ワンダーエッグ・プライオリティ ★26個目
卵を割って、セカイを変えろ。
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前スレ
ワンダーエッグ・プライオリティ ★25個目
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https://twitter.com/thejimwatkins 今10話視聴中
A1らしい高品質で脱帽だが、10話の押し倒したシルエットでさ
・・・これ、殴ってんじゃん
よくある描写かもしれないけど、その後の抵抗を止めた女性側が動かなくなる様子とか、きついな 見終わったwwwww
これダーリン・イン・ザ・フランキスみたいな系統の終わり方だなwwwwwくそすぎるwwwwwwwwww
ネットに13話用の考察サイトがあったからそれ読んで自己脳内補完したけどさ
あのさ?
どうせ作るならある程度完成した物語を基に展開してくれよwwww
投げっぱなしジャーマンは打ち切りの次にきついわwwwwwwwwwww
いい作品だと思ったんだけど、こういう詰めの甘さで「駄作」認定だわな
ダーリン・イン・ザ・フランキスもよく見たらA1が関与していたっぽいし
A1は最高峰の制作だけど、それに甘えてオナニーしちゃう感じなんかね?
それとも絵は最高品質だけどストーリー系に弱い、とかそんな裏事情がある制作なの?w
勿体ないわー まず、A-1じゃなくてCloverWorksね
まあ、ダリフラの途中からA-1のスタジオの一部がCloverになったんだけどね それと、終盤に対するネガティブな意見の多くは誤解による焦点のずれが共通して観られると思う。
特にフリルに関して。
それまでの物語ではエッグ少女が「大戸アイたちの心理や状況を示唆している」という構成になっていた。
この構造は11話におけるフリルも同じように当てはめられる。
フリルの状況は大戸アイの状況に似たようになっている。
ここで大戸アイの嫉妬心やかまってちゃんの心理が察することができるようになってる。
それによって12話の大戸アイの変化がより強調される構成になっている。
そして12話でエッグから大戸アイ自身が出てくるという仕掛けは、「卵から出てくる少女は大戸アイたち自身の心理と関連がある」という物語の構造をストレートに種明かしする形になっている。
これらからみられるAIやパラレルワールドと言った要素はそれ自体が明かされるべき設定というわけではないということ。
フリルが「AI」であるのは、「アイ」との関連を示唆しているということw
つまりフリルはピーターパンであっても魔法少女であってもよいわけ。
「大人になれない14歳の少女」としてフリルが物語に配置されてる。
つまりワンエグという作品での「ミステリー風の構成」になっているのは「世界の設定」や「自殺理由」のほうではなく「大戸アイたちの心理や状況」のほうなわけ。
これを終盤の流れで、「フリルの謎」や「自殺理由」のほうが焦点だと誤解してしまうと途中で風呂敷を広げてすべての謎を放り投げたように見えてしまうのだと思う。
しかし前述のような構成だと認識した上で観れば、ちゃんと最初から最後まで一貫した構成で完成された物語であることがわかると思う。
ワンエグは傑作である。 もちろん、特別編が無茶なスケジュールであったことで思ったような終わり方にはなっていないであろうことはあるだろうけど、
しかしだから駄作というのであれば、漫画原作アニメの一期なんて必ず「途中」で終わるだろう?
漫画ゆえの余裕のある物語展開のためいろいろと枝葉の部分を掘り下げてあっちこっちに話が移り変わったりもする。
それらは「駄作」なのかい?
ワンエグは続きを望まれるくらいの傑作であるというだけである! 思うに、今検索したりして見れるワンエグの考察って放送終了直後のものがほとんどなんよね。
その後全体を見返して物語の構造を見直したものはほとんどない。
各話毎の細部の考察と、「途中で終わった」とみなしてそれ以上は考察していない場合がほとんどだと思う。
もう一度考えてみてほしい。
そもそも西城くるみや鈴原南や吉田ヤエや栗田薫など、卵から出てきた少女達には当然背景になる「設定」があるがそれが詳細に明かされることはないし、その謎が解決することもない。
長期連載の漫画であるならそういったキャラクターの設定を深堀りしていくこともありえる。
ではそれを描くことはその物語のテーマ上必須のことだろうか?
そう考えているとしたら、最終回を論じるまでもなくワンエグはそれを描いていない。
それは「物語を台無しにすること」なのだろうか?
同じようにフリルを考えてみてほしい。
フリルは黒幕としての設定はあるだろう。
ではその謎と決着をはっきり描かなければ物語は台無しなのだろうか?
その謎自体がメインのミステリーならそうかもしれない。
だがワンエグの物語はそうではない。
ワンエグがミステリーの構造になっているのは、「大戸アイたちメインキャラクターの日常の心理や状況」のほうだと私は思っている。
それまでの卵少女たちと同じように、フリルもまた「大戸アイの心理や状況」を示唆するためのキャラクターであるのは、11話のフリルの状況が大戸アイと似たような状況が設定されていることで察せられるはずである。
保科あずさは大戸多恵であり、保科ひまりは長瀬小糸の立ち位置である。
これによってかまちょで引きこもっていた大戸アイの隠された心理を察することができるようにしているのだと思う。
大戸アイがフリルのように「永遠に14歳の少女」のままであるなら、大戸アイは12話において多恵を全力応援したり小糸に感謝するように変わることはできなかったろう。
つまりフリルは大戸アイとの対比の存在として物語の展開上必須の役割として配置されているのであり、「最後の敵の設定を見せるために突然風呂敷を広げたのではない」し、「人工知能云々の話を広げようとしているのではない」し、「少女たちが自殺している理由として配置されているのではない」のだ。
物語は1話から13話まで全て大戸アイたちの心理を紐解くために構成されていて、それはずっと変わっていない。
示唆する方法としていろいろな非日常的な仕掛けが用意されているのだ。
だから「終盤で別の話を始めた」とか「風呂敷を広げて台無しになった」とかの解釈はありえないと私は思っている。 私のような頭が悪くて文才もない人間では放送当時にはここまでは考えることもそれを言葉にすることもできなかった。
二年三年かけてようやくこの程度。
しかし私程度の理解力でもワンエグが素晴らしい作品であることは言いたい。
もちろん他のアニメや漫画にも素晴らしいものがあるのだろう。
だが、これだけは確かだ。
ワンエグが観られるのはワンエグだけ!!!! このアニメ、良かったんだけどな。
劇場版とかやってほしかった。この会社結構劇場版をやってるから
ワンダーエッグもてっきり劇場版で完結するのかと思ったんだけどな。