女の裸を見ても勃起するんですか?
勃起要因って何だろう・・・
太宰治:東大仏文科に入学。が、学業怠慢から留年を繰り返した挙句に除籍。
三島由紀夫:学習院→東大法学部→大蔵省。
そもそも東大法学部が仏文科なぞ相手にしない。w
三島「太宰さんなんかと比べないで(笑)。」 >>65
半可通だな
三島由紀夫は、太宰と自分は根本的には同じ痛みを持っている同族と認識し、それを治そうとしない太宰を嫌悪してただけで、心から敵視してたわけじゃない
ようつべで「憂国」見た
切腹の場面が気合い入りすぎでこわい
マニアだったんだなあ >>65
当時の日本ではド田舎の青森出身の太宰は東京にコンプレックスがあった。
その太宰にとって、東京育ちの三島は憧れ。
太宰と親交があったものの対して相手にされず
三島に敵意を燃やしまくった作家は、立原正秋。 >>67
三島由紀夫が東大にはいったのは昭和20年。
昭和20年といえば学徒出陣で、大学に行ってるやつなどいない。
三島由紀夫みたいに虚弱体質とか体格不十分で徴兵不合格のやつじゃない限り。
実際昭和20年に東大に入学した人数は極端に少なく、
当然枠も余りまくり。
そんな状況で推薦で東大に入ったやつに、仏文云々言われる義理はないだろ。
皆が戦争行ってるなか、大学に行ってたくせに、
官僚試験を下位でしか合格できなかった三島は低脳。 学習院で主席だったから無試験で入ったんだろ。
今風に言えば、灘、開成とはいわないまでも、麻布とか筑駒でトップだったようなもの。
その時点で十分学力は証明されてるの。 ようつべで、全共闘の学生相手に講演みたいなのしてて、
タメ口の学生となんかしらん一生懸命ディベートしてるのを見た。
なんか、まだいい時代だったんだなと感じた。
あの時代の騒ぎってただのバカ騒ぎだと子供の頃から思ってたけど、
もしかしたら日本人が今とは別の道進んでたかもしれない
最後の分岐点だったような気がしてならない。
>>74-75
東大に入学したのは昭和19年。
入学したが戦時中は勤労動員で群馬県飛行機小泉工場で勤労していた。入隊検査で不合格になった後は、勤労動員で神奈川県高座海軍工場で勤労していた。
三島は徴兵検査には合格し、その次の入隊検査で、軍医が「この中に肺の既往症がある者は手を挙げろ」といったときに手を挙げ、(三島が級友三谷に語った)
さらにその時、軍医の診察により、当日、高熱と咳とめまいがひどかった三島は結核と誤診されたのだ。
びっくりして帰京してから、別の医者に診て誤診とわかり、徴兵は来年、つまりその翌年に延ばされただけである。
戦争が長引けば、三島も徴兵されていた。
それと、元々三島(平岡少年)は成績が良かったため、特別甲種幹部候補生、或いは海軍予備学生になることができた。
これなら軍関係の学校に入って学生を続けられたし、エリートコースなので危険な戦場に赴くことも無かっただろう。級友の三谷信もこの士官学校の学生だった。
>>73
戦前の制度では、枠が開いてるときは誰でも無試験で入れる。
>>79
大卒なら甲幹や予備学生は簡単になれたけど、これは甲種合格の人が対象。
三島は虚弱体質で、徴兵検査乙種合格だから、二等兵召集だよ。 >>73
それから、学徒出陣令は、昭和18年に出てるから、
三島由紀夫が高校生時点でほとんど高校卒業したやつはいない。
同級生が国のためにいないなか、虚弱体質とか体格不十分で
日本男子として非常に屈辱的な徴兵不合格として
極少数しか残ってない学習院高校生のなかで首席だったって、
まず普通の状態ではないことに気づけよ。 >>1
それと大きな勘違いをしている。
旧軍ではエリートほど危険な場所に行かされる。 >>1→>>79
だから三島は収容所勤務の二等兵で済んだかもしれないけどなあ。
いずれにしても>>74でいいたいのは、どこに行ったかではなく、
ほとんど入学者のいない昭和18年以降の東大法に入ったからって
学力の保証などにはならない。
収容所勤務の二等兵だと、戦後、BC級戦犯で処刑されてたかも
しれないけど。顔つきが悪いし>三島 おいおい、学習院→東大法学部→大蔵省、で文句いうのか?
いったい三島はこれ以外何をすれば、褒めてもらえるの?
京都大学? 慶応大学? 早稲田大学? ハーバート大学? ケンブリッジ大学? >>67みたいなこといわれなきゃ文句言われないのになあ。
戦中戦後の混乱期に無試験で東大入っても、ほめてはもらえないけど。
あと学習院から東大って無試験では入れる枠があるけど
学習院の子は官僚になりたがる人が少ないのでいつも空いてたらしいな。
戦争中じゃなくてもね。 > あと学習院から東大って無試験では入れる枠があるけど
これは戦前の話。 ID:0yQy/7i6が三島失墜に必死すぎて笑った
絶対30代じゃねえぞw >>86
まず三島は顔が気持ち悪いしな。
蟷螂というか昆虫系。 「私が太宰治の文学に対して抱いている嫌悪は、一種猛烈なものだ。
第一私はこの人の顔がきらいだ。
第二に、この人の田舎者のハイカラ趣味がきらいだ。
第三に、この人が、自分に適しない役を演じたのがきらいだ。
女と心中したりする小説家は、もう少し厳粛な風貌をしていなければならない。」 三島「僕は太宰さんの文学は嫌いなんです」
太宰「そんなことを言ったって、こうして来てるんだから、
やっぱり好きなんだよな。なあ、やっぱり好きなんだ」 拘置所に入っている時、妹から「きりぎりす」が送られてきた
お、お前は漏れのことそんな風に思っていたのか、と
かなり複雑な心境に。。。 > あと学習院から東大って無試験では入れる枠があるけど
戦前は皇族・華族の子弟と高額納税者の息子は
無試験で帝国大学へ進学できました。 三島はなんであんなに戯曲が好きなんだ
詰まんないYO! 漏れこのスレ好きなんだ
悪いがageさせてもらうよ
文学を語ろうよ。。。 学生時代の終わり頃、豊饒の海四部作に耽溺しました。
読了した時のあのなんとも言えない感情、今でも覚えてるなー。
読んでいるうちに、輪廻転生ということの意味が
じわじわ沁み入ってきた感じ。 俺も春の雪で惹きつけられ、読み進み、天人五衰の予想外の結末に驚いた 101-102さんのレス読んで
豊饒の海四部作を読んでみたくなった。。 >>86
私は女ですけど、どうみても目がきれいで凛々しい三島由紀夫の方がモテ顔です。
太宰はだらしなさと暗さが漂っていて、開き直って図々しい感じがする。 >>1
それは男の目からみた、女にモテそうだという目でしょう。
私は本当の女ですから、やっぱり太宰よりは三島の方が明らかにフェミニストだし外見もモテるとわかっています。
神経質ってひとことで言ってもいろいろあるでしょうが、三島の神経質さより太宰の図々しさを兼ねた神経質(酒びたり薬びたり)の方が女としてはイヤですよ。
それに流されて一緒に心中した人がいたから、もの好きな人もいたんでしょうが、たいていの女はそこまでお人好しじゃありませんから。
三島由紀夫の鋭い批評眼は文学のみならず、映画批評にも影響を与えたようですが、
三島は、公開当初批評家たちから完全無視されていた「総長賭博」(脚本:笠原和夫)を映画芸術の誌面上で絶賛し、当時やくざ物映画を冷遇視していた映画評論家たちの認識を一変させました。
三島は、戦後やくざ映画の「型」の頂点を究め、そのことによって逆に型を越えた人間の裸の感情を露出させたといえる脚本家の笠原和夫の感性をいち早く見抜いた訳です。
笠原はその後、ヒット作「仁義なき戦い」の脚本も書いた訳ですが、この作品の影響を受けた海外映画監督には、マーティン・スコセッジやタランティーノ等がいます。
三島の「総長賭博」の批評がなければ、「タクシードライバー」も「キルビル」も生まれなかったかもしれません。
三島vs太宰は
A型vsAB型
三島は
研ぎ澄まされたA型
キレると恐ろしいA型(沢尻エリカもA)
AB型は幼年期から脱皮すると人間関係調整のプロになる。
島田紳助が典型。
まれに脱皮できないまま大人になるAB型もいる。
太宰がその典型。 >>1
帝一の役は松山ケンイチくんがぴったり
いつかケンイチくんにやってほしい
>>111
O型やA型はスターやカリスマや大物が多い
AB型はただの皮肉屋ばかり
>>1
一女性の意見ですが、太宰は写真を見ていい男だと思う分には良いですが、
現実でこのようなタイプは敬遠します・・・一緒にいて疲れそうな男ですし。
稀に駄目男が好きという奇特な方もいますが、それ以外には駄目男過ぎ
るという理由で恋愛対象外認定されるタイプかなと。
三島はゲイという時点で恋愛対象外となるので、女性にもてるもてな
い以前の問題。 >>107
女のふり乙
ゲイとわかっていても好きになってしまうことあるよ >>108
ふりをしてる訳でもないのにふりっていわれてもなぁ・・・
相手をゲイと認識してる上で、恋愛感情を抱くというのは極めて稀な例でし
ょう。
ゲイだと認識ってどういう意味なの?
いかにもなよなよしたオカマじゃないなら好きになっちゃうことあるよ >>112 そうそう
小学校時代兄の布団にもぐり込んで
そこで兄に指でいじられるというのが萌 三島ってけっこう兄妹の近親相姦ものが隠れて多いよね
実際 妹に淡い恋心を抱いてたいう説もある
妹萌えの先駆者か
妹萌えというよりも、耽美だな三島由紀夫は、
耽美を受け付け無い人は「潮騒」以外はお勧めできない 近親趣味で両刀で右翼か
何て日本人らしい変態さんなんだ >>116
それを変態の一言で拒否するようなやつは、人間の洞察力のないダサイやつ >>115
バカかおまえ
嘆美以外の本もたくさんあるよ >123
果たしてチミは三島他有名人以外の
近親趣味や両刀や右翼を目の当たりにして
拒否しないでいられるかな?
ついでに俺は「日本人らしい変態さん」とは書いたが
別に否定らしい否定はしてないハズだぜ? >>119
三島由紀夫の場合はあくまでファンタジーであり、両刀は別として、近親相姦はあくまで作品
あなたの考えだと、川端も宮崎駿もただのロリコンの変態になってしまい、すべての芸術が成り立たなくなる
あと、三島はいわゆる右翼ではないしね >>119
追加すると
私はロリコンや近親相姦を現実に実行する人は拒否しますよ
ただ男には皆そういう傾向があると聞きますから、芸術の形で昇華するのはいんじゃないですか?
こう考えるんだ
芸術なんてこの世には存在しない、と!w >>123
それじゃあ
この世に人間が存在しない、といってるようなもんじゃん(笑)
いとしのエリーだって本当は、桑田佳祐が自分の姉に捧げた歌なんだよ
三島由紀夫って、一応軍隊に行っているんだね…。
今まで、「軍隊にも行かずに楯の会って何だ!」って思った。 彼(三島)の心は傷つきやすく、(学習院時代、稚児さん、あおじろと呼ばれからかわれていた)その傷の痛みを知っているがゆえに、祖母、母、父という大人たちの中でじっと静かに考える青年に育っていった。
大きくなっても、言葉の上でのちょっとした意地悪でも、深く傷つき、悲しんだ。
そんな彼が、昭和二年生まれの妹、美津ちゃん(筆者の妹と同級)を、とても可愛がっていた。自分と違い、思ったことをハキハキいえ、きかん坊でイタズラっ子で、平岡家の太陽だった。
そんな美津ちゃんが、勤労動員中に飲んだなま水に、多分体調をくずしていたのであろう一人だけ腸チフスになり、3、4日で呆気なく、しかし意識だけは最後まではっきりしていて、オロオロつきそう三島由紀夫に、
はっきりと、力をこめて、「お兄ちゃま!有難う」と別れを告げて、17歳ちょっとで避病院で息をひきとった。三島由紀夫は、生まれて初めて号泣した。
父梓も、ただ一人の女の子として、溺愛していたため、最期を看取ることさえ出来ぬほどのショックだったそうだ。
この美津ちゃんの最期を語る彼を、私は何度となく見たが、その度に、今の目の前の現実のように、三島由紀夫の目からは涙がハラハラとこぼれ落ちた。
母倭文重も彼と同じように何十年たっても、語る前、名前を口にしただけで、涙声にかわったのを見て、私は、美津ちゃんがこの平岡家で、とかく気持がバラつく一族をうまくかしこく結ぶ貴い糸の存在だったのが分かった。
そして、三島由紀夫は、妹を女(異性)として第一番に感じ、それは肉親愛ともちょっと違う初めての「愛」だったのだと思える。
これから書く彼の女性との愛は、すべて結婚一年前までのものである。
(中略)
そのうち本人が並はずれて女性に無免疫だったので、余り上手くない字を、ペン習字で猛練習し、すぐに臣三島由紀夫拝、などと書いたラブレターを自分の目にとまると、相手かまわずせっせと書きつづけていた。
(中略)
文士として大成して来た三島由紀夫に私はミスM・Kへのあこがれに似た子供っぽい愛も、ミスH・Kのとてもハーフというだけで失格とする固い平岡家の家風のためにも、
彼に自覚をうながし、「美徳のよろめき」のモデルの夫人との火遊びにもケチをつけたりして、何となく彼の身辺を整理した。彼には内緒だったが彼の父母にたのまれてやったことである。
彼が真剣に愛した女性は、M・KでもH・Kでもない華やいだ絹張りの令嬢だった。
(中略)
しかし離れてゆく彼女の心に逆行して彼は結婚を真剣に考えていたのだ。それが理解出来なかった彼女は、昭和32年5月、新派「金閣寺」観劇を最後に離れていった。
私は彼女と三島由紀夫との4年間を、二人の影としてずっと過ごして来て、今も彼女との交流は続いている。
(中略)
いくら女友達と割り切っていても、もしかしたら私の中の女の部分が、心の奥底で彼(三島)を愛していたのかも知れない。
「絶対これは内緒なんだからな。喋っちゃ駄目だよ。そのかわり彼女のことを全部君だけに教えるよ」といっていた。
(中略)
実物の彼女はとても美人で、お人形のような顔立ちで、不思議に亡妹美津ちゃんに似ていた。そして身につけているものは、すべてリッチでだった。
しかし、彼女を紹介されたほんの瞬間だが、私の心は女として不快だったのは事実である。三島由紀夫自身もそれを十分計算に入れていたと思う。
余りにも深く愛してしまった彼女のかわりは、楽しんだ私のサロンも、母倭文重のいつくしみも役に立たなかった。ただあるのは、物書きのきびしい宿命だけだった。
(中略)
ただ一度の愛にしか青春のよろこびを見いだせずにいたなど、あの得意の空笑いと外見の明るさから誰一人気づいた者などいなかったろう。
私は出来る限り無理をして、彼によりそうようにして約一年を過ごしたが、負けず嫌いの三島由紀夫の口からは、一度も彼女の名を耳にしたことはなく、空虚さの片鱗だに見せはしなかった。きっかり一年後、彼は結婚した。
(ロイ・ジェームス夫人著、「三島由紀夫と鏡子の家秘話」から)
ID:41Buy50F
・・・本から抜書きしただけで何をしたつもりでいるんだ? >>133
俺は面白かった
ロイ夫人の話も興味ぶかい
意外な面があるんだな 三島由紀夫VS太宰治
太宰治 ○(1R 2分25秒 KO)● 三島由紀夫
※太宰の左ハイキックが三島の側頭部にクリーンヒット。
三島、大の字でテンカウントを聞く。 三島由紀夫に影響を受けたと指摘されているアーティストの一人に松任谷由実がいますが、
彼女は中学時代から文化人が多くたむろしていたイタリアン・レストラン「キャンティ」に毎日のように出入りしていて、そこには三島や安部公房などもいました。
ユーミンの淡い初恋が三島だったとも言われ、ユーミンの楽曲の詩の諸処に表れている、三島文学からのインスパイア(生まれ変わってもあなたを見つける)や
三島的なものへの思慕(いつでも強がるあなたが好き…)、三島へのレクイエム(ひこうき雲、卒業写真)等は一部で指摘されています。
また、価値相対主義の社会にはエロティシズムはないと極限し、反体制運動に見られるような、人間性を管理社会から解放するところのセックス、という認識を批判して、絶対者がなければ人間性の救済というのはあり得ない、と主張した三島と、
恋愛対象者を絶対者として、宗教にまで高められた恋愛至上主義を信条とするユーミンの恋愛世界には、明らかに共通した思考がみられます。
ひとごみーになぁがっさーれてー かぁわーってーゆっくーわーたしをおー
あーなーたわー とーきーどきー ろーおーぷでぇ しばあってぇー 近年は「ラストサムライ」などの米映画も作られるようになり、日本伝統回帰が許される風潮になったようですが、
かつてアメリカが最も恐れたものは、その日本の精神性でありました。
合理的に物事を考える人間にとって、非合理的な「気合い」や「叫び」は不可解で恐ろしいものです。アメリカは日本人の特攻隊のような精神性を恐れていました。
GHQは戦後、武道における「気合い」「叫び」を禁じました。そして教育現場からは、日本書記や古事記などの、日本成立の物語を抹消するという記紀追放を行い、
3S(セックス、スポーツ、スクリーン)政策によって、日本人の精神性を軟弱化させようとした訳です。
そして、その目論見はほぼ成功し、日本はアメリカの植民地同然の今日に至っています。
「日本はなくなって、その代わりに、無機的な、からっぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、或る経済的大国が極東の一角に残るのであろう。
それでもいいと思っている人たちと、私は口をきく気にもなれなくなっているのである。」
上記は三島由紀夫が遺した言葉ですが、今日の日本は、三島が予言した日本の姿よりも、さらに犯罪まで米国化し、幼児までが殺されるような国になってしまいました。
まあ昔は昔で口減らしつーて肉親が赤ん坊殺してたんだし >>143
それはどうしようもない貧しさ、困窮という理由があったわけで、現代のような米化した無差別殺人、猟奇殺人とは質が違う
また、豊かな現代でも出産前の子殺し(人工中絶)はあり、昔より合法化された子殺しは氾濫している
フランシス・コッポラは映画「地獄の黙示録」の撮影時、三島の「豊饒の海」から作品の構想を膨らませています。
各所に散りばめられた神話的メタファー、世界観、ラストの東洋的ニヒリズムなど随所に三島からの影響が指摘されています。
また、現代文明に疑問を抱き特殊戦部隊に志願した38才の中年カーツ大佐は三島の造形であるといわれています。
「戦場は地獄だから怖いのではない。戦場では特に地獄が天国に見えるから怖いのだ。そういう人間が怖いのだ」とコッポラは言っていますが、
これは三島の作中の主題と共通したもので、「仮面の告白」のエピグラフの「悪行の中の美」、三島の生涯の追求したテーマの一つだった「悪と美、死とエロスを通した人間存在の謎」へと重なっています。
三島も著書のなかで、人間性という地獄の劫火を悪と美に喩え、美と悪、芸術と犯罪の関係について述べています。
三島由紀夫に影響を受けたと指摘されているアーティストの一人に坂本龍一がいますが、彼の父親は三島の仮面の告白、金閣寺などを世に送り出した河出書房の三島担当の名編集者として有名です。おそらく父親から三島の逸話などを聞かされたことでしょう。
坂本龍一が映画「戦場のメリークリスマス」(大島渚監督)で演じた将校も三島の造形だといわれていますが、
龍一自身が担当した「戦メリ」の音楽に歌詞を付け、デヴィッド・シルヴィアンとコラボしたアルバム「禁じられた色彩」も、明らかに三島の「禁色」をベースした世界があります。
My love wears
forbidden colours.
My life believes
(in you once again)
僕の愛は禁じられた色彩を帯びる。
僕の生は(もう一度あなたを)信じる。
ちなみにD・シルヴィアンも三島の「禁色」を最高の文学と言い、三島おたくぶりをアピールしています。
三島由紀夫に影響を受けたと指摘されているアーティストのなかにフランシス・コッポラと大島渚がいますが、
コッポラが自身の「地獄の黙示録」撮影時に読み、作品の構想のヒントにした三島の『豊饒の海』四部作を、全て映画化する構想を語っていたことは有名な話です。
「春の雪」をコッポラ自身が監督して、「奔馬」以降を日本人監督に任せ、コッポラはプロデューサーにまわる、と予定していたようです。
その監督候補に大島渚が挙がっていましたが、渚の病気などの理由のため実現はできませんでした。代わりに監督できるのは、今の日本では北野武くらいでしょうか。
「戦場のメリークリスマス」にも三島へのオマージュが入っていますが、大島渚は「鏡子の家」、「美しい星」も映画化したかった旨を語っていたようです。
78年12月に単独来日した際にジャンは、「なぜ日本はこんなアメリカ・ナイズされているのか、日本の若者は眠っているのか」と怒りまくったという逸話があり、
「米国資本の市場戦略は安逸な快楽を与え、人々の感性を鈍らせることから始まっている。それはヨーロッパの伝統的な明晰さにとって第一の敵といえるが、
日本人もそれに毒されている自分たちを自覚し民族の知的遺産である伝統、それは魂(スピリット)といっていいが、それを救出しなければならない。」と誌面にメッセージを残しています。
>>136
同意ww三島が運動神経ゼロで小柄だったのに対し、太宰はイメージに反してスポーツ
万能で大柄だった。40才の太宰と20才の三島が喧嘩しても一瞬で太宰の勝利は確実w いくら元の運動神経よくても体も鍛えず麻薬中毒で、女と狂言自殺くりかえしてたんじゃ意味無し 太宰は走れメロスと人間失格しか読んだことない
つまらなくてうんざりした
三島由紀夫は春の雪と仮面の告白を読んで、その世界に引き込まれた 私も豊饒の海に溺れたひとりです
しかしすごいスレだねw 実はノーベル賞は三島由紀夫に内定していたが、審査員の一部から三島の政治的思想を問題視する声があがり、川端へ移行しただけ。
審査員が川端へ打診したところ、川端は三島を擁護せずにそれを承諾し、三島へも、今回は私がいただかせてもらいます、と言った。
後年、川端は、あれは三島君がもらうべきだったと知人に漏らしている。 そして自責の念にかられてか、川端は徐々に睡眠薬中毒になってゆく。
三島由紀夫の自刃直後、川端康成はいち早く現場に駆けた。
そして、警察の現場検証の際、中に入ることを許された川端は三島の壮絶な最期の姿を見てしまう。
あとから駆けつけた石原慎太郎は中に入らなかったが、川端が中にいることを警察から聞いた。
その後ノイローゼになっていった川端は
「ああ、ほら、そこに三島君がいる」と奇妙な言動をするようになる。
石原は、川端が三島の断たれた首を見たときの衝撃の深さを知った。
三島の自刃から約一年半後の昭和47年4月16日、川端康成はふらっと自宅を出て逗子の別荘のへ向かう。
そして、仕事場として使っていた逗子市の逗子マリーナマンション417号室で、ガス管をくわえて自殺しているところを発見される。遺書はなかった。
ますますバカなことを言ふとお笑ひでせうが、小生が怖れるのは死ではなくて、死後の家族の名誉です。
小生にもしものことがあったら、早速そのことで世間は牙をむき出し、小生のアラをひろひ出し、不名誉でメチャクチャにしてしまふやうに思はれるのです。
生きてゐる自分が笑はれるのは平気ですが、死後、子供たちが笑はれるのは耐へられません。
それを護って下さるのは川端さんだけだと、今からひたすら便り(原文のまま)にさせていただいてをります。
三島由紀夫
川端康成への書簡から
太宰治って日本浪漫派の同人だったけど右翼なの?
学生時代は左翼活動家だったらしいけど。 太宰は政治とは無縁だったんじゃないの?
よく知らないけど 「太宰と僕は同じ病人だが、太宰は治そうとしない患者だ、病気を治そうとしない病人は病人の資格はない」
こんなようなことを三島由紀夫がどっかに書いてたね。
三島由紀夫はね、本当は心底から太宰が嫌いじゃなかったの。
同じいたみをもった同類だと思っていたんだから。
嫌っていたポーズは愛情の裏返し。 決起当日、市ヶ谷へ向かう5人を乗せた白いコロナが第二京浜から中原街道を行き、首都高速に入ったあたりで、
助手席の三島が言った。
「これがヤクザ映画なら、ここで義理と人情の『唐獅子牡丹』といった音楽がかかるのだが、おれたちは意外に明るいなあ」そしてそれを歌いだし、四人が和した。
古賀は「われわれに辛い気持ちを起こさせないためだ」と感じた。
(古賀被告の検察官調書より)
そして、後の三島裁判での益田総監の証言から
「被告たちに憎いという気持ちは当時からなかった。
…中略…
国を思い、自衛隊を思い、あれほどのことをやった純粋な国を思う心は、個人としては買ってあげたい。
憎いという気持ちがないのは、純粋な気持ちを持っておられたからと思う。」
三島由紀夫の死後に、幹部が自衛隊員に極秘で行ったアンケートでは、大部分の隊員は三島の考えに共鳴したという事実がある。
事件の翌日には、総監室前に菊の花束が隊員たちにより手向けられた。
本当の天才とは、簡単には説明することのできない能力の持ち主のことだ。
シェイクスピアは天才だった。モーツァルトも、レオナルド・ダヴィンチも、紫式部も天才だった。
私がこれまでに出会ったすべての人々のなかで、「この人は天才だ」と思った人は二人しかいない。一人は中国文学および日本文学の偉大な翻訳家であったアーサー・ウェイリーである。
…中略…
そして、私の出会ったもう一人の天才が三島由紀夫である。
ドナルド・キーン
左翼人の私も右翼人の三島の「行動」には、かなり衝撃を受けたことも事実なのであって、これを匿す気にはならないからである。
そして衝撃を受けなかった人はどんな人なのかと思ったりもするのだが、「行動」といい「芸術」といっても、所詮人間はおなじなのかも知れない。
しかも三島と私とはイデオロギーが全くちがっているのに、どこか類似性、相似性があるような気がして、それが私自身気になるのである。
三島由紀夫こそはあきらかに、永井荷風や谷崎潤一郎やあるいは川端康成の耽美主義の系譜とその路線に沿いながら、しかし明確な知性をもって、またその美的知性の故に、
その路線の最終駅に到着しながら、それをなんらかの形で社会的行動におきかえようとした努力家であり勇気ある誠実者ではなかったのだろうか。
山岸外史
息つくひまなき刻苦勉励の一生が、ここに完結しました。
疾走する長距離ランナーの孤独な肉体と精神が蹴たてていた土埃、その息づかいが、私たちの頭上に舞い上がり、そして舞い下りています。
あなたの忍耐と、あなたの決断。あなたの憎悪と、あなたの愛情が。そしてあなたの哄笑と、あなたの沈黙が、私たちのあいだにただよい、私たちをおさえつけています。
それは美的というよりは、何かしら道徳的なものです。あなたが「不道徳教室講座」を発表したとき、私は「こんなに生真じめな努力家が、
不道徳になぞなれるわけがないではないか」と直感したものですが、あなたには生まれながらにして、道徳ぬきにして生きて行く生は、生ではないと信じる素質がそなわっていたのではないでしょうか。
武田泰淳
三島由紀夫を追悼した言葉
三島事件の直後、新聞記者たちの質問は、三島の行動が日本の軍国主義復活と関係あるか、ということだったが、私の反応は、ほとんど直感的に「ノー」と答えることだった。
たぶん、いつの日か、国が平和とか、国民総生産とか、そんなものすべてに飽きあきしたとき、彼は新しい国家意識の守護神と目されるだろう。
いまになってわれわれは、彼が何をしようと志していたかを、きわめて早くからわれわれに告げていて、それを成し遂げたことを知ることができる。
エドワード・サイデンステッカー
美輪明宏があんな風になってしまったのを見ずにすんだから、三島は自殺して正解だったね ぼくにとっていまでも驚異に思われるのは、三島というひとが、あんなに明敏かつ冷徹な批評家的、懐疑家的な眼と、あんなに度の高い情熱とを、どうして併有することができたか、ということである。
情熱家は、世のなかに少なくはないだろう。しかしあのような最期をとげ得るほどの人物が、ほかにどれだけあるか。
また冷静な合理主義者の数は、多いだろうが、死の最後の瞬間まであれほど冷徹に計算し、実行し得るひとは、稀だろうと思う。
しかも驚くべきことに三島氏はその両者をわが身に併存させていたのだった。
村松剛
三島由紀夫は見事に切腹した。しかも、介錯は一太刀ではすまなかった。恐らく、弟子である森田必勝には師の首に刀を振り下ろすことに何かためらいでもあったのだろう。
それは逆に、三島が通常の切腹に倍する苦痛に克ったことを意味する。
罪人の斬首の場合、どんな豪胆な連中でも恐怖のあまり首をすくめるので、刀を首に打ち込むことはきわめて困難であると、山田朝右衛門(首切朝右衛門)は語っている。
しかし、三島は介錯の刀を二度三度受け止めたのである。このことは、三島由紀夫の思想が「本気」であることを何よりも雄弁に語っていた。
楯の会が小説家の道楽ではないことの確実な証拠であった。だからこそ、「本気」ではなかった左翼的雰囲気知識人は、自らの怯えを隠すように嘲笑的な態度を取ったのである。
呉智英
30過ぎてまだ借りものの言葉の引用で喜んでるのかよ? >>175
ほんとにね
美輪はどこに行くんだろ
一昔は女性誌で説教垂れていて、どこのバカがこれで喜ぶんだと思っていたけど
全国にいるのね 美輪は最近しきりに憲法9条改正反対を叫んでいるけど、切腹までして憲法9条改正を訴えて死んだ三島由紀夫は、37年後、美輪が、己の遺志をぶちこわすキャンペーンをうちだすとはまさか予想しなかっただろうね
あんな黄色いジジ婆に薔薇を渡すことなかったのにと思った
床に転がる三島由紀夫の首は雄弁だった。言葉そのものであるような首だった。
その限りなく音楽的な言葉はオルゴールの音のように美しく、彼が生きた時代に投げかける呪いとなっていた。呪いにかけられた坊やはここにいる。
島田雅彦
もし日本に三島があと五人いたら、戦争で負けていたのはアメリカだ。
ウォーレン・クロマティ 三島由紀夫「伊沢さんは保田与重郎さんが好きですか、嫌いですか?」
伊沢甲子麿「保田さんは私の尊敬する人物です。
…戦後、保田さんを右翼だとか軍国主義だとか言って非難するものがありますが、私はそのような意見とは真向から戦っています。
保田さんは立派な日本人であり文豪です。」
三島「私は保田さんをほめる人は大好きだし悪く言う人は大嫌いなのです。今、伊沢さんが言われたことで貴方を信頼できる方だと思いました。」
当時、三島氏は大蔵省の若手エリート官僚であった。
…三島氏は天才的な作家であり東大法学部出身の最優秀の官僚でありながら、いささかも驕りたかぶるところがない謙虚な人柄であった。
そして義理と人情にあつい人であるということがわかったのである。
伊沢甲子麿
三島氏の要望により私は歴史と教育に関する話をいろいろとするに至った。
特に歴史では明治維新の志士について。中でも吉田松陰や真木和泉守の精神思想を何度も望まれて話した。
…三島氏は松陰や真木和泉守の話を私が始めると、和室であったため座布団をのけて正座してしまうのだった。
…その外では西郷隆盛の西南の役の話や、また尊皇派の反対の佐幕派の人物である近藤勇や土方歳三の話も何度となく望まれて語った次第である。
特に近藤勇は三島氏の祖母の祖父である永井尚志が近藤勇とは心を許し合った友人であったため、深く敬愛の情を寄せていた様である。
伊沢甲子麿
>>188
一応、三島由紀夫全集に載っている伊沢甲子麿氏の「三島由紀夫の思い出」からの抜粋です。 戦後文学の作品は沢山あり、さらに沢山つみあげられることだろう。今や大企業である。
しかしついのつまりに、三島由紀夫だけが文学及び文学者として、後の世に伝わってゆくだろう。
彼は紙幣を作っていたのでも、銀行預金通帳の数字を書き加えたのでもないからである。
保田与重郎
私が三島由紀夫氏を初めて知ったのは、彼が学習院中等部の上級生の時だった。
…そのあと高等部の学生の頃にも、東京帝国大学の学生となってからも、何回か訪ねてきた。
ある秋の日、南うけの畳廊下で話していると、彼の呼吸が目に顕ったので、不思議なことに思った。
吐く息の見えるわけはなく、又寒さに白く氷っているのでもない。長い間不思議に思っていたが、やはりあの事件のあとで拙宅へきた雑誌社の人で、三島氏を知っている者が、彼は喘息だったからではないかと云った。
私はこの齢稚い天才児を、もっと不思議の観念で見ていたので、この話をきいたあとも、一応そうかと思い、やはり別の印象を残している。
保田与重郎
あの時(ノーベル賞を)受賞したのが川端であり、三島由紀夫でなかったのは、何かの行き違いだったかもしれない。
すなわち、国連事務総長だったダグ・ハマーショルドが1961年に亡くなる直前、三島の「金閣寺」を読み、ノーベル賞委員会のある委員に宛てた手紙で大絶賛したのである。こういった筋からの推薦は小さくない影響力を持っていた。
また1967年のこと、出版社の国際的な集会がチェニスで開かれ、私はその集いが授与する文学賞、フォルメントール賞を三島にと試みたが失敗に終わった。
この時、スウェーデンから参加した有力出版社ボニエールの重役が私を慰め、三島はずっと重要な賞をまもなく受けるだろう、と言ったのだ。ノーベル賞以外にはあり得なかった。
ドナルド・キーン
三島由紀夫氏の最後の四巻本の小説は、小説の歴史あってこの方、何人もしなかったことを、小説の歴史に立脚した上でなしあげようとしたのであろう。
そういう思いが、十分に理解されるような大作品である。
三島氏も、人のせぬおそるべきことを考え、ほとほとなしとげた。
そこには人間の歴史あってこの方の小説の歴史を、大網一つにつつみ込むような振る舞いが見える。
保田与重郎
人を、心に於て、最後に解剖してゆくような努力は、私に怖ろしいものと思われた。
三島氏ほどの天才が思っていた最後の一念は、皮相の文学論や思想論に慢心している世俗者よりも、そういうものとは無縁無垢の人に共感されるもののようにも思われる。
その共感を言葉でいい、文字で書けば、うそになって死んでしまうような生の感情である。
保田与重郎
自己の作品化をするのが、私小説作家だとすれば、三島由紀夫は逆に作品に、自己を転位させようとしたのかもしれない。
むろんそんなことは不可能だ。作者と作品とは、もともとポジとネガの関係にあり、両方を完全に一致させてしまえば、相互に打ち消しあって、無がのこるだけである。
そんなことを三島由紀夫が知らないわけがない。知っていながらあえてその不可能に挑戦したのだろう。
なんという傲慢な、そして逆説的な挑戦であることか。ぼくに、羨望に近い共感を感じさせたのも、恐らくその不敵な野望のせいだったに違いない。
安部公房
金閣寺は、この作品において美の象徴であり、しかも戦火によっていつ焼亡するかもしれないという時期、凄まじいまでの美をあらわしている存在である。
主人公は、その終末の予感に陶酔しつつ、金閣寺=美との共生にいいがたい浄福を感じている。
…敗戦の日、金閣寺と主人公の共生は断たれる。金閣寺は、あの失われた恩寵の時間を凝縮して、永遠の呪詛のような美に化生する。
主人公は美の此岸にとりのこされ、もはや何ごととも共生することができない。
橋川文三
―この辺りには、戦中から戦後へかけての青年の絶望と孤独の姿が、比類ない正確さで描き出されており、
金閣=美を戦中の耽美的ナルシシズムにおきかえるならば、戦後もなお主人公を支配する金閣の幻影が、青年にとって何であったかを類推するに困難ではないであろう。
そこから、金閣寺を焼かねばならないという決意の誕生もまた、戦後の三島の精神史にあらわれた「裏がえしの自殺」の決意にほかならないことも明らかになるであろう。
こうして、この作品は、実際の事件に仮託しながら、三島の美に対する壮大な観念的告白を集大成したような観を呈しており、美の亡びと芸術家の誕生とを、厳密な内的法則性の支配する作品の中に、みごとに定着している。
「仮面の告白」に遙かに呼応する記念碑的な作品である。
橋川文三
僕の母、白い手、黒い髪、白い大きな目、いつも天のどこかで僕を見守り、愛撫してくれる。お母さん、僕、今日学校で寝た。かんにんだよ。
でもどこかでお母さんの声が、必勝、あと十分だからがんばりなさい、と聞こえてきたよ。
そうか、お母さんのいる天国へ僕も行こうか。お父さんも待っていてくれると思うけど、きっと仲が良いんでしょうね。
森田必勝
先生のためには、いつでも自分は命を捨てます。
森田必勝
どんな美辞麗句をならべた礼状よりも、あのひとことには参った。
三島由紀夫
たとへ私が狂気だつたにせよ、あの狂気の中心には、光りかがやくあらたかなものがあつた。
狂気の後には水晶のような透明な誠があつた。
翼を切られても、鳥であることが私の狂気だつたから、その狂気によつてかるがると私は飛んだ。
彰武院文鑑公威居士
三島由紀夫
私にはわからない。自分が今なほ狂気か正気かといふことが、自分にはわからう筈がない。
只一つわかることは、その正気の中心には誠はなく、みごとに翼は具へてゐても、その正気は決して飛ばないといふことだ。あたかも醜い駝鳥のやうに。
私は知らず、少なくともお前たちみんなは駝鳥になつたのだよ。
彰武院文鑑公威居士
三島由紀夫
太宰は自殺癖あるの知って嫌になった。作家の自殺志願とは違い道連れ付、落日前夜鰻の肝を食す。走れメロスは借金で追われる自分がモデルと聞き失望
親が三島由紀夫の騒動をONタイムで見ていたので興味があり本も好き。遠藤周作も好きだな。
本もよまんの?
おまえダメだな。子供いるなら最悪だな 「奔馬」には、1876年に叛乱を起した武士たちの集団自殺が描かれており、彼らの行動は勲を感奮興起させたものであった。
この血と臓腑の信ずべからざる大氾濫は私たちを恐怖させるとともに、あらゆる勇敢なスペクタクルのように興奮させもする。
この男たちが闘うことを決意する前に行った、あの神道の儀式の簡素な純粋性のようなものが、この目を覆わしむ
流血の光景の上にもまだ漂っていて、叛乱の武士たちを追跡する官軍の兵隊たちも、できるだけゆっくりした足どりで山にのぼって、彼らを静かに死なせてやろうと思うほどなのである。
マルグリット・ユルスナール
勲はといえば、彼はその自殺に幾分か失敗する。
しかし三島は、それ自体うかがい知りえぬ肉体的苦痛の領域に天才的な直感をはたらかせて、この叛逆の若者に、彼にとってはあまりに遅く来るであろう昇る日輪の等価物をあたえてやったのだ。
腹に突き立てられた小刀の電撃的な苦痛こそ、火の球の等価物である。それは彼の内部で赤い日輪のような輝きを放射するのである。
マルグリット・ユルスナール
若者は、突拍子もない劇画や漫画に飽きたのちも、これらの与えたものを忘れず、自ら突拍子もない教養を開拓してほしいものである。
すなわち決して大衆社会へ巻き込まれることのない、貸本屋的な少数疎外者の鋭い荒々しい教養を。
三島由紀夫 三島スレの有名人
ブルーハーツババアさん
今日も元気に布教活動頑張ってください!! 日本の民と国との歴史の上で、天地にわたる正大なる気を考える時、偉大なる生の本願を、文人の信実として表現した人は、戦後世代の中で、日本の文学の歴史は、三島由紀夫ただ一人を記録する。
保田與重郎 引用より今度から議論しない?
その方が未読本に関心もつけど、引用するならどう思ったかにしない?
どう考えても私にとって不思議で仕方がなく、理解を絶するとしかいいようがないことは、
戦後25年の平和体制が、たとえばロマンティシズムといったような文芸上の観念にまで、有無をいわさず貶下的な内容を付加してしまうような雰囲気をつくりあげているということだろう。
澁澤龍彦
これは、経済的繁栄のみを目途としてきた支配体制のつくり出すムードに、文学者までもが巻きこまれているのか、それとも、その支配体制と表裏一体の関係にある共産党のふりまいた、人工甘味料入りの神話の賜物か。
「いつわりの人間主義をたつきの糧とし、偽善の団欒は世をおおい…」と作品中で歌った三島氏の声が、まさに呪いの言葉のように響いてくるのは、かかる時であろう。
澁澤龍彦 要するに、事柄はきわめて明瞭なのだ。
すなわち、三島由紀夫氏は一個の過激派だったということだ。
右とか左とか限定なしの、絶対追求者としての過激派である。
澁澤龍彦
三島氏の掲げるイデオロギーと、切腹という異様な自殺の方法とが、諸外国にどんな悪影響をあたえるか、といったような政府与党的な配慮には、私はまったく興味ない。
ひるがえって、もし諸外国に、日本に関してトランジスターの商人の国とかいったイメージしか定着していないとすれば、その情けないイメージを日本刀によって打ちやぶった三島氏の功績は、どんな文化使節のそれにも勝るであろう。
澁澤龍彦
三島も太宰も平成生まれや中高生になった頃の21世紀生まれが読むのか微妙。
今の10代の娯楽の中心は携帯電話中心だからな。 一人の人間、ましてあれだけの人物が自ら死を選んだ真の理由を、簡単に特定できるはずもない。
が、あえていうならば、三島さんが言っていた「文武両道」の「武」とは「文」を守るためのものと位置付けていたと考えたい。
守るべき「文」とは、自身の「文学」だけに止まるものではないだろう。もっと広く、そして深く「日本の文化」そのものとでも呼ぶべきものであったはずである。
思い起こせば、高度経済成長を達成したあの頃には、我々日本人は、豊かさと引き換えに自分たちの文化をないがしろにするということを、なんら恐れなくなっていた。
今の日本が抱える混迷も、根本的にはそこに問題があったのだということを、私も含め日本人の多くが気づき始めているのではないだろうか。
細江英公
三島さんには、今の日本の姿が見えていた。だからこそ、政治的な速攻性のないことがわかりきっている、あのような行動をあえてとることによって、我々に命懸けの「警告」を遺したのではなかったか。
そして恐らく三島さんが意図した通り、彼の行動は長く記憶され続け、その警告の意味は、時間がたつにつれてその重みを増してきているように思えてならない。
私は、既存の政治勢力が自らの主張のために三島さんの警告を都合よく利用するようなことがあってはならないと考える。
一方、彼の死後、文壇においては「あれは文学的な死であった」として、その多くが三島さんの個人的な理由によるものであるとする見方が支配的だったように思われるが、それにも違和感を感じてきた。
なぜなら、三島さんが憂いていたのは、もっと根源的な、日本人の精神的な危機そのものだったはずなのだから。
細江英公
私は、研究室で突然三島の死を聞いたとき、どういうわけかすぐに連想したのは、高山彦九郎であり、神風連であり、横山安武であり、相沢三郎などであった。
これらの人々の行動はいずれも常識を越えた「狂」の次元に属するものとされている。
この「狂」の伝統がどのようにして、日本に伝えられているのか、それはまだだれもわからないのではないだろうか。
ただ、すべての「異常」な行動を「良識」によって片づけることは、これまでの日本人の心をよくとらえ切っていない。
三島は私の知るところでは非常に「愚直」な人物である。
私のいう意味は、幕末の志士たちのいう「頑鈍」の精神であり、私としてはほめ言葉である。
私は三島をノーベル賞候補作家というよりも、その意味では、むしろ無名のテロリスト朝日平吾あるいは中岡良一などと同じように考えたい。
橋川文三
それにしても西洋人の享楽主義のえげつなさは、支那人はともかく、とても日本人の肌にはあいませんね。
平岡公威16歳
東文彦への書簡から
ドイツ語の講座の本少しよみ出しました。いやはやドイツ語はまるで法文みたいですね。ヒットラアという嫌悪すべき名が、亀の子文字の行間にチラチラします。
モスコオはどうしてどうしておちますまい。(?)
平岡公威16歳
東文彦への書簡から 「西洋」へ、気持の惹かされることは、決して無理に否定さるべきものではないと思います。真の芸術は芸術家の「おのずからなる姿勢」のみから生まれるものでしょう。
近頃近代の超克といい、東洋へかえれ、日本へかえれといわれる。その主唱者は立派な方々ですが、
なまじっかの便乗者や尻馬にのった連中の、そこここにかもし出している雰囲気の汚ならしさは、一寸想像のつかぬものがあると思います。
我々は日本人である。我々のなかに「日本」がすんでいないはずがない。この信頼によって「おのずから」なる姿勢をお互いに大事にしてまいろうではございませんか。
平岡公威18歳
東文彦への書簡から
いやなことと申せば今度も空襲がまいりそうですね。こうして書いております夜も折からの警戒警報のメガホンの声がかまびすしい。
一体どうなりますことやら。
しかしアメリカのような劣弱下等な文化の国、あんなものにまけてたまるかと思います。
平岡公威18歳
東文彦への書簡から
文学の上では日本は今こそ世界唯一であり、また当然世界第一でありましょう。
ムッソリーニにはヒットラアより百倍も好意をもっていますので、一しおの哀感をおぼえました。ムッソリーニも亦、ニイチェのように、
愚人の海に傷ついた人でありましょう。英雄の悲劇の典型ともいうべきものがみられるようにおもいました。
かつて世界の悲劇であったのはフランスでしたが、今度はイタリーになりました。スカラ座もこわれたようですね。
米と英のあの愚人ども、俗人ども、と我々は永遠に戦うべきでありましょう。俗な精神が世界を覆うた時、それは世界の滅亡です。
萩原氏が自ら日本人なるが故に日本人を、俗なる愚人どもを、体当りでにくみ、きらい、さげすみ、蹴とばした気持がわかります。
平岡公威18歳
東文彦への書簡から
国家儀礼と申せば、この間新響へゆきましたら、ただ戦歿勇士に祈念といえばよいものを、ラウド・スピーカアが、
やれ「聖戦完遂の前に一億一心の誓を示して」どうのこうのと御託宣をならべるので、ヒヤリとしたところへ、「祈念」という号令、
トタンにオーケストラが「海行かば」を演奏、――まるで浅草あたりの場末の芝居小屋の時局便乗劇そのままにて、冒涜も甚だしく、憤懣にたえませんでした。
平岡公威18歳
徳川義恭への書簡から
国家儀礼の強要は、結局、儀式いや祭事というものへの伝統的な日本固有の感覚をズタズタにふみにじり、
本末を顛倒し、挙句の果ては国家精神を型式化する謀略としか思えません。
主旨がよい、となればテもなく是認されるこの頃のゆき方、これは芸術にとってもっとも危険なことではありますまいか。
平岡公威18歳
徳川義恭への書簡から 今度の学制改革で来年か、さ来年、私も兵隊になるでしょうが、それまで、日本の文学のために戦いぬかねばならぬことが沢山あります。
去年の戦果に、国外国内もうこれで大丈夫と皆が思っていた時、学校へ講演に来られた保田與重郎氏は、これからが大事、これからが一番危険な時期だと云われましたが、今にしてしみじみそれがわかります。
文学を護るとは、護国の大業です。文学者大会だなんだ、時局文学生産文学だ、と文学者がウロウロ・ソワソワ鼠のようにうろついている時ではありません。
平岡公威18歳
徳川義恭への書簡から
僕らは卑怯な健康よりもデカダンをとる。デカダンの中にあるはるかな未来への輝きと能動も熟知しているのだ。
僕らが浪漫主義を主張したことは、悲しみと憤り、歎きと憂いの混淆した境地の主張だった。
保田與重郎
私は日本民族の永遠を信じる。
今や三島氏は、彼がこの世の業に小説をかき、武道を学び、演劇をし、楯の会の分列行進を見ていた、数々のこの世の日々よりも、多くの国民にとってはるかに近いところにいる。
今日以後も無数の国民の心に生きるようになったのだ。そういう人々とは、三島由紀夫という高名な文学を一つも知らない人々の無数をも交えている。
保田與重郎
総監室前バルコニーで太刀に見入っている三島氏の姿は、この国を守りつたえてきたわれらの祖先と神々の、最もかなしい、かつ美しい姿の現にあらわれたものだった。
しかしこの図の印象は、この世の泪という泪がすべてかれつくしても、なおつきぬほどのかなしさである。
豊麗多彩の作家は最後に天皇陛下万歳の声をのこして、この世の人の目から消えたのである。日本の文学史上の大作家の現身は滅んだ。
保田與重郎 太宰は人間失格しか読んだことありません
スイミングクラブでバイト中の夏だったのに気分が落ち込んで足がつってしまったのを覚えてます 「花ざかりの森」の作者(三島由紀夫)は全くの年少者である。どういう人であるかということは暫く秘しておきたい。それが最もいいと信ずるからである。
もし強いて知りたい人があったら、われわれ自身の年少者というようなものであるとだけ答えておく。
日本にもこんな年少者が生まれて来つつあることは何とも言葉に言いようのないよろこびであるし、日本の文学に自信のない人たちには、この事実は信じられない位の驚きともなるであろう。
蓮田善明
昭和16年「文芸文化」 この年少の作者は、しかし悠久な日本の歴史の請し子である。
我々より歳は遙かに少いが、すでに、成熟したものの誕生である。此の作者を知ってこの一篇を載せることになったのはほんの偶然であった。
しかし全く我々の中から生まれたものであることを直ぐに覚った。そういう縁はあったのである。
蓮田善明
昭和16年「文芸文化」 交遊に乏しい私も、一年に二人か一人くらいづつ、このように国文学の前にたたずみ、立ちつくしている少年を見出でる。
「文芸文化」に〈花ざかりの森〉〈世々に残さん〉を書いている二十歳にならぬ少年も亦その一人であるが、悉皆国文学の中から語りいでられた霊のような人である…。
蓮田善明
昭和18年「文学」
前略
「蓮田善明とその死」感激と興奮を以て読み了えました。毎月、これを拝読するたびに魂を振起されるような気がしました。
この御作品のおかげで、戦後二十数年を隔てて、蓮田氏と小生との結縁が確められ固められた気がいたしました。
御文章を通じて蓮田氏の声が小生に語りかけて来ました。
蓮田氏と同年にいたり、なおべんべんと生きているのが恥ずかしくなりました。
一体、小生の忘恩は、数十年後に我身に罪を報いて来るようであります。
今では小生は、嘘もかくしもなく、蓮田氏の立派な最期を羨むほかに、なす術を知りません。
三島由紀夫
昭和42年
小高根二郎への書簡から 国のため、いのち幸くと願ひたる、
畏きひとや
国の為に、死にたまひたり
保田與重郎
昭和45年11月某日
実は昭和43年のノーベル文学賞は三島由紀夫に内定していたが、審査員の一部から三島の政治的活動を問題視する声があがり、川端康成へ移行しただけ。
ある審査員が三島を、全共闘の仲間と短絡し、急進左翼に肩入れしているとみなし、かわりに川端を強く推したのである。
また、川端は事前に自分が受賞することを知り、三島へ「今回は私がいただかせてもらいます」と言ったという。
三島の死後、川端は、「あれは三島君がもらうべきだった賞だ」と知人に漏らしている。
そして自責の念にかられてか、川端は徐々に睡眠薬中毒になってゆく。
三島由紀夫が市ヶ谷の自衛隊総監室に立てこもったニュースを聞き、川端康成はすぐに現場へ駆けた。
そして、川端は、総監室で壮絶な最期を遂げた血まみれの三島の死体と首を見てしまう。
ひと足遅れてきた石原慎太郎は、現場検証した警察関係者から、「川端先生が中へ入って見ていった」と聞かされる。慎太郎は川端が三島を見送ったならばと、入室を辞退していった。
川端はその後、眠れないと周囲に漏らしたり、「ほら、三島君があそこにいる」と、三島の霊を見ているかのような言動をするようになってゆく。
三島の死後、川端康成は会議や講演などはこなしていたが、健康がすぐれず、新しい文学作品は書かなくなっていた。
そして、三島の自刃から約一年半後の昭和47年4月16日、川端はふらっと鎌倉の自宅を出てタクシーを拾い、仕事場の逗子マリーナ・マンション417号室へ向かう。
水割りを少し飲んだ後、川端はガス管をくわえガス自殺を遂げていた。遺書はなかった。
机には太宰治の本があったともいわれている。
私は三島君の早成の才華が眩しくもあり、痛ましくもある。
三島君の新しさは容易には理解されない。三島君自身にも容易には理解しにくいのかもしれぬ。
三島君は自分の作品によってなんの傷も負わないかのように見る人もあろう。
しかし三島君の数々の深い傷から作品が出ていると見る人もあろう。
この冷たそうな毒は決して人に飲ませるものではないような強さもある。
この脆そうな造花は生花の髄を編み合わせたような生々しさもある。
川端康成 三島君ほどの作家は100年か200年に一人しか出てこない。
「豊饒の海」は、三島君の作品の中で最高の価値がある。
川端康成 彼は(三島は)無限の敵、即ち日本文化、いや日本を腐敗させつつあるものへ、自分の命、絶対の価値ある自分の命を投げつけた。
彼は敵に向い最後迄断然逃げなかった。
…彼は自分の愛するもの(これには自分の家族も入る)に、自分の最上のものを捧げたかった。
それは自分の命、これである。
三谷信
世人は彼の死を嘲笑した。これは彼の敵の正体を、世人が未だ理解していない時に死んだからか?
多くの人、中には名声にあっては一流人が、まるで見当違いのことをいって、彼の死を手軽に料理している。
しかしいつでも彼の死は早すぎるのだろう。
“死”は誰でも逃げたいものだから。
三谷信
彼は稀なる作家、思想家、そして文化人であった。
自分の思想のために、生涯の頂点で、世人の軽蔑は覚悟の上で死ねる者が何人居るか。
彼と思想を異にするのは全く自由であるが、嘲笑するには先ず自分の考えに殉じて死ねる者でなければなるまい。
なぜなら、彼の死は冷静な死であったから。
三谷信
彼は少年時代に戻って死んだ。
少年時代、彼は日本文化に殉ずる心で生きて居た。その心で死んだ。
純粋という点では、学習院高等科学生の頃の姿で死んだ。
所詮作家からはみ出した男、言葉で適当に金を儲けることを、出来るがやらぬ男であった。
三谷信
私もそのころの太宰氏と同年配になった今、決して私自身の青年の客気を悔いはせぬが、そのとき、氏が初対面の青年から、
「あなたの文学はきらいです」
と面と向かって言われた心持は察しがつく。私自身も、何度かそういう目に会うようになったからである。
…こういう文学上の刺客に会うのは、文学者の宿命のようなものだ。
もちろん私はこんな青年を愛さない。こんな青臭さの全部をゆるさない。
私は大人っぽく笑ってすりぬけるか、きこえないふりをするだろう。
ただ、私と太宰氏のちがいは、ひいては二人の文学のちがいは、私は金輪際、
「こうして来てるんだから、好きなんだ」などとは言わないだろうことである。
三島由紀夫
「私の遍歴時代」より
ワイルドはその逆説によって近代をとびこえて中世の悲哀に達した。
イロニカルな作家はバネをもっている人形のように、あの世紀末の近代から跳躍することができた。
彼は19世紀と20世紀の二つの扇をつなぐ要の年に世を去った。
彼は今も異邦人だ。だから今も新しい。
ただワイルドの悪ふざけは一向気にならないのに、彼の生まじめは、もう律儀でなくなった世界からうるさがられる。
誰ももう生まじめなワイルドは相手にすまい。
あんなに自分にこだわりすぎた男の生涯を見物する暇がもう世界にはない。
三島由紀夫
「オスカア・ワイルド論」より
太宰は、
「日本の文化がさらにまた一つ堕落しそうな気配を見たのだ」
「こんな具合じゃ仕様がない。(中略)戦争時代がまだよかったなんて事になると、みじめなものだ。」
という言葉を遺して入水自殺したらしいけど、
三島の『翼』や主要作のテーマ根底は、この太宰の言葉と共通するものがあると思う。
三島の場合は死ぬ前に、神なき世界の終わりなき日常(戦後官僚体制)への抵抗として、一節演説をぶってディオニュソスのなかで死んでいった感じ。
とある銀座のバーで。
石原慎太郎「三島由紀夫を殺したのはお前だ!」
美輪明宏「そうよ、三島さんを殺したのは私よ。今度はお前を殺してやる!」
石原「何言ってんだい……ブツブツ」
石原すごすご逃げてゆく…
三島は自分の太ももに欲情したオナニストです。
オナニストのまま死にましたし、オナニスト達の神様です。 三島氏は、日本人について、「繊細優美な感受性と、勇敢な気性との、たぐい稀な結合」と云った。
そして「これだけ精妙繊細な文化伝統を確立した民族なら、多少野蛮なところがなければ衰亡してしまう」と云う。
この史観と実践倫理を、彼の一代の生き方の上に重ねた時、わが身心は、ただおののく感じである。
保田與重郎
「ただ一人」より
日本の民と国との歴史の上で、天地にわたる正大なる気を考える時、偉大なる生の本願を、文人の信実として表現した人は、戦後世代の中で、日本の文学の歴史は、三島由紀夫ただ一人を記録する。
過渡期を超越したこの人である。
保田與重郎
「ただ一人」より
21日土曜日の読売新聞の辻井喬の回顧録は、三島由紀夫と石橋湛山の共通思想を考察しながら、
三島が戦後の手続き民主主義の欺瞞に、生命を賭けて反対したことについて触れています。
三島を領土拡大や国粋主義右翼と見るのは、意図的な誤解で、誤りだと述べています。
三島由紀夫が自らの生命を賭けて反対した思想の重要な側面は、この、手続きさえ合っていれば、その政策や行動の内容は問わないという、敗戦後のわが国の文化風土だったのではないか。
彼の目に、それは思想的退廃としか映らなかったのである。
…しかし、多くのメディアや芸術家は、彼の行動の華々しさや烈しさに目を奪われて、それを右翼的な暴発としか見なかった。
辻井喬
「叙情と闘争」(読売新聞連載回顧録)より
すべての国民が悪魔に魂を売り、経済の高度成長と取引をしたように、現世相は一応思えるかもしれぬが、国の正気の脈々としたものが、必ず潜流しているにちがいないと私は思う。
それなくしては日本はなくなり、人類も、理想も、文明も消滅するのである。
人類に意志はなくとも、生命の起源に於て、天地との約束はあったと思う。これを神々という御名でよぶことを、私はためらはない。
保田與重郎
「ただ一人」より あの市ヶ谷での事件は、政治的なニヒリズムにもとづくパフォーマンスでも、非現実的なクーデタでもない。
三島は大塩平八郎と同様に、それが必ず失敗する事は識っていただろう。
にもかかわらずそれを試みることは、自滅ではなく、そのような大義を信じるものが日本に一人はいるということを示すための言挙げであり、
その言葉が、必ず、たとえば後世に対してであっても、聞く耳を持った者に伝わるという確信の表明だ。
故にそれはニヒリズムに似ており、ニヒリズムに発しているのだが、その大いなる否定なのである。
福田和也
「保田與重郎と昭和の御代」より ■ おすすめ2ちゃんねる 開発中。。。 by FOX ★
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三島由紀夫Part25 [文学 彼がそのわかい晩年で考えた、天皇は文化だという系譜の発想の実体は、日本の土着生活に於いて、生活であり、道徳であり、従って節度とか態度、あるいは美観、文芸などの、おしなべての根拠になっている。
三島氏が最後に見ていた道は、陽明学よりはるかにゆたかな自然の道である。
武士道や陽明学にくらべ、三島氏の道は、ものに至る自然なる随神(かんながら)の道だった。
そのことを、私はふかく察知し、粛然として断言できるのが、無上の感動である。
保田與重郎
「天の時雨」より
三島氏らは、ただ一死を以て事に当たらんとしたのである。
そのことの何たるかを云々することは私の畏怖して自省究明し、その時の来り悟る日を待つのみである。私は故人に対し謙虚でありたいからである。
三島氏の文学の帰結とか、美学の終局点などという巷説は、まことににがにがしい。
その振る舞いは創作の場の延長ではなく、まだわかっていないいのちの生まれる混沌の場の現出であった。
国中の人心が幾日もかなしみにみだれたことはこの混沌の証である。
保田與重郎
「天の時雨」より
三島由紀夫は、古典「ダフニスとクロエ」を下敷きに日本の島を舞台にした純愛物語を構想していましたが、
最終的に三重県鳥羽市沖の神島を『潮騒』の舞台に選んだ理由を三島は、神島が日本で唯一パチンコ店がない島だったからと、大蔵省同期の長岡寛に語っています。
神島の島民たちは初め三島を、病気療養のために島に来ている人と勘違いし、
「あの青びょうたんみたいな顔の男は誰やろ?体が悪くて養生しに来とるのか」と言ったそうです。
島民たちに島の話を聞きながら、熱心にメモをとっていた痩せた白い肌の三島の姿は、屈強な島の男達を見慣れている島の女性たちにはかなり珍しかったようです。
三島は『潮騒』執筆中、泊まっていた漁業組合長の寺田宗一さん(故人)夫妻を
「おやじ、おふくろ」と呼びながら、一家団欒の食事を一緒にとっていたので、
三島事件のとき寺田さんに「あんたのとこの息子さん、えらいことをして亡くなったなあ」と言う島民もいたそうです。
晩年、三島からもらったサイン入りの潮騒初版本の破れかけた表紙を大事そうに撫でながら、宗一さんは三島との思い出を、訪ねてくる三島ファンに語っていたと、寺田家の嫁のこまつさん(74歳)が回想しています。
ちなみに、宗一さんの息子の和弥さんが『潮騒』の信治のモデルといわれています。
「いま筋の通ったことをいえば、みんな右翼といわれる。
だいたい、“右”というのは、ヨーロッパのことばでは“正しい”という意味なんだから。(笑)」
三島由紀夫
太宰治と三島由紀夫を比較してもね・・・
太宰治と芥川龍之介ならともかく 交戦中に殺された男の最後の記録を読んではじめて、戦争というものが本当にどんなものかわかりはじめた。
…日本軍の兵士たちの耐えた困苦のほどは圧倒的な感動をよびおこした。
それに引きかえ、週に一度検閲しなければならないアメリカ軍の兵士たちの手紙には、何の理想もなく、またたしかに何の苦しみもなく、ただただもとの生活に戻りたいということだけが書かれていた。
戦争中ずっとこの対照が私の心につきまとってはなれなかった。
ドナルド・キーン
「日本との出会い」より そうです。ぼくは、非常に近い距離からアメリカの軍隊を見ていました。
しかし、理想をいだいて戦っているような米兵には、ただの一度もお目にかかったことがありませんでした。それは確実に言えることです。
「もっといい世界のために、自分は戦死してもいい」などという文句は、アメリカの兵士の手紙の中には、こんりんざいなかったのですから。
日本の兵士は、家族に送る手紙の中ででも、「滅私奉公」とか「悠久の大義」などという言葉を使っていました。
ぼくは、日本の軍国主義者の理想を受け入れることは絶対にできなかったが、このような手紙を書き、日記をつけた個々の日本兵士には、敬意をいだかずにはいられませんでした。
結局、日本人こそ勝利に値するのではないかと信ずるにいたった。
ドナルド・キーン
三島の天皇崇拝は、彼の存命中ずっと在位していた天皇、裕仁に向けられたものではない。
短編「英霊の声」では、二・二六事件の首謀者と昭和二十年の神風特攻隊員の霊が、自分は神ではないと宣言して彼らを裏切った天皇を激しく責める。
天皇の名の下に死んだ者たちは、天皇が普通の人間と同じ弱さを持った人間であることを知っていたが、天皇という資格(キャパシティ)にあって、天皇は神であると確信していた。
もし、天皇が二・二六事件に関わった青年将校を支持し、なかんずく、彼らに自裁を命じたのだとしたら、その行為は、老いて堕落した政治家に囲まれた単なる統治者ではなく、神としてのふるまいだったであろうに。
しかし、神風特攻隊員が天皇を叫びつつ喜びに満たされて死んだ、それからわずか一年も経たずに、自分は神ではないと宣言した時、天皇は彼らの犠牲を哀れで無意味なものにしたのだ。
ドナルド・キーン
三島は、天皇無謬説を唱えたことがある。無論これは天皇の人間としての能力をさした説ではない。
より正確に言えば、天皇は神の資格において、人間の姿をした日本の伝統そのものなのであり、日本民族の経験が保管された唯一無二の宝庫である。
天皇を守ることは、三島にとって、日本そのものを守ることだった。このような政治観を日本の右翼と同一視するのは誤りであろう。
彼は確信していた。日本の景観を無慈悲に切り刻んで顧みない貪欲と、それが舶来だからというだけで事物や習慣を表面的に受用する西洋化、この二重の脅威から日本文化の崩壊を救えるのは若者の純粋さ、すなわち信念のためには死を辞さぬ若者の覚悟だけだと。
ドナルド・キーン
彼(三島)は、どのような形であれ、米軍占領による国の歪みを正し、民族の志を復活するためのクーデター計画を実行することを決意していた。
計画実行の当日になって、実現の可能性はほとんど残されていなかったが、それが完全にゼロとなるまであきらめなかった。
それは、最後まで力を尽くす誠でもあったが、あきらめの色を見せて、部下たる「楯の会」会員の士気を損なうことの愚を知っていたからであろう。
彼は真の武士であった。
自衛隊の部隊と私たち情報勤務者が一体となって、心底からクーデター計画実行に取り組んだとするなら、三島の期待は実現したであろう。
山本舜勝
元陸上自衛隊調査学校教官班長
「自衛隊 影の部隊――三島由紀夫を殺した真実の告白」より 自衛隊を本来あるべき姿、国軍として憲法上の認知を得させ、情報技術とシステム確立の下に、不正規軍としての民間防衛軍を結成して機能させること。
それは理想であり、これを長期的戦略を立て、広く国民に浸透させることによって実現するという理想論が、現実にきわめて困難であることを、私は長い体験の中で実感していた。
その意味では、10・21は、多少の無理はあっても、三島が主張したように、二度と訪れないかもしれない千載一遇のチャンスだったかもしれない。
永遠に訪れてこない望ましい機会を待つよりは、不十分でも限られた機会に力を集中させ、知力をふりしぼって、実現に力を尽くすべきではないか。
あるいは悲劇的な、あるいは無様な結末を迎えることになったとしても、座して様子をうかがうだけで、何事もなし得ないまま一生を終えるよりどんなにかましであるか。
三島の死に接したとき、私は過去に何十回、何百回となく自問してきたこの問いを、改めて自分に問いかけた。
山本舜勝
元陸上自衛隊調査学校教官班長
「自衛隊 影の部隊――三島由紀夫を殺した真実の告白」より
近代西欧文明がもたらした物質万能への傾倒が、いまや極点に達していることは言うまでもない。
人間としての存在が、どうあらねばならないのか。それを問う時はきている。
三島由紀夫は、究極のところ、そのことを人々に問いかけたのだ。
作品によって問いつづけ、さらには自決によって問うた。いや、問うたというよりも、死の世界に生きることを選び、この世への「見返し」を選んだ。
五年後、十年後、いや百年後のことかもしれない。だか、そのとき三島由紀夫は、復活などというアイマイなものでなく、さらに確実な形……存在として、この世に生きるであろう。
小室直樹
「三島由紀夫と『天皇』」より 彼(川端康成)は、確かにこの受賞(ノーベル文学賞)に値した。
それでも今もって私は、どういうわけでスウェーデン・アカデミーが三島でなく川端に賞を与えたのか不思議でしようがない。
1970年5月、私はコペンハーゲンの友人の家に夕食に招待された。同席した客の一人は、私が1957年の国際ペンクラブ大会の時に東京で会った人物だった。
日本で数週間を過ごしたお陰で、どうやら彼は日本文学の権威として名声を得たようだった。
ドナルド・キーン
「私と20世紀のクロニクル」より ノーベル賞委員会は、選考の際に彼の意見を求めた。その時のことを思い出して、居合わせた客たちに彼はこう言ったのだった。「私が、川端に賞を取らせたのだ」と。
この人物は政治的に極めて保守的な見解の持主で、三島は比較的若いため過激派に違いないと判断した。
そこで彼は三島の受賞に強く反対し、川端を強く推した結果、委員会を承服させたというのだ。
本当に、そんなことがあったのだろうか。三島が左翼の過激派と思われたせいで賞を逸したなんて、あまりにも馬鹿げている。
私は、そのことを三島に話さずにはいられなかった。三島は、笑わなかった。
ドナルド・キーン
「私と20世紀のクロニクル」より
東京に着いたのは1月24日の三島の葬式の直前で、私は弔辞を述べることを引き受けた。ところが、私の親しい友人三人は葬式に出席してはいけないと言う。
私が弔辞を述べることで、三島の右翼思想を擁護しているように取られてはまずいと言うのだった。
最終的に彼らの説得に応じたが、それ以来私は、自分がもっと勇気を示さなかったことを何度も後悔した。
私は三島夫人を訪問した。三島の写真がある祭壇に、私は彼に捧げた自分の翻訳『仮名手本忠臣蔵』を置いた。
その本には、下田で会った時に三島自身がこの浄瑠璃から選んだ次の一節が題辞として揚げられていた。
国治まつてよき武士の忠も武勇も隠るるに
たとへば星の昼見へず、夜は乱れて顕はるる
ドナルド・キーン
「私と20世紀のクロニクル」より
天皇はあらゆる近代化、あらゆる工業化によるフラストレーションの最後の救世主として、そこにいなけりゃならない。それをいまから準備していなければならない。
それはアンティエゴイズムであり、アンティ近代化であり、アンティ工業化であるけど、決して古き土地制度の復活でもなければ、農本主義でもない。
…つまり天皇というのは、国家のエゴイズム、国民のエゴイズムというものの、一番反極のところにあるべきだ。
そういう意味で、天皇は尊いんだから、天皇が自由を縛られてもしかたがない。
その根元にあるのは、とにかく「お祭」だ、ということです。
天皇がなすべきことは、お祭、お祭、お祭、お祭、――それだけだ。
三島由紀夫
「文武両道と死の哲学」より
亭主が自分の部屋に電話を引いたり、テレビをつけたり、ボタンを押すと飛び上がる椅子をつけたりするのに、
エリザベスは、まだ十八世紀のお茶の作法で、百メートル先から女官たちが手から手へつないだお茶を持って来て、冷えたお茶を飲んでいる。自分の部屋には電話がない。
ぼくは、そういうことが天皇制だろうと思うんです。日本の皇室がその点でわれわれを納得させる存在理由は日ましに稀薄になっている。
つまりわれわれが近代化の中でこれだけ苦しんで、どこかでお茶を十八世紀の作法で飲んでいる人がいなければ、世界は崩壊するんだよ。
三島由紀夫
「文武両道と死の哲学」より
昨日三島の「音楽」買って読み始めました。
面白いです。 大宰は大食いだったらしいね。三島はそれを意識して、朝から無理しつステーキを食ってたらしい… 太宰と三島は比較にならない。
三島由紀夫なんて正統的に評価されてないじゃん。 大宰も白樺派に比べたら、評価は低いよ。芥川賞も取れなかったし、唯一評価できるのは自殺した事くらいだろう… 芥川賞なんか基準にするバカがいるんだ。
三島も太宰も読んだことないバカなんだろうな。 その視覚的、聴覚的に表現するということを考えた場合、三島由紀夫の戯曲は天才的な言葉で溢れている。
三島由紀夫の溢れる、迸る様な豊かな言葉というのはいうならばモーツァルトの音楽を連想させる。
モーツァルトのピアノソナタは初心者から円熟期に入った大ピアニストまで誰でも魅せられ虜にするが、三島由紀夫の戯曲も思わず音読したくなる様な
人を酔わせる様な豊かな言葉に溢れ、これは自分で演出したい、これは自分で演じてみたいと人を駆り立てる様なものを持っている。
遠藤浩一
「三島由紀夫と福田恆存――演劇をめぐって」より >>292
張りレスにマジレスでなんだけど、同意しかねるな。
三島の言葉は、基本的に視覚に訴える要素が多いとは思うが、聴覚…か?
三島本人の歌を全集のCDで聴いた事があるが、あくまでも「オンチを克服した歌」であって、
本質的な歌の上手さではなかった。
文章もしかり。
実際に音読しても思うが、基本的に三島の言葉は、書き言葉なんだよね。
一見、音読したくなる様な〜文章ではあるが、実際に音読すると、
結構不自然な、話し言葉としては(音楽的要素を想起するのには)、不自然な箇所が多いよ。
自分の中では、三島はイビツナ真珠=バロックという印象が強い。
絵画的な印象だな。
やたらと、作中に、覘きの場面が出てくるのが三島の本質だと思うが。 >>293
>>307は小説のことではなく、三島の「戯曲」についてです。
三島の戯曲の台詞まわしが>>307の評価のように評価されるのは、三島が歌舞伎に通じていたからだと思いますよ。
三島は歌舞伎役者の声色を真似るのが得意だったらしいし、自作の戯曲も上手く朗読してます。
からっ風のCDも聴きましたが、言われてたほどそんな下手じゃなかっですよ。声量はないと思いますが。
それと、自分の歌唱の才能と、役者に喋らせる戯曲の台詞まわしを緻密に巧みに語呂よく創作することとは、あまり関係ないと思います。
作詞家が皆、歌唱力があるわけじゃないのと同じで。 >>295
そういう類の井戸端低脳の週刊誌レベルのネタは、昔、朝日新聞系や日教組が流したデマです。
干からびた煽りお疲れ様。 人間の運、不運の岐れ道は中国では残酷なまでに鮮明である。不運な人間に誰も同情しない。この国では悲劇も哀話も人の心を動かさない。
だから中国の文学にはギリシャ悲劇のような悲劇が存在しない。
中国人は赤穂浪士と三島由紀夫の悲劇をどうしても理解できないそうである。
西尾幹二
昔なんかのあとがきで読んだけど、
とにかく太宰嫌いの三島由紀夫だったけど、「お伽草子」を読んだときは批判できなかった。
太宰の才能を認めざるを得なかった・・らしい。
太宰の才能については、三島はとっくに中学生のときに作品を読み感銘してたのは有名。
だから太宰への辛い批判は一目置いていたゆえの言及で、本当に嫌いだったわけじゃない。
自分で、僕は太宰と同じなんだよ、とか言ってるし。 太宰が「一種の天才」だとは三島も明言していたからね。
三島の偉いところは、他者の才能をありのまま認めようとすることに努力するところだね。
他者の才能の評価においてむやみに政治的立場などを差し挟まないところが、イイ。 現代の屈折した社会で、勇気付けられる作品というと、圧倒的に三島だと思うな。
太宰は弱者が弱者のまま終わるところがあって、ある意味女々しいけど、
三島は日本のそういう受動的な文学の中で、能動的で力強い男性的な文学を確立するという
偉業を成し遂げた人だと思う。 三島は太宰の才能を認めたが太宰は三島なんて歯牙にもかけなかった。
これが実力の差じゃないかな 三島は典型的A型、プライドと常識人(正統派)であろうとする事を求めた人生。
太宰は典型的AB型、正統派と誤認自覚するA型をあざける事を自虐で表した破滅型。
三島は部下を従えて最後まで正統派であろうとあがいた。醜い。
太宰はダメ人間を自分で十分認識し、世間を巻き込まずに死のうとした。
しかし客観的にみれば三島(A型)の方が体裁が整う。
>>303
だって、三島が活躍したのは太宰が死んだ後で、二人は同時代の作家じゃないから。
太宰が死んだ年の11月25日に三島は仮面の告白を起稿したんだよ。
ちなみに11月25日は三島の命日です。
>>304
くだらない表面的な見方だわ。おそらく三島も太宰も読んでないんだろうけど。 私とて、作家にとっては、弱点だけが最大の強味となることぐらい知っている。
しかし弱点をそのまま強味へもってゆこうとする操作は、私には自己欺瞞に思われる。…
太宰のもっていた性格的欠陥は、少なくともその半分が、冷水摩擦や器械体操や規則的な生活で治される筈だった。
生活で解決すべきことに芸術を煩わしてはならないのだ。いささか逆説を弄すると、治りたがらない病人などには本当の病人の資格がない。
三島由紀夫
「小説家の休暇」より 太宰は、自分の弱さを表現できる本当は強い人
三島は、自分の弱さを一生懸命隠そうとした本当に弱い人。
私は太宰の方が好き。 >>308同意
ここで血液判断されてるのが不思議だ
本当に自分の本能で生きていたのは太宰だ
三島文学は別として、生き方は虚しくも弱い人間だったと思う
無理をする人間は身の丈にあわない行動をとる
三島の方が、ある意味本能のまま生きた人間
太宰は本能が萎えた人間
いい悪いは別として ある意味太宰は図太い→強い
そして三島は繊細→弱い
太宰は弱さを道化にしつつ弱さをアピールし、治せる弱さまで治そうとしなかった中途半端な芸術家。ある意味図太いが、克己心がなく強くはない。
三島由紀夫は弱く繊細だったが、同情心を乞うことなく治せる弱さは治した、繊細と大胆さをあわせ持った真の芸術家。 >>315
どっちも読んでない馬鹿が三島貶し必死だな 三島様はさておき、太宰は今の基準でいえば人殺しだよね >>320
全然、枯渇してないじゃん。春の雪は金閣寺と並ぶ傑作だし。
狂言自殺の意味も知らないバカには、三島文学も読めないんだろうけどね。 おれは二人とも好きなんだが、三島がカラヤン指揮のベルリン・フィルなら
太宰はベームのウィーン・フィルって感じかな。ルネサンスの巨匠ダ・ヴィンチ
とミケランジェロの年齢差(23歳差)より接近した年齢差(16歳差)の二人。
二人ともラディゲを相当意識していると思う。鴎外を非常に高く評価している所
は共通しているようだ。おれは作家の系統樹と言うものがあるとすれば、この二人
は芥川の幹から派生していると思う。
芥川も太宰も三島も自殺しているね。三人とも芸術至上主義的な作品という大向こ
うの評価が確立している。しかも、三人とも人気作家であり、名声の最盛期に亡く
なっている。服毒、入水、割腹。東大だね。才能では芥川が圧倒的だったかも知れ
ないが太宰も三島もそれは絶対、認めないまま亡くなったと思う。それが作家の業
かな。
三島由紀夫の読書遍歴のなかに、芥川龍之介にかぶれたとあるよ。
芥川の作品も三島は歌舞伎にアレンジしてなかったっけ? 三島はどう考えても無理だが、芥川程度の作品なら自分でも書けそうだ。
なんちゃって。 芥川は作品の出来不出来が結構あるのかな。
太宰は凡作のほとんどない作家だろ?まあ、
「如是我聞」みたいな自爆を平気でする作家
だが雑誌の原稿料を稼ぐ必死さからか、天性
の人蕩し(ひとたらし)的な作風と言うか、
文体だよね。次はないと言う根性が入った作品
だと思う。ゆっくり長編にとりかかる経済環境
じゃなかったんだろう。身から出た錆だが・・・・・・ このスレ見て思ったが、三島の顔って世間的にかっこいいと認識されてない?
太宰はイケメン認定されてるのか? >>328
三島はイケメン認定済。
ルパンみたいにもみあげの長い、
歪んだサル顔がウケてます。 私の初恋は太宰です。
今でもあの顔を見るとホレボレします。
どうみてもイケメンでしょう
でもあの着物を着てる横顔で髪ボサボサの写真は修正しまくりらしいw
それでもあの雰囲気がなんともいえない。
雰囲気イケメンかなw 三島由紀夫に影響を受けたと指摘されているアーティストの一人にウィリアム・フォーサイス(バレエダンサー、振付家)がいますが、
1991年に初演された彼のバレエ『失われた委曲』(ザ・ロスト・オブ・スモール・ディテール)は、
三島の『奔馬』の次の一節をテーマに美をラディカルに呈示し、構築的であり幾何学的な構造を持っている三島的な神話世界を表しています。
「時の流れは、崇高なものを、なしくずしに、滑稽なものに変えてゆく。何が蝕まれるのだろう。
もしそれが外側から蝕まれてゆくのだとすれば、もともと崇高は外側をおおい、滑稽が内側の核をなしていたのだろうか。
あるいは、崇高がすべてであって、ただ外側に滑稽の塵が降り積ったにすぎぬのだろうか」
フォーサイスは記者の「なぜ三島のテキストを引用したのか」という質問に、
「三島を読んだとき、三島の方が僕のバレエを引用しているのかと思った」と答えたそうです。 三島由紀夫が現憲法の矛盾、改正を提起した「問題提起」という論文は、憲法第一条、第二条、第二十条、第九条の欺瞞と矛盾、改正の必要性を問題提起した憲法改正草案論文です。
『日本改正案―三島由紀夫と楯の会』(松藤竹二郎著)、または三島由紀夫全集36巻に記載されています。
憲法九条を改正するときは、第一章の天皇問題と、第二十条をセットで変えなければ、却ってアメリカの思う壷だとした、理路整然とした論文で、心ある日本人必読の論文です。 三島由紀夫の本当の良さは、彼の表の作品にあるのではない。
別著者名で書き下ろしたホモ小説にこそ良質の内容が在る。
純文学などと言って評価されているものにロクなものが無く、すべて下品。
三島の表の作品を形式的に評価している連中も、ほとんどが裏の作品のホモ小説の良さを知っている。
だからこそ、三島は高く評価されている。
三島のホモ小説を読めば、だれでも感動する。
ホモでなくてもだ。
むしろ、ホモでない普通の人が読んで感動する。
太宰と三島の共通項は二人とも自殺したくて自殺したってことだな
三島の場合は大義の仮面をつけて、自分の弱さを世間に偽装してた
ってとこが太宰とは違うが。
三島は当時の週刊誌に取り上げられるようなその当時の流行作家ぐらい
の作家だな。テーマに普遍性もないし
太宰のほうがまだ現代でも評価できる普遍性は持ってるんじゃないかな
病的だけど >>334
三島の作品に下品なものなんかないから。
くだらない釣りご苦労様。 >>335
三島の作品のテーマは普遍性がありますよ。
ろくに三島を読んでもない的外れ、ご愁傷様。 自分は優等生でありながら、金閣寺みたいな落ちこぼれの破滅思考を
寸分の狂いもなく描き切るところが天才たる所以よ。 >>335
太宰は本気で死のうとして自殺したことは一度も無いよ
調べると、全部狂言自殺っぽい
死なないように計算してる 旧ソ連国家保安委員会(KGB)の後身であるロシア連邦保安庁(FSB)ではカリキュラムの中で日本語の三島の作品を読ませている。
物欲のないこういった日本人にしてはならないと警戒しているのだ。
…「ファシスト・サムライ」というロシア語には日本人への尊敬と畏敬の気持ちがある。
本当の日本人は「ファシスト・サムライ」でヘナヘナしているのはウソである、と思っている。
大いなる誤解だが誤解のままにしておけばいい。
佐藤優(起訴休職中外務省事務官)
「ロシアから吉野へ 神皇正統記から三島へ」講演要旨の一部から >>340
そういう書き方してるけど、本当の意図は違うだろ。
ロシアは同性愛がタブーとされているから、インテリの教養として
こういう変態文学が珍重されてるんだよ。 >>341
残念ながら、三島の小説は露骨な性描写はないんだよ。
同性愛物も三作くらいしかないし。 >>342
いや、別に一通りは知ってるが・・・
ロシア人の日本文学かぶれは異常だし、そんな中であっちのお偉いさんが
最高峰である三島をチョイスする感覚はとてもよくわかる。
佐藤優は「愛国心の分析」とか言ってるが、イデオロギーの分析対象というよりも
ミーハーだよ。そのあたりの区分けがはっきりとしない世界でもある。 >>343
佐藤の論の前後の文脈からすると、三島の憂国やら、そこらへんの作品のようだし、KSBはただのお偉いさんとは違うと思いますよ。
日本より諜報組織は進んでると思いますから。 晩年の三島は作品を出しても売れなくなり、再び名声に浴したいと思ったので
当時流行っていた右翼左翼の運動に目をつけ以前から憧れていた英雄的な割腹自殺をして酔いしれた >>346
そんな古いガセネタ言ってるのは老人だけだよ。 >>347
「鏡子の家」で売り上げが暴落したのは事実だよね。
人気稼業が結婚してしまったのは決定的にマズかったと思う。
昭和三十年代半ばで三島さんは終わってしまった、というのが俺の感想。
詩や文学が、戦前〜昭和二十年代あたりまで存在していたサロン文化から
急速に大衆化して、しかも素人化した。最初はそれに同調し歓迎していたが、
自分が考えるシニカルな軽薄さと、実際の「素人文学」のひどさとの落差が
広がる一方になってしまい、まして貸本劇画みたいな異業種のメディアが
のしてきて、未来を予知できる氏は、もう文学が嫌になっちゃったんだろう。 >>348
その後に書いた「サド侯爵夫人」は最高傑作戯曲と評価されて、「春の雪」の売り上げは良かったと資料にはありますよ。
「鏡子の家」も時代の虚無をいち早く先取りしていたと、現代での評価は高いし、三島由紀夫の才能は小説以外の批評家の面で優れているから、別に最初から文学だけの表現にこだわっていた人じゃないでしょう。
年表見ると、ボディービルも「鏡子の家」執筆前からやってますよ。
あなたのように考えて文学から離れていったのは、石原慎太郎だと思います。 http://love6.2ch.net/test/read.cgi/book/1231588814/1-100
三島の核心についてはアンチ三島スレで。
三島のここがスゴイあれがスゴイの本家三島スレよりよっぽど核心に触れる
内容になってきて、相変わらずのヒステリック三島信者さんも健在で白熱して
いますよ。 東京へ出ました序でに学習院へ立寄り、はじめて焼跡を見てただならぬ感慨がごさいました。
…光にまばゆく立ち働らいてゐる人々が懐しい後輩たちかと映り、近寄つてみると、それが見知らぬ兵隊たちであつた寂しさ。
…中等科の校舎の中には、見知らぬ人々が往来し、事務室もザワザワして、昔のやうに温かく私を迎へてはくれぬやうに思はれました。
「ふるさとは蠅まで人を刺しにけり」それほどでもありませんが、無暗に腹が立つて、何ものへともしれず憤りを抱きながら門を出ました。
ふしぎな私の冷酷。昔、共に学んだ友人たちには、具体的に逢つてどうといふ感激もないのに、ただ会はずにゐると漠たる悲しみと孤独の感じに苛まれるのを如何ともなす術がございません。
平岡公威(三島由紀夫)20歳
昭和20年7月3日、清水文雄への書簡から …新宿駅で私は汚ない作業服とキャハンを穿いた後輩を発見しました。
彼は私が彼の先輩であることもしらず、私を不思議さうに見てゐましたが、その目は学習院の学生によくある澄んだ、のんびりした目付で、口は少しポカンと開いてゐました。
…彼は、そこで我勝ちに下りた乗客たちとは似てもつかない、実にオットリした、少したよりない、少し眠さうな歩き方で、階段の方へゆつくり歩いて行きました。
何故かそれを見ると、私はふと涙がこぼれさうになりました。
ああした人種、ああした歩き方、あれがいつまでこの世に存続して行けるであらうか。
私たちもその一員であつた、閑雅なあまり頭のよくない、努力を知らない、明るい、呑気な、どこともしれず、生活からにじみ出た気品のそなはつた学習院の学生たち、
あの制服、あの挙止、そしてあの歩き方、そのすべてが象徴してゐたある美しいもの、それ自身頽落を予感されてゐたもの(私の十数年の学習院生活はその予感のなかにのみ過ごされました。)が、
今や鶯色の汚れた作業服を刑罰のやうに着せられ、靴は埃にまみれ、トボトボと不安気に歩いてゆくのを見て、私が目頭を熱くしたのも道理でございます。
平岡公威(三島由紀夫)20歳
昭和20年7月3日、清水文雄への書簡から かうした終末感を私は、徒らな感傷や、信念の不足からして感ずるのではございません。
ある漠たる直感、夢想そのもののなかに胚胎する覚醒の危険、凡て夢見るが故に覚めねばならない運命を感ずるのでございます。
現実に立脚した精神がわれわれの夢想の精神より更に弱体なものとみえる今日、われわれの夢想も亦凋落の決心を必要とします。
昼を咲きつづける昼顔の仄かな花弁は、昼の烈しい光のために日々に荒され傷つけられます。何ものも神の夢想に耐へるほど強靭であることは出来ません。
しかし人の夢想の極限に耐へえた人は、その烈しさ極まる目覚めの失墜にも耐へうるであらうと思ひます。
ただ朝をのみ時めいた朝顔とはちがって、あの長い烈しい昼間をよく耐へた昼顔の夢想は、その後に来る長い夜の烈しさにも耐へるでありませう。
私共は今日ほど私共の生の強さと死の強さを感じることはございません。
平岡公威(三島由紀夫)20歳
昭和20年7月3日、清水文雄への書簡から 私共は遺書を書くといふやうな簡単な心境ではなく、私たちの文学の力が、現在の刻々に、(たとへそれが喪失の意味にせよ)、ある強烈な意味を与へつづけることを信じて仕事をしてまゐりたいと思ひます。
その意味が刻みつけられた私共の時間は、永遠に去ってかへりませんが、地上に建てた摩天の記念碑よりも、海底に深く沈めた一枚の碑の方が、何千万年後の人々の目には触れやすいものであることを信じます。
私共が一度持つた時間に与へた文学の意味が、それが過去に組入れられた瞬間から、絶対不可侵の不滅性をもつものであると思はれます。
項日、生じつかな名声は邪魔であるが、真の名声はますます必要であることを感じて来ました。文学作品を本文とするなら、名声はその註釈、脚註に相当します。
本文が死語に化した場合、この難解なロゼッタ・ストーンを解読しうるものは、たえず更新される註釈のみでございませう。
平岡公威(三島由紀夫)20歳
昭和20年7月3日、清水文雄への書簡から …あれより二週間病床に臥り、つい御返事がおくれしままにかくの如き事態となりました。
玉音の放送に感涙を催ほし、わが文学史の伝統護持の使命こそ我らに与へられたる使命なることを確信しました。
気高く、美しく、優美に生き且つ書くことこそ神意であります。
ただ黙して行ずるのみ。今後の重且つ大なる時代のため、御奮闘切に祈上げます。
平岡公威(三島由紀夫)20歳
昭和20年8月16日付、清水文雄への葉書から 『歴史的事実なんだ』三島由紀夫
Q:あの戦争をどう呼ぶのが適切だと思ふか。
三島由紀夫:大東亜戦争でいいぢゃないか。歴史的事実なんだから。
太平洋戦争といふ人もあるが、私はゼッタイとらないね。日本の歴史にとつては大東亜戦争だよ。
戦争の名前くらゐ自分の国がつけたものを使つていいぢゃないか。
Q:あの戦争をどう意味づけてゐるか。
三島由紀夫:あの戦争の評価は、百年たたないとできないね。
いま侵略戦争だつたとかなんとかガチャガチャいつてもどうにもならん。 二・二六における天皇と青年将校というテーマは、ほとんどドストエフスキーの天才に俟たなければ描ききれないであろうというのが、私の以前からの独断であった。
それは何よりも神学の問題であり、正統と異端という古くから魅力と恐怖にみたされた人間信仰の世界にかかわる問題だからである。
端的にいえば、それは日本人の魂の世界における「大審問官」の問題にほかならないからと私は考えている。
橋川文三
「中間者の眼」より 「英霊の声」の作品評を改めてしようとは思わない。
…問題はこれがある巨大な怨念の書であるということである。ある至高の浄福から追放されたものたちの憤怒と怨念がそこにはすさまじいまでにみちあふれている。
幽顕の境界を哀切な姿でよろめくものたちのの叫喚が、おびやかすような低音として、生者としての私たちの耳に迫ってくる。
三島はここでは、それら悪鬼羅刹と化したものたちの魂が憑依するシャーマンの役割をしている。
昔から能楽のもつ妖気の展開様式に熟練している三島は、ここでも巧みにその形式を利用している。
橋川文三
「中間者の眼」より 私は、今でも深夜「二・二六事件」(河野司篇)をひもどくとき、そのとあるページを直視するにたえないが、この作品の鬼気にはそれに通じるものがある。
彼らの方が生きており、お前たちの方がそうではないのだぞと、そのとあるページのデスマスクは不気味な言葉で語りかけてくる。
そういう迫力において、この作品は、あれらの人々の心情をみごとに再現している。
三島はやはりここで、日本人にとっての天皇とは何か、その神威の下で行われた戦争と、その中での死者とは何であったか、
そして、なかんずく、神としての天皇の死の後、現に生存し、繁栄している日本人とは何かを究極にまで問いつめようとしている。
これが一個の憤怒の作品であるということは、それが現代日本文明の批判であるということにほかならない。
橋川文三
「中間者の眼」より あーあ、今回の独立宣言を作るという話は、どうも企画倒れに終わりそうだな。
そう思いながら、新潮学芸賞を受賞した徳岡孝夫さんの「五衰の人―三島由紀夫私記」を読んでいたら、なんと、びったりの文章が出てきた。
四半世紀も前、三島由紀夫が自決したときの「檄」の一部にこういうところがある。
「われわれは戦後の日本が経済的繁栄にうつつを抜かし、国の大本を忘れ、国民精神を失ひ、本を正さずして末に走り、その場しのぎと偽善に陥り、自ら魂の空白状態へ落ち込んでゆくのを見た。
政治は矛盾の糊塗、自己の保身、権力欲、偽善にのみささがられ、国家百年の大計は外国に委ね、敗戦の汚辱は払拭されずにただごまかされ、日本人自ら日本の歴史と伝統を潰してゆくのを歯噛みしながら見てゐなければならなかつた。」
まさに、今の日本そのものじゃないか。まずこの一文を、日本の独立宣言文の冒頭に掲げるところから始めようかと思ったよ。
ビートたけし
「憲法爆破」より 「でも先生は若さがおきらひだ」悠一はさらに断定的にさう言つた。
「美しくない若さはね。若さが美しいといふのはつまらぬ語呂合せだ。
私の若さは醜くかつたんだ。それは君には想像も及ばないことだ。私は生まれ変りたいと思ひつづけて青春時代をすごしたからな」
「僕もです」と悠一がうつむいたままふと言つた。
「それを言つてはいけない。それを言ふと、君はまあいはば禁忌を犯すことになるんだ。
君は決してさう言つてはならない宿命を選んだんだ。…」
三島由紀夫
「禁色」より 柏木の言つたことはおそらく本当だ。世界を変へるのは行為ではなくて認識だと彼は言つた。
そしてぎりぎりまで行為を模倣しようとする認識もあるのだ。私の認識もこの種のものだつた。
そして行為を本当に無効にするのもこの種の認識なのだ。してみると私の永い周到な準備は、ひとえに、行為をしなくてもよいといふ最後の認識のためではなかつたか。
見るがいい、今や行為は私にとつては一種の剰余物にすぎぬ。
それは人生からはみ出し、私の意志からはみ出し、別の冷たい機械のやうに、私の前に在つて始動を待つてゐる。
その行為と私とは、まるで縁もゆかりもないやうだ。ここまでが私であつて、それから先は私ではないのだ。……何故私は敢て私でなくなろうとするのか。
三島由紀夫
「金閣寺」より >>257
脇や脇毛じゃなかったっけ?
仮面の告白より 太宰も三島も女性的な文章を描きたがるね。
彼らの理想はアンドロギュヌスじゃなかろうか? 田部あつみ美人過ぎるわ。
一度でいいからあんな女とやってみたい。
太宰はうらやましい。 確かにあの時代であのルックスは凄いわね。
他の愛人などは、うーん、ビミョー。 私は今まで、あれほど拒否にあふれた顔を見たことがない。
私は自分の顔を、世界から拒まれた顔だと思つてゐる。しかるに有為子の顔は世界を拒んでゐた。
月の光りはその額や目や鼻筋や頬の上を容赦なく流れてゐたが、不動の顔はただその光りに洗はれてゐた。
一寸目を動かし、一寸口を動かせば、彼女が拒もうとしてゐる世界は、それを合図に、そこから雪崩れ込んで来るだらう。
私は息を詰めてそれに見入つた。歴史はそこで中断され、未来へ向つても過去へ向つても、何一つ語りかけない顔。
さういふふしぎな顔を、われわれは、今伐り倒されたばかりの切株の上に見ることがある。
新鮮で、みづみづしい色を帯びてゐても、成長はそこで途絶へ、浴びるべき筈のなかつた風と日光を浴び、
本来自分のものではない世界に突如として曝されたその断面に、美しい木目が描いたふしぎな顔。
ただ拒むために、こちらの世界へさし出されてゐる顔。……
三島由紀夫
「金閣寺」より >>1
三島由紀夫って結構影響受けてる人が多いのだな。 >>370
横顔の写真しか見たことないんだが顔がはっきりわかる写真って何に載ってる?
太宰の愛人は富栄もはっきりした顔立ちで良くないか
三島由紀夫と太宰治の対面のエピソードはたいへ有名ですが、
そのあと太宰が、三島が既にいくつかの作品を文学雑誌に発表していたことを
出席者から知らされていなかったことを不愉快がっていた話はあまり知られていません。
太宰と交流のあった林富士馬の話では、
「事前に作家の三島由紀夫だと言う事を教えてくれていれば、もっと話の仕方があった」
と太宰が大変残念がっていたそうです。 太宰治がもてはやされて、坂口安吾が忘れられるとは、石が浮んで、木の葉が沈むやうなものだ。
坂口安吾は、何もかも洞察してゐた。
底の底まで見透かしてゐたから、明るくて、決してメソメソせず、生活は生活で、立派に狂的だつた。
坂口安吾の文学を読むと、私はいつもトンネルを感じる。なぜだらう。
余計なものがなく、ガランとしてゐて、空つ風が吹きとほつて、しかもそれが一方から一方への
単純な通路であることは明白で、向う側には、夢のやうに明るい丸い遠景の光りが浮かんでゐる。
この人は、未来を怖れもせず、愛しもしなかつた。
未来まで、この人はトンネルのやうな体ごと、スポンと抜けてゐたからだ。
太宰が甘口の酒とすれば、坂口はジンだ。ウォッカだ。
純粋なアルコホル分はこちらのはうにあるのである。
三島由紀夫
「坂口安吾全集 推薦文」より >>378
嫌いと様々な文で表明してるけど、かたや別の評論文や対談では「太宰は天才だ」と言ってますね。
そこらへんはあまり一般には知られてないけど。 総じて私の体験には一種の暗合がはたらき、鏡の廊下のやうに一つの影像は無限の奥までつづいて、
新たに会ふ事物にも過去に見た事物の影がはつきりと射し、かうした相似にみちびかれてしらずしらずに廊下の奥、
底知れね奥の間へ、踏み込んで行くやうな心地がしてゐた。
運命といふものに、われわれは突如としてぶつかるのではない。
のちに死刑になるべき男は、日頃ゆく道筋の電柱や踏切にも、たへず刑架の幻をゑがいて、その幻に親しんでゐる筈だ。
三島由紀夫
「金閣寺」より 太宰も三島も自己の存在に対しての認識が強い人間で
太宰は自己嫌悪が正義みたいに捕らえてた所がある
三島はそれを見て反面教師的に学んだ事が多かったんだろう
人間失格と仮面の告白は自己解剖の小説としてそっくり
そこから太宰は破滅の道を選び、三島は認識との格闘を選んだ
三島は格闘の末のあの最後だったわけだけど
次に三島を反面教師的に見つめる生き方は想像できない
認識を捨て行動を選んだ次の一手は凡人(傍観者)に戻る事だろうか
太宰治氏「斜陽」第三回も感銘深く読みました。
滅亡の抒事詩に近く、見事な芸術的完成が予見されます。しかしまだ予見されるにとどまつてをります。
完成の一歩手前で崩れてしまひさうな太宰氏一流の妙な不安がまだこびりついてゐます。
三島由紀夫
昭和22年10月8日付、川端康成への書簡から 初等科一年の時、休み時間になると、半ズボン姿の我々は、籠から放たれた小鳥の様に夢中で騒ぎ回った。
…そういう餓鬼どもの中で、三島は「フクロウ、貴方は森の女王です」という作文を書いた。
彼は意識が始まった時から、すでに恐ろしい孤独の中に否応なしに閉じこもり、覚めていた。
…彼は幼時、友達に、自分の生まれた日のことを覚えていると語った。
彼はそのことを確信していた。
そしておそらく、外にもその記憶をもつ人が何人かあると素直に考えていたのであろう。
三谷信
「級友 三島由紀夫」より 初等科に入って間もない頃、つまり新しく友人になった者同士が互いにまだ珍しかった頃、ある級友が
「平岡さんは自分の産まれた時のことを覚えているんだって!」と告げた。
その友人と私が驚き合っているとは知らずに、彼が横を走り抜けた。
春陽をあびて駆け抜けた小柄な彼の後ろ姿を覚えている。
あの時も、すでに彼はそれなりに成熟していたのであろう。彼と周囲との断絶、これは象徴的であり、悲劇的である。
三島は生涯の始めから、終始悲劇的に完成した孤独の日々を送ったと思う。
三谷信
「級友 三島由紀夫」より 神秘が一度心に抱かれると、われわれは、人間界の、人間精神の外れの外れまで、一息に歩いて来てしまふ。
そこの景観は独自なもので、すべての人間的なものは自分の背後に、遠い都会の眺めのやうに
一纏めの結晶にかがやいて見え、一方、自分の前には、目のくらむやうな空無が屹立してゐる。
…僕は画家だから、その地点を、魂などとは呼ばず、人間の縁と呼んでゐた。
もし魂といふものがあるなら、霊魂が存在するなら、それは人間の内部に奥深くひそむものではなくて、
人間の外部へ延ばした触手の先端、人間の一等外側の縁でなければならない。
その輪郭、その外縁をはみ出したら、もはや人間ではなくなるやうな、ぎりぎりの縁でなければならない。
三島由紀夫
「鏡子の家」より …僕はありありと目に見える外界へ進んで行つた。その道をまつすぐ歩いてゆく。
すると当然のやうに、僕は神秘にぶつかつた。
外部へ外部へと歩いて行つて、いつのまにか、僕は人間の縁のところまで来てゐたのだ。
神秘家と知性の人とが、ここで背中合せになる。知性の人は、ここまで歩いてきて、急に人間界のはうへ振向く。
すると彼の目には人間界のすべてが小さな模型のやうに、解釈しやすい数式のやうに見える。
……しかし神秘家はここで決定的に人間界へ背を向けてしまひ、世界の解釈を放棄し、その言葉は
すみずみまでおどろな謎に充たされてしまふ。
三島由紀夫
「鏡子の家」より でも今になつてよく考へると、僕は結局、知性の人でもなく、神秘家でもなく、やはり画家だつたのだと思ふ。
過度の明晰も、暗い謎も、どちらも僕のものではなかつた。
人間の縁のところまで来たとき、僕は人間界へ背を向けることもできず、又人間界へ皮肉な冷たい親和の微笑を以て
振返つて君臨することもできず、ひたすら世界喪失の感情のなかに、浮び漂つてゐたのだと思ふ。
…するとそこには、同じ死と闇のなかに、世界喪失の感情に打ち砕かれて、漂つてゐる多くの若者たちの顔が見えた。
ここまで歩いてきたのは僕一人ではなかつた。
そのなかには血みどろな死顔も見え、傷ついた顔も、必死に目をみひらいてゐる顔も見えた。……
三島由紀夫
「鏡子の家」より 花は実に清冽な姿をしてゐた。
一点のけがれもなく、花弁の一枚一枚が今生まれたやうに匂ひやかで、今まで蕾の中に固く畳まれてゐたあとは、
旭をうけて微妙な起伏する線を、花弁のおもてに正確にゑがいてゐた。
…僕は飽かず水仙の花を眺めつづけた。花は徐々に僕の心に沁み渡り、そのみじんもあいまいなところのない形態は、
弦楽器の弾奏のやうに心に響き渡つた。
…すべて虚無に属する物事は、ああも思はれかうも思はれるといふ、心象のたよりなさによつて世界が動揺する、
その只中に現はれるものではないだらうか。
僕の目が水仙を見、これが疑ひもなく一茎の水仙であり、見る僕と見られる水仙とが、堅固な一つの世界に
属してゐると感じられる、これこそ現実の特徴ではないだらうか。
するとこの水仙の花は、正しく現実の花なのではないか。
三島由紀夫
「鏡子の家」より ……僕にはその花が急に生きてゐるやうに感じられた。
それはただの物象でもなく、ただの形態でもなかつた。
…もしこの水仙の花が現実の花でなかつたら、僕がそもそもかうして存在して呼吸してゐる筈はないと考へられた。
…僕は君に哲学を語つてゐるのでもなければ、譬へ話を語つてゐるのではない。
世間の人は、現実とは卓上電話だの電光ニュースだの月給袋だの、さもなければ目にも見えない遠い国々で
展開されてゐる民族運動だの、政界の角逐だの、……さういふものばかりから成り立つてゐると考へがちだ。
しかし画家の僕はその朝から、新調の現実を創り出し、いはば現実を再編成したのだ。
われわれの住むこの世界の現実を、大本のところで支配してゐるのは、他でもないこの一茎の水仙なのだ。
三島由紀夫
「鏡子の家」より この白い傷つきやすい、霊魂そのもののやうに精神的に裸体の花、固いすつきりした緑の葉に守られて
身を正してゐる清冽な早春の花、これがすべての現実の中心であり、いはば現実の核だといふことに僕は気づいた。
世界はこの花のまはりにまはつてをり、人間の集団や人間の都市はこの花のまはりに、規則正しく配列されてゐる。
世界の果てで起るどんな現象も、この花弁のかすかな戦(そよ)ぎから起り、波及して、やがて還つて来て、
この花蕊にひつそりと再び静まるのだ。
三島由紀夫
「鏡子の家」より アメリカの大神殿というべきWTCに旅客機が突っこみ、赤い炎に包まれながら超高層ビルが崩れ落ちていった日、
あの9・11を忘れる人はどこにもいないだろう。
もう一つ、同じような分岐点がある。
作家・三島由紀夫が割腹自殺したとき、自分がどこで何をしていたか、たちどころに思いだせるはずだ。
…一九七〇年、長距離バスでイランの砂漠をよぎっていたときのことだ。
まわりの乗客たちはモスリムの人々ばかりだった。
…モスリムは一日に五回の礼拝を欠かさない。その時間がやってくると、屋根を踏みならす音が響いてくる。
…運転手がしぶしぶエンジンを止めると、乗客たちは屋根や窓から飛びだし、いっせいに砂漠へ走っていく。
そして四つん這いになり、焼けついた砂に額を押しつけながらアッラーの神に祈る。
車内に残っているのは、運転手と、ぼくと、イギリス人だけだった。礼拝が延々とつづいているとき、
「ユキオ・ミシマのハラキリについてどう思うか?」唐突に、若いイギリス人が語りかけてきた。
宮内勝典
「混成化する世界へ」より ぼくはしばらく考えてから答えた。
「ああ、映画の話だろう」
「いや、ほんとうにハラキリしたんだよ」と読みかけのNewsweekを差しだしてきた。
…窓の外ではモスリムの人々が真昼の砂漠にひれ伏しながらアッラーの神に祈っている。
そして、ふるさとの日本では「天皇陛下万歳!」と叫びつつ、三島由紀夫が切腹したのだという。茫然となった。
…アフガニスタン、パキスタンを過ぎてインドに入り、カルカッタの日本領事館の新聞でついに確かめることができた。
切断された首が床に据えられていた。
金とセックスと食い物しかない日本で、一つの精神がらんらんと燃える虎のような眼でこちらを見すえていた。
宮内勝典
「混成化する世界へ」より それから二十数年が過ぎて、かれが切腹した市ヶ谷駐屯地の総監室を訪ねることができた。
…三島由紀夫が日本刀をふりおろしたときの刀傷が、飴色のドアの上に残っていた。
…モスリムの人々が礼拝する砂漠で三島由紀夫の自決を知ったのだが、偶然とはいえ、イスラム原理主義者たちと、
かれの思想には、通低するものがあると思われてならない。
…アッラーの神のような超越性のない日本で、かれは天皇に固執した。文化を防衛しようとした。
むろん肯定できないが、三島由紀夫の文学そのものをぼくは畏敬している。
恥ずかしいがあえて洩らせば、十代の頃、かれの文章をノートに筆写していた。
…紙数が尽きたから結語を述べよう。ぼくもまた西欧近代に追随したくはない。
だがそれを拒むナショナリストにもなりたくない。ぼくは混成化していく世界を生きたいと思う。
宮内勝典
「混成化する世界へ」より 大宰って過食症だったんだろ?
朝から
味噌汁七杯って凄いな。
――きけばきくほど、十八歳の、夢みがちな、しかもまだ自分の美しさをそれと知らない、
指さきにまだ稚なさの残つたピアノの音である。
私はそのおさらひがいつまでもつゞけられることをねがつた。
願事は叶へられた。
私の心の中にこのピアノの音はそれから五年後の今日までつゞいたのである。
何度私はそれを錯覚だと信じようとしたことか。
何度私の理性がこの錯覚を嘲つたことか。何度私の弱さが私の自己欺瞞を笑つたことか。
それにもかかはらず、ピアノの音は私を支配し、もし宿命といふ言葉から厭味な持味が省かれうるとすれば、
この音は正しく私にとつて宿命的なものとなつた。
三島由紀夫
「仮面の告白」より 二人とも鴎外が好きだった。
二人とも仮面(道化)に拘っていた。 なにここ
三島の話しばっかじゃん
太宰様の話ししろよばーか なぜ露出した腸が凄惨なのだらう。
何故人間の内側を見て、悚然として、目を覆つたりしなければならないのであらう。
何故血の流出が、人に衝撃を与へるのだらう。何故人間の内臓が醜いのだらう。
……それはつやつやした若々しい皮膚の美しさと、全く同質のものではないか。
……私が自分の醜さを無に化するやうなかういふ考へ方を、鶴川から教はつたと云つたら、
彼はどんな顔をするだらうか?
内側と外側、たとへば人間を薔薇の花のやうに内も外もないものとして眺めること、
この考へがどうして非人間的に見えてくるのであらうか?
もし人間がその精神の内側と肉体の内側を、薔薇の花弁のやうに、しなやかに飜へし、
捲き返して、日光や五月の微風にさらすことができたとしたら……
三島由紀夫
「金閣寺」より …池田浩平や吉田満といった同世代の死者のなかにとらえるとき、戦後作家としての彼(三島)の仮面――
『仮面の告白』についての作家自身の注釈でいえば「肉づきの仮面」――の背後に隠されていた素顔が浮かびあがる。
戦後作家としての無数の華麗な「仮面」。
神学者の大木英夫は、三島由紀夫は、その文学は仮面をかぶることによって、「神学問題で灼けただれている
現実にも耐える」と正確に指摘した。
《そして死を避ける。しかし、彼の文学は、かえってその仮面が割れて、素顔が出て、神学問題に直面するところがある。
そして死が避けられなくなる。
さまざまな奇行と試行の紆余曲折を経て、ついに市ヶ谷への突貫となるのである》(「三島由紀夫における神の死の神学」)
富岡幸一郎
「仮面の神学」より 『仮面の告白』が、『花ざかりの森』と彼の十代の青春の住処がであった「死の領域」への遺書であり、
まさに「死を避ける」ための人工の文学的仮面であったとすれば、最晩年に書かれたエッセイ『太陽と鉄』は、
「その仮面が割れて」いくところを詳細に辿ってみせた自己告白の書であった。
これまで何度も論じてきたように、そこに三島における「神学問題」が、すなわちあの「神の死」の問題が
露われているのはいうまでもない。
おそらく、日本における神学問題を最もラディカルに現実の光のなかに引きずり出したのが三島由紀夫である。
多くの宗教学者が決して見ようとしなかったものを、語りえなかった根底的な「神」の問題を、
三島は自らの生と文学と、そしてあの苛烈な死によって語ってみせた。
いや、「神学問題に直面」したとき、「死が避けられなく」なった。
富岡幸一郎
「仮面の神学」より
われわれが太陽を直視しようと懸命にこころみ、まぶしさのあまり目がくらんで顔をそむけると、目の前に、
いわばその治療剤として、色のついた暗い斑点が浮かび上がるものである。
ちょうどそれと正反対の現象として、ソフォクレスの主人公の光像現象、別のことばでいえば仮面というアポロ的現象は、
自然の内奥にある恐るべきものを見たまなざしの必然的な産物であり、いわば凄惨な夜闇に傷ついた目を
癒やすための光る斑点なのである。
フリードリヒ・ニーチェ
「悲劇の誕生」より
少年のころ、一度、太陽と睨めつこをしようとしたことがある。
見るか見ぬかの一瞬のうちの変化だが、はじめそれは灼熱した赤い玉だつた。
それが渦巻きはじめた。ぴたりと静まつた。
するとそれは蒼黒い、平べつたい、冷たい鉄の円盤になつた。
彼は太陽の本質を見たと思つた。……しばらくはゐたるところに、太陽の白い残影を見た。
叢にも。木立のかげにも。目を移す青空のどの一隅にも。
それは正義だつた。眩しくてとても正視できないもの。
そして、目に一度宿つたのちは、そこかしこに見える光りの斑は、正義の残影だつた。
三島由紀夫
「剣」より 天才とは人間より神に近い存在。ゆえに凡人(人間)失格。 鞘を払つて、小刀の刃を舐めてみる。
刃はたちまち曇り、舌には明確な冷たさの果てに、遠い甘味が感じられた。
甘みはこの薄い鋼の奥から、到達できない鋼の実質から、かすかに照り映えてくるやうに舌に伝はつた。
こんな明確な形、こんなに深い海の藍に似た鉄の光沢、……それが唾液と共にいつまでも
舌先にまつわる清冽な甘みを持つてゐる。
やがてその甘みも遠ざかる。私の肉が、いつかこの甘みの迸りに酔ふ日のことを、私は愉しく考へた。
死の空は明るくて、生の空と同じやうに思はれた。そして私は暗い考へを忘れた。
この世には苦痛は存在しないのだ。
三島由紀夫
「金閣寺」より 「・・・・私の方から三島さんの体を強く抱きしめ、その首筋に、激しいキスを
しゃぶりつくようにしたのだった。三島さんは、身悶えし、小さな声で、わたしの
耳元にささやいた。
「ぼく、、、幸せ、、」
歓びに濡れそぼった、甘え切った優しい声だった。・・・」
『三島由紀夫、剣と寒紅』80頁
未だにその妄想を混ぜた創作本をすべて鵜呑みにしてるのは、あんたみたいな半可通ネットサーファーだけだよ。
その記述の先のほうで、
初めて私が意識を取り戻しとき…三島さんは…云々
みたいな文章で、その意識のないはずのところまで、はっきり大袈裟に描写してるから、
論理的に矛盾してて、明らかに空想、創作、妄想で作られたものだと、指摘されてるし、他にも虚偽が何ヵ所もあるから。
そんなだから、三島に作家として推薦してもらえなかったんでしょうよ。
福島が三島のストーカーだったことも、出版社内では知られた話。 福島次郎の名前がでたら三島美化がうまくいかないもんね
三島信者にとってはどうしても福島次郎の証言は全面否定しないと
三島の偶像化がうまくいかない。これは困ったねw
「論理的に」考えて三島と福島が同性愛関係にあったことは明らかだね。
ハイ、三島の偶像化失敗(笑)(´∀`)_┳※・・・・・・・・・・・・・バキュン 福島次郎は出版差し止めになったけどその判決はなにも内容の虚偽によってではないんだよw
つまり、内容はすべて真実で、でも平岡夫人がなんとか出版差し止めに追い込みたかった
から三島の書簡の無断使用ってことで訴えたわけ
裁判官も人道的な判決を下したんだね。
同性愛が公開されたらいくらなんでも遺族は可哀想だってねw 内容に虚偽があっても、フィクション、なかば小説仕立てとして書いているから、そんなものが争点になるわけないし、
裁判所も内容が虚偽じゃないなんて認定してないよ。
あらゆる三島関連本には虚偽や噂、死人に口無しレベルがいっぱいあるし、そんなものいちいち裁判所が確認や証明できないしね。
争点はあくまで、書簡の無断転載と著作権侵害だから。
それから、福島本が出たときすでに夫人は故人ですよ。
よく知りもしないでてきとうな妄想バカ丸出し(笑)
ちなみに、三島のお見合いの時系列には、客観的に明らかな虚偽があったよ。
そういうのも込みで遺族側が勝利したんだろうね。
残念でしたね。 三島信者による三島の英雄化大失敗(笑)
(´∀`)_┳※・・・・・・バキュン (。´Д⊂) ウワァァァン!<内容の虚偽があっても云々
↑ >>407
( ´∀`)ゲラゲラ
>>267
> 大蔵省同期の長岡寛
のちに大蔵事務次官、JT社長、東証理事長などを歴任した長岡實さんのことですね。 三島:…作家がピエロというのは前提条件で、どこからどこまでピエロなんだから、自分でピエロだといったら
ピエロでなくなっちゃう。
つまりピエロが出てきて、私はピエロですピエロですといったら絶対ピエロでなくなっちゃう。
メドラノの曲馬、あれは悲しそうだからいいので、私はクラウンですよといったらクラウンでなくなる。
日本の私小説というのはどうもそういう感じがする。
もし演技に全精力をこめるのなら、大まじめで大悲しみでやるべきで、そのかわり自分はクラウンだということは
一言もいわないでやるべきだと思う。
太宰がいちばん嫌いなのはそこです。太宰は、私はクラウンですよと絶えずいっていた。
だからおもしろくもおかしくもないし、そんな当たりまえなことをいうなと言いたくなる。
三島由紀夫
中村光夫との対談「人間と文学」より 中村:太宰はともかくとして、日本の私小説は大まじめで、大いに悲劇的な表情で喜劇的なことをやってたんじゃないの。
三島:自分が気がつかないでね。自分が気がつかないというのはクラウンとはちがう。
クラウンは全部知っている。そして一生懸命やる。人は大笑い。それが芸術家だと思う。
日本の小説家は自分がクラウンだということを知らない。
そして私はクラウンですよというのだけれど、腹の底でそう思っているかどうかはわかりません。
もし自分はクラウンだといえば、どこかの女が、冗談おっしゃってはいけません。クラウンじゃありませんよと……。
中村:必ず言ってくれると思っている。
三島:あれは耐えられない臭味だな。
中村:とくに太宰はね。
三島由紀夫
中村光夫との対談「人間と文学」より ↑貼った奴は三島を褒めたいのか貶したいのかどっちだ?だから信者はカスなんだよ。 >>421
貶しだと感じるあなたの認識がおかしいだけの話。三島は本物の芸術家であり、世の批判者ってことだよ。 私には三島由紀夫が、自分がロボットだと気付いてしまったロボットのように思えてしまう時がある。
自分の内部構造、背負わされた宿命、世界の実相……、その仕組みを、それを創造した者と同じくらい
完全に理解できる能力を持っていた三島由紀夫は、結局、自分が何者であるかを知ってしまった。
三島由紀夫は自分が【人間】であることを理解してしまったのだ。
精神の奇跡待望の不可避とその不可能の自覚という性質。
告白は不可能であり、真の自己は規定し得ないということ。
人間は自由意志を持ってはいないということ。見えない誰かに何かを強いられて生きているということ。
人間であるということそれ自体がひとつの罠にかかってしまっているということ。
そして、自分が誰からも理解されてはいないということ……。
三上秀人
「三島由紀夫の遺言 観世音」より 鳩山由紀夫は三島の名前と関係していましたか?
名前の交換、友情な証のような事で。
誰か教えて下さい 延々とコピペする奴気持ち悪い。
昔のオウムの宣伝みたい。 >>424
鳩山由紀夫の父親と三島由紀夫が、お互い子供に相手の名前を付けたという噂があるようですが、
時系列や接点のあやふやなことから、真偽の不明な眉唾な話だと言う人もいるようです。 448 さん ありがとうございます
やはり自分も同じ記憶の内容でした 三島信者が延々コピペするのってウヨサヨのコピペを見るようで痛すぎる。
恥ずかしくないんか? 三島は悟達に至ろうと思って悟達に至ったわけではない。
セキュリティー・システムを打破するはずのハッカーが、逆にセキュリティー・システムに詳しくなるように、
犯罪を犯すはずの犯罪者が、逆に刑法に詳しくなるように、あまりにも夢想的であったために、
逆に真実に目覚めてしまったのだ。
そして三島はその欣求の欠如ゆえ完全なる悟りには至っていなかった。いや、至ろうとしなかった。
三上秀人
「三島由紀夫の遺言 観世音」より 僕らは嘗て在つたもの凡てを肯定する。そこに僕らの革命がはじまるのだ。
僕らの肯定は諦観ではない。僕らの肯定には残酷さがある。
――僕らの数へ切れない喪失が正当を主張するなら、嘗ての凡ゆる獲得も亦正当である筈だ。
なぜなら歴史に於ける蓋然性の正義の主張は歴史の必然性の範疇をのがれることができないから。
僕らはもう過渡期といふ言葉を信じない。
一体その過渡期をよぎつてどこの彼岸へ僕らは達するといふのか。僕らは止められてゐる。
僕らの刻々の態度決定はもはや単なる模索ではない。
時空の凡ゆる制約が、僕らの目には可能性の仮装としかみえない。
僕らの形成の全条件、僕らをがんじがらめにしてゐる凡ての歴史的条件、――そこに僕らはたえず僕らを
無窮の星空へ放逐しようとする矛盾せる熱情を読むのである。
決定されてゐるが故に僕らの可能性は無限であり、止められてゐるが故に僕らの飛翔は永遠である。
三島由紀夫
「わが世代の革命」より 「葉隠」の恋愛は忍恋(しのぶこひ)の一語に尽き、打ちあけた恋はすでに恋のたけが低く、もしほんたうの
恋であるならば、一生打ちあけない恋が、もつともたけの高い恋であると断言してゐる。
アメリカふうな恋愛技術では、恋は打ちあけ、要求し、獲得するものである。
恋愛のエネルギーはけつして内にたわめられることがなく、外へ外へと向かつて発散する。
しかし、恋愛のボルテージは、発散したとたんに滅殺されるといふ逆説的な構造をもつてゐる。
現代の若い人たちは、恋愛の機会も、性愛の機会も、かつての時代とは比べものにならぬほど豊富に恵まれてゐる。
しかし、同時に現代の若い人たちの心の中にひそむのは恋愛といふものの死である。
もし、心の中に生まれた恋愛が一直線に進み、獲得され、その瞬間に死ぬといふ経過を何度もくり返してゐると、
現代独特の恋愛不感症と情熱の死が起こることは目にみえてゐる。
若い人たちがいちばん恋愛の問題について矛盾に苦しんでゐるのは、この点であるといつていい。
三島由紀夫
「葉隠入門」より かつて、戦前の青年たちは器用に恋愛と肉欲を分けて暮らしてゐた。大学にはいると先輩が女郎屋へ連れて行つて
肉欲の満足を教へ、一方では自分の愛する女性には、手さえふれることをはばかつた。
そのやうな形で近代日本の恋愛は、一方では売淫行為の犠牲のうえに成り立ちながら、一方では古い
ピューリタニカルな恋愛伝統を保持してゐたのである。
しかし、いつたん恋愛の見地に立つと、男性にとつては別の場所に肉欲の満足の犠牲の対象がなければならない。
それなしには真の恋愛はつくり出せないといふのが、男の悲劇的な生理構造である。
「葉隠」が考へてゐる恋愛は、そのやうななかば近代化された、使ひ分けのきく、要領のいい、融通のきく
恋愛の保全策ではなかつた。そこにはいつも死が裏づけとなつてゐた。
恋のためには死ななければならず、死が恋の緊張と純粋度を高めるといふ考へが「葉隠」の説いてゐる理想的な恋愛である。
三島由紀夫
「葉隠入門」より Q――泣かれたことがありますか?
三島:昭和二十年に妹が死んだとき以来泣いたことはない。泣くほど感動的な事件がないからね。
Q――サービス精神についてどう考へられますか。
三島:わたしはやりたいことをやつてゐるだけの話で、サービス精神だなんて考へたこともない。
他人にサービスするといふのは人生のムダですよ。ですから、わたしは、いつも、まじめな気持で
いろいろなことをやるわけです。しかし、実際には、それがピエロにみえる。
自分がピエロだと自覚して、他人にサービスするといふのは、もう古いので、ピエロはピエロであるといふ
自意識をすて、ひたすらまじめに行為をするべきなのです。まじめであればあるほど、ピエロはいきてくる。
だから、わたしがピエロにみえるのは当然。ピエロになるのがいやなら文士などにならなきやいい。
「美を探究する非情な天才――三島由紀夫さんの魅力の周辺」より Q――人間の最高の徳目とは、なんでせう?
三島:義でせう。義は人間の本性からでたものではないだけに、最高の徳目になるのです。
情感、情念を滅ぼして、人間は義に生きねばならないときがある。義に生きなければ千載に悔いを残します。
しかし、義ほどつかまへにくいものはない。客観的につかまへられないがゆゑに、義であるかどうか
判断することがむづかしい。たとへば、二・二六事件が義であつたかどうか、いまでもわからない。
義はいつくるかわからない。しかし、もし、つかまへそこなふと、人間としてダメになる。
「美を探究する非情な天才――三島由紀夫さんの魅力の周辺」より
…天皇の本質というものが誤られてしまった。だから石原さんみたいな、つまり非常に無垢ではあるけれども、
天皇制廃止論者をつくっちゃった。
三島由紀夫
石原慎太郎との対談「守るべきものの価値」より 三島って太宰が神経薄弱かなんかになってるのを
あの類の悩みは運動でなおるレベルのものとかいって
厨ニ扱いしてなかったけ。
>>439
>>322の内容のことですね。三島自身の自戒の念も含んでいるんでしょう。 日本に於いて今さら昨日の軍閥官僚を罵倒してみたつて、それはもう自由思想ではない。それこそ真空管の中の鳩である。
真の勇気ある自由思想家なら、今こそ何を措いても叫ばねばならないことがある。天皇陛下万歳!この叫びだ。
太宰治「十五年」より 太宰は精神病、三島は自閉症だと思う。
脳は健常だが心が病気の太宰は、コミュ能力あるのに頑張ることができない
脳に欠陥はあるが心が元気な三島は、なんとか頑張る元気がある
だから三島にとっては、自分よりマシなはずの太宰が、わざと頑張ってないかのように見えて、いちいち腹が立つのだと思う。 >>5
なんもわかってねえなw
三島の切腹の真相を。
笑っちゃうぜ
>>443
自閉症は山下清のような特殊能力型では?
三島由紀夫には病理的な脳の欠陥はないよ。映画の撮影で頭に大怪我した際、脳の精密検査で異常無しになってるし、
雑誌の企画の精神心理テストでも病理的な診断はない。
でも作品からみると、性格的には精神分裂気質の傾向がややありそう。集中力も半端ない感じがします。
太宰治はうつ病気質か神経症傾向では?
>>468
三島由紀夫は163センチ。 山下清はカナータイプの自閉症、三島がそうではないかと思ったのは、それではなくてアスペルガー。
過集中もその特徴のひとつ。
権威や規範にがんこアスペルガーの特徴と言われている。
当時アスペルガーという自閉の分類は無かった。
これを精神病と誤解して悩む余り、本当に精神病になる人は少なくない。 新聞や週刊誌の中には、しごく単純に三島を異常性格者ときめつけ、最初から彼が自分の文学の主要テーマとして
選び貫いた同性愛をも風俗の眼で眺めたあげく、ホモだオカマだと立ち騒ぐ向きまであるのには一驚した。
死んだのは流行歌手でも映画スターでもない、戦後にもっとも豊かな、香り高い果実をもたらした作家である。
彼の内部に眼玉ばかり大きい腺病質の少年が棲み、あとからその従者として筋肉逞しい兵士が寄り添ったとしても、
それをただ劣等感の裏返しぐらいのことで片づけてしまえる粗雑な神経と浅薄な思考が、こうも幅を利かす時代なのか。
中井英夫
三島由紀夫についてのコメント 事件の翌日から、あらゆるメディアはあなたの行動を醜聞として描くことに情熱を傾けることになりました。
…TVでは「右翼評論家」なる人物が高説を垂れ、政治家たちは狂気の沙汰だとあなたを批判していました。
日本共産党はファシズムに対する警戒を説き、新左翼の学生たちは唖然として言葉を喪失していたように思えます。
わたしにはそうした政治的発言のいっさいが愚劣に思えていました。わたしは書店に行って、そのとき第三巻まで
刊行されていた『豊饒の海』の連作を買い求め、十日間ほどで一気に読み終わりました。しばらくして最終巻の
『天人五衰』が刊行されると、これも勢いに任せて読破しました。(中略)
わたしはここに仕掛けられた巨大なアイロニーに眼が眩む気持ちを抱きました。と同時に、自分の死後に遺された
者たちはすべからくこのアイロニーを生きるべしという、あなたの呪いめいた遺言に、さて、その呪いを
どのように受け取り、自分の文脈のなかで理解してゆくことにしようかと、呆然たる気持ちを抱いていました。
四方田犬彦
「時間に楔を打ち込んだ男」より 今から考えてみると、「豊饒の海」が最後に突入していったのは、物事のすべてが「存在の耐えられない軽さ」を生き、
ノスタルジア(懐旧)とパスティッシュ(模倣)の原理のもとに操作されてゆく、ポストモダンの薄明のこと
だったような気がしています。わたしが大学生活を送った一九七〇年代は、十年間を通して、あなたの名前が
忌避され、排除されてきた時代でした。大学院の研究室でも、同級生どうしの会合でも、あなたの死のみならず、
その作品について言及することは場違いであり、できればあなたのような文学者が戦後日本に存在して
いなかったかのように振舞うのが、暗黙の了解であるような日々が続いていました。日本のポストモダン社会は、
三島由紀夫の不在によって、安心して自己実現を達成したのです。七〇年代と八〇年代を代表するイデオローグであった
山口昌男と蓮見重彦を考えてみたとき、それは明らかとなるでしょう。
四方田犬彦
「時間に楔を打ち込んだ男」より 山口はあなたが悲劇的なもの、崇高なものに魅惑されていたのとは対照的に、それらから意図的に距離を置き、
喜劇的なもの、道化的なものに焦点を当てました。そしてすべての知識が位階制度を超えて並置される地平を、
ユートピア的に実現しようと企てました。
一方の蓮見は、あなたと同じ学習院に学び、皇族と人脈的な関係をもつことにきわめて野心的な人物でしたが、
一貫してあなたを嫌っていることを公言していました。もっとも事物の表層を好むというニーチェ伝来の哲学を
喧伝するという点で、彼はあなたの屈折した後継者であったといえなくもありません。
あなたの全集が再び編集され、刊行されていなかった日記や書簡が公にされたり、…あなたの行動の全体が
次の世代によって再検討の対象となるようになったのは、二〇〇〇年代に入り、先の二人の知的扇動家の影響が
消え去ったことと、軌を一にしているのは、けっして偶然ではありません。
四方田犬彦
「時間に楔を打ち込んだ男」より (中略)三島さん、裕仁はあなたよりも十八年と二ヶ月ほど生き延びて、一九八九年に身罷りました。
彼が支配していた昭和という時代は、六十四年をもって終了しました。けれどもすでにそれ以前から、誰もがもはや
(公文書ででもないかぎり)昭和という年号などもはや存在していなくなったかのように振る舞っていました。
なるほど昭和も三十年代、四十年代までは、それなりに口にされると実感めいたものが浮かび上がってきました。
けれども昭和五十年代というのは、たとえその表現に過ちがないとしても、もはやいかなるイメージをも人々に
喚起しなくなっていました。ましてや短かった昭和六十年代など、そう書き記してみたところで、どのような
イメージも浮きあがってくるわけではありません。それは一九七〇年代、一九八〇年代という表現がいかにも
人口に膾炙しているのと、好対照です。わたしは、こうした年号の喚起力の衰退の原因のひとつは、三島さん、
あなたの割腹自殺にあったのではないかと睨んでいます。あなたは生命を賭けることで、裕仁の時間支配に
修復しようのない楔を打ち込もうとしたのではないでしょうか。
四方田犬彦
「時間に楔を打ち込んだ男」より わたしには、一九七〇年十一月二十五日にあなたが日本人の一人ひとりに死を送り届けることで、これまで
暗黙のうちに日本を支配していた時間の神学的秩序に、凶悪にして不吉な楔を打ち込んだような気がしてなりません。
思い出してみれば、わたしの世代は機会あるたびに、あなたが割腹をしてもう何年が経過したとか、何十年が
経過したと口にしながら、時間をやり過ごしてきたのです。死の御降臨。死の分節。
あなたによって考案された禍々しい暦が、日本の時間秩序を攪乱し、神聖なる時間の起源を禍々しい紛い物へと
摩り替えてしまうことを可能にしたのだと、わたしは考えています。
(中略)親愛なる三島さん、わたしたちはいまだにあなたの影のもとに生きています。もしあなたが今生きて
いらしたとしたら、このような年少者たちを前に、また高笑いをされるかもしれません。その姿が目に浮かびます。
四方田犬彦
「時間に楔を打ち込んだ男」より 「ばけつの話」
僕はばけつである。
僕は大ていの日は坊ちやんやお嬢さんがきて遊ばして呉れるが、雨の日などは大へん苦しい。
ほら、この通り、大部分ははげてゐる。
又雪の日なんかは、ずいぶん気もちがいい。
あのはふはふしたのが僕のあたまへのつかると何ともいへない。
それから僕が植木鉢のそばへおかれた時、あの時位いやな事はなかつた。
となりの植木鉢がやれお前はいやな形だの、又水をくむ外には何ににも使へないだのと云つた。
あそこをどかされた時は、ほんとにホッとした。ではわたしの話はこれでをはりにする。
平岡公威(三島由紀夫)
9歳の作文 「夕ぐれ」
鴉が向うの方へとんで行く。
まるで火のやうなお日様が西の方にある丸いお山の下に沈んで行く。
――夕やけ、小やけ、ああした天気になあれ――
と歌をうたひながら、子供たちがお手々をつないで家へかへる。
おとうふ屋のラッパが――ピーポー。ピーポー ――とお山中にひびきわたる。
町役場のとなりの製紙工場のえんとつからかすかに煙がでてゐる。
これからお家へかへつて皆で、たのしくゆめのお国へいつてこよう。
平岡公威(三島由紀夫)
9歳の作文 「松の芽生」
これはまだ僕が大森へ泊りに行かないまへの話です。
或る日お庭へ出て箱庭をなんの気なしに見たら、小さなざつ草を見つけたので、かはいい草だと思つて、掘つて
おばあさまにお見せしたら、「あゝこれは松の芽生ですよ」とおつしやつたので、僕は拾ひ物でもしたやうに
有頂天になつて、急いで、又元のところへ植ゑました。そしてもつと有りはしないかと方々をさがしますと、
その箱庭のすみの方にと、それから小さい箱庭とにありました。それから毎日たんねんに水をやつたのです。
そのうちに僕は大森へ行つて今朝かへつて来ました。
平岡公威(三島由紀夫)
年月未詳(推定は9歳)の作文 不道徳教育講座が面白い。
三島は小説なんかよりこういうのの方がずっといい。
潮騒と女神は例外だったけど。 >>490-491
そんじゃ若きサムライのためにはどうなんですかね。 若きサムライ、レター教室は一番読みやすくておすすめだよ。 石原慎太郎、寺山修司、野坂他との対談集がすごく興味深かった。
あの時代の人って、真面目で、大人で頭、いい、、、
あれで30代、40最初とか、、 三島:まあ、私も喜劇の部類で残念ですけれども、悲劇にはなりそうもない。
石川:いや、三島君はまだなんとも言えない。喜劇とも悲劇とも、なんとも言えない。
三島:そうかといって、太宰みたいに、私は喜劇ですよ、私はピエロですよというのは、
とっても許せないんですよ。
石川:太宰君は、喜劇役者としてはへたな役者でしょうね。
三島:ピエロが出てきてお客が泣いたら、もうピエロはおしまいでしょう。でも太宰は、
おれは客を泣かせるピエロだと思っていたんじゃないですか。
石川:当人はね。だから、僕は太宰を憐れだと思うのは失敗した喜劇役者だからですよ。
三島:失敗した悲劇役者というのが僕じゃないかしら。一生懸命泣かせようと思って
出てきても、みんな大笑いする。
石川:ちょっとそういうところもないことはないな。(笑)
三島由紀夫
石川淳との対談「破裂のために集中する」より 太宰は、政治活動(共産)から手を洗って、文学へ。
三島は、文学から手を洗って、政治活動へ。
太宰は、弱さを装った、強い男。
三島は、強さを装った、弱い男。 文学としては三島の方が上だな。
なんでこの2人の対決なのかよくわからんが。 >>471
強いだの、弱いだの人のことを傍観して力説する人が一番弱そう。 >>473
その理屈だと>>505が弱いと力説する俺が最弱でついで>>505
>>503の順に弱いことになるな。 スキャンダルの特長は、その悪い噂一つのおかげで、当人の全部をひつくるめて悪者にしてしまふことである。
スキャンダルは、「あいつはかういふ欠点もあるが、かういふ美点もある」といふ形では、決して伝播しない。
「あいつは女たらしだ」「あいつは裏切者だ」――これで全部がおほはれてしまふ。
当人は否応なしに、「女たらし」や「裏切者」の権化になる。一度スキャンダルが伝播したが最後、世間では、
「彼は女たらしではあるが、几帳面な性格で、友達からの借金は必ず期日に返済した」とか、「彼は裏切者だが、
親孝行であつた」とか、さういふ折衷的な判断には、見向きもしなくなつてしまふのである。(中略)
マス・コミといふものが、近代的な大都会でも、十分、村八分を成立させるやうになつた。
三島由紀夫「社会料理三島亭 栄養料理『ハウレンサウ』」より 遊び、娯楽、といふものは、むやみと新らしい刺戟を求めることでもなく、阿片常習者のやうな中毒症状を
呈することでもなく、お金を湯水のやうに使ふことでもなく、日なたぼつこでも、昼寝でも、昼飯でも、
散歩でも、現在自分のやつてゐることを最高に享楽する精神であり才能であらう。(略)プロ野球見物と
庭の水まきと、どつちが現在の自分にとつてもつともたのしいか、といふことに、自分の本当の判断を
働らかすことが、遊び上手の秘訣であらう。世間の流行におくれまいとか、話題をのがさぬやうにとか、
「お隣りが行くから家も」とか、「人が面白いと言つたから」とか、……さういふ理由で遊びを追求するのは、
人のための遊びであつて、自分のための娯楽ではないのである。
三島由紀夫「社会料理三島亭 折詰料理『日本人の娯楽』」より 世の女性方は、たとへイギリス製の生地の背広を着こなした紳士の中にも、「ガーン!」「ガバッ!」
「ガシーン!」「バシーン!」などの擬音詞に充ちた低俗なアクションへの興味が息をひそめてゐることを、
知つておいて損はなからう。
男にとつては、いくつになつても、そんなに「バカバカしい」ことといふものはありえない。
「バカバカしい」といふ落着いた冷笑は、いつも本質的に女性的なものである。
三島由紀夫「社会料理三島亭 いかもの料理『大人の赤本』」より 大体私は現在のオウナー・ドライヴァー全盛時代に背を向けて、絶対に自分の車を持たぬといふ主義を
堅持してゐる。何のために車を持つか?一刻も早く目的地へ到達するためだらう。ところが私の家から
都心までは、ラッシュ・アワーでも、バスと国電を使つて三十五分で確実に行くのに、車を利用すれば早くて
四十五分はかかる。これでもなほ車に乗るのは、どうかしてゐる。(中略)
電車なら、推理小説だのスポーツ新聞だのに読み耽つてゐるうちに、あつといふ間に目的地へ着いてしまふ。
一切あなたまかせだからイライラすることもないのである。
都会生活の真髄は能率とスピードだらう。車を持つこと、いやただタクシーに乗ることさへ、今や能率と
スピードに背馳しつつある。あとにのこる車の御利益と言つたら見栄だけだが、かう猫も杓子も車を持つやうに
なつたら、一向見栄にもならない。見栄にも実用にもならぬことに、どうしてお金を使はなければならないのだらう。
三島由紀夫「社会料理三島亭 クヮンヅメ料理『自動車ラッシュ』」より よく人の家へ呼ばれて、家族の成長のアルバムなんかを見せられることがある。ところがこんなに退屈な
もてなしはない。人の家族の成長なんか面白くもなんともないからである。写真といふものには、へんな魔力がある。
みんなこれにだまされてゐるのである。ある家族が、自分の家族の成長の歴史を写真で見れば、なるほど
血湧き肉をどる面白さにちがひない。しかもそれが写真といふ物質だから、物質である以上、坐り心地のよい
椅子が誰にも坐り心地よく、美しいガラス器が誰が見ても美しいやうに、面白い写真といふものは、誰が見ても
面白からうといふ錯覚・誤解が生じる。そこでアルバムを人に見せることになるのであらう。(略)
大部分の写真は、不完全な主観の再現の手がかりにすぎない。それは山を映しても、ふるさとの懐しい山といふ
ものは映してくれない。ただ「ふるさとの懐しい山」を想ひ起す手がかりを提供してくれるにすぎない。
「ふるさとの懐しい山」といふものは、あくまでこちらの心の中にあるので、その点では、われわれ文士の
用ひる言葉といふやつのはうが、よほど正確な再現を可能にする。
三島由紀夫「社会料理三島亭 携帯用食品『カメラの効用』」より いちばんいい例が赤ん坊の写真である。
他人の赤ん坊ほどグロテスクなものはなく、自分の赤ん坊ほど可愛いものはない。そして世間の親がみんな
さう思つてゐるのだから世話はない。
公園で乳母車を押した母親同士が出会つて、
「まあ、可愛い赤ちゃん」「まあ、お宅さまこそ。何て可愛らしいんでせう」などとお世辞を言ひ合ふが、
どちらも肚の中では、『なんてみつともない赤ん坊でせう。まるでカッパだわ。それに比べると、うちの
赤ん坊の可愛らしいこと!…(略)』さう思つてゐる。
カメラはこの「可愛い赤ん坊」を写すのである。実は、本当のことをいふと、カメラの写してゐるのは、
みつともないカッパみたいな未成熟の人間像にすぎないが、写真は、言葉も及ばないほど、「可愛い赤ん坊」の
手がかりを提供する。(略)かへすがへすも注意すべきことは、自分の赤ん坊の写真なんか、決して人に
見せるものではない、といふことである。
三島由紀夫「社会料理三島亭 携帯用食品『カメラの効用』」より 太宰だったら、女学生。
三島だったら、美徳のよろめき。 私はこの世に生をうけてより、只の一度も赤い羽根を買つたことがない。そのシーズンの盛期に、大都会で、
赤い羽根をつけないで暮すといふ絶大のスリルが忘れられないからだ。赤い羽根をつけないで歩いてごらんなさい。
いたるところの街角で、諸君は、何ものかにつけ狙われてゐる不気味な眼差を感じ、交番の前をよけて通る
おたづね者の心境にひたることができる。自分は狙われてゐるのだといふ、こそばゆい、誇らしい気持に
陶然とすることができる。もし赤い羽根をつけて歩いてごらんなさい。誰もふりむいてもくれやしないから。
冗談はさておき、私は強制された慈善といふものがきらひなのである。(略)
駅の切符売場の前に女学生のセイラー服の垣根が出来てゐて、カミつくやうな、もつとも快適ならざるコーラスが、
「おねがひいたします。おねがひいたします」と連呼する。
私がその前を素通りすると、きこえよがしに、「あの人、ケチね」などといふ。
「アラ、心臓ね」「図々しいわね」と言はれたこともある。
三島由紀夫「社会料理三島亭 鳥料理『赤い羽根』」より これは尤も、通るときの私の態度も悪いので、なるべく悪びれずに堂々とその前をとほるのが、よほど鉄面皮に
見えるらしい。しかし、ただ胸を張つてその前を通るだけのことで、鉄面皮に見えるなら、それだけのことが
できない人は、単なる弱気から、あるひは恥かしさから、醵金箱(きよきんばこ)に十円玉を投じてゐるものと
思はれる。一体、弱気や恥かしさからの慈善行為といふものがあるものだらうか?それなら、人に弱気や
羞恥心を起させることを、この運動が目的にしてゐると云はれても、仕方がないぢやないか?
