もし、本能寺の変がおきなかったら
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明智光秀が裏切らず、そのまま信長自ら中国地方に責めに入る
ことができれば、やはり信長の天下統一は成し遂げられたのだろうか? ヨーロッパまでは遠征・支配できない。兵糧が無く、信長に不満を持つ武将が大量にでてきて乱世復活。毛利攻めに時間をかけすぎてる内に明智謀反。本能寺で生き延びても良い結果は無し 天下統一は人心掌握の上手い秀吉だからできた。強気な信長が生きてたら 乱世がまだ続いた。島津・毛利・長曽我部・伊達が信長に大人しくなる筈無い!逆に闘争心を煽らせるだけ。信長だと国内統一で精一杯 仮定を変えたら話題がズレるぞ。
国内統治はいわゆる軍団長制をそのままスライドして、与力大名を統括する。
九州に羽柴、山陰に明智、山陽に信孝、四国に信澄、北陸に丹羽
北関東に毛利(秀)、南関東に滝川、東北に柴田。
信長・秀吉の特徴として守護大名を守護代級にとって替わらせ細分化を狙うので
島津は北郷・伊集院・肝付・頴娃・平田らに
大友は秋月・高橋・立花・臼杵・田北らに
上杉は成田・河田・真田・本庄らに大分割。
毛利・北条ら守護でない大勢力は家名を残して細かく分割。 わしの妄想じゃが…
1584年毛利滅亡、同時期に信孝、長秀らが四国を攻略。
関東は、家康、一益、秀隆、秀頼らに仕置きさせる。北条は信長に恭順していたので、相模・武蔵半国で一益の与力に。
わしの記憶では、家康の反対意見を押さえるために、秀吉本隊の前備えにおかれていたと思う。
家康が肥前につれてきた兵は3000程。同じ関東常陸の佐竹は5000を命じられている。
もし、順調に進軍していたなら、蒲生・堀・上杉とともに渡海していた。
留守居は前田だったと思う。
ただ、食料・船が足りず、小物・下級武士の逃亡が多発したため、戦線が杭着して秀吉本隊が渡航する前に秀吉死亡。
もし、秀吉が生きて渡海していたなら、さらに4万近い軍勢が朝鮮に行ってた事になる。 1です。派生させますが例えば海外遠征したらその海外でのぶながに恭順しそうなやつっている?するとしたらだれ? まず、普通に考えたら居ないのぉ。
しかし、朝鮮・金国・明あたりを制圧すれば…
あるいは、ムガルや南蛮諸国でなびく所もあるかもしれん。
ひろい大陸を支配するとなると…日本の武将だけでは足りぬ。信頼できる現地武将を登用できるかが鍵じゃろな わしの妄想で…
肥前名護屋に有力大名の参集。まず、朝鮮に降伏の使者をおくる。
断られた所で、第一陣の朝鮮出兵。総大将は柴田勝家!一気に攻めず、南朝鮮に橋頭堡を築く。
同時進行で、国内では造船を急ぐ。
食料・武器弾薬を朝鮮に自由に送れるようになってから、本格的な進行開始。 朝鮮進攻の総大将は柴田勝家。これに、前田・佐々・佐久間・金森・原・徳山・不破などの与力大名をつけて、日本海側を北上。兵力は27000。
黄海側を北上する部隊は、羽柴秀吉を大将に、鍋島・島津・相良・立花・有馬・五島・宗などの九州勢。兵力は35000。
また、織田信孝を大将に九鬼・久留島・長曽可部・神戸・木造・関などを引きつれ琉球を制圧。そのまま、ルソンに向かう。 琉球、そして当時独立国であった高山国(台湾)は侵攻対象だろうな
しかし、そこからルソンへと武力で侵攻するのは浅はかだと思う
余りにも遠方すぎるし、日本の海軍はそこまで強くなっていない
そしてスペインやポルトガルの動向も気になるし
ルソン攻めは秀吉の朝鮮出兵の二の舞になりそうだ。
それと明攻めも、女真族の反乱が起きるまでは日本単独の力では無理だと思う
信長と言えども生存中、征服できる範囲は
朝鮮、琉球、高山国、蝦夷
これくらいだと思うよ
その後、信忠が意思を受け継ぐなら本格的な明攻め
東南アジア諸国への侵略と繋がって行くとは思うけど・・ そうなってくると…
朝鮮南部は死守し、そこに新進気鋭の武将を現地に根付かせ、絶えず明を攻めつずける。
史実でも、文禄・慶長の役では明国内では大規模な内乱が2度起きてる。
それを前提にすれば、その勢力と提携し、明を崩壊させた後、反乱勢力を各個撃破するか、臣従させればよい。 忘れてはいけないのが帝国ロシアの存在。その兵力は明と変わらない。
イギリス、イスパニアと覇を競っている。ヨーロッパに駐屯している兵力を、むけられると…
勝負は五分以下。
戦線は拡大しすぎず、民衆を味方につける事。外洋でイギリス、イスパニアと戦えるだけの艦船も必要になる。
舟手奉行の必要性、重要性が国内戦に比べて格段に上がる。
あぁ…ヨーロッパまで進軍するには、30年はかかるな >>32
エゲレス・イスパニアの両国は対立してなかったか?
信長ならどちらかの勢力と同盟を結ぶだろう。
極東とまで言われた世界の果て。
その極東の小さな島国のために陸路の露軍や海路の英・西軍などが大軍を差し向けるのか?
それでなくても隣国が敵の状態なんだからそうそう極東に兵力を回せないと思うが。
そう考えれば当面の敵は朝鮮・明・モンゴルぐらいじゃないか? イギリス、イスパニアは確かに制海権を争ってはいたが…国王同士が親戚だし、共通の敵があらわれた場合手を組むだろうね。
白人以外は人間じゃないって思ってたくらいだから。
ロシアは明・モンゴルを制圧しだしたら、必ず衝突する事になるだろう。ロシアの侵略癖は今も昔も変わらない。
同盟を組むとしたら、反キリストのオスマントルコあたりだろう。
ムガルや南蛮諸国は同盟相手としては軽すぎる。
この時期のロシア皇帝ってイワン雷帝かな? ロシアはシベリアまで達しってないがな(´・ω・`) うん
ロシアは、この時代関係ないと見ていい
関係ある諸外国としては
イスパニア・ポルトガル・オランダ・イギリス
明・朝鮮・高山国・東南アジア諸国、これらだね
因みに、この頃、ポルトガルはスペインの統治下にあるから
アジアの貿易圏を巡ってオランダvsスペインvsイギリスとなっていた
肥前名護屋に有力大名の参集。まず、朝鮮に降伏の使者をおくる。
断られた所で、第一陣の朝鮮出兵。総大将は佐久間信盛!攻めたり退いたり相手を困惑させるそして相手の士気を低下させる。
第二陣の朝鮮出兵は総大将は柴田のかっちゃん!とにかく相手に突撃して蹴散らす。第三陣の朝鮮出兵の総大将は秀吉。
力が無くなった明軍を人心掌握の上手い秀吉が丸め込む。そして占領。
海を渡ってあんな縦深な国を制圧出来るわけねーだろw人も物資も足んねーっつーの>明 はっきりわかるのは秀吉よりはましってことだ
秀吉なんか信長のやろうとしたことぱくっただけだろ?
朝鮮も大坂城も 信長が生きていたらポルトガルに攻め込まれて日本国は滅亡してます 仮に平定後の国内に目を向けると、上でもあったように官僚制への移行が考えられる
そして豊臣政権のような有力大名との連立政権ではなく
あくまで織田家の一党独裁を基礎にした国内政治であったと思われるから
元々その地を支配していた大名達を尽く滅ぼすか縮小し
織田家の家臣団を当てるのは想像に難くないだろう
では、どのように割り当てるか?
