【天下布武】織田信長総合スレ【吉法師】 P35
織田 信長(おだ のぶなが)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将・戦国大名。三英傑の一人。
尾張国(現在の愛知県)の古渡城主・織田信秀の嫡男。
室町幕府を滅ぼし、畿内を中心に強力な中央政権(織田政権)を確立。戦国時代の終結に最大の影響を与えた人物の一人である。 太田牛一の演出とうろ覚えと秀吉による改竄を除けば史実 皆さん史実だけを羅列しただけの教科書みたいな信長の本は知らないのですか? ほんと、wikiが一番良かったりしてね
どっかの大学教授とかのフィルター通ると、
どうしてもその先生の感情入るし取捨選択やっちゃうし 谷口あたりでも読んどけ。著者の考えがまったく入ってない本なんかないからな 谷口克広さんの本は変な説振り回さないし比較的手に入りやすいから出たらとりあえず読んでるけど逆にタケノコのように栄養がない
200ページぐらいあって「なるほどな〜」って思う箇所が3行あるかないか 谷口も明智光秀1516年生まれ説みたいな明らかにおかしいとまでは言わないけど
断定するには厳しくないか?と疑問符を付けたくなるような部分が無くはない
あと武功夜話(前野家文書)を無批判に引用してる点が多いのも引っ掛かる 谷口克広さんの本の中でどれが一番教科書みたいな内容ですか? 『信長の政略:信長は中世をどこまで破壊したか』、『織田信長の外交』谷口克広
谷口で広く浅く教科書的ならこの2冊かな
あと似たような感じで『織田信長 戦国最強の軍事カリスマ』桐野作人 とか ネットで目次を見ると時代順になっているので『織田信長の外交』をまずは読んでみたいと思います。
みなさんこれからも史実を羅列しただけの教科書のような信長の本を見つけたら教えてください。
ありがとうございました。 年代順なら『織田信長合戦全録』なんかも良いんじゃないか みなさんは信長の一番おもしろかった小説は何ですか? 信長に憧れてわざと間違ったこと言ってアホなふりしてたなあ
いつになったら芽が出るんだろう >>643
小説の信長って史実の信長と別人すぎるから、大体途中で挫折する
ただそんな中、たった一つ最後まで読み切ったのが山岡荘八の「織田信長」
司馬ほどギトギトな創作とかなくて好印象 史実の信長と別人すぎるって、誰も本当の信長なんて知らないよ
>>643
一番じゃないけど「暁の魔王」 史実って表現が言い過ぎなんかね?
史料に出てくる信長(実際本人を見た人が受けた印象をそのまま書いてる)と、
小説は全く別人と言えばいいか 小説の信長ってつまんない奴だからな
史料上の信長の方が数段面白い 「破天荒な風雲児」の信長像があまりにも確立されすぎてて新鮮味ないっていう部分はある
信長公記の意外と丁寧に政治作業こなしていく信長のほうがかえって新鮮で面白いってのは確かにある あー、そういう地味なの求めてないから
分かりにくいってかチマチマしてていかにも陰キャで無能っぽいし 漫画とかだと最近は割と人情家路線の信長が流行ってないか
小説は相変わらず昔ながらのヒステリックサイコパスな信長が主流だけど >>650-651
激しく同意
同じ時間使うなら、いち小説家の妄想見るより、史料読む方がずっと有意義な時間になる
例えば「お湯殿上日記」に出てくる信長も非常にラブリー
戦から帰ってすぐさま神社の修築工事とか、女官?から訴え受けて台所の修理とか 信長の研究成果が創作に反映されるようになったのって
最近になってようやくだからな
でもまだまだ冷酷で残酷な革命家という古臭い信長が多いね 無粋すぎる
多くのファンはヒロイックな信長を楽しんでるのに つまりは各人何を求めてるかだろうね
文学を楽しみたい人は歴史小説もいいでしょう
一方歴史を知りたい人、事実と創作の見分けが難しいと感じてる人は
あんま読まない方がいいでしょう、勘違いが増えるだけ >>655
最近希望の党で、小池百合子を信長と秀吉を合わさった人だとか言ってた人がいたけど、
その人の信長の印象が、楽市楽座とかを行った革命的な人物だと
前時代的な評価をしていて笑ったわ おっさん連中の信長の知識やイメージなぞ司馬遼太郎か津本陽あたりで止まってるんだからしゃーない >楽市楽座とかを行った革命的な人物だと
これはほぼその通りでも別にいいんじゃね?