大体、弱気や恥かしさで、醵金箱にお金を入れる人種といふものは、善良なる市民である。電車で通勤する
人たちがその大半であつて、安サラリーの上に重税で苦しめられてゐる人たちである。さういふ人たちの善良な
やさしい魂を脅迫して、お金をとつて、赤い羽根をおしつける、といふやり方は、どこかまちがつてゐる。
三島由紀夫「社会料理三島亭 鳥料理『赤い羽根』」より もつと弱気でない、もつと羞恥心の欠如した連中ほど、お金を持つてゐるに決つてゐるのだから、おんなじ
脅迫するなら、そつちからいただく方法を講じたらどうだらう。大体、私のやうに、赤い羽根諸嬢の前を
素通りすることで鉄面皮ぶつてゐる男などは甘いもので、もつと本当の鉄面皮は、ひよこひよこそんなところを
歩いてゐるひまなんぞなく、車からビルへ、ビルから車へと、ひたすら金儲けにいそがしいにちがひない。(中略)
本来なら、慈善事業とは、罪ほろぼしのお金で運営すべきものである。さんざん市民の膏血をしぼつて大儲けを
した実業家が、あんまり儲かつておそろしくなり、まさか夜中に貧乏人の家を一軒一軒たづねて、玄関口へ
コッソリお金を置いて逃げるのも大変だから、一括して、せめて今度は罪ほろぼしに、困つてゐる人を助けよう
といふ気で金を出す。これが慈善といふものだ。ところが日本の金持は、政治家にあげるお金はいくらでも
あるのに、社会事業や育英事業に出す金は一文もないといふ顔をしてゐる。(略)
三島由紀夫「社会料理三島亭 鳥料理『赤い羽根』」より ちつとも世間に迷惑をかけず、自分の労働で几帳面に仕入れたお金なんかは、世間へ返す必要は全然ないのである。
無意味な税金を沢山とられてゐる上に、たとへ十円でも、世間へ捨てる金があるべきではない。その上、赤い
羽根なんかもらつて、良心を休める必要もないので、そんな羽根をもらはなくても、ちやんと働らいてちやんと
獲得した金は、十分自分のたのしみに使つて、それで良心が休まつてゐる筈である。
さんざんアクドイことをして儲けた金こそ、不浄な金であるから、世間へ返さなければ、バチが当るといふ
ものである。(中略)
社会保障は、憲法上、国家の責務であつて、国が全責任を負ふべきであり、次にこれを補つて、大金持が金を
ふんだんに醵出すべきであり、あくまでこれが本筋である。しかし一筋縄では行かないのが世間で、(略)
助けられる立場にゐながら、人を助けたい人もある。赤い羽根も無用の強制をやめて、さういふ人たちを
対象に、静かに上品にやつたらいいと思ふ。
三島由紀夫「社会料理三島亭 鳥料理『赤い羽根』」より 一体、「日本人が何をクリスマスなんて大さわぎをするんだ」といふ議論ほど、月並で言ひ古された議論はなく、
かういふ風にケチをつければ、日本へ輸入された外国の風習で、ケチをつけられないものはあるまい。もともと
クリスマスは宗教の風習化で、宗教のはうは有難く御遠慮申し上げて、何か遊ぶ口実になるたのしさうな
ハイカラな風習のはうだけいただかうといふところに、日本人の伝来の知恵がある。識者の言ふやうに、
日本人が外国人なみ(と云つてもごく少数の信心ぶかい外国人なみ)に、敬虔なるクリスマスをすごすやうな
国民なら、とつくの昔に一億あげてキリスト教に改宗してゐたであらう。ところが日本人の宗教に対する
抵抗精神はなかなかのもので、占領中マッカーサーがあれほど日本のキリスト教化を意図したにもかかはらず、
今以てキリスト教徒は人口の二パーセントに充たぬ実情である。そして肝腎のクリスマスは、商業主義の
ありつたけをつくした酒池肉林の無礼講、あたかも魔宴(サバト)の如きものになつてゐる。
三島由紀夫「社会料理三島亭 七面鳥料理『クリスマス』」より 私は日本のクリスマスといふのは、日本にすつかり土着した、宗教臭のない、しかもハイカラなお祭なのだと
思つてゐる。オミコシをかついであばれまはる町内のお祭は、今日ではもう、ごく一部の人のたのしみになつて
しまつた。ミコシをかつぐ若い衆も年々少なくなり、しかもどこの町内でも、ミコシかつぎが愚連隊に占領
されるおそれがあるので、折角のオミコシを出さないところもふえて来た。
こんな町内のお祭以外には、紀元節も天長節も失つた民衆は、文化の日だのコドモの日だのといふ官製の
舌足らずの祭日を祝ふ気にはなれない。そこで全然官製臭のない唯一のお祭であるクリスマスをたのしむやうに
なつたのはもつともである。
三島由紀夫「社会料理三島亭 七面鳥料理『クリスマス』」より 半可通の「文化人」がにやけたベレーをかぶつて、パリの貧乏生活の思ひ出をたのしむ巴里祭などより、
どれほどクリスマスのはうが威勢がよいかわからない。それに例の「ジングル・ベル」の音楽も、今では、
「ソーラン節」や「おてもやん」程度には普及してきたのである。(中略)
一昨々年は、ニューヨークで、三軒ほどの私宅によばれて、清教徒的クリスマス、インテリ的クリスマス、
デカダン的クリスマス、と三様のクリスマス・パーティーを味はつたが、清教徒的家庭的健康的クリスマスの
つまらなさはお話にならず、いい年をした大人が、合唱したり、遊戯をしたり、安物のプレゼントをもらつて
よろこんだりする、田舎教会的雰囲気は、とても私ごとき人間には堪へられるところではなかつた。よく外国へ
行つたら家庭に招かれて、家庭のクリスマスを味はふべきだ、などと言ふ人があるが、そんな話はマユツバ物である。
クリスマスを口実に、淡々と呑んだり踊つたりといふのが、世界共通の大人のクリスマスといふのだらう。
三島由紀夫「社会料理三島亭 七面鳥料理『クリスマス』」より …クリスマスは、キリスト教においても、本当は異教起源のお祭で、ローマの冬至の祭、サトゥルヌス祭の
馬鹿さわぎに端を発し、収納祭の農業的行事であつた。それを考へると、日本人がクリスマスを、その正しい
起源においてとらへて、ただのバカさわぎに還元してしまつたといふ点では、日本人の直観力は大したものである。
しかも、誠心誠意、このバカさわぎ行事に身を捧げて、有楽町駅の階段に醜骸をさらすほど、古代ローマの神事に
忠実な例は、あんまり世界にも類例を見ないのである。これもキリスト教に毒されなかつた御利益といふべきか。
ところが私には、妙な気取りがあつて、祭のオミコシをかついだ経験から言ふのだからまちがひないが、日本の
祭のミコシなら、ねぢり鉢巻でかつぎまはつて、恥も外聞もかまはずにゐられるのに、クリスマスといふ
ハイカラなお祭には、そのハイカラが邪魔をして、どうもそこまで羽目を外す気にはならないのである。
日本にゐて外国の祭にウツツを抜かすといふことに、何となく抵抗を感じる。「クリスマス、クリスマス」と
喜ぶのが何だか気恥かしいのである。(略)
三島由紀夫「社会料理三島亭 七面鳥料理『クリスマス』」より ところで文化人知識人といふヤカラは、安保デモではプラカードをかつぎ、巴里祭にはベレーをかぶり、
クリスマスには銀座のバア歩きもやるくせに、どうして、日本のオミコシをかつがうとしないのであらう。
そこのところが、どうしても私にはわからない。
多分ハイカラ知識人は肉体的に非力で、オミコシなんか重くてかつげないものだから、軽いプラカードを
かついでゐるのではなからうか。あれなら子供ミコシほどの目方もありはしない。
クリスマスも、日本の神事祭事に比べて、ただ目方が軽いから、ここまで普及したのではあるまいか。日本の
祭には、たのしいだけでなく、若い衆に苦行を強制する性格があるからである。お祭といふのは、本当はもつと
苦しいものである。苦しいからあばれるのである。もつとも、年末は丁度借金取の横行するシーズンで、
形のある重いオミコシよりも、無形の借金の重さを肩にかついで、やけつぱちで呑みまはりさわぎまはる
「苦シマス」が、日本的クリスマスの本質なのかもしれない。
三島由紀夫「社会料理三島亭 七面鳥料理『クリスマス』」より 「江の島ゑん足の時」
ぼくはゑん足をお休みしました。
二十日の朝はおきると、みんなは今新宿えきへついて、もう電車にのつただらうと思ひました。
すぐそんな様なことをかんがへ出します。ひまがあるとおばあ様やお母様の所へお話しにいきます。
もうみんな江の島へついたかと思ふといきたくつてたまりませんでした。
ぼくは江の島へいつたことがないのでなほいきたかつたのです。
ぼくは朝から夜まで其ことをかんがへて居ました。
ぼくは夜ねると、次の様な夢を見ました。
ぼくもみんな江の島のゑん足にいつて、そしてたのしくあそびましたが、いはがあつてあるけません。
そこでもう目がさめてしまひました。
平岡公威(三島由紀夫)7歳の作文 「かみなり」
きのふのよる僕は雨戸をしめて寝床へ入つた。その時がらす戸から「ぴかりつ!」といなびかりが見えた。
五六べうたつて大きならいが鳴つた。たんすの上にある時計はゆれるしれうりだなの上においてあるせとものも
かちやりと音をたてた。
なんだか家中がゆれるやうなきがした。
おはなれにいらつしやつたおぢいさまが「ひどい雨だ」とおつしやつた。
ほんたうにひどい雨だ。
又こんなかみなりが今ごろなるときではない。又ことしはこんな大きなかみなりが一度もならないのに。
平岡公威(三島由紀夫)8歳の作文 「冬」
もうそろそろ冬になつてきた。
お庭のかきの木のはや、もみぢの葉がさらさらとおちてくる。
お家のうらの小路にほこりがさあつと立つ。
がらす戸に時々つよい風があたつていやにうるさい。
お池の水はじやぶじやぶとおとを立てる。
金魚が驚いて水の中へ沈む。
花園の花がぽきぽきと折れる。
お父さまがお役所からかへつていらつしやつて「今日は実にひどい風だつたよ」とおつしやつた。
平岡公威(三島由紀夫)8歳の作文 「雨降り」
雨がふつてきた。
ポタンととひの中に入つてとひをつたつてザアッとおちる。
庭のすみに落ッこちてゐる小さなくびふり人形も雨水でビショビショになつてゐる。又木の葉の上にのつてゐる露が
まるで真珠のやうだ。
雨だれの音はどんなにでもきこえる。
タンタラタンともきこえるし又タカタカタンとも、自分の思ふとほりにきこえる。
まるで音楽をきいてゐるやうだ。
雨がふるとお百姓さんも亦(また)草も木もおほよろこびだ。
平岡公威(三島由紀夫)9歳の作文 「海」
先をと年、小田原の海へ行つたとき、大分沖の方まで泳いだら、お腹がいたくなつたので、およぎをやめて
かへりました。するとその翌日、にはかにきもちが悪くなり、病気になりました。それで泳ぐのに、僕は
こりごりして了ひました。(中略)
波打際であそんでゐると、ビーチパラソルの中から、をばさまが「こんどは少うし川の方であそんだらどうを?」
とおつしやつたので僕は「えゝさうしませう」といつて、弘道さんと、バケツやたもをもつて、川へいきました。
二人でふなの子をとつたり、水の中をあるいて向う岸へいきッこをしたりしてゐるとをばさまが大きなこゑで
「公ちやんとひろみちちやん! ごはんよ」とおつしやつたので僕とひろみちさんは一さんにかけて行つて
おいしいおべんたうをたべたり、おしよくごのキャラメルをたべたりして、又一しきりあそんでかへりました。
その翌日は朝はやくおきて畑へ行くと、お百しやうさんが「このいも、まだあたらしいでがすよ。あんちやんたちに
あげませう」とさつまいもをくれました。
平岡公威(三島由紀夫)9歳の作文 「涼しい夕涼みの一時」
入日が西の空をまつかにそめてゐます。
縁先の夕顔がぽつかり白い花をひらいた。昼頃降つた雨がまだかわからないのか。庭下駄でふむ庭の土が
何となくじめじめしてゐます。
それでまた一段と庭の空気が涼しいやうな気がいたします。
えんの下で名も知れぬ虫がなきはじめると、椿の枝の虫籠から、琴をひくやうに美しい鈴虫の音(ね)が、
そよ風に送られて僕達の耳には入つてまゐります。
やがて、松の小枝をとほして、うすい月の光がさしてきました。
太陽はもうすつかり西山に姿をかくして、うす暗い夕空には、月とそれから五つ六つの小さい星がきらきらと
輝いてゐるだけです。
平岡公威(三島由紀夫)年月不詳(推定9歳)の作文 「東京市」
昔は、秋風の吹くごとに、波の如くすゝきのざわめく武蔵野が、今や華やかな都東京市になつた。
それでも明治初期は、東京市と云つても所々に野原があり、本所、深川あたりでは狐狸(こり)が出て人を化かす
といふ噺もあつたが、大正、昭和となつては、さすがそんな噂はなくなつた。けれども、淋しいと云へば淋しい。
その頃は新宿も市外で、今のかつしか、えばら区などと言ふ所は勿論かやぶき屋根の立並んでゐる村であつた。
しかし、明治初期の頃の日本橋、銀座は、割合に発展してゐて、越後屋、高島屋、白木屋などの大商店が軒を
ならべて居たと云ふ。後に越後屋は三越と名を改め、外の大きな店々は三越と共に、豪壮なビルディングへ転居した。
昭和五、六年になると、東京市は実に偉大な発展を占め、旧市、新市合せて、何んと三十五区になつた。
おまけに、新宿が市内になり、銀座、日本橋、丸の内と合せて、東京市は東洋にほこる大都会となつた。
東京市は天をついて伸びてゆく、丁度若木のやうに。
平岡公威(三島由紀夫)10歳の作文 日本に生れて日本人たることは倖せである。老いの美学を発見したのは、おそらく中世の
日本人だけではないだろうか。
五十歳の野球選手といふものは考へらないが、七十歳の剣道八段は、ちやんと現役の
実力を持つてゐる。
肉体の領域でもこれだから、精神の領域では、日本人ほど「老い」に強い国民はないだらう。
三島由紀夫「『純文学とは?』その他」より このごろは町で想像もつかないことにいろいろぶつかる。小説家の想像力も、こんなことに一々おどろいてゐる
やうでは貧寒なものだ。
旧文春ビルのTといふ老舗の菓子屋で買物をしたら、私の目の前で、男の店員が、私の買物を包んでゐる女の店員に、
「領収書は要らないんだろ。もう金もらつた?」
ときいてゐた。
客の前で、大声で「もう金もらつた?」ときく心理は、どういふのだらう。
やはり銀座の五丁目のMデパートで、菓子売場の女店員に、
「舶来のビスケットある?」
ときいたら、
「チョコレートならありますけど、ビスケットは舶来はありません」
と言下に答へた。売場を一まはりして、さつきの女店員の立つてゐる飾棚を見たら、ちやんと英国製ビスケットが
二缶並んでゐる。
三島由紀夫「『純文学とは?』その他」より 「ここにあるぢやないか」
と言つたら、
「あら」とゲラゲラ笑つてゐた。
この二種類だけかときいたら、二種類だけです、と答へ、別の女の子が、他にも
二種類あります、と持つて来たはいいが、値段をきくと、全然同じ缶を二つ並べて、片方を八百円、片方を
千五百円といふ無責任さ。そのあひだゲラゲラ笑ひどほしで、奥の売場主任も我関せず焉で知らん顔をしてゐた。
(中略)
――かういふいろんな不条理か事例は、小説に使つたら、みんな嘘と思はれるだらう。もし今忠実な風俗小説
といふものが書かれたら、超現実主義風な作品になるのではないかと思はれる。
三島由紀夫「『純文学とは?』その他」より 少しでも自動車をころがしてみた人なら、白バイの存在を意識しなかつたといふ人はあるまい。それは、
ゐませんやうにと神に祈るほどの存在であり、しかも、どこかにゐてくれなくては物足らない存在である。だから
ますますそれは、小イキな服装と小イキな白いオートバイと共に、神秘化される。悪人の目から見たところの
鞍馬天狗のやうな存在、善良な市民にちよつぴり悪人の気持を味はせてくれる存在である。その威厳、その美しさ、
その神速、その権力、一つとして羨望の的ならざるはない。白バイを怖がつたことのある人なら、必ず一度は、
白バイになつてみたいと思ふだらう。
三島由紀夫「私はこれになりたかつた――それは白バイの警官です」より 梶井基次郎の作品では、「城のある町にて」が一番好きだが、この蒼穹」も、捨て難い小品である。小説ではなくて、
一篇の散文詩であり、今日ではさう思つて読んだはうがいい。
この作者が、死の直前、本当の小説家にならうとして書いた「のんきな患者」をほめる人もあるが、私には、
氏は永久に小説家にならうなどと思はなかつたはうがよかつたと思はれる。この人は小説家になれるやうな
下司な人種ではなかつたのである。
「蒼穹」は、青春の憂鬱の何といふ明晰な知的表出であらう。何といふ清潔さ、何といふ的確さであらう。
白昼の只中に闇を見るその感覚は、少しも病的なものではなく、明晰さのきはまつた目が、当然見るべきものを
見てゐるのである。
健康な体で精神の病的な作家もゐれば、梶井基次郎のやうに病気でゐながら精神が健康で力強い作家もゐる。
同じ病気でも、梶井には堀辰雄にない雄々しさと力のあるところが好きである。
三島由紀夫「捨て難い小品」より 梶井基次郎の文学は、デカダンスの詩と古典の端正との稀な結合、熱つぽい額と冷たい檸檬との絶妙な
取り合はせであつて、その肉感的な理智の結晶ともいふべき作品は、いつまでも新鮮さを保ち、おそらく現代の
粗雑な小説の中に置いたら、その新らしさと高貴によつて、ほかの現代文学を忽ち古ぼけた情ないものに
見せるであらう。
三島由紀夫「梶井基次郎全集 推薦文」より 私は坂口安吾氏に、たうとう一度もお目にかかる機会を得なかつたが、その仕事にはいつも敬愛の念を寄せてゐた。
戦後の一時期に在つて、混乱を以て混乱を表現するといふ方法を、氏は作品の上にも、生き方の上にも貫ぬいた。
氏はニセモノの静安に断じて欺かれなかつた。言葉の真の意味においてイローニッシュな作家だつた。
氏が時代との間に結んだ関係は冷徹なものであつて、ジャーナリズムにおける氏の一時期の狂熱的人気などに
目をおほはれて、この点を見のがしてはならない。
些事にわたるが、氏の「風博士」その他におけるポオのファルスに対する親近は、私にもひそかな同好者の
喜びを与へた。ポオのファルスの理解者は今もなほ氏を措いて他にない。かつて「十三時」を訳した鴎外を除いては。
三島由紀夫「私の敬愛する作家」より 機能主義といふと、バカに働き者らしく威勢よくきこえるけれども、その実、現代人のナマケ性にマッチして
ゐるやり方かもしれないのである。三度の食事も、コソコソと、昔なら男子禁制の台所の一隅で、リビング・
キッチンとやらのおちつかない合成樹脂の棚の上で、大いそぎですませる。さういふと働き者みたいだが、
私に言はせれば、そんなやり方は、御飯のたべ方を怠けてゐるのである。むかしの人は御飯をたべるのにも、
煩をいとはず、全身全霊をこめて作り且つ喰べた。(中略)
グッド・デザインとは、生活に対する一生けんめいな、こまごました、わづらはしい意慾と関心が薄れて来た
時代の産物である。さういふ関心をみんな機械が代用してくれる時代の産物である。
三島由紀夫「社会料理三島亭 アメリカ料理『グッド・デザイン』」より ところで、西洋ではグッド・デザインも意味があるので、ルイ式の家具調度や、曾祖母ゆづりの食器一式に
飽きた人たちが、かういふ簡素なデザインに魅力を感じる意味もわかる。古くさい家具や食器に対する、
離れがたいなつかしさと同時に、不便な憎たらしさがつのつてくると、新デザインの家具や食器がほしくなるのも
わかる。はるかに快適で、便利で、使ひよい。明るく清潔で、手入れも面倒でない。
しかし日本では、そこらへんが微妙である。日本の家ほど機能主義的な家はないので、一間が寝室にも客間にも
居間にも茶の間にもなる。ナイフやフォークやスプーンの代りに、箸が二本あれば足りる。襖は、壁とドアを
兼用してゐる。作りつけのベッドの代りに、ふとんがあり、くたびれたらタタミの上へぢかに寝ころぶことも
できる。……機能主義やグッド・デザインの狙ひはとつくに卒業してゐるので、日本における西洋風とは、
最新のモダン・リビング、最新のグッド・デザインでも、旧来の日本風よりいくらか反機能的な生活形態を
いとなむことに他ならない。
三島由紀夫「社会料理三島亭 アメリカ料理『グッド・デザイン』」より (中略)
日本人は、様式の統一といふことをやかましく云はない。スキヤ建築の座敷にテレビを置くなら、どうしても、
紫檀か何かの箱でなくちや納まらない箸だし、芸者屋の茶の間にテレビを置くなら、ツゲの箱かなんかでなくては
をかしいのに、平気で新式デザインのテレビを置いてゐる。日本座敷の縁側に、パイプを折り曲げた椅子なんかを
置いてゐる。かういふ様式無視は、明治以来の日本人の美意識欠如と進取の気象をよくあらはしてゐる。(中略)
(グッド・デザインは)あくまで商業的成功であつて、「革命」ではないのである。グッド・デザインの
販路拡大を、「革命」だと思つてるデザイナーがゐたら、よほど考へが甘いのである。何もないところを
占領するのは革命ではありません。
その上、その商業主義的成功は誤解を生む。西洋式生活は簡便で安いといふ誤解である。こんな誤解は戦前には
なかつた。あきらかにアメリカ占領後の現象である。
三島由紀夫「社会料理三島亭 アメリカ料理『グッド・デザイン』」より 西洋人の生活は、見かけ以上にしきたりに縛られてゐる。その点では日本以上である。その上、生活における
様式の統一といふことを重んじる。手術室のメスみたいなナイフを使はうと思へば、まづ家全体を手術室風に
デザインしなければならん。コタツに足をつつこんで、メス式ナイフで、トンカツをちよん切るなんて器用な
ことは、西洋人にはできない。(中略)
貧乏して裏長屋に住んでゐる詩人が、タバコだけは英国タバコを吸ふ。これが日本式ゼイタクであり、西洋への
あこがれといふダンディズムである。裏長屋ならシンセイを吸ふはうが、様式的統一に忠実であり、かつ
美的であるといふことが、どうしてもわからないのである。
三島由紀夫「社会料理三島亭 アメリカ料理『グッド・デザイン』」より 西部劇は純然たる男だけの世界であつてこそ意味がある。へんな恋愛をからませた西部劇ほど、おかつたるい
ものはない。さて、西部劇に欠くべからざるインディアンのことだが、アメリカ人はインディアンに対しては、
ニグロに対するやうな人種的偏見を持つてゐないらしい。ユンクによると、アメリカ人の英雄類型は結局
インディアンの伝統的英雄に帰着するさうである。アメリカ人の集合的無意識は、自分の祖先を衰弱した白皙の
ヨーロッパ人としてよりも、精力にみちあふれた赤い肌のインディアンとして見てゐるらしい。開拓時代に
インディアンと戦ひながら、アメリカ人は敵の精力をしらずしらず崇拝し、模倣しようとしたかもしれない。(中略)
「一難去つて又一難」といふ事態に対する人間のどうしやうもない興味は、(これは西部劇に限つたことでは
ないが)、どんなに平和な時代が続かうと癒やしがたいものであるらしい。平和な市民生活に直接の身体的
危険が乏しいことから、この刺戟飢餓は、危険なスポーツや、自動車の制限速度の超過や、犯罪などに向ひ、
あるひは内攻してノイローゼに向ふことになる。西部劇はかういふ不満に対するいかにも安全な薬品になる。
三島由紀夫「西部劇礼讃」より 硬派とは何ぞや?
第一に、それは紺絣(こんがすり)であり、高下駄であり、青春であり、暴力であり、
単純素朴であり、反社会性であり、小集団のヒエラルヒーであり、民族主義である。
さらに詳しく見てゆくと、そこではエモーショナルなものを、恋愛の代りに、政治が代表してゐると考へられる。
その東洋的な政治概念では、男性的な理想および男性的な人間関係のお手本として政治があり、その理想と
人間関係をつなぐ糸は、エモーショナリズムである。侠客が男なるとは、侠客道のエモーショナルな政治概念を、
わが身に体現することである。これらがあくまで恋愛とちがふ点は、恋愛のロマンチックな個性的主張とは
ちがつて、政治におけるエモーションは、自分を既成の理想型に従はせる情動だ、といふ点である。従つて
硬派は、あやまつて軟派的堕落に陥らぬかぎり、決して自己崩壊の憂目を見ることがない。
三島由紀夫「文学における硬派――日本文学の男性的原理」より 又、硬派では男性的表象が誇張されるが、この男性的原理の中心は、エモーションと力による政治であつて、
理論的知的政治概念はいはば無性のものとして、異性愛的情念は女性的なものとして斥けられる。
(中略)
私はごく大ざつぱに、右のやうな特色を列挙してみたのであるが、これらの諸要素の文学への類推を試みると、
思ひもかけない展望がひろがる。
硬派が持つてゐたやうな政治概念は、かつてのプロレタリア文学にも潜在してゐたし、その理論的知的なものの
排斥はまた、私小説の基盤であつた。硯友社を経、自然主義を過ぎて、われわれの近代小説の大勢を決した
「軟派的なもの」については、今日われわれは反吐が出るほど堪能してゐる有様だが、近代文学史に見えかくれ
して流れてゐる「硬派的なもの」については、ほとんど気づかれてゐない。むしろその点で、尾崎(士郎)氏や
林(房雄)氏は、近代日本人として稀な意識的な作家と云ひ得るのである。
三島由紀夫「文学における硬派――日本文学の男性的原理」より 恋愛の代りに政治を以て、文学のエモーショナルなものを代表させる遣口は、戦後文学の作家の或る者、
たとへば堀田善衞氏などに顕著であるが、氏がもつと硬派的に、知的理論的修飾を捨てたら、もつと純度の高い
文学を生むであらう。太宰治氏は硬派的エモーションを軟派的に誤用した結果、自己崩壊の憂目を見た。
かういふ例は、現代文学において実に枚挙にいとまがない。田中英光氏は自らのデスペレエトな力の弁護に、
民族的基底の助けを借りることができなかつた。石原慎太郎氏は自ら信じた男性的原理を、性愛の領域へ
誤用するとき一貫性を失ふ。阿部知二氏は理論的知的政治概念に縋(すが)つて、文学的に性を喪失する。
……これらの幾多の「硬派的なもの」の誤用の失敗(その最大の悲劇が横光利一氏であるが)を見ると、
谷崎潤一郎氏、川端康成氏の軟派の二大宗の、赫々たる成功が、今さらながら、日本文学伝統の女性的優雅の
強靭さを思はれるのである。
三島由紀夫「文学における硬派――日本文学の男性的原理」より しかしここに面白いのは、硬派と軟派のただ一つの共通点があることで、それは理論的知的なものへの、日本人の
終始渝(かは)らぬ不信の念である。志賀直哉氏の文学が、一見硬派的に見えるのは、(実は氏の文学ほど
硬派から遠いものはないが)、この伝来の反理智主義の徹底性のためである。
近代文学の行き詰りの打破のためには、自らの中の硬派的要素の反省と発掘も、一つの必要な手続であると思ふ。
しかし硬派は硬派で、(少くとも一つの作品の中で)、首尾一貫してゐなければならない。硬派的一要素の
切り離した誤用、殊にその無意識の誤用ほど危険なものはないことは、右にあげた諸例からも明らかであらう。
三島由紀夫「文学における硬派――日本文学の男性的原理」より 音楽は生活必需品かといふと、人によつてちがふだらうが、私にとつては必ずしもさうではない。それは思考を
妨げるからだ。私には、音楽の鳴つてゐる部屋で物を考へるなど、狂気の沙汰としか思はれない。このごろの
青少年がジャズをききながら試験勉強をしてゐるのを見ると、私と別人種の感を新たにする。
では、音楽は休息の楽しみとして必要だらうか。私にとつては必ずしもさうではない。机に向かふのが仕事の私には、
休息とは、体を動かすことである。運動にはそれ自体のリズムがあつて、音楽を要しない。アメリカのジムなどで、
ムード・ミュージックを流してゐるところがあつたが、何だか運動に力が入らなくて困つた。
では、私にとつて音楽とは何なのだらうか。それは生活必需品でもなければ、休息の楽しみでもない。それは
誘惑なのである。
三島由紀夫「誘惑――音楽のとびら」より むかし米軍占領時代に、家から三丁ばかり離れた大きな邸が接収されてゐて、週末といふと舞踏会が催ほされる
らしく、夜風に乗つてダンス音楽がかすかに流れてきて、食糧難時代の新米文士の仕事を攪乱したものだつた。
しかし、その音楽には、今そこにないものへの強烈な誘惑があつた。「今そこにないもの」を、音楽ほど強烈に
暗示し、そこへ向つて人を惹き寄せるものはない。もちろんただの幻である映画だつてさうかもしれない。
が、音楽のこの誘惑の力を借りてゐない映画はきはめて稀である。
「今そこにないもの」にもピンからキリまである。ピンは天国から、キリはつまらない観光的な熱帯の小島まである。
ピンは、人間精神の絶顛から、キリは性慾の満足まである。それに従つて、音楽にもピンからキリまであるわけだが、
かう考へると、音楽は生活必需品でなくても、人生の必需品、むしろその本質的なものとも思はれる。
「今そこにないものへの誘惑」にこそ、生の本質があるからである。
三島由紀夫「誘惑――音楽のとびら」より もし暴力肯定が戦争肯定につながるといふ市民主義的な思考に従ふならば、三派全学連の存在理由は全く
認められないことにならう。その点では私は国家といふものの暴力を肯定してもそれが直ちに無前提に戦争を
肯定することにはならないといふ立場に立つものであるが、この立場に真に対立するものが次のやうな毛沢東の
言葉なのである。すなはち「われわれの目的は地上に戦争を絶滅することである。しかし、その唯一の方法は
戦争である」これが毛沢東の独特な論理であつて、この論理がすなはち右に述べたやうな暴力肯定の論理と
ちやうど反極に立つものである。すなはちそれは平和主義の旗じるしのもとに戦争を肯定した思想なのである。
私は戦後、平和主義の美名がいつもその裏でただ一つの正しい戦争、すなはち人民戦争を肯定する論理に
つながることをあやぶんできたが、これが私が平和主義といふものに対する大きな憎悪をいだいてきた一つの
理由である。
三島由紀夫「砂漠の住人への論理的弔辞――討論を終へて(『討論 三島由紀夫vs.東大全共闘』)」より そして、私の暴力肯定は当然国家肯定につながるのであるから、平和主義の仮面のもとにおける人民戦争の
肯定が国家超克を目的とするかのごとき欺瞞に対しては闘はざるを得ない。国家超克はいはゆる共産主義諸国の
理論的前提であるにもかかはらず、現実の証明するとほり共産主義諸国も国家主義的暴力の行使を少しも遠慮
しないからである。(中略)
しかし「人民戦争のみが正しい暴力である」(このことは、「中共の持つ核兵器のみが平和のための正しい
核兵器である」といふ没論理をただちに招来する)といふ思想は、それほど新しい思想であらうか。それは又、
古くからある十字軍の思想であり、その根本的性格は「道義的暴力」といふことであるが、道義的主張はどんな
立場からも発せられうるものである。かくてあらゆる道義が相対化されるときに、被圧制、被圧迫の立場のみが、
道義的源泉であるとすれば、その自由と解放は、たちまち道義的源泉を涸(か)らすことになるのは自明である。
三島由紀夫「砂漠の住人への論理的弔辞――討論を終へて(『討論 三島由紀夫vs.東大全共闘』)」より 道義の問題を別としても、暴力に質的差異をみとめること、正義の暴力と不正義の暴力をみとめることは、軍隊と
警察の力のみを正義の力とみとめ、その他の力をすべて暴力視する近代国家の論理と、どこかで似て来るのである。
かくて毛沢東の論理は、結局、国家の論理に帰結する、と私は考へる。
私はかりにも力を行使しながら、愛される力、支持される力であらうとする考へ方を好まない。この考へ方は、
責任観念を没却させるからである。責任を真に自己においてとらうとするとき、悪鬼羅刹となつて、世人の
憎悪の的になることも辞さぬ覚悟がなくてはならぬ。それなしに道義の変革が成功したためしはないのである。
自分がいつも正しい、といふのは女の論理ではあるまいか。
三島由紀夫「砂漠の住人への論理的弔辞――討論を終へて(『討論 三島由紀夫vs.東大全共闘』)」より (中略)
彼らは今なほ「朕はタラフク食ってるぞ。ナンジ人民飢えて死ね」といふやうな、古くさい左翼風の下品な
きまり文句のとりこになつてゐた。そして彼らは、目に見える天皇像があまりにも週刊誌に毒され、マス・
コミュニケーションに毒されてゐる、その毒された媒体を通してしかこれを評価し得ないことも明らかである。
彼らはその根本について少しも疑つてみようともせず、また、マス・コミュニケーションに耐へながら存続して
ゐる天皇といふものが、何ゆゑこのやうな新しいマス・コミュニケーションと極度の言論の自由の中で存立し
得てゐるかといふ、歴史的意味や時間の連続性の問題についてもよく考へてゐないことが察知された。(中略)
天皇といふものが現実の社会体制や政治体制のザインに対してゾルレンとしての価値を持つことによつて、
いつもその社会のゾルレンとしての要素に対して刺激的な力になり、その刺激的な力が変革を促して天皇の
名における革命を成就させるといふことを納得させようとしたがうまくいかなかつた。
三島由紀夫「砂漠の住人への論理的弔辞――討論を終へて(『討論 三島由紀夫vs.東大全共闘』)」より 天皇は、いまそこにをられる現実所与の存在としての天皇なしには観念的なゾルレンとしての天皇もあり得ない、
(その逆もしかり)、といふふしぎな二重構造を持つてゐる。すなはち、天皇は私が古事記について述べたやうな
神人分離の時代からその二重性格を帯びてをられたのであつた。この天皇の二重構造が何を意味するかといふと、
現実所与の存在としての天皇をいかに否定しても、ゾルレンとしての、観念的な、理想的な天皇像といふものは
歴史と伝統によつて存続し得るし、またその観念的、連続的な天皇をいかに否定しても、そこにまた現在のやうな
現実所与の存在としてのザインとしての天皇が残るといふことの相互の繰り返しを日本の歴史が繰り返してきたと
私は考へる。そして現在われわれの前にあるのはゾルレンの要素の甚だ稀薄な天皇制なのであるが、私はこの
ゾルレンの要素の復活によつて初めて天皇が革新の原理になり得るといふことを主張してゐるのである。
三島由紀夫「砂漠の住人への論理的弔辞――討論を終へて(『討論 三島由紀夫vs.東大全共闘』)」より 私は「擬制の終焉」から、はつきりと吉本氏のファンの一人になつたが、読みながら一種の性的興奮を感じる
批評といふものは、めつたにあるものではない。読者は観念の闘牛場の観客の一人になつて、闘牛士のしなやかな
身のこなしと、猛牛の首から流れる血潮に恍惚とする。
本書に収められてゐる批評の傑作「丸山真男論」をはじめ、氏の批評には、認識の運動が逞しく働らいてつひには
赤裸々な現実の真姿が現はれてくるときのスリルが充満し、三文小説でイカモノの現実ばかりつかまされて
困つてゐる人は、吉本氏の著書を読むがいい。それでゐて、氏の批評には、かよわい美食家など到底及ばぬ
文学的グルメの犀利な味覚がひらめいてゐる。谷崎潤一郎の「風癲老人日記」の末尾のカナ文字日記体を、
長歌に対する反歌の役割だ、といふ卓見などそのほんの一例である。
三島由紀夫「吉本隆明著『模写と鏡』推薦文」より 理想的な父親の教育とは、父子相伝の技術の教育であつた。そこに父親といふものの意味があつた。漁師の父親が、
息子に、縄のなひ方から、櫓のこぎ方、網の打ち方、などをだんだんに教へてやる。時には、わざと教へないで、
息子に危険を犯させて自得させる。そして父親の死後、息子は若かりし日の父親とそつくりの、村一番の、逞しい、
熟練した漁師になる。舟を漕いで沖に向ふとき、朝焼けの空の雲一つが、人の顔のやうに見え、その顔から、
父親のきびしい、しかし温かな面影を思ひ出す。……
これが本当の父子といふものだ。しかるに都市のインテリ階級は、息子に伝へるべき技術を何も持たぬ。上役に
おべんちやらを言ふ技術なんか、息子に教へるわけには行かない。私のやうに、都市インテリ階級の家に生れて、
その上、特殊な文筆業の、決して息子に伝へることのできない一代限りの技術で生活してゐる者はどうすれば
よいのか?