まず信長が日本平定後、真剣に朝鮮出兵や海外進出を目論んでいたのなら
日本旧来の国割りでは余りにも規模が小さく計画にそぐわない
なので、今で言う道州制への移行が考えられるね 九州道・・羽柴秀吉 中国道・・明智光秀 四国道・・丹羽長秀 関西道・・織田信忠
関中道・・織田信孝 北陸道・・柴田勝家 関東道・・織田信雄 東北道・・滝川一益
史実では信長は信孝が四国平定後に、その地を統治させようとしてたらしいけど
日本を統一した暁には主要三道である関西、関中、関東は肉親により統治させるのが妥当だと思う
事実、信長は肉親には、かなり甘い一面を持つ(信行を除き)
そして注目してもらいたいのが、柴田と丹羽よりも秀吉や光秀の方が石高が高いという点
家臣団No1だった佐久間父子の追放然り、足軽上がりの秀吉を抜擢すること然り
信長は働きのある配下を優遇するとともに無能な配下を切り捨てるということを徹底して行った
同時にそれは、膨張する有力家臣の芽を摘むという働きも担っていたと思われる
なので、家臣団トップ2である柴田、丹羽の権威が大きくなることを避け
中途採用の羽柴や明智を上に持ってくることも充分有り得たと思われる
そして秀吉の九州配置には、その先の朝鮮出兵が大きく関係していたとも思われる
毛利制圧後は九州の島津討伐も当然流れとして、秀吉が責任者として赴くはずだから
信長としては統一後、やはり秀吉の能力を一番認めざる負えない結果になると思われる
では、一番功のあった配下を九州に配置するのは当然として
具体的にその後、どうなったか?それは、この後に説明してみよう
足利幕府を滅ぼした信長が、足利幕府のように、家臣に大領を与えるとは思えない。
羽柴には、筑前を中心に九州北東部。
丹羽には、肥前、肥後。明智には、日向をはじめ九州南部。
奥羽越後の北日本に、柴田、滝川と。
有力家臣を組下与力と共に封じて、家臣の力を抑制したのでは。
家康も、房総半島三カ国ぐらいに転封が自然。
毛利、北条、上杉、伊達、長宗我部、島津らは、史実でも、中央勢力に反抗的態度で挑戦してきたので、信長相手なら滅亡。生き残れる外様の国持ち大名は、大友、佐竹ぐらいか…。
関東から中国四国地方にかけては、織田政権の直轄地及び一門の領地。
その後は、唐入りするのか、それとも東南アジア進出か?
個人的には、東南アジア進出で、大東亜共栄圏を築いてもらいたい。 中央集権を図るなら信長死後は粛清の荒らしになるなこりゃ 家康を三河・遠江・駿河から安房・上総・下総に転封?
あと、友好関係にある北条も滅ぼすか・・・
でも、妥当かどうかは抜きにして
このくらいの覚悟でやらないと、安定政権は造れないね
それなら羽柴・大友で九州北部、明智・鍋島辺りを南部に配置。
信孝・丹羽・宇喜多に中国中部・西部。
畿内は信忠ら一門衆に。
伊勢・志摩・三河と尾張の一部を蒲生。
遠江・駿河を信雄。
美濃と残りの尾張は三法師(成人するまで有楽斎あたりを代官)
信濃を森一族。
上野・下野に徳川。
伊豆・相模・武蔵・上総を北条。
常陸は佐竹。
北陸は柴田一派
東北は用済みの家老など(目付け滝川)
残りの領地は織田家直轄。
で、仮想敵国は明って感じで西日本強化って感じ。
堀、蒲生ら、秀吉の天下統一戦で、活躍した若手武将らは、信長時代では、大領土を貰えるほどの手柄を立てる機会は、与えられなかったんじゃない。
それよりも、信長側近とか、信長直属軍の指揮官を任命されて、せいぜい10万石前後の大名ぐらいの扱いじゃないかなぁ。
ちょうど、秀吉の五奉行とか、子飼いの武将らのような感じで…。 信長では天下統一はムリ。
基本的に大名を踏みつぶしていくやり方では時間がかかりすぎる。
生きている間にはできない。
秀吉のように懐柔して傘下に収めるしかない。
信長が長生きするとわかりませんが。 時間は秀吉が天下を統一するより、遥かに早く統一できるよ
秀吉の場合、毛利と講和して光秀、柴田を滅ぼして長宗我部、島津
家康、北条、東北・・だろ?
信長の場合、毛利を滅ぼすころには、長宗我部を丹羽が滅ぼしてるし
上杉は柴田が滅ぼして、北条は滝川と家康が攻めて・・
普通に考えて2,3年は早くなるだろうね
天下統一した後はどのように動くかが問題。
・海外に出征する前に蝦夷を開拓し、琉球を攻めるのだろうか
・天皇をどのように扱うか
合理的な性格だから、朝鮮を攻めても何のメリットにもならないだろうと考えそうだし。
メリットがあるなら東南アジアのルソンを攻めると考えそう。
ルソンは飛躍しすぎ、日本の海軍力の力不足を信長は南蛮との貿易で知っているはず
事実、信長は後年、南蛮の宣教師とばかり密に相談していたらしい
蝦夷、琉球は征服したとして
次は高山国か朝鮮だろう
そして東南アジア諸国に対しては、まずスペインやオランダなどと同じく交易重視から始めると思う
けど、熾烈なんだよね。この辺の制海権争いが・・
朝鮮の征服は磁器や陶器などの交易品不足を補うためと奴隷の確保の為、武力制圧するだろうが・・ こいつらほんまにタコばっか。まさにゲームや漫画脳
>>54 が言う様に信長式ではムリ。
そこらで篭城されてみろ。それだけで数ヶ月〜数年かかる。
徹底抗戦の相手を敵にするのは愚策なんだよ。ゲリラ化されて泥沼。
結局、現在はどうなるの?
江戸時代も鎖国も無く、日本はどこかに侵略されて、国は無いの? 数年、いや半年以上も籠城した城って、本願寺以外に、幾つあるの?
高松城が落ちた後の毛利、魚津落城を見過ごした上杉に、どんな手が残っているの?
毛利、上杉が滅びた後に、島津、北条、伊達、長宗我部に、信長軍を抑える戦略は?
五年以内に天下統一が可能では? 高天神・二俣城後詰め失敗が境目の領主(木曾・穴山)離反の一因だから
高松・魚津失陥した毛利・上杉も余命短いかも
中国方面では三木城に2年、鳥取城に4ヶ月、高松城に2ヶ月かかっている。
それぞれ当然寄せ手の状況が違うが、要の城はやっかいだろう。
毛利の最前線7城の防衛ラインを突破して毛利本領に入れば
抵抗はいよいよ増していくでしょう。降伏を赦さない信長には全領土が
死にものぐるいになるのは必至。 降伏許してるじゃん。敵対勢力の核を徹底撃破する程度なら他の大名でもやってるし そりゃ天下統一は早まっただろ。
東は上杉滅亡したら、他に大きな抵抗勢力いないしな。
伊達なんて家督ついですらいないし、北条もうかつには動けないだろ。
となると後は西に兵力集中→西国大名滅亡or降伏になるのは確実。 >>64
そうやって踏み潰していくプロセスにどれだけ時間がかかるのかという話だ。
織田方に謀反がなければ、かなりの戦力を前線に配備できる。
前線を突破された大名は、意外なほど崩れるのが早い。
基本的に、豪族連合体だから、負け組からは、寝返り続出では…。
天正10年中には、上杉毛利は片づき、稲刈り直前に、攻め込まれた長宗我部も、土佐一国を保つのがやっとで、下手したら滅んでる可能性は高い。 >>55
まあ、天皇廃止はないだろうな。比叡山と違って天皇には武力ないし。信長は敵対者は粛正するが、権威は利用する合理主義者だからな。キリスト教の布教も許してるし。 1587年には北陸・中国・四国・北九州は確実に織田勢力下になってるだろう。
秀吉に抗し切れなかった島津も下手したら87年の時点で織田勢力化になる可能性が高い。
関東の北条を同盟にしておくのであれば残るは東北のみ。
小大名の集まりである東北では連合もままならないうちに各個撃破か恭順。
遅くても90年になるころには統一できるだろ。 徳川・北条は一門扱いで残る。
大友は豊後一国安堵あたりか。
東北は蘆名・大崎を潰して整理して毛利秀頼を入れて統括。
四国は信孝・信澄・三好笑巖・十河存保らの本領に。 てかさ、普通に考えて信長が生きてたら
秀吉より遥かに早く、天下統一できたのなんて猿でも分かるだろうにね・・
信長、秀吉、光秀で毛利滅ぼす頃には
丹羽が四国制圧、九州の島津は史実以上に内通者や降伏者が続出
で、同時進行で柴田は上杉滅ぼして、滝川の助太刀
秀吉最大の難敵だった家康なんて率先して北条征伐に尽力
で、その後は皆で東北制覇
秀吉より、より強固で、さらに早く天下を統一出来たのなんて目に見えてるのに
ゲームオタは、そんなことも分からず、本当にバカなんだね
>>70
ゲヲタをバカにするのはいいが、信長が北条を征伐する理由をおせーて >>71
俺は70ではないが・・ 北条の領土は相当広かったからやはり信長は適当な理由で潰しにかかるか領土を減らすと思う
北条征伐自体はありえる話 信長じゃ無理だと思う。信長に隙あらば第2の松永、荒木が出てくる。
秀吉より遅くなってたと思うけどね。秀吉はそうぶ事令の大義名分のもと
全国平定したわけで、大名も従ったわけで。
信長って最終的に何になろうとしたんだっけ?
自分が見た本だと、太政大臣になろうと考えてたらしいけど。
>>73
要するに秀吉や光秀が反旗を翻すと
まぁ確かにありえん話ではないが・・ 確かに北条は取り潰し確実だよな
長宗我部なんか信長上洛時から親交よせて
光秀の家臣(斉藤利三だっけ?)の娘まで嫁がせて
交友関係築いてるのに
普通に征伐対象にされてるしな・・
北条なんか残りようないよ。一門待遇なんか尚更ないと思う
あと、大友も。当主が、あのアホじゃ絶対、信長の怒りかって取り潰しだと思う 第二の松永、荒木って二人の謀反後を知らないわけじゃあるまい。
>>76デスノートかよww
>>77ってか北条が一門待遇されるっていう考え自体がわからんけどもねぇ。>>69にそう考えた理由を教えてもらいたいね。 流れ的に徳川以外の大名は総取り潰しで有能な陪臣や家臣を採用して戦力増強路線って感じか。
土着性の高い島津や北条ぐらいなら統治のために残すんじゃないか?
まぁ百万石クラスの大名が信長に恭順するとは思えんが… 北条どころか徳川だって危なくね?徳川滅亡はないだろうが、領地は減らされると思われ。
信長なら、秀吉のように五大老…広大な領地もつ外様…みたいな存在が許されるとは考えにくいんだが。 >>79
う〜ん…土着性が高い大名ほど、反乱の目を積むって意味で潰される可能性が高くなる思うんだよね。
よくて改易じゃね? >>80
同意、危ないと思う。下手したら第2の浅井になるかもという気がw
>>79
末路は知ってるよ、時間がかかるんではということです。 ま、どっちにしろ
信長が生きて、そのまま各軍団長指揮してたら
秀吉より早く天下を取ってたし
北条や九州勢も取り潰しが当たり前ということだな
で、地方地方に根付いてた勢力を一斉に駆逐するわけだから
統一後も、秀吉のような身分が低くても有能な人材を抜擢する制度を率先して設けそう
実現したなら、日本って物凄く進歩した強固な国になってたのにな・・
もったいない
>>82
お前は浅井滅亡時に信長が領土安堵どころか大和もくれてやると長政に言ったことを知らんのか 江戸時代が無ければ、今の日本人の心の中にあるなにかが、大きく違って
日本の常識も、今とはぜんぜん違うものになっているのだろうな。 >>82
そうだっけか?大和?ごめんそりゃー勉強不足。
本能寺の変は起こるべきにして起こった・・・・かなw
いずれ信長は討たれるたはず・・・かなw
全国平定出来なくって・・・死んでいった・・・・かなw 許せw 成程、一番手松永、二番手荒木、三番手明智の三段謀反ということか。
つまり、これが「三度目の正直」の語源ってことかッ!?
まぁ、それはどうでもいいが、>>84の有能な人材を抜擢するのは良いんだが
それを統括する信長の跡目は誰がなるんだ?
順当に行けば信忠な訳だが、有能でいえば明智・羽柴クラスのが有能だよな?
そこんとこどうよ。 信長なら、統一後に秀吉や家康よりもずっと強固な支配体制を作るとは思うんだ。
ただそれでも、信長の死後、織田権が安定するかっつーと…五分五分の気がするんだよな…。 >>90
当然、国の跡取りだけは自分の血を引いた信忠と決まってるだろうね
てか、信長ってかなりの肉親贔屓だし猜疑心も強いから信雄や信孝など
他の親族も要職に絡めるだろうね
ただ、それ以外の配下に対しては年功やお家柄など排除して能力重視で登用しそう
結局、勝家や秀吉も下々の存在に恐れつつ、死ぬまで扱使われる結果になりそう
で、代々当主だけは織田家の血筋が引き継ぐ・・
問題は織田家だけは特別な存在に位置づけた後、天皇をどうするかだ・・?
信長の海外雄飛が成功していれば、大東亜の織田政権が、日本の朝廷を支配する図式が、できるのでは…。 そうだね。信長は天皇を安土に住まわせたのは
朝鮮・明と占領して、自分は3国の王として君臨し、天皇より上に行こうとしたと思うんだよね
だからその野望がある限り天皇を殺すとかはしないだろうけど
もし、史実のように朝鮮占領も楽に行かなかったら
果たして考えも変わってたと思うんだよね
仮に朝鮮は支配出来ても、明を支配出来ないのであれば首都は大坂のままだろうし
戦略上、自分は朝鮮に居座っても、時期将軍の信忠を大坂に置いて
結局は天皇をなくす方に方針転換して行ったと思う はなしを蒸し返して悪いが
司馬遼太郎の太閤記だったと思うが、
信長のように敵をすり潰すやり方だと統一まで何年かかるか解らない。
と書かれてましたが 朝鮮半島→中国大陸→中東→欧州連合軍撃破→ついでにロシア軍撃破
ポルトガル、オランダ降伏
西の果てイギリスの地でスペイン、イギリス連合艦隊撃破
国名を 信 と統一
最後はアメリカ大陸で酋長として隠居
>>98
それは司馬の見解が甘いだけ
秀吉が連立政権的だったから、そう書いてるだけで
実際は信長存命なら、より強固に、より早く天下を統一できてた
信長が生きてたら毛利との全面戦争に総大将として赴き
勝てば、後は勢いに任せて敵城を落として行くだけ
しかし、毛利の内情も所詮は寄り合い所帯
島津の例を見るように内通者や降伏者が続出するに決まってるし
他の大名も島津や北条の例を見るように、敵ではない
秀吉の天下統一より、遅くとも2〜3年は早く統一できたと思うよ 潰していくって意外と時間かかるもんだよ。
秀吉が懐柔した毛利上杉温存せずに潰していったら秀吉より時間かかるだろ。
秀吉は統一目前、島津も北条も柴田も戦って屈服させるまで一年とかかってないんだよね
家康との講和も対峙してから一年以内だし
結局、統一目前の勢力ともなると勢いが増すのは必然だけど
それでも秀吉は本能寺の変後、統一まで8年かかってる
で、秀吉と信長の違うところは同時進行で多方面を攻めてるということで
仮に毛利と上杉を滅ぼすのに、秀吉より余計に時間を費やしたとしても2年くらいか
その間に長宗我部は丹羽が平定してるだろうし、北条は滝川とお家康が攻撃してる
充分、秀吉より早く平定できると思うけど
ま、本能寺の変後5年くらいじゃないかな
秀吉は織田政権内でのゴタゴタで3年くらい、そしてある程度相手を懐柔した上で8ねんなわけだ。
本能寺前の体制から実質5年かかってるとして2年足したら史実の天下統一の年代とと大して変わらないだろ。 勿論、その2年を含んでの5年ね
だから
毛利・上杉・長宗我部征伐2年+島津1年+北条1年+奥州征伐1年
こんな感じね
実際毛利は、高松城救援に何万の軍勢を率いて来たのか?
