吾妻連峰雪山遭難事故を振り返る
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どの道ナビゲーション不能の時点で動くべきではなく、結局日が暮れてビバークせざるを得なくなった。 体力のない高齢者とオバサンが冬山なんかに行ったのがそもそもの間違いじゃねーの
自分の雪洞も掘れないわ、すぐ低体温になるわで、生物として弱すぎだろ
弱い個体が厳しい自然環境で淘汰されただけ リフト使えなくて消耗したとかいうのも、大した高度差じゃねーから
普通の登山ならウォーミングアップ程度よ 40超えたらあれだけで1日の体力の80%くらいは消耗したと思うわ
40超えてから通勤時に2〜3分家出るの遅れてしまって駅まで早歩きしたり小走りしただけで体力大量消耗して一日の調子狂って大変な事になる
社内の奴らもみんな同じ事言ってる >>100
やはり天候チェックなしで行ったことで既に運命が決まってるな ドキュメンタリー映像で山小屋の人?がラジオを聞いて天気図を起こしてたけど
当時の予報の事情ってどうだったんだろうな
いつでもtenki.jpやSCWで天気図からレーダーから局地風速まで至れり尽くせり、
荒れるなら危ないって警告されまくりの今とは全然違ってたはずで
自分ならあの頃のTVのスポット天気予報で山の天気を
どの程度イメージできたのか想像がつかない 富士山の測候所が機能してたくらいだし。
ひまわりは3号くらいまで打ち上げられてたけどスーパーコンピューターが使えるわけもなくザックリだったんじゃない? 登山する人間はラジオ聴きながら、自分で天気図書く訓練は当時やってるはずだけどね。 天気図の書き方は中学で習ったぞ
日本人なら書けるものじゃないのか >>100
確かにそうだね
2日目に出発してしまった時点で悪天候で進めなくて遭難することにはなるから
遭難になった時点で全員助かるかどうかは分からない
避難小屋を出なければ、とは思うけど天気予報を誰も確認してなかった以上
2日目の朝の時点でそこに留まるか引き返す選択肢は取れなかったし、結局計画段階でダメだったよね 予定の新幹線に乗れず、きちんとスキー板乗るタクシーを用意せず、運転手の言うことを聞かず。
→大幅な時間ロス。
登山届け出さず。
→リスク管理忘却。
風で乗るリフトに乗れずに徒歩。
→疲労が溜まる。しかし、その後に来た別の登山者の時は風が止み、リフトに乗れた。
スコ焼き目的なので慶應山荘スルー。
→天気予報聞けず。上記の登山者は時間も時間なので慶應山荘に泊まり、天気予報を聞いて次の日下山。
予定より遅く家形避難小屋到着、すぐにスコ焼き。
→就寝時間が遅れ、疲労が更に溜まる。
翌朝遅くに出発。
→その時点で擬似晴天になる。
早くに慶應山荘を出た別のパーティは白浜尾根で擬似晴天に遭遇、そのまま何事も無く山行終了。 疲れてるなか、スコ焼きパーティが夜10時まで繰り広げられた。
翌朝8時半出発。白浜尾根に着いたのは当初の計画の2時間押しだった。 公になってないだけでスコップ焼肉で腹壊して体調崩してたとかは?
山小屋室内でバーベキューてのも煙くて過酷や
坂根の計画がおかし過ぎる 緊急時のための、命のための大事な小屋を、たまたま1回だけならまだしも、複数年にわたって宴会目的地にするなど、論外中の論外。人として有り得ない。
ホームセンターで買った車椅子シールで障害者用の駐車区画を不正利用する輩と大して変わらん、と思う。ご遺族の方には申し訳ないが、そう思う。 他のパーティとかち合って寝るスペースが無くなったりする可能性もあるしね。これもリスキーだな 慶応山荘って宴会決行を決める理由になるほど嫌がられる場所なのか?
電気、ガスがそなえつけてあって快適な山小屋なんだろ?他の登山客と一緒になったとしても、グループ別になれるぐらいの空間ぐらいあるだろ
それすらもないのか?山小屋には だからこのパーティの目的はスコ焼きなんだって。
坂根氏はこのスコ焼きをもう何度となくやっている。 >>118
そんなスペースあるわけないやろ
臭い体で重なり合って寝る事なりかねん 玄倉川水難事故みたいなものよね
宴会目的で死地に入って遭難って >>120
うへ、きったね
おっさんが汗をかきながら山を登ってきて頭皮のアブラまみれになって臭ってるところに
チンチン掻いたらねっとりとした垢が爪の間に挟まりそうな状態で
鮨詰めにされるのか
慶応山荘も風呂ぐらい作れよ
近くに沢があれば、冬は雪も降るから水には困らんだろ 慶応山荘に行ったら管理人がいるんだから坂根が仕切れないし20時まで宴会できないでしょ
一番偉いのは自分じゃないとね 宴会じゃなくてもお喋りもあんまりできなそうだしな
早く寝ないとなんか言われそうだし 宴会もおしゃべりもそうなんだが、スコ焼き出来ないと意味ないんだよ。散々言われて来たが、このパーティはスコ焼きするためで、登山は移動手段でしかない。 スコ焼きだけが目的ならまだ生きて帰れたかもしれないけど
さらに、雪の中で温泉入って貸切宿で宴会したいって目的もあったからね
天候さえ良ければ、確かに本当に楽しそうな行程だなと思ったよ しかし滑川温泉の映像見るとあんな豪雪地帯の宿をよく馴染みだからといって期間外解放したよな
しかも、霧の平から雪崩の危険のある谷沿いに下ったとか、明らかに道がないのに進むなんてすげーよ平岡軍曹と栗原中尉は 5人が力尽きた後も、2人は更に1泊ビバークして
自力で滑川温泉まで下山したんだからすごいよね
あと1日天候の回復が遅れてたら2人もアウトだったろうな いや、サージェントHは後10日はいけた。
燃料と食料は十分あったからね。 生き残った2人は7人の中では他の人より体力あったんだろうけど
それでも、他の人が力尽きてからさらに2日動いて
全身に重い凍傷をおってたわけだから本当にギリギリのところで助かったと思うよ
2人でビバークした朝は、2人とも日が昇るまで眠ってたみたいだから
他の5人と同じく雪洞でそのまま息を引き取っててもおかしくなかったと思う 軍曹はNHKのインタビューに当時の事を本当に辛そうに語っていたけど
女はどこか他人事のような印象を受けた >>134
女性の方も、見てるのがしんどくなるくらい辛そうに喋ってたけどな >>128
温泉とか2日だけ営業するなんて大変だよな
そういう事も諦めずに彷徨う要因になったと思う スコ焼きコッヘル雪洞なんてあとから思い出しても大爆笑だろ
そこに坂根さんのスーパーリーダーシップ
並のお笑い芸人ではないで スコ焼きとかやる俺らベテラン感を感じていたのだろうな 道具を本来の用途と違う活用ができてこそベテラン山屋と言えるな >>140
尾島さんと最後の別れの所を語るときは、言葉が詰まったりしてたな。 死者は還らずとか読むと、軍曹は意見を言えるような立場ではなかったんだなと分かった 2人は計画通り温泉入れたのだから完全なる失敗ではないよ。 >>145
この遭難事故に限らず遭難して死にしそうな仲間置いてくときの話ってめちゃくちゃ涙腺刺激する
悲しすぎる >>151
本当は
一緒に行きたい
だったかもしれないよな。 >>156
登山隊の一人の女性がクレバスに転落して(多分転落の勢いで狭い所越えてずるっと奥まで落ち込んだ)
仲間が助けようとクレバスに降りるけど狭くて降りれなくて
落ちた女性隊員が「危ないからもういいよ」「あなたは奥さんも子どももいるから」「あたしここで死ぬから」みたいなこと叫んで
やがて女性の声が一切聞こえなくなった
何年か後に遺体は引き上げられたはず キーワードが増えたから検索できた
クレバスの下って真っ暗で寒くて、しかも狭くて救助隊が降りられなかったんだってね
穴の下は冷たい風の音が響くのか、下から冷たい水脈の音が聞こえてくるのか、はたまた静寂か
骨折して動けなく、ザックも手元にない、動けたとしても、さらなる落下の危険があったのか
いずれにせよ、雪山の烈風の中の吾妻遭難とは違った恐怖だったんだろうなあ インタビューで平柳さんが「遅れていた人」としか言わないのはインタビュー前に、
個人名を出すなと言われていたのか、それとも名前を呼びたくなかったのか
(松本さんと尾島さんは名前を出してる) どうでもよい人間の名前なんていちいち覚えてないだけだろ いやどう考えても遭難の発端であろう人を特定させて責めさせないためだろ 平岡さん、数年前にビーコン訓練に参加してたのね。
色々と思うところあるんだろうな。 個人名書くのやめませんか。
調べればわかる事だけど、気の毒に思う >>164
今さら、無理なんじゃないかな?
キャラが立っちゃってるからねぇ 衛星写真で見ると、本当に何もないのね。
土壌だけでなく、冬の過酷な環境がそうさせているのか。 山岳遭難の傷跡を見ると、NHKでは報告されていないことも書いてあるね。
松本さんもラッセルを行っていたとか、何故、行動に遅れが出ていたかとか。 >>169
その本だと、1日目の就寝時間も9時ごろと書いてあるね
山だと9時でもかなり遅いとは思うけど
「10時まで宴会していた」と「9時ごろには寝た」だと大分印象が変わるな 二日目の朝も早朝に行動していたみたいだけど、
NHKだともっと遅くに開始しているような印象だよな >>171
NHKだと8時15分に避難小屋を出たってなってるけど
>>169の本でも「朝5時から6時の間に起き出して、前夜の残ったご飯とスープスパゲティの朝食を摂り
小屋の中を掃除して8時15分に行動を開始した」って記載があるよ
6時に起きたとしても2時間以上あるし、
朝食と小屋の掃除でそんなに時間掛かると思えないから
最初から8時過ぎに出ればいいという予定で
あえてその時間まで小屋で時間を潰したのかもしれない
だったら最大の判断ミスだなと思うけどね 本には坂根リーダーの危うさについても書かれてたな。
人柄が良いのでグループに参加するけど、危険な下山もあったのでグループから離れていった人もいるとか。 そうなのか。
それでも本人は行動を修正しなかったのか その無鉄砲さに心酔する者も居たのではないか?
慎重な人は時に詰まらなく感じさせるものだし。
そもそも登山は安心安全より危険を楽しむものだから。 なんかあの本を読んだ後だとまた事故の全容そのものの印象が変わってくる気がする
どうも遭難の主要因として、二日目にリーダーの坂根がまだ先にあった霧の平の標柱を見つけられずに迷ったと思い込み正常な判断力を失ってしまったのが一番マズかったようだ
結局それ以降の判断や行動全てがあまりにもグダグダで酷すぎるんだよな
あと二日目のビバークも思った以上に簡潔なものでそこに留まり続けるという判断はあり得ない感じっぽかった 読後感だと、坂根さんは山行そのものを楽しむというより、アフター山行を楽しむ人で、そこに人が集まっていった感じだと思えた。 ウィキペディアとそして5人は帰らなかっただけの知識だけど普通に霧の平探して日が暮れるまで行ったり来たりウロウロが一番やばかったと思う
昼過ぎて霧の平見つけられないんだったら家形山に戻るべきだったろうに…って思ったんだけど家形山→白浜に着いた時点で12時なのな >>178
地図とコンパスは皆持ってたんだから、
坂根さんの判断だけに頼らず全員できちんと位置の確認してれば良かったんでは、と思うんだけど
多分、その時点では全員すでに大分疲労が溜まっていて
コンパスと地図取り出して位置の確認をしたりできる状態ではなかったんだろうね 天気予報すら確認しないのに、
そんなことに意識は向かないだろう 山要素の強いレジャーサークルみたいな感じを受けるから、地図とコンパスがあっても他の人達は持ってるだけになったんじゃないのかなぁ 多少天候悪くても突っ切っていけば何とかなるって考えだったかもな。実際ほとんどは何とかなるものだし。 これまではそれで生還してきたみたいだね。
何回も来ているので、どういう道かもある程度は頭に入ってるとか。 ヘッドライト付けて下山したことも何度もあったみたいだし、
天候悪くて時間かかったとしても最終的にはなんとか下山できるだろう、
っていうのが根本的な考えにあったんだろうね
今までそれでなんとかなってきたから、むしろそういうトラブルも
楽しみの1つくらいに捉えてしまったのかなと思った 準備不足で登山しても10回中9回は無事に済むからな
残りの1回で致命的なことになるだけ >>187
生存した片方は、以前にも似たようなことあったけど、
その時の方が緊迫してたと語ってるね。
慣れてしまったのもあるのかと思う。 坂田さんグループを抜けて行った人たちの話も聞きたい 多少無茶してヒヤヒヤものだったけど、大丈夫だったからこれからも続けよう。
普通の人は
やっぱり危険だから無茶はやめよう。慎重に行こう。 過去の危機体験を逆に成功体験と勘違いしてしまったんだな >>194
何度も危ないところから生還したから、
大丈夫
と思ったんだろうな 夏山とかならトムラウシみたいに多少舐めてしまうかもしれんが雪山舐めるって扁桃体狂ってるか相当な馬鹿だろって思う ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています