【川崎】Jリーグ中継を語るスレ【横浜M】
1993年、Jリーグが開幕。その頃は毎節地上波での中継が必ずあった。
しかし、人気が低迷しだしたのと同時期に地上波での中継が減り、BSやCSでの放送がメインとなった。
そして、2002年以降は、フジとテレ朝ではリーグ戦の中継自体やらなくなってしまった。
現在では地上波(関東)では生中継がNHKとTBSが不定期で土日の昼間、日テレが深夜に緑メインの試合を放送する程度。
そんな毎節放送していた頃のJリーグ中継を語ってみましょう。
1994年1stの関東での放送
第1節
川崎(現:東京V)VS平塚(現:湘南) 19:00日テレ
第2節
鹿島VS川崎 19:00テレ朝
第3節
鹿島VS横浜M 19:00テレ東
第4節
川崎VS横浜M 19:00日テレ
第5節
清水VS川崎 19:00フジ
第6節
市原VS川崎 15:00?テレ朝
第7節
広島VS川崎 19:00フジ
ごめん、3節は川崎VS磐田だった。
第8節
名古屋VS川崎 15:00NHK
第11節
浦和VS川崎 19:00テレ東
第12節
川崎VS鹿島 19:00日テレ
第14節
清水VS鹿島 14:00テレ東
横浜MVS川崎 19:00TBS
第15節
横浜FVS大阪(現:G大阪) 14:00テレ朝
川崎VS清水 19:00日テレ
第16節
広島VS鹿島 14:00テレ朝
川崎VS市原 19:00日テレ
第17節
横浜MVS市原 19:00TBS
川崎VS広島 25:10日テレ
第18節
川崎VS名古屋 19:00フジ
第19節
名古屋VS横浜M 14:00テレ朝
大阪VS川崎 19:00テレ朝
第20節
広島VS市原 19:00フジ
横浜MVS大阪 25:25TBS
川崎VS横浜F 26:30フジ(本来は、このカードが19:00からの予定であった)
第21節
清水VS大阪 14:00テレ朝
川崎VS浦和 19:00日テレ
磐田VS広島 19:00テレ朝(セーラームーン、スラムダンク、暴れん坊将軍を急遽休止して放送。広島優勝決定試合)
横浜MVS横浜F 25:25TBS
第22節
平塚VS川崎 19:00テレ東 歴代視聴率
1 プロサッカーJリーグ・開幕戦 ヴェルディ川崎×横浜マリノス 1993年5月15日(土) 19:27 123 NHK総合 32.4
2 Jリーグ中継 清水エスパルス×ヴェルディ川崎 1993年12月1日(水) 19:00 124 フジテレビ 30.8
3 Jリーグチャンピオンシップ第2戦 ヴェルディ川崎×鹿島アントラーズ 1994年1月16日(日) 12:50 155 日本テレビ 25.3
4 Jリーグ・第2ステージ中継 ヴェルディ川崎×横浜マリノス 1993年11月10日(水) 19:00 134 日本テレビ 25.1
5 Jリーグ・第2ステージ中継 ヴェルディ川崎×浦和レッズ 1993年12月8日(水) 19:00 134 日本テレビ 24.8
6 サッカーJリーグチャンピオンシップ第1戦 鹿島アントラーズ×ヴェルディ川崎 1994年1月9日(日) 13:00 134 テレビ東京 24.1
7 Jリーグ 清水エスパルス×ヴェルディ川崎 1994年3月26日(土) 19:02 122 フジテレビ 22.0
8 プロサッカーJリーグ・第1ステージ ヴェルディ川崎×鹿島アントラーズ 1993年5月26日(水) 19:00 134 日本テレビ 21.5
9 サッカーJリーグ ヴェルディ川崎×ベルマーレ平塚 1994年3月12日(土) 19:00 124 日本テレビ 21.0
10 Jリーグ ヴェルディ川崎×鹿島アントラーズ 1993年8月4日(水) 19:00 124 フジテレビ 19.9
11 Jリーグ 横浜マリノス×ヴェルディ川崎 1993年6月19日(土) 19:00 124 フジテレビ 19.6
12 Jリーグ 鹿島アントラーズ×ヴェルディ川崎 1994年3月16日(水) 19:00 139 テレビ朝日 18.6
13 サッカーJリーグ ヴェルディ川崎×ジュビロ磐田 1994年3月19日(土) 19:00 119 テレビ東京 18.3
14 '93Jリーグオールスターサッカー JリーグEAST×JリーグWEST 1993年7月17日(土) 19:03 111 テレビ朝日 18.2
15 '93Jリーグ 名古屋グランパス×ヴェルディ川崎 1993年6月9日(水) 19:00 124 テレビ東京 18.1
15 '93Jリーグ 横浜マリノス×ヴェルディ川崎 1993年7月24日(土) 18:30 144 テレビ東京 18.1
あの頃から2ちゃんあったら浦和は叩かれまくってたな。 当時の各局の主力サッカー実況アナウンサー
NHK:山本 浩、野瀬正夫、栗田晴行、沖谷 昇、野地俊二、秋山浩志
NTV:舛方勝宏、芦沢俊美、今井伊左男
TBS:松下賢次
CX:野崎昌一
EX:森下桂吉、田畑祐一
TX:金子勝彦、久保田光彦 >>7
テレ朝の森下アナは日韓ワールドカップの日本対チュニジア戦の実況もやってたな。 >>5
テレ東もサッカー中継すれば神
当時2ちゃんあったらそう呼ばれていただろう。
>>8
家に残ってる地上波のビデオだと角ちゃんだからBSデジタルの方やったのかな?
ちなみ解説は松木とセルジオでピッチが堀池と今でも変わらない面子だ。
あと角ちゃんの実況も5年たった今でも…これは大問題だけど。
ちなみに田畑は何やっていたんだろうか?BSのピッチレポーターか? フジテレビで忘れてた。
野崎昌一の他に陣内 誠も主力実況アナで頑張っていた。
あと、テレビ静岡で渡辺雅彦を忘れてはいけない。 主な主催試合
NHK:ランダム
日テレ:ヴェルディ川崎
TBS:横浜マリノス
CX:清水エスパルス、鹿島アントラーズ
テレ朝:鹿島アントラーズ、横浜フリューゲルス
テレ東:浦和レッズ、ヴェルディ川崎、ベルマーレ平塚など お願いがあります。
公式サイトhttp://www.zen-pictures.net/index02.html
の『ランキング』でアニカに投票をお願いします。
なんとか里子ピンを1位にさせたいんです、お願いします。 >>12
NHK・日テレ・TBS・フジ辺りは今でも多少その傾向あるな
昔NHKが中継で中田英やカズ専用のカメラを用意した企画あったよね? >>15
リーグ戦はやってないけどナビスコでは鹿島戦多かったし、
清水は系列のテレビ静岡で中継が多いからそんな感じがした。 >>3-4
↓も追加で
第6節
横浜MVS清水 19:00テレ東
第13節
磐田VS川崎 19:00TBS フジテレビが今でも鹿島や清水の主催試合中継してたらこの前の鹿島対浦和戦あたり深夜に放送していただろうな。
しかも、日テレはヴェルディ戦は等々力メインの試合を中心にやっていたが、当時はHTV製作でビックアーチの広島対川崎の試合も放送していた。 テレ東のデーゲームの放送は事実上録画放送だった。
試合開始は15時だけどテレ東は土曜競馬を放送している関係で放送開始は16時からだった。
CMで一部編集されており、前半終わってCM→CM明けに今から後半が始まるというとこから始まっていた。
浦和戦は今ではTBSがメイン中継しているが、1996年頃までは浦和戦のホームはテレ東が多かった。
そのテレ東も1998年は鹿島の開幕戦とか中継していたが、1999年以降はFC東京主催試合ばかりを放送するようになり、いつの間にかJリーグ自体やらなくなってしまった。
FC東京主催試合は一時期TBSも放送してたが、現在は東京MXしか主催試合を放送しなくなった。 >>20
テレ東は三菱時代に応援番組やっていたらしいね フジテレビのリーグ戦最後の中継は新カシマサッカースタジアムの苔落とし試合だったと思う。
試合開始は16時だが既に土曜夕方のニュースが17時30分からだったので深夜放送だった。
テレ朝の中継もエコパの磐田対鹿島が最後の中継だったと思う。
テレ朝は大体14時開始の試合を中継していたので土ワイ再放送の後のスペシャル枠でやっていた。
テレ東の件だが、ナイトゲームが土曜日によく組まれていたのは土曜スペシャルがあったためだと思う。
テレ朝も当時水曜日が特番枠だったため、水曜日の試合は結構放送していた。 CSやオールスターなどを除けば、2002年8月31日の「仙台×鹿島」(TBS系)が
地上波ゴールデン全国ネットの最後の試合だと記憶しているんだけど。
もうJリーグの数字は落ちていたのに謎だったが…。ワールドカップ後で
期待したのかね。上手くいけばJがテレビでまた気軽に見られたかもしれない。
結果は大惨敗だったようで…CSもないし地上波ゴールデンはもう無理だろうね。 >>23
今や巨人戦中継ですら視聴率10%取るのがギリギリなくらいのレベルだからゴールデンでJやっても5%も取れない。
当時のテレ東ゴールデンはJリーグ中継がドル箱番組だった。
Jブームだった当時、テレ東はまだアニメにはあまり力を入れてなくてゴールデンは木曜日のジャングルの王者ターちゃんの1本しかなく、他は平日18時台に並べていたくらい。
Jリーグのために犠牲になった番組はいい旅や土スペなど、旅番組などだった。
今もしもテレ東水曜日ゴールデンで中継してたら子供やジジババから多数のクレームが来るだろうな。 今や地上波ゴールデンでサッカー中継は日本代表戦などしか視聴率が取れない。
ヴェルディもJ2落ちしちゃったし、FC東京主催もローカル格下げしちゃった。
NHKもTBSも今年は地上波中継数去年より減ってる。
デーゲームの時間帯もスペシャル番組や2時間ドラマの再放送やってたほうがJ中継するより視聴率取れるから数年後には完全にBSかスカパーのJスポーツぐらいしかJを見れなくなるかも。 >>17
テレ朝の場合は最大21:44までだったから下手すればPKサドンデスに入ると決着つく前に放送終了になってしまったこともあった。 >>20
テレ東は3年くらい前まで瓦斯戦深夜にやってたな。
一応テレ東はFC東京に出資していたから。 最後の地上波ゴールデンのJリーグ中継は04年の浦和と横浜のチャンピオンシップ。
広島もテレビでは民放が撤退してしまった。
ラジオではRCCが年1回程度放送するが。 94年2nd
第1節 清水−横浜F 19:00フジ
横浜M−浦和 25:25 TBS
川崎−平塚 25:10日テレ
第2節 鹿島−川崎 19:00テレ朝
第3節 横浜M−鹿島 19:00TBS
川崎−磐田 25:10日テレ
第4節 川崎−横浜M 19:00日テレ(24HTV内で放送)
第5節 清水−川崎 19:00フジ
第6節 横浜M−清水 19:00TBS
川崎−市原 25:10日テレ
第7節 広島−川崎 19:00日テレ
第8節 名古屋−川崎 19:00テレ朝
横浜M−磐田 25:25TBS
第9節 市原−磐田 12:30テレ東
川崎−大阪 15:00日テレ
鹿島−横浜F 19:00テレ東 第10節 横浜F−川崎 19:00テレ東
第11節 磐田−広島 14:00テレ朝
第12節 川崎−鹿島 19:00日テレ
第13節 鹿島−横浜M 19:00テレ東
第14節 横浜M−川崎 15:00TBS
清水−鹿島 19:00フジ
第15節 川崎−清水 19:00日テレ
第16節 名古屋−平塚 16:00テレ東
市原−川崎 19:00テレ朝
第17節 磐田−清水 19:00TBS
横浜M−市原 25:25TBS
川崎−広島 25:25日テレ
第18節 市原−清水 15:00NHK
川崎−名古屋 19:00フジ 第19節 大阪−川崎 19:00テレ朝
第20節 浦和−鹿島 16:00テレ東
川崎−横浜F 19:00日テレ
横浜M−大阪 25:25TBS
第21節 川崎−浦和 19:00テレ東(優勝決定試合)
横浜M−横浜F 25:25TBS
第22節 平塚−川崎 16:00テレ東 地上波で1節で3試合も楽しめた。
そんな時代もあったと。
今じゃ地上波で1節で中継あるかないかだな。
KBSはホームアウエー問わず京都戦やってるらしいけど。 しかしTBSは昔から野球もサッカーも横浜戦にこだわってたんだな。 95年は2ndステージ、3節分、関東では地上波中継がなかった 東京ローカルのMXテレビでFC東京戦をやってくれるのはありがたい
地上波でのんびりJが見れるのは今はここだな MXのJ最初の試合は95年最終節の柏対桜大阪
瓦斯戦ホームはTBSやテレ東でも放送していた時期もあった。 浦和は昔はテレ東が多かった。
テレ東が瓦斯戦メインになってから、鹿島などの人気クラブはTBSが中継するようになった。
大宮とかの埼玉ダービーはテレ玉が中継することが多い。 もし昔のような放送システムだったら、大宮あたりは
どこが優先的にやるだろう?
ちなみに川崎はテレ朝系(昔、旧川崎ダービーを深夜にやってた)
甲府は日テレ系(メインスポンサーが山梨放送)だろうな。 初期の解説者
西野朗、田中孝司、セルジオ越後、細谷一郎、金田喜稔、岡田武史、
松本育夫、川添孝一、前田秀樹、奥寺康彦、尾崎加寿夫、マリーニョ >>42
水曜のナイターならTBSが野球(横浜対巨人とか)やってる裏で新潟(BSN)だけアルビレックス戦中継、とかやりそう >>44
テレ東
ドーハのイラク戦も解説してたし、ダイナミックサッカーとかも
J1第14節「新潟対神戸」
※UX新潟テレビ21で9日(土)午後3時から生中継
解説:城 彰二 実況:村山朋彦
J2第20節「東京V対仙台」
※日テレで9日(土)深夜3時20分から録画中継
解説:北澤 豪 実況:寺島淳司
J2第20節「京都対山形」
※KBS京都で9日(土)午後7時から録画中継
解説:野口裕司 実況:竹内弘一
※NHK京都放送局で9日(土)午後4時18分から生中継
鹿島のホーム試合中継が減ったのはフジとテレ朝が中継しなくなったのも影響してる。 TBSは浦和偏向の中継やめろ。
昔みたく横浜FM偏向でやれ。
浦和の中継はテレ東に譲渡せよ。 MBSはガンバ大阪の試合の生中継放送をやってほしい 東海地区・名古屋グランパスの試合は、
意外にも、テレビ愛知・名古屋テレビがよく放送していた。
名古屋テレビは、島崎俊郎司会のグランパス応援番組もやっていた。
東海テレビでは、明石家さんまが司会で応援番組(月一回)もあった。
関係ないが、三重テレビローカルで「JJサッカークラブ」というサッカー番組をやっていたのを
知っている人がいたらすごい。 日テレ東京V戦今年は生中継やるみたいだね。連休に
何年ぶりかな。 地方のファンからするとTBS(関東ローカルのみ)でやってるし
MXTV、テレ玉、千葉テレビ、2部以下も群馬・栃木のU局でやってて
深夜に欧州サッカーも放送してて、どんだけ恵まれてるんだよって感じ
なんだけどな。せめてTBSは全国放送するべきだろ。
J初期にTBS中継で鞠のファンになった身としてはTBSにがんばってほしい。 TBSはレッズに浮気したがな。
レッズは昔テレ東が多く中継してたのに。 まあ地域密着という理念や放映権の一括管理という方針ががある以上
巨人中心の野球と違って今のJは全国ネットでの放送はいろんな意味で難しいというか、無理があるんだろうな 3/08 (土)
13:00 G大阪 vs 千葉 万博 スカパー/e2/
14:00 F東京 vs 神戸 味スタ 東京MX /調布FM
14:00 横浜FM vs 浦和 日産ス TBS(関東) /ニッポン放送
14:00 名古屋 vs 京都 豊田ス NHK−BS1/NHK名古屋/FMとよた/東海ラジオ/FM宇治
15:00 清水 vs 大分 日本平 静岡放送テレビ/静岡放送ラジオ
16:00 鹿島 vs 札幌 カシマ FMかしま/茨城放送ラジオ/FMらむれす
3/09 (日)
14:00 柏 vs 磐田 柏 BS−i/ 浜松FM
14:00 川崎F vs 東京V 等々力 NHK総合 /FM K−city
16:00 大宮 vs 新潟 NACK テレビ埼玉/新潟県民FM/FM−NACK 5
第1節 03/08 (土)
13:00 湘南 vs 仙台 平塚 スカパー!/e2
14:00 愛媛 vs 熊本 ニンスタ NHK松山
14:00 鳥栖 vs 山形 ベアスタ NHK佐賀/NHK山形
03/09 (日)
13:00 水戸 vs C大阪 笠松 NHK水戸*
13:00 草津 vs 広島 群馬陸 群馬テレビ
14:00 甲府 vs 岐阜 小瀬 NHK甲府/NHK岐阜(東海3県)
14:00 徳島 vs 横浜FC 鳴門大塚 NHK徳島
始まるぞ!
旧川崎ダービーが視力検査並みの視聴率だったらしい。
こりゃ今後広域局でのゴールデンタイム中継は厳しいな。 >68
対戦カードの事を考えて書きこんでもらいたい!川崎と東京VがJリーグで現在
人気・実力ともナンバー1を争っているわけではないんだから! 明日はBSしか中継ないのか。
TBSよ、地上波で鹿島対千葉放送しろ! ナショナルダービーあげ
ズムサタでマスコット同士喧嘩してた TBSは、日産スタジアムでの鞠ー緑戦を生中継せよ! 漢祭りのドキュメントを生放送でやれよ!!何処でもいいから!! 15節 7月6日(日)
川崎VS横浜Mをテレビ神奈川で生中継 >>76
TBS「・・・冗談言うなよw」
*4.7% 08/02土 JOMO CUPサッカー2008「Jオールスターズ×Kオールスターズ」 今日の試合、NHKが中継しなかったらフジテレビで中継してたかも TBSラジオ プロ野球とテレビ中継について(2006年10月11日)
http://tbs954.cocolog-nifty.com/st/files/sakasa20061011.mp3 ※まだ聞けます
スポーツ評論家・生島淳
・全国のローカル局からすると視聴率一桁の巨人戦はゴミ。
・各局も10月は特番優先で、巨人戦で数字が取れないと踏んだら中継は困難。
巨人戦の視聴率が10%前後だと、テレ東では合格でも、日テレでは不合格。
日テレは視聴率でTBSに抜かれてしまった。
各局も視聴率の稼ぎ時の10月に低視聴率の巨人戦をやってる場合ではない。
・北海道、福岡などプロ野球中継は地域のためのソフトになってきており、
全国向けにやってきた巨人戦中継は、現在は地域性のない”根無し草”状態。
現在の巨人は“北関東のローカル球団”に近い。東京ドームに来た
栃木、茨城の人が試合途中に帰るケースが相当多い。栃木、茨城、群馬、
千葉ではまだ巨人の人気があるが、中継がないとますます“根無し草”になる。
かといって、コンテンツを全国中継するのがキー局の責任なので、
日テレが関東ローカルだけで巨人戦を流すのは無理。
・今後はCSで巨人戦中継を見る人が増える。MLBのように年間2万円払えば
オンラインで全試合見れるような整備が今後10年くらいで進むはず。
キー局がキラーコンテンツとして巨人戦を流す時代は終焉を迎えつつある。
今は選択肢の多様化もあり、地上波で巨人戦を全国に流す時代じゃない。
・来季の巨人戦中継に関しては日テレではなく読売新聞社が12月から1月頃に決定。
巨人戦中継をやめられない理由は、読売新聞各班の意向や、地方から客を募り、
ホテルに泊まらせ、東京ドームで観戦させ、後楽園遊園地に行かせるという
ビジネスモデルが成功してる読売旅行の意向で、巨人戦はそれらの宣伝媒体で、
視聴率だけを見て中継をやめる訳にもいかない読売グループのジレンマがある。
tvkですら放送されないベイや鞠って一体・・・  ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄ ̄」
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強制ワイセツ東洋大学が、箱根駅伝強行出場で売名
年末にさんま司会でJリーグスーパープレー大賞とかやってたな
レオナルドが受賞してたような気がする 最近は視力検査並の視聴率まで落ちちゃったから、もうゴールデンでの放送は無理か?
野球中継減らした分J中継増やせよ。 衆院選、民主勝利後の最悪シナリオ
民主が国政第一党になる
↓
公明「外国人参政権などの党としての本懐で民主党と一致した」
民主、公明の連立政権成立
↓
国政での外国人参政権が成立
国政選挙で民主、公明、社民更なる躍進
↓
人権擁護法が与党の賛成多数により成立
行政、在日朝鮮人、中国人、宗教法人を批判すると罰せられる様になる
↓
国籍法の更なる緩和
日本国籍と生活保護資格だけ持つ、日本人の血が一滴も入ってない中国人が急増
↓
在日朝鮮系、中国人系の国会議員も出現
親中国の自民議員が民主に寝返る
自民党完全無力化、または解散消滅
↓
日本乗っ取り完了
「民主党の正体」 「ミコスマ」 「韓国は“なぜ”反日か?」で検索 長坂哲夫が実況すれば日本は負けない
スレチだけど過疎ってるし、野球スレでWBCの話題とかも前出たからいいかな。 静岡放送のローカル中継だろ?
全編ローカルセールスのスパモク枠だから可能なだけの話。
KBSやテレ玉とかがやってるローカル中継と同じこと。 戸井(101)番GET。
オトコはやっぱ、せんずり。 人気が落ちたら地上波中継撤退。
プロ野球中継もJリーグ中継も視聴率低迷を理由に撤退せずにそのまま地上波中継続けていたら良かったかも。 巨人盟主主義の反発から1県1チーム的な地域密着で「国民的チーム」がなくなったのが一番かな。
地域密着でもスペインならレアル、イングランドならマンUみたいな立場があるが日本は90年代の鹿島川崎をみんな注目じゃなくなっちゃった。
地域密着脱野球は悪くはなかったがラジカルになりすぎたのは否めない。
弱くて赤字のチーム10個より国民的盟主1個が良かった。 今でも全国中継していたら広島の優勝決定試合はRCC全国ネットでやっていただろうな。 ブーム熱が今でも続いていたらJ2落ちてもヴェルディの試合中継流すんだろうか。 >>106
日テレは深夜でこっそり味スタからの試合を中継してるだろうね。
他局は撤退し、TBSは浦和or横浜FM戦、フジは鹿島or清水戦、テレ朝は柏or川崎F戦、テレ東はF東京戦のホームゲーム中継になる。 結局昨年関東では民放中継ゼロ
ラジオも茨城放送では水戸ホーリーホックの試合中継のみで鹿島アントラーズの試合中継はゼロ このヲヤヂの預金残高、友人、女性経験、人徳 もゼロ と地元ジェフサポとマリーンズファンのスレ終了厨が自己紹介しておりますw 水戸ホーリーホックの話題を出すと、必ず反応するアンチ水戸の横井 揚げ足ばかりとってないでお前も話題を出せや
ジェフ千葉サポーターの横井貴幸 今でも地上波中継やってたら前園あたり解説していただろうな。 横井貴幸はホーリーホック叩きで憂さ晴らしをしている フジの水曜の視聴率が悪いから昔のような
感じなら水曜はJリーグ中継やりまくってたかもな フジ水曜日のナイトマッチの中継は1994年まで。
広島―V川崎(94/4/6)
V川崎―名古屋(94/6/1)
広島―市原(94/6/8)※当初はV川崎―横浜Fの予定
清水―横浜F(94/8/10)←これが現時点で水曜ナイトマッチ最後の中継
1995年はチャンピオンシップのみ、1996年はチャンピオン決定試合のみ。
1997年は鹿島―清水戦を深夜に録画中継したのみ。 >>116
ジェフといえばテレ朝がよく試合していたな
>>120
フジでの川崎主催はまずなかった
野球なら巨人の東京ドームをやるみたいな感じ 今日は川崎製鉄からヴィッセル神戸に改めて新たなスタートを切る予定だった。
初期ヴィッセルには脚→清水でプレーした永島、ミカエル・ラウドルップ、 東洋工業時代に一度は引退した松田、横浜フリューゲルス時代にレゲエ森の控えキーパーだった石末とかがいた。 在広もローカル中継やって無いの?
RCCとかTSSとかはやってそうなんだけど。 ちょっと懐かしいものを
https://www.youtube.com/watch?v=P_2aY59TNoU
ゴーーーーーーーール!とか叫んでる実況のやつは日テレが中継したやつかな。 >>124
2000年代以降は、民放はRCCが年1回やる程度だな。
Jリーグ初期は4局ともやっていたけど。 CS第1戦 7.6%
地上波中継復活には厳しい数字だな。 >>131
RCCでは20%超えたらしい。
関東のクラブが関わらなかったがTBSでも7.6%取れてれば合格だろう。
浦和が絡めばTBSはもっと取れてた。 >>128
HTV制作でNTV系全国ネットで広島-V川崎戦をやったこともありました。 1995年のテレ東Jリーグ中継オープニング
https://www.youtube.com/watch?v=pDXIXbVGm1A
しかもオープニングテーマを歌ってるのはこの時期鬼神童子ZENKIのオープニングテーマを歌ってた影山ヒロノブ >>135
さいたま駒場スタジアムがリニューアルして間もない頃の浦和か。 >>135
また懐かしいモノを。
緑は柱谷哲、浦和は福田が先頭か。 1995/4/15 テレ東Jリーグ中継
https://www.youtube.com/watch?v=avqc5kYXs6U
場所は改修前の大宮公園サッカー場(現・NACK5スタジアム大宮)
当時大宮アルディージャ(1995年当時はNTT関東)はアマチュア >>136
駒スタはこの年の8月にリニューアルオープン
1994年の後半と1995年の前半浦和は駒スタの改修で、大宮公園サッカー場で主催試合を開催(V川崎など人気クラブとの対戦では国立)。
4/15のときはまだ駒スタが工事中だったため大宮開催だった。 >>135
>>138
この頃は人気がいくらか落ちてきたとはいえ、まだ地上波中継は毎節あったな。 何故かTBSは関東のクラブ同士のカードしか放送しない >>142
今年の開幕戦MBS発でG大阪-鹿島を中継してたよ。 関係ないけど
来季は静岡ダービーも復活
TBSチャンネル1や
スカイAとかでは
放送されないとは思うけど >>145
それどころかJリーグがスカパーで放送されるかどうかも決まっていない >>142
昔、TBSの深夜録画放送の際、実況アナウンサーが鹿島レイソルと発言したのは有名な話。
ま、日立サッカー部は実業団クラブ時代、1986年に茨城を本拠地に誘致しようとしたことはあったけど。 土日の昼間もサッカー中継するより2サスの再放送したほうが視聴率取れるから在京民放局全部中継しなくなった。 >>146
今年はスカパー放送ありません。
BS1かBS-TBSの中継に期待するしかない。 >>149
今のところNHKだけだね。全国放送は。
大阪ではローカル中継もまともにやってない ケーブルテレビに加入しているが、残念ながらPPVはeo光の対象外だったし、
昨年までBS1(多くて2試合)、スカイA、J SPORTS、そしてTBSch1、多くて5試合しか
放送できなかった。
Bリーグが、スポナビでのネット配信からサブライセンスしてもらって、
J SPORTS、BS12、GAORA、スカイA、ジータス、日テレニュースと配信していたように、
Jリーグもサブライセンスを認めるべきだろうな 1995年までは毎節地上波中継があった。
1995年2nd第3節で地上波中継消滅。 >>154
その頃は野茂投手が日本人2人目のメジャー挑戦で大リーグとかも注目されはじまった頃だね。
初登板の頃は国内は当時騒がれてた鸚鵡の話題で注目されなかったけど、オールスター出場決定で一気に注目されるようになった。 >>154
1995年は1stシーズンで生中継は消滅しても深夜の録画中継だけは残していたんだよね。
1stステージ8節、11節、21節、22節は深夜の録画中継しか関東地区地上波は組まれていない。 関東広域の地上波は軒並みヴェルディを推してた。
今じゃそのヴェルディもJ2生活。 >>158
手持ちの資料見るとこの時の録画中継は全部TBSでの放送だな。
8節 横浜Mー浦和
11節 横浜Mー柏
21節 横浜Mー平塚
22節 横浜MーC大阪
横浜Mー浦和は同じ時期にやっていた同局のドラマ「セカンド・チャンス」でJリーグ中継を見ているシーンがあってこの試合を流している。
横浜Mー柏戦はあの川口のデビュー戦。 在京メディアはJリーグにも読売ジャイアンツを欲してたんだよね >>161
在京メディアはほぼ読売推し。
野球は巨人。サッカーはヴェルディ。
筆頭株主の日テレは勿論野球は巨人主催。サッカーはヴェルディ主催しかやらなかった。
ただ、ゴールデンの放映権は巨人戦を優先していたため、巨人とヴェルディ主催が同日開催だとヴェルディ主催試合の放映権を他の在京民放に譲渡していた。
巨人戦をほとんど中継しなかったテレ東ですら、日テレが譲渡したヴェルディの主催試合はJバブル時代は積極的に放送していた。 ヴェルディはJの巨人軍にはなれなかった。
元々東京開催を目指していたのに都内で使えるスタジアムは国立競技場だけ。
味の素フィールド西が丘とか江戸川区陸、夢の島陸はキャパが少なくてJリーグ開催に不向き。国立競技場はあくまでも中立地で国立競技場をホームスタジアムにすることは認められなかった。
そのため東京から一番近い川崎市の等々力陸上競技場をホームスタジアムとしていた。
その等々力もJリーグ初期はキャパが1万人ちょっとしか入らずオフシーズン中心に2度も改修工事を行った。
等々力陸上競技場がグランドオープンした1995年にはJリーグ人気に陰りが見えはじめ、翌年1996年シーズンは等々力の試合で1万人割れの試合も出はじめた。
テレビ中継も年々減少し、ヴェルディの等々力末期の頃なんか酷いときは3000人しか入らなかった試合もあった。
2001年に味の素スタジアム完成を機にヴェルディは東京に完全移転。しかしメディアでの扱いはほとんど変わらなかった。日テレがホームゲームを深夜に流す程度だった。 TBSは横浜ベイスターズの主催試合受け持ってた縁もあってマリノス戦よく中継していたね。 プロ野球中継と同じく、ゴールデンタイムの中継も地方局差し替えはあったよ。
1995年11月1日
テレ朝 鹿島アントラーズVS横浜フリューゲルス
メ〜テレ 名古屋グランパスVS清水エスパルス
ABC ガンバ大阪VSヴェルディ川崎
このようになってた。
この鹿島戦はあのレオナルドのリフティングからのゴールがあった試合。 >>165
1998年の開幕戦も関東(TBS)では横浜ダービー(横浜マリノスVS横浜フリューゲルス)を中継していたが、関西(MBS)では違うカード中継していたらしい。
因みにこの横浜ダービーは日産スタジアムのこけら落とし試合でもある。 >>166
MBSは大阪ダービー(G大阪-C大阪@万博)を生中継。 ここって昔のプロ野球中継スレと同様に昔のラ・テ欄貼る人は居ないんでしょうか?