当時の毛利領の総石高は、多く見積もっても100万石前後か?
総動員で3万前後ってところ。
伯耆の南条、北九州の大友の抑えに併せて1万を配備したとして、高松城救援には、2万前後があたったことになる。
秀吉軍と明智池田らの援軍併せて6万以上、3倍以上の差がある。
高松城救援失敗、敵前撤退になれば、毛利の権威は失墜。
謀反続出っていうか、武田の二の舞になる可能性大。
高松城救援に固執すれば、高松城下での、3倍以上の敵との決戦。
天正10年の時点で、毛利は王手をかけられていたのでは…。
上杉も、越中からの柴田軍の進攻、新発田の反乱、上野からの滝川、信濃からの森の攻撃で、毛利と相似た状況だった…。 でも信長は天才だから俺ら愚民では考えられないような政策をすると思われ
まぁこう言ってしまえば根も葉も無いわけだがww >信長のように敵をすり潰すやり方
そもそもココが間違ってる。
信長だって降伏してくれば配下に組み入れるんだから
時間がかかるという事はない。 信長は、古今東西の成功した革命家と同じで、自らの信じる革命思想には純粋であったが、その実施には慎重で、現実的な妥協を何度となく行っている。
楽市楽座と関所の撤廃を、経済政策の目玉にしながら、京四座や山崎の油座を存続させ、京七口の関所も残している。
軍事的にも、同じことが言えるのでは…。
四隣に敵が多く、天下統一の目処が経っていなかった状態では、敵将の降伏を受け入れ、多くの大名を存続させたが。
本願寺の石山撤退後は、かなり頑固な投降拒否を行いだしている。
丹波の波多野、武田の旧臣らをはじめ、中国戦線で決定的な意味を持つ、宇喜多の寝返りすら、一度は拒否したぐらいだ。
おそらく、天下統一に、かなりの自信を持ち出した天正10年以後では、毛利、上杉、長宗我部、島津、北条らの滅亡の可能性はかなり高いのではないだろうか。 なるほどねぇ。早くなったのかな。
信盛折檻状があるように、身を粉にして働くしかないもんな。
信長家臣団は辛いよね。
統一後、光秀、秀吉は追放されるってことはないだろうか? >>110
>>77も言ってたが、四国統一した長宗我部も信長と同盟してた。
しかし、信長はいきなり土佐一国のみは安堵するが四国を放棄するよう要求。
当然のように交渉は決裂。征服対象になっちまった。
北条にも同じ流れになるのは想像に難くない。 >>108
ほんとになんでそう思われるようになったんかね?
朝倉にしろ、武田にしろ内応してきたやつらでも全部は
潰されてないんだが。
一揆が起きた結果土橋・安居が死んで、
甲斐では小山田が殺されてるから、そういう全て潰すみたいな
イメージがついてるんかな? >>111
西国方面を担当した光秀、秀吉、長秀の三人は、西の端、九州を組下与力と共に三分割。
北と東を担当した勝家、一益と家康の三人は、奥羽越後と北関東に封じて、治めさせたのでは…。
もちろん、その過程で、信長革命に懐疑的、もしくは不適任と断定されれば、粛正された可能性も無きにしも非ず。 秀吉や光秀をいきなり追放ということはないだろうけど
光秀の丹波没収の上、毛利領切り取りの上の領地替え
って、いう例があるから
日本統一後も、朝鮮征服の上での領地替え
みたいな事も真剣に起きたと思う ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています