【最北端】 蠣崎・松前 【北海道】
日本最北端にして北海道唯一の戦国大名
松前氏について語り合おう >>368
>武家は先祖から諱を一字受け継ぐ風習がある。
公家もそうだっけ? 言われれば公家もそう。
高貴な家柄特有の風習だね。
ただ、通字には例外も多い。代表的なのは武田勝頼とかかな。武田家なのに信がない。 >>365
> 明智光秀=天海みたいな話か。
蒲池幸子 = 坂井泉水 >>354
鎌倉時代とかできるだけ死刑は実施せず、蝦夷渡嶋(えぞがわたりしま)への流刑
としていた。罪人を渡嶋に送り届ける任務を執行していたのが蝦夷管領であった
安東氏。
>>353
>16世紀以降はなぜか衰退しているので
古文書(新羅之記録)によれば、コシャマインの乱で余市から勇払までアイヌの攻撃があったとのこと。
生き残った人間が松前と上之国に逃れてそこに集住するようになったとある。
>>358
>まあ商売では詐欺に加担はしたかもしれぬ
第5代藩主高広の時にアイヌとの交易レートを一方的に3倍にするなど、
交易に関しては強圧的だった。商場知行制では知行を請け負う商人に対して
の監督はまったく機能せず、商人側のやりたい放題。 北海道ってオーストラリアみたいな流刑地だったのか。
蠣崎・松前とか立派な名前を持っていても実は罪人の子孫だったりするのかな。 武田氏の諱の信の通り字は、おそらく武田氏の先祖でもある河内源氏の祖の源頼信の信から来てるんだろう。 北海道が日本地図に載ったのは松前藩が出来てからだよね?渡島半島の部分だけだけど >>342
まあ九州人から聞いた蝦夷の話だし大袈裟になったり曲解があるのはしょうがないんじゃないかな >>342
それでも松前藩の野蛮さに比べればアイヌなんてまだマシなほうだけどな
そもそも中央政府から見れば松前もアイヌも同じ蛮族だし アイヌとロシア人の区別がつかなかったっていうのもよくわからないな
顔も身長も服装も言語も全然違うだろ >>380
松前は官位もっているから蛮族ではないだろ。 >>380
そもそも中央政府自体が蛮族みたいなもんだろ、この時代は >>382
いや蛮族扱いされてるからシャクシャインの戦い後の処罰も軽かったんだよ 松前藩の連中よりも最上徳内や間宮林蔵のほうが北海道愛ありそうだよな 北海道に行くと各地にアイヌ民族ではない謎の民族の壁画とか遺跡が残ってるけど殆どが後から入ってきたアイヌ民族に虐殺されて歴史から消されている
アイヌも大和民族もやってることは一緒でどっちもどっちなんだよな 古代の縄文人と渡来人の闘いが場所を北海道に移して再開されたというか
棲み分けできていたのが片方の人口爆発で片方の居住域が浸食されてしまったんだ
アイヌも元々は本州の住民で北海道には先住民がいたものと思われる 昔は冬の間宮海峡を徒歩で渡れたようだからアイヌが必ずしも本州から来てるとは言えない
むしろ大陸だろうね >>391
新大陸はかつて繋がってたのが一旦途切れて、コロンブスまでは交流がなかったけど
樺太や北海道は有史以来ずっと本州と行き来があったから、大陸から渡った集団がいたとしてもその後本州経由の方が多数派になってそう 大陸と地続き時代の遺跡としては390が言ってるような
小樽方面の洞窟や壁画やストーンサークル
北海道東部から十勝にかけての通称オホーツク文化
函館周辺の中空土偶などが発掘される遺跡群
3者とも類似性は低いらしい
アイヌの生活様式は魏志倭人伝に出てくる倭人そのもの ○389が言ってるような
×390が言ってるような アイヌは極東ロシアと松前藩との中継貿易もしてた
大陸のアイヌと交流があったからね
アイヌを通すというのは建前で完全に松前藩の密貿易でそういう意味ではアイヌを隷属化なんかできない
下に見てたとは思うけど松前城にある城下町の絵なんか見ると日本人もアイヌも仲良く商売してるのがよく分かる 松前だけではアイヌを隷属化する武力が足りなかったんだろな アイヌ側の認識として蠣崎は和人の地方豪族の一つに過ぎない存在だったのが
秀吉の朝鮮出兵中に豊臣氏直轄の大名となる
秀吉が大陸の次はお前ら(蝦夷ヶ島)と言ったとか言わなかったとか
家康が幕府を開設すると関ヶ原の前年に松前藩の藩主に
近代武器も大量に入るようになり
このへんを境にアイヌ民族の悲劇が始まる 松前藩がまとまった数の鉄砲を所有するようになってからかな?
アイヌとの軍事力が開いたのは。 それと。
仮にアイヌと野戦して負けちゃって松前城に籠城した場合。
松前城は防御力が弱いから、本州からの援軍が到着する前に落城するリスクもあったと思うんだが、どうだろう? 松前城の城下町って全国では珍しく武家町と商業町が混在してたくらい商業に特化してた
武力に目覚めたのは幕末じゃない? 蠣崎の2代目が渡島半島南部全域を支配する
4代目の時に一番美味しい函館とその周辺地域をアイヌに奪還される
さらに和人の居住域を東西2つの一部の地域に限定されてしまう
また本州からの商船に高い関税を課しその多くをアイヌの酋長に納める
という条件で和睦しこの状態が秀吉の天下統一の頃まで続く 津軽と南部。場合によっては佐竹も出兵して直ぐに鎮圧されるだけかと
その後、交易権は津軽か南部に渡り武力を背景により松前時代より
酷いレートが課されると思われ 松前城は城というより砦みたいなもんだから籠城戦はできないのではないだろうか? そもそも松前城ができたのは1855年で江戸期を通じてずっと福山館が居館だぞ
しかも幕府が松前は防衛上不適だから函館に築城すると言い始めたら全力でそれだけはやめてくれと懇願して渋々松前城ができた
松前城が半端なのは徳川幕府のお墨付きとも言える 福山館ではとても籠城戦はできない。
万一、アイヌの大軍が押し寄せてきたらどうするつもりだったのか? >>405
福山館の人達はほとんどがアイヌさんの親族です
だから大丈夫なんです アイヌ人もバカじゃないんだから松前の背後には東北の大名たちが
控えてることくらい理解してるだろ わざわざ松前の城下町までアイヌが物産売りにきてたくらいなんで和人とうまくやる方を取るだろう
アイヌを虐げられた無垢な原住民という理解こそ差別だよなあ >>407
コシャマインは松前まで攻めようとしていたのでは? 樺太方面にも進出してモンゴル帝国とも地域紛争起こしてるくらいだから
情報網もあって和人の本国の情勢も熟知してただろうね 薩摩藩のソテツ地獄。二つ名の黒糖地獄に比べれば松前は良心的 そもそも松前もアイヌだからね
日本に友好的なアイヌが松前だよ >>351
萬堂満伊犬って元は人名だったのかな
名前の語尾にアイヌがついてるし >>351
やっぱり渡党もアイヌ扱いじゃん
要するに渡党は日本語も通じるアイヌってことだろ >>417
渡党(松前藩の前身である、渡島半島のアイヌ集団)
については、
和人に「似て」言葉が通じるが、髭が濃く多毛(※つまり和人とは違う)
「 アイヌ学入門 (講談社現代新書) | 瀬川 拓郎 」によれば
渡党とは、北海道南西にいた日本文化をかなり取り入れたアイヌ、等とあった
>>313
シャクシャインの内乱テロ>>264当時も、蝦夷地では、アイヌ部族同士の武力抗争がずっと続き
津軽藩の調査だと、松前城下で、アイヌ部族は鉄砲を30〜40丁も所持
(また別に)東蝦夷地でも、鉄砲などで武装したアイヌ集団が津軽藩の隠密船を攻撃してる
近世アイヌ民族の社会と生活 - アイヌ文化振興・研究推進機構
http://www.frpac.or.jp/about/files/sem1215.pdf
> 津軽藩士は松前城下でアイ ヌ民族の武装についての情. 報を収集していますが、
> それには、. 「〇本具足は少しばかり之れ有るべき由。
> 〇自分にて木具. 足仕立て、 着け申し候う。 〇鉄砲三、 四拾挺も之れ有る. べき由。
> 〇弓丶 鍵は大方所持仕り候う由」 とか >>418
>>421
和人に帰化したアイヌだろうな
劉淵みたいなもんだろ アイヌが反乱起こしまくって暴れていたのは応仁の乱以降だね
日本の中央政権の混乱を認識していた故の行動だと思う
蠣崎に対する秀吉の朱印状と家康の黒印状及び松前姓の授与
これ以降ピタッと従順になる というかならざるを得ない状況になった
秀吉と家康が現れなければ北海道は今頃ロシアの領土 >>423
気候変動なり技術革新なりで農業生産力が上がったんじゃね?
そのおかげで地方の豪族が力をつけて群雄割拠できるようになったと 応仁の乱の頃って逆に小氷河期では?
大坂の陣あたりから転換したと聞いたけど >>44
ニヴフ・ウィルタ・モヨロなどは既にアイヌに制圧されてしまったのか…?
≪北海道斜里町オロンコ岩チャシのドローン写真測量と3次元モデル作成の予備実験
2.オロンコ岩チャシの概略≫
> アイヌに伝わる伝承が残されている。
> 昔この島の上にオロッコ族(トナカイ遊牧を生業とするサハリン北東部の先住民族5))が住んでおり,
> 下を船で通るアイヌ目がけて石や木を投げて邪魔をしたが,
> 急崖で囲まれた島の地形を利用して防ぎ,なかなか追い払うことができなかった。
> そこでアイヌはオロッコ族をこの島から下りさせるように,
> 海草や魚を鯨のように積み重ねておき,見に下りてきたオロッコ族を皆殺しにした6)。 道南の蝦夷の渡党(わたりとう)
松前藩の祖とされる武田信広は和多利党(わたりとう)
北海道開拓に尽力したのが仙台藩主伊達家の分家である亘理(わたり)伊達家
「わたり」はアイヌ語の「うたり(住民・一般人)」のことと思われる
東北と道南はいち早く日本に同化した蝦夷達の居住域 道南の蝦夷の渡党(わたりとう)
松前藩の祖とされる武田信広は和多利党(わたりとう)
北海道開拓に尽力したのが仙台藩主伊達家の分家である亘理(わたり)伊達家
「わたり」はアイヌ語の「うたり(住民・一般人)」のことと思われる
東北と道南はいち早く日本に同化した蝦夷達の居住域 これらの東北・道南の史跡は現在ユネスコの世界遺産の認定を目指しています
最近白老にできたヘンテコリンなのは無視してくださいw >>423
松前姓は貰ったんじゃなくて元から道南にあった松前という地名から取って名乗ったんだろ
諏訪大明神画詞に萬堂満伊犬という地名が確認されている 1550年の時点で、意外とロシアと軍事交流あった?
http://www.tamatele.ne.jp/~psmizu-2/started/personal/rekisi.htm
> アイヌも火縄銃を利用したといわれる。
> 幕府はアイヌに銃を渡すことを禁じたが、ロシア由来の銃も利用された >>431
それ時系列おかしくね
それだと1550年より前に松前氏を名乗ってることになるし 松前藩の武士はアイヌを側室・愛人に迎えたりしないの?
和人女性は不足していたんでしょ >>398
貧しい松前藩(アイヌの一派:渡党)は、金掘りなど少しは潤ったが
少ない収益の独占目的か
和人流入を制限した程で、1799でも武家は足軽含め170戸規模のみの弱小藩
1669年>>264
シャクシャイン勢力らがデマを流し、民間の和人らを虐殺して回った武装テロ事件>>278
ハウカセ:江戸前期の蝦夷地の5大勢力の1(シャクシャインの武装テロ蜂起では中立)
<参考文献>
海保嶺夫『近世蝦夷地成立史の研究』,喜多村校尉編『津軽一統志』(『新北海道史』7巻)
…
また,ハウカセは近江八幡出身の金太夫という娘婿に
軍事顧問的役割をさせており,
蝦夷地への武器輸出が不可能になったシャクシャインの戦の時点で
40〜50挺もの鉄砲を所持していたといわれる点などから,
松前藩のほかにも和産物輸入ルートを確保していたとも考えられる。
…
あれだけ広いし、あちこちから武器が流入し続けてたようだ >>434
アイヌの女性って成人すると唇に入れ墨いれるから
外見から敬遠したとか? 松前藩自体は負の遺産で大嫌いだけど松前城を燃やしたのだけは勿体無かったな
せっかく戦火から逃れたのに焼失した理由が職員のミスというしょうもない理由とか
生き残ってれば日本に13箇所しかない天守閣が現存する日本式の城だったのに もしかして大名の中で一番の成り上がりじゃね?
