上杉謙信は女だった?
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茶室入るの苦労したろうなぁ
稀に巨人沸くよね雷田とか 現代でも要博学で相当ハイソな趣味だからな
一流の格闘家は相当賢いし金も有るから意外や向いてるかもしれん ばっちゃが茶道(ちゃどう)の先生だったけどそーでもない
道ってつく通り目的が精神修養や礼儀作法の学習って感じで
一種の実用だから俺としては趣味ともちょっと違う感覚
戦国時代の場合主目的は人脈構築とか政治のためとかになんのかな? くのいちは江戸時代において女を意味する隠語でした。ですが書籍において使われることはあまりありませんでした。また「くのいちの術」というのがあり、これは女性を使って男性が行けない場所等に物を運んだり、人を誘導する際の術とのことです。 映画や漫画に登場する女忍者の「くノ一」については、「女忍者を最初に配下に置いたのは武田信玄と言われている」と解説。
その一方で、「忍者が活躍した時代に女忍者の存在に言及した記録がなく、そもそも女性の忍者は実在しなかったという説もある」と指摘している。 人がぽこじゃが死ぬ時代に、女に危険な事をやらせるとは思えない 信玄さんの目の前にカワイイ男の子と女の子がいたとして
どちらを手元に置きどちらに危険な仕事をさせるかよく考えるのだ! 人がぽこじゃか死ね時代だからこそありそうだけど例えば大名の下へ暗殺目的で女を送るのは至難の技だとは思うw
諜報目的で帰蝶がそうだったらしいけど夫婦仲は良かったと云うしな まあ女を忍者にするような権限あるなら、産むマシーンにして毎年子供仕込んだ方がいい 戦場に女連れ込めないから男娼を普通に連れてたって時代だし
ぶっちゃけそいつらのほうが暗殺には向いてるわな 公儀御庭番とか移動先が夫婦でないと不自然なことも有っただろうし鎖帷子は着ないにしてもそういう役目の女は居たは居たんじゃw 信玄の話はいわゆる「歩き巫女」を情報収集に使ったとかいう伝説だな
瞽女とか飯炊き女とかはどこにでもいたからそういうのをくノ一扱いにしたいと思えばそうなる
ただ実際の戦国の忍者って結局野伏の類らしいから女忍者は無理があるよな >>96
やはり戦場にも女を連れてく家康は格が違った >>101
戦場に女連れはさいつよの証だよな
シナ史上最強の項羽も常に愛人連れてたしの >>105
乳首っていうか乳輪が作り物みたいなのがいくつかおるw >>16
21世紀でも未届の新規戸籍の人がいるのに
何いっとんのだお前は 現代と言っても社会的弱者の最たるものを引き合いに出す意味無し
宮本さんは剣術では誰にも相手にされず侍として仕官もままならず島原の乱の虐殺側で反撃負傷する有様
死後弟子があんまり大げさに有る事無い事書くから史料の信憑性も低い評価という 士籍は当時の国を跨いでも元士分でも判る様になってたからなw >>105
1枚目みたいなマスクしてたら呼吸できないよね 井伊直虎(♀)の尼姿を見たらわかる
上杉謙信の上半身やんか!
謙信は尼のまま出陣したんや! 上杉謙信は身長185cmあったみたいだから男でも当時でそんなでかいのはいなかったでしょ 武蔵の場合は養子二人を仕官させて自分は絵画とか描く楽隠居生活だから柳生石舟斎と同じように大坂の陣以降は明らかに自分が仕官する気が無いよ
20世紀までに言われていた豊臣方についてたから云々も21世紀になってから大坂の陣はどういう経緯か分からんが水野勝成の息子付の東軍で参戦の資料がでたし
関ヶ原のころは九州で黒田家配下で参戦してた可能性高いからこれも一応東軍側だし >>120
下駄はかせすぎだな、昔の作りだとそこら辺に頭ぶつけて大変 真田信幸は残ってる甲冑から190くらいある偉丈夫だったとのことだが >>121
家康に仕官を請われて辞退して代わりに息子を推挙した石舟斎と
したくてもずっとどこにも仕官出来なかった武蔵と一緒にするのはどうかと >>125
20代位までは仕官したい気はあっただろうけど一番初めの養子を仕官させたのは大坂の陣以後で武蔵は30代後半
この年齢だと当時の価値観だと壮齢の年齢なので若い養子を貰って仕官という形にさせてる
そして仕官させた養子の藩で暮らしたりその縁故で他の藩に自由に旅したり体面的には宮本家の家督は養子に譲って自分は隠居という形だよ、一人目の三木の介が死んで二人目の伊織の時も同じパターン 載ってる史料が一次史料じゃないからデマ、ってのはニワカオタクの発想だから注意だ 元になった逸話は、争うところは弓矢にありて糧にあらずと
塩留めには参加せず値上げもしないよう商人に言っておく、というもの
無償で塩を贈った話でも高値で暴利を貪った話でもない
元からあった流通を維持させただけ そりゃよく売れただろうねぇ
ついでに言うと他国でよく売れるからと馬鹿みたいに売らせてると自国で不足しかねない
他国に売るのを値上げさせなければ国内で不足して値上がりしたとき
自然と必要以上に流出するのを防ぐ効果があった事だろう
逸話が実話だったとしてもそこまで考えてたか知らんけどw 完全な作り話じゃなくて当たらずと雖も遠からずって感じか >>48
あっあのっ!今日は稽古に付き合ってくださうおおおりゃあああああああああ!!!!!!!!! >>134
同時代に直虎とかが普通にいるから違和感が別に 謙信<ここに居ったか餓鬼が!