三島由紀夫「わが育児論」より 事業を持つてゐれば、事業を息子に継がせるための教育といふものもあらう。しかし、私は自分の息子が文筆業者に
なることを決して望まないのである。世俗の目からは収入(みいり)のいい職業だと思はれてゐるかもしれないが、
この職業の心の地獄を私はよく知つてゐるからだ。
そこで子供には普通の市民生活への道を歩ませたいのだが、そのためには家庭の環境が特殊すぎる。大体子供が
向上心を持つには、親が適度に貧乏であることが必要なのだが、むかしの日本では、貧富を問はず、子供(殊に
男児)に贅沢をさせない気風は徹底してゐた。私は貿易自由化の今でも、学生が、高価なスイス製の腕時計を
はめてゐたり、舶来の万年筆を使つてゐたりすると、言ひやうのない不愉快な感じをもつ。しかし今の子供は
昔とちがふ。(中略)今では、収入の多い親が、ムリヤリ経済的に子供を圧迫して、自分の古い儒教的倫理観を
満足させたところで、そんな不自然なことには、子供がついて行かないのである。
三島由紀夫「わが育児論」より それから、テレビをみんなで眺めながら黙つて食事をするこのごろの悪習慣は、私のもつとも嫌悪するところで
あるので、どんな面白い番組があつても、食事中はテレビを消させる。私は一週一回は必ず子供たちと夕食をとるが、
多忙な生活で、それ以上食事を共にすることができない。
子供たちの就寝時間は厳格に言ひ、大人の都合で遅寝をさせるやうなことも決してせず、まして子供のわがままで
時間をおくらせることもしない。休日といへども、同様である。子供を連れて出れば、必ず、就寝時間三十分前には
帰宅する。
子供のつくウソは、卑劣な、人を陥れるやうなウソを除いては、大目に見る。子供のウソは、子供の夢と
結びついてゐるからである。
三島由紀夫「わが育児論」より このごろ世間でよく言はれることは、「あれほど苦しんだことを忘れて、軍国主義の過去を美化する風潮が
危険である」といふ、判コで捺したやうな、したりげな非難である。
しかし人間性に、忘却と、それに伴ふ過去の美化がなかつたとしたら、人間はどうして生に耐へることができるであらう。
忘却と美化とは、いはば、相矛盾する関係にある。
完全に忘却したら、過去そのものがなくなり、記憶喪失症にかかることになるのだから、従つて過去の美化も
ないわけであり、過去の美化がありうることは、忘却が完全でないことにもなる。
人間は大体、辛いことは忘れ、楽しいことは思ひ出すやうにできてゐる。この点からは、忘却と美化は
相互補償関係にある。美化できるやうな要素だけをおぼえてゐるわけで、美化できない部分だけをしつかり
おぼえてゐることは反生理的である。人の耐へうるところではない。
三島由紀夫「忘却と美化」より 私は、この非難に答へるのに、二つの答を用意してゐる。
一つは、忘れるどころか、「忘れねばこそ思ひ出さず候」で、人は二十年間、自分なりの戦争体験の中にある
栄光と美の要素を、人に言はずに守りつづけてきたのが、今やつと発言の機会を得たのに、邪魔をするな、
といふ答である。
この答の裏には、いひしれぬ永い悲しみが秘し隠されてゐるが、この答の表は、むやみとラディカルである。
従つて、この答を敢てせぬ人のためには、第二の答がある。
すなはち、現代の世相のすべての欠陥が、いやでも応でも、過去の諸価値の再認識を要求してゐるのであつて、
その欠陥が今や大きく露出してきたからこそ、過去の諸価値の再認識の必要も増大してきたのであつて、
それこそ未来への批評的建設なのである、と。
三島由紀夫「忘却と美化」より 一、二年前から、ミリタリー・ルックの流行を横目に見ながら、私は「今に見ていろ」と思つてゐた。男にとつて
最高のお洒落である軍服といふものを(もちろんそのパロディー《替唄》の意味でやつてゐることぐらゐは
私にもわかるが)およそ軍服には縁のないニヤけた長髪の、手足のひよろひよろした骨無しの蜘蛛男どもが、
得意げに着込んで、冒涜の限りを尽してゐるのが我慢ならなかつた。
本来、赤・金・緑などの派手な色調は、ピーコック・ルックを待つまでもなく、男の服飾の色彩である。しかし
それには条件がある。闘牛士の派手な服装が、もし彼らの男らしい死の職業といふ裏附がなかつたら、たちまち
世にもニヤけたものになるやうに、男が男本来の派手な色彩を身につけるには、それなりの条件や覚悟がある筈である。
その条件や覚悟のない男が、社会の一匹の羊であることを証明するグレイ・フランネル・スーツを身に着けるのである。
それは単に保身術、昆虫の保護色としての服装だ。しかるに軍服は昆虫で云へば警戒色で、色は原色で、まづ
目立たなければならないのである。
三島由紀夫「軍服を着る男の条件」より そしてそれを着る条件とは、仕立てのよい軍服のなかにギッチリ詰つた、鍛へぬいた筋肉質の肉体であり、
それを着る覚悟とは、まさかのときは命を捨てる覚悟である。アメリカでは、将軍といへども、腹が出て来て
軍服が似合はなくなると免職になるさうだ。
自衛隊に一ヶ月みつちり体験入隊をして、心身共に鍛へた大学生の集まりであるわれわれの「楯の会」では、
その一ヶ月の卒業祝に、この制服を贈ることにしてゐる。まづ中味を調へ、次に制服といふわけだ。西武百貨店の
堤清二社長の厚意が得られて、ド・ゴール大統領の洋服をデザインした名デザイナー五十嵐九十九氏のデザインに
成るこの凛々しい軍服が「楯の会」の制服になつた。帽章は私自らがデザインした。町をこの制服を着た青年が
歩いてゐたら、どうかゆつくり目をとめて眺めていただきたい。
三島由紀夫「軍服を着る男の条件」より 蕗谷虹児氏の作品は幼ないころから親しんで来たものであるが、今度私の二十歳のときの作品「岬にての物語」を
出版するに当り、氏の画風ほど、この小説にふさはしいものはないと思はれたので、お願ひをして快諾を得た。
殊に口絵の百合の花束の少女像は、今や老境にをられるこの画家が、心の中深く秘めた美の幻を具現して
あますところがない。その少女のもつはかない美しさ、憂愁、時代遅れの気品、うつろひやすい清純、そして
どこかに漂ふかすかな「この世への拒絶」、「人間への拒絶」ほど、「岬にての物語」の女性像としてふさはしい
ものはないばかりでなく、おそらく蕗谷氏の遠い少年の日の原体験に基づいてゐるにちがひないこの美の
わがままな映像が、あたかも一人の画家が生涯忘れることのなかつた清らかさの記念として、私に深い感動を
与へたのである。
三島由紀夫「蕗谷虹児氏の少女像」より 日本人の明治以来の重要な文化的偏見と思はれるのは、男色に関する偏見である。
江戸時代までにはかういふ偏見はなかつた。西欧では、男色といふ文化体験に宗教が対立して、宗教が人為的に、
永きにわたつてこの偏見を作り上げたのである。しかるに日本では明治時代に輸入されたピューリタニズムの
影響によつて、簡単に、ただその偏見が偏見として伝播して、奇妙な社会常識になつてしまつた。そして
元禄時代のその種の文化体験を簡単に忘れてしまつた。
男色は、男色にとどまるものでなく、文化の原体験ともいふべきもので、あらゆる文化あらゆる芸術には、
男色的なものが本質的にひそんでゐるのである。芸術におけるエローティッシュなものとは、男色的なものである。
そして宗教と芸術・文化の、もつとも先鋭な対立点がここにあるのに、それを忘れてしまつたのは、文化の
衰弱を招来する重要な原因の一つであつた。
三島由紀夫「偏見について思ふこと」より 「ぢや、一番ききたいことを一つだけきいたらどうだ」
少年は黙つてゐた。目尻にやや力が入つたかと見る間に、その目が私をあからさまに直視した。
「一番ききたいことはね、……先生はいつ死ぬんですか」
この質問は私の肺腑を刺した。
(中略)
しかし少年の質問の矢は私に刺さつたままで、やがて傷口が化膿した。(中略)
が、私は経験上、少年期といふものがどんなものであるかを多少知つてゐる。
少年といふものは独楽なのだ。廻りだしてもなかなか重心が定まらない。傾いたままどこへころがつてゆくか
わからない。何しろ一本足で立つてゐるのだから、不安定は自分でもよく知つてゐる。大人たちとちがふところは、
とにかく廻つてゐるといふことである。廻ることによつて漸く立上れるといふことである。廻らない独楽は
死んだ独楽だ。ぶざまに寝てゐるのがいやなら、どうしても廻らなければならない。
しかし独楽は、巧く行けば、澄む。独楽が澄んだときほど、物事が怖ろしい正確さに達するときはない。
三島由紀夫「独楽」より いづれ又惰力を失つて傾いて転んで、廻転をやめることはわかつてゐるが、澄んでゐるあひだの独楽には、
何か不気味な能力が具はつてゐる。それはほとんど全能でありながら、自分の姿を完全に隠してしまつて
見せないのである。それはもはや独楽ではなくて、何か透明な兇器に似たものになつてゐる。しかも独楽自身は
それに気づかずに、軽やかに歌つてゐるのである。
私の少年期にも、さういふ瞬間があつたかもしれない。しかし記憶にはとどまらない。記憶にとどめてゐるのは、
それを見てしまつた大人のはうである。
自分の姿が澄んで消えてしまつたことに、そのとき独楽が気づいてゐないことも確実なら、その瞬間、何かが
自分と入れかはつたことに気がつかないのも確実である。
あの質問をしたとき、少年はたしかにそこにゐたのだが、多分少年の独楽は澄んでゐたから、少年はそこに
ゐなかつたことも確かだつた。今した質問を、次の瞬間には、少年は忘れてしまつてゐたかもしれない。
三島由紀夫「独楽」より 男が女に化ける日本演劇の伝統様式を丸山はみごとに受けついでゐる。その伝統が時代に密着して花開いたのが
“丸山ブーム”の原因と考へる。
女形は、わづかにかぶきのジャンルにみられるだけで、新派でも早晩衰徴していくだらう。そのなかで
現代女形――丸山明宏の誕生は心づよい。西洋では“フィーメン・イン・パーソナリティー”といふ完全な
道化役者はゐるが、日本のやうな女形は、シェークスピア時代からさびれた。だから女形は日本のほこりで、
女形がなくなったらかぶきは消えてしまふとさへ断言できる。中村歌右衛門でもさうだが、丸山には女形特有の
我の強さ、意思の強さを猛烈に持つてゐる。よくいへば根性があるといふのか……。それだから彼の可能性は、
まだまだ発掘されるにちがひない。
三島由紀夫「可能性はまだまだ――現代の女形―丸山明宏」より さてこの主人公の女賊黒蜥蜴は、十九世紀風フランス大女優の役どころで、どこから見ても、tres tres grande dame
でなければならない。現存の女優では、エドウィージュ・フィエールなんかがこれに当るだらう。初演のときには、
水谷八重子さんがみごとな成果をあげた。水谷さんのもつ堂々たる風格と、「無関心の色気」ともいふべきものと、
その古風なハイカラ味とは、余人の追随すべからざる成果を示した。
さて、これを他の女優に求めようとしても、この日本の中にちよつと求められない。新配役による再演が永いこと
実現しなかつたのはこのためもあるが、先ごろ「毛皮のマリー」を見て、丸山明宏君の演技に私は瞠目した。
君とは旧知の仲だが、歌は天才的であつても、長いセリフをこれほど堂々とこなせるとは、正直に言つて、
想像もしてゐなかつたのである。容姿から言つたら、「黒蜥蜴」にピタリのことはわかつてゐたが、セリフで
作者を唸らせてくれるかどうか未知数だつたのである。
三島由紀夫「『黒蜥蜴』」より 「毛皮のマリー」で、丸山君は、長いセリフをみごとに構成し、一句一句を情感でふるはせながら、しかも強い
ハガネの裏打ちを施し、セリフが最後の頂点にいたると、噴出する悲劇的感情で観客の心をわしづかみにするといふ、
一種壮麗な技法を示した。おどろいたのは私ばかりではなかつた。演出の松浦竹夫氏も驚嘆し、二人で相談して、
実現をはかることになつた。そこへ今度松竹の重役になつた永山雅啓氏が、折よく手をさしのべてくれたのである。
もう一人の問題は、相手役の明智小五郎だつた。このダンディ、この理智の人、この永遠の恋人を演ずるには、
風貌、年恰好、技術で、とてもチンピラ人気役者では追ひつかない。種々勘考の末、天知茂君を得たのは大きな
喜びである。映画「四谷怪談」の、近代味を漂はせたみごとな伊右衛門で、夙に私は君のファンになつて
ゐたのであつた。
三島由紀夫「『黒蜥蜴』」より おまへの兄の新治が、宮田の娘の初江とオメコしたからだぞ
三島由紀夫「潮騒」より 私が法廷で述べたことは、この映画の醜悪さは議論の余地がないこと、この映画の主題は(たとへば私の
映画「憂国」が、一定の政治状況下において、性が異常に美しく昂揚するのを描いたのとちやうど反対に)
一定の政治状況下において、性が極度に歪められ圧殺されるのを描いてゐること、性行為はそのやうな醜悪な
形でのみ描かれ、唯一の純情な恋人同士の間には性交が存在しないこと、能の居グセその他の様式を大胆に用ひ、
また長回しの技巧によつて、一時的な性的印象を政治的寓喩へ移行させる様式をはつきり意図してゐることであつた。
今も私のこのやうな考へに変はりはない。
すばらしく穢(きたな)らしい映画であるが、問題の米軍基地のそばを裸女が駆ける場面だけは、ふしぎに
美しい印象になつて残つてゐる。あそこには、何か壮烈なものがあつた。何もしひて、裸女を日本の象徴と
見立てなくても。
三島由紀夫「『黒い雪』裁判」より (中略)私は事文化に関しては、あらゆる清掃、衛生といふ考へがきらひである。蠅のゐないところで、
おいしい料理が生まれるわけがない。アメリカ文化を貧しくさせたものは、清教徒主義と婦人団体であつて、
日本精神はもつともつと性に関して寛容なのである。日本文化の伝統は、性的な事柄に関する日本的寛容の下に
発展してきたものである。教育ママ的清潔主義(ミュゾフォビー)は、外来文化の皮相な影響であるから、
武智氏のいはゆる「民族主義」作品が、教育ママに死刑を宣告されることは、いかにもありさうな事態であつた。
そして、政治的にも、保守と革新が、仲よく手を握る分野は、かかる教育ママ的清潔衛生思想の分野であつて、
現下日本で、イデオロギーを越えたもつとも甘い超党派理念は「偽善」である。「黒い雪」に目クジラを立てた
婦人層の何割かは「清潔」な美濃部都知事には安心して投票したにちがひない。(中略)
三島由紀夫「『黒い雪』裁判」より いくら「黒い雪」が穢らしくても、偽善よりはよほどマシである。映画も芸術の一種として、芸術のよいところは、
そこに呈示されてゐるものがすべてだといふことだ。芸術は、よかれあしかれ、露骨な顔をさらけ出してゐる。
それをつかまへて「お前は露骨だ」といふのはいけない。要するに、国家権力が人間の顔のよしあしを判断することは
遠慮すべきであるやうに、やはり芸術を判断するには遠慮がちであるべきである、といふのが私の考へである。
それが良識といふものであり、今度の判決はその良識を守つた。
この一線が守られないと、芸術に清潔なウットリするやうな美しさしか認めることのできない女性的暴力によつて、
いつかわが国の芸術は蹂躙されるにいたるであらう。われわれは、二度と西鶴や南北を生むことができなくなるであらう。
三島由紀夫「『黒い雪』裁判」より 政治問題に関する言論を規制しようとする動きがあるときには、必ず、これをカムフラージュするために、
道徳的偽装がとられ、あはせてエロティシズムや風俗一般に対する規制が行はれるのが通例である。(中略)
どんな保守的思想の持主である芸術家も、この観点から見られるときには、反体制的思想家と、五十歩百歩の目に
会はされることは、戦争中の記憶を想起すればすぐわかることである。
実際、国家が詩人を追放しようとするのは、きはめて賢明な政治判断であつて、プラトンはちやんとそれを知つてゐた。
政治に有効に利用できる芸術のエネルギー量はきはめて微弱であり、政治が効率百パーセント芸術を利用しえたと
考へるときには、もうその芸術は死物になつてゐて、何の効用も及ぼしてゐないといふ皮肉な現象は、ナチスのころも
見られたが、そんな微温的な手段をとるよりも、政治自体が芸術になり、(たとへ似而非芸術であつても、)
政治的行為が芸術的行為を完全に代用してしまへばすむことで、それが左右を問はず全体主義政治の核心である。
三島由紀夫「危険な芸術家」より ただプラトンが完全に知つてをり、ナチスが不完全にしか知つてゐなかつたことは、次のやうな事実であり、
これはもちろん、日本の政治家が夢にも知らない事実である。
「(プラトンは、)芸術家を断罪する前に、まず彼にメリット勲章か何かのやうなできるだけ高い栄誉を
与へなければいけないと言つてゐる。すなはちプラトンは、今日ではほとんど誰も理解してゐないやうに
思はれること、つまり真に危険な芸術家とは『世にも稀な快い神聖な』偉大な芸術家であるといふことをはつきりと
理解してゐた。プラトンは、(中略)大きな悪は何らかの欠除に由来するのではなくてむしろ『本性の充実から
生じて来る』ものであり『弱い本性は、はなはだしく偉大な善も、はなはだしく偉大な悪も成し遂げることは
ほとんどできない』と信じてゐたのである」(「芸術と狂気」エドガー・ウィント著、高階秀爾訳)
三島由紀夫「危険な芸術家」より 何のことはない、日本の俚諺の「悪に強きは善にも」と変りがない考へだが、ここには政治と芸術との関係において、
非常に基本的な重要な考へが述べられてゐる。たとへばエレキは有害で、青少年に対して危険であり、
ベートーヴェンは有益で、何ら危険がないのみか人間性を高めるといふ考へは、近代的な文化主義の影響を
受けた考へであつて、ベートーヴェンのベの字もわからない俗物でも、かういふ議論は鵜呑みにするし、現代の
政府の文化政策もこの線を基本的に離れえないことは明白である。
しかし毒であり危険なのは音楽自体であつて、高尚なものほど毒も危険度も高いといふ考へは、ほとんど
理解されなくなつてゐる。政治と芸術の真の対立状況は実はそこにしかないのである。してみると日本には、
真の危険な芸術家は一人もゐないといふことになり、政府もそんなに心配する必要はなし、万事めでたしめでたし。
三島由紀夫「危険な芸術家」より 実は昭和43年のノーベル文学賞は三島由紀夫とほぼ目されていたが、審査員の一部から三島の政治的活動を
問題視する声があがり、三島の受賞に強く反対し川端康成へ移行していった。
ある審査員が三島を、全共闘の仲間と短絡し、急進左翼に肩入れしているとみなし、代わりに川端を強く推したのである。
また、川端は事前に自分が受賞することを知り、三島へ「今回は私がいただかせてもらいます」と電話した。
三島の死後、川端は、「あれは三島君がもらうべきだった賞だ」と知人に漏らしている。
そして自責の念にかられてか、川端は徐々に重度の睡眠薬中毒になってゆく。
実は受賞対象の作品の一つの「山の音」は三島が代筆したものだったと、三島の妻・瑤子夫人は友人に秘密を
暴露していたという。
また一説には「眠れる美女」も三島の代筆と言われており、三島死後の、父親・梓と川端康成との確執も
この代筆問題に関連したものと思われる。 三島由紀夫が市ヶ谷の自衛隊総監室に立てこもったニュースを聞き、川端康成はすぐに現場へ駆けつけた。
そして、川端は、総監室で壮絶な最期を遂げた血まみれの三島の死体と首を見てしまう。(これは警察官らの証言だが、
川端本人は遺体は見ていないと否定している)
ひと足遅れてきた石原慎太郎は、現場検証した警察関係者から、「川端先生が中へ入って見ていった」と聞かされる。
慎太郎は川端が三島を見送ったならばと、入室を辞退していった。実際のところは単なる怖じ気だろう。
川端はその後、眠れないと周囲に漏らしたり、「ほら、三島君があそこにいる」と、三島の霊を見ているかのような
言動をするようになってゆく。 三島の死後、川端康成は会議や講演などはこなしていたが、健康がすぐれず、新しい文学作品は書かなくなっていった。
そして、三島の自刃から約一年半後の昭和47年4月16日、川端はふらっと鎌倉の自宅を出てタクシーを拾い、
仕事場の逗子マリーナ・マンション417号室へ向かう。
水割りを少し飲んだ後、川端はガス管をくわえガス自殺を遂げていた。遺書はなかった。机には太宰治の本が
あったともいわれている。
遺書がなかったせいか、この自殺には諸説あり、なかには他殺説まであり謎のままである。 お葉書うれしくありがたく拝見いたしました。(中略)
久々のお便りに愚痴もいかゞかと存じますが、東京のあわたゞしい生活の中で、高い精神を見失ふまいと努めることは、
プールの飛込台の上で星を眺めてゐるやうなものです。といふと妙なたとへですが、星に気をとられてゐては、
美しいフォームでとびこむことができず、足もとは乱れ、そして星なぞに目もくれない人々におくれをとることに
なるのです。夕刻のプールの周辺に集まつた観客たちは、選手の目に映る星の光など見てくれません。
たゞかれらの目に美しくみえるフォームでとびこんでくれることを要求するのです。
『私が第一行を起すのは絶体絶命のあきらめの果てである。つまり、よいものが書きたいとの思ひを、あきらめて
棄ててかかるのである』川端康成氏にかつてこのやうな烈しい告白を云はせたものが何であるかだんだん
わかつてまゐりました。しかも川端氏のやうなこの一言が云へる境地に、一体達することができるかしら、と
たへず不安に見舞はれます。
三島由紀夫
昭和23年3月23日、伊東静雄ヘの書簡より 東京では印象批評が滅び去りました。たとへば中里恒子や北畠八穂のやうな美しい女流作家が不遇です。
川端康成氏が評壇から完全に黙殺され、日夏耿之介氏はますます「枯坐」して化石してしまひさうです。
横光利一氏の死に対してあらゆる非礼と冒涜がつづけられてゐます。私の愛するものがそろひもそろつて
このやうに踏み躙られてゐる場所でどうしてのびのびと呼吸をすることなどできませう。
斎田君も今の東京で仕事をすれば苦しむことがわかつてゐます。美しいものが美しい故に死刑に処せられるのです。
三島由紀夫
昭和23年3月23日、伊東静雄ヘの書簡より (中略)
ギロチンへみちびく民衆は笑はない民衆です。おそろしくシリアスな、ニイチェ的笑ひとおそろしく無縁の民衆です。
共産党系の雑誌や新聞に出てゐる漫画は笑ひを凍らせます。かれらはデスマスクをかぶつた民衆です。
美の死刑執行人であるといふ自負すらもちえない精神です。
銀蠅が芥箱から出てきてそこらをとびまはつてゐます。ブンブンといひて夜もねられず、といふところでせうが
――かれらは「海」とは無縁の精神です。蠅は海のまへで引返します。かれらは翼をもたないくせに翅(はね)を
翼だと思つてゐるのです。(中略)
――たゞ一意専念、あの未知の国から一条の光をこの地上へもたらせば私の仕事はすみます。
どうぞ時々お暇な折に励ましの御言葉をいたゞきたうございます。詩人に対し要求することは罪であると知りつゝ、
敢て(「要求」とは失礼ながら)お願ひいたす次第でございます。
三島由紀夫
昭和23年3月23日、伊東静雄ヘの書簡より 僕は今この時代に大見得切つて、「共産党に兜を脱がせるだけのものを持て」などゝ無理な注文は出しません。
時勢の流れの一面は明らかに彼らに利があり、彼等はそのドグマを改める由もないからです。しかし我々の任務は
共産党を「怖がらせる」に足るものを持つことです。彼等に地団太ふませ、口角泡を飛ばさせ、
「反動的だ! 貴族的だ!」と怒号させ、しかもその興奮によつて彼等自らの低さを露呈させることです。
正面切つて彼等の敵たる強さと矜持を持つことです。ひるまないことです。逃げないことです。怖れないことです。
そして彼等に心底から「怖い」と思はせることです。
(中略)貴族主義といふ言葉から説明してかゝらねばなりません。
学習院の人々に貴族主義を云ふとすこぶる誤解されやすく、それはともすれば今までの学習院をそのまゝそつくり
是認する独善主義の別語とされる惧れなしとしません。
平岡公威(三島由紀夫)
昭和21年2月10日、神崎陽への書簡より (中略)
明治以来、「華族」とは政治的特権を背景にもつた政治的な名称であり、文化的意義は頗る稀薄にしかもつて
をりません。新華族が簇生(そうせい)した所以です。――貴族主義とはプロレタリア文化に対抗すると同じ
強さを以てブルジョア文化(アメリカニズム)に対抗するといふことを知つていたゞきたい。この意味で
政治的意味の貴族主義は無意味です。なぜなら世界史の趨勢はアリストクラシイの再来を絶対に希みえず、
現今までわづかに残された政治的特権も過去の特権の余映にすぎぬといふ理由が第一、もう一つは、ブルジョア文化が
今では貴族社会一般を風靡し、単に華族を集めてみても貴族主義は達成されぬといふ理由が第二です。
平岡公威(三島由紀夫)
昭和21年2月10日、神崎陽への書簡より ――それでは文化的貴族主義とは何でせうか。それは歴史的意味と精神的意味と二つをもつてゐます。
…後者はあらゆる時代に超然とし、凡俗の政治に関らず、醇乎たる美を守るといふエリートの意識です。
(これは芸術からいふので、倫理的には道徳を守るエリートたりともある人はいふでせう)
…しかもその効果は美的標準に於て最高のものであらねばならぬ点で明らかに貴族主義的です。向上の意識、
「上部構造」の意識、フリードリヒ・ニイチェが貴族主義とよばれる所以です。
第二に、唯美主義は本質的に反時代性をもつといふ点で貴族的です。
平岡公威(三島由紀夫)
昭和21年2月10日付、神崎陽への書簡より われらの外部を規制する凡ゆる社会的政治的経済的条件がたとへ最高最善理想的なものに達したとしても、
絶対的なる「美」からみればあくまでも相対的なものであり、相対的なものが絶対的なものを規制しようとする時、
それは必ず悪い効果を生じます。いかによき政治が美を擁護するにしろ、必ずその政治の中の他の因子が美を
傷つけることは、当然のことで仕方ないことです。したがってあらゆる時代に於て美を守る意識は反時代性をもち、
極派からはいつでも反動的と思はれます。すなはち、彼らのいはゆる反動的なるがゆゑに貴族主義的です。
――「中庸」といふ志那クラシックのいかにも睡つたやうなこの言葉がやうやう僕には激しい激越な意味を以て
思ひかへされて来ました。中庸を守るとは洞ヶ峠のことではありません。いはゆる微温的態度のことではありません。
元気のない聖人気取ではありません。
平岡公威(三島由紀夫)
昭和21年2月10日、神崎陽への書簡より 「中庸」の思想こそ真に青年の血を湧かせる思想なのです。それは荊棘の道です。苦難と迫害の道です。
漢籍に長ずるときく山梨院長が、戦時中の輔仁会で翻訳劇を上演しようとした僕の意図を抹殺し、戦争終るや
「モンテ・カルロの乾盃」を手もなく容認するやうな態度を、人々はいはゆる「中庸」の道だと思つてゐます。
これは思はざるの甚だしきものです。これこそいはゆる論語よみの論語知らずです。
右顧左顧して世間の機嫌をうかゞひもつとも「穏当な」道を選ぶといふ思想こそ、孔子が中庸といふ言葉で
あらはしたものと全く反対の思想です。
中庸といふこと、守るといふこと、これこそ真の長い苦しい勇気の要る道です。
このやうな時代に、美を守ることの勇気、過去の日本精神の枠、東洋文化の本質を保守するに要する勇気、
これこそ真の男らしい勇気といはねばなりません。
学習院は反動的といふ攻撃の矢面に立ち、真の美、真の文化を叫びつゞけねばなりません。
平岡公威(三島由紀夫)
昭和21年2月10日、神崎陽への書簡より (中略)
君は大東亜戦争を何と考へてゐられますか。
僕らはあの戦争の中で育ち、その意味であの戦争を僕らは生涯(いや子孫代々)否定することはできません。
あの戦争が間違ひだつたのどうのといふことでなしに、人間の成長と形成の「過程」として否定したくもできない
一個の内面的事実なのです。我々が以て恥とすべきは戦争に協力したとか、戦争目的に盲目であつたとか、
為政者にだまされたといふことよりも、あの戦争から「我々が何も得て来なかつた」といふことではないでせうか。
何らわれらにプラスするものを得てこなかつたといふ痛切な恥ではないでせうか。この点は僕も省みて面を
赤くせぬわけにはゆきません。
しかし今日の輔仁会、といふよりはその背後にある昨今の学習院学生の気風にこれに対する反省がみられるでせうか。
平岡公威(三島由紀夫)
昭和21年2月10日、神崎陽への書簡より 非小説家の文壇への御戦に、私はいつも胸のすくものを感じてをります。そしてこれほど健康な「自明の理」が
今更力説されねばならぬ日本文壇の頽廃を併せ考へます。貴下の御説がユニークなものであるといふ一事ほど、
日本文学の悲しむべき現状を象徴してゐるものがございませうか。大前提が欠けて小前提ばかり発達してゐる
哀れな国状です。大前提を言ひ出す人は白眼で見られるのです。小前提ばかりバカの一つおぼえでくりかへして
ゐれば身の安全が保てるのです。(中略)
実に美を罵倒し、日本の伝統をののしり、舌を犬のやうにふるはせる芸当を心得、「歯ぎしり」といふ奴を
ハミングの代りに用ひ、それはそれは賑やかで、しかもしんみりした、何が何だかわからない、西洋料理と
中華料理をまぜこぜにしたやうな西欧人文主義的・レアリズム的・サルトル的・ドストエフスキー的・万能薬
ヒューマニズム宣伝的、あやしげなものであります。
三島由紀夫
昭和22年11月4日、林房雄への書簡より (中略)今日「群像」十一月号が届き、高見、中島、豊島氏が僕を寄つてたかつてやつつけてゐる大人げない
継子いぢめの光景を見(この速記はもつと猛烈だつたさうですが)、鬱勃たる闘志を湧かせました。(中略)
「生きるために必要な、といふギリギリのところで已(や)むに已まれず生み出される文学」とは何でせうか。
今までの日本の告白小説家のやうな泣きっ面を、――男子としてあるまじき泣きっ面を――小説のなかで存分に
演じてみせることが、即ち「生きるための文学」であるといふ、さういふ滑稽なプリミティーブな考へ方に
僕は耐へられません。僕にはわづかながら遠いサムラヒの血が、それも剛直な水戸ッ子の血が流れてゐます。
僕の文学は、腹を狼に喰ひ裂かれながら声一つあげなかつたといふスパルタの少年に倣ひたいのです。その
少年の莞爾(くわんじ)とした微笑に似た長閑(のどか)な閑文学(とみえるもの)に僕は生命を賭けます。
僕は「狼来(きた)りぬ」といふあの臆病な子供になりたくありません。
三島由紀夫
昭和22年11月4日、林房雄への書簡より もつとよい比喩がここにございます。我子の死に会つて数分後に舞台へかけつけなければならなかつた喜劇俳優が、
その時示した絶妙の技、さういふものにこそ僕は憧れるのです。(文学を芝居にたとへるなんて、旧文壇の人に
とつてはおそらく冒涜的な言動でせうが、文学といふものに対する自堕落な信念はそろそろ清算してよい時では
ないでせうか。僕は最後のところ、いつもギリシャ悲劇を考へます。作者が一言の思想の表白もさし控へた
純粋な技術と形式の精神がそこにあります。ギリシャ的単純さが最後の目標です。勿論これは志賀直哉氏の
単純さとは全く別個のものです)。
話をあとに戻りまして、ではその時、その喜劇俳優にとつて、喜劇といふ芸術は何ものでせうか。
逃避でせうか。自嘲でせうか。僕には彼の悲しみの唯一無二の表現形式として喜劇があるのだと考へられます。
彼は悲しみを決して涙としてあらはしてはならなかつたのです。それを笑ひとして示さねばならなかつたのです。
三島由紀夫
昭和22年11月4日、林房雄への書簡より 文学における永遠不朽な「情痴」の主題、僕はそれをこの「笑ひ」だと考へます。「戯作」と云つても同じこと
でございませう。もちろん僕としてもヒューマン・ドキュメントを書きうるゲエテ的作家の幸福を考へます。
しかしメリメのやうな「自己を語らない作家」の最も不幸な幸福をも考へます。作品の世界に凡(あら)ゆる
「日曜日」を託けて、永遠にウィークデイの累積をしか持たなかつた作家のおそるべき幸福を考へます。それを
高見順氏などは、ウヰークデイの匂ひのしない文学はディレッタンティズムだと仰言るのです。
日曜日は僕にとつて逃避の場所ではありません。そこにこそ僕は生涯を賭け、ギリギリ決着の「生活」を賭けて
ゐるのです。それこそ僕の唯一無二の喜劇の舞台なのです。僕はそこを掃除し、つやぶきんをかけ、花を飾り、
恋人を迎へ、おしやべりをし、……といふ比喩は甚だ皮相的ですが、その日曜日に、僕は自分の悪と不徳と
非情と侮蔑と残忍と犯罪とのあらゆる装ひを期待するのです。
三島由紀夫
昭和22年11月4日、林房雄への書簡より あらゆる種類の仮面のなかで、「素顔」といふ仮面を僕はいちばん信用いたしません。
僕はかうして、僕の生にとつて必然的であつた作品からそのあらゆる窮屈な必然性をぬがせてやつて、
くつろがせてやるのです。僕は作家の歯ギシリなどといふものを書斎の外へ洩らすことを好みません。僕の
作品はそれでも尚、僕の本質的な生活だと思はれるのですが……
尤もこんなことは口で言つてもはじまらないことでございます。作品で証明する他はありません。
しかし僕は決してひるみません。負けません。書き続けて、御期待にそむかぬ人間になることをお誓ひします。
三島由紀夫
昭和22年11月4日、林房雄への書簡より 前略
「蓮田善明とその死」感激と興奮を以て読み了へました。毎月、これを拝読するたびに魂を振起されるやうな
気がいたしました。この御作品のおかげで、戦後二十数年を隔てて、蓮田氏と小生との結縁が確められ固められた
気がいたしました。御文章を通じて蓮田氏の声が小生に語りかけて来ました。蓮田氏と同年にいたり、なほ
べんべんと生きてゐるのが恥ずかしくなりました。一体、小生の忘恩は、数十年後に我身に罪を報いて来るやうで
あります。今では小生は、嘘もかくしもなく、蓮田氏の立派な最期を羨むほかに、なす術を知りません。しかし
蓮田氏も現在の小生と同じ、苦いものを胸中に蓄へて生きてゐたとは思ひたくありません。時代に憤つてゐても
氏にはもう一つ、信ずべき時代の像があつたのでした。そしてその信ずべき像のはうへのめり込んで行けたのでした。
五十五回に及ぶ御努力によつて、かうした叙事詩的評伝をものされたことに対し、深い敬意と感謝を捧げるのみで
あります。
三島由紀夫
昭和42年11月8日、小高根二郎への書簡より 文学運動は、結局、予定調和的な世界史の水先案内人をつとめる運命的なものだと思はれます。「意志」の観念に
於てよりも「使命」の観念に於て行はれる運動。覚醒運動であると共に、全く unzeitgemaB な運動。さうして
その直接の動力因は、近代性の矛盾から生れた我々の思想的苦悩と、その緊張であり、我々以前の歴史の全てを
賭けた大賭博に他なりません。我々が現に創造し負うてゐる思想による解決であり、同時にその思想からの
解放運動です。真の文学運動は「未だ名付けられざるもの」なのでありませう。
貴下の仰言つたロマンティシズムとクラシシズムとの間の緊張、その解決――それは近代人の常に課せられてゐる
問題であり、それ自身近代の矛盾なのでせう。
とまれ、文学運動は運命的なものである、縁である、八犬伝の八犬士の会合の如きものである、といふ感じが
僕にはします。それは理論体系を前提しません。但し解説と批判は後から大いに必要です。併し命名も亦、
後人の附するところに委ねてよろしいでせう。たゞ我々は我々の中のデエモンの奮起を信ずるのみです。
平岡公威(三島由紀夫)昭和20年12月10日、野田宇太郎への書簡より 川端さんの寡黙は有名である。(中略)或る新米の婦人記者が、川端さんを訪問してまづ名刺を出しお辞儀をした。
川端さんは名刺をうけとつて会釈された。婦人記者は用件を切り出す前に、何か世間話をと考へたが、なかなか
思ひ切つてものが言ひ出せない。何か話のきつかけを作つて下さるのを待つほかはなかつた。十分たつた。
川端さんは黙つたままである。廿分たつた。やはり黙つたままである。新米記者は心細くなつて、胸がどきどきし、
冷汗が出て来た。ますますこちらから切り出すのがむつかしくなる。卅分たつた。婦人記者がわつと泣き出した。
すると川端さんは「どうしたんですか」と訪ねられたさうである。
別の話。私がお訪ねしたときにトーストと牛乳が出た。行儀のわるい癖で、トーストを牛乳に浸してたべてゐた。
すると川端さんがちらと横眼でこちらを見て、やがて御自分もトーストを牛乳に浸して口へ運ばれだした。
別段おいしさうな顔もなさらずに。
三島由紀夫「現代作家寸描集――川端康成」より 女の声でもあんまり甲高いキンキン声は私はきらひだ。あれをきいてゐると、健康によくない。声に翳りがほしい。
いはばかあーつと照りつけたコンクリートの日向のやうな声はたまらないが、風が吹くたびに木かげと日向が
一瞬入れかはる。さういふしづかな、あまり鬱蒼と濃くない木影のやうな声が私は好きだ。
寒気のするもの天中軒雲月の声、バスガールの声、活動小屋の幕間放送の声、街頭の広告放送の声。
燻(くす)んだチョコレートいろの声も私は好きだ。さういふとむやみにむつかしくきこえるが、そこらで
自分の声をちつとも美しくないと思ひ込んでゐる女性のなかに、時折かういふ声を発見して、美しいなと思ふ
ことがある。
(中略)
時と場合によつては、女の一言二言の声のひびきが、男の心境に重大な変化をもたらす。電話のむかうの声の
たゆたひが、男に多大の決心を強ひる。「まあ」といふ一言の千差万別!
声が何かの加減で嗄れてゐて、大事な場合の「まあ」が濁つてしまふことがあつても、それをごまかす小さな咳の
可愛らしさが、電話のむかうのつつましい女の様子をありありと思ひ描かせることがある。
三島由紀夫「声と言葉遣ひ――男性の求める理想の女性」より いくら声のいい人でも立てつづけに喋りちらされてはたまらない。そこで問題はおのづと声と言葉の関係に移る。
私はおしやべりな人は本当にきらひだ。自分がおしやべりだから、その反映を相手に見るやうな気持がして
きらひなのかとも思ふが、いくら私がおしやべりでも私は女のおしやべりには絶対にかなはない。女のおしやべりが
はじまると私はいかにも男らしく沈黙を守らねばならぬ。世の男女の役割は、習慣によつて躾けられ、かうなると
いやでも、男は男らしく、女は女らしくならねばならぬ宿命があるかに思へる。女のタイプライターのやうな
お喋りがはじまると、私は目の前に女性といふ不可解な機械が立ちふさがるのを感じる。
尤も、友達として話相手になれるやうな女性は、大ていおしやべりであるし、教養があつてしかもおしやべりで
ない女など、まづ三十以下ではゐないと言つていい。黙りがちの女性はいかにも優雅にみえるが、ともすると
細雪のきあんちやんのやうな薄馬鹿である。
三島由紀夫「声と言葉遣ひ――男性の求める理想の女性」より 女はゆたかな感情の間を持つて、とぎれとぎれに、すこし沈んだ抑揚で、しかもギラギラしない明るさ賑やかさ
快活さの裏付けをもつて、大して意味のない、それでゐて気のきいた話し方をするやうな女がいい。批判、皮肉、
諷刺、かうした話題が女の口から洩れる時ほど、女が美しくみえなくなる時はない。痛烈骨を刺す諷刺なんてものは、
男に委せておけばいい。何かなるたけ意味がなくて洒落れたことを言つてゐればいい。若い女性の存在価値は、
何も意味がなくてありさうにみえるところにあるのであつて、これは若い男性の存在価値が頗る意味があつて
しかもなささうにみえるところにあることと対蹠的である。
(中略)
私は妙にあの「ことよ」といふ言葉づかひが好きだ。口の中で小さな可愛らしい踵を踏むやうに、「ことよ」と
早口でいふのが本格である。私がやたらむしやらこの用法に接するやうになつたのは、亡妹が聖心女子学院に
ゐた時からで、聖心では何でもかんでも、行住座臥すべて「ことよ」である。
三島由紀夫「声と言葉遣ひ――男性の求める理想の女性」より 三月といふ月は、季節的には、何だか落着かない、いらいらした月である。何度か冴え返る寒さ、目つぶしを
喰はす埃と突風、木々の芽生えのじれつたさ、それから不規則な雨、……ものごとの成長の季節がかういふものなら、
われわれの青春時代も愉快なものであらう筈がない。
生物は、いらいらの中で育ち、成長期に死に一等親近してゐるやうに感じ、さて、幸福感を感じるときには、
もう衰退の中にゐるのだ。
(中略)
春といふ言葉は何と美しく、その実体は何とまとまりがなく不安定であらう。さうして青春は思ひ出の中でのみ
美しいとよく云ふけれど、少し記憶力のたしかな人間なら、思ひ出の中の青春は大抵醜悪である。多分、春が
こんなに人をいらいらさせるのは、この季節があまりに真摯誠実で、アイロニイを欠いてゐるからであらう。
あの春先のまつ黄いろな突風に会ふたびに、私は、うるさい、まともすぎる誠実さから顔をそむけるやうに、
顔をそむけずにはゐられないのである。
三島由紀夫「春先の突風」より 格の正しい、しかも自由な踊りを見るたびに、私は踊りといふもののふしぎな性質に思ひ及ぶ。無音舞踊といふ
のもないではないが、踊りはたいがい、音楽と振り付けに制約されてでき上がつてゐる。いかに自由に見える
踊りであつても、その一こま一こまは、厳重に音楽の時間的なワクと振り付けの空間的なワクに従つてゐる。
その点では、自由に生きて動いて喋つてゐるやうに見える人物が、実はすべて台本と演出の指定に従つてゐる
他の舞台芸術と同じことだが、踊りのその音楽への従属はことさら厳格であり、また踊りにおける肉体の動きの
自由と流露感は、ことさら本質的なのである。
よい踊りの与へる感銘は、観客席にすわつて、黙つて、口をあけて、感嘆してながめてゐるだけのわれわれの
肉体も、本来こんなものではなかつたかと感じさせるところにある。踊り手が瞬間々々に見せる、人間の肉体の
形と動きの美しさ、その自由も、すべての人間が本来持つてゐて失つてしまつたものではないかと思はせるとき、
その踊りは成功してをり、生命の源流への郷愁と、人間存在のありのままの姿への憧憬を、観客に与へてゐるのである。
三島由紀夫「踊り」より なぜ、われわれの肉体の動きや形は、踊り手に比べて、美、自由、柔軟性、感情表現、いやすべての自己表現の
能力を失つてしまつたのであらうか。なぜ、われわれは、踊り手のあらはす美と速度に比べて、かうも醜く、
のろいのであらうか。
これは多分、といふよりも明らかに、われわれの信奉する自由意思といふもののためなのである。自由意思が、
われわれの肉体の本来持つてゐた律動を破壊し、その律動を忘却させたのだ。
それといふのも、踊り手は音楽と振り付けの指示に従つて、右へ左へ向く。しかしわれわれは自由意思に従つて、
右へ向き左へ向く。結果からいへば同じことだが、意思と目的意識の介入が、その瞬間に肉体の本源的な律動を
破壊し、われわれの動きをぎくしやくとしたものにしてしまふ。のみならず、何らかの制約のないところでは、
無意識の力をいきいきとさせることができないのは、人間の宿命であつて、自由意思の無制約は、人間を意識で
みたして、皮肉にも、その存在自体の自由を奪つてしまふのだ。
三島由紀夫「踊り」より 踊りは人間の歴史のはじめから存在し、かういふ肉体と精神の機微をよくわきまへた芸術であつた。武道も
もともとは、戦ひの技術を会得するために、まづ肉体に厳重な制約を課して、無意識の力をいきいきとさせ、
訓練のたえざる反復によつて、その制約による技術を無意識の領域へしみわたらせ、いざといふ場合に、無意識の
力を自由に最高度に働かせるといふ方法論を持つてゐるが、踊りに比べれば、その目的意識が、純粋な生命の
よろこびを妨げてゐる。
踊りはよろこびなのである。悲しみの表現であつても、その表現自体がよろこびなのである。踊りは人間の肉体に
音楽のきびしい制約を課し、その自由意思をまつ殺して、人間を本来の「存在の律動」へ引き戻すものだといへる
だらう。ふしぎなことに、人間の肉体は、時間をこまごまと規則正しく細分し、それに音だけによる別様の法則と
秩序を課した、この音楽といふ反自然的な発明の力にたよるときだけ、いきいきと自由になる。
三島由紀夫「踊り」より といふことは、音楽の法則性自体が、一見反自然的にみえながら、実は宇宙や物質の法則性と遠く相呼応して
ゐるかららしい。そこに成り立つコレスポンデンス(照応)が、おそらく踊りの本質であつて、われわれは
かういふコレスポンデンスの内部に肉体を置くときのほかは、本当の意味で自由でもなく、また、本当の生命の
よろこびも知らないのだ、としかいひやうがない。
(中略)ずいぶん話が飛んだやうだが、実は私は、新年といふ習慣も、この踊りの一種であるべきであり、新春の
よろこびも、この踊りのよろこびであるべきだといひたかつたのである。新しい年の抱負などと考へだした途端に、
われわれの自由意思は暗い不安な翼をひろげ、未来を恐怖の影でみたしてしまふ。未来のことなどは考へずに
踊らねばならぬ。たとへそれが噴火山上の踊りであらうと、踊り抜かねばならぬ。いま踊らなければ、踊りは
たちまちわれわれの手から抜け出し、われわれは永久によろこびを知る機会を失つてしまふかもしれないのである。
三島由紀夫「踊り」より お伽噺のなかで犬が歌ひ茶碗が物語り草木や花が物を言ふやうに、芸術とは物言はぬものをして物言はしめる
腹話術に他ならぬ。この意味でまた、芸術とは比喩であるのである。物言はんとして物言ひうるものは物言はして
おけばよい。そこへ芸術は手を出すに及ばぬ。それはそもそも芸術の領分ではなく、神が掌(つかさど)る所与の
世界の相(すがた)であるから。――しかし処女は物言はぬ。一凡人の平坦な生涯は物言はぬ。そこに宿つた
平凡な幸福は物言はぬ。ありふれた幸福な夫婦生活は物言はぬ。ありふれた恋人同志は物言はぬ。要するに
類型それ自体は決して物言はない。すぐれた芸術は類型それ自体をゑがかずして、しかもその背後にはもつとも
あり来りの凡々たる類型が物言はしめられてゐることを注意すべきだ。幸福は類型的なるものの代表である。
それゆゑにこそわれわれは過去の芸術のなかに、喜劇と比べて量に於ても質に於てもはるかにすぐれた悲劇を
持つてゐる。してみればロマンティスムの象徴せんとするものは生れ生き恋し結婚し子をまうけ凡々たるノルマルな
生活それ自体に他ならないかもしれない。
三島由紀夫「川端康成論の一方法――『作品』について」より ――物言はぬものをして物言はしめる意慾は、自ら物言はぬものとなつては果されぬ。物言はぬもの、それが作品の
素材である。川端康成の生活にはこの素材の部分が全く欠如してゐる。書かれる自我はない。彼の書く手の周囲、
彼の書く存在の周囲に、物言はぬもの、即ち処女や恋人同志や夫婦や、踊子たちがむらがつた。彼らはやさしい
媚びるやうな目でこの詩人的作家をみつめてゐる。彼らは処女が「自ら歌へぬ」存在であることを誰よりも切なく
知悉してゐるこの不幸な作家をみつめてゐる。その限りで、彼らはお伽噺のなかの犬や茶碗に等しい。処女たちは、
踊子たちは禽獣であつた。ここに川端康成の孤独がはじまる。自己の中に存する物言はぬもの(即ち書かれるもの)と、
外界の物言はぬものたちとの、共感や友愛やはたまた馴れ合ひや共謀やは、彼の場合はじめからありえぬことだつた。
三島由紀夫「川端康成論の一方法――『作品』について」より (中略)
作品を読むことによつてその内容が読者の内的経験に加はるやうに、一人の女の肉体を知ることはまた一瞬の裡に
その女の生涯を夢みその女の運命を生きることでもある。作品が存在した故に作品の内容が内的体験となつて再び
生の実在に導き入れられるのではなく、生をして夢みさしめ数刻を第二の生のうちに生かしめたが為に芸術作品は
存在しはじめるのかもしれない。してみれば女が先づ在つて運命が存在しはじめるのではなく、われわれが生を
運命として感じ歌ひ描き夢みること、その行為の象徴として女が存在しはじめたのかもしれないのだ。その時
われわれが自らの自我の周囲におびただしい物言はぬ存在を――つまりはわれわれ自身の孤独の投影を――
感じることは、やがて芸術の始源を通して芸術を見、一つの決定された作品としての運命を蝕知することだ。
少くともその瞬間、われわれは川端康成と共に、自己の存在が一つの作品に他ならないことを感じるであらう。
彼の文学を知る道も、この他にはないのである。
三島由紀夫「川端康成論の一方法――『作品』について」より 処女も小鳥も犬も、自らは語り出さない、絶対に受身の存在の純粋さを帯びて現はれる。精神的交流によつて
エロティシズムが減退するのは、多少とも会話が交されるとき、そこには主体が出現するからである。到達不可能な
ものをたえず求めてゐるエロティシズムの論理が、対象の内面へ入つてゆくよりも、対象の肉体の肌のところで
きつぱり止まらうと意志するのは面白いことだ。真のエロティシズムにとつては、内面よりも外面のはうが、
はるかに到達不可能なものであり、謎に充ちたものである。処女膜とは、かくてエロティシズムにとつては、
もつとも神秘的な「外面」の象徴であつて、それは決して女性の内面には属さない。
川端文学においては、かくて、もつともエロティックなものは処女であり、しかも眠つてゐて、言葉を発せず、
そこに一糸まとはず横たはつてゐながら、水平線のやうに永久に到達不可能な存在である。「眠れる美女」たちは、
かういふ欲求の論理的帰結なのだ。
三島由紀夫「解説(『日本の文学38川端康成集』)」より 「学習院の連中が、ジャズにこり、ダンスダンスでうかれてゐる、けしからん」と私が云つたら氏は笑つて、
「全くけしからんですね」と云はれた。それはそんなことをけしからがつてゐるやうぢやだめですよ、と云つて
ゐるやうに思はれる。
川端氏のあのギョッとしたやうな表情は何なのか、殺人犯人の目を氏はもつてゐるのではないか。僕が「羽仁五郎は
雄略帝の残虐を引用して天皇を弾劾してゐるが、暴虐をした君主の後裔でなくて何で喜んで天皇を戴くものか」と
反語的な物言ひをしたらびつくりしたやうな困つたやうな迷惑さうな顔をした。
「近頃百貨店の本屋にもよく学生が来てゐますよ」と云はれるから、
「でも碌(ろく)な本はありますまい」
と云つたら、
「エエッ」とびつくりして顔色を変へられた。そんなに僕の物言ひが怖ろしいのだらうか。
雨のしげき道を鎌倉駅へかへりぬ。
平岡公威(三島由紀夫)21歳「川端康成印象記」より 文学に対する情熱は大抵春機発動期に生れてくるはしかのやうなものである。一度女と寝てみたいと少年が
夢みるやうに、一度小説といふものを書いてみたいと、少年は空想する。
(中略)
ニイチェが孔雀のやうなきらびやかな奇警な本をつぎつぎと書いたのは、彼の梅毒初期であつた。それと知らずに
彼自身は自分が天才である証拠としか考へなかつた。しかし芸術家の健康とはかくの如きものである。彼の精神が
最高度の高さと深さと幅において表現される状態が、この一種宙に泛んで透明な自我の構造をすみずみまで
見渡せるやうな状態が芸術家の本当の健康の姿である。生涯にわたつて創造力の朗らかな湧出の尽きない作家とは、
いはば内部のどこかしらに梅毒初期の症状の如きものを恒久的に手なづけてゐる作家であつて、ゲーテのやうな
人間をふつうの意味で健全な悠々たる半神のやうに思ふのは俗見にすぎず、ゲーテはむしろ病症を巧みに固定し
再構成した作家であつた。思春期もまたかくの如きものである。
三島由紀夫「文学に於ける春のめざめ」より われわれは人生を自分のものにしてしまふと、好奇心も恐怖もおどろきも喜びも忘れてしまふ。思春期に於ては
人生は夢みられる。われわれ生きることと夢みることと両方を同時にやることができないのであるが、かういふ
人間の不器用に思春期はまだ気づいてゐない。
(中略)
思春期にある潔癖感は、多く自分を不潔だと考へることから生れてくる。かう考へることは少年たちを安心させるが、
それは自分がまだ人生から拒まれ排斥されてゐるといふ逆説的な怠惰な安堵なのである。谷崎潤一郎氏の「少年」は
この心理の証明であり、「神童」はそれと全く反対の方向の正常な心理の解明である。(中略)
「神童」の主題は、あらゆる思春期の怠惰をもたない勤勉と立身出世の主題でありこの人生における勤勉は、
人生における怠惰の上に成立つてゐた「神童」の名を滅ぼすのであるが、このとき滅びるものは「神童」の
名のみではなく、彼の中にあらゆる抵抗を以て育つてゐた純潔な怠惰、詩の本能もまた滅びるのである。思春期を
殺してしまつた詩人といふものは考へられない。
三島由紀夫「文学に於ける春のめざめ」より 氏ほど秘密を持たない精神に触れたことがないと私が言つても、おそらく誇張にはなるまいと思ふ。秘密とは何か?
一体、人間に重大な秘密なんてものがありうるのか? われわれに向つてすぐさまかう問ひかけてくるのが、
氏の精神なのである。これは破壊的な質問であるが、氏は決して論理を以て追究することはない。問ひかけただけで
相手が凍つてしまふことが確実であるとき、どうして論理が要るだらう。
氏自身はダリの画中の人物のやうに、風とほしのよい透明きはまる存在であるのに、私は氏に接してゐると、
氏が自分の外部世界のお気に入りの事物へ秘密を賦与してゆく精妙な手つきが見えるのであつた。そこで氏が
世間の目に半ば謎のやうにみえてゐる理由も判然とする。氏自身の精神には毫も秘密がないのに、氏は自ら与へた
秘密の事物に充ちた森に囲まれてゐるからだ。その森には禽獣が住んでゐる。美しい少女たちが眠つてゐる。
眠つてゐる存在が秘密であるとは、秘密は人間の外面にしかないといふ思想に拠つてゐる。その存在を揺り
起してはならない。
三島由紀夫「川端康成読本序説」より 揺り起せば、とたんに秘密は破れ、口をきく少女や口をきく禽獣は、たちまち凡庸な事物に堕するのだ。なぜなら
そこから、心が覗けてしまふからだ。そして心には美も秘密もない。川端文学が、多くの日本の近代小説家が
陥つた心理主義の羂(わな)に、つひに落ちずにすんできたのには、こんな事情がある。――これは存在に対する
軽蔑だらうか? 軽蔑から生れた愛だらうか? それとも存在に対する礼儀正しさと賢明な節度だらうか?
そこに保たれる情熱だらうか?……この二つの見方で、川端文学に対する見方はおそらく劃然と分れる。
前者の見方を固執すれば、氏の文学は反人間主義の文学で、厭世哲学の美的な画解きのやうに思はれてくる。
また後者の見方を敷衍すれば、「川端先生の小説つて素敵だわ」と言ふ若いセンチメンタルな女性読者の、
「清潔好き」の嗜好までも含めることになる。氏の文学の読者層の広汎なことは、かういふさまざまな誤解を
ゆるすところにあるのであらう。それはそれでいいので、いささかの誤解も生まないやうな芸術は、はじめから
二流品である。
三島由紀夫「川端康成読本序説」より 私の考へでは、氏の文学の本質は、相反するかのやうにみえるこの二つの見方、二つの態度の、作品の中でだけ
可能になるやうな一致と綜合であらうと思ふ。もしわれわれが畏敬すべきものだけを美とみとめるなら、美の世界は
どんなに貧弱になるだらう。のみならず、畏敬そのものに世間の既成の価値判断がまざつてゐるならば、美の世界は
どんなに不純なものになるだらう。それならむしろ、やさしい軽蔑で接したはうが、美は素直にその裸の姿を
あらはすだらう。しかし軽蔑が破壊に結びつき、美の存在の形へづかづかと土足で踏み込むやうなことをしたら、
この語らない美は瞬時にして崩壊するだらう。われわれは美の縁(へり)のところで賢明に立ちどまること以外に、
美を保ち、それから受ける快楽を保つ方法を知らないのである。こんなことは人間の自明の宿命であるが、現実の
世界では、盲目の人間たちがたえずこの宿命を無視し、宿命からしつぺ返しを喰はされてゐる。川端氏は作品の
中でだけ、この宿命そのものを平静に描いてみせるのである。
三島由紀夫「川端康成読本序説」より 子供はよもや鯉幟(こひのぼり)を、形やデザインの面白さといふふうには見まい。小学校では五月の図画の時間に、
よく鯉幟の絵を描かされるが、子供の描く鯉幟はいづれも概念的で、青葉若葉に埋もれた家々の屋根高く、
緋鯉と真鯉が、地面と平行に景気よく風をはらんでゐる姿である。風がなくて、ダランとした鯉幟を描く子は、
よほどの問題児であると考へてよいが、どの子も、実際は、風がなくて垂れた鯉幟を見てゐるのに、絵に描くと
さうは描かない。ある意味では、垂れた鯉はリアリズムなのであるが、子供は、物事を典型的な、あるべき姿でしか
とらへようとしないのである。それに、垂れた鯉は本当の魚ではなくて、ただの布のオモチャだといふことを、
あからさまに証明してゐる。しかし風をはらんだ鯉は、ウソと本当、象徴と現実とを兼ねて、遊泳してゐるのである。
大胆で誇張された鯉幟のデザインは、遠目で見られることを計算してゐる点で、あくまで機能的である。歌舞伎の
小道具に見られるやうな、強い、なまなましい、野蛮な配色が、鯉の活力を表現してゐる。
三島由紀夫「こひのぼり」より 殊に真鯉は、五月の青空を背景にして、その黒い鱗の土俗的な新鮮さが、官能的でさへある。日本の五月の空が
こんなに明るく、日本の五月の風がこんなに光りに充ちてゐなかつたら、もちろんこんな配色やデザインは
生れなかつたであらう。(中略)
インドには、ヒンズー教の一つのあらはれとして、サクティ(エネルギーの意)崇拝といふのがあつて、
エネルギーは本来女性に属するものと考へられ、その神像は大地母神カリやドゥルガである。
日本の鯉幟に象徴されてゐるエネルギーはあくまで男性の活力であつて、武士階級の思想をあはらしてゐる。
農耕民族の神話時代の日本人は、天照大神をすべてのエネルギーの源泉と考へたのであるが、武士社会の
男性中心主義が、男性的活力を、ほがらかな明るい五月の空に、尚武の象徴としてひるがへしたのは当然である。
今のやうな女性の強力な時代には、そして日本男児がこれほど衰微した時代には、鯉幟なんか廃棄されても
よささうなものであるが、これに代る女性的活力の象徴としては、まさか、パンティーをひるがへすわけには行くまい。
三島由紀夫「こひのぼり」より 川端さんは、暗黒時代に生きる名人で、川端さんにとつて「よい時代」などといふのはなかつたにちがひない。
「葬式の名人」とは、川端さんにとつて、「生きることの名人」の同義語に他ならなかつた。この世は巨大な
火葬場だ。それなら、地獄の火にも涼しい顔をして生きなければならないが、現代はどうもそればかりではないらしい。
地獄の焔が、つかんでも、スルスル逃げてしまふのである。そして頬に当るのは生あたたかい風ばかりである。
これには川端さんも少し閉口されたらしい。「眠れる美女」は、そのやうな精神の窒息状態のギリギリの舞踏の
姿である。あの作品の、二度と浮ぶ見込のなくなつた潜水艦の内部のやうな、閉塞状況の胸苦しさは比類がない。
そこで川端さんの睡眠薬の濫用がはじまり、濫用だけに終つてゐればよかつたが、その突然の停止が、あたかも、
潜水夫が急に海面に引き上げられたやうな、怖ろしい潜水病に似た発作を起した。精神を海底に沈下させたまま、
肉体だけ急速に浮き上らうとした結果と思はれる。――医学的に云へば、何のことはない、睡眠薬中毒の禁断
症状である。
三島由紀夫「最近の川端さん」より 電気の世の中が蛍光電灯の世の中になつて、人間は影を失なひ、血色を失なつた。蛍光灯の下では美人も幽霊の
やうに見える。近代生活のビジネスに疲れ果てた幽霊の男女が、蛍光灯の下で、あまり美味しくもなささうな色の
料理を食べてゐるのは、文明の劇画である。
そこで、はうばうのレストランでは、臘燭が用ひられだした。磨硝子の円筒形のなかに臘燭を点したのが卓上に
置かれる。すると、白い卓布の上にアット・ホームな円光がゑがかれ、そこに顔をさし出した女は、周囲の暗い
喧騒のなかから静かに浮彫のやうに浮き出して見え、ほんの一寸した微笑、ほんの一寸した目の煌めきまでが
いきいきと見える。情緒生活の照明では、今日も臘燭に如くものはないらしい。そこで今度は古来の提灯が
かへり見られる番であらう。
子供のころ、こんな謎々があつた。
「火を紙で包んだもの、なあに」
この端的な提灯の定義は、今日でも外国人の好奇心を誘ふものであらう。
私の幼年時代はむろん電気の時代だつたが、提灯はまだ生活の一部に生きてゐた。
三島由紀夫「臘燭の灯――今月の表紙に因んで」より 内玄関の鴨居には、家紋をつけた大小長短の提灯が埃まみれの箱に納められてかかつてゐた。火事や変事の場合は、
それらが一家の避難所の目じるしになるのであつた。
提灯行列は軍国主義花やかなりし時代の唯一の俳句的景物であつたが、岐阜提灯のさびしさが今日では、生活の中の
季節感に残された唯一のものであらう。盆のころには、地方によつては、まだ盆灯籠が用ひられてゐるだらうが、
都会では灯籠といへば、石灯籠か回はり灯籠で、提灯との縁はうすくなつた。
「大塔宮曦鎧」といふ芝居があつて、その身替り音頭の場面には、たしか美しい抒情的な切子(きりこ)灯籠が
一役買つてゐた。切子灯籠は、歳時記を見ると、切子とも言ひ、灯籠の枠を四角の角を落とした切子形に作り、
薄い白紙で張り、灯籠の下の四辺には模様などを透し切りにした長い白紙を下げたもの、と書いてある。江戸時代の
庶民の発明した紙のシャンデリアである。
花灯籠、絵灯籠、灯籠流し、といふのはもう言葉ばかりで、正直のところ、私の都会生活で、ゆらめく臘燭の灯に
接する機会は、レストランか、さもなければ停電の夜だけになつた。
三島由紀夫「臘燭の灯――今月の表紙に因んで」より 青春といふものは明るいと思へば暗く、暗いと思へば明るく、自分がその渦中に在るあひだは五里霧中でありながら、
時経てかへりみると、村の教会の尖塔のやうにくつきりと日を受けて輝やいてゐる。意味があると思へばあり、
ないと思へばなく、生の激湍(げきたん)と死の深淵とにふたつながら接し、野心と絶望を併せ蔵してゐる。
ティボーデが、小説に青年を書いて成功したものの少ないことを指摘してゐるのは、青春のかういふ特質に
よるのであらう。いはば深海魚が大気の中に引揚げられると変形されてしまふやうに、青春の姿は、さういふ
変形された形でしかとらへられぬものかもしれない。
しかし青春も亦、病気のやうに、一人一人がその中を生きるもので、いづれは治る病気ではあるけれど、療法を
あやまると、とりかへしのつかないことになる。
(中略)
青春を十分に生き抜いて、それから糧をとるのは、各人各様の誠実さにかかつてゐるのである。
三島由紀夫「あとがき(『青春をどう生きるか』)」より 現代の若い人たちの特徴として、欲望の充足そのものをあまり重要なものとしてゐないのではないかと僕は思ふ。
それは欲望を充足してから後に、いつも「たしかこれだけではないはずだ」といふやうな飢餓の気持に襲はれて、
その感じの方が欲望の充足といふことよりも強く来てしまふんです。女の人に関しては、まだまだ欲望の充足といふ
ことは大問題かもしれないけれども、若い男にとつては欲望の充足だけが人生の大問題であるなんてことは、
ほとんどないんぢやないかと思ふ。
(中略)性欲の満足といふことは、その満足するまでの過程においては、いろいろな障害もあつて、それが非常な
重大問題のやうにも考へられるし、一生の悲劇の原因にもなるわけです。しかし今はさういふものに対して、
あまりにも近道が発達してゐるものだから、人間のかなり大事な一つの仕事である生殖作用が、だんだん軽く
なつてゐる。その一つの現はれがペッティングなどといふことになるんだけれども、これからますますかういふ
傾向がひどくなるんぢやないかと思ふ。
三島由紀夫「欲望の充足について――幸福の心理学」より その結果、若い人たちの性欲以外のいろいろな欲望に対する追求も、だんだんとねばりがなくなり、非常に
ニヒリスティックになるといふことは言へると思ふ。
たとへば明治時代の立身出世主義のやうに一つの公認されてゐる社会的欲望が、大多数の人たちを動かしてゐた
時代もあるわけです。さうすると、社会的欲望の充足が、だれが見ても間違ひのない社会における完全な勝利になる。
さういふ時代には、あらゆる条件がそれに伴つて動いてゐたと思ふんです。たとへば上昇期の資本主義の時代、
さうして日本が近代国家として統一されて、まだ間もない時代、しかも恋愛の自由がまだ完全にない時代――
もちろんプロスティチュートはたくさんゐたし、さういふことの満足は幾らでも得られたけれども、普通の恋愛が
まだ非常に困難であつた時代、従つてたとひ男がプロスティチュートを買つても、精神的に非常にストイックだつた
時代、さういふ頃には、欲望の充足といふことは、みんな一つの大きな方向に向つた大事業だつたといつていいと思ふ。
三島由紀夫「欲望の充足について――幸福の心理学」より だからさういふ立身出世主義みたいな世俗的なものの裏返しとしては、あの時代は理想主義の時代だつたとも
言へるかもしれない。
けれども今の時代は、普通の若い人たちの間で、必ずしもプロスティチュートでなくても、欲望の充足が非常に
簡単になつて来てゐる。その簡単になつて来たといふ背後には、逆にどうやつてもいろいろな社会的な欲望の
充足が困難になつて来たといふ事情も入つてゐると思ふ。たとへば今学校で子供たちに、将来何になりたいかと
聞いたならば、大臣になりたいなどといふ子供はあまりゐないだらうし、大将などはなくなつてしまつたやうな
ものだし、みんなのなりたいものは、プロ野球の選手だとか映画俳優くらゐしかなくなつてしまつた。さうして
社会が一種の袋小路に入つてゐて、未来の日本の希望といふものもあまり見られないし、社会そのものが今
発展期にないといふことが、非常に概念的な言ひ方だけれども、簡単に欲望が満足させられてしまふ悲しさ、
空虚感に、ますます拍車をかけてゐるといふ感じがする。
三島由紀夫「欲望の充足について――幸福の心理学」より そこで欲望の充足といふことは、ほかの項目にある刺激飢餓といふことに、すぐ引つかかつて来る。ヒロポンとか
パチンコとか麻雀とかに対する狂熱的な欲望も、みんなさういふところに入つて来ると思ふのです。
だから性欲なら性欲といふことを一つ考へても、それにいろいろな条件がからんで来るので、もし性欲が非常に
簡単に満足されるとすれば、何も性欲である必要はないんです。それはある場合においては賭事であつてもいいし、
目先の小さな刺激であつてもいいし、何でもいいわけです。つまり一つの欲望が非常に大事であるといふことに
なれば、ほかの欲望もみんな大事であると言へると思ふ。もし性欲の満足が非常に大事な問題であれば、ほかの
欲望もそれぞれ人生の中での大問題になる。一つの欲望の充足がくだらぬことになつてしまへば、ほかもみんな
くだらなくなつてしまふ。それが両方から鏡のやうに相投射してゐるから、何も女の子を追つかけなくても、
ヒロポンを打つてゐればいいといふことになる。さうしてヒロポンがこはいといふ人は麻雀をやつてゐればいいと
いふことになる。
三島由紀夫「欲望の充足について――幸福の心理学」より さういふ点から見てみると、案外今の若い人には――それは新聞や雑誌の言ふやうに性道徳が乱れてめちやくちやに
なつてゐるといふ部分もあるでせうけれども、一部分には何だか全然何も考へないでパチンコばかりやつてゐて
女の子とつき合ふこともない。ヒロポンなんか少し甚だしいけれども、一方では女の子とちつともつき合はないで
麻雀ばかりやつて、うたた青春を過してゐるのも多いんぢやないか。従つてすべてに欲望がなくなつた時代とも
言へるんぢやないかと思ふ。
それから、話は少しずれますけれども、(中略)せちがらい世の中だから無理もないと思ふけれども、小説を
書くといふことを一つの職業として、初めから功利の追求ばかり考へてゐる人が割合に多い。だから芸術の分野でも、
自分の純粋な欲望を充足させるために、ものを書くといふ本源的なものを見失つてゐる人が多いんぢやないか。
芸術なんか一番欲望の源泉に近いとこから出て来たものでなければ人を打たないから、もし全然欲望を失つた状態で
世の中に出て来れば、どうしたつて非常につまらないものになると思ふんです。
三島由紀夫「欲望の充足について――幸福の心理学」より 自分の欲望に根ざした芸術をやるといふことは、結局自分の存在理由(レーゾンデートル)を探すことなんですが、
今の若いゼネレーションには、自分の存在理由を探すなどといふことは考へたくないといふ心理があるんぢや
ないかと思ふ。それで自分の存在理由を探すことは、自分の欲望を探すことでもある。さうすると、自分は
どうしても絵を描きたいといふ欲望があるならば、それが自分の絵描きとしての存在理由であるといふところまで
突きつめて考へてみなければならない。今はさういふことを考へるのはむづかしい時代かもしれない。(中略)
何でも物事には例外があるのだから、かういふ時代になつて自分のオリジナリティを探すことがむづかしくなれば
なるほど、本当の才能といふものは、さういふものを探して行くだらうし、さういふ意味では僕は芸術は決して
時代によつて左右されるものぢやないと思ふ。
(談)
三島由紀夫「欲望の充足について――幸福の心理学」より 大体明治以来の作家を、文章に於て、三大別することができる。独創的なスタイルを作つた作家と、体質的な
スタイルを身につけた作家と、人工的なスタイルの作家と三種類である。小説はスタイルばかりで値打が
決るものではないから、俄かにこの三種類の優劣を定めるわけにはゆかないが、第一類の総代が森鴎外で、
ずつと下つて、小林秀雄や堀辰雄がこの系列に入る。第二類の総代が夏目漱石で、武者小路実篤や丹羽文雄や
武田泰淳までがこの系列に入る。第三類の総代が、泉鏡花あるひは芥川龍之介で、横光・川端はほぼこの系列の
作家である。
しかし鏡花と龍之介を一緒に第三類にぶちこむには異論があるにちがひない。事実、この第三類はもつとも厄介な
問題を蔵してをり、人工的な天性をそのまま人工的文体に生かした鏡花のやうな、第二類の変種のやうな作家も
ゐれば、人工的な天性から逆の自然的なスタイルを生み出さうとして苦闘した龍之介もある、といふ風である。
横光はどちらかといふとこの龍之介型、苦闘型であり、川端は、鏡花型、人工的天性型だといへるであらう。
三島由紀夫「横光利一と川端康成」より (引用略)
「機械」のラストの文章である。
故意に句読点と段落を極度に節約し、文脈には飜訳調を故意にとり入れてゐる。すべてが、この小説の主題の
展開にふさはしいやうに作り上げられた文章である。これだけの引用ではわからないが、「機械」一篇を読了して
この結末に来ると、実際「機械の鋭い先尖がぢりぢり」読者を狙つて来るやうに感じられるのである。
われわれは日本人である以上、日本語の文章を書くわけだが、日本語の一語一語が持つてゐる伝統的ニュアンスと
いふものは否定しがたく、多くはそのニュアンスによりかかつて文章を書くわけである。手紙の候文などは
その極端なものであらう。
横光が「機械」の文章で試みた実験は、日本語から歴史や伝統を悉く捨象して、意味だけを純粋につたへるところの
いはば無機質の文章を書くことであつた。右の引用文でも、かういふ試みの極点に達してゐることがみとめられよう。
三島由紀夫「横光利一と川端康成 一 横光利一」より 明治の哲学者は、ドイツの観念論哲学の用語をそれぞれ飜訳して、該当する漢語を作りだし、それを組み合はせて、
今までにない抽象的な日本文を作つた。ところがさうして作られた言葉も、何十年かたつと、苔が生えるやうに、
日本語としての複雑なニュアンスを帯びてくるから、ふしぎである。
しかしさういふ意味では、「機械」の文章は、今日も日本の歴史の苔のつかないふしぎな乾燥した抽象的性格を
保持してゐる。それはまた題材乃至主題との幸福な出会ひでもあり、横光はかうして作つた文体でいくつかの
短編を書くが、それが彼の固有の文体にまではならないのである。
(中略)横光の到達しえた最もリアリスティックな文章は、したがつて、「機械」の文章――氏の技法上の冒険が、
人間性探求の冒険と、最も無垢に歩調を合はせたときに生れた文章――であるといへよう。
氏の晩年の作品では、「微笑」が傑作と思はれ、又その文章は、青春時代の叙情をよみがへらせたふしぎな
みづみづしさをもつてゐるが、紙数の関係で割愛する。
三島由紀夫「横光利一と川端康成 一 横光利一」より 横光と比べると、川端康成は自己批評の達人であり、どうにもならない自分の資質に対して、これほど聡明に
身を処して来た人はめづらしい。氏の文章も、それをよくあらはしてゐる。(中略)
氏の文章は、感覚だけでしか、外界とつながらうとしないのである。つまり自分の長所、得手によつてしか。
(中略)
氏の文章を、横光利一のやうに、段階的に分けて見ることはむづかしい。又その必要もなささうに思はれる。
芸術家としての氏にはかつて自己革命といふのがなかつたから、文章にもそれのあるわけがないのである。
かうした事情は、最も幸福な、又、最も不幸な芸術家の宿命である。氏の文章を初期から最近までずつと見て
来た者は、実際、真の芸術家には、自己革命なんてある筈がないといふ奇妙な逆説的確信にとらはれてしまふ。
なるほど、例へが突飛だが、スタンダールにはそんなものはなかつた。
三島由紀夫「横光利一と川端康成 二 川端康成」より 川端康成の文章の極意は、一行から一行への神秘な転調にあるので、構文そのものにあるのではない。構文
そのものには特色がないことが、私をして、決して独創的な文章ではないと言はしめる所以である。
(中略)
文章といふものには、どんなそつけない散文にも、内的な音楽といふものがある。氏の文章にはそれがない。
これは実におどろくべきことだ。ためしに氏の小説を朗読してみるがいい。たとへば永井荷風の小説などに比べたら、
朗読の快感といふものはほとんどない筈である。
しかし強ひて言へば、この世のものならぬ音楽性といふものはある。それは琴の絃が突然切れたひびきや、精霊を
よび出す梓弓の弾かれた弦の音のやうなものである。氏の小説にたびたび用ひられる頻繁な改行の技巧は、実は
かうした音の突然の断絶の効果ではあるまいか。してみればさういふ改行の配慮は、氏の音楽性に対する配慮と
いへるかもしれない。
三島由紀夫「横光利一と川端康成 二 川端康成」より 女性は抽象精神とは無縁の徒である。音楽と建築は女の手によつてろくなものはできず、透明な抽象的構造を
いつもべたべたな感受性でよごしてしまふ。構成力の欠如、感受性の過剰、瑣末主義、無意味な具体性、低次の
現実主義、これらはみな女性的欠陥であり、芸術において女性的様式は問題なく「悪い」様式である。(中略)
実際芸術の堕落は、すべて女性の社会進出から起つてゐる。女が何かつべこべいふと、土性骨のすわらぬ
男性芸術家が、いつも妥協し屈服して来たのだ。あのフェミニストらしきフランスが、女に選挙権を与へるのを
いつまでも渋つてゐたのは、フランスが芸術の何たるかを知つてゐたからである。(中略)
道徳の堕落も亦、女性の側から起つてゐる。男性の仕事の能力を削減し、男性を性的存在にしばりつけるやうな
道徳が、女性の側から提唱され、アメリカの如きは女のおかげで惨澹たる被害を蒙つてゐる。悪しき人間主義は
いつも女性的なものである。男性固有の道徳、ローマ人の道徳は、キリスト教によつて普遍的か人間道徳へと
曲げられた。そのとき道徳の堕落がはじまつた。道徳の中性化が起つたのである。
三島由紀夫「女ぎらひの弁」より 一夫一婦制度のごときは、道徳の性別を無視した神話的こじつけである。女性はそれを固執する。人間的立場から
固執するのだ。女にかういふ拠点を与へたことが、男性の道徳を崩壊させ、男はローマ人の廉潔を失つて、
ウソをつくことをおぼえたのである。男はそのウソつきを女から教はつた。キリスト教道徳は根本的に偽善を
包んでゐる。それは道徳的目標を、ありもしない普遍的人間性といふこと、神の前における人間の平等に置いて
ゐるからである。これな反して、古代の異教世界においては、人間たれ、といふことは、男たれ、といふことで
あつた。男は男性的美徳の発揚について道徳的責任があつた。なぜなら世界構造を理解し、その構築に手を貸し、
その支配を意志するのは男性の機能だからだ。男性からかういふ誇りを失はせた結果が、道徳専門家たる地位を
男性をして自ら捨てしめ、道徳に対してつべこべ女の口を出させ、つひには今日の道徳的瓦解を招いたものと
私は考へる。一方からいふと、男は女の進出のおかげで、道徳的責任を免れたのである。
三島由紀夫「女ぎらひの弁」より サディズムとマゾヒズムが紙一重であるやうに、女性に対するギャラントリィと女ぎらひとが紙一重であると
いふことに女自身が気がつくのは、まだずつと先のことであらう。女は馬鹿だから、なかなか気がつかないだらう。
私は女をだます気がないから、かうして嫌はれることを承知で直言を吐くけれども、女がその真相に気がつかない間は、
欺瞞に熱中する男の勝利はまだ当分つづくだらう。男が欺瞞を弄するといふことは男性として恥づべきことであり、
もともとこの方法は女性の方法の逆用であるが、それだけに最も功を奏するやり方である。「危険な関係」の
ヴァルモン子爵は、(中略)女性崇拝のあらゆる言辞を最高の誠実さを以てつらね、女の心をとろかす甘言を
総動員して、さて女が一度身を任せると、敝履(へいり)の如く捨ててかへりみない。(中略)
女に対する最大の侮蔑は、男性の欲望の本質の中にそなはつてゐる。女ぎらひの侮蔑などに目くじら立てる女は、
そのへんがおぼこなのである。
三島由紀夫「女ぎらひの弁」より (中略)
私が大体女を低級で男を高級だと思ふのは、人間の文化といふものが、男の生殖作用の余力を傾注して作り上げた
ものだと考へてゐるからである。蟻は空中で結婚して、交尾ののち、役目を果した雄がたちまち斃れるが、雄の
本質的役割が生殖にあるなら、蟻のまねをして、最初の性交のあとで男はすぐ死ねばよいのであつた。
omne animal post coitum triste(なべての動物は性交のあとに悲し)といふのは、この無力感と死の予感の痕跡が
のこつてゐるのであらう。が、概してこの悲しみは、女には少く、男には甚だしいのが常であつて、人間の文化は
この悲しみ、この無力感と死の予感、この感情の剰余物から生れたのである。したがつて芸術に限らず、
文化そのものがもともと贅沢な存在である。芸術家の余計者意識の根源はそこにあるので、余計者たるに悩むことは、
人間たるに悩むことと同然である。
男は取り残される。快楽のあとに、姙娠の予感もなく、育児の希望もなく、取り残される。この孤独が生産的な
文化の母胎であつた。
三島由紀夫「女ぎらひの弁」より したがつて女性は、芸術ひろく文化の原体験を味はふことができぬのである。文化の進歩につれて、この孤独の意識を
先天的に持つた者が、芸術家として生れ、芸術の専門家になるのだ。私は芸術家志望の女性に会ふと、女優か
女声歌手になるのなら格別、女に天才といふものが理論的にありえないといふことに、どうして気がつかないかと
首をひねらざるをえない。
あらゆる点で女は女を知らない。いちいち男に自分のことを教へてもらつてゐる始末である。教師的趣味の男が
いつぱいゐるから、それでどうにか持つてゐるが、丁度眼鏡を額にずらし上げてゐるのを忘れて、一生けんめい
眼鏡をさがしてゐる人のやうに、女は女性といふ眼鏡をいつも額にずらして忘れてゐるのだ。(時には故意に!)
こんな歯がゆい眺めはなく、こんな面白くも可笑しくもない、腹の立つ光景といふものはない。私はそんな明察を
欠いた人間と附合ふのはごめんである。うつかり附合つてごらん。あたしの眼鏡をどこへ隠したのよ、とつかみ
かかつてくるに決つてゐる。
もつとも女が自分の本質をはつきり知つた時は、おそらく彼女は女ではない何か別のものであらう。
三島由紀夫「女ぎらひの弁」より 中世における世界像の縮小とコロンブスのアメリカ発見による再拡大、近世における植民地の争奪による世界像の
終局的拡大、……かういふものを通じて、前大戦後の失敗にをはつた国際連盟あたりから、世界国家の理想が
登場してくる。第二次世界大戦後にもこの理想は、国際連合の形で生き延びてゐる。
そこで問題は、原子爆弾と国際連合との宿命的なつながりに帰着する。
われわれはもう個人の死といふものを信じてゐないし、われわれの死には、自然死にもあれ戦死にもあれ、
個性的なところはひとつもない。しかし死は厳密に個人的な事柄で、誰も自分以外の死をわが身に引受けることは
できないのだ。死がこんな風に個性を失つたのには、近代生活の劃一化と劃一化された生活様式の世界的普及に
よる世界像の単一化が原因してゐる。
ところで原子爆弾は数十万の人間を一瞬のうちに屠るが、この事実から来る終末感、世界滅亡の感覚は、おそらく
大砲が発明された時代に、大砲によつて数百の人間が滅ぼされるといふ新鮮な事実のもたらした感覚と同等の
ものなのだ。
三島由紀夫「死の分量」より 小さな封建国家の滅亡は、世界の滅亡と同様の感覚的事実であつた。われわれの原子爆弾に対する恐怖には、
われわれの世界像の拡大と単一化が、あづかつて力あるのだ。原爆の国連管理がやかましくいはれてゐるが、
国連を生んだ思想は、同時に原子爆弾を生まざるをえず、世界国家の理想と原爆に対する恐怖とは、互ひに力を
貸し合つてゐるのである。
交通機関の発達と、わづか二つの政治勢力の世界的な対立とは、われわれの抱く世界像を拡大すると同時に
狭窄にする。原子爆弾の招来する死者の数は、われわれの時代の世界像に、皮肉なほどにしつくりしてゐる。
世界がはつきり二大勢力に二分されれば、世界の半分は一瞬に滅亡させる破壊力が発明されることは必至である。
しかし決してわれわれは他人の死を死ぬのではない。原爆で死んでも、脳溢血で死んでも、個々人の死の分量は
同じなのである。原爆から新たなケンタウロスの神話を創造するやうな錯覚に狂奔せずに、自分の死の分量を明確に
見極めた人が、これからの世界で本当に勇気を持つた人間になるだらう。まづ個人が復活しなければならないのだ。
三島由紀夫「死の分量」より (谷崎)氏は今日にいたるまで、怒りを知らないやうにみえる。怒りを知らなかつたといふことは、言ひかへれば、
無力感にとらはれなかつたといふことでもある。一度怒つた作家がいかに深い無力に沈んだことか。突飛な比較だが、
怒りをしちつくどい感覚で縛り上げて、怒りを小出しにし、内燃させて、つひに今日まで無力感にとらはれないで
来た作家に、中野重治氏があり、怒りを一旦爆発させたあとで、深い無力感を極度に押しつけがましく利用した作家に、
永井荷風氏がある。谷崎氏を含めて、かれらはいづれもニヒリズムに陥ることから、それぞれの生理に適した方法で、
おのれを救つた作家である。
実は、谷崎氏ほどニヒリストになる条件を完全にそなへた作家はめづらしかつた。意地のわるいことを言ふと、
「神童」の芸術家たるの目ざめ、「異端者の悲しみ」の同じ目ざめから以後の氏の作品は、すべて動機なき犯罪に
似てゐる。動機のない犯罪にだけ、本当の宿命的な動機がある、といふ逆説を、氏は生涯を以て実証したやうに
みえる。その完全な開化が傑作「卍」である。
三島由紀夫「大谷崎」より 「卍」の背後に動いてゐる氏の手つきは、ニヒリストの白い指先に酷似してゐる。しかしこれはニヒリストの
作品ではないのだ。人間存在のこのやうな醜悪で悲痛な様相に直面した作家の目は、ここから身をひるがへして
脱出しようといふあがきを示してゐないからだ。ニヒリズムの兆候は、得体のしれない脱出の欲望として
あらはれる。(中略)
おそらく谷崎氏の生き方には、私の独断だが、芥川龍之介の自殺が逆の影響を与へてゐるやうに思はれる。芥川の
死の逆作用は、大正時代の作家のどこにも少しづつ影を投じてゐる。谷崎氏は、芥川の敗北を見て、持ち前の
マゾヒストの自信を以て、「俺ならもつとずつとずつとうまく敗北して、さうして永生きしてやる」と呟いたに
ちがひない。
実際、芸術家の敗北といふ、これほど自明な、これほど月並な、これほど必然的な帰結について、谷崎氏ほど
聡明に身を処した人はなかつた。戦はずして敗北し、御馳走をたべ、そして永生きすればよいのだつた。
三島由紀夫「大谷崎」より 六月二十五日(土)
人間のやつたことは、自然力から、人間生活に役立つ効用を発見し、機能を引出すことだつた。道具や機械に
とつては、物の究極の構造などはどうでもよいのだ。自然の一機能が、ただグロテスクに誇張されてゐればよいのだ。
科学が誕生した。科学の目的は、宇宙的法則および宇宙構造の認識に在るとしても、それを模写し、その雛型を
つくることに在るのではない。そんな全的なことは、何の役にも立たないのだ。
(中略)
原子力時代が到来して、科学の人間的要請、つまり自然の効用と機能を盗むことが、いひしれぬ非人間的な結果に
おちいり、逆に、非人間的要請から出発した芸術が、唯一の人間的なものとして取り残されたのは、逆説的な
ことである。しかし原子力研究が発見したやうな物の究極の構造へ、芸術は新らしい方法によつて達するべきで
あらうか? あくまで可視的な自然にとどまることが、芸術の節度であり、倫理でもあるのではないか?
原子爆弾は、人間の作つたもつともグロテスクな、誇張された自然である。
三島由紀夫「小説家の休暇」より 六月三十日(木)
私が太宰治の文学に対して抱いてゐる嫌悪は、一種猛烈なものだ。第一私はこの人の顔がきらひだ。第二に
この人の田舎者のハイカラ趣味がきらひだ。第三にこの人が、自分に適しない役を演じたのがきらひだ。女と
心中したりする小説家は、もう少し厳粛な風貌をしてゐなければならない。
私とて、作家にとつては、弱点だけが最大の強味となることぐらゐ知つてゐる。しかし弱点をそのまま強味へ
もつてゆかうとする操作は、私には自己欺瞞に思はれる。どうにもならない自分を信じるといふことは、
あらゆる点で、人間として僭越なことだ。ましてそれを人に押しつけるにいたつては!
太宰のもつてゐた性格的欠陥は、少なくともその半分が、冷水摩擦や器械体操や規則的な生活で治される筈だつた。
生活で解決すべきことに芸術を煩はしてはならないのだ。いささか逆説を弄すると、治りたがらない病人などには
本当の病人の資格がない。
三島由紀夫「小説家の休暇」より 七月二日(土)
青年の自殺の多くは、少年時代の死に関するはげしい虚栄心の残像である。絶望から人はむやみに死ぬものではない。
私は青年期以後、はじめて確乎とした肉体的健康を得た。かういふ人には、生れつき健康な人間とは別の心理的
機制があつて、自分は今や肉体的に健康だから、些事に対して鈍感になる権利があると考へ、そんなふうに自分を
馴らしてしまふのである。
七月四日(月)
典型的な少年は、少年期の犠牲になる。しかしこれは少年期ばかりではないかもしれぬ。典型的な青年は、青春の
犠牲になる。十分に生きることは、生の犠牲になることなのだ。生の犠牲にならぬためには、十分に生きず、
フランス人のやうに吝嗇を学ばなければならぬ。貯蓄せねばならぬ。卑怯な人間にならなければならぬ。
三島由紀夫「小説家の休暇」より 七月十日(日)
肉体が宿命的であるならば、精神も宿命的でないとはいへない。俳優における肉体の宿命は、あらゆる芸術家に
おける精神の宿命と、相似のものでないとはいへない。小説家の作品にも、作曲家の作品にも、画家の静物画にも、
われわれは俳優の肉体と相似のもの、まるで肉体の宿命のやうにはつきりした精神の宿命を見ないだらうか?
これらの芸術家が素材を可塑的(プラスチック)だと思つてゐるのは、単なる妄信ではなからうか?
かう考へてゆくと、私には、俳優なるもののグロテスクな定義が思ひうかんで来るのである。私は仮りに、
(あくまで仮りにだが)、かう定義したい誘惑にとらはれる。
「芸術家としての俳優は、内面と外面とが丁度裏返しになつた種類の人間、まことに露骨な可視的な精神である」と。
(中略)彼があんなにも次々と、他人の精神に身をまかせながら、(この点では俳優は批評家に似てゐる)、
批評と別の方向を辿るのは、彼にとつてはつきりした外面、はつきりした肉体があるおかげではないか。
三島由紀夫「小説家の休暇」より 七月十一日(月)
扇が射落されたとき、(那須の)与市のその行為は、彼の現実認識と一つものになつてゐた。それがそのまま
認識たりうるやうな稀な行為。与市はその行為の体験によつてのみ認識に達し得たのであり、その瞬間、認識と
行為とはまつたく同一の目的、すなはち現実を変革するといふ目的に奉仕した。
さて、われわれは、かういふ一瞬のために生きれば足り、爾余の人生は死にすぎない。与市がそれによつて
生きたやうな一瞬こそ、まさに純粋な生、極度に反芸術的なもの、芸術不要の一点だ、と私は言ふのである。
芸術をここへもつてくれば、芸術は認識の冷たさと行為の熱さの中間に位し、この二つのものの媒介者であらうが、
芸術は中間者、媒介者であればこそ、自分の坐つてゐる場所がひろびろと、居心地のよいことをのぞまず、むしろ
つねに夢みてゐるのは、認識と行為とがせめぎ合ひ、与市のそれのやうに、ぎりぎりの決着のところで結ばれて、
芸術を押しつぶしてしまふことなのである。そして芸術がいつもかかるものから真の養分を得て、よみがへつて
来たといふ事実以上に、奇怪な不気味なことがあらうか?
三島由紀夫「小説家の休暇」より 七月十二日(火)
われわれの目に映る範囲では、女性的特色をもつた男色家はたくさんゐる。熾烈な女装の欲望を抱いた男もあれば、
男の言葉を使ふことにゆゑしらぬ困難を感ずる男もある。しかし無智な人間ほど、面白いことには、男色の
本質的特異性がつかめず、世俗的な異性愛の常識に犯されてしまふのである。その結果、どうなるかといふと、
自分が男のくせに男が好きなのは、自分が女だからだらうと思ひ込んでしまふ。人間は思ひ込んだとほりに
変化するもので、言葉づかひや仕草のはしばしまで、おどろくほど急激に女性化してくる。田舎出の少年などは、
ひとたびこの風習に染まると、それが都会のハイカラな流行だと思ひちがへて、たちまち女言葉に習熟してくる。
それはあたかも外国人が日本へ来て、女からばかり日本語を習つて、女の言葉づかひしか出来なくなつた場合に
似てゐる。これらの変化は生理的な変化といふよりも、支配的な異性愛文化の影響下にある一種の社会的変化とでも
云つたはうが適当であらう。
三島由紀夫「小説家の休暇」より 七月十九日(火)
例のビキニ実験における補償問題でも感じたことであるが、その実験を非人間的といひ、反人道的といふときに、
われわれの人間なる概念は、すでに動揺を来してゐる。私は政治的偏見なしに言ふのであるが、水爆の実験を
した国の人間が、被害国の人間に補償を提供するといふこの行為には、国際間の問題とか、人種的偏見の問題とかを
超えて、人間の或る機能が、人間の別の機能に対して、慈悲を垂れてゐるといふ感を与へる。「知的」な概観的な
世界像に直面してゐる人間が、自分の一部分であるところの、さういふ世界像と無縁な部分に、慈悲を垂れるとは
何を意味するか。私は人間相互の問題といふよりも、人間一般の内部の出来事、といふふうに理解するのである。
たとへばわれわれは、水爆を企画する精神と無縁ではない。われわれが文明の利便として電気洗濯機を利用する
ことと、水爆を設計した精神とは無縁ではない。科学はさういふ風に発達して来て、精神の歴史にも関はつて
来たのであり、火薬の発明と活字の発明は、かつて手をたづさへて、封建制を打破したのであつた。
三島由紀夫「小説家の休暇」より 現代の人間概念には、おそるべきアンバランスが起つてゐる。広島の原爆の被災者におけるよりも、あの原爆を
投下した人間に、かうしたアンバランスはもつと強烈に意識された筈であつた。被災者は火と閃光と死を見た。
それを知的に概観的に理解する暇はなかつた。相手が原爆であらうと、大砲であらうと、小銃であらうと、被害者は
いつも原始的な個体に還元され、死がさらに彼を物質に還元してしまふ。しかし原爆投下者はどうだつたか?
彼は決して巨人の感受性にめぐまれてゐたわけではなかつた。彼の肉体は小刀にも血を流し、うすい皮膚の下には、
こはれやすい内蔵が動いてゐた。しかし彼には距離があり、はるか高みから日本の小さな地方都市を見下ろしてゐた。
人間の同一の条件についての意識は隠蔽された。むしろ彼はそれを押しかくした。おそらくいくばくの技術と
科学知識にめぐまれてゐた投下者は、巨大ならざる自分の感受性を、あの知的な概観的な世界像の下に押しつぶす
ことを知つてゐたのである。そしてかういふ小さな隠蔽、小さな抑圧が、十分あの酸鼻な結果をもたらすに足りた。
三島由紀夫「小説家の休暇」より ところがかうした投下者の意識は、今日われわれの生活のどの片隅にも侵入してゐて、それが気づかれないのは、
習慣になつたからにすぎないのである。われわれは、新聞やラヂオのニュースに接したり、あるひは小さな
政治問題にひそむ世界的な関聯に触れたり、国際聯合を論じ世界国家を夢想したりするときのみならず、ほんの
日常の判断を下すときにも、知的な概観的な世界像と、人間の肉体的制約とのアンバランスに当面して、一瞬、
目をつぶつて、「小さな隠蔽」、「小さな抑圧」を犯すことに馴れてしまつた。瞬間、われわれは巨人の感受性を
持つてゐるやうな錯覚におそはれる。私が諷して巨人時代といふのは、このことを斥すのだ。
かくて例の水爆実験の補償は、私の脳裡でふしぎな図式を以て、浮んで来ざるをえない。いづれも人間の領域で
ありながら、一方には、水爆、宇宙旅行、国際聯合をふくめた知的概観的世界像があり、一方には肉体的制約に
包まれた人間の、白血病の減少があり、日常生活があり、家族があり、労働があるのだ。
三島由紀夫「小説家の休暇」より この二つのものをつなぐ橋が経済学だけで解決されようとは思はれぬ。この二つのものは、現代に住む人間の
条件であり、アメリカの富豪にあつても、焼津の漁夫にあつても、程度の差こそあれ、免れがたい同一の条件
なのである。(中略)
そして慈悲を垂れることが侮蔑を意味するなら、この現象は、人間が人間を侮蔑し、人間の或る価値が他の価値を
おとしめつつあることに他ならぬ。人間内部の問題だと云つたのはこのことである。
さて、かうした「巨人時代」が来てから、巨人的な精神といふものは、徐々に必要でなくなり、半ば衰減してをり、
政治の領域でさへ、四巨頭会議といふ用語は、首をかしげさせることになつた。世界の国々をめぐつて飛行機旅行を
した人には、実感のあることであるが、そのひどく無機的な旅の印象には、われわれの統一や綜合をめざす精神の
動きは入りこむ隙のない感を与へられる。
三島由紀夫「小説家の休暇」より われわれはただ地上を地図のやうに考へ、与へられた概観に忠実であることによつてしか、世界を把握することが
できぬ。現代は、丁度かうして、常住飛行機に乗つてゐるやうなものである。諸現象は窓のかなたを飛び去り、
体験は無機的になり、科学的な嘔吐と目まひは、われわれの感覚を占領してしまふ。
精神はどこに位置するのか、とわれわれは改めて首をかしげる。巨人的な精神とは、一個の有機体であつて、
こんなものを容れる隙が世界にはなくなつた。巨人的な精神とは、精神それ自体の法則に従つて統一と綜合を
成就したものであるから、その肉体的制約と世界像の間には、小宇宙と大宇宙のやうな相互の反映があつて、
しかも堅固な有機的基礎に立つてゐた。さういふものが人間と称されてゐたのに、人間概念は崩壊したのである。
人間愛はかくて侮蔑的なものになつた。なぜならそれは、人間が人間を愛することではなくて、誰も信じなく
なつた人間概念を信じてゐるやうなふりをすることであり、ひいては人間の自己蔑視に他ならなくなつたからである。
三島由紀夫「小説家の休暇」より それでもなほかつ、精神がどこに位置するか、といふ問は、さまざまな形で問はれてゐる。私がさつき挙げた
二つのもののその後者、その肉体的制約のうちに、精神をおしこめて、そこから出発しようといふ思考の形は、
二十世紀初頭からいろいろと試みられた。(中略)精神固有の形態は、かくてすでに十九世紀末に崩壊し、
ふたたびギリシア時代が再現して、肉体と精神の親密さが取り戻されたかのやうであつた。しかし根本的なちがひは、
ギリシアの精神が美しい肉体から羽搏き飛立つたのに引きかへて、二十世紀では、精神がおそれをののいて、
肉体の中へ逃げ込んだのである。
(中略)哲学の使命である世界把握は、普遍的な概観的世界像によつて追ひ抜かれた。今日、斬新な哲学は、
ニュースによる世界把握の上に組み立てられ、哲学のみが世界像の把握に到達する唯一の小径であつたやうな
嘗ての状態は消滅した。そしてこの世界像を更新し、拡張してゆく作業を、今では科学が受け持つてゐるのである。
三島由紀夫「小説家の休暇」より 精神はどこに位置するか? 精神は二十世紀後半においては、人間概念の分裂状態の、修繕工として現はれる
ほかはない。統一と綜合の代りに、あの二つのものの縫合の技術が、精神の職分になるだらう。それがどんなに
不可能に見え、時にはどんなに「非人間的」に見えても、精神はこの仕事のために招かれてゐるのである。その
縫合の結果が誰に予見できよう。もし再び、肉体的制約の中へ人間が確乎として立ち戻り、科学のあらゆる兇暴な
進歩を否定することにならうと、それが簡単に精神の勝利だと云へようか? また、万一、各人が肉体的制約を
離れて、まさしく、巨人の感受性をわがものにするやうにならうと、それな簡単に精神の敗北だと云へようか?
精神は縫合をすませれば、いづれは本来の動きに戻つて、しやにむに統一と綜合へ進むだらう。
さて、芸術は、もつとも頑なに有機的なもののなかに止まりながらも、もし精神がそれを命ずれば、どんな
怖ろしい身の毛のよだつやうな領域へも、子供じみた好奇心で、命ぜられたままに踏み込んでゆくにちがひない。
三島由紀夫「小説家の休暇」より 七月二十九日(金)
啓蒙主義的人間主義は、まつたく唯物的な人間主義である。自然科学だけが、このやうな人間主義を教へ、自然を
物とみなし、自然を征服せしめ、自然を道具に分解し、……やがて人間をも物として見るやうに誘導した。
なぜなら自然を物として見ることは、やがて人間をも物として見ることを意味するからである。
人間は人間をも物として見る。他人を物として見るばかりか、人から見られる自分をも物として見る。つひには
人間は、誰からも見られてゐない時だけしか、シュペルヴィエルのいはゆる「知られぬ海」の状態にある時しか、
彼自身たりえない。
近代的人間のかういふ孤独の救済のために、二つの方法が考へられる。キリスト教によつて再び、自然から
世界から人間から逃避するか、古代希臘の唯心論的自然観のうちにふたたび身をひたすか。ヘルデルリーンは
後者に従つたが、もとよりギリシアはすでに死んでをり、彼の行く道は、浪漫的個性の窄狭な通路しかなかつた。
三島由紀夫「小説家の休暇」より 七月三十一日(日)
私はしばしば自分の中にさういふ悪癖を感じるのだが、人に笑はれまいと思ふ一念が、かへつて進んで自分を
人の笑ひものに供するといふ場合が、よくある。戒めなくてはならぬ。社会生活といふものは、相互に自分の
弱点を提供しあひ、相互にそれを笑ふことを許し合つて成立してゐる。(中略)意識家のお先走りは、自分の
意識しない滑稽さが人に笑はれることほど意識家の矜りを傷つけることはないから、もし新たな弱点、新たな
滑稽さを自分の中に意識し発見すると、それが人に発見されるよりさきに自分が発見したといふことを他人に
納得させるために、わざわざその弱点を公共の笑ひ物に供して安心するといふやうな悪癖に立ちいたる。
他人が私に対するとき、本当に彼にとつて興味のあるものは私の弱点だけだといふことも、たしかな事実であるが、
ふしぎな己惚れが、この事実を過大視させ、もう一つの同じ程度にたしかな事実、「他人にとつて私の問題などは
何ものでもない」といふ事実のはうを忘れさせてしまふことが、往々にしてある。さういふところに成立する
告白文学ほど、醜悪なものはない。
三島由紀夫「小説家の休暇」より 人をして安心して笑はせるために、私も亦、私自身を客観視して共に笑ふやうな傾向も、戒めなくてはならぬ。
さまざまな自己欺瞞のうちでも、自嘲はもつとも悪質な自己欺瞞である。それは他人に媚びることである。
他人が私を見てユーモラスだと思ふ場合に、他人の判断に私を売つてはならぬ。「御人柄」などと云つて世間が
喝采する人は、大ていこの種の売淫常習者である。
意識家の陥りやすいあやまりは、自分を硝子の水槽のやうだと思ひ込んでしまふことだ。ところがやつぱり、
彼は硝子の水槽ではないのだ。この錯覚はなかなか複雑な構造をもつてゐて、実は意識家ほど、他人の目に決して
見えない自分を信じてゐる者はなく、しかしそのぎりぎりのところまでは、逆に他人にむかつて、自己解剖の
明察を誇りたく、このたえず千変万化する妥協を以て、自分の護身術と心得てゐるのである。
三島由紀夫「小説家の休暇」より だから意識家は必ず看板をぶらさげ、その看板も亦、手のこんだ多様さを持つてゐるのであるが、自分を意識家と
して他人に印象づけることにぬかりがない。その一等見やすい看板が、自嘲とか自虐とかいふものなのである。
私はかつて、真のでくのばうを演じ了せた意識家を見たことがない。
傷つきやすい人間ほど、複雑な鎖帷子(くさりかたびら)を織るものだ。そして往々この鎖帷子が自分の肌を
傷つけてしまふ。しかしこんな傷を他人に見せてはならぬ。君が見せようと思ふその瞬間に、他人は君のことを
「不敵」と呼んでまさに讃(ほ)めようとしてしてゐるところかもしれないのだ。
意識家の唯一の衛生法は他人を笑ふときに哄笑を以てすることである。ニイチェも言つてゐる、「吾が年若き友よ、
汝等若し徹底的に飽迄厭世家たらんと欲するならば、笑ひを学ばなければならない」(「自己批判の試み」)
三島由紀夫「小説家の休暇」より 八月一日(月)
都会の人間は、言葉については、概して頑固な保守主義者である。或る作家たちが、小説のなかで、やすやすと
流行語をとり入れてゐるのを見ると、私はレオパルヂ伯の「流行と死との対話」といふ対話篇を思ひ出さずには
ゐられない。そこでは流行と死は姉妹分といふことになつてをり、この姉妹に共通な傾向、共通な作用は、
「たえず世界を新規にして行く」といふことなのである。
八月三日(水)
「葉隠」ほど、道徳的に自尊心を解放した本はあまり見当らぬ。精力を是認して、自尊心を否認するといふわけには
行かない。ここでは行き過ぎといふことはありえない。高慢ですら、(「葉隠」は尤も、抽象的な高慢といふ
ものは問題にしない)、道徳的なのである。「武勇と云ふ事は、我は日本一と大高慢にてなければならず」
「武士たる者は、武勇に大高慢をなし、死狂ひの覚悟が肝要なり」……正しい狂気、といふものがあるのだ。
三島由紀夫「小説家の休暇」より 八月四日(木)
日本文化の感受性は稀有のものである。これこそ独自の、どんな民族にも見当らぬほどに徹底したものである。
私にはふと、第二次大戦における敗戦は、日本文化の受容的特質の宿命でもあり、また、人が決して自分に
ふさはしからぬ不幸を選ばぬやうに、もつともこの特質にふさはしく、自ら選んだ運命ではないか、と思はれる
ことがある。なぜなら、敗北は受容的なものである。しかし勝利は、理念であり、統一的法則でなければならぬ。
日本文化は、このやうな勝利の、理念的責務に耐へ得たかどうか疑はしい。しかしそれと同時に日本の敗戦は、
理念が理念に敗れたのではなく、感受性そのものが典型的態度をとつて敗れたにすぎなかつた。そこへゆくと、
ナチス・ドイツの敗北は、完全に理念の敗北であつて、日本の敗戦とその意味はまるでちがつてゐる。ナチスの
敗北は、勝利の理念と法則から、敗北の感受性と無法則性への、日本では想像も及ばぬ、堕地獄的顛落であつた。
三島由紀夫「小説家の休暇」より さて日本文化の稀有な感受性のはたらきは、つねに、内への運動と、外への運動とを、交互に、あるひは同時に、
たゆみなくつづけて来たのである。内への運動は、その美的探究の、極度の求心性にあらはれた。この感受性は
かつて普遍的な方法論を知らず、また、必要とせず、感受性それ自らの不断の鍛錬によつて、文化の中核となるべき
一理念に匹敵する。まことに具体的な或るものに到達した。日本文化における美は、あたかも西欧文化の文化的
ヒエラルヒーの頂点に一理念が戴かれるやうに、理念に匹敵するほど極度に具体的な或るものとして存在してゐる。
そこでは、理念は不要なのである。なぜなら、抽象能力の助けを借りずに、むしろそれと反対な道を進んで、
個別から普遍へと向はず、むしろ普遍から個別へ向つて、方法論を作らずに体験的にのみ探究を重ねて、しかも
同じやうに絶対(この「絶対」といふ用語も、仮に比喩として使つたのだが)をめざして進む精神は、理念の
代りに、それの等価物たる或る具体的存在にぶつからざるをえない。
三島由紀夫「小説家の休暇」より 私がこれを美と呼ぶのは、あくまで西欧的概念にすぎず、他に名付けやうのないものに、仮にその名称を借りたに
すぎぬ。私は、このことについては他所でもたびたび書いたのだが、日本の美は最も具体的なものである。
世阿弥がこれを「花」と呼んだとき、われわれが花を一理念の比喩と解することは妥当ではない。それはまさに
目に見えるもの、手にふれられるもの、色彩も匂ひもあるもの、つまり「花」に他ならないのである。
一方、日本文化の外への運動については、政治的措置にすぎぬ鎖国のかけで、その感受性の受容能力は、日本および
支那の古典と、現実の風俗のみに向けられて、これが今日、あやまつて「日本的」と呼びなされる、偏頗な特質、
似て非な独自性を形づくつた。もともと感受性といふものの無道徳性は、あらゆる他民族の文化の異質性をも
融解してしまふ筈のものなのだ。それはどんな放恣な娼婦よりも放恣であるべき筈なのだ。
三島由紀夫「小説家の休暇」より 江戸文化は、かうした感受性の外への運動を制約されて、日本の内部で、遠心力と求心力を働らかさざるを
えなかつた。その前者は、西鶴、後者は、芭蕉に代表される。
今や、しかし日本文化がこれほど裸かの姿で、世界のさまざまな思潮のうちに、さらされたことはなく、現代日本の
文化的混乱は、私には、感受性の遠心力の極限的なあらはれと思はれる。
ローマ人テレンティウスの有名な一句「私は人間である。人間的なるものは何一つ私にとつて疎遠ではないと
思つてゐる」をもぢつて言へば、「私は感受性である。感じられるものは、何一つ私にとつて疎遠ではない」かの
やうに、ギリシア思想も、キリスト教も、仏教も、共産主義も、プラグマティズムも、実存主義も、……また、
シェイクスピアの戯曲も、ドストエフスキーの小説も、ヴァレリイの詩も、ラシーヌ劇も、ゲーテの抒情詩も、
李白や杜甫の詩も、バルザックの小説も、また、トオマス・マンの小説も、……どれ一つとして、この稀有な、
私心なき感受性にとつて疎遠ではないのである。
三島由紀夫「小説家の休暇」より 一見混乱としか見えぬ無道徳な享受を、未曾有の実験と私が呼ぶのは、まさにこんな極限的な坩堝の中から、
日本文化の未来性が生れ出てくる、と思はれるからだ。なぜならかうした矛盾と混乱に平然と耐へる能力が、
無感覚とではなく、その反対の、無私にして鋭敏な感受性と結びついてゐる以上、この能力は何ものかである。
世界がせばめられ、しかも思想が対立してゐる現代で、世界精神の一つの試験的なモデルが日本文化の裡に作られ
つつある、と云つても誇張ではない。指導的な精神を性急に求めなければこの多様さそのものが、一つの広汎な
精神に造型されるかもしれないのだ。古きものを保存し、新らしいものを細大洩らさず包摂し、多くの矛盾に
平然と耐へ、誇張に陥らず、いかなる宗教的絶対性にも身を委ねず、かかる文化の多神教的状態に身を置いて、
平衡を失しない限り、それがそのまま、一個の世界精神を生み出すかもしれないのだ。
三島由紀夫「小説家の休暇」より (中略)ここで私が、文化形式と呼ぶものは、内容を規定し、選択し、つひにはそれ自ら涸渇するところの、
死んだ形式ではなく、内容を富まし、無限に包摂するところの生きた形式である。日本文化の稀有な感受性こそは、
それだけが、多くの絶対主義を内に擁した世界精神によつて求められてゐる唯一の容器、唯一の形式であるかも
しれないのだ。なぜなら、西欧人がまさに現代の不吉な特質と考へて、その前に空しく手をつかねてゐる文化的混乱、
文化の歴史性の喪失、統一性の喪失、様式の喪失、生活との離反、等の諸現象は、日本文化にとつては、
明治維新以来、むしろ自明のものであつて、それ以前の、歴史性と統一性と様式をもち、生活と離反せぬ文化体験をも
持つ日本人は、この二つのものの歴史的断層をつなぐために、苦しい努力と同時に、楽天家の天分を駆使して
きたので、かういふ努力の果てに、なほ古い文化と新らしい文化との併存と混淆が可能であるやうな事情は、
新らしい世界精神といふものが考へられるときに、何らかの示唆を与へずには措かないからである。
三島由紀夫「小説家の休暇」より なんだかんだでなんでもないってことに
そろそろ気づこうか
キリスト像があんなにアバラが出て痩せこけてゐるのは、人間が精神を視覚化するときに、なるたけ肉体的要素を
払拭した肉体を想像する傾きがあるからであらう。その反対でバッカス像は必ず肥つてゐる。それは快楽と肉と
衝動の象徴だからである。かうした象徴は世間の常識に深く入つてゐる。
肉体的な逞ましさと精神美とは絶対に牴触するといふ信念は広く流布してゐる。インドの苦行者のやうな
骨だらけの体を、日本人は一種のアジア的感受性から、尊崇する傾きがある。
象徴や、世間の通念はそれでいい。しかし御当人に何が起るかといふ問題である。人間の肉体と精神は、
象徴のやうに止つてゐないで、生々流転してゐる。肉体と精神のバランスが崩れると、バランスの勝つたはうが
負けたはうをだんだん喰ひつぶして行くのである。痩せた人間は知的になりすぎ、肥つた人間は衝動的になりすぎる。
現代文明の不幸は、悉くこのバランスから起つてゐる。
三島由紀夫「ボディ・ビル哲学」より 文士の例でいへば、面白いことに、戦後の破滅型の小説家、坂口安吾や田中英光の人並外れた巨躯はもとより、
太宰治もかなり頑丈な長身であつた。三人とも体にはかなり自信があつたので、肉体蔑視の思想にとらはれ、
自分たちのかなり頑丈な肉体に敵意を燃やし、この肉体を喰ひつぶすほどの思想を発明するために、生活を
めちやくちやにしてしまつた。彼らはわざわざ、むりやりにアンバランスを作り出したのである。
もつともこの三人とても、頑丈な体を持ちながら脳ミソの空つぽな作家に比べれば、どれだけ文学者らしいか
わからない。
一方では、知的でありすぎ、あるひは感覚的でありすぎる作家たちがゐる。文学作品を通した感覚といふものは、
元来知的なものであるから、知的な作家にこの二つを引つくるめてもよい。
彼らの作品には、確乎たる肉の印象がどこかに欠けてゐる。肉の耀やきが、本当の官能性といふものが欠けてゐる。
これは前記の例の逆のアンバランスである。
三島由紀夫「ボディ・ビル哲学」より このアンバランスのはうが重大かと思はれるのは、ジイドもいふやうに「官能性こそは芸術家の最上の美徳」
だからである(因みにいふと、ジイドその人にも官能性が欠けてゐる)。これらの作家たちは、たとへ細緻な
性的感覚をゑがいても、肉の力と形態を欠いてゐるのである。
近代芸術の短所は、まさにその点にある。知性だけが異常発達を遂げて、肉がそれに伴はないのだ。
肉といふものは、私には知性のはぢらひあるひは謙抑の表現のやうに思はれる。鋭い知性は、鋭ければ鋭いほど、
肉でその身を包まなければならないのだ。ゲーテの芸術はその模範的なものである。精神の羞恥心が肉を身に
まとはせる、それこそ完全な美しい芸術の定義である。羞恥心のない知性は、羞恥心のない肉体よりも一そう醜い。
ロダンの彫刻「考へる人」では、肉体の力と、精神の謙抑が、見事に一致してゐる。
だまされたと思つてボディ・ビルをやつてごらんなさい。
三島由紀夫「ボディ・ビル哲学」より 僕は青春の花のさかりの美しい男女にいつも喝采を送る。ある年齢の堆積から来る美といふものも、わからぬではない。
しかしそれは女に限られてゐる。自分の母の年齢までの女の美しさは、みんなわかるつもりだ。母が七十になれば、
僕には七十の老婆の美もわかるやうになるだらう。ところで、男の年齢の累積は美しくない。それは男が成年期に
達すると、単なる男から、一個の抽象概念としての「人間」に脱皮するからであらう。世間で男ざかりなどと
いふのは、主としてこの後者の意味である。女はこれに反して、いつまでたつても女だ。女は第一お化粧をするから、
いつまでも美しいわけで、生地のままの男のはうが青春のさかりは短いのである。これは世間の定説に反した私の
確信ある学説で、世の女性に捧げる福音である。アレキサンダア大王が、死ぬまで、二十歳そこそこの自分の
肖像しか作らせなかつたといふ伝説は、古代ギリシャの知恵が、このマケドニヤの大帝の中に生きてゐた証拠と思はれる。
三島由紀夫「美しいと思ふ七人の人」より 私は大体笑ふことが好きであり、子供のころから「この子を映画へ連れてゆくと、突拍子もないところで
ケタケタ笑ひ出して、きまりわるい」とおとなにいはれた。徳大寺公英氏の思ひ出話によると、中学時代も、
教室でキャッキャッと一きは高い笑ひ声がするので、私がゐることがわかる、と先生がいつてゐたさうである。
おとなになつても、福田恆存氏の「キティ颱風」の招待日などには、拍手役ならぬ、笑声のサクラに狩り出された。
うしろのはうの席に、宮田重雄氏はじめ、笑ひの猛者がそろつてゐて、セリフの一言半句ごとに、声をそろへて
ゲラゲラ笑ふのである。するとそれにつられて笑ひ出すお客がある。福田氏は、新劇の観客層のシンネリムッツリを、
よほどおそれてゐたのである。
俳優のT君が、「君の貧弱な体格からすると、笑ひ声だけが大きくて不自然だから、後天的に自分で育成これ
つとめたものだらう」といつたが、これはマトをそれてゐる。私の肺活量はこれでも四千七百五十もある。
三島由紀夫「わが漫画」より 漫画は、かくて、私の生理衛生上必要不可欠のものである。をかしくない漫画はごめんだ。何が何でもをかしく
なくてはならぬ。
おそろしく下品で、おそろしく知的、といふやうな漫画を私は愛する。
悩殺する、とか、笑殺する、とかいふ言葉は、実存主義ふうに解すると、相手を「物」にしていまふことだと思はれる。
「人を食ふ」といふのもこれに等しい。われわれは他人の人格を食ふことはできぬ。相手を単なる物、単なる
肉だと思ふから、食ふことができる。
漫画はだから「食はれる状態」をうまく作りあげねばならぬ。「物」になつてゐなければならぬ。
知的な漫画ほどこの即物性がいちじるしく、低級な漫画ほど、笑ひ話の物語性だの、教訓性だの、によりかかつてゐる。
下手な落語家は「をかしいお話」を語るにすぎないが、名人の落語家ほど、笑はれるべき対象を綿密に造形して、
話の中に「笑はれるべき物」を創造してゐるのである。
何もいはゆる、サイレント漫画が知的だといふのではない。
言葉がない代りに、社会の良風美俗に逆によりかかつてわからせてゐるやうな、不心得な漫画も散見する。
三島由紀夫「わが漫画」より 漫画は現代社会のもつともデスペレイトな部分、もつとも暗黒な部分につながつて、そこからダイナマイトを
仕入れて来なければならないのだ。あらゆる倒錯は漫画的であり、あらゆる漫画は幾分か倒錯的である。
そして倒錯的な漫画が、人を安心して笑はせるやうではまだ上等な漫画とはいへぬ。
日本の漫画がジャーナリズムにこびて、いはゆる社会的良識にドスンとあぐらをかいて、そこから風俗批評、
社会批評をやらかして、それを漫画家の使命だと思つてゐる人が少なくないのは、にがにがしいことである。
もつとも漫画的な状況とは、また永遠に漫画的状況とは、他人の家がダイナマイトで爆発するのをゲラゲラ笑つて
見てゐる人が、自分の家の床下でまさに別のダイナマイトが爆発しかかつてゐるのを、少しも知らないでゐる
といふ状況である。漫画は、この第二のダイナマイトを仕掛けるところに真の使命がある。
三島由紀夫「わが漫画」より あんまりのんびりしてゐると、ほかならぬ漫画家自身が、右のやうな漫画を演じなければならぬことになりますぞ!
さて私も、かういふ商売をやつてゐて、何やかと漫画に描かれることが多い。この一文で、漫画家諸氏のお名前を
一つもあげなかつたのは、かかる職業上のおもんぱかりであるが、われわれ文士も「素人時評」といふやつは、
ほとほとにがにがしい、イヤ味なものだと思つてゐるのである。
小説書きでないやつに、小説なんてわかるものか!
漫画家でないやつに、漫画なんてわかつてたまるものか!
それでよろしい。
さて、一つの漫画は、小説家が、かういふ雑文をたのまれて、をかしくもない文章を、頭から湯気を立てて
書いてゐる、といふその状況である。
三島由紀夫「わが漫画」より 私だつて人並に洋服はほしいが、さう沢山もつてゐるはうではないと思ふ。洋服を作る金があると、つい
呑んぢやつたり、旅行に出ちやつたりして、学生諸君が月謝を使ひ込むやうに使ひ込んでしまふ。第一に面倒
なのである。私はショッピングが大きらひだ。店のなかをウロウロして、十軒も二十軒も東京中を歩いて、やつと
一本のネクタイを買ふ人があるが、時間が惜しくてとてもあんな真似はできない。私の買物は即興詩みたいなものだ。
町を歩いてゐて、視界のはじつこのはうに、ちよつと気に入つたネクタイが目に入る。と間髪を入れずそれを
買ふのである。今のチャンスをのがしたら、その同じネクタイが気に入ることは二度とないだらうと感じるからだ。
しかしさうして買つたネクタイは必然的に、洋服に合はず、空しくネクタイ掛にぶらさがる始末になる。
三島由紀夫「お洒落は面倒くさいが――私のおしやれ談義」より 私は色が生ッ白いから、紺しか似合はぬことは百も承知なのに、若気のいたりで、ついいろんな色の洋服を着て
みたくなる。体格が貧弱で、胸郭が薄つぺらなのに、大いにスポーツマン気取りのアメリカン・スタイルを試みて、
生き恥をさらしたりしてゐる。外国へ行つてからは、五等身の日本人はどうマネしたつて洋服は似合はない、
といふことを身にしみて感じたが、日本にゐればゐるで水準以外のお洒落といふものはあるものである。但し、
私は帽子だけは絶対にかぶらない。馬にシルク・ハットをかぶせたら、イヤといふにきまつてゐる。
本当のお洒落といふのは、下着から靴下から靴から、すみずみまでのお洒落であらう。私は到底お洒落の資格はない。
せいぜいカラーに汚れのない白いワイシャツをいつも着てゐるぐらゐが私のお洒落であらう。靴下のことまで
考へるのは面倒くさい。しかしもし下着から靴下まで考へることが本当のお洒落ならば、もう一歩進んで、自分の
頭の中味まで考へてみることが、おそらく本当のお洒落であらう。
三島由紀夫「お洒落は面倒くさいが――私のおしやれ談義」より 何だつて私は銀座へ出てくるのであるか! いくばくの金は費ふし、足はくたびれるし、胃はもたれるし、
ロクなことはないのである。大体私は物の味のわからない人間だが、マメに銀座へ出てくるうちに、好物が出来た。
(中略)食後の酒には、吉田健一氏のお仕込みで、シャルトルーズ・グリーンを舐めるやうになつた。それを
呑む前にはいたづらにマッチで火をつけて、青い焔を廿秒ほど燃やしてから。
私は銀座の洋服を着、銀座のネクタイを締め、銀座の猿股をはいてゐる。本当は銀座に住みたいのだが、これは
よしたはうがいい。友達に荒されて、何もできなくなるだらう。しかし何だつて、私はこんなに銀座に義理を
立てる必要があるのであるか! 私は銀座から一銭だつて貰つたことはないのである。
子供のころは、それでも銀座へ連れて行つてもらふことは、うれしいことであつた。家へよく来る人に銀座ッ児が
ゐて、七丁目あたりの表通りにあつた映画館へ連れて行かれた。その小さな映画館もめづらしかつたし、かへりに
連れられて歩いたクネクネした裏通りの小路も面白かつた。
三島由紀夫「わが銀座」より 私は数寄屋橋上から、霧の夕方など、今のピカデリー劇場、そのころの邦楽座の壁面に、パラマウントの大きな
山形のイルミネーションがまばゆく光つてゐるのを、うれしく眺めた。そのころマツダ・ビル楼上のニュー・
グランドの部分が、赤、青、緑、黄に変幻して、サーチライトの光芒をひろびろと投げかけてゐた。
私は父母につれられて、そのニュー・グランドや、ローマイヤ・レストランへ行くとき、子供らしい虚栄心を
満足させられた。そのころケストネルの少年小説「点子ちやんとアントン」に夢中になつてゐて、その小説に
出てくる「泡雪クリーム」といふものを、何とかして喰べたいと憧れてゐた。しかし「泡雪クリーム」なるものは、
どこにも売つてゐなかつた。
銀座へ行けは何でも売つてゐると思ふのはまちがひだ、といふことに気がついたのはそれがはじめである。今でも
銀座で決して売つてゐないもので、私がもう一度喰べてみたいと思ふものが一つある。それは戦争中、海軍の工場で、
飯のおかずに喰はされて、こんなに旨いものはないと思つたところの、ポテト・チョップのやうな形をした、
大豆粕をいためた奴である。
三島由紀夫「わが銀座」より やつぱり僕は日本の女の人、好きだよ。だつて、いざとなりや、親切だもの。ほんと、親切ですよ。ずいぶん
意地悪なこと言つても、結局、親切だもの。
外国の女性はね、友達になつても、日本人みたいに人情が通じないしね、第一、ソバカスが出てて気味が悪いもの。
それにみんな巨きい女つて嫌ひなんだ。(中略)
僕の女の友達、いつぱいゐるけどね、みんな口が達者で、お互に悪口ばつかり言つてて、僕なんかボロクソに
やられてゐる。三文文士扱ひでね、まづ着てるものを全部ケナすんですよ。「趣味の悪いセーターを着てる」とか、
「その頭の格好は何さ」とか「クツシタがなつちやゐない」とかね。さうして「一緒に歩くの恥づかしい」なんて、
サンザン言ふんだ。だけど、その口の悪い友達がね、この間、僕のおふくろが病気で入院したら、三島さんが
さぞ困つてゐるだらう、ショックを受けただらうと思つて泣いたつていふんだな。あとでその話を聞いてね、
僕はちよつとホロリとするんですよ。
僕はヘンな性質があつてね、けんくわ相手みたいなのが好きなんだ。けんくわ相手で時どき親切つていふのが
好きなんです。
三島由紀夫「僕の理想の女性」より 日本人には、無意識のうちに、俳句的な感情類型といふものは潜んでゐる。五七五でものを考へ、事物を把握し、
ふとした嘱目の風景を、いつのまにか五七五の形に要約して見てゐるといふことはありうる。小さなもの、
たとへば蝶、蚊、こでまりの花、水引草、……そんなものを見た時ほど、さうである。われわれの目には昔ながらに、
美的な、顕微鏡がついてゐる。
(中略)
私はもう俳句を作ることもできず、その才能もないくせに、日本の季節々々が、かういふ小さな美的理論で、
モザイクのやうにぎつしり詰まつてゐることを感じると、いつのまにか、その理論にきつちりとはまつてゐる自分を
痛感することがある。長い冗々しい長編小説なんか書いて、自分が巨人国の仲間入りをしたやうな気になつてゐて、
ふと気がつくと、それは夢で、もともと親指サムぐらゐな背丈しかなかつたことに気のつくやうなものである。
実際北米ニュー・メキシコ州の、西部劇によく出てくる峨々たる岩山ばかりの、乾燥した空々漠々たる風景などに
触れたとき、私は自分の目のレンズがどうしても合はないのを感じた。
三島由紀夫「蝶の理論」より (神輿の)懸声は、単純な拍子木や、原始的な金棒のひびきに導かれて、終始同じリズムでやりとりされてゐる。
もし神輿に懸声が伴はなかつたら、それは神輿の屍体にすぎぬ。なぜなら、(おそらくここに、神輿の懸声が、
他の肉体労働の懸声とちがつてゐる点があるのだが)、このリズムある懸声は、神輿の脈搏なのである。それは
理性の統制を決して意味することなく、われわれの動きを秩序づけようと作用することもない。正しい懸声の
あひだにも、肩にかかる力は目まぐるしく増減してをり、足元は人に踏まれたり踏み返されたりしながら、調子を
とらうとするそばから小刻みに乱される。われわれの気儘な動きのあひだにも、心臓が鼓動を早めながら、なほ
正確な脈搏を忘れぬやうに、そのとき懸声は担ぎ手たちの感じてゐる自由な力を保証するために挙げられてゐる。
あの力の自在な感じは、懸声がなかつたら、忽ち失はれるにちがひない。
三島由紀夫「陶酔について」より そしてリズムある懸声と力の行使と、どちらが意識の近くにゐるかと云へば、ふしぎなことに、それはむしろ
後者のはうである。懸声をあげるわれわれは、力を行使してゐるわれわれより一そう無意識的であり、一そう
盲目である。神輿の逆説はそこにひそんでゐる。担ぎ手たちの声や動きやあらゆる身体的表現のうち、秩序に
近いものほど意識からは遠いのである。
神輿の担ぎ手たちの陶酔はそこにはじまる。彼らは一人一人、変幻する力の行使と懸声のリズムとの間の違和感を
感じてゐる。しかしこの違和感が克服され、結合が成就されなければ、生命は出現しないのである。そして結合は
必ず到来する。われわれは生命の中に溺れる。懸声はわれわれの力の自由を保証し、力の行使はたえずわれわれの
陶酔を保証するのだ。肩の重みこそ、われわれの今味はつてゐるものが陶酔だと、不断に教へてくれるのであるから。
三島由紀夫「陶酔について」より Q――ちやうど三島さんが行つてゐる間、アメリカの人工衛星の失敗とか、それから例のリトルロックの
黒人学生の排斥問題があるんですが……
三島:あの問題は全然国内問題でね、僕は人種的偏見といふ問題については、外から言ふべきぢやないと思ふんだね。
そりやアメリカ人のみんなに会つてみなければわかりませんよ。そして自分の心の中から完全に人種的偏見が
とり去られなければ、どんな政治的な手や法律的な手を打つたつてだめなんで、時間の問題ですね。
日本人の中には黒人がゐないんだから、この問題を感覚的に理解することができない。人種的偏見つていふのは
心理的な問題であつて、外から、民主主義国にそぐはなくてけしからんといふべき問題ぢやない。つまり歴史と
伝統の問題だからね。
三島由紀夫「三島由紀夫渡米みやげ話――『朝の訪問』から」より 世の中には完全に誤解されてゐながら、絶対に誤解されてゐないといふふうに世間に思はれてゐる人もたくさんゐる。
社会の大半の人はさうだといふこともできるだらう。あの人は磊落で面白い人だ、気分のいい人だ、と言はれて
一生を過した人が、実はとんでもない反対の性格の持主であつたといふこともありうる。僕といふ人間は磊落かと
思ふと神経質、神経質なのかと思ふと磊落に思はれたりする。正反対の両方が世間にまるだしになつてゐる点で、
一番あけつぴろげなのだといへるかも知れない。
普通の社会だつたら人間だけがあつて、それによつて、太つた人は楽天的、痩せた人は神経質といふふうに
思はれたりするが、小説家といふものは、人間があつてその上作品があるのだから二重の誤解の上に立ち、読者は
いろいろな像を描く。その像にすつぽりはまる作家もゐるだらう。(中略)
僕は自分が不機嫌な時、僕の肖像が、僕をきらひな人の描いた肖像にまるで生き写しだと思つて感心することがある。
三島由紀夫「作家と結婚」より (中略)
僕は結婚したら、大変いい御亭主に見えるだらうとすでに云はれてゐる。しかしシャイネンする(ふりをする)
だけでいいのではないか。人間は精神だけがあるのではなくて、肉体がなぜあるのかといふと、神様が人間は
なかばシャイネンの存在だとしてゐるといふことを暗示してゐると思ふ。ザイン(存在)だけのものになつたら、
シャイネンがほんたうに要らない人間になる。それならもう社会生活も放棄し、人間生活も放棄したはうがいい。
どんなに誠実さうな人間でも、シャイネンの世界に生きてゐる。だから僕が一番嫌ひなのは、芸術家らしく
見えるといふことだ。芸術家といふものは、本来シャイネンの世界の人間ぢやないのだから。芸術家らしい
シャイネンといふものは意味がない。それは贋物の芸術家にきまつてゐる。芸術家らしいシャイネンといへば、
頭髪を肩まで伸ばして、コール天の背広を着て歩いてゐるといふのだらうが、そんなのは贋物の絵描きにきまつてゐる。
三島由紀夫「作家と結婚」より あなたの下さつた直言を、友情と誠意に充ちたお言葉として、うれしく拝読しました。あなたは独断と仰言るが、
古典派が内心浪漫派であることは、文学史の通則みたいなもので、私も大きにロマンチストなのかもしれません。
ただ面白いことは、正面切つた浪漫派には、本当の古典派はゐないことで、この通則は、「逆も亦真」ではない
やうですね。
しかし、伝播の速い世の中では、今日の独断も、明日の通念になる。あなたがロマンチストと言つて下さつた以上、
明日から私はロマンチストでとほりさうです。いづれにせよ、人がかぶれといふ帽子を、私は喜んでかぶるつもりです。
たとへそれが、あのルイ王がかぶらされたといふ三角帽子であつても。
三島由紀夫「オレは実はオレぢやない(村松剛氏の直言に答へる)」より ただ私の何とも度しがたい欠陥は、自分に関する最高の通念も、最低の通念も、同じやうに面白がることなのです。
これはほとんど私の病気です。おしまひにはいつもかう言ひたくなる。「何を言つてやがる。俺は実は俺ぢや
ないんだぞ」これが私の自負の根元であり、創作活動の根源です。そしてこれが、あらゆる通念を喜んで
受け入れる私の態度の原因なのです。
私は不断の遁走曲であり、しかも、いつも逃げ遅れてゐる者です。子供のころ、学校で集団でイタヅラをすると、
いつも逃げ遅れるのが、私ともう一人Kといふ生徒でした。そこで私とKはつかまつて、先生から、鉢合せの罰を
うけるのでした。こんな痛い刑罰はない。しかしKのオデコにはコブができないのに、私のオデコにだけは
コブができた。これが爾後、私の宿命となつたやうに思はれます。
三島由紀夫「オレは実はオレぢやない(村松剛氏の直言に答へる)」より 聞くところによると、例の「風流夢譚」掲載のいきさつについて、中央公論の嶋中社長がその掲載を反対したにも
かかはらず、あたかもぼくが圧力かけて掲載させたやうに伝はつてゐるらしいんです。これはとんでもない誤解で、
推薦した事実さへない。第一、新人の原稿ならいざ知らず、深沢さんといへば一本立ちの作家ですからね、
だれそれの推薦なんてあり得ないぢやないですか。世間ではよく、ある出版社の背後にはこれこれといふ作家がゐて、
その作家の言ふことならきく、といふやうな考へを持つ人がゐるらしいが、それは“編集権”の存在を知らない者の
言ふことで、編集権を侵害しないといふモラルは、ぼく自身いつも守つてきたはずだ。ただ例外があるとすれば、
“文学賞”の審査員になつたときくらゐのものだらう。そのときだつて、技術顧問的な役割で、作品の芸術的な
判断以外の社会的な影響にまでは、タッチしないものだ。
三島由紀夫「『風流夢譚』の推薦者ではない――三島由紀夫氏の声明」より かういふ事情を知つてゐれば、ぼくが「風流夢譚」を掲載するやうに圧力をかけたなんていふことがナンセンスだと
いふことがよくわかるはず。しかし、それにもかかはらずぼくの名が使はれたとすれば、それは一部の者が
苦しまぎれの逃げ口上に使つたのではないか。さう思へば使つた者にも同情の余地があるのだが、迷惑うけるのは
こちらだからね。ともかくふりかかつた火の粉ははらひ落としたいといふのが本音だ。この際、次第に大きくなる
風説――新聞雑誌でもそんな書き方をされてゐるんで――の誤解をときたい……。
(談)
三島由紀夫「『風流夢譚』の推薦者ではない――三島由紀夫氏の声明」より 子供のころの私は、寝床できく汽車の汽笛の音にいひしれぬ憧れを持ち、ほかの子供同様一度は鉄道の機関士に
なつてみたい夢を持つてゐたが、それ以上発展して、汽車きちがひになる機会には恵まれなかつた。今も昔も、
私がもつとも詩情を感じるのは、月並な話だが、船と港である。
このごろはピカピカの美しい電車が多くなつたが、汽車といふには、煤(すす)ぼけてガタガタしたところが
なければならない。さういふ真黒な、無味乾燥な、古い箪笥(たんす)のやうなきしみを立てる列車が、われわれが
眠つてゐるあひだも、大ぜいの旅客を載せて、窓々に明るい灯をともして、この日本のどこか知らない平野や
峡谷や海の近くなどいたるところを、一心に煙を吐いて、汽笛を長く引いて、走りまはつてゐる、といふので
なければならない。なかんづくロマンチックなのは機関区である。夜明けの空の下の機関区の眺めほど、ふしぎに
美しくパセティックなものはない。
三島由紀夫「汽車への郷愁」より 空に朝焼けの兆があれば、真黒な機関車や貨車の群が秘密の会合のやうに集ひ合ふ機関区の眺め、朝の最初の
冷たい光りに早くも敏感にしらじらと光り出す複雑な線路、そしてまだ灯つてゐる多くの灯火などは、一そう
悲劇的な美を帯びる。
かういふ美感、かういふ詩情は、一概に説き明すことがむづかしい。ともかくそこには古くなつた機械に対する
郷愁があることはまちがひがない。少くとも大正時代までは、人々は夜明けの機関区にも、今日のわれわれが
夜明けの空港に感じるやうな溌剌とした新らしい力の胎動を感じたにちがひない。大体、パリへ行くと気のつく
ことだが、パリでは地下鉄ですらすでに古ぼけてゐて、駅の出入口の意匠にも、鋳鉄の煩瑣な模様がついてゐる。
機械文明そのものの古びた趣は、ニューヨークでさへ高架鉄道によく見られたが、それもあらかた取り壊されて
しまつた。
機械といふものが、すべて明るく軽くなる時代に、機関区に群れつどふ機関車の、甲虫のやうな黒い重々しさが、
又われわれの郷愁をそそるのである。
三島由紀夫「汽車への郷愁」より 頼もしくて、鈍重で、力持ちで、その代り何らスマートなところのなかつた明治時代の偉傑の肖像画に似たものを、
古い機関車は持つてゐる。もつと古い機関車は堂々とシルクハットさへ冠つてゐた。
しかし夜明けの機関区の持つてゐる一種悲劇的な感じは、それのみによるものではない。産業革命以来、
近代機械文明の持つてゐたやみくもな進歩向上の精神と勤勉の精神を、それらの古ぼけた黒い機関車や貨車が、
未だにしつかりと肩に荷つてゐるといふ感じがするではないか。それはすでにそのままの形では、古くなつた
時代思潮ともいへるので、それを失つたと同時に、われわれはあの時代の無邪気な楽天主義も失つてしまつた。
しかし人間より機械は正直なもので、人間はそれを失つてゐるのに、シュッシュッ、ポッポッと煙をあげて
今にも走り出しさうな夜明けの機関車の姿には、いまだに古い勤勉と古い楽天主義がありありと生きてゐる。
それを見ることがわれわれの悲壮感をそそるともいへるだらう。
三島由紀夫「汽車への郷愁」より そしてそこに、私は時代に取り残された無智なしかし力強い逞ましい老人の、仕事の前に煙草に火をつけて
一服してゐる、いかつい肩の影までも感じとるのである。
それは淋しい影である。しかしすべてが明るくなり、軽快になり、快適になり、スピードを増し、それで世の中が
よくなるかといへば、さうしたものでもあるまい。飛行機旅行の味気なさと金属的な疲労は、これを味はつた人なら、
誰もがよく知つてゐる。いつかは人々も、ただ早かれ、ただ便利であれ、といふやうな迷夢から、さめる日が
来るにちがひない。「早くて便利」といふ目標は、やはり同じ機械文明の進歩向上と勤勉の精神の帰結であるが、
そこにはもはや楽天主義はなく、機械が人間を圧服して勝利を占めてしまつた時代の影がある。だからわれわれは
蒸気機関車に、機械といふよりもむしろ、人間的な郷愁を持つのである。
三島由紀夫「汽車への郷愁」より 教養が、美しく生きてゆくのに役立つと考へてゐる一群の女性がゐます。雑誌ジャーナリズムやラヂオや
テレヴィジョンが、かういふ考へに阿諛追従します。
そんなことがあるものでせうか? 女性のための教養と呼ばれてゐるものには、みんな偽善の匂ひがあり、
美しくない教養ははじめから排斥されてゐるので、真黒な白粉といふものがないやうに、それらはいくら塗り
たくつても顔が真黒になつたりする心配がない。彼女たちには、黒い教養といふものが存在することが、永久に
わからないのです。
女性たちは、世間で認可ずみの、古くさい、危険のない教養が大好きだ。古典音楽の知識、(中略)なまぬるい
恋愛映画、ほんの少し進歩的な政治思想、台所むきの経済概論、それから十年一日のごとき恋愛論、……
かういふものが、今日、女性の教養と呼ばれてゐるものの一覧表ですが、これを総動員して、美しく生きようと
してゐる女性たちの群を見ると、私は心底からおぞ気を慄はずにはゐられない。
三島由紀夫「女が美しく生きるには」より さういふ傾向は、文化をなまぬるく平均化し、言論の自由を婦人側から抑制し、一国の文化全体を毒にも薬にも
ならないものにしてしまふ怖るべき原動力であります。アメリカといふ国のあの文化全体における婦人の害毒を
つらつら考へると、私は怖ろしくなる。
しかしもつといけないのは、ごく少数だが、婦人の知的スノッブたちで、危険な新らしい芸術を理解したつもりで、
これを擁護して、折角の芽を枯らしてしまふ。女性のやり方は、何でもかんでも、植物なら温室にはふり込んで
しまへばいいといふ単純なやり方ですから。
かういふのに比べると、低能なファッション・モデルたちのはうが、ずつと害毒が少ない。彼女たちももちろん
美しく生きようとしてゐるが、外面的な美にしか注意を払はず、その点で彼女たちが男性的原理に近づくのは、
時として外面的な美の追究のためには幸福さへ捨ててかへりみないからである。
三島由紀夫「女が美しく生きるには」より ……このひろい東京、ひろい日本、いや世界中で、あらゆる女性が美しく生き、あるひは美しく生きようとして
ゐることは、絶望的なことである。美しく生きることを諦めてしまつたやうにみえる不器量な老嬢でさへ、
男に比べれば、はるかに「美しく生きてゐる」のであります。
おそらくそれは、女性が男性よりも確実に存在してゐるといふことの別のあらはれに他ならないのであらう。
醜さといふものは、存在の裂け目だからである。ところで芸術は美の創造だといはれるが、このやうな存在の
裂け目からしか生れて来ない。女性が芸術家として不適任なのはこの点であります。芸術上の創造行為は
存在そのものからは生れて来ない。自ら美しく生きようと思つた芸術家は一人もゐなかつたので、美を創ることと、
自分が美しく生きることとは、まるで反対の事柄である。この点に、芸術に関する女性の最大の誤解がひそむが、
このことについては、本題と外れるので、また別の機会に述べることにしませう。
三島由紀夫「女が美しく生きるには」より 一人の作家を評価するのに、彼がビッコだからとか、マゾヒストだからとか、さういふものを前提にした評論は
一番つまらない。精神分析の本を一二冊読めば、何かのコムプレックスで作家の全作品を解明するのは易々たる業で、
子供でもできることである。
コンプレックスとは、作家が首吊りに使ふ踏台なのである。もう首は縄に通してある。踏台を蹴飛ばせば万事
をはりだ。あるひは親切な人がそばにゐて、踏台を引張つてやればおしまひだ。……作家が書きつづけるのは、
生きつづけるのは、曲りなりにもこの踏台に足が乗つかつてゐるからである。その点で、踏台が正しく彼を
生かしてゐるのだが、これはもともと自殺用の補助道具であつて、何ら生産的道具ではなく、踏台があるおかげで
彼が生きてゐるといふことは、その用途から言つて、踏台の逆説的使用に他ならない。踏台が果してゐるのは
いかにも矛盾した役割であつて、彼が踏台をまだ蹴飛ばさないといふことは、半ばは彼の自由意志にかかはることで
あるが、自殺の目的に照らせば、明らかに彼の意志に反したことである。
三島由紀夫「武田泰淳氏――僧侶であること」より 一旦身に受けた醜聞はなかなか払ひ落とせるものではない。たとへ醜聞が事実とちがつてゐても、醜聞といふものは、
いかにも世間がその人間について抱いてゐるイメージとよく符合するやうにできてゐる。ましてその醜聞が、
大して致命的なものではなく、人々の好奇心をそそつたり、人々に愛される原因になつたりしてゐるときには
尚更である。かくて醜聞はそのまま神話に変身する。
(中略)
アメリカにおける日本娘の名声の高さは大へんなものである。われわれスポイルされた日本男性は、風呂の中で
妻が背中を流してくれるのを当然のサーヴィスと心得てゐるが、アメリカ人の感激は大へんなものらしいのである。
しかしアメリカ婦人だつて、自分の愛犬の背中を喜んで洗つてやるではないか。とすれば、アメリカ婦人が良人の
背中を流したがらない理由は、男性を犬から区別する敬意に出てゐるのかもしれないのである。
三島由紀夫「アメリカ人の日本神話」より (中略)
日本のサーヴィス業といふものには、微妙な東洋的特色があるのである。西欧では、快楽といふものは、
キリスト教的伝統によつて、肉体的快楽と精神的快楽にはつきり分けられてゐるらしい。日本ではこのへんが
ひどくあいまいで、肉体から精神にいたるひろい領域を、いろんな種類の快楽が埋めてゐて、そのひとつひとつに
対応するサーヴィス業があるわけだ。だから日本人は、外人が芸者やバアの女給を娼婦と混同するやうな誤解に
ひどく気を悪くする。芸者は断じて娼婦ではない。かと云つて素人女でもないのである。いや、娼婦ですらも、
厳然たる合理的娼婦ではない。十八世紀の日本の純粋な恋愛劇は、ほとんど娼婦と客との恋を描いてゐる。
この点では、封建時代の日本人はよく割り切つてゐた。恋愛とは、金を払つた女とやるものであり、結婚と
恋愛とは何の関係もないと思つてゐたのである。今でも日本人にはこの気分が残つてゐて、恋愛といふものは、
金を払へる場所で、たとへば女のゐる酒場で、次第に精神的に成立するものだといふやうな考へがある。
三島由紀夫「アメリカ人の日本神話」より (中略)
日本人はほとんど英語を話さない。と云ふとアメリカ人の旅行者はおどろくだらうが、ホテル業者やガイドや
貿易商社関係や、つまり英会話の能力で利益を得る人たちが英語の巧いのは当り前である。だから、本当の日本人、
外人と附合はなくてもやつて行ける日本人は、ほとんど英語を話さない、と云つたはうが正確だらう。そして
かういふ本当の日本人は、外人風に肩をすくめたり、身ぶり手ぶりを使つたり決してしない。英語で話しかけられると、
「わからない」といふしるしに、例の有名な「不可解な微笑」をうかべるだけである。
この微笑が、西洋人には、実に気味のわるい、謎に充ちたものにみえることは定評がある。しかしわれわれに
とつては単純な問題である。悲しいから微笑する。困惑するから微笑する。腹が立つから微笑する。つまり、
「悲しみ」と「困惑」と「怒り」は本来別々の感情だが、それをXならXといふ同じ符号で表現するわけだ。
このX符号を示された相手は、すぐ次のやうに察しなければならない。
三島由紀夫「アメリカ人の日本神話」より 「ははア、これはきつと何か、隠しておきたい感情があるんだな。そんなら触れずにそつとしておかう」
つまり微笑は、ノー・コメントであり、「判断停止」「分析停止」の要請である。こんなことは社会生活では
当たり前のことで、日本のやうに個人主義の発達しない社会では、微笑が個人の自由を守つてきたのである。
しかもそれは礼儀正しさの要請にも叶つてゐる。
ところが外国人はさうは行かない。殊にアメリカ人となると、絶対に我慢できない。一体このX符号は何だらう。
彼は頭を悩まし、分析し、判断し、質問する。そしてあげくのはてに、相手が怒つてゐるのだと知ると、茫然と
してしまふ。「そんならはじめから、微笑したりせずに、怒ればいいぢやないか」しかしそれは礼儀に外れた
方法である。
三島由紀夫「アメリカ人の日本神話」より (中略)
日本の伝統は大てい木と紙で出来てゐて、火をつければ燃えてしまふし、放置(はふ)つておけば腐つてしまふ。
伊勢の大神宮が二十年毎に造り替へられる制度は、すでに千年以上の歴史を持ち、この間五十九回の遷宮が
行はれたが、これが日本人の伝統といふものの考へ方をよくあらはしてゐる。西洋ではオリジナルとコピイとの
間には決定的な差があるが、木造建築の日本では、正確なコピイはオリジナルと同価値を生じ、つまり次の
オリジナルになるのである。京都の有名な大寺院も大てい何度か火災に会つて再建されたものである。かくて
伝統とは季節の交代みたいなもので、今年の春は去年の春とおなじであり、去年の秋は今年の秋とおなじである。
だから一般的に云つて、日本人くらゐ、伝統を惜しげなく捨て去つて、さつさと始末してしまふ国民もゐない。
伝統の重圧といふものは、日常生活には少しも感じられず、東洋風な敬老思想もなくなつて、今日では、日本の
老人は、若者の御機嫌をとるのに汲々としてゐる。
三島由紀夫「アメリカ人の日本神話」より (中略)二十歳以下の連中は、ブルー・ジンズで街を歩きまはり、ロックン・ロールにうつつを抜かしてゐる。
外人旅行者は目をうたがふ。これが日本なのか? 旅行案内社のポスターと何たるちがひだらう!
しかしこれが日本の伝統なのである。鎖国時代の日本人でさへ、今日の若い日本人が、ジャックとかメリーとかいふ
アメリカ名前のニック・ネームを使つてゐるやうに、支那式の名前を別に持つてゐた。当時、支那は日本にとつて、
今日のヨーロッパのやうなものであつた。
二十年目毎の改築と遷宮、これは実に象徴的である。終戦後十五年あたりから、もうすつかり死に絶えたと誰もが
思つてゐた古い日本思想が、あなどりがたい力で復活して、若い世代の一部を惹きつけてゐる。一九六〇年に、
十五年ぶりでハラキリが復活した。岸内閣の政治に憤慨した或る僧侶が、官邸の前で切腹したのである。これから
又たびたびハラキリが出て来ても、おどろくには当らないのである。サムラヒもやがて復活することであらう。
三島由紀夫「アメリカ人の日本神話」より 竜灯祭へお招きをうけて、灯籠流しにもいろいろの趣きがあるのを知つた。今まで私がしばしば見たのは熱海の
灯籠流しであつたがこれはふつうの施餓鬼の行事で、ひろい海面の潮のまにまに灯籠が漂ふのは、淋しい彼岸へ
心を誘はれる心地がした。柳橋の竜灯祭は神事である上に、いかにもこの土地らしい華麗なものである。
川面いちめんに灯籠が流れ出す数分間はふだんはただ眺めてゐるだけの隅田川をわれとわが手で流した灯籠で、
占領してしまつたやうな快感を与へる。地上の豪奢を以て、水中の竜神の心を慰めるといふ趣きがある。それが
いかにも「竜灯祭」といふ名にふさはしいのである。
また、それから引き潮に乗つてあれほど夥しかつた灯籠が、数分間のうちにほとんど視界を没し去るのも、
いかにもいさぎよくて、江戸前の感じがする。執念が残らないで、さはやかなのである。
三島由紀夫「竜灯祭」より 最後まで料亭の舟着場の下などにまつはりついて離れない少数の灯籠もあるが、これも執念といふものではなくて、
そのすぐ上方の座敷のさんざめき、美妓のたたずまひなどに心を残して、無邪気にそこに居据つてしまつた感じで
可愛らしい。あたかもその十いくつの灯籠だけが、そろつて首をもたげてうすく口をあけて、地上の遊楽の
美しさを讃美してゐるやうだ。
灯籠流しといふと、人はすぐ暗い仏教的イメーヂを持つが、私の発見したのは別のものだつた。このごろの
大キャバレエの遊びよりも昔の人はもつと豪奢な遊びを知つてゐた。そして消えない電気の光りよりも、波の
まにまに夜のなかへ馳け込んでゆく灯籠の光りのはうに、はるかに、遊楽に一等大切な「時間」の要素が、
いきいきとこめられてゐるのを知つた。一度花やかな頂点に達してそれが徐々に消えてゆく、そのゆるやかな
時間の経過の与へる快さは、快楽の法則に自然に則つてゐて、いづれにしても花火よりも「快楽的」であると
思はれるのだつた。
三島由紀夫「竜灯祭」より この間伊豆の田舎の漁村へ取材に行つてゐて、その村のたつた一軒の宿に泊り、夕食に出された新鮮な魚が、
ほつぺたが落ちるほど美味しかつたが、一晩泊つてみてびつくりした。
別に化物が出たといふ話ではない。
ここは昔ながらの旅籠屋で、襖一枚で隣室に接してゐるわけであるが、前の晩の寝不足を取り戻さうと思つて、
九時ごろ床についたのがいけなかつた。
宿の表てつきは、丁度、芝居の「一本刀土俵入」の取手の宿とそつくりで、いかにも古雅なものだが、道の往来は
芝居のやうには行かず、すぐ県道に面してゐるので、石材を積んだトラックや大型バスが通るたびに、宿全体が
家鳴震動する。
それでまづ寝つきを起され、又眠らうと寝返りを打つたとたん、隣りの部屋へドヤドヤと人が入つて来て、
酒宴がはじまつた。
と、それにまじつてトランジスター・ラヂオの大音声の流行歌がはじまつたが、ラヂオをかけながらの酒宴といふのも
へんなものだと思ふうちに、それがもう一つ向うの部屋のものだとわかつた。
三島由紀夫「プライヴァシィ」より 更に別の部屋からは、火のつくやうな赤ん坊の泣き声。……夜十時といふころ、宿全体が鷄小屋をつつついたやうな
騒ぎになつてしまつた。
やつと静まつたのが十二時すぎだつたが、それがピタリと静まるといふのではない。
しばらく音がしないで、寝静まつたかなと思ふと、連中は風呂へ行つてゐたので、風呂からかへると、又寝る前に
一トさわぎがある。
西瓜の話ばかりなので、商売は何の人だらうと思つたらあとできいたら果して西瓜商人であつた。
一時すぎにやつと眠りについて、朝五時をまはつたころ、村中にひびきわたるラウド・スピーカアの一声に
眠りを破られた。
「第八〇〇丸の乗組員の皆様、朝食の仕度ができましたから、船までとりに来て下さい」
それから間もなく静かになつて、又眠りに落ちこむと、今度はラヂオ体操がスピーカアから村中に放たれた。
三島由紀夫「プライヴァシィ」より みんながそれに馴れ、何の苦痛も感じないなら、人間の生活はそれで十分なので、何も西洋のプライヴァシィを
真似なくてもいい。
西洋の冷たい個室の、完全なプライヴァシィの保たれた生活の裏には、救ひやうのない孤独がひそんでゐるのである。
(中略)
そこへ行くと、日本の漁村の宿の明朗闊達はおどろくばかりで、人間が、他人の生活に無関心に暮すためには、
何も厚いコンクリートの壁で仕切るばかりが能ではなく、薄い襖一枚で筒抜けにして、免疫にしてしまつたはうが
賢明なのかもしれない。少くとも、さうしておけば、U2機事件みたいなのは、起りやうがないのである。
しかし、この昔風の旅籠屋が、襖一枚の生活を強制するのが、昔を偲ばせて奥床しいとは云ひながら、それが
そのまま昔風とは云ひがたい。何故なら、江戸時代には、人はもう少し小声で話したにちがひないし、怪音を
発するトランジスター・ラヂオなんか、持つてゐなかつたからである。
三島由紀夫「プライヴァシィ」より 羽田のインタビューが感じがわるかつたとしても、(事実相当に感じがわるかつたと想像されるが)、新聞記者の
心証をよくするといふことが、太平洋横断といふ達成された事実と何の関係があるのか。太平洋横断をした青年が、
何で英雄気取りになつてはいけないのか。かういふことをした青年が、凡庸な世間の要求するイメージに従つて、
頬をポッと赤らめて頭を掻いたりする「謙虚な好青年」でなければならぬ義務がどこにあるのか。又世間が
どうしてそんなものを彼に要求する権利があるのか。……考へれば考へるほど、腑に落ちないことだらけである。
大体、青年の冒険を、人格的表徴とくつつけて考へる誤解ほど、ばかばかしいものはない。ヨットで九十日間、
死を賭けた冒険ををして、それでいはゆる「人間ができる」ものなら、教育の問題などは簡単で、堀江青年は
この冒険で太平洋の大きさは知つたらうが、人間や人生のふしぎさについて新たに知ることはなかつたらう。
そんなことは当たり前のことで、期待するはうがまちがつてゐる。
三島由紀夫「堀江青年について」より のみならず堀江青年に、テレビや映画のまやかしものの主人公のやうな、出来合ひの「好青年」を期待するはうが
まちがつてゐる。そんな好青年は、決してたつた一人で小さなヨットで太平洋を渡らうなどとはしないだらう。
かういふ孤独な妄執は、平均的な「好青年」などから芽生える筈もない。たとへばこのごろの「カッコいい
若者たち」の六尺ゆたかの背丈と、五尺そこそこといはれる堀江青年の背丈とを比べてみるだけでもいい。
ラスウェルは「政治」の中で、リンカーンの情緒的不安定や、ナポレオンの肉体的劣等感について詳さに述べてゐる。
今度のジャーナリズムの態度は、大衆社会化の一等わるい例を、又一つわれわれに示した。それは社会的イメージの
強制であり、そのイメージは凡庸な平均的情操から生れ、無害有益なものとして、大衆社会からすでに承認された
ものである。これは一堀江青年のみならず、芸術に対する大衆社会化反応の進みゆくおぞましい時代をも暗示する。
三島由紀夫「堀江青年について」より 俺が嫌いなのは三島ではなく必要以上に熱狂するファンなのだ
結局奴らは学校や仕事先でがんばれてなかったり、勝ててなかったりする奴らの
集まりで、それをひいきの三島に託し、三島が頑張れば自分も頑張った気になるし、
それで成功すれば自分も成功したような気になるのだ
俺の様に毎日2chで戦ってる人間なら人を応援する余裕なんてある訳がない
老人と若者のちがひは簡単なことで、老人はこの世の中が変はることを知つてゐるから、しひて変へようとも
しないし、若者はこの世の中が変はらないと思ひつめてゐるから、性急に変へようと努力する。そして結局、
世の中は多少とも変はるのだが、それはじつのところ、老人が考へるやうに「自然に」変はつたのでもなければ、
若者の考へるやうに革新の力によつて変はつたのでもない。両者の力がほどほどに働いて、希望は裏切られ、
目的はそらされ、老人にとつても若者にとつても、百パーセント満足といふ結果には決してならずに、変はるのである。
こんなことをいひだすと、ひどく悟りすましたやうであるが、さういふ見方が何とかできるやうになるときに、
人は四十歳に達するのだ。そして自分は五〇パーセントだけ「自然」に属し、五〇パーセントだけ「人間の意志」に
属することを、おぼろげながら理解するやうになる。
私は四十歳に達して、とにかく、変はる見込みのないと思ふ世の中が変はるのを何度か見てきた。
三島由紀夫「文学的予言――昭和四十年代」より 私の年齢は昭和と同年であるから、昭和といふ時代が、妙に周期的に、十年ごとに身じろぎをして、居ずまひを
変へるのを何度か見てきた。最初の意識的な強烈な体験は、いふまでもなく昭和二十年の敗戦である。つぎに
昭和三十年の、大衆社会化への明白な兆候は、そのときはよくわからなかつたが、いまになつて考へてみれば
歴然たるものがあり、それが昭和三十九年秋のオリンピックで、絶頂に達し、同時にその使命は終はつたといふのが、
いまの私の(多少希望的観測をまじへた)判断である。もちろん大衆社会化現象はますます進行するだらうが、
知識人がそのなかに巻き込まれて、西も東もわからずうろうろする時代は、もう確実に終はつた、と私は感じる。
それにつけても思ひ出されるのは、昭和三十二年にニューヨークに滞在してゐたとき、知識階級の孤立の状況を
まざまざと感じて、まだ大衆とともに、同床異夢にふけつてゐた感のある日本の知識階級の一人として、衝撃を
受けた記憶がある。
三島由紀夫「文学的予言――昭和四十年代」より あのころの日本の大衆には、まだかすかに、古い観念的な教育体系(それは主としてヨーロッパ的なもので
あるが)への、よくいへば夢やあこがれ、わるくいへばスノビズムがのこつてゐた。知識人はさういふものに
乗つかつて、仕事をしてゐればいい、といふ暗黙の了解があり、そこにまた、日本の知識階級の、誠実さもあれば
不誠実さもあつた。それがその後の八年間に完全に根絶やしになり、わけても安保闘争といふ象徴的な事件によつて、
知識人と大衆とがまつたく遊離してしまつた、といふのが、私の見方である。
(中略)アメリカで起つた現象は、必ず、三、四年後に日本にも波及するといふのは、戦後史の定石だが、知識人の
孤立までが、これほど忠実に波及するとは、私も正直考へてはゐなかつた。もつともアメリカには、その孤立を
ささへる富める芸術愛好家のスノビズムが残つてゐるけれども、日本にはそれもない。
(中略)もはや知識人の大衆への媚びは、お笑ひ草となるだけであらう。それでも媚びたいと思ふ人は、本格的な
娼婦になるほかはないであらう。もはやセミ・プロは通用しないであらう。
三島由紀夫「文学的予言――昭和四十年代」より 本多秋五氏の文学の「有効性の上にあるもの」をもぢつていへば「無効性の上にあるもの」を信じなければ
ならぬ時代がくるであらう。サルトルが、文学が一塊のパンに値するかどうかといふ、昔ながらの議論を
むしかへしてゐるのを思ひ出しつつ、私はたまたま「自然居士」といふ能を見てゐて、哀れな子供を人買ひから
救ひ出すために、居士が遊芸の限りをつくし、つひに人買ひを感動させて、目的を達するといふ物語に、日本で
古くから信じられてきたこの種の思想を新鮮に感じた。芸術それ自体がかうして人命を救ふといふ物語は、
厳密にいつて、ヒューマニズムとも目的意識とも縁のない、いはば遊芸が、人を感動させるといふそれ自体の原則に
忠実にしたがふことから、ゆくりなくも生まれた結果についての物語である。観客は、物語に感動する前に、
まづ人買ひとともに、居士の遊芸に感動しなければならない。そして、そこに少しでも媚びが見えたら、観客と
ともに、人買ひも感動することはないだらう。媚びとは目的意識のことである。
三島由紀夫「文学的予言――昭和四十年代」より 赤ん坊のときは、怪物的であつて、あんまり可愛らしくないので、これなら溺愛しないでもすみさうだ、と少し
安心した。しかし少し大きくなつてくると、私はそろそろ不安を感じた。これは並々ならぬ可愛いものである。
しかし他人様から見てそんなに可愛い筈はないから、こんな気持は全く主観的な感情にちがひない。私といへども、
小説家のハシクレであるから、「感情に溺れる」とか、「感情に負ける」とかいふことは大の恥である。小説家は
あらゆる事物が客観視できなくてはならない。人から見て可愛くも何ともないものが可愛くみえるといふことは、
すでに錯覚である。困つたことになつたものだと私は思つた。
それに、子供が可愛くなつてくると、男子として、一か八かの決断を下し、命を捨ててかからねばならぬときに、
その決断が鈍り、臆病風を吹かせ、卑怯未練な振舞をするやうになるのではないかといふ恐怖がある。そこまで
行かなくても、男が自分の主義を守るために、あらゆる妥協を排さねばならぬとき、子供可愛さのために、妥協を
余儀なくされることがあるのではないか、といふ恐怖も起る。
三島由紀夫「子供について」より 主義を守りとほすためには、まづ有り余る金があればいいのだが、その有り余る金を稼ぐには、主義の妥協が要る。
といふ悪循環は、子供のおかげで倍加するであらう。
――私は行末を考へていろいろと憂鬱になつたが、こんなことは、そもそもはじめからわかつてゐる筈のことであつた。
子供が手を引いてヨチヨチ歩きができるやうになつたころ、ある晩夏の宵、家人と散歩に出たことがある。
すると静かな道の外灯のあかりに、影法師が出た。これを見て、私はギョッとした。家人と私との間に、ちやんと
両方から手を引かれた小さな影法師が歩いてゐる。
いかにして、両側の大きい影法師から、まんなかの小さい影法師があらはれたか、動物的必然とはいひながら、
正に人間と人生のふしぎである。小さい影法師は平然とその存在を主張し、ちやんと二本の足で、大地を踏みしめて
歩いてゐる。
私は、何ともいへぬ重圧的な感動に押しひしがれ、もう観念しなければならぬと思つた。
三島由紀夫「子供について」より ――このごろでは、私は、客人の前で、かつての先生のみつともない振舞を再演してゐる。
「文字自体が象徴的機能を持つてゐるんだから文学も、……あつ、いけません、その椅子に乗つちや、あぶないから、
……文学もね、現実の直叙といふことは、そもそも方法的に不可能で、……今、いけないと云つたらう、飴を
あげるからおとなしくなさい……方法的に不可能で、ミュージック・コンクレートみたいに、現実音自体の構成で
音楽を作るはうが、リアリズムの正統だね、しかし……歌なんか歌ふんぢやない、お客様とお話してるときに
……リアリズムが内包してゐる矛盾は……エ? オシッコがしたいのかい? さうぢやない? そんならいいが
……そもそもリアリズムが内包してゐる矛盾は……又その椅子に乗つた。ほら引つくりかへる。いけないと云つたら
いけない。言ふことがきけないのか」
三島由紀夫「子供について」より 宇宙的見地に立てば、建築そのものと建築模型とのあひだのひらきは、ほとんどゼロに等しいほど微小なものに
なるであらう。人間がこれを区別するのは、ただ単に、実用に供しうるか否かといふプラクチカルな価値判断しか
ないからであるが、そもそも建築の本質が、実用価値(人が住み、あるひはその中で仕事をしうるといふ価値)
だけにあるのではないことは、例へばアンコール・トムのバイヨン寺院一つ見ても明らかであらう。そして、
人が住み、その中に入りうるといふ実用価値を絶対的に否定しようとすれば、何よりの捷経は、その建築を、
人の決して入りえないサイズに縮小してしまふことである。
人の決して入れない建築、住めない建築、しかも太陽の明暗のくつきりとした建築、……さういふものを考へて、
子供の私が、フィクションとしての文学に到達したのは、すこぶる自然であると言はねばならない。
三島由紀夫「電灯のイデア――わが文学の揺籃期」より 刑事が被疑者を扱ふやうに、当初から冷たい猜疑の目で作家を扱ふ作家論が、いつも犀利な批評を成就するとは
限らない。義務的に読まされる場合は別として、私は虫の好かぬ作家のものは読まぬし、虫の好く作家のものは読む。
すでに虫が好いてゐるのであるから、作品のはうも温かい胸をひらいてくれる。そこへ一旦飛び込んで、作家の
案内に委せて、無私の態度で作中を散歩したあとでなければ、そもそも文学批評といふものは成立たぬ、と私は
信ずるものだ。ましてイデオロギー批評などは論外である。非政治主義を装つた、手のこんだ政治主義的批評は
数多いのである。
これが私の基本的態度であるから、はじめから気負ひ立つた否定などは、一度も企てたことがなかつた。否定が
逸するところのものを肯定が拾ふことがある。もしその拾つたものに批評の意味が発見されれば、本書の目的は
達せられたことにならう。
三島由紀夫「あとがき(『作家論』)」より 東大法学部出の小説家といふと、私の知る限りでは、大仏次郎氏と林房雄氏と私の三人だけで、この三人に
はつきりした共通の特色でも見つかれば、人間の一生の仕事、それも個性的な仕事における大学教育の影響力が
つかめるわけであるが、あいにくそんなものは見当たらない。強ひていへば、大仏氏がフランス革命に、林氏が
明治維新に、私が二・二六事件に、特別の興味を寄せて来た点はあるが、これも偶然の一致といへぬわけではない。
ジッドが「プレテキスト」の中で、「芸術家にもつとも必要な天賦は官能性である」と述べて、暗に自分にそれが
欠けてゐることを認めてゐる口ぶりであるが、官能性は、日本式にいへば、色気といひかへてもよからう。
なるほど色気の欠けてゐることは法学士の通弊かもしれない。表現上の色気のみならず、実生活でも、大仏氏が
ドン・ファンだといふ噂はきいたこともなく、林氏も思想の道楽こそさんざんやつたが、恋に命を賭けたといふ
ほどの話をきいたことがない。
三島由紀夫「法学士と小説」より 恥かしながら私も、この両先輩の驥尾(きび)に附して、色気のないことおびただしく、この間も大宅壮一氏から、
「もつと道楽をしなければ、えらい小説家にはなれませんよ」
と忠告を受けたばかりである。
(中略)
小説とはつくづく厄介な仕事で、情感と理智がうまく融け合つてゐなければならない。それも情感五〇パーセント、
理智五〇パーセントといふのでは、釣合のよくとれた良識のある紳士にはなれても、小説家にはなれない。
理想的には情感百パーセント、理智百パーセントほどの、普通人の二倍のヴォルテージを持つた人間であるべきで、
バルザックも、スタンダールも、ドストエフスキーも、さういふ小説家であつた。
日本人の間からは、体力のせゐもあつて、かういふ超人的怪物が出にくいのではないか、と思はれるふしがある。
一般人を百とすれば、せいぜい百二十ぐらゐが超人の限度であつて、その百二十のなかの配分によつて、それぞれの
才能が決るわけだが、法学士の小説家は、なまじ法律を勉強したばかりに、そのうち七〇パーセントぐらゐを
理智に奪はれてしまふのではないかと思はれる。
三島由紀夫「法学士と小説」より 母方の祖父が漢学者であつたため、私はごく稚ないころから、お正月といふと、母の実家へ年始に行つて書初めを
やらされた。それも固苦しい書初めではなく、座敷いつぱいに何枚もきいろいのや白いのや長大な紙をひろげられて、
文鎮で留められ、そのまはりを大ぜいの親戚の子がわいわい言つてゐるなかで、ごく小さな子には長い白髯の祖父が、
筆を一緒に待つて運筆を教へてくれる。
「力いつぱい! さう、さう。思ひ切つて! コセコセしてはいけない。思ひきり、勢ひよく」
と男の子は特に声援される。
大きな筆にたつぷり墨を含ませて、大きな紙に思ひ切り書くのは、一種の運動の快感があつて、子供を喜ばせる。
子供は自分の体より大きな字を自分が書いたことに、何ともいへない満足を味はふのである。
それから、それは又、度胸といふもの、決心といふやうなものを教へる。力いつぱいふくらませた風船のやうに
自分がなつて、その空気を一気に紙上にぶちまける「機」ともいふべきものを、しらずしらずに教へられる。
三島由紀夫「習字の伝承」より 熱狂といふものには、何か暗い要素がある。
明るい午後の野球場の熱狂でも、本質的には、何か暗い要素をはらんでゐる。そんなことは先刻承知のはずだが、
これら少女たちの熱狂の暗さには、女の産室のうめき声につながる。何かやりきれないものがあるのはたしかだ。
だからビートルズがいいの悪いの、と私は言ふのではない。また、ビートルズに熱狂するのを、別に道徳的堕落だとも
思はない。ただ、三十分の演奏がをはり、アンコールもなく、出てゆけがしに扱はれて退場する際、二人の少女が、
まだ客席に泣いてゐて、腰が抜けたやうに、どうしても立ち上がれないのを見たときには、痛切な不気味さが
私の心をうつた。そんなに泣くほどのことは、何一つなかつたのを、私は知つてゐるからである。
虚像といふものはおそろしい。
三島由紀夫「ビートルズ見物記」より 先頃、妙心寺にお世話になつて、修行道場を拝見したり、霊雲院に一泊を許されたりして、大そう感銘が深く、
得るところが多かつた。
在家の者が、たつた一日のぞいただけで、何か得たやうな気のするのは思ひ上りであらうが、私にとつて興味の
あつたのは、生活全般にわたるその極度の簡潔さであつた。(中略)
典座にはもちろんガスもなく、朝の洗面の水もツルベで上げる。かういふことは殊更現代文明に白眼をむいて
ゐるやうにも見えるが、さうではない。ガスを引かぬこと、ツルベで水をくみ上げること、さういふことは皆、
思想の要請なのである。現代人は思想といふものを、ここまで徹底させる能力を失つて、思想といへば、活字の
中にしかないものだと思つてゐる。もしガスを引き、タイル張りのガス風呂を置けば、思想の一角は崩れ、
あらゆる妥協が、精神生活をも犯さずにはゐないといふことを、われわれは忘れてゐる。
さて、話にきくと、ある地方の、収入のよい禅寺に、電気洗濯機を置いてゐる寺があるといふことである。
電気洗濯機を置いた禅寺とは、もはや禅寺ではないのだ。
三島由紀夫「電気洗濯機の問題」より 少年時代には、ホテルといふものは、日本の西欧化の一つのあこがれのシンボルであつた。東京にはホテルらしい
ホテルは帝国ホテルしかなかつたし、戦時中の日本主義全盛時代にも、ホテルの中だけは、欧化主義の治外法権が
ゆるされてゐた。堀辰雄の小説には、神戸などの洒落た小ホテルが、いかにもヨーロッパの一港市の憂愁にみちた
小ホテルのやうに描かれてゐたし、私も大人になつたら、そんなところへ一人旅をしてちよつと微熱を出して、
部屋に引きこもつて、洋書でも読んでゐたらよからうと思はれた。(中略)
ところが成人して作家になつた私にとつていつしかホテルは牢獄になつた。急ぎの、集中を要する仕事は、いつも
ホテルに自己監禁をして、仕上げるのが習慣になつたからである。ホテルに対するロマンチックなイメージは
完全に消失した。同じ形の窓を並べたあの巨大なコンクリートの巣を見上げると私はすぐさま、その一室で机に
向つてゐる自分の姿を思ひうかべ、異様な圧迫感にふたがれるのである。(中略)
三島由紀夫「ホテル」より なぜホテルで仕事がはかどるかといふと、その完璧な非人情、その無機質のサーヴィスが、仕事に対して、何ら
人間関係の邪魔物を持ち込まないからである。室内にする音は、冷暖房装置の衣ずれのやうな風音と、こちらの
原稿用紙の紙の音ばかり、集中を妨げるものは何一つなく、衣食住は機械的に保障されてゐるから、腹が減つたら
電話一本かければよく、フロに入りたかつたら、人手を借りずに入れる。何だか、寂しい、清潔な、福祉国家の
一員になつたやうな気がするし、フランスのランチエ(年金生活者)の生活感情に似たものを味はへる。何ら
不安も希望もないこんな状態が仕事に必要なのだ。つまり、生きながら死んでゐるといふ、ぜいたくな仮死状態を、
ホテルが保障してくれるのである。
仕事が行き詰まると、ドレス・アップして食堂へゆく。わざとメニューにない料理を注文したり、クレソンだけの
サラダを作らせたりして、ウェイターを困らせて、ヨーロッパの気むづかしい独り者の金持の老人のやうな
晩餐をする。ああはなりたくないと思つてゐるやうな人物に変身するたのしみ。(中略)
三島由紀夫「ホテル」より 窓を見る。高速道路の上を車が流れ、ネオン・サインが地の果てまで、瑠璃光を放つて散らばつてゐる。動いてゐる。
動いてゐるけれども、この大都市の歓楽には、人間の欲望の組織化にはあたかもホテルの密室と同じやうな、
無機質の「完璧なサーヴィス」のにほひがある。人間にはこれこれのものだけを与へておけば、それで必要にして
十分であり、それ以上のものを与へる要はないといふ管理者の不人情がある。おびただしい赤・黄・紫・緑・青の
ネオンには、たしかに過剰と競争があるけれども、その熱気は、冷たい一枚のガラスの窓からながめると、
冷蔵庫の中でしんしんと四角い小さな氷を作つてゐる機構のやうに、「冷えきつた熱気」といふふうに感じられる。
そしてこれだけの大都会が、あたかも仕事中のホテルの密室のやうに、ただ人間を仮死状態に置くために活動して
ゐるやうに見えるのである。私はこんな世界におさらばをするのには、大した抵抗を覚えないやうな気がする……。
三島由紀夫「ホテル」より ――もとよりかうした感想は、仕事に疲れた一文士の誇張にすぎない。ホテルといふ抽象的環境が、世界を
むやみに抽象的に見せてゐる心理作用にすぎない。いはばこれは幻覚なのだ。
しかし、かうした「はかなさ」の幻覚だけが、私を仕事へ向かはせるのもたしかなことだ。もし人生を十分に
愛してゐたら、文学をやらうなどといふバカな気を起すわけがない。「はかなさ」から仕事が生れ、別乾坤を
作り出さうといふ意欲が生れる。ともすると、仕事をするためには、人工的に「はかなさ」を作りだす装置が
必要なのかもしれず、ホテルはその最適の装置である。
三島由紀夫「ホテル」より けふ久々のお手紙をいただき、洵にうれしく拝読、丁度数日前「文藝」で「近松と欧米の読者」を拝読、お手紙を
差上げようと思つてゐたところでした。この論文は、明晰で情理を尽したもので、一方きはめて具体的で、
岩波の「文学」系のチンプンカンプンの左翼国文学者たちに少くとも十回ぐらゐ味読させてやつたら、少しは
彼らの目もさめるかと思はれました。
このごろの日本人はあの勇敢なカミカゼ精神をどこへ忘れてきたのでせう。慨嘆に堪へません。
三島由紀夫
昭和37年9月9日
ドナルド・キーンへの書簡より 小生たうとう名前どほり魅死魔幽鬼夫になりました。キーンさんの訓読は学問的に正に正確でした。小生の
行動については、全部わかつていただけると思ひ、何も申しません。ずつと以前から、小生は文士としてではなく、
武士として死にたいと思つてゐました。
(豊饒の海)第一巻第二巻は飜訳がほとんど出来てゐますから、大丈夫かもしれませんが、問題は第三巻、
第四巻です。(中略)何とかこの四巻全巻を出してくれるやう、御査察いただきたく存じます。さうすれば世界の
どこかから、きつと小生といふものをわかつてくれる読者が現はれると信じます。
三島由紀夫
昭和45年11月、ドナルド・キーンへの書簡より 僕は凡そ小説を読むのに、主義や思想についての偏見をもたず、共産党の小説でも右翼の小説でも作品の価値に
ついては、素直に感動する魂をもちつづけたいと思ふのです。先輩の小説でも、中学生の小説でも、よいものには
搏たれる魂をもちたい、他人の中にある何物かに愕く心は自分に愕く心であり、他の発見は、自己の発見であり、
他に感動しなくなれば自己の発見も終る、僕はかういふ信念を川端さんから学びとりました。
しかし日本の文学であり日本語を使つてゐる以上日本語として美しくなければ感動するわけにはゆきません。
三島由紀夫
昭和22年12月25日、清水基吉への書簡より むかしはどこの家の中も暗かつた。このごろの団地の子供は、ハバカリへ行くといふことの恐怖も快楽も知らない。
あの怖ろしい暗い穴の中から、立ちのぼつて来て目にしみるアンモニアの匂ひ、それから煙出し片脳油の
胸せまるやうな悲劇的な匂ひ。それに、どうしてむかしの家では、ハバカリの電気をあんなに倹約したものだらう。
大と小との境目に、五燭ぐらいの電燈がぼんやりついてゐて、それに金蠅の羽音がまつはりついてゐる。それなら
まだいいはうで、全然灯火のないハバカリさへあつたのだ。
(中略)このごろでは全然見かけなくなつたあの片脳油といふもの。あれにはたしか、ノコギリ形の屋根と
黒煙を吐く煙突から成る古くさい工場の絵を描いたレッテルが貼つてあつた。それは大てい油じみて、半分
やぶれかけたレッテルだつた。ほかの防臭剤には、蠅が薬の霧を吹つかけられて、ジタバタして、瀕死の表情を
うかべてゐる絵が描いてあつたものだが、そのすぐそばで、本物の蠅は、逞しく生を謳歌してゐたのだつた。
三島由紀夫「ポップコーンの心霊術――横尾忠則論」より (中略)ビール罎の廃物利用の焦茶いろの罎に、ものすごい刺戟性の薬液がたつぷり入つてゐて、そして何よりも
そのレッテルだつた。子供はしやがんでゐるあひだ、ずつとそのレッテルと睨めつこをしてゐるわけだから、
いやでも覚えてしまふ。
ノコギリ屋根と暗い煙突、それは正に暗い前近代的な工場の風景で、その屋根の下ではきつと家族的な暗い
労働条件があつたのだ。(中略)曇つた朝空へのぼる煙突の煙には、それなりに悲壮なものがあつた筈だ。
日本資本主義の最底辺の、ハバカリにつながる工場の悲哀のなかにも、何かしら、すばらしい矜持があつた筈だ。
日本そのものの匂ひ、都市における唯一の農村の残存物であるところの、あの人糞人尿の匂ひに対抗し、
打ち克つために、正に近代的化学技術の粋を尽してつくられた、圧倒的、殲滅的、かつ、感傷的、近代的スプリーン
そのもののやうな匂ひの発明者としての。
三島由紀夫「ポップコーンの心霊術――横尾忠則論」より それから、これは多分、私の記憶ちがひであらうが、片脳油のレッテルには、子供にとつて最大の宇宙的無限の
謎を誘起する、当時はやりのデザインがあつたかもしれない。それは、人が何か手にもつてゐる図柄の中に、
又、人がそれを持つてゐる図柄があり、その中に又、人がそれを持つてゐる図柄がある、といふ無限小数的な
デザインである。さういふ、悲しくなるほど永遠に遠ざかり深まつてゆくものを暗示したデザインこそ、あの糞臭と
片脳油の匂ひのなかで鑑賞すべきものであつたのだ。
遠い汽笛、……どこの家でもきこえて、子供の夜を、悲しみでいつぱいにしてしまつたあの汽笛、しかし同時に
夜に無限のひろがりと駅の灯火の羅列とさびしい孤独な旅を暗示したあの汽笛は、どこへ行つてしまつたのか。
三島由紀夫「ポップコーンの心霊術――横尾忠則論」より 幼時の思ひ出は、どれをとつても、文字どほりウサン臭いのである。
暗さばかりかと思ふと、思ひがけない痴呆的な明るさが現前する。それはたとへば、聯隊の軍旗祭の記念の風呂敷だ。
いやに赤つぽい桜、富士、旭日の光芒、紫、黄、赤などのものすごい配色。あそこには、栄光といふものと生活の
さびしさとがせめぎ合つた、ヒステリカルなけばけばしさがあつたのだ。私は証言する。むかしの日本人は、
さびしかつた。今よりもずつと多い涙の中で生きてゐた。嬉しいにつけ、悲しいにつけ、すぐ涙だつた。そして
軍隊の記念の風呂敷の、あのノスタルジックな極彩色は、その紫がただちに打身の紫、その赤がただちにヒビ、
アカギレの血の色を隠してゐた。人間といふものはもともと極彩色なのだ。
大日本帝国の一人一人の生活は、湿つた暗い蒲団に包まれてゐた。なぜ蒲団はあのやうに暗く、天井はあのやうに高く、
ハバカリはあのやうに臭く、そしてあらゆるものに、バカバカしく金ピカのレッテルが貼つてあつたのだらう。
三島由紀夫「ポップコーンの心霊術――横尾忠則論」より (中略)
お祭は、花やかで、きらびやかで、しかも陰惨そのものだつた。人々はまだ、不具に対する劃一的なヒューマニズムの
擒になつてはゐなかつた。あの安つぽさ、買つてくると一日でこはれる玩具、あきらかに有毒な着色剤を使つた菓子、
飲物、……そこではすべてが「禁止」されてゐた。少くとも「良家」の子供にとつては。従つてその禁止によつて
圧倒的な魅力を放つてゐた。
見世物の見るもおどろな泥絵具の大看板の、陰惨醜悪怪奇をきはめた半人半獣の図は、ここでもまた、紫の
ビロードと、金糸の縫取と、金銀の縁取りの房に囲まれてゐた。さういふものは、少年雑誌「譚海」の血みどろの
「切つたはつた」にもつながりがあつたのだ。衛生的な大人たちは、子供が「譚海」を読むことを賢明にも禁止し、
明るい、清潔な、そして親には孝行、軍国主義には賛成といふ、「少年倶楽部」を推賞したのだつた。
三島由紀夫「ポップコーンの心霊術――横尾忠則論」より 私の子供時代はそんなものであつた。そしてさういふ、さびしい極彩色の日本人の生活を私はなつかしむ。
家のどこかでは必ず女がこつそりと泣いてゐた。祖母も、母も、叔母も、姉も、女中も。そして子供に涙を
見られると、あわてて微笑に涙を隠すのだつた。私は女たちがいつも泣いてゐた時代をすばらしいと思ふのである!
しかし泣いてゐた女たちの怨念は、今のやうな、いたるところで女がゲラゲラ高笑ひをし、歯をむき出してゐる時代を
現出した。むかしの女の幽霊は、さびしげに柳のかげからあらはれ、めんめんと愚痴をこぼしたが、今の女の幽霊は、
横尾忠則の絵にあるやうな裸一貫の赤鬼になつて跋扈してゐる。うわア怖い!
……私は一体何を語らうとしてゐたのだらう。私は横尾忠則について語らうとしてゐた筈だ。しかし、私は別事を
語りながら、すでに彼についてすべてを語つてしまつたやうな気がしてゐる。少くともその根元的なものすべてを。
三島由紀夫「ポップコーンの心霊術――横尾忠則論」より ふしぎでならないことは、彼が彼の年齢にもかかはらず、戦前の「暗い日本」と、同時にそのノスタルジックな
けばけばしい意匠とを、潜在意識の底にしつかり貯へ持つてゐるやうに見えることである。(中略)たとへば
彼が作つたアニメーションの映画で、旭日の沈む海に、涙を流しつつ男の横顔が沈んでゆき、その上に強大な
女の横顔がおほひかぶさるコマ絵の連続を見ても、私には、それが、大東亜戦争の敗北と大日本帝国の崩壊を、
肉体的に味はつた世代の人間でなければ描けない図柄のやうに思はれたものだ。
もちろんそれは一面的な解釈である。彼の世俗的な成功は、日本的土俗の悲しみとアメリカン・ポップ・アートの
痴呆的白昼的ニヒリズムとを、一直線につなげたところにあつた。(中略)はつきり云つて、それは、日本的恥部と
アメリカ的恥部との、厚顔無恥な結合、あるひは癒着であつたといへる。(中略)
恥部とは何だらうか。それはそもそも、人に見せたくないものだらうか。それとも人に見せたいものだらうか。
これは甚だ微妙な、また、政治的な問題である。
三島由紀夫「ポップコーンの心霊術――横尾忠則論」より 横尾氏のやつたことは、+に+を掛けて−にすることではなく、−に−を掛けて+にすることだつたが、これは
いはば国際親善とは反対で、又、ツーリズム、世界的流行、工業化社会、都市化現象、大衆化社会などとも反対の、
人の一番心の奥底から奥底への陰湿な通路を通つた、交霊術的交流なのだつた。彼は、日本の土俗の霊を以て、
アメリカに代表される巨大な機械文明の現代に、或るフハフハした、桃いろの、ポップ・コーンのやうでもあり、
ゴム風船のやうでもあり、いづれにしても、パンと割られたらおしまひの、合成樹脂製の人魂を喚起したのだつた。
この人魂には、ハバカリの匂ひや、悲しい巨大な旭日の栄光や、女の涙や、やさしい不具者や、あらゆる人間的な
ものがまつはつてゐた。それにしても、とにかくそれは人魂なのであり、人間の霊魂の証しなのだつた。
霊魂は温かい、唯一の温かい言葉になつた。彼の芸術の独特の暗さと温かさは、かくて霊的なものである。
それは(中略)心と心との交流、すなはち心霊術に基づいてゐるからである。
三島由紀夫「ポップコーンの心霊術――横尾忠則論」より そこに「英雄」が立ち現はれる。
英雄は、正にこのやうな交霊によつて喚起され、土俗の中から、土でつくられた巨大ゴーレムのやうに立上ら
なければならない。一例が、横尾氏の夢寝にも忘れぬ英雄、高倉健は、花札の刺青を背中に散らした土俗の
アイドルであると同時に、近代都市の映画産業のメカニズムを通じて、深夜興行といふもつとも文明的な興行形態の
中に生きのびてゆく幻影なのである。死んでもらひませう! さういふ血の叫びをあげるとき、われわれの中の
血の叫び、あらゆる進歩主義者、改良主義者、ヒューマニストが、おぞ毛をふるつて避けて通る血の叫びが、
よびさまされて、かう怒鳴る。「カッコいいぞう!」……しかしそのとき、こんなパセティックな共感のうちに、
われわれは無限に喪失してゆく。何かを。何を喪失するともしれず、ただ喪失してゆく。ハバカリの匂ひを、
農村を、血の叫びを。……そして何十年かのち、コンピューターに支配された日本のオフィスの壁には、横尾忠則の
ポスターだけが、日本を代表するものとして残されるだらう。
三島由紀夫「ポップコーンの心霊術――横尾忠則論」より (中略)
自然な日本人になることだけが、今の日本人にとつて唯一の途であり、その自然な日本人が、多少野蛮であつても
少しも構はない。これだけ精妙繊細な文化的伝統を確立した民族なら、多少野蛮なところがなければ、衰亡して
しまふ。子供にはどんどんチャンバラをやらせるべきだし、おちよぼ口のPTA精神や、青少年保護を名目にした
家畜道徳に乗ぜられてはならない。
ところで、私はこの元旦、わが家の一等高いところから、家々を眺めて、日の丸を掲げる家が少ないことに
一驚を喫した。こんな美しい国旗はめづらしいと思ふが、グッド・デザインばやりの現在、むづかしいことは
言はずに、せめてグッド・デザインなるが故に、門毎に国旗をかかげることがどうしてできないのか?
三島由紀夫「お茶漬ナショナリズム」より 去秋の旅で、私は二度鮮明な日の丸の思ひ出を持つた。
一つは私の泊つてゐたニューヨークのウォルドルフ・アストリア・ホテルに、たまたまオリエント研究関係の
国際会議か何かで、三笠宮殿下が御来泊になり、正面玄関に大きな日の丸の旗が掲げられ、パーク・アヴェニューに
ひるがへつた。これは実に晴れがましい印象だつた。自分も一日本人、一同宿者として、その巨大な日の丸の旗の、
一センチ角ぐらゐを受持つてゐる感じがして、心がひろがるのであつた。
もう一つは、他にも書いたが、ハムブルグの港見物をしてゐたとき、入港してきた巨大な貨物船の船尾に、
へんぽんとひるがへつてゐた日の丸である。私は感激おくあたはず、その場にゐたただ一人の日本人として、
胸のハンカチをひろげて、ふりまはした。
三島由紀夫「お茶漬ナショナリズム」より かういふことを、私は別に自慢たらしく言ふのではない。私にとつては、ごく自然な、理屈の要らない、日本人の
感情として、外地にひるがへる日の丸に感激したわけだが、旗なんてものは、もともとロマンティックな心情を
鼓吹するやうにできてゐて、あれが一枚板なら風情がないが、ちぎれんばかりに風にはためくから、胸を搏つのである。
ところが、こんな話をすると、みんなニヤリとして、なかには私をあはれむやうな目付をする奴がゐる。
厄介なことに日本のインテリは、一切単純な心情を人に見せてはならぬことになつてゐる。(中略)
自分の国の国旗に感動する性質は、どこの国の人間だつてもつてゐる筈の心情である…(中略)
私の言ひたいことは、口に日本文化や日本的伝統を軽蔑しながら、お茶漬の味とは縁の切れない、さういふ
中途半端な日本人はもう沢山だといふことであり、日本の未来の若者にのぞむことは、ハンバーガーをパクつき
ながら、日本のユニークな精神的価値を、おのれの誇りとしてくれることである。
三島由紀夫「お茶漬ナショナリズム」より このスレって社会では受け入れられないアホが必死に持論展開するスレですか?
痛々しいッス(ノ_・。) 太宰さんで。お願いします。( ̄◇ ̄;)→はーい!!オサムちゃ〜ん!(^ー^)ノ 太宰治は、イケメンなので、毎年、ファンの女性が命日にお花を手向けるそうです。 桜桃もいいけど、好みあるけど、斜陽とかスキ。人間失格は、精神状態の良い時にしか
読まない方がいいと思う。けっこう、かなり、くりゃ〜ーーい!!★ 人間失格って暗いって言われてるけど、面白いシーンかなりある
俺は未完で終わった、今までの女と縁切る為にわざと、知り合いの美人を
女の前に連れて行ってあきらめさせるとかって内容の話が面白かった
タイトル忘れたけど。 何故だろう…
トカトントンが強烈なインパクトで記憶に残っている 「斜陽」「杜子春」「坊ちゃん」等、青空文庫の名作が無料で読める
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大宰治さんは、よく読むと解るんだけど、お父さんが地元の名士で、すごく厳格な家庭に育った
作家で、自虐的な人なんだけど、自分を責めてばかり。痛々しいほどに、優しい人なんだよ。
女たらしの悪い印象が有るけれど、自然と女の人が寄って来るタイプの男性で、とにかく、
優しい人なんだよ。 私は、太宰治の顔がすきなのではないのらー。(本当にいいひとなので。)
優しすぎて、悲しすぎる人なので。自殺はしないでほしかったよー。もて過ぎて、
嫌みではなく、本心から「女のいない世界に行きたい。」という言葉を残している。
勿論、ゲイさんではない。俗世の汚さに、耐えられなかった様にも見えます。稀有なほどに、
優しい人、可哀想な生い立ち。お金持ちの家に育っているけれど、人間恐怖症になるほど、
安心する家ではなかった人。他人に気を遣ってばかり。痛々しいほどに、サービス精神が旺盛。
けれども、ほんしんでは、他人全員に怯えていて、子供の頃の厳しい家庭環境に根ざしている。
優しすぎて、悲しすぎる人。 年齢制限のない健全サイトにまで無差別に表示される、
携帯エロバナーを撲滅するべく具体的な行動に移そうというスレです。
※エロやエロ漫画そのものを否定するスレではありません。
あくまで「健全サイト・閲覧に年齢制限のないサイトにまではびこるエロバナー」をどうにかしよう!というスレです。
http://c.2ch.net/test/-/internet/1323983294/1- 792≧??。そう思うなら、あなたの意見をまず、書いて下さい。私は、太宰治は、ほとんど全て読みました。
ご自分の意見を書いてから、言って欲しいけど、そこまで批判したのなら自分の意見をはっきりと
書いて、それから、批判して下さい。違う意見も聞きたい。ちなみに、大宰治は、一度目に心中事件を起こしたのは本当の事ですが、その事も
死ぬ日まで自分を責めていた人で、どんどん自己嫌悪から身を落としてしまった元帝大生。優し過ぎ。女難の相のある人なだけです。
2度目は心中ではありません。太宰治の事を片思いしていた女性が、後追いしただけなのに、
男性のもてない男性のヒガミからか、2度目も心中したことになっています。けれども、真面目に、生い立ちについて書かれている本を沢山読めば分かります。
>>739 え? 批判なんかしていませんよ。いいところついているな、と思って感心していただけなのに……。
違う意見と言っても、私も皆様方と近い考えです。>>791 アリガトうさぎー!さんのおっしゃる、優しすぎて、
悲しすぎる人、という指摘、私も同感! ……といっても、やはり誰もがそう感じているのでしょうね。太宰治みたいに
デカダンスに陥った人はなかなかいないけど、おそらく誰もが、彼と同じ諸症状は持っていて、“自分と同じだ!”と感じる、
要するに、人間の普遍性をついているから、共鳴の裾野が広いのでしょうね。 人間失格しか読んだことない。しかも内容忘れた。家の前も通ったことある。玉川上水は汚いね。 ┏━━┓ ┏┓┏┓ ┏┓ ┏┓ ┏┓ ┏┓ ┏┓
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学歴は三島、身長は太宰が上
文章はどっちもたいした事ない 父は三島由紀夫が自殺した時に、現場から数百メートルしか離れていない
市ヶ谷食堂で食事していたとの事です。 >>748
生きた時代が違うでしょ(ヾ(´・ω・`) 市ヶ谷自衛隊総監部で三島由紀夫の介錯した後に
自らも切腹し果てた楯の会・森田必勝(22)の
同棲相手(許婚)は”やる気、元気”の井脇ノブ子
三島由紀夫は決行2日前に”楯の会”会員4人(森田必勝、小賀正義、
小川正洋、古賀浩靖)とパレスホテルで最終打ち合わせをした。
三島「森田、お前は生きろ。お前は恋人がいるそうじゃないか」
後の井脇ノブ子である。
今でも井脇は森田必勝の咽喉仏が入ったペンダントを
身につけている 三島の文章は一見、大江の様にメチャクチャに思えるが
よく読むとキチンと成立している
絶対文感では幾つかの文章が槍玉に挙げられて、酷評されていたが
それ等は語彙力さえ持っていれば読む事に違和感を感じないレベルだ
例えるならば、岸和田の地車の様に派手な修飾をして破綻しかけていても
ギリギリバランスを保つことが出来る、凄まじい構成力だ
俺は三島の文章が大好きだがこの文章の真似をする事は、余りにも危険過ぎると思う
対して太宰は、読み易くするように心掛けられていて正統派の美しき文章だ
従って文章においては甲乙つけ難いと俺は思う
文学のテーマもハッキリ言って、どちらも密度が高い
何方が一方より優れているなどという様な次元をこの二人は越えているだろうな 三島は小さい時から師匠までつけて漢文を習っていたりしたのだが...
才能を開花出来る条件(資産力)としては太宰の方が上でも、三島でも十分に恵まれた環境だと思うぞ
大蔵省の試験もパスしていることからも相当の実力者であることが伺えるし
三島が劣等感まみれの小男ならば坂口安吾や大江健三郎を評価していたのは何だったのか
君は説明出来るのかい?
三島が真に評価されているのは、バタイユを継承した西洋的な思想・テーマ
それらを束ねる構成力、優れた洞察力、西洋に通じる修飾過多の文章だと俺は思う
太宰の場合は優れた女性心理の描写、ドストエフスキーに迫る濃密度の退廃的文学
御伽草子にみられる多様な文学性、文体を巧みに使い分けることだ
どちらも日本が生み出した珠玉の天才であり、傑作を多く生み出してきた実力者達だ ああ、それと顔面はドッチもブサイクだぞ
太宰は陰影でごまかしているけれども学生時代は強烈だからな
三島は典型的な頭デッカチ
似たり寄ったりの同族同士さ 教京サーバ無戸籍交際薬剤消毒介護職利権ローション帝国上層部24時間パトロール義務東京上野飲み会マックさむらいニューヨーク森林火災チェック問題ヤーフォー確定申告ラーメンスーパーポイントdビデオデッキ破壊タイピングGTX860MIGOZ
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糞箱弐個弐個沖縄ランド近年ペット原発難民船頭100万円コミックコラムシフト廃品鉄工業プラチナ小スモ再販問題WHO光金アナ雪エネルギーソーシャル決裁ニッカン奮闘鬼記者サービス露店キセルストア会長農家不動産自動車工場観劇息子 んなこたーない
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´∀`/
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| У.. | 三島由紀夫VS中谷彰宏
同じ作家で俳優
これ以上の激戦は生まれない (。╹ω╹。)ㄘんㄘん 「美人すぎる」という言葉が使われるようになったのは太宰ファンによるものにしか過ぎない。 太宰は読みやすいしはまりやすいけど、エンブレムの佐野と仕事っぷりが似てる。
「斜陽」は「斜陽日記」の丸パクリだし、「女生徒」は他の人が書いた説があるし、
「新ハムレット」は「ハムレット」のまんまで「右大臣実朝」は「さねともさま」の絵本
を読みながら書いているのだろうと揶揄され、死ぬ直前は、「更科日記」を書きたい
と周囲に漏らしているからね〜。
三島は素直に天才だと思う。ストイックだし、努力家だし。
やっぱり育ちが違うのだろうと思う。
太宰は名家と言われているけど、従業員(使用人)の使い方が成金ぽいんだよね。
金持ちだけど、嫌な金持ちのパターン。三島はやっぱり武家であり貴族。
精神が全く違う。 太宰治が必要以上に高く評価されている理由がわからない。
三島のほうが作品も死に方も数段素晴らしい。
死ぬなら一人で死ねば良かったんだ。
二人の若い娘を道連れにした罪は重い。 ある意味、女からすると結婚するなら三島みたいな公務員の息子が
一番安全で良い。大して魅力もないつまらない男だけど三島は
真面目で秀才。秀才だけど永久に天才にはなれない凡人。
アマデウス・モーツァルトも奇人変人の天才だったけど秀才では
なかった。異常者だった。太宰もそうだよね。天才。
三島は根がどうしようもなく真面目で秀才。とても優秀。
太宰は根がどうしょうもなくだらしなく天才。とても怠慢。
けどスポーツやらせても文を書かせても女と付き合わせても
何やらせても上手かったのは太宰治のほうなんだよ。 >>777
あなたは太宰治こと津島一族の屋敷に住み込みで仕えていた30名以上
の女中さん達がどのように使われているか現場を「見てない」じゃんw
見てないのに「成金っぽい使い方」って、作り話じゃんw
その時点で嘘書いてるって丸分かりw
良くも悪くも自分達の上には誰も頭を下げる相手がいないトップ経営者や
創業者一族の資産家っていうのは傲慢さが出てしまう部分があります。
生粋の生まれながらの本物の資産家のお嬢やボンボンほど実は傲慢です。
良くも悪くも自分達の上には頭を下げなければならない雇用主や上司など
がいる組織に属している公務員やリーマン一族っていうのは謙虚に
ならざるを得ないので卑屈さや卑しさが出てしまいます。
給与をもらう立場の人間ってそうなんです。給与を与える側とは違います。 >>101
貴方が女のふりをした「一重まぶた」の低身長のジジイなのは分かったけど
私情抜きで純粋に顔立ちと体型を審美的に客観視したら、
どう見ても太宰の方がモテ顔です。
事実、オサムは美人にモテてましたから。論より証拠。
和装姿の太宰は立ち姿がスラっとしてて8頭身で洗練されて美しい。
くっきり二重の目元に憂いを帯びて鼻高くて本当に美しい男だった。
私は本物の女だから女がああいう美形好きなのは分かります。 >>1
貴方の書き込みに人生最大のショックを受けた
今まで一度も気付かなかったよ
太宰のそういう本質
それが真実かどうかは分からないけど、
なるほどそういう視点でも見れるのかと思ったら
太宰という男の実態がほんの少し見えてきた気がする 太宰治28歳の結婚式の写真
http://image.blog.livedoor.jp/faith_hope/imgs/a/f/afdceca0.jpg
TOKIOの松岡に似てるが
松岡よりも遥かにカッコイイ
めっちゃくちゃ美青年じゃんか
これじゃ女が寄ってきて寄ってきてウザくなるのも分かるわ 太宰の文才に嫉妬して「女生徒は女の日記のパクりだ」なんてホラ吹いてる奴がいるけど完全にデマだよ。
あれは正真正銘、太宰本人が創り出した作品だよ。
「皮膚と心」「津軽」など読んでる人には分かる。
あれはまさに太宰特有の感性。 太宰の曾祖父は青森県の長者番付4位の豪族だよ
太宰の父の代から政界へ進出してる イケメン、旧家の豪族生まれ、東北屈指の金持ち、
高身長、健康で丈夫な体、喧嘩強い不良育ち、
学年1位で東大生、美人にモテまくり、圧倒的な文才
↑
ある意味もう死ぬしかないよね >>789
あああーん
それ、だめぇ…
たまらんわぁ
太宰青年のイケメンっぷり >>787
ひゃゃ〜ん
タイプよ!その顔!
ああん、いや、会いたいわ >>786
いやぁぁん
いじわるぅ
そんなイタズラっぽい顔でこっち見ないで
ドキドキしちゃって
貴方に会えないと胸が苦しいの また新しい写真、追加するよ〜!
高校生の時の太宰の写真、超絶美形すぎるw
http://www.exblog.jp/blog_logo.asp?slt=1&imgsrc=201311/10/67/c0287367_1462190.jpg
高校生の時の太宰の写真(一番右端)、強烈な美形イケメンw
http://www.exblog.jp/blog_logo.asp?slt=1&imgsrc=201311/10/67/c0287367_084911.jpg
大学時代の太宰の写真(真ん中)、ちょ、おま、俳優かよw
http://www.exblog.jp/blog_logo.asp?slt=1&imgsrc=201311/10/67/c0287367_148815.jpg 身長160未満の貧弱男なのに虚勢張った三島君
身長175の大食い男だったのに弱かった太宰君 >>778
いやいや、太宰は「女を道連れ」にはしていませんよ。
なんで嘘ばかり書くの? 太宰治の人生はモテない素人童貞ジジイの嫉妬心をモロ刺激しちゃうからなぁ… 太宰はハンサムだよね、太宰は美青年だよね、太宰はイケメンだよね
と写真を見たまんの率直な感想を述べると、
まるで傷口に塩を塗られて飛び上がった猛獣の如く鼻息荒く
「違う!そうじゃない!太宰はイケメンじゃない!ブサイクだ!クズだ!」
と反発してくる一定数のジジイ集団がいるよね。
こういう奴らは間違いなく醜男で顔に自信がなく劣等感の塊なんだけど。
よほど太宰治に【男の嫉妬心】をかき乱されてしまうらしい。
座っていられないくらい嫉妬に狂ってしまうんだろう。 太宰はハンサムだよね、太宰は美青年だよね、太宰はイケメンだよね
と写真を見たまんまの率直な感想を述べると、
まるで傷口に塩を塗られて飛び上がった猛獣の如く鼻息荒く
「違う!そうじゃない!太宰はイケメンじゃない!ブサイクだ!クズだ!」
と反発してくる一定数のジジイ集団がいるよね。
こういう奴らは間違いなく醜男で顔に自信がなく劣等感の塊なんだけど。
よほど太宰治に【男の嫉妬心】をかき乱されてしまうらしい。
座っていられないくらい嫉妬に狂ってしまうんだろう。 P35.cgi (Perl,SJIS) 2015/11/18 FOX.
>&ft;1 元のスレ
../cafe30/dat/1174282423.dat
P35 三島由紀夫VS太宰治
489832 -> 415336 (バイト)
P35 テストに夢中。これ以降書いても消えちゃうかも
>>777
そりゃ高利貸しから地主の成り上がりだからな、 こいつ(太宰治)はダウン症の息子が生まれたからって、浮気のはてに心中だなんて無責任
はなはだしい作家だよな
二度と読まんわ、こんな奴の小説は >>807
ナルシストの三島より人間らしくていいだろ 2017年3月21日
●イオンカ―ドのキャッシングご利用者さまへのお利息減額漏れに関するお詫びについて(3)
●今回の調査対象期間
1991年2月から2005年1月のキャッシングご利用期間
●該当のお客様
17,546名
●返金総額
40,366,160円
●お詫び状の送付
2017年3月21日より順次ご送付
【お知らせ先】
株式会社イオン銀行
(イオン銀行ホームページ)
TTU ○佐川&高田(頭脳&肉体)山中寛幸&八倉正憲●
【頭脳○】佐川清和&高田知彦&三好貴文【筋肉○】
×山中、石田真也×>×八倉、日山× >>759
文章力は圧倒的に太宰のほうが上だろ
太宰の文章は天才しか書けん >>70
立原秋正は朝鮮人だからな
保守正道の三島とは合わん >>811
どちらも喧嘩は弱そうだが、体重からしたら(身長差が10p以上あるので)太宰かな。
なんかズルそうなところもあるしw 三島は馬鹿正直だからいよいよ喧嘩には向かない。 三島って案外女々しい所がある感じ。
三島は太宰に自分と似た所があるので嫌ったんじゃね笑笑 太宰治も三島由紀夫もどちらも大好きな私ってオカシイのかなあ!? ≫821
そんなことないよ
おかしくないよ
わたしも三島も太宰もドッチモ好きですよ
三島は有名作品はほとんど読んでるけど一作選べって言うなら遺作の「豊饒の海(全四巻)」かな。 さあ!俺も割腹自殺するぞ!
でも、痛えだろうな!
腸がはみ出して、血がドバッと出て、、、
ヤア〜メタ(^_^) 文章は三島みたいな美しさはないけど、太宰治はとにかく言ってることが面白い。これも天性の才能だと思うね。 太宰は女にモテただろうなと思う
現にモテてたんだろうけど。
三島は近寄り難いw >>38 >>7🤯 😋 😛 😛 😤 😔 🌜 😤 😔 😔 😔 😜 😔 🌛 😤 📛 😤 😔 📛 😔 😔 😔 🌛 🌛 😔 🌛 😜 🌛 😍 😋 🤣 😂 🤣 😂 😂 😍 🤯 😋 😛 😛 😤 😔 🌜 😤 😔 😔 😔 😜 😔 🌛 😤 📛 😤 😔 📛 😔 😔 😔 🌛 🌛 😔 🌛 😜 🌛 😍 😑 😋 🤣 😂 🤣 😂 😂 😍 🤯 😋 😛 😛 😤 😔 🌜 😤 😔 😔 😔 😜 😔 🌛 😤 📛 😤 😔 📛 😔 😔
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