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2023/03/07(火) 11:16:02.49喜多川氏には性的搾取の疑惑が、常につきまとっていた。しかも、密室でささやかれただけではない。
全国的な報道機関が取り上げ、その一部は民事裁判で認定された。
ハヤシ氏(仮名)は、15歳の時にジャニーズ事務所に履歴書を送った。
オーディションで初めて会った喜多川氏の第一印象は、「すごい気を遣ってくれて優しい」人というものだった。
しかし、事態は間もなく一変する。
このことを初めて公に話したというハヤシ氏は、自分の身に何があったのか口にするにあたって、
無理もないことだが見るからに緊張していた。
初めて喜多川氏に会ってからわずか1週間後、ハヤシ氏は喜多川氏の住まいのひとつに招かれた。
喜多川氏の複数の自宅は、「合宿所」と呼ばれていた。実に多くの少年が寝泊まりするからだ。
「しばらくして、ジャニーさんに『お風呂に入っておいでよ』と言われました。
そして(喜多川氏に)全身を洗われました、お人形さんみたいに」と、ハヤシ氏は話した。
明らかに動揺した様子でハヤシ氏は、喜多川氏にオーラルセックスをされたと話した。
ハヤシ氏はさらに、別の機会にも性的被害を受けたとも話した。
加えて、自分に何が起きているのか、他の少年たちが知っていたのは明らかだったとも述べた。
「何人かに『これを我慢しないと売れないから』と(言われた)。僕の周りでそれが嫌で辞めるって人はいなかった。
合宿所にはジャニーさんしか大人はいませんでしたし、相談できる環境もありませんでした」
こうした状況を自分たちが黙って受け入れていたのは、売れたい、成功したいという少年の夢と、
それが部分的にでも結びついていたからだ――。大人になった今、ハヤシ氏はこう考えている。
「売れてる人に限っては、ジャニーさんのおかげで、事務所に入った瞬間から人生が変わっていると思うので、
感謝の気持ちはいっぱいあると思うんです。でもそれと性犯罪は別だと思います。
ずっと日本にしか暮らしていないので、日本はすごい優秀な国と思っていますけど、全然違うんだろうなと」
ハヤシ氏の体験談によく似た内容の話は、これまでも複数報道されている。
1999年には週刊文春の記者2人が、喜多川氏から被害を受けたと主張する10代の少年を取材した。
中学生の時にジャニーズ事務所に入り、それから間もなく性的加害が始まったと、少年は当時話した。
この少年はさらに、同じような経験をもつ他の少年や青年を記者に紹介した。
取材の結果、複数の証言があまりに見事に一致したため、加害行為の大半が行われた喜多川氏の自宅、
つまり「合宿所」と呼ばれた場所の見取り図まで、記者たちは描くことができた。
やがて週刊文春には、10代の頃に性的虐待を受けたという
アイドル志願者10人以上の主張を記録した記事が、次々と掲載された。
被害を受けた時は12歳だったという証言もあった。
被害者の証言は生々しく、挿入を含む性行為や、強制もあったとされた。
被害者の1人は、喜多川氏の誘いを断れば自分はスターになれないと信じていたのだと、週刊文春に話していた。
「ジャニーさんに従わなければ、ステージでの立ち位置が悪くなるよ」と言われたのだと。
喜多川氏が未成年者と、本人の自宅で性交したという証言もあった。
「忘れられるなら忘れたい。両親がジャニーさんの布団を、僕と同じ部屋に敷いたんです。
その夜、ジャニーさんは僕の性器を口に入れた。信じられないでしょう。隣の部屋では両親が寝ていたのに」という内容だった。
週刊文春の報道が出た後、ジャニーズ事務所は同誌をはじめ文藝春秋のあらゆる編集部を、
自社タレントの取材から締め出した。そして週刊文春の連載の翌年、喜多川氏とジャニーズ事務所は文春を名誉毀損で訴えた。
民事裁判は4年にわたり、子供の時に喜多川氏から虐待されたと主張する大勢の男性の証言が焦点となった。
東京高等裁判所は2003年7月の判決で最終的に、文春の報道について、
「セクハラ行為」に関する記事はその重要な部分において真実であることの証明があったと認めた
(ただし、「少年らに対し、合宿所などで日常的に飲酒、喫煙をさせている」という記事の主張は、事実と異なると裁判所は認めた)。
だがこの判決も黙殺された。名誉棄損訴訟は刑事裁判につながらなかった。
喜多川氏は訴追されることなく、亡くなる2019年まで、ジャニーズ事務所の社長を務め続けた。
週刊文春の報道を担当した記者の1人、中村竜太郎氏は、自分たちの記事が「つぶされた」ことを今も憤っている。
「23年間、私はずっと絶望したままです」と中村記者は言う。
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