山岳信仰ありきの登山
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>>849-850
ほら逃げた
宗と教がつかないから宗教じゃないはどこ行ったんだよ?
結局は一人でおかしなこと言って逃げてるだけなんだよ >世間一般があったら宗派の必要性が無いでしょ
宗教じゃないなに宗派となwwwもうダメダメだ 伝統を守りたいって事なんじゃ無いの?
横槍すまんけど 修行に来る坊さんと仲いいって言ってるだろ
その思いは否定しないという事 >>854
ちょっと違うね。来てくれる人の思いだね
気に要らない人はそれでいいの。元々不特定多数は対象にしてない
神社に来てくれる坊さんや修験宗などは他宗派だわな。
来てる時点で本人はこだわってないからね。迎え入れるよ
伏してるのはお互い山だからいいの >>856
神道や修験道という宗教の伝統を自ら壊してるんだもんなー 宗派超えて集まるから宗教じゃなくて道なの。
だから勝手なイメージで軽く世間とやらで一纏めにされては困るよw
暇なら明日深夜から雪掻きしに来なさいw >>857
伝統的な丸太落としやる?
自ら壊れるかもしれないけどいいよね >>858
あれー?宗と教がつかないから宗教じゃないはどこ行ったんだよ?
しかも
>宗派超えて集まるから宗教じゃなくて道なの。
また独自の自分勝手な妄言を言い出した
その場しのぎで世間の通説や定説から違うことばかりわめいてるから一貫性がないんだよ
>古代からの信仰は、西暦538年に日本に伝来した仏教という新しく輸入された宗教との競争に直面して、はじめて神道と名づけられました。すなわち「神道」という言葉は、日本の伝統的な信仰形態を仏教と区別するために、中国の道教につながる言葉をもちいたのであり、「神(かみ)の道」という意味を表わします。 参加してる坊さん個人に宗教はあるだろ
集団にはないんだよ 生きてるパイセン設定いじるのは世間でも通説でも定説じゃないよ
んで、ウチは宗教じゃなくて大丈夫よ
来ないんでしょどうせw 修験道だけは宗派を越えて集まってるけど1つの例を以て全て同じだというのは理論が飛躍してるし頭悪すぎる
では神道が一般的に宗派を越えて集まってるか?
仏教を仏道と言ったら宗派を越えて集まってる意味になるのかよ? 数千年生きてるようだけど
独自の自分勝手な妄言でウチのパイセンいじらないでねw >んで、ウチは宗教じゃなくて大丈夫よ
来ないんでしょどうせw
山を拝んでるのに宗教じゃないと山の神性を否定するの自己矛盾
そんな団体が修験道名乗って他の宗派と交流してるとか世も末だな 神道じゃなくて山に集まってるんだよ
仏は道ではなく教えです >>866
だから道は集まるの意味だはどこ行ったんだよ?
今度は山かよ
その場その場の思い付きで支離滅裂過ぎるんだよ
山を拝んでるのに宗教ではありませーんとか自己矛盾についてもスルーしてばかりだよな
宗教じゃないなら山を拝む意味がない 頭の悪い奴は例え話そのものに噛みつくというけど、慣用句そのものに噛みつくとかどんだけ頭悪いの?
もはや内容に反論できないからワードに噛みつくしか出来ないのか? >山を拝む意味がない
強制しないのでやらなくていいよ >>856
自分自身も3,4年前に山伏って言葉を知ったし今もあるなんて事も、明治に禁止令が出た事も知らなかった。
だけど宗教って人を集めるし(本来の目的はそれではない)政府からすると厄介ってのも分かるというか…
現代的な宗教とかっていうと宗派とか色々と大変そうだし
修験?は体験だろうから自然の中に身を置いてみる事は有意義だと思うし人間本来の何かとかあるのかもしれない
本格的なのは分からないけど、元々山の中での事だし、自由意志で良いとか道ってのはなんか理解出来る気がする。
本来の信仰って悪いものじゃないと思うんだよね
宗教に入ってる入ってない限らずに >>873
コロナでなかなかできないけどご縁があったら会えるよ
明日は祭りと雪掻きです >>875
何も知らずに山に行きまくっていた時期もあるけど
今思うとその熱量はどこにあったのか謎だし
今は聖書とか読むんだけど、訳によっては平安って言葉が使われていたり、心正しい人に平安(平和)があるのは良いよね。自ずと見出すと言うかw >>872
>>山を拝む意味がない
>強制しないのでやらなくていいよ
俺がやるやらないの話じゃないんだよ
山という人間の力や自然の力を超えた存在に敬意を払って拝む行為が宗教だと言ってるの
だから宗教を否定して山を拝む意味がない 拝むって行為が手を合わせるとか感謝って事なら
いただきますって手を合わせるのも宗教的行為って事になるのかな?
俺は望みとかないから拝むこともないけど、
神秘的なものとかに触れたりとか朝日とか御来光っていうし
なんか感謝したくなる気持ちは分かるかも >>878
合掌は仏教圏の感謝の作法なので宗教行為の一種と言えると思う
昔のオウム、今は統一教会で宗教は怖い、気持ち悪い、悪どいという負のイメージが強いけど
日本の伝統的な修験道がそういうのに合わせて宗教を否定して自己否定までする必要はないと思うんだよね
むしろ伝統的な宗教が堂々と、その地域の宗教教育を担ってこれからの子供たちがカルトに騙されないようにしっかりと日本の伝統的な宗教観を地元のお祭りや伝統行事を通して教えて欲しい >>880
俺は修験道とかよく分からないから合ってるか分からないけど、宗教的作法とか宗教的行事ってかなり日本には根付いているし、クリスマスにしてもいただきますにしても、誰も特に宗教的な行事とも思わない程に根付いているんじゃ無いかな?
昔に政治が宗教を利用して統一を図ろうとした時もあるらしいけど、今は科学が基本だし。だけど俺は科学的な思想だからクリスマスもいただきますもし無いって人は居ないんと思うんだよね
昔って言葉ですら指すものは違ってくるし
オウムにしろ統一にしろ、全く根付いてないからね
むしろ、それが宗教で信仰なの?って思ってくるけど
宗教法人なら宗教団体な訳だしね >誰も特に宗教的な行事とも思わない程に根付いているんじゃ無いかな?
まさにそれで、山に神性を感じるのも日本人の宗教観なんだよね
西洋人は登山して頂上に登ったら山を制覇したなんて不遜な事を平気で言う
もちろん日本の近代的登山もその流れを受けてはいるが
日本の伝統的な登山は修験道に見られるように山は拝む対象であり敬意の対象であった そしてこれに繋がるんだよね
>>779
>山登ってご来光見たら今まで無神論者だったのに何やら神性を感じて
奥駆け(山伏の修行)に参加したいと修験道に目覚めた人が来てたぞ
こういう日本人本来の宗教的な感性を大事にしていれば個人崇拝を強いられるカルト宗教なんかに騙されないよ >>882
何故山を拝むのかは分からないけど
山から見える景色は気持ちが良いのは分かるし
登頂しなくとも見るだけでも山はすごいってのも分かる
大地に対してのあれだけの標高差を生むだけの力が働いたとか、それは今で言えば内部何とかっていうやつだけど本能的に何か畏れとか凄さを感じていたんじゃ無いの?
西洋的な登山家の登頂した時の気持ちは分からないけど
不敬なら自ずと危機管理不足でやられそうだけど…
ルネッサンスは起きないと思うよ もしエレベーターで山頂まで行けるなら
それを味わうこともないだろうけど
登山って辛さとか当たり前が全く違うとか
全く世界が違う場合もあるわけで
それを克服した後の幸福感?
まぁその辺はよく分からないし説明も出来なそう 連投すまんけど
達成感って言葉が一番あってるかもしれない >不敬なら自ずと危機管理不足でやられそうだけど…
まさに修験道が戸開式、戸閉式で冬山の登山を禁止してたのは宗教的な意味だけでなく危機管理の意味もある 冬山の登山を禁止してたのは宗教的な意味だけでなく
→宗教的な意味もあるって事だよね?それは何?
危機管理の意味もある
→冬は山に限らずに過酷だし昔は装備もカンジキ?とか藁系なイメージだし、そこに標高と地形が加わると状況によっては死に直結しそう とりあえず神道系修験道が精神修養にはならないということはわかりました。 >>877
納得してもらう必要はないよ
違うことは指摘するよ
拝まなくてもいいよw >>887
>冬の間、修行の場である山々を閉じ、次の季節への生命力を育む。
いわゆる死と再生の思想
山は死の世界でありまた生まれ場所でもあるから
>>890
例え話どころか慣用句そのものにまで噛みつく頭の悪い醜態を晒してまだ息してるの?
そもそも山岳信仰のスレで宗教否定してこのスレに固執する意味がわからんわ 山を拝む ← これが宗教行為だというだけの単純な話なんだけど、まあぶち切れるぶち切れる(笑)
>>889
>とりあえず神道系修験道が精神修養にはならないということはわかりました。
修験道という道がつくものをやってるのに精神が未熟というかすごい攻撃的だよね
道は集まるから道だとか独自理論に凝り固まってるから精神修養の道ではないことは確かだな >>892
D Tではわからないでしょうw当然だよそれは >>887
なるほどね、確かにその通りではある。
多分その頃って庶民は竪穴式住居が一般的だったらしいし状況が加わらなくても野外は過酷そうだし、ましては山 山岳信仰という名前がついているけど
八百万の神とかそう言ったものから来てるのでは?
開祖と言われる人が居ても道を切り拓いたって事であって
現実的にも富士山とか開いた?らしいし、その当時は自然に畏怖と感謝があったろうし、山ならよりそうなりそうだけど。 >山岳信仰という名前がついているけど
>八百万の神とかそう言ったものから来てるのでは?
そう
それをアニミズム的、祖霊崇拝的な【民族宗教】と言うだけの話
山岳信仰も修験道も山を拝むのも日本人の民族的な自然観から来てる宗教です 民族宗教というよりかアニミズムって
今で言う宗教に分類されるのか?って話になってくるけど
今時の宗教はやばいからねえ 宗教=オウムみたいなカルト
宗教=イスラム原理主義的な過激派
こういうイメージだけで宗教全てを悪い、怖い、気持ち悪いというのはステレオタイプ過ぎる
むしろ伝統的な神棚を拝んで仏壇に手を合わせていれば個人崇拝と献金を強要するカルト宗教がおかしいかわかる
高学歴の若者がなぜオウムなんかに入信するのかと社会問題になったように
臭いものには蓋で宗教教育を怠ってきた結果だと思う
だからこそ修験道のような地元に根差した民衆に近い立場で伝統の行事やお祭りを通してこれからの子供たちに日本伝統の宗教観を伝えて欲しいものなんだけど
肝心の修験道がわざわざオウムや統一教会に合わせて宗教じゃないとか自己否定して伝統を否定したらおしまいだよ
山に神性を感じる感性があれば人間はちっぽけなものだと個人崇拝なんかしない 山を拝むのを宗教行為じゃないと言ってる修験道の団体が変だと指摘した流れで質問やレスに対する疑問に答えてるだけなんだけど?
この話題が終わったなら消えるよ 実際には宗教的儀式で溢れかえってると思うけど、それを宗教的儀式って思わないぐらいに根付いてると思うんだけどね。
新興宗教とかイスラム過激派ってのが宗教と前面に押し出してるのは正当化って言うか、元々とはかけ離れているのかも知れないし…その辺はよく分からない、カルト宗教とかとも言うかと思うけど。
仏壇に手を合わせるのも神社で手を合わせるのも宗教的行為だけど、別に誰もそんな事思わないぐらいに当たり前にやってると思うけど。
つまり宗教として取り組んでいるのかのスタンスというかで良いんじゃない? カルト宗教じゃなくてカルト教団とかいうかな?
その辺はよく知らないけど 自分の言いたいことがまんま書いてあったわ
>現代の日本社会では、宗教は「怖い」と敬遠される傾向がある一方で、初詣やお宮参り、受験祈願など、それとは意識されずに民俗宗教が根強く信仰されている。前世や輪廻転生を漠然と信じている人も少なくない。そこに透けて見えるのは、日本人の「宗教」という言葉へのアレルギーと、宗教現象に対する理解の不確かさであると言える。 時代に合わせて言葉が持つ意味が変化していくってのは言うまでもないと思うけど。
お遍路さんだっけ?その辺もよく分からないけど
それは宗教? 誰しもが辞書を片手に態々調べるような人達ではないと思うし、正しい理解が必要ってのはその通りだと思うけど、そこそこ長い年月の中で意味が反転するものもあるって言うかね。
宗教現象って具体的には?
なんか良さそうだし♪とかそんなのでも良いんじゃない?
