【悲報】ゆたんぽ「みんな平和に暮らしてたのにアメリカが原爆を落として日本をめちゃくちゃにした」
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マスクとワクチンで戦争の過ちを繰り返しているバカ国民 この子顔はDQN系だがヤンキーっぽい感じの男前で関西なら結構モテそうな感じだが一般常識的なことはマジでヤバそうだな こいつとつるんでる堀江貴文だの立花孝志だのウヨ面してる連中よく黙ってんな 取り巻きの顔ぶれから察するに
将来は普通に選挙に立候補して政治家になるな
ガーシーが通るくらいだからこいつも簡単に通るだろう 折角こういうのやってるんだからちゃんと日本の教育の概要だけでも学んで
その上で東南アジアやアメリカで教えてる事を学びに行きゃあそれこそ再生数も伸びるのに
ほんと親が池沼だとしょうもない事にしかならん ゆたぼん誕生日会 人気ユーチューバーから炎上系まで大集合「アンチに負けるな」と茂木健一郎氏 | 東スポWEB
https://www.tokyo-sports.co.jp/articles/-/136877 アメリカ国内で日本人移民が徹底的に差別弾圧され政治的摩擦が起きてアメリカ人はどんどん日本人が嫌いになった
日本が国際的な国力を高めるにつれアメリカは危機感を抱いて日本を締め付けて国力を削ごうとした
しかし聞き分けがないので石油も止めて追い込んだら窮鼠ねこ噛んで真珠湾
アメリカ外交の国家人種差別と横暴は朝鮮戦争〜ベトナム戦争まで続き冷戦でやっと方向転換したが基本的にジャイアン体質は変わってない >>64
アメリカの非しか見てないな
今の日本が日帝に先祖還りしたら毎日が悲惨だぞ 自分の父親や近所の知り合いが全員強制徴兵されてる状況で
平和に暮らしてたって感想言える所が凄い 戦争すると必ず虐殺が起きるから
そうならないよう戦争をしないというのが戦後教育
ならば戦争に巻き込まれないようにどうすべきかは教えられない >>65
当時の日本が国際情勢に疎かったのは事実だが
当時はまだ帝国主義の時代だったから日本もうかうかしてたら米ソの主戦場になってた
事実日本が負けた後は朝鮮半島がその主戦場になった アメリカが悪なのは当然だが優先順位は高くない
まずロシア中国北朝鮮の悪がアメリカよりも先
こっちを潰してからアメリカの崩壊を待つのが順序
そして世界でもっとも優れた平和主義の日本が世界連邦の議長となる >>71
言うても現状で地球の多数派は中露先導による権威主義国家だから
日本や自由主義国家が平和裏に主権録るのは現状不可能やで うちのばあちゃん京都生まれで広島に疎開した途端原爆落とされた
まあ被爆してないけど戦争嫌い&芋嫌い
食料がなくて芋ばっか食わされたんだと 戦争の一番最後に落とされたのにそれまで平和だったと思ってしまう想像力のなさって学力以前の問題では 今まで平和だったのに急に来たのはパールハーバーの方やろ そして広島では我が軍にもいるような原爆ブスが数多く生まれた残念な事だ 関西だと中学の修学旅行で広島行って原爆ドームとか見学するのが定番
学校行ってないとそういう機会もないかもな 小学校の時原爆ドーム行かされたけどあんまインパクトなかったな
もっとグロくしたほうが子供心に印象に残っていいと思う みんな自由に生きていたいのに
みんな幸せであるべきなのに 戦時中に疎開先でそこの家族はコメ食べてるのに疎開者はカボチャばかり食べさせられたらしくうちの両親はカボチャ大嫌い >>95
サツマイモもジャガイモもカボチャも品種改良で
戦時中より美味くなってるのに戦争世代は口にしようとしないな 自作自演のテロで石原莞爾が満州取ったときもその満州獲得は違法と言われ松岡が国連脱退したときも
その暴挙を日本の有権者は絶賛して国が沸き立った
爺さん婆さん世代の人にそこらの思い出を聞くと
日本の好戦的な雰囲気を作ってたのは都会の人間らで農家の人はみんな戦争して領土を増やしてもなんか何の得にもならんとなかば怒りの目で戦況を見つめてたらしい
だから納屋でもいいから住まわせてくれと疎開してくる都会人をみんな嫌ってたそうだ
大江健三郎の『芽むしり仔撃ち』はけっこうリアルなのかも >>99
火垂るの墓もだな
西宮のおばちゃんは悪くなかった アメリカ側は無線傍受して暗号解析もできたので真珠湾攻撃を知った上で攻撃されるのを待ってた 2006年12月7日(木)「しんぶん赤旗」
太平洋戦争開戦直前のハル・ノートとは?
〈問い〉 「真珠湾攻撃は『ハル・ノート』で無理難題をいわれ、やむなくやった」という人がいます。「ハル・ノート」とは何ですか?(東京・一読者)
〈答え〉 太平洋戦争の開戦は、アメリカが日本の要求を拒否し、ハル・ノートで、無理難題をいってきたのでやむをえなかったのだというのは“靖国派”がしきりに流している議論です。
ハル・ノートとは、開戦(1941年12月8日)直前の11月、アメリカが日本に提示した提案で、交渉のアメリカ側の当事者であったコーデル・ハル国務長官の名前から名づけられたもので、内容は「中国及びインドシナからの日本軍の即時撤兵」などを求めたものです。
“靖国派”のデタラメさは、このアメリカの要求は「今までの蓄積はすべて捨てろと言う事である」などと、日本の領土拡大の歴史を既得権として当然視して、日本の開戦を合理化していることです。
しかし、ハル・ノートの中身は、ここで突然示されたものではなく、日米交渉にのぞむアメリカの基本態度として、最初からはっきりしていたことでした。
当時、日米交渉の最大の焦点は、中国からの日本軍の撤退問題でした。アメリカは日本の駐兵を絶対認めないが、日本が絶対に譲れない問題だというのは、対米交渉の「最終」案なるものを決めた11月5日の御前会議で東条英機首相自身が、声を大にして強調したところでした。
東条「惟(おも)うに撤兵は退却なり。百万の大兵を出し、十数万の戦死者遺家族、負傷者、四年間の忍苦、数百億の国幣(こくへい・資金)を費したり。この結果は、どうしてもこれを結実せざるべからず。もし日支条約(カイライ政権との「日華基本条約」)にある駐兵をやめれば、撤兵の翌日より事変前の支那(しな、中国)より悪くなる。満州・朝鮮・台湾の統治に及ぶに至るべし。駐兵により始めて日本の発展を期することを得るのである。これは米側としては望まざるところなり。しかして帝国の言うて居る駐兵には万々無理なる所なし」(『太平洋戦争への道・開戦外交史 資料編』朝日新聞社)。
ここで東条が予想していた通りの態度を、アメリカ政府は、ハル・ノートで示したのです。
それが分かっていたからこそ、軍部は、11月5日の御前会議の開戦決断後、ただちにその実行にとりかかり、ハル・ノートをアメリカが示した11月26日早朝には、日本の機動部隊は真珠湾攻撃をめざし南千島から出撃したのです。
こうした、歴史の事実に多少ともまともに向き合おうとするものなら、日米交渉のこのなりゆきをもって、開戦の責任をアメリカになすりつけるような議論は、およそ口にできないはずです。(喜) A級戦犯にいろんな責任背負わせてるけど参戦は民意の総論やったわけで戦犯処刑してもその参戦派の日本人が反省してないから問題の根が深い ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています