ドリフターズの元メンバー死去
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https://news.yahoo.co.jp/articles/8658d9f9ea7dd0c0e9beb28d27c7ba4108bee786
1960年代のドゥーワップグループ、ドリフターズでの活躍で知られるチャーリー・トーマスさんが死去した。85歳だった。チャーリーさんが肝臓がんとの闘病の末1月31日に他界したことを、6日、友人の歌手ピーター・レモンジェロJrが明らかにした。
ピーターはニューヨーク・タイムズ紙にこう語っている。「彼は高齢でしたが週末はほぼいつも活動していました。残念なことに、活動的な状態から家にいる状態になり、悪化し始めたんです」
1988年にグループと共にロックの殿堂入りを果たしたチャーリーさんには、妻のリタ・トーマス、娘のクリスタル・トーマス・ウィルソンとヴィクトリア・グリーン、息子のチャーリー・ジュニア、マイケル・シドベリー、ブライアン・ゴッドフリー、さらに数人の孫とひ孫がいた。
ドリフターズは1953年に結成されたが、チャーリーさんがメンバーに加わったのは数年後の1959年、ザ・ファイブクラウンズというバンドで歌っていた時にハーレムの劇場でドリフターズと共演したことがきっかけとなった。
ドリフターズのメンバーのひとりが酔っぱらってマネージャーのジョージ・トレッドウェルに暴言を吐いた時、チャーリーさんは当時のメンバー全員(クライド・マクファター、ゲルハート・スラッシャー、アンドリュー・スラッシャー、ビル・ピックニー、ジミー・オリバー)を解雇し、ザ・ファイブクラウンズのメンバーに入れ替えた。その中には『スタンド・バイ・ミー』で知られるベン・E・キングも含まれていた。
「子供の頃、よくずる休みしてアポロにドリフターズを見に行ったものだ。いい気分だったよ!」と振り返っていたチャーリーさんは、1959年にドリフターズでデビュー、最初のシングル『ゼア・ゴーズ・マイ・ベイビー』が世界的大ヒットとなり、さらに『スィーツ・フォー・マイ・スィート』や『ホエン・マイ・リトル・ガール・イズ・スマイリング』などのヒット曲でリードボーカルを務めていた。 ブラックラグーンはロベルタ編のアニメ版で綺麗に着地出来たと思ってる パンプキンシザーズは見誤ったわけじゃないから…展開に悩んで詰まってる感すごいから… ドリフターズ?
ああ!あのなろう系とFGOを混ぜたヤツねw パンプキン確認したらもうすぐ1年休載だったわ
理由すらわからんし富樫かてめーは ドリフターズは構成的にそんなに誤っていない
作者が描かないだけであって ブラックラグーンと同時期に始まったヨルムンガンドが
メッチャ良い所で完結しててワロタ 現代の立川に住んでたんだから現代のことも知ってるだろ というか現時点でクレームとかないのかね
明らかに意図的にキリストをなぞってるけど 洋画でキリストには実は子孫が居たとかしょっちゅうやってるし大丈夫だろ そっちは「キングダム」と「達人伝」と「ビン 〜孫子異伝〜」でやってるから 建てたカラオケボックスの入り口が狭過ぎて機材が入らなかったよな まあ、やろうと思えば「誰かから聞いた」を後だしも出来るわけだから、
そこら辺はなにも考えてないと思う。
それこそあのヒゲがオルテからエンズに鞍替えしたとかも描こうと思えば描ける。 なんならドリフ側に漢の三傑残り二人、いっそのこと孫武孫ピンも呼べばいいからへーきへーき。
そんなの呼んだらスピキオとハンニバルがモブ同然の雑魚になるがそれはそれ。 ドリフターズの知ってる曲は
ラストダンスはわたしと 原作しらんけど、某女海賊とか非欧米の傑物が世界にいっぱいいるのに
そういうのガン無視なのはいただけないな
菅野とか出てきた瞬間誰かわかるような描き方はすごいんだけど 漫画家にせよ小説家にせよ完結までのプロット作ってから連載させろや
未完のままにすんな
クリエイターとして失格だろ 相方の山田に作画頼めば一時期アシもやってたでしょ
今何してるのか知らんが すぐデマまがいのオタクが好きそうな話題垂れ流すよなコイツ 連載放り投げはいつものことじゃん
もう誰もノーダメージだろ?w ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています