義経は頼朝を倒せたか?
司馬の「義経」を読んでフラストレーションがたまったので建ててみた。
うまくやってたら頼朝と北条氏を倒して義経が天下取れてたと思うんだよね。
お、建てれた。
平泉が動けば結構簡単に鎌倉は倒せそうだとおもうんだが 仮に義経が天下を取れても、彼に頼朝のような政治手腕はなく、室町幕府のような不安定な政権になったと思います 政治的手腕ないのかな?朝廷から官位もらったりしたのって
意外と対鎌倉を考えてたんじゃないかと思うんだが。
まあそれにしても部下に政治のうまい人がいればな。あの時代武士で
政治うまいのなんてほとんどいなさそうだが、 弁慶は僧侶だしもっとちゃんとしたのが付くべきだったかな。 朝廷から官位貰う時点で、政治的駆け引きダメダメなような気もするが
それに戦術的天才であっても
あのやり方は古参の武士には受けが悪いような気がす
結局は誰もついてこなくなるのがオチなような? 西国での平氏追討は戦術家としては優れていた。
しかし、問題なのは、官職云々もだが、御恩と奉公の関係が分かっていなかったのでは。
義経は頼朝の名代だ。だから手柄を立てるべき立場ではない。
作戦は考えても良いし、実行しても良いし、戦っても良い。実は戦闘そのものはあれで
まったく問題なく、勝利した。三種の神器の問題はあるが。
問題は、その戦果を義経の手柄にしてはいけないという事だった。
例え義経のおかげで勝ったとしても「鎌倉の御家人たちの奮闘のおかげで勝つことができた」
という風に義経から頼朝に報告するような形があれば、その後の展開は大きく変わっていた
ことだろう。 ん?頼朝は実はたいしたことないと思う。後の歴史考えると
多分北条一族が凄かったんじゃないかな?頼朝は北条一族の操り人形
って感じするわ。 頼朝の頃はまだ頼朝自身の方が際立っていたんじゃ?
頼家・実朝の外戚が北条氏だから、そこで北条氏が際立ってきたような
外戚文化だからねえ、この頃は >>12
けど北条氏がそれほど力持つまでになるのを
止められなかった頼朝ってのはどうなんだろう?
結局、義経やノリヨリだかを遠ざけ、北条氏独占の時代を
作ってしまったし。結果実朝で滅んでしまったわけだし。
北条政子が一番の化け物な気がするな。 >>15
平氏一族の奢りと没落を見ちゃったからだよ。
平氏は身内に甘く次々に昇殿した結果、
清盛の妻の兄まで恩恵にあずかった。
挙句が、
平氏に非ずんば人に非ず
だし。
だから身内に厳しくしなければ武士や世間に示しがつかないと考えたんじゃ? けど徳川は身内で固めたりしてるし、頼朝はどうなんだろう?
けどさ平家を倒せたのは義経だけだったと思うから。下手に
平家と戦わないで鎌倉と平家が弱ったところに義経が出てったら
もっとうまい事やれたんじゃないかな? 頼朝と対立するまでは義経が関東から独立しているわけではないので無理 いや、例えば義経が平泉にいたままで頼朝に会いに行かなければ良かったということでは?
藤原秀衡に大局観がなかった? 義経の戦法は関東の武士にバレバレなんだから頼朝は倒せないだろ 木曽と連合組めてたらどうだろう?木曽残党あたりをまとめてたら。
無理かな。
やっぱ平泉が味方について西で勢力伸ばし
関が原で頼朝と決戦とかになってたら面白かったんだが。 義経は西国ではエグい戦さをしたからな
相手を調略するようなやり方で攻略したら、平氏の残党を味方にできたかもしれないが
一の谷、屋島、壇ノ浦って奇襲戦法や船のかじ取りを射殺すなど、相手からしたら卑怯千万
のやり方で勝った。これが後世に至るまで義経の武勇を高めたけれど、反面支持基盤が
拡大しないその場限りの戦いという事もできる。
義仲の残党も一緒じゃないかな。義経に帰順しようなんて残党はまずいないんじゃ?
関東の武士たちは頼朝あっての関東で、義経はその名代くらいにしか思っていないから
頼朝と義経が対立したらみんな義経から離れるよな。
この辺り、後世の楠木正成、織田信長、坂本龍馬にも似ている。
反面、徳川家康など、信長と共に滅ぼした武田の残党を抜け目なく配下に組み込んでいるし、
後北条氏滅亡後は関東で北条残党も組み込んでいる。遡れば今川の残党も。
敵を滅ぼすか、大将だけ倒して部下は引き込むかで、その後の運命が違うような。
徹底的に倒せばかっこいいけど最終的にはしりすぼみ。
うまく妥協して支持者を増やせば最終的に勝利者、天下人。
でも後世の評価は前者の方が高くなる。
どちらが幸せな生き方なんだろうな・・・・・ もののふは命を惜しむな 名を惜しめ
なんてのは大抵最終勝利者が部下に言うキレイゴト けど義経は平家の娘を嫁に貰ってたりしたわけでしょ。
これは平家を味方につけるためではないの? >>31
本当に金槌を投げるようにルールを改めたら見直して貰えるかも知れない >>3
鎌倉幕府も十分不安定な幕府だったと思うが。
やっぱ徳川幕府に比べると鎌倉も室町も駄目だったと思う。 >>37
朝廷に贔屓にされてる義経なら征夷大将軍ぐらいもらえるでしょ。
頼朝倒したらだけど。 倒されない
それに征夷大将軍だからといって幕府を開いたことにはならない 幕府は武士の支持がないと開けないだろ
安定するか不安定なのかは状況にもよるけど、多くの支持がないと幕府は開けないぞ
むしろ江戸幕府などは戦国の果てにできた例外的安定幕府で、不安定ということは
それだけ下の武士の勢力が強かったわけでこちらの方が普通なのかもしれない 幕府作れなくても関白ぐらいになれたりしないもんかね?
清盛はなったでしょ。 >>42
鎌倉武士はともかく
朝廷や一般庶民には義経は人気があったと思うけどね
やっぱり、武士の人気がいまいちなのは致命的だよな >>43
なっとらんよw
平清盛は太政大臣
>>44
当時の一般人は義経のことなど知る由もない
平家物語以降だよ
なんか最近、無知蒙昧が増えてるな・・・・・・・・ >>45
そういうものなのか?
普通、その時代の著名な人物くらいは知っているものでは?
特に都の人なんかは、当然義仲のことぐらいは知っているだろうし、義経のことも「平家を倒した人」くらいには分かっていそうなものだけど。
凱旋もしているんだし、知らないことは余程興味が無い限り、ありえないのでは? >>46
「一般庶民」という話もいろいろで、地方の人間は源氏だ平氏だが分かるかもしれない。
都に住んでいる人間はやや消息通だろうが、それでも義仲を倒したのも、平氏を追討したのも
「源頼朝軍」という認識だろう。その武将である九郎義経は、よほどの消息通でない限り
知らない名前だ。朝廷から叙任を受けた後は少しは知られるようになっただろうが、その
活躍であるとか、こんにちの我々が義経について持っているような情報は、そのほとんどが
平曲(平家物語)が琵琶法師などにより広まって以降の話となる。 >>48
なるほど。そういうことなら理解できる。
ありがとう。 頼朝は安房から再起したのに、義経は再起出来なかった。 後世の人気者は当時の不人気者
源義経、楠木正成、坂本龍馬
ヒーローは次第に作られていく >>48
この分野に関してあなたは部外者です
「門外漢」ではありません「部外者」です
違いが分かりますか?
この世界で食っている「大人」であれば誰もが知っていて当然の、
学生さんが学校で習う程度の常識も知らない
あなたはこの世界では「学生さん」以下の子どもです
基礎的な常識を身に付けようとする努力もなく専門知識の事ばかり質問しても
せっかく説明してくれている事を全く理解できなくて当然なんです
専門知識というものは美味しい所だけ都合よくつまみ食いできるほど甘いものではありません
質問者のそのような態度・姿勢は、答える側の人間に対して失礼です >>51
そこで終わってしまうようでは「知ったか」なんだよw
では何故ヒーローというものは次第に作られていくものなのか? 義経は権力欲は無かっただろうから無理でしょう
腹芸も出来なかったろうし
義仲未満 いや検非違使に任ぜられて狂喜乱舞
腰越状の中でもそのことを偉そうに書いてるから「権力欲」はあったんじゃね?
幼稚なレベルでw 朝廷で出世しようとしてた義経に対して頼朝が
対朝廷だったわけでしょ?
頼朝もちゃんと義経に説明してれば良かったと思うんだがな。 >>56-57
欲があったかどうかは微妙なとこだが、
政治のことがさっぱり分かってないよな
ただ単に何も考えず検非違使になれるらしいのでなった(ある程度の権力が手に入ると知っても然り)、や
兄に喜んでもらうために検非違使になった、はまだ理解できるが
義経自体が検非違使になって後白河上皇と頼朝を対立させようとした、は過大評価しすぎだな
>>60
その過大評価してる奴って????????????? >>61
いや、ここの住人が
>ただ単に何も考えず検非違使になれるらしいのでなった(ある程度の権力が手に入ると知って) と
>義経自体が検非違使になって後白河上皇と頼朝を対立させようとした
のどっちの意味で「権力欲」の有る無しの話をしているのか微妙なところだったから・・・
どっちの意味なんだろうと思って鎌をかけてみた。 >>19
亀レスだが、徳川は身内で固めたりしていない。
というと誤解の元かもしれないが「譜代」と「親藩」の違いでいえば、
徳川一族はむしろ政治に参加できないようにした。
本家の後継者となれば別だが。
譜代は、鎌倉時代で言えば義経ではなく、関東の御家人たちだ。
だから、この部分は源頼朝と徳川家康は共通するものが大きい。
家康は政策の要諦として「吾妻鏡」を読んでいたというから参考に
した可能性もある。
創業者一族を過剰に優遇したら、拠って立つ組織が長持ちしない。
これは現代の企業も似た傾向があるが。 藤原秀衡がもっと長生きしていたら義経が頼朝に勝てたかに興味があります 奥州17万騎だっけ?の実力はどんなもんだったんだろう?
小説とかだと。義経がいなくなった後、頼朝対奥州になって奥州
はあっけなくやられたみたいな感じになってるけど
戦闘行為はあったんだよね?それこそ壇ノ浦とかレベルの戦だったんじゃないの? 秀衡は66で亡くなったんだろ?
当時では順当な死だよ
それに秀衡死後の奥州はバラバラ
泰衡の急襲で討ち取られるような義経が勝つわけねーよw >>66
>討ち取られる
これは、正しくは間違い。細かいところを気にしないんだったら別にいいんだが 政治的に奥州は追い詰められたからな
で、秀衡が生きていたら頼朝に勝ったかもしれないけどそれは秀衡が勝ったのであって義経の勝利ではないね 義経は、頼朝と戦いたくなかった。
頼朝も、義経と戦いたくなかった。
けれど、状況が、彼らを戦うように仕向けた。
それは仕方がないこと。
弟が、兄を倒したということは、あまり聞かない。
その逆は、結構聞く。
?上杉謙信のケースがあった・・・
一応筋は通したはずだが・・・
よく分からなくなった。。。 天武天皇は、(兄では無いけど)
兄の子供を倒しているよね。
でも、これは天武天皇の出自にいろいろな説があるから
微妙なとこだけど・・・。
載頼は自力で平家討伐出来ずに援軍に頼ったところがあるから、
立場が弱いんだろ・・・
結局彼も頼朝に追い詰められるが・・・ 範頼を追い詰めたのは頼朝じゃなく北条時政
殺されたのかもしれない
藤野巻狩りの後の消息不明
北条時政が殺したかの確証もないが御家人たちは結局源氏については最終的には抹殺したかったのでは >>80
いや、頼朝が原因で、位の意味だった。
分かりにくくて申し訳ない。 ケキョーク義経は頼朝に勝てないのかよ?
秀衡が100まで生きても頼朝がどれほどドジを踏んでもそうなのかよ? 頼朝ならドジ踏みそうだなw
後白河法皇死後に征夷大将軍となったのはいいが、大姫入内問題で朝廷工作失敗。
長年の同志九条兼実とライバル関係になってしまい、挙句その敵対勢力である
源(土御門)通親と丹後局に接近するが、これが目論見はずれ。
結局大姫は入内できないだけでなく、入内したのは通親の娘w
頼朝はいいようにアシラワレテしまった。
義経は、藤原秀衡死後、すぐに平泉から行方をくらませばよかったのではないかな?
完全でなくともよく、例えば国衡や忠衡あたりには相談しておくとか。泰衡だけだろ?
やばそうなのは?
頼朝は奥州討伐の名目を失い、奥州と鎌倉は膠着状態。
法皇の死後、頼朝は大姫入内問題を起こすがうまく行かず、ここで朝廷と鎌倉の蜜月が終わる。
そこで奥州藤原経由で、義経は通親派と結託して、後鳥羽天皇から頼朝追討の宣旨を受ければいい。
承久の乱が前倒しで起きるわけだ。
承久の乱と違うところは、奥州が頼朝の敵対勢力であること。
承久の乱でさえ、圧倒的に鎌倉有利なのに決着がつくまでに1か月もかかっている。
西国の中立勢力や残党を朝廷の権威で糾合し、奥州藤原氏と義経が南下すれば、鎌倉は窮地に
陥るだろう。 頼朝って戦らしい戦はしてないよね。戦場に出させたら普通に負けると思う頼朝って。
馬もろくに乗れないみたいだし。 頼朝の周りはみんな戦らしい戦をして勝ってる奴ばっかだぞw 小笠原武田土岐足利で固められたら北陸か海路しか通路はないけどな。 平家を西国で生かしておいて奥州へ。
平家、鎌倉、奥州の三国時代。で平家と手を結んで
鎌倉討伐とかだったら鎌倉は滅ぼせただろう。
一の谷で義経が奥州に戻ってたら勝ってた。 なんか頼朝ってやたら評価たかいみたいだけど
具体的になにがすごいの頼朝って?