図書館の縮刷版で確認
>>2
1994年3月19日の第3節
テレ朝DG 横浜M-鹿島
1994年3月26日の第5節
テレ東 16:00 市原-鹿島
TBS 深夜 横浜M-磐田 思えば、Jリーグ発足当初は、地上波のテレビ中継がないがないくらい、
頻繁にやってたな。
関西では独立県域のKBS京都が頻繁にサンガがJ1に昇格するまで、
関東を主としたクラブの中継をやってた。
例えば、TVK神奈川は、ヴェルディ戦は日テレが抑えていた都合もあり、
大抵はマリノスとフリューゲルス、さらには茨城県では独立Uがないため、
ケーブルテレビで配信していた事情から、鹿島アントラーズの主催試合もよく放送してた。
フリューゲルスは1995年まで九州が第2本拠地だったため、
TVKと、NCC(長崎文化)、KAB(熊本朝日)、KKB(鹿児島放送)が制作して、
TVKと同時生放送(九州各局は録画中継)というのがあった。
ほかに浦和レッズ主催のテレ玉、ジェフ千葉と柏レイソル主催のチバテレもあったし、
たまに、テレ静制作のエスパルスとか、三重テレ・メーテレ発のグランパス、
広島ホーム制作のサンフレッチェのそれぞれ主催試合もちょっとづつまぶして…。 >>163
そういえば、ヴェルディがJリーグで初代優勝したころ、
等々力のJ1基準化をするとともに、川崎市の臨海部に5-7万人収容の
サッカー専用スタジアムをこしらえようという動きがあったが、
ヴェルディの東京移転騒動で立ち消えになってしまったな。
今のフロンターレにはそういった専用サッカー場を作ろうという動きはないようだが、
等々力サッカー場は陸上スタジアムなので、そこにこだわり続けるのだろうか。
いっそ、富士通スタ(旧川崎球場)を天然芝にして、J1基準を充足する2万人収容の球技スタジアムにしたほうがいいのではと思えるが >>147
そうだな。
元々日立は、茨城県に日立市というのがあって、その企業城下町という印象があるからな。
しかし、茨城県では、鹿島が先に名乗りを上げてしまい、やろうと思えば、
笠松陸上競技場をJリーグ基準を充足することもできたのかもしれないが、
結局断念して、社員のレクリエーション施設がある柏市に5000人ほどのサッカー場をオープンさせた。
それを結局はレイソルの本拠地とすることになったわけだが。 あとそのころの柏。
元米軍基地跡の柏の葉に建設されたニュータウンにある陸上競技場への移転が予定されていた。
しかし、陸上トラックがあるということで、一体感が出せないということ、
交通アクセスが、当時は東武野田線の最寄りが江戸川台で、徒歩30分もかかるということで、
正式な本拠地移転が凍結されて年数回の開催にとどまった。
その後もサポーターの圧力で、柏サッカー場(三協フロンティア柏)の増改築で
柏の葉移転は完全に過去の出来事になってしまった。これのほうが時代的に良かったと思う。
今後、ライセンス充足のためにバックスタンドの改修等が必要であれば、
1-2年ほど暫定本拠地として柏の葉を使わざるを得ないにしても、
サポーターにとっては三協フロンティア柏を使い続けたほうがメリットだな >>163
あともっとひどかったのは、ジェフ市原(千葉移転前)。
当時は、今のゼットエーオリスタになる前の市原臨海スタジアムだが、
Jリーグブームが下火になったころ、1部で2000人も下回ってしまったことがある。
メインスタンドを増築してもらうも、ゴール裏とバックスタンドが鉄骨製で、
いかにも仮設ですよという感じが続いていた。
確か「スーパーサッカーJリーグエキスプレス」(TBS)のハイライトを見たことがあるが、
ゴール裏の広告が、古河電工とJR東日本、およびその関連企業の3-4枚だけしかなかった試合も存在している。今は地元の企業・団体の広告も埋まっていますがね。
2005年にバックスタンドを二層にしたが、これも近くに民家があるという言い訳で、
無理やりスタンドを押し込んでしまった感があって窮屈そうな印象にしかならない。
結局その年の9月にフクアリが完成したために、市原ではJ2基準を満たしているも、
一切開催されなくなってしまった。 >>173
五井駅から遠かったりとサポーターからの不満も多かったみたいだね。
今のフクアリは蘇我から徒歩10分で行けるから便利といえば便利。蘇我駅もジェフカラー一色だしね。
同じような扱い受けてたのは水戸もだな。 1994年4月2日のテレ朝
V川崎-市原
この試合は博多の森陸上競技場
KBCが制作したのかしら。 Jリーグのスレで讀賣新聞ってのがあれだけど一応
>>165
1995/11/01(水)
ttp://i.imgur.com/7pxAmVI.jpg
ttp://i.imgur.com/455z0R6.jpg
市原−C大阪がCTC制作(SUNにネット)
>>168
1994/03/19(土)
ttp://i.imgur.com/EVJbdco.jpg
HOMEは横浜M−鹿島@三ツ沢を差し替えて
広島−横浜F@広島
1994/03/26(土)
ttp://i.imgur.com/jpd0gCE.jpg
広島−平塚はRCC
>>175
1994/04/02(土)
ttp://i.imgur.com/S1Zi97E.jpg
実況:田畑祐一なのでテレ朝制作だろう >>177
1995年11月
この時鹿島は既に優勝争いから脱落してV川崎と名古屋の優勝争いになっていた。
V川崎はイタリアから帰国したばかりのカズが後半戦ゴールを量産し、名古屋もピクシーが大活躍していた。
22節もテレ朝は柏-鹿島戦だったがHOMEは広島-名古屋(メ〜テレにもネット)、23節もテレ朝はV川崎-柏(これがV川崎の優勝決定試合)だったがメ〜テレは名古屋-浦和に差し替えていた。 >>178
柏ー鹿島戦はPKまでもつれたから放送枠内に収まらなかったんだよ。
この試合の結果はステーションeyeでお伝えします。とアナウンサーがお詫びしていた❗
テレ朝も当時はJの中継にかなり力を入れてたもんだ。 >>173
無観客除いて1部のリーグ戦で最低動員は1998年に神戸ー市原戦で記録した2091人。
当時神戸は神戸ユニバーで試合していた。 >>179
テレ朝中継の場合、サッカー通のタレントがゲスト出演することが多かった。
1996年の中継では副音声で清水圭のオフサイドトークってコーナーもあった。 今はなくなったが「オールスターサッカー」もテレ朝が中継してたな。
確か、「やべっちFC」が開始したころの新潟での開催だったか、
地デジの本放送開始のころに、矢部と当時テレ朝の前田有紀さん(今はフラワーアレンジャー)が
現地の放送席から副音声で放送していたのを記憶してる CS放送でのJリーグ中継
・当初はスポーツアイが全試合中継(うち生中継は1−2試合)
・1997年は1試合をCSN1ムービーチャンネルを利用した「Jスポーツ」枠で放送。
残りはGaora、スカイA他に販売
・1998年から旧Jスポーツで中継開始
・1999年、ディレクTV(サッカーテレビイレブン)で全試合放送
・2000年、ディレクTV廃止→スカパーに統合、Jスポーツとパーフェクトチョイスで全試合生中継
・2002年、TBSとサブライセンスを結び、TBSニュースバードで生中継(毎週1試合)
・2006年、TBSでのCS中継をTBSch1に移行
・2013年、大阪・朝日放送ともサブライセンスを結び、スカイAで毎週1試合生中継(J2も適宜放送)
・2017年、スカパーとの契約更新を結ばず、DAZNでのネット中継に移行
ということになるが、同じようにネット中継に特化したBリーグが、
スカパーにサブライセンスして、GAORAやスカイA、日テレジータス・ニュース24、
あと今年はやってないがJスポーツでも放送していたように、
JリーグもDAZNからサブライセンスしてもらえないものだろうか ところで、そのDAZNだが、事実上6月からスポナビライブと統合するらしいな。
https://www.softbank.jp/corp/group/sbm/news/press/2018/20180208_01/
僕は一応スポナビをスマホ会員で見る権利を持っているがJリーグは配信してない。
小沢一郎(といっても政治家ではなくスポーツライターだが)はスポナビがDAZNに統合される理由を
『権利元としての最低限の責任も放棄した』と糾弾されても致し方ない異常事態といってるそうだが、
やはりJリーグ中継の配信権利をスポナビが得られなかったことが大きなハンデとなったみたいだな どうせネット放送するのであれば、amazonプライムビデオでも配信すべきだな。
amazonプライムも一応僕加入しているが、映画とかエンタメが主だろ
スポーツコンテンツも充実させないとな >>183
Jの球宴はテレ朝独占。
今は野球の球宴がテレ朝独占。今年も全てテレ朝が中継。 >>183
やべっちが始まった時には既にテレ朝はリーグ戦中継から撤退している。 >>188
その当時の地上波でのテレビ中継はNHKとTBSが共同で放映権を持っていたが、
まともに全国放送していたのはNHK1で月1−2試合程度(ない月もある)だったよな。
TBSがまともに全国放送できたのは、確か2004年の第2ステージの仙台主催の試合
(鹿島戦か横浜M戦のどっちかだったと思う。8月ごろ)と、
当時あった年間チャンピオンシップの第1戦「横浜M対浦和@横浜国際」の2つしかなかった。
(本来は2002・03年もCSが予定されていたが、02年は磐田、03年は横浜Mが
前後期完全制覇してしまったため放送自体もおじゃんになった) >>189
2002/8/31 仙台-鹿島戦
これがTBSが現時点で最後のリーグ戦ナイトマッチを行った中継。
仙台はこの年が初J1。
初J1の最初の試合は仙台-東京V。
宮テレが中継したが、ヴェルディの親会社の日テレにはネットしなかった。 >>175
博多で試合したのは他に1994/5/18の横浜M-市原も。
この試合はTBSで放送。因みに裏の日テレでは槇原の完全試合を中継した日だ。 関東クラブの福岡遠征
まだアビスパも無かった頃の時代だね。
博多の森陸上競技場は今のレベスタの隣にある。
1996年5月18日には福岡-横浜MをRKBの制作でTBSにもネットしている。 >>190
TBSの仙台-鹿島は当初全国中継の予定はなかったが
この時間に放送していた、「筋肉番付」で出演者が重症を負う不祥事を起こしたため
番組打ち切りになり、その埋め合わせのために急遽編成されたもの。 フジやテレ朝の中継が撤退したのはサッカー中継やるよりも2時間ドラマの再放送をやってたほうが視聴率取れるからだそうだよ。
鹿島アントラーズの主催なんかフジやテレ朝が多かったから撤退してからめっきり関東広域で鹿島アントラーズのホームゲーム中継しなくなってしまった。 >>170
等々力は陸スタだけど2階席からだとあまり違和感なく見れるから問題なし。
ビックスワンなんかも同じ。 >>192
福岡のJ昇格前は特に九州遠征は多かったな。
横浜Fはスポンサーが全日空(ANA)なので、特例として第2ホームタウンとするも、
福岡では1試合も主催せず、長崎陸(現トラスタ=V・ファーレンの本拠地)、
水前寺(ロアッソの準本拠地)、鹿児島・鴨池(鹿児島Uの本拠地)で年間の半数を均等に割り振って行っていた。
横浜Fの九州撤退後は、京都が水前寺と鹿児島、清水が長崎で主催していた記憶がある。福岡も年に2−3試合は水前寺でゲームをしていた
福岡・博多の森は、95年にV川崎主催の広島戦が球技場で行われた以外は、
陸上競技場での開催で、集客がJ1基準を満たすスタジアムが足りなかった理由で、
浦和、V川崎、横浜M、名古屋も主催試合をしていた記憶がある。
あと、大分(市陸のほう)で広島が95年までだったか1−2試合やってたな。 >>196
そのANAがくしくも、同じ横浜のDNAベイスターズの協賛スポンサーに就任することになったとのことだが
https://www.ana.co.jp/group/pr/201802/20180220.html
フリューゲルスの解散→マリノスへの統合から早いもので20年目になる。
フリューゲルスサポが作った横浜FC、
およびフリューゲルスの母体全日空FCから枝分かれしたYSCC横浜を支援するつもりはないのだろうか? 水前寺で思い出したが、1995年第1ステージの横浜F対広島戦、
あれはBS1でやってたと思うのだが、
広島の選手は本来なら紫色の1ユニをまとう予定だったが、
手配ミスで白の2ユニしか持参できなかったというのがあった。
当時、白は2ユニが圧倒的だったが、横浜フリエは1ユニが白だったため、
アウェーチームも必然的に1ユニにしなければならなかったので、
慌ててサポーターからレプリカの1ユニを借りて試合に臨み、Vゴール延長で勝利を収めたとかいうやつ。
確かVゴールは今長崎の監督である高木琢也だったか >>198
1995年4月1日だな。
因みに関東地上波は15時から日テレでV川崎-清水戦、19時からテレ東で鹿島-C大阪戦を放送。 >>192
一方、1996年9月14日の横浜M-福岡は、横浜マリノスのホーム扱いだが、現・トラスタで開催。
この試合はBS1で中継。 アビスパが昇格してくるまでは関東クラブの九州遠征も多かったが、四国も年数回地方開催があった。
四国開催は主に関西を本拠地としてるクラブが多かった。
ニンスタは広島主催試合も開催されている。 >>196
横浜Fのレゲエ森が3ヶ月の出場停止喰らったのも長崎陸での試合(後期1節 対浦和戦)。
因みに後期3節の1995年8月19日は関東広域局から深夜の録画放送を含めサッカー中継が姿を消した。生中継もBS1の横浜ダービーのみ。 >>202
Wikipediaではそう書いてあるけど地方局は深夜に録画中継してたのかな。 V川崎の主催試合で地方開催は1995年3月25日に富山で柏戦が行われてる。
この日は日テレが中継。北日本放送が協力したかは不明。 東京V、川崎時代の最初3−4年は名目上は等々力を本拠地としても、
流浪の球団状態だったな。
wikiにあるが、等々力・国立以外では、札幌厚別、岩手陸(盛岡)、新潟、富山、
博多陸、さらには水前寺とほぼ全国巡業になっていた。
極めつけは1994年、これはテレビ東京・大阪の共同制作で放送されていたのだが、
準地元のガンバ大阪をアウェー扱いにして神戸ユニバーで主催した試合があった。 >>201
ニンスタが愛媛陸と名乗っていた時代の1993年6月だったか、
前期2巡目の広島対鹿島がそこで行われたが、BS1でのテレビ中継に配慮して
ナイターで行われるも、当時の愛媛陸はナイター設備が常設されなかったので、
特別に移動照明車を駆り出したうえで開催したという事例がある。
これは特例だったが、あくる1994年に同じ広島主催の試合でナイターの常設が完成。
1995年には現状唯一の国際Aマッチで日本代表もやってきていた。
移動照明塔というと、今年はW杯ラグビーの都合でコンサが4−5試合ほどする厚別とか、
Jリーグでの使用事例はまだないが、なでしこジャパンの親善試合が福島のとうほうみんスタで使われたケースもあった。 ヴェルディが神戸ユニバーでホームゲームを行った試合。
1994年4月13日
https://data.j-league.or.jp/SFMS02/?match_card_id=508
これだな。
当時の新聞のテレビ欄とかあるかな。 1994/04/13(水)
ttp://i.imgur.com/gTIBEeN.jpg
ttp://i.imgur.com/vTtwcgX.jpg
ttp://i.imgur.com/w2Lc5uN.jpg
ttp://i.imgur.com/5MvGQrf.jpg >>208
サンクス!
