おせん転がし殺人
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
「死刑囚の記録」
でぐぐれ
他の文献も大抵この本からの引用ばかり。
戦後の大量殺人犯を扱った本でもなぜかふれられることはあまりない 千葉県の断崖『おせんころがし』で4人突き落としたそうです
つまり【おせんころがし殺人】の前に【おせん】が突き落とされた
【おせん】の情報求む 「おせんころがし」ってのでなるほどって思ったんだけど「仙台藩流刑史」て本なんかにある
地名に「流人ころがし」とか「清兵衛切られ」なんてのがあって奇妙に感じてたんだけど
そういう地名っつーか俗称みたいなのって不気味なんだけど、なんか物語がありそうでそそるよね。 見たことあるけど普通のおっさん?よりもやや若い感じ。
イケメンでもブサイクでもない。
凶悪そうにも見えない。 子供は一人だけ助かった。
ググると心霊スポットが出てきて怖い。 _,.,. へヘ
´ ノノ , "⌒` 、/〃⌒⌒ヽ +
. + !(((!´゙リ)) ルハノルノノ〉〈〈 ノノ^ リ)) +
ノ リ.゚ ヮ゚∩ リ゚ー゚*∩!ルヽ||`∀´||
+ (( (つ ノ (つ 丿 (つ つ )) +
ヽ ( ノ ( ヽノ ) ) )
(_)し' し(_) (_)_) 1959年10月14日死刑執行。
鉄道記念日ですな。 「死刑囚の記録」と同じ著者(加賀 乙彦)の「宣告」の中にいちばん詳しく書いてあるかな。
生い立ちから犯行まで。凄まじい。
この本を読んだとき「世の中にはこんなに恐ろしい人間の皮を被った獣がいるんだ」と
心底怖くなったよ。
「いい身体してるな」
のセリフに不謹慎にも勃起してしまった。
食糧事情の良くない時代に、そんな豊満な女性がいたのか..
殺された女性の身体に
「どんな乳をしてたのか」
などと想像してしまった。
すまん....
しかし、子供まで無残な殺し方をするとは!!
許せん!! おせん転がし通ったことあるな。
こんな事件があったとは知らんかった。
おせんちゃんはなんで転がされたの?
崖の名前にまでなったくらいだからそれなりの事件があったんだよね? >>33
強欲な父親を諌める為に身を投げたそうな。 助かった長女って、生きてればまだ60代前半だよね。
存命中の確立の方が高いよね。
事件当時7歳なら記憶もあるだろうな・・・。 >>37
茂みのなかに隠れて一部始終を見ていたとか、見ていなかったとか。 栗田も夜尿症とは凶悪犯ってみんななにかしらのコンプレックスを持っているな こいつの血縁者はまだ秋田にいるんだろ?甥とか姪とかその子供・孫・・・
根絶やしにしろよ。こんなDNA。
しかし、秋田は業が深すぎる・・・さすが子消しの里。。。 じっぷらの方から来ましたお
おせんちゃんのエロ画像きぼんだお オセンコロガシのトンネルで女の子をみる‥
夜中に一人は無理 12人兄弟で貧乏だったらしいが
子供が12人も居たら今の時代でも貧乏になるだろう
親も、やはり性欲に溢れた人だな
この時代は避妊はなかったのか?
永山則夫の所も兄弟が多く貧乏だったらしいが…
親に計画性のなさが感じられる 最悪の事件。
起こした事件も最悪だけど、死刑の判決受けてからの往生際の悪さも最悪。 夜尿癖があるって
性的虐待された子供の典型的な例の一つだよね 0 0 7 3 7 5 6 1 8 8
6 7 4 2 6 3 4 0 1 7
1 8 7 5 1 5 3 1 1 7
7 8 2 7 2 5 1 8 0 3
4 3 6 2 6 6 3 2 2 3 >>53おまいあちこちに出没す杉だ罠
よって握緊に汁 行川アイランド駅のそばだよね。
ところで「上総興津」という駅があるくらいだから、
興津は上総だと思ってたんだけど、安房郡だったの? >>39
最近この板に来たので、すごい遅いレスだけどw
図書館で読んだ昭和38年ごろのサンデー毎日に、
実況見分でやってきた栗田と、ただ一人助かった長女が、
対面している写真が載ってったよ。
心の傷とか考えないのかな、とか思ったw 「吉作落とし」とか「おせん転がし」とか
昔の人の名づけ方は直接的だな >58
この事件自体はおせん転がし事件とは別なんだが、被害者が「転がされた」という点では一緒なんだな。 栗田死刑囚にはカケラも同情できん。
死刑に至るまでの苦悩も、「当たり前だ」すら通り越し、「ざまあみろ」との感想しかない >>62
こいつに対しては、本当に「身から出た錆」で
それまでの生き方だよな
哀れには思うが、しかたない 加賀乙彦の「宣告」は泣ける。
長いけど、一度読むべし。 栗田の馬鹿に子孫や身内はおるのだろうか?
いたらそいつらも、いたぶってやれ。
どうせろくな血を引いてないんだから。 >>70
子供はいないと思うが(隠し子がいないという証拠はないけど)
源蔵は12人兄弟の三男だぞ
萌え米で話題になった羽後が出身地
( ゚Д゚; おせんちゃん…(涙)
残酷だよな、昔の人達は ■栗田源蔵 被害者(起訴状記載の10名)
No 殺害日 被害者 年齢 被害者身分 死因
01 1948/02 鈴木芳子 21 恋仲 海岸埋める
02 1948/02 村井はつ 17 恋仲 性交後絞殺(手拭)
03 1951/08/08 増山文子 24 主婦 強姦絞殺屍姦
04 1951/10/10 小林ふゆの 29 主婦 強姦絞殺 断崖投落 石で殴打とどめ
05 1945/10/10 小林幸男 5 長男 断崖投落 石で殴打
06 1945/10/10 小林幸江 2 次女 断崖投落 石で殴打
07 1952/10/10 鈴木きみ 4 主婦 絞殺・屍姦
08 1952/10/10 鈴木いわ 63 叔母 刺殺
栗田源蔵
はやぶさの源
1926(大正15=昭和元年)秋田県雄勝(おがち)郡新成村(現・羽後町)
川猟師の三男.父は病弱、母親が出稼ぎ.12人兄弟
村一番の貧乏
夜尿症.「小便小僧」「寝小便やーい」
小学校三年で中退.農家に奉公.
75kg >>79
よくこんな画像あったね。
正直、統合失調症みたいな顔。
感情が鈍そう こいつ今の世の中に生まれてたら何かしら障害見つかるんじゃないのかな
頭悪そうだしな 現場ルポ
ttp://yamaiga.com/road/r128_osen/ IQどれくらいだったんだろうね
加賀乙彦先生に聞いてみたいよ 無限回廊では
おせんころがし事件は無罪だとか
近所の老人に「絞めたり叩いたりしたら気持ちいいぞ」って言われたとかって主張してるな おせんころがしで、次々と子供を殺して、女性もレイプして殺害って、
どんだけ我慢できないアホなんだろうね。
死刑は当然だよね。 キチガイ極まりないが 当時の時代背景や社会情勢 生い立ちなどで現代では理解し難い事だろう 昔は神隠しなどと言って行方不明で終わったり レイプも夜這いとして認知されてたり 公共の売春があったり 戦争と云う人殺しが勲章もらったりと… ■栗田源蔵 被害者(起訴状記載の10名)
No 殺害日 被害者 年齢 被害者身分 死因
01 1948/02 鈴木芳子 21 恋仲 海岸埋める
02 1948/02 村井はつ 17 恋仲 性交後絞殺(手拭)
03 1951/08/08 増山文子 24 主婦 強姦絞殺屍姦
04 1951/10/10 小林ふゆの 29 主婦 強姦絞殺 断崖投落 石で殴打とどめ
05 1945/10/10 小林幸男 5 長男 断崖投落 石で殴打
06 1945/10/10 小林幸江 2 次女 断崖投落 石で殴打
07 1952/10/10 鈴木きみ 40 主婦 絞殺・屍姦
08 1952/10/10 鈴木いわ 63 叔母 刺殺
栗田源蔵の写真
http://ryoshida.web.infoseek.co.jp/jikenbo/004kurita.jpg
現場(おせんころがし)
http://yamaiga.com/road/r128_osen/r128_osen_29_1.jpg 昭和34年当時の井野法相は衆院法務委員会で執行サインに関して
「職務上しなければならない責務がある。するかしないかは私の権限なので
お任せ頂きたい」と答弁。死刑空白年を危惧した法務省当局が選んだのが
世論も納得するおせんころがし事件の栗田源蔵。
この場所って今でも危ない所なの?今はちゃんと整備されてるのか? 戦後重大事件なのに、小平だの大久保だの有名人と比較すると、マイナーなんだよな
なんでだろ 栗田は強姦殺人の常習者だが
おせん転がしは別の真犯人がいそうだけどな。
栗田も一回犯行を否定してるし。
犯行パターンが違うんだよな。 栗田は秋田県で、極貧の川漁師の子供として生まれ、12人兄弟であった。
家計はどん底で、食事さえもまともに与えられなかった。
栗田は子供のころから夜尿症(やにょうしょう = おねしょ)に悩まされ、
これは成長しても直らず、死刑直前まで夜尿症は続く。
そうなんだよ、いかにしても おせんが気の毒過ぎる・・・ 当時もそれほど大騒ぎにはなってないみたいだしなあ
図書館でいろいろ探したけど、例えば「19**年の大事件」みたいな文献には出てこない
ローカルでは騒がれたのかも知れないが。 昔だから池沼の起こした事件は あまり大きな騒ぎが出来なかったんじゃないか? この事件、どうしても おせんちゃんがかわいそうでならない・・・ >>114
小平義雄や大久保清の知名度が高いのは、
映画やドラマになってるからじゃないかな
当時それほどセンセーショナルに報道されなかったのでは? 初めてこの事件を知ったとき、凶悪さもさることながら、
犯人は幼少時から大人になっても一生おねしょしてた点に驚いた。
殺されたのに 現場を“おせん転がしの坂”なんて呼んで語り継がれるとは・・・おせんちゃんっ・・・(;ω;) ◆被執行死刑囚 (1990年以前)
1986.05.20(火) 徳永励一、木村繁治(上野消火器商一家5人殺害事件)
1985.05.31(金) 古谷惣吉(連続8人殺人事件)
1976.01.22(木) 大久保清(大久保清事件)
1972.07.21(金) 片桐操(少年ライフル魔)
1971.12.23(木) 小原保(吉展ちゃん誘拐殺人事件)
1970.12.11(金) 西口彰(連続4人強盗殺人事件)
1970.09.19(土) 杉村サダメ(連続女性毒殺事件)
1970.06.11(木) 小林カウ(日本閣事件)
1969.12.09(火) 正田昭(バーメッカ事件)
1962.11.26(月) 李珍宇(小松川女高生殺人他)
1959.10.14(水) 栗田源蔵(おせんころがし事件)
1955.11.22(火) 菊地正(栃木雑貨商一家殺害)
1949.10.05(水) 小平義雄(小平事件) 栗田源蔵
http://ww5.tiki.ne.jp/~qyoshida/jikenbo/004kurita.jpg ■栗田源蔵 被害者(起訴状記載の10名)
No 殺害日 被害者 年齢 被害者身分 死因
01 1948/02 鈴木芳子 21 恋仲 海岸埋める
02 1948/02 村井はつ 17 恋仲 性交後絞殺(手拭)
03 1951/08/08 増山文子 24 主婦 強姦絞殺屍姦
04 1951/10/10 小林ふゆの 29 主婦 強姦絞殺 断崖投落 石で殴打とどめ
05 1945/10/10 小林幸男 5 長男 断崖投落 石で殴打
06 1945/10/10 小林幸江 2 次女 断崖投落 石で殴打
07 1952/10/10 鈴木きみ 40 主婦 絞殺・屍姦
08 1952/10/10 鈴木いわ 63 叔母 刺殺 大人になってからのおねしょも、下着やズボンを濡らす程度の軽いものじゃなくて、
布団に毎晩世界地図を作るレベルだったのかな。 http://image.search.yahoo.co.jp/search?ei=UTF-8&fr=slv1-tbtop&p=%E4%B9%85%E4%BF%9D%E7%94%B0%E6%96%87%E9%9B%84#mode%3Ddetail%26index%3D11%26st%3D425 http://ww5.tiki.ne.jp/~qyoshida/jikenbo/004kurita.jpg
栗田源蔵 おせんころがし事件などで女子供8人殺したあの栗田源蔵も
「冤罪だ、無実だ、やってない」と何度も再審請求。
拘置所の医務官(加賀乙彦)に
「自分は死ぬのは怖くないが、無実の自分が死刑になったら
母親や妹が悲しむ・・・」と訴えてたそうだ
(「死刑囚の記録」加賀乙彦) 栗田源蔵(おせんころがし殺人事件犯人)/名言(迷言)
『好きなのはお前だけだよ。A子は殺してそこに埋めたよ』(←浮気がばれて)
『いい体してるな。やらせろ。やらせないなら皆殺しにしてやる!』(←子連れの女性に)
(その後、女性は強姦され、2人の子供と一緒に殺害された)
『おせんころがしで死んだ女性が、子供を連れて泣いている夢を見るんです・・・・』
(逮捕後、プロテスタントの牧師に差入れを迫って)
『こっちの坊主の差入れは少ない』
『冤罪だ!再審請求だ!!』(←死刑判決に激怒して)
『先生、生きたいんです。助けてください・・・・』(死刑確定後、精神科医に) この事件、しらなかったが、おねしょがなければ、犯人はずいぶん人生変わったんだろうけどな。
吃音などのこの手のは社会から排除されるから犯罪の遠因になりやすいし。
よくわからないが、おせんころがしに母子4人で深夜に帰途とあるが、行方不明の父親を深夜まで待ってだろうか。
当時の家庭ならばあさんとかに子供を預けてでいいと思うが、深夜まで子供と駅というのもなあ。
今よりも街灯などが少ない戦後の気の荒い時期に小さな子供連れで駅に23時まで待ってて変な男が
ついてきたって起きるべくして起きたような。
この女も頭が少し弱かったのかな。
行方不明の父親が見つかってなければ、この子は孤児となって孤児院にいれられたか、
親戚に育てられたのか。。。
まあ、数年前まで戦争で誰もが人が死ぬのをみていた時代だから今とは異なるだろうが、
この長女も大変だったろうな。
いろいろ時代を感じるなあ。
今なら精神科医が津々浦々でいるから、秋田の田舎でも犯人のおねしょも何とかなったろうが、
当時は癲狂院やら青山脳病院の時代だからなあ。 >>143
自己レスだけど、別記事に書いてあったが、行商人の妻は駅まで探しに来て、電車に乗り遅れ、
宿賃もなく、困っていたとあるね。
記事によって、男の話に乗ったとか男がついてきたとかどちらかが正しいのかよくわからないが、
小さい子供を3人も連れて遠出で探すというのはよくわからないね。
それに、当時、妊娠9カ月だったらしいし。
探しにきたのもあるけど、行方不明の夫が見つからなければ、無理心中でもするつもりだったのかな。
よくわからない話だ。
∧_∧
(´・ω・) 美味しそうでつねぇ
.c(,_uuノ
へ-ヘ
ミ*´ー`ミ 美味しそうでつねぇ
※(,_uuノ 障害者とか頭のおかしい奴が人を殺したら 死刑にするのがいいと思う いつまたやらかすかわからんし 「戦後日本の大量猟奇殺人」斎藤充功 本体1204円+税
ちょっと高かったけど面白かったよ! 収録事件は、
小平事件、おせんころがし、兵庫加古川7人殺し、小田原銭湯一家5人殺し
青森りんご園8人殺し、和歌山一家8人殺し、福岡一家11人殺傷、昭島昭和郷放火8人殺し
長野一家7人殺し(時効)、三重熊野猟銃乱射10人殺傷・・
おせんころがしの栗田源蔵は逮捕後、栗田を連れた現場検証の写真もあった。
現場検証に唯一の生き残り長女も一緒に立ち会わせたんだよ。
当時の毎日新聞千葉版(昭和28年12月22日)より抜粋
「泣く子を次々にがけ下に投げ母親に暴行し、風呂敷で絞殺、石で滅多打ちにしたうえ
3人の死体を引き寄せ草をかけた安房郡小湊町内浦の現場をいちいち指さしならすらすらと
異常な姿で当時の残忍な模様を再現する栗田の様子をじっとみつめていた事件唯一の生き残り
S子ちゃんは、当時の恐怖を思い出してか目を覆って突然泣き出し、実地検証に立ち会った
捜査陣は”うむ”とうなった」
あと、殺された母親は妊娠9ヵ月だったそうです。 >>145
神戸市の東、芦屋西宮の知的障害者施設で未成年利用者に性的な行為をして淫行条例で逮捕された三田谷学園元職員の堂垣直人(西宮市老松町)は、結局どういう罪になったの?
被害者家族のケアを芦屋市役所と兵庫県警はちゃんとやったのか?
差別や虐待は環境を選べない子供には関係ない。
http://www.youtube.com/watch?v=JxMzW3ZlV4g&sns=em コラムノフ スノー @masuzu http://twitter.com/masuzu ロリコン 小児性愛者 ペドフィリア 児童ポルノ 中高年 高齢者 独身 派遣 底辺 無職 社会復帰失敗 社会不適合者 ハゲ 老母 婆さん ババア 母親死亡 死ぬ 地獄行き ももクロ
下を向いて歩こう http://arukou.blog.jp/archives/52574091.html 失業者 貧乏人 職安 ハローワーク 求職活動失敗 派遣先を三日で逃亡 クビ 解雇 派遣切り 鬱 自殺願望 希死念慮 殺人願望 老婆 クソ婆 老衰死 2ちゃんねる 2ch 自演 ももいろクローバーZ そういえば「おせんころがし事件」こと栗田源蔵の事件を下敷きにした短編ホラーを
岩井志麻子女史が書いてたように記憶してるんだけど、なんて本に載ってたやつか思い出せない… 性欲の化物…。だけど、女性二人と同時に
付き合ってたんだね。と言う事は、それなりに
モテてたのか。事件現場にう:こをして立ち去る行動も理解出来ない。気持ち悪い…。
何より、被害者の方たちが可哀想…! >>113
太平洋に面しているために海風が強く、付近は廃道化しているので海側に柵が設置されているわけでもないので、かなり危険
事件当時は現役の道路だったが、通行にはかなり注意を払わなければならない区間だった >>78
増山文子さんの顔とか人柄とかは、ちょっとだけ気になる >>105
このおせんころがしの画像どこかで見たことあると思ったら、廃道系サイト最大手の山さ行がねがだ
このサイトのコメントにも、この事件に関する書き込みがいくつかあったな
ちなみにこのサイトの管理人も、小学校高学年から長年秋田で暮らしてきた 犯人が東京拘置所で書いた懺悔録を編集者がまとめた本
https://id.ndl.go.jp/bib/000001042004
死刑執行施設がある仙台拘置所(当時は東京拘置所では死刑執行できず)に移った頃から「死にたくない」と痩せた姿で精神科医に漏らすようになったそうだ。 【おせんころがし事件】日本の犯罪者の中で唯一2回死刑になった人物
https://youtu.be/y98wIJ8BDy8 栗田の欲深さについて言及している「死刑囚の記録」(加賀乙彦)をまずは読んだ。
栗田本人が東京拘置所で書いた懺悔録原文に編集者の解説(多少の見解も)を加えて死後数年後に出版された「凌辱ーこの罪を負って私は地獄へ堕ちる!」も国会図書館で読んだ。
手記には本人の中で真実と置き換わった嘘も多くあると考えられる。
しかし、拘置所で周囲を困らせた欲深さも懺悔の気持ちも、どちらも栗田本人の中にあるとは思えた。
凶悪犯罪者だけでなく前科前歴のない者も、感情には矛盾を抱えている、と私は考えていることもあるが。
・・・連続事件や栗田がますますわからなくなった。 >>172
自己レス。
栗田が懺悔録をあちこちに売り込もうとしていたことについては、死後に出版した編集者は否定。
むしろ他も狙っていたところもあった、と。
複数回面会などした際に信用されたのか、自分に託されたと。
最近何故かこの事件が自分に引っ掛かってしまい、調べていた際にこのスレを発見した。
あれこれ読んできた情報には虚実入り交じっているだろう。
殺害者数以外は最も悪い面から見た話が、最も多く本やネットには書かれている。
殺害数最大+書かれてきた中で最悪の話、を私は最も信用している。
しかし、本当にわからなくなっている。
連投スレ汚し、失礼いたしました。 >>171
全く別の機会に2つの死刑判決を受けてそれが確定したのは栗田だけだが(戦後限定)、
同じ機会に2つの死刑判決を受けたのは4人いる
その内2人(勝田、鎌田)は死刑確定で執行済み、
1人(立川)は控訴審で死刑+無期懲役に減刑されて確定しこちらも執行済み、
1人(木村)は控訴審で無期懲役+無期懲役に減刑されて確定
栗田の場合控訴取り下げによる死刑確定だが、控訴審・上告審でも死刑判決自体はまず覆らなかっただろう
ただし2つ目の死刑判決は併合罪遮断のために破棄して、改めて死刑+死刑か無期懲役+死刑の判決を下していたかも >>164
増山文子さんの写真や人柄に関する記載は見たことはない。
しかし、(職業は「主婦」とされていたが)小山市の天理教教会の奥様で「天理教の宣教師」でもある
、という記載は見たことがある。 >>66
メインの正田昭や栗田源蔵をモデルとしたキャラクターは、 >>30 のようにかなり実際と近いと思われるが、学生紛争の盛んな時代に時期をずらし、死刑執行場所も実際とは違えている。
史実では、1959年10月に仙台で栗田(32歳11ヶ月)の死刑執行、1969年12月に東京拘置所で正田(40歳7ヶ月)の死刑執行。
小説では、上記の2人に似たキャラの死刑執行場所は同じであるかつ、執行時期も10年も離れていない。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています