昔の悲しい思い出ってあるか? P35
レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。
俺はある。昔から一緒だった幼馴染が引っ越してしまったこと。
当時、中学3年だった俺には相当こたえたな。
泣かないつもりで居たのに、泣いてしまったり・・・その他も色々・・・。
他の人はどうよ? 思い出の量
ムカツク思い出>楽しい思い出>>>>悲しい思い出 ∧∧
〜′ ̄ ̄(,,゚Д゚) <高校の卒業式泣いちゃった、つまんなかったのに
UU ̄U U
卒業式は、いわゆる「悲しい思い出」とはちと違う気もする。 ∧∧
〜′ ̄ ̄(,,゚Д゚) < 復讐する前に死なれちゃった
UU ̄U U
友達と思って喋りかけたヤツがあんまり喋った事ないヤツだった
でも漏れも何を思ったのかそのまま喋り続けてしまった 昔の思い出は全部、なんか哀しい
楽しかったことも、今思い出すとなんか哀しい
11と似てるけど、大学で友人だと思って冗談で背後から襲った奴が、
顔見たら全然違って、もう顔面蒼白。謝ったら普通に通り過ぎてったけど、
多分、むこうもリアクション不能だったんだろう・・・ >>10
俺は高校でそれやったから
大学でやらずにすんだ。 >>1
人がやったあとのすっきり顔見ると悲しくなるよな
大明のHPにリロード3回してやったよ
・
・
・
・
・
・
・
虚しい・・・・・・ けっこうある。
一番悲しいのは友達に送った年賀状が
お年玉つき年賀ハガキで当たったこと。 開国した時はちょっと寂しかった・・・
あ、悲しい思い出じゃないかw 夏期休暇でアメリカに行った際の出来事。LAで信号待ちをしていると
気の良さそうな2人組のお兄さんが、「おまえは 日本人か?」と気さくに
聞いてきました。「そうだ」と答えると、「漢字のタトゥー (刺青)を
彫ったんだけど、どういう意味か教えろよ」と言われ差し出された腕を見ると
『武蔵』と彫ってありました。「日本で最も有名な剣豪だよ」と伝えると
彼は満面の笑みを浮かべていました。続いてもう一人が腕を差し出すと
そこには『朝鮮』と大きく彫ってありました。「KOREAだよ」と教えてあげた後の
彼の悲しそうな顔が忘れられません。
中学3年生が飼育してた「豚」を、農業の先生が率先して
屠殺の指導を校庭の隅で実施した。
1:キーキー鳴く豚の後ろ足をロープで結んで梁に逆さ吊りに、
2:喉に鋭い刃物で動脈を切って、バケツで血を受ける,
3:燃える藁で、体毛を焼く,
4:腹を割って内臓を取り出す,
5:のこぎりで尻から背中を切り割る,
6:肉は、先生らがニコニコしながら持ち帰った。
7:豚の世話が減って、生徒は喜ぶ。
いま、生徒はみんな生き物にやさしい、良いじいちゃんになってます. 一番悲しかったのは親の離婚。物心ついて思春期突入前の私にはかなりキた。
それから母親からは『保証人には絶対なるな』と口を酸っぱくして言われる。
そんで最近父親が再婚、異母妹が産まれて更に傷口悪化。
やっぱね、いくら10年前に離婚したとしても父親として見てたわけだから。
父親が仕事中に手をはさんで指4本なくなってしまい
それから障害者になりあまり仕事ができなくってしまい
酒に溺れ、家族に八つ当たりし、時には暴力も振るった。
そして私が13歳の時に死んだ。
幸せって泡のように消えていくもんなんですね。 変わった悲しい思い出ならある。
飼ってた猫がいなくなったから、俺が父親に探しに行こうって言ったら、
すげー面倒臭そうな顔された。一応探しに行ったけど、親は車から降りる気配もなし。
窓から、適当にうちの猫がよく遊んでた公園の中を見るだけ。
子供心に、父親の人間性が信じられなくなって、二十歳をとうに越えた今でも、
父親とはほとんど話してない。向こうは俺がいつまでも心開かないことを気にしてるみたいだけど、
全てのきっかけはこのことなんだよな。どうしてもあの態度は許せなかった。 親としてあんまり頭が良くないやり方だとは思うが
犬猫その他の扱いはそんなもんだという文化の人は普通に存在する。
別にいい年こいていちいち心を開かんでもいいが、いつかは話をしたほうがいいな。
他にも信用できない点があるならともかく・・・ ま、マヌケな親はどうでもいいがあんた自身の人間が曲がっちゃうよ。 大人は分かってくれない。子供は分かってくれない
親の心子知らず、子の心親知らず。
って奴ね。
自分がニのてつ踏まない様にしなよ。 5年前 当時付き合っていた娘が半年間アメリカに語学留学していて、戻ってきたら大学も卒業だし結婚しようと約束したのに…戻って来たのは遺影だった あと一週間早くかえってきてたらあんな列車事故に巻き込まれずに済んだのに…!! 今でも毎日のように夢を見るよ(;_;) <<1によく煮ていて中学1年から同じだった女の子が中学3年の夏休みあけに突然転向しちまったウゥ…(´;д;`)…ウゥ転向当日には泣いてたなぁ(⊃ー;)y-~~
まぁそれだけなんだがorz 激しく聞きづらいんだが・・・・・みんなネタじゃないの?
>>33とかネタじゃなかったとしたら・・・・ちょ、あまり気を落とすなよ(´・ω・`) 19(ジューク)が解散してしまった事…「何で?…
まじ泣いた… 小学校の時、ずっと好きな人がいた。いつか告白しようと思っていたけど結局思いを伝えられ
なかった…今思うと何であの時たった一言「好き…」と言えなかったのか…悲しい思い出です。 ちっちゃい頃、親と公園いくのが楽しみで
でもめんどくさがりだからなかなか行ってくれなくて
もう親と公園行く年じゃなくなるのにきづいて
明日で最後だからいこうねって約束した
次の日爆睡の親、また今度と言ったが
その今度はこなかった
今もなんかあの日に残された感じ せっかくパソコンやり放題とおもったら父が休みだった
その日が9/11だった 誰もいない廃車置場、水溜りの中、百円拾った
スパイごっこ、アイスキャンディ、突然のひどい雨
カブト虫を採りに行った 恐竜のことを話しながら
今17だけだ絶対に忘れない。小2の6月2日の夜とうちゃんが仕事に行った……。帰ってきませぇんW
俺は昔からかぁちゃんが大嫌いだったから兄と二人で家を飛び出してでばぁちゃんチに逃げだした。もし逃げ出さなかったら今頃…W 気がついたら一人になってた。誰もなにも教えてくれなかった。
でも教えてくれてもきっと私はわからなかったと思う・・どうしようもなかった。
きっと今と同じことになっていた。そうやって自分に言い聞かせて何もかも諦めて
自分を慰めていた。今も、たぶんこれからも マジレス行きますよ。当時小2の俺だが普段父親が夜、仕事行く姿なんか見た事なかったけどその日はバックを持って「お父さん仕事に行ってくるから良い子にしてろよ。なんかあったらばぁちゃん家に電話しろな」と告げられた1995年6月…。 父「なぁ・・・生でいいだろ?」
母「生はだめ。○○(俺の名前)の時だって、大丈夫だからって言ったのにできちゃったじゃない」
という会話を聞いた。子供心に親に愛されなかった理由がわかった気がした。 >>44
ァ ∧_∧ ァ,、
,、'` ( ´∀`) ,、'`
'` ( ⊃ ⊂) '`
∧_∧ ミ ギャーッハッハッハッ!
o/⌒(. ;´∀`)つ
と_)__つノ ☆ バンバン 中学校の時、ずっと好きな人がいた。いつか告白しようと思っていたけど結局思いを伝えられ
なかった…今思うと何であの時たった一言「好き…」と言えなかったのか…悲しい思い出です。
17歳の誕生日、当時好きな人からも、親友達からも抱えきれないたくさんの誕生日プレゼントを貰った。
親にもこんなにたくさんの人からもらったんだって、両親の用意したお祝いのごちそうを食べながら嬉しくて話した。
まぎれもなく、生涯で一番幸せな誕生日。
18歳の誕生日、好きな人に2日前に別れを告げられ、親友達とも距離が生まれ、家庭も崩壊寸前で、両親はそれどころではない状態だった。
帰り道、雑貨屋で小遣い使い果たす勢いでたくさんの物を買った。
親に、今年もたくさんお祝いしてもらったと笑顔で言った。親は一瞥して「ふーん」とそれだけ言った。
部屋に入って、無意味な雑貨屋を床にぶちまけて、泣いた。
生まれてから一番孤独な悲しい誕生日の思い出です。 いっぱいありすぎて困る。
不良には使い走りさせられる。
そいつらは、大人になってからもそんな事をしているのだろうか。 みんなの話を読んでいると、辛さが伝わってきて、胸が苦しくなる。
単なる作り話であってほしいと願う俺がいる。
他人が言うと空々しく聞こえるのを承知で、あえて「希望」という言葉
を贈りたい。
<<53は若い人の文と見た。けっこう年上になりきるのって難しいんだよ。
もし濡れ衣だったらごめんなさい。 実話なんだが小学1年の時、バカだった俺は、チャリ置き場にいたオジサンについて行った。
俺はチャリの後ろに乗せられ、なんか知らない所に連れまわされてた。
チャリが止まったかと思ったら、公衆トイレに入れられ、何故だかディープキスをされた。(言っておくが、俺は男だ)
でもなんか気持ち良かった覚えがある。
そんときは、小さかったから何がしたいのかなぁぐらいしか思ってなかった。
今考えると恐ろしいけど、ファーストキスもセカンドキスも知らないオッサンに奪われてガッカリだよorz
俺のファーストキスとセカンドキスを返せ!!
一応オジサンの顔は、微妙に覚えてる。あのオジサンはショタコンだったんだろうか…… [今後の予想]
・徐々にコピペが増える(見たことあるネタが既にチラホラ......)
・AAが出現(100あたりから)
・それでも時折流れを戻すかのようにマジ話が入る(せいぜい150くらいまで)
・いよいよ最低ネタのオンパレードになってくる(180以降急速)
・250を迎えた頃にはぜんぜん関係ないスレと化している
それだけは厭だ!!
>>1
おかしいなー
アンカーのつけかたがわからない ごめん。わかった。
>>19
小4のとき、テレビでアメリカの子供たちが鶏を絞め殺してフライドチキン
にして食べるというもの凄い授業風景を見たのを思い出した。
なんでも向こうでは普通にやってる授業だって。
途中から俺は吐き気とあふれる涙で発狂しそうになった。
子供たちは泣きながらもうまい、うまいとむさぼり食っていた。 風邪ひいてたからプールを休んだだけなのに、
女子の下着が無くなったからといって、俺が犯人にされました。
担任の先生よ、俺がトイレに行った時に廊下で会いましたよね?
なんで会ってないと嘘をつくんですか? 教えて下さい。 僕は小さい頃に交通事故で脊椎を傷めてしまい、背骨が曲がっちゃってるん
ですけど、周りはいいやつばかりでさほど気にしなくて済んでるんです。
だけど中学の時転校してきたN(最初は気が合うと思ってた)に1999年
に人類は滅亡すると言った時にゲラゲラ笑いながら「おまえはノストラダムス
の傴僂男だ」と言われて悲しくなりました。傴僂なのは事実だしその言葉
自体にも抵抗はないし、腹も立たなかったのに、なぜか悲しかった。
今思うと、その時の彼の目が笑ってなかった。どうして?
心から笑ってくれてたら全然悲しくなかったのに。。。
どうでもいいカキコすみませんorz 過ぎてしまった時は戻らない。そのことが過去を振りかえるたびに俺を悲し
ませてきた。
近頃は楽しい時であればあるほど、ああこの瞬間もあっという間に過去とな
り帰らぬ時となるのだという思いにとらわれ涙ぐんでしまうのだ。
楽しいのに涙する。これがどんなに辛いことか。
これからの長い人生、ますます過去の量は増えていく。そのうちに俺は狂って
しまうのではあるまいか。
発狂すれば楽になれるのか。気ちがいはひょっとしてとてつもなく幸せなのか?
狂えるのなら狂いたい。一日も早く。いまはそれしか考えられない。
ありがとうございました。 中学時代「日清のきつねどん兵衛」を食べようとして粉末スープの袋を開
けたところ、変なふうに袋が破れ、ヴォハアァァァっとスープが散乱して
しまいました。カップのなかにはまったく入らず、悲嘆に暮れました。
意を決し、醤油、塩、ほんだし、味の素、都こんぶを入れ、お湯を注いで
不安に待つこと三分間、見事にできあがったオリジナルどん兵衛は・・・・・・。
どことなく関西風の、なかなかの味わいでした。微妙に効いている酸味も
また、よいアクセントとなっていました。
あれからずいぶん経ちますが、いまだにわたしはあの味をもう一度体験し
たい、と切に願っているのです。 みんながビンボーの時代(まさしく三丁目の夕日の時代)、近所で唯一商用車を持っていた
同級生がいた。天気の悪い日はその車で近所の同級生が一緒に幼稚園に送ってもらうのだが、
その家のバカ息子に「おまえは乗せない」って、2回に1回は外されて、30分の道のりを涙ぐ
みながら一人でトボトボ歩いたっけ。俺の人生で初めて受けたイジメ、くやしく悲しかった。
小学校に行ってから、かのバカ息子にいじめでしっかり仕返ししてやった(ん倍返し!)。
年に何度か実家に帰るが、バカ息子はも田舎で貧相な顔してつぶれかかった店継いでいる。
とても良いとは言えない面の漏れだが、人に好かれることに淡い憧れを抱いた。
けど漏れはバカだし、取り柄もないし、「手に入れること」を望まずに、
周りにあるものを大事にしようと思った。そんな時・・・
漏れは知った。自分に好意を持ってくれる人の存在を。1人じゃなかった。
何で?自分なんかに?分からなかった。時々、声をかけてくれる彼らに、
どう接していいか分からなかった。傷つけまいとすればするほど
辛い思いをさせてしまった。
「人に好かれること」の辛さを知った。
友達の紹介で女の子とデートした。
2回目のデートでどうしても彼女の名前が思い出せず・・・
わかれるまで ずっと考えてた
別れ際 また誘ってくださいね(^^)と笑顔
三度目は無かった
正直スマンカッタ
未だに名前おもいだせない(笑) 大学の時、1984年の夏、自販機で買ったペプシが1972年製だった。
ものすごいサビの味が口いっぱいに拡がり、倒れそうになったが非常に喉が
渇いていたので一気に飲み乾した。
2時間後くらいから猛烈な頭痛に襲われ、翌々日まで続いた。バファリンも
まったく効かず、辛かった。
不思議なことはその間腹は正常だったことで、相当の下痢を覚悟していた俺
は何度も首をひねったものだった。
別にこの話オチもないし、さほど悲しい話ってわけでもないんだろうけど「悲
しい思い出」っていわれると絶対に思い出すのがこのことなんだよなあ。 >>70 ペプシって、そんなに昔からあるんだ。意外。 学校帰りに野良猫を見つけて、友達二人でその猫追いかけてたら目の前で猫が車に跳ねられた。 >>71
缶が微妙にメタリックな茶色だったんだよ。当然250mlのスティール缶。まあ
主流はビンだったけど。
ファンタに対抗したミリンダってのもあった。 >>72
それって心にとんでもなく影を落とす出来事のような気がする。
>>82
懐かしすぎる。 >>70
面白すぎるんだが。それがなぜか悲しいというのも面白いんだが。
留学生の恋人(ロシア)が call-girl だったと知った時。映画の"プリティー・ウーマン"のように出会いが それなら話は別だけど…
彼女のクラスメート(ドイツ)が教えてくれた。付き合ってる時にもしてたらしい。
昔とはいえ、今もトラウマがあります。白人とはセフレ以上の感情は無くなりました。教えてくれた女性も後ほど関係もちましたが、愛せませんでした。 小学4年生の頃、クラスの給食当番に一人で重い食器(本来2人で運ぶ)運ばされてる奴がいたから手伝ってたら、
階段でバランスを崩して転げ落ちて、足の骨を折った。
すげー痛かったんだけど、周りにはそう見えなかったらしく、
運ぶの手伝った奴や他の当番の人は「大丈夫?」とだけ声を掛けると、みんなそのまま行ってしまった。
担任の教師にいたっては、落ち方の見事さに軽くウケていた。
痛みで動けなくて、人通りの多い廊下に一人で5分以上うずくまっていた。
痛いは置いてかれるは周りから「え、なにあの子?」みたいな目で見られるはで、みじめな気持ちになった。 昔は子供が多かったうえ教師もキチ外みたいなのばっかりだったもんな。
俺はバスの遠足で取り残されて地元の人が交番に連れて行ってくれた。
おまわりさんがすぐ学校に連絡したけど結局晩の7時くらいまで待った。
迎えに来たのは親だった。
次の日学校行ったら朝の全校集会で
勝手な行動とって迷惑かけましたって前に立って謝罪させられた。 昔盲腸で入院したときに友達になった隣室の子の連絡先を書いた紙を退院した直後に無くしてしまった。今もそのことを後悔している。 turi ni maziresu yokunaiyo もう小5だったから気の利いたものを作れたかもしれないけど
料理をしたことがあまりなかった私
調理実習で作ったサラダが美味しかったのを思い出し
帰りの遅い母の為にこさえてみた。
しかし母はかえってくるなり
こんなもの食えるか、となぎ払い
私は泣きながらそれを片付けた。
レタスとみかんの缶詰にドレッシングをかけたという酷いものだったからだろうが
(材料がなかった)
私が出来の悪い娘だったせいもあり母には他にも色々酷いことをされたが
この出来事だけ良い年になった今でも妙に疼くものがある
昔20年以上前は小学校で教師にビンタをよくされました。
麺八珍っていう連続ビンタもありました。
体罰は当たり前でした
俺のクラスの同級生は教師に押されて机の角に当たって背骨がひびがいった奴もいますが
教師は首にならずそのまま担任をしていた。
現在は体罰って無いそうですね・・・・
ちょwホントに小1の思い出?知識が豊富過ぎてアリエナス 中学の時、車にはねられ、そのまま意識を失ったが、
病院で意識が戻ったときには、右足のひざから下を切断されていた。
もう二度と、みんなと同じように走れないと思うと、涙が出てきた。 本当ですよ。ウソではないです。だから小さいながら知っていたって書いたじゃないですか。
Hな事は全く隠さずに何でも教えてくれた父の影響でエロ漫画もすでに読んでいて、初めてAV見たのが4才くらいの時という恐ろしい子供だったもんで。なんか専門用語知ってましたね。
さっき長くなって書けませんでしたが、他には料理を床にわざとぶちまけたり、服脱いで下着姿になってテーブルの上でポーズとったり、めちゃくちゃにしてました。
その結婚式以来、親戚には嫌われて、祖父母には私だけ家に行くの拒否され、孫とは認めないとまで言われ、いまだ会ってないし、親戚の結婚式というものに行ったのが25年の人生でそれが最初で最後なんです。
それからは両親と妹は呼ばれても、私だけはずっと呼ばれたことありません。今はまさかそんな事はしないんですけどね。 昔ってほどでもないが、去年の8月に俺の母ちゃんが死んだ。
癌が原因だった。
母ちゃんは約半年間も病院で過ごしていた。
母ちゃんが亡くなる何日か前に、夢の中に母ちゃんが出てきた。
夢ってのは背景は真っ白で無音。母ちゃんと俺だけだった。
母ちゃんは泣いて、ただ俺の手をずっと握っているだけの夢だった。
俺は全く意味が分からなかったが、夢から覚めると凄く寂しい気持ちだった事を今でも覚えている。
多分あれは虫の知らせだったのだと思う。
もう一回母ちゃんの飯が食いたい。 1:同級生で少女漫画や少女アニメヲタになった麻痺系のピョコタン障害者奴がおった。
そいつは普通の恋愛が無理だからそういう方面(変態ヲタク)に走ったのは承知のとおり。
俺はそれがわかってしまい、おかしくてそいつの趣味を散々馬鹿にした(笑)。
『お前は結婚は絶対に無理だからそれで一生センズ●をコイとれ』
『お前は歳取った時は本当に惨めだぞ』
『世界一の変態ヲタクを目指せ』
等とメールで馬鹿にした。さすがに面と向かっては言えないから。
※メールは面と向かって言えない事も平気で打てるから便利だな、と思った。 2:しかし俺も相当やりすぎてしまった。暇さえあればそいつへのからかいメール。
そいつがムキになって
『人の趣味をとやかく言われる筋合いはない』
『俺のこの趣味で人様に迷惑かけた覚えはない』
『お前こそ人の趣味を馬鹿にして人に迷惑をかけてる』
といった具合で。
相手が毎回、怒り心頭でムキになってくるし、その反応が楽しくて『こいつを馬鹿にしたメールを送信るのが趣味』になってしもうた。
でも相手はそれが原因で鬱状態になってもうて、俺もさすがにヤバイと危惧した。 3:一日に多い時は20回くらい送信った。そいつも性格的に俺のメールを無視できない。
だからそういう相手の性格や心理に付け込んで、弄んで、何日か空けてフェイントで突然メールを送信ったりしたな。
そいつのPCだけでなく携帯にもバンバン送信った。
しかしこいつはそれで精神的に相当追い込まれてもうて、最悪の事態も、という状況に。
俺は軽い冗談やゲーム感覚の遊び半分でやってたのだが相手には通用しなかった。
それで2人で会わざるを得ない状況へと発展してもうた。
俺も面倒臭かったが、仕方なしにこいつと会った。 4:こいつは何と「お前が会わないなら自メール内容を公表してら命を絶つ」なんて脅してきた。
正直言って反省よりも面倒だから逃げたい気持ちが大半だった。でも脅かされたから仕方なく。
しかしこいつは居酒屋の中で、いい歳くれて何と泣き出した。恥ずかしかったよ。
本当に穴があれば入りたい、とは正にこういう時の事だと強く実感したな。
でもこいつから
『俺は障害者だから恋愛や結婚はできない』
『だからこういう趣味に走った』
という言葉を本人の口から言わせたかった。店で恥ずかしい思いを余儀なくされながらもその言葉を待った。
でも結局はこいつの口からその言葉は出てきませんでしたからぁ〜(残念!) 5:もう何年か前の話だが、今はこいつとは一切会ってない。地元だが当然絶縁されたよ。
でも同じ地元の別の友達の話では今だに少女アニメや少女漫画が趣味の変態ヲタク障害者やってるらしい。
本当にこいつを見て思ったのは
『俺は五体満足の健常者で良かった』
という事だ。
あんな姿に生まれてたら一生女に縁がなく、一生セン●リ人生を強いられる。
しかしちょっくら冗談で馬鹿にした程度で自ら命を絶つなんて事言われて俺は悲しいよ。
誰でも人を馬鹿にした事はあるだろう。でもそれで相手から「自ら命を絶つ」なんて言われた気持ちは最悪だよ。 一生女に縁がなく、一生セン●リ人生を強いられる
エーそんなのイヤダーWWW
>>98…平日の昼間に2ちゃんねるにカキコしている、お前って…ヲタだね。ヲタは、ヲタを叩くのが好き(^з^)-☆Chu!!普通の人なら、そんなキモヲタとメールなんぞしない。てか、自分の知り合いだと思いたくもないし、思われたくもない(^o^)v-~~~ >>94〜>>109
『因果応報』
どんな形であれ、必ず自分に返ってくる『不幸』恨み、憎しみを与えた分、又はそれ以上の苦しみが与えられる。本人、又は其が愛する者へ。その時が来ても乗り越えて余生を送ってくださいね。クス >>102
バカッ、俺は冗談でからかってたんだよ。それをこいつが勝手に鬱になって勝手に追い込まれたんだ。
お前だって人を馬鹿にした事くらいあんだろ。それを相手から「自殺する」なんて言われたらどういう気持ちだ。
しかもちょっくら冗談レベル程度でだぞ。本音はメール内容や遺書残さず勝手に逝け、だわな。 >>92
おまいが絶縁される前におまいのお父さんお母さんが親戚から何か言われなかったか? >>102俺は>>114だが、その変態ピョコタン野郎は俺に「自殺する」なんてメール寄越しやがったんだぞ。
俺はほんの軽いちょっくら冗談だったにも関わらずだ。
俺がこいつから言われた事を>>113お前に言ったるわい。
「俺のこの気持ちがお前なんかにわかってたまるかぁー!」
BY過去は終わった事と割り切る性格最良人間(^O^)v 小3の時、家に帰ったら母親が恋人と家出してた。それからは誰も信じなくなった 初めて安価でお絵かきスレを立てて、全然加速しなかったけど
みんな深夜まで付き合ってくれた。時間も深くなってきたので
次で最後ってことにして、自分は気合入れて描いてた。
それでちょっと時間がかかりすぎたけど、いい絵が描けてうはwおkw
しつつスレに戻ったら
DAT落ちしてた 昔ってほどじゃないけど1000ゲットまで書きつづるから書けねーわ 学校から帰ってきたら、父が包丁持って母に向けてた。毎日ケンカ・暴力とかで夜とか悲しくて怖くて手で耳をふさぎながら寝てた。今想い出しても悲しくなる
結局最後は母と逃げた。アパート契約しといて、内緒でさようならした。
何年か住民票も電話も無い(携帯電話は無い時代)4畳が2間の生活した。
まだ16才だったから神経もやんで息が苦しくなって救急車よんだりもあった 高校時代、男の人に電話で告られそれっきりで終わった。せめて呼び出したなら顔くらい見たかった 体育の時間、バスケをしていて羽立好美と同じチームになった。
そして俺がドリブルの練習等が終わった後、
羽立好美に[○○君ここ!!]と怒った顔して説教された事である。
この時の羽立好美をおかずにしてオナニーした事はない! mixiデビュー!(6)
渋谷でナンパされました(25)
今日は私の誕生日です!(60)
あけましておめでとう!!(80)
欲求不満です・・・(107)
マイミクの皆さ〜ん!お知恵拝借!(129)
あたしの体(354)
最近めちゃくちゃ落ち込んでいます…(291)
顔写真公開しちゃいます!(0)
マイミクの皆さ〜ん!お知恵拝借!(0)
手首切りました…(0)
家にある睡眠薬全部飲みました…(0) 小学生のころ、人がすごく混んでいる横断歩道を歩いてた。
するといきなり目の前にパンが落ちてきた。
てっきり、私を追い抜いて走っていった女性のものかと思い
走って追いかけた。
しかし、途中スーツで茶髪の男性三人くらいに取り囲まれ
「ギッてんじゃねえよ!」
と怒鳴られた。パンも乱暴に取り返された。
そのときは放心状態だったけど、しばらくして「勘違いされても仕方ないか」
と思えた。
けど、やっぱりちょっと悲しいし悔しい。 小学生の頃手術をしたけど俺は気にいらなかった
見た目がおかしくなったから 顔の骨がぼこって出てたから
でも親も医者も成長すれば顔がふくらんで骨は目立たなくなるんだよって言われたので
信じていやな事いわれたけど耐えました だけど高校になって失敗だったと言われました
修正手術を何回かやって痛くて苦しくて 誰も信じられなくなってしまいました 小学生の頃、父がいなく、母も金だけ置いて何日も帰ってこないような生活でした
ある日、焼き芋屋のトラックが団地にとまり、それに気付いた妹が焼き芋が食べたいと言ったので数百円を持って妹と部屋でました
焼き芋のおじさんに「ひとつください」と伝えました
新聞紙にくるまれた焼き芋を手におじさんが値段を言ったのですが、百円ほど足りなかったと思います
「すいません、お金たりないんでいいです」と言うと「冷やかしか?コラ!」と睨まれました
妹と逃げるようにして団地の部屋へ戻りました
不安な生活のうえにそのような場面があると忘れられません
もう30年ほど前のことですが ごめんなさい。みなさんのツラい事読んでたら俺がやったこと言ったことある記憶がよみがえった。ここで懺悔させてください。ごめんなさい。 >>73
かなり懐かしい。
ペプシとミリンダ ラッキーキャップって水前寺清子がしーえむやってた。 俺は厨房時代に「誰が産んでくれって頼んだよ!!」って言っちゃって
あとで妹に呼び出されて「必死こいて卵子まで泳いだのはアンタでしょ」って説教された >>1
リアルに訴訟起こしていいレベルだなこれ
これ以上の被害を出さないためにも・・・ >>1
悲しい思い出じゃなくて単なるバカじゃん!
何ひとつ共感できない。 >>1
はいって何だよ。出来んのかよ。さっきから何度も。何がはいなんだよ。
出来もしねえ奴が軽々しくはいなんて言うんじゃねえよ。
わかってんのかよ。はいって言う事の責任の重さを。
社会勉強のつもりでやってんだったら辞めてもらうよ。
だから申し訳ありませんじゃねえだろうよ。何が申し訳ねえんだよ。
本当に反省してんのかよ。
本当に今なら出来んのかよ。
口先だけの謝罪をするんじゃねえよ。
いい加減な気持ちでやってるんだったら今すぐ帰れお前。 小4の夏休み、同い年のいとこ(♀)と田舎にある祖父母の家に2人で一緒に行ったんだが、
途中のバス車内で、知らないオバサンに「姉弟?」(思春期ということもあり、いとこのほうが身長がわずかに高かった)と言われたこと。
それをバス停で待ってくれていた祖父母に言ったら、笑われた。 保育園に通ってる時によく一緒に遊んでた俺より二つ年下の子が
俺が小二の頃に海で溺れて亡くなったこと。いきなりこの事知らされてマジで泣いた
今は天国で幸せに暮らしている事を祈る 色々ある中の2つあげるとすれば高校まで友達1人もいない私は自分の友達を最低3人は書こうね。
と言う小学生のときのアンケート、修学旅行の班決め、ここら辺が1番きつかった。
私生活では親父からの毎日繰り返される暴力
2つめはいまさら友達なんて方がいいな、と時々思ってしまう自分 小4の頃のクラス担任が気に入らなくて、よく不登校でした。両親も共働きで兄は中学生、日中家には自分以外誰もいない。
ある日、バス使って海岸に行き、岸壁に腰掛けて波音だけをただ聞いていた。たまに、金網にぶつかってみたり、鎖で首吊りして死ねないか模索することもした。それを見ていた海岸を管理する公園管理者に声を掛けられて、事務所に連れて行かれた。
名前や住所を聞かれても、俯いたまま黙秘する俺に、管理者が呆れかえってたら、そこにパトカーがやってきた。「●●●●君、いませんか?」と俺の名前を呼ぶ警官の声が聞こえた。手には写真を持っていた。
「●●君だね。」と警官がそばによってきて、嫌気がさして、事務所を逃げ出したのだが、事務所前に父親がいた。そして、一発ビンタを食らい、家でこっぴどく怒られた。 いとこが23歳の若さでバイク事故で亡くなったこと。
夏の暑い日。近所でピザ屋の工場やってるからジーパン、Tシャッサンダルで見に行った
そしたらおっさんに言い訳する間もなく小一時間セメント混ぜをやらされた
作業員と間違えられて悲しい‥ 他の部署に移ったばかりの同期の子に社員旅行に誘われた
もちろん一緒に行動してくれるんだと思って二つ返事でOKして参加することにした
旅行当日集合場所にいた同期の子に挨拶すると
「ごめんね、同じ部署の人と一緒に行動することにした」と
他に知っている人もいなくて人見知りの激しい私は他のグループに入ることも出来ず
旅行のあいだひとりぽつんと行動していた 14歳ん時に自転車に乗ってる時、トラックに撥ねられて左足首と右足膝下を切断されたこと・・・
中学の文化祭で踊った時、あの人と手つなぎたかったな 一人暮らしの時に、会社の社長に詐欺にあい借金背負う。
辞めて違うところに就職するも、病気で長期入院。
退院して復帰するも、肉体労働で体がついていかずリストラ。
就職先が決まりかけるも、病気がなんと再発。
家賃など払えなくなり、ホームレス。
現在は住む所は確保できたが、三十半ばでただのフリーターの俺。 >>137
病気は辛いな…健康が続くといいね。
人生で初めて執着した人の好意を踏みにじって、その人が死んだ日まで気付かなかったこと。
あとは…言いたくない。ネットにも書きたくない。誰にも言ってないしネットにも日記にも書いてない。
いつか癒される日が来るんだろうか… テレビを見ていていいことなんかないことを、よく理解しているのに、
見るわけでもなく、見せられて、人生がめちゃめちゃになってしまった。
それも正しいことをしているのに。http://mitume.my.coocan.jp/
こんな悲しいことはあるだろうか。皆さんもテレビはなるべく見ないほうが
いいと思います。この国は民主主義ではなく、権力主義。
見ていいテレビは外国のもの。 乳癌になり、ハタチそこそこで片乳を全摘されたこと。 俺が、超嫌いな奴と好きなコが付き合ってた…
という経験が何度も。 身長が高くて喧嘩が強い太平はいつも無茶な遊びを思いついてた
「この鉄橋に一番長くぶら下がったやつの言うことは何でも聞かなきゃダメだぜ」とか言って、
僕らはびびって出来なかったけど太平は平気な顔でぶら下がっていた
7年後に太平はビルから飛び降りた そんな勇気なら無いほうが良かった 39896 以下、VIPにかわりましてBIPがお送りします 2010/07/29(木) 22:32:43
ついに哲学板の惨状がVIPにも知られてしまったか・・・
この手のAAはおれが初めて哲学板のぞいた10年前からあった。
もちろん粘着荒らしな。
これ以上荒れて欲しくないからそっとしておいてほしかった・・・
哲学板はごく一部の良レスを除いてただのゴミ溜めになっちまってる 両親が離婚して兄貴にしょっちゅう殴られてた事と、小学校の時に教師が主犯でクラス全員から虐めにあってた事。
後はまぁその時中学生だからアレだけど、本気で結婚しようとお互い思っていた恋人が病気で亡くなった事。
こういうとこなら言えるけど、リアルで言うと心配かけるから絶対に言えないけど。
検索して来ました
専ブラで見たいのですがここはどこの板かしら 自己解決です
ここは初めてなので明日にでも最初から読んでおきます
スレの皆さんどうぞよろしく ミカさん 来てくれてありがとう 本当にありがとう
ハンドル変えます
弥次喜多は借り物だったもので。 。
きた で行きます 宜しく この1ヶ月 嫁との調停で決着が着きました。なんだかもう 疲れた感じです 大変でしたね
しばらくは心も身体も休ませて上げてください
私も今、友人の離婚調停の支援をしています
調停が終わるまでは受けた痛みを治せないことが辛い
人前でそれを見せて訴えなければならない
生々しい痛みはもう忘れてしまいたいことなのに
ありがとうございます
一時期はあんな愛しあった二人が今はこんなにも憎しみ合うなんて苦しいことですね 互いの嫌な部分をあげつらって罵るのは疲れます
そうですか。ご友人も辛い思いなさられてるんですね 何故こんなことになったのか 。 子供時代に原因あるみたいです 別れる時には殊更に負の部分をかき集めなければなりません
別れるという決意に心が泣きながら付いて行くしかないから
でもいつかきっと
愛し合った事はまぎれも無い事実だったと思える時が来ます
きたさん、やはり原因まで遡っていらしたのね
よろしければ余り無理をしないでゆっくり聞かせてください
ありがとうございます
ミカさん、 そうなんです。 誰が悪いと言うことではなく。
相手に評価して欲しい自分がいました。どんなに頑張っても頑張っても評価して貰えない それで私は疲弊していきました
こんなに必死で頑張ってるのに! こんなに必死で稼いできたのに! この五年苦しみ抜いてきました 今日はよく晴れましたね
秋の陽射しがキラキラと眩しい ここをコピペする人が現れました
掲示板に書くということ、
それがあなたにとって意義の有る事なら泰然と続けましょう
私はそのつもりで来ていますが、どうか無理はなさらずに
ミカさん 酉外して頂いて構いませんよ。 僕は解りますから バイク事故で童貞のままティンコを切断しました
腕の肉をとって再建できると言われましたが
再建までして一生童貞だったら情けないので
断りました.........(´Д`。)
復帰したら母親に孝行しようと思ってたけどもおいいや。
頑張っても、頑張っても親父に甲斐性なくくいつぶされてきた半生。 もう疲れ果てました。約25年もですから。
賞与なし退職金なしで、悪びれる様子もなく。一体何の為に、誰の為に、、
母親が美容院の金もなく工面している姿が見るに絶えんです。 これを何とも思わないなんて… 悔しくて涙も出ません この時間にあなたは眠っているでしょう
せめて深い睡眠が、少しでもあなたを癒してくれますように 朝起きたら親が夜逃げをしていた。
一応親戚には連絡してから逃げたみたいで、
おばさん(母親の妹)に引き取られた。
結局37歳の今まで親の消息はしれず。
おばさんは、母親とは年が離れていて、
自分とは10才違い。
自分が高校生の時、エッチしたのは内緒です。 ペットだと思っていたウサギが食用で、
ある日学校から帰ったらすでに肉になっていた 人工肛門になった
当時は悲しかったが今は慣れた
「改造人間みたいでカッコイイだろう!」って笑って言えるようになった 四年前、セックス依存性になりパニック症候群と重い自律神経の病気になった
当時、出会い系とナンパ キャバ 風俗 からリストを作り7〜8人のセフレと自宅マンションで入れ替わり性交していた。
ある日 肩が凝り 心臓がばくばくして救急車。 何度も運ばれ 精神科入院〜腰椎ヘルニア手術 その後入退院繰り返し、専門家の主治医からセックス依存性と新規病名を頂く。 現在に至る . ィ
.._ .......、._ _ /:/l!
:~""''.>゙' "~ ,、、''‐'、| _ またまたご冗談を
゙、'、::::::ノ:::::::_,.-=. _〜:、 /_.}'':,
``、/:::::::::__....,._ `゙'Y' _.ェ-、....._ /_゙''i゙ノ、ノ
,.--l‐''"~..-_'.x-='"゙ー 、`'-、 ,:' ノ゙ノブ
" .!-'",/ `'-‐'') /\ `/ でノ-〈
.-''~ >'゙:: ‐'"゙./ ヽ.,' ~ /
//::::: ', / ,:' 母親が偽装離婚してナマポの不正受給をしてました。
「もらえるもの、もらわないと損だよ!」が口癖でした。
子供心ながらにすごく恥ずかしかった。
父親は今でいう「半グレ」で、金は結構持ってました。
高校卒業後、親から独立して働きながら大学を卒業しました。
今は、母親の不正受給がバレて、父親と復縁した形になってます。
両親は、最近自分にそこそこの稼ぎがあることを嗅ぎつけ、
「お前を育ててやったのは誰だと思ってるんだ」と小遣いをせびってきます。 756:ミカ◆trzQiG3W5A :2012/11/12(月) 00:28:59.86 0
ハニババ、アニが恋しがっているわよ
容貌自慢モテ自慢のバカップル「盛り上げて」いらっしゃいな 本当のこと話たいですが、ここも監視されてて 上手くいきません
ごめんなさい ミカさん 初めから名無しで来れば良かったね
気が利かなくでご免なさいね
ここは虚実入り交じる掲示板
本当を嘘と疑われ、嘘も本当と信じられてしまう世界
ですから嘘の中に真実を込める事も出来ますよ
投稿したレスはあなただけのものではなくなる
何をどう言われても良いという覚悟で
個人が特定されないように気をつけて
確かに伝え合う事も可能だと思います
でも一番大切なのはあなたが無意味に傷つかない事です
フィクションとして真実を話せる時が来るまで無理はいけません こちらこそごめんなさい。 明日 90年代の思い出 と言うスレッドで待っています 569:亀頭◆90zdrHcgNa0X :2012/11/12(月) 23:53:10.68 発信元:126.44.158.3
ん?ミカってアニ好きだったのか?
知らなかったw
572:いやあ名無しってほんとにいいもんですね :2012/11/13(火) 00:14:22.82 発信元:202.229.178.142
みたいだけど。俺はいまいちだ。 ミカだろ? 虚しいひとり芝居w
108:ミカ◆trzQiG3W5A :2012/11/12(月) 19:39:43.79 0
くぉらーー
弩Sメタル
601:ミカ◆trzQiG3W5A :2012/11/12(月) 19:40:50.51 0
メタルスレで叱っておいたからw IPアドレス:122.130.144.238
Network Information: [ネットワーク情報]
[IPネットワークアドレス]
122.130.0.0/16
[ネットワーク名] BIGLOBE-14
[ホスト名]
FL1-122-130-144-238.tky.mesh.ad.jp
[プロバイダー]BIGLOBE
[都道府県] 東京都 639:名無しさんといつまでも一緒 :2012/11/17(土) 04:52:37.14 O
729 : ミカ ◆trzQiG3W5A [] :投稿日:2012/05/17 05:01:47 0
大学は当然の様に東京と決めていた
一人暮らしを始めて、何故か「生き延びた」ということばが浮かび上がった
毎日「ああ、私は生き延びたんだ」と思えて自分自身驚いたわ
進学はつまり脱出だったのかとぼんやり感じていたわ 父親が息子に嫉妬するってあると思いますか?
長年受け入れられませんでしたが、これが自分の真実の様です 離婚は容易いものではない
極限まで自分を問い直し、迷いながら進むしかない
毎晩何かを知らせるような夢を見たりして
きっと深層心理が意識に上がって来るのだろう
「お母さん、あなたの娘はあなたの望み通り不幸になりましたよ」
こんな言葉が勝手に沸き上がって来て私はとても驚いた
そして深く理解し直した 長い時間をかけて 何かを知らせる夢… わかります。
昼間は表層意識でしか生きてないせいか、夢で現実を見せられる 自分の状況の解釈は捉え方でいくらでもできる
その中で一つ二つ選んでその方向で進む
〜だから〜だ、という理解
それって絶対の真理じゃなくて暫定的なものだと思っている
で、採用されなかった解釈が異議申し立てをしてくる 母親を守らないといけない。 。などと長年思っていたと言うか、思わされていた様です
会社で良い様に使われ、必要とされていないにも関わらず
ただ働き同然で仕事に行く父親。母親の仕事で漸く生活が成り立っている状態でした。
父親に危機感は微塵も無く、日曜日には趣味の合気道に出掛けていくのです。 母親の辛そうな様子は特に男の子にとって堪え難いものでしょうね
力になりたい、助けたいと心を砕いてもなかなか伝わらない
もどかしいことに夫婦の砦に隠れて拒絶さえするでしょう
母に苦労をさせる父親に憤りを感じると思います
これはもう男同士の確執ですよね そうですね。成人過ぎた頃から、本格的に彼を軽蔑する様になりました。
こんな家庭も珍しくないのかも知れません。アルコールや博打に溺れている父親がいる家庭ならまだ解りやすいのですが…
傍目には幸せそうなちょっと貧しい家庭にしか映らなかったようです。
私が就職し数ヶ月に一度休日家に帰ると母親は仕事に出掛けており父親が合気道から帰ってくる
一応彼は師範の資格を持っているのですが、それによる収入もなく。若手の指導をして、やれ誰が勝っただの誰それの技は駄目だの
どうでもいい話を延々と聞かされました 持て囃されまるで王子様の様に扱われた従兄弟。
王子様の引き立て役の様な存在だった我が家族。
長年事実が受け入れられなかったのでしょうかね その親戚はどちら方ですか
褒めそやしていたのはお父様?お母様? 父方です。
従兄弟に彼女が出来た高校時。
我が家に招いて従兄弟と彼女を招いて祝福の晩餐会が行われました。
聞いたことない様なクレイジーな話でしょ w・・
何度思い出しても呆れます 両親共です。
あの人の親になればいいのに… って何度も思いましたよ。
でも経済的に無理ですねw 家の親じゃ。 私の母は自分の親兄弟だけを褒めそやし、父方を私相手に悪く言いました
間違った誇りの持ち方で、現実逃避と自己愛だったと思います
あなたのご両親は何故それほどの態度を取られたのか
理由は何だったと思われますか 現実逃避と自己愛
まんま母親似なんですね
よくわかります!! トラウマキチガイ同士の対話ですねw
不完全家族の悲しい思い出にスレタイ変えたらいかがでしょうw お馬鹿共邪魔云々言ってないでそんなにやりたければチャットでやれ
スレの個人的占有は削減対象 文献提示ありがとう
嫉妬という感情が私には全くないのです
されていたのかも知れないと思いました
この角度から見直す機会を与えて頂いて感謝します 多くを話なさ無くても理解出来る人は直感で解ります。
解る人に解って貰えればいいので、、
恨み続けてきた訳でも何でもないですしね。
実は恨んでいた事に気づいて愕然としただけです。 全ては意識的に行われてきた訳でなく無意識で行われてきたものです。
自由に行きようとすると、いつも無言のノーサインが出るのです
自分で選択することに罪悪感があるのです 17日に書かれた事を今一度読み返しました。
胸にぐんぐん来ましたよ。 本当にありがとう
見えないものに依存し続けて生きてきた今までの人生。
出来るなら10代後半位で気づきたかったのですが大きく遅れて今になりました
きっとこれが計画された私の人生だったのでしょう。 もっと自分をみて欲しい。の一心で小さな会社を23才で起業しました 当時はその業種では最年少と言われ持て囃され寝る間を惜しんで
死ぬ気で働き続けました。
創業からたった10年で売上高が約40倍の所まで来ましたが、3年前のリーマンショックの煽りを受け軌道修正が不可能な状態にまで業績が悪化し
遂には去年民事再生法を適用しての事実上破産宣告と言う状態になりました 従兄弟に負けたくなかった。 これが当時私のモチベーションだったと思います
従兄弟は所謂エンタメ業界の二代目です。業界人なら普通に知られている会社の社長です
大学もコネクションで入学バブル真っ盛りの時代の学生で三代の高級車を所有していました
私はバブル崩壊後に二流大学に入学し経済的理由で二年で中退しましたw 冷水と熱湯に耐え念願の遅漏になった。
嫁をたくさん気持ちよくしたかったが
挿入から15分くらいで嫁が「痛い」と言い出し、あげくには殴られた。
嫁のあそこもおれのあそこも共にすり切れて血がにじんでいた。
しかし俺は全く傷みを感じる事が無かった。
俺が手に入れたかったのはこんな悲しい結果じゃない。 お前は楽しまなくていい
お前はしゃしゃり出なくていい
お前は喜ばなくていい
お前は大した人間じゃない 中村勘九郎「父(中村勘三郎)を尊敬し、また自分をこの世に生んでくれた父と母に深く感謝しております」 別にキモくないよ。 ずっと張り付いてるあんたのがキモいわ きっと学びの為に、とんでもない環境を選んで生まれたんでしょう 私は死ぬ気になって働いた
死ぬ気で働いた金で実家の立ち退きを命ぜられた両親の家をたてた
母をのたれ死なせたくなかったから。
本心では二個一の父親が邪魔だった。
苦労してきた母への労いだった
しかし父からは「ありがとう」の言葉すらなく感謝の欠片すらない行動 言動がはじまり 愕然とした。
頭がおかしくなりそうだった みすぼらしさ極まりない姿。
無茶苦茶に扱われ退職金無しで定年。
半分ボケた感じの廃人
昔 武道を指導していた女の子(幼稚園)が女子高生になって
その娘のことばかり話してる。
多分向こうは気持ち悪がってる…
絶対教師とかには向かない幼稚な爺 ミカさんお願いです!! もう一度だけ出てきてください! 国の指定難病にかかりました。
実はこれが離婚の原因です 親戚を喜ばせる為に生きるのもいいが、
もっと構って欲しかった。 必死で貯めたお金で車を買おうとしたら、めちゃくちゃ嫌な顔をされた。
正月に彼女を家に連れてこれず、変な顔をされた
自立を拒む母と成功に嫉妬する父の狭間でもがき続けた 大学受験中のとき、その頃狙っていた、早稲田に合格する夢を見た。
「よっしゃーーーー!」と拳を振り上げ、合格番号の掲示されているボードを
(なぜか)バンバンバンと叩いた、その音で目覚めたら、
バンバンは玄関扉を叩く音で、踏み込んできた警官に父親が逮捕状を執行されるところだった。
泣き崩れる母親。兄は「お父さんが何をしたっていうんだよ〜」と叫んでる。
父親が詐欺の罪で逮捕された瞬間だった。
それからは茨の人生だった。父親は獄中で病死、母親は後追い自殺。
もちろん大学進学の夢は断たれ、働くことに。
一番悲しかった瞬間は、あの夢から現実への転落だった。
かれこれ20年前のことです。 今では母子家庭なんて珍しくもないが、当時はクラスに一人いるかいないかの時代。しかも専業主婦が殆どだった。
そんな時代だったから、下校時、突然の雨が降っても、殆どの同級生には家族から傘が届いていた。
そのような夕立の下校時、俺の傘は大きなヤツデの葉だった。
始業や終業を告げる鐘の近くに、元気よく育っていたヤツデの葉が俺の傘でした。 ありがとうミカ 涙でた
一からやり直すよ
会社をたたんでちょうど10年経ちました 今 思うと あれは父親の嫉妬だったらしい
自分にとっては色っぽ過ぎる美人の彼女を紹介した時。
なんとも言えず無愛想でよそよそしい両親の対応に戸惑った。
彼女もそれを察したのか消極的な感じに…
程無くして彼女の行動が変化した。 自分と逢わない日に男の影がちらつく様になった。
結局は裏切られ、別れを切り出された。
自立出来ない自分の様な人間 世間で言う結婚出来ない症候群の人々の家庭って
少なからず この様な親の妨害がある様な気がする
もっともその両親は無意識でそれをしている訳で自分達が諸悪の根源であることにすら気づいていない >>1
よう似た悲しい想い出、俺にもあるわ。同じくバブル時代に就職した俺。
大阪の下町で貧乏な暮らしをしてた彼女に、残業代貯めて200万円の指輪をプロポーズのつもりで渡したら、
「うち、こんなもんいらへん。お金なくてもええから、休みの日にうちと一緒にいてほしいねん!」
って泣かれた。「この指輪似合うもっとええ女の人と結婚して!」って二度と会ってもらえんかった。
彼女は数ヵ月後、父親が作ったほんの100万円ばかりの借金を返すために、水商売のバイトをはじめ、
変な男につかまって、シャブを打たれて逮捕されてしまった。
あの時、もう少し彼女の気持ちを分かってやっていたらと悔やんでも悔やみきれなかった。
一方俺は会社の上司の紹介で、確かにあの指輪が似合う、わりといい家の女と結婚した。
でも、今でも彼女のことをたまに想い出し、胸を締め付けられることがあります。 結局 依存してしまってたのかな
そんな風に思います 逃げられなかった
厨2の時
一番仲良くなったやんちゃなやつと口論
無視されるようになった
部活では 自分の傲慢な態度に無視、、、
無視されるってかなり堪える 一年の理不尽な暴力
二年の無視〜無視 結局弱いもの苛めに参加してしまった
三年行かされたスパルタ塾を 部活を理由に辞めた
親に無理やり行かされ
苦しかった 部活を理由に辞めた塾
その部活で村八分食らった。
確かその年に周囲を見下し初めたと思う。
長年行ってたゲレンデにはもう行かなくなったこの年。
色んなことがあった厨2
あの衝撃的なビルに出くわした厨2
同年代の奴らを完全に見下し初めた厨2 兄に彼女が出来たと拍手喝采がおこったのもこの年でした。
もっともっと構って欲しかった 友達が居なくなったがクラス1のひょうきんもんと友達になった 嬉しかった
毎日 何かの相談の為うちにくる兄が鬱陶しくなってきた 土曜日には北のグランドに自転車で行くようになっていた
密かに憧れたと言うか 親に周囲に見返す意味でも 有名になる必要があった 中学時代ポータブル音楽プレイヤーが欲しくて欲しくて
でも当然買って貰えないし、
透明の下敷きにパンフレット入れて眺めていた
いつものようにあの人が家にやってきて大笑いして馬鹿にされた
なんか完全にボロボロになった夜だった。
こんな親の経営する会社で自分の親が働いてるのか。。
たぶん向こうには何もつたわらない
知らないんだろうな
と思った 自分に関心持って欲しくて必死だったかも。
寂しかった。 怒りが込み上げてくる。
えらそうにいいやがって。
誰に金出してもらったか忘れてんのか
おかげで怠け三昧。 。
がんはババアだったってオチ ただいい女とセックスしたいだけで
付き合ったこと。
派手でエロさ全快の見るからにビッチな女と付き合ったこと
連れ歩いてみんながじろじろ見てくるのが快感だったフリーター時代
顔見てるだけでやりたくなる女だった
とにかく褒めちぎる事に撤して口説きまくったら落ちて彼女になった
褒めれば何でもやる女だったから着て欲しいエロい服 エロい下着 エロいセックス
全てを叶えてくれた、やってる最中は、いい女 エロい女をイカせてる俺様最高!
と思わせてくれる女だった
だんだん虚しくなった 五年ぐらい付き合った彼女と別れてしまったこと。
友達も理解者もいなくて、唯一の親友であり恋人だった。
お互いに自然が好きで、色んなとこに行ったことを今でも忘れられない。
夜に山に出かけて一緒に星を観たり、川原を散歩したり。思い出すと泣けてくるなぁ… おい 不景気続きじゃないのか?
何で奴の息子が高級車に乗ってくるんだ?
こんな邪険な扱い受けてること気づいてるんだよな?
11月に死ぬほど落ち込む出来事があった…
こんな学校にくるんではなかったのかも。
今年成人式がある 祝ってもくれないの?
他人はあれほど祝って?
理不尽すぎるね 最初はさ…
私だって思ってた
一生懸命やしなってくれて、有り難うってさ
でもさあまりに理不尽なことが立て続けにおこり、限界がきた
卒業間際の親友から知った親友の父の娯楽
卒業間際の友人との飲み会恋愛すら出来ない悲劇 人と比較するなといいつつ、比較しまくってた
自由を奪われっぱなしだった
例えば、誰々くんはゲーム持ってるのに自分は無いと言えば
別の持ってない家庭の子の話を延々とする
大人になってもゲーム売ってるショップ前を通ると強烈な罪悪感が生まれる 特別支援学校での授業中、補聴器の電池が切れてしまい、音が聞こえなくなったことで授業が続行できなくなったことかな。
今はこうなることを想定し、常に予備の電池を持ち歩いています。 スキー場で清水と言う、学校の教師みたいなやつに
君は欲に流される怠け者だと言われた 自分は、義兄に車を購入して貰い
会社に社用車を宛がわれてきたから
おれが車を買うのが気に入らなかったんだなw
器の狭い男だよお前は
おかげでおれは、あいつから、見下した目付きで「てめえのオサン、会社の経費で好き放題してるぜ」
って見られる始末 会社形式にしても、しんどいだけな事がよくよくわかった。
頑張らない人間ばっかりだし 父親が痴漢で逮捕された
会社もクビになった
新聞にも名前が出て、少し珍しい苗字だったので
妹は学校でからかわれ自殺寸前に
後に冤罪とわかり復職できたが居場所がなく結局退職
学歴も資格もなかったのでガードマンくらいしか仕事はなく
自分は大学を中退し働くしかなかった
父親を痴漢だと言い張った女子大生が
のうのうと暮らしているかと思うと腹が立つ 高校生の時、ガンにかかり精巣を両方とも摘出した
手術前の説明で「一生子供を作ることができないようになりますが、命と引き換えですので、納得していただくしかありません」
といわれた 金が無いだけならまだ良かった
高校を出て家を飛び出すという手段もあったかも知れない
本当に悔やむ
負担なんてしなけりゃ良かった。
より甘えさせる状況を作ってしまった 今となれば早く死んで欲しい 母親の過保護過干渉に半分洗脳された時代
悲しい
他人の話を引用してのコントロール。
飴と鞭の使いわけ
興味を持つものへの否定 親戚関係の内情 しくみを知るたびに落胆し
怒りが込み上げた。
頼む 早く会社辞めてくれ
毎週趣味に没頭してる場合じゃ無いだろ? 小学校低学年の時に学校でうんこちびってバレずに六時間目まで過ごした一日は地獄だった…
つか実際は何名かにはバレていた 近くの席の連中が変なにおいするって話し出していたし最後の掃除の時間にはそいつらがホウキを持った俺のまわりをニヤつきながらうろつきだした 続き
俺は必死になってばれないようにそいつらにケツ(朝からチビッてしまったせいでケツはすでにズボンの外側まで浸透して茶色くグスグス状態だった)を向けないようにホウキを持ったままくるくるとまわり続けたよ
帰ってきてから親にも言えずにグンゼの白ブリーフをドブに捨てた まさにあの一日は地獄だった NPDは鏡映化欲求を持っているのは周知の事実ですが、
もう一つ大事な欲求を持っています。『理想化欲求』です。
子は幼い時期に親を理想化して、その理想化対象から承認や是認を得る事で、自己評価調節機能を獲得します。
NPDは他者を理想化して、そういう人達とつきあったり、
彼らから確認、承認、是認を与えられることで初めて、自己意識の高揚とか、満足感を感じられるんです。
自分に対して負の感情を持っていない(と感じられる)人物であったり、
自分を受け入れてくれる、わかってくれる、拒否しない、それでいて善性の強い人物だと感じると、
自分に欠けているものを何とか獲得しようと、無意識に理想化対象に仕立てあげられてもおかしくありません。
そういう時理想化された人はプレッシャーを感じると思います。
接し方の違いの理由や目的は本人には意識されていないと思います。多分親しくなりたかったんだと思います。
理由や目的を敢えて文章にするとすれば、発達的欲求を満たしたかった、心の穴を少しでも埋めたかったんだと思います。
わかりづらくてすみません。 >>284 >>319
どんな半ズボンだったんだ?あの股下ぎりぎりの超短いやつか?
もしそうならば半ズボンの色と素材とピチピチ度も詳しく書いてくれ! 小学一年生になった時に親に買ってもらった本棚付きの学習机
姉が欲しいって言ったら父が了承して姉のお古の机と交換された
それ以来、宿題する気なんてなくなった。 家では無口で子供に関心がなく、いつも面白く無い顔をした父でした。
母親は 中坊ん時の事。
クラスに海外へホームステイに行った奴が居たんだが、クラス全員に土産を買って来た。
でも何故か俺一人だけ土産無し。
土産が欲しかった云々より、何で俺だけ?って悲しくなった。
そいつとは口も聞いた事が無い。揉めた事も無い。だから何でそこまで嫌われてたのか今でも判らない。
20数年経った今でも偶に思い出して何となく溜め息ついちゃう。 悲しい思い出は、小2の時に引っ越してしまった女子が中学の時に一緒の学校になって再開したんだけど、告られたけど断ってしまった事、それ以来何故か俺はクラスの女子に軽蔑され続けた。
もう一つの悲しい思い出は、中3の時にホモから告られ誰もいない階段でキスされそうになった、全力で逃げた、卒業するまで追いかけられた。
そして、高1の時も今度は別のホモに目を付けられた、電車の中でいきなり告られ「家に来てよ〜」と誘われた、全力で拒否して駅へ蹴り降ろしたらあくる日からそいつは来なくなり退学した、よほどテストの成績が悪かったのかな何で退学したんだろう。
最後は、卒業し就職した会社で7歳年上の女性に好意を持たれた、でも好みじゃないし女の性格がちょっとアレだったから相手にしなかった、結婚すれば尻に敷かれる男になっちゃうようなキツい女。
何が言いたいかというと、人生で2回もホモに告られた事が一番悲しいことなんだ、そして今は俺に告ってくれる女が居ない事も悲しい、俺は人生でチャンスを4度逃した。 正月になると、母親の借家に親父の会社連中がやってくる
完璧主義の母親が心血注いで正月料理を作る
家の中はぎすぎすしている。
父親に家族サービスしようと言う意識は1ミクロンもなく、明日の社員サービスに向けて
必死な父
居候みたいに母親の借家に転がりこんで、
好き放題 甲斐性無しがやる最悪の持て成し
これを約25年続けたきちがい 『親に向かって!』
甲斐性なく居候の立場の人間が言う言葉じゃない
責任を果たせ!
母親に依存し子供に親としての愛情持てない人間が言う言葉じゃない いとこに世話になったのはお前であって、
私たち子供は単なる犠牲者
成人近くになって愕然とした。
私たちが生活出来たのは母親が働いてたからであって、あんたの稼ぎでは100%無理だった いとこの糞会社に賞与無しで勤務しろなんて
誰かが言ったのか?
数年世話になったからって嫁子供も犠牲にして賞与無し 年間250万で勤務して下さいって誰かが言ったのか?
悪びれる様子もなく定年までそんな給与で勤務してくれって誰かが言ったの?
勝手におっさん(あんたが)決めただけだろ?
邪険にされ蔑ろにされやってるあんたを見てるあんたを見てる子供の立場にたったことある?
自分だけが我慢すればいいと思ってるところが幼稚で情けない 小学校の頃、親友が同級生の暴言で学校に来なくなった。
絵が上手で動物が大好きで誰に対しても優しくて美人で。
ほんとに大好きだったのに。同級生が人生狂わせた。
また理不尽な暴言を吐かれるのが怖くて外にも出れなくなった。そのうち身体も弱った。
最近外で遊べるようになったけど、薬や何かよく分からない持病に役立つもの?を持たないといけない。
たった一人のくそのせいで親友の人生狂った。
当時何もしてやれなかった自分に対してムカついてた。
自分がしていることはただ罪滅ぼしにしかなってない。虚しい。 退職時の、あの労いを求める様な態度と顔…
まるで子どもだった
言葉は悪いがはっきりいうと気持ち悪さ以外なかった
退職金無し(--)
謝罪も無し
客観的に過去回想して欲しかった。
どれだけ家族に我慢を強いてきたか、どれだけパートナーに犠牲を強いてきたか
などの記憶は頭になく、「俺はこれだけ我慢してきた、俺はこれだけ苦労した」とでも言いたげな幼稚極まりない態度
我慢してくれって誰が頼んだよ? 毎週日曜日 意味の無い体育活動に明け暮れ、 盆正月も無意味な活動に明け暮れ、現実を直視せず
逃げてきた人間に労いの言葉など必要無いです
全部自分が招いたことです 御下がりのウェアでスノボ行くのが嫌になった中一。
身体がでかくなり初めてジャケットだけ買いに行くことに…
例年通ってたブランドウェアの店じゃなしに、薄暗く汚い蛍光灯剥き出しの古くさい用品店。
唖然として落ち込んだ。 もういい。。 行きたくない。 こういう買い物の楽しみも含めてのツアーなんです
少なくとも私の価値観はそうなんです。お恵みおこぼれ御下がり品をお涙頂戴して貰ってまで行っても
何も楽しくない
本音です 小2のときの事。
その日は夏休み前最後の学校で、母が「今日は迎えに行ってあげるね」と笑顔で言ってくれたのをよく覚えている。
終業式も終わり、私は2つ上の兄と一緒に校門で母の迎えを待っていたが、
いつになっても迎えに来ないのでがっかりしながら歩いて家に帰ると、
キッチンの棚すべての食器が割れて床に散乱し、5歳の妹が大泣きしながら地べたに座っていて、
誰か(たぶん母?)が掃除しようとしていたのか掃除機がコンセントにつないであった。 続き
けれどどの部屋を探しても母がいない。
祖母にも「お母さんいないねー」とのんきに話していたが
ついにトイレで母が倒れているのを発見する。
すぐに救急車で病院に運ばれたが母は頭蓋骨を骨折していた。
頭を強く打っていたため記憶が抜け落ちてしまっていたので、なぜ食器がすべて割れていたのか、なぜトイレで大怪我をおって倒れていたのかも謎。 私がいかにケチかを従姉妹(加筆) に吹聴してまわったおっさん、 あの時の憎しみ溢れた馬鹿に笑った様な顔が忘れられない
バッティング
いつも、フォロー 援助 見方する人間を間違っている事への悲しみ
感性が幼稚
例 金満極悪主義者を擁護し称える
例 強い人間を助ける
例 チョンを擁護する
知識が疎い 人助けする必要ない人に必死で尽くし 寧ろありがた迷惑がられても全く気づかない
とにかく行動が痛い
感謝されない人に尽くす
結果身近な人間の信頼を無くす 一番相談に乗って欲しい時に、
他人息子の彼女を(遊び交際)招き入れ必死の持て成し
施しを頑張り 家族は無視 減給 減給が続き
賞与が無くなっても尚 3日の宴は強行する
前日になると母がヒステリックに下ごしらえをし、買い込んだ食品をチェックする
男の頭に家族サービスをやってやろうと言う気すらない
人の家に無神経上がりこんできて、好き放題。
家族が暗ーい感じになっても無神経
自分や家族が楽しむことは意地でも石にかじりついても見ようとしない
意地でも石にかじりついても他人に施す 他人をもてなす。奇妙なほどに >>301
335だけど、続きは特に無いよw
警察沙汰にもなったけど掃除機をかけた跡があるから
事件性はないだろうってことになったらしい
ちなみにその後もいろいろあって両親は離婚(>>334>>335のことは関係ない)
母は出ていって、さいきん再婚したそうだ。 当時 現実を予想してしまった。
相手の期待に添うために時間 趣味 睡眠 全てを犠牲にして相手のイメージを維持することに努めた
一年間ももたなかった気がする。 見栄とプライドを潰されるのが怖かった。
もし結婚することになれば、この暗く真面目くさった両親に彼女を紹介せねばならない。
この薄暗く古い長屋に彼女は出入りしてくれるか?
現実から逃げ出したくなる気持ちになった
それから彼女は一見誤解されやすく表情に乏しい女性だった
最初の子と(八方美人)は真逆の愛想悪さだった
いつもされてきた、あいつへの誉めちぎり「明るい彼女」
とは程遠かった
もう嫌だった 母は将来の為にと、免許取得の費用を出してくれた
仮免まできた時、練習したいと申し出た。
嫌がられることを承知で申し出たが、案の定、
何とも言えん面白く無い顔をされた上、嫌々鍵を渡された
ケチが嫌いと言われ続けてきたが、こういうのがケチなんだなあ…と思った
社用車だから、もしも と考えたのかも知れんが つまり楽しいこと面白いことをされたくないんだな と思った 何でいつも私ん家だけこんなにも損なこと 損な役回りさせられるのか?
と思った 自分がセックス依存なことも最近気づいた
以前友人がモロ境界の綺麗な水商売女を連れてきて一緒に夜遊びしにいったら
何故かお店で誘惑され、 その日は思いとどまったんだが
後日我慢出来ず、その女の部屋でエチしてしまった
こんなAVみたいに背徳感あるシチュエーションを潜在的に求めてる自分がいる 食への執着って本当に怖い
誰かに連れていかれたラーメン屋が不味かった話を
帰ってきてねちねち悪口言う 気づかずは本人ばかりで ……
可哀想なくらい小さな男だ
卑しいイメージ 童貞だった高校一年の時 部活帰りに、駅前でいかにも出会い系待ちしてそうな
Jcをナンパし何故か成功した
金が全然なかったから道すがらブラの中に手を突っ込みおっぱい揉んだ
出会って5分も経たないのによくあんなことしたな・って思う
夕暮れの人気ない公園で人に見られないようにおっぱい舐めたり
さっきまで知らない同士だった二人がハァハァしながらちちくり合う様はまさに典型的なエロスだったように思う
発情してきて学生服のズボンを降ろしててこきして貰いながら初めて女の子のパンティの中に手を入れ
おめこの入り口をくちゅくちゅいわせながら手マンした
凄く熱くてぬるぬるしてたし女の子も俺のいきりたったペニーに、ビックリしながら我慢汁でぬるぬるになった手でしごいてた
セクロスもやった事ない男女が辛抱たまらなくなって公園の汚い和式トイレに入った。
ハァハァしながらお願いしたのは尺八。 たった10秒で女の子の上着に信じられない量の精子をかけてしまった。
射精後一気に罪悪感がおしよせてきて駅に戻ってバイバイした。 お知らせ
市原警察署の生活安全課の帰化人創価警官の指導の元、
入学式から2週間ほど、在日の創価学会員を主体とした自称防犯パトロールが、
2週間ほど行われることになりました
生活安全課の指導であることと、パトロールであることは、
絶対に公言してはいけないとの指導も、帰化人創価警官より出ています
期間中は2人組の在日の創価学会員が、頻繁に創価批判者の自宅周辺を、
うろつき回ると思われます
日本人の方は、充分に注意してください 実家の支援を女に切れられた。
申し訳板挟みも苦しかったしどうでも良くなったのもあるが
やっぱりケチだなぁって感じて悲しくなった
女のケチも見てて情けないね 母、 自分の為には金使ってくれないのに叔母の支援には使う。
これではケチになるでしょ?
父 、 自分のには愛情注いでくれないのに
親戚にはたっぷり愛情注いでひねくれてもしょうがない 私 お金貯めて車を買うわ! って宣言してみたら
母 維持費の大変さ をくどくど言い出して、一気にネガティブに。
父 保険のことをねちねち言い出し不機嫌な顔
あれがねたみだったとは
落胆する ★本心
自分だけが得をして、特権意識を満喫したい
得するコミッションの方法を教えたくない
実際、手下 を連れ歩き欲望をみたしたかったが 手下 に
経済的体力が無くいらいら
手下に いうこと聞かせる為 小銭ばら蒔くが反応薄かった
寂しさが溢れてた 弱い人間だ >>1 辛いね。
食わしてもらって当たり前的な女とはやっていけないね
私は当時月100〜200マン切らない仕事だったけど(保険外交)それなりかなりハードだった
子供時代貧乏だったから、すぐ女に冷めてしまう
こんな女に苦しんだ労働の代価もってかれるの嫌だ!!
とね…
稼ぎが増えたら増えたで無茶苦茶使われるし、減ったら減ったでブーたれる
喜んで捧げられる女と出会いたい 新しい仕事(自営)のモチベーションぶち壊した親。
悲しいけど事実。
自分が稼ぐ事諦めたからって面白くなかったんだなw
最低な器なやつ 自分がいかに依存してきたか気づかないことは愚か。
嫌な現実から逃げる為、転がりこんだ長屋
自分の居場所を他人様の家に転がりこむことでみつけ
家庭を省みず『親に向かって!!!』を連呼するも行動が伴わない
自分でなしえたものなど何もないのに内弁慶で威張り。
毎年 正月にやりたい放題
他人に施すことで自我欲を満たし家庭 子供は眼中にない。
一番近い関係のものを不幸にしていることを見ない様に蓋をして生きるくだらない悲しい人生
親近者のため息すら蓋をするしがみつき。
しがみついてしがみついて電気の箱の前から離れない。
悲しい生き方が中毒になり、連鎖にさえも気づかない じいさんが息子の人生の脚引っ張るやつだった
自分も脚引っ張っる人間になってることに気づかない哀れ 悲しい しつこい女と別れ、仕事を変え、漸くたどり着いた新天地。
しつこいのに嫌気がさしてたがまだ若さもあり、やっぱり人恋しさもあった
で向こうから声かけてきたそいつと恋仲になった 最初は理想的だった
今までみたいに妙な駆け引きもなけりゃ、
向こうは好意あり、わかかりし日のライフスタイルも趣味も理想的に? 感じた。
欠点は 目がシジミで無愛想なとこ、正直なのはいいが、社交性ゼロなところだった こちらが何か提案しても、即答で断りを入れる
仕事の疲労で逢いに行っても労いの言葉もなく、無愛想に飯を食う。
一度本音が見えたのは、金に対する期待だった
仕事の頑張りも見て貰えない
一緒に楽しみたい事もあっさり拒否。 何かこちらから与えてばかりで
何も帰ってこない…
見返りを期待している訳じゃないが、
やっぱり見返り期待してたんだろか?
だんだんこっちばっかり我慢して対して喜んでも貰えない事にフラストレーションを感じてきて
無意識に極力、逢えない状況を作ってきた気がする こいつに時間を奪われたくない
自分の夢を奪われたくない。
夢を犠牲にしてまで一緒にいたくない
かと言って悪く思われたくない 最初自分に抱いてくれたイメージを壊したくない
せめてイメージ通りのまま、こいつと離れたい
時間 労力 金 昔では考えられない程つぎ込んだ
にも関わらず本音をちらほら出しても共感して貰えた試しがない
こいつと一緒になったところで幸せにはなれない
と実感しはじめていた 定例のBirthdayプレゼント探しで休日を潰した日
精も根も尽き果てた気がした。
その時期を同じくして家支 の否定。 少なくとも心はズタズタになる様な
罵倒ともとれる
物言い。
『もう勘弁してくれ… … もうやっぱり一緒になるとか無理だわ』
心が金切り音を響かせながら悲鳴をあげた。 マイホームを買う必要がない
食事を完璧にして貰える
車も買わなくていい。
〜しなくていい環境を作り甘やかし過ぎたが為に自堕落し
挙げ句 子供にまで愛情放棄し、相変わらず見たくない事に蓋をし
どれだけ経済的に甘やかされてるか気づくことが出来ない様にした
配偶者の責任。
やることやらず趣味に明け暮れ誤魔化し続けた人生 甘え続けたのはどっちだろ?
彼を支援したいなどとは思っていなかった
なのに勝手に金魚の糞みたいについてきて
ゴロゴロ怠け、果てには我が物顔で仕切り初める始末。
あまりの厚顔無恥ぶりに怒りがピークになった 無意識の大人の言葉ってある種の洗脳になってしまう。
例えば母親が、他人の家庭の価値観にいちいちメスを入れる様なことを
していたら、
(子供にアルマーニ、サンローランなど着せるべきでない)
とか
その子供は子供が上等な服装をすべきでない
と言うならまだしもアルマーニという固有名詞にまで罪悪感を抱いてしまうことになりかねません
その数が多いほど大人になって苦しみます
無意識なので尚更質が悪いのです
まさに私です 無意識で子供が大きく成功することを拒み
出来れば小さな成功でいいと思っている
無意識の行動に現れている
少年期の不遇を理由に向き合わずサボって生きてきた立場がなくなる恐怖から
無意識で子供の失敗を望んでいる 初めて家庭に違和感を強く感じたのが進学の時
世の中が好景気に湧いて絶頂の時期に
母から聞かされいたのは不景気 不景気という言葉
おそらく厨2位から五年も聞かされてきていたので
少しうんざりしていたが、本当に本当に本当に本当に無知だった私は学園生活とのギャップを大きく感じていた
「おかしい おかしいおかしいおかしい
何故!? 母の言ってることと世の中は違う
おかしいおかしい 違いすぎる」
はっきりいって発狂寸前
年収350万 何で?
その倍額の車 乗ってんの?
何故 残念ながら、母性を勝ち取りたいが為だけに母親と結婚したらしい
悲しいけどこれで全ての説明がつくんだよ…
受け入れたくなかったが事実なんだよ
想像力に欠けると言うか見たくないものに蓋をするタイプの人なんで、
本人に自覚ゼロかも知れない つまり心の奥底では子どもなんて欲しくはなかったし、想像もしていなかった
目の前にある母性だけを獲得したかった訳で、本当は望んでもいなかったんだが、
世間体と相手の手前、仕方なかった
心の奥底では寧ろやっと獲得した母性を奪われる事の寂しさの様な気持ちが
勝手いて、とてもじゃないが子どもに愛情注ぐなんて無理だった
悲しいことだがこれが事実 子供時代の旅行が虚しかった悲しかったこと
欲しがる物を規制し縛る母
愛情を注ぐのは損とばかりに、ムスっとする父
帰宅しても学校であった出来事を話したこともない。
たまに機嫌良く帰ってきても子供は無視 母に必死で子供の様に話しかけ無邪気な態度を見せる幼稚な父。
子供が興味持つこと、欲しがるもの、喜ぶことには何も関心がない。
そのことを薄々は感じてるのに子供に過干渉に接する母。
全てがちぐはぐで貧しく暗い家庭。 見方を変えると全く自立していないと言える。
ただ依存する対象を変えただけで本質はかわらなかったはず
「いつも助け船が来てくれる」今回もそうだった。
親の死によって、どこか別の、(国の支援などによって)自立する方法もあっただろう。
しかし結局は親類から助けられ依存した
その後も結婚という依存に逃げた 小学校の時好きだった女子と仲良くなって
バレンタインの日、同じくそいつと仲の良かった
俺の属するグループ全員そいつからチョコを貰ったんだが
俺だけ貰えなかった事
その後中学に上がり俺を虐めてた先輩に処女を奪われやりまくってたらしい
その頃になるともう興味もなかったが 小学校の頃仲のよかった奴らとかくれんぼしてたとき
ギャグのつもりで、そばにあったごみステーションの
完全にバレバレな位置にゴミ袋と一緒に佇んでたんだが
最後まで見つからず
俺が飛び出すまで存在すら忘れられてた事 父が酷い扱い受けてても見て見ぬふりするのは疲れたなあ…
自分自身もそれを認めたくなかったのがある。
本人をきづつけまいと、腫れ物に障るような一家だから暗かった
しかし本人自身が見ぬふりしててしかも、家では無口で暗い。
すぐに不貞腐れた顔になる、その事自体にも気づいてなさそうな兄(仮)
結局は私が頑張れば共依存する母。
素直になれば済むことなのに、意地をはる最高に格好悪い父。 思いきって言うべきか悩んだが、「お前に言われたくないわ!」と切れられるのが
オチだし、黙って背中を見せてやろうとしたオレ。
子供が父に背中を見せるのも聞いたことないが
現にオレはそれをやってきた。
しかし限界だった
遂には妬み羨みの態度を示してきたもんだから始末におえない
しかも生活態度はどんどん堕落し 一円にもならない趣味ともボランティアともつかないことにしがみつき辞めようともしない。
しかも、そこでもパッとしない。 今なら少しは解る。
彼は変化に対する恐怖が強く、実は虐げられたあの環境にすらしがみついてたのだ
月20の環境にしがみつきテコでも離れなかった。
我々に相談(兄は除く、母と私)にすれば
転職の支援もあったのに彼は意地になり見て見ぬふりをし趣味ともボランティアともつかない
行動を続けた。
トラウマとは何と恐ろしいものだろう 兄(仮)は無関心なのか冷酷なのか 本当は自立してるのか
未だにわからない
本当 冷えきって見える 毎回 毎回 家にいくたび喉から手が出る程欲しいもの見せられ、
しかもその欲しいものがほったらかしにされてるの見ると、私にくれよ…って気持ちになる
しまいに妬みにもなる 悲しいと言って良いのか分からないが、一回川に落ちた事があって、その時、黄色いボール(料理に使うアレ)を被っていて助かったなんて事があったな……… 自動的に自分が生徒会長になるはずだったのに、途中から生徒会参加した子に不正されて生徒会長盗られたことかな うちの父 本当は子どもを望んでなかったことかな…
よく無視された…
両親を幼少時代に無くし、結婚して母性を獲得したかったわけで。。
母親は勿論女として子どもを求めていたわけで。
母親の手前、世間の手前仕方なしに受容したわけだ。
きっとその前の代からそういうことが繰り返されてきて、その父親も子どもを大事にする感覚の無い家庭であった気がしてならない。
不幸だが事実で、自分はそうならない様に頑張る 特別扱いされないことへの苛立ち 。
少年野球の親子を貶す。
無意識下のあしき洗脳を自らがやっている事実に気づかない 幼稚で愚かな人間ぞう
異常なほど 想像力に乏しい為に 我が子の世代が喜ぶことに理解 関心がない。 別れを決意したのはCHANEL後。
源流はバッティングセンター
出さないことへの強烈な罪悪感… 貶し 無視 怒り あざ笑い…
恐怖心… CHANEL後の虚しさ
自分はしてもらうどころか貶されたのにやってやることへの怒り おかしいと思うことに対して、蓋をする
見てみぬふりをする
見ないふりをする。 深く考えない。。 こういう家庭に育ったこと。
日々フラストレーションとストレスにまみれ
『なんで? 何故? ??』 の嵐の中で抑圧してきた結果 体調がおかしくなった >>350 本人は気づいていないんだよね…
そうやって生きてることにすら 。
母親が世話焼き依存だと、もう行きつくとこまで行くな… 洗脳されてることに気づかない両親を絶対だと思い込んでいたこと。
梃子でも動かない頑固さを見て悲しいと思った。
父に至っては恐ろしく無知で、右翼のガイセン車みて本気で怒っていた。
あほすぎて悲しかった。
疑問に思わないなだろうか? 探求心って無いのだろうか? あまりの無知さに 感情を逆撫でせぬ様に やんわりと指摘しようもんなら、
機嫌を損ねだす(笑)
母親も必死で無知 無教養な父をフォローする
だから一向に自立 成長がない
ある種の最強コンボなわけだがみていて歯痒さ満開なのだ 怒り。
彼女のイメージを壊したくない。
ファッショナブルで優しく強く、音楽好きで遊びなれて仲間がいっぱいいるイメージ。
でも彼女は仲間が全く居なかったし人付き合い悪かった。 気づくのが遅すぎたこと。
少6〜中1の時にウェア購入時に気づくべきだったんだよ… あれが全てだって。
自分の家庭 我が子が喜ぶことには全く興味ない人間だったってこと。
変なスポ関係者を家に招いては、がはがは喜んだり、我が子無視で家庭無視で、年明け宴を必死になったり。
甲斐性無しが唯一逃げられる宴
くだらない 最もつまらないしょうもない人間 昔務めていた会社で、周りにだれもいなかったしすかしっぺをかました。
爽快な気分でいたら先輩2人が私の元へと帰ってきて仕事を始めた。
すると1人の先輩が険しい顔になり、真冬だと言うのに窓を全開にし外へと何かを確認しに行った。
先輩が戻ってきて、私ともう一人の先輩に『下水道工事してるかもしれない。とてつもなく臭い。』とハンカチで鼻を押さえながら話をしてきた。
もう一人の先輩も『まじくせぇw』と言って泣いていた。私もそれに便乗した。
自分のオナラは下水道なんだと思うと何故かニヤついたが悲しい思い出となった。お嫁にいけない。 高校時代、ある教育実習生と付き合ったり、友人とくだらない事に夢中になったりして楽しかった。
ただ、楽しい事ばかりではなく糞先公とのくだらない日々もあった。
卒業式ではようやく地獄から抜けれると思ったが、何となくつまらなかった。
大学に落ちて、しばらく浪人し大学に受かった。
あの高校に挨拶に行くかと思ったが、3年の時の担任に顔を合わせる
ということが悲しくなった。大学は間違いなく誇れるところだし、お世話になった先生方もいる。
だが、行きたくないし虚しい。高校時代の自分が恥ずかしく思えてしまった。 周囲とかなり違うことに気づき初めたのが高校入学してしばらくしてからだった とにかく食べ物に拘る人だった
しかも今思えば高い店=悪。
高い店の高級な店の番組をやっていると「こんなもん、○○に比べたら」
「安いところでも旨いところはある!」などと然り気無くいいはなった
よその家の質素な食事を貶し笑うような時もあった。
しかし現実はそういった家のほうが何十倍も資産があり、違う意味で裕福だった
しかしそういった家柄を「大概はケチだ」などと切り捨て価値観の違いを認められない短絡思考は幼稚そのものだった気がする >>354環境によって 無教養になるのはいた仕方ないけど
配偶者がそれをフォローすると一生怠けて勉強しなくなるんだよなw
無知は罪だと教えて貰うやつがいないから本人はどこか内心で少年時代の不遇を大義名分にして
生きていく
そんなやつを尊敬なんてできない スポーツ馬鹿だと思ってたら母親がけしかけてたと知らされ愕然とした。
「何でそんなことしたんだ」と 泣き喚き散らしたい 気分になった。
必死で問いただしてみたら「日曜 休日にはずっと寝てるだけの人だったから仕方ない」
と言われ 体の力が抜けた
たったそれだけの理由で自分は頑張らされてきたのか…
落胆した
駄目人間製造の理由が母親に原因あったことも知って死にたくなった もう同情することなんてない気がしてきた、
ただ住み出来る環境にもぐりこみだらだら過ごし、友人呼びまくって好き放題して
家族を蔑ろ 邪険にし雨露凌ぐ場所が出来た安心感から怠け、だらだらテレビにかじりつき
変な趣味のおっさんが家に来てやりたい放題
好き勝手に生きたい放題やりたい放題で責任放棄の人生過ごした人間に同情はしない 無意識に言うこと聞かされてきた
自分のいい分は通す
何かと言えばハワイに住めばいい
そんな簡単にいくかよw
「こうこうするけどええやろ?」 この台詞にやられてきた
ふざけんな !
全て代弁かまされて損ばかり… 浮浪者みたいな容姿
どこまで脚引っ張ったらすむんだろ?
情けない が口癖。
その容姿が情けない。 恥の概念が違うらしい
気持ち悪い どぶが腐ったみたいなミルク腐ったみたいな屁を撒き散らして パンチドランカーみたいな顔でうろうろしてる
のに 今時 体に悪い牛乳を健康だと思いこんでのんでは腸を腐敗させる能無し。
気持ち悪い ……付き合ってた奴に刃物向けられた
ニヤリとしてたから俺斬られんのかぁって思ったらそのまま刃物しまいよった
そっからヤバかったよ
糖質ナメてたorz
今は殆ど落ち着いてるが10年近くも傍に居た為か共依存起こして俺がぐだってる 例えば年末に30万ほど臨時収入があったとしよう
普通なら正月は家族と小旅行をしようかとか何か子供に買ってやろうかとか考えるだろ?
彼の場合は違うんだよな、どうでも良い連中をいっぱい呼んで、もてなすことに心血を注ぐ。勿論その30万は他者へのもてなしの為全て使いきる
ここが肝心なんだが「呼ばれた相手が喜んでようが喜んでまいがお構い無し」
な点とその瞬間「家族のことは頭からなくなってしまっている」
ってこと。 。 。
自分や自分の家族が犠牲になっても他者をを優先したり他人を喜ばせようと必死になる
そして最も肝心なのはもてなしを受けた他者や他人は大して喜んでいなかったりする 。
たとえ収入が激減し家計が底をつくような事態に陥っでも真実から目を背け
意地でも辞めようとはしない。 続き
そして身内が苦言を呈して言葉を投げ掛けると
怒り 拗ね 無言になり途端に機嫌を損ねる
何故 発想の転換が出来ないのだろう。 収入を増やす事を考えるとかは何故しないのだろう。
まるで損をしまくったり身内を犠牲にするのが大好きな人間という風にも写る
これらが全て無意識下で行われていることが悲しい。 本人は全くの無自覚なわけだから非常にたちが悪い
この様な子を生み出した先祖は多いに反省すべきじゃないか? と思う 。
人から大事に親から大事にされた経験がないから真の意味で子を大事にすることが出来ない。
悲しいがこれが現実 >>369 家族サービスする事は損と考えてる様にも取れるな
真の甲斐性無しってこういう人間なのかも
にしても悲しく寂しい人間だね 人付き合いが煩わしく、友人があまりいなくて大学進学した俺に、
一本の電話がかかってきて、誘ってくれた高校の友人が結局はアムの勧誘だった時。
やんちゃだったけど楽しい奴で電話あった時に喜んだからその分 悲しかった >>371 解る 結構遊び場が一緒で、密かに憧れてた友人(だと思い込んでた)に
ライブに誘われ 嬉しい気持ちで神社に待ち合わせたら、チケット代回収…
友人誘って行ったら、何か愛想悪くされ 落胆。。
ああ チケット売りたさの為の利用だったのか… と寂しく落ち込んだ気持ちになった
だいたい憧れてた奴に必ずこんな目にあう俺 私はもっと酷い事があったな
鬱と副作用で寝込んでた時に仲間と思ってた人から、いい療法がある的な話をされ
事務所までふらふらで連れていかれた挙げ句、健康器具を売り付けられそうになった
何十万もするやつ。
本当に助けてあげたいって話ならまだ嬉しかったかもだけど、売って儲けたいのが見え見えで悲しくなった
病気になった人間をカモと見るのか
私はそこまで蔑まれていたのかと悲しくなって人間不信になった 信じても信じても嘘をつき裏切られ
それでもしがみつき、たった1ヶ月の留守中に壮絶な裏切りをされた
誰も何も信用出来なくなった
悲し過ぎて、もうまともに夢を追いかけるのが馬鹿らしくなった
全てを犠牲にして嫌われないように生きてきたのが馬鹿馬鹿しくなった 裏切った張本人はなにくわぬ顔で、次なるタゲとくっつきケセラセラと笑みを浮かべ
青春最後の年を思いきり謳歌し人は蹴落として当然、好き放題 やりたい放題
旅行 趣味資格取得に明け暮れた
なにかその瞬間プツリと糸が切れた感じがした
金さえあればこれだけ好き放題できるのかと… 金がないだけでこんなに惨めな思いをするのか…と。
これだけ蔑ろにされ蔑まれるのか…と
どうやら自分が教わってきた教育とは真逆に思えた。
「金が全てじゃない」この言葉に違和感を感じながらも感情を押し殺してきたが
この糸が途切れた日を境に極度の人間不信。自暴自棄
もういいや…と
どうせなら社会への復讐も兼ねて稼ぎまくってやろう…と あまりに馬鹿馬鹿しい結末に笑えた
この日から負のモチベーションを使っての稼業が始まった >>372 辛いね 趣味で尊敬出来る人に結局は利用された…
君に興味ないんだと思ってしまうよね 営利 運営の為だけに連絡してきたのかと思うと
しかも君は尊敬出来る友人を誘って、彼にも紹介しようと張り切って行ったにも関わらず立場もなくなった。
その場を取り繕うのに必死で悲しかったと思う ずっと思ってきたことがある。
容姿はお世辞にも誉められない プッと笑うくらいのバランスで
小6からグレ(それまでは虐められ)
「グレてる俺かくいい!」ヤンキーぶって
でもスポーツに打ち込むオレもかくいい!
いつもしゃしゃり出て突っ張るオレかくいい!
そんな厨二な奴が割りと人気あり、腹のそこで馬鹿にしていた
腹のそこから沸き上がるほど虫酸走るほど嫌いで嫌いで仕方なくて未だに記憶から離れない しかし大学で心理学を専攻して怒りの原因が見えてきた
ひょっとしたら自分はあいつと同じ部分があるんじゃないかと
人よりお先に突っ張り、一言多い勘にさわるお山の大将
突っ張りだけどスポーツも勉強も万能、上手くずるく転落せず おまけに目立つポジションだけ
おいしく頂く。
いつも周囲に 慕う取り巻きがいてボス気分。 。
こういうのが自分の奥にもあって容姿はパッとしないコンプレックスも同様に持ち合わせている ことへの自分への怒り みたくない現象や真実からは目を背け逃げる。
欲しくても別の理由をつけ欲しくないふりをする
欲しいね でも今は我慢だね…と言えない
欲しくても、あんなもん大したことないなど嘯く
だからいつまでたっても無知。
成長がない。
突き放してくれる人が必要だったのだ
気持ちよう… 感情圧し殺してでも気持ちよく振る舞う
気分よう… 最悪な気持ちのときに圧し殺せと周囲にも要求
ただ逃げてるだけ
まるで「何事とも向き合うな!」と言ってるかの様にみえる
素直に楽しいことを心から楽しむ。楽しくないことはノーと言えない 少年期にまともに食にありつけない期間があるとこんなにも食への執着が出るものなんだろうか?
まさか高齢まで続くとは。
食にさえありつければ他の欲望は何も要らない。
こんな意識も限度を越えるとやっかいだ。
他の娯楽や楽しみを求める人を否定する
現代社会では最低限の労働で食が満たされるのでそれ以上努力しない
「 飯が食えてて一体何が不満なのか! それ以上求めるなんて贅沢もんだ!」
と頑固に我を美化し 肉にしがみつく!
ご先祖さん。 こんなことになってしまうんですよ。 見てますかご先祖さん
少年期の食コンプレックスってこんなにも人間を駄目にするんですよ
よ〜く見てください! 甲斐性なしの為に9時前まで飯を待ったせいで身体の調子が最悪に。 ご先祖さん
1日中寝転がって、飯だけ楽しみに生きてる馬鹿を叱ってやってください あんな奴の援助なんてやるんじゃなかったよ 心底公開する 自分の考えてきたことは間違いじゃなかったな
常に脚をひっぱられてきたけど、本当に苦しかった。
恥ずかしかったんだ。
生活苦ってほどでもなかったが、何でなのか? 悔しくて悔しくて…
何故真実から目を背けてどうでも良い日曜日を過ごすのか?
それが嫌いで嫌いで仕方なかった。 恥をかきたくなくて親の分まで頑張った希ガス
私の頑張りに刺激されて動くと思っていたが、
最後の最後まで絶対にいじでも頑張らなかった
はっきり言おう
どうでもいいことにずっとずっとずっと時間を彼が割いていたのは精神が狂いそうだった
兄弟って似るんだな…
笑えるほどに。 鬱だと思い込んで心療内科通って過剰なまでに強い薬の処方でメンタル悪化→錯乱して10階から飛び降りる→後遺症で片足麻痺…悲し過ぎて悲しすぎて、悔やんでも悔やみきれない17の夏 みんながもってる欲しいオモチャ買って貰えなかった
妹は買って貰えても、私はお兄ちゃんだから我慢しなさい…
わざと親戚の家に遊びに行っておねだりして買ってもらった 自分に何も自信が無く、せめて持てようと徹底的に外見を磨いた
その甲斐あってちょっとモデルっぽい女にベタ惚れされた25の俺(加筆)
彼女との生活を維持するのに、目標を変更し金稼ぎに邁進した
一時は充実したが、だんだんと嫌気が差し転落生活。 見かけだけ美人の女に愛想つかしてきてJ○と浮気。
何でも喜んでくれてピュアでJのが楽しくなった一年目。
可愛い娘と簡単にセックス出来て ちょっと割りきって 互いにに逢いたい時だけ合う
たまに合うから洒落た店で遊んで 高いプレゼントも買ってやれる
向こうも喜ぶし楽しい
結局本カノとは別れた 本カノはだんだんプライドが高くなってくるし、最初は喜んでくれたデートやプレゼントも対して喜ばない
何となく顔もぶさく感じてきて、セックスも楽しくなくなった
男って仕事やなんやある程度立てて貰わないと辛い生き物だから
頑張っても頑張っても張り合いがなく
本カノと会うのも億劫になってきた。
何の評価も無いのに一緒にいるのも虚しくなってきて
時間も金も勿体なく感じ、若い女や夜遊びの女と適当にやってるのが楽で
女遊びに狂い出した 仕事が忙しいと理由で会う回数も減った様に感じる一年目
5月に修行してたオーナーから首きられ、平日は金の為の仕事〜終わったら遊び好きな社長とキャバクラ
週末は楽しい男友達とパーティーナンパ。
出会い系も初めてしまった秋。
休日は逢うより寝ていたかったし、出来るだけ逢いたくなかった そいつと居るとやりたいこと何も出来ないと感じてきた。
金ばっかり使っていって互いに何となく趣味もあわないしこれからやりたいことのモチベーションは下がって行く一方
それが確実に見えていた
町をあるけば、もっとエネルギッシュで自分好みね楽しそうな女がいっぱいいる。
この時期 ぼくは病んでいた… というか何者かに取りつかれた様に
別の女を求め続けていた
気がする 2年目に差し掛かる頃には、経済的な高みを目指しつつ
以前からしたかった仕事を初める
かなり無理があったしこれくらいの強行策を取ってついてこれなければ、
そいつとはそれまで…という考えにも至っていた
夏前にはティーンともワンナイトラブして完全にタガが外れた。 いっぱいいっぱいんなって恐怖や不安も酷かった。 悲しいことね…
私の母親は強度の異性潔癖症で、妹(加筆)が素直過ぎるのかそれを鵜呑みにしていた…
自分の男性恐怖体験を子供に(幼少期)話してしまうという荒業をやってしまった上
逐一、無意識で「男性には気をつけろ」的なことを無意識でやってきてしまった。
いつしか妹は洗脳されてしまい男を避ける様な性格になってしまった
喪女や腐れ女子と呼ばれるカテゴリーの女性には実はこんなコンプレックスを背負っている人が多い
しかも自分ですら気づいていない。
普通の女の子なら通過する異性の興味を引く様なごく自然なお洒落も躊躇してしまい 上手くいかない
なにかもっさりとした冴えない印象を異性に与えているのは
子供時代にあるということに気づいていない。 その母親が妹が三十路になった時にとった行動。
お見合い相手を片っ端から探しては提案していた…
実はこの母親自分が習慣の様にいい聞かせてきた異性恐怖のことに全く気づいていないのだ
自分が与えた悪しき影響は完全に忘れているというか、 実際に自分が植え付けてしまったことすら記憶になく無意識なのだ
凄く悲しい話だが事実で双方とも全く気づいていない。 しかも母親はあの子は何故 結婚したがらないのだろう…と本気で悩んだりしていたのだが、
びっくりすることに、自分の取った言動に対する罪の意識すらないのだ…
幼い子供時代の影響力とはこれほどまでに大きい。
一人の子供の人生を容易にぶち壊す位の破壊力がある。
悲しくて涙が止まらないこともある >>399 悲しいね
そういう家庭の父って何も言わない 教育しないんだろか?
私の父は結構 無関心 無興味な人なのですっごく変でした。
あれだけ無興味 無関心で居られるのは、その親にも同じ扱いを受けてしまったからで、
反省 改善なんてゼロ…
何か一番大事なことが欠けていることに本人(父)辞退が気づけてなかったよ そういう父って子供が産まれて自分が親になることすら
想定してなかったと思うくらい 余裕がないよね…
結婚じたいが逃げだから母にべったり依存するんじゃないかな
子供はオマケ 仕方ないから父のふりだけしておく。
最低最悪の負の連鎖。
気づかぬは本人たちのみで、全てのモチベーションにブレーキをかける悪。
最後には完全にやる気を無くす脱け殻みたいな子供を作っている事実にすらきずかないみたいよ
悲しい話だわ… 凄く嫌いで虫酸が走るタイプの人とばかり出会ってしまうのが悲し過ぎた。
どんなところが嫌いか。
○お山の大将になりたがるところ
○凄く時代遅れな突っ張りで、それがかっこいいみたいにやってた所が笑えるほどダサかった
○ 自分がとっくにやってきたことを、部活スポーツ、スキー教室の塾、かっこいい友人
○ 寄るとか寄せないとか群れでばかり行動してる俺かっこいい…とか思ってそうなところ
○ 助ければ助けるほど頑張らず怠ける人が世の中にはいる。
誰も助けてはいけない >>401
毎年 自分の誕生日や母の日 父の日になると
「お前 ○○円出せよ」と言い出し金を要求する老害。
その金で肉を買ったり寿司を取ったりする。
とにかく1日中食べることとTVのことしか頭にないw
還暦過ぎてボケが入ってきた…
もう気持ち悪いなんて次元じゃない
最近は母親に全ての問題があったと思ってきた…
突き放せば良かったのだ。
離婚すれば…
私たちは彼なんて居なくても充分食べていけたのだし しかし全く甲斐性ないのに何故 あんなに偉そうにするんだろ?
せめてもっと稼ぐか、
偉そうにするの辞めたら!?っていいたい 悲しかったこと
持病で学校出ても停職につけず、
毎日が病院通いとアルバイト生活。
どうしても車が欲しくて仕方なかったが
とても貯金じゃ追い付かない…
同じ町内の知人は高級車に乗ってしょっちゅう家にくる
なんか悲しかったなw >>408
社交辞令が解らない。
まるで子供…
一度送ったお歳暮を「美味しかったです」とか言われると25年くらい同じものを送って
自己満足する。 たまたま相手がいい人で こいつを子供の様にみてくれているから、内心「単純なやつだなあ…」って思っても
ありがとうって言ってくれるだけなんだけど
毎年悲しい気持ちにはなる 悲しい程の情報弱者。
何も知らないし、何にも興味が無い 無教養 無知、
私が何か目新しいことを言うと「格好つけやがって!」と馬鹿にした笑いを向けてくる。
割りと子供の頃からこれをされてきた気がする。 見下されて馬鹿にされてる人に迎合したり
軽んじられ蔑ろにされてる人を崇拝したり
恐ろしいほど人を見抜く目がない
悲しくなってくる。 付き合った女がトランスジェンダーだった
初めての彼女だったので、セックスしても気づかなかった
結婚の話を持ち出して、子供は早いうちに欲しいとかいう話をしだして、
本当の事を知った
元男と知って、情けないことだが吐いてしまった
その場で別れた悲しい思い出 うちは 母親の
○○もしたことない癖にって言葉に苦しめられてきた。
たいしたことない癖に…
この言葉に悲しみを感じる
同時に殺意も ACでいう助っ人をやってしまったこと。
自分のことより、経済的に頼りなく将来設計を全くやらず怠け続ける父に
母親が将来苦しめられる気がしたのでその分 何倍も頑張らないと駄目だ。と思った。
結局 自分がボロボロに壊れるまで援助してしまった。 そのことにすら気づいて貰えない 悲しい 寂しい 怖い(恐怖)相手にされない 無視される もう これ以上期待に応えるのも、頑張るのも無理です。
あのボロ屋敷を出るチャンスなんです…
コンプレックスとトラウマの固まったあのボロ屋敷を。 。
私は結婚と購入支援、この2つの選択があるなら間違いないなく購入を選びます。
ごめんなさい あなたには到底わからないと思う。 もし購入支援に対してあなたが難色を示すなら私は、あなたを諦めます。
理解できないなら仕方がない
何故あなたと一緒になれなかったか?
それは話しても無理だとわかったからです
多分 冷たいあなたの心では理解出来ないと思う 価値観の違うもの同士の間に入って苦しみたくない
例えば、あなたに両親を紹介したとして あなたは我が両親に愕然とし落胆するでしょう…
腹が立つと思います
また両親はあなたをみて難色を示すでしょう…
両親は視野が狭いです。あなたの無表情ななりをみて、多分否定すると思います。
あなたの良さは私には解ります。
しかし視野が狭いあの両親には多分全く理解できません
私は私の選んだものを否定されたり貶されたりするのが怖いんです >>419 オレはオヤジ恨んでたし、彼女が(えいみ まみ 祐子 )
が自分のオヤジの自慢初めると琴線に触れてブチ切れそうになってた
だから結婚無理 まあ 彼と関わると損ばかりさせられる人生になるからな…
損することが大好きで、何が大事か見えてない損だらけの人生 昔 大勢の前で名指しで怒鳴られ恥をかき、へこんで帰宅すると
親戚の意地悪婆さんが見ていて、母親にちんころされ
2人で大罵倒されたこと
只でさえ、へこんで屈辱的な思いでいるのに「馬鹿だの どんくさいだの 」散々貶され、悲しくてトラウマに。
思い出すと未だに苦しい 共依存者の悲劇…
毎日会社行く。 浮気しない。月給は全て入れる。
この3つさえす守れば、後は何もしなくてよい って言う暗黙の了解のもと
居候結婚。経済的底辺で身内に惨めな辛い思いさせても頑なに原因を直視せず
だらだらと体たらくな生活をやり続け 浮世離れなほど 世間に疎い。
無知 情弱 怠慢の三点セット 知らず知らずに我慢の押し付けを無意識でやってることに気づかない 本当に彼は必要とされていたのだろうか?
もし必要とされていたなら報酬が少なすぎやしませんか
それとも実は不必要だがお情けで雇用してもらっていたのか?
不明な点があまりに多すぎてずっと混乱してきた気がする 臭いものに蓋をし
見て見ぬふりをする
強烈なストレス 実家に帰ると
お金の話がタブーになっている
お金の話になると話をそらすように逃げられる
これが強烈なフラストレーションになり
憤りを感じ 苦しくなる どおやらあいつは俺が心底嫌いだったらしい
嫌われてる奴に必死で貯めた貯蓄の半分以上を支援し、結婚も保留にした俺
思いだすたび怒りが込み上げる 食べ盛りの時代に食えなかったから
食べ物のテレビばかり見続けている
死ぬまでマスターベーション
悲しい 虚しい
見ていて りょうは、欲しいカセットがある これだけ金あるけど足らんから
ちょっと応援してと父にいいよる
偉いやっちゃ!
と息子の前でこれ見よがしに言う。
どうしていいか解らない息子。
遠回しに嫌みを言って気づかせようとしてたのか?
本当は凄くケチな人間なんじゃないか? と思う。
実はそんな感じがする もう我慢も限界だ
みすぼらしく恥ずかしい。
嫌がらせか?と思うほど稼がなかった。
家族がどれだけ辛抱してきたか、想像できない。
食べて寝るだけのならず者 母を病死で亡くし、父子家庭だった母が選択したのは、両親が居ない男だった。 愕然としたのは「何を甘えてるんだ!」と喚かれた時…
空いた口が塞がらなかった。
いやいや…
誰のおかげであまつゆ凌げて生きていられると思ってるの?
全く稼がないで休日はどうでもいい趣味に興じてた人間が、
何を言ってるの? としか…
助けすぎると人間はこうなるんだな… ほぼ廃人 俺にも色々悲しいことはある。
中学生になる前にお爺さん亡くしたし
努力しても部活の試合勝てないし
父が失業したり
第一志望の大学落ちたし…
他にも色々
今もうまくいかないことがあって、くよくよしてる >>436
生まれた時には双方に祖母 祖父はいなかった…
書き手の感情に焦点を置かれる感想文や作文
は全く書けなかったよ
母親に本来の感情を露にすることを弾圧されていたし、悟られるわけにもいかなかったから…
常に偽っていて本来の感情がわからなくなったのと感情のバリエーションが無かったからだと思う
未だに何読んでも見ても気持ちは平坦なままで人から感想を求められると困る
父は教養ゼロな上 愛情には無頓着。子供に無関心 かといって仕事に没頭してるわけでもなく
だらだら寝起きしてテレビのリモコン握りしめテレビにかじりついていた。
私と兄は、いつもため息つきながら、背後から観察し暗い食卓を囲んだ
しかもいつも見るのは低俗でワンパターンなテレビ。。。浮浪者と廃人一歩手前の人間と同居する地獄 我が子にフィアンセらしき人が出来て、その話題になりそうになっても
祝日に何を食べにいくかの話題に夢中になる様な病的な家族 悲しかった出来事
厨房時代密かに憧れていたちょっと不良っぽい美人のTちゃん
高校になってから同じクラスの不良グループの一人Yと付き合ってたらしく
ある日グループの一人Kが「お前Yの彼女のTちゃんと同じ学校だったんだってなw」
お前のこと聞いたら「誰それ?」って言ってたぞ。ww
お前目立たない人間だったんだな… と
それ言われグサッときた俺の心の折れ具合と落ち込みは半端なかった。
Kも嫌なことチクチク刺してくる奴で当時は嫌いだった 避け続けた現実の胸元抉られる心境だった もう 引退するのか・・
君に出会って声かけたのがちょうど一年前だった気がする
入院中で自力で体を動かせないほどだった自分が
唯一できた携帯での2ちゃんアクセス。
あのときは優しくしてくれてありがとう つまらない一人語りを 何処かで聞いていてくれてくれてるかも…
それだけを拠り所にしてきました み ありがとう 幼稚園でのクリスマス会の話
皆でプレゼントを事前に大きな箱に入れて
取っていく形なんだけど、自分は出遅れて一番最後になったんだ
で最後に残ったプレゼントが自分が用意した筆箱だった
読みにくかったらごめんなさい いいたかないけど会社に散々苦しめられてきたと思う
何故なの?
彼が好きで楽しいならあいつの親になれよ 今度は… 止めないよ
あいつがお前らの子供であの華やかさは発揮できないよ 絶対。
コネと金と環境が全く整備されていない状況で出きる訳がない そうだろ? 我慢できるわけないさ オレだってあいつより個性もあるし人気だってあるんだ。(インナーチャイルド)
あいつは金があるだけだしルックスが良いだけだろ?
なあ オレをもっともっと凄いって知ってくれよ
なあ 個性あってユニークだって胸はってくれよ。
あいつより良いところだってあるだろ?
元々環境に恵まれすぎてる方を賛辞しまくるとか頭がどうかしてる 自虐的すぎる
そんなに他人をもてなすのが楽しいかい? そんなに他人をもてなすのが楽しいかい?
我が子を蔑ろにし他人至上主義に徹して楽しいかい?
もしかしたら家買うかも知れないとか口だけ期待持たせるの辞めてくれないかい 母が大家から家を買い取って、それを売却できたらお金も入るし引っ越し出来ると言い出した
やっとこの家出れる〜! 心は大喜びした10才の私。
それから待てど暮らせど売却の話は来なかった。
毎年毎年首を長くして待った子供時代。中学に上がっても話は来なかった。
ドケチの大家が地価が騰がることを見越して内部分裂し、保留になったらしかった
出来るだけ高く売りたい欲から高校時代になっても話は来なかった。
成人になってから知った。 その時期には世の中の理不尽、我が家の理不尽にフラストレーションでパンクしかけだった
父親は内心、売却の話はこない方が良かったんだと思う。あの給料じゃとても、ローンを支払えないだろうし、もっともっと頑張らないといけないから…
一見我慢して働いているように見えてぬるま湯の環境から出たくなかった筈だ
自分がガキの時のトラウマから何事にも逃げて生きた上 それで家族が犠牲になってもそのことも直視することから逃げてる駄目人間
あの時高い金額で売却してくれてたら、あいつを頑張らざるを得ない環境に追い込むことが出来たら、、、
こんなに苦しむことはなかったのに 人生を諦めたようなくたびれた顔をし、
他人におべっかと愛想ふりまき
家庭内では拗ねて無言でテレビをみて過ごし子供が喜ぶ表情をすると無意識に無視し、、
子供が頑張ると内心面白くなく 子供が成功することを無意識で阻止し
邪魔してることに気づかない。
最近解ったこと、話題を初めても無視する 話題を初めても迎合しない 父に大事にされた感覚がない
そんな大事にもされなかった人間に 何かが変わると思って、一千万を投じた二十代の私。
結局 何もよいことがなかった。 彼に将来計画は何もなく余計に、向き合う機会を奪ってしまった。減給 減給で 賞与は一切支払われず、 テレビにかじりつき 最期三年は見ていて痛々しい程悲惨だった
雀の涙程の給与。 予想を遥かに上回るほど最悪の状態は期待を裏切らず 退職しで終えた。
その後二年も期待を裏切り続け現在も生きてる 。
時間潰しに生きてる人間との共存は死ぬほど苦しい。
せめてこの気持ちをほんの少しでも理解して死んで欲しいものだ。 テレビに出てくる貧乏人を必死で擁護する時の痛々しさが見てて萎える
同情してる自分に酔ってるのかな?とうんざりする。
姑息な自分にいつになったら気づくの? いつまで幼少期のトラウマにいじけてるの?? もうとっくに済んだ出来事ですよ
本当は恵まれた成功者を心の奥底で妬んでることに気づいたほうがいい
我が家だけはどんなことあっても不幸であって欲しいと願っている寂しい心が奥底にあることを
パートナーの支援無しでは生きていくことさえ出来なかったってことを
今回もまた助け船がやってきて甘えてしまった現実を直視してください ガキの頃バッティングセンターにいくぞと言い出し、
大喜びしだしたら「お前金だせよ!」と試す様な馬鹿にした目付きで応戦してきた。
自分 母から1日50円しか貰っていない。
行けるわけがない。
仕方なく「じゃあ辞めとくわ」と言った。
子供心におどけて自分を押し殺して言ってみたが、向こうは突然切れだし、吐き捨てる様に烈火の如く感情剥き出しにして「せっこいやつだの〜!!!」
と怒りに満ちた表情で突き放された。
はっきりいって屈辱的だった。セコいのはあんただろ? 恐ろしく器狭いのはあんただろ?
こんな人に育てられると人間も腐る >>1 過干渉と無視、大事にされないなんてことなかった?
無視されるって怖いね。干渉とは本当に大事にされてるのとは違うものね。
散々嫌な目にあった出来事はなかなか忘れられないね 小学生の写生大会でみんなで校庭の木の絵を描いた。教室に戻ると先生が「おい鈴木、絵を持って前に来い」と自分に言った。
みんなが座っているなかで1人だけ呼ばれ、何かな〜と前に行くと「いいか、みんなよく見ろ。鈴木のこの絵はおかしいんだ!木っていうのは〜」と延々描いた絵のダメ出しをされ、何事もなかったかのように席に戻された。
その時は悲しいとかはなく、ただポカーン(゚Δ゚)だった 本当にきちんと勤めきった実感ある?
退職時に労い求めるような幼児みたいな顔つきしたけど、はっきりいうね
はっきり言って心からご苦労様とは言えない 悲しいけれど
自分さえ我慢すれば、周囲は幸せだと思ってた?
全然そんなことないんだよ…
自分を大事にせず真実から目を逸らしているのを傍目に見ることがどれだけ辛いか知ってるか?
それを学ぶ為に苦労したのにますます目を逸らして生きてきたな
保護して貰えるパートナーが出来て安心したんじゃないか?
自分のハンディを大義名分 理由になにも学習しようとしなかった
礼状すら自分で書かず他人まかせ、、 そんな人を尊敬なんて出来るか?
ひょっとしたら努力しないで逃げ切り人生を目標に生きてきたんじゃないのか? 社会人になって初のボーナスで初海外旅行(グアム)へ友達と行った。
格安ツアーだったから到着したのは明け方4時で早々に仮眠を摂り、昼間はフロントのホテルマンにオススメのスポットを訊きながら観光日程を組んだ。
夕飯の前にホテルのプールで泳いでいたら友達がダイブしろー!と叫び、私もノリノリで助走を付けて飛び込んだらびっくりするほど浅い。
案の定右足を強打し、そのまま足を引き摺り部屋へ戻り、翌朝旅行会社に通訳を手配してもらい病院へ。
保険に入っていたからお金はかからなかったけど、4日間ホテルにしか居られず『プールでダイブ』くらいしか読み取れない英語のカルテに、ド派手な蛍光ピンクの包帯を土産に帰国した。
自業自得だけど海外なんて二度と行かない。 母親が稼いだ金で大学へ行かせて貰ったものの、
貧乏な自分には異次元の世界で、でもそういう風に見られたくなくて
大学生活のほとんどをアルバイトに使った。とりあえず服だけはきちんとしたかったしね
お陰で卒業間際には読者モデルにスカウトしてもらったりしたけど
友達の誘いはいつも誤魔化し騙し断ってた
だって飲み会いっても家の話になるのが辛かったし、よその家の話を聞いても裏山な話ばかりで…
でもいつも淋しさ抱えていて疎外感があった
本当の自分知られるのが恐くて人と深く付き合えない。
でも寂しくて寂しくて中学時代の一番おとなしい友人誘ってはコンサートに付き合って貰ったりしていた
でもいつも帰り際に虚しい気持ちになったりしてた
友人にも申し訳なかったと思う。 成人式も友達いなくて、一番おとなしい大学の同級生と出掛けた
昔の同級生とたくさんあったけど、結局、現場であった高校の同級生と飲みに行った…
人の輪に入るのが苦手でその癖ちょっと目立ちたがり… 嫌な性格だと思う 自分 結構二番目のものを選んでしまう傾向がある
選んだ彼女なんかがそうだった
カフェで働いてた時も、向かいのビルにエキゾチックで細身のスポーティーな人に惚れてたのに
結局したの階の顔立ちが和風の色白細身(スポーティーではない小腹ぽっこり)を選んでしまった
理由はコクられたからだけど、 にしても気が強かった、にこりともしないタイプでアウトドアと程遠いタイプでした
合う趣味は結構あるんだけどね 海外旅行の話とか…
でもなんか元気にかけるし見方によったら暗い 当時流行ったオリエンタルモデル(チャイニーズ系)に彼女を重ねてあわせたりもしてたが
自分が求めてる服装とはかけはなれていた… でもなんか…だんだん違うな。と 飯も食えなくて成長期過ごしたの解るが、
我慢することに慣れ感覚が麻痺してるのか? 無意識で子に我慢を強要してしまったことに気づかないのかな?
価値観も趣味も感性も全く違う。
例えば、自分なら我が子が情けない、虚しい思いをしているのは耐えられない。
そういうのが元々平気だったのかその親からそういう扱いを受けてきたのか?
凄く気になる…
親から相当酷い仕打ちを受けたことを本当は割り切れていないんじゃないか?(暴力とかそういうのじゃなく)
私自身も先祖を知ればしるほど不可解な話になってきて、しんどい ずっと見守っていました
最近のレスには、
あなたが少しずつ変化していく兆しがあるように思います
いつか解き放たれる日が来ると信じています
暑いですが、身体は大丈夫ですか ほんとに変わりつつある兆しなんて感じますか?
自分ではぜんぜんわからなくて ・ ・
ほんとに暑いですね
身体は ・ わりとぼろぼろかな w
これでも奇跡的に回復してきたんですよ 。
目指せ完治で
今の治療にであわなければ100% 死んでたほど致命的でした 社会人になって二度目に付き合った子が異常なほどの見捨てられ不安としがみつきの多い人だった
初めて付き合った女性に恐ろしい裏切られかたしたせいで、裏切るならすぐに別れる心の準備とバリアを張っていたが
私の想像と全く逆で、どんどんこちらに入り込んでくるタイプだった どっしりと重くて愛されてると言うよりしがみつかれて疲労感さえ覚えるほどだった
当時わりと夜型の仕事だったんだが必ず10時頃に携帯がなった… とにかく距離感が近すぎて窒息しそうだった
私には彼女の甘えが可愛いとは感じられなくなっていた。 初めの印象の美人で見た目超クールでちょっと冷たそうで若干きつそうな印象は完全にくつがえされた。
セレブの鬼男から奪う様な形で付き合い始めたものの、鬼男からすれば寧ろお荷物の処理を買ってでた私は有難い存在だったのでは…とすら感じていた。
彼女をものにするために費やした強力な情熱とエネルギーは僅か10ヵ月程度でどこかに消えた…
あれから10年以上の月日を経て、実は自分が見捨てられ不安を抱えていることに気づいた… 考えてみれば
家族だけで遊園地の様なところにいった記憶がない
何度もいってるんだが親戚の家族四組と行くとかそんなんばっかだった
例の如く私達家族は他の三組の家族を盛り上げる役なので、心から楽しんでなかった
で やっぱり父親は完璧な外面で親戚の子供たちを必死で盛り上げ、必死で愛想を振り撒き、
楽しんでいるふりをする。 今だからこういう表現が出来るが当時はこれが普通だと思い込んでいた。
上手く表現出来ないのだが親戚の集まりが苦痛で苦痛で仕方なかった。
親戚が嫌いなわけじゃなかった。 集まりに行くと脇役に徹して父親同様、楽しんでいる演技をしなければならないことが苦痛だったんだと思う
間違わずに演技しないと、父親が不機嫌になることを敏感に察知してか顔をひきつらせて遊園地やBBQに行ってたのだ
自分を殺してでも他人サービスをし我が家族には意地でも。 石にかじりついてでも家族を喜ばせたくない。
そんな風にしか取れなかった
そして現在に至る20〜30年の月日を一貫してこの姿勢を貫いてきた
そして今も尚 本人はそのことに気づかず無意識でやっている 私は 無視される、不機嫌になられる 、 黙られることに異常な恐怖心がある
このことに猛烈な怒りを感じることもある
こんなことを絶対書くべきではないと思うが
祖父を恨むような気持ちが出てくることがある
資産家だった祖父が騙され一文無しになってから壮絶なる運命へと転落したと最近知った
私はあったこともない人だが、子供への愛情があった人なのか甚だ疑問になることもある
怒りで家の柱をぶんなぐって手から血が吹き出した。
ふざけるな! 正直な気持ちはこれである どうせ望んだところで手に入らないんだから
望むという行為を辞めて最初から嫌いだった。 ってことにしておこうか…
これが自分の思考パターンになってしまった 店をだしたのだって親の強力な後ろ楯じゃないか
あれのどこが凄い?
20代で飲み食い我慢して営業先を練り歩き 毎夜深夜まで働いて やっと俺が雑居ビルに店を構えた時、
また例の嫌な顔したよな…
最低なのはお前
早く死んでくれ 母親を見てみた
想像でしかないが、長男ばかりかわいがって 全く自分に気をかけて貰えないまま、
思春期に他界
質素で経済力のない家庭、誰かの世話をすることで自分の価値を見いだそうとした為
最も不幸で駄目な人間を救済する。 ことを選択した
誰かに世話されることがなく愛情に飢えた男をパートナーに選んだ
需要と供給が一致したのだ 自分のなかにとられる恐怖ってのがある。
なにもなかった二十歳の俺と付き合ってくれた女がいた
身体の理由で学校を退学し、就活しながらバイト 治さないと前に進めないから必死で頑張った。
自分にはなにもなかった
だから、女に邪険に扱われたり好き放題されてるのが解ってても見ないふりをして我慢した。
当時ブラジルの病院でこの難解な症候群が治るときき舞い上がった
必死でお金貯めた はっきりいって人間不信になった気がする。
怖かった。
母親にも嫌われていた相手だった。 後からわかった母親の姑息な行動にもがっかりした
「あんたが選ぶものは やっぱり、、 それみたことか、」と。 あの時は心の支えというか、依存心が支配していた気がする。
高校時代から、話題は決まってアイツ。 やれ彼女が出来ただの家族で南国に行っただの…
自分が大学進学した時期には、アイツは高級車
令嬢との恋愛、若旦那ぶった態度。
こうなってもアチラへの称賛、持ち上げ、ちやほやは続いた はっきりいって自分をもっと見て欲しかった。
コネ 金 七光り なにもない自分が、こんなに可愛くてセンスあってスター性あってユニークな彼女がいる。
努力の賜物じゃないか?
垢の他人の息子の彼女を家に招いて晩餐会とかやってる場合なのかよ
しかも本気で付き合ってるわけじゃない
うちの食事だって馬鹿にしたこと言ってるねを聴き逃さなかったよ私は!
馬鹿にされて遊ばれてんだよ! どこまで人がいいんだ!
どこまで自虐的なんだ! 本当は我慢の限界だった
今日 年老いた親に吐き出した (一部しかだが)
母親を助けようとして大金を支援した いっぱいいっぱいだった。
フィアンセからは暴言を吐かれた。 血の滲む努力してきたのに… 起きあがれないほどショックだった。
その直後、支援したことはどこふく風で自分を無視した父を憎んだ。
脚を引っ張り続けた父を憎んでいる
内情は母親と自分に生活の面倒を見てもらっていた訳であの所得では本人一人の生活も儘ならなかった筈だ。 そんな人間に偉そうに振る舞われたり、
1日中ごろ寝でテレビにかじりつかれると怒りがピークにくる
自分も半分障害者だから、天に向かって吠えたくなる
障害も認められない 同族会社で目一杯理不尽な扱いを受けているのに目一杯抑圧して
不当な条件で勤務している父親を毎日毎日見て過ごして青春時代を送った。
辞めると言ってくれるのを夢にまでみた
辞めると言ってくれれば、死ぬ気で支援する心の準備も出来ていた
にも関わらずあいつは、だらだらただ時間を浪費して過ごした。
見ないでおくのに必死だった 親が理不尽な扱いを受けているのは耐え難い苦しみだった 向こうもお情けで雇用しているかに見えた
お役ご免だが情で最低条件で雇用している経営者と(こちらが退職を申し出るまで我慢)
最低条件でも恩を返す為に慈善事業でも勤務しないといけないと思いこんでいる父親…
確実に温度差があるのははっきり見えていた…
おまけに親から愛情注がれずに他界されたから
子供への愛情も注げない… >>462
>今の治療にであわなければ100% 死んでたほど致命的でした
生きなさい、と改めてあなたに与えられた命ですね
あなたを愛さなかった親を通り越して、その向こうからくる恵みかしら 生きなさい
そうかもしれませんね。。
でも現代医学では太刀打ち出来ず、所謂民間医療の部類に入る治療なんです。
なまぽにも依存せず六年も頑張ったよ
寝たきりでね
治療費だけでマンションくらい買えたかもしれない
今は底をついたけどさ これだけ大事にされず 愛されないと、人を大事にする方法 愛しかたがわからないんです
正直いって。
発病後、一年くらい投薬薬が効いてくれて取った行動は女漁りです
今思うと本当に情けない限りです。
この機会にと、以前から知っていた大手建設会社の三女と付き合いました。ぶっちゃけなんで付き合えたのかも未だに解らない。
はっきりいって体の関係までいくのが目的だったです。
今まで見たことがないほどのお屋敷に住んでいました。どこの馬の骨とも解らない私と付き合ってくれた
その事には未だ感謝しています 病のことも受け入れてくれた。しかし、途中から毎度お馴染みの嫌気がさした。 彼女もまた病んでいた。
信じられないほど厳格な家庭で慶應義塾に通いながらも最低底の学校にいると私に公言していた
私は3流大学中退なので、その価値観の違いに愕然としたが私には特に学歴コンプレックスはないので自分が通っている学校に劣等感をもってしまう彼女が可哀想に思えた
しかしやはりと言うか彼女は屈折していた。 大変な被害にあったことがある,
加害者は社会的地位が高いが所謂三國人系の財閥出身者、その被害に逢った瞬間も親は横にいた
一番愕然としたのは、被害にあって気を失う状態が何年続いても、加害者への怒りが全くない様に見えたこと
私が親なら手酷い仕返しをしてもお釣りがくると思っている。
彼は何故か感情を見ないようにしているのか?完全に忘れ去っているのか はたまた猿並みに頭が悪いのか良くわからない…
しかし私はいいようのない怒りが湧いた
この状況に及んでも・身内が被害に遇っても… 何も感じないのか? それとも感じない様にして生きてきているのか?
全く良く解らない
ここまでいくと血の通った人間なのかすら危ういと感じる
残念ながらこんな人が親だったわけだから始末に終えない 少年時代に部落や在日の人たちが多い地域の学校に数年通ったことがある
彼らの共通点はちょっと異常な親子愛??
これが親子愛 家族愛というのか需給の教えなのか良くわからない…
が 彼らは例えば子供の喧嘩にまで親が介在してきたり明らかに我が子が悪い場合でも相手に対して敵意剥き出しで攻撃してくる…
言い変えるなら我が子さえ得すれば他人はのたれ死のうが残虐な目に遭おうがお構い無しである
こんなエピソードがあった クラスに手癖の悪い在日がいて、
いつも生徒は置き引きや財布の中身を抜かれて手を焼いていた
体育の授業が終わり、れいの如くある生徒の財布から二千円が無くなっていた
納得いかなかった生徒は確信犯であるヤンキーの在日に勇気を持って尋ねた
そして在日の鞄を開けたところティッシュに包まれたクシャクシゃの二千円が発見された
「返してほしい」 彼は言った。
しかしその在日生徒の逆切れと暴力によってクラスは滅茶苦茶になった
在日生徒は怒り狂って下校 中学時代
校庭で仲の良い友達と悪ふざけしたり、冗談で相手の顔の悪口いったりして遊んでた。
すると突然、バレーに興じていたちょっとクラスで目立ってた奴が、怒り狂って殴りかかってきた
飛び蹴りはされる、服は破られる 散々な目に遇った
ガタイのデカイやつで問答無用だった為処置なしだったが、どうやらこいつは「自分の顔」の悪口を言われたと思ったらしい w
にしても自分の顔を貶されたと感じて殴りかかってくるわけだから相当顔にコンプレックスがあったのだろうw
この時 コンプレックス強いやつの憤りっやつは底知れぬエネルギーだと感じた。
こっちははっきりいってそいつなんか眼中にないし、確かにデカい顔っちゃそうだが、とりわけそいつの顔とかどうでも良かった。
それよか皆の前で殴る蹴るされた恥ずかしさのがこっち恥ずかしかった。。 とんだ災難だったと思うw
こういうやつのコンプレックスって裏を返したら自意識過剰なんだと思うw 「お前の顔」なんていちいち誰も気にしてなからさ
そんなに気になるなら今度バットで顔面ボコボコにしてやろうか? ?
復讐も兼ねてww 10月の冷えた朝の誕生日。○ 誠意を踏みにじられ軽んじられた
● 心、寂しさと落ち込み
8月のソフトクリーム
○ 甘えるな!気持ち悪い! 損した気分! 肉ばっかり食いたがる! 冷めた!依存するな! 時間や経費の無駄
● 過去の自分への怒り。 あつかましい自分。 やってもらって当たり前の自分 一番苦手なのは不機嫌な態度で無言になられること
父親がそういう人でいつも脅えていたと思う。
無視し黙られるほど辛いことはない。 いつも気をつかって生きてきた
冷静にみるとねちっこい器の小さい人間なんだなあ…と思う。
豪快さにかけしみったれてるな…と
そんな人間に対してまで気を使い、関心を持たれようと努力していた当時の自分にご苦労様といいたい。
今思うと間違った価値観も、それが正しいと思い込ませて随分恥をかいたな 恥をかくのが人一倍嫌いな人間なので父親の価値観は受け入れられなくなってきた成人期
多分寝たきりの親から彼も一個の人格として尊重されることもなく
やりたいことも出来ず 我慢我慢で生きてきた 見捨てられ感が尋常じゃない父子関係に育ったと思う
とても情けないが未だに許せない自分がいるんです
容姿とかも…
はっきり言って恥です
母も妹も彼が傷つかないように配慮して、廃人みたいな風貌だよ…と言わないのです
どうみても、、これをいってはおしまいですが、浮浪者みたいです
恥ずかしくて人に知られたくない。誤解されたくない
学も知識も教養もない。
器は狭い。無駄に八方美人。 母が何故あれを選んだのか理解に苦しむ。
子供が犠牲に遇ってもがき苦しむと想像できなかったのだろうか?
心の底から恥ずかしい 梅仁丹を拒絶された時の痛みと罪悪 恥ずかしさ
とソフトクリームの態度への苛立ち 怒り…
ガーデナーの入り口キャッシュナーのときのイラっと感
焼き肉食いたがるド厚かましさへのイライラ感 ガキの頃 可愛いがってもらった叔母が万引きしてるのを見てしまった
ガキだからわかってないと思ってたのか
ショックで悲しかった 初めて自分のおこずかいで買った服も、母親が誉めてくれそうな母親が気に入りそうなのを買った 我々には絆がない。。と思いきって言ったところ、
まるで子供の中学生の不良がいい放つように「何が絆じゃあ!」(広島弁加筆)と
大声でどなり吐き捨てられた
怒りと言うより落胆し絶句した。
ああ こんな人が親だったのか…と
こんな人の為にやりたくない運動をしたり
血の滲む思いで仕事したのか… と
この世の中に前世の続きがあり因果があるとすれば、 苦しんだ過去も納得できるし同情もしてはいけないのだと痛感した。
助けてはいけないのだと
助ければ助けるほど地獄をみる こんな無知な人の子として生まれたのか…
と唖然とすることが多い。
教えてやっても、オカルトとして受け止め 反抗される
更に無知で底辺な父がその無知な人間に洗脳されて生きてきた
自分が投票する政党まで言いなりになる底辺犬 結婚破棄になり、長年住んだ家を越し、気分を変える為に新車を購入。
新車が1ヶ月で盗まれたw
はっきりいって自暴自棄になった。その翌月 飲食店をオープン。 このメンタリテーではうまくいくはずもなく… 地獄みたいな年末を過ごした。
飲食店オープンの数ヶ月前には家族から邪魔され 邪険にされ軽視され蔑ろにされてる感満載だった。
その怒りと不安は言い様ないものだった 記憶を塗り替えようとしても駄目な時もある。
会社やる話を持ち掛けた子分にめちゃくちゃに急かされた
結果私も急かした。
彼子分は私のプライドを巧妙についてきた。
私とやることで美味しいポジション役得にありつけるとの甘い打算だったのだろう。
こういう愚連隊のような軽い気持ちの人間と事を起こそうとしたのがそもそもの間違いだった
設立間もなく、「金貸して!」
「あ きたな… やっぱりか」と思った。
彼が社会的に信用されないのはこういうことか… 知らしめられた。
もう精神が限界だった もうどうでもいい そう思ったのは「豆」の件だったかな…
そう言われてたことより、まんまこっちに伝えてきた件だ。なんておもいやり無いんだろうって 本当は私のやりたいこと、価値観を理解して欲しかった
理解して貰えないな、若しくは軽く笑われるかのどっちかかな…って感じてた
それでも我慢抑圧しながら、2人の生活維持の為ふんばった やりたいことだけでは食べられそうにないから別に仕事を増やして経費を維持した
はっきり言って自分のイメージ壊したくなかった
さらけ出せなかった。
その分余計に勘に障る出来事ばかりになってきた >>500 なんかやせの大食い彼女を思い出した
それはそれでもいいんだが、
恥ずかしさからか俺に食い物をやたら薦めてきて、太りまくった
もっと食べろ もっと食べろ と薦めてくるのだが金は使うし肥満にはなるしで最低だったw
別れて一年たってばったり道端であうと痩せてた彼女がでぶってた
「食べない男は駄目」とか言っときながら自分が食べまくりたかっただけっていうw
最低な悲しい思い出w 背負わされた父姉というハンディ、、
恥 でしかない。
凄く厚かましい人種…
あれだけ笑える似た遺伝子も珍しい
スマートさがなさ過ぎて泣ける
互いに愛を知らないのだろう。 世間をしらなさ過ぎる
見ていて涙でるほどいけていない 連日の暑さ、身体への負担が大きいですね
療養中の方は特にお気をつけてくださいね
熱中症は思う以上に怖いものです
水分、塩分、冷却、用心してください >>504
優しい言葉ありがとうございます
今日はとうとう年老いた親に怒声を浴びせてしまった。
落ち込みます 小学生のとき友達の家に遊びに行った
友達数人集まってるが私の親だけ速く迎えに来て強制的に帰らされた
私の親の不評は広まる誘われなくなった ここしかない
そう思った
やっとたどり着けた と
何より原因の一つがわかって良かったと 学年で一番綺麗な集団の中のお姉さんにコクられたこと 何故か集団で遊びにいくことになった。
テンパってしまってうまく話せず
それからお誘いもなかった
思い出してはオナってた 最初は美人だと思ってた影のある女と恋仲になってしまった
年齢よりかなり老けていて自分より若いのにマダムつれてる感じだった
でも中身幼稚ですぐ泣く女の子で。
若々しさみずみずしさ健康的な若さが全くなくエネルギー奪われる感覚に陥った
最後は付きまとわれ感が酷かった。 言葉としていうならしがみつきに似た感じで一方的に愛情を要求する クレクレちゃんだったと思う
与えても与えても底抜けバケツのような感じだった そのクレクレ感を観ていてだんだん彼女が醜く感じだした
で なんかすぐに「傷ついたあ」とか「ショックーっ」とか細かい事で一喜一憂しだしたりしてまるで腫れ物に触る様に接しなくてはならず、くたくたに疲弊してしまっていた 相手を思いやるふりはするが本質的な思いやりは無く、冷酷なのはお前だろ! といいたかった
既婚者の毒彼女として2号妻的疑似恋愛していた時代も見ているだけに心の浅はかさは見てとれた…
「愛されたい 愛してほしい愛してほしい」・・ ってお前馬鹿かよ(冷笑)って冷めた
相手の奥さんの立場にはたてないのだろうか? 肉体だけが目的で空虚感埋めるのと性欲満たす為だけの「お遊戯」だと気づいてないんだろうか?
余所の家庭ぶち壊しておきながら、その当事者意識はどこ吹く風で「愛されたい(涙)!!」ってアホなの?
お金と割り切って生活してるならまだしも、余所の家庭を壊す「破壊者」が 「愛」とか語るなっつの?
で結論から言うとこの餓鬼みたいな守銭奴みたいな「甘え」と「賤しさ」と「冷酷」さがみえかくれして心底嫌気が差しただけ…
もうね妥協出来る点がなくなったの。 もっと若くて健康的でスポーティーで洒落っ気あるアグレッシブでいい女っていっぱいいるんだよ
はっきりいって君より歳上なのにもっと若々しくて可愛いこだっている
正直いう
浮気した 2人と。 最高だった。 趣味も合うしセンスいいし。
君とは求めてるもんが違うんだ つまり価値観が違う。 はやく気づいてよ 母を助けるつもりが、結果的にあいつの甘えを増長させ更なる自分の脚を引っ張られる結末になったな
彼らが共依存で運命共同体だったことに何故気づけなかったのだろう
絶妙な形で私を苦しめてきたな…
なにもかも 見せられたもの
マザコンを見た
人と関わりたくない頑固さをみた
はっきり断れない人間性みた
○もじもじくんにイラつく
○親いいなりになってることにイラつく
○ びびって引きこもり逃げる様にイラつく
●● 言ったものの責任は取りたくない、責任だけは押し付けられたくないって逃げ腰なたいど
責任取らずびびって逃げるやつ
無責任 無責任 無責任 投影 本音と反省
こいつなら己の思い通りに動いてくれるんじゃないかな
こいつなら押しにも弱いし押しきってやればノーとは言えないかもしれない
うまく演技してよいしょしとけば自分をケアさせることが出来るし必要な情報も知れる
仲介役のおっさんは馬鹿で融通聞かない頭固いやつだがおだててよいしょして仲介して貰えばいい
お前の苦しんだことなんて大したことないしカルトに盲信するような馬鹿だけど、相談役になってくれてケア師の仲介として機能さえしてくれたらいいんだ
という邪はあったかも… モテないくん代表みたいな何の面白味もないやつだけど、我慢してよいしょしてやってたのに
って感じ。
リアルならあんな下手にでないよおれは 。
やっぱりもっとびびらせておくべきだったかな。
舐められた感がパねえ
紹介者の手前強気になれなかっただけで内心馬鹿にしていた
外見とか、たどたどしい所とか 絶妙な形で苦しみのスパイラルに向かってたんだなあ
日曜日に寝続ける旦那に疑問を感じ旦那の学生時代していたスポーツを子供にさせるという名目で
申し込みをしてしまった嫁
この選択が一生苦しみを味わうことになる
そのことにも気づかず決めてしまう嫁
旦那の自分で決める機会を奪った上 息子に更なる苦痛を与えるといった二重苦を与えることに気づかない。
普通の感覚なら離別 離婚の選択があってもおかしくないがこの嫁は寂しいのだ
自分が管理出来る男がいて世話を焼くことにより自尊心を保てるので、別れる選択は無い
通常なら日曜日に叩きおこし家族会議を施行し まだ幼き子供の為に今後のプランをたてるべきであろう。
過去のトラウマと向き合いたくなく、目を背けてのらりくらり生きたい男と、片親である寂しさ虚しさから世話焼きにしがみついた女の不幸な話 中ちゃんの話
励まそうと色々話してくるが、だんだんと恩着せがましいものいいをされてきて、カチンとくる
何かに狂信的になっている感が伺え視野が狭すぎて会話にならないことがある
短絡的に「あいつ馬鹿だね アホだねっ」て 二極化が始まる
反対意見を述べると逆怨みされそうなイメージがある
とにかく柔軟性がなく話の理解力に乏しいため、話の行き違いが生じる teenage dreamを聴くと彼氏たちを思い出す事
歌詞がものすごく切ない
私は転校生で友達を作っても引越の連続で、特に結束力の強い時期は
誰とどこにいても学校に居場所がないような気がした
自分を守ってくれる人はいても、いつ自分は引越をするかわからないから
誰と付き合う時もいつも距離をおいて付き合ってた
むしろ1人のほうが別れるという負担のない分ずっとラクだと思う事も多かった
そんな中で一期一会みたいな刹那的な出会いを愉しむという習性が身についたのだと思う 海外に出た時も、遅くまで働く父親が倒れてしまうのではないかと思って、
もしそうなれば異国の土地に子どもの身で残される事も覚悟した事もある
転勤をしているうちに大切な身内が亡くなっていって、もうこれが
最後の瞬間なのだと涙をこらえて別れて、最後の瞬間に立ち会えない事も多々あった
母親は電話越しに崩れて泣いていた
出会いがあれば別れがある。そういうのが骨の髄まで沁みこんだ >>1 海外にいたんだね
僕は逆で、華やかな親戚たちをいつも持て囃す父が嫌いで、他人さえ良ければ我が家 我が子は二の次 さんの次な父をいつしか憎む様になった
生い立ちでそういう生き方をせざるを得なくなった非常に極端な歪みを持った家庭でした
父に興味持たれる為に自分を殺して成人前まで生きてしまった
早くこの環境から離れたくて単身渡米。音楽ビジネスのスクールに通いながら貿易実務の学校に通った
苦しい生活と低所得者層のアパートでラテン系の友人と台湾系 黒人たちと生活してたよ
帰国してセレクトのお店を立ち上げたけど父から煙たがられ、成功を妬まれた
自暴自棄になって滅茶苦茶な生活になった時 取引先に騙され 病を発症した
もう一度体を取り戻して新しいことにチャレンジしたい そろそろ認めたくないけど受け入れざるを得ないことがわかってきた 父親にとって子供が出来ることは望ましい出来事ではなかった 世話になってしまった環境を飛び出すためには早く結婚して寮を出るという選択しかなかったのだ 病気がちな片親しか居ない母親はうってつけだったのかもしれない 書いて居るん最中に怒りが出てくることがある
常識では考えられない感覚に。
嫁と子供が懸命に貯めた預貯金で新居に越すという事に対してプライドとかそういうもんがないのだろうか? 自分なら情けなさのあまり職を変えていた気がする
嫁子供に新居購入の大半を負担させておきながら、入居直後に発した言葉は「感謝しろよ」 だった 本当に癖のある偏った父親だったなと思う
最近では本当に染みったれた人間とはこういう人を言うのだなと思った 育った家庭環境が過酷だったというだけでこれだけ身内子供を大事にしない親と言うものが存在するのだ
と言う事実についても受け入れざるを得ないのである 母親の過剰な擁護と自分たち子供の腫れものに障るような感覚で成長してきた
常に感じていた事は他の家庭を見た時にとてつもない違和感を感じていたことが多かった
例えるなら、独裁国家の支配下にある国民が、突然自由主義の国に放り出された感覚に似ているかも知れない やっぱりおかしい かなりおかしいと最近は感じている
あとは自分の内面を観察すると、彼を恥だと思う気持ちが人一倍強い これは小学生高学年くらいから芽生え始めた
一般的な反抗とは違う感覚だ 具体的に言うなら 容姿や顔も許せない 親だと思われたくない 付き合いを継続するには金がいった。
修行中なので収入無いのに頑張った最初の一年。
もうちょっと勉強したかったのが本音でくだらないデートと時間の浪費してるくらいなら海外視察経費に当てたかったのが本音
そこまで無理して遊んでやったり付き合ってやってるのに感謝も無ければ応援も賛同もなかったと思う。
そのうちやりたいこともなんなのか解らなくなって来て焦りみたいな感覚に襲われた
このまま、がっかりされたまま終わりたくない気持ちと先の見えない収入無しの修行生活に嫌気さして
同時に事業へ乗り出した 自分の過去の実績使えば短期でぼろ儲けのプランが浮かんだが、その為に人が必要だった
はっきり言って人は誰でも良かった 業務内容に精通しててハネられれば…
小規模の会社に勤務しても社長の実力より自分が上回る為、利益率に納得行かなかった
自分の実力さえ駆使したら倍額は利益上げられてた過去の苦渋を無駄にしたくなかった
短期で儲けてしめたかったから、使えそうな人間をセレクトした
結果一番友人にしたくないタイプの人格のやつをピックアップした
立ち上げる自信はあったし自分の目標達成出来たら、権利をそいつに譲ってやればいいと考えていた 一番辛かったのは実家の支援をした話を仄めかして、先真っ暗と怒りぶつけられたこと。
今となったら仄めかして正解だった気がする。この態度でこの人の内面狭さと狡さってか 汚さみたいなもんが一気に吹き出したから
前からそんな感じはちらほらしてたしこれで良かったかもな… ちょっとケチな感じがしてた
こういうタイプを引き寄せた自分にも原因はある。
ずっと話しているとたまに、性格わるっ て感じたことはままあった
身内以外は大切にしない了見の狭さとかお金を出し惜しみしそうな所とか
人の財布を宛にして怠けた生活するのは目に見えてきてた
それに値する位 妥協点があれば考えたかもだけど、人に紹介出来ないってとこは完全に致命的だし なんとなく ドラマに出てくる姑虐めをやって死に追いやるようなタイプを
連想させる部分があった
正直な部分もあるんだけど愛嬌の無さは致命的かな…
いつも不機嫌な態度でいられてもモチベーションあがらないもの どこまで行ってもこの三人に纏わる話になってしまう
自分を抑えて本当のことが言えなかった時代
あまりの環境の違いに戸惑い、見下されるのを恐れながらも見捨てられないように平静を装い
良かれと思って尽くした行動も冷淡に切り捨てられた
自分の身体ハンディをひた隠しにして その事と向き合い決着をつけるべく毎日を過ごした
家柄 学歴 キャリア 何も誇れることがなく、遊び人を装い 自分と向き合うことを避けた 「男らしく」「男らしく」 「気分よう」 「気分よう 「気の悪い 気の悪い」
って口癖みたいに言ってたけど
自分からしてみれば稼げない男が偉そうに言ってるのほど「男らしくない」みっともない姿ってないと思う
自分を抑えてまで気分良くしようとするのも最悪。
相手が気を悪くしようとどうしようと、きちんと意見も言えないような人間は駄目な人間だと思う
以上三点 矛盾だらけのこんな男なんて尊敬に値しないし ただ向き合うことから逃げて女からフォローして貰って生きる様な人間に男を語る資格すらない
誤魔化し騙し生きている人間の破棄の無さは見ていて吐き気すらする
お前が全ての脚を引っ張ってきたことに気づけ! よく知ってる人やペットの死はいくつになっても慣れることがない。
あまり知らない人なら「可哀そうだな・・・」で済ませれるけども
いつも一緒に遊んでた友人の突然の事故死、子供の頃から家族同然に過ごしてきた愛犬の死。
もう10年以上たつけど、昔の携帯に残ってるその時の知らせの留守電メッセージを聞くと悲しくなって今でも泣ける・・・
そのメッセージが残ってる携帯は何度機種変しても捨てる気にはなれない。 ボロ屋敷に住んでる人間に何も語る価値なしとさとった時
ボロ屋敷ながらもやっと彼女が出来、ほとんどが彼女のマンションで過ごしていた時代
ちょっと非常識な子で夜中に電話をかけてきた
喧嘩した時だったんだが…
じゃうちのババアが「何時だと思ってるの? 昼間に掛けて来なさい!」と喚いたらしい
悪夢みたいだった。
なんで解らないのかなって… ボロ屋敷に住んでる人間が彼女作ろうとすると他の人間の何十倍も努力が必要。
その努力を知らない無神経なババアと、常識知らずの彼女。
どちらもおれを苦しめる存在でしかなかった
もう誰とも関わりたくない。 誰にも傷つけられたくない
おれの選ぶものを否定されたくない おれのいくてを阻まれたくない
努力しても努力しても砂上の楼閣の様にぶち壊されて行く なにもかも
もう 邪魔しないでくれ 誰も彼も 頑張らなかった男の戯言ほど見ていて虚しいものはないわ
さっきたつよしの番組見つけてちょっと感動した。
決して恵まれた環境ではなくて極貧だったところから単身大阪に出て来て、世界目指した 決して格好よくない地道な努力もあった
今の次男を見る眼差しに哀愁と男を感じた
何度かうちの爺の戯言聞いたことあるが、 こいつアホやな… とか外見だけで人を決めつけてた
矢沢見たときも こいつ田舎もんやろ… とか
何も成し遂げなかった人間の人を見下した呟きほどダサいもんはない 我慢していいたいこと言わず不当な扱いを続けられても一生耐える覚悟を決意したならそれで良かった。
それを家内までは理解してくれた…しかしこの男 その理解にかまけて自堕落で廃退した生活を続けた
この男の頭に子供が出来、 どういうことが起こるかが想定出来なかったのだ
自分の価値観の尺度で生きてきた為自分が親から受けた仕打ちがすっぽり頭から抜け
食えればそれでいい とかまけたのだ 怠けたのだ 向上心すら捨てたのだ
通常の男がやる努力は放棄し自分が親からしてもらえなかったことをするのは損とばかりに経済活動を放棄した
そこと向き合うことから逃げても配偶者は文句一つ言わない。 一度だけ漏らしたじゃねえかよ…
はずかしくて収入いえないって 今日電話したらババアが出た
いいようない怨みがでた 小学生の頃の同級生の子が、20代になってから年配(確か40代だった)との不倫の別れ話で揉めて、○された後、川原で灯油をかけられて燃やされた事かな。
・・・中学ではクラスが違ったから、たまに顔を見る程度だったが、可愛い子だった。悲しい、とは違うな。思い出すと胸に真ん中がモヤモヤする。 半死にになりながら待って 二週間
パワーが無くなりました と糞婆の電話
死ねと思った 今 突然降りてきた
解らせたかった
あいつが何れだけ下らないしょうもない 染みったれた人間かを…
解らせて引き離したかった
心離れてくれることが願いだった
もうとっくにあいつと心離れていたし期待もなかった。
馬鹿馬鹿し過ぎる。 どうでもいい 自分が寂しい思いしたくないから自立している男性との婚約を破棄した奴
結果 最も寂しく甲斐性がなく駄目な人間を選択
この人なら自分の寂しさを理解してくれるかも知れない
この人なら子供を可愛いがってくれるかも知れない
そう思って結婚したものの現実は過去の苦しさから、向き合えず無感情が癖になっている男との生活だった
これ ますます虚しく寂しくなるだけなんだが、自分で選んだ自業自得
子供が感情を表現しようものなら突然不機嫌になる、心が異常に狭苦しい人間
不機嫌になり不貞腐れた表情になり黙りこみ無視をする。 これ以上ないくらい自分が陰湿だということが自分で理解出来ていない
きっと親から同じ扱いを受けたに違いない
何故学校に行かせてくれないのか!? 葛藤の末 ここまで陰湿になる
外面だけの人間になる 大金持ちで有り余ってる人間に、優遇しまくり最高の持て成しを頑張る
我が子がひもじい思いしてもそっちを優先するおっさん。
身内と家族は大損をこいたり、葛藤 惨めさ を感じさせても構いはしない。 だんだんおっさんに対して身内が白けてくる
惨めさ侘しさを思い存分味あわせても平気な神経とはどんな神経なのか?
感じないようにして生きてるのか? 誰も幸せになれない不幸の源を自分が発信していることに気づかないのか?
結果有り余っていた人間に切り捨てられ、邪険に蔑ろに扱われることになるが、こうなることすら想像つかなかったのだろうか?
想像ついていた上で行動していたのならあまりにも質が悪いし、想像出来ていて何らかの事情があったなら隠してもバレている。
家族3人がこの件に対して敢えて触れずに腫れ物に触るかのごとく接してくれたことにすら気づかなかったのだとすれば、こいつが好んで使う「思いやり」とはほど遠いものだろう また「お前がいうな」をやってるな…
マツの話何回も聞きました
色々と評論してたけどマツはあんたを尊敬なんかしてないよ
それ以前にマツは大学のレをしていた それも上位の。
あんたはそれもやったことない。 もしかして、またこの世界は学閥が。 とかなんか言い訳じみたことやるわけ?
ききのがさなかったがマツの出身大学、現職についてチラって洩らしたわな
オレはこんな奴の先輩だ!っていいたいの? 自慢?
本当は羨ましいんでしょう?
昨日の録画見ながら自分が昔やってたビデオみてみ
はぁはぁ息切らせて重たくどんくさいよ 上手い下手以前にしか見えない。
しかも平日は甲斐性もない駄目人間 なにも語る資格なし あ〜 ダセ あの哀愁じみた顔に情にながされる母の不幸な生きざま。
よくよく過去の観察してみろ
全くなんの努力もして来なかった怠慢な30年を
自己犠牲というなの家族犠牲をやってきたことへの自覚なさを。
しなくてもいい日曜日の行動を。 平日の憂さ晴らしの為にしなくてもいいことを延々と続けてきた様を
37年前に助け船の如くひいてしまったレールのおかげで何人もの人間を巻き添えにし苦しめたのか?
あなたが「見切り」をつけてさえくれれば…
仕事頑張らなくていい大義名分を与えてしまったのは他ならぬ自分だと気づけ!
我慢 我慢の平日は彼自身の問題なのだ
周囲のせいじゃない。誰も彼に頼みこんでいない。彼の思い込みによる視野の狭窄が招いたこと
自分だけが我慢すれば周りに迷惑かけていないと考える視野の狭さ 結局自分で家さえ建てれなかったじゃないか… そんな人間の戯言、泣き言なんかに付き合わされてたまるか 頑張りだしたの確か 4年5ガツだった。
僅差でまけ、同僚がハワイに行った こいつだけには意地でも負けたくない
必死で頑張った。
帰ってきた顔がぼろぼろ剥けた貧乏人が吐いた一言
「海をかけ 山をかけ 空を飛び」だった
庶民の感動話に何ともいえない嫌悪感を覚えた
ゲト出身のこじきが何を吠える と
完全に見下してたやつだから ガキの頃 母親に習い事ばっかさせられてた
水泳 公文 英会話 日曜日はラクロス
どうしても土曜日の学校主催サッカーがしたくて、 参加したが習い事に邪魔されて練習に行けなかった
日曜日の練習試合に行きたくて参加してみた。
試合に出して貰えると思って先生に尋ねると「お前誰?」と言われた。
かなしかった 全然子供の気持ち解らない親だった ・2歳までの父親のDVが記憶にあること
・高校生の頃、再婚した父親が亡くなったこと
・鬱、糖質になったこと
・弟が犯罪おこしたこと
・第二子妊娠中に母親亡くしたこと 12時間労働の工場アルバイトしていた時代の話
睡眠障害持ちにはきつすぎて、油を顔面に被った
最後は恋人に怪しまれて浮気され自暴自棄になって寝坊して解雇された。
ここまで徹底的に裏切られたり自尊心傷つけられたのは初めてだった >>1 苦しい思い出でしたね
僕なら精神が正常に保てるか解らない…
どうか幸せになってください 父親が全く頑張らない人間だから、すごい負担と負債を抱えることになってしまった
原因は母親。
依存させることに依存することを続けてきたせいで、学生のバイト並みの給与で満足させた
家族の気持ちを犠牲にしても他人に気を使い
家族が大損しても見て見ぬふり
家族が虚しい侘しい思いをしても見て見ぬふり
あばら家の天井が抜けてきても見て見ぬふり
きっとその父親からも大事にされず他界されたのだろう。
惨めな思いをしても平気な父親に育てられたのであろう
最近は先祖敬う気が失せてきた あばら家に住んだことは子供たちにとって、最悪な貧乏くじを引かされたことになる 。
もっといえば男に甘え怠けの材料を提供したことになる
損ばかりされらたのだ 高校の時につきあってた彼氏を骨肉腫で亡くしました。
ちょうど松田聖子の「あなたに逢いたくて」がはやってた時期で、曲が流れるたびに泣いてました。
その後結婚して、生まれた息子に彼氏の名前をつけたのは、旦那には内緒です。 どこの家庭も損ばかりして助けあって生きていると思ってた
大人になって違うことがわかった
損ばかりだったな
あの父親のせいで…
家の金まで支払わされて・・ ぼろぼろになった
家族に損ばかりさせる父
あれで良く平気でいられると思った
食べることしか趣味がないみすぼらしい人間
我が子に大損させて何も思わないのかな?
その父親もひどい人間だったから仕方ないか 昔しがみつきの酷い彼女にストーカーされ別れてからツーショットダイアルと言うのにはまっていた。
不幸な感じの女の子が多かった。父子家庭の高校中退の子で、
早く家をでたいと言われた。
父親はタクシー運転手の中年で商売女を連れ込んでは真っ昼間からセクロスに励むとか
狭いアパートで父親と商売女の喘ぎ声が聞こえて大変らしかった
自分には想像出来ない環境だった、一度父親と女の喘ぎ声を電話で聞かせてくれたことがあった。
可哀想になったから夜喫茶店で逢いうちのマンションに泊めた。 体の関係はなかった。
独身で余裕もあったから服を買ってあげたり必要なものは全て買ってあげた
仲良くしていたお弁当やさんのおばさんに頼んでアルバイトもお願いした
一ヶ月が過ぎたある日突然ムラムラきてキスしてしまったのをきっかけに一晩中彼女を抱いた
男と女の関係になってしまったがその1ヶ月後些細な喧嘩で家を出ていった 子供時代にバブル期だったが、うちの家だけ浮世離れしていることに気づいてた
いつも時代についていけない親で
バブルがあったことすら気づいていない様子だった。 あまりに祖父から酷い扱い受けたせいで感じる力に鈍感で、
金から目を背けてきた男
我が子が惨めで情けない思いをしても、見て見ぬふり蓋をし続けた人間
何であんたの父親のせいでその下の世代の人間までこんな苦しみ味わうのか理解できなかった 考えてもみりゃあの三兄弟って子供の経済的援助ばっかり受けてるよな
父親からは邪険にされ大事にされずに、叔父に経済的援助され、挙げ句子供に経済的援助して貰わないと生きていけない
しかも無自覚。厚顔に開き治り偉そうにする 20代前半 彼女に裏切られまくり騙されまくり
もう何もかも信じられなくなって営業マンになった 稼ぎまくった挙げ句
入社してきた影のある女と身体の関係になった
向こうは婚約者の彼氏いたが、酔った勢いでホテルの風呂でラブラブHな関係に 。
2ヶ月後 出来婚すると会社に報告してきた まさかとは思って本人に聞くと俺の子ではない事がわかってほっとした
しかし彼女が退職して数ヶ月たったころ 如何に滅茶苦茶な家庭に育ったかが最近ようやくわかった。 修士過程の指導教授のパワハラ
卒研も含めて三年間は生き地獄だった 自分が寂しくて仕方ないことを自分で認めたり受け入れるのが怖かった ひとりじゃないから
寂しいとひっそり訴えて来たあなたに、あなたが気がついてあげられてよかった
あなたは見過ごして来たあなたに許しを請い
そして許されるばかりか与えられる、きっと 寂しかったあなたは本当はどうして欲しかったのか知っていて、それをあなたに教えてくれるだろう
知らんぷりしているとあなたもとてもさびしい、忘れ物をしたように落ち着かない
聞いてあげれば、どこかに探しに行かなくても、いまある場所が自分の場所だと安心するわ
いまのあなたより、そのあなたの方がずっと寂しかったのに、
健気に今のあなたが見つけてくれるのをひとりで待っていたよ
そのあなたを幸せにしてあげてください 教訓
息子の成功を喜ばしく思わない親がいることを知った
悲しいけど受け入れるしかない お母さん、あなたの娘はあなたの望み通り、こんなに不幸になりました
そう思った頃があったわ
母の無意識の領域の悪意だから、決して認めないでしょうけれどね
この人はそういう人だったと、そう思うしかないの
私は親に合わない子だったと、合わない人の子として生まれて来たのだと
そう考えることで自分を立て直して来たわ
少なくとも飢えずには育った訳で、生物としての基本は果たしているのだからそれで佳しとしよう
どうかしら、ご両親は、そういう生き方しか出来なかった人たち、という見方はできませんか >>576 無意識の領域の悪意 うまい表現ですね
まさにそんな感じなんです
そのことに気づいたのはいつ頃なのでしょうか
私は最近なんです 自分の幼稚さにほとほと呆れましたが。
こんなことですら受け入れるのに躊躇する自分がいてそれにも呆れます そういう生き方しか出来なかった人たち。 か
親のことをそこまで小さく捉えることが必要になるのかも知れませんね
最近でこそ他界した親類が増えて疎遠になりかけてますが
うちは親兄弟親類の繋がりが深く、がんじがらめでいつも何か比較されてることに怯えて
いつも心の底で同世代の親類に対抗意識を持っていたんです
でも彼らは経済的にも何もかも恵まれいてあらゆる面の援助がある
それこそあなたの言葉借りるなら 彼らを褒めそやす両親が不思議でしかたなかった
親類の息子娘を褒めそやし我が子を徹底的に下げる。 。 これってどういう頭の回路でやるのでしょうか? 自分の親からもされてきたのでしょうかね 幼い頃から感じていましたが、
母は辛い思いをして来たので性格が歪むのも無理は無い、可哀想な人なのだから
私が激情の標的にされても堪えて受け止めてあげるしか無いと、そう思っていました
自分に対して悪をなす人をどう愛すれば良いのか、それが長い間私の命題でした
親だからそうなるのです
他人ならマゾでもない限り逃げるのが正解ですよね 母は逆に人の悪口を言うタイプでしたが、自分の血縁は美化して自慢しました
不安や劣等感と、我が儘な自己愛から来る優越感がないまぜになっていたのだと思います
ご両親の場合はもしかしたら処世術の行き過ぎかもしれませんが、
自らへりくだって、その抑圧の鬱憤があなたに向かったのではたまりませんよ 行き過ぎの処世術
まさにまさにその言葉が当てはまり過ぎて恐ろしいです
おかげで劣等感にまみれた幼少時代を過ごしてきた様に思います
親類に本家 ○○家という(私の名字)のがあり、盆 正月にはそちらに出向く習慣がありました
たまらなく嫌でした >>579 幼い頃にそれだけの出来事を受け入れようとしていたあなたに敬服します
僕ならとても耐えられなかった気がする 家族の中で私はそういう役割だったというだけですよ
親の理不尽な仕打ちをどう解釈するか、どう理解するか
これは移り変わって行くもので、解釈の仕方で生き方も変わります
幼い頃の理解の仕方は、良くも悪くも私の性格形成に大きく影響したのですが
あなたと同じように疑問を抱き、新しい解釈にたどり着くまで可成り大変でした 何かを期待してしまった私は本当に馬鹿でしたね
もう期待もしないかわりに干渉されたくないのです >>583 そのことに尊敬の念をいだきます
ごく最近まで自分はどこかでまだ両親を美化している部分がありました。
まずは両親への怒りや苛立ち、心の奥底で虫酸が走るくらい嫌いな親戚連中に対する嫌悪を引っ張り出してこなければなりません
この作業が一番つらいです
酷い扱いや言葉の暴力があっても尚、無かったことにしてしまった記憶を引っ張りだすのが苦しいです
あなたは幼い頃にそれをやってきたことにただただ尊敬にも似た気持ち抱くんです いえ、決して褒められたものではありません
親にやられっぱなしでなければ、もう少し良い生き方が出来ただろうと残念です
幼い頃の考え方はあなたのいう美化に近いかもしれません
どんな事をされても親は絶対で、だから私は納得できる理由を作り出したのです
その事が人の悪いところを容認してしまう癖となって、良くない生き方をしてきました
大人になってありのままに捉える必要が生じた時、猛烈な危機に落ちました
よく助かったものだと思います 本当は何であったか、思い出し捉え直す過程が一番辛いですね
全て壊して、自ら苦しみの中に突入して真実を探し出す事ですもの
でも、心のどこかで分かっていた事ですからやるしかないのでした 母「公園連れて行ってあげて」
父「わかった、行くぞ早よ車乗れ」
俺「ボール持った」
〜公園到着
父「おう、ワシここでタバコ吸っとるから遊んでていいぞ」
俺「わかった、」(ボールポイー<金網カシャーン
こんなん >>588
僕 あなたの気持ちも良くわかりますよ
うちは何故か何処へいくにも近所の従兄弟王子様を誘っていくのです
それが何故なのか理解不能でしたが、 従兄弟王子様と遊んでいる父親は満面の笑みを浮かべ、
僕も一緒に合わせて従兄弟王子様をもり立てよいしょします
従兄弟王子様を送り届けたのちの車内の暗い雰囲気はいつものことでした
従兄弟王子様は後に会社を継いで社長に 。。
うちの父はこの上ない最悪な待遇の後 会社を切られました 。 >>587
つらいですね この作業 。
しかしこれをやらねばもう前に進めない所まで来ているんです
僕の場合それが今このタイミングらしいので、やるしかないです
耐え難い記憶が単に自分の思い込みだったのか それとももっとショッキングな事実がその出来事を形成してきたのか…
そういう作業をしていると 心の師匠から言われましたよ。 出来事の理由は探さなくていい
その時の感情をじっくり客観的に観察してごらんって…
でもこれはもっと難しいんですけどね
心の奥でひた隠しにしてきた感情なので、いつ時限爆弾が発火するとも知れない
デリケートでなんとも表現し難い感情たちなんです 自分で買ったわけでもない母親の実家に
居候
そこに我が物顔でドヤ顔して毎年正月同僚招待。 。
情けない人間だった
甲斐性無しをえにかいた様な人でした 親に見切りをつけたり、期待捨てたの いつ頃ですか
まだ 親への期待を手放せない自分がいる 簡単に言うと亡くなってからです
理解し合いたくて話し合いを試みていましたが、無理でした 子供を自分の為に利用して来た親は、決して譲りません
弱くて狡い人間がそうではないつもりになれる、それが子供の利用です
父が死に、闘病生活のすべてを私に頼るしかなくなった母も
一見折れたように見えて、新手の打算の利用を私に対してしただけでした
私を愛した訳ではない
それが分かっていても誠心誠意尽くしました
私を虐待した母に過剰な程尽くした私も逆にまた、譲れなかったという事でしょうか あなたは親に謝らせる正当な理由があります
自分の劣等感を子供に押し付けて自分は偉そうに生きてこられた
自分を乗り越えたあなたを喜ばないのもそういう事ではないでしょうか
もし謝る事が出来る人間なら新しく愛にあふれた親子関係を結ぶ事が出来る
どうしても自分の非を認められないならそれはそういう弱い人間で、それまでのこと
かなしくても諦めて、許してやるしか無いかもしれません 苦しんだ子供が苦しめた親を、これでは救われないと思って助けようとするのよ
でも案外相手は見た目程苦しんでいないのかもね
子供の犠牲の上に、結構好き放題で生きて来たのかもね
たとえこちらから見て、手を差し伸べたいと思える状態でも、
それなりに充実して生きて来たのかもね >>596
どうやらその様です
子供の頃 母親に「お父さんの夢を叶えてあげて」などと言われ
本当はやりたくもなかった部活を高校まで10年間もやりました。
そんなに能力なかった私が国体の候補選手までなったんですよ。 でもあと一歩届かなかった
限界あったんです 他の候補選手は その競技が好きで好きで頑張ってきた人達です
私は、 違った。 認めて貰う為に自分を殺して頑張ってしまった
このことに気づいたのも最近なのです >>596 とてつもなく悔しいです 一度目の結婚も実家の都合で諦めてしまいました
全く 情けない人間です 私は、、
父親の収入では母親が大変な目に遇うと判断し結婚資金としてコツコツ貯めた財産を
あらゆる支援にまわした。
結果当たり前の話だけど破談になった 甲斐性無い父を支援すべく母親はパートであくせく働いていた
結果 より父を怠けさせより駄目人間にさせる支援をしてしまったようです。
実は母親は苦しんでいたわけではなかったのです。成長期に両親を失い理不尽な目に遇わされたように見える父の「救済者」
として存在する自分に生き甲斐を見出だしていたわけで
自立し経済力のある旦那では自分の役割が無くなることに恐怖を感じていたのだと理解しています
実は好き勝手に生きていた両親を「勝手」に助けなければいけない と奮起していた自分に激しい憤りを感じます
また父は 私に成功されることに驚異をかんじていた様です 色々と苦しい話をしてくれてありがとうございます
辛い話を 。
亡くなられていたんですね 一番悲しく悔しかったのは成人になり 社会人になって初めての車を購入した時かな。
学生時代からの貯金と初めての賞与をを頭金にしてガレージを契約してやっとの思いで納車された車をみた父の顔つきです。
本当に面白く無い顔つきをして何とも言えない腹立たしさを押し殺したような顔つきで「保険には加入したか」 「3ナンバーなんて重役が乗る車だぞ…」いつもの嫌味、が始まりました
この様に私は幼少期から嬉しい出来事があると父から必ず露骨に面白くない態度をされてきました
どこかで、よろばしい事=悪い事 と言う変な価値観がこびりついています
これは本当に無言と無意識の虐待であって 分かりやすいあからさまな虐待とは違うので いつも上手く表現出来ないできました 夫婦が、がっちりと手を組んでいる間は、私の意見を寄せ付けませんでした
まるで難癖をつけられた被害者のような振りをして頭ごなしに怒ります
例え夫婦で互いに相手を悪く言っていても、根本的に解決する気はないのです
精神的に厳しくても、敢えて意見をしたのは妹の為でした
妹は溺愛ですっかりスポイルされて、自己嫌悪に苦しむもう一人の犠牲者でした 出来が悪くても可愛い子として、自分の手のうちに収める事の出来る愛玩物にされたのが妹です
母は自分のひな形を作り、甘やかしながら劣等感などの自分の問題点を妹に背負わせたのです
結果、妹は非行という形で自立しようとしたのですが、愛憎が激しく人格障害の様相です
この妹を助けたくて私は親に話し合いを求めましたが、私は気狂い扱いでしたよ、当の妹からもw
出来が悪い子程可愛い、というのはよく聞きますが、
実は子供の成長を阻み、自己愛の補完に利用された例も多いと思います >>603
今 はとしました。
その妹さんと私は似ているかもしれない
恥ずかしながら私は母親から溺愛されている風に周囲から映っていたかも知れない。
死ぬほど恥じな事ですが悪く言えばマザコン的に見られていたみたいです
諸悪の根源 実は母親な気がしているのです
私の場合
しかしあなたの過酷なお話をお伺いするたびになんだか辛い 夫婦ががっちり手を組む。
やはり共依存両親な気がして仕方がない。
両親を病気無くした似た境遇の二人が出会ってそうするより他なかったのか… 子供の自立や成長、成功を喜べない親はいるものです
劣等感や憎しみや嫉妬、卑下、それと真逆の傲慢などの悪い感情を背負わされるのは
親が自分はそうではない立派な人間だと思う為、親を思うからこそ子はその地獄にあるのに
親はそこから出てもらっては困るのです、子供で苦労しているという形が必要なのです
偽りの愛、自己愛の対象となり、憐憫をかけられる役割を子供は担わされていると、
妹を見てきて私は感じていました
互いに成長出来る愛に満ちた家庭を提案して行きたかったのですが見事に排除されました >>606
そんなに酷いのですか?
でも ・・ 自分の両親ももしかしたら ? ?
という思いも出てきました
自分の育った環境や両親や兄弟が客観的に見れないのです
客観的にみるところから本当の自立が始まる気がして今年に入ってから必死でやっているのですが ごめんなさい、また長期規制があるかもと思って一気に書いてしまいました
どうかゆっくり時間をかけて、お身体に負担の無いように、応援しています いつも 気を使って頂いてありがとう
また時間あるときはいつでも気軽に書き込んで下さい
色々と話を聞かせて下さって本当にありがとう どうやら妹さんは、自分の異常性に気づいておられない様子ですかね。
まるで最近までの僕のようです。 親に作られた窮屈な鳥かごから抜け出せないでいる人生は不幸です
例え両親が死んでもそこから抜け出せないこともあるのでしょうね
そこが癒されて癌が治ったどこかの国のお婆ちゃんの話を思い出した 父親の歪んだ観念にずっと付き合わされてきた家庭だったんだな…って思います
仕事をして稼ぐことは悪 と言う観念。
人生 損してなんぼ って言うおかしい感覚。 祖父は所謂 資産家の息子であり実業家だったらしい
父が小学校にあがる頃に、大きな詐欺的な取引に遭い倒産 。 。 らしき話を母親から聞いたことがある 倒産直後祖母が他界。その直後、病に倒れた祖父の為に義務教育すら受けられず
小学生高学年より就労を初めた父
ドラマでしか見たことのない様な借金取り立ての日々。
こんな感じの話を父親から聞いた訳でもなく 母親から幾度となく聞きました 我が家はいつも父親の成長期の話はタブーな雰囲気があり
父親の子供時代について一切語ってはいけない独特な雰囲気がありました
ですので 常に腫れ物に障る感覚で捉え
学校で流行った話
友人と楽しむ話 オモチャの話 学生時代の楽しい話はしてはいけない雰囲気でした
その様な話をする時は相当覚悟しないと、無言と不穏な空気が流れるのです 仕方なく 父親の喜びそうなスポーツの話題
全く面白くもないバラエティーの話題、に話をシフトせざるを得ない状況でした。
その様に仕向けたのは母親であり 「可哀想な環境で育ったお父さんを家族で フォローしてあげて」
と言わんばかりに 僕達にあいずちを強要する有り様です 喜怒哀楽を自由に表現してはいけない空気がいつも身近にあり、
普通の子供が感じる 楽しい 嬉しい 悲しい 寂しい 面白い などの感情を完全シャットアウトしなければ、
見捨てられる雰囲気がいつもそこにありました それは可成り重要な手掛かりかも知れませんね
親の失意を見て育ったとすれば、お父様の屈折も何だか分かるような気がします 当たり前の生活も、いつも父親の「俺は学校すら行かせて貰えなかったのに 学校行けてるお前らから感謝が感じられない 」
と言ったムードの重苦しい無言のメッセージを受けつづけて生きてきた為、
青春時における全ての楽しみにおいて罪悪感みたいな申し訳ない気持ちですごさなければ成らなかった
今色々と回想しながら書いていますが、何故かこの話を書くと記憶喪失の患者みたいなメンタリティになる
何故だ これは… 耐え難い 抑え込んで押し込めたどろどろした意識みたいな深い感情が
出てくるな 出てくるな と邪魔をします
一旦 寝ます >>613の後をリロードしないで書き込んでしまいました
やはりお父様は、厳しい幼少期を過ごして来たのですね
お母様が精一杯支えたのですね
それが所謂共依存であったとしても責められないわ
残念だけど、心の傷が深くて子供の幸せを許せなかったのは無理も無い
>>687
私が急かしたのかも知れない、ゆっくりお休みなさい いえいえ 全然急かされてませんよ m(__)m
寧ろ感謝でしかない
結局深い部分は嫁にすら話せなかったですから。
思いきって告白した時に仮に「誤解」して受け取られる方が辛いのです
なんだ… その程度の話か… その程度の話、どこにでも転がってる他愛もない話じゃないか。 で終わることが怖かった >>621 僕 小学校くらいからその様に認識してたのですが、
それって遠い過去の事じゃないですか?
壮絶なトラウマかも知れない。 実際僕は産まれてもいないし、
父が義務教育を受けられず就業に明け暮れ飲み食いに困ったことと
僕の自由が脅かされ続けたことと一体何の関係あるのか?
いくら掘り起こしても理解出来ないんです
一つだけイメージ出来ること。
それは父親もまた父親から大事にされなかった。
父親の一つの子供としての人格を尊重出来る祖父ではなかった? のではないか?と想像します
それで逢ったこともない写真が数枚も残っていない祖父を思い浮かべては
怨み みたいな気持ち湧いてくるのです お父様も苦しんでいらっしゃったかと思います
自分の得られなかった幸せを、記憶が邪魔して、どうしても子供に与える事が出来なかった
むしろ同じ苦しみを共有してくれる事が親子の絆という風に誤った感覚を持っていらしたかも知れません
お母様はおそらくそれを理解していて何とか家族のバランスを維持していらしたのでしょう
子供が不憫だと思いながらも、心に傷を持つ夫をお母様なりに支えて苦労なさったと思います
理想を言えば、自分が望んだことを子にしてやる事で自らの傷が癒される、そういう生き方もあります
それが出来なかった、その力が無かった、そういう人であったからあなたは苦しんで今に至ったのです
この所謂、負の遺産は力のある者がどこかで断ち切らねばなりません
出来なかった弱い親に怒りをぶつけても悲しみは消えない
私はあなたが一人の人間として弱さを含めて親を理解し、いつの日にか許し、
また、傷ついたあなた自身を理解し、今の悲しみから解放されてほしいのです
そして、苦しんだからこそ、人を、自分を、深い意味で愛することを目指してほしいのです 691
子供のころ 若い頃はそう思いこんで生きてきましたよ
人からもそう言われました
でも大人になってからはどんどん不可解になってくることだらけです
何故よその子 他人に心血を注ぐのか? これは私が幼かった時代から何十年も変わらないです
私には妹がいますが、とにかく私と妹には全く興味が無く無関心です
母親と結婚した理由は両親不在で他人の家に居候している事が出来なかった為
その環境から抜け出す目的と母性を得るための二つだけだったとしか考えられません
父を思い出すと大事にされない されなかった虚しい感情と怒りしかない
生きているうちに許せるかは解りません
これが本音ですし
無理矢理自分に嘘をついて許すことは不可能です 勿論、今は許さなくても良いのです
何故このような理不尽で悲しい目に遭うのかと優しい子供のあなたは考えたのでしょう
被害を受けた子が理不尽な親の理由を考えてやって容認し我慢してしまう
親が「辛いから仕方が無い」といえば子供は信じて許してしまうのです
でも大人になって、やはりこれはおかしいと疑問を持ち客観視を始めると
その環境の中で形作られて来た自分自身を一旦壊して検証し直す事になります
それは大変辛い事だと思います
親がしてはいけない事をしたと分かれば憤りを感じ、許さないというのは正しいのです
自分に対し悪い事をして来た親を今までは許して来たけれど、
そうではない、あれはいけないことなんだとはっきり判断をする時に許しは必要ありません 新年おめでとうございます
別れた人に感謝の気持ちを持つあなたは、心の清らかな優しい人だと思いました
あなたも、親の求めることに懸命に応えて来たれれど、求める事は出来なかったのではありませんか
評価されたいという要求は、親との関係が良い人は意識する事すらなく当然の事なので
しばしば甘えだとか非難されがちですが、そうではない事を私は理解しています
一方的な抑圧ではなく、双方向の友好的な関係を求める切実な思いですよね
自分を褒めて、とあなたから生の声で要求したことがありますか
ずっと悔しく悲しかったと涙ながらに訴えた事がありますか
ありのまま訴えてもずたずたに傷つけられることは予想されますが
たったひとつでもいいから手応えをもぎ取ってみて下さい、ご両親が健在でいらっしゃるうちに お母様は難しい人だと思います
家族全員を支配して、自分がルールというか、価値基準を定めます
それは自分の優位な存在を脅かすものを叩き潰す為です 全くその通りなのかも知れません
そして父親は完全なる犬です
最も自ら犬になることを志願して結婚したので、それで大満足なのでしょう
こんな心ない人間を経済的に支援した私が馬鹿でした
と言っても今は別の意味で支援してもらわざるを得ない状況です。
1人の女性も幸せに出来なかった私が言う権利は無いかもしれません
しかし、一緒に居ると気が狂いそうになる。不機嫌になるとあからさまに無視をします
彼の口癖は「男らしくしろ」と「親に向かって!」 でした。 議論せず黙ることが男らしいと勘違いしている様です。 人並みの経済活動すら出来なかった男が「親」らしいです
私もだんだん父親に似てきそうで怖いです 無意識の内にこの冷淡な遺伝子が継承されていると想像するのが怖い
私には反抗期がなかった
思いきりグレて愚連隊の仲間入りでもしていればこんな人生を送らなかったのかな? と馬鹿なことを考えることもあります 僕に吐き出す機会を与えて下さって本当にありがとう
話を聞いて頂く人がいるだけでこんなにも救われるもどだとは思わなかったです
本当に本当にありがとう
上記の内容嫁にすら話せなかったです 話して吐き出して見捨てられるのが怖かった
最近思うのです、人間って答えをくれる人を必要としてるより ただ寄り添って話を聞いてくれる人がいるだけで随分すくわれるのだな。 と
ひょっとすると話を聞いて 貰える人がいるだけで世の中の自殺の半分が減る気がします
本当にありがとう
僕の話ばかり延々と真剣に聞いてくれて
宜しければ あなたの悩みも書ける範囲で聞かせて下さいね 家に資産があったが、父親が想像を絶するお人よしで
親戚や友人の保証人になったりして、あっというまに家産を食いつぶしていった
自分が高校生の頃には、自分たちが住んでいる家とその土地しか財産がなく、
祖父が残した株や貯金も行方をくらました借金人の肩代わりで、ほとんどなくなっていた
母親もかなり怒っていたが、父親はいつも安い酒をちびちびやりながら、
「財産なんて、あってもろくなことがないんだよ、人が助かったと思えばいいじゃないか」
と言ってた。
あの財産があれば、今の自分ももう少し楽な暮らしができたのになと思う。 これをシンクロと言うのだろうか?
ちょうど資産の話書こうと思ってた オヤジがホモ(正確にはバイセクシュアル)と知った時。
幼なじみが「これおまえのおやじさんじゃない?」と見せてくれた写真が、2ちゃんの釣りで、リンクされていたホモセックスの写真。
顔が半分隠れていたが、やや特徴あるヒゲとか、なによりも左腕にある昔の交通事故の傷跡が完全一致した。
ただ、家庭が壊れるのが怖くて黙っていた。
オヤジは結構稼ぎがあって、おふくろは黙ってオヤジについていくような人。
その頃でも、両親が夜中にセックスをしている雰囲気は感じていたが、あの熊みたいな男のケツに挿入したチンポをおふくろのマンコに挿入していると思うといたたまれなかった。
昔といっても5年前のことだが。 彼女に「指なのかチンチンなのか分からない」となじられた 子供の頃親が堅物で物分かりが悪くて野球を見に連れていってくれなかった
近所の野球好きな叔父さんが小学生数人連れてプロ野球見に行ったな… >>1
悲しい思い出だが笑わせてもらった
あんたの危機管理がなってないよ
突然調子悪くなったのならまだしも 支援すると決めたことをそれとなく電話で告げた途端
態度が豹変し挙げ句お先真っ暗と言われた時。。
その性格悪そうな顔と言い方にとてつもない気持ち悪さを感じ、全身の力が抜けた
ああ、 結局 金だったのか…と思ったし幻滅と絶望、嫌悪みたいな気持ちがいりまじって死にたくなった
彼女と逢うまでにどれだけ苦労してきたかを全くしらないんだな… と
多分一緒になっても矛盾点にイライラする人間だと感じてたし 。
まず間違いないのは、何故あんな怠け者を支援するの? と言われるだろうし
みすぼらしい外見を嫌う彼女は見下すだろうことは容易に想像できる
両親が最も嫌いそうな顔つき 性格だし、また従兄弟の嫁と比較されると思うだけで恐怖心すら感じる
あんな人の何処が良かったのかと噂されると想像しただけで気が狂いそうになる
一方、彼女も多分、鬼嫁化するのは目に見えている
こんな板挟み、自分が一番みたくない光景で逃げ出したくなる
もう一人になりたいと強く思った 人のエゴに振り回されたくない… >>1
そんなの自己破産させりゃよかったんじゃねの? 親戚の家でお年玉をもらって帰る時に落としてしまった
1万円入っていたので凄く悲しかった
不憫がった姉と兄が1000円ずつ恵んでくれたが
余計に惨めだった 小3の時 >>644
あれから30年、正月実家に集まるといまだに言われる
甥っ子姪っ子にお年玉を渡すと
姉「このおじさんみたいになるからお母さんが預かっといてあげるw」 え? 微笑ましいと思ったわ
姪や甥の教育に随分貢献しているではありませんか >>642
>>712だけど、
俺も、自己破産すりゃいいんじゃないの?と一応は言ってみたよ
田舎住みだと、周りの目もあって自己破産なんてカッコ悪いってことだそうだ
おやじは、頼ってきてるんだから助けてあげよう、自己破産したら相手さんも泣き寝入りになってしまう、おまえの貯金を使うことで2家族が助かるんだって偉そうに言ってたな
おやじにしてみれば、俺が反対してるんじゃないかと思ってたようだ
もともと自分の金じゃないので、最初はなんとも思ってなかったが、言い訳がましく説明されることで、惜しいような悲しいような気持ちになったよ 日本人で女だけど、過干渉で育ったわ。具体的には、過干渉と放置が混ざりあって育った。
過保護で育つと社会(凡人扱い)と家(お姫様扱い)での扱われ方のギャップに苦しむんだろうけど、過干渉は社会の方が優しく接してくれて戸惑うよ。自己評価が底辺なのに、努力をまともに評価してもらうと申し訳なさと罪悪感を感じてしまう。
過干渉育ちは気をつかいすぎて疲れる。 センター試験の最中に下痢便もらしたorz
恥ずかしくて泣きながら部屋から退室した
最後の科目だったのと、8割方回答していたので
なんとかなったけど
以後、トラウマになって大事な試験になったら腹が痛くなる >>1
現金支給が当たり前の時代ということは、高度成長期だね
今の1/10くらいの給与ベースだったから
5ヶ月分というと15万円くらいだったのだろうか
1万円札はあまり使われることのない時代で
給料も1000円札で支給されることが多かったそうだから
150枚だと札束が本当に立つ位だっただろうね
ショックだっただろうな バブル末期、とある不動産会社に就職
残業もすごいし、ボーナスもすごかった
先輩達の話を聞くと入社1年目で年収700万、5年目で1000万、10年で2000万くらいだといわれた
学生時代から付き合っていた彼女にプロポーズ。即OK
消費者金融に借金して、結婚式や新居の準備をした矢先、会社が倒産
倒産したことよりも彼女が手のひらを返したように冷たくなったことが悲しかった
すぐに次の会社は決まったが彼女は戻ってこなかった 小学で親再婚で家でも学校でも再婚相手と顔を合わせないといけなくて居場所なかったのが悲しい思い出 ボーナスの話が多いけど
就職して最初の給料で親をレストランに連れて行ったら
いくらもらったんだという話になった
「16万くらい」と言ったら
父親に「たったそれだけか?」と言われ
「そんな薄給の仕事に就かせるために教育に金をかけたわけじゃない」
と散々いわれ、一人1万円くらいした食事もおいしくなくなった
母親は「今は正社員になるだけでも難しい」ととりなしてくれたが
父親はずっと不機嫌だった
確かに小学校からずっと塾に通わせてもらい、中学からは家庭教師、
高校から大学は私学で金がかかったことは分かっているが
そんな言い方しなくてもいいだろうと泣きたかった 給料の多寡でしか人の価値を計れない糞みたいなおやじさんだな 結婚したくなくなった理由
☆一緒にいてて嫌な感じはしなかったがわくわくがなくなった
☆突然の告白と孤高の存在、自分への惚れ込みに依存していたが、それに疲れた
☆ きつい性格で愛嬌愛想とは無縁なところをフォローしてきたがその部分にも疲れた
☆ 最初から顔とかもタイプでは無かったが、数回起こった嫌な出来事以来だんだん魅力が無くなる
☆ 頭悪いなあと思ったこと。頭カチカチなので今までは販売員やホールなどの仕事あったが…
☆一緒に過ごす時間がもったいなく感じた。子供が出来たらどうたらこうたらの無神経妄想話をされた時
頭悪いなあ…と思った。全然相手をたてられない人間だと思ったので絶対幸せになれないと思った わずか1年間に
母親が交通事故死
父親が心筋梗塞死
飼ってたネコが原因不明の病死 初めて付き合った彼女が、 本格的な売春をしていたこと。
頭のいいちょっと遊び好きな大学生だと思っていたしそういう彼女が好きだったが、
一気に闇に突き落とされた気分になった。
家は金持ちで裕福なのに何故そんな事をやるのか理解出来なかった。
知ってからが地獄だった。 どうしてもa 10年前、付き合ってた彼女が家族とともに蒸発(夜逃げ)
父親が事業に失敗して生活が苦しいと聞いていたが
突然連絡が取れなくなり、携帯も解約されていた
バイクで家まで行ったら、いかにもな感じの連中がうろうろしてた
「兄ちゃんここの家のもんか?」と聞かれた
「関係ない」と言って逃げてきた
一家心中とかしてなければいいのだが なんでうちの姉はあんな噂好きなんだろう。
従兄弟の奥さんと姑の関係を噂したり。
一方の従兄弟の奥さんと姑の関係を比較したり 。
自分は独身で彼氏なし… いけてない容姿でいけてない中身。
自分のこと棚上げして身の程知らずに人の噂ばかり…
結婚したことない経験値低い人間が言う資格すらないのを解らないのかな。
虚しくならないんだろうか?
愚痴っほ゜い噂話している寂しい中年女がどれだけみすぼらしいか解らないのかな? 頭が悪い人間って冷酷な人間だとおもう
非常に図々しくて無神経だ
見かけもやはりみすぼらしい >>665
自分をいたわる事も必要よ
あまり見つめ続けると、見失う事だってあるわ いたわり方がわからないです
凝り固まった親の価値観がまるでマインドコントロールされた何かの信者みたいに離れない
愚痴ってばかりすみません 彼女をクンニしてる時に
「ピ〜、ブッ、ブッ、プスッ〜」って感じの屁をされた
あっけらかんと「ごめーん、でちゃった〜w」
と言われ、バカにされたような
悲しい気持ちになった 無意識で生きてきたのか意識的にしてきたのか解りません
ただ一つ言えるのは不幸の元凶は父親であり
その父親から脈々とつながってることかな…と
あり得ないくらい厳しい生活を余儀なくされた子供時代は理解できますが
その後、里親的に育ててもらった家元の会社に
忠誠を近い嫁、子供までを犠牲にし続けたことは彼の頭に無いかも知れない お互いに理解し合う事は出来ませんか
お父様にもし、ご自身の人生がどういうものであったのか理解したいというお気持ちがあるならば
あなたという存在もまた、ご自分の責任ある人生の一部だという意識があるならば、ですけれどね
満たされている筈は無いと思うのです
境遇を納得したいというお気持ちは今もなお有るのではないかと思うのです
あなたの受けた抑圧を、淡々と穏やかに伝えられて、同じように穏やかに聞いて下さればよいのですが
共に過ごした年月がどういうものであったのか、お互いに振り返って認識を少しでも共有できれば理想的なのですが ご丁寧な返答ありがとうございます
皆それぞれ複雑な事情を抱えそれを乗り越えるべく日々を生きているのに
勝手我が儘なことを書きなぐってばかり申し訳ありません
あなたも恐らくまた違う次元で耐え難い抑圧と向きあってきたのでしょう 恐らくそうだと思います
僕は幼少期から父親を可哀想な人だと思って生きてきました というのもそもそもそれは母親による刷り込みであった気もするのです 母親は父親との結婚を無言の「契約」として成立させた気がして仕方ないんです
母親は父とは違いどちらかと言えば成績優秀、文学や古典芸術にも造詣が深く 質素ながらも「知識人」に違いタイプの女性だったとききます
父親と知り合う前にも、付き合っていた男性が二名いたことも以前叔母から聞かされていました
どちらも経済的自立、人間的 社会的にも成熟した 所謂エリートサラリーマンの様な男性だった様です
その母親が何故? よりによってこのような「無知」の一言に凝縮される様な男を選んだか? なんです 母親は自分を育み成長させてくれる器の男性を一生涯かけて探すべきだったと思う
トラウマを抱えた「駄目な男」の母親代わりをする事で自分の寂しさを「まぎらわせる」ことを選択したのだからいく末は地獄でしかない
敢えて両親不在の「トラウマ男」と成婚に至ったのは、「逃げ」でしかなかったのだ
母もまた学生時代の母親喪失により深い傷を抱えており煩わしい姑関係などから逃避できる
「出来ない」「無知な」「貧乏な」「無関心な」「無神経な」男と「契約」を交わしたのだ >>672 頭が悪すぎます。
残念ですが。
何度も試み 時には年甲斐もなく暴力にて訴えましたが完全に無駄でした
完全に思考停止状態です。 恐らく10才とかその辺りの恐るべきトラウマ時代から思考停止状態なのだと推測します
知人に催眠治療のプロが居ましたが彼の様なプロが通常の三倍くらいの時間をかけて催眠誘導して
初めて自覚している意識に浮かびあがらせることが出来ると感じます
それ位強力な手法を用いないと穏やかな会話すら無理なのです
その彼は以前介護職の傍ら精神神経科の痴呆老人病棟で一定期間ボランティアのセラピーを施術していたと言います
この方法を用いると過半数くらいの痴呆老人の症状が劇的に改善されたりする例が多いと本人自身が驚いていました
但し好転反応として僅か数日ですが赤ちゃん返りを始める老人がいて、担当医師に奇妙な顔色になられたそうですが 悪しき遺伝子を残したことへの罪悪感はないのだろうか?
男ならまだしも妹が可哀想 何故会社を辞めないのか?何故 転職しないのか不思議で仕方なかった
お願いだから退職してくれ。と心で叫んだ日から20年間 やはり、最後は理不尽な形で退職させられた。 これほどまでに予測を裏切らない人間に呆れてしまう
最初から解りきっていたことなのに何故?
彼のことだから「誰にも迷惑かけていない」 そう言うだろう
周囲や家族にあらゆる面で迷惑かけたことは彼の頭の中からすっぽり消えているに違いない
なんという子供じみた人間なのだろだろう 同じ年に生まれても安希社長みたいな人と底辺のクズがいる 思い起こせば、子供時代口こたえなどすると殴る蹴るやる人でした
こいつの愛情など感じたことがありません
経済的援助をしたのも母親の為で、何故こいつがついてくるのか鬱陶しくて仕方ありませんでした
最近は母親も同罪だと思っていますが 家族はどうありたいか、あなたはどうありたいか、その理想がありますか
理想とは、それとかけ離れた現実の中から生まれるものです
否定したことをしてしまうのは、つまり肯定することになります
自分を愛さなかった人を憎み、殴った相手を殴るなら同類になってしまいます 世間一般で言われる軽々しい愛情なんかではなく
「大事にされる」ということな気がします
大事にされる とは物質的なことではなく、 気持ちを大事にされたい、 欲求みたいな感じです
父は自らが義務教育すら受講させてもらえなかったことにより
非常に視野が狭いのか、「飯を食わせてもらって感謝はないのか?」的押し付けを漂わせるタイプの人でした
生育家庭で身に付けたのかそんな家系なのか家族身内が大損こいても他人に尽くす 的な発想が感じられます で日曜日が終わり月曜日が始まって夜 父にあった時は子供に何の謝罪もなく、
完全に忘れさられている有り様でした。
このような話がざっと100話くらいあります。
彼は子供に対して約束を守れない人なのです
しかし何を思ってるのかことある毎に「親に向かって!」 といい続けて来ました
外面は一級品、母親の収入かろうじて生活出来ていたのに「父親面」です
こんなこと書くとあなたはどう思われるか解らないですが 私が25歳くらいの頃から早く死んで欲しいと思うようになりました。
どんなに存在否定されても、無視されても父の期待にこたえようと抑圧三昧に生きてきて25の時限界が来たのですよ 金持ち傲慢親戚の引き立て役の為だけに生きることに完全に嫌気さしたのが高校時代です
しかしこの家庭に植え付けられた歪んだ価値観はそう簡単に変えられなかったです
お金を頂くことに何とも言えない罪悪感と申し訳なさみたいなものがあり。
臨時収入があれば誰かれ構わず驕り散財する癖がある様です
はっきり言って無自覚でした 元嫁に数回指摘されましたが、 最後は憤慨されました。 最近 専門家より家系を見直す機会を与えられました
以前 書きましたが祖父は資産家の息子であったのですが人が良いのか、
他人に簡単に大金を貸したり、信用取り引きの保証人になったりで家庭をぶち壊した人です
最後は間借りのボロ小屋で父と兄弟二人は住まされた
日雇い労務者では生活出来ず父も小学生ながら日雇いをした様です。
程なくして難病におかされた祖父は生活の為に尚 父に労働を命じた様です
この話を聞くと無限の負のループを歩んでいる気がします
毒親が子供を不幸のどん底に追いやる無限の負の連鎖に思えてなりません 青年期から父を見てきて思うのは
どんなことしてでも貧乏になりたいのか?と思えて仕方ありません
どんなことしてでも情けなくみすぼらしく虚しく悲惨に生きたい人なんでしょうか?
何故私の事業の脚を引っ張る様なリアクションや行動をしたのでしょうか?(無意識で)
「金を稼ぐとロクなことがない」みたいな誰かからされた洗脳でがんじがらめになっている様子で
贅沢は人を不幸にする 財産は人を破滅に追いやる、 欲しがるな、うらやましがるな、幸福な奴を見るな。
良いものを持つな、 人より損をしろ、大事なものは誰かにあげろ。
人生に期待なんてするな、 希望もつな、 妬まれないように細々と生きろ
こんなメッセージを常に受け取ってきました >>683 あります。 と言うかありました ですね
今だから言えますが、母親が気にいりそうな嫁さんを選びました
彼女には言ったことないですが凄く失礼なことをしたと思っています
勿論当時は無意識で付き合い結婚しましたからそれすら気付きませんでした
人に否定されることが死ぬ程こわいのです
否定ばかりされてきた気がするので。 父は苦難に満ちた青年期を過ごし幼少期に失った母性を獲得すべく結婚した訳で
本心は子供が出来ることなど望んでは居なかった。
本心は母性を獲得することのみなので彼にとって子供が生まれることは「厄介者」で「邪魔者」が生まれるということなのです
何十年も同じテーマのことをぐるぐる思考してきましたが、
私にとっていい加減その現実を受け入れることが重要課題な気がしてきました
何故なら私自身 今まで付き合った異性、元配偶者に対しても子供が出来ることが「恐怖」だったからです。
負の連鎖をたちきることができるかこれが私の人生の命題であり生まれる前に決めたことなのかも知れないです 生まれた境遇の惨さに囚われて逃げる事も出来ず、
また逃げる事をせず、その身に受けて苦しみ抜いた者だけが連鎖から脱却出来ます
あなたはそうする人だと信じています 犬の散歩をさせていて、突然走り出したためリードを離してしまった
そのまま犬は幹線道路に走っていき、ダンプに撥ねられ
次から次へと轢かれて、あっというまに赤いボロぞうきんのようになってしまった
泣きながら家に帰った >>693
可哀想に
惨い記憶があなたを苦しめ続けたでしょう
今私に出来る事は話を聞いて、あなたと犬の為に心を痛める事しかないけれど
ほんの少しなら一緒に背負えるかも知れないわ 小さい頃小学生までは一つ下の従妹が居てよく遊んでいた
でもその従妹の両親が離婚して血縁関係じゃなくなり出会うことはなくなった
あんなに遊んでいたのに顔ぐらいしか思い出せない >>1
人は愛さずには生きられないのです
オカメインコを愛して生きて来たあなたがダメ人間の筈が有りません
だって、あなたの切なく優しい愛に、彼女は応えてくれたのですもの >>1 彼女はカウンセラーではありません
しかし私は何度も彼女に助けられた
人間ってただ話を聞いて貰えるだけで救われるんですね
有難い存在です
でも依存してはいけないと心に言い聞かせてます 高校でバイトを初め、もらった初任給を全額カツアゲされたことだな
夏休みの20日ほど日給5000円のバイトだった
最終日に10万ほど入った封筒を渡され、あれを買おうか、これを買おうかと
考えながら帰り道を歩いていたら、目の前に立ちふさがったヤンキーの5人組
ぼこぼこにされてかばんごと奪われた
被害届けを出したが、結局捕まらなかった(泣) 小5のとき父親が病死
喋ることも苦しいはずなのに、
「ちゃんと学校いって、予習と復習するんだよ」って言われて約束した
それなのに私は小5から高1まで不登校でした
パパ悲しかったんだろうな
春から大学生になります
悲しいのは、中学と高校の制服、大学生のスーツを見せてあげられないことです >>700 きっと素敵なお父さんだったんでしょうね
これから頑張って天国に勇姿を見せてあげてください
私は真逆です。駄目人間ほど長生きしますね
偽らざる本音を言えば、早く逝ってほしいです
そんな私とて子供の頃は、愛情を貰おうと必死でした
器のちいさな人に迷惑かける人ほど長生きします
理不尽だと思います 子供時代、朝鮮人街で働いて良くしてもらったから
朝鮮人は悪い奴じゃない! とか言ってましたが
あまりに情弱で無知 浅はかで短絡な発想力に呆れます
幼児みたいな視野の狭さです
そんなことオレに関係あるのか? そんなんだからボロ雑巾みたいに利用されまくって捨てられるんだよ
知恵のなかった親を恨めよ。 それか一人で生きていきゃ良かったのさ。
最も一人で生きていける甲斐性あるかだが、 無いだろうな それまで、投資なんて一切考えなかった俺が、ふと思いついてFXの口座を開設
なけなしの預金をつぎ込んで、レバレッジいっぱいにポジションを取って寝た翌朝
ロスカットされて、ほとんど残金がなかったorz >>702
死んでからは美化されるなんて言いますが本当ですね
今では心から尊敬するし大好きです
でも生前は、怖いし遊んでくれないし
父親と話すのに緊張をする程接していませんでした
親に早く逝ってほしいなんて思って欲しくないというのは綺麗事というか何も知らない私が言うのは図々しいとは思います
ただ、あなたにはお父様に広い心で接してもらいたいです
優しく受け入れてあげてほしいです
生意気なことを言って申し訳ありません
スルーしていただいて構いません http://www.g-com.ne.jp/~nice/gonin/jirou/song/song.htm
下村湖人の次郎物語を読みました
第二巻に、岩を二つに割って立つ松の木の話が有ります
山道の大岩の割れ目に落ちた一粒の種が、その過酷な運命を諦めず、また無理に闘うのでもなく
与えられた境遇に馴染み味方にして、少しずつ長い年月をかけて地に根を届かせ岩を裂いて大木となったと、
運命、境遇に対し呪わず卑怯にならず、まっすぐに自らの命を喜びつつ伸ばして行く者がついには岩をも砕いて行くという話でした 岩を責めたり、邪魔だからどいてくれと言っても聞いてくれない
自分の望むように愛してくれない親に何を言ってもそう簡単には変わらないものです
であるならば、例え始めは細く弱い根であっても、
自らの命の力を、まっすぐに伸ばして行こうとする事、これは自分の意思でどうとでもなる事なのです
前に理想はありますか、と聞きました
それは、否定の上に立って、そこで分かった理想を求めていますか、ということです
愛がなければ愛する事のできる人になり、親たる者はこうありたいという理想を自ら実践する
理想というものは泥の中でこそ見える一条の光だと私は思って生きてきました 人を褒めそやすことに関してですが、
もしかしてお父様は、人を羨むことはあまりしなかったのではありませんか
お父様も過酷な環境にあって、それでもわずかな岩の割れ目に精一杯の根を張り、
そこを誰にも邪魔されない、安心できる安住の場となさったのではないでしょうか
他方、肥沃な土地に裕福に暮らす人があってもそれは自分とは違う、
言い換えれば同じ土俵で努力したり競争する必要はないことにしたい
褒めそやす事で無関係であることを繰り返し確認する、だから羨む事もない
そんな風に自分の居場所を守る、という複雑な心理を感じるのです
そして狭い世界を維持する為に、子供たちの伸びゆく力を封じてしまったのではないでしょうか 厳しい事を言いますが、
大木になれなかったお父様を批判しているあなたは、彼より低く、か細い苗木です
あなた自身の根を伸ばして、大地にたどり着かねばなりません
狭い世界で争っても誰も幸せにはならないのです
あなたは未だに親を愛して苦しんでいるからこそ、こんなキツい事を言いました、ご免なさいね >>709 大木になれなかったというより、
意地でもそうなりたくないと言う理解不能な意志を父親に感じて生きてきました
いくら綺麗事をいったところで今までの世の中は資本主義です
それでも私は成人まで父親の強固で頑なな清貧美化を信じて生きていました
社会に出て最初に感じたのは父親から植え付けられた歪んだ観念ではボロ雑巾のように搾取され
果ては廃人かホームレスか?といった感じです
当時はまだ父親の歪んだ信念のほうが正しいと感じていた為 会社の上層部や権力者然としている人全てに敵対心のような気持ちを持っていました 目の前で父親が車に撥ねられて死んだこと
車に撥ねられると、撥ねられた本人には、
その瞬間スローモーションのように見えるっていうけど
自分が撥ねられたんじゃないけどスローモーションに見えた
3mくらい飛ばされて、頭から道路にたたきつけられた
駆け寄った時には、耳から血がドクドクと出ていて
ピクリとも動かなかった 好きになられて付き合っても限界あると思った。
ストーカーっぽい元カノにしつこくされ参ってた時に職場のビルの女性から告白された
閉鎖された空間な為か、何度か見かけた女性だが自分には全く気がない素振りだったから驚いてどきどきしたのもある
好かれてる事に依存してしてしまって、彼女が求める自分像を演出し、車も買い換えた。えにかいた様なライフスタイル追いかけ回し
息を切らせた。やりたかった仕事も中断してコミッションの良い嫌な仕事に舞い戻った
本当の自分を知られたくなくてずっと取り繕うのはしんどかった
楽しかったのは3ヶ月ほどでその後は辛い辛い付き合いだった 社交パーティーに連れていった時、友人に彼女を紹介したらぎこちなく、挨拶すらしなかった。
人見知りが酷いのは知っていたがここまで酷いとは思ってなかった。
愛想良すぎる八方美人の恐ろしさを身をもって知ってるだけに、まだましかな と思おうとしたが、
やっぱり変な女だな…と思った最初の瞬間だった
この辺のタイミングで冷静に見極めるべきだったと思うが約2年に渡る元彼女のストーカーに疲れていて、
彼女のドライさ悪く言えば無愛想さが心地よかったのかもしれない
元彼女は何度もビルに押し掛けてくるし逃げる為に必要だったのかも… 半年くらいして初めて自分をさらけ出そうと思い、やりたかった仕事の出張(海外)への
同行を提案してみた。
喜んでくれるか?と思い提案したが「いい」「やめとく」の一秒だった
なんとなく予測していたことだがはっきりショックだった。 断るにしても相手を傷つけない様にとか出来ない子なのか?
と我が耳を疑った。
これが二度目のガッカリ…だった。 三度目は家族からプレゼントされた宿泊チケットでの、泊まりデートを
一秒で拒否られたこと。
いつも宿泊してるラブホなんかよりは数段上のクラスのホテルなんだけど…
安物が好きな子なんだろうか? 色々考えてみたが ??? だった。
この辺から何を考えてる人なのか解らなくなってきた つまり、ちょっとどうでも良くなってきてたのだ
全然価値観が違うし、思いやりとかそういうのがゼロに見えてきた
結構合わせてきたんだけどな行きたいとこやりたいことキャンセルして買い物付き合ったり。
つまらなくても我慢したり… これって相当な抑圧だしストレスも凄かった。
同じ価値観でワクワクするのは無理な感じだった
妥協出来るラインは越えすぎてた 結局惚れられ依存しても必ず限界あると思った
格好悪いとこ駄目なとこは隠して一切見せないわけだから息苦しい。
喜ばせようと頑張っても喜んでもらえない虚しさ
生活維持の為独立しても、ストレスだらけで人間関係も成果もあがらない
無理矢理好きになろうとしてた 好かれてることに依存して妄想強かった。
良く言えばからっとしてるが何となく冷酷さがみえてたが冷静に見抜けなかった。
相手の期待に応えようと努力しつづけた結果向こうは全然期待に応えてくれなくて虚しさだらけだった 近所のスーパーのレジで一目惚れした子と、遠方の居酒屋で出くわした事
酔った勢いで声書けたら盛り上がった
三度目はよくいくお店のイベントでばったり出会った
もうこれは運命だと思い、デートに誘った
向こうから彼氏になって欲しいと言われてウキウキだったが、三度目のデートの食事で
自分も知ってる男性が好きだと言われた。
耳を疑ったが『好きなもんしょーがないじゃん』と言われる。
崖から突き落とされた気がした。
まるで狐に摘ままれてる感じだった…
自分って馬鹿だなあと悲しかった 暫くして別れたが、その時期から不運が続いた…
しかもその子のマンションの横は先祖が悲惨なめにあった場所だった 大学でできた初めての彼女が
創価学会の熱心な信者と知った時
選挙前になって事実を知り
さりげなく距離をとって自然消滅した
キスだけしかしてなかったのは幸い
まゆゆ似のかわいい子だったのになあ >>719
そうなんだ。その子も自然消滅だと思ってるので
ただの友達に戻ったと思い込んでる
卒業して何年もたつのに選挙の時には
「久しぶり元気してた〜wwww」
「○○さんと○明党お願いね〜」って電話がかかってくる
めんどくさいから「あ〜入れとくよ」と答えてる 母親がメンヘラになって入院した
二度と帰ってこなかった 大谷という凄いピッチャーがいる
バッティングもこなす二刀流だ
彼を見て素直に凄いと思った。 枠に捕らわれていないのだ
彼についてどんな練習をしているのか、話していた そこにおっさんが割り込んできた。
どうせそのうちこいつは潰れるだろ。とかいいだしだ。
あ また言い出した、と思った。この人は大昔から型破りなことをする人や枠に捕らわれず自由にチャレンジする
ユニークなものに対して否定するところがある 我慢 我慢の人生でやりたいことを何一つ出来なかった為か
自由に破天荒にチャレンジする人や事柄に対して否定的な態度や言動をするのだ。
自分も幼いころから無言の否定エネルギーを浴び続けて育ってしまった ワクワクすること楽しそうなこと、
新しいこと誰もやったことが無いことに取り組もうとする時 いつもこのどーんと重苦しい無言の否定エネルギー
を受け続けてきた。
だからそんな事を初めようとする時、いつも罪悪感が先行してモチベーションがグンっと下がる。
だから結局やりたかったスポーツも遊びも全部無意識で辞めてしまった 端からみていて、本当につまらない人生を送っていると思うし狭量な人間だと思う。
環境によってそうなったのか元々の性質なのか解らないが、とにかく物凄く厄介な性格だと感じる
彼の影響を受けると何もかも抑え込んで生きるわけで、チャレンジすらしない体たらくな全くつまらない人生を送ることになるのだ。 彼の口癖は 男らしく だった。
僕は男らしい というのは我慢することだと思いこんで生きてきた
でも今は彼の生き方こそが全く男らしくない生き方だと結論が出ている
しみったれた人間
それが彼なわけで、しみったれた人間は男らしい豪快さとは真逆の人間なのだ 良くわかるなあ
俺にも同級生に寺の息子I上ってやつがいて、
小学校時代から苦手だったな…
誰にでもニコニコ顔で人気者気取りのI上は俺の顔見るといつも遠くから睨んでた。
俺は厨二病が始まりかけた小6くらいのガキが大嫌いでI上はそんな俺の心見透かす様に
何かを感じてたのかも知れない。 I上の悪ぶった態度、ファッションに目覚めた色気ずいた態度は俺を苛立たせてたのは事実 I上の寺という宗教法人の金に物言わせた着飾り、いきがり様、悪ぶりようは見ていて苛々したが
中学に上がるとI上の態度がエスカレート。
趣味の悪い服装、いきがり過ぎた厨二病 見ていてきもち悪かったが ある日I上がゲーセンでケンカ売ってきた
50円貸してくれとしつこく言う。 当時にしても50円という額はセコくて笑ったw
市内でも名の知れた寺の息子が50円貸してくれと凄んでくる
バックがいると強がるヘタレI上らしいいきがり方だった… 俺はたった50円でも貸せば終わりだと踏ん張った。
何故貸さないのかと必死でくらいつくI上…
最後は痺れきらしたのか、「お前下級生に嫌われてるぞ」と捨て台詞。
あれから20年経つが今でも忘れられない
卒業してもI上とは何度も道で出くわした。
よほど俺が気に入らなかったのか知らんが!宗教法人でボロ儲けしているどら息子のI上を思いだすたびヘドが出る
今は飲み屋を経営しているらしいが近々飲みに行って50円貸してやろうと思う
坊主にでもなってりゃ木魚でドタマかちわってやんだがww いつも母親から成績のいい姉と比べられていた
「お姉ちゃんはあんなに勉強できるのに、あんたはどうしてそんなにダメなの」
「あんたなんかにこの家を継がすわけにはいかない、○○(姉)に婿養子もらったほうがまし」
「私もお父さんもいい大学出てるのに、あんたがこんな成績悪いなんておかしい」
「もしかしたら病院で取り違えられたのかしらw」
父親は気にするなと言ってくれていたが、だんだん家に居にくくなって、家を出た
その後
結局姉は医学部を出て勤務医に。そこで知り合った医者の男と結婚。
義兄はそんなにイケメンでもないが、腹が立つほど性格がいい。 >>1 情けないけど同じことしたw
FBはやってないらしいです
I上は流行の最先端いってないと気がすまないタイプみたいで二十歳過ぎになるまで流行の遊び場、流行のお店 流行のスポットで必ず出くわした。
結局 自分ってもんが全くない奴で親の財産で好き放題やってきた人間
どこか特権意識があり、俺の服装やら遊びが気に入らなかったみたいです…
I上の近所を通ると、たまたま向かいの道にI上がいることがあってジーッと遠くから睨んでましたね。
こいつは馬鹿な雄猿で群れないと行動出来ない男でした
やはり背は中の下で女の前で格好つけさせれば天下一品というタイプでした。
やはり同窓会で調子に乗りまくってた様子です 名門クラブでサッカーしていたが怪我でレギュラーになれず腐ってしまった
当時同学年のチームメイトには所謂遊び人が多く、結局インターハイに出場出来なかった。 一番うまいチームメイトもかなりの遊び人で、女、酒、煙草の類いはやりつくしたようなやつだった。
そいつには親友がいて、高校中退にして金持ちのボン。。
筋金入りの遊び人だったやつ。
レギュラーにもなれず腐ってた俺はそいつに尊敬心抱くようになりいつしか遊び仲間になっていた 幼稚園の頃、家族で遊園地に行ったとき、
ソフトクリームを買ってもらったのだが、
暑い日で、あっという間に解け始めた。
持っていた手に垂れてきたのを舐めようとして、
手を傾けた途端にクリームの部分が下に落ちてしまった。
焼けたアスファルトの上で見る見る間に解けていき、
白っぽいシミになってしまった。
親に訴えかけるような視線を送ったが無視された。
「男はちょっとしたことで泣くな」といつも言われていたので、
泣くこともできず、コーンに残ったのを情けない気分で食べた。 ドーテイ卒業する前に部活の先輩にアナルを犯された
不覚にもトコロテンになってしまった
情けなく、悲しかった 格好いい 格好いいとコクってきた女なんかと付き合うんじゃなかった
相手の理想と自分の優越感満たす為に大見得はって息を切らしてたが、冷静に考えたら好きでもない女だった。 7月に、食事で一目惚れしたモデルの女の子。
大好きなタイプで母子家庭。
母親とお店してて優しい女の子だったと思う。
何度かお店に行ってみたが、うまくアプローチ出来なかった。 8月に同じテナントの女から告白され断る理由もなく付き合った。
見かけがちょっとお高く止まっててツンツンしているタイプ。 よくみると美人ではないが、優越感だけでだらだら付き合った。
時間とお金の浪費だった。 当時ストーカーされてた前彼女が居てそいつから逃げ切る為に付き合った感じだ。
居心地は悪くなかったが疲労感はひどかった。
だらだら付き合って二年後 jkと浮気した、だんだんツンツン彼女に冷めてきていた。
付き合って10カ月後には、交差点でストーカー女と出くわした。車からだったが、暗くて重くて気持ち悪かった。
別れて良かったなと思った 。完全に老け込んで悲惨な感じだった 二年後、会社初めてしまいふらふらな帰り道の交差点でモデルの女の子と出会した。
ショックなことにガテン系の彼氏と一緒だった。
この時 はっとして落ち込んだ。
好きでもない女に時間と金を散財し好きでもない寧ろ嫌な仕事の為に時間を奪われている ガテン彼氏とモデル娘は本当に幸せそうに見えた。
それなのに自分と来たらえにかいた様なライフスタイル追い掛け回して
息を切らしている。
好きでもない女の為に職を変え、無理矢理ヒーローになろうとしても無理有りすぎで疲労感がひどい。
一気にモチベーション下がったがあとに退けない。 夏にオープンだったが、だんだん嫌になって来てた。
やっぱり好きでもない恋人と理解も承認も無しで、ただ稼ぐ為だけの会社を始める訳だから、不幸でしかない。
モデルの苦労人彼女をものに出来たガテン系は最高に幸せだろうな と思った そんなに頑張らなくても、、
外見とライフスタイルを完璧なってこだわって挙げ句、愛想愛嬌ないツンツンお高い女とだらだら付き合ってる俺は死ぬほど格好悪く全く満たされてない。 中学生の時、自由研究の提出があった。
俺は、波紋の研究をしようと思っていた。
そのことを同じ部活のAに話した。
一ヶ月かけて研究した波紋の研究は、自分でも良い出来であったと思う。
しかし、始業式の日に高熱を出して俺は3日間休んでしまった。
学校に行ってみると、Aの自由研究が素晴らしいと評判になっていた。
それは、俺と同じ波紋の研究だった。
研究テーマを決めた理由、研究方法何もかもが、俺が話した内容と一緒だった。 Aに問い詰めようとしたところ、Aの作品が地区の研究発表会に出展されることが決まった、親が物理の先生で殆ど親にやってもらったのにラッキーだったと言われた。
俺が、波紋の研究について語ったことは、Aはすっかり忘れていて、自分で考えてたと思っているようだった。
俺は唖然としてその場でAの話を聞いていた。
Aの最後の一言が、発表会でプロジェクターを使うんだ。お前、パソコン得意だろ?
スライドショー作ってくれよ。だった。 俺は、返事は何もせず、ただ立ちすくんでいたが、それが肯定だと思われ、先生から、頼んだぞと言われ、あれよあれよと研究発表会に一緒に出た。
結果、最優秀賞をとった。
全国まで研究発表は進み、そこでは賞は取れなかった。
俺は、Aと一緒に賞状をもらった。
Aがありがとなって言った顔が忘れられない。
帰った後、賞状と俺の自由研究を破り捨てた。 よくよく考えてみたら、中イがかなりの邪魔してきたな
『お願いだから先生の連絡先を教えないでくれ』
などと宣い
そんな中で必死でさがした。
紹介してもらった手前強気に出れない
かなり鬱陶しい人間だが、揉めると全てが水の泡になる。
理不尽でも我慢して探さないと行けない。問題はここ なのにこのおっさん、
見つかりましたか?
どうでしたか?と必死でせかしてくる
口では綺麗ごと述べても結果だけを得たい 自分の手柄にしたいと思っているはず 本当に結果だしてあげたいと考えているなら
あんなに急かしたり、理不尽な要求したりはしない。
自分が信心してる本尊の教えの強迫観念で人だすけせねばと言う根拠から
の言動なので全く思いやりがない。
人のことを考えずに妄信的になってるが故に自分が宗教依存せざるを得ないことに気付いていない
最も危険なタイプだ 例えるなら、全てを調整した結果貴方には癌がありました。
でも何処に癌があるかはわかりません。
とにかく医者を探して、とりあえずメスを入れて貰い癌を切除して貰ってください。
それと私(治療家)は、素人であり医者と私の見解を話し合うことは出来ませんしまたその知識もありません。
とにかく医者を探してください。
私 『は?』
医者『は?』
治療家
『では ご検討をお祈りします さよなら』
私『へ?』
医者『???』 浮浪者に衣服、食事、その他与えても無駄だと知った
好きで浮浪者してる訳で、何の向上心もないからね…
但し その浮浪者に家庭があった場合ただ事ではない訳で、、 病気になって寝たきりに近かった時
友人から、私にとっておきの療法があるなどと言われ、気持ちが嬉しくて出かけたら
マルチビジネスの勧誘だった…
正直かなりへこんだ。
で あれから人が信用出来ない 自分が高2のとき母親が新興宗教にはまって家の貯金をつぎ込んだ(1000万円くらい)
親父は怒って、離婚するって騒ぐし、それどころか、その宗教法人に殴り込みに行くとブチ切れ
母親の実家の両親が家に来て「お金は私どもが払いますから許してやってください」といって土下座する始末
当人の母親は母親で「家族の幸せを思って出したお金」と譲らない
それまで順風満帆だった家庭がガタガタを崩れていくのを目の当たりにした
当時父親は40代前半で大手企業の部長に昇進、将来の役員候補の一人、といっても仕事一筋というわけでもなく、休日は家族サービスを怠らないいい父親だった
母親は専業主婦で家事にはいっさい手を抜かず、家はいつもピカピカ、料理も上手で、息子の自分がいうのもなんだが、自慢の母親だった
自分は県下トップの高校に進学し、東大は少し厳しいが、早慶や東工大レベルなら確実、部活でもバスケ部のレギュラー
年子の妹は自分よりもさらに出来がよく、自分と同じ高校で学年10位以内で、国立の医学部を狙える成績だった
両方の実家のとりなしで、騒ぎは収まったが、それ以降家族の間がなんとなくよそよそしい感じになった
妹が自殺未遂(鎮痛剤を大量服用)を起こし、父親は仕事で失敗したのか出世コースから外れたようだった ホーケーが普通の珍固と思ってた
親父も兄貴もホーケーだったから
高校の部活の合宿で自分と違う珍固のやつをみて
「こいつ病気だなかわいそうに」と思っていた
自分のほうがおかしいと気づいて死にたくなった >>760
守銭奴みたいな新興宗教はほんとクソだと思うよ。
あなたの幸せのためといって、
不幸にしてきた人間がどれくらいいることか。
付き合って婚約寸前までいった彼女が、ある新興宗教にはまっていて、
月に10万くらいお布施していると知った時は悲しかったな。
彼女への愛は残っていたけど、
このままでは自分の家族も巻き込まれると思い、心を鬼にして別れたんだ。 近所の親切なおばさんだと思ってた人が、実は草加で、
誘われて、うちの親がどんどんハマっていったこと
大学に入ったら、選挙前に中学高校の同級生に電話させられて嫌だった >>760
それまでのあまりにも順風満帆なあなたとその家族に対して
神様がバランスをとったんだよ
別に人が死んだわけじゃないし、あなたより不幸な人はいくらでもいる 大学に入学するも、貧乏でアルバイト代は
全て洋服代につぎ込んだ。
丁度夏休みの今頃、やることもなく川で知り合った同い年くらいの大学生バックパッカー
を家に泊めてやる約束をし数時間後にまた待ち合わせ場所の映画館に行く予定だったが母親から
ダメ出し喰らった
数ヶ月後、従兄弟の王子様のナンパした南米外タレ女を夕食接待するというとんでも愚行に出た両親
従兄弟王子様はポルシェに乗ってくる始末。 この時の怒り。
何故俺が知り合ったバックパッカーは拒んで
、従兄弟王子様のナンパ外タレなら許されんの?しかも従兄弟王子様の糞会社に大学生アルバイト並の給料で雇われ
ボロ屋敷にすまされてる俺ら息子に労いどころか邪険にするのかよ
wwwwwww >>766何を基準に〜より不幸とか言ってるわけ?
馬鹿かよ そういえば、私の父親は、酒を飲んで酔うたびに「劣等感を持つな、劣等感を持つな」と、私が中学生時分から繰り返していたが、
それは彼自身が深刻な劣等感にさいなまれていた証拠だろう。自分にあるものを、あたかもないかのようにふるまうために、私や他の人たちに放言していたのだと今はわかる 高校の不良仲間ん家に二十歳になって遊びに行った時に、
友人数名の前で何故か、友人のばばあに言われた一言
か「自立しないで甘えてるのはあんただけやね〜」みたいなこと言われた事 そのババアからすれば、
高卒で働いてる友人数名が頼もしかったらしく、ハイテンション気味にそんなこと言い出した
この友人、地元の地場産業の大社長の二号の息子、
つまりこのババアは二号であり本妻ではない。きっと女手一つでそいつを育て、一人前にした喜びひとしおって
感じ何だろうが大学通ってる俺への恨みがましい気持ちから吐き捨てた言葉が上記の言葉。
きっと低学歴で苦労して、パンパンか水商売の世界で大社長に見初められ二号妻になったんだろうが
狭い狭い世界で生きてきた挙句、大学生を憎むみたいな発想になったらしい
にしてもいまだにこのババアが吐き捨てた言葉が忘れられない
目付きとか見下された感がトラウマ また、その一方で、お父さんの存在を補おうとする場合もあります。
このケースでは、お父さんを反面教師にしますので、お父さんができなかったことを家族や彼女、周りの人に与えようとするようになります。
だから頼もしい反面、お父さんをバカにしてしまうことがあります。
これは男性を軽蔑したり、バカにしてしまう行動に現れたり、同性が苦手になってしまうことも少なからずあろうかと思います。
ちょっと肩肘張ったタイプになるんですね。
ところが、このほとんどがお父さんへのあてつけのようになるので、ついつい犠牲をたくさんしてしまい、いっぱいいっぱいになってしまうこともあるんですね。
それはまるで子どもなのに大人の荷物をいっぱい持とうとしているように映るもので、周りの人から見るととても危なっかしい印象を与えます。
でも、自分がしなければ、と思う分だけ、周りに助けを求めることはできなくなりますから、そこをサポートしてあげることが大切です。 子供の頃親がケチで厳しくて欲しい物買って貰えなかった
お兄さんだから我慢しなさい
そんな物そのうち要らなくなる
下の兄弟は何でも買ってもらえた
無断でプチ家出して電車に乗って親戚の家に泊まりに行った
親戚の人がいつも買ってくれた
数十年経っても買ってもらえなかったもの
無断で捨てられたもの
悔しかった物鮮明に覚えてる
昭和のレトロ店で見つけると意地でも買ってしまう 自由を奪われた経験。
学生時代、川で知り合ったバックパッカーと仲良くなりその日に泊めてあげる約束をした。
南○に夜迎えに行く約束してなんとも言えない嬉しさと学生時代の思い出作りにわくわくした。
帰って恐る恐る母親に相談した。「だめ」一言で終わった。
何でなんだよ。空港で拾った見ず知らずの外人には晩餐もてなしをして、ちやほやもてはやし 何が違う?
何で?何で?何で? あいつだって他人だし おっさんが頼まれ断り切れず
必死で夕食のレパートリー作りまくって あんな何処の外人だかわけわからんやつに持て成しまくって
こんな差別信じられん。我が子を蔑ろにし他人を持て囃す最悪親 >>1 30年前だと物価あまり変わんないで100万なんてたいしたことないじゃん
50年前なら相当な価値だったけどw 金玉の小さな親父さんだなw
わしの悲しい思い出は
高校時代好きになった子が三股かけてると知った時 リトルリーグで俺の方が上手だったのに
監督に金を渡していた金持ちの息子がレギュラーになった
しかもそいつによる執拗ないじめにあいチームをやめた
中学は野球部がなく、高校で野球部に入ったが
3年のブランクは埋めがたく、控えで終わってしまった
大学4年の秋、ニュースでその金持ちの息子がドラ5で
プロ入団したのを知った時が一番悲しかった リトルリーグで俺の方が上手だったのに
監督に金を渡していた金持ちの息子がレギュラーになった
しかもそいつによる執拗ないじめにあいチームをやめた
中学は野球部がなく、高校で野球部に入ったが
3年のブランクは埋めがたく、控えで終わってしまった
大学4年の秋、ニュースでその金持ちの息子がドラ5で
プロ入団したのを知った時が一番悲しかった 2回入ってしまったスマソ
ついでにいうとそいつはプロでは2年持たずやめた
親に建ててもらったマンションの1室に住んで
家賃収入で遊んで暮らしてるらしい レギュラーの座を奪われた時にまず悲しく
いじめられてやめることになった時にも悲しく
金で奪った地位でプロ入団まで行ったことを知ってさらに悲しく
たった2年でやめたけどその後金に困らず遊んでると知ってとどめをされた >>859-862
ウジウジしてるお前は金持ちのクズがいなかったとしても大成しなかっただろう 台風で家を流された
家が無くなったことよりも買ってもらったばかりの超合金ロボが流されたのが悲しかった
家は結構金持ちで近所にマンションをもっていたので、そこの一室に仮住まいして
しばらくして新しい家も建ったけど、バタバタしてたのでもう一度超合金ロボを買ってと言い出せなかった 凄く尊敬していた先生が
痴漢で逮捕され懲戒免職になった
中学の時のこと >>1
親父がしみったれた人間だと苦労しますね
うちのは学校も行かせて貰えずバイト代を祖父に渡してたらしく、価値観が変だった…
ガキの頃、珍しくバッティングセンターに行こうか?などと言われたので喜んでいたら、
お前金出せよなどと言い出した。
お金無いから断わったら逆切れしながら吐き捨てる様な態度をされた。
この時からずっと自分が悪いんだと思ってたが、今になって奴の器小ささに吐き気する
多分寝たきりの祖父から学校も行かせて貰えずアルバイトやらされ、日当を毎日取り上げられてたせいか、
子供に何かしてやるっていう
基本的なことも、出来ないらしかった
こんな風にした祖父の供養てやる必要あんのかな >>778なんか似た様な経験ある
ジャンルは全然違うが君とは似てる気がする 長い間2chして無かったんだけどさっきあっち覗いたらスレタイが
あなただったから思わず書き込んだ。
ごめんな ほんと、無事で良かった
まさかとは思うけれど、いろんなニュースが有ったから心配していたのよ
押さえきれない気持ち言ってた頃だったし ニュース?
ヤバイ系かな w
どんなの? 僕はそんなことする気力も無かったよ まあ、ヤバい気力は無い方が良い訳だけどw
心配性なの、もう気にしないでw
でも前より何だか元気そうな感じがするよ
吹っ切れた所もあるのかな、訳分かったことで 小学3年生当時応援してた近鉄バファローズがリーグ優勝!
日本シリーズで巨人相手に3連勝!
楽勝で日本一じゃん!と思いきや…そこからまさかまさかの4連敗…
小学生ながらあの日本シリーズは非常に悲しい思い出になった… 就職して1年半、やっとためた頭金50万+200万のローンで買ったばかりの車を盗まれたorz
納車からわずか2日目、15キロしか走ってなかった
盗難保険も入ってなかったし、車が無くなったので、ローンの一括返済も求められ最悪だった
親も貧乏だったので頼れず、友人や大学の先輩に頭を下げまくって工面した
幸い、みんな気の毒がって利息はいいよと言ってくれた
それから5年かけて返済した(泣)
バブル絶頂期でみんな車持ってたので悲しかったなあ 弟とどちらのファミコンソフトで遊ぶか喧嘩してたら、表でゴミ燃やしていたオヤジがこっちへ来て
ファミコンの本体を取り上げて、表で燃やしていたゴミの中へ放り込み燃やしやがった
それでお前のせいだ、いやお前だと喧嘩していたら、今度は思い切り殴られた 初めてのキスの時、彼女の口が臭かった
急に気持ちも冷めてしばらくして別れた
ニンニクくさかったわけではないけど
後に彼女が在日と知った
初キスが在日の口臭女と思ったら悲しかった >>798
俺は初めて買った株が翌日民事再生orz
10万くらいだったけど、以後怖くて投資には手を出してない 子供のための定期預金を嫁が勝手に解約して
生活に困窮していた友人に渡していた
嫁は専業主婦
結局離婚した いくら探しても見つからない物が何年!何十年も経過してから親の部屋から発掘した
黙って借用→借りたこと忘れ→大掃除で出てくる
泥ボーだよ
数十年前の期限が切れた宝くじ当選券や大切な写真とか出てきた 給食センターの配送トラックが事故って給食全滅
何も食べられずに午後を過ごす羽目に 中学校時代にチャラ軍団の男Aと女Bが授業中に誰々は恋愛対象としてどうかっていう話をしてた。
男A「じゃあ手始めに○○(俺の名前)はどう思う?」
女B「生理的に無理。あいつ変態の顔してる、キモイ。」と即答。
男A「ははは。だってさドンマイ。」俺に話しかける。
その時は生理的の意味とかが分からず、とりあえず笑ってごまかした。
今思い出せば、まぁまぁ酷いことを言われてたんだなって悲しくなる。 買ったばっかりのハイエースを親戚のオッサンに貸したら事故られた
保険を家族限定にはしてなかったので、保険金は下りたけど
事故車になるわ、保険の等級は下がるわで泣きたかった
オッサンは「わりいな、まあ保険下りるし」の一言ですましやがった
なぐってやろうかと思った >>808と同じ経験あり
ビンボーな幼なじみに貸して自損事故で廃車になったorz 結婚前提に付き合ってた奴がいた
と言っても向こうがそうで自分は迷っていた
五年近く金の為に働き貧乏を抜け出したばかりだった 保険もかけてあった。
もし興味持たれなくて振られても良いように本心はあかさなかった。
あくまで根性試しのゲームとしては最高の環境だった。
ドキドキしながらゲームを仕掛けた。 あの日声をかけ、友人の家で一緒に寝た日のよるシーツに包まってキツく抱きついてきた時程胸高鳴ったことは無かった。
恐る恐る電話をしたら大声でウェルカムの声をあげてきた彼女。
早速約束を取り付け 再度マンションの外の公衆電話から着いたと告げた
彼女が迎えに来て2人でリカーショップで買い物 酒とお菓子をいっぱい買い込み彼女の部屋で二人飲み。
大いに盛り上がった後 緊張も解れベッドに寝る俺
ちかずいてきた彼女をゆっくり押し倒し セーターブラをたくし上げ乳房を愛撫してペッティングに持ち込んだら抵抗は何も無し
されるがままに半裸になりお互いの身体を愛撫した 程なく2人は全裸になり合体した 5年間音信不通だった、中学校の友人から手紙が来て、
何度か電話で話した後、もう一度会おうという話になった矢先
その友人が突然行方不明になった
オウムに連れ去られたのではないかと噂されていたが
真相は明らかにならないまま、20年が過ぎた 信頼していた先生が痴漢で逮捕され二度と教壇に戻ってこなかった 中学の時になぜか腹パンされた。
当方女、相手も女。
ヤンキーでもなくいじめられっ子でもなく、なんかよくわからないけど突然。
最近思い出して悲しい。
嫌な思い出。 殆どが作話と嘘だったなんて考えると怒りより落ち込みが酷い。
丁度一年ほど前2014 9 あたりからかなりおかしかった。
元々心の奥では警戒と疑いあったと思う。 変な話多すぎたし
愚痴にしか聞こえない少し気持ち悪い話がとても多かった。 胡散臭さもあったし、何かに操られてるのか?
何度も気にはなっていた
何かこう自分と違うものによって話をされてる感じ満載だった 口だけ。
まさにそれに等しい人であったし、将来に渡って信用できる様な人とは考えがたかったな 近所の悪ガキが家に石をぶん投げてガラスを割りやがった
「コラー」
『アッカンベー 悔しかったら捕まえてみ〜ろ!』
『あ、あっ!』
キキーッ!! ドン! グチャ…
…ピーポーピーポー
ほぼ即死だった…轢いたのはよりによって悪ガキのオヤジ…
オヤジは廃人化、悪ガキのオカンは発狂… P35.cgi (Perl,SJIS) 2015/11/18 FOX.
>&ft;1 元のスレ
../mukashi/dat/1063022227.dat
P35 昔の悲しい思い出ってあるか?
353699 -> 263265 (バイト)
P35 テストに夢中。これ以降書いても消えちゃうかも
いつ起こったのか。は 引越ししてからとしか言えない。
事業スタートしてからというかする前から嫌な予感、夢は何もなく兎に角持ってる技能を生かして金儲けできるかも、というのともう一つのやりたい事に対しての
保険をかける意味で考えた。 恋人への体裁と貯蓄減る怖さ、情けないとこ見られたくない思いから前職へ舞い戻り
また稼げた気持ちとその職場でピンハネ搾取される馬鹿らしさからまた火が着いて焦りでて始めるに至った。
もう昔と違い出来るだけ楽したかったあの時みたいに稼げるが他のことする時間ない事が馬鹿らしかったのと
忙しくする事で 相手と会う時間を減らして行きたかった 会うの疲れてたし、
忙しいと言う大義名分で会う時間無くなる事を望んでいた 回避依存的に。
一気に別れるとなれば 依存対象を無くす事になる恐怖しんがあり付かず離れずの状態を作りたかったのだと思う。
忙しくすることで問題から目を逸らし逃げて居たのだと思う。 相手には褒めてもらう事によるエネチャージしか求めて居なかったし、
そのために金が必要だった、そしてそこまで愛しては居なかったと思う。 何と無く冷めて来てたのはオープン2ヶ月前の浮気で明白だし、本当は事業もせず したいワークだけに絞る為
別れれば良かったと考える。 たらればにはなるが。 余計なプレッシャー抱えただけになった感が否めない。
結局オープンしてからは 想像絶するハードさで責任持たされる上 それに見あった収入もない。
思った通り周囲は動かない。うまく利用を考えたパートナーも最悪でミイラ取りがミイラ化して行った
潜在するする不安とプレッシャーは想像以上で不眠と神経がおかしくなった七月。 もう既に数ヶ月で「こんな事なら何処かで条件付き雇われ勤務しとけば良かった」と思うようになった
相手との関係もかなりおかしくなり トラブルエピソードは尽きなかった
代表的なのは夏のデート中に ガレージ閉じ込めの件で イラつかれ 女は怒り出す、男はイライラモードで帰って来いと無茶を言い出す展開になった事などだ。
もうこの時心身共に悲鳴をあげていた。
アルコールと煙草がどんどん増えていき
休日もぐったりしていたにもかかわらず
もう一つのビジネスを同時にしていた。
女サービス、 会社の駒動かない苛立ち、
もうひとつの仕事の儲からなさ。
どれも何も充実とは程遠い感じであった
これが自分を見失い続けた 根本にある気がしている 名前を言えば全国的に誰もが知ってる有名私立進学校に合格したが、
合格直後父親がリストラ、入学辞退して公立を受けなおしたが、
プライドがあって受験した県下トップ校は、不合格だった
結局、二次募集していたレベルの低い工業高校に進学することになった 本当はやりたく無かったことを思い切ってカミングアウトしたら ブチ切れられた、、
「そうだったの?ごめんね 知らなくて。
ごめんね しんどかったでしょう?」
くらい言ってくれたら全てを許せたかもしれないのに。
遠い従兄弟かなんかの息子を引き合いに出し夕食時嬉しそうに話だした時に便乗したら「あんたやりたく無かったんでしょ!」ときた。
ああ こいつのコントロール法はずっとこれで「私の思うままに動かないと屈辱与えるよ!」と言わんばかりだ。
この論法に負けて自分失ってきた訳だけど
ひょっとしたら母はこういう事を延々無意識でしているのかもしれない気づいてないとも言える >>823 これがこいつのコントロールの手法なのかと大人になって随分経ってから、
しかも地獄を味あわせられた後に気づく事になる 絶妙なコンビネーションだ
父の度重なる関心度の低さと無視、
母親の異常な鑑賞と他者比較。
最終的にその青年は怠けて稼がない父親の生活負担を巧妙な形でさせられる羽目になる。
「かわいそうな父親を支える私 かわいそうな男を救済する私」をもっと美化する為子供まで利用して来た女
それがまぎれもない私の母親である
そこに乗っかって悪びれる様子も無い腑抜け親父はもっとタチが悪インダだが 野球が好きなのかなんなのか分からないおじさんにはなりたくなかった 小学生の時にちょっとした事で直ぐに暴力を振るうヤツが居た
学級会でこの問題が提起されたがヤツが大暴れで話にならなかった
翌日、母親がやってきてヤツは一緒に謝罪した
更に翌日からヤツは学校に来なくなった
先生が「家庭の事情で急に引っ越した」と、話したが子供騙しの嘘だった
ヤツの家の前にパトカーが止まっていたのだから子供でも“何かあった”って
直ぐに判ったよ。一家心中だった 自分で言うのも憚れるが結構モテた上に女好きだった。
周りからはシャイなのにモテるクールな奴という時代もあったかも知れないが
実際は高校になっても彼女が出来なかった。 理由は親がDQNで
しかも酷いビンボーだった事。そんなわけでやりたくもない事しながらも殆どオナ猿の生活
彼女が出来そうになっても貧乏長屋に連れて来る事も出来ず、悶々としていた
しかしなんとか教師兼監督推薦により大学を奨学金で入学する。
そこでは見た事ない世界があり近寄りがたい学内No. 1セレブ美人女子の先輩からお誘いを受けるも
今の一歩踏み込めず気まずい関係で縁を持つ事が出来なかった。
狭い環境の学校な為 誰か女にをつければ直ぐに学内の噂になる。
自分の出目がバレることを恐れて積極的に慣れず二十歳まで童貞だった >>827俺も似た感じ。
焦ってテレクラでヤリマン釣って捨てたが 後にも先にも無いほど臭かった。 俺も少しわかる 俺は令嬢チックなのに憧れていて。 教育関連の仕事した時講師募集でちょっとセレブ大学行ったことがあり登録の時少し話して
一目惚れした美形でお洒落な女子大生をそのよく年連絡して口説いた
その時の俺は鬱の薬飲んで二日目で余計にテンション上がってたのかよくあんな大胆に口説いたと思う 酒の勢いもあってデートに誘ったらなんと地元の有名名士の娘。 しかしダメもとでデートして
後日連絡したらその子酔ってて。
なんと無く向かいに行く約束したらオッケー貰い そのまま勢いでカーセックスまで行った
あの有名名士の娘がこんな簡単に股開くとは思って無かったし しかも車で半分着たまま交尾という淫らな事をやってしまった自分に萌えた。
若い頃からそういう奴らにコンプあったしなんと無くしてやったりの優越で余計に萌えた
ボンボンで有名私学志望の弟がいて、そいつに見つから無いように下半身だけ裸で性器と性器をぶつけあったが
もし弟に見つかって セレブな穴がオトコと車でこんな淫乱なプレイしているところを見たらなんて思うだろう
見つかって弟が自分の最愛のセレブ姉が組み敷かれ突き上げられアンアン悶えてるさまを見てショック受けたら余計に面白いだろななどと妄想しながら
そんな令嬢をもっともっと穴みたいに調教しておけばよかったなと少しばかり後悔の日々 この時期になると思い出すな
お年玉を父親に取り上げられ、遊興費に使われてたこと 正月の3日に隣家の火事が延焼し家が全焼
お年玉もすべて焼けた
火災保険入ってたのですぐ再建できたが
思い出がすべて灰になった
鍋を火にかけっぱなしで出かけた
隣のオヤジ頃してやりたい とある売れないアイドル(それでもかなりかわいい)と付き合って
ホテル行ってクンニしたらめっさ臭かった そのアイドル今はほぼエキストラレベルの脇役女優
(役名はあったりなかったり、名前が出たり出なかったり)
テレビで見るたびに気分が悪くなる 隣の家の脱衣籠から盗んだ若奥さんのしみつきパンティをオヤジに持っていかれた 学校で毎日のようにいじめっ子集団から殴られて、
それでも親から「お前はノロいから苛められやすいんだ」と言われてたので相談できなかったこと。
まあ親から普段叩かれてたり外にしょっちゅう立たされてたから八方塞がりだったわけで 子供の頃から憧れていたスポーツ選手が引っ越しして入学した高校のコーチになっていた
子供の頃サインして欲しいくらい憧れた人だったので緊張した。 二年生でそのコーチからレギュラーを言い出された時は
天にも登る気持ちだったが
一つ下の学年に超高校級が入学してきて
直ぐにレギュラー奪われた
その辺りから相手にされなくなり 怪我で入院した三年の時は殆ど無視。
退院後はマネージャーみたいな役割をさせられた上 ある日そのコーチから言われた言葉が忘れられない。 役立たずだな
お前は.、、と。
ショックだった 子供の時憧れ抜いた人間からは相手にもされず無視された挙句 最後に吐かれた言葉が役立たず。
その時期から何故かそいつをずっと恨んでいる自分がいる。 この辺りから自己が肥大してこいつを見返して見下してやりたい願望がふつふつと湧き上がり大人になった。 Nくん 敢えてそう呼ばせて貰うよ。
Nくん君は絶対してはならない事をしてしまったね。 それは何かと言うと信頼して居た人間を無残に裏切った
貴方の職種では絶対してはいけない事をしたんですよ
貴方の今の状況。完全に自業自得です。
いつだったか貴方言いましたよね。
隣の人に便乗されるようにプロですから!と。 一体何がプロなんすかね?
笑わせるなと言いたいですよ。
いつも事あるごとに被害者意識的な過去の話してましたがこっちは黙って聞いてあげてたのですよ
しかも大金を払って。 徳を使って割引サービスとか馬鹿丸出しの事言ってましたね
あんたの話は全て妄想と虚像なんですよ
そして自己満足それがあなたなんです 昔、客先でのプレゼンで上司が書いた原稿の
「一朝一夕でのビジネスモデルの転換は困難〜」というくだりを
「“いちあさーた”での・・・」の読んでしまい、読んだ直後に気づいたが、
それから後、頭が真っ白になってしまい、顧客の失笑と・・・
上司のひきつった顔が忘れられない
当時勤めてた会社も客先ももう今はないけど 結局 もう逃げても認めないといけない現実があると思っている
自己愛の原因 これは母親だ。
彼女は無意識にしてきたかもしれないが
過保護で依存させる風にいつもしてきたのだろう。 それで常に現実社会とのギャップに苦しみ 色んな依存症へ向かった
最後は自分が頑張った財産まで持ってかれた そして腑抜けにされたと思う
自立させて貰えない事への苛立ちが実はいつもあったと思う
ある従兄弟への賞賛と比較で 結果的に彼へ競争心を植え付けたのも彼女だった。
いつも可哀想だと思ってきた。助けてやらないとと。 悲しいことばかりかな。
中学では特に目立つ事もなく 2年の時は部活で粗相起こして全員から無視…
あれは本当きつかった 当時自分は捻くれていたんだろな 特権意識つよく
大した事ないのに 色々周囲を見下していた 同窓生がみな幼稚に思えたんだよ
こっちは趣味も大人だし、
大学生くらいの意識持ってんのに 奴らは子供としか思えなかった
そして日曜は別のクラブでバリバリやってるのにこいつらのガキぶりが鼻についた
というかそのオタククラブがそういうものの集まりだったとも言える
嫌で仕方なかったのでぶち壊した で、毎日部室行っても全員無視は応えたな。まあそのまま結局行かなくなって三年になったと思う
日曜は別の世界に生きていてこっちは仮の世界だと思っていた。
日曜は花形ポジションを与えられ そのあたりから 土日は自転車に乗って北の街を徘徊する日々が続いた中3 中3のクラスはみな大人で
女の子も大人びていて
男連中もなかなかな奴が多かった 担任も好きだった 心残りは部活のオタクの変な奴らだけ。
数人気の合う仲間も出来 俺は音楽、日曜の別の世界、ファッションなどかなり凝っていった
この頃が一番平和で穏やかないい時代だったと思う。 時節柄お年玉ネタいっときます。
兄貴が夜中にコッソリと部屋の中に入ってきて、学習机の引き出しの中のお年玉の一部を盗んでいった。
兄貴はずるい奴で、全部抜くとバレるので、3000円のうち1000円を抜くとかしていて、トータルで1万円くらい盗られていた。
なんかあったらすぐに殴る兄貴だったので、怖くて声に出せなかった。
翌日、兄貴が出かけてから、親にそのことを訴えたら、「あんたの見間違えじゃないの?」と取り合ってもらえなかった。
俺には乱暴だったけど、イケメンで成績もよく、その後、国立大の法学部から弁護士になった兄貴
Fラン大中退で、専門学校に入り直し、派遣社員のITドカタ、手取り月20万の俺
正月に甥っ子(姉貴の子供)やいとこの子供にに渡すお年玉は兄貴はだいたい諭吉、俺は生活も苦しいので、英世1〜3枚
神様は不公平だよ 一週間ほど前だったかな、突然親父が
食事中ベラベラ話しをし出した。
その前に俺が 岩塩やら皇帝塩やらいい波長の塩の話しをしたのがまずかったのだが。。。
フランケンみたいな奴おったよなーーとか言い出した 弟は九州行ったなど ふーんという様な。。 俺は一瞬でなんの誰のこと行ってるのかわかったから無視してやった
俺「早く黙れよ!クソ親父!」と心で何度も呟いた、、しかし親父は話しを辞めない
おもろい奴ちゃw とか母親にまで喚いていた。
俺、心の中で「またか。。。」と呟いた
しかし本当に偶然とは思えないほどこの糞親父は俺が嫌がることを言うよな
俺を怒らせる為に存在してんのか?と思うくらい的確に俺が最も嫌な話をセレクトしてくるおっさん
いっそのこと「あのさ、俺。そいつこの世の中で何本かの指に入るくらい虫酸走るくらい嫌いなんだけど何か?」
と何度も過去にも分からせようとしたが
実際はしていない。
大昔なら付き合いで嘘をついてでも あいつおもろいよなー的話合わせをしてやったかもだが今はもうそんな気もない。
つくづく思うのは おまえが面白いとか言ってる馬鹿の大半は俺にとって興味のかけらもなく、
寧ろ死ぬほど嫌いなことが多いということ。というか眼中になく見下しているタイプの連中なんだわ。
そこまで思って居てもなお母親にあいつ名前なんやったけ?などしつこくほざいてたわ。母親は察してかわからないが
知らんと言っていた。
それで助かった 母親が下手にまさかあいつ?と閃いて名前言われてたらこの食卓は地獄だった
この話題出てからさっさと切り上げて急ピッチで別の部屋へ行った、、
これでも気づかないとしたらこのおっさんはもう脳味噌腐ってるな。。とまで思ったほど 高校時代、好きな子がいて、何人かで一緒に遊びに行く程度には親しかった。
近くであった花火大会に行こうと誘ったところ、「塾の補講にかかっていけないの、行きたかったんだけどごめんね」と断られた。
で、家族で花火大会に行ったのだが、その子が、男と手をつないで歩いているのを見かけてしまった。
相手がいたことよりも、嘘をつかれたことがものすごく悲しかった。 中学の時、クラスにKという先生にすごく気に入られているやつがいた
高校受験で志望校を決める時に、たまたま俺とKは同じM高校を志望した
俺は模試では上位一桁に入っていて、ほぼ確実だった
M高校の志望理由は、そこのバレー部がインターハイの常連だったから
面談で「君は問題ない」と言われるかと思ったら
「KもM高を志望してるの知ってるだろ、お前の成績だったら一つ上のS高にしろ」といきなり言われた
俺は「Kがどうなろうと関係ないですよ。M高のバレー部に入りたいんです」と訴えたが
「お前のバレー部は3年間だが、Kにとっては一生のことなんだ」としつこく説得された
結局、内申を下げるとか脅されてS高を受験することになったが、不合格で併願の私学へ
その私学のバレー部は弱小で3年間つまらなかった
KもM高に受からず、併願の私学に行ったが、いじめられて暗い青春を送ったらしい 25年前の正月明けに、父親が飲酒運転で人をはねて、会社を懲戒免職になった。
母親とは離婚して音信不通になってたのだが、最近どこで俺のことを探してきたのか、
連絡を取ってきて金の無心をしてきやがった。
実は俺は仮想通貨で億り人になった一人なのだが、あの父親には一銭もやらん。 高1の頃、好きな娘と話す機会があったのに邪魔された。
なんでお前と一緒に行動しないとならんの? 話せる機会があると邪魔しにくる
普段は話さないのにね 類じゃないのによってくる
何故分からないのかが分からない
高校生にもなって自転車ぐらいまともに乗れないの? 小6の夏休みが終わって学校に行ったら、片想いだった明美ちゃんが来てなかった
体調が悪いのかと思っていたが、先生から家庭に不幸があってしばらく休むと説明があった
2週間しても出てこず、遠方に転校するということだった
明美ちゃんのことは次第に忘れたが、後年同窓会で集まった時に話題になり
父親が暴行で逮捕されて、両親が離婚して母親の実家に引っ越したと聞いた メルカリ支払い
ギターケース、白倍
ギター運び。マンション二本
本日無ければ明日、楽祭
住宅申し込み。 二年半ぶりに会ったわけだけど、どんどん酷くなっていた…
そしてまあ喧嘩でも無いのだが喧嘩みたいになった。もう本当…今回だけは本当の本当にこいつには三行半だ。
出来たら一生関りたく無いので連絡も辞めて欲しいと切に願う。
自分が病気してなかったとしても恐らく縁は切れてただろうし、切った方が良い相手。
この状況じゃなかったとしても、カルト入信した段階でもう関わりは経った方が良い人間だとはっきりわかった。
もうこっち見るな状態である。
本当に本当に嫌なエネルギー出してる奴だ。
もう目つきとか顔色、話口調とかあり得ないくらい気持ち悪い
過去こいつに散々やられてきたよね。そおいえば。
27だったかの誕生日だったかな、、、また変なキレ方されてその後もの凄くケチくさいビザで祝われた。
あれほど虚しい日もなかった 総括すると、あれと関わると酷い自己嫌悪に陥るというところだ。
兎に角、、何から何までイライラするし気持ち悪い。実のところ私的にはあいつはあの信仰を死ぬまで続けとけと思っている。 自己憐憫の情を断つには「自分には価値がある。自分が人生の主人公であり、
身の回りで起こること、出会う人は自分が引き寄せている」という主体的な意識が必要です。
また、他人と調和して生きていくには、自分だけに向いている視野を広げ「もしかしたら自分も他人に害を及ぼしているかもしれない」という
、「加害者」の立場から自己を見つめる、大人の視点が必要です。 己憐憫の情を断つには「自分には価値がある。自分が人生の主人公であり、
身の回りで起こること、出会う人は自分が引き寄せている」という主体的な意識が必要です。
また、他人と調和して生きていくには、自分だけに向いている視野を広げ「もしかしたら自分も他人に害を及ぼしているかもしれない」という、「加害者」の立場から自己を見つめる、大人の視点が必要です。
自分の価値を認め、「自分が人生の主人公だ」という強い主体的な意識をもって
、自分が加害者かもしれないという視点から他人と調和して生きた時、本来の自分(ハイヤーセルフ・本体・魂)として生きることになります。 でもさ、、
冷静になると何故あいつと関わると数日間毎回毎回自己嫌悪に陥るんだろな?、、
これ19の時からずっと変わって無いよな。 >>864
ふむ、ケンタッキー前事件とかね。
全然変わってなくて嫌いなら私と関わるな!つう話でさ 兎に角、新しい人との交流を始めようと思う。
過度な期待はせずに。ここが一番大事だ。
なんか過去の人間関係にかなり、落ち込んでる。
元々友達は少ないがその全てが割とみんなキツかったりする。
自分軸がない。 まあしかし、本性あらわした時は怒り出たと同時にやっぱ来たか…とも思った
あの最後の捨て台詞が 今の悪魔に取り憑かれたあいつの本性。
物静かなんてとんでもない恨みと妬みと怒りが
ないまぜになった子犬の本性だ。
一昔前ならフルボコで黙らせていたところだが、アホらしいので留まった。
まあ二十年近くカルトに手を染めた廃人の成れの果てなだろうし、あの下手くそな営業では
元プロの俺に言わせれば一客もお客はものに出来ない
しかしまあ元格下の舎弟みたいな底辺にあんな事言われたのだけは忘れない。
執着はしないが言い放った言葉だけは一生忘れてはならない
そこに無駄な恨み等は一切ない。
しかし東京大阪ずっと行っとけや!と言い放たれ事は無かったことにせずにじーっと記憶しておく。
一度でもあんな事言った奴には こちらは死ぬまで対応は変えない
と言ってももう会う事も無いわけだが。。 恐らくここ十数年。勧誘に失敗し
毎度毎度
嫌われ続けて人が離れて行って孤独になって電話して来た事は容易に想像できる
で本人自身がカルト洗脳されている事にすら気づかず、どんどん腐った歪んだ性格になった事に全く気づいて無いから滑稽だ。
にしてもあのいい草 元いじめられっ子のヘタレが中高年になって調子こいてあんな風になるのかと溜息でるわ
まあ、学生時代から殆どの同級生に嫌われ笑われ見下されて来たやつに
数名の人間が相手してきてやってただけで今回でそれも総崩れなった事は損失なのにそれも気づかねえんだなあ ほんまキモい あの洗脳されて腐り切った人間に病魔が襲いかかってるてとこか…
それすらもカルト妄信の上、捻くれて作られた山井という自覚ねえんだろなあ あの洗脳されて腐り切った人間に病魔が襲いかかってるてとこか…
それすらもカルト妄信の上、捻くれて作られた山井という自覚ねえんだろなあ >>867
エネバン、ドリキラの事 話さなきゃよかったなまじで…
そこは計算違いだった。
無視したなんて言いながら誕生日レスにはきっちり返答返す馬鹿。
あの糞アトピーからしたらまだ望みの残ったカモなんだろな。
こっちが望むのはあのカス二匹が最後泥沼の戦争起こす事 そうなりゃ笑い止まらんのだがww >>871
でもドリキラのアホって離婚じゃ無かったっけ。
それも結構おもろいわけだが 糞アトピーの奴、エネバンの事 あいつは偽善者などと宣ってたな。
んなもん大昔から知っとるわ。ww
今更気づくとは馬鹿やのう。。
しかも本物偽善者の自分棚にあげてよ。
今回本物偽善者があれだと言うことの本性示したくせによく言うはあの糞アトピー 今日一日調べて、漸く見えて来た。
一昨年5月から感じてきた違和感はそういう事だったのか。。と。
会わない間に洗脳は完了していて、俺はお前ら一般人より上だ!!、!!となっていたという事か。。。
三回会って趣味っぽい遊びの話やなんかしても、
乗ってこないしじーっと変な目つきをしていた事も漸くわかった。
なるほどそおいう事か。徹底的に抑圧と思考停止され、無料の奉仕活動をさせられて、、
我慢と辛抱だらけの日常。
潜在意識下では葛藤と怒り塗れになってる事は容易に想像出来る。
なんとかあの仕事で自分を保つも二十年近くの
洗脳はそう簡単に解けまい。
常に不安と恐怖を煽られ焦りから教えに従い行動するがあの根暗で不幸な外見は隠せず、
自分が幸せになったとアピっても誰も靡かない、、植え付けられた滑稽なプライドと増長した中身空っぽのプライド。 >>874
余りにも不安と恐怖の日常でああやって虚勢を張らないと、お前らより上と思わないと
自分が保てないという集団。そんなところでそれが習慣化したらああなるわけか…
でもあの人格崩壊、実は元々持ち合わせていた性格なんだろうな。
漸くわかったのは、今まで奴がキレるたび自己投影していたという事な訳か。
ここで俺もきっちり目を背けずに他山の石、つまり成長しないといけないな。
今回はその為の経験がしたかったという事なんだろう まあ偉そうにならない様に言えば
俺がとっくの昔に通って来た道。やりたくないけど〇〇の為にやらないといけないという恐れ不安、焦りから
虚勢を張り続けた、、そのうち下手な自信が生まれた ずっと劣等感で生きてきた人間が、あるところです下手な自信を、持ち(俺の場合は収入
お前らに俺の真似が出来るか?という見下した感じになってた事は否めない。
奴の場合は不安に陥れられたり、たまたまの成果を持ち上げられたり一喜一憂を何十年も繰り返し
精神は常に不安定で、
それを補う為に自分のやってる事を正当化する為に必死で虚勢を張る、、というか
俺は選ばれた人間という選民意識を盾になんとか日常をやり過ごすという感じだろうな >>876
まあいずれにしても、
奴が最初に抱えていた精神的肉体的問題が向上する事はない。
残念ながら数十分顔を見れば簡単に、わかる。
心の自由を、完全に奪わられ
当初の目的だった精神、肉体は克服どころか悪化しかしていない。
それも酷い悪化、現在進行形で、、ある。
そこを突っ込んだ訳だが、ムキになって逆上。
その顔たるや池沼丸出し狂気の基地外面と言った様相だった。
人間ここまで変われるものなのか?というほど
堕落し下品に落ちぶれた様子は
あの集団組織による「超名作」と言えるほど素晴らしいものだと痛感した
流石に名の知れたカルト、、思考停止人間の作成は一流である >>858
こいつとの一悶着の間にRalphのシャツやられてたわ
本当疫病神、人生の邪魔しかしない奴 >>878
私は去年末、そういう馬鹿を舎弟にしてるという
エナジーくんによって
ハラコのバッグやら色々買えなかった >>871
結局まだ犬で痛いんだろなあの依存カルト野郎 あそこと距離を置き離れて観察を始めてから2年2ヶ月ほど経つ。
2018年はワクワクしながら幸せを噛みしめた。
しかしその年末から、なんだかまた息苦しさを覚えた
2019 明けから2019.6月までは本当に苦しかったがその6月にFさんから助けて貰った。
そして8月から取り組みを始めて今、9ヶ月が経つ しかし同時にこの9ヶ月というのは
波動を落とす旧友との無意味な時間でもあった。
いつだったか当時ハマっていたスピ系のおっさんが語っていた悪い友人は一気に波動落ちる、、という典型みたいな経験だったとこの一週間離れて気づいた。 >>882
2019.7月から今月2020 .4月....の約十ヶ月だな。
確かに無意味だった。
寂しさから毎日話せる友との関係とかになれば話は別だが、成人以来かなりの時間が経って
この歳になって、あまりの次元の低さに自分も引きずられそうになったのは言うまでも無い。
せっかく積み上げてきたもの、自分のこの17年で得た経験とか、一気にドーンと下げられる感じであった
コロナパンデミックにより、行動自粛し出したのか、向こうからも電話が無くなって
今週の火曜日に(五日前 師匠と会ってから自分に矛先が向いて居る。
かなり邪魔された10ヶ月だったと思う。
まあしかし、ゴ◯屋の日常が見れただけでも良い勉強なったかな。
今回わかったのは人って本当に変わらないんだなと言う現実、、
28くらいの時だったか、ああこいつとは距離置こうと思った。自分がヘタを打った金を 私に肩代わりさせようとしてきたのだ。
自分が好き勝手な生活しておいて、ヘタを打ったら金カセとか殆どパロディの世界だった
その数年後に共同経営してた詐欺師っぽい男が遭遇したヤクザの話と同じだった。
昔から彼を観察してると自分の目先の快楽の為には惜しみなく金を使い、人には貸した事も無い、
学生時代からそうだったと思う。まあ一言で言えばとんでも無くケチな男だったわけだが
その後私が会社経営していた時代も、掟破りの副業の金を
一旦私の口座経由で渡して欲しいなど以来してきた、、2度目のややこしい話しだった
そんな意味で、こいつとあんま深入りしたく無いのはまだどこかにある 今朝、O島の夢を見た
詳しくは思い出せないが、何かの小ホールみたいなところで、祝賀会なのかレクリエーションなのか、
体育会系なのかサークルなのか食事会のような?そういう集まりに行く事になり
奴が主催?なのか会わなくてはいけない感じになってる雰囲気だった。
一列に並んで各選手なのかサークル仲間なのかが
奴と握手をしていくような感じ、私のところへ来て顔も見ないで握手をされた感じに思う
実はもうこの男の事は脳から消去したいが、未だに潜在意識にすりこまれてるのがうざい 半分は親の夢の為に入学したわけだが、
想像していたものとは程遠かった、、その意味では、
あの競技が最も楽しく輝いたのは中3のサークルの時がピークだったように思う。
今思えば低いレベルだったが、学校も日曜日も楽しい時期だった。
受験さえなければ。。 自分で何も決められなかった私は親と担任の、言いなりになりそこへ進学したと思う >>886
きついけどスピードを上げていこうと思う 中学のとき進学塾かよっていたけど、勉強していなかったからみんな進学校に合格 俺だけ底辺校
底辺校で成績よかったのか
推薦入試でFランはいって大学はいったが勉強さぼっておちこぼれ
KYが災いして大学の同級生に縁きられた
就職活動にも失敗 あれから一年経って
久々に師匠とあった。
あまり寝てない状態でふらふらだったが会って良かったと思う。
結局この一年の成果は46.1%という結果だった。
もう少し必死になって居れば6割以上は行ってたんじゃないか?というのが率直な感想 もうイライラがピーク
アホなおっさんに怒鳴ってやった。毎日症状の為に苦しんでるのに、テレビチャンネルを動かしたとかで発狂
死ねと思う
早く治って出ていきたい ここには久しぶりに書き込む
んでさ、向こうにも書いたんだけどminakoってね、俺の存在無かったら全くものにも出来てなかったと思うんだよね。
結局あのガテン君てのは自分の実力では何も出来ないよ。遠い昔、あの時も人の力でモノに出来ただけなのに勘違いが酷すぎて笑ってしまうよな。。w
本当はさ。minakoも俺に声かけられたかったのは知ってる。後から数名の取り巻きから聞いてるしさ。
俺から連絡あると思ってたら、連れ合いの豚みたいな冴えないブサメンから連絡来た。しかしまあ余りに押し強いので押し負けはして部屋に招いたけど僅か1週間ほどで終わったのは
最初から今一つ好きでは無かったからというのは誰が見てもわかるところが痛々しいよな。
なのにそいつ長い年月経てまだminakoがああだったこうだったと恰も自分が実力で手に入れた的な妄想をしている
いつもおめでたい思い込みしてると思うよ >>893
いつまで経っても他力本願と虎の威を狩る豚なんだね。
今回のiD事件にしても足だしたら良いだけのとこにパス出してやって漸くそこから
ゲット出来たゆるゆるのネタを恰も自分が全てやり遂げた風味の自慢してくるんだけど、こいつどうなってんの??
といつも
「電話越しにスマホ越しに見下している、、それってね。
俺が全部御膳立てしてあげてやっとの事で会えたり写メ交換出来てるのて解ってるの???」
なんか全部自分の実力と勘違いしてるとか????
人からお溢れ頂戴して乞食みたいにガッツいてやっとありつけた餌なわけで
お前なーーんもしてないよね??それ以前にお前の能力じゃそんな良い餌、ネタなんて一生かかっても無理だよね??
「それ理解出来るの??お前の底辺労働者の脳味噌では理解できてんのかっつんでんだよ!豚!」
もう貴様になんて一生ネタ出さねえよ乞食! >>894
minako時代も今も変わらずだよ。
時代が変わりツールが変わっただけ、、電車の中かスマホかの違い。
こいつはめちゃくちゃ狡い方法でしかゴールも点数も取れないから。
しかもアシストしてくれた人間への感謝はゼロ。
今回もそれわかったろ??
だからappにしても教える必要なんて無かったの。。
結局俺がゲットした!みたいな自慢してくるだけだからw
この人はね玉やったらパチンコで買ってそれ玉出した本人に自慢してきて一円も奢らない様な乞食2だからね。
奢って貰った飯屋では端数の要らない一円玉を出してくる様なケチ臭乞食でエタなんだよ。エタ。
肥溜に住んでる様な乞食なんすよ でもね悲しい事実
それは、この一年間あれだけの事をしてやっても、ひょっとするとあいつは悪口やり始めると思う。
悲しいけどこれは事実、これだけテレアポしたらこっちもプロなのでそのくらいはわかる。
それくらい薄っぺらい捻くれた根性の奴だと言うことは昔から同じ事なんだよ。
あいつらが四人で出稼ぎした時の一人一人もよくよく観察してみ?
もう最悪の部類の連中だろう?最後は犯罪まで企ててだと聞くしさ。
結局のところね。その連中の一人だという事なのよ。
ろくなもんじゃないという事。 悲しい思い出か。。
一言で言うならわかってない奴には何を言っても無駄という事がよくわかったわ。
(cha....) 残念ながら、悲しい事に
奴はエタなんだろな。前にふらっとそういう言葉聞いたし、、
まあその血筋だとすればあまりに違和感ある話も納得いくわ 童貞だった俺、25歳の時に逆ナンされて、ホテルにほいほいついていったら
部屋に怖いお兄さんが4人入ってきて、そのまま連れ出され
キャッシュカードで引き出した分合わせ全財産(20万くらいだったが)奪われた
警察に届けたが、酔っていたので女の特徴もよく覚えておらず、取り合ってもらえんかったorz
金を盗られたことより、警察に「お兄さん自業自得だね」と言われたのが悲しかった 公立高校に落ちて、併願の私立に行くことになった時
母親に「この出来損ない!」と言われた
「どれだけ学費が余計にかかると思ってるんだい」と罵倒された
あんまり腹がたったんで、見返してやると、めちゃくちゃ勉強して
その私立から初の一橋に進学した
一橋から国家一種に合格したまでは良かったが
メンタル壊してやめたときに、また罵倒された
今は立派なヒッキーでございます >>848
2020 を迎えて彼も弱って来て、若い頃予想したまんまの老人になったわけだけど
この歳になって漸く見えて来たよ。
高校くらいかな、、あの当時のこの人の取り巻きとか全員苦手だったな。
やりたくもないことを必死に我慢してこの人や取り巻きに媚びた。
今となって思うのはその人達には全く興味無かったて事かな。寧ろ苦手な人でもあったし、
どーーでもいいような大人だった。
思い返すなら憧れすら無かったかな。
まあ根っから悪い人ではない事は救いではあったが、たしかに変な人であった >>903
鈴木さんとか河田さんとか吉井さんとかその辺りか?
(加筆) ・人付き合いが得意そうに見えるが続かない
→人を利用する事しか考えてないので、その様子を察知され始めると人が
離れていく
いわゆる他人と自分を上か下かで比較し、ほとんどの人に対しては見下して
いるので対等な関係を相手と作れません。
よって、人が離れていき長続きしないのです。 今日のゆめはちょっと怖かった
猪豚に何故か恨まれこ◯すなどといわれ、
逃げ回ってる夢。
宿舎のような893の事務所三階たてのようなとこで、そのヤーさん達に助けを求めてるという意味不明な夢
最後の方でマキノが出てきて何やら彼のアメリカンビスケット?を勝手に食べてしまい
白々しくこれお前の?と聞くと吐き捨てられ呆れられ突き放されるように「そんなんわかるよね?」とか言われる
そしてつくづく自分は嫌われ者だと落ち込む 2016年年明け奇跡の3時間から5ヶ月経った頃
彼はやって来た、、当時は何もわかってなかったので彼に感謝していた。
2017.4月違和感のある再開、前もって準備していったが、
一〜二時間で用が有ると言いそそくさと帰って行った
その翌月5月、再度夕食の約束するも手持ち金ゼロで
来られドン引きする。
しかも経済的にきつい自分に金銭負担させられおまけに
激怒されるという信じられない事態に遭遇
唖然とする。
この後、違和感だらけで距離を置いて来たが、その数年後、この行動の真意が見える。
なるほど… そういう事だったのか・・ その四年間の違和感だらけのアポイントの意味を漸く理解する事になる。
意味がわからず感謝していた愚かな自分を恥じる >>907
朝5時に起きて、寝られないのでなんだかんだ動いてたら
朝から寝てしまう
また奇妙な夢を見る
小高い山の上のクリニックで橋◯先生が治療家を招いて抗議を始める 一番前の席で聞く事になるが、その治療家は見当たらず橋先生は自分に実戦をやってくれる 物凄い反応があり頭が後ろに引っ張られる
シーンは変わり兎に角この抗議後にいつもの漢方をもらおうと何をオーダーするかメモに書こうとするが紙が見当たらずチラシの裏とかに書く
で、、突然何故か一度山を降りて家に戻ろうとする、、
、何故か後ろの席に小◯、太◯、類が座っていて、小◯は
面白いバンダナをつけていた
すると昔住んでた近くの郵便局あたりにオレンジの自転車が改造された原付バイクが見つかる
それに取り敢えず乗り込むがガソリンが無いのでコスモヲ見つけてそこで入れると今日はキャンペーンですなどと言われうどんと出汁を四人前もらうその袋ぶら下げて
古い古民家のような実家へ向かうとそこには父と母、母の妹がいる
そして姉なのか?変な連中も数名いたりでわやくちゃな空気、そしてうどんを渡し2階に上がるともう時間は3時、
抗議の時間は終わる。兎に角体調もすごく悪いので下の階に行きいくのやめると言えば
母の妹に嫌味を言われ 仕事したく無いんならやめろ!とか訳のわからない事を言われ心の中ではまたこいつこっちの理由も知らずに愚痴や悪口三昧してるんだなと腹が立つ
(やはり自分の中ではこいつを許せて居ない
そんな後2階の部屋でボーとしてると母がやって来て
姉にはパートナーが居ると聞かされる 何度か見たことがあるように夢の中で思う しかもそいつは男型の女で
つまりは同性愛者だと聞かされる
何故かまた姉に対して異様な嫌悪感と怒りを覚える。
ただでさえ苦しい自分の状況の中 ただでさえ虚しい長年の自分を上塗りするように恥を上塗りする姉
しかも悪びれる様子も無く、、次々と非常識な事をしては周囲の失笑を買う姉。
でまた彼女の事なのでそれを超えたからかに自慢するようなところがある
そしてその事を自分に話す母は全てを受け入れて肯定している感じで、、なんだか母親が哀れになり可哀想になる
そして現状の、自分を恥じ情けなさと悔しさでいっぱいになる。
そんなとこで夢が終わった Uもそろそろイラッと来ることが多くなって来た。。
まあ最初からわかってた事とはいえ
馬も期待外れた上、、女まで振ってやったのに、自分の事ばっかり言ってくる
例えば逆に俺が苦しんでいてそれを解決できる「役に立つ奴?」か問われれば
そこは知らぬ存ぜぬの役立たずなのは目に見えてる
という事はだ?
この一週間、親の事も含めて相談に乗ってやった事は全て無になりかねないという事になるわな
なのに心気妄想出してきて
なんだかんだガンを心配したりもしてくる
こちらからすれば「アホか?」という感じ。
ま、年末は自分の行動をして振り回されない様にはしたい
その意味でこの人も四流とは言わないが三流だと思った
それも最初からわかっていた事ではあるが。。。 ラーメン屋の帰りの事故 凹む 親父への三行半
母の響かない感じ
もう終わりだと思う。これから自分を生きる。
依存からの脱却 昔、クラスでも(加筆 一番仲良くしていた 疋◯さんと
何かの際に少し揉めた
その後、以前に別の友人の悪口誘導されて乗っかってしまった私の元にその別の友人から連絡があり
私がボロクソに貶していた事を言い出されて起こり出され唖然とした。
この経験は今になって思い出したが、迂闊に口を滑らせるとこういう事になるケースもあるという事を学習した
に、しても疋◯さんって狸だったなあと思うし、弱い人間って自分が苛立ち追い込まれるとこういう掟破りな事を平気でやるんだなと思った >>912
そういう人っているよね。約束守れず口緩い人。
大抵家で甘やかされて甘々で育てられてるから逆境に弱い。
その証拠にそんな出来事でもすぐ折れて学校まで辞めて行くというヘタレだったりもする。
もう一匹そんなのいたなあ、、滅茶苦茶調子だけは良いんだけど、全く努力しないで、結果出なかったらそのまんま
すぐ辞めて行くわな…
んで後から嘘みたいな武勇伝を語ったりする
滅茶苦茶狡いやっだったりする、つまりは負け犬の遠吠え君たち。
話は変わって最初の人に話戻すと、比較的貧しかった自分と学校終わりに散々付き合わされるんだけど、
次々に買い物とかして行く。ま、こっちは延々と付き合わされても何も買えない。
でも我慢して初夏の街中を夜までぷらぷらさせられるんだけど、自分の地元の有名拉麺屋へ行きたい行きたい言われて
これも自分は死ぬほど腹減ってるのに付き合わされて我慢したという思い出がある。 今思えばアルバイトもさせて貰えない環境であんな倶楽部に行かされてっていう
親の責任が一番大きいかと思うが、
そんな日常の中、一番感性の高かった時代を我慢我慢の連続をさせられてきたきたがする
当然こんな思いで日々過ごした事を親は全く知らない
何と従順な子供だったのかと可哀想になる。
それでもポジション奪われたくなく必死に耐えた健気な自分。 >>913
で、入学の時の春の思い出音楽聴こうよ
これから自分を生きる!!というその真っ只中に聴いた音楽
親のためにその行きたい方向を我慢していた時代。
結局最後は良いこと無かったな。指導者の一人を今でも恨みの様な気持ちで見ているし、、、
何よりのちに色々わかって来て期待に応えようとした相手は、特に大したこともない怠け者のどうでも良い人間だったというヲチ。
そんなのに期待応えてあげて!などと言われるがままに自分の人生の一番大事な時期を捧げてしまった。
しかも、
その恨んでる人間は自分の親をも見下し舐めきっていたというヲチまでオマケでついてくる有様。
後悔しても時は戻らない。これから残された人生をどうするかだ >>311
はっとしたw
これって誰かと似てる。。。何でムカついてたのか少しわかってきた >>915
笑えるよなw
やっぱ何処かで感じてた事は同じだな。
ま、違いはどんなに損しても真面目に生きるという無能と
出来るだけサボって得しようという血も涙もないクズという違いなんだが
俺に言わせれば目くそ鼻くそでもある訳で。。。 2019年末の廃人事件(四年粘着
2020年末の恩を仇で返す事件(2年半粘着
こいつらには本当気分悪い思いさせられたわ
今年は良い年に。絶対 三流の人に
君の状態は現在〇〇の枠を超えてるんだ
と言うと「はい!そう思います!」
と間髪入れずアホ丸出しの「俺だけは特別なんです」的トンデモ愚かな返答返して来た
流石メンヘラ…というような頭悪すぎる精神遅延者丸出しの返答に思わず
「あ,もうこいつ無理だな」と思った >>922
お前は肉体どうこうでは無く真正メンヘラだと言いたかったんだねw
わかります
しかしそこまで来ると死ななきゃ解らないレベルすね。
いや死んでもわからないレベル…かも。
無視しか無くなるよねそこまで脳味噌やられてると 猪八が
縁切り前に「まだ死にたくない!」とか宣ってたけど,、、、
地球にとっては害悪でしかないゴミなんだからはよイネとしか 今回「潰されたgw」は、この年明けから5月3日までの
自分の時間を潰された怒りも当然あるが、
自分自身がやるべき事を何も出来ず、ただ悪戯に時間を使わされた事への怒りである
今回の行動は自分への反省だ。
孤独すぎるが故、人の相談に関わってしまった事が原因だ
関わった人間も悪かったし
関わり方もまずかった上相手が過度に依存的な人間なのはわかっていたが
「過去にやられた愚行の数々、失礼極まりない嘘の数々に対する怒りを水に流したつもりで忘れてた事」
を突然思い出した。
こちらとしては表層意識でこの過去を「水に流して付き合おう」として来たが、「本当の自分は騙せない」
元々腐れ縁的な付き合いのものであったわけだが
約8年から9年前にされた「嘘と利用」を思いだし怒りが出たのだ、
「こいつは今回また被害者を装って同じ事をしてくるのか?」という自分を軽んじられ、ぞんざいに扱われているという怒り。
自分も本当はやる事山積みで日々の症状でいっぱいいっぱいなのに、相手の気持ち状況はお構い無しで
「自分の事のみ主張してくる人間」への怒りという事だと思う。
今回はもう猪八の二の舞を踏みたく無い。
あいつの場合はいずれまた「こちらを軽んじて利用価値を試してくる」奴なのはわかっていたので、
完全三行半、、を下したのだ。 それでも距離感保って向こうが関わるならまあどちらでも良かったのだが、、、、
猪八の場合は「あまりにも低俗、低センス低次元な上、言葉に不自由なほど無教養でその上無努力だった」ので
「自分軸を作ろう、本来の自分になろう、」としてる自分にとっては
自分まで馬鹿の壁に引き摺り下ろされてしまう事が見えたので苦渋の決断の末「縁切り」を決断したのだ >>922
もっと驚きもっとムカついたのは
4月に入って師匠の言う通り、そっちには問題なく男に問題あったと告げるとウッキーして
この2ヶ月のこっちの労力はどこ吹く風!に喉元過ぎれば熱さを忘れていた
そしてついでに「君ってさ、結局何か解決したいとか本気で相談乗って貰って答え欲しいとか
そういうのでは無く、単に愚痴と戯言聞いて欲しかったんすか?」
の問いに
「はい、そうです!!」と返答
一瞬耳を疑ったが、これ事実だったみたいだ、、、、
このタイミングでマルイチ!ウッキーまで始める始末 >>926
ここから3、4回、話に付き合ってやったが、
完全に自分軸を無くしウッキーしていたナガヨグにあちこち連れて行かれる始末。
で縁切る最後の2日くらいはマジでうざかつた。
なんで私に行くとことか聞いてくんの?こいつとマジで思い始めた。
この数日の間にも失礼極まりない質問の嵐だった。
「こんな奴に最良な情報教えるんじゃなかった」と心底後悔した。
で最後は手のつけられない状態に。
もうこいつは話にならないな…と思った
こっちのいう事は一切聞かず好き勝手楽な方へ、刹那な方へ向かって行った
自ら蟻地獄を選んだわけだが、こいつの目的ってこれだったんだな ここは重複スレです。本スレはこちら↓
昔の悲しい思い出ってあるか? P35
1639248629あるか? P35 次スレ
昔の悲しい思い出ってあるか? P36
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