ガキーン!ガキーン!(信玄が団扇みたいなやつで謙信の太刀を弾く音 川中島の戦いはどちらが乙女か雌雄を決する場であった!? 外語大出のヒトが川中島は小競り合いだけで一度も大規模戦闘は無い説も有ると言ってたなw >>137
どっちかというと粘着しとったのお前の方ちゃうん? >>136
他板で教えて貰ったけど「井伊直虎」という名前の人物は男で確定らしいよ
ただ詳細は不明で上とは別人だけど女城主が一時存在したのは事実らしい 女子の名前に子が流行ったのは明治末期から昭和の頃で
いなかったわけじゃないけど女性名で子が使われるのがあんまり一般的な時代じゃない気が
もっと前の時代だと偉い人が使ってたし と、巴です…(モジモジ)
戦う以外は、何も出来ません…(モジモジ)
うおおおおおおりゃあああああああああああ!!!!!!!!!
よ、弱すぎて敵兵がもげてしまった…デス >>113
そうは言っても公的機関に所属してて戸籍が無いとかありえんやろ 当時に戸籍なんてものは無い
武士なんてコロコロ名前変えやがって大名にまでなった者でも
最近の研究で年齢が違うと分かったとかあるやろ
佐々木小次郎に関して言えば多分こいつって奴は分かってるんじゃないっけ
本当に決闘したかどこまで本当かは知らんけど 645年の大化の改新時に戸籍管理は制度化されてる
制定されたのは近代からだと言ってる人はたぶん戸籍法と勘違いしとる その戸籍がずっと機能してたと思うならもっと良く調べるが良い 権力者変わる節目なんかで既存制度から変更してるだけで
管理制度自体は徴税のために続けとるぞ
ただ戸籍という名称は使ってないというだけ 問題の宮本武蔵がいた時代だと
幕府による管理、寺社仏閣による管理、奉行所による管理と多重管理されとる時代やな
勿論存在しない人間ってのは何時の時代でも色々な意味で必要なんで意図して記載されてない人もいたやろうけど
果たし合いが成立する武士階級でそんな扱いのはそうそうおらんやろ >>145
小野妹子>女と間違えられていちいちネタにされる意味がわからないよな 諱では結構みんな子が付いてたような、知らんけどw
女性名と言うと花の名前とかが一般的だけど元々それは仮名、通名だったはずだし 川中島で5回もバトったね
でも気づいたんだ俺たちはズッ友 今やってるFGOイベかと思った…
当時の作家にも◯◯と✕✕何時も戦ってんな…せや!片方女の子にしたら受けるやろなwとか書いてるヤツ絶対おるやろ!
武田攻め勢(風林火山)vs上杉攻め勢(車懸り)でどちらが受けになるかで何時も揉めてんだ…(川中島) 信玄が、謙信とは素直になれなくて後悔してる様な意味合いの遺言を残してる史料もあるな(嘘は言ってない 4回目の川中島が無ければもっと勢力拡大出来たのになって事やろうなぁ 上杉謙信は美形扱いされてるから女だったら美女だったのかな 謙信は武田と仲良くして西に進んだほうがよさそうやったね なんか貰った関東管領の肩書をどう扱うつもりだったかはともかく、信州上野荒らす武田信玄を討たんと名分立たんかったんよ 関東管領で喜んでる怪しさを信長には見透かされていたとか
だから信玄だけでなく謙信にも相当気を遣ってんだよね 戦で殴り合ったら負けるって分かってて徹底して避けようとしてた(避けれてない)のも信長の非凡なところだとは思う うはw桶狭間wした後は武田勢と上杉勢がわちゃわちゃしてるところを両方にこっちくるなよ…くるなよ!って気を使ってたからなw 武田って甲斐信濃とそこまで良い立地じゃないのに上杉北条今川に囲まれてるとかキツ過ぎんかねw 北条も今川も侵略方向が武田と被らなったから三国同盟結ぶ意義があった >>165
顔白くすりゃ梅沢富美男でも美人になれるんや… これは本からの受け売りだけど信玄の悪い所は居城を移さなかったところだそうな
滲みったれた躑躅ヶ崎に屁張り付いてた迄書かれとるw
大阪城の計画は信長の案だし周りが強いからってのは天下の覇権を握るのに関係ないんだろう ミスった
守護戦国大名は地元支配を強めて年貢を収入源に勢力を維持してたからおいそれと本拠地を動かせない
信長の画期的なところは商業、流通を活発化させて銭で配下や兵隊を養うことで拠点移動を容易にしたんよ 言われてみれば自主的に本拠地移したの
信長秀吉以外知らん 信長がポンポン拠点変え過ぎ感あるが規模が変わりすぎてるからまあってところある 信長は合理的な経営者だからなw
最終的には京に近き土地ってのは念頭にあったろうけど天子様をどう見ていたのかの部分は相当怪しい
秀吉は天子様を表面上は敬い利用するはしたけど蔑ろにする気は皆無だった 拠点が日本の真中辺りにあったのも良かったな
江戸とかあの時代はど田舎だったからな… 信長の祖父の時代から貿易、商業都市としての津島を支配していたのが強い ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています