作者「作品の解釈や答えは人それぞれ違っていい」←これ甘えだろ
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敵を作らず儲けを最大限にするためにはそう言わざるを得ない 馬鹿ほど勝手に深読みして作者の意図を超えた壮大な哲学にしてくれるからなw そう言えば昔こんなスレ立ててた「山形」って呼ばれてた奴いたけどコロナぐらいから見てない気がする
死んだかな 解釈は無数あるのはいいとしても答えは1つのみであるべきよね >>1
たとえば女のある仕草がキスしたがっているのかセックスしたがっているのか
客観的には判断できなくても確信できるのが相思相愛な状態だ
不確定さの無い芸術作品は学術論文みたいでつまらない
不確定な表現に作者が込めた思いを当てた読者はその作者と相思相愛だけど
別の作者は同じ不確定な表現に別の思いを込めるから
そっちの思いを考えた人は作者の思いは外したけど表現の理解としては間違っていない
作者と同じ思いでなくても作品を理解したならば何か得るものが有るだろうから
わざわざ作者の私とは違うと言って読者を排除する必要は無い
つまり >>4 入試でこの作者の意図を答えろという問題に武の小説が使われたことが昔あったが
俺の意図と全然違うことが正解にされてこんな馬鹿が問題作ってんのかと呆れたと言ってたことは覚えてる >>14
最近も早稲田の入試で同じようなことがあって作者が抗議してたよね 問題文を作者の意図でなく問題作成者の解釈を答えなさいとすれば問題ないのに 作者は自分では思い付かない他人の発想を見られて結構楽しんだり参考になったりするんじゃないのかな
入試問題で作者の意図と違う答が正解にされるのには物申したくなる気持ちも理解出来る アイドルの水着写真を見てエロいと思うか綺麗と思うか可愛いか下品か
そこに撮影者の意図はあっても正解はない 鑑賞力がないバカほど作品解釈の模範回答を知りたがる
さらにバカなのはその模範回答を聞いてから確かめるために作品を見る 世界中の高い評価の文学作品の中で提示され解決されない問題提起は解答を探ると必ずキリスト教で言えば原罪、仏教で言えば業、哲学で言えば実在性の問題にたどり着く >>23
というよりそれら宗教や哲学が問題をそれぞれそう捉えていると言える 最後ならそれでいい
手塚治虫とか少年が戦争に行くとこで終わったり将棋の決勝で勝負開始したとこで終わったりあとは読者のご想像にみたいな ミステリーとかのエンタメだと甘え
純文学なら当たり前 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています