義経は頼朝を倒せたか?
司馬の「義経」を読んでフラストレーションがたまったので建ててみた。
うまくやってたら頼朝と北条氏を倒して義経が天下取れてたと思うんだよね。
>>251
見張り所ぐらいはあったんじゃない?
それに昔は鎌倉への山道は狭かったから守備側の兵士は少数で守れる。
その間にいざ鎌倉へと武士が集まってくるのを待つんじゃないか? 鎌倉って凄い狭く感じるんだけど、
当時何世帯ぐらい住んでたんだろう。 九州にいけてたらなあ。足利尊氏とか西郷隆盛みたいに反革命ができたかもしれないのに。 先の乱で源氏の家系が少なくなく厚みがない。
頼朝には北条氏(まぁこれも弱いが)がついていたが義経にはそういうものがなかったので局地戦では勝てても大局では負ける。 末代までの恥とかいって、武士は死後まで名誉を重んじるじゃん。
最期がアレで、「大頭」と馬鹿にされた頼朝に引き換え
伝説のヒーローになっちゃった義経は、完璧な勝ち組。間違いなく。
伊東祐親ってのもどうしようもない人間のクズだよな
子孫の伊東義祐が悲惨なのは先祖の因果応報かもしれない
【速報】 塩 鬼 容疑者、違法駐車
まさしく現代に降臨した悪鬼の化身!
てか単なる犯罪者。
>>257
まあ当時の関東武士団=字も読めない野蛮人の集まりだったからしょうがない。 なかなか興味深い記事を発見。
ttp://okwave.jp/qa/q3333302.html
やはり当時の関東武士の識字率はかなり低かったようですね。 ▽都人からみた吾妻男
東人は常に云わく、額に矢は立つとも、背に矢は立たじと云ひて、君を一心に護るものぞ(聖武天皇/続日本紀)
あずまをのこは いでむかひ かへりみせずて 勇みたる 猛き軍卒(大伴家持/万葉集)
相模国鎌倉は、下界の鹿渋苑、天朝の築塩洲也。武将の林をなす、万栄の花よろづにひらけ、勇士の道にさかへたり(海道記)
戦士の勇、山東の民一にして千に当たる。あに皇畿近州の嬰児を以て、東関蛮夷の勇健に対せんや(吉田定房/吉田定房奏状)
▽江戸っ子から見た京女
水 水菜 女 染物 みすや針 御寺 豆腐に 鰻鱧 松茸(大田蜀山人/一言一話)
京によきもの三つ 女子、加茂川の水、寺社(滝沢馬琴/羇旅漫録)
京は石地小砂利のみ多く、土気すくなし。故に人きれゐなり。女などはいにしへより美人多きぞ(二鐘亭半山/見た京物語)
京地は婦人よし(司馬江漢/西遊日記) >>1
悪いことは言わないから、司馬なんかやめとけ 「真・三國無双6 Empires」のエディットで鎌倉幕府チームがアップされてたのでDLしたが
5人中3人が悪逆だったのにはワロタw 【世界遺産明暗】鎌倉不記載に「信じられない」神奈川県知事 - MSN産経ニュース
ttp://sankei.jp.msn.com/science/news/130501/scn13050114230002-n1.htm
国連教育科学文化機関(ユネスコ)の諮問機関である国際記念物遺跡会議が「武家の古都・鎌倉」(神奈川県)について登録にふさわしくないと勧告してから一夜明けた1日、
同県の黒岩祐治知事は県庁で取材に応じ、「大変ショック。絶対に認められると確信を持っていたが、不記載という最も低い評価で信じられない」と残念がった。
これまでユネスコ関係者らに直接アピールしてきただけに、夜遅くに職員から不記載の報告を受けたときは視界が真っ暗になったという黒岩知事。
低評価の原因については「歴史的な意味は認めていただいたようだが、鎌倉は生活の場でもあり、
ぱっと見て世界文化遺産としての印象がストレートにつながってこなかったのかな、と思わざるを得ない」と推測した。
今後の対応については「侍文化発祥の地としてのコンセプトは非常に良かったと思うが、違った形で再チャレンジしていこうということになるかもしれない。
(取り下げの可能性についても)みんなで協議していきたい」と話した。
-----------------------------------------------------------------------------------------------------------
所詮DQN集団が作った都など世界遺産の器ではなかったってことかw これで世界的にも平泉>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>>鎌倉が確定したということかw
奥州藤原氏、頼朝へのおよそ800年越しのリベンジ成功おめ! もし頼朝が義経に敗れていれば鎌倉幕府は不成立→神風はなかった→太平洋戦争の敗戦もなかった
→竹島問題も尖閣諸島問題も北方領土問題も沖縄の基地問題も全部なかったことになるに違いない。 >>267
敗戦がなければ、今の日本の国土も人口も経済力も史実より強大になっているのは確実だな。
その代わり治安と環境が史実より悪化している可能性もある。 もし日本で文化大革命が起こっていたら、頼朝や執権北条一族の墓は跡形もなく破壊されていただろうな。 そういえば、梶原景時の墓って小学校の裏側にあるらしいね。
もし文革が起こってたら取り壊されてそこに校舎が立てられていたかも。 ちなみに初代執権・北条時政の墓と、
後北条氏の祖・北条早雲に滅ぼされた足利茶々丸の墓は同じ寺にある。 パリテロはやっぱりヤラセ!
クライシス・アクターさんがスターダムに! 早くも偽旗作戦の証拠映像が挙がりました!
ボストンテロとパリ襲撃事件テロ両方に居合わせた世界一不運な女性ですw
◆BOOM! Exposed Crisis Actor from Sandy Hook and Boston Bombing found at Paris False Terrorist Attack
https://twitter.com/hotaru123a/status/665888328193937408
ISISに襲撃されたパリのバタクラン劇場のオーナーは2015年9月11日に劇場を売却済み。
https://twitter.com/tokai amada/status/665992523878301696 >>226
北条一族は源氏(足利も含む)に比べ名門でないから、地道にやるしかなかったんでしょ。
泰時とか評判いいじゃん。 >>226
北条一族は源氏(足利も含む)に比べ名門でないから、地道にやるしかなかったんでしょ。
泰時とか評判いいじゃん。 頼朝は北条一族の操り人形
安倍みたいなもの
義経殺しはまだしも、頼朝が範頼殺す理由は皆無
全部北条の源氏抹殺政策 ☆ 日本人の婚姻数と出生数を増やしましょう。そのためには、公的年金と生活保護
を段階的に廃止して、満18歳以上の日本人全員に支給する、『ベーシックインカム』
の導入は必須です。月額約70000円位ならば、廃止すれば財源的には可能です。
ベーシックインカム、でぜひググってみてください。お願い致します。♪♪ >>130
建礼門院が宗盛、義経と通じたとかいうクソみたいな俗説を史実かのように平然と書いて宗盛と建礼門院を貶めた 司馬って歴史の妄想、ねつ造を広めたゴミだろ
このゴミが坂本龍馬を英雄のように小説で盛りまくって
ネットがない時代、ゴミ妄想小説を読み「龍馬ってすげーよな」って龍馬語りしたときに「それってゴミ司馬の妄想だろw」
と歴史好き少年を嘲笑の対象にさせてしまったゴミ司馬
許さん 【漫画家うげっぱ(44)心不全、また連載中】 阿藤快、大瀧詠一、鶴ひろみ、前田健、木村拓也、松野莉奈
https://rosie.5ch.net/test/read.cgi/liveplus/1541124659/l50
なんで漫画家がよく死んでるの? 何で?
なんで2011年を境に毎年30万人も人口が減ってるの? 何で?
なんでこの問題を国会やテレビで取り上げないの? 何で?
なんで無関心なの? 何で? 北条氏は源氏が邪魔だった
頼朝は家来の裏切りは大嫌いだから表立って滅ぼせない
だから義経の討伐で味を占めた後は弟たちを殺していく
範頼も全成も
頼朝の死後は頼家を殺した
実朝は三浦氏が殺したけど _-"ミ;ノリ人ノノヘ/リ; `゛゛ ミ /::::::::::::::::::::::::::::::::::::::\
>ミ/ 'γ、` ミ |:::::::::::::;;;;;;|_|_|_|_| 〜 プーン
了| "~`、 "~"` {,',; ;} 。 |;;;;;;;;;;ノ∪ ^ ,,, ^ヽ 〜
"7 `⌒` ⌒ }ミ:. { |::( 6∪ ー─◎─◎ ) 〜
'| / レリ* |ノ (∵∴ ( o o)∴) 〜
+ i ( }ィ' |∪< ∵∵ 3 ∵ノ
` ー--- /|` + \ ⌒ ノ
ヽ  ̄ / |__ \_____/
平敦盛 源義経
今日けふは九郎大夫判官義経、先陣に供奉ぐぶす。これは木曽などには似ず、
もつてのほかに京慣れたりしかども、平家の中の選えり屑よりもなほ劣れり。
面長くして身短く、色白くして、歯出たり
平家物語より >>1
日本歴史鑑定っていうマイナー歴史番組、一時期神護寺像の偽頼朝像使わなくなって木像にしてたんで、ちゃんと勉強してるなと思ってたのにまた神護寺像源頼朝として使い始めたな
歴史を鑑定するとか言いながら、ダメだなこの番組 もう予約全部解除するわ 世間を上下左右に渡り歩いてきたからこそ義経は頼朝より遥かに冷静、客観的だった
・・・義朝の死は「自業自得」だったって
むしろ恨み骨髄だったのお家志向の頼朝の方(長田のリンチ然り)
平家に復讐してどうする?その先は?
義経は父親の汚名を返上した上、「新しい源氏」を目指そうとしただけ
そしてそれは自分を受け入れ育んでくれた平泉のように美しくあって欲しいから
「源氏の天下」なんて間違っても望まなかった
平家を容赦なく追い詰めたのは神器を持ち逃げしたから・・・結果、
国が救いようのない血の海になるのが目に見えてたたから(南北朝の動乱を考えればいい)
「存念あり、この戦にて命を落とす覚悟」
この混乱にケリをつけなければならない、即ち、奥州が巻き込まれ鎌倉と衝突してはならない
その為ならこの身など惜しくない・・・そういう意味だと思う
坂東の野武士達は(平家もだけど)いつだって吊られた人参を追っかけるだけだよ
後白河に存念の内訳なんて分からないだろうけど、義経こそ本物のサムライという言葉はその通り
現代に持ってきてもとてつもなくカッコいい人だと思う、この人は どのみちすぐ終わる頼朝の世が義経の大活躍で多少早く終ったとして、義経には「次」になるための手駒もツテも全く足りない
義経の手元に残るのは奥州藤原氏くらいだがこれが救いようのないボンクラしかいない 頼朝が鎌倉幕府の最高権力者だと考える時点で、大きな事実誤認がある。
頼朝の立場はわかりやすく言うと、平氏との競争に負けて倒産した会社の息子。
北条氏をはじめとする東国の武士団は、清盛を中心とする京都の政権に対抗できる看板として流人の頼朝を選んだ。
東国の武士たちはそれぞれ兵と軍資金を出資した株主で、頼朝の立場は金も兵士もない雇われ社長。
頼朝に軍事的手腕があれば実権を握る可能性もあったが、軍事的才能に欠ける頼朝は、公平に恩賞を与え、公平に土地争いを裁定するだけの機関に過ぎなかった。
義経もその実態が最後までわからなかったから、頼朝に甘えればどうにでもなると勘違いしていた。 「源平合戦」といわれる戦いの本質は、農場経営者として力を蓄えた関東武士団の「独立戦争」です。
ただ、それだと分かりづらい(一般ウケしない)ので、、「この戦いは、平家に親を殺された源頼朝公の
仇討である」という看板を掲げているに過ぎません。
実のところは、「頼朝の挙兵に関東武士が味方した」のではなく、「関東武士の挙兵に、頼朝が旗頭として担がれた」のです。
このことは関東武士団はもちろん、頼朝本人も、よく分かっていました。
ところが、これを全く誤解して、表看板の「仇討ちストーリー」をまるごと信じてしまっていた無邪気な男が、あとから参加してきた義経です。
彼は京都の貴族社会で育ち、「関東での生活経験」が全くないのだから、まあ仕方ないのですが、
最初から「平家を滅ぼすことが戦争の最終目的である」と勘違いしています。
頼朝の命令で義経に付けられた軍勢は、みんな「関東独立」を願う関東武士です。
当然、義経の「仇討ち」をお手伝いするために命がけで戦っているわけではありません。義経に忠義を尽くす理由は何もないのです。
義経は確かに天才的な軍事指揮官ですが、戦争目的を間違えていたのでは話になりません。 「関東独立」という大目標からすれば、平家が西国に落ちて勢力をなくしたのなら、
ムリして全滅させる、皆殺しにする必要なんてないんです、実は。
追い詰めたところで降伏させて、三種の神器と安徳(元)天皇を無傷で取り返したほうが、よっぽどいいに決まっています。
京都に恩を売れるし、なによりこっちも無傷で済みます。無駄に危険を冒すことはないでしょう。
ところが、この戦争を「仇討ち」だと信じる義経は、遮二無二平家を追っかけて無茶な作戦を繰り返していきます。
崖を馬で駆け下りろ? 逆櫓をつけるな? 何を無理ばっか言ってるんですか。死んだらどうすんですか。
義経は、関東武士たちを自分の「家来」だと思い、こき使います。家来が自分の指揮に従うのは当然だと
思い込んでいたでしょうが、これが典型的な「貴族の発想」です。
関東武士たちはうんざりしていたに違いありません。武士の根本原理は「御恩と奉公」なのに、義経はどうやらそれが全然分かっていないのです。
関東武士は、義経に従って戦って、平家の公達を皆殺しにして、大勝利して、大喜びしたか? 否です。
「別にそういうことのために戦ってるわけじゃない」からです。 彼らが「鎌倉殿」つまり頼朝の家来になったのは、頼朝を棟梁として「自分たちの権利を主張していく」ためです。
つまり真の敵は、後白河法王を頂点とする京都朝廷なのです。
関東武士を虫ケラと考えていて「黙って服従して年貢を送ってくればいいんだ」と考えている貴族たちです。
政治家・頼朝は、朝廷に対して「これからは、そうはいきませんよ」と軍事力を背景に強力に主張していかねばなりません。
若いときからずっと関東で武士に混じって暮らしていた頼朝は、自分が「担がれた身」であり、そうすることが自分の
存在意義であることを、いやというほど理解しています。
ところが義経は、自分勝手な戦争に勝っていい気になった挙句、こともあろうに、その「敵の巨魁」に丸め込まれ、
鎌倉の頼朝を無視して勝手に官位を貰い、搾取側の貴族の仲間に入れてもらって喜んでいます。頼朝が激怒するのは当然です。
本当の敵は平家ではなく朝廷なのに、それに丸め込まれて得意になっているのですから。
弟にコレをやられては、示しがつかない、どころの話ではないのです。
これじゃあ、武士を忘れて貴族になってしまった平家と同じだ、所詮は京都の貴族社会で育った御曹司、
こんな男に、協力するいわれはない、と、関東武士たちは皆、義経からソッポを向いてしまいます。当然です。
「弟だから偉い」というのは、まるきり「平家」の考え方、貴族の発想です。断じて許すわけにはいかないのです。
義経が「人気があった」と言われますが、それは京都の貴族や庶民の間で、です。肝心の関東武士に
は「まるで不人気」だったというのは、当然だというのが分かります。
頼朝が、義経の人気に「嫉妬」したのだ、という人がいたら、それこそ「貴族の発想」です。関東武
士の棟梁、いや、関東独立国の王という、いまだかつて誰もやったことのない、もんのすごい難しい立場を
こなしていかなければならない頼朝が、義経を羨ましがる理由も、暇も、何もありません。
義経は当然のように、鎌倉から追討されます。関東武士は誰も義経の味方をしませんでした。
当たり前です。武士の権益を守ろうとしない義経が勝っても何もいいことはないし、
「戦う目的がまるで分かっていない」義経が勝つはずもないのです。馳せ参じる物好きはいません。
義経が孤立するのは、歴史の必然なのです。 義経に貴族社会を垣間見る機会があったのでしょうか、物心つく頃から奥州へ行ったきりだと思ってました >自分勝手な戦争に勝っていい気になった挙句
よくそう言うけど、そうは思えないし、あくまで個人的想像なんだけど・・・
頼朝が西国遠征から義経を外したのは公家達から要請があったからだし
後白河が「そながいないと京が心配」と呼び戻そうとしてるのは事実
義経が来てから、京は明らかな変化があった
壇ノ浦から凱旋したときにこの世の終わりか?と思うくらいに民衆が狂喜したのは
戦が強かったからじゃない、検非違使をず〜っと頑張ってきたからだと
神器は取り返した、源氏の名誉も回復した、戦う必要も無く、頼朝に叛意なんてあるわけ無く
義経は都を再建しようとしたのでは?
元々治安が悪い上、平家の焼き討ち、義仲にかき回され、荒廃しきっていた
やることは山のよう、時間はいくらあっても足りない・・・他の誰にも任せられない、俺がやるしかないと
頼朝には理解できない情熱だろうねw
義経の才覚はよく知ってるからこそ政治家としてぶっ潰したんだよ 戦の天才というより、変な奇襲やなりふり構わぬ手を打つ変人 >>298、
掟破って漕ぎ手だけ射る、掟守って漕ぎ手だけは射らない、どっちも揺れる船上では不可能
倍の敵を相手に倍の矢を消費していった平家が先にガス欠した・・・こんな簡単な物理も分からない人は人生オワコン 戦に関しては裏技を思いつき実行する変人
政治に関しては知的障害者レベルの絶望的なセンスのなさ 司馬厨とかゆー終ってる人種はいい加減棺桶に入ればいいのに