【将棋】平山遊季、伝説の坂田三吉「後手番、初手端歩突き」を指し、プロ棋士を驚愕させる!
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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9D%82%E7%94%B0%E4%B8%89%E5%90%89
坂田の復帰を記念し、読売新聞社主催で特別対局が行われることになった。既に名人の関根は引退を表明しており、関根の弟子で、当時行われていた第一期の実力制名人戦での、最有力優勝候補であった、木村義雄と花田長太郎が対局に臨むことになる。
木村との対局の舞台は京都の南禅寺。1937年(昭和12年)2月5日から7日間、持ち時間30時間というルールの下で行われた。現在の公式戦で持ち時間が最も長い棋戦は名人戦の9時間であり、名人戦は創設当初でも15時間の持ち時間で指されていたことからも、30時間という持ち時間は非常に長い。このとき66歳の坂田にとっては厳しい戦いになることが予想された。
この対局は後手となった坂田が2手目に△9四歩と指した(「坂田の端歩突き」)。当時の常識では後手でありながらなお1手損とするのと同様であるこの指し手は、関西の棋界を背負っていた坂田の、東京への反骨精神の表れとも見られている。
当時は非常に注目を集めた勝負であり、織田作之助は新聞で坂田の端歩突きを知り、感激して「坂田はやったぞ。坂田はやったぞ。」とつぶやいたと、作品「聴雨」で回想している(織田作之助は坂田ファンで、二度も作品に坂田を取り上げている)。一方で正攻法の将棋を重んじ、奇手や小技を潔しとしなかった木村義雄はこの手に「これには私もたまげたが、同時に『ははん、これは』と思った」とのちの自著に記している。戦型は坂田の向かい飛車に木村の居飛車となる。
「坂田の端歩突き」は当時の棋士からも坂田がわざと不利な条件で指していると認識はされていたが、『イメージと読みの将棋観』(2008年)で現在のプロ棋士の目からは、この端突きの一手には後手のメリットはないが、的確に咎めるのは難しい、とくに▲2六歩の居飛車も後手一手損角換わりとなるので、先手は振り飛車模様で端でなく中央志向の▲5六歩が良いのではないかとみている。また後手端歩が緩手になるのは相振り飛車など、逆に生きるのが後手振り飛車対先手の居飛車の一局とみているので、振り飛車とくに中飛車や四間飛車で、三間飛車は石田流などでは△9四歩が緩手でなくなってしまう可能性があるとしている。また平成になってから2008年までに公式棋戦では2局指されて、いずれも先手が2勝している。
結局この一手が響いた形となり、結果は95手で先手の木村義雄の勝ち。のちに坂田の孫弟子に当たる内藤國雄は、自著『阪田三吉名局集』(講談社, 1979)の中で、この南禅寺の決戦を「三百七十年に及ぶ将棋の歴史の中で、最大の一番」と記している。 ワイは平山の端歩突きを知り、感激して「平山はやったぞ。平山はやったぞ。」とつぶやいた ただ坂田三吉とは逆の端歩なんだな
坂田は94歩、平山は14歩 ペイペイは初めてとは思えない手を刺すときがあって
おーっ!て思うわ 先手番の初手端歩はプロ棋戦でも何回も指されてて珍しくないんよな
後手番では珍しい 94歩型は後手振り飛車にすれば対抗形で手損が響かないみたいだが、
14歩型はどうなんやろか… 森山某は初めて聴いたけどDEENが一瞬頭をよぎった。。。 >>16
主人公の祖父のモデルが坂田三吉で、主人公の父(と思われる人)のモデルが升田幸三だったな 将棋を覚えたばかりの人が14歩13角から57角成を狙うのは初心者あるあるやで 【中国電 - %】 ◆fveg1grntkが運営管理しているアフィブログ中電派なんdayこと℃-ute派なんdayです。
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そして℃-ute派なんdayにアクセスお願いします、今後の中電の生活費となります。 序盤はスジがいいのになぜか終盤はかわむーに逆転される平山ちゃん △1四歩も指されてたんだな
意外と咎めにくいらしい
花田との対局(1937年(昭和12年)3月)は「天龍寺の決戦」と呼ばれ、このときは後手となった坂田が2手目に△1四歩と南禅寺とは反対の端歩を突いている。結果は169手で花田の勝ちとなった。このときの戦型は坂田の力戦中飛車に花田の居飛車であった。
この端歩突きについては手合いの不満やどうせ勝てないとみてのはったり、阪田流の大見得などの説とともに、これをみた花田や木村らは絶対に負けられないと思ったと伝えられる。『イメージと読みの将棋観』では、現在のプロ棋士らの見解として、後手2手目の△1四歩は△9四歩のそれよりもかなり咎めにくいとしている。振り飛車にしても損はせず、相振り飛車にすると△1四歩が生きてくるとし、また▲2六歩の居飛車もやはり後手一手損角換わりにされれば緩手になることはないとみているが、矢倉模様にすると、△1四歩が悪くなる可能性があるとしている。
2手目△1四歩は平成に入ってから公式戦でも2008年までに4局指されており、特に田丸昇が2局指して深浦康市と桐山清澄にそれぞれ勝利している。 >>31
先手でゴキゲン中飛車やりたい時に初手で端歩突くのはよくあるね
この平山は後手だからな 往年の塚田スペシャルはこの形からでは?
と思ったが全然思い出せない 平山は相手玉周りの金を銀で狙う矢倉崩しの手筋を自力で見つけてたな あれ変な動物の駒使ってるから盤面がわかりにくい
普通の駒使えよ ハム将棋はFlashがサポート終了したからな
あれは駒の効きが目で見えるのが良かった
今ならぴよ将棋かな ・4駒将棋 ●川村-平山○ (11玉、21金、31銀、41歩)
記念すべき初手は川村は相手玉頭への歩突き、平山は歩越し銀
川村は43金と金銀交換に出たと思いきや、同銀に対して33玉とかわし右辺へ逃げるも、いきなり金損
22金の王手に対して、川村は銀を取り返し駒損を回復
一進一退の白熱した捻り合いの中盤戦を経て平山が大きく駒得
終盤では平山が玉周りの33の金を24銀で狙う矢倉崩しの手筋を自力で発見し、都成も驚愕
川村もなんとか金駒を打ち付け凌ごうとするも、渾身の43銀打ちは33の地点への効きがなく、受けになっていない
平山はこの一手詰めを逃さず33銀で詰み
初心者同士にも関わらず反則ではなく、詰みで決着したことに都成も感心
感想戦
平山:攻め込まれた時に金があると安心感がある、金が推し駒
川村:人生で初めて将棋をやったが楽しかった、何度も感情が高まった ・5駒将棋 ●平山-川名○ (11角、21飛、31玉、41桂、51香)
平山が序盤で角の効きをうっかりし大駒二枚を失い駒損劣勢へ(香と飛車角の交換)
平山は川名の大駒の攻めを中段玉で凌ぎつつ
玉頭への香打ちの勝負手を放つ
取ったら反則負けの毒まんじゅう
川名はギリギリで察知し、冷静に玉を逃げる
最後は平山が相手角の利きに玉を動かし反則負け
川名が駒得してから一気の攻めで勝利
感想戦
平山:初手で香車を相手陣まで走らなかったことが敗着、思い切りが大事と学んだ
川名:激しい駒の交換が将棋の醍醐味 ・普通の将棋 ○川村-平山●
初手で飛車先を突いた川村に対して、後手平山が14歩の端歩突き
これには都成も「昭和の大棋士(坂田三吉)」と絶賛
平山の狙いは13の端角からの攻め
居玉のまま中飛車に振った川村に対して、平山は王手で37に馬を作ることに成功、川村は歩の合駒で凌ぐ
お互い居玉のまま中盤では平山が歩の手筋を駆使し、桂取りの鮮やかな十字飛車を決め優勢を築いたかに思えた
しかし、その後は川村が駒得しつつ反撃し、最後は金打ちの一手詰めで終局
1時間半の大熱戦を制した
平山:実戦では途中で指し手が見えずパニックになった、持ち駒を活かせなかった
川村:途中は劣勢を意識したが、相手の飛車角を取れて安心感が出て攻めきることができた まだ玉を囲うという概念を教わってないから、どっちも居玉で戦ってるんだよな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています