東京都新宿区出身。1954年9月21日、毎日新聞の記者であった安倍晋太郎と妻洋子の次男として生まれる。弟の信夫は養子に出されたため末子として育つ。本籍地は山口県大津郡油谷町(現長門市)。父方の祖父は衆議院議員の安倍寛、母方の祖父は後の首相岸信介で[3]、大叔父には元首相の佐藤栄作、叔父には日本興業銀行の頭取を務めた西村正雄がいる[4]。一家は渋谷区南平台町の岸の自宅で、岸と同居した[5]。

1958年5月、父の安倍晋太郎が第28回衆議院議員総選挙に立候補し初当選した。幼いころは野球選手や、テレビを見て刑事になることに憧れていた[6]。

学生時代
成蹊小学校3年生の1963年11月、父の晋太郎が落選。このため両親は東京を離れ、選挙区の山口県にいることが多くなった[7]。安倍家は寛信と晋三に家庭教師をつけることとした。翌1964年に東京大学駒場キャンパスで「子ども2人を週3回教えて9千円、食事つき」とのアルバイトの募集を見つけたのが、当時東大駒場寮に住んでいた平沢勝栄だった。平沢は「駒場東大前駅からひと駅で、しかも食事つき。駒場寮の食事はマズかったから、これはいいぞ」と思い、面接を受け、採用された。小学5年生まで2年間、晋三を教えた[5][8]。

成蹊中学校・高等学校卒業。高校では地理研究部に所属した[9]。成蹊大学法学部政治学科に進み、佐藤竺教授のゼミに所属して行政学を学ぶ[注釈 1]。アーチェリー部に所属し、準レギュラーだった[11]。大学へは中古のアルファロメオで通った[12]。

1977年3月、成蹊大学卒業[13]。同年春に渡米し、カリフォルニア州ヘイワードの英語学校に通うが、日本人ばかりで勉強に障害があると判断して通学を止め、イタリア系米国人の家に下宿しながらロングビーチの語学学校に通った[14]。1978年1月から春季・夏季・秋季と1年間、南カリフォルニア大学に留学しており[15][注釈 2]、政治学の専攻ではなく講座に通学していた。ただし在籍はしたものの学士の資格は得ていない。首相として訪米中に同大学を訪問している[16]。

会社員時代
1979年4月に帰国し、神戸製鋼所に入社。本社輸出部に配属される[17]。1980年5月から1981年1月まで加古川製鉄所の工程部工程課に配属された。営業担当が受けた注文の工程管理を担った[18]。そのほか、ニューヨーク事務所、東京本社などで勤務した[19]。