2社連合の結成後、その立役者とされた神戸山口組の入江禎副組長(2代目宅見組組長)は、井上組長との行き違いから組を脱退。独立組織としての道を歩んでいる。
「入江副組長はその後、特に動きを見せておらず、音なしの構えです。その少し前に離脱した寺岡修若頭については一時、6代目側への謝罪が取り沙汰されました。
6代目側との間を取り持っているとされる道仁会トップが身柄を拘束されたことで日取りが伸びたとの説もありましたが、細かい事情はなかなか判然としないところです」
と、竹垣氏。
「6代目側が攻勢をかけても神戸側は報復をしない・できないという流れは、これからも続くでしょう。ちなみにこの両組織の違いは、あるポイントにも表れています」(同)
どういった点なのだろうか?
「6代目の高山清司若頭と同じ高山を名乗る組員は改姓を求められます。名前の清司の方は変えなくてもよいそうですが……。
同様に司忍組長の姓が入った司道会(3次団体)は福島連合に改称しました」(同)
1980年に起こった、いわゆる姫路事件で懲役20年の判決を受けた竹中組の高山一夫幹部は出所後、竹中組若頭となり、それから竹中武組長と意見の相違から、6代目側に移籍している。
「2代目弘道会が高山清司組長となり、高山一夫から花田昇に改名したとハガキで伝えてきたことがありました。
彼に”兄弟、なんで名前を変えたんや?”と聞いたところ、”高山という名前を変えろというお達しが出ている。弘道会の組員はみなそうなっている”とのことでした」(同)