実際にオウムは宗教法人だった訳だし、もう根付いてる宗教的儀式やら宗教的行為をそう思わないのは普通というか こういう統計を見ると宗教的行動として意識してる人は多い
日ごろどんな宗教的行動を取っているかをたずねたところ、「年に1、2回程度は墓 参りをしている」(78.7%)が最も多く、次いで「仏壇や神棚に花を供えたり、手を合 わせたりする」(70.5%)となり、「先祖や亡くなった肉親の霊をまつる」(50.7%)を 含め、慰霊的行動の実施率が高いことが分かった(図表3)。
https://www.dlri.co.jp › pdfPDF
日常生活における宗教的行動と意識 そのレポート見てみたけど
1枚目の主旨にこう書いて在る
①年中行事で実施率が高いのは「初もうで」(76.4%)、「お盆」(74.0%)、「クリスマス」 (63.2%)の順であった。子どもの頃と現在とを比べると、「初もうで」「お彼岸」「お盆」は減 少幅が小さく、実施率も高いことから、国民的な年中行事として定着しているといえよう。
②日ごろおこなっている宗教的行動では、「年に1、2回程度は墓参りをしている」(78.7%)、「仏 壇や神棚に花を供えたり、手を合わせたりする」(70.5%)、「先祖や亡くなった肉親の霊をまつ る」(50.7%)など、慰霊的行動の実施率が高かった。こうした慰霊的行動は、特定の宗教や宗 派の信仰の度合いに関わらず、おこなわれていた。
③今回の調査対象者のうち、特定の宗教や宗派を信仰している人は30.7%であった。年齢が下が るにつれて「信仰していない」人の割合が増えるが、「65~74歳」でも、「信仰していない」「ど ちらかといえば信仰していない」を合わせると、56.6%と半数以上が信仰していない。
④宗教的態度の因子としては「霊魂応報」「向宗教性」「加護」の3つが検出された。このうち、 信仰の度合いを規定する要因は「向宗教性」因子だけであった。
⑤今回の調査から、創設宗教の信仰とは別の次元で、宗教「的」観念を持ち、宗教「的」行 動をおこなっている様子が浮き彫りになった。死者儀礼としての慰霊的行動は創設宗教と 結び付けられることが多いが、こうした行動の背景にある意識は創設宗教の信仰と別の概 念で捉える必要があるといえよう。
って事だから全く反対の意味になって来るね 話が完全にスレチになってきたな
宗と教の漢字が付かないから神道と修験道は宗教ではないのソースと
宗派を越えて集まるから道というのソースは
ないの? 修験は医療行為モドキをやってたから明治政府から直接圧を加えれば敵視されるんで、医療法を整備して日干しにされたんだ 山岳信仰を持って登山を始める人って居るの?
登山をしてるうちに神秘的なものに触れて徐々に信仰を持つなら話は別なのでは?別に信仰があるから特定の宗教に入ってるとは限らないし、お遍路さんやらお伊勢さん参りとか言うけど修験もその類になったとか?宗教的儀式として冠婚葬祭に参加するって言う人も居ないんじゃない? ネットで検索しただけの修験道についてはいいからさ、精神分裂病について教えてくれ。
学校はいつまで行ったの?何歳? どうも精神病は寝てるみたいだな、普通の時間に寝ろよ。 あの修験道は宗教だって言う人も落ちたみたいだし俺も黙っとくわw失礼いたした >>918
慣用句そのものに噛みつくという醜態晒しておいてまだいたの?
で、宗と教の漢字が付かないから神道と修験道は宗教ではないのソースと
宗派を越えて集まるから道というのソースは
出せないの? >>919
その答えとしてレポートとかあったんでないの?w >>920
修験道が日常に行われているとかマジで言ってるの?読解力無さすぎないか? >>921
一貫した理解力って大切だと思うよ
スレを遡ってみると良いよ
俺はよく知らんから >>922
前から指摘してるんだけど都合の悪いレスは延々とスルーして挙げ句の果てには慣用句そのものに噛みついてるからお話にならないんだよ
814 底名無し沼さん sage 2023/02/09(木) 15:57:54.33 ID:ClePHsjM
宗教を否定して修験道が成り立つのかという単純な質問
829 底名無し沼さん sage 2023/02/09(木) 17:14:43.26 ID:ClePHsjM
>>827
>そりゃ宗や教えは無いからさ
それは神道そのものの話であって修験道と名乗ってるのに宗や教えがないというのは成り立たない
だったらただの神道、しかし宗教ではないというこれまた自己矛盾 >>923
それは俺のレスでは無いよw
流れをまとめると
現代の修験道の人(宗教では無い)vsアンチ宗教では無い人(修験道は宗教だ、新興宗教のせいで宗教って言いたく無いんだろ?)の戦いがあって、その続きって事で良い?
俺自身修験道とか神道に疎いんだけどお遍路さんは宗教?
これの回答から行ってみようぜ >>763 で言ってはいけない事を言ったのかと思っている。
山伏とか関東方面では身近な存在では無いからさ
>>908 の誰かが上げてくれたレポートを見てみると宗教的儀式と呼ばれるものでも、宗教的意識を持たずにやっている人が大半と見受けられるので長い年月の中で暮らしに根付いた行為って事で良いのでは?って個人的には思っている。
その理由というのも修験道の開祖と呼ばれる人が日本人初の登山家としてwikiに載っていた。
山の上からのご来光とかなんか神々しいもんな、それに感謝したら今で言う宗教なのか?とかね。 >>924
別人ならレスしないでいいよ
俺が聞いてるのは
宗と教の漢字が付かないから神道と修験道は宗教ではないのソースと
宗派を越えて集まるから道というのソースは
ないの?
という話であって一貫して
814 底名無し沼さん sage 2023/02/09(木) 15:57:54.33 ID:ClePHsjM
宗教を否定して修験道が成り立つのかという単純な質問
829 底名無し沼さん sage 2023/02/09(木) 17:14:43.26 ID:ClePHsjM
>>827
>そりゃ宗や教えは無いからさ
それは神道そのものの話であって修験道と名乗ってるのに宗や教えがないというのは成り立たない
だったらただの神道、しかし宗教ではないというこれまた自己矛盾
という指摘して
修験道には関わってるがお遍路さんは知らん >その理由というのも修験道の開祖と呼ばれる人が日本人初の登山家としてwikiに載っていた。
山の上からのご来光とかなんか神々しいもんな、それに感謝したら今で言う宗教なのか?とかね。
なんか話が矮小化されてるからこれだけ言わせてもらうけど
修験道とは
>修験道(しゅげんどう)とは、古代日本において山岳信仰に仏教(密教)や道教(九字切り)等の要素が混ざりながら成立した、日本独自の【宗教】・信仰形態。
世間一般の定義としてWikipediaからの引用だけど、修験道は山に感謝だけではなく、古くからの山岳信仰や道教やら密教やらも習合してるから
日常生活で普通の人がやらない行方や祝詞やお経で構成されてるんだから修験道を宗教的意識でやらない日常に溶け込んだ風習というのは無理がある >>927
[古代日本において山岳信仰に仏教(密教)や道教(九字切り)等の要素が混ざりながら成立した]だから色々な要素を含んでるって事で良い?
古くからの山岳信仰や道教やら密教やらも習合してる
→ここで言っている山岳信仰ってのは立山曼荼羅とかそういうやつ?密教はチベットのイメージだし道教とか全く分からん。
日常生活で普通の人がやらない行方や祝詞やお経で構成
→これは全く知らなかった。山伏って言葉自体もここ5年ぐらいで初めて知ったんだけど、祝詞やお経は唱えないわな。
それは修験道独自の祝詞やらお経なの?
俺は全くよく知らないんだけど、お話が聞けるならありがたい きみたちヒキは大人しくエロゲーをやってればいいのよ。無理すんな。 >>929
>色々な要素を含んでるって事で良い?
そのまま取り入れたものもあれば、密教の言葉を借りて説明したものや、庚申信仰みたいな道教由来のもの山伏が広めたりした
>ここで言っている山岳信仰ってのは立山曼荼羅とかそういうやつ?
>密教はチベットのイメージだし道教とか全く分からん。
日本独自の曼陀羅図なんかまさにそうだよね
チベット密教はチベットに伝わって独自に発展したものだから元は同じだけど日本に伝わったものとは別
>それは修験道独自の祝詞やらお経なの?
いわゆる偽経と言われてる日本独自のお経は修験道由来が多い >>928
>修験道はもともと平安時代初期に山岳修行によって験力を修めた密教の験者を修験とよび、彼らが行った修行の方法を修験道と呼ん だのにはじまっている。
こういう定義もあるけどまさに宗教 ちなみに羽田守快氏が修験道秘経入門という修験道独自のお経や和讃のCD付きの本を出してるから参考に
九条錫杖経
北辰菩薩陀羅尼経
祓 五体加持文
不動尊祈り経
不動剣の文
天狗経
飯縄祭文
茶吉尼天祭文
仏説地神経
幣帛の釈文
役行者和讃 >>931
道教って儒教の事を言うのか孔子ぐらいしか分からないんだけど、
密教と道教が修験道の成立に一役買っているとしても、それは開祖って呼ばれるあの人が居た時の話?生前にその人が取り入れつつって事?それとも死後に色々取り入れつつ成立したのが修験道?
密教って大乗仏教からの派生なのか、仏教もそこまで詳しく知らないんだけど、何で発祥とされる地域はヒンドゥー教もしくは無宗教なんだ?ってのはずっと疑問、、。
曼荼羅は日本独自のもの?それとも日本独自の曼荼羅もある?
お経にも色々とあるのか、マントラとかは一般常識ぐらいには知ってるけど。祝詞とは別って事で良い?
謎が沢山あってすまんけど 死後って言葉は悪かったかな?
多分専門用語があるんだろうけどその道に詳しく無いので… 世間はそんな簡単に騙されないよ、こいつ学歴ないなとすぐわかる、コンプ スレが勿体無いけど
まぁ理解できなければ決めつけて侮辱して自己顕示欲を満たせばいいし、罵倒でもなんでもしてくれれば良いと思うよ
通り魔とかになられるよりかはよっぽど良いし、弁論のは自由は貴方の権利だからね 歴史的に某天部を祀ってた神社の宮司さんから廃仏毀釈以降の現在も神社庁が神仏習合を嫌ってるから昔行われていた独自の神仏習合の行事は復興出来ないという話を聞いたことがある
そういう意味では神仏習合を堂々とできる修験道独自の祝詞やお経を日本民族宗教の伝統文化として守り伝えて実践していく事は大事なことだと思っている
いわゆる偽経と言われ学術的な世界からは否定されてる日本独自のお経も面白い
例えば第六天魔王が天照大御神に日本に仏教を広めるなと言って
天照大御神は争わないために表面上はわかりましたと答えるが日本に四季を作り自然の移り変わりで諸行無常を自然と悟れるようにしたという話が修験道に伝わってるんだけど
釈迦の教えではないとか、神仏なんて存在しない、修験道は宗教ではない等とこういう神仏の話も否定されて失くなってしまうのは勿体ないと思う 現存する修験道と呼ばれるものはそう言う感じなのか
その当時から神仏習合が土着の信行で近代化にあたり区別する様になって修験道も禁止になったけど今は復活というか…
開祖と呼ばれる役 小角って人が一回も出てこないけど
伝説上の人物としての扱い?一度だけ歴史的事実も記載されているらしいけど、あまり修験道には関係ないとか?
神道と仏教がベース?
しっくりくる気がする、
誰も知らなくても続いていくものは続いていくって思うけど
現に自分なんかも名前ぐらいで殆ど知らない。
現代では宗教も戦いみたいな部分もあるし色々と仕方ない部分もあるのかもね >開祖と呼ばれる役 小角って人が一回も出てこないけど
お経唱える時の御宝号のところで南無神変大菩薩と唱えているのが役の行者の事で、毎回出てくるよ 全く知らなくて申し訳ないんだけどそれは偽経というやつ?
その頃からあった土着の神仏習合なものが修験道ってことで良い?昔(その頃)はお経読むのが一般的だったとか驚いた なに、バーチャル修験道?部屋の中で飛んだり、印を結んだりするの? >>944
地元に観音講、地蔵講、庚申講とか残ってれば今でも縁日に年寄りが集まってお経唱えてるよ
YouTubeで庚申講で検索してみたら面白いと思う
庚申様は神道では猿田彦、密教では青面金剛、日蓮宗では帝釈天、他にも富士山を本尊にした庚申とか、同じ庚申様という名称なのにそれぞれの宗派で神様仏様が異なっていたりする
こういう民間信仰を先導していたのが修験道の行者だった 聖書でも偽典とかってあるけど正式に聖典に[含める、含めない]の取り決めってだけで別の国では聖典に含まれていたり、場合によっては偽典の方がより詳しく書いてあったりとかして名前からイメージするものとは全く別というかね。お経はよく知らないけど そもそも現在においてヒンドゥー教の一部でしか無いし
ヒンドゥー教に経典は無いです
ガイドブックみたいなもんで絶対では無いし誰も保証できない 山岳信仰ありきの登山 ★2
kizuna.5ch.net/test/read.cgi/out/1676611273/ >>947
各地に修験道由来の庚申講が沢山残ってるんだけど?
御師制度はむしろ熊野大社や伊勢神宮のイメージが強いけど、御師の地蔵講や観音講や庚申講って具体的にどこにある?
ttp://tono202.livedoor.blog/archives/18631030.html
>ソラの集落の庚申信仰 庚申講を組織し、庚申塔を建てたのは修験者(山伏)たちだった レス数が950を超えています。1000を超えると書き込みができなくなります。