TSSは深夜に広島-清水戦録画放送か。 >>208
在広局が4局ともJリーグを放送したのは、この数年ぐらい後までだった気がする。
ここ最近民放ではRCCが年1回やるかやらないかという状態。
以下スレチでスマソが、ラジオを見ると、
RFが本番・予備とも非巨人カード(本番・広島対ヤクルト、予備・日本ハム対オリックス)で、
RSKがJRN単独でRCC裏のJRN本番(広島対ヤクルト)を受け、
RNCがNRN単独とでLF発のNRN本番(横浜対巨人)というのに時代を感じる。
テレビを見ると、SUNが珍しく大江戸捜査網の再放送。
関西自主路線スレでは、なぜSUNやKBSでの再放送がないんだという書き込みが以前あったけど、
(大抵広域局で再放送)やっていた時期もあったんだな。 >>208
当時のNHK BSのサッカー解説者は豪華版だったな。
田嶋現会長、金田喜稔(TBS兼務)、加茂周(フリエ引退後)、
松木安太郎(v川崎退任後。先日も「相葉雅紀のぐっとスポーツ・槙野智章編」で
ちょい役で出てたが)、山口素弘、宮沢ミッシェル、早野宏史と豪華メンツだったのを覚えてる >>208の一番上
「ダイナミックサッカー」
これは、1988年で終了した第1期「三菱ダイヤモンドサッカー」のリメーク版。
海外の主要サッカーリーグ、まだWOWOWが開局したてで、
専門衛星放送がケーブルテレビ向けでそれほど普及してなかった頃に、
世界のサッカーの試合を放送していた貴重な番組だった。
実況が当時のテレ東のサッカーのエースだった久保田光彦アナウンサー。
ちなみにこのころの「三菱ダイヤモンドサッカー」は確か日曜日の午前中だったか、
川平慈英氏、佐々木明子アナウンサー、元日本協会長の大仁くにや氏と、金子勝彦アナウンサーの4人がMCを務めていた。
Jリーグ情報番組で、現在でいうBS1の「Jタイム」か、テレ朝「矢部浩之のやべっちFC」のポジションだろうか >>207
関西勢アウェーで、他地区の球団がホームゲームをする例のもう一つに、
1996年頃の「清水エスパルス対京都パープルサンガ」があった。
本来は日本平スタジアム(アイスタ)でホームゲームをするのだが、
この試合はなぜか神戸ユニバーでゲームを行った。
当時のエスパルスはテレしずが筆頭株主だったためか、
系列局のカンテレが後援し、試合の開催告知もカンテレでやっていたが、
生中継はカンテレではなく、テレしずからのネット受けの形でKBS京都が放送していた。
1994年も、エスパルス主催の静岡県ダービー・ジュビロ戦を神戸ユニバーでやってた試合もある。 >>212
三菱ダイヤモンドサッカーは93年度は日曜午前。94年度は日曜夕方。95年度は土曜深夜。 >>212
ダイヤモンドサッカー第2期
ttp://i.imgur.com/shIdJUO.jpg
Wikipediaでは関東ローカルとなっているが、TSCでも9日遅れでネット
ttp://i.imgur.com/zXSO6aP.jpg
さらに10月からは同時ネット >>212、>>215
ちなみに1993年度の女性MCは、当時岩崎由美という芸名だった女優の川原みなみさん
最近はCSで開運ストーンのテレショップとかいうのをやってたので見たことがある。 >>216
ttp://i.imgur.com/Mz71vGp.jpg
ttp://i.imgur.com/1A0ZDzi.jpg
ttp://i.imgur.com/JSSTTq4.jpg
ttp://i.imgur.com/RV55WR3.jpg
ttp://i.imgur.com/9Ok2oT5.jpg
ttp://i.imgur.com/fJ0eDIw.jpg
ttp://i.imgur.com/rHM7inP.jpg
ttp://i.imgur.com/iR3Vz4K.jpg
ttp://i.imgur.com/TzP5J5p.jpg
ttp://i.imgur.com/Z2UWfIC.jpg
ttp://i.imgur.com/zgShkSb.jpg
ttp://i.imgur.com/0EKzVSn.jpg >>217
川原みなみで思い出したが、
今は韓国人サッカー選手の嫁さんになった阿部美穂子も昔サッカー番組をやってたらしいな。
残念ながら関東ローカルとBS-i(TBS)だったので見ることはできんかったけど >>218の読売新聞1番目と4番目
Jリーグは企業から市民参加への脱皮を図るということで、
企業名を排除することが原則とされている。
1992年の当時のナ杯は企業リーグ時代の日本リーグからの名残で、
「三菱浦和レッズ」「JR古河」「読売ヴェルディー」「日産横浜マリノス」
「横浜ASフリューゲルス」「パナソニックガンバ大阪」という
企業名との並列表記が暫定で認められた時代があったが、
1993年以後はこれらはすべてホームタウンの市区町村名に変更させられた。
ただ、読売新聞はあのナベツネが「プロリーグといえど企業名を露出しないと発展しない」と
ボヤキまくり、「読売ヴェルディー」と企業名を露出、
フリューゲルスは横浜と第2ホームとして九州があったという事情で「AS」としていた。
報知スポーツは折衷案で「読売ヴェルディー川崎」「横浜ASフリューゲルス」「三菱浦和レッズ」などとしてたが、
1994年いづれもJリーグの本来の表記にのっとって地域名+ニックネームとなり今日に至るようになる。 >>221
あと、この当時だが、CX「プロ野球ニュース」でJリーグ速報をやった時、
マリノスは単に「横浜」、フリューゲルスは「AS」として表記していた。
これは当時ANA全日空が番組の協賛社の1つだったためによるものだった 1994/3/12 開幕戦
関東地上波
14:45〜 NHK総合 鹿島ー磐田
19:00〜 日テレ V川崎ー平塚
25:25〜 TBS 横浜M-浦和(録画) >>224
Jリーグ2代目の「ナショナルダービー」の記念すべき初戦だったんだな。
初代の「日産→マリノス対読売→ヴェルディー」は、
カズが退団して以後ヴェルディーが低迷してナショナルダービーとは言えなくなった。
今は「浦和対ガンバ大阪」がナショナルダービーだといわれるが、
2015年の年間CS決勝の「広島対ガンバ」も若手育成でともに成長し、
J2も経験した強豪同士なので、これもナショナルダービーに匹敵すると思える >>224
この横浜M-浦和戦は今ならTBSは喜んで生中継しそうなゲームだな。 >>226
当時の本拠地はマリノスが三ツ沢サッカー場(約15000)
レッズは駒場競技場・大宮サッカー場(いづれも約1万)と、
今のビッグスタジアム(日産スタ=約7万、埼スタ=約6万)を本拠としていた時代に比べると
本当に雲泥の差だな。
まぁ、今は三ツ沢も駒場も、Jリーグライセンスで本拠地として使うにしても、
屋根が不足(ニッパツサッカー場は屋根全然なし)で、罰金を取られるところ >>221
>>224
ttp://i.imgur.com/aexbNO1.jpg
ttp://i.imgur.com/eqd7iP9.jpg
讀賣新聞に掲載される日本テレビ系列局の広告なのでチーム名表記は当然こうなる
しかしテレビ欄は東京ニュース通信社配信なのでリーグ推奨表記
ttp://i.imgur.com/1Sd2eTG.jpg
ttp://i.imgur.com/0JIvMmH.jpg
SUNがネット受けしてる市原−大阪はCTC制作かな?
>>223
ttp://i.imgur.com/H6Ayyj7.jpg
ttp://i.imgur.com/GB3QOEp.jpg
ttp://i.imgur.com/1Sd2eTG.jpg
ttp://i.imgur.com/j2ApL05.jpg
KTVは平成教育委員会の方を優先 >>228
サンクス。
1994/9/3の広島ーV川崎戦は制作協力:広島テレビ、制作:日本テレビかな。
実況が笑点放送事故のニュースキャスターだった多昌アナだから。 >>227
レッズの改修前の駒場での開催はこの年のサントリーシリーズまでだな。
ニコスシリーズでは駒場は改修工事のためNACK5スタで開催。
改修前の駒場は小さな競技場だったから1万人行くか行かないかのレベルだった。
三ツ沢は今は横浜FCとY.S.C.C横浜が使ってる。Y.S.C.C横浜主催の時はバックスタンドとゴール裏は閉鎖。 http://i.imgur.com/3ZvW1EG.jpg
1981年4月5日 朝日関東版
東京12「サンデースポーツアワー」で日本リーグ時代の三菱重工業対ヤンマーを国立から生中継。
その解説がのちのJリーグチェアマンを務める川渕氏だった。
当時の観客動員はJ3・JFLのボトムクラスにしか過ぎなかったんだろうな >>228の3・4番目
見たことある。千葉テレビ制作をサンテレビがそのまま放送した。
94年10月の熊本(水前寺)での横浜F対G大阪も体裁上はTVK神奈川の制作だが、
実際にはKABに委託したものが放送されていた 当時の市原
これはhttp://mao.5ch.net/test/read.cgi/stadium/1091313690 に詳しいが、
当初予定していた習志野・秋津サッカー場(現在の第1カッターフィールド)が
周辺が住宅街であるためということで反対されたため、
やむを得ず市原臨海に移ったが、もろに突貫工事、仮設丸出しというスタジアム。
やっとこの年、メインスタンドの増築がなされ、体としては現行J1基準を満たすものとはなったが、
ゴール裏とバックスタンドは、現在開発中の「セミ・パーマネント」よりもひどい超低コストスタンドでごまかしていた。
この後2004年にバックスタンドが増築され、二層式とはなるが、これも無理やり既存席に上乗せしただけ。
ゴール裏は芝生席に戻された現在はJ1開催不可になってしまい、
J2開催は可能も、結果的に市原での開催は2005年9月をもって強制打ち切りとなる羽目になってしまった。 >>234
市原臨海なんかバックスタンド立ち見の最前列はトラックの上だったし
トラックシートは万博でやってた頃のガンバや山形なんかもやっている BS1「岡田武史とレジェンドたちが斬るワールドカップ」
1993年ドーハの悲劇。Jリーグ元年、誰もがW杯の扉を手にかけて、
アメリカというサッカーの新大陸に進めると思ったその寸前でイラクに閉ざされたシーンを再現。
そこで当時30代後半の古河社員だった岡ちゃんが映ってた。
司会は、Jリーグタイムの大前身「速報!Jリーグ」をやっていた友田幸岐さん。
今いづこ… >>236
NHKの実況は現法政大学の山本浩教授だが、
当時は地上波はCXが担当してたな。
あの時のサッカー中継のエースが長坂哲夫だったが、
セクハラで干されて、今は完全に裏方になってしまった。 >>237
スマン。
長坂はジョホールバルの奇跡だった。
ドーハの時は民放は系列が少ないテレ東系。
その時の実況はやはりTX系のエースだった久保田光彦さんだった。 >>238
ところで、その当時のテレ東系、フルネット6局はともかくとして、
それ以外の地域は時差ネットだっただろうか? >>239
ttp://i.imgur.com/Mur9vab.jpg
ttp://i.imgur.com/rhnZKrB.jpg
ttp://i.imgur.com/9vMaRc2.jpg
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RCCは約2時間遅れ
ラジオはLF発NRN >>240
ということは、広島・愛媛・山口の視聴者は
(TSCせとうちとTVQ九州が見れる地域はともかくとしても)
半分ネタバレの中でRCCからのニアライブを見たという感じだな >>242
まぁ、確かにそうだけどまだBSも普及してない時代だったのでは? 茨城県はいまだに、独立Uがないので、千葉テレかかつてはケーブルテレビ向けに
配信したTVK神奈川のご厄介だったが、
鹿島の主催試合、最初3年ほどはTVK神奈川が大半を放送していたみたいだな。
放送比率的には、神奈川勢よりも割と多めで。
神奈川勢は今は亡き横浜フリエぐらいで、三ツ沢では半数しか行われなかった時代も
九州遠征をテレ朝系各局から映像抵抗して放送してたそうだが 今日、NHKで
サッカー天皇杯県予選決勝を
中継している県
高知
愛媛
和歌山
大阪
滋賀
三重
岐阜
静岡
山梨(Eテレ)
福島 https://i.imgur.com/kgXtlwR.jpg
Jリーグ発足1年前の1992年5月16日の読売新聞大阪朝刊。
Jリーグ第1回参加10チームのそれぞれのニックネーム名が決定。
Jリーグはフランチャイズというよりホームタウンという形で、
地域密着、身近に会いに行ける存在という今日のAKBなどご当地アイドルと同じ考えを示す、
そのきっかけとなったわけだが、
いわゆる正式名称(日本サッカー協会登録申請チーム名)に地域名を入れていなかったのは3チームあるということみたいだな。
読売新聞の配列にそって
・名古屋グランパスエイト
・鹿島アントラーズFC
・東日本JR古河・ジェフユナイテッド(ジェフ市原→現・ジェフ千葉)
・三菱浦和FC・レッドダイヤモンズ(浦和レッズ)
・読売日本サッカークラブ・ヴェルディー(ヴェルディー川崎→現・東京ヴェルディー)
・日産FC横浜マリノス(現・横浜F・マリノス)
・全日空佐藤工業FC・ASフリューゲルス(横浜ASフリューゲルス→横浜フリューゲルス。98年マリノスに統合)
・清水FCエスパルス
・サンフレッチェ広島FC
・パナソニック・ガンバ大阪(ガンバ大阪)
ただ、ガンバ大阪のホームタウンは大阪市とされている。
おそらく将来的に長居スタジアム(現・ヤンマー長居スタジアム)に本拠地を移すつもりも
あったのかもしれないが、大阪市(長居)にはヤンマー(当時JFL1部)が尼崎から本拠地を移して
セレッソ大阪が本拠地とするようになったのだが 今日の24時まで
Jリーグ元年開幕節の試合JリーグYOUTUBE公式チャンネルにて配信中。 >>250
まぁ、ヤンマーは元々本拠地が尼崎で、JRの尼崎駅前にもヤンマーの工場、
そしてそれに付随したサッカー場があるので、その事情を考えると尼崎ではJ1基準を今は満たすことが不可能なので、
神戸に本拠地を置いてもおかしくはなかったな。
ヤンマーが神戸でJリーグを目指すということになれば、ガンバが長居スタジアムか長居球技場を使う可能性は高いとみるか、
ガンバの移転がなかったら、関西リーグの田辺製薬、大阪ガスのどちらかでプロを目指すかだっただろうな >>253
https://i.imgur.com/cVo1Cdo.jpeg
1974年11月3日(当時は今と同じ春〜秋制)
サンケイ近畿D 現・ヤンマー長居の前身である初代長居競技場で
そのヤンマーと新日鉄八幡の対戦が開催されサンテレビで中継していた。
今でいえば「セレッソ大阪対ギラヴァンツ北九州」に当たるだろうか >>246
そのZAオリプリを本拠としているヴォンズ市原が今年Jリーグの準加盟になったな。
まぁ、JFL・J3に参加するとなったらば、まだオリスタを使えるからよいし、
バックスタンドの得点盤もオーロラビジョンに変わったが、
焦点はJ2以上に昇格した場合だな。
かつて、2002W杯用に予定していた千葉スタジアムが、
開催地落選によりアボーンになり、草サッカーの会場「市原スポレクパーク」となった。
ジェフも事実上千葉への移転・市原撤退でそのスポパーは練習会場に使わず。
フクアリに隣接したユナイテッドパークが拠点になっている
そのスポパーの一部をJ1基準に満たすということはできんだろうか https://www.youtube.com/watch?v=g6TS00FrPEA
1979年・80年ごろの日本リーグのスポーツニュース映像。
当時まともに実況中継していたのはNHK Eか、日曜の東京12、あるいはローカル局による
地方開催ぐらいしかなかったが、
この映像を見る限りでは、国立・西が丘・駒沢では大会場にも関わらず、
推定50人から100人ぐらいしか入ってなかっただろうか。
企業主体ながら、応援団やチアガールなんてほとんど見当たらない。
しかし地方都市の北九州にあった新日鉄八幡は、三菱重工との対戦、
当時はまだ本城ではなく、新日鉄八幡の鞘ヶ谷陸上競技場を使用していたが、
地元の子供たちが熱心な応援合戦。 https://www.youtube.com/watch?v=9m9FhtceJ14
1983年の現・キリンカップの下となったジャパンカップという大会から。
当時は日本代表に加え、当時の日本リーグ1部や天皇杯の前回の優勝クラブ、
さらに海外強豪クラブを招待した大会。
今でいう「明治安田Jリーグワールドチャレンジ」に当るようなもの https://youtu.be/wg9_fgqjmqk
1981年のスポーツニュースから
釜本邦茂200得点の大記録 https://youtu.be/wg9_fgqjmqk
1981年のスポーツニュースから
釜本邦茂200得点の大記録 https://www.youtube.com/watch?v=PlHu4BN0RhY
1982年のスポーツニュースから
当時はまだホームタウンという概念が薄かったせいもあり、
大宮サッカー場(NACK5)で、古河主催扱いの三菱戦(今でいえばジェフ千葉対浦和レッズ)とか、
場所は不明だが、小さな河川敷のグラウンドと思わしきところで、ヤンマー対古河が行われたり、
ヨドスタにお株を奪われた、靭公園サッカー・ラグビー場でヤンマー主催の試合が行われていたりする
都市対抗野球やほかのスポーツリーグ同様、当時は企業の大応援団が主であり、
応援リーダーやチアガール、ブラスバンド部がいたりする。
当時からパフパフなどでの応援は定着していたが、最近はお蔵入りになってしまったな
三ッ沢(球)、神奈川ダービーの日本鋼管川崎対古河電工、バックスタンドがほとんどガラガラ。
地味すぎる https://www.youtube.com/watch?v=n34EWNLnprw
1983年、舞台は静岡県磐田のヤマハ東山グラウンド。
現在のヤマハスタジアムで行われた日本リーグ1部のヤマハ対古河の一戦。
現在ヤマハスタジアムは収容人員が15000人とかろうじてJ1昇格基準を満たしたものだが、
当時は約3000人程度収容。メインスタンドがないが、企業の所有グラウンドでは割としっかりした
バックスタンドがあり、都市対抗張りのブラスバンド部やチアガールが応援に花を添える。
それから11年後の1994年、ヤマハから変わったジュビロ、初年度のJリーグ加入を果たせなかったが、
当時の2部に当る旧J1でフジタ→湘南ベルマーレに次ぐ2位で2年越しのJリーグ加入を決める。
バックスタンドが増築され、あの巨大ビッグフラッグがジュビロの応援の目玉となるが、
ここ数年は1部と2部を行き来し、残念ながら名門ヤマハの色合いが薄れているのが残念 https://www.youtube.com/watch?v=z6iiUsv7um8
1984年8月24日 テレビ東京20周年を記念して行われた、
釜本邦茂引退記念試合「ヤンマーサッカー部対日本リーグ選抜」
この映像の18分20秒当たり 釜本が自らの引退試合で先制点を挙げる
今回の引退試合のため特別入部したブラジルのペレ、当時の西ドイツのオヴェラートや、
日本リーグのライバル・古河の永井、谷中、日産の木村、水沼、金田、読売のラモス、与那城らが、
引退試合を大いに盛り上げる https://www.youtube.com/watch?v=TZ4pn0F7qnI
1979年、日米親善試合・ゼロックススーパーサッカー
ペレ、ベッケンバウワーらが率いるアメリカの伝説のサッカークラブであるニューヨークコスモスが来日し、
日本リーグ選抜と神戸中央球技場で対戦。会場は当時のオーバースペック14000人ものサポーターでにぎわう。
1-1の同点ゴールを挙げたのは釜本
アメリカもサッカー不毛地帯といわれており、NASL(北アメリカリーグ)としてスタートしたものの、
ペレ・ベッケンバウワーの引退後はアメリカ代表選手がなかなか育たないということで失敗し、
1984年に一度解体されるが、10年後の1994年のW杯誘致を成功させたことによって、
再びアメリカのサッカー文化を広げようと、現在のMLSが開幕した。 https://www.youtube.com/watch?v=uYCfmjfctM4
1979年9月 日本で行われた現U-20ワールドカップに当る世界ユース選手権大会決勝
マラドーナ率いるスター軍団・アルゼンチンが旧ソ連との死闘の末3-1で勝利し、
世界ユース初優勝を決めた試合。
決勝戦は15年前の東京五輪さながらに、試合終了後のノーサイド後の両国選手・サポーターが一体となって、
互いの健闘を称えあう風景が展開された。
果たして2021年7月23日の開会式、8月8日の閉会式はどのような風景で、
新たなコロナ時代の式典はどのように迎えるのだろうかが気になる https://www.youtube.com/watch?v=V8oKKyvbfkA
1967年6月 駒沢五輪公園競技場で行われた
日本代表対ブラジル・サンパウロ州リーグのパルメイラスとの一戦。
あの、釜本によって銅メダルに導いたメキシコ五輪へ向けた強化試合として行われた。
ブラジルが今日のように全国的なリーグ戦を行うようになったのは1970年ごろからで、
それまでは全国大会は現在の日本の天皇杯のように、
各州のリーグ戦優勝チームを招いて行われたカップ戦のみが存在していた。 https://www.youtube.com/watch?v=xniPDFvaaI8
1983年、日本リーグ屈指の同一地域ダービーマッチ「天竜川決戦」
舞台は浜松市本田技研工業浜松製作所都田工場サッカー場
日本リーグの老舗・本田技研浜松対当時は新興勢力ながら躍進を遂げているヤマハ発動機。
浜松と磐田の超近距離同士の対戦は、両者の応援団・市民が大挙会場に集まり、
まさに遠州灘の覇権をかけた死闘が繰り返された。
しかし、Jリーグ発足後、この両者は第1回Jリーグへの参加申請をするも、
準備不足を理由に参加を断念。
ヤマハは自前の東山グラウンドをJ1基準を満たす専用サッカースタジアムにリニューアルし、
1993年JFL1部(旧J1=現J2相当)で2位に入り、Jリーグ(現J1相当)へ昇格し、
以後1997年の初優勝以来、J1で3回優勝するが、その後低迷が続き、昨年2度目のJ2降格も
1年でのJ1復帰は果たせず。
対して本田技研浜松は、1996年にJFLで念願のリーグ戦優勝を果たすもJリーグ準会員資格がないため、
Jリーグ昇格が果たせず、1997年にそれを下地に浜松FCとしてJリーグ準会員取得も、
本拠地のスタジアムの改築予定費用が想定額を上回ったことから経営を圧迫するという理由で昇格を断念。
ホンダFCとなった今日に至っても、企業の社員選手を主体として、ソニー仙台と並ぶ、
JFLの企業チームの雄、なおかつ、J3リーグ昇格を目指そうとする準会員(100年構想クラブ)のライバルとなり、
Jの門番といわれている状態が続く。
浜松の新スタジアム構想次第では、30年の悲願であるJ3昇格の可能性も間近いか? https://www.youtube.com/watch?v=E0AcFVo79jg
1982年開催の日韓親善サッカー試合。
なんと後楽園球場の人工芝の上で行われた、日本の読売フットボールクラブ対韓国のハレルヤ。
宗教色が強い韓国、ハレルヤはその宗教団体が運営母体となったプロクラブである。
韓国ではこの年、プロリーグという名目も、実質的にプロ・アマ混在の形による5チームのセミプロ大会
「韓国スーパーリーグ」がスタートしていた。
まだ企業主体のアマチュアにしか過ぎなかった日本リーグの読売は防戦一方であり、
1-2のスコアで敗れ、いかにこの当時日本のサッカーのレベルが世界より格下であるかがわかる https://www.youtube.com/watch?v=WpQSY4x3gck
1980年、日本代表の現役・OB対抗戦。
現役チーム監督はのちのチェアマン川渕
今では考えられない現役・OB対抗戦。当時はまだ国際Aマッチで強豪国と
対戦するレベルにはやや程遠く、海外のクラブチームとの対戦が多かった日本代表が、
先輩の胸を借りて臨むいわば力試しマッチという異例の試合だった https://www.youtube.com/watch?v=NhLBjDwWv5Q
1984年日本リーグ・国立で行われた読売FC対古河電工
古河は典型的な企業チームであるゆえ、応援団もチアガールがいて華やか。
読売はクラブチームであるので、応援団はどちらかといえば南米並みのサポーター。
パフパフはお約束。
試合後、両軍入り乱れての乱闘事件が起きてしまったが、
これはプロ化された今日であれば、当該人物は数試合出場停止処分に該当するものといえる https://www.youtube.com/watch?v=bceiZqrj-yQ
事実上セミプロ化へ動き出した1990年代。
1990年11月 今でいえば「川崎ダービー」だろうか、読売FC対東芝と
「横浜ダービー」に当る全日空横浜対古河電工。
東芝は1996年北海道に移転、現在コンサドーレ札幌となる。
全日空横浜はのちのフリューゲルスだが、ビッグクラブ・マリノスの後塵に排す。
そして1998年10月にそのマリノスと統合され、フリューゲルスは消滅となるが、
そのサポーター有志により改めて横浜FCが設立。2020年、13年ぶりのJ1復帰を果たす。
古河は当時工場や社宅があった横浜に本拠があったが、
Jリーグ発足後は市原市に千葉工場を持つということで千葉県に移転。
悪評高く臨海(オリスタ)を経て、現在は千葉市のフクアリを主戦場として戦うも、
2008年以来J2に低迷。一時期J3降格圏内を味わうなど名門のプライドに傷がついている https://www.youtube.com/watch?v=_4LOsGhqa1E&t=6s
1979年10月 >>264に続いて開催されたゼロックススーパーサッカー、
アメリカ・ニューヨークコスモスを招待した日本代表との一戦。5万人を集めた大一番。
ただ、試合終了後、ファンの多くがピッチに乱入して大騒ぎをするというくだりがあり、
これは今だと警備上の観点から次回の開催ができなくなるという警告をさせられるところである。 https://www.youtube.com/watch?v=FzudRBNzzeM
1991年、セミプロ化し、2年後のJリーグ発足へ向けて機運が高まった日本サッカー。
6月の代表強化期間を利用して行われた伝統のキリンカップ。
これまで世界の強豪に苦戦を強いられた日本代表が、三浦カズをはじめとする
Jリーグ1期生の主力選手を擁して、めでたくキリンカップ(その前身のジャパンカップを含む)
13年の歴史で史上初の国際大会優勝を達成した。
当時のキリンカップは、国際Aマッチではなく、海外クラブチームなどを招聘した
親善トーナメントであり、80年代は日本リーグや天皇杯の優勝チームまでもが参戦した。
このあくる1992年から国際Aマッチとなり、世界へ通用する日本代表のスパーリングマッチとなる。
現在は並行してキリンチャレンジカップも行われている。 https://www.youtube.com/watch?v=QE0i0CjxIdM
1986年、当時は秋〜春制の日本リーグ開幕前、ブラジルにあるジュベントス(サンパウロ)というクラブが、
日本リーグの古豪・古河電工と対戦する試合。
綴りが「Juventus」とあるが、イタリア1部・トリノの古豪であるユベントスとは綴りは同じも、全然関係がない。
国内リーグから地域リーグまで数えたらきりがないブラジルのサッカー。
その本場のサッカーから古河の若手がどのような収穫を得ただろうか? https://www.youtube.com/watch?v=NclwR2hq0DY
1992年、ヴェルディー川崎(当時は読売FC)が、イタリア遠征をおこない、
イタリアの五輪代表とのスパーリングマッチを実施。
Jリーグ黎明期、海外の強豪チームとの練習試合・プレシーズンマッチを通して、
世界への道筋を模索していた時代 https://www.youtube.com/watch?v=tXyO3thfRaM
同じ1992年、ブラジル1部のサントスが結成間もない清水エスパルスと対戦。
静岡のチームながら国立競技場約5万を飲み込む。 https://www.youtube.com/watch?v=DrLGJEFVXO4
1981年梅雨時と思われるが、オランダ・エールディビジの古豪・エクセルシオールを招待し、
日本リーグのヤンマー、マツダ、古河、フジタを相手にした親善試合・アシックス招待。
「アカイ」とは、エクセルシオールの当時のユニフォーム協賛スポンサーの赤井電機のことである
当時は2部リーグに低迷していたエクセルシオールだが、日本リーグのチームを相手にプロらしさをまざまざと見せつけられた https://www.youtube.com/watch?v=FeUiP5aKoqQ
https://www.youtube.com/watch?v=iUqjS6WteGc
1992年8月、神戸ユニバーと国立で2試合にわたって行われた、
日本代表対イタリア・ユベントスとの国際親善試合。
イングランド・スペイン・ドイツ・オランダ・フランスと並ぶ世界の6大リーグの一つ、
イタリア・セリエAの名門チーム、バッジョ、ロベカルらを擁したユベントスに、
Jリーグ開幕プレ1期生となる面々が互角に挑んで2試合とも引き分けと大健闘した試合。 https://www.youtube.com/watch?v=8Zf9OzE6djw
1979年、東京五輪から15年が経過した国立競技場を舞台に、
世界ユースサッカー選手権大会が盛大に行われる。
その開会式直後のオープニングマッチ・日本対スペイン、夏休みの終わりに
3万人の大応援団を背に戦う日本。
強豪スペインを前に0-1の惜敗。当時はまだ日本と世界のレベルの高さ、格差が大きかった https://www.youtube.com/watch?v=KtaGLxf-AdM
当時、三菱ダイヤモンドサッカーからスピンオフした形で放送されていた
「少年サッカー教室」という番組から。
当時のユース(u-18)代表のメンバーによる実技の前に、選手一人ひとりが自己紹介される。
指導者は元ヤンマーの釜本氏。 https://www.youtube.com/watch?v=X8K4_2eFWkU
1983年、駒沢で行われた読売FC対三菱重工
三菱の主催のようだが、盛り上がってるのは読売の応援団。
当時から読売は名目上等々力を本拠とはしているが、
東京志向が強く、三菱・古河・日立が主催してても読売の応援団が目立ったんだろう https://www.youtube.com/watch?v=QaMWXQrYxWU
1983年末、天皇杯準決勝・国立競技場でのうちの1試合、ヤマハ対読売FC。
今やサッカー好きのおじさんとかした松木氏が、不運にもヤマハゴールにオウン・ゴールを喫する。 >>282
しかし、Jリーグ発足間近まで、「オウン・ゴール」を「自殺点」
「vゴール(ゴールデン・ゴール)」は「サドンデス・ゴール(突然の死)」
と平気で言っていたもんだな
これは日本独特の文化だろうか? https://www.youtube.com/watch?v=1bljEOJNKNs
1981年6月開催のJSLカップ、鞘ヶ谷で行われた
当時2部に降格していた新日鉄八幡と1部の読売FC戦。
梅雨時とあってピッチコンディションは最悪。
PK戦にもつれ込むが読売が1部の意地を見せる。
ナレーションは堀尾正明アナなのでNHK福岡or北九州からだろうか https://www.youtube.com/watch?v=jRP9ukGTK-M&t=58s
1979年 国立競技場での日韓定期戦。
当時は1年ごとに日本と韓国でホームアンドアウェーを繰り返していたが、
敵対関係にある韓国の前に日本は手も足も出ず
しかし、この試合ではホームで若手の台頭が光り2-1で辛勝。
4年半ぶり(1974年以来)の勝ち星という形になったようだが https://www.youtube.com/watch?v=H45kN1cRB-k
1981年 日本代表対ポーランド4連戦。
第2試合は徳島県営蔵本球場(現在のむつみスタジアム)で行われた。
第3戦は瑞穂ラグビー場。1988年オリンピック誘致へ向けて盛り上がっていた時期である https://www.youtube.com/watch?v=hCFiy0rbQms
奥寺康彦氏の凱旋試合となった1978年ジャパンカップ(まだこの時はキリンの協賛はなかった)
日本代表対奥寺率いる1FCケルンとの一戦。
日本代表は永井、田口、細谷、落合ら日本リーグ勢に、のちに日本リーグでも活躍する
加藤、金田が大学生として出場している。 https://www.youtube.com/watch?v=v5mfJ0HpARM
1980年11月、フライング・ダッチマンことクライフ率いるアメリカリーグ・ワシントンディプロマッツが来日。
福岡平和台と国立で日本代表と、広島スタジアムでオール広島県選抜と対戦する https://www.youtube.com/watch?v=QzB2ZkmTItA
1989-90年度の25回記念大会となった日本リーグの日産サッカー部を取り上げた
テレビ神奈川「日産FCサッカーダイジェスト」第15戦、高知・春野陸上競技場での
日産主催扱いでの古河戦。首位攻防戦。前日読売FCが暫定首位となるが、
この試合で勝った方がその節での首位が確定するというものだったらしく、
双方激しい攻防の90分が展開された。
デーゲームを終えて、加茂氏と鈴木正治選手が試合の疲れを見せずに、
また翌日も出勤日で工場勤務があるにも関わらず、生放送でtvkのスタジオに駆け付ける https://www.youtube.com/watch?v=2qxrUzO4iX0
1995年、当時イタリア・ジェノアに移籍していた三浦知良の凱旋試合として、
対ヴェルディー川崎戦。横浜スタジアムの人工芝グラウンドの上に、
天然芝シート(ビッグエッグターフ)を敷いて開催した。
解説は松木安太郎、三浦泰年(カズの兄)、川平慈英の豪華版 https://www.youtube.com/watch?v=QuHShzKTxXI
1979年NHK北海道向けローカルニュースから
のちのオールスターの母体となるJSL東西対抗戦が札幌円山球場(陸上競技場ではない)で
行われた。
当時北海道からJSLに参加したクラブがなく、年数回しか公式戦が行われない地域で、
スター選手の競演に酔いしれたのではないか https://www.youtube.com/watch?v=9WUr4yv2OAs
1980年、ジャパンカップ・キリンワールドサッカーのスポーツニュースで取り上げられた試合の数々。
日本代表のほか、世界の強豪クラブ・国家代表、さらに日本リーグ勢までを巻き込んで行われた、
初夏の祭典。
アルゼンチンの古豪・アルヘンティノス、イングランド・ミドルスブラと互角に渡り合う。
残念ながら開催地優勝は逃したが、単なる日本代表不出場の消化試合ではなく、
海外の古豪同士の対戦でも3万人近いサポーターが熱く盛り上げた https://www.youtube.com/watch?v=3GFC1CA3L9c
1983年、現在のJリーグ同様の春〜秋制の春のリーグ(前期)最終戦、
古河対ヤマハの試合。メインスタンドしかないため、チアガールもそこに陣取って応援。
バックスタンド相当のところが道路になっているというのどかなグラウンド。
今の時代ではJリーグで使用することはサテライトリーグ以外では難しい場所だが、
冒頭の箇所がカットされているため、詳細な会場は不明 https://www.youtube.com/watch?v=6RVGHQfKvxs
1982年度(83年元日)天皇杯全日本サッカー総合選手権大会決勝戦
当時2部リーグにいたヤマハと、1部の雄・フジタ工業による対戦。
親会社に楽器メーカーを持つヤマハならではの吹奏楽団による華やかな応援団。
さながら都市対抗野球だろうか
45分ハーフ0-0の末、優勝をかけた10分ハーフ延長戦、
まずコーナーキックから吉田光範が先制点。
この1点を守り切って見事ヤマハが全国タイトル初優勝を飾る https://www.youtube.com/watch?v=dujUMIwrW44
1983年ごろ放送、おそらくtvk神奈川の「日産FCサッカーダイジェスト」からだろうか。
三ッ沢サッカー場、日産のホームピッチにヤマハを迎え撃つ。
日産当時若手のエース・水沼貴史起死回生の同点弾 https://www.youtube.com/watch?v=UW9ILlOCfrc
1984年、川崎市等々力にて行われた読売FC対ヤマハ戦。
のちに大女優・長澤まさみの父として知られるヤマハの長澤和明がPKを決める https://www.youtube.com/watch?v=RMznvtBxVFI
これはJリーグ・JSLではなく、高校サッカーから。
1982年1月(1981年度)全国高校サッカー選手権大会全国大会準決勝
隣県同市の山梨・韮崎高校と静岡・清水市立商業
のちに、交通事故で車いすのサッカー指導者となる羽中田昌が韮崎高校のエースとして活躍するが、
この試合はけがでベンチを離れてしまっている。 https://www.youtube.com/watch?v=YpI4qpm3pro
1985年 日本リーグ1部に昇格したばかりの住友金属鹿島蹴球団。
アウェー・等々力での読売FCとの対戦で追い上げられるも1点差で逃げ切る大金星を挙げた。
のちにこの2チームは1993年Jリーグ第1回オリジナルメンバーとなり、
その年のリーグ年間決勝で直接対決し、ヴェルディー川崎が初代王者となった。
鹿島がリーグ戦のタイトルを手にするのは1996年のこと https://www.youtube.com/watch?v=-ebjdOZNLTM
1979年世界ワールドユースサッカー選手権大会予選リーグから
旧ソ連対ウルグアイ戦(三ッ沢公園サッカー場)
夏休み期間中の試合とあって、小中学生が多数応援に駆け付けるどころか、
当時サッカー部が本拠地としていた古河電工の社宅(バックスタンド。現横浜市民総合病院)にも
多数の子供らが高みの見物をするというのどかな風景。 https://youtu.be/FBBYeSi5EE8
1998年12月、TVK神奈川での横浜フリューゲルスアワー
まだこの当時は概念としてのビッグクラブとプロビンチャーが
あまり確立されてなかった頃で、
フリューゲルスはいわばプロビンチャーだったが、
ゼネコン不況で佐藤工業が撤退
全日空(ANA)単独では経営が成り立たないためと、
ビッグクラブであるマリノスと合併
フリューゲルスはわずか7年でJリーグを去る
その後、フリューゲルスのサポーター有志による、
横浜FCが設立され今日に至る。
運営法人の横浜フリエSCはそのフリューゲルス存続運動の名残から付けられたもの https://www.youtube.com/watch?v=BR_mDmN8FBA
1992年8月 瑞穂スタジアム改築前に行われたJリーグエキシビションマッチ
(当時はまだプレシーズンマッチとは言っていなかった)のグランパス対ブラジルのコリンチャンス戦。
リネカー選手がこの瑞穂スタジアムでグランパスの一員としてデビュー。
この9月以後は1994年わかしゃち国体仕様でスタンドの改修や芝生の養生などのため、
2年間(1994年後期開幕前まで)、隣接するラグビー場を一応の本拠地として暫定利用する。 https://www.youtube.com/watch?v=O9KecJJkA1s
9月に入り、翌年から開幕するリーグ戦の前哨戦・プレ開幕戦と位置付けられたナビスコ杯が開幕。
春〜秋制に戻すための準備期間として、この年は1回総当たり(9試合)のリーグ戦から、
のちに上位4チームによるプレーオフが行われた。
この年、まだ本来のスタジアムが改築や新設工事中であるため、
ジーコのJリーグデビュー戦・鹿島対横浜Fは東海村・笠松運動公園で、
ガンバ大阪主催の横浜M戦は神戸中央、浦和対市原(千葉)は大宮、
広島対V川崎は広島スタジアム(現在はJ1基準外)行われている。
https://www.youtube.com/watch?v=37iZyyyUT4M
第2節、鹿島が東京・国立デビュー。鹿島主催扱いでV川崎を迎え撃つ。
https://www.youtube.com/watch?v=2rcX0IVyqp0
第3節、等々力で三浦カズが名門浦和レッズを前に華麗な技を展開。
長崎では当時セカンドホームタウンの横浜Fが九州遠征初戦のG大阪戦。
ジーコ率いる鹿島は群馬県太田市という現状ではJ3以上は開催できないスタジアムを
満員にしてジェフ市原と対戦、満員御礼。 https://www.youtube.com/watch?v=Ttp6vREWF28
第4節 平塚でのジェフ市原戦に登場した名古屋・小倉。
超高校生ルーキーが早くもプレ開幕戦ながら躍動。
横浜F、当時のJリーグ最南端・鹿児島での遠征。
当時は九州に本拠地を持つクラブがなく、薩摩っ子はJリーグのスーパープレーに温かい拍手
https://www.youtube.com/watch?v=erMn5UqG_80
第5節。フリューゲルスが神奈川での初戦、平塚に浦和を迎えるが、
遠征が続いたせいもあって横浜Fは調子に乗れなかった。
横浜M対鹿島 マリノスのエバートン、鹿島のジーコというベテラン外人勢が活躍
https://www.youtube.com/watch?v=q_Riy-RaNJE
第6節 浦和・柱谷幸一(弟)が、埼玉県川越で古巣・横浜Mの挑戦を受ける https://www.youtube.com/watch?v=f0qMyobXzLk
第7節 いよいよ当時の「ジャパニーズ・ナショナルダービー」といわれた
日産→横浜Mと読売→V川崎の大一番。国立競技場に34000人もの大応援団。
ナショナルダービーらしく、白熱の1点を争う攻防を展開した。
延長戦13分・マリノスの神野がサドンデスゴール(のちのVゴール)でまたもマリノスに凱歌
ジェフ市原主催の横浜F戦はPK戦。
当時は5人づつではなく、1人目からのサドンデスを行い、ジェフ・パベルが成功するが、
フリューゲルス・エウレルがゴールポストに当ててあっけなく決着
https://www.youtube.com/watch?v=9yhmDZfBqR0
第8節 ヴェルディ・カズとエスパルス・ヤス、三浦兄弟がたもとを分かち初対決。
この後Jリーグ初期の頃は、このヴェルディ・エスパルス、
さらには鹿島、横浜M、平塚(1994年昇格)を巻き込んでの優勝争いが繰り広げられていく。
鹿島主催扱いのG大阪戦(西京極)アウェーながら準地元のガンバの逆転勝ちに、
熱狂したガンバ応援団がグラウンドになだれ込むあり様
また大宮を本拠地とした浦和レッズは、グランパスに不可解なノーゴールで敗れたことに怒りを覚え、
こちらは怒りのなだれ込み
https://www.youtube.com/watch?v=vTAo5wlTvpY
第9節 ベスト4が決まり、準決勝はV川崎-鹿島と清水-名古屋に決定
エスパルス、Jリーグ加盟最初の大会でいきなりのベスト4という大健闘。
平塚でJリーグ初の(同一都市による)ダービー・横浜決戦
名門・マリノスはベスト4に残るには勝たなければならないが、
すでに予選敗退が決まっていたフリューゲルスもプロビンチャーの意地を見せて、
延長戦、アルフレッドによる劇的なサヨナラサドンデスゴールでマリノスの初タイトルの夢を打ち砕く https://www.youtube.com/watch?v=YaD2b-AFNZE
1979年度天皇杯サッカーから。
日本リーグ当時の強豪・フジタ。Jリーグ初期の名解説者・マリーニョが活躍。
https://www.youtube.com/watch?v=lUERLH1mqLY
同大会1980年度決勝。大阪から当時2部リーグの田辺製薬が決勝に進出し、
はるばる田辺の工場従業員ら1万人の大声援を受けるが、
名門三菱の前に屈しタイトル獲得ならず https://www.youtube.com/watch?v=T70lu6cD878
1991年11月3日 当時の日本サッカーリーグ第3のカップ戦として行われた
「コニカカップチャレンジ92」第2回大会の決勝。
東海勢同士の本田技研浜松とトヨタ自動車。
当時、アマチュア大会でありながらも強化費用という名目で
賞金3000万円がかかるとだけあって、選手は目の色を変えて戦った。
のちに宮本征勝監督率いる鹿島のJリーグ1期生となる黒崎、長谷川、内藤らを擁した本田、
一方のちに多くがグランパスの1期生となる選手が大半残ったトヨタ。
国内最高峰の自動車メーカーの代理戦争ともいえる戦いは90分で4-4
その後延長戦(15分×2流し)に入っても点の取り合いとなり、最後は後半終了間際、
トヨタ・クリシューマのハットトリックで決着。6-5で制したトヨタが当時の4大タイトル初優勝を飾る。
あくる1992年からJSLカップとコニカカップが統合し、スポンサーもナビスコ(現山崎ビスケット)に代わり、
現在も続くナビスコ→ルヴァンカップとなって今日に至る。 https://www.youtube.com/watch?v=SPpipGC-ooI
1994年2月 ジュビロ磐田がJリーグ(J1)昇格を果たした際、
Jリーグ基準を充足するスタジアムにリニューアルされた
ヤマハ東山グラウンド改めジュビロ磐田サッカースタジアム(現・ヤマハサッカースタジアム)のお披露目の試合は、非公式戦(プレシーズンマッチ)ながら、
清水エスパルスとの静岡ダービーマッチ。
日本リーグ時代は現バックスタンドのみ5000人程度の収容、
ヤマハが楽器メーカーである故、チアガールにブラスバンドの華やかな応援だったが、
Jリーグ入りに当り、現メインスタンドが新設され、当時は公式には15490人収容
その後、1995年にエスパルスの日本平の増築(推定1万→2万248人)に対抗して、北側ホームゴール裏(現アウェー側)が二層式となり公称19000人を経て、
バックスタンドの立ち見・ベンチを個別席にするなどしたため、最終的には13000人程度まで縮小されるが、
2013年に南側のゴール裏が増築され現在は15165人とかろうじてJ1基準を満たす程度になっている。 https://www.youtube.com/watch?v=VjxwAHCCjNA
1996年9月 1995年休止により2年ぶりに再開されたナビスコJリーグ杯決勝。
1992年・1993年と2回にわたり決勝戦でヴェルディー川崎に苦杯をなめられた清水エスパルス。
壮絶な90分+延長30分(15分×2 ノンVゴール)の120分を経て3-3の同点。シーソーゲームを展開した末に、
いよいよPK合戦を迎える。
当時はメインスタンドから見て左側がホーム扱いとされたが、
PK戦はアウェー扱いの清水、同市内から駆け付けた大応援団をバックに展開される。
2人目、V川崎・マグロンがポスト左に外れてまずはエスパルス優位。
それ以外は全員がきっちりとゴールを決めて5人目を迎える。
そしてエスパルス・オリバ。全選手・応援団が肩を組んで固唾を組んで見守る中、
冷静に決めた瞬間、苦節4年にして念願のJリーグ初の公式戦タイトルを手中にする この「TVK神奈川」という書き方が実に気持ち悪い
TVKテレビなのかtvkなのかテレビ神奈川なのか https://www.youtube.com/watch?v=Y0hFYj1C5xg
1986-87年ごろのNHKニュースワイドから。
当時海外のサッカーリーグを紹介する機会はごく限られていた
イングランドFA1部リーグ(現プレミアリーグ)のルートン対ウェストハムの一戦。
現在FIFA公認のスタジアムにおいては人工芝単独のものは原則使用不可
(ただし、芝生が育たない、日本でいう地域リーグ相当など特殊な例は別)であるが、
当時は1部リーグの試合会場でも人工芝を張り付けていた。
アメリカの現MLSの前身であるNASLでもニューヨークコスモスなどいくつかは人工芝を使用していたりするし、
今も世界最大の国家面積を持ちその中に16チームがエントリーするロシアプレミアリーグでも
人工芝を使用するチーム(特に北極圏に近い地域)はいくつかある https://www.youtube.com/watch?v=8lnnImnDc9w
https://www.youtube.com/watch?v=OVnZBF0PGvg
1993年5月15日 旧国立競技場で行われた第1回Jリーグの記念すべき開会式。
まず、Jリーグ公式アンセム「J’s Ballade」に乗せて、リーグロゴをあしらったテントが登場。
次いで「J’s THEME」という激しいロック風の演奏に代わり、TUBEでも活躍するギターリスト・春畑道哉氏が颯爽と登場。ピッチを所せましと駆け抜ける。
再び「J's Ballade」に戻り、今度はおそらくJリーグ各クラブのサポーター有志か、
ユース選手の有志だろうか、第1回Jリーグに加盟する10チームのクラブフラッグが入場行進。
そして川渕三郎初代チェアマンが盛大に開会宣言を行い、
日本のスポーツ文化の大革命となったJリーグの開幕を飾る >>311
誤 J’s THEME
正 BORN TO WIN https://www.youtube.com/watch?v=iTeqPQh9_p0
これは過去にYouTubeで、鹿児島か熊本がフリューゲルスのセカンドホームタウン(特別活動県)だった時に
CMで放送されていたものでさわりを聞いたことがあるが、
Jリーグ公式アンセム「J’s THEME」の歌入りバージョン「風を追いかけて」のフルコーラス。
Ridingの伊藤一義氏がうたっている。ちなみにRidingはこの曲を作曲したギタリスト・春畑氏がいる
TUBEの兄弟ユニットに当るという https://www.youtube.com/watch?v=28uP7oUbseg
これはテレビ東京系で放送された「Number12」というサッカー情報番組で、
1998年に放送されたもので、横浜フリューゲルスがマリノスに統合されるタイミングで、
フリューゲルスをはじめとする主要15クラブのサポーターによる討論会。
このフリューゲルスの合併問題は単なる序章にしかすぎず、
2004年のプロ野球・近鉄がオリックスに合併し、さらに宮城に東北楽天イーグルスを誕生させ、
企業主導型から市民参加型、Jリーグが考える地域密着の理念の考えを変える
大きなシフトチェンジのきっかけづくりにもつながっていく大変革につながるきっかけにもなった >>311
さらに訂正
最初の「J’s Ballade」→「J’s THEME」
後者はそのまま(同じ楽曲ではあるが、アレンジ違い) https://youtu.be/PXiSHZvV5AU
1980年、日本ほか西側(民主国家)諸国が、
ソ連のアフガン侵攻に講義してボイコットした
あの因縁のモスクワオリンピック
決勝も当時の東側(共産圏)諸国同士の東ドイツ対チェコスロバキアだった それから8年、西ドイツにて
https://youtu.be/DKJEEAGLMec
ヨーロッパ選手権大会(夏季五輪イヤー開催)
旧ソ連として事実上最後の決勝は、
フリットという焼きそばパーマをしたおっさんのいた
オランダとの対戦 https://youtu.be/Y0KMPGDRe4A
1992年ナビスコカップ決勝
名門ヴェルディー川崎に、新興勢力、オール静岡で臨んだ清水エスパルスが挑戦。
ヴェルディ、三浦知良が先制点を守り、
プレ開幕戦初代チャンピオンの座を射止める 1983年JSLカップ
https://youtu.be/Lkr9nK_Jez4
日本鋼管対古河電工(会場不明 恐らく日本鋼管の川崎市内の工場にあるグランドか)
古河が2部の鋼管に惜敗。試合後、古河イレブンに、
奥寺康彦選手(当時西ドイツにいた)が一時帰国中だったこともあり、
戦術についてのアドバイスを行う https://www.youtube.com/watch?v=W4gpY4jRqLE
1997年末放送のJリーグ総集編。
この年はヴィッセル神戸がJFLから昇格して17チーム。
前年の1シーズン制が不評だったため、2回総当たりを維持し、1回づつの前後期制を導入。
前期は前年度ディフェンディングチャンピオンの鹿島が順当に勝ち上がり、
後期は2年目の94年の昇格以来優勝候補に挙がりながら優勝に届かなかった磐田がまずはステージ1位を獲得
年間総合優勝をかけたチャンピオンシップ。この年リーグ戦・ナビスコ決勝とも
鹿島に苦杯をなめられた磐田。しかし、この大一番で磐田は第1戦は延長戦Vゴール方式を制し、
第2戦、逆転優勝を信じた鹿島の大応援団を前に、奥野のレッドカードで数的優位となったのを見計らい、
土壇場、ゴン中山のミドルシュートがさく裂し、鹿島の応援団を唖然とさせる。
ついに磐田初優勝。
この戦いが、「V川崎VS横浜M」に代わる新たなジャパニーズナショナルダービーの幕開けにもなった
しかし、磐田はここ数年J1・J2を行ったり来たりしており、ナショナルダービーの色合いは消されている https://www.youtube.com/watch?v=cztFaWtMTy4&t=1862s
1993年のJリーグ総集編 オリジナル10チームの中で、現在もJ1から陥落したことがないのが、
この年の前半戦・サントリーステージ1位の鹿島と、2年後のチャンピオン・横浜Mの2チームのみ。
亡き横浜Fを除き、何らかの形でJリーグ主催のタイトルを手にしている。
・鹿島 今だJ2降格なし 1996年年間初優勝以後、Jリーグ最多19回にわたるタイトルホルダー
・浦和 1999年最終戦でJ2降格も1年で復帰 2005年念願の初優勝もリーグタイトルはこれだけ アジアチャンピオンリーグ2回優勝
・市原(千葉) フクアリに実質移転した2005・06年ナビスコ杯連覇も、2008年を最後にJ2陥落。今はJ3降格圏を右往左往
・V川崎(東京V) 1993・94年のリーグ戦、92-94年のナビスコ杯などリーグ序盤はタイトルホルダーも、2006年以後は2008年を除きJ2。こちらもJ3降格圏を右往左往
・横浜M 1995年リーグ戦初優勝。2003年第2Sでは、横浜MのCSでの対戦相手となるはずだった磐田との直接対決を制し、同じく鹿島が引き分け、3チーム勝ち点26で横並びも得失点差で勝った横浜Mが史上2チーム目の完全制覇 ・横浜F 1993年度天皇杯で初タイトル。1998年横浜Mと合併したことにサポーター激怒。リーグ終盤から天皇杯まで破竹の連勝街道で有終の美。現在はサポーター有志により横浜FCがJ1でプレー
・清水 1992・93年ナビスコ決勝で当時のV川崎に苦杯。1996年3度目の正直でナビスコ制覇。1999年第2S1位も、CS・磐田との静岡ダービーに屈しリーグ戦はいまだ無冠。ここ数年はJ1の下位に甘んじている
・名古屋 長年ピクシー・ストイコビッチでチームは成長。天皇杯に1995・99年度制するが、リーグタイトルとは無縁。2010年ピクシー監督でJ1初優勝も、2016年無念のJ2降格。1年で復帰
・G大阪 2005年、関西勢初のJ1リーグ戦タイトル。早くから育成に主眼を置いた取り組みをするが、2012年J2降格。2013年J2・14年はJ1を制し、天皇杯・ナビスコとの1年での三冠を獲得したが、ここ数年は低迷気味
・広島 1994年第1S1位、その後はタイトルから縁がなく、2003・07年J2降格。2010年代は3度リーグ年間制覇を上げ復調気配でACL常連に https://www.youtube.com/watch?v=6vqnZRW5zyg
女子サッカー黎明期(1990年代)、当時の読売西友ベレーザ(現・日テレヴェルディーベレーザ)の
高倉麻子選手(日本女子代表監督)が日本代表のユニフォームを着て女子の国際親善試合に臨む https://www.youtube.com/watch?v=inBtd6cKl8Y&t=230s
Jリーグではないが、1985年当時の欧州チャンピオンカップ決勝戦。
欧州チャンピオン決定戦は原則として毎年開催地を中立地で行う取り決めとなっているが、
この年はベルギー・ヘーゼルで行われた。
その決勝戦、イングランド・リヴァプールと、イタリア・ユベントスという、
いづれも熱狂的な応援団を抱えるチーム同士で対戦が行われたが、
余りの熱狂から試合開始前から暴動がおこり40人近くの死者が出るという大惨事となってしまった。
いわゆる暴力的応援団「フーリガン」の暴徒化の最高潮といえる事例である。
日本ではそこまでひどくないとはいえ、浦和レッズの応援団が、度重なる問題行動を起こし、
日本のフーリガンといわれたりもした https://www.youtube.com/watch?v=OU9GEiGftRk
1983年秋ごろ、TVK神奈川「日産FCサッカーダイジェスト」から。
三ッ沢サッカー場、今よりはかなり薄暗い。どちらかといえば今のヨドコウスタジアムのような中で、
日産対三菱重工の自動車代理戦争。
日産は清水、早野、柱谷兄弟、フジタから移籍のマリーニョなど、
一方三菱は現Jリーグ副理事長で、かつてのJFA技術委員長でもある原博実らが所属。
地味にパフパフがよく聞こえるが、チアガールの声援もほとんどない https://www.youtube.com/watch?v=zUq3QTl7_kM
1993年4月13日 Jリーグの浦和レッズが当初の本拠地として使うことを前提として、
照明設備やバックスタンドの座席化などの改修工事の竣工を記念して行われた国際親善試合
浦和レッズ対イングランド1部(現プレミアリーグ)のマンチェスターシティー戦。
Jリーグ開幕を記念して、イングランドのチームがシーズン終盤にもかかわらず、
浦和レッズの新スタジアムのこけら落としのためにわざわざ来日。
当時は下位に甘んじていた(その後2・3部=現表記では1・2部に降格してしまった)が、
今や同じマンチェスターでもユナイテッドをしのぐ強豪に君臨している
32秒当たりのオーロラビジョンは車載搭載型の仮設。
その2年後の1995年にバックスタンドの増築が行われた際、正式な常設のものが設けられた >>53
豊橋で偶然受信して録画もした
宮内聡さんが出てた(当時は伊賀にいた?) 三重テレビが港サッカー場の鯱のホームゲームを生中継したことがあったな https://www.youtube.com/watch?v=tB9c_dhjwzU
1984年(YouTubeの説明は誤り)に行われた、日本リーグ「フジタvs読売FC」
西が丘サッカー場(味フィ西)、当時は見事なまでに田んぼの状態の中でのキックオフも、
名門同士のプライドがぶつかり合い、3-3のドローマッチ >>296
https://www.youtube.com/watch?v=k79lbEXhaSo
一方こちらは1983年の同じカード、ホームとアウェーが入れ替わり、
ヤマハのホーム・東山グラウンド。
80年代の新興勢力、いづれも念願の日本リーグ1部初優勝をかけた直接対決。
このシーズンは読売FCが優勝。 そしてゾロ目を(σ・∀・)σゲッツ!!
やはりクソスレ終了w 在広民放局は今ではRCCが年1試合やるかやらないか程度なんだよな。
むしろJTサンダーズ広島(主にHTV・TSSが放送)や
広島ドラゴンフライズ(全曲で放送実績あり)の方が放送が多いぐらいになった。 https://www.youtube.com/watch?v=qKZ1AeIrV8E
ニュース映画より
1972年5月、ブラジルリーグ1000得点を決める実力者・ペレのいるサントスの来日試合。
日本代表との対戦。試合開始前からファンがトラックに乱入して当時はまだ世界に遠く及ばなかった
日本を前に、本場のプレーを繰り広げ、ファンはむしろそちらに集中する https://www.youtube.com/watch?v=7JqqnOmVAEw
1982年 スペインw杯に入る前に、アルゼンチン1部のボカ・ジュニアーズが来日。
日本代表とのプレシーズンマッチに、3年前の世界ユース優勝メンバーだったマラドーナが凱旋 https://www.youtube.com/watch?v=Tv9q15bXA9s
1985年「三菱ダイヤモンドサッカー」
西ドイツ(当時)のブンデスリーガ優勝を占うブレーメン対バイエルン
おなじみの金子・岡野の名コンビに松本典子が参戦
(のちの笘篠兄婦人) https://www.youtube.com/watch?v=I9PQRktFftU
1984年日本リーグ1部、当時はまだ横浜市に拠点があった古河サッカー部(現・ジェフ千葉)主催扱いの
対日産戦。本拠地が三ツ沢サッカー場であるため今日でいう「横浜ダービー」
今だとダービー独特の異様な雰囲気があるが、当時の三ツ沢は照明塔が500ルクスも満たないだろうか
真夜中の墓場の中でサッカーをしている感じにも見える。
その中で華やかないかにも企業対抗というニュアンスのチアガールによる応援合戦が目立つ https://www.youtube.com/watch?v=_GEEba9kVrc
1984年 三菱対ヤマハ(今の浦和対磐田)
当時のパフパフでの応援が多いのは楽器会社がスポンサーのヤマハ発動機ならではといえる https://www.youtube.com/watch?v=xc8BwBon9ds
第100回記念の高校サッカー。
こちらは1980年度(81年1月)の59回大会から。
名門・清水東が徳島商に苦戦を強いられる。
https://www.youtube.com/watch?v=iHjVL4j7uA0
その決勝戦は、茨城の古河一との対戦。当時の日本サッカーはこの冬の甲子園こと国立ぐらいしか盛り上がらなかった
古河一が優勝し、関東勢7連覇を記録する。
その茨城県は住友金属鹿島が一時期日本リーグ1部に上がるも、
長らく低迷が続き、クラブチーム・鹿島アントラーズになってジーコが入部し、
選手にプロ魂を与え、今やJ1で20以上のタイトルを手にする強豪となるが、
これを除いて現状茨城でトップリーグを経験しているチームはない。
水戸も新スタジアムの建設計画を打ち出しているがなかなか進んでいない。
ケーズスタの増築もめど立たず
古河にはこの大会当時に立派なサッカー場が建っているが、Jリーグ発足後は残念ながら
カシマやケーズスタに比べると貧相になってしまった >>341
高校サッカーを冬の甲子園だなんて現代ならやきうアンチが発狂間違いなしだな https://www.youtube.com/watch?v=Irw1y6qP5DI
1984年頃のヤマハ対古河。古河の岡田武史選手がけがで退場してしまった。
会場は名古屋・瑞穂ラグビー場。
今と比べるとかなり質素な、近所の運動広場での試合みたいな感じだな https://www.youtube.com/watch?v=ioW0XveLQZM
1983年正月、全国高校サッカー選手権準決勝
高校イレブンのあこがれ、聖地・冬の甲子園こと国立にて長谷川健太、堀池巧、大榎克己の
「清水東3羽ガラス」が大躍進を遂げる。
のちに大学・社会人では袂を分かつが、
1993年、この10年後に清水エスパルスに再結集。Jリーグを盛り上げる。
その後、堀池はサッカーコメンテーターとして「やべっちFC」の名コメンテーターとなるが、
大榎、長谷川は指導者の道を歩み、長谷川は清水→G大阪→F東京を経て、4クラブ目の名古屋の監督に https://www.youtube.com/watch?v=kmYSBmv4Ras
1981年1月、高校サッカー選手権、大宮サッカー場で地元・埼玉県の浦和南が高松商業に
ワンサイドゲーム6-0の圧勝を見せる https://www.youtube.com/watch?v=O3d3nabxSAU
1984年日本リーグ「日産自動車対三菱重工」
あの木梨氏と同僚だったという当時の三菱の川添孝一がコーナーキックから値千金の決勝点 https://www.youtube.com/watch?v=I9PQRktFftU
同じ年の「横浜ダービー」日産対古河
薄暗い三ツ沢サッカー場。日本代表の主力が多数登場し、
それなりの大熱戦を展開する >>347
https://www.youtube.com/watch?v=OU9GEiGftRk
同じ組み合わせの1983年の日本リーグ。
日産の社員だったころの清水秀彦、早野宏史、木村和司
三菱の田口 https://www.youtube.com/watch?v=C6eL505xjc4
1984年の日本リーグ「本田技研(浜松)対読売FC」
ゴールをたたいた関塚隆はのちに鹿島に移籍して監督となった人物
浜松工場・都田グラウンドゴール裏に駐車場が多数あるが、
ホンダ以外は泊められなかったのだろうか? https://www.youtube.com/watch?v=0wavUciXPUU
1985年の日本リーグ「読売FC対日立本社」
当時は秋〜春制。読売FCに与那城ジョージやラモス瑠偉ら、
ブラジル出身の選手たちが在籍していた時代 https://www.youtube.com/watch?v=4obgH-yqwiI
1981年2月 第1回トヨタカップのために来日した、ウルグアイのナシオナル・モンテビデオが、
日本ユース(U-18)との練習マッチを開催。
当時の日本のサッカーは企業主体の日本流ステートアマだったが、
実力は完全プロの南米のチームには遠く及ばず、もはや子ども扱いにしかならなかった https://www.youtube.com/watch?v=0qRM3v4CwnM
かつて、20世紀末〜21世紀初期のころ、イングランドのチェルシーは、
ディビジョン1(2部)に降格した時代があり、
イギリスのテレビはローカル放送であっても積極的に下位リーグをフォローしていたため、
あまり日の目を見なさそうな地方クラブ(今でいうJ2・J3・JFLレベル)との対戦の映像も残っていたりする https://www.youtube.com/watch?v=m-KWdJioSUI
1981年高校サッカー・大宮での遠野高校対済々黌高校
亡き古葉氏の母校はサッカーにも出てたようだが、惜しくも敗戦を喫している https://www.youtube.com/watch?v=zA6b9Sc-GzI
1979年高校サッカー、冬の甲子園こと国立に駒を進めたのは
いづれも地元では名門・北海道・室蘭大谷対茨城・古賀一
高校サッカーはいまだに北海道からの出場枠は1枠のみ。
(高校野球や春高バレー、もう一つの冬の甲子園・ラグビーは南北から代表が出ているが)
さすがに、決勝戦らしい熱戦が繰り広げられている。 https://www.youtube.com/watch?v=H2sRmnYKhe8
1981年高校サッカー初戦、大阪の北陽高校に立ち向かう宮崎の西目農業
西目・小松という選手が50mの超ループシュートを直接北陽ゴールに叩き込み決勝点を挙げる >>356
https://www.asahi.com/articles/ASLD7644DLD7UTQP026.html
その後小松は、ヤンマーに入社し、日本リーグ1部で11ゴールを挙げ、
引退後も育成で手腕を振るう。
現在は高知の強豪・明徳義塾の監督 https://www.youtube.com/watch?v=j2tQxgkzCWs
1981年11月開催の第60回記念大会・埼玉予選。
当時はまだ全国各都道府県1代表ではなく、いくつかのブロック大会で争っていたが、
開催地の4都県からは各1チームが出場という体裁。
ただ、この第60回記念大会は特例で、全国47都道府県から代表(東京のみは2チーム)が選出されていた。
埼玉県代表決定戦は名門・武南高校と浦和南高校。埼玉県からは1チームしか出場できないため、
それにふさわしい激闘が80分間にわたり展開され、2−2の同点ののち、
20分の延長戦、さらにはPK合戦に持ち越される。
そのPK合戦も双方の応援団の手拍子を背に大激闘を繰り広げるが、武南が勝ち名乗りをあげ、
全国大会出場権を手繰り寄せる https://www.youtube.com/watch?v=cPXPdHwwmfw
こちらは、テレ玉が高校サッカー100回記念大会を記念して製作した特番。
先ごろ放送されたばかりである。
大宮サッカー場改めNACK5スタジアム大宮。埼玉県大会決勝、さらには全国大会でも使われる
埼玉サッカーの聖地
ゲストはのちに日産黄金時代を引っ張る浦和南出身の水沼貴史
司会はテレ玉のスポーツ中継を語るうえで欠かすことのできぬ生き字引・上野晃アナ https://www.youtube.com/watch?v=PVWBHamVi0c
1977年、冬の甲子園・国立に舞台を移した高校サッカーの名勝負
このころから浦和南、帝京、古河一など、関東勢の台頭が目立つ https://www.youtube.com/watch?v=g_caeX42xYo
埼玉勢12回目の優勝を飾る、1982年正月の60回記念大会決勝・武南。
同じく関東の雄・山梨の韮崎を2-0で圧勝を果たす https://www.youtube.com/watch?v=7gOQ3Sj01A4
1992年70回記念大会 滋賀県・水口高校との対戦で、
武南高校の上野良治からのパスを江原選手がヘディングゴールを挙げる。
本来の埼玉県の主会場の一つ・駒場での開催。現在は浦和レッズの本拠地としての利用のため改築されているが、
当時はまだスタンドが十分備わっておらず、陸上トラックに客を入れるほどの盛況 https://www.youtube.com/watch?v=QypFo_3WNkI
1985年5月、イギリス・イングランドのブラッドフォード球技場大火災。
タバコの吸い殻を起因としてメインスタンド(木造)が一瞬にして炎に包まれ、
この映像では41人死亡とある。(NHKお昼のニュース 梶原四郎アナ司会)
その他ANNニュースレーダー、JNNニュースコープより https://www.youtube.com/watch?v=sKA-aQZd8Ac
1982年・第55回全国高校選手権、冬の甲子園・国立を舞台に、
関東の横綱同士、帝京対浦和南
決勝進出をかけた80分の死闘の末ドロー。PK戦にもつれる。
そしてPK戦、帝京5人目の選手がGKのパンチングで勝負あり
日テレの公式映像だが、実況音声はカットされている https://www.youtube.com/watch?v=6-cUeXy-BrE
1979年夏の世界ユース選手権(U−20)において、アルゼンチンが優勝した時、
国立競技場にファンがスタンドからグラウンドになだれ込むさま。
そこで、グランドに飛び降りないようにと説得しているが、わずか4か月後、
1980年冬の甲子園(高校サッカー)決勝における、帝京高校の優勝に歓喜し
約5000人のファンがまたもスタンドからグランドに殺到してしまう。
その模様は記事のみ。 >>366
https://www.youtube.com/watch?v=PVWBHamVi0c
その1980年大会を含む、首都圏に移行してからの大会の歴史・名勝負
明らかに、帝京イレブンの優勝を祝おうとする応援団が
スタンドから降りて拍手・胴上げに参加しようとするタイミングを計る人らがいる https://www.youtube.com/watch?v=M0m1ezLe3yY
1988年高校サッカー準々決勝 埼玉・武南と対戦し、3-0で大勝しベスト4を決めた
市立船橋の中川秀樹選手。のちのお笑いコンビ・ペナルティーのヒデに当たる。 https://www.youtube.com/watch?v=ZEYzL1sRR40
1991年、この年はアジアユースの関係で、県予選を免除された特別シード4校を加えた52校での大会。
2回戦、PK合戦もサドンデスとなる大熱戦の末敗れた市立船橋。
7人目に蹴った脇田寧人青年。これがのちのペナルティー・ワッキーとなる https://www.youtube.com/watch?v=_uaNx6Xye98
1980年の大会出場をかけた東京都予選会の決勝。当時はまだ全都道府県ではなく
ブロック代表制だったため、東京都からも1校しか全国の切符を手にできなかった。
修得高校との対戦に挑んだ帝京高校の木梨憲武選手。当時17歳、初々しくふさふさしていた https://www.youtube.com/watch?v=YzYv9DC5uT4
1992年、Jリーグ幕開け前の冬の甲子園・国立をはじめ首都圏各地で
熱戦を繰り広げた選手たちのゴール集
前園(鹿児島実業→横浜F→V川崎→ブラジル→湘南→韓国→サッカー解説・タレント)
木場(滝川第2→G大阪)、松波(帝京→G大阪→指導者としてG大阪・鳥取)、
小倉(四日市中央工→名古屋→オランダ→名古屋→市原→東京V→札幌→甲府→解説者→名古屋監督→伊勢志摩FC監督)
Jリーグ1期生の主力選手たちの競演 Jリーグ元年、1993年の冬の甲子園ゴール集
Jリーガーをあきらめ俳優に舵を切りメガレンジャーのメガブラックになった江原淳史(武南)
国見からマリノス内定を受け日本代表、現在はヴィッセル神戸を率いる三浦淳宏 https://www.youtube.com/watch?v=ZbE6nYvIoGU
昭和から平成へ、1989年1月の大会のゴール集
中口雅史は国見→大阪産業大→ガンバ大阪→佐川大阪でプレーするが、
選手としてというよりはのちに佐川大阪→佐川滋賀を強豪に導く指導者に
野口幸司は市立船橋からフジタ(のちの湘南・平塚)をJリーグに導く。
山田隆裕は清水市立商業から日産(横浜M) https://www.youtube.com/watch?v=eBhokcYekDU
1991年 Jリーグ発足を目前に、空前のサッカーブーム。
企業主体の日本リーグが事実上のセミプロ化したこともあって、冬の甲子園もにぎやかになる。
のちにジュビロのエースとなる名波(清水商)、浦和レッズの宴会部長・水内(旭)、
そしてまたも国見の中口 https://www.youtube.com/watch?v=9Mfg6KftXlM
ドーハの悲劇を乗り越えて、1994年、アメリカからフランスへの再出発の年。
のちにベガルタを振り出しにアジアを中心に20か国でプレーしたジプシー・伊藤壇(登別大谷)
清水商業からマリノス入団を果たした安永聡太郎、
国見からガンバ大阪に鳴り物入りで入団するも、その後はJ2・JFLに戦いを求めた船越優蔵
そしてこの年のJリーグ開幕戦、地元市原で伝説のバク転を決めて沸かせた鹿児島実業の城彰二は、
今や高校サッカー中継の語りべとなった https://www.youtube.com/watch?v=Yb22j0LbE94
1988年。まだプロ化すらクローズアップされていないまさに冬の時代。
のちに名古屋グランパスで活躍した森山泰之が帝京高校のエースストライカーだった https://www.youtube.com/watch?v=H_5Jp1-4IfM
のちにスペインで活躍する乾貴士。
2005年、野洲高校を滋賀県初の冬の甲子園日本一に導く伝説的なゴールシーン https://www.youtube.com/watch?v=I3FIDy-HlAs
1991年、プロ化を目前に控え、賑わいを見せるようになった日本リーグ最終シーズン
三ツ沢でホーム日産が読売SCを迎える。エバートンの先制点 https://www.youtube.com/watch?v=9og1dlLNXCs
1991年の冬の甲子園出場をかけた北海道大会のCM。
まだJリーグが発足する直前、当時の北海道のサッカーのメイン会場といえば、
円山陸上競技場か月寒ラグビー場というイメージが強かったが、
予選は芝生の整っていない河川敷の小さなグラウンドが舞台 https://www.youtube.com/watch?v=2Hq-HZYj8d8
1990年第68回大会の北海道予選。
1989年はまなす国体を終えた厚別公園陸上競技場。
室蘭大谷高校の深川はのちにJリーグ・セレッソ大阪、
そして地元のコンサドーレ札幌に凱旋。コーチとしても活躍した。 https://www.youtube.com/watch?v=SADOATjWWyM
帝京高校の初優勝は1975年、当時は関西(長居メインスタジアム、靭球技場)
清水商業を下して念願の初優勝。
その後首都圏での開催で常連校の仲間入りを果たす https://www.youtube.com/watch?v=nvInu4AEDZY
1988年1月 大宮で行われた高校サッカー・帝京対東海大一
当時高校サッカー界のアイドル・平沢や、のちにエスパルス入団の沢登らタレントが揃う東海一、
一方帝京はJリーグ初期のエース、磯貝、森山らが在籍し、大一番にふさわしい展開。
入場料がどれだけ取られたか知らんが、1万人収容のスタンドに入りきれないファンが、
グラウンドのゴール裏目前まで下りるという大盛況 https://www.youtube.com/watch?v=J8qqNnMWbAo
1995年 中京テレビ「Viva‼サッカー」、グランパスが中心かと思ったが、
アトランタ五輪出場を手繰り寄せた、前園(横浜F)と小倉(名古屋)の特集 https://www.youtube.com/watch?v=BlGlw_FlLYA
1996年の天皇杯サッカー・3回戦 三浦知良(鈴鹿)がV川崎時代に、
鳥取バードスタジアムでプレー。大分トリニティー(現在のJ2トリニータの元母体)との対戦。
トリニティーはこの年JFL(当時は現在のJ2相当)に在籍していたが、10位と初年度にしては健闘
Jリーグ2連覇・ナビスコ3連覇の名門を相手にやはり苦戦を強いられていた https://www.youtube.com/watch?v=PqnmauXLtMg
コカ・コーラの1980年代中盤ごろのインフォマーシャル。
当時はまだマイナースポーツだったサッカーの普及啓もうのため、
セルジオ越後氏が中心となって取り組む「さわやかサッカー教室」について、
そのセルジオ氏と森繫久彌氏が紹介する >>395
今はほとんどの地域販売会社(ボトラー)が東京・福岡の2本社制となった
コカ・コーラボトラーズジャパンに統合されているが、
1980年代は北は北海道から南は沖縄に至る17のブロックの販売会社に
分かれていたことから、Jリーグの理念と同じ地域密着型という経営姿勢を打ち出していることがわかる そして血葉のス××ロ××ンポー××ッツの400阻止 https://www.youtube.com/watch?v=xniPDFvaaI8
1983年の日本リーグ、JSL時代屈指の近隣自治体ダービー「天竜川決戦」
本田技研浜松サッカー部の本拠・都田で行われた本田対ヤマハ発動機の対戦。
今でこそダービーマッチは地元の自治体のサポーターによる郷土色豊かな応援合戦で火花を散らすが、
当時はまだ企業チームの域でしかなかったので、どちらかといえば企業対抗の応援団の対決的なものだった。
今だホンダFCは企業チームでありJ3昇格のめどが立っていない現状を考えると、
しばらくは「ジュビロvs浜松新チーム」の天竜川ダービーは先延ばしかもしれない https://www.youtube.com/watch?v=Cu9CsobKLxA
1984年 NHK G「今週の顔」、当時日本からブラジルリーグ1部のサンパウロFCに、
日本人選手として初めて入団した水島武蔵選手が凱旋し、スタジオで草野仁氏からインタビューを受ける。
当時ブラジルリーグの規定で、外国人枠が自国選手育成の観点から1人のみしか獲得できなかったので、
あえて日本国籍を捨ててブラジル国籍を選び、日系ブラジル人1世としてプレーする道を選ぶ。
Jリーグ発足間近に日立(柏レイソル)→横浜フリューゲルスに移籍するも、1993年に引退。
現在はサッカー指導者となっている https://www.youtube.com/watch?v=KtaGLxf-AdM
1984年、TX「少年サッカー教室」講師・釜本邦茂選手(元ヤンマー)に、
当時の高校生年代・ユースの選手たちが指導を受ける。
小島、大榎、長谷川健太、梶野、松山、堀池、武田修宏と、
のちのJリーグ初期を彩る選手たちが登場し、レジェンド・釜本からの教えを被る贅沢な企画だった https://www.youtube.com/watch?v=v_r1SOlXp-U
1976年、国立競技場
日本代表のナショナルチーム同士の対戦ですらも閑古鳥だった時代だが、
アメリカ・ニューヨークコスモスにいた、世界のペレが来日した時、
日本選抜との親善試合を開催した時は推定5万は入っていただろうか? https://www.youtube.com/watch?v=ntqEu7N8KlE
1984年、ロス五輪明けに行われた日本リーグ後半の開幕カード
三ツ沢での古河電工対読売FC。かなり薄暗い、今のヨドコウスタジアムみたいな感じ https://www.youtube.com/watch?v=cBXTjMjpoWg
1993年Jリーグ開幕を前に、外国の強豪チームが発足を祝って大挙来日し、
親善試合を開催する中、日本平(まだゴール裏のスタンドが低かったのと、
バックスタンドもガラス張りスタンドがなかったころ)で行われたエスパルス対ブラジルのグレミオ戦 https://www.youtube.com/watch?v=korMS8otv2M
1984年日本リーグ「ヤンマー対日産(現在のセレッソ対マリノス)」
陸上競技場だが、どこで行われたかの明確な記述なし。
当時はまだ企業レクリエーションの範疇であるため、
応援もかなりバレーボールやバスケのような素朴なチアガールと応援リーダーがいるこじんまりとしたもの 186名無しだョ!全員集合2022/09/28(水) 04:37:30.51ID:JiWB6/ki
https://youtu.be/roAEvYuzBm4
1974年7月、ワールドカップサッカー西ドイツ大会、
日本のテレビ史上初めて、決勝戦の生中継を東京12が行う。
当日は参院選があり、地方都市は即日開票が行われていたが、その開票速報の合間に、
ミュンヘン五輪スタジアムから、開催国西ドイツとオランダ、
今では世界の6大サッカー大国(イングランド、スペイン、フランス、ドイツ、イタリア、オランダ)を担う
強豪2か国の決勝戦を、おなじみ「三菱ダイヤモンドサッカー」のコンビと、
ゲスト解説に現地から三菱重工の二宮寛監督、スタジオものちのJリーグ専務理事の森健児氏
協賛も三菱グループ各社という、ダイヤモンドサッカーの特別版的な位置づけで放送された。 1993年8月20日付の新聞テレビ欄を見ていたら
清水e-鹿島aの試合が入っていました。 本日、鹿島が28年ぶりにホームで5失点大敗やらかしたが、
28年前にホームで5失点大敗やらかした試合、1995年9月2日の対V川崎戦はフジで全国ネットで晒されてるんですよ 因みにこの時のV川崎のゴール
カズ×3
武田
北澤
他に、
現 福岡監督が前半で交代
ラモスは不出場 鹿島が12年ぶりに国立競技場で主催試合
カシマスタジアムが小さかった頃は年数回、国立競技場で主催試合を行っていた
1999年〜2001年シーズンのスタジアム改修の頃は国立競技場で主催していた試合も多かった
5万人入った1999年GWの磐田戦とか印象に残っている >>135
テレビ東京 J-LEAGUE LIVE95
オープニングテーマは
影山ヒロノブ「GET WIN THE ''J''」
エンディングテーマは
前期 TEARS「さよなら」
後期 TEARS「あの空を忘れない」
当該のwikiができたらお願いします TEARSってデビュー曲しか売れなかったんだよ
日テレの1994年のヴェルディ戦中継のエンディングも歌ってた スタジオキャスター
フジ 西山喜久恵
テレ朝 大下容子
フジの場合はテレゴング使って視聴者に勝敗予想クイズしていた wikipediaなどでも中継実績とか書かれてないね
みんな関心薄かったのかな 図書館で新聞の縮刷版でも調べればテレビ欄はあるから何月何日にどことどこの対戦がどこのチャンネルで放送されたかがわかる
今忙しくてちょっと大きい図書館に行く機会が無いから無理だ 民放で最初のJリーグ中継したのがテレ東だったとは意外 >>423
ドラゴンボールZのWikipediaだと休止した日にどことどこの対戦が組まれたと書いてあるよ 1995年頃から視聴率傾き出してテレビ局も中継から次々と撤退していったしね
TBSとテレ東はまだ1996年以降も年に数回はゴールデンでの中継を行っていた >>428
テレ東は一時期Jリーグ中継がドル箱番組だったし
その貯金もあってバラエティではなんでも鑑定団やアド街ック天国をこの時代に開始させた
ただ、ニョキニョキ植物王国に至ってはちょっと残念だったな。テレビ初の植物題材のクイズ番組と銘打ってただけに
時間帯が他のとこだったらこっちも人気番組になれたかもしれない
あと、アニメではジャングルの王者ターちゃんやとっても!ラッキーマンや鬼神童子ZENKIなどのジャンプ系の作品も積極的に行ったのもこの時代 テレ東は土曜日のゴールデンは特番枠だったから難なく組めたんだよ
当時はまだローカル路線バス乗り継ぎ旅なんてのも無かったからね