元は異民族だし 江戸時代こそ松前藩が独占してたが
南部とアイヌの繋りが発見されてたけど
以前浪岡も発掘されてたしアイヌも割と自由に動いてたのかもしれない >>440
本州のアイヌ人は青森の津軽地方を拠点に活動していたみたいだな。
恐らく北前船での交易で倭人との通訳や交渉に携わっていたと思われる 北方交易は北京語、アイヌ語、日本語を使う商人で行われていたから公用語は無かったんじゃないか 80〜年代に書かれた文庫本の歴史小説。
江戸時代を舞台にしたもので、松前氏を好意的に描いたもの。
大分前に、立ち読みしたが、題名がわかりません。
知っている人がいたら、教えてください。
松前氏を弁護したものには、梅棹忠雄も書いていた。
松前藩は、アイヌの有力者の娘を藩主や家老の側室として
迎えていれば、アイヌへの態度も大分変わっていたのでは?
側室は単なる愛人ではないから、相手の実家の領地を考えて
搾取を控えるようになったから。 樺太や千島も日本領に組み込んでいたら、こいつらの領地も広がったのかなあ >>451
アイヌの乱を単独で鎮圧出来ないくらい弱小なのが松前藩。
九州南部の薩摩藩が琉球諸島を制圧したように樺太や千島列島を制圧するとしたら
東北北部の盛岡藩に道南、北海道を任せるくらい思いきった事をしなきゃ無理かと >>453
蠣崎以前は単独で鎮圧してるしやろうと思えば出来ただろ
弱小なのはその通りだけど 樺太、千島を日本に組み込むには松前の力じゃ足りないということだろ。
武士の人数は最盛期でも500人にも届いてない それならいくら鉄砲を持っていたとはいえシンドイな。 当時の技術水準で樺太に北方進出するには松前藩と津軽藩を南奥羽にでも転封し南部藩、
佐竹藩が共同で北海道への入植と開発を100年単位でやらないと難しいだろうな >>455
まず樺太千島どころか北海道本土すら守れてねぇからな
しかもオーストラリアの正規兵でもない武装捕鯨グループに涙目敗走してるんだから むしろ、幕府直轄で天下普請的なことをやって全国からリソース集めるくらいじゃないと無理じゃね?
諸大名の力を削ぐために、交代制で北海道警備させるとか ウラヤコタンの戦いでも武士は10人しか居なくてあとは射撃と乗馬の上手いアイヌと和人で対応してたらしいなw 樺太千島を支配したいならもっと早くアイヌの同化政策を進めるべきだったと思う
19世紀にもなって同化したのは渡島半島周辺のアイヌだけって舐めてんのか それをやる力が松前単独ではないのが問題。
松前藩は何処かに転封させて馬産が盛んな南部藩と伊達藩に、共同開発と
北海道奥地への入植事業をやらせるくらいでないと。 蠣崎は青森県の外が浜にも領土を持っていたようだけどこれは交易のために浪岡氏に与えられたもの? REVELATION
資金源/コング
フロント/天下り/右翼思想
フィクサー/集団ストーカー/ハッキング/盗聴/盗撮/家宅侵入
汚職/集団ストーカー/ハッキング/盗聴/盗撮/家宅侵入/揉み消し
揉み消し加担 えぞってえみしから転訛した言葉?それとも全くの無関係? >>463
亀レスだが交易というよりアイヌから手に入れた海産物を加工する為の労働力と必要な資機材を
浪岡北畠から提供されていたんじゃないかな。その際、蝦夷からやってきた武士や商人の居住用に城と土地を与えられたのかも 面白い見解だけど根拠はある?
外が浜で加工が行われていた史料があったらよろしく >>463
> 蠣崎は青森県の外が浜にも領土を持っていたようだけど
領土(飛び地)とは言えないのではないか? 松前家当主は札幌ではなく横浜に住んでおられるみたいだな。