【戦後最悪の世代】氷河期世代はクソ! Part3
80年周期によると日本をダメにして破滅に導く世代に該当する
この世代は無意味な戦争を引き起こし国を破綻させた1883〜1900年生まれの失われた世代に似ている、日本を敗戦に導き国を破綻させた旧日本軍の上層部に酷似しているのだ
独立心は高いが、氷河期世代の会社経営者や上司は見事にクズ揃いであり、自己中心的で私利私欲の塊でしかない
いずれは若者からも老人からも叩かれるようになるだろう
・氷河期世代の特徴、発言
社畜精神全開、既に破綻しつつある新自由主義を支持している
実業よりも虚業、金儲けさえできれば何をしてもいい(ライブドアがその例)
労働集約型の非効率なビジネスモデルが好き、設備導入や投資に消極的で人海戦術が好き、楽して金を稼ぐことは悪だと考えている
俺たちは厳しい時代を生きてきたんだからお前も苦労しろ
戦略性がない、空気や感情で意志決定をする、精神論や根性論で乗り切ろうとする
他人に厳しく自分に甘い
傲慢で自分の優位性を主張したがる、過去の経歴を自慢する、所謂意識高い系が多い
他人を蹴落とす、部下をパワハラで潰す
冷淡で協調性がないのに他人には必要以上に協調性を求める、異常に忠誠心を求めるが思いやりがない
競争心だけは強いが実力が伴っていない
ボランティア精神がない
性格異常者、サイコパスが多い、自分の利益のために他人を犠牲にする
成功者を異常に妬み引きずりおろそうとする
団塊世代、バブル世代、ゆとり世代など他の世代を叩いて、氷河期世代の優位性を主張する
ブラック企業を批判する人を矛盾した持論や自己責任論で叩く
自己責任論を主張するのに自分が弱者になると助けを求める
閉鎖的、排他的、不寛容、ワンマンで柔軟な思想を排除
人間関係が狭い、自分が欲している人としか関わらない
恋愛すると恋人以外の人間に異常に冷たくなる
公衆の面前でヘイトスピーチデモをする
氷河期世代の馬鹿ベンチャー社長
bizmakoto.jp/makoto/articles/1012/10/news007.html
とにかく氷河期世代とは関わらない、採用しない、褒めない、出世させない、起業させないことです
新自由主義に汚染された氷河期世代を締め出して、新しい社会を作っていこう 駅トイレのクリーナーに『尿』混入…44歳男を業務妨害の疑いで逮捕・送検「ストレス発散…達成感あった」阪神電鉄「甲子園」「元町」など7駅で被害確認
駅のトイレにある便座クリーナーの液に12回にわたり尿のようなものを混ぜたとして、大阪市西区に住む44歳の男が逮捕・送検されました。
警察によりますと、大阪市西区に住む44歳の男は、2021年3月〜2022年10月までの間に大阪市内などの駅の男子トイレにある便座クリーナーの液に12回にわたり尿のようなものを混ぜた偽計業務妨害の疑いが持たれています。
尿のようなものの混入が確認されたのは阪神電鉄「西九条駅」「九条駅」「元町駅」、「出来島駅」、「甲子園駅」、大阪メトロ「ドーム前千代崎駅」「玉川駅」の7駅だということで、男は「ストレス発散のためにやった」「達成感があった」と容疑を認めているということです。
今のところ直接的な健康被害は確認されていないということです。
12件の犯行のうち、すでに5件については起訴されたということです。 牧場で同僚のペルー人男性を農業用フォークで殴る…ベネズエラ人の牧場作業員の男を逮捕 北海道新冠町
11日午後、北海道新冠町の牧場で、農業用フォークで同僚のペルー人男性の頭を殴ってけがをさせた疑いで、ベネズエラ人の牧場作業員の男が逮捕されました。
傷害の疑いで逮捕されたのは、北海道新冠町に住むベネズエラ人で、牧場作業員の44歳の男です。
男は、11日午後、牧場内で同僚の53歳のペルー人男性の頭を農業用フォークで殴り、けがをさせた疑いが持たれています。
ペルー人男性は、頭に全治10日のけがをしました。
警察によりますと、2人は仕事をめぐってトラブルになり、ベネズエラ人の男が激昂して農業用フォークでペルー人男性を殴りました。
その後、ペルー人男性は、別の同僚の運転する車で、近くのコンビニに駆け込み、警察への通報を依頼。駆け付けた警察官が、ベネズエラ人の男に話を聴いたところ、容疑が固まったため、警察は男を逮捕しました。
調べに対し、男は容疑を認めているということです。 【就職氷河期】優先的に採用も?企業に頼りすぎはアリ?夏野剛&ロスジェネ世代の代弁者と考える
tps://youtu.be/VPvgBEvI-0Q >>40
クソ老害の採用は一切考えない。死亡するのみ >>40
クソ老害の採用は一切考えない。死亡するのみ >>40
クソ老害の採用は一切考えない。死亡するのみ 別に若者が年寄りとは異質な独自の価値観を持ってるってわけじゃないからな。
根っこにあるものは一緒で薄まってたりするんだろうが
繋がってたり繋がってなかったりするところもあって
年寄りに合わせてたり違和感があったり色々複雑なんだろう。 ネットにないのは当たり前かもしれんが世の中から説教ってのがなくなった気がする。
あれもやられてそんなに気持ちのいいものではなかったが
言ってる内容よりそれをやってる人間の背景を受け入れていくみたいなところはあった。
それをやられるのを当たり前に育ったがやる側に立つ年になった時に
もうできない社会状況になってしまった。
やりたくてもできんし若いのも受け入れることができなかったりするだろうし
自分の経験に基づく身についた知恵を下の世代に伝えるってことは
難しくなっていくんだろうな。 昔は無理に無理を重ねて自分を強くしていったんだろうが
今はもうそういうことができる時代じゃなくなってる。
もちろんそれをやって勝ち上がってる勝ち組も多いんだろうが
社会から大らかさや無駄や小さな悪を抱え込む余裕がなくなり、
自分の苦しさの持っていき場がなくなったことで簡単に絶望したり投げ出したり
面倒なことを避けようとしたりするようになったので、
まず自分を確かめて安定させないと先に進めないんだろう。
また否定を殊更排除しようという心理もそういう逃げ癖を加速させることに繋がっていく。
根性論に耐えられる人間はいなくなったんだからアプローチも柔軟に変えていくんだが
行きつく道時代にはそんなに変化はない。
とは言えそれは問題の一部で大抵の人は特に意識することなく
普通の生活が送れているので人間の本質自体がそんなに大きく揺らぐことはなくて
過剰に世を憂う必要もないのかもしれん。 この辺の思想も子供の頃の昭和の厳しさが残っていた
学校に通っていた経験がベースにはなっていると思う。
恐い先生は一杯いたしみんな恐がってた。
そういう枠組みが段々崩れていって高校の頃はかなり緩くなってきていて先生を舐めるようになり、
学校って行く必要がないんだ、って気づいた途端生活からハリがなくなったりしてた。
そこから一時は学級崩壊みたいな流れになりこれからどうなるんだと思ったら、
最近はやけにおとなしくなってきたり。
これももう戻ることはないので今後の教育ってもんの見通しはつかないが、
数字上の知能レベルはそんなには下がってないようだし
それなりに機能はしてるんだろうが詰め込み教育とか通用しなくなって
遊びに近づいていくのかもしれん。
だから一般国民が共有している基本的な教養の幅が狭くなっていって
通じる人と通じない人に分かれるんだろうな。
こんなことをいくら言っても自分だっていきなり厳しい大人になれるわけじゃないし
土台無理な話なんで時代の流れに沿いながら、
まあネットって言う凄いものが生まれたのでそこまで悲観的にばかりなることもないかもしれん。
厳しさのない世界で強くなるのは難しいって話。
でももうそういうものが要らない世の中になったんだから自分で自分に厳しくなるしかないと。
難しいと思うわ。
それに厳しく躾けられてないにもかかわらず善悪の判断はできるみたいなので
じゃあいらないかって話にはなるわな。 基本は大人になるってことだからな。
大人として持つもの持った上で楽しみ許しあいそれでもやるべきことの
けじめはつけながら平和にやっていく。
このやるべきことのけじめっていうのも責任や厳しさとも関わってくるよな。
過剰なものを人に押し付けることはできないが立場によって
ある程度のやるべきことは自覚させる必要がある。それは自分にも言える。
それがなければ家庭にしろ仕事にしろどんな組織も長続きしない。
ただそれもあんまり過敏になりすぎると違う問題が起こったりもするので
基本は相手の自主性に任せながらもお互いの役割はある程度明らかにしておく。
これをやる為に必要なもの。やっぱり怒りだと思う。厳しさの根源は結局怒りなんだな。
だけど常に怒ってたら関係なんて続かないからいざという時の為に持っておいて
暴発しないように自分の中でコントロールする。
これはアンガーマネジメントなどというものとは質の違う話。 自分を押し出すエンジンが悪意で人の心に土足で踏み込むってことだから。
だから悪意って言うのは善意の反対ではないんじゃないかとか。
人間にとって必要不可欠なもので制御できないことが問題なんじゃないかと。
だから人を傷つけるっていうのも本来は普通に起こることなんだが
日本人は元々これがあまりできない民族ではあったが
最近はさらにこれを極度におそれる風潮にはなっている。
する必要がないって言えばそうかもしれんが最近怒ってる人ってほとんどみないよな。
元々何かを奪いたい、勝ちたい、叩きのめしたいみたいな本能が備わっていて
本能の肯定が強さにつながるから自分の欲望を肯定していくっていう作業が必要なのかもしれん。
強さとは自分の中の悪を肯定することだと。 自分の心をそのまま見る。
心を見失って見えないのならその見えない感じをまず見る。
無理してるのなら無理している感じを
苦しいのが嫌ならその嫌な感じを見ていく。
何らかの形で処理されていく。
心をこねくり回さないこと。