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NHK土曜ドラマ ちゃんぽん食べたか [無断転載禁止]©2ch.net
■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています
0001名無しさん@お腹いっぱい。
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2016/05/28(土) 18:32:04.73ID:7tO/6GUK
2015年5月30日−8月1日放送

キャスト
佐野雅志:菅田将暉(少年期:大八木凱斗)
古田政美:本郷奏多
樫山  満:間宮祥太朗
菊田保夫:泉澤祐希
岡倉洋子:森川 葵
佐野喜代子:西田尚美
佐野雅人:遠藤憲一

スタッフ
原作:さだまさし『ちゃんぽん食べたかっ!」
脚本:尾崎将也
演出:清水一彦、川野秀昭
音楽:渡辺俊幸
制作統括:真鍋斎、谷口卓敬
0003名無しさん@お腹いっぱい。
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2016/05/29(日) 22:23:54.02ID:RRK6NZ0D
良いドラマだった
0005名無しさん@お腹いっぱい。 転載ダメ©2ch.net
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2016/06/23(木) 22:29:22.18ID:dXgT2ETW
ぇぇ
板復帰(OK!:Gather .dat file OK:moving DAT 706 -> 703:Get subject.txt OK:Check subject.txt 706 -> 706:Overwrite OK)2.20, 2.42, 2.51
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0011名無しさん@お腹いっぱい。
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2016/07/18(月) 17:33:13.40ID:r33D/PWU
お願いだからソフト化して
0013名無しさん@お腹いっぱい。
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2016/07/18(月) 19:42:34.65ID:ShoGbSD7
ここ数年やったドラマの最高傑作のひとつ。なんで賞をもらえなかったのか
0015名無しさん@お腹いっぱい。
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2016/07/21(木) 09:22:54.60ID:qsRpe9kK
やさしくてのんびりとしたさのまさしが好きだった
力みのないすだくんの演技がよかった
いろんな役をこなせる彼だけど、これは本当に役と一体化してるというか、
もともと持ってる落ち着いた性格とピッタリハマったというか
それこそ当時のスレでだれかが言った「すだまさし」が確かにそこに居た
0016名無しさん@お腹いっぱい。
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2016/08/02(火) 16:00:18.40ID:7OflX59v
昨日のスマスマで岡田義徳がバイオリンの弓持って、ほんの少しだけちゃんぽんの話してた
なんとなく嬉しくなってしまった
0018名無しさん@お腹いっぱい。
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2016/08/08(月) 11:23:12.78ID:+xvIGfXF
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0019名無しさん@お腹いっぱい。
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2016/08/17(水) 13:01:26.13ID:f0Q3tDVc
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0020名無しさん@お腹いっぱい。
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2016/08/17(水) 14:36:20.23ID:WaX5G52Y
樫山が自分のベースを売って
雅志のバイオリンを質屋から出してくるとこ
1話目の調子のいい樫山を思い出すと
泣けてくる
0022名無しさん@お腹いっぱい。
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2016/09/24(土) 07:14:04.28ID:gSyT75ka
昨日放送のドキュメント72時間(長崎の花火の回)にさださんの弟が(偶然)出てたよ
今年の春にお母さん亡くなったと言ってた
再放送は木曜深夜

番組ページ↓
http://www4.nhk.or.jp/72hours/x/2016-09-28/21/25085/1199148/
0023名無しさん@お腹いっぱい。
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2016/09/24(土) 20:32:26.87ID:6Ml9wSz8
夏ドラマは各局ともさんざんで、『花咲舞・・・』のような安易に二匹目のドジョウを狙った(しかも最初のシリーズとてそれ程名作だった訳でもない)ものが視聴率ではトップで、ほかには二桁行くものがほとんどないらしい。
評論家がサスペンスにしろラブストーリーにしろ、種が出尽くして新鮮味や意外性を出すのが難しいなどと書いているのも見るが、『ちゃんぽん・・・』など最初から最後までそれほど大した事件も意外な展開もない。
まして現在も大活躍中のさだまさしさんの自伝なのだから、結末も分かっているようなものだ。
けれどもこのドラマは9回ずっと楽しく見ることができた。むしろ強引な展開や無理なつじつま合わせがない所に好感が持てた。何気ない日常もしっかりした脚本や演出があって、
細部まできちんと丁寧に作ることで、なんでもない場面のひとつひとつも見るものを楽しませ心を温かくしてくれた。
0024名無しさん@お腹いっぱい。
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2016/09/24(土) 20:35:32.79ID:6Ml9wSz8
1 05/30 5.6
2 06/06 2.8 -2.8
3 06/13 4.2 +1.4
4 06/20 3.0 -1.2
5 06/27 2.2 -0.8
6 07/04 2.4 +0.2
7 07/18 4.0 +1.6
8 07/25 3.5 -0.5
9 08/01 4.1
0025名無しさん@お腹いっぱい。
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2016/09/24(土) 20:45:11.00ID:6Ml9wSz8
地味な作品だが、NHKの土曜ドラマ枠で放送されている『ちゃんぽん食べたか』が面白い。
起承転結のしっかりとした論理的なドラマを作る脚本家だ。そのためか、いつも少し引いた目線で登場人物を描いている。だから、
登場人物が感情を激しくぶつけ合うということも少なく、そういった場面があったとしても、大抵はコメディタッチでかわされてしまう。
そのため、どこか人を食ったようなすっとぼけた落語的な味わいが尾崎のドラマにはあるのだが、本作のおっとりとした空気は、
原作の持ち味と尾崎の作風がうまくマッチした結果、生まれたものだろう
0026名無しさん@お腹いっぱい。
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2016/09/25(日) 01:15:34.01ID:5M9rf2/x
土9のドラマは6%ぐらい取れてた

64は新設されたばかりだったから低視聴率なのは仕方ないが、
二発目のこのドラマも低いとなると土曜の10時という枠自体に問題があるんだろう
0029名無しさん@お腹いっぱい。
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2016/10/01(土) 15:29:29.04ID:A5Scwv6d
お買い物〜老夫婦の東京珍道中2009年2月14日
第46回ギャラクシー賞 テレビ部門優秀賞、月間ギャラクシー賞
第35回放送文化基金賞 テレビドラマ番組賞、演技賞(久米明・渡辺美佐子)
東京ドラマアウォード2009 作品賞優秀賞

どの人も、普通にさりげなく優しい。
孫娘の、淡々とした態度は、とてもクールだけど、
年寄りだからと言って、過剰な優しさを押し付けてなくて気持ちが良い

潜在的にある人間の悪よりも、潜在的にある善意の瞬間を繋いだような展開に、切なさと、微笑みが交互に味わえた作品でした。
どうしたらこんなに自然を切り取れるのかな、と羨ましい気持ちで見ました。
0030名無しさん@お腹いっぱい。
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2016/10/01(土) 15:31:05.36ID:A5Scwv6d
池端俊策:
オリジナルの作品が多くありその中で、前田さんの『徒歩7分』は頭抜けていると、全員一致の認識であり、
前田さんの作品に決定いたしました。作品は、数人の人物たちが延々と会話を続けるというつくりで、
限られた空間の中で、ある女性が自分の人生を告白していく話です。中身は悲劇的要素を含んでいますが、
脚本は喜劇的と言えるくらい、ユーモラスな世界観が描かれています。
悲劇性を帯びているのに、なぜかそれが笑えてしまう。絶対のない世界、
非常に相対的な世界のなかで生きている若い女性の、ある断片をスパッと描いたという鮮やかな作品だった。

「徒歩7分」は主人公の謂わばゆるめの悲劇的情況を饒舌で喜劇的とも思える会話劇に仕立てた作品であり、
そのユーモアに満ちた世界観と筆力は賞讃に価します。
現代を生きる意味を無限に相対化する作風は新鮮であり、今後の活躍を期待し、向田邦子賞を贈ります

「悲劇性を帯びているのに笑える。今の時代をうまくすくい取っている

「小さな世界のようでいて、大きな世界を描いている
0032名無しさん@お腹いっぱい。
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2016/10/02(日) 13:17:48.08ID:HnR64SIi
映画は谷崎潤一郎作品を思わせる。モダン画家アリス(アンヌ・パリロー)にはボクサー志望の恋人フランク(パトリック・オリニャック)がいた。2人はアツアツ。そこへひょっこりアリスの姉エルザ(ベアトリス・ダル)が訪ねてくる。
エルザはこの2人のセックスものぞくし、ことあるごとに妹を痛めつけるが、この姉妹どうやらレズビアン。姉の嫌がらせの怖さ、その毒の裏に妹への恋が感じ取れ、愛という厳しさでこの怖い姉をも映画はかばう。
ありきたりのストーリーで甘い。しかしこのフランス映画、そのフランスの底力を見せた。
姉がうまい。姉の顔に学校のいやな級長の冷酷さが感じ取れ、この姉の演技がこの映画を大人の映画にした。脚本もこの監督、そしてこれでもかと女の弱さ、怖さを押しつける。
姉が妹の恋人を奪ったうえに、妹の両手を縛ってこの恋人とセックスするうめき声を妹に聞かす。この姉妹、レズビアンに近いこともわかってくる。
この映画、男がバカみたい。筋肉豊かな若者で女の夜の相手にはもってこい。けれど自分の恋人の姉に誘われて断れぬあたりが、この映画、もすこし大人にならないと困る。テネシー・ウィリアムズくらいの描き方、もっと怖く谷崎文学に迫るべきだった
しかし最近の、セックスだけが見せ場になってきたふぬけたフランス映画の中では、やっとフランス映画だといううれしさ。とにかく姉が演技を見せた。姉のマスク、目、笑い、唇、
このすべてが女の監督、同じ彼女のその脚本でいやらしさ、怖さを出した。ありふれた脚本ながら残酷さは最近最高の描写。近ごろ多くの凡作とアクションものに疲れた観客は、この映画で目を覚まさせるといい
0033名無しさん@お腹いっぱい。
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2016/10/03(月) 02:59:15.40ID:hf5jQ33D
岡田書く前にプロットを提出して、それについて話し合うのはキライなので、基本的にはしていない。つまり、締め切りを待っているプロデューサーは、何の話が来るかわからない。」
中園「ハラハラドキドキの心でワクワクする」
岡田「ドキドキトワクワク」
中園「ハラハラもする。実は私、必ずハコ書きはします。そうすると、(書き直し指示されても)キズは浅いです。プロットがあると、楽しくないじゃないですか。」
尾崎「(プロットがあると)スイスイ書ける」
中園「失礼しました」
中園「尾崎さんの脚本って、(プロットを作って、原稿をプリントアウトして赤入れて直したりしているから)完成度が高いけど“華”がないナって。ホント、スミマセンね、上から目線で。
(しかし)「結婚できない男」を見たとき、“ウアW−すごいよ!”ものすごい大きな花を咲かせたナ、という気がして興奮してしまいました。」
0034名無しさん@お腹いっぱい。
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2016/10/03(月) 16:51:19.25ID:hf5jQ33D
総合
作品賞 @BOSSA白い春Bアイシテル
主演男優 @阿部寛A松本潤B櫻井翔
主演女優 @天海祐希A稲森いずみB堀北真希
助演男優 @竹野内豊A遠藤憲一B中井貴一
助演女優 @新垣結衣A大橋のぞみB戸田恵梨香
ドラマソング賞 「明日の記憶」 嵐
監督賞 光野道夫 石井佑介 星野和成 成田岳
脚本 尾崎将也
読者票
作品賞  @スマイルABOSSBクイズショウ
主演男優 @松本潤A櫻井翔B阿部寛
主演女優 @天海祐希A稲森いずみB堀北真希
助演男優 @中井貴一A横山裕B竹野内豊
助演女優 @新垣結衣A戸田恵理香B大橋のぞみ
TV記者票
作品賞  @白い春ABOSSBアイシテル
主演男優 @阿部寛A内野聖陽B櫻井翔
主演女優 @稲森いずみA天海祐希B高畑淳子
助演男優 @遠藤憲一A竹野内豊B小栗旬
助演女優 @大橋のぞみA新垣結衣B板谷由夏
審査員票
作品賞  @BOSSAアイシテルB白い春
主演男優 @阿部寛A内野聖陽B櫻井翔
主演女優 @稲森いずみA天海祐希B長澤まさみ
助演男優 @竹野内豊A遠藤憲一B千原ジュニア
助演女優 @大橋のぞみA田中美佐子B新垣結衣
0036名無しさん@お腹いっぱい。
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2016/10/04(火) 23:10:01.36ID:F3v5ohqg
 脚本家の山田太一氏(79)が発売中の月刊誌「サイゾー」のインタビューで、
ドラマ界の現状について辛辣な言葉を並べている。

 NHK「あまちゃん」は「楽しく見ています」という山田氏だが、昨今の
テレビドラマについては「『いい作品を作ろう』というより『いい商品を作ろう』
という意識になっている」「視聴率のことばかり気にしている人たちや、
どこかから突っ込まれないかと気にしてばかりいる人たちが力を持っていると、
やっぱり作品を損ないますよ。営業や編成の人たちの意見も大事だけど、
ドラマの中心は作っている側にあるべきです」とバッサリ。
さらりと語っているが、ドラマ界の御大の言葉だけに、一言一言が重い。

 興味深いのはキムタクこと木村拓哉について語ったくだりだ。キムタクは10月から始まる
TBSドラマ「安堂ロイド」で未来からやって来たアンドロイド役を演じるが、これについて
「若い時に輝いていた人ほど壁が高くなるんです。方向転換は二枚目ほど難しい。
『南極大陸』(2011年)は少しだけ見ましたけど、『木村拓哉さんがやってくださっている』
という空気が画面から伝わってくる。そんなの見たくない」。
もちろん、山田氏は批判しっぱなしではなく、「活かす道はいっぱいある」
「汚れ役をやるというより、本当に汚れてしまえる世界を選ぶとかね」と言い、
「新しいキムタクさんを引き出すような役があればいいと思います」とも語っている。
0037名無しさん@お腹いっぱい。
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2016/10/05(水) 17:49:04.32ID:O+NZGWtg
影武者が家来達に石を投げられてる場面の松本清張の感想 (清張日記より要約)
『なんじゃアレはw 影武者の悲哀を出すんならもっと違った方法があるだろ』
0038名無しさん@お腹いっぱい。
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2016/10/10(月) 03:59:12.80ID:sShM9LwY
野ブタでは)
「母親」がいない設定にすることで家族の風通しをよくしてる。
90年代に「家族が壊れている」ってストーリーが流行って、
ドラマでは家族を描きづらくなった。

お母さんのいる家族を普通に描こうとすると辛くなる。
でも「家族」を描くことをあきらめたわけじゃない。
すいかで出てくるハピネス三茶って下宿は昔のドラマの大家族のイメージ。
ハピネス三茶はヘンな居候ばかりがいる「家族」(笑)。
(今は)家族を描くのが難しいから「家族のようなもの」を描く。

―――
「PLANETS」の木皿泉インタビューより適当に抜粋してみた
0039名無しさん@お腹いっぱい。
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2016/10/10(月) 14:30:36.05ID:sShM9LwY
「え、そんな偉人いないでしょう。だって一度圧政敷いてたら偉人になれなくない?」
「え、でもヒットラーとかさ、あるじゃん」
「ないよ! あんた、どこの国の人がヒットラーを偉人伝に載せるのよ」
「日本?」
「あんた、ほんと怒られるよ」
「ヒットラーって偉人じゃないの?」
「偉人じゃないよ! 偉人って偉い人のことだよ。あんた、ほんとちょっと気をつけな」
「えーっ。じゃあ、あれ何だっけな……女の人の何かで改心するんだよなあ……」
「何? 『女の人の何か』って何? 愛?」
「愛かそれに類する何か……」
「何っ? 『愛に類する何か』って何っ!?」
「(投げやりに)ああん、忘れちゃった。何かそれみたいだなって、すごい思ったんだよね、パパのあれが」
「黒く塗りつぶされた部分が多くて伝わんないよ」
姉妹の話の噛み合わなさも然ることながら、「改心した王様」とは何に出て来た話なのか結局わからずじまいのままべつの話題に移ってしまうところがすごい
ヒットラーの話は一応、このあとで妹がヨーロッパに行きたいと唐突に言い出すのとつながっているとはいえ、この会話自体は本筋とほとんど関係がない。
でも人間の会話とは往々にして、あいまいな記憶やたとえになっていないたとえに振り回されたり、唐突に違う話題に移ったりするもんじゃないだろうか。
そう考えるとこの場面はかなりリアルだ。
それに、姉妹がこういう他愛もない話を交わすぐらいには親密であること、また二人の性格や教養レベルの違いなんかも垣間見えてくる。
このあと妹が日本を発ってから依子が喪失感を抱く様子が強い印象を与えるのも、こうしたやりとりが先に用意されていたからだろう
0040名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2016/10/10(月) 22:09:47.94ID:sShM9LwY
昨夜が最終回だった。故郷長崎で思いがけなく開催の運びとなった「グレープ」のコンサート、
雅志と古田の二人がステージに歩き出したところで終わった。客席の入りも客の反応も何も見せず、プツンと終った。
でもそれが心地よい余韻となる終わり方だった

昨夜の最終回に散りばめられた回想シーンは、往々にして時間稼ぎになりがちなことも多いなか、このドラマではとても効果的に使われていた。特に雅志の子供時代の『かすていら』での映像は、
懐かしい時代の長崎の美しい風景をバックにしたものばかりで、詩情があって胸が締め付けられるようだった。
登場人物もみな温かく描かれていて、さださんが特別に良い人間関係に恵まれたのかも知れないけれど、温かい目を通して書かれた物語だからなのかも知れない。さださんは人をこういうふうに見る、
優しい人なのだろうなと思う。だから生み出される楽曲も優しく心に沁みる作品になるのだろうなと思わせられる。
悲しい運命や、主人公に冷たく当たる人など登場しなくても、十分良いドラマが出来上がるというお手本のような作品だった
0041名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2016/10/10(月) 22:13:15.87ID:sShM9LwY
 高校時代の楽しさと、何者でもない自分の将来に対する不安がおおらかなムードで描かれた、懐かしいタッチの青春ドラマだ。本作が面白いのは、主人公の佐野が、
器用で育ちのいい少年だということ。家は決して豊かではないが、幼少期よりバイオリンを習わせてもらい、音楽家になるための学費も払ってもらっている。
当時としては子どもに理解のある家族だったのではないかと思う。青春モノは大抵、落ちこぼれや劣等生、そうでなければ不良少年を主役にして思春期の不安やいらだちを描く。
しかし、本作は佐野がおおらかな性格で多才のためか、物語は妙に淡々としている。これは脚本を担当する尾崎将也のカラーでもあるのだろう
0042名無しさん@お腹いっぱい。
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2016/10/10(月) 23:38:37.39ID:sShM9LwY
ゴーイングマイホーム
小津や向田目指したらしいね
小津ってまったりしてても独特の心地よいリズムみたいなもの感じる
これはかったるかった
向田のって眠くなったりしないし鋭い視点にドキッとさせられる
これは既視感あり新鮮味なし
笑いの部分は緩いのを狙ったみたいだがセンスは感じなかった

このドラマ撮影始まった頃、西田敏行が「監督の台詞が素敵すぎてアドリブを言う気にならない」
と言ったらしいけど、俳優にとってはそんなに魅力的だったのだろうか。

岡田惠和ははらちゃんの脚本書きながらこのドラマ見てたんだろうな
ところどころに揶揄するようなセリフが出てくる 連ドラの脚本はこうやって書くんだぜ〜是枝って感じかな
0043名無しさん@お腹いっぱい。
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2016/10/11(火) 03:39:51.86ID:Zs257Ors
渡辺あやの脚本作品ほぼ全部見てるけど「淡々と日常を描いてる」作品ってあったっけ
「その街のこども」は二人の男女の会話劇だったから、話術が凄いなって舌を巻いたけど
自然だけど二人の人となりや生き方がじんわり透けて見える感じ

是枝が向田邦子のドラマが好きと言うから、 もっと人間の深層に潜むリアルな感情を描いた
どこかコミカルさもある会話劇 になるのかと思ってたら 意外とつまらないメソッドの連続って感じで
「歩いても歩いても」とか見てもそうだが 陰口、悪口とかの言葉遊びをしてるだけのかけあいしか書けないからね
0044名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2016/10/11(火) 19:41:56.66ID:Zs257Ors
ぼくはこういう映画があるのを知らなかった。TBSラジオでライムスター宇多丸(歌丸ではない)が熱弁をふるったのがきっかけで、観る気になった。
小林信彦「本音を申せば」『週刊文春』

何気ない日常の出来事を断片的で浅薄にしか描けていない『ワラライフ !!』に比べて、『その街のこども 劇場版』(2011年)の「一見ふつうの会話、ふつうの歩き・散歩というところから、
次第に、その、阪神淡路大震災という巨大な背景、要はふつうじゃない巨大な何か、大きな物語が浮かび上がってくる」

新しい映像演出、新しい脚本、演技。これは未曾有の大災害から生まれた、小さな、しかし確実に新しい創造である。
大森一樹さん(映画監督)
0045名無しさん@お腹いっぱい。
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2016/10/11(火) 20:12:30.11ID:Zs257Ors
ドラマでありながらノンフィクションのドキュメンタリーのようであり。
更に二人の台詞まわしが全てアドリブのような自然さなのである。
この二人の役者、こんなに上手いのか?演技が。
実際は脚本家がいて上手く構成されているのは言うまでもないのだが、そんな作為をまったく感じさせない。
松本人志が『大日本人』で愚にもつかないフェイク・ドキュメンタリーを装っていたが、比べ物にならないぐらい。
ドキュメンタリー風に見せるドラマがこんなに上手く成立するんだと言う衝撃。
民放のドラマだってそういうことはやらないだろう。
演出的な意味の含め方もずば抜けている。
この辺りは宇多丸の評論を聴いて溜飲がさがったのだが、男女二人が10分交代で荷物の持ちっこをするのであるが、
その荷物というものが男女二人がそれぞれに背負っている"肩の荷"になっており、荷物を背負ってもらい、肩の荷のない方が自分の心情を吐露していくという。
物語の展開上、女の方が早く肩の荷が無くなるというのもものすごく示唆にとんだ演出。
明らかに演出なのにそれを感じさせない上手さ
別れ際、握手をしようと手を差し伸べる男を無視して抱きつく女。
苦しんでいる人がいたら手を差し伸べるのではなく、思い切り抱きしめるぐらいの勢いで助け合う。
たぶんこのドラマが災厄にたいする控えめかつ大胆な主張。
この男女、また来年、とか言ってもう二度と会う事はないだろうなという予感をさせる。
さらに作品を通して恋愛関係を持ち込む事もしていない。
このような一期一会の関係であっても、その時は本当にお互いに抱きしめてあげられる。
それが歳月によって風化させないための希望。
0046名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2016/10/11(火) 20:18:53.08ID:Zs257Ors
本作の脚本を作りだすとき、ドキュメンタリーでは拾いきれない、些細な出来事をすくいとっていくというのが、
ドラマでする意義だと思っていたので、まず、主人公たちのひととの関わりかたを物語の主軸に考えました。彼女は、実は逆ナン好きとか、コンパニオンをしているとか、彼女と歩く男性も、
また違うベクトルで震災に対して思いを持っているという少し意外な人物背景にしたかったんです。
そんな、当時小学生だった子が、大きくなって出会うことが起こりうることが、奇跡的なことで、厳しいだけでなく、そこに希望をたくしました。寄りそって解決することではなく、自分の問題として捉えないといけないということを、
主演のふたりがきちんと理解してくれていて、話かけるのも怖いくらいの緊張感のある現場でした(中略)それこそ難しい話ではなく、あくまで個人的で、
日常のなかにある深いところで繋がりたいという印象を受け取っていただきたく、「その街のこども」というタイトルに決めました。言いたいことをきちんと明確に作れたと自信を持って言える作品になったので、出来るだけ多くのひとに伝わることを願っています』
0047名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2016/10/11(火) 20:26:09.35ID:Zs257Ors
渡辺あや舞台挨拶

・森山未來の主演は決まっていた
 関西出身の女優の一覧を見せられ、彼と一番似合わなさそうなサトエリを選んだ 

・居酒屋シーンはアドリブではないが、地声で自分の言葉のようにセリフを言って欲しいと伝えた

・サトエリを待つ間の森山のバット素振りは彼のアドリブ

・本読みの時に「ラストのハグはありえない」と二人に言われたが、本番では自然なシーンになった
 ハグの時の「ポンポン」はアドリブ

・会場に入らず、二人が別れたのは、二人で入るとそこで完結するふたりの話になってしまうから
 二人が別れて話の主役を街に戻すため
0048名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2016/10/11(火) 20:36:57.37ID:Zs257Ors
優秀賞となった『55歳からのハローライフ』は特に第5話「空を飛ぶ夢をもう一度」の火野正平の瀕死のホームレスの迫真の演技が絶賛された。生きることの意味を深く考えさせる作品となった。
2014年の大きな特徴として、死を見つめながら生きていくというドラマの多かったことが挙げられる。震災を乗り越えるに当たって、死を自分のなかに取り込むというふうに視点が移ってきたのだろう。木皿泉脚本の
『昨夜のカレー、明日のパン』(日本放送協会)は、文字通り死者と共に生きるという世界を描き、時代を象徴していたように思える。選に漏れたのは残念だった。
演技賞ということで言えば、『グーグーだって猫である』の宮沢りえの不思議なオーラを放つ存在感と、『坂道の家』の柄本明の鬼気迫る演技はあまりにも圧倒的であり、
群を抜いていた。テレビドラマは脚本が重要なのはもちろんだが、こうした素晴らしい演技に魅了されて初めて濃厚な時間を過ごしたと言えるだろう。
0049名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2016/10/11(火) 20:41:38.53ID:Zs257Ors
「がんばれ」とエールを送る時代から、自分に何ができるのかを考える時代に変わったと言うべきか。震災後を描いて最優秀賞をとった『時は立ちどまらない』は、被災しなかった者が被災者のそばで何ができるかと苦悩する姿を描くものであり、
震災後3年たった今だからこそ描けるドラマだという評が多かった。山田太一脚本のヒューマニズムを、すばらしいキャストを得て堀川とんこう監督がきっちりと美しいドラマに仕立て上げた。
 『あまちゃん』は、ドラマの虚構性を脱構築し、あえてドラマであることを露呈するようなメタ・ドラマの手法が新鮮で、宮藤官九郎の才能を感じさせた。
さまざまなキャラクターがそれぞれの存在感を強烈に感じさせる設定もおもしろく、多くの視聴者に元気を与えてくれた。大友良英の音楽は、そんな作品の力を象徴している。
 『半沢直樹』は、審査対象となった第一回に、その後展開するドラマのあらゆる要素が詰め込まれていることを改めて確認して、その完成度の高さに舌を巻いた。高視聴率をとったのには、
それだけの理由があったのである。主演の堺雅人の演技力も重要であり、堺あっての『半沢直樹』であった。
 満島ひかりが主演した『Woman』は、2010年のドラマ『Mother』のスタッフによる作品であるが、坂本裕二の脚本は今回のほうが優れていた。シングルマザーを演じる満島の演技が光っており、圧倒的な魅力をみせた
0050名無しさん@お腹いっぱい。
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2016/10/11(火) 20:55:41.48ID:Zs257Ors
主役の二人の自然でしかもユーモアにあふれた演技が秀逸。こんな老人たちが実際にいて、どこかで生きているのかもしれないと思わせるリアルさを感じさせる。
老夫婦の絶妙なやりとりを通じて、「時の流れ」が浮かび上がる脚本も高く評価される。
0051名無しさん@お腹いっぱい。
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2016/10/11(火) 21:59:41.85ID:Zs257Ors
韓国で開催されたドラマの国際コンクール「ソウルドラマ賞」で、NHKドラマ「お買い物」が単発ドラマ部門で優秀賞を受賞した。NHKからは初めての受賞。またこのドラマに出演した久米明さんが最優秀主演男優賞を受賞した
0052名無しさん@お腹いっぱい。
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2016/10/11(火) 22:27:20.74ID:Zs257Ors
【脚本家のことば 前田司郎】
欲しいものがあるっていうのはとても良いことだと思います。歳をとってそれが無くなってしまうのは悲しい。幾つになっても欲しいものがあったほうが良い。そんなことを考えながら書いたような気がします。
書いたのはもうずいぶん前のことで、そのときの気持ちを僕は忘れてしまいましたが。おじいさんはカメラが好きで、それは若い頃から好きで、そして、
しばらくその気持ちを忘れてしまっていたわけですが、好きなもののことを忘れちゃうなんて悲しいことです。が、往々にして人はいろいろなことを忘れちゃうみたいです。だけど忘れていたことを思い出すのはとても素敵なことだと、出来上がったドラマを見て思いだしました
0054名無しさん@お腹いっぱい。
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2016/10/12(水) 12:55:29.52ID:IGlwYNrk
文豪・島田雅彦が炎上を恐れず語る人生の嗜み方
人間だけが持っていると思われていた創造性も、 人工知能によって代行される時代が巡って来た。
人間界ではわりとヘタレや敗者も生き延びてこられたのだが、 人工知能が進化論の原則をよりシビアに踏襲するとしたら、
それこそ血も涙もない淘汰を行うだろう。
長い年月をかけて、思想や哲学を通じて考察されて来た人間の条件がこの先、大きく変わる。人間はこのまま奴隷か、
動物園の動物のようになってゆくと思われるが、
その前に人間を人間たらしめている理性と狂気について、 今一度考えてみるのも一興かと思い、本書を出すことにした。
愚行、虚栄心、性欲、破壊衝動、嫉妬……ビジネス書では ほとんど扱われないテーマばかりを選び、
酒場で放談する形式を取った。
民主主義崩壊前夜にあっては、酒場の放談こそが、検閲もなく、 最も言論の自由を行使でき、ヘタレが一番輝く場だからである。
炎上は避けられないだろうが、死なない程度に地雷を踏むのは武勇伝ネタを積み上げたいヘタレのプライドの現れなので、
どうか温かく見守ってやってください
0055名無しさん@お腹いっぱい。
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2016/10/12(水) 12:59:06.79ID:IGlwYNrk
文豪・島田雅彦が炎上を恐れず語る人生の嗜み方
人間だけが持っていると思われていた創造性も、 人工知能によって代行される時代が巡って来た。
人間界ではわりとヘタレや敗者も生き延びてこられたのだが、 人工知能が進化論の原則をよりシビアに踏襲するとしたら、
それこそ血も涙もない淘汰を行うだろう。
長い年月をかけて、思想や哲学を通じて考察されて来た人間の条件がこの先、大きく変わる。人間はこのまま奴隷か、
動物園の動物のようになってゆくと思われるが、
その前に人間を人間たらしめている理性と狂気について、 今一度考えてみるのも一興かと思い、本書を出すことにした。
愚行、虚栄心、性欲、破壊衝動、嫉妬……ビジネス書では ほとんど扱われないテーマばかりを選び、
酒場で放談する形式を取った。
民主主義崩壊前夜にあっては、酒場の放談こそが、検閲もなく、 最も言論の自由を行使でき、ヘタレが一番輝く場だからである。
炎上は避けられないだろうが、死なない程度に地雷を踏むのは武勇伝ネタを積み上げたいヘタレのプライドの現れなので、
どうか温かく見守ってやってください

本当に新しい男女を活々と表現していた。」「二人(引用者注:〈ぼく〉と〈真紀さん〉)は互いに異性意識から全く解放されていて、そのために却って男が、
女が、どこまでも自由に――つまり、豊かに、鋭く、描出されている

「なにひとつ事件らしい事件が起こらぬ日常を語るのが保坂氏の作風だが、これから作家生活を続けてゆかれるには、やはり小説らしい物語をつくる能力が――あるいは、それを試みてみようとする意欲が――必要ではないだろうか。

小説を読む時、日常の舞台をステップにして、それを一瞬でも超える歓びや充足感を味わいたい、と願う。(引用者中略)私はそうした感覚を味わえなかった。」「ここで終始くり返される会話は、あまりに日常的で散漫すぎる。」
「この(引用者注:登場人物の)女性の微妙な識閾を表わそう、という意図はわかるが、それがさまざまなお喋りの見解を通して出てくるところに、問題がある。これらの知的見解は、すべて正反対の意見も可能なのだ。
0056名無しさん@お腹いっぱい。
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2016/10/12(水) 15:23:20.38ID:IGlwYNrk
言ってみれば破綻だらけだ。エッセーから小説になりきっていない。細部がゆるい。タイトルに魅力がない。」「しかし、内奥にはなかなか凄いものがある。ヨーロッパ人の思考法の精髄をさりげなく取り出して並べる手つきがいい。
軽い展開の中に重い原石が散りばめられている。」「こういうものをありがたがるのは日本人のヨーロッパ・コンプレックスだという意見があったがそれは逆。もうヨーロッパに学ぶものはないと言い張る心理がヨーロッパ・コンプレックスである。」

人と人との関りの内にある微妙な温もりを知的な言葉で刻み込もうとした大作品であるといえよう。民族の歴史の孕む必然と個々の偶然との織り成す人間の生の光景が、幾つものエピソードを通して浮上する。」

物語づくりを)あえて底に沈めようとする作品」「安易な虚構のなかの人物の対立や波乱と違い、私たちの卑近な日常では、個人と個人の関係には、多くこういう言葉に置き換えがたい契機が働く。

彼等(引用者注:主人公とその友人)の会話、幾つものエピソード、食事や風景のこと、いずれもエスプリもどき、知性まがいの筆触しか感じられない

他者とのコミュニケーションというのは簡単ではない、ということを作者は描いているのだと判断した。」「コミュニケーション不全という普遍的なモチーフが、ペダンチックに単純に堕するのを、かろうじて防いでいる
0057名無しさん@お腹いっぱい。
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2016/10/12(水) 23:10:27.23ID:IGlwYNrk
働く女の琴線に触れるドラマ

 女同士の会話には「年とったら一緒に暮らそう」というフレーズがよく
出てくる。ドラマ「すいか」(日本系)は、そうした女の本音が通奏低音に
流れる物語である。主人公基子(小林聡美)は信用金庫に勤める34歳のOL。
同期の女性(小泉今日子)の3億円横領が発覚したのをきっかけに、彼女は
人生を変える。会社で粗末な扱いをされていると認め、過干渉の母親(白石
加代子)から逃れるために、古いアパートに引っ越す。そこには、大学教授
(浅丘ルリ子)、売れない漫画家(ともさかりえ)、ご飯をこしらえてくれる
大家さん(市川実日子)が暮らしている。
 女たちのささやかだけれど、愛ある触れ合いにグッとくる。ウソ泣きして
言い訳する女子学生には容赦しない浅丘が、道路で泣いている見知らぬ小林に
ハンカチを差し出す。お金を貸したことのない小林が、困っているともさかに
お金を貸す。小林は貯金で、自室ではなくみんなが集まる食堂にクーラーを
つける。ほどよい距離間の心地よい関係。
 小泉は横領したお金で倉庫一杯になるほどのブランド品を買っても満たされる
ことがなかった。彼女の気持ちがわかる小林は、「引っ越し祝いは何がいい」と
聞く上司に、「ほめて下さい」と、自分でほめる言葉を書いた紙を差し出す。
上司は紙を読みあげ、「君にはほんとに感謝してる」と、小林の肩をたたく。
泣けました。働く女にこんなに優しいドラマ、ちょっとない。(島崎 今日子)
0058名無しさん@お腹いっぱい。
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2016/10/13(木) 01:06:00.24ID:ZL8EMTRh
独特の軽妙さが魅力の小説である。」「しかし一方で、その軽やかさと妙味が、作者の都合ととらえることもできてしまう。また、人生は悪くない、世界は思っていたほどこわくない、
というようなせりふが幾度か出てくるけれど、この小説のなかではやけに強く響くその言葉をくり返してしまうことで、語り口の軽妙さが徒になって、登場人物たちの人生も軽く思えてきてしまうのが残念に思った。」

義父とヒロインのテツコの同居生活は、消臭剤を撒きまくったみたいに性の匂いがかき消されていて、逆に気味悪いよ。」「奇妙でしゃれているだけでなく、もうすこし人物の厚みがあるとさらによかった
0061名無しさん@お腹いっぱい。
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2016/10/14(金) 00:28:55.65ID:+G+smpt8
すいか

面白かったのは、展開が読めないところだよな。
ゴールが見えないというか、区切りがないというかね。
殆どのドラマはゴールが見えていてそこまでの過程を描いてるだけだから。
何とか大成物語とか、恋愛成就物語とかね。
非日常より日常描いた方が先が読めないってのが面白いな
0062名無しさん@お腹いっぱい。
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2016/10/14(金) 01:23:18.53ID:+G+smpt8
かもめか・・・
木皿さんは、あの食堂はメニュー表示もない不親切な店だとか言ってたな
店員はコミュニケーションも取ろうとしないし、客側のフィンランド人の方から店に寄っていったご都合展開とか、批判的だったな

まあ「すいか」が現実的かどうかは別にして、
「すいか」は台詞に重きを置いた典型的なテレビドラマの作りだし、
(テレビドラマは元々ラジオドラマやっていた人が監督とかして始まったため)
「かもめ食堂」は映像に重きを置いた典型的な映画の作りなんだけどね。
(こっちもサイレント時代から映画が始まっているから、最初から台詞より映像重視だから。)
だからまるっきり違うよ

テレビ以前には、ラジオドラマを書いてたよね
台詞重視なのは確かではあるけど、
最近のテレビドラマの分かりやすさを求める基準に照らし合わせると、
じっくり集中して見る映画向きな脚本家だと思う
0064名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2016/10/14(金) 21:51:37.39ID:+G+smpt8
他人とはうまくいくのに、ほんとうの家族とはうまくいかないというのは皮肉な話である。
『ここがホームシックレストラン』をはじめ、アン・タイラー作品で繰り返されるテーマである。

アン・タイラーの魅力はディテールの描写にあるので、あらすじを読んで面白さがわかるわけではない

普通なら重苦しくなるテーマを、アン・タイラーはユーモアをまじえて淡々と描いている

このユーモアは観察眼の鋭い彼女独特のものである

「人生」は雑誌の「ライフ」とかけているのだと思う。十五セントあればライフ(人生)が買えるのに十セントしかない。ディーリアも人生に何かが足りないと感じて家出したのだろう。
そして家から離れてはじめて、何かが足りないと思っているのは自分だけではないと気づくのである。
 ディーリアはちょっと世間知らずで優柔不断であるが、けっして無責任なわけではない。家出をしたのは、ただちょっと家庭を離れて身軽になってみたかっただけなのだ。この作品はそういう主婦の願望を描いた大人のメルヘンとして読むことができる。
0065名無しさん@お腹いっぱい。
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2016/10/15(土) 00:13:51.98ID:Wh61AlQd
山田 なるべく、ね。犯罪物はやらない、事件をなるべく起こさずにおもしろい
ドラマを書くというようなことを自分の中でルールとしています。そうしないと遊べなくなっちゃうから。
ちょっとしたことで遊びたいんですよ。喫茶店で主役が注文するシーンで、注文を取るウエイトレスに何かさせたいなあとか思っちゃうのね。
何度注文聞いても覚えられないとか(笑)。大筋とは無関係でそのシーンだけで終わるんだけれども、
「この人もたっぷり生きているんだ」という色づけをしていくと、ドラマ全体が変わってくる気がするんです。

山田 笑いには物事を相対化する作用がありますね。今、小説やドラマ界は純愛ブームに沸いていますが、あれは笑いとは正反対のところがある。
純愛の世界に相対化する視点なんてものが入り込むと読者は冷めちゃうから、書き手は笑いに踏み込めませんね。
0066名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2016/10/15(土) 00:44:04.80ID:Wh61AlQd
和田「山田さんの最近の作品を見まして、若い役者さんがみんな同じトーンで話すというか、何でこんなふうになってるんだろうと」
山田「俳優さんのうまさが違ってきたのかな。ぼくが、これはうまく言えるって台詞を書いても、若い人の生理と合わなくなってきている。
ぼくは、自分の台詞は直さないでくれと言っていまして。アドリブとか語尾を変えるとかは、あってしかるべきなんですけど。書いてないことを表現したいと思ったら、
それこそ演技のチャンスじゃないかって。監督にも俳優さんにも失礼ですけど、変えてしまうと自分の作品じゃないような恐れがある。
それで(演技が)こなれる前に本番になってしまう。ぼくの台詞にリアリティを感じないのかな。二重性のある演技ってなくなってきましたね。“あれしていい?” “いいよ”と言っても、
やだよと思っていることはいくらでもある。こういう二重性が…。私の責任もあるけど、つくり方の問題もあるかな。悩みの種ですね」
和田「ひとつの意味を表現するという芝居は…」
山田「それは、昔よりうまいかも判らない。でも二重の意味を見るのも、芝居の面白さですよね。失礼ながら、演出の問題でもありますね」
0067名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2016/10/15(土) 03:01:14.03ID:Wh61AlQd
現在ブロードウェイが大規模なスペクタクルや機械仕掛けのミュージカルに押され、ドラマやコメディがオフに追いやられている現実を前にサイモンは
『今の時代に私が20代の若者なら劇作家を志したりしない』と嘆く。しかし、70代の坂を超えて、なお、現役の彼は『まだまだ書くよ。今だって二つの芝居の構想を温めているのだから。』とも言っている。
現に今もブロードウェイのミュージックボックスシアターで『ディナーパーティー』がロングラン中である。ニール・サイモンに続くコメディ作家の登場が待たれる中、今もって彼のアメリカ演劇界における位置は不動である。
その理由はニ−ル・サイモンの劇作手法として彼自身が『良い劇の台本は3つの要素が必要で、よく書けた人物、しっかりしたプロット、そして始めから終わりまでおかしい台詞』であり、
『主人公が最悪の欠点をさらけだしている時でも、好感の持てる人物にする事』が大切と語っている事に尽きるだろう。それに加えて彼はいつでも登場人物たちに、
彼らが予想していなかった障害物や邪魔者を用意する。それによって彼らの暮らしが難しくなるだけでなく、滑稽かつ厄介な状況に追い込むのである。そうして『性格、気質が正反対な二人の人物をどうにも我慢のならない状況にさせ、
そこで火花を散らせる。その中で、二人とも強烈に自分の生き方が正しいのだと信じていなければならない。そして作家の仕事は、この信念を支えてやることにある。』
0068名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2016/10/15(土) 03:05:31.44ID:Wh61AlQd
チェルフィッチュ
言葉以前の叫び、物語化する直前の身振り、意味になる前の無意識、世界のすべてに繋がる得体の知れないものが
そこにあるように感じられた
0069名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2016/10/15(土) 14:55:01.68ID:Wh61AlQd
留守番電話で彼女の声を聞いたあとに次のような描写がある。
ソフィアの声は軽やかで気取りがなく、「さよなら」のあとにフッと笑う声が入っていた。
これだけで、彼女の少女っぽさの残る性格と彼に気があることを伝えてしまうところがアン・タイラーのすごいところだ。こうしたさりげない描写があちこちにあって、
じっくり味わって読みたいという気にさせられる。

アン・タイラーの小説を料理に例えるならコロッケ定食だろうか。ありきたりの材料を使って作るありきたりの料理。しかしアン・タイラーのコロッケは誰にでも作れるコロッケではない。
 彼女の非凡なところはまずそのユーモア感覚だ。たとえば、モーガンが金物店に入っていくところはこんな感じだ。
「カレン金物店」のダウンタウン店は、古くて暗い、薄汚れた建物だった。細長い店内には匂いがこもり、歩くとガタピシ音がした。
だからモーガンは、この店に足を踏み入れるとき、「入っていく」というより、
プールか何かのように「飛び込んでいく」という感じがした。---まず頭を突っ込み、足はブーツのそこが見えるまで外に残っていた。
まるで目の前のモーガンを見ているようで、思わず吹き出してしまう。こういうユーモア感覚は生まれつきのもので、努力して身につくものではないだろう。
 アン・タイラーはこういう感じでディテールをひとつひとつ積み重ねて人物を描き出すので、モーガンのような変わった人でも違和感を感じることはない。
0070名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2016/10/16(日) 22:21:54.56ID:3L36V3+J
体験からくる微妙な感情をすくっていて、 「その街で生きている」感がすごく出ている いいドラマだった。
同じNHKが作っているんだから 朝ドラも、もう少し丁寧に作ってほしいな。
名所名物方言が出てくれば 地域感満点! ってもんじゃないだろうに

渡辺あやさんのお話の内容
(メモ等取ってなくてうろ覚えなので、間違いあればご容赦を。)
・2年前、井上ディレクターから脚本依頼のメールを貰ったのが始まりだった。
・「震災をテーマにしたドラマで、主演は森山くん」という事だけが決まっていた。
・最初は引き受けるかどうか迷った。
自分の中の辛い苦しい記憶を引き摺り出して来て話を作るという事ができるのか?
そもそも震災記念ドラマって何なんだ?というような事を考えた。
・ともあれ、NHK大阪局に出向いて、京田P、井上Dと3人で話をした。
すると「主人公の男の子が、同い年ぐらいの女の子と神戸の街を歩く話」
の像が急に見えて来て、大阪からの帰路には
「この物語は既に存在していて、あとはそれを見つけてあげるのが私のする事」
という心持ちになっていた。
・(他人の顔色を伺うタイプの男性と、直情的で一直線に行動する女性という
組み合わせについて問われて)
森山くんの共演者の女の子については、阪神間出身の女優さんのリストを3人で見て、
全員一致で佐藤江梨子がいい、という事になった。
当初2009年1月放送分のつもりだったが、2人のスケジュール調整の結果、 2010年1月放送分となった。
脚本の初稿で既に物語の形ができあがり、最終形までに大きな変更はない。
時間をかければかけるほど良い物ができると以前は思っていたが、 どうもそう言うものでもないらしい、と最近は思っている。
・最初の脚本読み合わせで、森山くんと佐藤さんから、 「最後のハグはやりすぎではないか。握手ぐらいでいいのでは。
あまりにもきれい事すぎ、NHK的すぎるのでは。」という意見が出た。
脚本を書いている自分には、ハグまでに感情が到達する所が見えていたが、
2人は、脚本の読み合わせだけでは、そこまで感情が行かなかったのだと思う。
しかし、時間をかけて一緒に街を歩き、撮影を重ねているうちに、 2人の感情がそこまで到達して、よい場面になってくれた。
0071名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2016/10/17(月) 01:05:24.69ID:1Nm4EcKj
欧米の某巨匠が
「時間を表現するのにわざわざ時計は映さない。人物が時計を見る演技でじゅうぶんだ。
映画はそれだけ繊細なテンポが必要だからだ」と言ってたんだけど三谷作品ってそれと真逆で
映さなくてもいい時計を映して、そのうえ凝った針やフタまで映して、
それが昔の映画のオマージュだというオチまで長々とつけたりする。
それを面白がるのが真骨頂というか楽しかったりするんだけど。
そういうのやりすぎ。間延びしすぎ。脚本が詰め込むのに薄まる不思議。有頂天ホテルの頃からその兆しはあった。以来観てない。
0072淀川長治
垢版 |
2016/10/18(火) 03:59:53.78ID:y0SLgBuQ
 少年群像映画は甘ったれると鼻持ちならぬ。この監督にはややその心配ありだ。ところがこれはスパッとやったよ。甘えは消し飛び記録タッチ。だからキャメラと編集が力を入れた。たるみを避けた。
なるほど編集はこの映画の大林宣彦監督自身だったのだ。二時間十五分。ガキのガンガン・ロックではたまったもんじゃないと用心。
ところがその昔のチャールズ・レイの少年群像映画『懐しの泉』だ。少年少年少年の青春を意識して会話にスピード。この子供映画、会話がスロー・テンポでさらに甘ったるくなったらおしまいだ。
この監督、尾道わが故郷に凝っていたが、今度はどういうわけか四国香川。けれどやっぱり同じだったよ。川あり橋あり自転車走る。この土地柄にしがみつき、それに日本、それにふるさとノスタルジィ、
それにキャメラ美を求めるのは木下恵介、続いて山田洋次、つまりは日本を“ふるさと”と愛するセンチメント監督。絵にすると古き童話画家の川上四郎、その寺あり山あり学校ありの感じ。
さて映画は一九六〇年。この時代を狙ったのもノスタルジィ。ロック、ついにバンド成功の少年たち一人ひとりの個性がよろしく、特に寺の息子が面白い。巧いとは言うまい。面白いのだ。
監督、ドキュメンタリィ・タイプで少年たちに早口でしゃべらせ、特にこの寺の子が早口で聞きとりにくいのが気になったが、
バイクで ころも(ゝゝゝ)姿でお参りにゆくシーンが面白く楽しい。ロック発表会でヤンヤの大騒ぎの中、老婆が手を叩いてのロックびいきは、ちょいとやりすぎ。
しかし監督の個性があふれた映画だ。思えば昔の松竹の清水宏監督がよく撮っていた少年映画を思い出し、フェリーニの『青春群像』までをも思い出した。要するに本当に映画好きなんだな 。大林監督バンザイ
0073名無しさん@お腹いっぱい。
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2016/10/19(水) 22:51:47.45ID:0kDlt7zU
このドラマはキャラクターを描かず、人間を描いてる人間ドラマ。
人間だから先の会話を読むってドラマでありがちな楽しみ方はご遠慮頂いてる。
キャラクターならたぶんキャラ通りのことを言うんだろう、するんだろうけど
0074名無しさん@お腹いっぱい。
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2016/10/21(金) 23:23:30.82ID:ljuPR1Ul
今村昌平監督のこれは8年ぶりの作品です。脚本がなかなか粋で、どこかフランス映画的なものがある。人の通らないような沼の前の広い道に面して、ポツンと建っている散髪屋、ちょっと『髪結いの亭主』に似ていなくもない。
いい場所を見つけた、ああいうところは上手いし面白い。
もちろんのことカラーだけど、道が白っぽくて、沼が青くて、散髪屋も淡い色のペンキを塗って——目立たないんです、カラーのきつさが。光はさんさんとして、モノクロみたいな感じなの。
きれいだよ、そういうところが偉い。今村監督、乱れなく、きれいに上品に撮っています。上手だね。
僕は今村昌平いう人が好きだから、楽しんで見ました。ちょっと、淡々としすぎておるかなぁ、とも思いましたけど。シナリオがよかったから、今村監督の柔かいところが出て、それがフランス映画の味になった。
舟大工が、うなぎを銛で突くのを教えてやる言うと、役所広司は「いや、僕は」なんて言って嫌がるの。そういう演出とシナリオ、デリケートだね。今、日本の映画でこのぐらい上手いシナリオ、なかなかありません。
今村昌平、冨川元文、天願大介、三人の共同脚本。原作が、吉村昭という作家の短篇小説ですね。この冨川元文は相当な映画ファンですよ。だから上手く書けたんだと思います。
大推せんとは言わないけど、最近の日本映画ではいい作品です。ただ、僕がちょっと肩を落としたのは、根本的にゾーッとする怖い場面がなかったから。作風が全く変わったわけではないけれども、エネルギーに圧倒されるということはない。
散髪屋に脅しがくる、あるいは女の旦那がどなり込んでくる。そんなとこ、意識的にさっぱりした感じに撮ったのかどうか……昔のねっとりした怖さはない。
殴り合いになって、割って入った女が悪い旦那を殴ろうとして、間違って散髪屋のほうを殴っちゃう、なんていうコメディタッチもある。
軽く行ってみようかな、という、この人にしたら新手かもわからん。でも僕は、この人、もっとコクのある映画を作れたと思うの
0075名無しさん@お腹いっぱい。
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2016/10/21(金) 23:26:40.74ID:ljuPR1Ul
日本映画、北野武を別にして、あとはみんなひどい。『うなぎ』はでき過ぎた映画で新鮮味がない、ただ上手に上手に作った感じで。『失楽園』は、映画の歴史上の最低です。
『Shall weダンス?』は子供の映画だ。ただ、あの周防君にはアイディア賞はあげたい。
 けど、『Shall weダンス?』を見ても感じるのは、この映画は面白いだろう、見てごらん、と言っているの。『萌の朱雀』にはそういうところがないから好き。監督が、自分が喜んで作っている、そこが新鮮。
 武も、自分の好きに作っていますが、それは武のほうが『萌…』より上、ずっと上。やっぱりあの人は勉強しているからね、映画を。『萌の朱雀』の人は、
河瀬直美は、映画に慣れていない。だから新しいし、かわいい。その新鮮なところが美点で欠点なんだ
僕にはストーリーもわかりにくくて、ちゃんとはのみ込めなかった。説明がなさ過ぎる。
ビリー・ワイルダーでもジョン・フォードでもヴィスコンティでも、見る人に親切に教えているでしょう。私は私、というのが強過ぎる、そこが惜しい
いいカメラが邪魔もしているの。田村正毅の、自分の世界を作っちゃっている。この人が相当占領しているんです。この映画の感覚を。カメラマンが遊んでいるところもあるし、好きなように撮って、それはいいけどちょっと行き過ぎです。
 それと僕が一番困ったのは音響。これも偉いベテランが担当しています。タイトル部分から大きな音、破れピアノのような大音響でダダーン、ダダーン。その音、画面と合わないよ。柔かい緑のきれいな画面に、割れるような音でドカーンとくる。
監督は何も言えなかったのかもしれない、初めてだから。もっと静かな静かなピアノソロだったらよかったと思います
0076名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2016/10/21(金) 23:30:48.39ID:ljuPR1Ul
今度の『桜桃の味』も凄くいい、大好きな映画。
 この人の作品の面白いところは、どうなるんだろういうサスペンス。映画が終わっても、あれからどうなっただろう、と思わせる、映画的サスペンスです。じつに映画をよく知っている。
最初、主人公の男は町の中を車で走って、仕事を探しているような貧しい人がいっぱいいる場所で、誰かを探しているようなの。次々に男を呼びとめて、何をしているのか訊いたり、車に乗せて話したり。
 一体この男、何のためにこんなことをしているか。若い、可愛い顔の兵隊を乗せて、土の凸凹道をずうっと走って行く。主人公の中年男、若い男の子が好きなのかしらん、と思わされたりもするよ、見ていると。
 車で走って、ふたりの会話、外の景色が動いている。男の子降りられない、走っているから。怖がって、心配して乗っている。そういうスリルとサスペンス、何とも上手い、天才ですよ。
こんなハラハラする上手いつくり方、ヒッチコック以来です。そのサスペンスを、目で見て感じさせるつくり方。それが映画的だと僕は思います。
 そういう意味で、今回は特別に上手くなったなと見ました。と同時に、最近、僕の生涯で最高につまらない映画を見て腹が立っていたので
——これを見ると何て行儀のいい映画か思いました。そう、『失楽園』。ああいう行儀の悪い、あとはどうなっても知らんいうような死に方、僕は怒っていた。
『桜桃の味』はみごとです。そこのところが。この中年の男、死にたいと思っていて、自分が死んだ後で墓に土をかけてくれる人を探しているんです。お墓の穴ももうちゃんと用意してある。そういうことがだんだんわかってきて……。
 この映画を見ると、生と死の問題をこんなにわかりやすく言ってくれる、僕向きに、童画のようにわからせてくれる、そこのところに感動します
0077名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2016/10/21(金) 23:40:05.00ID:ljuPR1Ul
努力賞日本映画。そのような現地ロケの日本映画。いろいろとあちらの風景も入れ、日本人商社の出張員がああなればああなる画面は、見ていると実際にこうなるかと日本人としては身にもつまされ、なまなましい同情とガンバレの日本びいきも沸きかねない。
このように日本映画がセットを離れ、しかも大作気取りを避けて主役を四人に組ませてのアイディアと撮影には大いに拍手ものだが、とにかく日本人独特の説明べたが最初から始まって、映画自体にこれがつきまとう。それを演技で補っているのだが、
これまたすべてオーバー・アクトの四人組となってしまったのが惜しい。真田広之が、抜群とはおおげさだが気分満点の好演を見せようとし、それが画面ににじみ声援いっぱいというところなのに、ここぞと気張りすぎた。
主役四人全体が気張りすぎた。つまりオーバー・アクト。これはひとえに監督の滝田洋二郎の、いうならば観客への御親切ごころがうらめに出たというわけだ。なぜ、も少し押さえなかったのか。
これは原作・脚本(一色伸幸)が心して、深刻になる日本独特のお涙を避けたからであろうが、この良さが説明までをも呑気に走らせたきらいが、この映画をマイナスに落としている。
真田はじめ岸部一徳、嶋田久作、山崎努の四名の個性個性個性をあまりにも鮮やかにと思ってか、この四人がいうならばレコード盤の早廻しとなって、私は途中三回四回、演技を台詞を押さえろと心のうちで叫んだ次第。
けれども、日本映画がこのように浜田毅の撮影監督でジャングルとその土地を実感させて撮影。そのキャメラの動きはすばらしい。
さてこの四人、裸身でさらに私たちをくすぐらせるか。このあたり、どこかいつの間にかさらり身をかわされて、立派なラストが物足りないよ
0078名無しさん@お腹いっぱい。
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2016/10/22(土) 15:54:38.84ID:ge7Brohi
教育思想・哲学といえるのかわからないが、思ってることがある。
いまや、メディア帝国時代だということだ。
子供たちはセレブや有名人でなければ、尊敬はしない。
無名で、サラリーマンの教師なんて、
尊敬している生徒は極めて少ないだろう。
偉大な人物なら、こんなところで、教師はやってないだろ、
という固定概念が子供たちに蔓延している。
教師と生徒が良好な関係を築くためには、
この「有名でなければ偉大ではない」という
固定概念を変えなければならない。
0079名無しさん@お腹いっぱい。
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2016/10/22(土) 16:02:24.73ID:ge7Brohi
三島:チャップリンでは「殺人狂時代」が好きだ。「ライムライト」は大嫌い。
荻:三島さんはやはり濡れたのが嫌いなんだ。
三島:大嫌い。
荻:「しのび泣き」(ジャン・ドラノワ)なんてのは濡れたところと乾いたところの境目みたいなものだけれども。
三島:ああいうものは許容できる。ガイガー検査器をあてると、許容量のリミットだね。
荻:映画というものがすぐセンチメンタルに湿ってくるということ、これも考えなければならない問題でね。
三島:「二十四の瞳」は困った映画ですね。木下恵介さんのああいう傾向は買えないな。
荻:あの人は一歩退いて自分をいじめることができる作家だ。乾かすこともできる。湿らすことも……。
三島:だけど日本人の平均的感受性に訴えて、その上で高いテーマを盛ろうというのは、芸術ではなくて政治だよ。
荻:しかし映画はそのポリシーが……。
三島:あるのだね。(中略)国民の平均的感受性に訴えるという、そういうものは信じない。進歩派が
「二十四の瞳」を買うのはただ政治ですよ。

三島由紀夫
荻昌弘との対談「映画・芸術の周辺」より
0080名無しさん@お腹いっぱい。
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2016/10/22(土) 22:00:43.49ID:ge7Brohi
木下恵介の脚本は必要最低限の台詞だけで情景描写などは記されていないから
脚本を読んだだけではおもしろくないと久我美子だかが言っていたね。
吉田喜重もシナリオ書きだけはまったく参考にならなかったと
0081名無しさん@お腹いっぱい。
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2016/10/22(土) 22:10:45.00ID:ge7Brohi
 “小津のように電灯の時代になってもあくまでもランプを売るという徹底した懐古趣味はない”

 “黒澤のように、それなら次は電灯だとまっしぐらに前進する強さもない”

 “溝口のようにそもそもランプより行灯のほうがいいという居直りもない”

 “成瀬のように、ランプが駄目なら仕方がない、次は細々と電珠を売るかという諦念もない”

 “木下恵介は、ランプの時代の終わりを呆然と見つめるしかない。そこに木下恵介の悲劇があったように思う。”
0082名無しさん@お腹いっぱい。
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2016/10/23(日) 03:37:33.75ID:jEFPam6e
脚本ポールオースター、スモーク、私とてオリバー・ストーンやビム・ベンダースは好きでない。けれどこのような二人も紹介する義務があるのでペンを執るが、うれしくはない。
ところで最近の親友と申したい監督に、香港生まれのサンフランシスコ移住のウェイン・ワン監督。親友といってもじかに話したこともない。好きな映画を見せてくれた監督は私には親友だ。
この監督に「ジョイ・ラック・クラブ」というアメリカ在住の中国女性四人の女の映画があった。小説の映画化だった。
映画はフランスのジュリアン・デュヴィヴィエを思わせる運命の回転扉のようキラキラと廻ってゆく。たばこ屋の主人の別れた女房(ストッカード・チャニング)もゾッとするほどうまい。
この出演者でこの安っぽい小説はダイヤモンドによみがえった。絶対おすすめしたい。見とれてほしい。

脚本、監督、ポール・オースター。この人、作家でしょう、自分で書き下ろしたんですね、脚本を。これは初めての監督作品。『ルル・オン・ザ・ブリッジ』、タイトルからいかにも作家らしさが出てるでしょう。
キザ100%なのね。ルルなんて、一般の人にはわからない名前、それをタイトルにすることに、この作家の気取りがある。
面白いストーリーだけれども、よく出来ていないの、映画がね。監督が作家だから、作家的、つまりページで描く。原稿に書く文字、それのほうに負けて、映画が映画にならないの。
画で見てわかる作り方ではなく、筋書きが説明する。いかにも文学者の映画です。
0083淀川長治
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2016/10/23(日) 03:38:40.90ID:jEFPam6e
山田洋次監督の「学校」。この監督は数年前から学校を撮りたいと言っていた。長い間の希望。それで飛びついて見たところ私の頭が錯覚した。五十年前のやさしい映画と見えてしまったからである。
イギリス映画の「オルランド」を見、その他、朝から晩まで外国の映画を見て回る目には、この山田監督の作品は小学生の作文に等しかった。
けれどもこれこそが狙いのことが少しずつわかってきた。これは日本中の学校に行けなかった人、または今でもいいから学校に行きたい人に見てもらいたいと思って作ったのに違いない。
悲しいシーンになると雪が降ったりすると吹き出すのだが、この監督が大まじめに作っていることに気がついてくる。みんな泣いてもらいたい、みんな今からでも学校に行って勉強してもらいたいと
画面の外からこの監督は穏やかに囁(ささや)いていて、誰もがわかりすぎる映画にしていることを承知する必要のある映画であった。
気持ちはわかるが乗れなかった。学校へのすすめ。実は中学しか出ていない私には最も見たい映画であったのに、映画の感覚にあまりにもズレたこのやさしさがつらかった。
誰が文句を言おうと、これが私の映画、その監督の信念を知りながら、この感覚のズレにしばし息が止まった。
西田敏行、田中邦衛、みんな力演だ。けれどあまり一方すぎてカゲがないと人間ばなれする。私の最も好きになりたい映画、私の最も愛する監督、それだけにこのやさしすぎはどうにかならなかったのか。
0084白井佳夫
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2016/10/24(月) 03:19:23.85ID:OQNR2QoE
「松竹の映画は、社会のことを描いても、政治のことを描いても、経済のことを描いても、よい。ただしそれは、典型的な日本の小市民たちが、
茶の間でしゃべるような、日常的な表現の範囲内において、である」と。
 森崎東監督は、この松竹という映画会社の中で、いわば異端の人間であった、という風にいっていいであろう
彼はここで『なつかしい風来坊』「愛の讃歌』『吹けぼ飛ぶよな男だが』『喜劇・一発大必勝』『男はつらいよ』などの山田洋次監督作品の、脚本共作者となる。
まだ、山田洋次監督の庶民喜劇路線が世にいれられず、その作品に、反俗的なうっ屈感がわだかまり、それが映画に、ある骨太な居直りの精神のようなものを、秘める作用をしていた時代である。
 この時代の山田洋次監督作品の「反俗的なうっ屈感」と「ある骨太な居直りの精神」のようなものを、森崎東が大きく支えていたのであろうことは
、森崎東がいた時代の山田作品と、彼が訣別した後の山田作品とをくらべてみれば、よくわかることである
0085名無しさん@お腹いっぱい。
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2016/10/24(月) 03:21:52.86ID:OQNR2QoE
映画監督としての森崎東作品の特質は、一見松竹大船調の「小市民的な喜劇 映画のような、平明なドラマ仕立てをふみながら、実は日本の下層庶民の、図太い生活力のバイタリティを、 ユニークな映像表現の底に、エネルギッシュに泌めているところにあった。
 その底意とは、ごく簡単にいってしまうならば、「松竹大船調の伝統的な小市民映画路線を踏みながら、実はむしろそれを大きなテコとして、正統な庶民喜劇として、とでもいうべきものであった。
自己の主張を映画の中に押し出していく精神の正当さ」とでもいうべきものであった。
 政治に「裏切られ」、資本の論理に「裏切られ」、労働運動の論理に「裏切られ」た彼の、孤立した戦いを支える、最後の、そして正当な「拠りどころ」が、「異端な精神の正当で大衆的な表現」として、
そこにはあるように、私には思われたのである。そのように孤立した自己の、
他ならぬ「映画による映像表現という形での自己の確認と主張」が、きわめて大衆的で、なおかつナイーヴで、そして骨太な映画作りを、ユニークに支えているように、私には思われたのである。
 だが、京大出のインテリゲンチャとしての彼の、もろもろの「裏切り」に対する無念の思いは、一方で『喜劇・男は愛嬌』『女生きてます・盛り場渡り鳥』『野良犬』『黒木太郎の愛と冒険』といった作品系譜では、
むしろ観念的で図式的で、抽象的な表現と作品構造をとって、露出する。それもかなり生硬な形でのメッセージとして、露出するのである。
この問題に関して、「そんなことでは困る!」という私と、「いや、それでいいのだと思う!」という彼とは、実は何度も議論を重ねてきている歴史(?)を持っている
0086白井佳夫
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2016/10/24(月) 03:43:41.51ID:OQNR2QoE
山田洋次監督の「男はつらいよ」喜劇、実はあんまり好ぎではない。葛飾柴又という東京下町の古風な郷愁を残す風土にテキ屋のフーテンの寅というズレた仁侠気質の庶民アウトローを配し、それを下町人情をからめた、にくめぬ笑いで色あげするという構造。
近ごろ、まったくステロタイプ化してしまった日木の喜劇映画の中にあって、このシリーズには、人肌の温もりをもった手作りの味、寄席でいい落語をきいた時みたいな、好ましいよさがあることは、大いに認めたい。
 しかし、総体に、ほどよく出来上りすぎているのである。同一趣向のギャグの相当にあざとい反復使用と、同じ劇的シチュエーションの、あくことないくりかえし。そこからはこの練達の作者の「このくらいにやっておけば、
庶民大衆は泣き笑いをしてくれるものさ」とでもいったような思いが私には感じられてしまうのである。
それに、寅さんは、周囲の下町庶民の人情といたわりに温かく包まれて、いささか過保謹児童(?)でありすぎる。そして、毎回のその失敗や、その失恋が、ほろにがい笑いと涙を生むための、ほどよい軽妙な小道具でありすぎる。少なくとも、過去に「なつかしい風来坊」とか
「運が良げりゃ」といった、手作りの巧さを生かしながら、なかなか心に泌みて残酷な切れ味をも、もった喜劇を作っている山田洋次監督であるだけに、これをいいたい気がするのである。
さてこのシリーズ第三作は、シナリオ共作者として、テレビ以来の寅さんの生みの親の一人でもある、先に「喜劇・女は度胸」を初めて監督した、森崎東へのバトン・タッチである。しかも今度はシナリオ作者に、その当の森崎東の名が連なっていないあたりが大へん微妙だ。
 劇的趣向の中心は、まったく、興行的にも大成功した過去の二本のシリ一ズの踏襲である。ただし、微細な演出のニュアンスは、だいぶ違う。いつもはスローテンボで抒情的ににはじまるプロローグに、突然、
蒸気機関車の爆走とローカルな民謡、そして騒々しい酒宴のケンカをもってぎたのがダイナミックで面白い。
0087名無しさん@お腹いっぱい。
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2016/10/24(月) 03:46:43.01ID:OQNR2QoE
それがタイトル前のエピソードで、やがて木格的にはじまる第一エビソードもいい。常連の森川信、三埼千恵子夫婦と、
義弟の前田吟らに見合いをすすめられ、相手への希望を聞かれて、最初は、「オレみてえなヤクザもんには、来てくれるって人さえあれば」なんていってた寅さんが、
酔うほどにだんだん手前勝手な注文をならべ出すあたり。それと、見合いの相手の春川ますみの仲居が、旧知の女でついにはその逃げた夫を探してやったすえ、どんちゃん騒ぎの大盤ふるまいで叔父夫婦に大迷惑をかけるあたり。
 いつも寅さんの行状を、山の手風の品のいい笑いと軽妙なショット割りでとらえ、もう一つ深刻な局面がくる前にスッと視点を変えてしまうスマートな山田洋次式演出と少し連って、寅さんのおかしな行状を、じっくりとキャメラで迫いつめて、
やがて、笑いの先にある、愚直なもの悲しさみたいなものまでもジワジワとしぼりだしてやろう、といった姿がいいと思った。
 これは「喜劇・女は度胸」に濃厚にあった、喜劇に必要なのはソフィスティケーション醸成のためのデリk−エトな話術なのではなく、
むしろ縦の構図を重視して演出した人間くさい図太いバウタリティと価値観の素朴な衝突と葛藤だ、とでもいいたそうな居直りに通じるものだ。
 ただし、話がメインになる第二エピソ−ドの新珠三千代の湯の山温泉の美人の宿屋の未亡人への片想いの部分になってくると、例によってのルーティンになってしまってくりかえしの寅さん人情話となる。やっぱり「またか!」という感じだ。
 トータルな計算としては、定例のシリーズ三本目の仕事、という制約を、新人が自分なりの演出で、いっしょうけんめい作ったというところか。が私には、その自分なりの、武骨さが好ましい。
あんまりピューリタニズムを固守して、次から長い沈黙に入ったりしないで、その図太い無骨さを武器に、森崎東監督に、愚直なまでのチャレンジをしてもらいたい気がする。
 現代日本の映画作りが、トータルにあげ得る成果とは、そういう形のものなのだ、と私は思う。
0088名無しさん@お腹いっぱい。
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2016/10/24(月) 16:38:57.06ID:OQNR2QoE
喜劇映画で笑えるということは「幸福」なことだ。だがこの国では、喜劇にすら涙がつきまとう。
 ナンセンス、アナーキー。それらのボキャブラリーで松竹喜劇をとらえようとしたら必ず、松竹喜劇を、おくれたダメな喜劇として斥けることになるだろう。だが、それでは進んでいるとは何なのか。なるほどキートンの喜劇は素晴らしい。
あの、秩序、常識、日常的感性を逆なでして、まったく異次元の空問を作りあげ、我我の常識を笑殺してしまう素晴らしさ。それは、認めよう。だが、あれはキートンの世界なのであって、このジメジメとした日本の出来ごとではないのだ。
キートン的アナーキーさで日本の喜劇をウンヌンするのは決定的に間違っている。松竹喜劇が可笑しいのは、我々がキートンのようにすらなれないという、
共同体にがんじがらめになったぶざまな姿を取上げているからこそなのだ。松竹喜劇のよさは、それが進んでいるからではなく、むしろおくれているからなのである。
松竹喜劇は大作の陰に隠れて存在し続けてきた。東映やくぎ映画というもっとも情念に満ちた映画群からも遠くにあった。東映やくざ映画には、
もちろん当時こちらも昂揚したけれど、あれはある意味では、イージーな作品である。見ている側の感情の高ぶりを作品世界の上に、
あまりに簡単に重ね合せることが出来たから。東映やくぎ映画は一種の"ぬり絵"である。高倉健の、鶴田浩二の、そして藤純子の一挙一動に、見る側はいともたやすくおのれの”想い”を重ねあわせてしまうことが出来た。
だが、松竹喜劇のあのジメジメとした体裁の悪さに、だれがおのれを重ねあわせることが出来るだろうか。今日、松竹映画がもっともラジカルであるという逆説は、
それらがもっとも遅れている、もっとも我々の中のジメジメした共同体的感性と地続きにある、という一点でである。東映やくざ映画、
さらに最近の東映のB級アクションの数々のアナーキーさ、あるいはまた日活口マン・ポルノの、日本人の感性をむきだしにした
"下品さの魅力"などに一歩も二歩も遅れた所にこそ、松竹喜劇は成立している。松竹喜劇の特色は、もっとも"遅れている"所にこそあるのである
0089川本三郎
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2016/10/24(月) 16:46:32.59ID:OQNR2QoE
松竹B級プログラム・ピクチュアの世界は、決して、ハツラツとした破壊的衝動に満ちたものではない。
むしろ、そこに、つねに家族があり夫婦があり、親子があり、四畳半があり赤ちょうちんがある。舞台もまた東京の下町、
川崎など京浜工業地帯といった揚末が多い。どこを探しても真新しいものはない。しかし、くりかえしいえば、この真新しいものがないということが、松竹喜劇の特色なのである。
だがそれでいて松竹喜劇は、現在日本のさまざまな常識、日常的感牲を壊していこうとしている。その方法は必ずしもラジカルとはいえないが
、"人間なんてそんなものさ""しょせん人生とはそうしたものさ"というもっともらしい常識的感性から飛びだそうとしている。
瀬川昌治作品に出てくる心やさしいストリッパー(太地喜和子)、森崎作品の"新宿芸能社"に集ってくるストリッパーたち(倍賞美津子、安田道代、吉田日出子)、
あるいはまた山田監督作品の"馬鹿"や野村芳太郎作品の"為五郎"たち。そのどれもが、日本的共同体から一歩ずれた"ならず者"であり"はみだし者"であり"道化"である。
彼らは、自らが常識のワク内(家族、夫婦、親子、会社など) から飛びでることで逆に、今日、我々観客が、
いかに常識にがんじがらめになって生きなければならないかを実に鮮明に浮きあがらせてくれる。彼らはキートン映画のヒーローのように素晴らしく異次元の空間からやってくるわげでもなく、
またいわゆる人情喜劇の中に安住しているわけでもない。松竹喜劇を人情喜劇と定めづけてしまうのはたやすいことだが、それはおそらく間違いだ。もし、瀬川作品が人情喜劇として徹していれば、
それはちょうどチャップリン映画の"人間とはこういうものだ"という終り方で、ひとつの「完成品」としてしあがるだろう。しかし、瀬川作品や森崎作品は、
それがことごとく「成功作」ではなく、むしろ「失敗作」であるがゆえに魅力的なのであり、このジメジメとした笑いと涙の共同体・日本の中で、己れを笑える地点にまで突走ることの困難さを教えてくれるのである
0090名無しさん@お腹いっぱい。
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2016/10/24(月) 16:47:37.10ID:OQNR2QoE
昨年今年と、しかし、この松竹喜劇も作品数は減っているし、作品の活力も失なわれているのは事実だ。前田陽一の『三億円をつかまえろ』も以前の『喜劇・ああ軍歌』に比べるべくもないし、森崎監督もついに松竹では作品をとらずに東映で作ることになってしまった。
時代自身が六八〜六九年に持っていた価値ビン乱の活力を失ないつつある反映でもあるだろう。また、"ならず者"とか"道化"とかいう価値ビン乱者が、
この"抑臣的寛容"の時代にあっては、それ自身ファッションになってしまい、なんら反体制的ではなくなってしまったためだろう。
だからこそ私がいまだ"もっとも遅れている"松竹喜劇に期待しているのは、それが簡単に反体制的意匠・感性をナルシズムにまぶすこともせず、どこかにある一点を突破しようと、
あいもかわらずストリッパーやチンピラ(『街の灯』)、中年男(『喜劇・男の腕だめし』『三億円をつかまえろ』)といった、さえない男たち女たちを主人公にすえて、笑いと涙の弁証法をく りかえしているがゆえである。
そう簡単に涙を流してはいけないと同様に、そうたやすくなんでも笑いの対象にしてはならないのだ
0091名無しさん@お腹いっぱい。
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2016/10/24(月) 17:32:16.80ID:OQNR2QoE
大都会の裏通りにあるしがないストリッパー斡旋所の「新宿芸能社」を舞台にして、図太い笑いの底に庶民の哀しみと抵抗を秘めながら、
身体を張って生きる日本の底辺の女たちの生活を描いていこう、というこの二本のシリーズ風喜劇の狙いは、大へん正当なものである。バイタリティたっぶりに、
日本人の生活とむ情の核にあるものを、喜劇的に抽出していこうという姿勢の、映画作家森崎東監督の体質とも、ぴったりと合った素材だ。
 しかし、『喜劇・男は愛矯』にもみられたように、森崎喜劇は、彼がかえって体質に合った素材にぶつかった時、えてして映画化のブロセスに性急な短絡現象がおこる、という不思議な傾向がある。「これこそがおれの畑だ」
とばかりに、せっかちに映画化に突進しすぎて、映画として映像化するのに必要なもろもろの細部の手順を、すっ飛ばしてしまいがちなのである。
 まず、具体的に克明にその人間の生活の細部を描いていくことから、その中にある矛盾や混乱が表面に出てぎて、初めて映画のドラマは笑いを生む、というプロセスが短絡してしまって、
まず最初にカリカチュアライズされた、テーマの諷刺的な絵解きの枠組みが設定され、それにのって登場人物が繰り人形のように動かされる形になってしまうのだ。
 従ってドラマの進行は生き生きとした具体性を失い、ダイジェストされたヤマ場の峰だかを縫ってすすむことになりやすい。キャメラは、ロングでじっくりとある環境の全体像を見つめた上で、その中で動く人間に視線をしぼっていく姿勢を失って、
アップとバストのショットばかりで、書割りのようにデフォルメされた背景の前の人間を、テレビ中継キャメラのように、一木調子で追っていくことになりかねない。
 人物の心理や、それがからまって生じる劇的シチュエーションは、もっぱらセリフによって説明されてしまって、画面が、ドラマティックに沸騰してこない。といった風に、総てが裏目、裏目に出てしまいかねないのだ。
0092名無しさん@お腹いっぱい。
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2016/10/24(月) 21:51:25.70ID:OQNR2QoE
──その渥美氏の芸がやがて『男はつらいよ』で寅さんという役柄に収斂していってしまうのを、ストリップ劇場の頃から渥美氏を観てこられた監督は、どのように感じられましたか。
瀬川:だから、あの人は品行方正になっちゃって。まあもちろん芝居がすごい幅の広いレパートリーを持っている人だからね。
ただ、寅さんっていう役になりきっちゃったら、一定のああいうパターンでしか芝居ができなくなっちゃったでしょ。
ぼくは、あれでやりましたよね、『喜劇 初詣列車』(東映製作、1968)で。あの人はね、ああいうしっちゃかめっちゃかなところがあるんですよ。それがすごい面白いんでねえ。
『初詣列車』の時はなんか、そういうのをやりたいなと思っていてね。たまたまその頃はヒッピーとかも流行っていて。だからぼくは『初詣列車』っていうのが一番好きなんですよ。
渥美がボディ・ペインティングの中で泳ぐのを財津一郎とやったり、そういうストリップの時の渥美の一面を出したいなと思ってやったんです
──たくさんの睡眠薬をチャンポンにして飲んでラリってしまうというシーンもありますね。
瀬川:ああいうのをねえ、こういうのやってよ、って与えるといっくらでも膨らませるんですよ、彼は。そういうドタバタのネタをいっぱい持っているから。
長髪のカツラを後ろ前で被ったりとか(笑)。でもそうやっていて、
昨日のことを思い出すとかっていう風に繋げないとね。それだけやっていると、またドタやってる、っていう風になるからねえ。だからそうならないようにいろいろ工夫はしましたけれどもねえ。
このあいだ、渥美さんとねえ、浅草で座付き作家をされていた井上ひさしさんのね、浅草時代の対談を読んでいたんですけどね、やっぱりああいう土壌が今はなくなっちゃっているから、
もう渥美さんみたいな喜劇役者はもう育たないですね。素質があるにしてもね。吉本興行なんかが一生懸命やっているけれどもあれは使い捨ての芸人を養殖しているだけであってね
http://www.flowerwild.net/2008/02/2008-02-06_181116.php
0093名無しさん@お腹いっぱい。
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2016/10/24(月) 23:17:01.05ID:OQNR2QoE
 いつか河原畑寧さんに喜劇論を僕がしたら、あんたはそう理屈っぽくいうから洋次に劣るわけで喜劇なんか理屈じゃないと。私が喜劇というので思い浮かべるのは、
彼が新聞記者時代にサツ回りしていったら労務者がつかまっていて婦人警官がどんぶりものをすすめている。いいから食べなさい。お金取らないのだからと。食べないというんです。
「どうして食べないのかと思いますか」といわれたので「銭を払わなければならんと、その労務者が思ったのでしょう」といったら「と、みんな思うでしょう。そうじゃないんです。
しきりにすすめられた あげく、労務者がいうには「だって、『はしがねえもの』といった」と。(笑)洋ちゃんの世界でやれるものですよね。ナンセンスに無限に近い。
 河原畑さんは、それが喜劇だという。頭で作り上げたものではなく理屈抜きのものなんだというわけです。洋ちゃんは、それができる、というかその能力があるんですね。
僕はそれをすぐ、そこで笑われたのは労務者ではなくて親切づらして形骸化されたモラルであるところの婦人警官であると、どうしても思ってしまうわけですよ。
でも、そういう理屈の作業を経て笑いは出るわけじやなくてナンセンス的な効果で笑うわけですね、だって、はしがないものという。
でも、僕はなおかつ笑われるのは誰かというふうに考えてしまうんですね。笑われたのは労務者の方じゃなくて、婦人警官の方だろうと。その発見の喜びみたいなものが笑いを支えるのだろう。
 だから、寅さんの中で語られるものもそうですよね。寅さんの中で無機質的にナンセンス的にドッ 来るものの中には必ずそんな人問の中に残っている
楽しさみたいなものであって、逆にいうとそんな人間を生息させない疎外状況というもの、管理状況というものに対して笑うことができるから、よけい楽しいということなわけでしょう
0094名無しさん@お腹いっぱい。
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2016/10/24(月) 23:35:06.69ID:OQNR2QoE
キネマ旬報」の2006年1月上旬新春号(No.1446)評論家、文化人が選んだベスト・テン
第一位 男はつらいよ
第二位 寅次郎相合い傘
第三位 寅次郎夕焼け小焼け
第四位 寅次郎忘れな草
第五位 続・男はつらいよ
第六位 望郷篇
第七位 知床慕情
第八位 寅次郎ハイビスカスの花
第九位 柴又慕情
第十位 口笛を吹く寅次郎
第十位 寅次郎紅の花
読者によるベスト・テン投票
第一位 寅次郎相合い傘
第二位 寅次郎夕焼け小焼け
第三位 知床慕情
第四位 男はつらいよ
第五位 続・男はつらいよ
第六位 望郷篇
第七位 寅次郎あじさいの恋
第八位 柴又慕情
第九位 寅次郎かもめ歌
第十位 寅次郎夢枕
0095名無しさん@お腹いっぱい。
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2016/10/25(火) 01:31:10.22ID:jVCBp6oR
初期の作品は寅さん自体からにじみ出る寅さんの魅力があったけど、後
期の作品は寅さんとからむ人たちによって寅さんをいい人にみせようと
うシナリオと演出のあざとさを感じる。
渥美さんが精気も元気も茶目っ気もなくなって、「寅さん」になろうと
するのが痛々しい後期になるほど、寅さんがもてるというのもどうなん でしょう。
寅さんシリーズは大好きだけど、あたしがみるのは25作目までね。
「かもめ歌」あたりから山田洋次さんも思想も入り始めたし

初期の頃は寅の町内の鼻つまみ者的部分もきちんと描いていて楽しめた。
中盤以降は映画の世間的高感度が劇中にも反映されているかのように、
登場人物たちにも最初から好感をもたれているかのように描かれているのがつまらない

もちろん初代おいちゃんがサイコ―なのはもちろんだけど 三代下条おいちゃんよりも二代松村おいちゃんのほうが
味があると思う 。全般的に下条おいちゃんは善人・いい人すぎるよ
0096名無しさん@お腹いっぱい。
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2016/10/25(火) 03:21:39.95ID:jVCBp6oR
1991年度キネマ旬報ベストテン
11.夢二
12.ワールドアパートメントホラー
13.泣きぼくろ
14.おいしい結婚
15.戦争と青春
16.風、スローダウン
17.福沢諭吉
18.あさってDANCE
19.老人Z
20.遊びの時間は終わらない
20.スキンレスナイト
20.時が乱吹く
23.アイ・ラブ・ニッポン
23.就職戦線異状なし
25.真夏の少年
26.上方苦界草紙
26.土俗の乱声
28.ゴジラ VS. キングギドラ
28.菊池
28.渋滞
0097名無しさん@お腹いっぱい。
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2016/10/25(火) 13:21:26.61ID:jVCBp6oR
山田洋次「最初から映画を作る前にイメージがあって、それに俳優さんを近づけて映画を作るのは意味がないとおもっている。それは一つの観念の産物にすぎなくなってしまいますからね。目の前にいる俳優さんが、これを演じたら、どういうことになるか、
というところで、映画が生まれてくるんです。渥美さんは、その意味でぼくにとっては、貴重な俳優さんですよ。」
0098名無しさん@お腹いっぱい。
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2016/10/25(火) 21:52:59.86ID:jVCBp6oR
特に山田演出と違うのは、絵作りだろう。こういう撮り方は山田洋次はしないだろうなというようなカットがけっこうあった。
たとえば、お志津さんの弟と対決のシーン。森崎東の画面といのは、東映作品(たとえば『キーハンター』とか『仮面ライダー』とか)の対決シーンなのだ。オーバー・テンションのギャグとして見せようとしているのだろうが、
こういう意図的すぎる演出というのはなんか・・・ちょっと『男はつらいよ』ではないような気がした。たぶんこのシーンを山田洋次が撮るとしたら「対決」ではなく「いざこざ」として撮っただろう。
これが『男はつらいよ』でなければ、森崎東の画面のほうが好きなのだが、やっぱりこのシリーズのなかの一本としてみると、違和感を感じたかな。
あと音楽の趣味もどことなく違うのかな。あと、その音楽の入れのタイミングとかも。

撮影監督のこのシリーズをずっと撮ってきた高羽哲夫。高羽に変わってカメラをまわしたのが長沼六男だが、個人的にはどうも好きになれない画面づくりだ。カメラがセットのなかにあるときはいいのだけど、
カメラがロケに出たときはのカメラ位置が被写体にちかくていやだ。泉ちゃんが満男に「愛している」と強制的に言わせるシーンも、もうちょっと離れてアップを撮ってほしいものだ。あのカメラの距離だけでムードぶちこわしだ
0099名無しさん@お腹いっぱい。
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2016/10/25(火) 22:06:50.21ID:jVCBp6oR
池ノ内青観が昔好きだった女性に会い、そして別れるシーンなど、じい〜〜〜〜〜っときてしまう。山田洋次の演出のすごいところは、感動させるシーンを、そのシーンで感動させるのではないところなのだろう。そのシーンはほとんどさりげなく撮っているのに感動するのである。
これがハリウッドの映画だったら、感動させるシーンはそのシーンで感動させるのである。しかし山田洋次の場合は、そこまでの段階で、すでに感動にいたらる要素をさりげなく注入しておいて、
そこにきたらその感動を解放してあげる蛇口をあけてやる。そうしたら一気に感動があふれ出しくるのである。でも、そこで行われるのは蛇口をあけるだけなので実になんでもない芝居だったりする
0101名無しさん@お腹いっぱい。
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2016/10/26(水) 20:48:45.26ID:D+VqU2HR
ジョン・ランディス
でも部分部分の見せ方は実にしっかりしてる
ただこの人に足りないのは、演出家として自分を暴くこと。ほんとの恐怖とか悔しさとか悲しさとか、そういうものを描くことにテレを感じる人で、そういうドラマ作りのホントに重要な部分が描けない。メンタル的に突き抜けることが出来ない。
そういう部分になるとホラーに逃げるか、記号的表現に逃げるかパロディに逃げるしか出来ないひと。
演出としてはチキンな部類の監督さん。監督がそうなので、見る側も、真剣に映画を観る人には向かないでしょう。自分と向き合うことのない凡人ユーザー向け監督です。
でも、演出家としてシリアスな部分を要求されないなら、演出技法だけできちんと撮れる人。
ひとつ上手い演出をあげておくと、お恐怖シーンの見せ方。
くるぞくるぞとそのシーンをみせないままひぱって、最後にそれを見せるのは1秒もないくらいの短いカット。で次のカットにすぐ切り替えてゴオオオオオオオオオオオと地下鉄の音を脅しとして聞かせたり、
電話のベルの音を脅しとしてジリリリリリリリリリリリんと聞かせたり、お恐怖ものの王道の演出表現はしっかりしてるのです
物語にさして重要性はなく、血まみれ着ぐるみシーンを描きたいだけで、でもホラーにするんじゃなくって、どんなにシリアスが画面でもポップな音楽をかけて真剣に怖がらないように演出してある。
個人的にはこういう演出スタイルは大嫌いなので、好きな人だけどうぞ・
0102名無しさん@お腹いっぱい。
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2016/10/27(木) 04:17:23.13ID:xBIxeORL
 本書は「監督 小津安二郎」を補足するような形で89年に刊行された。かつて小津作品の多くの撮影を担当したキャメラマンの厚田雄春が当時80歳を過ぎてもなお、お元気であったため蓮見氏が厚田にインタビューをする、という形をとって一冊の本にまとめあげた。
内容は厚田の生い立ち、そして映画界入りするキッカケから始まり、厚田自身を語り、小津を語り、小津と同世代の監督たちを語り、スタッフを語り、俳優たちを語り、
そして時代を語り、約三百ページ全く飽きることがない。おそらく厚田の提供による貴重な写真からも目が離せない。
本書からのとっておきのエピソードを一つ。63年12月12日に小津が亡くなった日、東京は雲一つない快晴であった。厚田をはじめ小津ゆかりの人々は小津の容体が悪くなってからも「死ぬわけないよ」と平然としており、亡くなってからも現実から逃避するかのように、
笑いながら酒を酌み交わしていた。ところがそこに原節子が現れると厚田は急に悲しみがこみ上げてきて、原と抱き合って号泣したそうである。

小津さんの遺体があった病院ではこれっぽっちも涙なんか出てこなかったのに、原さん〔原節子〕と目と目が合ったとたんに、もう、涙があふれて、あふれて。小津さんが亡くなられたってのは、そうしたことだったんだと、いまにして思いますね
0104名無しさん@お腹いっぱい。
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2016/10/28(金) 03:53:30.10ID:Ie41xpuu
『お熱いのがお好き』では、当たりくじのほうから私たち〔脚本家としてのワイルダーとI・A・L・ダイアモンド〕のところにやってきた。それはモンローである。
ちょっと想像してみていただきたい。たとえば、ある女性の部屋のベッドにふたりの女装した男がいるところを。その「ある女性」とは誰だろう? 
当時、世界のアイドルだった女性だ! 男たちは見かけが女性らしくなければベッドの中には入れてもらえまい。それに、彼らは女性のままでいなければならないのだから、
ベッドの中でなにも起こるはずがない。そういったプロットと、あのモンローが出ているという事実から、観客にとって大きな興味が生まれ、より大きな笑いの爆発へとつながったのである。
億万長者を自称するカーティスがモンローをオズグッドのヨットに誘う場面でも、それを利用した。カーティスがモンローを誘惑するという設定でいいのだろうか? 
私たちはじっくりと考えた。それよりも観客が興奮するアイディアはないか? そして答えは見つかった。モンローのほうから誘惑させるのだ!
そのころ、男性の観客は全員がモンローと寝てみたいと思っていた。彼女は最高のアイドルだった。そういった事情があったからこそ、あの映画は喜劇としてあれほどの力を持つにいたった――…
0105名無しさん@お腹いっぱい。
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2016/10/29(土) 00:32:29.08ID:ab5GOQvN
上岡:やすし・きよしの漫才についていうと、漫才ブーム(昭和55年)をリーダーとなって引っ張ったということで、すごく過大評価されていると思います。漫才の歴史ということでは、日本一の漫才といわれているのが少しね、
ただ、彼らはね、テレビ漫才という点ではよかった。テレビというのはもちろん見た目ですよね。もうひとつは私生活までをも暴き出してしまう。彼らの漫才は、「嫁はんが外人や」とか「一ぺん刑務所に入った」やとか
「警察にお世話になった」という、セミドキュメント的な漫才でね、
米朝:それはもうなァ、
上岡:だから本流の漫才の流れということでは、捨丸・春代があり、エンタツ・アチャコがあり、文雄・静代がありというようなところですからね、(やすきよの漫才は)ぼくらから見ても少し違うもンなんですよ。
米朝:そうそうそう、だから嫁はんのことやとか、刑務所のことを知らなンだ人にも受けささなイカンねん。
上岡:だから、漫才の完成度ということでいえば、先程の話ではないですが、やすし・きよしはダイマル・ラケット、いとし・こいしの比やないですよ
0106名無しさん@お腹いっぱい。
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2016/10/29(土) 00:47:30.71ID:ab5GOQvN
上岡龍太郎は、関西には露悪的で下品な芸風の芸人が多い中で、いとし・こいしには凛とした品の良さがあったと述べている。
小松左京も同様に、いとし・こいしの漫才には「都会的で上品な香りがする」と述べている

米朝・上岡が語る昭和上方漫才
0107名無しさん@お腹いっぱい。
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2016/10/29(土) 01:49:51.52ID:ab5GOQvN
スクリューボール・コメディ(Screwball comedy)は映画のジャンルのひとつで、主に1930年代から1940年代にかけてアメリカで流行したロマンティック・コメディ映画群を指す。その特徴は、常識外れで風変わりな男女が喧嘩をしながら恋に落ちるというストーリーにアる
(スクリューボールとは野球における変化球の一種のひねり球で、転じて奇人・変人の意味を持つ)。
また、この時期にはプロダクション・コードと呼ばれる映画製作倫理規定によって性的描写が厳しく禁止され、男女の肉体的な愛は一切描かれなかった。
むしろそこに行き着くまでの長い道のりを面白おかしく描いたのである。表現が規制されていたため制作者たちは頭を振り絞り、結果、良質の作品が作られたとも言える。
スクリューボール・コメディの第1号は「或る夜の出来事」であり、この作品が成功したことによってスクリューボール・コメディと呼ばれる作品が多く作られた。しかし、1950年代頃から、
徐々に映画における性的描写の規制が緩やかになったこともあって、ジャンルとしては、段々と廃れていった

スクリューボール・コメディでは、悪人や変質者が登場しない。登場人物たちは変人・奇人であっても、常識と非常識の、分別と無分別のバランスをうまく(あるいは、かろうじて)とっている。
ほとんどの人物はさばさばしていて、粘着質なキャラはめったに出てこない
0108名無しさん@お腹いっぱい。
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2016/10/29(土) 23:15:29.79ID:ab5GOQvN
しゃべくり漫才
具体的にはネタの途中で2人とも特定のシチュエーションを模した芝居に突入しない形式の漫才を指す。
いわゆる、正統派漫才と言われるものである。
現在はコントチックなネタを使う若手漫才師が人気のため、しゃべくり漫才を演じる若手漫才師は少ない。

コント漫才とは、漫才であるがボケ、ツッコミ共に役になりきりストーリー展開になるコントのような漫才。漫才のネタをコントとして流用する場合もある。
最も基本的なものは、「1人コント漫才」というもので、片方は役に入るが相方などは役に入らずにツッコミ役に徹したり、または、ツッコミの方が役をするようにボケの人に
お願いするのにその人は全く違う役を演じたりするなどが特徴である。また、そのままコントに流用できないのも特徴である。
0109名無しさん@お腹いっぱい。
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2016/10/31(月) 13:21:22.72ID:JmUtIG/e
ほとんどの作品で、主人公に確固たる信念がないというのも特徴的ですね。
世の中に振り回される、お人好しで卑小な小市民がほとんど。
ヒロイズム皆無というのもある意味スゴイかも。
あと、登場人物がやたら泣きまくりますけど、ウエットというのとは
ちょっと違う気がするのですけど、どうでしょう?