「信長の前にもやってた人が〜」なんて言ったところで当時はあんま流行ってなくて革新的だったことに変わりはない
政治家と言えば小泉首相の人気が絶頂の頃に重ねた言論があったな
小泉が信長のファンってのもあるが じゃあ今の信長のイメージってなんなん?
そんな地味な人じゃなくて実際「破天荒な革命児」に近かったと俺は思うけどな。 世間のイメージほどハチャメチャな人ではないが
それなりに先進的で優秀な指導者だったのは間違いないってところでは? 上洛してフロイスとかと接触を持つあたりまでは先進的ってイメージはないかなあ 66年の幻の上洛が成功していたらどうなっていたのかね?
まだ岐阜もないし京都に常駐は無理だよなぁ、と思ったけどよく考えたら史実でもほとんど京都にいないんだよな 信長って保守的な思想の持ち主で
伝統や慣例といったものを重視していたとされてるよな
先進だの革新云々なんてイメージは全くないわ 伝統も慣例も権威付けに便利だから利用してたのであって大切にしてたとはちょっと違うような
新しい物だろうが古い物だろうが役に立つなら使っただけなんじゃないの 常識的で真面目、神経質なA型人間ってイメージかな
朝廷に献金し続けたり、世間の評判を気にして義昭を逃がしたり
格上には媚を売り、格下には尊大な態度をとる
外交も軍事もとにかく用意周到で慎重だよね そうそう信長ってA型だよね、ひたすら普通さを好む人
血判とか残ってるんだから、誰か調べてほしい 知れば知るほどあまりに平凡でつまらなく、魅力のない人間だったことがわかる
もっとカブいてこそ輝くのに 本来の日本社会見れば分かるだろ
真面目で優しい欲がない、こういう人こそ日本人は評価するんだよ
フロイスも言ってるやん「日本の全国民は彼に尊敬と評価を寄せていた」って 「信長は保守的な思想の持ち主で伝統や慣例といったものを重視していたとされている」
って今現在の学会の学説がそういう風潮になってきてるんだよね。
今のそういう風潮が逆に間違った方向になってきてるんじゃないかなあ。
俺は昔の信長像のほうが実際の信長に近かったと思うけどなあ。 歴史学者なんて逆張りが大好きな生き物だしな
いかに通説とは異なる見解をもっともらしく述べるかにみんな血道を上げてるようなものよ
まあそうしないと誰からも注目されないからしょうがないんだけど これまでの「革命家」のイメージと、急に出てきた「保守派」のイメージの丁度間という気はする
「大名と家臣といっても、あくまで合議的な集まりであって強烈な縦関係は無かった」って言われる中で
信長の家臣の扱いはものすごい専制君主的だし、
フロイスの「本質的に神を信じていなかった」ていう言及も、他の大名と比べてやっぱり珍しい
秀吉ですら大仏建てようとしたしね 信長がほんとに慕われてたんなら、あんな配下から裏切られたりしなかっただろうし、信長が死んだ後、その死を悲しむ人が少なかったらしいから、かなり嫌われてたんじゃない? >>675
仏教勢力と争ったから、死後悪く言われたんだろうね。 どんな人だったか、時系列で見りゃ分かりやすいよ
戦国期・・礼儀正しい、気配りの人、勤皇家
江戸期・・狂人、仏敵、残虐者
明治期・・勤皇家、革命家
敗戦後・・革命家、破壊者
現在・・・今も革命家と言ってる人と戦国期に戻った人と2パターンが存在 すまん、しつこいけど敗戦後を更に詳しく言うと
米の影響大だった頃・・・(キリスト教に配慮して)一応カッコいいキャラ
中韓の影響大になった頃・(キリスト教への配慮必要ないので)ただただ悪人
(中韓の立場からして勤皇家を善人にするわけにはいかない) 中韓があーだこーだ言い出すネトウヨがこんなとこにも沸くのかいな 社会のイデオロギーの流れに振り回されてるってのはありそう
革新が強かった頃には革新派の象徴にされて
保守が強くなってる最近は実は保守派だったってことにされてる
信長も大変だ >>677
同時代の人の評価が一番あてになるんだろうけど
こんな地味〜な大人しそうな評価の人が天下を取ろうとしてたってのが違和感ぬぐえないんだよな
天下取るんだったらもっと「おらぁ〜!」みたいな勢いある性格してるイメージ 山科言継が家康に献金を求めにいったときは代わりに使者をたててあげてるよね
さらに自分には求められていないのに家康とは別に用意してあげてるし そもそも信長は天下をとろうとしてたわけじゃないからな >>683
天下取ろうとしてなかったら
尾張美濃で満足してると思う
これで人生終わったとしても
歴史好きなら十分、知ってるぐらいの名将扱いだろうし 挨拶に来た秋山虎繁殺すし、エキセントリックな部分はあったよな
和睦破りもするし、敵と見極めたら無茶苦茶する >>668
A型って信長みたいな度胸ないと思うけどな 今読み返してたが、何度見てもここほんとに笑えるw
安土燃えた瞬間、手元の書状まで燃え出す状況想像するとめっちゃシュールで受けるw
0181 人間七七四年 2013/12/20 09:29:46
死ぬ直前までの今川義元の膨大な書状量と比べて、
同時期の信長の異様なまでに少ない書状量を考えると、
いかに信長が全く内政行政を放置して遊んでいただけなのがわかる。
義元はホント熱心に発給しまくってる為政者ぶりを示している。
逆に信長は無政府主義者かと思うほど。
この事実は、信長が分国法も軍役などの課役の統一基準明示も出来なかったことを重ねると、
見事に信長の無能さを客観的観点からも雄弁に表している。
返信 ID:28XxpxCs(1/2)
0182 人間七七四年 2013/12/20 10:50:08
安土と一緒に燃えたんだろ
ID:cAPemCnX(1/2)
0183 人間七七四年 2013/12/20 10:55:44
安土が燃えると、何で発給を受けた人々の持つ書状まで燃えるんですか?
織田在日は頭が悪いんデスカ? 682が出してる言継の日記見ると、岐阜滞在の延長を信長が言継にお願いしてる記事もあったよね
あの雰囲気からすると、その後盛大な接待があった様子
でもその部分、ごっそり記事がなくなってる
恐らく信長が頃されて、ビビりまくった山科家が捨てちゃったんじゃないのかな
信長史料が少ないのは、そういう理由もあると思う >>681>>684
信長が上洛したのは朝廷に呼ばれたからでしょ
「皇后様より尾張へ行くようお言葉があり」なんて史料あるよ
そこに義昭からの話も加わり・・・ 状況を考えれば、最初から天下をとろうなんて思うわけないし
天下布武の意味も違うと言われ出しているのに、いまだに天下統一の野望を持っていたとか思ってる人がいるのかよ
結果的にそれに近いことになったから後世の人が勝手に思い込んでいるだけ それと無理やりホモに仕立てようとしてる言説も腹が立つ 信長を地方の一大名だと思っている人がいるが、尾張の大名なんだよ。
尾張は信長の父親が津島・熱田を抑えた事ですさまじい税収があり、非常に豊か。
信長や秀吉が戦略でどーのじゃない。
湯水のように金を使える大名は尾張の織田信長だけだった。
それは自分が天下を取ってやろうと思えるぐらいの金だった。
ただそれだけの事。
これは信長が秀吉や家康だったとしても、おそらく同じ。
尾張というのはそういう土地。 >>694
日本人を減らせ計画の一環
>>695
あとあの辺の地域の油座の元締め?だったって話もあるね、元神官家だしそれもあるかと 信長が嫌いだったのは信長に反抗する天台宗と一向宗だけ。
信長は熱心な仏教徒で安土城の中に臨済宗の総見寺を建ててるし日蓮宗とも仲良くて上洛した時には日蓮宗の本能寺に泊まったし。 織田信長がなんらかの病気でしばらく病臥したことはあるんでしょうか? 比叡山延暦寺の焼き討ちって、実際どうだったんだろう
実はそこまで大規模じゃなかったって言うけど 信長の思想は19世紀20世紀初頭の世界の思想と同じだからな。信長はそれだけ先進的・革新的な思想を持って先を見ていた。 >>698
公家とかの日記で「信長に会いに行ったけど、病気だそうで会えなかった」
って話がポツポツ出てくるから、一時的というかなんか持病があったっぽい 織田信雄や織田有楽斎長益は70代半ばまで生きていたから、長寿の家系なのだろうか? そいつらはあまりストレスを感じず生きてそうだから長生きしたんじゃないかと思う 明治時代(選挙ないバージョン)の社会じゃね?
元宮司さんちに生まれ、それを本人が不満に思ってた形跡もなく、まんま超絶勤皇家に成長
こういう信長の本質的なとこ見るとね いるいるいるよね 貝社員〜♪(いるいる)
イライラするよね 貝社員〜♪(イライラ)
いるイラ 貝社員〜♪ >>705
> 明治時代(選挙ないバージョン)の社会じゃね?
織田信長 = 山県有朋 ? 山県ってそんな詳しくないけど、
超絶勤皇だったら似てるんじゃ? >>710
「松永久秀も荒木村重も謀反したのだから、明智光秀も謀反しないとも限らない」
と普通は考えそうなもんだが。 信「光秀には相当疑心持ち始めてるけど、
謀反してもすぐ詰むように手はずは調えてある、それが分からない光秀じゃないよな?」
この説好き >>712
光秀も立場的には外様では
それとも嫁の親戚だから外様じゃないという認識だったんだろうか >>677
要するに基準となる感覚が時代によって変わってるのが原因だな。
戦国時代人から見れば至って普通の保守的な常識人なんだが、平和で権威主義が根付いてる江戸時代人から見れば充分凶暴で反権威的に見えると。
普通の戦国人は後世の人間から見ればみんな凶暴な異常者だからなw >>715
江戸時代の評価、それもあるんだろうけど、
幕府によるネガキャンもあった気がするんだよなぁ
全国的な飢饉と信長狂人本の出版が、時期的にリンクしてるっぽいとこ見ると
「織田に政権交代とか止めてーー(汗」っていう幕府の叫び 信長は一度人を信用すると馬鹿みたいに信用しすぎるところがある。
斎藤道三と同盟してる時に村木砦を攻めるから那古野城が空くのが心配だっていうんで道三家臣の安藤守就を那古野城に入れてる。
これたまたま安藤守就が裏切らなかったからいいけど裏切ってたら那古野城まるまる乗っ取られてた。
金ヶ崎の戦いでも同盟者の浅井長政が裏切ったという報告に最初は「嘘だ」って言って信じなかった。 信忠もすっげー真っ直ぐな最後迎えてる辺り心底は真面目な一族なんだろうな
戦国の武将っていう価値観があるから今で言う善人とは違うが 織田家で驚いたのは、変の後ご迷惑おかけしましたってことで、
本能寺にお詫びの手紙とお金だっけ?を渡してるとこ、
当主が二代に渡って死んじゃって大変なのに >>717
若い頃、謀反の噂が出てた林の城に
のこのこ弟と2人で出かけて行ったこともあったよな、
あれも林を信じてたんかね >>719,720
そんなことあったんかw
お詫びの手紙とお金とか、なんつー律儀さw 菅沼遼太早くおーぷんに帰ってこい
おまえの知識レベルではおーぷんがお似合いだ >>721
その律儀さはどっからきたものだったんかね
元神官家ってのが理由なんだろか >>716
幕府よりも、秀吉自らプロデュースした天正記で悪人みたいに書かれていたのが原因じゃないかと 三好三人衆、本願寺顕如、浅井・朝倉、伊勢長島一向一揆
これらによって窮地に陥ったと歴史秘話ヒストリアでやってたんだが、
9月13日に挙兵して信長を追い詰めた本願寺が、同年10月30日に信長と和睦するって不自然じゃないですかね?
これも12月の勅命講和の流れなのですか? >>728
> 9月13日に挙兵して信長を追い詰めた本願寺が、同年10月30日に信長と和睦するって不自然じゃないですかね?
それもそうだな >>728-729
完全な想像だけど、10月時点で勅命が出そうだって情報得て、大慌てで和睦とかw
戦国時代初期だったか、将軍に本願寺討伐令出された頃からかなりビビリになった印象
>>727
いい情報サンクス