「日本の悲劇」は桂木洋子対高杉早苗がひどくキョーレツで、 しばしば主役が望月優子であったことを忘れます。(ワラ
ああいうスサマジク嫌なタイプの女は、凡庸な男性監督が撮ると、
表面的で見下した感じになったり、妙にお色気むんむんになったりするのに、
木下恵介が撮る嫌な女は、とことんリアルで、 ウワー嫌な女だけでは済まされない奥の深さを感じます。

淀川さんに言わせると「二十四の瞳」が大ヒットしたせいで、おかしくなり
木下監督はお涙頂戴モノに趨ってしまったと...
0110名無しさん@お腹いっぱい。
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2016/10/31(月) 20:06:48.50ID:JmUtIG/e
やすきよ」が漫才の歴史のなかでエポック・メイキングであったのは、その絶大な人気と、伝説化したやすしという芸人の存在もさることながら、従来のボケがシナリオを外しそれをツッコミが軌道修正してゆくという役割を逆転させ、やすしによって
「一見つっこまれながらその実漫才をリードしてゆくボケ」という手法が確立されたところにある。この「リードするボケ」という観念は、漫才ブームの中でツービート、B&B、島田紳助・松本竜介などのフォロワーを生み
他にもあえて言うなら、漫才において、ボケ、ツッコミの明確な役割がなく(両方ともボケ、ツッコミが出来る)漫才の台本によってやすしがボケ、きよしがツッコミをしている時に不意にきよしがボケ、
それをやすしがツッコむ、漫才中に役割が交代というスタイルができる稀なコンビであるといえる。
0111名無しさん@お腹いっぱい。
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2016/11/01(火) 01:33:29.75ID:kYthFVpA
小林信彦の世界の喜劇人という本で、コメディアンの倒れ方について「ルイスはそれまでのコメディアンに比べ倒れ方が一番怠惰だ

志村けんの「バカ殿さま」見ていると、今でも時々ジェリールイスの映画から思いっきりパクッてますね。
覚えてるだけでも「底抜けいいカモ」で頭の上に電球がピカッと光るシーン。
「底抜けOOの男」のラストで坂道を車で猛スピードで下って行くドタバタは、志村さん一時しょっちゅうやってて、
バカ殿さまが橇か何かに乗ってスタジオから飛び出し、商店街を滑走するって回もありました。

「底抜けもててもてて」をはじめて見たとき(DVDにて)それは衝撃でした。だってドリフにそっくり!
たちまちドリフターズ、欽ちゃん、…あの時代の日本の喜劇がこのアメリカのルイスにまるっまる影響を受けていると
わかりました
0113名無しさん@お腹いっぱい。
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2016/11/03(木) 13:52:40.79ID:6wHQEpXW
「かつて『鉄道員』の降旗康男監督は、『この映画で、高度成長期の日本で黙々と働き、
いつしかその波に取り残されてしまった男の怒りを描きたかった』と語ったことがあります。
作品中、健さん扮する幌舞駅長の佐藤乙松が吉岡秀隆演じる親友の息子から廃駅決定を電話で伝えられるシーンがあるのですが、
健さんから『電話が終わった後に周りの机や椅子をぶち壊して怒りを表現したい』と提案があり、
降旗監督は『無念の思いを込めて、被っている駅長帽をそっと机に置くようにしてくれ』と言ったそうです
0114名無しさん@お腹いっぱい。
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2016/11/06(日) 00:26:38.03ID:ryMrBe1B
一色伸幸 ‏@nobuyukiisshiki · 11月3日
「男は知っていることを喋り、女は人を喜ばせることを喋る」って、誰の文章だったろうか。一種の箴言だろうけど、これほど的を射た言葉は、なかなかない。
これ、セリフ書く時にも頭の隅に置いてる

森の中にはトトロもいるけど、恐ろしい生き物もいる。そういうつもりで、宮崎さんは(彼の思う)グロテスクさで猫バスを描き、それまで笑っていた子供たちが泣き出すように話を組んだそうだ。
でも子供たちは、猫バスに大喜びして、笑い、拍手をした(せんとくんと同じ理屈で、ほどよくグロいものって、惹きつけられるんだよね)
。これは宮崎さんの完全な計算ミスだそうで、それで彼は本気で落ち込んでいた
0115名無しさん@お腹いっぱい。
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2016/11/07(月) 17:22:22.05ID:EFgtAg3a
(1)ウィット(人を刺す笑い)、(2)コミック(人を楽しませる笑い)、(3)ユーモア(人を救う笑い)
0116名無しさん@お腹いっぱい。
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2016/11/10(木) 00:22:30.46ID:Nqi/ufVc
松竹の"馬鹿馬鹿しい"喜劇を見て"忘我の時"を過したということがいくたびかあったのだ。健さんのヤクザ映画は、たしかに昂揚させられたけれど、それはあまりにも"前衛"でありすぎた。
新宿の路上をぶざまに馳けぬけて何らテメェの身体を傷つけることのなかったものが、健さんの暴力に身をまかせて「革命」をかたってしまっては、あまりにひとり勝手なナルシズムではなかったか。松竹喜劇は、二重にも二一重にも屈折していた。
まず第一に、それはすこしも、カッコよくなかった、ナルシズムがなかった。たとえば、森崎東監督の『喜劇・女生きてます』のラスト、刑務所から出てきたチンピラ・ヤーさん橋本功が、出迎えに来た安田道代を抱こうともせず、
刑務所の塀にそって歩きながら、♪たて飢えたるものよ、と"インター"の出だしをくりかえし歌い続けるシーン。迎えに来た安田道代が「学生さんが歌ってた歌ね」という……それに答えず橋本功のヤーさんが、
くりかえし、♪たて飢えたる者よ…:をくりかえす。もし、彼が"インターナショナル"を最後までろうろうと歌い終えてしまったら、この作品は、最後の最後で全否定しさることも出来たかもしれない。しかし、橋本功は、最後までインターを歌わず、
くりかえしくりかえし画面の前方に向ってぎて、♪たて飢えたるものよ……だけをくり返えすのである。
そこには、たしかに、ぶざまなおのれがある。 "インター"を最後まで通して歌えるカッコよさとは森崎はふっきれているのである。喜劇映画で笑えるということは「幸福」なことだ。だがこの国では、喜劇にすら涙がつきまとう
0117名無しさん@お腹いっぱい。
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2016/11/11(金) 20:05:17.56ID:NEDMxEyG
アラン・エイクボーン
アメリカは、「ギャグ」や「ジョーク」など、言葉で笑わせる
手法をよく使いますが、オスカー・ワイルドなど英国風習喜劇の
伝統を受けるエイクボーンは、状況を巧みに構築することで笑いを
引き出します。
0118名無しさん@お腹いっぱい。
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2016/11/11(金) 20:56:09.58ID:NEDMxEyG
渋谷:イタリア映画はどうですか。
三島:嫌いなんですよ。なぜかというと見え透いていてね。あんなに見え透いたもの芸術じゃないと思うね。
そうしてね、ひとつひとつ言えば、あの「自転車泥棒」なんか、父子の義理人情からすぐさま共産主義へ持ってゆく、
理論的な飛躍の癪に障ること。それから「無法者の掟」の結末の浪花節的なこと。実につまらぬものだと思う。
「パイサ」を見たときは非常に面白かった。
(中略)
フランスの映画は、露骨な理論的飛躍がない。そこで止めておくから、見る人が理論的に追求して自分のほうへ
持ってゆくでしょう。「自転車泥棒」には理論的な押しつけがましさがセンチメンタルの後ろにあるので、
一面から質的相違に見えるけれど、センチメントはセンチメント。シモンズが文学論で言ってるけれど、芸術が
われわれに訴える涙ぐましさは猥褻さの効果とあまり変らない。そういう意味での涙脆さにすぎぬ。社会問題なんかは、
もっと理論的にイデオロギッシュに考えるべきだ。
0119名無しさん@お腹いっぱい。
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2016/11/14(月) 13:23:46.16ID:ZqQDhqS4
黒川博行作品は高村薫作品に通じるモノがある。それは大阪を中心とした京阪神エリアの
微妙な土地柄の違いや、それがもたらす人間関係の機微を熟知しているところだと
0120名無しさん@お腹いっぱい。
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2016/11/15(火) 00:59:42.60ID:oyH25eUq
秋田實
第二次大戦前より漫才の台本製作や寄席番組の構成等に関わり、現在の漫才の原型を作り若手を育てた、上方漫才を代表する漫才作家である。
戦前から戦後の功績から「上方漫才の父」とも呼ばれる。
NHKの連続テレビ小説『心はいつもラムネ色』の主人公・文平は秋田がモデルとされている
秋田とエンタツは、漫才には「だれでも共感の持てる無邪気な話」がよいと意気投合し、これが秋田が漫才作家となるきっかけとなり、エンタツのマンザイは「無邪気な笑い」
を特徴とするようになる
0121名無しさん@お腹いっぱい。
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2016/11/23(水) 14:22:27.93ID:LvmrVk7m
せっかく恩讐渦巻くドロドロのヨーロッパから
解放されるためにアメリカの、さらに西部にまでやってきたのに、
そこで繰り広げられるのは、近親相姦でぐっちゅぐちゅの混沌人間関係。
それはまさに鉄道工事の人夫として渡ってきた人間未満のシナじん
たちが蛆のごとくひしめくチャイナ・タウンの世界であった……。
シンプルで清らかなアメリカであって欲しい。
0122名無しさん@お腹いっぱい。
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2016/11/24(木) 13:53:32.75ID:9x/a9H67
もう今村昌平が好むようなドロドロの土俗なんてなくて、過疎化が進む死んだような地方しかない
0123名無しさん@お腹いっぱい。
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2016/11/27(日) 18:00:53.80ID:nhUYsnx4
とてもハラハラするストーリーでした。別のインタビューで辻原さんは、「小説はストーリー」だとおっしゃっていましたね。
そうですね。一つの作品を建築物だと考えると、ストーリーを作るというのは柱と梁を建てることです。主要な柱と梁が無ければ家が建たないのと同じように、小説でも映画でも舞台でも、ストーリーという骨格が必要で、
それを否定するわけにはいきません。ストーリーを作るのが苦手な作家に限って、「ストーリーなんて要らない」なんて言いますが、ストーリーという柱、梁で、きっちり一つの小説空間を支えなければいけないわけです。
 そして、ストーリーに加えて必要になってくるのがモチーフです。モチーフというのは建築物でいうと、壁や天井や窓、インテリアと言えるでしょう。「どういうカーテンにするか」。これがモチーフ。小説でいうと、
一番わかりやすいモチーフは登場人物ですね。それに、作家の思想や絶えず繰り返される一つのイメージ、そういったものがモチーフです。
─なるほど。
ただ、建築物の場合は空間なので柱と梁があればいいんですけど、小説は、時間とともに展開していきます。登場人物が、ある出来事で今まで気づかなかった自分のことを知る、今まで出会ったことのない不思議な人物に出会う。
つまり、そうやってモチーフが展開することそのものがストーリーということなんです。ストーリーがあることで、読者は小説のイメージを非常にはっきりと掴むことができます。
─モチーフが展開していくことそのものがストーリー。
小説というのは時間の芸術で、時間の中にしか成り立たちません。さらに、その時間というのも、「小説のなかで登場人物たちが生きている時間」と
「読み手側の読書の時間」という二種類が流れているわけです。小説内でそれぞれの人物たちに流れている無数の時間の束と、その物語を感受していく読者の時間。
僕は、ずっと一緒に流れているこの二種類の時間そのものをストーリーと言ってもいいと思うんです。つまり、モチーフが繰り返し展開して、物語が終わり、そして、最後に何かが発見される。読み終わった時にその小説の全体像が読者に明らかになるんです。
0124名無しさん@お腹いっぱい。
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2016/11/27(日) 18:19:06.85ID:nhUYsnx4
この日、映画音楽談義に花を咲かせた山田監督と久石。久石は「映画音楽では、映像に映った画面をなぞっただけの音楽が多すぎる。
誰かが走ったら速い音楽。誰かが泣いたら悲しい音楽。あれじゃ効果音の延長。特にハリウッドはひどいね。観客をバカにしているんじゃないかと思いますよ」
と昨今の映画音楽の現状を痛烈に批判。

すると山田監督は、黒澤明監督が明かしたというジョージ・ルーカス監督とのエピソードを述懐。
「ルーカスが黒澤さんを『スター・ウォーズ』の試写会に招待したらしいんですけど、黒澤さんは『スター・ウォーズ』にはまったく興味がない。
リムジンか何かに乗せられてしきりと感想を求められたんで、しょうがないから『とにかく音楽が多い』と言ったそうです。
そうしたらルーカスがとにかく弁解し続けるから、『多いから多いんだ!』と言ったら、ルーカスが泣き出して、ちょっと言いすぎたかなと反省したという。
そんな話を思い出しましたね」と名監督の意外なやり取りを明かした。

それを聞いた久石は「若い人は、音楽が3分鳴らないだけでソワソワする。本当はそんなことないのにね」と言及。
『東京家族』では、上映時間146分のうち、音楽が流れるのは「25分くらい」と明かした
0126名無しさん@お腹いっぱい。
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2016/12/14(水) 14:48:50.35ID:c6M0yd2W
「たけし」は映画監督としては所詮はワンパターンな演出しか出来ないけどね。
たけし映画の色彩・構図は実はたけしの描くイラストそのまま。
ネタも昔からのたけしのトーク・エッセイから実は「そのまんま」使っている事が
多い(例:「浅草時代に見た男女の繋がり乞食」がそのまま『DOLLS』の主人公男女に)
自分がタップが好きだから映画にそのまま出すとかただのベタだしな。

ただたけしが運が良かったのは、意外と内外のプロの映画人・批評家たちがたけし映画を好意的
に見てくれたこと。
たけし演出とは基本的に「自分の見せたい場面・ネタばかり見せて一般の商業映画的な
ストーリーテリング・伏線などの段取りは省略する」(そもそもたけしにはその肝心の「段取り」
を撮る能力も無いし)だけなのだが、それが何時も面倒なそうした「段取り」に
アタマを悩ませている内外の映画人たちには「たけしは自分の好きな場面だけで
繋いで羨ましい」と見えてしまったようだ。

またアンジェイ・ワイダが生前にたけし映画を礼賛しているインタビューを読んだ
事もあるが、欧米人にはあの独特の「間」が恰も東洋的な深遠な何かの様にも見えるらしい。

ニコラス・ウィンディング・レフンとかも明らかにたけし映画をパクってやがるもんなw
(『ドライブ』『オンリー・ゴッド』)
オンリー・ゴッドのタイ人の警察署長は明らかに「俳優・ビートたけし」のイメージそのまま、、
あれ、ホントは元はたけしにもオファーが行ってたんじゃねえの?

ちなみにたけしは「俳優」としては雰囲気だけで何も出来ない人だけどね
0128名無しさん@お腹いっぱい。
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2017/01/07(土) 14:52:25.63ID:fr0ZBipZ
結局、自分のトラウマの解消が目的やからね
表面上のドラマはそれを隠すための隠れ蓑に過ぎない
つまり弱い自分の言い訳、自己弁護だ そしてそれを責める強権的な存在が悪として描かれる
村上春樹、野島、坂元、こういう人たちはみんなそれ
聖なる弱者の肯定 ただのごまかし、まやかしに過ぎないがね

2014年の大きな特徴として、死を見つめながら生きていくというドラマの多かったことが挙げられる。震災を乗り越えるに当たって、死を自分のなかに取り込むというふうに視点が移ってきたのだろう。木皿泉脚本の
『昨夜のカレー、明日のパン』(日本放送協会)は、文字通り死者と共に生きるという世界を描き、時代を象徴していたように思える
0129名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2017/01/07(土) 14:54:29.31ID:fr0ZBipZ
働く女の琴線に触れるドラマ

 女同士の会話には「年とったら一緒に暮らそう」というフレーズがよく
出てくる。ドラマ「すいか」(日本系)は、そうした女の本音が通奏低音に
流れる物語である。主人公基子(小林聡美)は信用金庫に勤める34歳のOL。
同期の女性(小泉今日子)の3億円横領が発覚したのをきっかけに、彼女は
人生を変える。会社で粗末な扱いをされていると認め、過干渉の母親(白石
加代子)から逃れるために、古いアパートに引っ越す。そこには、大学教授
(浅丘ルリ子)、売れない漫画家(ともさかりえ)、ご飯をこしらえてくれる
大家さん(市川実日子)が暮らしている。
 女たちのささやかだけれど、愛ある触れ合いにグッとくる。ウソ泣きして
言い訳する女子学生には容赦しない浅丘が、道路で泣いている見知らぬ小林に
ハンカチを差し出す。お金を貸したことのない小林が、困っているともさかに
お金を貸す。小林は貯金で、自室ではなくみんなが集まる食堂にクーラーを
つける。ほどよい距離間の心地よい関係。
 小泉は横領したお金で倉庫一杯になるほどのブランド品を買っても満たされる
ことがなかった。彼女の気持ちがわかる小林は、「引っ越し祝いは何がいい」と
聞く上司に、「ほめて下さい」と、自分でほめる言葉を書いた紙を差し出す。
上司は紙を読みあげ、「君にはほんとに感謝してる」と、小林の肩をたたく。
泣けました。働く女にこんなに優しいドラマ、ちょっとない。(島崎 今日子)
0131名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2017/01/07(土) 15:04:55.40ID:fr0ZBipZ
平凡な中流家庭の崩壊を描いた作品である。それまでの「家族で食卓を囲んで最後はハッピーエンド」というホームドラマの殻を打ち破り、
辛口ホームドラマというジャンルを確立した点で、革命的な作品であり、日本のテレビドラマ界に与えた衝撃は大きかった。
そのストーリーと共に特筆すべきは、オープニングの映像である。平穏に見える川が、ある日突然濁流に変わり、
平凡な家庭を飲み込んでいくという、この作品のテーマを見事に象徴している


「あたしが、待っていたのはこの人じゃない、あの人だっていう気がして……こっちは、誰に応えていいか、その相手が見えないんです」
――報告、説明、主張、詠嘆、教訓――それ以外になにもない戯曲こそ滅ぶべきである。
岸田戯曲の神髄ここにあり
0132名無しさん@お腹いっぱい。
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2017/01/07(土) 15:09:38.69ID:fr0ZBipZ
漫画家の人たちの定見はないんだけれど、とにかく面白い漫画を作れるというのと似ている。
「東京喰種」とか「進撃の巨人」とか、直感で今の世界の在り方をシンボリックに落とし込んで、強引に面白い話に作りかえる力って、日本人はすごいと思います。
ようは人が人を食うような怖い世界で、巨人はブラック企業で、ニタニタ笑い歩きながら人を食っていく。若い子の絶望感もよく表れている。
「君の名は。」の監督の新海誠さんも若い子の気持ちを掴むのが上手いと思いました。たぶん新海さんは楽しい恋愛を高校時代にしたことがないんじゃないですか。
それがテーマとして架空のまま、生涯のテーマとして活きている。青春時代の憧れを理想郷として追体験して白昼夢のようなものを作り出していく、恋愛しない人の恋愛小説のパターンなんです。
付き合ったこともセックスの経験もないままカッコイイ男の子を書いていく、少女漫画的世界と通底しています。
宮崎駿さんだったら何かしら、自然対人間とか、がっちりした実体験をつかめているんですが、新海さんはそういう実体験はないでしょうね。
実体験がないからこそ作れる理想郷です。だからこそ今の若者の憧れの心を掴んだのかも知れません。

天皇陛下の生前退位と電通事件は、日本的な働き方という点で似ていますね。全身全霊を賭けるとか、生涯を賭けるとか。ここで理解していてほしいのは、世界の自由主義で豊かな国は1年間で11か月しか働いていない、ということです。
夏休みを1か月とって、あのGDPを作り出しているんです。日本人は1か月余分に働いて、ドーピングしているようなものですよ。雇用を分け合えばいいと思うんだけどなあ。
今のままの給料で夏休み1か月取れれば、恋をしたりみんな幸せになれると思うんだけれどな。貧乏で働いているだけ辛くて、それ以外のことに気が行かなくて生活が貧しくなっていることをもっと追及しないと。
今の日本で、幸せな夫婦で面白い小説ってないんですよね。書けないかなと思っているんですが。
0133名無しさん@お腹いっぱい。
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2017/01/07(土) 15:21:00.62ID:fr0ZBipZ
矢田部:『君の名は。』は、日本的な風景や文化を数多く盛り込んだことで成功した例ではあるものの、是枝さんも指摘していたように、
“女子高生とタイムスリップ”はもう十分なんじゃないかなと、個人的には思っています。若い人たちが作る自主映画を観ていても、
夏の青空と入道雲とセーラー服を映した作品があまりに多くて、少々辟易としています。もちろん、そういう作品を撮るなというつもりはないし、『君の名は。』は素晴らしい成功例だとは思います。
ただ、海外のクリエイターの作品と較べると、幼稚な題材が目立つこともある。もう少し、大人の成熟した視点で作られた作品があっても良いのでは。
0134名無しさん@お腹いっぱい。
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2017/01/07(土) 15:40:40.60ID:fr0ZBipZ
そういう(引用者注:世間が大阪に対して持っている)既成イメージや方言を人間造形に援用させることをできるだけ抑止して人間そのものを見つめ直せば、
このしたたかな作家はおなじ素材でももっといいものを書くのではないか。」

宗教的幻想がほろびかけて、しかも科学への信仰がまだ十分に力を得ていない時代に奇術が華麗な分野を占めた。
「探偵小説」と銘打ったこの作品にもそういう妖しさが感じられる。」

「べつに生きたくて生きているわけでもない――といって格別な厭世観をもっているわけでもない――男女をさりげなく短編世界に生かしてしまっている。
腕もさることながら、作者のふしぎな精神のほうにつよい傾斜を感じた。」
0135名無しさん@お腹いっぱい。
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2017/01/11(水) 18:51:40.86ID:OnZDqPXa
関西のテレビ関係者から聞いたんだが
関西のテレビ関係はPanasonicと関西電力がメインスポンサーで
現在、そのどっちもが調子悪い。

したがって制作費が削られていくばかりで
ギャラの高い面白い大物芸人は使いたくても使えない。
吉本養成所上がりの、やっすいにいちゃんに
テレビの司会をやらせる流れがあるんだと。

だから、どんどん芸の無いタレントが
関西のテレビ番組には溢れかえっているんだけど
需要と供給的には正しいみたい。
0136名無しさん@お腹いっぱい。
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2017/01/11(水) 18:57:01.71ID:OnZDqPXa
木下恵介の脚本は必要最低限の台詞だけで情景描写などは記されていないから
脚本を読んだだけではおもしろくないと久我美子だかが言っていたね。
吉田喜重もシナリオ書きだけはまったく参考にならなかったと
0137名無しさん@お腹いっぱい。
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2017/01/13(金) 16:56:36.68ID:ZCwOTNXq
喋り方が多少現代的でも、会話の内容がしっかりしてればそこまで気にはならないかも
たとえば「JIN」は主人公からして現代言葉しかしゃべってないし、脇役もそこまで時代劇喋りではなかった。
しかし言動が江戸時代の人間の価値観や倫理観を外してはいなかったから、理解出来たし共感できた
ナントカ丸の登場人物は戦国時代の人間としてどころか現代人としても奇天烈な言動ばっかりだから共感もクソもなかった
0138名無しさん@お腹いっぱい。
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2017/01/18(水) 14:54:24.65ID:QXH0KIml
今回は役に対する固定概念が最初から外れていると思うんですよね。
『この人はこういう時、こういうことをする人だ』と脚本を読み進めていけば分かっていた今までの作りが、
『この人、一貫性なくない?』ということを、坂元さんは敢えてしている。

弁が立つ諭高は論理的に話を展開したかと思いきや、矢先に“矛盾”した言葉を口にする一幕も。坂元氏と直接、話はしていないが「人間って複雑怪奇で、多面的。
恐ろしいほど人が変わる“ジャンプ”する瞬間があったり。例えば、今、インタビューを受けて話をしている僕と、
マネジャーと話をしている時の僕が違うように、そういう複雑なものが人間でしょ、と。より人間の本質に迫ろうとしている坂元さんの意図を、第1話の脚本を読んだ時に感じたんです。そう提示されている以上、テクニカルな部分どうのこうのということじゃなく、
こっちは人間でいるしかない。自分の頭の中で役を作って『諭高はこういう人です』と演じてしまうと、本当に2Dの人になっちゃう。3Dの人にしていくためには、
完全に僕の状態のまま、現場にいないといけない。人間性に立体感が出る作り方をしないと、自分が納得できないんです」。
0139名無しさん@お腹いっぱい。
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2017/01/22(日) 19:50:21.29ID:IJnUvEOF
作家の麻生千晶氏も手厳しい。

「そもそも医者をテーマにしたことが失敗。医者ドラマは米倉涼子の独壇場ですでに辟易気味なのに、あえてぶつけたのが
大きなミス。脚本も人間観察が浅く、若いプロデューサーの意図に翻弄され、脚本家が媚びてしまったとしか思えません。
想像のつくオチに加えてアイデア不足。キャラクターもストーリーもどっかで見たようなものでしかない。特に、浅野忠信、松
山ケンイチの役どころがチープすぎ。よくこんな役を引き受けたな、という感が強いですね。TBSの生真面目な体質で、『ド
クターX』の岸部一徳のような"息抜きキャラ"もいない。『ドクターX』はストーリーとしてはありえない漫画的な中に真実があ
るから面白いのに、今作はどっちつかず。小説や海外ミステリーを題材にしたほうが良かったと思います」
0140名無しさん@お腹いっぱい。
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2017/01/23(月) 00:51:44.95ID:SUFASZJs
マンセー構造はいいんだよ。もともとそういうドラマだから。
問題は持ち上げられるに相応しいスキルなり人格なりが、
そこかしこに散りばめられている説明に頼っていて、
キムタク本人から感じられないのがね。
少なくともHEROのキムタクにはそれがあった。
0141名無しさん@お腹いっぱい。
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2017/01/23(月) 03:13:02.43ID:SUFASZJs
健さんが麺を食ってるときに、ガルシアが、NHKだと「麺か?体に悪いぞ」になっていて、民放だと「ヌードルか?うまそうだな」になっていたのが印象に残る。実際はガルシアはなんと言ってるんだ?

Noodles? You're gonna hurt yourself.

「身体に良くないよ」って意味だね。
民放の方はスポンサーに配慮したんじゃないかな
0142名無しさん@お腹いっぱい。
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2017/01/24(火) 00:05:39.36ID:hwKzi4AK
『女王蜂』の脚本を共同執筆した桂千穂は、市川から突然「海辺を疾駆する白い馬の絵が撮りたい」と言われ、
それはストーリーとどう結びつくのかと尋ねたところ、そこを君が考えてくださいと返されたエピソードを賛嘆を込めて記している
0143名無しさん@お腹いっぱい。
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2017/01/25(水) 03:32:46.30ID:IQxDvg2e
川本三郎著「映画を見ればわかること
ろうそくに替わる文明開化の光、ランプの出現に驚き、ランプ売りに担った若者が次に電灯という新しい文明が登場した時に、時代から寂しく退場せざるを得なくなる。
 木下恵介はあのランプ売りの若者に似ている。時代と共に生きているつもりだったのにいつのまにか時代から置き去りにされてしまっている。”
“木下恵介は、ランプの時代の終わりを呆然と見つめるしかない。そこに木下恵介の悲劇があったように思う。”
われわれは、豊かになるにつれて、木下恵介を見捨てたのである。それは本当に恥ずかしいことである。いまヴィスコンティが素晴らしいだの、ゴダールが最高だのといっているわれわれは本当は「親不孝」の愚か者でしかない
0144名無しさん@お腹いっぱい。
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2017/01/27(金) 01:35:58.42ID:wpYzj0fm
・モーパッサンとも比較されるが、伏線を計算して配置するプロットに技巧を凝らした小説にはあまり関心をもたなかったとされる。モーパッサンが出来事に焦点を当てたのに対し、
チェーホフは人物に目を注いだといえるかもしれない。典型的なチェーホフの物語は外的な筋をほとんど持たない。
その中心は登場人物たちの内面にあり、会話の端や細かな言葉、ト書きに注目するほかない。しばしば語られることではあるが、チェーホフの小説や劇においては何も起こらない。
あるいはロシア人研究者チュダコーフが指摘するように、
「何かが起こっても、何も起こらない」。チェーホフが内面のドラマを展開させる独自の手法をもっていたことは疑いようもないだろう
演劇革命を起した。一に、主人公という考え方を舞台から追放した。二に主題という偉そうなものと絶縁した。三に筋立ての作り方を変えた
0145名無しさん@お腹いっぱい。
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2017/01/27(金) 01:38:04.84ID:wpYzj0fm
モームの作品は平明な文体と巧妙な筋書きを本分としている。モームは面白い作品こそが自らの文学であるといい、ゆえに通俗作家と評されてきた。
モームは小説の真髄は物語性にあると確信し、ストーリーテリングの妙をもって面白い作品を書き続けたが、作品の中にはシニカルな人間観がある
0146名無しさん@お腹いっぱい。
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2017/01/27(金) 01:45:22.25ID:wpYzj0fm
モームの言葉としてこんな自己主張をしている。

「働いているあいだは自分を忘れることができるので、労働は賛美されるのである。
愚かな人間は何も仕事がないと退屈する。
労働は、大多数にとっては、アンニュイ(倦怠)から逃れる唯一の道だ。
で、だからといってそれを神聖と呼ぶのは笑止千万。
怠惰でいるためには、多くの才能と豊かな教養が必要である。
あるいは特別製の頭がいるのだ
0147名無しさん@お腹いっぱい。
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2017/01/27(金) 01:47:45.61ID:wpYzj0fm
では文学とは、何だろう。それは感受性で言葉を書くということだ。江藤の生涯をつらぬくのは、政治や経済、国際関係から日常生活
にいたるまで、人間が演じるすべての劇を、感受性で批評した点にあった。

 一例を挙げよう。私たちにとって「生きる」とは、他人と出会うということに他ならない。難しい話ではない、日常生活を想像してほしい。
私たちは来る日も来る日も、気のあわない人間とともに生活し、気にかけ、比較し、悪口を言いながら過ごしている。つまり「生きている」
わけだ。
この「私」からみて異様な存在、それが他者だ。江藤の漱石論は、この日常生活で誰もが感じる違和感から、出発した。漱石の前には、
西洋文明という普遍的価値観が、襲いかかってきた。それはみずからの考えを正義=普遍的であると信じて疑わない他人と同じである。
漱石は、その他人=西洋文明を前にして、激しく傷ついた。他人のすべてを受け入れれば、自分は壊れてしまう。でも、他人を拒絶する
ことはもはやできない。では、どうすればよいのか−。
こうした他人との齟齬(そご)を、私たちはどこにでも見いだせるではないか。だがそれを、国家同士のかかわり、あるいは文明論に
作品化できる人間はマレなのだ。それが漱石であり、他ならぬ江藤淳その人であった。経験は、誰の前にでも転がっているが、
ただそれを後世に残る言葉にできるのは、感受性にめぐまれた人間だけなのだ。
0148名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2017/01/27(金) 01:51:55.70ID:wpYzj0fm
プルーストの『失われた時を求めて』からも多くを学びました。これはとても長い作品です。大学にいた時、授業で読まされてはいたのですが、当時は読みながら寝てしまうほど退屈だと思っていました。
 でも、小説家になって、デビュー作を書いた直後に、この本を読んで、「物語を語るための、すばらしい技術が隠されている」と気がつきました。
 ちょうどその頃、私はテレビの脚本も書いていて、そのせいか、自分の小説がどうも脚本のようだと感じていました。この本を読んで、「テレビと同じような本は、必要ない」
とわかった。そして、次に小説を書くときは、小説ならではの強みを生かした、こういう本にしよう、と決めました。
 それで、序章と「コンブレー」(第1篇「スワン家の方へ」の第1部)を特に子細に読み、観察していきました。この本は、まるで抽象画や、コラージュ作品のような本と言ってもいいかもしれません。ある一つのイメージから、次のイメージへ。
一つの記憶から次の記憶へと、自由に物語をつむいでいくよう。それによって、ただプロットを追うよりも、はるかに自由で、大きなことができるようになるのです。「記憶」は、語られる「対象」としてだけでなく、
物語を語る「形式」にもなりうることを学びました。一番好きな作家とは今も言えないのですが、間違いなく、多大な影響を受けた作家です。
0149名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2017/01/27(金) 01:56:18.41ID:wpYzj0fm
カズオイシグロ

ゲンダイの あの人は今こうしている 
ってインタビュー文体が同じなので 判るんだよな。 「もう結婚は懲り懲り ハハハ」みたいな
「仲がいい? いいえ、お互いに耐えてるんです、ハハハ」みたいな、
いわゆる‘昭和のインタビュー記事フォーマット’には、もうウンザリだな。
「御主人と仲はよろしいんですか?」「いいえ、お互いに耐えてるんです、ハハハ」という対話だったのを、
記者が無理やり一人語りの体裁に直してる。
スポーツ新聞での、野球選手などのコメントも、全部が全部このパターン。
「自信があった? いや行き当たりバッタリだよ。ハハハ」とか。

キネ旬のインタビュー記事も昭和時代だとそういうのが多かったが、
スポーツ新聞芸能面出身のライターが多かったせいだろう。「明星」「平凡」も、そうだった。

昭和時代の遺物としか言いようがない。
夕刊紙やスポーツ新聞は、紙面デザインや取材対象よりも以前に、そういうフォーマットから直さないと未来はないよ
0150荒井
垢版 |
2017/01/27(金) 02:02:38.16ID:wpYzj0fm
今日『ハッピーフライト』を観てきたけど、あの映画にはキャビンアテンダントがたくさん出てくるじゃない。でも、「女」というだけで、それ以上でも以下でもない。まぁ、群像劇だからしょうがないのかも分かんないけど、
キャラクターに名前が付いてても、その人間固有の何かが見えないんだよ。職業は描いてるかもしれないけど、人間を描いてない。おれは職業だけじゃないところの人間の何かを描きたいと思ってきたからさ。
――荒井さん自身が脚本を書いている時に、ここまで書ければOKという基準はあるんですか。
ちょっとした仕草とかセリフとかで、この女はこういう人間なんだって捕まえることができればね、いけるかなとは思うけど。
そういうディテールを見つけるのが大変なんだよ。変わったことをさせたり言わせたりすれば、いいってもんじゃないからね。

『おくりびと』が見事なのは、とにかく観客にウケるツボを押さえてるところだよね。さすがテレビの構成作家だなと思った。
おれが観た時に隣りの席に座ってた男はメガネ外して泣いてたよ(笑)。まぁ、作るほうだって全勢力を傾けて
そうやって作ってるわけだから、泣くのはいいんだよ。けどさ、泣くのと「この映画ちょっとおかしいぞ」と思うことは別。死んだ父親が石ころを握ってるのは、作り手や主人公にとって必要なんだけど、
父親の側がその都合だけでいる。父親はいつあの石ころを握ったのか、主人公がそれを見ると確信してたのかと疑問が出てくると、あの映画の薄っぺらな作りが見えてくる
0151名無しさん@お腹いっぱい。
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2017/01/27(金) 02:06:05.55ID:wpYzj0fm
優れた人間同士が互いに相手の価値を認めて結ばれるというタイプの
「大人の恋愛」からは、無分別な少年少女の恋愛や不倫の恋などとは
一味違った深い持続性のある感動が伝わってきます。 なお、この
ハッピーエンドの恋愛小説は、賢明な結婚のためのガイドブックと
しても読めるのではないかと思います。 (「夢幻の宴」倉橋由美子)
この種の成熟に達した人間についての面白い話が日本の小説には
  余り見当らないようで、それが日本の小説を圧倒的に文学青年・
  文学少女・文学老年等々向けのつまらない読み物にしています。
苦味とユーモアは成熟のしるしですが、イヴリン・ウォーの小説 にはそれが十分あります。 

世の多くの人達は日常を退屈と見なし、さまざまな形でロマンティックな世界に憧憬を抱く。ところがここにロマン主義の弱点を見抜き、持前の機智とユーモアと皮肉
と諷刺で平凡な日常を非凡な喜劇的世界に転じた作家がいる。漱石が「平凡の大功徳」を心得た写実の大家と絶讃し、
山本健吉が「世界で一番平凡な大作家の一人」と評した、英国の天才女流ユーモリスト、ジェイン・オースティンである
ジェーン・オースティンの描いた世界は、言うまでもなく後の女流作家の描いた
世界にくらべれば無限に狭い。しかしそれを言うなら、小国はいつでも大国に敗れる
ものとは限らない。私自身はたえず小国の勝利を信じつづけてきた者であることを
この際申し添えておく。」
0152名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2017/01/27(金) 15:22:27.19ID:wpYzj0fm
ラストクリスマス坂元

脚本がヒドいなあ。サブい台詞展開に、完全なる映画「世界の中心で、愛をさけぶ」をパクッたとしか思えない設定。いつから月9はパクリの温床と化してしまったのか?でも、さすが、西谷。演出のセンスのよさは随所に現れ、最後はうまく丸め込まれてしまいました…。
でも、なんだかんだいって西谷の演出に丸め込まれちゃったような気がするな。演出はやはり、うまい。音の使い方や編集・タイミング、そして、選曲にいたるまで、随所にそのセンスのよさは感じ取れた
このドラマも何か、雰囲気で強引に感動させようという意図が見え見えだったように思うな。感動的な音楽を使って、クリスマスイルミネーションの幻想的な風景の中、かなりクサい台詞の連続と妙にこだわったカメラワーク。
コッテコッテのラブストーリーの映像作りじゃないですか。話自体がただのパクリだったから、その演出もただあざとく見えるし、坂元さんの書いた台詞もかなりサブい。
でもまあ、ストーリーの醜悪さを除けば、映像自体はよく出来ていて、フジテレビが金を注いでいるだけある幻想的な映像にはなっていたとは思う
よく言えばテンポが早い展開、悪く言えば順を追っただけの軽薄な展開、といったところの回でしょうか
0153名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2017/01/27(金) 15:30:24.17ID:wpYzj0fm
 愛し君へ 坂元

今日はとにかくひどかった。脚本がとにかくヒドい。小物とか小さな設定とかの使い方がとにかく癪に障る。セリフの一つ一つが何だか私の頭の中では全てが空回り。演出も上滑りしている印象が強く、
深みがなく、お涙頂戴にもなっていない。この演出は水田。この人は少しは演出の力があるかと思っていたが、
こういうドラマになると弱さが滲み出る。テンポで押し切っているだけで、実力がないのが露呈した形だ。まだ林のほうがお涙頂戴と割り切ったそれっぽい演出をしていて、こっちも割り切って見れたけど
今回の演出は林徹でしたので、前回の水田演出の回よりはよくできていたように思える。「カバチタレ!」の再放送をやっているけど、あんないい作品を撮っていた人が何であんな出来なのかな。やっぱり、テンポと勢いで押していて、
こういうストーリー上のテンポのないところから、心の中のバイオリズムの中にテンポを作っていくというものになると弱みが出るんだろうね
泉谷さんの鉄雄のあまりにステレオタイプなお父様像すぎて、心配しているのはそうなのだけど、全然何だか訴えかけてくる感じがしないなあ。
泉谷さんが吠えているだけということ。ステレオタイプの父親像でも「Dr.コトー」のときのほうがずっとよかったぞ
お涙頂戴のただただあざといドラマだなあという印象が強かった。小児科で死を前にした子供たちとか、森山直太朗押しとか。何はなくとも、泣かせたもん勝ちだわい、というような製作サイドの汚いところが見えた感のするドラマだった。

 やはり、私がこのドラマにのめりこめなかった理由としては、安曇のキャラクターがイマイチだったということだろう
0154名無しさん@お腹いっぱい。
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2017/01/27(金) 15:38:59.42ID:wpYzj0fm
トップキャスター 坂元
坂元裕二ということで期待はしていなかったが、案の定、全編通して緩い仕上がりの駄作に仕上がった。キャラクターのウザい細かい設定は最後の最後まで設定止まりで、ほとんど有効活用されず。事件そのものも毎回、
緩くて、ニュース番組が舞台のドラマとしてこれで成立しているのかを疑いたくなるような内容だったが、それはまあ、大目に見る。だが、全編通しての笑いを狙ったギャグは実にサブかった。
坂元裕二の笑いのセンスのなさが改めて立証された。脚本がヒドいので、それ以上のものにはならないが、こういう脚本なら脚本でもっと違った見せ方があったと思うのだが、
演出の人たちもこれといった個性や意地を感じさせてくれなかったなあ。ただ、ボロボロだった難破船を救ったのはキャプテン天海。天海さんは相変わらずうまくて、
笑いとシリアスをうまく演じ分けて、とてもメリハリの利いた演技を披露してくれた
この雰囲気重視の台詞が坂元裕二らしさなのだろうし、このドラマらしい軽さを生んでいるのだろう。台詞の根拠となる下支えがほとんどないからとにかくこのドラマは見た後に何も残らないほど軽い
基本的なプロット自体は王道で、細かい色付けにありえない展開が実に多用されている。もう少し親切に説明すべきところを大幅に省略して、強引に話を引っ張ったという印象の初回だった。坂元裕二の脚本は案の定、
薄っぺらだ。この人は王道のプロットとありえない設定、この二本立てばかりで攻めてくる。王道になりすぎないようにするとか、もう少しリアルに見えるようにするとか、バランスを考えた話は書けないものかね。
0155名無しさん@お腹いっぱい。
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2017/01/27(金) 15:46:26.79ID:wpYzj0fm
わたしたちの教科書、坂元
 まあ、それなりに見る価値はあったドラマだったと思う。近年の傾向では坂元裕二氏の脚本という段階で、先の展望が見えてしまうことがしばしばだったが、
これまでの趣向と違ったジャンルに挑戦ということで、坂元裕二作品としては珍しく内容的な成果が見出せるドラマだったかな。
坂元裕二さんの力作なのだなあ、という感覚は残った。ただ、やはり、坂元さんっぽいな、と思える部分も多く、キャラクターの色付けがはっきりとしすぎているというあたりはまさに坂元脚本の特徴だろうな。二面性がこのドラマのポイントらしく、教師にも生徒にも
別の顔があるということを印象的に描こうとしていたのだろうけど、あまりにも落差が大きすぎるし、教師たちの表の顔のキャラ付けも分かりやすすぎる気がする。
とりあえず、初回からは二面性の出し方にわざとらしさが際立っていたので、これがネックとなるかどうかが懸念材料か。
坂元色がマイナスに働いた回だったように思う。二面性という点を意識しようとしているのは分かるが、その二面性が効果的に描かれているときもあれば、明らかに過剰になりすぎているときもある。このあたりの兼ね合いをどうにかしてほしい。
このドラマは毎回、生徒、教師を問わず、人の善と悪の両側面を描こうとしているけど、ちょっと今回は分かりやすく、それを描きすぎたように思う。
その対比が分かりやすいほうが、二面性の落差はインパクトとして記憶されるけど、その対比させようという意図が過剰に端的すぎたような感が残った。
坂元さんのお気軽に書かれた脚本のドラマはなぜか、視聴率が高い。それに対し、意欲作である今回は低調
0156名無しさん@お腹いっぱい。
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2017/01/27(金) 15:54:18.87ID:wpYzj0fm
西遊記坂元
日は実に坂元裕二らしい脚本の回だった。悟浄の恋愛模様、悟空が悟浄を信じて、「もう少し待ってくれ」と懇願するところとか、実にベッタベッタな展開で、
坂元裕二はこういう話を現代のオフィスを舞台にしたお話でもよくやっていたと思うから、実に坂元裕二らしい話だなあ、と思って見ていた。
坂元裕二は、舞台が現代だと、アホかと思うような恥ずかしい描写を平気で書いたりする人だから、この人の書くラブストーリーは苦手だなあといつも思っていた。だけども、
このドラマのようにファンタジーの枠組みにはめてしまえば、それほど気にならなくなって、ちょっとくらいクサい話でも見逃してやろうという気になる
ストーリーもこれまでの正直、バカバカしすぎる展開から、"ちょいバカ"レベルの適度に楽しめるお話に仕上がっていたと思う
子供だましのB級路線を維持してくれたことは、作品をこれ以上ダメにしなかったという点で、それなりに評価できる。どんなテイストの作品になるのかと思って、初回はそのB級さに少し呆気に取られたものの、それなりに高予算で撮られた前半のうちは意外にも楽しめた。
お約束の見せ場とメッセージを話に乗せていけば、このドラマはまあまあ見れる程度には仕上がるということだと思う。しかし、そのメッセージ性の部分のネタが尽きてきて、
さらにはスケジュールや予算も尽きてきた後半はこのドラマの弱みが一気に吹き出した。とにかく、このドラマの悪い点は製作者側の都合が見えてしまった点だ。「ピーナッツ」の宣伝が忙しい内村さんが早々に退散した第六巻、
予算と時間を節約するために総集編を放送してしまった第八巻。さらに、脚本を書いていた坂元さんは次クールの「トップキャスター」の脚本も担当するので、かなり大忙しだったはずだ。
「トップキャスター」のプロダクションが始まったあたりの後半になったあたりから一気に脚本が雑になったように見えた。内容がないわりには、撮影に時間がかかるのは分かる。しかし、そこを感じさせてはダメだろう
0157名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2017/01/28(土) 05:00:17.43ID:LTXwJ7zk
いい作品は冒頭数分で解るのですが・・・・スコセッシ「沈黙」は
いきなり、タイトルから引き入れられます。
音楽なし。ただ、西洋人には風情ではなく、虫の声と共に「ノイズ」として捉えられているのであろう蝉しぐれ、カナカナの圧倒的な音量のみ。それがぷつりと途切れて、無音になり、
その耳を圧する音声の不意の途絶えは、作品中も唐突に訪れ神の「沈黙」を象徴する演出で、鮮やかです。
のっけの、島原の火山の煙が立ち上がる地獄の黙示録的風景の中、バテレンたちが火山のマグマを身体にかけられ、むごたらしく処刑されています。地獄絵図なのですが、美意識のフィルターで描かれているので、絵画的に美しくもあるのです。
この感性がわからない人には、おそらく単なる「物語」でしかないのでしょう。スコセッシ監督が提示したアーチストとしての深淵を理解はしないであろうと思われます
スコセッシも、日本人の貧しさと汚さを重点的に描き当時あった、日本の洗練の極みにあった文化を描いてはいません。その精神性の高みも豊かさも
しかし、そこに踏み込むとテーマがぼけるのだし、映画とひょっとして原作も、それに触れないからといって作品自体の質を落としてはいません。「シン・ゴジラ」もそうでしたがレーゼドラマ(会話劇)
が国防論を背景に展開され興味深かったのですが、「沈黙」でも彼我の宗教観の差異が語られる部分が、優れたレーゼドラマになっています。
0158名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2017/01/28(土) 17:01:09.07ID:LTXwJ7zk
4人の役者たちが瞬間瞬間に作り上げる空気こそ、見物です。
. やりとり。言葉のからみあい。微妙なズレ。目つき、手つき。一瞬ごとに、相手のどんなリアクションが引き出されるのか。
セリフの向こうにどんな唐突な関係がかいま見えてくるのか。ストーリーというよりも、各シーンシーンが鮮やかに立ち上がる。いわば、「言葉の即興劇」という風合い。
. 脚本は坂元裕二氏。だからこそ、セリフに他には見られない特徴が。例えば「私とあなたは合わない」といったストレートな説明口調は排除されていて、かわりに「唐揚げにレモンをかけるってことは、不可逆。二度と元には戻れない」。
その「レモンするかしないかで、(価値観は)分かれる」といった風に、常に「何かにたとえて」「置き換えて」人間関係を語る。
. 村上春樹風レトリック。レイモンド・チャンドラー的言い回し。あるいは人生への洞察を端的な言葉に落としたアフォリズム集。凝った詩的な言葉を、感情を排した棒セリフでぶつけあう。
. かなり「異色」です。が、実はこうした手法、舞台芝居では時々お目にかかる演出。日常の中に非日常の空間を立ち上がらせるのにはうってつけ。しかし、テレビドラマにおいてはアバンギャルドな面白さ。
. 画面で思いっきりやられたら、その斬新さにハマる人もいれば、馴染めずに引いてしまう視聴者も出てくるはず。その意味でまさに『カルテット』は、好き嫌いがはっきりと分かれる、個性的な仕上がりのチャレンジングなドラマです
0159名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2017/01/30(月) 13:06:54.92ID:QMPpUU7A
いろいろとコメディーの人いましたけど、バスター・キートンは絶対笑わないコメディアン、
これがまたおもしろいんですね。ストーンフェイス、そういうんですね。
ロイドいかにも明るい,チャップリンペイソス、デブくんいうのはもうドタバタ喜劇、その中でキートンは笑わない
バスター・キートン言いますと、どっちか言うとフランス映画的なんですねえ、もうそのペイソスが

吾輩はカモである
映画じゃなくて舞台の会話、舞台の動作、それがそのまんま映画になって出て来るのでこれが又パラマウントの呼び物になりましたね。例えばハーポ、これは全然物言わずですね。物言わずだけどもう最高の演技見せるんですね。
さあそういう訳でグルーチョはしゃべって、しゃべって、しゃべって、しゃべりまくるんですね。みんなそれぞれ芸持ってるんですね。その兄弟の芸が圧倒するほど見事なんですね。けれどもこれは映画ではありません。
これは舞台芸ですね。舞台芸だけれどもその頃にニューヨークのそういうバラエティ。そういう安芸人の面白い面白いコメディ観た事無いから、いかにもみんなが喜んだんですね。
マルクス兄弟これが好きだ言う人は本当にいっぱいいらっしゃる。でもこれは映画のコメディではありませんよ。映画のコメディとして代表的な作品とおっしゃっていらっしゃるけどこれは舞台のコメディ
0161名無しさん@お腹いっぱい。
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2017/01/31(火) 17:00:21.52ID:XJjL8hST
演劇の感動は、何故スポーツの感動に勝てないのだろう。そのことをずっと口惜しく考えて来た。
恐らくそれは役者たちが日常を通して流す汗と涙と疲労の量が、アスリートたちの流すそれらの量に劣っているからにちがいない。
20年前そのことを思いつめ、富良野塾塾生を鍛え上げて「走る」というこの芝居の原型を作った。
 人は何の為に走るのか。
 何に向かって走るのか。
 そもそも人類は何故急ぐこと、走ることを始めたのか。
 それは何かから逃げる為か。それとも何かを追いかける為か。
これは、「走る」という意味を追い求めて「時のマラソン」を走り通す何とも過酷な舞台である。

一流のアスリートたちが、4年に一度のチャンスにかける真剣さ、世界を目指す夢にかけるストイックな姿勢。その「本気」と「覚悟」。その底辺にある「根性」。もはや死語になってしまった感のある、
それら日本人の美徳が、まだスポーツの世界にはしっかりと残っていることを感じた倉本は、大胆に「スポーツ」と「演劇」の融合を図る。
0162名無しさん@お腹いっぱい。
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2017/02/07(火) 15:57:56.00ID:kdvFlHHO
坂元さんはエンタテイナー。どんなに深刻なテーマでも『自分がその作品で何を問いたいか』という哲学より、それら知識を昇華させて
『何をしたら人が喜んでくれるのか』に重きを置いているように感じられます。数多くの伏線や謎、ネタを散りばめるのも、皆が盛り上がって欲しいという坂元さんのサービス精神からでしょう。
『あまちゃん』(2013年/NHK総合)をはじめ、小ネタ満載のドラマには熱狂的なファンが付きやすい。それで単なるネタドラマにならないのは、坂元さんの作品は父と子の葛藤など、ギリシア悲劇やシェイクスピアを思わせる古典的で安定した展開やテーマ
を作品の下敷きにしていることが多いから。そうした“基礎”や“理念”がしっかりしていることも、ドラマファンにはウケがいいはずです。
あとひとつ、坂元さんの資質として挙げたいのは、作詞家でもあること。言葉のセンスが独特かつ詩的でケレン味があり、胸に響くんです
0163名無しさん@お腹いっぱい。
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2017/02/08(水) 20:23:41.17ID:S1tuAAJf
19世紀から20世紀にかけてのドイツは、世界人類史における「壮大な実験場」でした。
後進国の悲劇は、同じく東洋における日本にも影響を与えてきました。
「トーマス・マンとドイツの時代」を読むことで、「時代の転換期と人間精神の動揺に対する免疫力」を
身につける知恵を学びましょう。

人々の心は、引き裂かれていき、激しく苦しめられ、痛めつけられていきました

死への欲求(タナトス)」(フロイト)を克服していくことが、人類の「永遠の課題」なのかもしれません。
それは、何度も管理人が強調し、自らにも語り聞かせている
「自分の内面に住む影」と安定的に付き合っていく知恵と工夫でもあります。
様々な「価値観」の対立も、その「影」が表に現れ出た現象だとされています。
「人間」も「国家」も、「個人」と「集団」という違いはあっても、精神状況は相似形のようですね。
0164名無しさん@お腹いっぱい。
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2017/02/10(金) 04:04:46.83ID:zFbHnlxy
過剰なせりふは、視聴者から想像力を奪い、作品の底が浅くなります。 俳句と同じ余白がせりふにも欲しいのです。
これを言いたい、というのを黙ってこらえるからこそ伝わるエネルギーがあります。
優秀な役者はそこを敏感に察知、尊重してくれますが凡手の役者ほど余計なことを喋りたがり、困惑することもあります。
現場に常にいるわけではないので、余計な一言を勝手に付け加えられて、
それが現場での動きとその役柄の性根に即し自然に出た、こちらがウン、と膝を打つセリフであれば
いいのですが、所詮セリフの素人の考えること、余白を消すことのほうが多く
また本当は法的にはそのことにより、脚本を引き上げ放送中止させ得るぐらいの
著作権侵害なのですが、昨今は現場がルーズになっていて困りものです。
また、いじられても仕方のない脚本が多いとも聞きます。
脚本家が育ってないのかなぁと残念ですが、お互いにせりふにルーズだから
育たないのだとも言えそうです。さんざん言われて来たことですが
ドラマがいつしか・・・・2,30年ぐらい前からでしょうか、企画先行、
スター先行になってから脚本が尊重されなくなる傾向が日々大きく、
またそれだから新たな作家が育たなくなってもいるようです。
作家の文体というものが消え失せ、誰が書いているのかわからない本が
多くなりました。昔は作品のにおいといおうか気配、せりふのタッチで
誰の作品、と解る人がいて、その人達はまた群を抜き優秀でした。・・・・いなくなりました、本当に。
それでもいい作品が生まれればいいのですが、刑事物やサスペンスといった
お話の「仕組み」で見せる作家で優秀な人はいますが(見ているとやはり、
これも相当のベテランであることが多いのですが)、せりふと心理で
見せる作家が僅少になって来て残念で、しかしふと思えばそういう作品が求められる場もまた少ないのですね
0165井沢満
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2017/02/10(金) 04:05:56.95ID:zFbHnlxy
たとえば、老いた母を連れて長男が外出するシーンの前に玄関で、長男が母親の履物を用意しているシーンを書きました。
セリフ無しの一人のシーンです。しかし、これはセーンとしては下の部類なのです。
というのは、外出するための単なる段取りにしか過ぎないからです
私はこの玄関のシーンに更にト書きを付け加え演出家の方へメールしました。
履物を用意している長男が、ふと母親と自分の靴のサイズを見比べて、母の小ささに胸をつかれる、というふうにしました。
もともと、尺によってはカット可能のシーンなので、現場で演出家が
どのように処理するかはおまかせしてるので、わかりません。
薄いシーンというのは情報が一つしかないのです。最初のト書きだけだと、単にこれから出かけますよ、という情報のみ。
手直ししたぶんでは、息子の母の老いへの感慨という新たな情報が
加わりシーンが深くなります。「見比べる」という数秒間の芝居だけで。
新人のドラマが薄手で、ベテランが厚いというのはシーンにこめる情報量の違いなのです
0166三谷幸喜
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2017/02/10(金) 04:24:59.99ID:zFbHnlxy
【「阿修羅のごとく」という連続ドラマは、僕からすれば、神様が書いたシナリオである。どの登場人物も、言っていることと思っていることが違う。僕の理想。なぜなら彼らは普段、
そうやって生きているから。言葉と思いとは必ずしも一致しないのである。自分もそんな台詞を書きたいといつも思っているのだが、なかなかうまくいかない。
「阿修羅のごとく」で向田さんは、辛辣なまでに人間の二面性をあぶり出す。一見平穏に見える家族たちが、裏ではかなりどろどろの駆け引きを展開する。
 何が凄いかって、僕レベルの脚本家は、それぞれのキャラクターの個性を表す時に、どうしても台詞に頼ってしまう。その人がどんな喋り方をするかで、個性を出そうとする。
よく喋る人、無口な人、まわりくどい言い回しを好む人、等々。実際は、そこまで単純ではないのだけれど、まあ、そんな感じ。だからどうしても台詞が多くなる。
 向田さんは違う。台詞量はむしろ少ない。その代わり、行動でキャラを表現する。
 例えば「阿修羅のごとく」の冒頭。いしだあゆみさん演じる三女滝子は、あまり他者と交わらない内向的な女性。彼女のキャラが強烈に伝わるシーンがある。
 八千草薫さん扮する姉巻子のところに滝子から電話が掛かって来る。巻子はちょっと抜けたところがあって、途中でそばにいた家族と話し込んで、妹のことを忘れてしまう。だいぶ経ってから夫に言われて思い出し、
再び受話器を手に取る。そこで画面が切り替わり、滝子が映し出される。彼女は公衆電話に小銭を入れながらひたすら待っていた。
 ここが凄い。電話を忘れてしまう姉のキャラもいいけど、じっと待っている妹(それもかなり長時間)の怖さ。しかも待っている間、淡々と十円玉を入れ続けていた風なのだ。
この瞬間だけで、彼女の、なんだかジトッとした個性が浮き上がって来る。簡単なように思えるかもしれないけど、今の僕には到底思いつけない設定だ。】
0167名無しさん@お腹いっぱい。
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2017/02/17(金) 15:34:03.41ID:S2IGxT4Z
坂元裕二
「脚本には物語が書かれていない=その人の心は書かれない。
場面・行動・台詞の3つだけがある(書き手が書いて良いのはこの三つだけ)。脚本に書かれるものは『目に見えるもの』『耳に聞こえるもの』以外はない」
0168名無しさん@お腹いっぱい。
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2017/02/18(土) 01:23:26.82ID:yUTO07t0
2017-02-16 02:05:40

今日ですね、稼働を終えてリンガーハットに行ったんですわ。
朝から夜まで一日中飲まず食わずで稼働していてお腹がもうペッコペコですわ

リンガーハットでビールと餃子で500円と言うビールセットってのをやってたんですわ。

ビールと餃子で500円はお得だぞと。
よしビールセットとチャンポンを頼もうと思いオーダーしたんですわ

お腹すいたわー、ビール飲みたいわー。
餃子、餃子、ビール、ビールと俺は餃子とビールが来るのを楽しみに待っていたんですわ。

後から来たお客さんが俺の隣に座ったんですわ。
その人もビールセットを頼んでましてね。

ですよねー、やっぱりビールセット頼んじゃいますよねぇーと後から来たお客さんに勝手に共感してたんですわ

後から来たお客さんには先にビールが届いて俺にはまだビールが届いてないんですわ。

ん?店員さん忘れちゃったのかな?と思い店員さんに自分もビール頼んだんですけどと言ったら

申し訳ありませんすぐにお持ちしますねと言われて俺にもビールが届いたんですわ。

店員さん忘れちゃっていたんだなと何も思わずに来たビールを飲んでいたんですわ。

くぅー染みる染みる。
稼働後に飲むビールは最高だぜとビールを堪能していたんですわ。

餃子はまだかな?と。
ビールセットと言うくらいですわ。ビール飲む人には分かると思いますがやっぱり餃子食べながらビールを飲みたいんですわ。

あちゃー、餃子来る前にチャンポンが来ちゃいましたか。
ビール飲みながら餃子食べてそのあとチャンポン食べたかったのだが餃子より先にチャンポン来ちゃいましたかぁー。まあしょうがないよねと。餃子焼くのに時間がかかってるのかなと

ビールをちまちま飲みながら餃子を待ちながらチャンポン食べてたんですわ。
0169名無しさん@お腹いっぱい。
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2017/02/18(土) 01:23:52.58ID:yUTO07t0
ビールなくなっちゃうな。
餃子食べなからビール飲みたかったんだけどいっこうに餃子来ないな。ビールぬるくなっちゃうよぉー。
チャンポンももう食べ終わるよぉー。

ビール飲み干してチャンポンも食べ終えた後で今だに餃子が来ないんですわ。
ビール飲み干してチャンポン食べ終えた後で餃子とかもはや用なしなんですわー。

リンガーハットもビールと餃子をセットでビールセットと掲げているくらいだから分かってると思うんですが、ビールと一緒に餃子を食べたいんですわ。
ビール飲み干してチャンポン食べた後に餃子出されてもその餃子完全に無意味なんですわ

ビール飲み終えてチャンポン食べ終わって今だに餃子来ないので俺は言ってやったんですわ


ビールセット頼んでいたんですが、餃子一向に来ないので通常のビール代とチャンポン代だけ払いますので餃子はキャンセルにしてくれませんか?と

餃子セットで頼むより単品のビールの方が高いんですわ。
それでも構わないから俺は単品のビールとチャンポンだけにしてくれないかと言ったんですわ

それは出来ませんきりっと。


餃子セットのビールは単品のビールと違いますのでそれは出来ませんきりっと


餃子はまだですかね?一向に来ないのですが


申し訳ございません。オーダーが通っていませんでした。今から餃子焼きますので

あのぉーもう餃子要らないんですよ。
ビールは通常料金で払うのでチャンポンとビールだけにしてくれませんか?ビールセットの注文通ってないのそちらのミスですよね?ビールも自分が言わなければ来なかったですし、自分が言わなければ餃子も一向に来なかったですし


それは出来ませんきりっ


いい加減にしろよくそボケがぁー


物凄い勢いで切れたら全て無料にしてくれたと言うリンガーハットで期待値積んだお話しでした


http://ameblo.jp/jtmgjad/entry-12248191671.html
スロエナに学ぶ出会いサイト攻略からのリンガーハット|マダオのパチスロ旅日記
0170名無しさん@お腹いっぱい。
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2017/03/02(木) 17:36:15.65ID:VH1Lmp7h
茂木氏はかねて「強い者をやゆしてこそコメディアン『笑い』のプライドだ」との考えを示しており、日本のお笑いについては「人間関係をいじる笑いはあっても、
差別や偏見、政治的対立をネタにする、国際水準のコメディーは存在しません。だから、つまらん」と批判していた。

先月25日にもツイッターで、政治問題などに斬りかかる欧米のコメディアンに対し、「一方、日本のお笑い芸人たちは、上下関係や空気を読んだ笑いに終止し、権力者に批評の目を向けた笑いは皆無。
後者が支配する地上波テレビはオワコン」とバッサリ。1日には「日本の『お笑い芸人』のメジャーだとか、大物とか言われている人たちは、国際水準のコメディアンとはかけ離れているし、本当に『終わっている』」と切り捨てた。
0171名無しさん@お腹いっぱい。
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2017/03/02(木) 17:48:06.52ID:VH1Lmp7h
小説には、人間を描くものと、そうではないものがある。前者は恋愛小説、歴史小説、警察小説、冒険小説など幅広いが、素材が何であれ、
最終的に人間が立ち上がってきて初めて小説になる。一方、後者は新本格、幻想・怪奇小説などだが、人間はチェスの駒でよい代りに、仕掛けの成否が問われる

私にはこれが、たとえ登場人物の大半が若者、子供のような年齢であれ、人間が描かれているのだろうかと感じた。そうだ、こんな感情もあり得るな、と人物設定の枠からはみ出して行く、
小説本来の面白味に疑問を抱いた。予定調和の物語を読んでいるようで
0172名無しさん@お腹いっぱい。
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2017/03/04(土) 01:19:08.80ID:iKsaI65D
投票権を持つ会員の内訳
【米アカデミー賞会員:約6000人】
俳優、監督、音楽、衣装、視覚効果など映画製作に実際に携わる人たちの割合は約76%
(俳優は約20%、監督は約6%など)
映画会社役員は約6%

【日本アカデミー賞会員:約4000人 】
協賛企業に約38%
東宝、松竹、角川、東映、日活の大手の社員約25%
フリー(記者や評論家)が約9%
俳優、監督、脚本家、美術、編集、音楽、プロデューサーなど実際に製作に携わる人たちは全体の約10%(俳優・マネージャーは約0.3% 、監督は約0.3% )
0173名無しさん@お腹いっぱい。
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2017/03/11(土) 01:16:50.17ID:SRiTe7fj
愛し君へ
藤木の力量不足か、安曇が子供の写真を撮ることに捧げている情熱が伝わってこない。どうも偽善にしか見えなくて、仕事に情熱を注ごうという心の変遷がじっくり描かれていないから、説得力に欠ける。弟とかの断片的な
エピソードだけで一涙もらったっ!的な感じの脚本じゃ、ダメだよ。あくまで心の変遷をじっくり描いて欲しい。それで、泣きのシーンを提示して欲しい。作り方間違っているね。
菅野扮する四季も安曇とそんなに親交があったわけじゃないのに、何でそんなに安曇に肩入れするのかな?勘というか、感覚ということ?それじゃ、説得力に欠けるなあ。もっと感覚的じゃなくて、本質的に人間の琴線をついてほしい。
このドラマの台詞回しはくさくてどうも好きになれない。コーヒーと牛乳の割合のたとえとか子供の重さの話とか。特に、玉木のキャラの折原っていうんですか、こいつのセリフがくさくて嫌いというか、ただただおサムい。

今日はとにかくひどかった。脚本がとにかくヒドい。小物とか小さな設定とかの使い方がとにかく癪に障る。セリフの一つ一つが何だか私の頭の中では全てが空回り。演出も上滑りしている印象が強く、深みがなく、お涙頂戴にもなっていない。
この演出は水田。この人は少しは演出の力があるかと思っていたが、こういうドラマになると弱さが滲み出る。テンポで押し切っているだけで、実力がないのが露呈した形だ。まだ林のほうがお涙頂戴と割り切ったそれっぽい演出をしていて、こっちも割り切って見れたけど

今回の演出は林徹でしたので、前回の水田演出の回よりはよくできていたように思える。「カバチタレ!」の再放送をやっているけど、あんないい作品を撮っていた人が何であんな出来なのかな。やっぱり、テンポと勢いで押していて、
こういうストーリー上のテンポのないところから、心の中のバイオリズムの中にテンポを作っていくというものになると弱みが出るんだろうね。林のほうが演出家としては上手だろう。
0174名無しさん@お腹いっぱい。
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2017/03/11(土) 14:25:07.54ID:SRiTe7fj
日本のドラマに見られる3つの特徴
1つ目は日本の街の風景です。特に印象的なのは、「橋」「土手」「公園」。主人公が落ち込んだときは、だいたいこの3つの場所に行って、たそがれていませんか?  こういうシーンの印象がとても強いので、
初めて日本を訪れた際、埼玉の荒川の土手を見て、自分が日本にいることを実感したくらいです。
2つ目は控えめな感情表現。ギリシャのドラマは、とにかく感情表現が豊かで、誰もが思っていることをハッキリ言います。しかも、大きな声で話すので、「誰が好き」とか「お父さんの余命はあとどれくらい」とか、そんな秘密はすぐにバレてしまいます。
■恋人を待つ日本人、さっさと別れるギリシャ人
一方、日本のドラマは、自分の感情を表に出すまでにすごく時間がかかる印象です。相手のことが好きでもなかなか「好き」と言わない。転職や引っ越しなど、何か新しいことをしようとしてもなかなか踏ん切りがつかない。それを見るのが面白いし、共感もできますが、
そのあたりはギリシャのドラマと異なります。たとえば、恋人が外国へ留学に行くと伝えるシーン。日本では男性が、「帰るまで待っていてくれ」と伝えると、女性が「わかった。あなたを待っている」と答えるイメージがあります。
本当は行ってほしくないけど、相手のためを思って自分の気持ちは言わない……。相手のことを思いやる、相手の気持ちを考える。そんな日本人の国民性が出ていると思います。これに対して、
ギリシャ人なら「行かないで」と言って相手を引き留めようとするか、「行ってもいいけど、行くなら別れる」と、さっさと別れます。
3つ目はとにかくポジティブなストーリーです。何かうまくいかないことがあっても主人公は頑張ってその困難を乗り越え、ハッピーエンド!  落ち込んだときに見ると、とても元気をもらいます。同時に、頑張ることの大切さにも気が付かされます。
 ギリシャのドラマは、どちらかというとヒマを潰すものです。面白い、怖いといった具合に、単純に楽しむものとしての性格が強いように思います。その点、日本のドラマは、必ずテーマがあります。
だから見ているほうも真剣になって物語に入り込むし、そのストーリーから得ることも多いのではないでしょうか。
0176名無しさん@お腹いっぱい。
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2017/03/11(土) 14:29:55.96ID:SRiTe7fj
余談ですが、不思議だなと思うのは、日本人が一日中食べ物のことを考えているということです。四六時中という訳ではないと思いますが、たまに「今日は朝からラーメンの気分!」
などというシーンを見ると、あまりにギリシャ人にはない行動なので驚きます。日本人には計画性があるということかもしれません。
ギリシャ人だったら、行きたい店があったとしても、その店が混んでいれば隣の店に入ることも多いです。店の前に行列をつくるなんて考えられません。
もうひとつ余談ですが、私が大好きな映画『男はつらいよ』にも日本人らしいシーンが出てきます。それは、博さんが手をケガしたときに、
タコ社長がおすしを持って謝りにくる場面です。ギリシャ人の社長だったら「自分は悪くない。ケガをしたのは君の不注意だ」と言うところ、
タコ社長は自分の責任を潔く認め、お詫びの品まで持ってくる。私は思わずこのシーンで涙してしまいました。でも、普通のギリシャ人には理解できないことだと思います。
■ギリシャ人をやきもきさせる「じれったさ」
さて、こんな日本ドラマが大好きな私にも、1つだけ日本のドラマに不満があります。それは、スキンシップが少ないことです。ギリシャのドラマでは、
最初のエピソードからキスシーンはありますし、平均すると1話で2回くらいキスシーンがあります。そういうシーンが出てくるとすぐにチャンネルを変える私の両親でさえ、
日本のドラマを見ているときは「いつになったらキスするの!?」「キスはまだなの?」と不満げです。私もやっとキスシーンにたどり着いたときは「やったー!」と思わず飛び上がります。
私の中のイメージでは、9話目でやっと手をつないで、10話目でキスして最終回というのが王道の展開で、「えっ?  これで終わり?」とツッコミたくなります。ギリシャ人からすると、
キスシーンの多い「失恋ショコラティエ」くらいがちょうどいいかなと思いますが、それも日本ドラマの特徴。
私のようなギリシャ人にとっては、日本人のもつ奥ゆかしさを学ぶよい教材となっているのです
0177名無しさん@お腹いっぱい。
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2017/03/12(日) 00:19:54.46ID:IJYuS7gm
カルテット

脚本家が他者への共感が希薄なんだろうね、

真逆。「他者の心の痛み」への洞察力では抜き出ている。ただし作風として登場する人間たちを空からの視線で「時に滑稽で弱いけど愛すべき存在」として描くから、時にドライに感じられる。
0178名無しさん@お腹いっぱい。
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2017/03/12(日) 14:12:24.45ID:IJYuS7gm
子どもの時に阪神淡路大震災を体験した男と女が15年後の神戸で出会い、夜の街を歩きながら昔の話をするドキュメンタリーテイストの作品となっている。
ここで描かれるのは震災の記憶の風化をめぐる問題であり、同じ被災者でも共有できないことがたくさんあるという断絶の問題である。

震災の記憶を伝えるために作られた作品でありながら、記憶が伝わらない断絶と風化をテーマにした本作は、むしろ時間が経てば経つほど輝きを増している
。時間の経過とともに、絆という言葉だけではやり過ごせなくなりつつある今こそ、見直されるべきドラマかもしれない。
0179名無しさん@お腹いっぱい。
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2017/03/13(月) 22:10:36.28ID:UQfVZqJE
フランスの劇作家のジャン・ジロドゥという人の言葉にぶつかって、その言葉がひとつの原動力になったんです。それは
「街を歩いていたら、とてもいい顔の人に出会った。彼はいい芝居を観た帰りに違いない」という言葉でね。
いい芝居を観たらいい顔になるんです。確かに心が洗われますから。だから僕は自分の職業を“心の洗濯屋"だと思っているんですよ。
心の中から邪悪なものや汚れを取り除いて、いい顔で帰ってもらうことが一番の目的ですから
0180名無しさん@お腹いっぱい。
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2017/03/14(火) 03:57:45.17ID:v4YJHakv
講師の山田太一は生徒へ絶望したという。
「この三月で彼らと別れた。三月までに、みんなシナリオを一本ずつ書いた。
私は一人一人と一対一で彼らの作品を推敲(すいこう)したのだが、
彼らの内面は依然としてよく分らない。内面を語るような作品を書かないのである。
類型的人物の『お話』ばかりで『この作品のどこに君の気持、
切実さ、願い、こんな人物を創り出したいという思いがあるのか?
せめて、こんな人物がいたら格好いいだろうなあ、
というような断片だけでも出せないか』と、おだてたりおどかしたりしたのだが、
そういうものは出てこなかった」(P120)

このドラマでも企画書上でウケのいい「全員片思い」でスポンサーをクリアしているけど、始まってしまえばそれだけが主軸でもなく、
4人の人間模様そのものがドラマの軸である事に気付いた時にはハマっている形。
重いものが通りにくい中ではコメディの形を借りるのはいい戦略です。
設定は「全員片思い」以外では「軽井沢」「貸別荘」「音楽」「それぞれの道のり」みたいなもので、基本的には「高原へいらっしゃい」「緑の夢を見ませんか」などの山田太一作品の設定がオマージュ的に織り込まれている。
岡田惠和も「いろんな過去を持つ人たちが集まって…」というドラマを何本も書いてた時期があった。
しかし坂元作品が面白いなと思うのは、他の脚本家が山田作品っぽい設定が整うと、ついその元になっている作品のセリフまわしとか、展開を真似てしまう事も多いのですが
坂元作品では「軽井沢」「暖炉の前でみんなで音楽」とか断片的なオマージュは持たせても
中身を全く異なる空気感にしているので素直に「そのオリジナルな日常」に入っていける事かと思う。そのドラマの中で登場人物が生活しているようなリアリティ。
それがあるから強引な展開でも「その中で起こった事」として捉えられる。
展開やセリフまで真似てしまうと「日常感」が薄れて借りてきたような言葉を借りてきたような人が話すので現実感は希薄で見る方も興味が薄れてしまう。
岡田は苦労して山田色を卒業した感じでしたが、坂元さんは最初からそんな雰囲気。
0181名無しさん@お腹いっぱい。
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2017/03/15(水) 00:51:10.24ID:Yc1sNqww
芸術と生活、商品名と一般名称、偽の戸籍名と本名。
この二項対立で坂元裕二は全部前者が正しいとドラマ内で描写している。つまりこれ創作や想像こそがすべてという脚本家坂元裕二自身の高らかな宣言に他ならない
0182名無しさん@お腹いっぱい。
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2017/03/15(水) 05:07:55.78ID:Yc1sNqww
カルテット、初回でドラクエ演ったのはそういうことだったのか スイッチ(リセット)を押してばかりいたら物語は進まないし、このカルテットがRPGでいうパーティーにみえてきた 最後のダンジョンつらすぎる。。
0183名無しさん@お腹いっぱい。
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2017/03/15(水) 05:17:02.16ID:Yc1sNqww
時間を巻き戻すようにクルマを逆走行させ、4人組のウソに気づいて彼らを翻弄して、高所から落ちても死なない狂言回しのアリスはまさに「不思議の国のアリス」で、過去は巻き戻せずウソは露見することを強調しているのだな
0184名無しさん@お腹いっぱい。
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2017/03/15(水) 05:34:11.34ID:Yc1sNqww
カメラワークってすごいなあ。。 4人の時はこんな撮り方してなかったのに、3人でこの撮り方。 1人足りんだけですごく広く感じるこの部屋。 寂しいなあ
0186名無しさん@お腹いっぱい。
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2017/03/15(水) 06:12:45.49ID:Yc1sNqww
スターシップvsゴースト』は、そのタイトルとは裏腹に、宇宙も幽霊も出てこない映画で、それを楽しむものだという。タイトル=名前と内容が異なっていたとしても、結果として満足できたならそれでいいのだ
0187名無しさん@お腹いっぱい。
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2017/03/15(水) 16:17:03.11ID:Yc1sNqww
「私も青空より曇った空が好きです」と返す。別荘の窓から並んで空を見上げるシーンだ。

そして第9話、真紀とすずめはまったく同じシチュエーションで「曇ってるね」「曇ってますね」とやり取り。曇り空=グレーな部分も優しく認める。
そんな『カルテット』の根底に流れる主題が鮮やかに描かれたシーンだった。
0188名無しさん@お腹いっぱい。
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2017/03/15(水) 18:11:54.05ID:Yc1sNqww
・バレて困るのがパクリ
・バレると嬉しいのがオマージュ 
・バレないと困るのがパロディー
0189名無しさん@お腹いっぱい。
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2017/03/15(水) 18:19:47.51ID:Yc1sNqww
薪(まき)」を折って火にくべるとか、「名前が意味を持たない映画」とか、道具立てがうますぎる
0190名無しさん@お腹いっぱい。
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2017/03/16(木) 02:12:40.98ID:0F0AlMBe
9話もとてもよい、よいのですが・・ポジティブなエピソードを描くのは悲しいものより一段難しいかもしれませんが、予想がつく範囲の感動演出になってしまっている気がしてしまいました。
1、2、8話のような、こんな美しさがあるのか、こんなの初めてみる!、という新鮮な驚きが湧いてこなかったのです。
真紀さんの嘘の告白シーン、すずめちゃんの台詞量が多すぎた、饒舌すぎたようにも感じました。「だって、こぼれてたもん」などは本当にきらめくような台詞だと思います。
信じてほしい!の後の微笑んでの「それ!」も素晴らしい。皆さんの言葉のない部分の演技力がすばらしいので、言葉をもっと削り込んでいたらどうなっただろう、と思います。
いつも素晴らしいので見ているこちらも欲が出てきてしまうのでしょうね
0191名無しさん@お腹いっぱい。
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2017/03/17(金) 16:09:04.87ID:urGL0KkF
いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう

是枝監督は
「ファミレスで、注文していないトマトソースのハンバーグが来てしまうシーンが素晴らしかった。日常に潜む小さな奇跡。
他人の気持ちを慮る主人公のふたりの周りにこそ、その奇跡が散りばめられている、素敵なドラマだった。」
0192名無しさん@お腹いっぱい。
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2017/03/17(金) 20:56:05.07ID:urGL0KkF
相田は長く不遇であり、師匠の紀野一義によると、詩の文言が顧客に受け入れられずに長く苦しんだという。晩年の大衆的人気と商業的な成功とは裏腹に、
文学や書の分野で相田の作品が評論されることはあまりなく[14]、詩人の高橋順子は「相田作品は処世訓のようなもの」、
思潮社代表取締役であり詩人でもある小田久郎は「今は分かりやすいものが受ける時代。詩は難解であっていい」、
現代詩作家の荒川洋治は「実用的で即効性のあるものが求められているのを感じる。でも、自分がどう生きるのか、長い時間をかけて考えさせてくれるのは文学しかない」と、おおむね否定的である[8]。
奥本大三郎は「素直に言ってこの相田みつをと言う人の、わざと下手に書いて人に阿(おもね)るような字も、それを紙に書きつけた、
人の心の底の劣等感をごまかすような文句も私は嫌いである。上手に書ける字をわざと下手に書く人には何か魂胆がある、と警戒したくなる」などと厳しい[15]。

一方、詩人の杉山平一は「相田みつをを詩人として認めるべき」であり「大勢の人に相田作品が読まれている現実を、無視するわけにはいかないでしょう。
むしろ詩人は、独りよがりになりすぎた現代詩の反省材料として、相田ブームを見るべきではないか」と述べた[8]。
作家の立松和平は相田を「思想の語り部」と評し、「難しい言葉を一つも語らないで、仏教の根本的な哲理のようなものを語ってしまう。
そして、それを読んだ人に『なにかが残る』んですね。残る――ということは、その先の世界があるということです」と語った
0193名無しさん@お腹いっぱい。
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2017/03/18(土) 03:09:19.81ID:AmkMrwpD
大林宣彦監督 火の魚

「テレビドラマのみならず映画も含めて、
最後の原田と尾野の“ラブシーン”(それはまさしくラブシーンと呼ぶのにふさわしい)は、
日本映画史に残る名場面だ」
0194名無しさん@お腹いっぱい。
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2017/03/18(土) 03:25:21.81ID:AmkMrwpD
最高の離婚
最後から二番目の恋の小泉今日子のドラマだと、
そういう汚れた部分を自分もそういうとこあるある、って感じで
共感持てる表現でアッサリ化させてたなあ
わざわざウンチが出てくる様子を時間かけてネチネチ表現する感じなんだよこのドラマ

傾向的に岡田脚本はリアルの中に大人のファンタジーを散らすのが得意で
坂本脚本はリアルの中で大人の生々しさを追求するのが得意だと感じる

岡田さんは寓話的というかファンタジー
坂元さんは、意外とエグいのに、なぜか時々乙女チックwみたいな
どっちも会話のテンポが良いのは魅力
0195名無しさん@お腹いっぱい。
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2017/03/19(日) 22:56:53.17ID:YSczrx6Y
―― 文哉が徹底的に理解できない人間として描かれていることについて、むしろ私はすごいなと思いました。
手を取り合えない他者として描き切る、しかし他者だからといって排除しない。
理解の及ばない文哉を、洋貴は助けますよね。
長年引きずっていた復讐したいという欲望を抑えて、理解できないままにただ受け入れてゆく、そこに心を動かされました。
坂元 ある時点で、「ああ、これは、俺は文哉のことわからないよ」って思ったんですよね。
どうしたら理解できるんだろうということはずっと考えていて、このままじゃこのドラマを終われない、文哉の幕を下ろすことができないと思って、すごく不安だったんです。
そしてわからないまま終わったという、自分の中ではすごく悔しい、課題の残るドラマでしたけどね。
坂元 さきほど岡室さんが『それでも、生きてゆく』は「テレビの枠を外れている」と言って下さったんですが、本当に外れたと思ったのはやはりその10話のラストでしたね。
テレビドラマというのは、犯人がこっちに歩み寄って、説得に応じて初めてドラマの形として成立するんですよ。
自分でそれを選んだわけですけど、ついにテレビドラマじゃないものを書いてしまったなという反省はあるんですよ。
0196名無しさん@お腹いっぱい。
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2017/03/19(日) 23:04:04.28ID:YSczrx6Y
坂元 (中略)僕はその頃ずっと大多亮さんと一緒にトレンディドラマをやっていて、プロデューサーとしては「大多さん育ち」だし、脚本家としては大多さんともよく組んでいた松原敏晴さんが好きだったんです。
そんなところに、アメリカドラマをベースとしたドラマが増えはじめました。
その時から「あ、今までの全然違う!」と僕は漠然と思ったんですけど、その流れが今もずっと続いていると感じています。
―― それは具体的にどういうことですか?
坂元 例えば、『あなたの隣に誰かいる』で鈴木さん(フジテレビプロデューサー)と仕事をした時の話です。
ユースケ・サンタマリアさん演じる主人公が、自分の子どもだと思っていた人間がそうではなかった、父親が違っていたということがわかって、その次のシーンというのがあったんですよ。
そこで僕は当然悩んでいるシーンを書いたんですね。
そうしたら鈴木さんは、「このシーンはどういう意味ですか?」って聞いてくるんです。
「いや、これは悩んでるんです」と答えると、
「悩むっておかしいじゃないですか? この人は今どっちを向いているんですか? 自分の子どもとして受け入れたんですか? それとも、その子どもを捨てようとしているんですか? どこを向いているかハッキリしてください!」て言うんですよ。
「いや、さっきわかったことなのにハッキリするわけないじゃん!」って僕はそこですごく揉めたんですね。
最初は何を言ってるんだろうこの人はって思ったんですけど、その時に初めて、ああ、今主流になってるドラマって全部これだったんだ、だからこの人もこういうことを言ってるんだ、アメリカドラマってみんなこうなんだっていうことに気いたんです。
職業的には素直に感動しました
0197名無しさん@お腹いっぱい。
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2017/03/19(日) 23:06:40.87ID:YSczrx6Y
それまで大多さんや松原さんが何をしていたかというと、ドラマの中でずっと「落語」をやっていたんですよ。
でもこれからは落語の世界じゃなくて、こういう流れになっていくんだなって感じたんですね。だからなんとかこれを身に付けないといけないと思って、
『西遊記』(2006年)や『トップキャスター』(2006年)では、できるだけ登場人物がどこに向いているかを明確にして動かして、それがお客さんに伝わるように作ろうと努めたんです。
自分には向いてないんですが、そうやって何本も作ったんです。視聴率はまあとれる。そうするとまあ、疲れるんです(笑)。
トレンディドラマの頃は、多くは落語の世界で、痴話ゲンカでドラマをワンクール作っていたようなところがあるんですけれど、今ではそれがすっかりなくなってしまいましたよね。
主流が刑事ものやアメリカン・タイプのドラマになっている。
その中で昔のようなドラマも作りたいなあという気持ちで、僕は『Mother』や『それでも、生きてゆく』みたいなのを作ってるんですよ
ドラマというのは対立する考えをもった二人の人間が会話をすることだと思っているので、その対立する様々な要素の中に「虐待」や「少年犯罪」というものもあるだろうということなんです。
書きたいのは、「相容れない人間たちが何を話すのか」ということに尽きるんですよね。
僕の仕事は会話を書くことで、会話は他者とするから面白い。
答えは僕にもわからないんです。その二人が仲良くなる姿を書きたいというわけでもないし、破滅する姿を描きたいわけでもない。
(中略)僕自身はテーマにも興味がなくて、その二人が何をしゃべるのかが見たいという、ただそれだけなんです。
僕は黒沢清さんが大好きなんですけど、黒沢さんの映画の敵というのは「得たいのしれないもの」ですよね。
0198名無しさん@お腹いっぱい。
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2017/03/19(日) 23:17:10.21ID:YSczrx6Y
11時間もかけて、「結局この人のことはわかりませんでした」というのはテレビドラマの作劇としてはおかしいと思うんです。だからテレビ屋としては敗北感でいっぱいで、
本当にこの一年間ずっと心残りなんですよね。

坂元祐二という脚本家は、シド・フィールドの脚本術に代表される“目的を持った主人公が、葛藤しながらも行動、結末に至る”三幕構成で考えるドラマを書くことに抵抗があり、
“落語のような会話劇”であり、黒沢清の映画のように“あいまいな要素”を含んだ作品を志向している
といってもよいのではないかと思う。
0199名無しさん@お腹いっぱい。
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2017/03/19(日) 23:20:49.68ID:YSczrx6Y
―― 最初からわからない人間として造形するのではなくて、わかろうとして書くからこそ、わからないことがリアルに伝わるのかもしれませんね。
因島の食堂のシーンで、洋貴が文哉に語る言葉を一生懸命探すじゃないですか。
洋貴は文哉の心に響くような物語を語ろうとするんだけど、彼には一切届かない。
前のシーンで文哉は洋貴に命を救われているわけだし、普通のドラマだったらわかり合って涙を流すシーンなんですけど、あそこで文哉に「ごはんまだかな」って言わせたというのが衝撃的でした。
洋貴がなんとか文哉に届く言葉を見つけようと探して、探して……という姿は坂元さんご自身にも重なりますね。
0200名無しさん@お腹いっぱい。
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2017/03/21(火) 05:14:01.99ID:XiKQdsdn
それでも、生きてゆく
このドラマ、登場人物と呼ばれる人以外の顔が見えないように撮影されてる。
エキストラの顔は通り過ぎる車の様に、殆ど映っていないのも良かった。
起こった事柄が関係の無い人には気付かない日常感が、ある種の共感を呼んでいる気がする。
撮影やロケによってカメラマンの上手い下手もあったりするけど意図的な効果が効いている。
0201名無しさん@お腹いっぱい。
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2017/03/24(金) 03:14:57.50ID:xVwUM0f1
”わかりえなさ”を前提に掲げた坂元ドラマの本質を捉えた形式のようにも思える。ここ数作では控え目であった、あのつんのめるように脱臼した会話劇が、全幅の信頼を寄せるに値する役者の集結によって、復活。
発話や会話のリアリティもさることながら、「唐揚げにレモン」だとかいう、物語には到底なりえないはずの言葉が、瑞々しく躍動し、複雑な感情が描写されていく、
その筆致に震えてしまう。そして、唐揚げにレモンという議論から、”時の不可逆性”にまでサラっと論理を展開させてしまうドライブ感。坂元ドラマに流れているのは、本来であれば、
言葉にならないはずの想いだ。私達がグッと飲み込み堪えてきた言葉や感情を、とびきりのユーモアとペーソスで解放する。上質な物語というのにはそういった救済の力がある。
そして、一流の会話劇であると共に、その台詞が止んだ時、静かに交わされる疑いのまなざしの視線劇でもある。喋る言葉が全てではない。
人々の背景には目に見えない様々な思惑や感情が蠢いている。場に流れる不穏な空気を視線や仕草だけで悟り合い、突然「しょうがないじゃないですか」と切り出すのには大変驚かされた。
そして、コーン茶を淹れる、という動作を軸に登場人物が入れ替わりに本音を語り出す。こういった会話と動線の引き方はもはや演劇の戯曲である。完全に視聴者の”ながら見”というやつを拒否している。
前枠の『逃げるは恥だが役に立つ』はSNSでみんなで盛り上がれる”隙”を作ったことが、高視聴率の一要因であると思うのだけども、そこに一切媚びてこない
0202名無しさん@お腹いっぱい。
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2017/03/24(金) 03:16:06.21ID:xVwUM0f1
食べる場面はすごく好きで、よく書きますね。ドラマを観ていると道端とか公園で何もせずにしゃべるシーンがよくありますが、
僕はとにかく公園が嫌い。ロケがしやすいというだけの場所でしゃべらせるのはやめてほしい。
立ち話なんて人はしないし、立ち話なら立ち話でする話というのがあるし、公園で話すことって公園で話す内容のことだと思うんです。
僕はとにかく、部屋にいたら料理しながらとか拭き掃除をしながらしゃべらせる。
0203名無しさん@お腹いっぱい。
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2017/03/24(金) 03:33:17.59ID:xVwUM0f1
すずめちゃん、軽井沢帰ろう病院行かなくていいよ
カツ丼食べたら軽井沢帰ろう いいよいいよ みんなのとこに帰ろう

松たか子の「いいよいいよ」は、テレビドラマ史において忘れ難い”音”となるだろう。この国のホームドラマが新しく更新された瞬間だ、とすら思う
0204名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2017/03/24(金) 04:22:13.83ID:xVwUM0f1
。「20代の夢は男を輝かすけど、30代の夢は男を燻ますわ」「子をかすがいにした時は夫婦は終わりや」みたいなフレーズは確かにキレキレだが、
これらはあくまで「NAVERまとめ用」と個人的には考えている
家森:茶馬子は俺のドラゴンボールだよのどぐろだよ キンキだ クエだ
茶馬子:あと?
家森:あと・・・伊勢海老
茶馬子:魚!
巻:(家森に小声で)関さば・・・
家森:・・・関さば!
まったく意味のない高級魚の言葉遊びで微笑み合える家森と茶馬子(さりげなく巻も絡んでいるのも見逃せない)。これこそが、
他人である2人が一緒に生きていく理由みたいなものではないだろうか。こういった愛の描き方こそ、坂元裕二の真骨頂だと思っている。愛を実に曖昧な繫がりがで描く

まったくそりが合わないように見える家森と茶馬子の間にも確かに愛が存在していた(る)ことを想わされる

足の臭い美人が好き。元妻である茶馬子は何故だか冬でもサンダルを履いているわけだけども、きっとそれは蒸れるとすぐに臭くなってしまう足を気にしているからで、家森はそれを察することができずにその風変わりな行動を咎めるし、
茶馬子もまた自身の足の臭さがチャームポイントになりえることに気づけない。実にさりげなく絶望的な”すれ違い”が描かれている。トイレのスリッパを履きっぱなしにしてしまう、という所作(もしくは臭み)
ですずめと茶馬子を結びつけてしまうのも、「茶馬子はおれのこと知ってるからねぇ」という一言で家森からすずめへの好意をさらっと表現してしまうのも実に巧みである
0205名無しさん@お腹いっぱい。
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2017/03/24(金) 06:17:44.76ID:xVwUM0f1
大事なことはできるだけ遠回しに言う、という平田オリザから受け継がれている前田司郎の戯曲は、その遠回りの道程の細部に豊かさが宿る。
その豊かさを支える、独特の脱臼した会話劇は健在だが、今作の肝はそのお喋りが鳴り止んだ時の沈黙にあるように思う。遠回りの果てにとうとう沈黙に辿りついてしまったのだ
0206名無しさん@お腹いっぱい。
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2017/03/24(金) 20:28:23.28ID:xVwUM0f1
▼「ドラマというものは“過去”と“未来”の両方に物語がないとダメ」
▼「僕は主人公が歩きだして引きの画で終わるみたいな、そういう終わり方があんまり好きじゃない。というか書いたことないです」

合宿から帰って来た誠ちゃん。誰もいない自宅謙ボクシングジムの中をセリフ無しで歩き回る。
冷蔵庫を開け、マヨネーズを取り出そうとして元に戻す何気ないシーン。
きっと減量のためなんだろうなと思っていたら、そうきましたか。
とっさの感情はセリフとして吐き出すけど、心の底から言いたい本当の気持ちは演技で表現する。
初回もそうだったけど、セリフ以外のところで魅せるドラマが少なくなっている今だからこそ新鮮に映る
0207名無しさん@お腹いっぱい。
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2017/03/24(金) 23:08:44.61ID:xVwUM0f1
洋貴「ちょっとだけ自分変えられるとしたらどこ変えますか?」
双葉「え、どこかな?どうしよう、フフ、ちょっと会話弾んじゃう感じですね」
洋貴「何、興奮してるんすか」
双葉「じゃあ、深見さんからどうぞ。」
洋貴「僕ですか?僕は・・・小さいことでいいんですよね?」
双葉「決まりましたか?」
洋貴「カラオケ行かない?とか、人に言ってみたいです」
双葉「ちょっと何か、小さすぎません?それは」
洋貴「小さくないすよ」
双葉「私のは、だいぶ大きいですよ、ちょっとびっくりしますよ」
洋貴「どうぞ」
双葉「(咳払いして)スプーン曲げられるようになりたいです、凄くないですか?」
違うフェーズを目指しているのだと思うのだけど、やっぱり捨てがたい魅力ですよ!その人の生きづらさを、「カラオケ行かない?」の一言に託してしまう
筆致ってやっぱり坂元裕二しか到達していないと思うのだ。
どう書けばこんな魅力的な会話が出てくるんだよ?っていう

むしろ、むしろね、キャンプとか行きたかったですよ
4人で、みんなで いや、行ったことないですよ、キャンプ いや、行きたいと思ったこともないですしね

坂元裕二は「恋は衣食住」だとか「恋は不平等」だとか「しずかちゃんは免許証をたくさん持ってる」だとか奇数は弾かれるんだよ
「得意料理は肉じゃがですって言わなきゃいけない宗教」だとか、そんなNAVERにまとめられそうな台詞書いている場合じゃないのだ、と心から思う。それはきっと他の人でも書ける
0208名無しさん@お腹いっぱい。
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2017/03/25(土) 02:09:08.33ID:EjATgdwD
私たちの教科書
脚本家 坂元裕二インタビュー(5月30日)

・今回は青春ものをやりたくて、必死で何かにぶつかり闘う姿、
闘って変わっていく人物を描いたら、こんなに重くなっちゃいました(苦笑)

・(執筆前に現役教師らを取材して)教師が偉いといいう図式は消え、
昔通りのお説教をしても誰も聞かず、生徒は『怒り方が下手だね』と返す。
何か起きても生徒を止めるすべがなく、警察への通報は珍しくないと知って驚いた。

・最近二年ぐらいでドラマは、インパクト重視、明確なキャラクター、一話完結型で、
コメディーや職業ものばかりになってしまった。この作品でガス抜きができたので、
当分はまた僕も分かりやすい作品を書くと思います。でないと仕事がなくなっちゃう(笑)

・(4歳の娘の親である坂元さんは)今の社会は子供を嫌っている。
子供がちょっと走り回っただけでも、舌打ちしたり、にらむ大人がたくさんいる。
明るい未来は見えない。

・ラストは人間が生きていくことを肯定する、温かい場面にしたい。
0209名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2017/03/25(土) 03:40:08.06ID:EjATgdwD
是枝が向田邦子のドラマが好きと言うから、 もっと人間の深層に潜むリアルな感情を描いた
どこかコミカルさもある会話劇 になるのかと思ってたら 意外とつまらないメソッドの連続って感じで

「歩いても歩いても」とか見てもそうだが 陰口、悪口とかの言葉遊びをしてるだけのかけあいしか書けないからね
リアリティがあるとか言う人がいるが実際病人を前にして
あんなウジウジした会話はないよ どんな性格悪い奴でも そういう意味でリアリティが無さ過ぎる
看護師とのシーンも感じ悪かったな あんな看護師いねーよ
0210名無しさん@お腹いっぱい。
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2017/03/26(日) 16:01:45.14ID:iMGFKEnm
『カルテット』最終回。 若者らしい「友情」ではなく、仕事を軸にした「仲間」でもなく、どうしようもなく繋がってしまったコミュニティとしての「ファミリー」。 
物語の骨子としては家族の形をこれでもかと描いてきた『Mother』以降の坂元裕二が、手癖感のあった『問題のあるレストラン』を
本気でセルフリメイクしたような構造なんですけど、そういうドラマ的なものはどちらかと言えば二の次で、とにかくテキストとしての台詞の力が本当に凄まじかった
0211名無しさん@お腹いっぱい。
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2017/03/27(月) 02:07:41.15ID:60ZBPkBz
http://jbbs.shitaraba.net/movie/9355/
したらば


戦い方の問題で、台詞で戦ってる脚本家が好み。
坂本、古沢、クドカンが最近では主なとこ。
それ以外は台詞一行に込める力が感じられる脚本家が少ない。
三谷は展開で持って行くタイプで、うまいとは思う。
中園、野島、尾崎、木皿、岡田とかは上の3人と比べると台詞より設定や流れで勝負してるから登場人物にあまりわくわくしない。
ドラマは映画と違って金かけれないから人が何を言うのかはかなり重要。
0212名無しさん@お腹いっぱい。
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2017/03/28(火) 21:40:07.85ID:wr2VVDYI
woman
主人公が一身に難題を抱えている様は、正直確率論的に言えばあり得ないかも知れませんね。
どちらかと言えばこのドラマ、物語的な筋書きがあってそれに沿って展開していくようなドラマではなく、
登場人物の心情の揺れ動きを映像やら台詞やら間合い等々を日常的な一コマ一コマの中で
表現していくという風な感じですかね。主人公は一身に難題を抱えてはいるんですけど、といって劇的で
派手な展開という印象はありませんね。
0213名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2017/03/29(水) 02:46:14.01ID:aMr6pi7h
【脚本賞】 渡辺 あや(「その街のこども」「火の魚」の脚本)

私たちが暮らすこの日常には、美しいものがたくさんあると思っています。ただそれは、ある状態であったり、
瞬間であったりして、なかなか言葉で説明しにくい。どうにかそれを形にできないか、そこで唯一、
私に許されているのが、脚本という形なんじゃないかと思います。でも私が書くものは、いつも非常に、
なんだかぼやぼやしたものですけれど、それを私以上に深く理解してくださり、形にしてくださった、今回の2つの
受賞作品のキャストのみなさま、スタッフのみなさまに心からお礼申し上げます。それから、この度の受賞は、
私たちがつくったその美しいものに対して、「わかるよ、それは確かに美しいね」と言っていただいたのだと思っており、
そのことにも、心からお礼申し上げます
0214名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2017/03/31(金) 03:59:10.45ID:6vLgbWfW
マンハッタンラブストーリー

小ネタ、大ネタ満載で笑わせてもらった。
そしてその中で描かれた、ある意味、王道とも言えるリアルなラブストーリー。
結局、クドカンのドラマはココなんだよな。 笑いの中に隠されたリアルな部分に共鳴できた人は
ただ“面白い”ではなくて感動できるし、そこに入り込めなかった人は
コントと同じような面白さだけしか感じられない。
その笑いの質にまで共鳴できなかった人は、まったくつまらないドタバタ劇としか思えない。
で、意外にそういう人は多くて視聴率にはつながらない
0215名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2017/03/31(金) 23:10:29.22ID:6vLgbWfW
自分に似てて応援したくなる人間
自分に似てて嫌な部分
自分が苦手な人にありがちな嫌な部分
自分と価値観近い人間
自分と価値観ぶつかる人間

絶対的正論じゃなく関係性や立ち位置で見え方が変わる
ホント色々織り交ぜてて面白いなあ
誰かしらどこかにひっかかるように出来てて客観的にドラマ見てるつもりでも
どこかで感情をひっかかれて何か言いたくなるようにできてる
0216名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2017/04/01(土) 19:47:46.56ID:JOeWl5PE
大石…ベテランの味が熟成されてきた。
岡田…男の脚本家なのに、女性を描くのが上手。
尾崎…いつまでもB級のイメージを拭えない。
田渕…理屈じゃない恋愛重視。女性が好む男性観を描く。
中園…女性が好む女性を描いてきたが、行き詰まりを感じる。そろそろ転換期。
野島…時代遅れ。全盛期には過激な企画に頼ってたせいか、近年では企画力、構成力、筆力のなさが目立つ。
橋田…価値観は古いが、信念をもって書いている。筆力は衰えず。
橋部…ハートフルな作品が得意。万人に受ける作風。
三谷…独特で個性的な会話劇が、好き嫌い分かれる作風。開き直って、見る者を選んでる感じ。
遊川…企画頼みで、筆力も落ちて枯れて何もない。
   連ドラを頻繁に書くけれど、中身スッカスカで失速しまくり。もう連ドラは厳しいのでは。
渡辺…向田邦子、山田太一クラスの偉大な脚本家として、名作を数多く残すであろう逸材。
   人を魅力的に描く才能に底が見えない。遊び心に満ち、どこまでも余裕を感じる。
   普段着で、ありふれたことを伸び伸びと書いている。
0217名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2017/04/01(土) 19:48:39.22ID:JOeWl5PE
西田…木皿よりもわかりやすく的確で伸び伸びとした作風で、心を揺さぶる。
   脚本に遊び心があって、安定してクオリティが高い。かなりの実力者。
坂元…向田賞を受賞してから覚醒して、一皮剥けた。筆力が凄い。ポエムのような台詞が特徴。
大森…アイデアに溢れている。型に嵌めようとするとダメ。
宮藤…独特な個性の持ち主で、アイデアに溢れている。
   構成力は乏しいので、連ドラだと失速する。舞台や映画に専念すべきなのでは。
森下…これといって特徴ない。脚色は上手い。
林……社会派作品、群像劇が得意。台詞はイマイチ。
古沢…過大評価されすぎ。ハズレが多い。理屈っぽい。
   伏線を張るのが上手い理屈屋なので、理屈じゃないこと(恋愛など)を描くのは凄く苦手としてる印象。
木皿…哲学的な作風にこだわって、雑巾で絞だすかのように脚本書いてる感じで、手詰まりを凄く感じる。
   いつまでも不器用に手作りにこだわってる感じ。殻を破って、もっと伸び伸びとした作品を書けないものか? 
井上…最近は企画力で勝負してる感じ。奇策で成功させたいんだろうが、「策士、策に溺れる」になってる。
   行き詰まりと、力の衰えを隠せない。
0218名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2017/04/01(土) 19:51:15.67ID:JOeWl5PE
大石静 時代遅れ
岡田惠和 ほのぼの系ドラマに安定感
尾崎将也 関テレと組んだ作品はまあまあ
田渕久美子 自分の妄想がウケると勘違い
中園ミホ 取材力素晴らしい
野島伸司 独特の世界観がいいけど、時代に合わなくなってきてる
橋田壽賀子 古くさい価値観だけど面白さは健在、現代物はダメ
橋部敦子 鬱ドラマ得意
三谷 幸喜 みんなが主役、面白いけど心に残らない
遊川和彦 傑作と駄作の差が大きい、 陰湿系に傑作
渡辺あや 独特の芸術的センス、心に残る

渡辺あやさんは”人のやさしさ”、”人の感情”を描くのが抜群に凄い。
彼女の作家としてのポリシーは”人のやさしさ”だと思う。
もちろん、台詞、構成力、筆力なども凄いですよ。
大胆で細やかで情緒があって、大胆に端折るからテンポが良いかな。
日常のありふれた些細なことを独特の台詞や会話で、印象的なドラマにしてしまう。
どの登場人物の造形と描写が素晴らしく、伸び伸びとイキイキとして、やさしさに溢れている。
渡辺あやさんはシナリオライターじゃなくて、作家さんですね。 平成の向田邦子なのでは。
0219名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2017/04/01(土) 20:08:46.62ID:JOeWl5PE
俳優の柳楽優弥がハリウッドのリー・ストラスバーグ演劇学校に入学して、演技法を学ぶドキュメント。そこで彼は講師から「頭をかく動作やポケットに手をいれる動作が多い。心を隠しているからだ」と指摘されるのである。
朝ドラの「カーネーション」では誰も「本音を隠す動作」をしていない。おばあさん役の正司照枝が裁縫をしたりスイカを切るシーンのリアルなこと。
母親役の麻生祐未のちょっとぼんやりした風情もごく自然で、魅力的。そして男の沽券に縛られてがんじがらめの父親を演じて、小林薫のうまいこと。
この人で、森繁久弥が演じた「夫婦善哉」の柳吉を見てみたいと妄想しながら、毎回その演技に見とれている。無論、我らがヒロイン、
糸ちゃんを演じる尾野真千子が素晴らしい。東京の美容師さんが「生まれて初めて朝ドラにハマった。主役のはつらつとした演技にやられた」と言っていた。
かく言う私もハマっている。渡辺あやの脚本は精神もセンスもあり、15分という短さを伽としないで、ときにテンポよく、ときに余韻を残す筆運びが絶妙。
ミシンをだんじりに見立てたオープニングの映像と椎名林檎の歌も一体となって、女たちへの応援歌を奏でている。(ライター・島崎今日子
0220名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2017/04/01(土) 20:24:17.79ID:JOeWl5PE
渡辺……人の短所をきっちり書きつつ、それがチャーミングに見える。キャラクタに好感が持てる。
    ヒロイン万能!ヒロイン正義!にせず、他人との関わりの上でヒロインがのし上がっていくのが上手い。
西田……ぶっとんだ設定の元にきっちりと人間というものを描いてる。詩的っぽい感じ。
    全体的に人間に対するやさしい感じに溢れていて、暖かい目線を感じる。
中園……恋愛ものに不可欠な「トキメキ感」「キュンキュン感」「切なさ」を描くのが上手い。
    やるやらないだけが恋愛ものじゃないよねと思わせてくれる。やまとなでしことハケンの品格は伊達じゃない。
0221名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2017/04/01(土) 23:09:47.29ID:JOeWl5PE
Motherは冗談抜きで酷い
初回でグッと引き込まれたけど中盤から雲行きが怪しくなって終盤はグダグダ
所々のセリフのチョイスにはセンスを感じるけど、物語の大筋に重大な問題点がある
TVドラマとしては及第点、作品としては田中裕子の力に頼り切った印象


対してそれ生きは掴みがイマイチだが、中盤から巻き返した感があって個人的には好印象
レイアウトやカッティングにも映画的魂が息を潜めていてTVドラマとしては規格外の出来
役者の「良い」表情を逃すまいとするアップに対する製作陣の気合いも十二分に伝わってくるし、
TVドラマでは本流であるマルチカメラによる長回し撮影も、演技と緊張感の持続性という効果を見事に成している
取り立てて目を見張るショットは無いものの、芝居に対するこだわりは並々ならぬ物がある
本に関して言えば前述したように大筋には難ありだが、会話やセリフのチョイスはMotherよりも洗練されていてとても良い
放り投げた感満載の幕切れにしても、纏め方が下手な坂元にしては上出来かと
0222名無しさん@お腹いっぱい。
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2017/04/02(日) 22:58:28.60ID:NrYor2tV
劇作家・古沢良太「趣味の部屋」/4月6日・香川公演
「生身の俳優がぶつかり合う姿を堪能できるのが、舞台を見る楽しみ。
手の込んだ展開や物語よりも、人物同士のやりとりを見せることが好き」
「日常生活ではなかなか言いたいことを言えない。だから、言い合って仲を深める人間関係に憧れる。
それを虚構の世界で見せられると気持ちいいのではないか」
「テレビでは人が手がけていない先のものを、映画では普遍性を重視する。舞台は古典をつくりたい。
何十年か後に、どこかの国で知らない人たちが演じてくれるような作品を、一つでも二つでも書きたい」
0224名無しさん@お腹いっぱい。
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2017/04/03(月) 17:31:18.58ID:fnp+w4Yx
月9ドラマのパターンは、おおよそ次のパターンで構成される。「最悪の出会い」→「気づかぬうちに惹かれあう」→「恋敵の登場」→「やっぱり結ばれる」の4つの流れだ。
「デート」も基本的にこの4つで構成されている。
では、なぜ王道でありながら、斬新な恋愛ドラマとして視聴者を引き付けたのだろうか。それはこのドラマが「奇跡」を「運命」だと簡単に片づけなかった点だろう。
第6話の「お正月」のエピソードが印象的だ
亡くなった母が作る思い出のお雑煮をずっと再現できずにいた杏演じる藪下依子。しかしその相手・谷口巧(長谷川博己)
が見事にそれを再現させるという「奇跡」が起きる。何の疑いもなく誰もが
「運命」と感じるシーンだが、加えて「なぜずっと再現できずにいたのか」という部分の謎を、「運命」へと美しく着地するための種明かしが用意されていた。
 気楽に観られる恋愛ドラマでありながら、凝った構成が随所に織り込まれる中で、今までにない斬新な恋愛ドラマとなった側面もある
0225名無しさん@お腹いっぱい。
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2017/04/03(月) 19:28:09.32ID:fnp+w4Yx
ドラマは変わってればいいってもんじゃないと思う
変わってるとこは目を引くし面白さでもあるけど、それだけじゃただの変なドラマだ
古沢脚本は自由な発想からくるぶっとんだとこあるけど、社会の風刺や独自の哲学がある
普通のドラマの泣かせ所も作れる
普通のドラマも書ける器用さがある
0226名無しさん@お腹いっぱい。
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2017/04/04(火) 15:50:24.32ID:sPLFq4YD
日本人の多くはなぜコミュニケーション・スキルが身につかないのか。政治家も経営者も、「演説」「日常会話」「雑談」は得意でも「対話」「談話」は苦手なことが多い。
ふだん同じ価値観の仲間とばかり会っていると、異なるコンテクストの相手と議論をしなくて済む。文化の違う相手と交渉したり共同作業をする経験が、まだ日本人には少ない。
さらに携帯電話、ネットなどの新しいツールの登場で、世代間のギャップは広がる。
それでは、どうしたら対話が生まれるのか。どのようなコミュニケーション・スキルが必要なのか。
――豊富な具体例をもとに、新しいコミュニケーションの在り方を真摯に探る。

解説――高橋源一郎
「みなさんも、この本を読みながら、著者である平田オリザさんと共に、ゆっくりと(平田さんが指摘するようなこと、あるいは、それに触発されて、
みなさんの内側に巻き起こってくることについて)考えてもらいたいのである。それは、みなさんにとっても、たいへん貴重な時間になるだろう」
0227名無しさん@お腹いっぱい。
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2017/04/04(火) 19:28:07.10ID:sPLFq4YD
テレビドラマ定点観測室 2015 Spring〜『問題のあるレストラン』『デート』『ゴーストライター』から『心がポキっとね』『医師たちの恋愛事情』まで〜
/岡室美奈子×古崎康成×成馬零一×宇野常寛 ☆ ほぼ日刊惑星開発委員会

『いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう』ーー“月9史上最低視聴率”の9文字で烙印を押すな!「他者のために生きること」を描いた良作(岡室美奈子×宇野常寛)
【月刊カルチャー時評 毎月第4水曜配信】☆ ほぼ日刊惑星開発委員会
0228名無しさん@お腹いっぱい。
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2017/04/05(水) 13:28:48.87ID:DPfnxM3a
毒島ゆり子のせきらら日記」の矢島弘一さん(41)に決まった。

 選考委員を務めた脚本家の池端俊策さん(71)は「飛び抜けていい。対抗馬がないという状況で、ぶっちぎりの一等賞。全会一致で決まった。人間の描き方がドンピシャリ。焦点が合っていた」と絶賛。
富川元文さん(68)も「脚本家、物書きを喜ばせる本でした。それが一番だった」と称賛を惜しまなかった
授賞理由は、「恋愛と政治に裏切りはつきものだと断じる若い女性政治記者を描いた『毒島ゆり子のせきらら日記』は、どっぷりと通俗的相対的世界に身を置きながら、
絶対的なるものを求める現代の若者の心の渇きを軽妙につづった快作である。テンポの良い会話と笑える警句が絶妙であり、人物達に的確な存在感を与えている。そのエスプリに溢れた才筆に拍手を送り、向田邦子賞を贈る。」というものです。

「ぶっちぎりの一等賞。現代にいそうなアイロニーに満ちた生き方をする若い女性をきちんと描いている」と評した
0229向田邦子
垢版 |
2017/04/06(木) 17:47:47.72ID:3XO7bIOf
「『せりふ』というのは、どの一行をとっても、その人の全人格であって、視聴者が一行しか聞かなくても、その人のいった『せりふ』である、その一言に尽きると思います。(略)
それと、もうひとつ、こうありたいと私が思っていることがあります。
それは、ふつうせりふを書くとき、必ず役名を書いてからセリフを書くんですが、その役名を全部消しても、仮に十人いる役者さんがそれぞれ『ああ、これは自分のせりふだな』と気が付くような、そんなせりふを書きたいということです」
「この一言をいいたいと思ったら、その前をささやくようにする、ゆとりをいれる、むだをやる、遊びをいれるようにする。
低い山、低い山、低い山、そして高い山という具合です。(略)
菊一輪じゃないですけれど、聞かせたいセリフは一輪挿しです」
「セリフを書いていて、意外と気づかないのが、登場人物の精神年齢が全部同じになってしまう危険が常にあるということです。(略)
作者は常に三歳の幼児にもなれば、五十歳にもなれるという柔軟性を、なんらかのかたちで持ち続ける必要があります」
0230渡辺あや
垢版 |
2017/04/06(木) 18:57:31.07ID:3XO7bIOf
たとえば役者がひとつのセリフを言う。 芝居を「訓練の成果を見せるときだ」と思っている人と、
「今この瞬間の反応でしかない」と思っている人では、 同じセリフでも聞こえ方がまったく違う。
声はつねにその人に関するたくさんの裏情報をのっけており、それ込みで相手に届いてしまう。
だからあるセリフが本当に人の心を動かすときというのは、 内容以上にそれを言った「声」が正しいのだと思う。
毎日そんなことを考えているせいか、CDをかけてもやはり声を聴いていることが多い。
商品としてきれいにパッケージされた声は、日曜日によく聴く。
まぬけな消費者でいることをゆるしてくれる気がして、ポッキーみたいな感じで行楽のお供にもよく持っていく。
うっかり開いちゃった他人の日記、のような声は、 一人でいるときに、あるいはイヤホンで聴く。
歌詞の言葉が井戸に投げる小石のように、さりげなくも適切に選ばれていると、
意味が分からなくても、何度聴いても、同じ感情や印象をもらえる。
聴きながら泣いてしまい「なんで泣いたんだ?」と思って、
歌詞を調べたら「なるほど」ということもよくある。
きっと声の伝えるものが、言葉を介さずとも私に響くのだろう。
楽器のことはあまり分からなくて、よく疑問に思っているのは、やっぱり音にも声と同じように、はからずも弾き手の秘密を
ばらしてしまうようなことがあったりするのかしら、ということだ
0231山田太一
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2017/04/07(金) 04:30:21.58ID:VNqYlD1K
たとえば、電車に乗っていて、人の話を聞いたなかで、『うわあ。これは良い』と思うことは、ライターならよくあることです。でも、実際、それを自分のものとして使おうとすると、タッチが合わなかったりして使えなかったりもしますし」。
役者陣は、ごく自然体で演じているように見えるが、実はほとんどアドリブはなかったそうだ。「セリフは1つ1つに気を遣っています。
その代わり、アドリブは言うなと。アドリブを1人許せば、他の人がもっと言いたいとなり、収拾がつかなくなってくるので」。
活き活きしたセリフ回しがとても心に響くが、手掛けるにあたり、何かコツはあるのか?「ありきたりなんだけど、リアルなのが一番良いね。
ストーリーを運ぶためだけのセリフはなるべく書かない方が良いと思う。たとえば帰ってきた時、普通は『ただいま』と言うけど、
それを言わないようにすることを考える。たとえば『俺』と言うだけとか、少年だったら『おかあさん、いまね』とか言わせる。なるべく、ありきたりなセリフは避けますが、これみよがしじゃダメ。
それは、言うが易しで難しいんだけどね。連続ドラマだと、ずっと登場人物たちと付き合っていくわけだから、あまり恥ずかしいセリフを言わせちゃかわいそうでしょ」。
0232名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2017/04/07(金) 14:59:55.87ID:VNqYlD1K
6日放送の「ビートたけしの私が嫉妬したスゴい人」(フジテレビ系)で、ビートたけしが、ダウンタウンの漫才と80年代漫才ブームの漫才の違いを分析した。
番組では「一流芸能人が嫉妬した人物を本音で激白」と題して、美輪明宏やGACKT、和田アキ子らが、自身の嫉妬した人物をVTRで明かしていった。
そんな中、スタジオゲストの水道橋博士が自身の嫉妬する相手として同世代のダウンタウンをあげた。かつてはその才能に嫉妬し、共演をさけていたほどだとか。
そこから派生し、司会のたけしがダウンタウンの漫才について語った。
80年代前半、ツービートとして漫才ブームの真っ只中にいたたけし。自分たちの漫才のスタイルは「間が空くことを怖がり、やみくもに言葉を叩き込んでいた」と説明する。
一方で、80年代後半に頭角を現したダウンタウンについては「その正反対」「間ばかりとって、その間で笑わせる」と、その新しさを説明した。
たけしはさらに、ダウンタウンの漫才では絶妙な「間」が継続的に続くと語っており、「え~っと」などと「間」を置くダウンタウンとは異なり、自身はスピードに重きを置いた語り口調だったと説明していた。
0233名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2017/04/07(金) 15:36:29.01ID:VNqYlD1K
豪速球というより投球と投球の間が無く
ポンポンと球投げてこられるので、打者(観客)が戸惑いながらも抑え込まれた(笑う)
しかし冷静に見てみると、大した事無い球が多く
次第に打ち返された(笑わなくなった)

ダウンタウンは打者に合わせた投球し、打者(観客)は打ちやすい球だと思っても
コースや変化球をうまく投げてきて、打者は自分ペースと思いながら
投手(ダウンタウン)のペースに泳がされていた(笑う)

直球しか投げてこなかった漫才ブームの人達は
ポジションを転向したりして、変化球という新たな世界に挑戦せず
変化球投手ダウンタウンと争う事をしなかった
なので投手(漫才)はダウンタウン以前と以後とでは大きな時代の狭間が生じた
0234名無しさん@お腹いっぱい。
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2017/04/07(金) 20:18:24.12ID:VNqYlD1K
55歳のハローライフ』を見ていると、まだまだ暮らしの周辺に描くべきテーマがたくさんあるのだ、ドラマにはやるべき仕事があるのだ、と気付かされます。
視聴者層の想定もシニア。リタイアして家にいる時間が多くなり、そもそも青春時代からテレビと一緒に生きてきた世代。テレビドラマという媒体が息を吹き返すチャンスのように思えます。
とても完成度が高いのに、ただ一つ、第1話にも第2話にも共通して「残念な点」がある。中高年になればなるほど、「人は変わることが難しい」という決定的な現実についての、描き方の甘さです。
頑固な夫がある瞬間、妻の理解者に変わる。妻のために、思いやりをもって温かい一杯のお茶を淹れてあげる。そんなことって、果たして、現実に起こりうるでしょうか?
「奇跡」に近くありませんか?
長い時間の中でできあがってきた自分自身の性格を、ちょっとしたきっかけで変えることなんて本当にできるでしょうか?
よほどの大事件に遭遇し価値観が大転換したり、生死をかけた出来事を通して相手の存在を再確認するのでもなければ、なかなかありえないことでは。しかし、このドラマではその変化が短時間で起こってしまう。
日常の中から気付きを見つける程度で、人は根底から変われるものなのかどうか。ドラマを見ながら基本的な疑問が湧いてきてしまう。
フィクションだからしょうがない。限られた時間の中だからしょうがない。それはわかっています。
でも、限られたドラマの時間の中でいかにそのあたり上手に処理できるのか、「なるほどそういう奇跡もありうるな」と視聴者を納得させられるかが、このドラマの「肝」になるのでは。
0236名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2017/04/08(土) 14:21:47.88ID:bsepLIin
脚本には、ドラマを展開させるための台詞というものがあるのですけれど、それを職業俳優ではない人が口にしても、
観客が信じるレベルには達しないと思います。
だから、観客が「この人ならこういうことを言うだろう」と信じられる台詞だけを使って、ほんの僅かでもドラマを展開できるように調整していくわけです。
ーーすごく時間がかかりそうですね。
濱口:そうですね。最終的に目指している劇的な状況はあるんですけれど、この登場人物がその台詞をリアルに口にするためには、どういう状況なら可能か、
どんな問いかけが必要か、ということを考えながら進めていったら、最終的にこんなに長い脚本になってしまいました
0237名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2017/04/13(木) 02:33:29.33ID:tG6gGOND
キャラ付けがはっきりしててブレないから安心して感情移入しやすいんだろうな。
そこが良い点であり欠点でもあるんだろう。
プロの作品で登場人物がみな善人というのは物語としては広がりに欠ける。
0238名無しさん@お腹いっぱい。
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2017/04/13(木) 02:38:19.32ID:tG6gGOND
芸人は、あなたがまさに望んでいるものを与えてくれる。芸術家は、あなたが今まで欲しいとも思わなかった「何か」をあなたに与えてくれる。
それは、知る以前には欲しいとも思わなかったけれど、一度知ってしまったら、次回からは欲しくてたまらない「何か」だ。(デイビッド・クローネンバーグ
0239名無しさん@お腹いっぱい。
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2017/04/13(木) 02:53:14.67ID:tG6gGOND
「映画のメッセージは会話では伝えられない」これは本当のことだけど、どうしても時々、金言や意味をそこへ入れる誘惑に駆られる。実際には、意味は行動に現れなければだめなんだよ。伝わらないんだ。(ウディ・アレン)
0240名無しさん@お腹いっぱい。
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2017/04/13(木) 03:26:23.65ID:tG6gGOND
スタージェスの映画って、暴走するけど、中盤でダレるんだよ。
だから、彼の映画の「隙」は、下手をすると「瑕疵」に近い。

でも、ルビッチの映画の「隙」は、もっと攻撃的なもので、
ケンカの上手い奴が、わざと両手を垂らして誘うような感じだね。

さて、ワイルダーは、定石を踏んで、正面に拳を構えている。
0241名無しさん@お腹いっぱい。
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2017/04/13(木) 16:07:25.09ID:tG6gGOND
尾崎将也‏ @ozakimasaya · 4月7日
生徒が書く脚本が子供っぽくなる原因のひとつは、人物同士が自分の感情でやたらと相手に干渉すること。物語を作るには人物が関与し合うことが必要だが
、自分も相手も一個の人格として認め合うこととのバランスが必要。もちろんある人を意図的に「感情的に相手に干渉するキャラ」として描く場合もある。
具体的に言うと、親子のドラマを書くと、親離れ、子離れ出来ない人たちばかり出て来てしまう、というようなこと。
作者が「そういう人たちのドラマ」と意識して書くなら問題ない。
0242山田太一
垢版 |
2017/04/16(日) 19:45:15.23ID:FyvOnn6L
https://twitter.com/yamadataichibot
(マスコミは)きれいなことを言ったとしても、しょせんは商業主義、つまり利益追求をしているのですから、売らんがための報道をすることになります。そのために、
どうしてもインパクトの強いもの、変わったものを取り上げるので、現実から遊離したゆがんだ側面を大きくして見せている(1984)

本音の部分にも建て前があるし、裏の部分にもインチキがあったり、必ずしも本音じゃない部分があったりして、ごちゃまぜなもんですね、本当は。
それを(本音と建て前の)二つに分けるというのは、本来無理があるんだけれども、便宜上分けてしまうと、それが現実であるかのように思えてくる(1984)

ぼくは日常生活を描く人間だというふうによく言われるんですが、必ずしもそれだけじゃあないんです。その中に、ひとつフィクションを入れるんですね。そうすると、
いままで普通の日常生活だと思っていたことに別の光が当てられて、あ、自分の日常というのはこうだったのか、俺はこの程度の人間だったのかということを知ることになる」
0243山田太一
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2017/04/16(日) 19:51:58.26ID:FyvOnn6L
テレビドラマというのは本来、会話劇が本流だという偏見が僕にはあります。どこの水準で人生を切り取るかという時に、ストーリーで切り取りたくない。
むしろ設定で切り取る。ストーリーの進行はゆっくりであればゆっくりであるほどいい(2002)

普通の人が言う意見って、正論でしょう。正論っていうのはね、始末に負えないんですよ。正論にしたがえば、これは身動きができなくなって、凡庸になってくるし、力も衰えてきますから(笑)(2008)

人間には悲しむことが必要な時があり、よく悲しむことでつらい体験を受けとめないと、暗部が闇に沈んだまま、あとあとまで尾を引いてしまう。マイナスな体験を見ないふりをする社会は、決して上等な社会ではないと思う(1993)
0244名無しさん@お腹いっぱい。
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2017/04/16(日) 20:01:00.94ID:FyvOnn6L
脚本家・山田太一さんの「わが人生最高の10冊」
http://gendai.ismedia.jp/articles/-/46892?page=3
吉野弘詩集』 吉野弘著ハルキ文庫 680円
「吉野さんの詩は素晴しい。書かれている世界は私がドラマで描く領域と重なります」
10位:『谷川俊太郎詩集』 谷川俊太郎著ハルキ文庫 680円
「いつも新作が気になる人。同時代に谷川さんがいることが喜びです」
0245名無しさん@お腹いっぱい。
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2017/04/16(日) 20:28:08.86ID:FyvOnn6L
山田太一脚本のどこが魅力的かというと、会話のディテールです。このリズム感は山田太一節とも言われるほど独特で、言ってみたくなるし、こういう時あるよなあと思わせるものだと思います。
例えば、実(柳沢慎吾)が経費を精算しようと、女性事務員に話しかけるシーン。事務員は実のことを好きなのだが、実に恋人がいることを知り、ムッとしている。
華江「(うんざりした声で)西寺さん」
実「はーい(とややへつらう明るさでこたえる)」
華江「(にこりともせず)こんなの全部駄目(と伝票をほうる)」
実「全部って??どういうことよ」
華江「課長ンとこ持ってけないわよ(と傍のコートを着にかかる)」
実「(ほうられた伝票をとり)何処がいけないのよ?不正な請求なんてしてないよ。このタクシーはさ、三時までに届けろって、立花さんからしっかり釘さされてよ」
華江「あそこは電車で行って、走った方が早いの」
実「どうしてそんなこといえるのよ」
華江「京浜工機は、昔からそういうことになってるの」
実「担当じゃねえもん、教えてくれなきゃ知りようないじゃ(ない)
華江「とにかくあそこのタクシーは出ないの」
(『ふぞろいの林檎たちU』大和書房)
事務的な手続きのほんの一シーンで、実際にキャラクターたちがどんな仕事をしているかが、説明的でなく浮かび上がってきます。しかも、そこにも私情が絡んでいて、めんどくさかったり、滑稽だったりする人間関係が描かれているのです。
0246名無しさん@お腹いっぱい。
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2017/04/17(月) 16:20:39.59ID:xkOWx1JG
泣くな、はらちゃん』
これは面白い。脚本は岡田恵和。コミカルな長瀬智也という事でクドカン脚本テイストを想起していたのだけど、まさかの木皿泉テイストだった。なるほど、薬師丸ひろ子が宮藤官九郎と木皿泉のミッシングリングでありましたか。
作品から主人公が飛び出してくる、というプロット自体*1はとりわけ新しいわけではないのだけども、その主人公が作品の創造者に恋をする、というのは結構おもしろい
漫画の世界から飛び出してきたはらちゃんは見るもの全てが新鮮で、「動物」(犬、猫)「芸術」(音楽、漫画)、「食物」(かまぼこ、ピラフ、チョコレート)、
「恋愛」などなど、我々の生活における当たり前を、いちいち心の底から感動する
当たり前の事を当たり前のように言っているだけなのだけど、そのストレートさは、私たちが世間体やら自意識やらでややこしくこんがらせてしまった生きて行く上での大事なルールをプリミティブに再構築してくれているようではないか。
つまり、はらちゃんが行っているのは私たちの日常の再肯定なのである
台詞の回し方はおろか、美しいんだよ 片思いは世界は片思いで出来てるんだよ
なんてパンチラインの置き方、空や海や橋を捉えるロングショットを合間に挟む画面のリズムすら木皿泉ドラマなのだ。河野英裕の影響力なのだろうか、岡田恵和が意図して木皿泉ドラマを踏襲しているのか
0247名無しさん@お腹いっぱい。
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2017/04/17(月) 18:41:28.36ID:xkOWx1JG
最後から二番目の恋
やっぱ岡田すげえわ。これ設定とあらすじだけ抜き取ったら
ほぼラノベ展開なのに人物描写の深め方と台詞の上手さで大人の鑑賞に
堪えるレベルまで持っていってるんだよな。歳を重ねた人たちなりの
ある種の諦観みたいなものがずっと背後に流れてるのが凄いと思った
0248名無しさん@お腹いっぱい。
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2017/04/18(火) 02:15:04.05ID:Qel7Trrw
万里子が部屋に籠ってしまい、なぜかその救出を典子(飯島直子)に頼まれる千明が廊下で、自身の最後の恋になるかもしれない恋バナを始めるが、
一向に万里子は出てくる気配は無い。そんな場面でも千明の台詞が上手い。
そろそろ扉を開けてみようか普通開けるよね、このタイミングで
 何よ、今の全部無駄?今の全部無駄ですか?
 ねえ、お願い。お願い、開けてよあたしね、今明けてくれないと、死ぬほど恥ずかしいの
 恥ずかしくて死にそうなの」
千明の恋愛志向だけでなく、千明の調子良さや明るさや弱さまで一気に表現してしまっている。更に、このシリアスな場面にこの状況を見守る家族たちを一緒に描いて、微笑ましさまで加えてくるとは、流石の岡田脚本。
こう言う一人芝居的で意味明瞭な台詞は意外と書けないものだと思う。これなら安心して楽しめるドラマになるはずだ。
0249名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2017/04/18(火) 03:09:42.25ID:Qel7Trrw
ありふれた奇跡
山田太一さんの脚本ドラマに馴染めません。 文語体の日本語の長文を細かくぶつ切りにして、順番にキャストに割り振るみたいな。
その上、文切り口調が多く、男女の区別もあまりないって感じ。それと感情説明って言うか、相手の感情を聞く台詞が多い。
だから今風の語尾を延ばして、ニュアンスで会話するのと真逆だから抵抗感ある人も多いでしょうね。 それとシーンの切り替えとカット割り。
まず、物語がゆっくり展開する割りにシーン(場面)がまめに切り替わる。
特に意味不明(に私は見える)なインサートがスキッとしない。台詞を喋ってる時のカット割りも懐かしいと言えばそれまでって感じ。 良くも悪くも山田太一ワールド全開です
0250名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2017/04/18(火) 05:29:48.43ID:Qel7Trrw
「最後から二番目の恋」は、とにかく撮影が素晴らしかった。
須藤康夫さんというベテランカメラマンで、
美瑛を舞台にした「優しい時間」や「風のガーデン」も彼の撮影。
一話目を見た時から、そこには歴然とした画力の差があった。
主演の小泉今日子を、時にはガラス越しに、時には花の陰から、
坂の上から、電車の外から。
なんと多彩なアングルで、工夫して撮っていることか!
須藤さんの撮影はまさに「動くカメラ」であり、これだけきれいに映っているということは
もちろん照明スタッフも素晴らしいということなのだ。作品への愛が感じられる仕事だった。
テレビドラマが映画化された時、人物のアップが多すぎてまったくアングルにバリエーションのない撮影を見ると
本当にガッカリするのだが、逆にドラマで、映画でも通用するレベルの撮影ができると、
こんなにも見映えが違うものなのか、と思う。
0251名無しさん@お腹いっぱい。
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2017/04/18(火) 18:14:47.26ID:Qel7Trrw
ありふれた奇跡』の第5話を観ました。と言うか、開始15分で挫折しました。あの台詞回しに耐えられなくなっちゃいました。遠回しで、説明台詞ばかりでイライラしちゃって(笑) 他にもキャスティングも、
岸部一徳さん以外は私には違和感しか残らなくて。特に、陣内孝則さんと戸田恵子さんが精神的な病を抱えているようにはどうしても見えない。台詞も無理矢理言ってるようだし。 最近は洋画でも字幕より吹替版が人気です。
わざわざ文字を追うのが面倒だと言うのが主な理由だそうです(個人的には字幕が下手な作品が多いのも原因だと思っています)。 このドラマのネット上の感想を読んでみると、若い人に肯定派が多いんですね。こう言う説明台詞が多いドラマがお好みなのかと想像します。
状況説明や独白による感情説明など、ラジオドラマ風な過大な描写。映像は付加的要素のようなドラマが受けるとは。 しかし、これからこの手のドラマが増えるかもしれません。
視聴者の高齢化に合わせて、またテレビの前にじっとして観ていない人にも合わせて、より多元的且つ過多に情報提供するドラマ。
0252名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2017/04/18(火) 18:51:37.50ID:Qel7Trrw
心のこもっていない台詞をただただ並べて、お涙頂戴的なエピソードを作り上げたつもりで、的外れな結末しか描けていない。
シナリオ学校の課題なら先生が目を通すまでもなく即ゴミ箱レベルの脚本だった
最近のつまらないドラマ脚本の見本みたいな作品だったと思います。ただ人気者を集めて、セリフを喋らせて、「いい話」で落とすだけ。登場人物は生き生きとせず、脚本家に動かされているだけ。
ドラマの脚本って、「いい話」を書くことでなく、劇中の登場人物たちの生きる様を描くことだと思います
0253岡田惠和
垢版 |
2017/04/19(水) 16:40:23.56ID:5eh2Rw06
最後から二番目の恋
今週は冒頭で真平(坂口憲二)の謎解きをしてからは、和平(中井貴一)と千秋(小泉今日子)のコンビ(まだカップルでないから)
を中心に、真平と知美(佐津川愛美)を上手く絡めて、複雑な人間関係が上手く描かれたと思う。
その他にもたくさんの個性的な登場人物が多いのが本作の特徴だが、岡田惠和さんの脚本が秀逸なのは、この大人数の個性がきちんと管理され、満遍なく魅力的に存在していることだと思う。やっぱりうまいなぁ。
和平と千秋の居酒屋でのシーンに代表される大人同士の会話の面白さ。登場人物たちが、まるでトーク番組のようなナチュラル感で劇中で立ち振舞っている。
これは私がよく言う、優れた脚本は、「登場人物が自分から動きだす」と言うことと同じ。更に本作はアドリブが多いそうだから、脚本だけでなく演者にキャラクターが憑依したような状態なのかもしれない
これと言った進展が無くても、面白かったです。脚本も演出も美術や衣装もきめ細かい作業の積み重ねがあるからこそだと思います。
無理矢理に登場人物にカッコいい台詞を言わせなくても、強引に見せ場を作らなくても、しっかりと作り込まれた作品は面白いと言うことだと思います
0254名無しさん@お腹いっぱい。
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2017/04/20(木) 01:28:31.21ID:DqtoLcTq
フェリーニ甘い生活
俳優たちのそれぞれの向き・身振り・人物群配置の計算や、会員制キャバレー・地下室・トレヴィの泉・病院・古城など映画の舞台装置のバリエーションある選択や、
郊外の新築アパート群・道路・海辺などの野外ロケ地選択の、そうした演出の総体と、それらの画面の構図の組み立てが、何でもないようでいて、実は緻密になされている。
加えて例えば、カメラを構えてばらばらと走るパパラッチ軍団の荒っぽい突撃や、トレヴィの泉に入っちゃうシーンや、ものすごい数のエキストラの登場や、聖母マリア出現の地の広く開けたシーン、
そして極めつけが突然の豪雨が、ともすれば、緻密に組み上げたからこそ、静的になりがちな映像に、動きと驚きのドラマ効果を与えている。
そしてさらに観ると、その演出・構図に、二通りある。
 そのひとつは例えば、多くの人物がいるキャバレー店内シーンなどの屋内シーンや、トレヴィの泉の周りのパーティなど
比較的狭い範囲で撮影するシーンに注目してみると、俳優たちはてんでに動いているようだが、その動きが前もって計算されていて、なるほど、いい構図(絵)になっている。(そう見える)
 もうひとつは、病院ロビーや聖母マリア出現の地やラストの海辺など、開けた画角と遠近のあるシーンでは、大きなステージ上で展開される「舞台演劇演出」の手法が駆使されて、俳優達の、うまい具合な構図配置がなされている。
 素晴らしい映像です。楽しみましょう。
0255名無しさん@お腹いっぱい。
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2017/04/20(木) 01:34:27.09ID:DqtoLcTq
「永遠と一日」   監督:テオ・アンゲロプロス
この映画は、とてもフォトジェニックな作品です。 
 主要登場人物の背後で、多くの出演者が一様に黒っぽい服装で登場します。(監督の他作品同様に)
 そんなシーンでは、人々が画面内で絶妙に配置されていて、素晴らしい構図を観せます。また、大きな建造物を画面に取り込んで、それに人々を配置して、画面は構造化されます。
また、回顧シーンで、作家と若き妻、夫妻を取り巻く人々が浜辺で遊ぶシーンがありますが、これは日本の写真家・植田正治を踏襲しています。(植田正治(1913-2000)は鳥取砂丘での人物写真が有名)
しかし、監督の作意(計算)が気になりだすと、少々げんなりします。作意が透けて見えるのです。
 例えば、向こうへと続く道を、作家と少年が乗る車が去って行く。しばらくして、「間」が計算されていて、「だろうな、頃合いだな」と思う、その時、道を横切る車が現れる。
ギリシャ正教の坊さんが横切って行く。同様なことが他のシーンでも出てくる。海を背にして作家が立っていると、ちょうどいいタイミングに沖合を船が横切って行く。
 特に、登場人物の動きです。動きが予測できてしまう。
 例えば、長い廊下を遠近法の構図で見せ、その構図の奥にある出口へ向かって作家が去って行く。ドアを開け放った出口からはまぶしい陽射しが見えていて、
その出口の明るい輪郭の中に、作家の黒い影が入って、ちょうどフォトジェニック的にいい今だ、という時に、作家は歩みを止める。ああ、やっぱりそこだ。
加えて、これもこの監督の特徴ですが、たぶんに舞台演劇的です。(監督の他作品も同様)
 例えば、背を見せていた人が、「2歩、後ずさり」してから、振り返りこちらに向かって歩き出す。いかにも不自然ですが、これはこれで動作の型を指示しているのです。舞台演技に見えます。
 また、舞台は、映画ほどに自由に場所場面を変えられない。だから舞台上では、脚本が次の場面へ主人公を伴って移りたい時、(場の空気を変えたいため)、突然突拍子もないところで、いきなり人が出て来て、
前後脈絡のないセリフを主人公と話しだす。これで場面を変えたとする舞台の表現技術。これが、映画に出てくる。う〜ん
0256名無しさん@お腹いっぱい。
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2017/04/20(木) 01:45:15.25ID:DqtoLcTq
「マッチ工場の少女」  監督:アキ・カウリスマキ
あらすじをたどると、何の変哲もないない、いや、むしろまったく陳腐な話なのだが、なぜか、この映画はいい。
 それは、絶妙な「間」のマジックが映画を素晴らしいものにしていると言える。ストーリー展開の中でのすっとぼけたような「間」、セリフ前やセリフ間のぐっと堪える「間」が、映画に豊かな物語性を生み出している。
それは音楽に例えれば、アフタービートの2拍4拍を譜面通りに演奏せずに、ジャストから僅かに遅れ気味(「間」)にプレイすると、がぜん乗りが出てくる、このマジックに似ている。
 加えて、この映画はセリフや表情の動きがとても少ない。それでも映画は饒舌だ。なぜなら、イリス役のカティ・オウティネンはじめとする俳優が出す「気」が、多くを語りかけてくるのだ。 
0257名無しさん@お腹いっぱい。
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2017/04/22(土) 21:20:15.73ID:iz6VMPCa
黙々と、刺身を食べる”折見”が凄い!!
このドラマの文学性を象徴するような場面です

折見「先生がそんな大きな花束を持ってかれこれ2時間も座っておられるせいで、病院中の女が色めき立っております。」
セリフがいいわぁ!!

折見がうつむきながらニッコリ微笑んで「先生。私を侮られては困ります。むしろ逆でございます。2年前に手術をしてから私はこの世で一番孤独だと思っておりました。しかし先生は、
私以上に寂しい方であられました。『他人の不幸は蜜の味』と申しますが、先生の無残な孤独ぶりだけが私の心の慰めでした。」
こんなに深いセリフを、そこいらのドラマでは耳にできない

折見は左手で涙をぬぐいながら「先生。私、今、モテている気分でございます。」

村田は、視線を合わせられずに「あながち、気のせいでもないぞ。」と呟き返しました。
二人の『モテている→気のせいでもない』というやり取りが、最高に素敵です!!
これは、凄いですよ!!

「たばこ、吸いてぇ〜〜〜〜!!」と、空に向かい叫びます。
死に向き合って、喫煙という人間の営みへの欲が戻った村田・・・。《死と生》
0258菊島隆三
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2017/04/23(日) 04:57:45.61ID:Ag8uE3Vu
ノミネート作品と脚本家名 (全6篇・五十音順・敬称略)
映画 「アウトレイジ ビヨンド」    北野武
 映画 「鍵泥棒のメソッド」       内田けんじ
映画 「かぞくのくに」         ヤン・ヨンヒ
映画 「桐島、部活やめるってよ」 喜安浩平、吉田大八
映画 「のぼうの城」    和田竜
TV 「リーガル・ハイ」(全11話)   古沢良太
■ノミネート作品と脚本家名(全7篇・五十音順・敬称略)
 映画「凶悪」 白石和彌 高橋泉
 映画「くちづけ」 宅間孝行
映画「鈴木先生」 古沢良太
映画「だいじょうぶ3組」 加藤正人
映画「舟を編む」 渡辺謙作
映画「横道世之介」 沖田修一 前田司郎
TV「ラジオ」 一色伸幸
0259名無しさん@お腹いっぱい。
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2017/04/23(日) 05:01:38.68ID:Ag8uE3Vu
ノミネート作品と脚本家名 (全8作品・五十音順・敬称略)
映画「あいときぼうのまち」 井上淳一
映画「家路」 青木研次
映画「海を感じる時」 荒井晴彦
映画「紙の月」 早船歌江子
TV「55歳からのハローライフ」 大森寿美男、川崎いづみ
映画「そこのみにて光輝く」 高田亮
映画「百円の恋」 足立紳
映画「0.5ミリ」 安藤桃子
■ ノミネート作品と脚本家名 (全7作品・五十音順・敬称略)
映画「映画 ビリギャル」橋本裕志
映画「駆込み女と駆出し男」原田眞人
映画「恋人たち」橋口亮輔
映画「この国の空」荒井晴彦
映画「さようなら」深田晃司
映画「ソロモンの偽証 前篇・事件/後篇・裁判」真辺克彦
TV「天皇の料理番」森下佳子
■ノミネート作品と脚本家名 (全7作品・五十音順・敬称略)
映画「怒り」李相日
映画「お父さんと伊藤さん」黒沢久子
映画「君の名は。」新海誠
映画「シン・ゴジラ」庵野秀明
映画「殿、利息でござる!」中村義洋 鈴木謙一
映画「日本で一番悪い奴ら」池上純哉
TV「模倣犯 前篇・後篇」森下直
0260名無しさん@お腹いっぱい。
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2017/04/24(月) 01:08:15.83ID:spqk1d+X
娘は確かにイカレてるんだが、江口の生活スタイルや心情の語り部でもあるんだよ

「あれ〜?珍しい人がいるね?」 国税査察官の多忙ぶりを説明
「今日は誰の脱税調べたの?言えないよね」 守秘義務の説明
「お母さんを殺したのはお父さんだね」 江口の心情を代弁

ベタだけどよくある手法
0261名無しさん@お腹いっぱい。
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2017/04/24(月) 04:55:21.55ID:spqk1d+X
光生「今は普通のアレです、自動販売機の設置会社とかにいて営業関係を…」
灯里「あ、じゃあ、自動販売機を開けたりする…」
光男「…人です」
灯里「なんか、広島の話で…」
光生「…終わっちゃいましたね」

こうして相手が語尾を引き取るようなやり取りは特に、山田太一を思い出させるな
0262名無しさん@お腹いっぱい。
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2017/04/24(月) 06:01:05.41ID:spqk1d+X
NHK土9の中の職業ものドラマで個人的に出来が良いと思ったのはジャッジ、外事警察、フルスイングがベスト3かな。
次点でマチベン(最初の方)、トップセールス、ハゲタカ。
その次が刑事の現場や監査法人、チェイスは個人的にここの下かな。個人的には。
ちなみに、土曜ドラマを再び始める直前のクライマーズ・ハイは新聞記者を描いて非常に秀逸だった。

職業ものドラマの脚本を書くならジャッジの中園健司くらいしっかり現場の取材、勉強をして欲しい。
正攻法の職業ものとしてはあれが一番だったと思う。西島秀俊の裁判官も実に嵌り役。
チェイスはリアリティに欠けるところが多すぎて興が削がれる。
0263名無しさん@お腹いっぱい。
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2017/04/25(火) 17:28:13.75ID:W3qCWaE6
河野:障害を扱うからには真正面からひるまずにぶつかりたかったので、この企画は色んな意味で難しいと思います。例えば、台詞ひとつとっても、普通は自分の子供に対し
「殺しておけばよかった」「普通の動物だったらこんなの死んでるだろう」とは言えない。
でも、こういう状況設定のドラマを作るのであれば、必要な部分は描かなくてはいけないし、中途半端にやりたくなかった。
かつ、単に障害を描いたドラマではなく、複合的なドラマにしたかったんです。
——NHKはそれができる場所ですか?
河野:ドラマづくりにおけるディテールへの規制が少ないことは確かです。たとえば、峯田さんが演じる主人公の一択はろくに働きもせず金がないので、
画面が割れた携帯電話で音楽を聴いていますが、それはなかなかできません。
あと、交通事故のシーンも制約が多い。これらは瑣末なことなので、制限があるなら違うやり方を考えればいいだけのことですが、やはり自由を感じました
——河野さんの作品にはもうひとつ、異形のものに出会った人間の変化という共通するテーマがあります。本作における異形のものとは?
河野:海ちゃんです。言い方は悪いですけど、この世界は僕ら健常者の視点ですべてが決まっている。でも、海ちゃん側にしてみたら、彼女の視点が世界のすべて。多数決で世界は成り立っているので、
少数派の海ちゃんが異形のものです。そして、彼女に出会ったダメ男の一択が変化していく姿を描きます。
河野:取材をして思うのは、障害のある子どもも、その親も、24時間、嘆き悲しんで過ごしているわけじゃない。当たり前のように、笑ったり、怒ったりしている。そこを描きたい。そして、一択は世間の基準ではダメ男ですけど、
海ちゃんを素直に受け入れて、世間からの「可哀想」という上から目線や、無理解と戦っていく、そこが超カッコいい
0264名無しさん@お腹いっぱい。
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2017/04/26(水) 00:10:31.44ID:M5MRpcTz
ギャラクシー賞
推薦者が多かったのは、娯楽性と芸術性が見事に融合された異色の時代劇「ちかえもん」(NHK)と、東京と地方、若年の貧困など社会的なテーマを盛り込みつつもリアリティのある
恋愛ドラマに仕上がった「いつかこの恋を思い出してきっと泣いてしまう」(フジテレビ)の2本で両作とも月間賞に輝いた。
高視聴率を稼いで終了した連続テレビ小説「あさが来た」(NHK)も評価が高かったが、残念ながら一歩及ばず。
0265名無しさん@お腹いっぱい。
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2017/04/26(水) 00:17:05.71ID:M5MRpcTz
今期最後の月評会。鋭い時代感覚を持った感度の良い番組が話題の中心だった。
日本テレビ「ゆとりですがなにか」は宮藤官九郎・脚本、水田伸生・演出。小ネタに頼らず堂々と今の若者やアラサー世代を描き、クドカンドラマ最高との声も上がった。特に最終回は不寛容な
現代社会をテーマにした感度が素晴らしいと絶賛の声。NHK「トットてれび」は黒柳徹子という異色タレントの個人史がそのままテレビ史になった傑作。
主演の満島ひかりは時に狂気も漂う芝居を見せ、他の俳優陣も好演。テレビ草創期を彩った坂本九、森繁久彌、向田邦子らを蘇らせた。死者と生者が入り交じって躍った井上剛の演出。
今は失われたテレビの祝祭感がまるでフェリーニの映画との評も。NHK・BSプレミアム「奇跡の人」は岡田惠和の脚本に酔った。三重苦の少女役の住田萌乃と母親役の麻生久美子に加え、
ダメ男役の峯田和伸が良かったと票を集めた。NHK「コントレール〜罪と恋〜」は狂おしい大人の恋が描かれたと評価の声が相次ぎ、
TBSテレビ「重版出来!」もコミック出版の裏側がリアルかつコミカルに描かれて大注目だったが、終盤に向かって失速した感があって賞には届かず。
 放送ではないが、ネットフリックスが配信した又吉直樹原作の「火花」は泣い笑って叫んでの青春ドラマ。60、70年代に一世を風靡したATG映画のようだと推す声があった
0266名無しさん@お腹いっぱい。
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2017/04/26(水) 00:24:47.41ID:M5MRpcTz
ギャラクシー賞月間賞:
 誰もが生きていくうえでぶつかるであろう、自立と依存をめぐる問題。それを一人の女性の姿を通して描いたのがこの「徒歩7分」というドラマだ。
お買い物」(NHK)の名コンビ前田司郎脚本と中島由貴演出は、そんな不安を抱えながらも淡々と過ぎていく日常のリアルな空気感を繊細に掬い取る。
夢だった漫画家になる一歩を踏み出す。
 ただしこのドラマは、自立をただ賛美してはいない。依存することも時には必要と語りかけているようだ。最終回、依子から田中圭扮する田中への
“逆プロポーズ”の場面などは象徴的だ。
漫画家で成功するまで養ってくれとはいかにも甘えに聞こえるが、それもまた彼女なりの自立と依存のバランスのとり方なのだ。
0267名無しさん@お腹いっぱい。
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2017/04/26(水) 00:50:12.29ID:M5MRpcTz
「何度も指摘していますが『いつ恋』が若い視聴者から見放されたのは、現代の若者像を描けていなかったからにほかなりません。登場人物がSNSを一切使わないという脚本は完全にアウト。
留守電にメッセージを延々吹きこんだり、電話に出ない相手の家に押しかけるなど、ここで描かれているのはすべて20世紀の光景なんです。
そんなドラマを良質と感じる審査員は、少しは若者の習俗を勉強すべきでしょう」
0268井沢満
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2017/04/26(水) 03:17:41.88ID:M5MRpcTz
最初から決まっている場合にはいわゆる「あて書き」でその俳優さんに
あてて書くのですが、これを心得て出来るようになるためには
多少の経験値が必要です。その俳優さんのセリフのくせ、それから生理など
掴んでそれを生かしつつ、それプラス少しでもその俳優さんが今まで
見せたことのない要素を心がけます。
コツはセリフを書きながら、その俳優さんの声を聴いていることです
0269淀川長治
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2017/04/27(木) 15:37:08.69ID:qhV0K19Y
クロスワード・パズルみたいな映画。原作の小説(丸谷才一)は、思うに、楽しみ遊び苦しみ調子に乗ってベストセラー型を押したのであろうが、これが目で見る映画となると、小説の活字が人間となって動く怖さとおかしさを感じさす。
しかし、映画は大林宣彦監督カムバックの意気あふれ、多少疲れもしたが楽しんで見てしまった。
監督はリアリズムを画面の中で生かそうとするが、小説の面白さと人間の生きた面白さが食い違う。
それでこの映画、裏からのぞかせる俳優のショーにした。それもうすムラサキにかすむ乙女姿の吉永小百合をローランサンの絵からつかみ降ろした。この映画の印象は小百合がメシを口にかきこむこと、かきこむこと、口にメシをほおばって、
口の中にメシを押しつぶしているところの吉永小百合。それと頭はいいが文体がまずい、同じく記者の三國連太郎の目の下の深いシワ。
大林監督はここに、映画で遊ぶ映画を狙う。これまでの少女趣味、これまでの童話趣味を吹き飛ばして、映画遊びをしてみせた。大林監督カムバックと拍手。
そうしようとするのだが、この小説の小説文中の会話を、俳優が、生きた人間が、ペラペラしゃべり出すとグロテスクにさえなって、キャメラがまた容赦なく近写(セミ・クローズアップ)を続けるため、これがまたリアリズムをオーヴァーアクトにすり替えて見づらくする。
小百合は娘(藤谷美紀)あり愛人(津川雅彦)ありでまさに女ざかりなるも、人間的な女らしいずるさが不足。一方、三國連太郎はこれまた論説委員のエリートが皆目。
しかし、この映画はこのようにみる映画でない。水の江瀧子、月丘夢路、松坂慶子、山崎努、中村玉緒、次々と仮装舞踏会そのままの登場のこの顔触れ二十数名を楽しめばよく、小百合と三國のラヴ・シーンに
ガスの切れた広告風船が海に浮かぶ、そのシーンで、風船の黄色い色で“映画”ですよと自分自身を安心させているようだ。
とにかく日本映画久しぶりのこのエネルギーは嬉しいのだが。
0270名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2017/04/27(木) 20:09:08.70ID:qhV0K19Y
かつて単発1時間のころの日曜劇場はHBC(北海道放送)をはじめとするCBC(中部日本)MBS(大阪毎日)RKB(福岡)各局で
年間5作作って数々の名作が生まれた。連ドラに移行して今のTBS(東京放送)一局集中になった
0271山田太一
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2017/04/28(金) 04:09:22.76ID:1RD8i/x7
奥田 大山さんが「テーマを描くな、ディテールを描け」ということを実践したのが山田さんだと言ってらしたんですが、実際そのようなことは意識してらしたんですか。
山田 とても言葉通りにはいきませんが、筋立てやテーマを前面に押し出して物を書こうとすると、はみ出すものがどうしても減ってしまうでしょう。
さっき挙げたリング・ラードナーは短編の名手なんですが、物語の書き出しはテーマを離れて
頭に浮かんだ会話から始めろ、と言うんです。「筋ともテーマとも関係のない、始末に負えない会話が最初にあることで、全体が深まり、ふくらむ」という話が興味深くて、今も実践に応用しています。
奥田 会話ですか。なるほど。山田さんのドラマの要素の中で、会話が、殊に本筋と離れているものが僕は何より好きなんです。例えば思い出すのが『真夜中の匂い』
(フジ 金曜劇場/八四年)で、娘三人がいる居酒屋に林隆三さんがやってきて、居合わせた老人に席を一つ隣に移ってくれと頼むと、老人は「何言ってんだい。
これから引っかけようとしてる男に何で協力なんかできるんだ」ってかんしゃく起こす。山田さんのドラマの特徴ですが、よく第三者の大人が出てきて若者に冷水を浴びせる。
山田 それ、ありますね(笑)
奥田 『ふぞろいの林檎たちU』(八五年)だったら、室田日出男さんの「水商売をなめるんじゃねえ」って台詞とか。
0272名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2017/04/28(金) 04:23:36.55ID:1RD8i/x7
 アフォリズムは難しいですね。ニーチェみたいに、全体としては共感できないものもあるけど魅力があるのね。
矛盾もあって、筋が通ってるわけではないけど、言いたいことを言っちゃう。そういうの好きだな。ニーチェ自身は矛盾してないって言うかもしれないけど(笑)。
ヨーロッパは、そういう教養がある時期からあったんでしょうね。モンテーニュも普遍性がある。最初にいいと思ったのはロシュフコー。岩波文庫から、ずっと昔から出てる。
気の利いたことを言ってると、若いときは口まねしたくなる。でも台詞の中に入れるのは要注意。あれはモンテーニュだろとか言われちゃって(笑)。『想い出づくり。』でも(キルケゴールの引用は)変なやつの台詞で、真顔で言ってることとしては使ってない。
ほんとにまいったなって台詞は、ヨーロッパの教養の中にありますね。品のいいのじゃないのもあるし、この人だから言えてるというのもあるけど。そんなことを言えれば簡単だよってこともありますね。いい気なもんだって、
どんな台詞だってそう取られる危険性はあるけど。アフォリズムって、きちんと意味があって見解を述べるってものだけではなくて、何てことないけど人の真実を衝いてるってものも。
人生について何か言ったりするとき、ありきたりだったらとても恥ずかしいよね。有名なものなのに、自分だけびっくりしたみたいに書いたら、とても恥ずかしい。難しいですよね。
『早春スケッチブック』(1983)も山崎努だから言えたようなもので、ほんとに助けを借りてるんだな、俳優さんに。
0273山田太一
垢版 |
2017/04/28(金) 04:47:54.02ID:1RD8i/x7
森卓也によれば、山田太一が地人会に提供した『ラブ』(1983)は「和製アンドレ・ルッサンの趣」のあるブールバール劇(フランス製三角関係娯楽劇)、
『夜中に起きているのは』(1995)は
「往年のエルンスト・ルビッチやビリー・ワイルダーを連想させるセンスだが、当然ながら翻訳調の不自然さはここにはない」、
『私の中の見えない炎』(2000)は、西欧のコメディーの最高水準級で「間違っても日本伝統の“寅さん”や松竹新喜劇の“笑いと涙”にまとめられないのがすばらしい」
想い出づくり』の最終回に怒った人が多かった、という話題を取り上げ、作者がしかけた巧妙な皮肉を理解できんとは情けない、と解説しつつ、
山田太一もこうしたホモ・ルーデンス劇よりも「タクシー・サンバ」「男たちの旅路」といった芸術祭参加型マジメデンスのほうが評価が高いようだ。チト素直すぎますな。

 『森卓也のコラム・クロニクル 1979-2009』だが、劇団☆新感線の舞台や三谷幸喜のドラマは取り上げるのに、松尾スズキや宮藤官九郎にいっさい触れていないのは、
彼らの狂躁的かつ露悪的な笑いが、時として人を傷つける側に回りがちなのを見過ごせないからかもしれない
0274名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2017/05/03(水) 22:47:08.40ID:1aT+XLA0
0155名無しさん@お腹いっぱい。2017/05/03(水) 22:19:38.02 ID:1aT+XLA0

坂元裕二さんが向田邦子賞を受賞されたのが一昨年の『わたしたちの教科書』でした。確かに作り手によるグイグイとした意気込みは伝わってくるものの、強引に力技でときふせるように物語を紡いでいて、私にはお世辞にも誉められた出来栄えではなかったように映りました。
また受賞後に発表された昨年の『日曜劇場/猟奇的な彼女』に至っては作り手の意気込みも感じられない、明らかに空回りした展開に終始してしいました。これらの作品に共通したのは、
作り手がまるで何かに追われているかのような、落ち着きのない拙速な物語展開で、まだまだ自己の世界観が構築されていない未成熟さを感じさせられたのです。
 このように昨年までは、まだまだ「自己の作品世界の構築」に時間がかかると思われていた坂元裕二さんだったわけです。ところが、この4月に放送された『土曜ドラマ/チェイス』は見違えるほどの面白さでありました
0275名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2017/05/03(水) 22:47:46.80ID:1aT+XLA0
向田邦子賞受賞作の『わたしたちの教科書』というのが賛否両論の出来でありました。ドラマ全体の構造をどうまとめていくか、そのあたりを意図的にキッチリ吟味しないまま、書き進んだかのような作りで、
いろいろ用意されていった伏線も途中で消えていったり、ほとんど見た目、
行き当たりばったりのような展開で途中でお話も破綻気味になりながらギリギリのところで最後まで行き着いた、そういう作品だったのです。ただ、とはいえ、ある種の圧倒的な疾走感のようなものがあって、
何が何でも最後まで描ききってやる、という、ある種、書き手の憑かれたような筆力を感じる部分も確かにあったわけです。そのため、向田邦子賞受賞について異論を唱える声も少なくなかったのです。実際、
私もちょっと受賞には無理があるのでは、と思った一人でした
0276名無しさん@お腹いっぱい。
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2017/05/03(水) 22:48:36.29ID:1aT+XLA0
残念ながら今回の『チェイス』でもまだやや練り込み不足ゆえの不備が気にならないわけではありません。例えば、木村多江分する母親が死んだことで
娘が父親・江口洋介に辛く当たる展開がやや唐突感があります。母親が生きている描写の部分にもう少しそのあたりの伏線的なものを盛り込んでおくべきだったでしょう。
 あるいは前述した、追う側と追われる側とが間接的に相手の顔を知らないまま戦う設定が知的で面白かったのに、途中で急にお互いが直接に接触してしまう展開になってしまった点についても周到な計算による展開なのか、謎でありますが、ひょっとすると単に書き手が
「間接的な対立という描写を延々と続けて盛り上げていく高度な展開」を維持することに耐えきれず、一気に楽になってしまおうと放逐してしまった。そういう可能性もないとは言えないように思えるのです。
 というのもあの『わたしたちの教科書』でも志田未来さんがクラスのメンバーからいじめられていた可能性をほのめかしつつ、ドラマはなかなかそこの真相が分からぬまま進んで行き、
そこにドラマ的な盛り上がりが生まれたのですが、終盤、唐突にその回の冒頭部でドラマの視点が生徒側に急に転じたと思うと、
すぐ、あっさり生徒たちが志田をいじめていたことを語り合っている描写が挿入されてしまったのです。それまでせっかくじっくり盛り上げてきた秘密をいともあっさり放逐してしまったわけです。あれを思わず思い起こしてしまう面があるのです。
 というわけで、もう少し全体の構造をしっかり練り込んでから書き始めるべきではなかろうかと余計なことを考えてしまいます(笑)

 といったようにちょっと辛口に書いたかも知れませんが、率直にいえば、そこそこ面白いドラマになったのです。娯楽としての面白さがあります。またARATAさんの冷酷な中に漂う絶望感のようなところがうまく描きだされました。よく健闘された出来だったと思います。
 本作を観るにつけ、坂元裕二さんに独特の書き味のようなものを感じさせてくれる書き手に成長されたことを感じました
0277名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2017/05/03(水) 22:49:44.77ID:1aT+XLA0
9位 チェイス〜国税査察官〜(NHK)
 最初、第1回目を見たとき、「おおっ!これはなかなか面白いな」と感じました。いったい誰が脚本を書いているのだろう?なかなか面白いじゃん。そう感じたのです。で、ラストに流れたスタッフのクレジットを見て、
脚本が坂元裕二さんと知り愕然としました。明らかに作風がちょっと変わった、そういう印象を受けました。「租税回避行為」とそれを追う国税査察官、
という作品のテーマ自体、一般の視聴者にとってはあまりなじみがないわけで、それをある程度、分かりやすく明示し、「租税回避」という「無味乾燥の事象」をここまで巧みに
一対一の人間ドラマ的要素を盛り込んで、最後まで見せていくところに持っていった、その「筆力」には感心させられるのです。拍手を贈りたいほど。
 ただその後、2回目以降の展開にはちょっと残念なところもありました。ARATA演じる脱税行為のアドバイザーが、
江口洋介扮する査察官に積極的に接近し、相手を知らないまま対立的な存在にあった二者に、直接的な人間関係を生じさせてしまいました。これはどんなものなのか。
お互い追っている相手を知らないまま間接的にドラマを進行させていけば、もっとスゴイドラマになったような気がするのです。
実際、第1回から第2回ぐらいまでを見た段階ではまだ「追う相手」「追われる相手」の顔を直接は知らないまま追跡劇(チェイス)が展開していており、
それがなかなかうまくスリリングな関係が成立していた。これはひょっとするとなかなか面白い作品になるのでは、と期待を高めようとした矢先、前述のように敵同士が接触してしまうのです。これはちょっと肩すかしの面がありました
0279名無しさん@お腹いっぱい。
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2017/05/03(水) 22:55:05.36ID:1aT+XLA0
ここ数年のテレビドラマを見ていると、以前のドラマに比べ、視聴者を飽きさせないような手法が徹底していることに気づかされます。
視聴者の興味が反れないよう、いつもいつも何がしかの事象が劇中で絶え間なくおきるのです。そのように「設計」されているように感じます。
それはつまり、「視聴者の興味を持続させるためのテクニック」が鍛錬されてきたということなのかも知れません。視聴者にチャンネルを替えられないにはどうすればいいのか、
というノウハウが極限まで画面に「ほとばしっている」ように映ります。最近のバラエティー番組がCMに入る直前で何か気になる予告を入れることで
チャンネルを替えさせないようにしているのと同じ発想の「テクニック」がドラマでも(バラエティーほどあからさまではないにせよ)蔓延しているということなのかも知れません。
それは視聴者本位のドラマ作りとしては必要な面かも知れません。ひとりよがりの悪しき作家主義のようなものに陥らない部分として大切なのかも知れないのです。
 おそろしいことに、そういう目になれてしまうと、昔のドラマを見返すと、驚くほど「ゆったり」とした時間経過であることに気づかされたりします。
「辛気臭い」ぐらいの展開に映ることもあるほどです。過去のドラマを今の「テクニック」でみるといかにも稚拙なものに映ってしまうことも、時にあります。
ですがこうした点は、残念ながら弊害も生まれています。
 今のドラマの多くは、先に述べたように興味はつきないよう巧みな配慮がなされているのですが、その反面、どうも何かいつも
「あくせく」しているようにみえてしまう。次から次へと飽きさせないよう「あの手この手」で劇中に刺激的な事件が起きたり、意外な方向に話が進む。
0280名無しさん@お腹いっぱい。
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2017/05/03(水) 22:57:19.48ID:1aT+XLA0
物語というのは緩急の「呼吸」が大切。物語が急に進めばその先はちょっと緩慢な展開、といったような展開のメリハリが必要です。暗い展開の次には陽の展開が求められます。
 ところが、そういう、ドラマの「呼吸」が今のドラマには欠けている面がある。いや、欠けているのではなく、もしかするとそういう呼吸が許されないような雰囲気が醸成されてしまっているのではないか。
 何事もグイグイ視聴者をひきつける場面ばかり優先され、フッと息を抜くような場面を挿入させることが、どうもプロデューサーサイドからは歓迎されない面があるように映るのです。
 先にあげた「バラエティー番組における細工」と似たように、視聴者を逃がさないための細工が過度に蔓延していて、脚本家が容易にそういう「抜いた場面」を書けない状況になっているのかも知れません。
いささか乱暴な結論かも知れませんが、その結果として、緩急の「緩」の部分、すなわち、何も事件が起きない、何もない、ゆったりとした時間の経過、
そういう部分がドラマの中で、かなり減ってきてしまっていることにつながっているのではないか、そう思えてしまうのです。
 最近のドラマで失われているのは、ドラマの表面で展開する「物語」、その向こう側になければならないはずの作り手の確固たる
「思い」「思考」なのかも知れません。それは恐らくゆったりとした展開があるからこそ生まれる、
作品の「息づかい」のようなものといっていいかも知れません。作品の向こう側で登場人物たちが、まさに生きている、その呼吸が伝わってくるような感覚。向こう側のドラマの中で、
私たちと同じように登場人物たちが生きているという空気、時間の経過の中で伝わってくる生活の息吹といったもの、そういったものがどうも犠牲になってしまっている面があるのかも知れません。
そして、そういう最近の多くのドラマが失いつつあるものが、『Mother』には残っている。そう映りました。
 冒頭の数回でそれが分かりました。ああ、このドラマはそういう物語の呼吸をキチンと織り込んでくれているなぁ。
そう感じさせられました。広い北海道の海をゆったり、じっくり、長めに描く。そこには時間の余裕が漂っていました
0281名無しさん@お腹いっぱい。
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2017/05/04(木) 01:53:21.72ID:aSdKmI/u
東京の下町。2年ぶりに実家に帰った50代の息子は、70歳を過ぎた母の変化に驚かされることになる。母は、ボランティアに精を出し、恋もしていた。一方、息子はリストラの危機と家庭崩壊の危機を抱えていた。
互いに歳を重ねてあらためて一緒に暮らすことで垣間見えるそれぞれの世代の本音がそこにはある。そして、母と息子、母の恋人との奇妙な共同生活が始まった。
身近なはずの人ほど、意外にもその素顔に気付かず過ごしていることがある。現代人の風景を巧みに切り取り、軽妙なセリフに市井の人々の中に潜む悪意や善意、弱さや勇気、人の心の機微を浮かび上がらせる

永井愛の本を読みまくりましたが やっぱり「こんにちは、母さん」が一番面白かったです。
息子が ある女性に「何かやってらっしゃるとか?」というふうに仕事のことを質問して、この女性が同じ質問を返すと この息子が
ちょっと腹をたててしまう場面が印象的でした。無意識のうちに女性の仕事を軽視した質問をしてしまい、同じ質問をそのまま返され
てみてはじめて気付くわけです。コミカルな戯曲にさらりとこういう場面をいれているあたり、本当にうまいなーと思いました。
息子が母親の恋人を快く思っていないのも、「こういうときは息子は反対するものだ」と思っているから反対するだけだ、という場面も
面白い。利害が関係するから怒るだけ、本当の気持ちはどうなのか?と考えてみるのは悪くないなと思いました。
0282名無しさん@お腹いっぱい。
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2017/05/04(木) 14:00:29.60ID:aSdKmI/u
趣向の勝利   井上ひさし
 劇作家が第一に心がけなければならぬのは、この、人間最古の表現形式である演劇に対して、愛と志があるかどうかを自問すること、そして同時に何か飛び切りの趣向を発明することである……と、評者は堅く信じている。
愛と志は、作家それぞれに固有のものだから、ここでは問わないし、また問うこともできない。けれども趣向は別だ。趣向という言葉はいかにも軽そうに見える。
評者にしても、かつて「芝居は趣向」と発言したために、ずいぶん損をした。そんな軽いことを口にする作家の作物など陸でもない、つまらないものにちがいないと、
極めつけてくる人がまだまだ多いからだ。そこで、趣向をきちんと説明しながら、今回の受賞作二編をうんと誉めることにしよう。
 趣向とは意匠のことだ。俳諧でいえば句の構想、歌舞伎でいえば構想上の工夫、そして現在のわたしたちが心血を注いでいる戯曲でいえば、〈主題と渾然一体となって全編にみなぎり渡る舞台の上の知恵ある仕掛け。
愛の渦』(三浦大輔)についていえば、二十世紀世界演劇の一方の主流をなしていた極端なリアリズム(ふつう、くそリアリズムと呼ばれる)で最先端の性風俗を活写したらどうなるかというのが、その趣向である。
およそ小説や戯曲の値打ちは、自分と他人の関係をどれだけ深い機知をもって描けたかで決まるが、この作品はその「人間にとっての人間関係」をくそリアリズムに徹して精緻に描き切った。徹底したことによって、
そのくそリアリズムを乗り越えて―通俗的なストーリーをもっと盛り込んでもらいたかったという微かな不満はあるけれども―とにかく現代人のいじらしいまでに矮小な自我を、人間に対する普遍的な愛にまで高めた。これまたすばらしい力業である
そのことによって観客に新しい体験をさせる手〉ということになる。それを欠くものは、もはや戯曲ではない。
0283名無しさん@お腹いっぱい。
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2017/05/05(金) 16:34:18.87ID:kOhXtfZO
「車輪の一歩」の山田太一も、

「ただ身障者の問題を描いたつもりはなくて、若い世代の中に、人に干渉
しない代わりに自分にも干渉してもらいたくない、っていう気分があって、
それがかえって自分たちを傷つけたり、事態を改善できなくしている原因に
なっていたりする事が多いように思えていた。
相手を傷つけ、自分も傷つくけれどそれでもやっぱり関わりを持っていた方が
いい事があるんじゃないか、そんなテーマも含んだつもりです」
0284名無しさん@お腹いっぱい。
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2017/05/05(金) 16:39:08.43ID:kOhXtfZO
今いじめ抜いてその後理解し合うのが見え見えなので、朝から欝にさせるというには
予定調和的でありきたりな展開。
ごちそうさんはとことん意外性なしの展開の中に、視聴者が「食いつく」ような面白さがある?
ちりとては展開が初見ではまったく読めないスリルと泣き笑いの絶妙なバランスに
魅力があることには同意
0285名無しさん@お腹いっぱい。
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2017/05/08(月) 15:01:11.16ID:xTEk915r
伏線」礼賛な昨今の傾向、正直なんだかなー、て感じ。
そもそも「伏線()」じゃなくて、「布石」だったり「後付け」だったりすることあるし
0286名無しさん@お腹いっぱい。
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2017/05/08(月) 21:57:58.19ID:xTEk915r
伊藤熹朔が逝ってから47年である。その職業名は、(1)舞台装置家(2)セットデザイナー(3)ステージデザイナー(4)舞台美術家というのだが、今では(5)セノグラファーと呼称するそうだ。
どうあれ日本の舞台美術理論を確立したのは伊藤であることは間違いない。一方で俳優座劇場の創設に尽力、初代社長も務めた。
 伊藤が舞台美術家として書いていた稿や他者の伊藤評などを本書はまとめたのだが、とくに1938年から41年ごろにかけての評論が多い。精力的に活動していたころの舞台美術論が力強く、かつ説得力をもっている。
 たとえば「舞台装置」という一語で語られる大道具、舞台照明、そして小道具などを丁寧に定義したうえで、舞台装置とはどのような概念をもつのか、を10項目あげて論じつくす。その第1項は「舞台装置は演劇の一部分である」とし、舞台装置そのものの神髄を理解するには、
「演劇全般の知識が必要であり、又(また)それが全体の一部であることを認識する事が必要」と訴えている。
 第6項「舞台装置は俳優の心理的場所である」では、舞台装置は「登場人物に『たましい』を入れる手助けをしなければいけない」と書く。舞台美術を単に職人芸に終わらせてはいけない、全人格を投入しての表現者たれと説いているかのようだ。
こういう論を41年に発表しているのだが、確かに舞台美術の先達として、映画界にも関わった識見が随所にあらわれている。
 伊藤は兄弟9人(千田是也〈せんだこれや〉は実弟)、姉妹3人の五男だが、兄弟姉妹はそれぞれの分野で一家を成した珍しい一族である。築地小劇場時代から土方与志(ひじかたよし)を始め作家、画家などと交わり、
その人間的ふくらみが伊藤理論の根底にあることがわかる。本書には伊藤の舞台装置図が約300枚掲載されているが、トルストイの「復活」第2場などの重厚さに驚かされる。
0287名無しさん@お腹いっぱい。
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2017/05/09(火) 00:24:05.43ID:nQCK+MxE
山田太一ドラマ:
人が抑圧している本音を発散させてストレスを解消させる→
自由に生きていいんだよ。
藤本有紀ドラマ:
人が隠している弱さを開放して気持ちを楽にさせる→
無理に頑張らなくていい。たいていのことは時間が解決する

ちりとてちん
いい意味で 松竹新喜劇を現代風に染め直したような脚本だったと思う。
しかも「笑わせて最後泣かせる」のではなく
「笑いと同時に涙がでてくる」という最も難しいことを
いともたやすくやってのけた脚本家には敬服する。
0288名無しさん@お腹いっぱい。
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2017/05/09(火) 14:06:59.46ID:nQCK+MxE
>先日同世代の集りがあってね、今のNHK朝ドラ「ちりとてちん」が話題になった。みんな「見てる、見てる」って。この世代みんながいつもNHKの朝のドラマみてる訳じゃなくてね、前の「どんど晴れ」だっけ、あれは誰も見てなかった。

他にも、「自分以上に亭主がはまったので録画している」といった書き込みをここでもブログ検索でも見かけるし、
ここの番組クサし御用達板である、(まあニートオタみたいな奴も多いだろうとはいえw)男がほとんどだろう実況でも極めて好評。

たぶんこの脚本が、笑いも多いし、デジタルにパッパッと話が動くノリがあるし、
伏線の山だし(悪く言えば作為性が高い、ということにもなる。「どこか作ったような話」。勿論どんなドラマもみな虚構なんだが)、
ナレーションを含め客体的で俯瞰的なトーンも強いし、
男が好みそうな、男脳に響きそうな点が多い。脚本家も知能程度自体高いうえ、実際半分男脳っぽいんだろう。
(一方で(女性的というのか)世態人情も細かく描写していて、そういう面である意味完璧っぽいわけだが。)

というので、逆に言えば、純女脳ドラマ、主人公中心視点で、少人数の内々の人間の細々した喜怒哀楽(嫉妬憎悪紛争和解)をベタベターッと描くようなもの、
そういうのが好き、そういうのがあたくしどもが朝ドラに期待するものなんざます、みたいなタイプにとっては面白さがほとんどわかりにくいんだろうな。
そういう面でも何%か逃げてしまっているということなんだろう
0289名無しさん@お腹いっぱい。
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2017/05/09(火) 17:28:24.55ID:nQCK+MxE
ライバルを嫌な女に描くとこういうドラマはすっきりするけどそうしない。
そこが逆に上手いところだと思うな。
女流脚本家が書くと主人公=自分は正しくて、自分をじゃまする恋敵や嫌な奴みたいな描き方になりすぎる。
朝ドラでいうと「オードリー」とかね。
ライバルは典型的な嫌な女だった。
「ちりとてちん」の場合A子は性格も素直な良い子だから主人公からみても自分が悪いに決まってるから自己嫌悪させられる。
普段アホみたいな喜代美だからああいうマイナスな部分も出さないと薄っぺらなキャラになってしまうわな。
0290名無しさん@お腹いっぱい。
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2017/05/10(水) 16:28:52.05ID:SwY4njzK
誰かの説教くせぇ説明台詞で一から十まで諭されないと まるで気付かない。
自分で考え自分で気付くということがまるでないのが
大の大人のクセにこいつらどこまで脳みそ固まってんだと思ってしまう。
いいたいことがすべて登場人物の説明台詞によってでしか伝えられない 製作者の力量不足の弊害だな。

心を描いているフリはしてるけど、後半になるほど不自然、無理矢理、
唐突なシチュエーションばかり積み重なってる。
まずは設定と構成ありきで、理屈でキャラを動かしてる感じ。これとこれは
対比して、重ねて、最後に反転、とかね。キメ台詞をこことここで入れて、とか。
後半になるほどクドイのは、そういう理屈が勝ってて、キャラが自然に動き出す
生きたストーリーじゃないからなんだろうな。
0291名無しさん@お腹いっぱい。
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2017/05/10(水) 17:53:57.42ID:SwY4njzK
1:スタンダード回想
昔のことを思い出すあれです。 何より多いのが「昔虐待されてました映像」。
またか、って思います。
2:謎解き回想
事件を解決するのに当然謎解き回想があるのですが、ただの説明になってしまい、
さらに後半が説明で埋まってしまうという罠に陥る。相棒もこのパターンで眠くなります。
3:フラッシュバック回想
瞬間的に映像がポンと入るようなの。 新人作家なら小道具を使うとかして工夫したいところ。
ていうか小道具で見せられたら即・受賞だよ。
4:回想の中の回想
時間軸が歪みまくるやつ。 時間旅行か?オンエアでもやってるのをよく見ますが、
説明のための説明って、どんだけ頭使わせるんだって思う。
もっとシンプルにわかりやすく表現できるんじゃないかと思います。
5:サンドイッチ回想
最初と最後が「今」で、真ん中が「過去」。
つまり今いる人が過去を振り返るその過去がドラマになっているやつ。
でもたいてい「今」に戻っても、アッと驚くような仕掛けができていることが少ない
6:いったりきたり回想
(扇情回想とシナセンでは習いましたが、
現場でその言葉を知ってる人に出会ったことはない)
「今」と「過去」を行ったり来たりするやつ。コンクールの60枚尺でこれをやっても、
感情移入がいちいちリセットされるだけなので、やめたほうがいい。
7:夢オチ
ラストでこれが出てくると「はあ?」って思う。
賛否が分かれるので避けるべきです。 賛ならOKだけど、 否だと全否定されるので一次も通らないです
0292名無しさん@お腹いっぱい。
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2017/05/10(水) 18:04:25.68ID:SwY4njzK
主人公は、小学校のころ、いじめられていたんです。
○ノブオの回想・小学校・教室
   授業風景。
教師「では国語の教科書24ページ〜」
   ノブオ、席に座って教科書を広げる。
   と、教科書は真っ黒である。
ノブオ「!」
教師「じゃあノブオ、読んで」
   ノブオ、どうしていいかわからず、
   座ったまま動けない。
教師「どうした?ノブオ?」
   教室内の生徒らがヒソヒソ、クスクス、
   ノブオを見ている。
ノブオ「………」
こんなの。まず、見たくないです。いじめシーンの回想なんて、
コンクール作品の半分くらいに出て来るんじゃないか?というほど、多いです。それだけでもうアウトです。
もっと考えろよ、と、 審査員なら思っているはず。 絶対にやってはいけない。
ちなみに、womanで坂元裕司は、こんなシーンを描いていました。
○ファーストフード店
    栞、会計をしている。
    後ろから声をかけられる。
綾香の声「あ?植杉さんじゃない?」
    栞、苦笑いしながら逃げるように席に行く。
    綾香、追いかける。
綾香「植杉さんだよね?」
    栞、嫌そうに「はあ」とうなづく。
綾香「私、3組の綾香。わかる?」
栞「ええ……はい……」
綾香「植杉さん、美大落ちて今何してるの?」
栞「……」
綾香「私は青学行ってるの。超楽しいよ」
栞「………」
綾香「植杉さんてさ、相変わらずキモいね」
栞「……」
綾香「じゃあね〜」
   綾香、笑いながら立ち去る。
栞「……」
0293名無しさん@お腹いっぱい。
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2017/05/10(水) 18:06:31.63ID:SwY4njzK
ノブオとハルコは、 付き合っていました。
○喫茶店
   ノブオが座っている席に、
   ハルコが座る。
ノブオ「!」
ハルコ「ノブオ、元気?」
ノブオ「ハルコ……」
○ノブオの回想・映画館
   ノブオとハルコ、隣り合って座っている。
   映画を見ていない。
   腕をからめ、互いの顔を見て笑いあっている。
○ノブオの回想・水族館
   マグロの魚影を背景に、
   激しく抱き合いキスしているノブオとハルコ。
○ノブオの回想・公園
   手をつなぎ歩いているノブオとハルコ。
   夕日がまぶしい。
○元の喫茶店
   ノブオとハルコ、向かい合って座っている。アウト!!!
「つきあってた」なんてのは、それこそ一言で片づけられる説明です。それより登場人物の感情を動かして、 次の展開にどんどん進むべきです。
○喫茶店
   ノブオが座っている席に、
   ハルコが座る。
ノブオ「!」
ハルコ「ノブオ、元気?」
ノブオ「ハルコ……」
   ハルコ、ノブオの飲みかけのコーヒーを一口飲む。
ハルコ「何これ?ミルク入れてるの?いつから?」
ノブオ「……相変わらず唐突だな」
   ハルコ、たばこを出す。
ノブオ「ここ、禁煙席」
ハルコ「へえ。いつから禁煙してんの?」
   ハルコ、かまわずたばこに火をつける。
ハルコ「健康とか気にする年になった、ってこと?アホらしい」
   ノブオ、ムっとして
ノブオ「ていうか用件、何?」
   ハルコ、煙を細くはきだして、
ハルコ「セックスした後、必ず一服してたのにね」
ノブオ「………」
0294名無しさん@お腹いっぱい。
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2017/05/11(木) 01:32:01.56ID:wERrh60D
木下恵介 「三島さんのような頭のいい人が、もっと国の政治に対して発言してくれたらいいと思うんだけど。
どうして我関せずみたいな顔をして一言も発言しないんですか。小説家だって日本の運命の中で生きてるんでしょう。
だったら、こうなって欲しいという願いはあるはずじゃあないですか?」

三島由紀夫 「小説家ってね、そんなことはどうでもいいんだ。日本の国がどうなろうと、小説家が書くこととは別のことだからね、僕が書きたいことはさ」

木下恵介は、『戦場の固き約束』と言うシナリオ集の中で、1951年にパリで出会った三島由紀夫が語った、『小説家は日本の国がどうなろうとどうでも良いんだ』と言う言葉を回想して、自分自身の映画作りは、
「日本の社会の、その中に生きる人々の日常生活を描く映画監督としては、自分も一緒に悩み、一緒に幸せになりたいのである」「私は、やむにやまれぬ気持ちで、『戦場の固き約束』を書き、『女たちの戦場』を書いてしまう」と語っています
0296名無しさん@お腹いっぱい。
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2017/05/11(木) 13:19:33.91ID:wERrh60D
ドラマとは、登場人物に感情移入して、その作品の中の時間の流れに沿って、
登場人物が泣いたり笑ったり、 苦労したり傷ついたり、そういうことを繰り返していて、
その「リアルタイム」の中で、 観客は登場人物に感情移入して、 同じ時間の中で様々なことを経験するのが
面白いわけであり、そこに「実はこんなことが過去にあってね」という回想シーンは、
たいていの場合「そうだったんだ〜」という、感情移入とは違う、「与えられた情報の感想」でしかないわけですよ。
回想シーンが良くない、というのはそういうことです。
まして、私たちのような素人が回想シーンを描くと、たいていは「そうだったんだ〜」という情報のみで、
その中に「同時に感情を共有できる仕掛け」が出来ていません。
回想シーンに「その時間の中でその世界観に浸れる仕掛け」がある、という回想シーンは、なかなかお目にかかれない。
たいていいわゆる「安易な説明」で終わってしまうのです。「そうだったんだ〜」は、本来、
リアルタイムの時間軸の中で味わいたいことです。
だって観客は登場人物(特に主人公)に感情移入してるわけで、
その人の感じること、 考えること、 驚きを、その人と一緒に共有したいから。
そこがそもそもわかってないと、 安易な回想シーンを描いてしまい、それが結局「ありがちなシーン」となってしまい、
もうどうにもオリジナルを描けなくなる。
0297名無しさん@お腹いっぱい。
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2017/05/21(日) 04:29:41.00ID:cMMhjb+N
あえてサスペンスに背を向けた「カルテット」は、坂元裕二のドラマ論でもある。ドラマの魅力とは人の生死に関わるドラマチックなシーンにあるのではなく、
何気ない日常会話や他者へのささやかな想像力によって、人と人の心が通い合う瞬間にこそ宿る。届く人には届くのだ
0298名無しさん@お腹いっぱい。
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2017/05/22(月) 22:52:31.63ID:kFW4An4D
村上春樹
「このあいだNHKで放送したミニシリーズ『ロング・グッドバイ』をDVDで見ました。
 とても凝った映像で、主役の浅野忠信さんも好演していました。
 舞台のロサンジェルスを戦後間もない日本に置き換えるという設定自体はとても興味深いんですが、
 チャンドラーの文章力の強さというか、原作のイメージがあまりにも深く僕の(僕らの)頭に
 染みこんでいるので、すっとそこに入っていくことはわりにむずかしかったですね。
 これはしょうがないです。アダプテーションの善し悪しではありません。
 これはこれとして非「非寛容」に楽しむのがいちばんだと思います。」
0299名無しさん@お腹いっぱい。
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2017/05/31(水) 15:33:32.67ID:tWsYOU1k
ドラマと事件を勘違いしちゃいけない。
「夫が骨肉腫になって足を切断したけど完治」は大事件だけど、別にドラマじゃない。
「妻が風邪をひいて3日寝込んだら、秘めていた家族の本音がぶつかり始める」のはドラマ。
コトの大きさは問題ではなくて、人物たちの心の振幅が「ドラマ」。
0300名無しさん@お腹いっぱい。
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2017/06/07(水) 18:41:03.12ID:8+C++ale
1930年代は1929年の経済大恐慌の後を受けて、不況不安の時代であり、社会的関心が強い。このような時代は
「マルクス的30年代」とか「アメリカの赤の時代」といわれて、アメリカの思想傾向が個人主義から社会主義への方向をとりはじめたころである。
0301名無しさん@お腹いっぱい。
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2017/06/11(日) 15:43:00.96ID:CmUDvtjU
細かいところまで作られてるけどストーリーは結構雑だと思った
実は別人でしたとなっても戸籍上だけなら夢オチと変わらない
伏線があったわけでもミスリードがあったわけでもないしだから何と正直なった

クドカン作品に男だと思ってたのが女でしたってのがあったけど話の繋がりあったし納得させられた
0302坂元裕二
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2017/06/16(金) 00:28:31.96ID:WFS6tpDO
誰かが掲げた大きな正解のために、選択肢を持つ自由を捨てることはないんじゃないのというのが「カルテット」で描いた問題意識だと思ってます。人のことは人のことだし、
自分のことは自分のことだから、誰かのことをとやかく言うのは、僕は好きじゃない。正解が立派であるほど、抑圧も大きくなる。
夢を見るにしても仕事をするにしても社会的なことですよね。僕は、正解不正解とか頑張ったとか頑張ってないとかより、面白いとか優しいとかの、どこか子供じみた観点から人物像を描きたいなと、いつも思っています
基本的に「答えは見つけなくていい、問題を探そう」ということを指標にしています。病気を見つけて、「ここが悪いですね」と見つけるところまでできたら上出来だと思って。
なかなか答えの出しようのない問題こそが、ドラマの題材になるものだと思っています”
連ドラというのは、オンエアを見てる時間だけが見てる時間じゃないと思ってるんです。来週の放送を待つ1週間を含めての、その回の視聴体験だと思ってます。
あの続きはどうなるんだろう、と思いながら待つことが連ドラを見ることなんだと思います。待つからこそ、続きをすぐに見れないからこそ
どんどん面白くなる。想像が膨らんでいく。そうして連ドラの登場人物たちが生活の中に入ってくる。登場人物と一緒に生きて、想像して、生活する。連ドラって、見てる人と登場人物が3カ月間も一緒にいられる。そこが好きなんですよ。”
0303名無しさん@お腹いっぱい。
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2017/06/30(金) 03:47:10.13ID:SG3v3cY7
坂元裕二。「今まで散々説得スピーチを書いてきたから、言葉を使わずに人を説得して改心させるシーンを書くようにしてる
0305名無しさん@お腹いっぱい。
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2017/07/13(木) 01:57:06.04ID:sE6x3Aas
犬と鬼」は、『韓非子』のエピソードに拠っています。皇帝が宮廷画家に「描きやすいもの、描きにくいものは何か」と問うと、画家は
「犬は描きにくく、鬼は描きやすい」と答えます。身近で控えめな犬のようなもの(伝統的な日本の景観)は、
正確に捉えるのが難しいが、派手な想像の産物(不要で奇抜なモニュメント)にお金を出すことは易しいということを暗示しています。
0306名無しさん@お腹いっぱい。
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2017/07/23(日) 16:05:57.82ID:CGi3xdqG
昨今、小説やエッセーの分野でもそうですが、とりわけセリフという「音声」の
分野でさえ、音としての言葉に敏感な書き手がいなくなったことが
残念です。

脚本家で言えば、向田邦子さん、倉本聰さんが音としてのセリフに敏感な
方々で、共通項はラジオを書いていらした時代がある、ということです。
聴覚のみに頼ったラジオの世界では、音としての言葉に敏感に
ならざるを得ません。
言葉が寝そべったままの、音として立ち上がらないセリフを苦痛に感じる
役者さんも少なくなりつつあるのかもしれません。
私など聴いていて、これ言わされているのか、と気の毒に思うセリフがあります。
昔、俳優さんたちは「音」に敏感でした。
現役で言えば、八千草薫さん、橋爪功さん、三田佳子さん、いしだあゆみさん、
高嶋政宏くん、斉藤由貴ちゃん・・・・・まだいますが・・・・
こちらが「音符」として投げかけた言葉を正確に受け止めてくださる役者さんたちです。
0307名無しさん@お腹いっぱい。
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2017/07/23(日) 16:21:49.90ID:CGi3xdqG
「ぼくは無頼とかなんとかいって、ふた昔前の破滅型みたいなものを気取っている
ような人間に、現代をとらえる力はないと思いますね。おかまと寝たり、やくざと
喧嘩したって、いまの人間の暗部みたいなものはとらえられないと思います。
むしろ、平凡な日常に耐えに耐えてきたというような体験をもった人間の方が、
把握力があるのではないでしょうか」(山田太一「街への挨拶」 1974 )

「結局、日常を丁寧に追っていってもなかなか何かが出てこない――と言うのは
少し言い過ぎかもわからないけれども。今の日本は、日常生活をリアリズムでとらえても、
その奥にある見えないものが出て来ない時代だ、というふうに思ったんですね。
(……)たとえば『河の向こうで人が呼ぶ』だと、死が近いと感じることで、
日常ののっぺらぼう状態が突き動かされる。その時の充実感が忘れられなくて、
自分をだましても死が近いのだという錯覚を維持しようとするコメディですが、
どうも死か、非現実か、非日常か、何かが入り込んでこないと、我々の、
もっと深い根源的なもの、ドロドロしているものに触れることが難しくなってきて
いるんではないか。そう思って、あの手この手で書こうと、『ジャンプ』もそうですが、
そういうことを始めてしまったわけです」(P270-271)
0308名無しさん@お腹いっぱい。
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2017/07/25(火) 03:15:49.01ID:gB5vx57p
山田 半沢さん……は見ていないですね。『あまちゃん』【1】は(宮藤)官九郎さんらしいドラマだと思って楽しく見ています。
テレビをよく知っていて、朝のドラマはこういうものが当たるという勘みたいなものが非常に素直に出ていると思います。
それは舞台をやっている方が肌で感じるものなのかもしれないね。
一方で、(宮藤氏が監督した)『中学生円山』なんかは本当に映画の面白さがよく出ている。
彼のほかの映画も見ましたけど、非常に生真面目に、お客さんのことをバカにしないでバカなことをやっている(笑)。
それが僕はいいな、と思う。アチャラカをやっていると、作りもアチャラカになってしまう人もいますからね。やっぱり宮藤さんは底力がある人だと思います。
――宮藤さんのドラマ作りにもそれは感じますか?
山田 もちろんあると思います。ただ、それはそれとして、テレビドラマには可能性があるんですから、もっといろいろな人が出てきてもいいと思います。木皿(泉)さんの『Q10』
【2】だってよく考えられていますし、時間をかけて作っていますよね。そういう作品がたくさん出てきたら、テレビドラマはもっと面白くなると思いますよ。
0309名無しさん@お腹いっぱい。
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2017/07/26(水) 17:49:07.58ID:QbU4C7xy
「増幅」というのは脚本を面白くするために非常に重要なテクニックです。
しかし実際にそれが出来る生徒は少ないです。
 単に人物の感情を激しくして「!」をたくさんつければよいのだと勘違いする人がいますが、そうではありません。
わかりやすい例を挙げます。映画「ゴースト〜ニューヨークの幻」のワンシーンです。冒頭、主人公のサムは昔のコインが入った瓶を見つけて「お守りだよ」と恋人のモリーに渡します。
これはいわば二人の愛のシンボルのようなものです。ところが物語の展開の中で絶望状態に陥ったモリーは、この瓶を階段の上から落として割ってしまいます。
 この瓶を割るシーンでは、モリーの絶望状態をお守りが入った瓶を割るという行為で「表現」しています。
「私には何の希望もないわ」などと言うと単なる説明ですが、お守りの入った瓶を割るという行為でセリフなしで表現しているのです。
 そしてもう一つ、この描写の中には「増幅」というテクニックが隠されています。それは「お守りが瓶に入っている」ということです。お守りはコインであって、瓶はただの入れ物です。
ではなぜコインが瓶に入っている設定にしたのでしょうか。それは階段から落としたときにガチャン!と割れる、
そのショッキングな感じを出したかったからです。裸のコインを投げてもチャリンと転がるだけで、インパクトはありません。瓶に入っていることでガチャンと割れるショッキングな表現にすることが出来ます。
 この映画の脚本家は、最初サムがコインを裸の状態で見つけてモリーに渡す描写を書いたかもしれません。
しかしこのシーンにさしかかったとき「コインだけ投げてもインパクトがないな」と思って瓶に入っていることにしようと思いついたのかもしれません
0310池上冬樹
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2017/07/29(土) 19:09:28.70ID:0ryGoFG7
関西風味ハードボイルドの大傑作”というコピーの黒川博行の『疫病神』(新潮社一八〇〇円)も、僕には脆弱に映る。直本賞候補になった短篇集『カウント・プラン』(文藝春秋)
も凡作ばかりだったが(佳作になるはずのネタを揃えておきながら詰めが甘いからだ)、これは今回も同じ。
産業廃棄物をめぐるヤクザ同士の複雑な戦いに巻き込まれた建設コンサルタントの二宮。錯綜した事件の背景とそこから浮かび上がる巨悪の構図。そこでの苦闘をじっくり描きこめば傑作になっただろうに、作者は易きにつく。
主に二宮と相棒の桑原との会話で物語をつないでいくからである。その会話は掛け合い漫才に似て笑わせてくれるが、しかしそれは会話の面白さであって対立する性格のそれではない。花村萬月ならやくざの何気ない仕種からも不気味さを引き出すのに、
黒川はそれをしない。会話に淫して人物の性格など二の次なのである(だから行動に迫真性がない。主人公以外に魅力的な人物がいない)。ラジオ・ドラマの良き原作といった程度だろう
0311最後から二番目の恋
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2017/07/30(日) 02:27:27.27ID:JpvQMrjf
長倉和平(中井貴一)は、会社の部下からの建前上の呑み会の誘いを断り、一人娘のもとに早く帰ろうとする。だが、家で待つ娘に買って帰るものがあるか電話でたずねると、反抗期の彼女にはそっけない態度をとられてしまう。
そして帰り道にばったり会った呑み会へ向かう途中の部下との会話から、妻と死別したことが明かされる。その後には、トイレットペーパーを片手に抱えながら、洗濯用洗剤を選ぶ和平の姿が映し出され、彼に生活感と哀愁が一気にまとわされることになる。
夫とも息子ともコミュニケーションがうまくいっていない水谷典子(飯島直子)の姿は、ヒッチコックの裏窓のような手法で、彼女たち家族が暮らすアパートの窓の外から俯瞰で撮影され、その演出によって家族という共同体 の閉塞感と息苦しさが描かれる。
長倉新平(坂口憲二)と万里子(内田有紀)の双子の兄妹も、なにやらミステリアスな雰囲気を漂わせつつ、彼らが背負う “何か” がその中にきちんと忍びこまされている。
8分間に渡るこのシーンは、すべての画が綿密に設計されていて、異常に情報量も多く、登場人物たちの性格やバックグラウンドが説明臭くならずに見事に詰め込まれている。
そして、登場人物たちが抱える “生きていくことの寂しさ” を、情報ではなく情緒として視聴者の心に染み込むように届けてくれてもいる。
脚本、演技、演出の技が冴え渡るウェルメイドな映像表現なのだが、忘れてはいけないのが、このシーンをより切なく深みのあるものにしているのは、何よりも千明のモノローグを語る小泉今日子の声であるということだ。
0312名無しさん@お腹いっぱい。
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2017/07/30(日) 15:11:44.59ID:JpvQMrjf
川本三郎の解説、「サバービアの発見-山田太一の世界」(P.305)が、物語の背景をていねいに説明している。郊外のニュータウンで物語が展開していることが注目され、
「東京漂流」(藤原新也 1983年)が金属バット両親殺害事件の現場周辺の街のことを書いていることが取り上げられていている。当時読んだ「東京漂流」は、都市の病理について書いていたと記憶している。
川本は「山田太一は一貫して、近代社会の家庭の冷たさを描いている」(P.306)と述べている。その通りに違いない。確かにその通りなのだが、
私は、「近代社会の家庭の冷たさ」は、いつの時代にも存在している時代の欠乏感であるように思う。
1970年代はみんなが「マイホームの幻想」を持っていた。それを支える装置として私鉄沿線の郊外住宅地が登場した。街と建築が新しくどんどんきれいになって、それでもいつの時代でも同じ、
どこかに何か足りないと思う欠乏感が残った。それが、「近代社会の家庭の冷たさ」だったのだと思う
0314名無しさん@お腹いっぱい。
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2017/08/01(火) 12:53:02.25ID:ChFLnG3W
驚いたのは、最終回の前日にヒロインが死んでしまったことだ。
しかも、その死は、長女から3女への電話によって告げられる。
思えば、劇中これほど多くの人が亡くなりながら、紋切り型の死の瞬間はことごとく退けられていた。この意地の張り方はすごい。
もちろん、ヒロイン像がどこまでも闘争的なのにも驚いたし、不倫が半ば肯定的に描かれたのにも驚くしかなかった。
勘助の戦争責任を巡る描写も、これまでにないものだろう。些細なところでは、出産を控えたヒロインが神戸の祖父母の家で静養中に、
清澄なクラシック音楽を聴いているシーン。
彼女は、しみじみとした顔で語る。「あーっ、静かやなあ」「あーっ、平和やなあ」が予想されるところで、
なんと「あーっ、ヒマや」と言ってのけたのだ。どこまで仕事好き、闘争的なのか。こういう予想を裏切る驚きのせりふは枚挙にいとまがない
0315渡辺あや
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2017/08/01(火) 22:44:35.05ID:ChFLnG3W
 「人の中には、どんどん暗く落ち込んでいく流れもあれば、そこから立ち上がりたいという流れも絶対ある。流れを変えるのは、何か小さな衝撃なんだと思います。
玉枝さんは自分自身の心の溝にはまって同じ軌道を回り続けていたのですが、
糸子というすごく強い存在が突然やってきて『幼なじみを助けて!』と頭を下げる。そのことで、溝からちょっとずれた。すると後は、その人自身の力で上向きになっていく。生きる力は元々その人のなかにあるんです」
 ――ドラマの舞台である大阪府岸和田市のだんじり祭りが、生きる力の象徴のように描かれました。
 「だんじりを初めて見た時、涙が出ました。祭りの花形、大工方は、街中の人々が見守る中、
走るだんじりの上で命がけで跳ぶ。『表現の原点』を見たように感じました。
自分の命を他者に届かせたい、命を燃やしたいと言う気迫。見ている方も『届いた!』と感じて、生命力が上がっていく。それはとても純粋で、ありがたいことだと思います」
 ――生命には「他者に届きたい」という性質がある、と。
「絶対にあると思います。私がパソコンに向かって地味に書いているのも、同じことをやりたくてやっているんじゃないでしょうか」
 「不幸や不条理に立ち向かうには、すごく地味なことをコツコツやっていくしかない、という感じがしませんか。あるところに大きな救いがあって、そこに自分も回収される、
というのは絶対うさんくさいし、本物じゃない。小さくて地味で一見、『これかよ』みたいなこと。子どもを見ていると、ちょっとしたお使いなど、
本当に単純に人の役に立つことに、すごく喜びを見いだすんですよね。よくよく考えれば、それは美しいことだと思います」
 「大人だって本当は、誰かの役に立ちたいと強く願っているのですが、なぜか『こんなことやったら、かえって迷惑かな』などと考えてしまう。
大きな災害が起きると、心の奥の素直な気持ちがすっと表に出てくる。映像を見て涙を流したり、ボランティアをしたり、寄付をしたり。人の力になりたい、という気持ちが満たされた時、人は自分自身の価値を見いだせる、と思います」
0316名無しさん@お腹いっぱい。
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2017/08/02(水) 00:50:37.50ID:2EgA8hN/
岡田「理由はいろいろあるんですけど、ひとつには連続ドラマ『最後から二番目の恋』(12年、フジテレビ)を書いた時に、すごくいろいろな人から、演劇的だから、このまま舞台にすればいいのに、と言われて。確かに、3幕ものくらいの話だし、
場合によってはひとつの家の中だけでも描けるような作品だったので、なるほどなあと思っていた時に、東宝演劇部の仁平プロデューサーからシアタークリエにかける芝居の脚本のお話をいただいたんです。
クリエの客層が、僕がこれまで書いてきたドラマを好んでくれる方と近いような気がしたんですね。大人の女性が、恋人や友達と一緒に、ちょっとおしゃれして観に来てくれる、そういう作品を書いてみたいなと思ったんです」
──2組の夫婦の物語という構想はどこから?
岡田「いろいろ話し合った結果ですが、まずは会話劇を突き詰めたいと思いました。
『最後から二番目の恋』のワンシーンが長いといっても、テレビ的な限界はあるんですよ。例えば、CMは必ず入るので、CMをまたいでもまだ会話しているというのはなかなか難しいんです。
その点、舞台は、制約なしに思い切り会話させられるかなと思って。人数はできるだけ少人数にしました。ドラマだと6人くらいの会話劇で、
あまりしゃべっていない人も形にできますが、舞台ははじめてだし、
しゃべっている人しかいない空間にしたかったんです。だから、主要な人物は4人ですが、ほとんどふたりの会話です。それこそが舞台でしかできないことかなと思って」
──ドラマでできないことを思い切って。
岡田「思い切ってできました。逆に言うと、ほんとにしゃべらせることのセンスで勝負するしかないので、作家としての力量を問われる。新鮮だし気合いも入ったし、だからこそ、書いていて凄く楽しかったですね
0317坂元裕二
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2017/08/02(水) 13:12:09.84ID:2EgA8hN/
つらい目に遭う人がいると、必ず誰かが助けに行って、事件を解決して「よかったね」と慰めて、みんなの絆が深まる、みたいなのはお決まりのパターンなので。
そうじゃなくて、皆が普通に生活しているといつの間にか彼女の出来事は終わっていて、
帰ってくるとまた楽しい生活が続くみたいな、そういうエピソードがあってもいいんじゃないか、と思ったんです。

最初は、真紀含めて他の3人も誰も、すずめに起きたことを知らずに終わるという初稿も書いたんですけど、さすがに伝わらなかったので、やめました。
0318名無しさん@お腹いっぱい。
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2017/08/02(水) 18:52:24.18ID:2EgA8hN/
家庭のなかでなんとなく心が満たされない中年女性が、ある日はっきりとした理由もなく家出をし、見知らぬ土地でひとり新しい生活を築いていく姿を描いた作品。決して深刻な内容ではなく、
ストーリーは上品で軽やかなユーモアに包まれていて、むしろ笑わせてくれるくらいである。
著者は1941年ミネソタ州生まれ。1988年に『ブリージング・レッスン』でピューリッツァー賞を受賞。本書はタイム誌の1995年度フィクション・ベスト5のひとつに選ばれている。
40歳の主婦ディーリア・グリンステッドは、家族が自分の存在を疎ましいと思っているように感じていた。何も不自由のない日常生活のなかで、しかし鬱屈していったディーリアは、
家族で海水浴に出かけたとき、そのままふらっと家出をしてしまう。そして初めての町ベイバラに降り立つと、自力で新しい生活を築き、友だちの輪をつくりあげていく。
赤の他人とはうまくいくのに、本当の家族とはうまくいかないというのは、アン・タイラー作品で繰り返されるテーマのひとつである。後半、彼女は自分の家庭へと戻ってくる。
まるで何事もなかったかのように、いつもの日常の雑踏に溶け込んでいくディーリア。家出をしたのはちょっとの間、
家庭を離れ生活をリセットしてみたかっただけなのだろう。そして物語は唐突過ぎるくらいにあっさりと終わってしまう。
まるで、ディーリアの行動を安易に結論付けするのを避けるかのように。だがそのおかげで、この本は大人のメルヘンとして、読み終わったあともその余韻を楽しむことができるだろう
0319山田太一
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2017/08/02(水) 22:51:51.81ID:2EgA8hN/
女「ししゅうに――」
男「ええ――」
女「よろしいかしら?」
男「どうぞ。今日は、すぐには眠れそうもありません」
女「ある人の詩に――」
男「詩ですか?」
女「ええ、詩。詩集。おかしいですか? 発音」
男「いいえ。ただ、はじめ、ちょっと、針を使った、あの、縫いとりの刺繍かと――」
女「ちがいます?」
男「なにが?」
女「発音――」
男「いえ。多分、同じでしょう。刺繍。詩集――」
女「横浜なんですのよ」
男「お住い?」
女「いいえ、生まれ」
男「そうだな。お住いなわけはない」
女「でも、東京でいらっしゃるんでしょう?」
男「ええ。私はそうですが、女の方でそういうことは少ない」
女「長いので――」
男「は?」
女「こちらが――」
男「ああ」
女「なまりに、いつの間にか染まっています」
男「とてもいいな。かすかに、なまりがあるのは――」
女「詩集に――」
男「ええ」
女「いやだわ」
男「は?」
女「前置きが長くなって。たいしたことじゃないのに」
男「いいですよ、どうぞ。時間は、むしろ、もて余しています」

聞き返したり確認したりしながら、行きつ戻りつ、波のようにたゆたう会話
0320島田雅彦
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2017/08/05(土) 20:41:09.16ID:RdpPnO91
近代文学の役割は間違いなく終わっています。経済成長は終わったというのと同じ意味です。経済成長とか都市化とか、どの国も発展途上国から先進国になる途上で一回はチャンスがあるわけですが、
近代文学というのもそれらとパラレルなんです。それまでの第一次産業のライフスタイルが変わり、都市に集まってきた者の人間関係や挫折、出世を題材にするものなので。
日本はそんなものとっくに終わっているでしょ。模造のレベルでは残っていますけどね。例えば『東京タワー 〜オカンとボクと、時々、オトン〜』みたいなノスタルジックな作品がそう。
0321名無しさん@お腹いっぱい。
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2017/08/08(火) 15:36:06.01ID:nibIkjkC
>長い長い記憶を持ってる…それが年寄りの醍醐味とも言える
>守り続けて闇にうちに葬るはずやったもんがうっかり開いてまう事もある
>老いぼれた体にとどろく事打ちのめす事、容赦のうて
>ほんでも…これを見る為に生きて来たような気もする

渡邊あや、カーネーション
0322尾崎将也
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2017/08/13(日) 16:13:24.88ID:dIOKr64N
[作品]『昼下がりの情事』(ビリー・ワイルダー監督 57年)
[描写]ヒロインのアリアーヌ(オードリー・ヘップバーン)は男・フラナガン(ゲイリー・クーパー)と会って、彼のプレイボーイぶりに腹を立てる。
翌日アリアーヌはフラナガンを非難する手紙を書く。しかし書き終わった手紙を火にくべて燃やしてしまう。
[解説]非難の手紙を書くものの燃やしてしまうことで、彼女が男にひかれていることを表現しています。例えば日記に「私、あの人にひかれてるみたい」と書く描写では
単なる説明にしかなりませんが、「非難の手紙を書くが、燃やす」と一旦逆に振ることで「ああ、このあと恋に落ちて行くんだろうな」という感じがしみじみと伝わります。
野球でバットを振るとき、一度逆方向に振りかぶってスイングすることで打球が遠くに飛ぶのとメカニズムは似ています。
0323淀川長治
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2017/08/14(月) 02:24:31.48ID:gkuSHaar
虹をつかむ男
山田監督の汗でびしょ濡れ映画。
四国の田舎のみすぼらしい映画館オデオン座をつぶすまいと頑張る西田敏行。東京から飛び出してきた若者の吉岡秀隆。映写技師の田中邦衛。西田敏行があこがれる田中裕子。
もうこれでストーリー(山田洋次)がわかるところが困ったが、松竹のマークと寅さんの幽霊が染み込んで、
新スタートの新鮮さがない。もっと“白”が“赤”になるとか、“黒”が“白”になるとか、バサリと新しさを望んだこちらがヤボテンか。
 しかしこれは山田監督の才能でこそここに生まれた山田芸術と開き直りたい。
映画館の話ゆえこの映画、劇中に外国映画の思い出シーンが続々と出てくる。これは日本映画史上初めてのことだ。西田が「かくも長き不在」を話し出すところ、これが寅さんスタイル。これはもっとやり方がなかったものか。
それにしても山田監督、あの長い間の寅さんからかくも早くこれとはさぞつらかろう。一年二年と本当は練り直す時間がほしいんじゃないか。
しかし山田作品がドル箱ゆえもあろうが、山田監督はいかにも人がいい。いやご本人が、それじゃあお楽しみをお見せしやしょう、と開き直ったか。
そこでこの映画、映画館主これがすごい映画ファンというわけで何本かの外国の名画シーンが画面
いっぱいズラリ次々現れて、これは日本映画かつてなきビックリ。しかしここで観客はそれらの名画シーンに思わず思いをはせて“虹(にじ)”を忘れてしまいはせぬか。
俳優すべてえたりかしこしで飲み込み演技でうまい。けれど山田監督のこの汗びっしょり、その汗浴びての西田敏行もさぞつらかろう、さぞうれしかろうが、これじゃまだ田舎の館主でない。寅さんだ。
西田は精いっぱいうまいがつらいところ。第一、彼の衣服、その衣服あのネクタイどうもやりすぎ。
「雨に唄えば」で踊らすところももっとヘタクソじゃないとおかしくない。 それよりラストで何だか新しい若いのが出てきた。上島竜兵。これが敏行そっくり。ここがうれしい。次回に期待をはらませる第一作。
0324名無しさん@お腹いっぱい。
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2017/08/17(木) 18:50:19.42ID:Re2K113C
山田太一
「人生は自分の意思でどうにかなることは少ないと、つくづく思います。生も、老いも。そもそも人は、生まれたときからひとりひとり違う限界を抱えている。
性別も親も容姿も、それに生まれてくる時代も選ぶことができません。生きていくということは限界を受け入れることであり、
諦めを知ることでもあると思います。でも、それはネガティブなことではありません。
. 諦めるということは、自分が“明らかになる”ことでもあります。良いことも悪いことも引き受けて、その限界の中で、どう生きていくかが大切なのだと思います」
0325名無しさん@お腹いっぱい。
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2017/08/24(木) 03:29:54.86ID:APxiQqRO
カルテット
一流の会話劇であると共に、その台詞が止んだ時、静かに交わされる疑いのまなざしの視線劇でもある。喋る言葉が全てではない。
人々の背景には目に見えない様々な思惑や感情が蠢いている。場に流れる不穏な空気を視線や仕草だけで悟り合い、
突然「しょうがないじゃないですか」と切り出すのには大変驚かされた。
そして、コーン茶を淹れる、という動作を軸に登場人物が入れ替わりに本音を語り出す。こういった会話と動線の引き方はもはや演劇の戯曲である
0326名無しさん@お腹いっぱい。
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2017/08/26(土) 15:16:59.81ID:2VgoJz56
「宿命としての家族」 山田 太一

「女とクリスマスケーキは 25 を過ぎると売れなくなる」というギャグがありました。ちょうど自分の二人の娘が 20 歳前後だったので、なんてことをいうんだと、
ものすごく腹が立ちましたね。みんながそれを、笑いの種にしていたんですよ。今考えるとすごくおかしいでしょう。うちの娘も、
あと 2 年か 3 年たつと売れ残りか。「だったら結婚なんかするなよ」というメッセージを込めて、
『想い出づくり』というドラマを書きました。女性は結婚したら子どもを産んで、それからがま
た大変ですから、結婚する前に一生残るいい思い出をつくろうという内容のドラマです。女性が 25 歳、26 歳になる前に思い出をつくろうと努力するのは、
何か悲しいですが、ぼくはその頃、非常にリアルに結婚が圧迫だ、と感じたんですね。
今では、先ほど申し上げた嫁と姑の地位は変わっていますし、婚期についても 25 歳や 26 歳
が売れ残りだという感覚はなくなっています。世の中が動くのと一緒に “ 家族 ” も流動的ですね。とすると、
“ 家族というものの宿命性 ” と簡単に言ってはいけないのかな、とも思います。むしろ “ 一人の人間としてのそれぞれの宿命性 ” と言うべきなのかもしれません。
今は容姿も整形などで変えたりできるし、25 歳や 26 歳で婚期が終わるという圧迫もありま
せん。ですからぼくは、昔は今よりも少し厄介な時代だったと思っていたのです
0327山田太一
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2017/08/26(土) 15:19:38.18ID:2VgoJz56
ところが最近、 『想い出づくり』の脚本を本にして出そうという若い人たちが現れまして、今は昔よりいいだ
ろうというぼくに対して、彼らは「全然よくなっていない」と言うんですね。確かに、25 歳や26 歳で結婚しなければという圧迫はないが、
決してよくなっていないと。昔はまわりがお膳立てしてくれたけれど、現在は自主性に任されすぎというか、すべてその人の責任になるみたい
なところもあるんでしょうね。結婚が難物であることについては、現代のほうが悪いかもしれ
ないと言う人もいて、「あの頃はひどかったね」という話じゃないんですね。家族は変化してい
るけれども、あの頃の嫁姑問題が解決して、婚期についても解決して、どんどんよくなっていくように思い
たいけれど、理屈上は女性を解放するはずの自由からは新しい重荷が生まれているというんです。議論上は
見過ごされていることがあとに残っていく。人生の問題はそんなに簡単に解決することじゃないんだと、 改めて感じました。
0328名無しさん@お腹いっぱい。
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2017/09/02(土) 19:51:30.71ID:MReiQjIC
全集黒澤明(88年発行)6巻にも井上ひさしとの対談

黒澤「あの台詞変ですよね。他人行儀って言葉があるでしょ。
他人だからこそ気を使って親切に振舞う。身内だからこそっけない。
それは、親に対する甘えもあるんですが。」
井上ひさし「そう。そうです。」
黒澤「小津さんもわかってますよ。
でも映画だから、この台詞で感動させてやろうと欲が出たんでしょう。
『東京物語』は評判の良い映画なんですけど私はあまりいいとは思わない。
小津さんのそういう計算が鼻に付くところがあって。
この映画の原君なんて、正直いって・・・うーん・・・僕・・・気持ち悪いなあ(爆笑)」
井上「ええ、ええ。非常にわかりますよ。
でも黒澤さん。本当はあまり好きじゃないというよりは(東京物語が)大嫌いと言いたかったのでは?(笑)」
黒澤「(爆笑)」
0329名無しさん@お腹いっぱい。
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2017/09/04(月) 13:09:53.43ID:/XQcHUbW
72奥さまは名無しさん2017/09/04(月) 13:05:01.35ID:u2a6zoKS

「日本のドラマというのは、世界の現在の潮流の中できわめて特殊な存在になっている。例えば1話あたり製作費が3000万円かかるとして、それで10話作ると3億円になる。普通ならば、3億円で面白いものを作って、
それをいろんな形で売って10億円の売上げにしようと考える。実際にアメリカ、あるいはアジアでも韓国のテレビドラマはそう考えて世界中に進出している。
韓国の場合、20話のドラマをワールドマーケットに出す、あるいは東南アジアで販売して、何億かの売上げが出る。だから主演の俳優には1話3000万円ベースからギャラを提示することが出来る。イ・ビョンホンクラスになると1話あたり1億円払える」
一方、一部を除いて日本のテレビドラマは日本国内での視聴率獲得、ひいてはスポンサーからの資金獲得しか念頭になく、二次利用といっても再放送、あるいはDVD販売しか考えていない。そのため、内向きになりがちであるという。
「まず広告代理店がスポンサー企業から金を集めてくる。そこから広告代理店とテレビ局の取り分を抜いた残りが製作費となる。芸能プロダクションの仕事は、その制作費をいかに『むしり取る』か、ということになっている」
「むしり取る」とはつまり、自社所属の俳優を1人でも多く起用させることである
0330名無しさん@お腹いっぱい。
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2017/09/09(土) 15:44:52.88ID:/GTNJP00
ラジオドラマでなく、テレビドラマを台詞によってその場の状況説明や感情表現(例えば、ナレーションで「僕は悲しかった」とか、
台詞で「あなたはきっと辛い筈だ」と言うような)をしてしまっては、正面からドラマを観ている人にとっては所謂“情報過多”となって
「くどい」と感じたり、自分で想像する範囲が狭くなるから「つまらない」と感じるはず。 「台詞回しが細かくぶつ切れのようだ」の意見もありますが、
要は説明台詞が多い脚本に多いケースで、一人で説明すると独白が延々と続くことになるため、複数名で分けて話すんですね。これが新鮮って思う人もいるでしょうね。
0331名無しさん@お腹いっぱい。
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2017/09/11(月) 19:03:02.36ID:jju0m1vY
この便利さは自分の人生にとっては余計だなというような選別をしないと、どんどん楽な方へ便利な方へ導かれて、
自分の人生の喜び、何かをつくる喜び、修理する楽しさ、不便を愛するセンスなどをどんどん切り捨てながら人格を形成していくことにもなりかねません(2014)

能力主義というのはどうしたって能力のある人は能力のない人をダメなやつと見下しますよね。
競争心もかき立てられる。その分断された一人ひとりが感情を出さないでなるべくおだやかにやっていこうっていうんだから、これは爆弾が見えないところで日々肥っているような社会ですね

犯罪をとおすと、現代の社会とかがよくわかるような気がするけれども、
実はそれはある側面の拡大であって、犯罪を犯さない多くの人たちの現実をとりこぼすことが多いという気がする

犯罪をとおすと、現代の社会とかがよくわかるような気がするけれども、
実はそれはある側面の拡大であって、犯罪を犯さない多くの人たちの現実をとりこぼすことが多いという気がする

配偶者でも、二人で過ごした長い歳月があるから余裕がある。例えば片方がキレたときに「今は彼女を慰めて、その分いつキレようかな」というようなバランスも、
人生の面白さ、味わいの一つですよ。時間を味わって過ごすのと、耐えてやり過ごすのでは随分違うと思います

一人の人間の中に、そんなに両極端な性格が両立して存在しているのはおかしいと思われるくらいに反対のものが存在していたりする人間を、
概念の絵解きではなくて、丸ごとの人間として捉えたいという欲求はとてもあります
0332やまだたいち↑↓
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2017/09/11(月) 19:20:45.17ID:jju0m1vY
雨乞いの太鼓というのも、科学主義から見ればただの愚かさですね。でも、それによって、彼らは一所懸命祈ることの充実、祈りが宇宙に届くという喜びを手に入れている

みんな同じなんだ、平等なんだというのは、権利の部分で平等なわけで、本当は人間の存在って全然平等じゃないですよね

いわば“文学的視点”で見れば何でもありなんですよ。一つの基準だけが万能ではないわけで
0333山田太一↑
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2017/09/11(月) 19:25:04.82ID:jju0m1vY
(厳しい時代には)他者に対するイジメも露骨になる。今みんないい人でいられるのは、
ここ何十年かの生活上の余裕があるからです。だから僕は今の人たちの善意の大半を信用してないな(笑)。
もちろん自分の善意なんていうものも信用していません。人間は本質的に恐ろしいものだと思います

なぜ、僕の叔父さんは毎年、忠実に同窓会に出て行くのか、ただそれだけのことのなかにもびっしりといろんなドラマがある。
それに比べたら、殺人事件の犯人がだれかなんておもしろくない。少なくとも、僕の書きたいドラマではないと思ったんです
0334山田太一
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2017/09/12(火) 14:27:32.59ID:GaERMZ2/
僕がライターになった頃、パディ・チェイエフスキーというアメリカのドラマ作家の本を読んだんですよ。
その中にテレビドラマというのは突出した人を描くんじゃなくて、ありふれた人を描くのに適しているということが書いてあった。王子が自分の父親を殺したのは誰だ? 
という話じゃなくて、隣の肉屋さんはなぜ今の奥さんと結婚したんだろう?っていうほうがずっと刺激的だと。
僕は大いにうなずきましたね。日常のちょっとしたことで一話書いちゃう。昔はのんびりしたところで修行したという感じはありましたね

「今の多くのテレビドラマは安っぽい通念以外の観念は忌避してしまいがちなのですね。昨年『早春スケッチブック』を書いた時に、意識的にニーチェといった思想家から栄養を得ている人物を出しましたら、やはり視聴率がよくない。
何も観念だけを肥大させようというつもりはありませんが、人間は感情と同時に観念によってもつき動かされていく存在です。だからまず、人間をリアルに表現しようとすれば、観念を無視することはできません。
もう一つは、ドラマが現実の『見事な』反映だけで終わってしまうというのでは、つまらないと思う。戦争中の滅私奉公精神に対する反動で、戦後は私生活優先、
あるがままの自分を肯定しようという考え方が強かった。しかし、もう『あるがままの自分』なんかじゃつまらない。少しでも『あるがまま』よりましになろうとする人間の魅力を書いてみたいという気がしています。それは、自分にないからかもしれませんけれど…。
たんに現実を反映するだけの作品というのは、既に役割が終わったと思います。現実を反映していると同時に、どこかで現実を超えていく要素をもつ作品。夢に遊ぶというようなものでもいいのです。そういう作品を作りたいと思います。
 今の時代に耐えるような夢を描くことはとても難しいことだとは思いますが…。
0335名無しさん@お腹いっぱい。
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2017/09/16(土) 19:55:05.00ID:cO09HlzR
ト書きについて触れたのですが、このト書きというのは以前から
「簡潔なほうがよい」とされ、私もそれを墨守していた時期もあります。
向田邦子さんがセリフの連打でト書きが極度に少ない作家で、私もそれを理想としていました。セリフを読んでいるだけで、動きは自然に解るでしょ、という相手もプロであることを要求するプロの書き方です。
ただ、最近私は宗旨変えしていてト書きは書き込むべし、という意見で新人さんにもそれを伝えました。
なぜなら、スタッフも俳優も現場が素人化していることが多く、書き込まないと伝わらないことがあるのです。
いわゆる「ホンを読めない」人たちが多くなった。俳優がまだましで、優秀な人は皮膚感覚で正確に捉えてくれます。
私がほぼ決まった演出家としか付き合って来なかったのも、素人を避けたからです。ホンを読み込めない演出家と組むと大変なので。
ドラマのみならず、どの現場にもプロになりきれない、あるいは向いていない素人というのは、いませんか?
脚本のセオリー通り、ト書きの極度に少ない向田邦子さんでしたがたまに書くト書きに文芸の匂いがありました。それも私にはお手本でした。
ト書き一つで作家の目指す世界観が伝わったのです。
私のセオリー破りには「まるで小説のような」ト書きを書くこともあります。
内館牧子が、目覚ましいト書きの例として、手掛けた朝のテレビ小説「いちばん太鼓」の脚本の一節を講義に取り上げることが、昔は多くありました。
芦屋雁之助さん演じる座長が地元のヤクザと渡り合うシーンのト書きに私は、「ギラリ、修羅の風が吹く」と書いたのです。
こんなト書きは、型破りです。どんな映像をもってしても「ギラリ、修羅の風邪が吹く」など描けないからです。
ただ、そのシーンの緊迫感を伝えたく、書いたのでした。
0336名無しさん@お腹いっぱい。
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2017/09/17(日) 17:33:35.34ID:vAkxJV1A
強者はおおむね細部に鈍感です。言葉に頼りすぎる傾向もあります。そして、言葉というのは共通性で論じられやすいところがあります。
でも、言葉にならないこと、心や気持ちの部分が人間にはたくさんあるはずで、そこへの配慮が足りない気がするのです
0337岡田惠和
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2017/09/21(木) 20:31:38.76ID:aRsvCePZ
ある意味“ユートピア”のようにも見える『ひよっこ』の世界。

「敵がいるとドラマは動くんですけど、敵がいなくなると解決するので……。たぶん人生って、敵がいようがいまいが、基本ままならないものだし、
自分の人生経験からも、何かがうまくいかなかったことが、他人のせいであったことがあんまりないなって。

 これまでドラマみたいな敵役の人には会ったことがないし、僕をうまくいかせないためだけに生きている人はいなかったし(笑)、
人間を一面的に描くことはしたくなかったんです。なので唯一、救えなかった登場人物は(実からお金を盗んだ)ひったくりの人くらいかな(笑)」
0338名無しさん@お腹いっぱい。
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2017/09/25(月) 15:23:15.01ID:LLN0Cmom
 そして、演出を手掛けた岸善幸さんの大胆さと素朴さも素晴らしかったと感じる。お涙頂だい的な台詞や表現は皆無に等しく、淡々と流れるシーンとシュチュエーションが突き刺さって来る。
誇大な表現や華美な演伎を極限まで削ぎ落とし、役者の感情が高まる迄、心と時間をじっくり温めながら撮影に挑んだのであろうと想像するが、
ある意味、贅沢な時間を過ごせたに違いない。それは、俳優にも製作者にも貴重な経験になったと思う。映像を拝見すると、
撮影には民生用のビデオカメラやデジタルスチルカメラの動画撮影機能を利用したと感じられる部分が多くあり、莫大な予算と壮大なスケールで描かれたドラマに対し、
極めて低予算で制作されたドラマの成功例と呼べるこのドラマは、海外の、特に、ヨーロッパの映画祭やドラマフェスティバルに出品すれば、確実に受賞出来る秀作と言える。本当に、とても良く撮れたドラマだった。
0339名無しさん@お腹いっぱい。
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2017/10/03(火) 15:15:47.16ID:BRBjrYQG
小泉今日子のドラマだと、
そういう汚れた部分を自分もそういうとこあるある、って感じで
共感持てる表現でアッサリ化させてたなあ
わざわざウンチが出てくる様子を時間かけてネチネチ表現する感じなんだよこのドラマ

岡田脚本はリアルの中に大人のファンタジーを散らすのが得意で
坂本脚本はリアルの中で大人の生々しさを追求するのが得意だと感じる

山田太一ドラマ:
人が抑圧している本音を発散させてストレスを解消させる→
自由に生きていいんだよ。
藤本有紀ドラマ:
人が隠している弱さを開放して気持ちを楽にさせる→
無理に頑張らなくていい。たいていのことは時間が解決する

ちりとてちん
いい意味で 松竹新喜劇を現代風に染め直したような脚本だったと思う。
しかも「笑わせて最後泣かせる」のではなく
「笑いと同時に涙がでてくる」という最も難しいことを
いともたやすくやってのけた脚本家には敬服する。
0340佐藤忠男
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2017/10/05(木) 22:22:03.26ID:5e/u4Tjy
「美化した自画像を世界中が喜んで買って見てくれる国である。厳密にいえばこれはいまではアメリカ一国である。(中略)アメリカは自由主義を国是にしているだけに自己批判の精神が旺盛で、自分たちの社会の恥部も積極的に描く気風を持っているから、
美化ばかりしてはいないという反論もあると思うが、じつはその自己批判的な作品でさえ、アメリカの自由さ、闊達さ、強さを強調し、その、嫌味なまでの美化となっていることが多いのは認めないわけにはゆかないだろう」

「他方、自分たちの作った映画を広く世界中の人々に見てもらう機会をほとんど持たず、自分たちの姿はただ、なにかロクでもないことが起ったときに若干の先進諸国からかけつけたカメラマンたちに撮られて世界中に紹介されるだけという多くの国がある。
ロクでもないこととは、内戦、暴動、飢餓、災害、難民の発生、などであって、それをよそ者のカメラでまさに客観的に撮られるとき、そこには美化は生じない。ジロジロ見られるだけである」

「日本はどうだろうか。まあ両者の中間というところだろう。自己美化を自己評価以上に感心して見てもらえて有頂天になる場合と、ジロジロ疑わしそうに見られる場合と、両方が極端に分かれていて、自惚れと誤解への憤慨の間を右往左往させられてきたものだ」
0341名無しさん@お腹いっぱい。
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2017/10/06(金) 04:16:57.18ID:iHEVqRPX
いしかわじゅん先生の「タイガー&ドラゴン」評を無断引用しておきます。
  ★  ★  ★  ★  ★
「タイガー&ドラゴン」は、落語を毎回下敷きにしてるようなんだけど、ちょっと無理がある。
クドカンは勢いがあって面白いけど、たぶん落語には興味がないし知識もないんだと思う。
だから、ストーリーにただ材料として嵌めてってしまう。
登場人物が「GU-GUガンモ」を読んでるのをちらっと見せるように、
落語とかそのニュアンスみたいなものは記号のようなもので、切り貼りして背景に使ってるだけなのだ。
まあそういう使いかたもあっていいけど、ぼくはそのやりかたはあまり面白いとは思わない。
落語を話の縦筋の太い一本に使うんなら、もっと落語という意味自体を使ってみたいと思うほうだ。
登場人物の、名人達者という設定の落語家たちが素人丸出しの噺をやるたび、かなり嫌になる。
それは時代劇の剣豪という設定の登場人物が剣の構え方すら知らなかったりするのと同じで、
まあそういう一種の記号だと思って見ればいいんだけど、好きなジャンルだとそれがしにくい。
もちろん、クドカンはおそらくそういうやり方を意図的に取っているのだ。
だから不満をいってみてもしょうがないが、意味までを材料に使えばもっと重層的になって面白くなるのにとは思う。
それを面白いと思うか思わないかは、趣味の問題だからなあ。
仕方がない
0342蓮見重彦
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2017/10/06(金) 20:07:23.29ID:iHEVqRPX
著者の批評スタイルは「表層批評」と言われます。スクリーンに映るもの、すなわち「表層」を観ることにより作品を批評することです。じつはこれがけっこう難しい。
たとえば、わたしたちが小津の代表作『東京物語』を語るさい、「近代化により変容していく家族の物語」というような言い回しを使いがちです。けれど、そうした「物語」はスクリーンの上に映像として焼きつけられたものではありません。
2時間の映像のつらなりから具体的な細部を捨て去り、ある一定の型にあてはめることで、つくりあげられたにすぎません。
著者は「物語」に還元することなく、確実に眼に見えるスクリーン上の映像のつらなり(著者のことばによれば「説話論的な持続」)から、小津作品を読み解くことを試みます。

一例を挙げると、小津作品にしばしば指摘される、たがいに向きあうふたりの視線のズレ。このズレが単にイマジナリー・ラインの法則を守ら「ない」ことからくる結果だ、という否定的な言辞を著者は拒否します。それは映画の虚構ないし限界をあばくための演出だと述べます。
カメラはふたりの登場人物の瞳をそれぞれとらえることはできても、見つめあうふたつの瞳を結ぶ視線をとらえることはできない。そのため見つめあうふたりを映像で表現する場合、
切り返しショットという映像技巧を使い、あたかもふたりが見つめあっているかのように編集せざるをえない。そもそも、わたしたちはふだん日常のなかで映画におけるように長く見つめあうこともない。
著者によれば、視線のズレはそのような映画の作為性をあらわにし、観客に映画の制約を意識させることで、説話論的な持続に緊迫感を与える小津の企みだというのです。
0343名無しさん@お腹いっぱい。
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2017/10/15(日) 18:19:06.04ID:SoSW4nAe
明治(夏目漱石・森鴎外)、大正(芥川龍之介・有島武郎)、昭和(宮沢賢治・太宰治)と、それぞれ2人ずつ、
吉本隆明が愛好する作家を取り上げ、その作品中、<父の像>がどう描かれ、時代とともにそれがどう変遷してきたか――を語り下ろした書。
漱石『夢十夜』に触れて――。
《じぶんの中に不安というものがあるとすれば、その不安がもちろん親からあたえられたことは確かでしょうが、親からあたえられただけではなくて、
親の親とか、親の親の親とたどっていくと、何か祖先からあたえられた、とても不気味な遺伝だという考え方もできます》
・鴎外「カズイスチカ」に触れて――。
《父親のそういう態度、腰弁で役所に勤めに行ってまた帰ってくるという繰り返しの中に、父親のすばらしさを見つけ出すことができている。そこが鴎外の偉大なところというか、鴎外を一級の作家にさせたところだと思います》
・芥川の「大導寺信輔の半生」からは、こんな引用をする――。
《「殊に彼よりも背の低い、頭の禿げた父を憎んだ。父は度たび学校の保証人会議に出席した。信輔は彼の友だちの前にこういう父を見ることを恥じた。同時にまた肉親の父を恥じる彼自身の心の賤しさを恥じた」》
・また、吉本自身の父・順太郎についての思い出のひとつ――。
《ときとして貧しさのために蒲団をかぶって泣いたことがあったが、それは不如意のためではなかった。父のあくせくとたえまない働きが、酬いられることがない場面を身近に感じたとき、
父の酬われのなさが、いつまでもつづくようにおもえることが、口惜しいとおもえて泣いた。
 父のかんがえる貧困ということの核心は、委縮してゆくじぶんということにあったようだ。父が、貧乏すると人間が小さくなるもんねと語るのを、しばしば小耳にはさんだことがある》
0344名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2017/10/17(火) 18:48:25.91ID:IcMcUzIw
落語あらすじ」を論じても意味がない。一つの演目が一つの型に固定化されることは決してない。
●第一章 芝浜
耳で聴く文学作品――三木助
ドラマティックな感情の注入――談志
人間味あふれる夫婦の機微――志ん朝
型の自由なアレンジ――小三治
現代的なホームドラマ――圓楽
淡泊さとダイナミックさ――馬生・権太楼
台詞を膨らませる――さん喬
笑いと涙のラブストーリー――談春
可愛い女房が起こす騒動――志らく
新しいサゲの開発――談笑
軽さの可能性――白酒・一之輔
0345吉本隆明
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2017/10/21(土) 16:37:25.65ID:qIayEgBG
吉川文学にはあって、これまでの純文学に欠けているものは何なのか。挙げ
てみるとまず第一に物語性ということに違いない。純文学では物語性はどうし
ても第二義的になってしまう。初めから作家が重きを置かない。
 吉川英治の物語性の背後には、日常的な、ごく普通の生活から発する好奇心
があるのではないか。日常生活を送りながら体験するさまざまなこと。どんな
ことでもいい。あの時にけんかをしたら涙がこう出たとか、いや別な女はこん
なふうに涙をためたとか、そんな日々の生活の機微に大そう惹かれる気持ちが
物語性の細部を成り立たせている。
 純文学作品だったら、それは第二義的でいいと思うようなささいなことかも
しれない。でも本当は大事なことなのだと思う。
0346吉本隆明
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2017/10/21(土) 16:47:38.31ID:qIayEgBG
男女の恋愛関係のなかでいちばんむずかしいのは三角関係なんです。三角関 係というものを最後まで追いつめていくと、どうしても死ぬか生きるかといい
ますか、相手を殺してじぶんの恋を成就するか、それじゃなければじぶんが死 ぬかというようなところに追いつめられるほどきついものです。
 一人の女性をめぐって二人の親しい人間が葛藤するのが三角関係の小説で、 これは不倫小説とか浮気小説とはまるで違います。何が違うかというと、二人
が親しいこと、もしかしたら広い意味での同性愛に近いかたちで親愛感をもっ ていることが三角関係小説の大きな特徴です。これがなければ、単なる姦通小
説で、トルストイの『アンナ・カレーニナ』とかフローベールの『ボヴァリー 夫人』みたいな小説になりますが、漱石が書くとそうはならないで三角関係小 説になってしまいます。
つまり三者三様にギリギリに追い詰められて、『こころ』の場合では親友は 自殺し、自分は下宿の娘さんと一緒になって暮らしますが、やがて年を経て明
治の終わりとともに先生も自殺して終わります。つまり、三者三様に自滅して いくようにもっていく。大なり小なりそれが漱石の主題になってきます。

もし西洋の小説なら、三角関係になったら、女がどちらかの男を選ぶ。しかし漱石の小説でははじめからそのような可能性は考えられていない。それが日本の後進性であり、
西洋風の自我がそのまま日本には通用しないことを示すのだという

三人というのは、共同性のいちばん原型にある関係で、恋愛感情とか男女の恋愛という対幻想とはぜんぜんちがいます。本来ならばちがうはずなんです。
ですから、三角関係における恋愛というのは大なり小なりごまかしであるか、二重操作であるか、あるいは一方の対幻想の場面ではもう隠しておく、そういうでしか成りたたないのです
0347吉本隆明
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2017/10/21(土) 17:05:11.91ID:qIayEgBG
僕は言葉の本質について、こう考えます。言葉はコミュニケーションの手段や機能ではない。それは枝葉の問題であって、根幹は沈黙だよ、と。
 沈黙とは、内心の言葉を主体とし、自己が自己と問答することです。自分が心の中で自分に言葉を発し、問いかけることが、まず根底にあるんです。

俺だけにしか分からない」というのが、自己表出性。しかし「俺だけにしか分からない」と誰もが思うわけですから、その「誰もが」思う表出性が指示表出性です。
優れた作品(=優れた表現)というのは、ディスコミュニケーションを共有するものなわけです。
これが吉本の〈表出〉概念の根源です。〈表出〉の本質は、まずもって〈沈黙〉としての自己表出にあるわけです

文句なしにいい作品というのは、そこに表現されている心の動きや人間関係というのが、
俺だけにしか分からない、と読者に思わせる作品です、この人の書く、こういうことは俺だけにしかわからない、と思わせたら、それは第一級の作家だと思います。

コミュニケーションは「指示表出」。
俳句は五・七・五の限られた文字の中に自己表出があって、小説は、筋として「指示表出」があって、
そこに価値が生まれ、間接的に「自己表出」がされている。純文学が「自己表出」で、大衆文学が「指示表出」

「沈黙」は〈自己表出〉であり、コミュニケーションに用いられる言葉は〈指示表出〉である。そして言葉の本体とはそのふたつが
縦糸と横糸として織り合わさったものであると。そしてより重要なのは「沈黙」の方であり、話された言葉はオマケでしかない。
0348吉本隆明
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2017/10/21(土) 17:09:18.02ID:qIayEgBG
インターネット、携帯電話と、コミニュケーション手段が発達していくのが最近の世の趨勢で、
これに逆行することはできないんですが、コミニュケーション自体が自己目的化したら、それはちょっと病気です。

文化芸術というものは、 人を強制したり、または、 人に導いたり、ということはできないんです。
つまり、もともと、役に立たないことです。 そのかわりに、自由度があるんですよ。

帰するところ、最も重要なことは何かといったら、自分と、 自分が理想と考えてる自分との、
その間の問答です。「外」じゃないですよ。つまり、人とのコミュニケーションじゃないんです。
先生だったら「子どもに対して」ということじゃありません。 子どもに対してちゃんといい授業を見せる、
実行するということは主たることではないんです。 人に対して、というのは あとでいいんです。
自分と、自分が理想と考えるもの、そことの内的な問答が いちばん大切なんです。
先生だったら先生なりに「俺はどうなればいいんだろうか」と、考えていることが必ずあるはずです。
人になんか、わからなくていいんですよ。
自分だけの心の中に問答も反省も絶えずある、ということが、「自分そのもの」にとって大切なんです。
問答の道の行き帰りの回数が多くなればなるほど、そこが豊かになります。それは、最も価値あることです。
先生だけじゃなくて、何の職業であっても、 問答をくり返したそのことは、ひとりでに、自然に出てくるんです。
無理なんかちっともしてないところで、 完全に出るし、わかります。
子どもは鋭敏だから、なおさらよくわかるんだけど、 大人にだってわかられますよ。
自分の中の問答の行き来が豊富になって、 自分の中にたまっていくことが、いちばんです。
先生は、子どもに何か教える必要もないし、「おまえ、こうしろ」なんて言う必要もありません。
問答の道を豊かにくり返している先生が、ただ自然に振る舞っていること、 それが子どもにはいちばんいいんです。
0349大江健三郎
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2017/10/21(土) 17:21:28.90ID:qIayEgBG
\\\\\\\\\\\チェルフィッチュ\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\\
言葉以前の叫び、物語化する直前の身振り、意味になる前の無意識、世界のすべてに繋がる得体の知れないものが
そこにあるように感じられた

いま情報テクノロジーの支配する社会で、もっとも痩せているのが、「文学の言葉」です。「ケータイ」とインターネットの表現が、
この国の人間の表現をおおいつくす時代が遠からず来るそれが老作家のペシミズムです

若い層から実力ある働き手の層にまで、知的で柔軟な、言葉の革新をなしとげる新種族が登場するはず、と私は信じます。その革新の手がかりとなるのが、
この国の近代化でつねにそうであったように「文学の言葉」だと続けると、我田引水にすぎるといわれるかも知れません。
しかし、漱石のみならず、諭吉も、まず「文学の言葉」の人だったと考えて、かれらのもたらした流れを辿り直してはどうでしょうか?

私は永く「文学の言葉」で生きてきました。そしていま、社会の表現と認識の言葉をリードしてゆく層の人たちが、「文学の言葉」と無縁になっているのを実感します。
また外国の知識人が、日本の知識人の言葉をどこに見出せばいいか、戸惑っているのにも気付きます。

「文学の言葉」を、知的な共通の広場に推し立てたいのです。上質の翻訳にして世界に向けても押し出します。

そして、この国でも海外でも、あの「文学の言葉」に共感した、ということが相互理解のきっかけだった、善き時代をよみがえらせたいとねがいます。
0350名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2017/10/26(木) 02:10:37.38ID:wE/HxT1f
http://trainer-labo.com/index.html

スタニスラフスキー、マイケル・チェーホフ、デヴィッド・ジンダー、ヴァイオラ・スポーリンといった俳優訓練の指導者の概要や最新情報や実戦的なメソッド、また効果や注意点などの注釈をつけたインプロヴァイゼイション、シアターゲームです。
また、簡単なムーヴメント・トレーニングの方法やお薦めの書籍(和・洋)、DVDを紹介するページもあります
0351名無しさん@お腹いっぱい。
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2017/10/31(火) 15:36:33.12ID:7ewBG87s
――岡田さんのドラマを観ていると、突然恐くなる瞬間があるんです。それはホラー映画的な恐さじゃなくて、
もっと足元がグラグラする感じで。『夢のカリフォルニア』で、すごく印象に残っているシーンがあります。夫の元から逃げ出してしまった過去がある恵子(国仲涼子)が、起こられたり罵倒されたりすることを覚悟して、
ファミリーレストランで働く元夫に会いに行くシーンなんですが、すごく優しくされるんですよね。でも、それがきっかけで恵子は壊れてしまう。この時に、なんで誰も悪くないのに、いちばん酷いことになってしまうんだろうと、ショックだったんです。

岡田 僕はその点において自分が山田太一さん的なものを引き継いでいるなと思うんですけど、つまり正論と正論の戦いにしか興味がないんですよ。聖と悪ではなくて、
なんでみんなそれぞれ正しいのにこんな酷いことになるんだろうっていう感じがたぶん好きなんです。例えば『彼女たちの時代』において、
平泉成さん演じる部長の言っていることは一〇〇%正論なのに、なんでこんなに辛いんだろうっていうふうに、あそこを嫌な奴にしてしまうのは簡単なんだけど、それには興味がないんですよね。とたんに自分の中ではペラペラになってしまう。
だからひょっとしたら僕は作家になった時はかなりS体質なんだと思いますね。人が本当に言われて嫌なことはなんなんだろうとか、
単にケンカをするとか罵倒されるとかではなくて、謝りに行って「いいよ」って言われた時がいちばん辛いよなっていうことがあるとか、本当に一〇〇%存在を否定するってどういう言葉なんだろうとかっていうことを考えるのが好きなんだろう思います(笑)。
https://news.yahoo.co.jp/byline/narimareiichi/20170814-00074500/
0352名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2017/11/06(月) 02:51:57.88ID:QHCBhj3N
小津安二郎bot‏ @ozuyasujiro_bot ·
メロドラマは苦手だ。メロドラマは自分より哀れな境遇の人を見て流す涙は楽しいということが根本になっている。
だから出てくる人間は無知な常識外れが多いし、事件にも不自然さがなくてはならない。これはダメだ
0353名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2017/11/06(月) 16:03:34.81ID:QHCBhj3N
(家族観が変化して)僕自身も70年代になると、当時人気のあった『時間ですよ』に代表されるような、みんながいいたいことをポンポンいって、
途中でお父さんが怒ってお膳をひっくり返しても、最後は心が通じ合うという家族像だけでは、満たされないものを感じるようになっていた
山田太一
0354名無しさん@お腹いっぱい。
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2017/11/07(火) 02:52:07.33ID:5nOW8vNV
吉本隆明の好きな映画ベスト5
・羅門光三郎主演のチャンバラ映画(日)
・海を渡る祭礼(日)
・今ひとたびの(日)
・獣の宿(日)
・猿飛佐助(日)
0355名無しさん@お腹いっぱい。
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2017/11/07(火) 03:13:27.57ID:5nOW8vNV
井上ひさし
貧乏で生活が苦しい時に、「お金が欲しい、お金が欲しい」と言っていたのでは、人間落ち込むばかりです。そこで黄表紙では、絶対にありえないとわかっていながら、金が貯まり過ぎるというユーモラスな話を仕立て、金があるとか無いとかという次元を突き抜けてみたわけです。
0356名無しさん@お腹いっぱい。
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2017/11/07(火) 03:30:13.71ID:5nOW8vNV
井上ひさし
駄洒落を愛するということは、同音異義語の多いわたしたちの日本語を愛することと同義である。
0357名無しさん@お腹いっぱい。
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2017/11/13(月) 12:54:43.91ID:TPZvgxgr
ある女性のニュースキャスターが、社会的弱者を助けて彼らも「社会の資源」になれるようにしていこうといった発言をしていました。
これも役に立たない者はいらないというような価値観を背景に感じる発言であると思いますし、こうしたものの捉え方は私たちの社会にすり込まれているようです

みんな同じなんだ、平等なんだというのは、権利の部分で平等なわけで、本当は人間の存在って全然平等じゃないですよね(

山田太一
0358名無しさん@お腹いっぱい。
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2017/11/17(金) 13:36:28.71ID:1IX7zdy4
井上ひさしbot‏
本が父親となれば、たとえばシェイクスピアはホラ吹き親父、モリエールはおもしろ親父、
ドストエフスキイはおしゃべり親父、そしてトルストイは説教親父である。
0359山田太一
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2017/11/18(土) 15:25:25.80ID:uQLRYr6Z
客観的に見たら、とりたてて能力がない子でも、お母さんが「この子は世界一の素晴らしい子」だと思っていることは、
子供にとってはどんなに大きな安定感、安心感になるでしょう。合理的にクールに育てるなんて、もったいない。親だけですからね、「この子は世界一」と思えるのは

文化と何のかかわりもなくニューヨークの瓦礫を見たら、なんて汚いところだろうと思うだけじゃないでしょうか。
ニューヨークはよってたかっていろんな作家がスラムまで美的存在にしてしまった。そういうふうなものが日本の郊外なんかにもあっていいという気がするんですね

(時代の)変化や乱れを悪いとばかりはとてもいえません。ただ、テレビを見たりラジオを聞いたりすると、僕はたえずジャブをくらっているような感じがありますね。そのたびに傷ついている

社会全体として政治的な平等などはあるべきだと思うけど、人間の実存に即した平等なんてあり得ない。一人一人違うから面白いし、辛いし、嬉しいわけです
0360山田太一
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2017/11/28(火) 14:35:16.14ID:j+NVjj5d
愛の家庭」を書くものとか、ポンポンいいあいながら実は愛しあっているというような作品をプロデューサーから要求されても、何だか嘘っぽくて書けなくて困ったんです。
むしろ、表面はやわらかくて当たりさわりのないことをいいあっているけれど、実は心が離れているというほうが今の家庭(1979)

(今の日本が舞台では)非日常的な出来事、極端にいえばカフカの『変身』みたいに、誰か一人が毒虫になってしまったみたいなくらい極端な要素を入れないと、表面穏やかだけど、
実は、というような内面が浮上してこない難しさがある。どうも非現実を引き込まないと今の現実が浮かびにくい(2003)
0361名無しさん@お腹いっぱい。
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2017/12/02(土) 01:18:35.92ID:IRDPdrZK
蓮實重彥

残念なことに、今、日本の社会には、靴をつくることしか知らない人たちばかり、あるいは笛でも椅子でもかまいませんが、
イデアとは全く無縁に特定のものをつくっているだけの職人しかいなくなってしまった。

堺屋太一
官庁や大企業のような巨大組織で確立された仕組みの歯車としてのみ働くのなら、これも決して悪くはない。上位者には絶対服従し、
同等者には巧みに話を合わす技術だけを習得している人間ほど使い易いものはないからである。 「組織の盛衰」
0362名無しさん@お腹いっぱい。
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2017/12/02(土) 14:38:45.85ID:IRDPdrZK
山田太一
弱い人こそ美しいという視点、それは近代人には共感しにくい感受性ですけれど、たとえば口ごもることの美しさってありますよね。
はにかみとか遠慮とかひるみとか、そういうマイナスの美しさへの視点がどんどんなくなってきて
0363名無しさん@お腹いっぱい。
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2017/12/03(日) 18:02:33.35ID:Jcjs3Mqr
大宅壮一ノンフィクション賞,星野博美『転がる香港に苔は生えない』(文藝春秋)
星野 博美 (著) 今日はヒョウ柄を着る日

東京の下町の商店街に生まれ育った著者のエッセイ集。「溢れているのは、人情味ではなく、人間味」だと断言する。例えば小学生の頃、
文房具屋で商品を見ながらしゃがみこんでいると「買うの、買わないの?」とハタキで追い払われた。
お目当てのイチゴの匂いの消しゴムはお金がないから触るだけ。子供心に不機嫌な店主の顔が刻みつけられている。一方、愛想が良いのはパン屋や肉屋だった。
そんな昔話に母が平然と一言。優しかったのは自分の家が工場を営み、工員さんの三食用に大量に買い込む上客の子だったからだ、と。感傷を打ち砕くのが面白い。
写真家でもある著者は、立ち位置で見える「世界」が変わることも語る。表題は「シマウマ柄のシャツにヒョウ柄のスカーフのおばあちゃん」についての考察がもとになっている
0364名無しさん@お腹いっぱい。
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2017/12/19(火) 14:02:49.81ID:ugE6jQ31
山田太一の言葉b
「何、結局こういうことだったの」という形でドラマや小説を読むのは、非常につまらないことだと思うんですよ。僕らは結果を生きるんではなくて、
プロセスを生きるわけでしょう。プロセスがいかに違うか、というその違いの中で、喜んだり悲しんだり、張り切ったりしているわけですよね(1988)
0365名無しさん@お腹いっぱい。
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2017/12/20(水) 15:27:22.46ID:/DkPghhN
井上ひさしbot‏ @inouehisashi ·
われわれ人間には「演ずる」という本能がある。人生は涙の谷であって、たのしいことよりは辛いことのほうが圧倒的に多い。この辛さを幻想の力をかりて少しでも美しくして、
やわらげていくほかに救われようがない。これがつまり演劇性である。

自分の気に入った現実をすべて「カワユイ」一色で塗り潰してしまう。そんなことをしていると、現実Aと現実Bとのちがいがわからなくなる。現実をコトバという鋭利な庖丁で
腑分け(これを認識という)することなしにどうやって生きていけるというのか。

コメディアンたちは手さぐりしながら、だれにも見当のつかない幕切れに向って、必死で生きて行こうとしていた。
そのとき、わたしはニセモノの人生=舞台のほうが現実の人生よりも、
もっとほんものらしく思えたのである。その日からわたしは芝居を書きはじめた。ニセモノの人生に賭ける気になったのだ

おもしろい物語には二つの特徴がある。まず情報が精選されている。次にその情報がよく整理され、効果的に配列されている。
0366名無しさん@お腹いっぱい。
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2017/12/21(木) 16:37:11.81ID:Ff5styom
井上ひさし
折口がたくさんのペンネームを用いた、その背後には別人になるという変身願望があり、
これも自殺願望の心理に通底しているのではないだろうか(以上引用)
つまり自分に新しい名を与えることで、折口は自己崩壊の危機から逃れようとしたのだ。

山田太一
今の社会は「本当」のマイナスとは向き合わず、プラスの明るさだけを求めている気がします。
テクノロジーの進歩がマイナスの排除に拍車をかけている。社会を効率化し、洗練させることを永続的に追求しようとする動きです(2013)
0367名無しさん@お腹いっぱい。
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2017/12/22(金) 17:39:57.65ID:98BVzv7U
山田太一
(レイプやストーカーなどのドラマは)結局それらは、十九世紀から二十世紀の大衆文化つまり小説や映画が開発した“感動のパターン”を踏襲しようとしてるんですね

死をシナリオに書くと)人間はみな死ぬわけですから、そこにはたくさんのドラマがありますよね。だけど、それをいわば商売に使うというのは、ちょっと避けたいというか,
それを出せば楽だけど、そのように病気や死を利用するのはたしなみがないような、はしたないような感じがして(2005)

井上ひさしbot‏ @inouehisashi ·
英雄的独裁者のあらわれる時をすこしでも先へのばすためにも、わたしはドジで間抜けな主人公を次から次へとつくり出して行かなくてはならない。
それらの主人公たちが、疲れた人たちの疲労をやわらげるのに、ほんのすこしでも役に立てば、これこそ作家冥利につきる。
0368山田太一
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2017/12/26(火) 23:41:33.92ID:UhlhSTWP
人間にはカネがほしいとか、そんな分かりやすいことではない動機があると思うんですね。それを整理して物欲、性欲というところで判断しようとするのは、すごく残酷なことだと思います。残酷というよりも乱暴かな(2007)

あきらめるのはとてもむずかしい。よくあきらめるということは無気力状態で何もしないこととは違います。実現可能なことに対する感度をみがいて、
可能なことに執拗になることです。実現不可能なことにいつまでも拘るのは一種のセンチメンタリズムです

能力は万人に公平にあたえられているものでもないし、能力のある人が必ずしも努力をしている人とは限らないし、能力のある人の前では口を閉ざすという社会も、
別の時代から見ると、滑稽で野蛮に見えるかもしれないと思うんです。DNAまで手が届いたんだから
0369名無しさん@お腹いっぱい。
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2017/12/29(金) 05:05:24.93ID:1iMnvu43
山田太一
むしろ悲劇があったほうが(小さな悩みが吹っ飛んで)助かるというような、ある意味で倒錯した、
屈折した部分に僕たちの切実さがあるんだと思う。それは、十九世紀以来の大衆文化が培ってきた文脈ではとらえられない。そういう厄介さの中に、僕らは生きてると思いますけど
0370名無しさん@お腹いっぱい。
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2018/01/02(火) 20:03:29.89ID:YuEC49Wv
山田太一
社会全体として政治的な平等などはあるべきだと思うけど、人間の実存に即した平等なんてあり得ない。一人一人違うから面白いし、辛いし、嬉しいわけです
井上ひさし
「自分は絶対に正しい」という唯我独尊的考え方からはファシズムしか生まれないが、「ひょっとしたら自分は正しくないのではないか」という
劣等意識はとにもかくにも民主主義を生む可能性はあるのだ。どんな下らない民主主義でも、ファシズムよりはいいのである。

神は、理屈など通用しない子どもを相手にしなければならない女性の精神衛生を考えて、女性の頭から理屈を抜いておいたのである。そして神の手落ちは、
この理屈の通じない女性を相手にしなければならぬわれら男性に、理屈のわかる頭を与えたもうたことである。

お客様と作り手たちとは、自分たちではハッキリそうと意識しておりませんが、現在の、この時代の要請をうけて、文化の中継走者の役を果しているのではないでしょうか

駄洒落愛好者たちとは、「別の見方がないだろうか」「他の立場に立てばどうであろうか」という思いやりや心のやさしさや咄嗟の機転をあわせ持った人間たちのことなのである。
0371名無しさん@お腹いっぱい。
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2018/01/10(水) 13:02:15.62ID:0VcKm44U
井上ひさし
芸術家というものは、人間のこころの中から、小さな、しかし燦然ときらめく宝石を取り出そうと苦心する人たちのことで、読者はその宝石の鑑賞者であり、
またじつはそれぞれが小さな宝石の所有者でもある。

小説や戯曲の中の死語の氾濫を防ぐ有効な便法のひとつは、この日本語に顕著な音遊びを、コトバの音としての機能を、意味と同じぐらいは重んずることだろうと思うのだ

堺屋太一
つまり、「量」と「質」を確定して、容易に換算できるようなものが「コモデティ(産品)」なんですね

蓮實重彦 蓮見、蓮実
残念なことに、今、日本の社会には、靴をつくることしか知らない人たちばかり、あるいは笛でも椅子でもかまいませんが、
イデアとは全く無縁に特定のものをつくっているだけの職人しかいなくなってしまった。
0373山田太一
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2018/04/06(金) 14:22:29.90ID:WgOsW1l7
生身の人間というのは論理的ではないですから、論理的に生きようとすると、何かゆがむという気がするのね(

(センチメンタリズムは)被害者面をして自己憐憫に陥るとかね。そういうニセの感情だから、知的な人ほど嫌いなんですよ。けれども、そんなにシビアに僕らは、
そういうところで強がっていられるのか。強がっているアメリカ人は、いっぱい精神科医にかかっているじゃないか(笑

格差社会が続いて格差が大きくなると、下のほうが荒れるということもあるけれど、上のほう、つまり金を持っている人間がバカだということも多くなる

インターネットの進化も医療の進歩も、もちろんプラスの側面は非常に大きいんです。しかし一方で、私たちの感受性を深いところで変えつつある。
チャンバラみたいなコミュニケーションでは、思考も浅薄で単純になっていくのではと心配です

人間って言葉で教えられる部分は、親子の関係では小さいと思います。子どもが小さい時、親を見ているというのは、親が言っていることを聞くのではなく、
日々の生活を見ている。親が道に唾を吐かず、ゴミを捨てなければ、子どももまずしないでしょう
0374山田太一
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2018/04/08(日) 13:00:45.05ID:mNhagH/H
僕はタモリさんを見ると自分が不器用に思え、(ビート)たけしさんを見るとなんだか殴られちゃいそうで、両方とも近よりがたい。
人間の魅力をおもしろさで判断する時代そのものが怖いです(1986)

すごい絵を見ると、とても救われる。くわしくはありませんが音楽もそう。あぁ、この人はこんなに微妙なことを狙っている。実際にはありえないものを、
感覚を総動員して構築している。そういう作品を探して、読んだり見たり聞いたりする楽しみが、ずいぶん自分の救いになっています(2015)

(シナリオを書く際に)頭の中で漠たる構成は考えていますけど、あるシーンにのめりこめば長くなったりします。
それを、ハコ書きのバランスで抑制したくない。なるべくドラマが有機体として動くようにしたい(1998)
0375山田太一
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2018/04/13(金) 17:16:59.63ID:zWZG4eIY
お金が儲かるのが現実的だという人も、能率的なのが現実的だという人も、あるいはそれらと反対のことを現実的だという人も
、みんなそういうフィクションを選んで、それを生きているのだと思います(1988)

法律で罪に対する刑罰は決まっていますが、自責の念は個々人の内面にあってバラバラです。一つの行為で自分を責める人がいる一方で、同じことをして何も感じない人もいる。
一般化しにくい問題なんです。でも、過ちに対する自責の念を持つことがモラルの基礎。(2011)

(デモより)個人の話をこまごま書く文学のほうが、革命的ではないかもしれないけれど、よほど腰が決まっていると思っていた。
しかし、60年安保反対のデモは、その反体制のピークとなり、デモに行かない人は「信じられない」という目で見られたりして、ものすごい盛り上がりでした(2015)

優れた芸術というものは、テクノロジーの進化や新発見と同じくらい、いやそれよりも価値があると思います(2015)
0376名無しさん@お腹いっぱい。
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2018/04/18(水) 21:48:17.44ID:zK4STYGj
(ニーチェの言葉は)「そんなことを言えれば簡単だよ」っていう大人の前では、ぶっ飛んでしまうところもあるかもしれない。
ニーチェ自身だって言葉のようには生きられなかった。普通の生活をしていれば、そんなカッコイイことばかりは言えない(2005)

複雑なことは、口ごもることなくパッパッとはいかないのが当り前です。ただパッパッと答えたりすることがいいことだと思いつづけていると、
それが長きにわたった場合、非常に日本を毒することになるという気がする。
複雑なことをゆっくりしゃべっていいんだ、というふうにならないと(1988)

日常生活をしっかり生きていない人というのは、日常生活を地味に生きている人を笑おうとするところがありますよね(2003)

本当にかなしいときって、かなしみに向かい合ってしまうのも救いですよね。だから、日本の演歌や歌謡曲も悲しいものが好まれる(2015)

(震災や活発化する火山という)状況の中で(東京)オリンピックやパラリンピックを開催するより、「開催は光栄だけれども、
万一を考えた結果、我慢をして辞退する、控える」、津波の後遺症を、こういう形でみんなで共有してもいいのではないでしょうか。参加はできるのですからね(2015)
0377山田太一
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2018/04/23(月) 12:56:37.31ID:pFaG03Yo
人間って本当は実に変な存在だと思うんですよ。一人ひとり変なことを考えているのに、みんなそれを抑圧して一般論でつき合ってる(2011)

人は忘れないと生きていけない面がある。マスコミは「忘れまい」と言うけれど、忘れるのも人間の大切な生理だから(2015)

コミュニケイト全てが善だとは思いません。ある人には嬉しいことが、別の人には非常にうるさいこともあり得ます(2002)

(いまの日本では)依然として差別はあるし屈辱もあるんだけど、熱度があまりない。熱度をこめると現代の物語ではなくなってしまうような難しさがある(2003)

何かしたいと思うけれど出来なかった。それが傷になっていたり、誰かが倒れていて声をかけようかなと思って出来なかったとか、
人間にはそういう暗闇だとか、マイナスの面がどうしてもあるし、それをなくすことはできません(1998)
0378名無しさん@お腹いっぱい。
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2018/04/24(火) 19:09:34.56ID:vy2jgkeb
陳舜臣
推理小説が人にばかにされないような、立派な作品を書きたい、という超月並みな言葉しかありません。
愛好者も多いかわりに、白眼視する人もいるのです。
海音寺さんや山本周五郎さんを高く評価することがいま流行っています。「しかしこれと、 (一行不明)  り区別さるべき現象である。
後者はたんに底の浅い団体旅行化の一例に過ぎない」大衆文学再評価論のあとに、評論家S氏はこうつけ加えました。切歯扼腕にたえませんが、
こうした論は大いに斗争心をかきたててもくれます。作品でもってこの種の説に応酬してやろう、というのが私の抱負の一つです
かの純文学のなかには非常にすぐれたものがある反面、いやしい媚び、それもたくみに取り澄ました姿勢、苦悶なき呻吟の体裁による媚びを感じるものもあります。
0379山田太一
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2018/04/25(水) 13:12:12.57ID:A+1AA3Xu
仮に政治が完璧に行われたとしたって、人間は失恋するし、老いるし、死ぬし、個人としていろんな現実は依然として抱えているわけです。僕は、
なるべく政治とかかわらないで生きていけるような世の中がいい世の中だと思う(2007)

本当に自由が無くなる時は無くなっちゃうんですよ。しかも、ただ被害者というだけじゃなくて、
いつの間にか加害者になっているという怖さね。そういう、戦争の時の一人一人の実感、無力感(2011)

いつまでたっても戦争がなくなりません。話し合いで解決できない。結局、人間は善なんかじゃないと
フロイトは100年近く前に指摘しました。人間は自分の領域以外の人がどうなろうが平気だ、と。残念ながら、そうなのでしょう

どこの国にせよ、爆弾を1発日本のどこかに落としたら、もう敵国憎しでウワーッとなって、とても怖い事態になるでしょう。どこの国にだっていろんな人がいるわけですが、
そんなことは問題じゃないっていう風になるのが最も危険であり、今も少しそういう傾向にあることを看過してはならない(2014
0380山田太一
垢版 |
2018/05/02(水) 13:04:02.11ID:nFceBbo5
僕らの生活の大半は、他者のモデルがあることによって、すごくホッとさせられたり、助けられたりしています。何でもオリジナルでやれと言われたら、
どうやっていいのかわからず、途方に暮れてしまうでしょう(1999)

世界がグローバルになり、異文化との接触も増え、解釈しなければならないこともあるけれど、他者の現実を畏怖する視点を失って、他者を捉えてはいけないと思います。
みんな、それぞれの切実さで生きているんですよね(2010)

(結婚について)契約とご縁とどちらが成熟した考え方かというと、僕はご縁のほうが成熟していると思う。完全に自立した一人の人間が、すべて自分の裁量に任されて、
間違いのない契約を交わすなんて、結婚においてはあり得ないのではないのでしょうか(2000)

(木下恵介監督『野菊の如き君なりき』の)セリフはね、リアリズムというか、ナチュラルにやったら聞いていられないですよ。恥ずかしくて(笑)。それが成立するのは、あの棒読み。
それも狙って棒読みじゃなくて、単純に下手だっていう…。その下手さを格調に転化させて。あの計算は凄い(2011)

(イギリスの大人気ドラマを見て)日本の若くて綺麗で、好人物ばかりのテレビドラマを見慣れている私には、異世界でした。特別、嫌な人間ばかりのドラマを作ったのではなく、
人間はこんなもんだよ、という共通の感覚があるのだと思いました(2000)

(戦時中について)今だったらなぜ「戦争反対」と言わないのかと思われるかもしれないけれど、戦争は始まってしまうと「反対」なんて言えない。
出征していく人がいて、死んでしまう人がいる。「バカな戦争はやめろ」と言えなくなる。始まってしまうと手に負えなくなる(2015)

作り手の意図から、はみ出るといいんですよね。脚本を書くと細かくコントロールしたくなりますが、それでは生き生きとした楽しさが出てきません。
演出家も音楽家も僕じゃないし、生身の他者を楽しまなきゃ。他者性が入り込んでくることが、つくるおもしろさです(2011)
0381山田太一
垢版 |
2018/05/04(金) 21:21:26.97ID:mm7Yb3DL
真実は必要だけれども、アリが生まれて死ぬのと人間が生まれて死ぬというのに差なんかないとか、結局最後には死があるとか、
一人だとか、それも真実かもわからないけれど、それでは身も蓋もないというかな、そんなむき出しの真実には、僕らは、耐えられない(2004)

一人の人間が他者に対して、そんなにできることはないんだ、ということを前提にして、子育ても考えた方がいいと思っています(1997)

(バブル時代の)世の中は「可能性」に浮かれていました。だからこそ、何より目を向けるべきなのは、「生きるかなしさ」なのだといいたかった。
人間のはかなさ、無力を知ることこそが大切なのではないかと(2015)

マイナスの出来事によって、感情や感受性が育つというところはやっぱりあると思う。
だから、「マイナスがあったらラッキー」と思う(笑)。「プラスとしてのマイナス」っていうのかな(2014)

人生の、そうですねえ、七〇%くらいは、自分の力ではどうにもならないこと、その時にはプラスともマイナスともわからないもので
、形作られているのではないでしょうか(1998)
0382名無しさん@お腹いっぱい。
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2018/05/18(金) 12:51:48.03ID:XnNXRSId
給料が一番多くても、打率が2割だったらふさぎ込んでしまいます。
逆に給料が一番少なくても4割打てれば、それこそ大喜びするでしょう。
大事なのは、自分が好きな事をとびきり上手にやることです。

ウォーレン•バフェット 総資産6兆円の言葉
0383山田太一
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2018/05/18(金) 13:04:59.58ID:XnNXRSId
このままお金さえ稼げばいいという状況が続けば、幸福な人は誰もいなくなってしまうでしょう。仕事ができる人はいつ
成績を落とすだろうかと不安に駆られますし、仕事ができない人は無能を糾弾されてしまいますから。そんな単純な価値観で人間を測ったら、必ず頽廃します(2000)

友達を多く持って、仲良くして、元気で…。そういうのはまったく成熟していない人間観であると、お年寄りは率先して言うべきですね。最後はひとりで死ぬことは、
誰にしてもわかっている。そのときに介護の人が三途の川まで手を引いて行ってくれるかといったら、そうはいきません(笑)(2000)

理念が正しいと思い込んでしまうと、その理念通りに動かないやつはバカだと思うんです。テロだってそうだし、国と国の戦争になることだってある。
どっちが正しいとは言えないはずなのに、メンツだとかプライドだとか、いろいろなものが入り込んで他人の犠牲に鈍感になってしまう(2013)

(悪しき)感情は誰しもが持っているのではないかと思います。しかし、現在行われている議論は、人間のそういった始末におえない部分を忘れてしまったかのように、
とことん話し合えば理解し合える、なくせない悪はないという考え方に支配されてしまっているようです(2001)

前世代があって、良くも悪くも次世代があるわけで、まったく切り離されて、ある世代が存在してるわけでもないから、前世代がどうであるかということは、
現代を生きている私たちにとっても、無視できる問題ではない(2003)

道徳主義でものごとを判断していくと、どうしても捉えられないものが出てきますよね。排除してしまうものとか。だからあまり、善とか悪とかっていう風には考えない。
善や悪は、一種のネーミングであって、たとえば「大根は善か悪か」とは考えませんものね(1998)
0384名無しさん@お腹いっぱい。
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2018/05/18(金) 13:22:47.29ID:XnNXRSId
日本なんだけれども、どこかアメリカやヨーロッパみたいなとこばかり撮るのが今風でおしゃれだっていうのは、あまりに情けない。
どうやったら美として評価できるんだっていうような町を、美にしちゃうっていう(笑)、そういう物語を書きたいですね(2000)

テレビドラマというのは本来、会話劇が本流だという偏見が僕にはあります。どこの水準で人生を切り取るかという時に、ストーリーで切り取りたくない。
むしろ設定で切り取る。ストーリーの進行はゆっくりであればゆっくりであるほどいい(2002)

人間の「鬼」の部分はドキュメンタリーで本人の口からは聞けませんから、それこそドラマで描くべきだと思うんです(2016)

年配の世代のいい俳優さんが、コメディ・リリーフで使われるのは惜しい。画面を横切って笑わす程度だったり、
頑固ではた迷惑なキャラクターをあてがわれていたりするのを見るのはしのびない。人としてそれなりに生きている姿をまるごと描くという視点が、そこには欠けていると思う(1997)

(いまの人は)性格は非常にあいまいであって、それぞれが違う現実とぶつかり合っている。夫婦であっても全く違う現実にそれぞれが孤独にぶつかり合っている。
そして二人は、そうした孤独をまぎらわすためだけに付き合っている。そうなると人間同士に本質的なドラマがなくなってしまう(1979)

ある日狙った電車に間に合って、今日はいい日だなっていうような、日常のささいなことをとりこめるのが、テレビの特性だなって思うんです。そういうものを積み重ねていって、
その人がいつのまにか非日常的なところにいるっていうことですね。それがテレビドラマのよさなのではないか(1979)
0385名無しさん@お腹いっぱい。
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2018/05/28(月) 02:18:11.81ID:H30GEKYc
マルキシズムにせよ、民族主義にせよ、金儲け・成功にせよ、過度に幸福の像を描いて関わる人が不幸になってしまうというところが二〇世紀にはありました。これから二一世紀に生きるわれわれは中庸を維持したいものです(2000)

観念的な難しいことを言ってたって、納得する根拠っていうのは生活世界なんですよね。そこで現実感を感じない観念っていうのは、結局は自分の力になっていかない(1995)

10代の終わりや20代の初めのころなんて、誰もみんな家族なんていらないと思ってますよ。それが、やがて結婚して新しい家族を作り、子供にうっとしがられたりしてね。そういうもんだと思うな。
みんなで仲良しだなって思ったり、家族っていいねなんて言ってられるのは、ほんの短い間ですよ(1993)

思春期の頃に「自分は自分」という思いにとらわれることがあります。そこから考えると、個を重んじ守ることを重視しすぎる二十世紀の考え方は、いわば人類の思春期みたいなものだったのかなあ、と思います(1999)

何、結局こういうことだったの」という形でドラマや小説を読むのは、非常につまらないことだと思うんですよ。僕らは結果を生きるんではなくて、プロセスを生きるわけでしょう。
プロセスがいかに違うか、というその違いの中で、喜んだり悲しんだり、張り切ったりしているわけですよね(1988)

20世紀は“個の時代”ですから、例えばゴッホの絵がゴーギャンとの共作だ、というのはスキャンダルになってしまう。だけどミケランジェロの頃は合作が多いし、
それで問題がないわけでしょう。つまり“個”の価値観が現代と昔とは違っていて、そしてこれからも違ってくると思うんですよ(1988)

道徳主義でものごとを判断していくと、どうしても捉えられないものが出てきますよね。排除してしまうものとか。だからあまり、善とか悪とかっていう風には考えない。善や悪は、一種のネーミングであって、たとえば「大根は善か悪か」とは考えませんものね(1998)
0386名無しさん@お腹いっぱい。
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2018/06/12(火) 01:43:31.96ID:e64gXzjB
カーネーション
糸子(M)「大きい声で言いながら
     誰よりも うちが そう思いたかったんです」
これ、モノローグのお手本と言って良いと思う。その直前で感情を爆発させた台詞を言わせて、その直後のモノローグでなぜ大声で言ったのかを視聴者に告げる。モノローグはこうでなきゃ。
抽象的な台詞や曖昧な映像の補完の役目で使う脚本家が多いが、本作は違う。きちんと台詞とモノローグの使い分けが出来ている。

その上、それが「語り」として、物語を次の展開へけん引する役目を果たすことも、ちゃんと理解されているから、最後の1行にこのモノローグが書けるのだ。1週間の締め括りとしても、15分間としてもお見事と言わざるを得ない。
0387名無しさん@お腹いっぱい。
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2018/06/15(金) 02:58:52.96ID:p78PK2ts
「お前が好きだ」と叫んで抱きしめる、「許せない」と言ってから殴りかかる――新人のマンガ家には、説明してから行動する、説明してから行動するというやり方ばかりする人が多いのですが、それでは意外性がなくまったく面白くありません
0388名無しさん@お腹いっぱい。
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2018/07/03(火) 14:05:32.73ID:Q0n1zuht
火の魚
渡辺あや氏の “日常” を丁寧にしっかりと書きながら人間の内面をえぐるような衝撃的で且つ優しさ溢れる脚本と、黒崎博氏の赤色を巧みに使って描いた “生への拘り” や、
ひと夏の広島の自然を美しく切り取った映像なども素晴らしかった。見応えのある作品だった。

一応、マイナス点の理由を。1つは、原作者と脚本家の作風なのは十分に理解した上で、映像的なモノローグの多さによる文学作品的な匂いの強さ。やはり、原作を変えたのなら映像勝負で行って欲しかった。
もう1つは、折見の設定にあれこれ背負わせ過ぎたことで、おのずと展開が読めてしまった点。人形劇は出来るは、魚拓は取れるは、絵の才能があるなど。劇中で説明は為されていたが、
すれば良いと言うものではない。台詞はあくまでも映像の補助的役割だから。
それなら、例えば、幼少期からから絵を描くのが好きで、その趣味が高じて大人になったら人形劇をボランティアでやっていて、父親譲りの釣り好きと言うのを序盤で映像で見せても良かったと思う。
少なくとも絵が上手いのは海辺での海藻で書いた龍で説明したのだから、桟橋とか防波堤で釣り好きも説明できたはず
0389名無しさん@お腹いっぱい。
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2018/08/08(水) 14:27:38.54ID:+/sC5dXO
(“敗者”を描いていると言われるが)自分では普通のひとを書いているつもりなんですよ。ごく普通のひとをね。
ただ、普通のひとは何処かしら敗者的なところがあるものなんで、そのように見えるんだろうなと思うんですが(2013)

弱い人こそ美しいという視点、それは近代人には共感しにくい感受性ですけれど、たとえば口ごもることの美しさってありますよね。
はにかみとか遠慮とかひるみとか、そういうマイナスの美しさへの視点がどんどんなくなってきて

テレビドラマが仕事なので、手前味噌をいわせていただくと僕はいまこそホームドラマが求められているんだと思う。ちまちました日常生活のなかで、
ドアの閉め方が気に障るとか、タオルを使った後の始末が悪いとか、そういうレベルの話にもう一度関心を戻さないと
0390山田太一
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2018/08/09(木) 16:59:09.01ID:VS6Vk1Pp
自分を棚に上げないのが僕の基本姿勢。だから悪い人は出てこないけど、いい人を書いているわけでもない。要するに登場人物が、無理のない行動をする。人のミステークを書いたときは、そんなこと言えた俺か?って思います(2013)
0391山田太一
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2018/08/13(月) 19:11:12.08ID:k1vxf2gK
(主人公が)奥さんに「別れてほしい」って言われたとしますよね。その反応はいくつか考えられますが、一番納得しやすいものを選ぶと、物語はきれいには仕上がります。でも優等生の作文みたいで、何か活力がない。
そこからが、本当のスタートです。どういうふうに話を揺さぶっていこうか(2013)

なぜ、僕の叔父さんは毎年、忠実に同窓会に出て行くのか、ただそれだけのことのなかにもびっしりといろんなドラマがある。それに比べたら、殺人事件の犯人がだれかなんておもしろくない。
少なくとも、僕の書きたいドラマではないと思ったんです(2003
0392名無しさん@お腹いっぱい。
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2018/08/18(土) 13:31:49.32ID:o3jhCKP5
「義母と娘のブルース」が良すぎて困っている。でもこれはある種の所を意識して観ていないとわからない凄さだ。例えばCLAMP、例えばゴッドファーザー、大河、この感動を誰かと共有したい、
森下佳子が好きな人はいるか、直虎を観ていた人はいるか。捕まえて居酒屋でも引っ張っていって無限に話をしたい
森下佳子のドラマってまさに"ドラマ"で、なんというかそれは「昔昔あるところに…」ではじまる「おとぎ話」というかもはや「神話」的なのだよな。だから彼女の脚本はすべて
彼女がこの世界のシステムをどう解釈していてどう捉えているかってところから始まっている。
だから表層の物語はポップで軽いものであっても、裏にはその世界の論理が張りめぐらされている。だからドラマで起こることは突飛なように見えてもすべてその論理に従っておきている、
だから「白夜行」を観て「おんな城主直虎」を観ると見えなかったものが視えるし「おんな城主直虎」を観て「義母と娘のブルース」を観ると沢山の発見があるようになっている。
悲しい話だろうと恋愛だろうと家族だろうと時代が何百年流れていようと、世の中の論理、システムは変わらない
今のテレビドラマの主要な作家は例えばクドカン/岡田惠和だったりするわけで(勿論坂元裕二もだけど)、そうなるとこの流れは木更津キャッツアイ/ちゅらさんから始まってるわけなんだ。
とするともう15年経っている訳だから、これはだいぶ飽きられてきているはずで、そろそろ新しい人が出てきてもいいはず
けれど一向にその気配がない。例えば野木亜紀子はわりかし若い作家で成功しているけど、野木ちゃんは何というか、ドラマおたくな感じがしていて、今までそういう作家がやってきたことを非常に
論理的に、かつ現代的な視点でやってるって感じだから、完全な新しいものにはならないんだよな
0393名無しさん@お腹いっぱい。
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2018/08/18(土) 13:34:23.66ID:o3jhCKP5
思うに、空気を変えるきっかけになるのって例えば90年代の三谷幸喜だったり、00年代のクドカンだったりって、コメディ作家の勢いによるところが大きいと思うんだよな。
それで、なんで10年代はイノベーション的なものがないのかというと、そのコメディ作家に当たる人がいないってところが大きいのでは
一応、無理くり名前を挙げるとするとそれは福田雄一になるんだろうけど、福田雄一のやってることって良くも悪くも隙間産業というか、
既存のコメディがあることで面白くなる性質のものだと思うから(ヨシヒコなんかまさにそう)、あれがメインになってしまうシーンは少々きついものがある。
現に福田雄一自身は普通に悪くない仕事をしてると思うけど、そのフォーマットに追従したコメディ映画/アイドル映画、
あるいはB級実写とかが「爆笑必至!」みたいなキャッチコピーで溢れちゃってる現状、
控えめにいって地獄。あれは元々、深夜ドラマでやる性質のもので、シーンを動かすことにはならない
あと新しいものが出なかった要因の一つとしては、クドカン/岡田惠和が自らの描いてきたものを更新し続けているっていうのが大きいんだろうな。クドカンなんかは、
テーマなんかはずっと一貫していると思うんだけど、「IWGP」→「キャッツ」、それから「11人もいる!」からの「あまちゃん」だもんな
幸喜ですらずっとおんなじことやってるしね。今やってる「半分青い」なんかは序盤は新しいこと出来てたけど
、結局良くも悪くも北川悦吏子って感じのお話になってる。更新するのは凄いのだと

更新っていうと、坂元裕二は特殊で、90年代の主要作家でありながら、00年代の間は別の手法でドラマを作っていて、10年代になるころに、
その90年代的なものを更新させて戻ってきた。「Mother」「それでも生きていく」はもう一つの始まりな感じがする
0394名無しさん@お腹いっぱい。
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2018/08/18(土) 13:38:54.88ID:o3jhCKP5
あと新しいものが出なかった要因の一つとしては、クドカン/岡田惠和が自らの描いてきたものを更新し続けているっていうのが大きいんだろうな。クドカンなんかは、
テーマなんかはずっと一貫していると思うんだけど、「IWGP」→「キャッツ」、それから「11人もいる!」からの「あまちゃん」だもんな
90年代の野島伸司/北川悦吏子が未だに同じものしか描けてないのを観ると、そういうことなんだなって思う。三谷幸喜ですらずっとおんなじことやってるしね。今やってる「半分青い」なんかは序盤は新しいこと出来てたけど
、結局良くも悪くも北川悦吏子って感じのお話になってる。更新するのは凄いのだと
0395名無しさん@お腹いっぱい。
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2018/09/02(日) 23:40:26.61ID:12VrU6vn
10月にホームドラマchでやるらしい
3年待ったわ
0396山田太一
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2018/09/26(水) 13:06:06.37ID:Pp+vvYO5
道徳主義でものごとを判断していくと、どうしても捉えられないものが出てきますよね。排除してしまうものとか。だからあまり、善とか悪とかっていう風には考えない。
善や悪は、一種のネーミングであって、たとえば「大根は善か悪か」とは考えませんものね(1998)

私は、ずっと事件を起こす寸前までいくけど起こせない人たちを書こうっていう方針なんです。犯罪を起こしちゃえばその時代の歪みがくっきり犯罪を通して出てくるんだけれども、それはみんなやってるから、
自分の輪郭をはっきりさせるために、犯罪を書くのはやめようと(2005)
0397名無しさん@お腹いっぱい。
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2018/10/04(木) 18:35:05.67ID:fqQPeEJu
王様のレストラン

禄郎がテーブルに耳をつけて耳かきをされようとしていると、兄の範朝(西村雅彦)がやって来る。
 「何をしているのか?」と範朝に聞かれて、禄郎は「何か変な音が聞こえるんですよね」と誤魔化す。
 これだけで十分オチのついたせりふのやりとりになっているのだが、脚本の三谷幸喜さんはさらに落とす。
 「変な音が聞こえる」と言われた範朝は自分もテーブルに耳を当ててみて、こう言う。
 「地下鉄だな」これが一流のプロのせりふだ。
 普通の人なら「変な音が聞こえる」というせりふを考えた時点できっと終わってしまう。
 範朝の「地下鉄だな」を書けるか書けないかで、シナリオの質は大きく変わってくる。
 
 こんなやりとりもあった。
 同じく三条と禄郎。
 三条をディナーショーに誘っている禄郎。
 禄郎が「ディナーショーの歌手は何とかイグレシアス」と言うと、三条は「まあ、フリオ・イグレシアス!」と歓ぶ。
 しかし、禄郎のチケットは<マリオ・イグレシアス>というフリオの遠い親戚らしい。
 先程と同様、これだけでオチとしては十分なのだが、その後で三条はこう言う。
 「まあ、逆に興味があるわ」
 
 これも先程と同じ。普通なら「誰それ?」とか「じゃあ行かない」などで終わらせてしまう。
 ところが三条は「逆に興味があるわ」。
 これで<禄郎に口説かれていることを楽しんでいる>三条のキャラクターが伝わってくる。
 せりふのかけあいの中で、最後に何を言わせるかは非常に重要なのだ
0398吉本隆明
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2018/10/06(土) 00:49:18.37ID:v0vDXVX1
この世界に法律や道徳や国家があるのは、人間の自由を妨げる欠陥が、この社会にあることの象徴だというのが、
芸術のほんとうの立場である。 『夏を越した映画』

ひきこもって、何かを考えて、そこで得たものというのは、「価値」という概念にぴたりと当てはまります。
価値というものはそこでしか増殖しません。 『ひきこもれ』

わたしたちの「原爆映画」は、黒澤明にしろ新藤兼人にしろ、原爆を不可避な運命としてしか描きえなかった。冷厳に科学的に計画的に原爆と対決する
ことをテーマにはとらなかった。 『夏を越した映画』

大衆はそれ自体として生きている。天皇制によってでもなく、理念によってでもなく、それ自体として生きている。それから出発しない
大衆のイメージはすべて仮構のイメージとなる。 『丸山真男論

日本の民衆が「公のためには個が犠牲になってもいい」という考え方に陥りやすいのは、歴史的、地理的要因があるからで、
アジア的専制制度というアジア固有の国家制度が長く続いてきたためです。 『私の「戦争論」』
0400吉本隆明
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2018/10/27(土) 17:01:59.92ID:WaB1GvK5
いろんなことにくわしく、 要点をまとめることができたとしても、 自分が入っていない場合があります。 そういう人の意見を聞いていると 実感がないから、どうしても不満が残ります。
0401名無しさん@お腹いっぱい。
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2018/10/31(水) 13:40:07.76ID:JsuTzUu+
まんぷく
戦争の悲惨さの描写が生ぬるい」との感想が世間にはあるようだが、当blogは全くそうは思わない。例えば、夫が湯につかり、妻が火をおこす…そんな労働のあとの束の間の安らぎを描いた直後に、
満月と猫の鳴き声のインサートカットから、夫の忠彦がまだ帰還せずに悲しむ克子、慰める福子が描かれた

戦地に夫を送り出せなかった妹が、夫を戦地に送り出した姉を元気づける。それを克子の長女・タカが目を赤くして背中を向けて黙って聞いている。
これだけで、戦争の悲惨さや恐怖は十分に伝わって来る。何も、隣の家に骨箱が届いたり、
ケガした兵隊を歩かせたりするような直接的な表現をしなくても、心情で察するのがドラマの楽しみだと思う
0402名無しさん@お腹いっぱい。
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2019/01/10(木) 02:06:12.73ID:2evESe2k
「声高に主張しても、違う考えを持っている人の心を開くことはできませんから。跳ね返ってくるだけで。固く閉じている心を開くのは、アートや音楽、
映画や物語の強さだと思います。だから、こういうときこそ、より必要だと思います」

坂本「もったいないお言葉ですけど、僕は『非戦』と言いながら、100%実行できるかというと、そう簡単にはいかないと思っています。たとえば、今も毎日のようにシリアをはじめいろいろなところで、空爆やテロで幼い命が失われている。
最愛の子どもを失ったお父さん、お母さんに、僕たちは『復讐するな』『報復するな』と、はたして言えるだろうか……。最愛の身内を失った人たちに、それを言うのは残酷なことだし、『非戦』は難しく、とても深い問題だと思います」
吉永「難しいけれど、報復をやめないとますます泥沼化してしまいます」
坂本「そのとおりで、報復すれば、されたほうも報復するという連鎖が続きます。これを断ち切ることは必要ですが、難しい問題ですね」
吉永「難しいといえば、『自国第一』を主張する大統領や指導者が世界中に何人も出てきています。こうした流れのなかで、私たち一般市民が、
どうすれば核のない、戦争のない世界へと向かっていけるのか……。これも、とても難しい問題だと思います」
坂本「僕は、緊張が高まっている今だからこそ小説や物語、映画や音楽やアートに力があるような気がします。リアルな世界で緊張と緊張がぶつかり合っているときって、みんな音楽のことなんか忘れていると思うんです。
でも、そこに『ポロリン』という音が入ってきた瞬間に『ああ、忘れていた』と誰もが感じる」
吉永「そうですね」
坂本「忘れていたことを思い出させるのは音楽やアート、映画や小説の役割ではないでしょうか。僕はアメリカに住んでいて、アメリカ市民ではないので選挙権はないですが、やはり
、トランプ氏が大統領選挙で当選したときには本当にショックで。周りにはショックで泣いている人もたくさんいましたけれど、翌日には『こんな時代だから、
今までになく音楽やアートが必要だ』と、僕は強く思ったし、トランプ以前とトランプの時代では、アメリカにおける音楽やアートの存在の仕方が、たぶん違ってくるような気がします。それは、映画や物語も同じだと思います」
0403名無しさん@お腹いっぱい。
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2019/01/15(火) 05:03:12.21ID:pQ+W7Na/
ジャーナリズムがイラクやパレスチナなどの「戦争の惨禍」を映し出そうとする映像は記号化されステレオタイプ化したものであり、人々の痛みや叫びを伝えることはできない。
本当に大事なのは人々がどのようにその生を営んできたのかという生の具体的な細部なのであり、記号に還元されない具体的な生の諸相を描き、
人間的想像力と他者に対する共感を喚起するものとして、文学は今こそ切実に求められているのである
0404名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2019/01/28(月) 16:14:29.83ID:ajxfEzdu
グローバルな時代になって、情報があふれています。だからこそ、自分が感じ取れる個の世界を手放してはいけないという気がするんですよ。マイナスの感情も含めて
、いろんな感情が行き来する世界をちゃんと生きていなきゃいけない(2011)

アメリカでは決まり文句のように、「家族が大事」と言われます。能力主義が徹底し、人が持つほかのあらゆる共同性を断ち切ろうとしている近代国家だからこそ、
能力主義とは違うかたちで人とつながることを求めようとする、ひとつの現れではないでしょうか(2000)

社会の中で、病理的なものまでファッション性を帯びてしまうのが、まあ、風俗なんだろうけど、しっかりした主体性のある人なら、
こうした風俗に流されて自分の基本的な生き方まで変えることはない(1984)
0405山田太一↑
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2019/01/28(月) 16:20:04.64ID:ajxfEzdu
インターネットの進化も医療の進歩も、もちろんプラスの側面は非常に大きいんです。
しかし一方で、私たちの感受性を深いところで変えつつある。
チャンバラみたいなコミュニケーションでは、思考も浅薄で単純になっていくのではと心配です(2016

日本なんだけれども、どこかアメリカやヨーロッパみたいなとこばかり撮るのが今風でおしゃれだっていうのは、あまりに情けない。
どうやったら美として評価できるんだっていうような町を、美にしちゃうっていう(笑)、そういう物語を書きたいですね(2000
0406名無しさん@お腹いっぱい。
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2019/02/21(木) 21:22:48.68ID:vkviaLKS
樫田正剛,,,,,,,,,,行列48時間

三谷作品は先が見えたり展開にあざとさを感じて好きじゃない
行列は予想外の展開や人のつながりが出てくるし
何より 主人公が変人でもヒーローでもなくごく普通の人なのがいい。
周りの人もクセはあるけど身近にいそうな人ばかりなのが更にいい


三谷ファンだし三銃士も見てるけど、下三行に全く同意です。
このドラマは三谷ドラマとは全く違います。
行列シーンが多いので舞台的に見えますが、実はそうじゃありません。
登場人物たち自身、それぞれ思惑はありそうだがそれは明かされず、
しかも他の人間に誤解されていることをまだ知らない。 警察、駒子たち、誘拐犯と、全く別の場所でも話が展開し、
視点がいくつもあって、話が多層化、複雑化している。
だから面白い。
三谷さんの脚本は、誤解を受けたことを知り、けれどどうにも出来ずに 周りの変人に巻き込まれていく系の話が多い気がします
0407名無しさん@お腹いっぱい。
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2019/02/26(火) 14:26:35.06ID:SlKWGZ5L
形容詞を使わない 大人の文章表現力
◆より「伝わりやすい」文章を書くための9つのテクニック
「すごいね」「かわいいね」「それ、いいね」
→ありきたりのほめ言葉で、相手は本当に喜ぶ?

「おいしそうなパンケーキ」
「メープルシロップたっぷりの絶品ふわふわパンケーキ」
→より「おいしそう」に感じる描写はどっち?

1つの言葉でいろんな感情を表現できる形容詞(すごい、かわいいetc…)や、
ざっくりした説明と相性がいい副詞(ほとんど、たくさんetc…)は、
ついつい使ってしまいがち。
でも、使いすぎると、「中身が伝わらない」文章になってしまうことも!
◆豊富な語彙を的確に使うことで、文章は洗練される!
そこで、本書では、ありきたりな形容詞や副詞を使う代わりに、
動詞を使って丁寧に書きこむ「描写」、擬音語・擬態語を駆使する「オノマトペ」、
イメージをふくらませる「比喩」、前向きな姿勢を示す「否定表現」など、
大人なら知っておきたい、文章を洗練して「知的な印象」を与える表現技法を紹介。
国立国語研究所の教授で、日本語のレトリックに精通する著者が
豊富な問題と解答例をベースにわかりやすく説明します

「ほめ言葉」はより盛り上げて。「否定の言葉」はより柔らかく
0408名無しさん@お腹いっぱい。
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2019/03/03(日) 01:29:22.81ID:wd6/cF/k
三谷幸喜
冒頭から主人公・北別府(小林隆)の職業を見せたり説明せずに、医師や看護師の台詞から視聴者に感じ取らせる。こう言うのが普通なのだが、最近のドラマの脚本は、
この類のことを手抜きするのが多いが、そこをきっちり時間をかけて描写する脚本と演出に好感が持てる。

ドラマの冒頭で「2002年・初夏」とか時代設定を文字で入れてくるドラマにアタリは少ないと言うのが私の持論。やはり映像で魅せないと

リング上での親子のやり取りの撮影や照明など演出面が妙にリアルさに欠けてしまったのは、やっぱり鶴橋演出って感じの美術セットに頼る作風
0409名無しさん@お腹いっぱい。
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2019/03/03(日) 02:42:12.31ID:wd6/cF/k
上手いな〜と感心したのは“最後の晩餐”場面での照明による演出。柚子胡椒を取りに真紀が入ったキッチンが蛍光灯の青白さを強調した照明で、
夫が座っているダイニングの暖色系の照明とは対称的になる演出でした。1つの舞台を全く異なる2つの光が照らし、夫と妻がそこに居る。
この時の妻の行動と台詞はどうにも埋まらない夫婦の溝を表しており、異なる照明がその溝の深さを強調して解りやすく伝えてくれました。

さらにその後、夫がキッチン、妻がダイニングと位置を交代。各々が違う照明の下で、話が離婚の手続きへと進展したのです。ほんの数分間でしたが見事な演出に唸りました。
朝ドラの「何でもかんでも逆光一筋!」に辟易しているところに、こういうプロの鮮やかな技を見せられると目が覚めますね
0410名無しさん@お腹いっぱい。
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2019/03/13(水) 01:54:22.62ID:nNhcaKM3
宝島 77年12月号 「総力特集 大麻レポート」より
 
筒井康隆
「あれを報道する人の中にもかなりの体験者がいるはずです。僕も知っているんだから。また、
マリワナみたいなものを吸うチャンスがあったら吸ってみたいと思うぐらいの好奇心がないよ
うでは、新聞記者として失格。」

田原総一郎
「たかがマリワナくらいで大騒ぎになることは非常におかしい」
「マリワナ自体に関しては、アメリカの西海岸に行けば誰でも手に入るし、それが害の少ない
ものだということはもう明白であるけど、僕はそれほど好きではないし、重大な物とは思えま
せんね」

吉本隆明
「逮捕されたり、取調べを受けたりしている芸能人のうち一人くらい『マリファナを吸ってな
にが悪い。芸能だって芸術と同じように、時として法のかなたへ越境する精神の自由が無けれ
ば開花しないものなのだ』と主張する奴が出てくることを祈り、期待します。」
0411山田太一
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2019/04/10(水) 18:31:33.65ID:viDtOtOK
オリンピックで四位になった人のことなんて、すぐにみんな忘れてしまうでしょう。金メダルを獲ったって忘れてしまう。「百年の孤独」ですよ。
誰の人生も、ただ一陣の風が吹いて終わりというところがある。そういう残酷さや無常観を、僕は動かせないと思うんだな(2014)


何ができるかということで個性を量られることもありますけれど、自分のことを振り返ってみると、できないことで自己形成していった部分が大きいと思いますね。
何かしたいと思うけれどで出来なかった。それが傷になっていたり

幸福も一ヶ所にいないけど、絶望だって一ヶ所にいないんですよ。“時”はいつも動いている。つらいと思っても、半年くらい経てば、
それほどつらいことじゃなかったと思う。だからね、時が動いているということを、いつも頭に入れておくのもいいんじゃないかな
0413山田太一
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2019/10/15(火) 02:20:22.09ID:uodELL+I
山田太一
(タモリには)農村や漁師たちに通じる快楽的な笑いのセンスをかんじます。競って冗談を言い、競って笑おうとするいなか的な発想が強いんじゃないかな。
そういった人たちの頂点にいるのがタモリさんという気がするのです(1986)

インテリの世界で品良く知的なことを言い過ぎる人たちに対する嫌悪もある一方で、大衆を嫌悪する気持ちも自分の中にあります(2013)

どこに行こうと家族の宿命性から完全に自由になることはできない。そういう関係があることは時に辛いし、悲しいけれど、
時に心の安定にどれほど力になっているか知れないと思う(2009)

経済を)否定はできないけど、その物語以外にも、他の物語があると思う。例えば、「福島の体験があったから、原発は全部やめよう。
それで経済的につらい時代が来るかもしれないが、それに耐えてみんなでヒーローになろう」みたいな物語だって、案外多くの日本人が共感するんじゃないか(2014)

真実は必要だけれども、アリが生まれて死ぬのと人間が生まれて死ぬというのに差なんかないとか、結局最後には死があるとか、一人だとか、
それも真実かもわからないけれど、それでは身も蓋もないというかな、そんなむき出しの真実には、僕らは、耐えられない(2004)
0414名無しさん@お腹いっぱい。
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2019/12/23(月) 00:01:00.65ID:FmxLBBg9
長編作品は脚色ものが多く、中でも戯曲の脚色が多数を占めている。台詞を圧縮して純化することにより、
必要不可欠な言葉だけで構成し直すのがドライヤーの脚色法であった。
ドライヤーは「台詞はいわばクローズアップで提示されるべき」だと考え[2]、
本質的なもの以外の装飾を帯びた演劇的な台詞を削り取った。また、これはカットの連続性を損なわないためでもあった。
0415名無しさん@お腹いっぱい。
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2020/01/19(日) 00:04:07.81ID:U8OI55sT
河合隼雄だけはネットにあまり肯定的ではない。
なにかをネットで検索したらバーッと結果が出てくることに狂喜する立花隆に対して河合隼雄は――。
「そのときにバーッと出てくるよりも、
自分がどこかで出会うほうが面白いということはないのですか。
(立花隆「それはないではないです。
プライベートな生活では、個人的に出会うのが面白いでしょうね」)
僕はそれで十分にいっているから、何も要らないと思っています。
僕はホームページがないのでホームレスと言っています。そういうのがなしでも結構面白いと思っているのですが、
やたらあまり出てきて、結局選ぶのだったら、僕が勝手に人生の中で選んでいるほうが面白いのではないかというやり方をやっています」(P164)
タイトルは「読む力・聴く力」である。
河合隼雄は「読む力」にも懐疑的だ。あえて「読まない力」を説く。
なにを読むかといえば、文字になった言葉である。しかし、ケルトのような無文字社会もある。
ケルトは、意図的に文字を持たなかったのではないか。「なぜかというと、文字ができるということは
便利な代わりに心の働きを限定するところがあるのです。
たとえば山という字ができると、山がわかったように思ってしまう。
この山も、あの山も同じ山だという概念が成立する。人間の進歩ではあるけれど、そのために感性は衰えるわけです。
一つひとつの山を見て感じとることができなくなってきます。
ケルトはそちらのほうを発展させたのではないか。だから文字がないのではないかという考え方は面白いと思いました。
アメリカの先住民も文字を持っていないです。文字によらない感覚はものすごい洗練されていて、
ちょっと見てもそこに何か通った跡があるというのがわかったり、
僕らと全然違う感性を磨く。それは文字を持たなかったからだ」(P178)
インターネットどころか出版(活字)文化さえ否定している。
いまはすたれた出版文化も全体の歴史から見たら最近のものなのである。
科学文明が紙に文字を大量印刷することを可能にした。その本も売れない。インターネットだ
0416名無しさん@お腹いっぱい。
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2020/01/19(日) 00:05:59.02ID:U8OI55sT
では、さかのぼって見て、本のまえはなんだったかというと、
「話す」「聴く」である。言葉は文字以前は「話す」「聴く」であった。
果たして「聴く力」は、耳とテープ(ふるっ)に録音するのとどちらがすぐれているのか。
これは「見る力」は、目とビデオカメラ(ふるっ)のどちらがすぐれているかにも通じる。
河合隼雄は心理屋のボス猿で、多くのカウンセラーの相談に乗るということをしている。
その役割をスーパーバイザーという。

「僕のところにスーパーバイズを受けに来る人もいますが、僕がいろいろ言うわけだから
テープレコーダーを持ってくる人は絶対に断ります。
テープレコーダーに覚えてもらうような気持ちなら来るなと言います。
自分で覚えて、自分で忘れて、残るやつがいいのであって、テープレコーダーは忘れませんからね。本当ですよ。
全部入っているというのはナンセンスです。
僕がいっぱい言った中の、何かがその人にヒットすればいいわけでしょう。だからそういうときに僕は絶対に使わせないです」(P139)

わたしは観光地に行ってもいっさい写真を撮らない。そもそもカメラを持って行かない。
旅した海外の光景はほとんど覚えていないが、現地で聞いたことで覚えていることならある。それでいいのだろう。
0417山田太一
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2020/01/30(木) 21:59:59.09ID:2ipjaod3
前世代のものを次世代につなぐためにも教育はとても大事だと思います。例えば絵画にしても昔は宗教画しかなかった題材が王の絵になり、金持ちの絵になり、
市民の絵になるまで何百年も経っている。だからこそ私たちは普通人の顔をモデルに絵を描くという財産を享受できる(1998

(モネなどの印象派は)こんなの手抜きだと言われたわけじゃないですか。それがしばらく経つと、くっきり描いた歴史画みたいなものはバカみたいに古く見えましたよね。
でも今となっては両方等価で、傑作は傑作、ダメなものはダメとなっています(2007)

チェーホフの作品は、希望をもっている人も結局は失望してしまう、恋も挫折してしまう、なんか幻滅してしまうというところで話が終わっていますね。それでも多くの人が何度も見たいと思い、
いまだにチェーホフブームというものがあるわけですね(2004)

マルキシズムにせよ、民族主義にせよ、金儲け・成功にせよ、過度に幸福の像を描いて関わる人が不幸になってしまうというところが二〇世紀にはありました。
これから二一世紀に生きるわれわれは中庸を維持したいものです(2000)
0419名無しさん@お腹いっぱい。
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2020/07/28(火) 00:16:10.98ID:HxvhSi98
 物語の展開する場所がどこであれ、次々と突飛な出来事が起こり、読む側の感覚がジワジワ少しずつ狂わされていく。そんな高山作品特有の読み心地は、
今作でも健在。そもそも主人公・未名子の仕事からして、公のものではない資料館の整理やオンラインクイズの出題と、ありそうでなさそうな……。絶妙なところを突いてくる。
「そう、これは未名子の仕事に限らず小説の中で起こることすべてに言えるんですが、『あるかな、ないかな、いやギリギリあるかもな。自分の身にだって起こり得るぞ』という
ラインを探ってあれこれ考えたりはしますね。ギリギリを狙わず『それはないだろ』ということを書くと、ああおもしろいことを書こうと狙ったんだなと思われて終わりになってしまいそうなので。
 まあそれでも、あらすじなどにまとめられたりすると、『絶対ねぇよ』みたいな話に聞こえてしまうんですけど」
 奇妙な話を、「ギリあるかも」と読者に信じさせる手立ては、小説家としての腕の見せどころだろう。高山さんが講じる手は、大きく2つあるという。
 ひとつは、状況や出来事の細部までを、きっちり書き込むこと。
「細部を書き込まないと、本当にただおかしな話になってしまいますからね。ですから話が奇妙な方向に行く直前なんかは特に、
地ならしじゃないですけど、描写がやけに丁寧になることがあります。そのあたりの私のクセに気づいている読者の方も、
いらっしゃるかもしれませんね。『あ、こいつ、そろそろ離陸しようとしてるな』って(笑)」
不思議な出来事を小説内に「在らしめる」ための、もうひとつの手段。その人物の「鈍さ」にフォーカスすること。
「小さいことに動じないというか、何でも受け入れる人を主人公にしていることが多いです。そうすると、
ちょっとくらいヘンなことが起きても流してもらえるので。結果的に、相当鈍い人ばかり書いている気がします(笑)。
自分もどちらかというとそういう性格なので、それがそのまま反映されているのだとも言えそうですが」
0420名無しさん@お腹いっぱい。
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2021/01/24(日) 21:49:00.49ID:5zRntmav
2020年11月22日
織田正吉さんが亡くなった。漫才の台本作家である。かつての漫才ブームは織田さんや
秋田實さんらの台本があってこそだった。やすきよ漫才の大部分は織田さんの台本だ
いつも寡黙で哲学者の風貌をみせる織田正吉
ジョークとトリック 頭を柔かくする発想 講談社現代新書 1983年
笑いのこころ ユーモアのセンス 岩波現代文庫、2013年

木津川計。。上方芸能』を創刊。。。上方の笑い』(講談社現代新書、1984年
井上宏。。上方お笑い大賞」創設に関わ。。。笑いの人間関係 (講談社現代新書 1984/
0421名無しさん@お腹いっぱい。
垢版 |
2021/03/01(月) 00:00:00.15ID:cCGljm6c
ドラマ版が原作を凌駕した数少ない奇跡。
当時23歳だった坂元裕二の脚本に対して、
原作者の柴門ふみはこんな風に言っています。

「彼の創り上げる瑞々しい台詞劇に出会う度に、私は太々しく
歳を経ってしまった女であることを実感し、そして赤面します。」
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