邪馬台国九州説唱えてるやつって頭イカれてんじゃねえの
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日本地図を見て九州と思わずに近畿の盆地だと思う奴こそ逆張りだろ 最新の文化が最初に伝わる場所が栄えるに決まってるんだが まさかと思うけど邪馬台国とヤマト王権が同じだと信じ込んでいる馬鹿はいないよな 邪馬台国なんてどうせ大陸から来た弥生人だろうしどうでも良いよ 島やと伝わってるってことは近畿説なら津軽海峡認識してたってことやぞ いやこれが結構遠いんすよー
って伝聞をベースにしないといけないところがキツイ 漢委奴国金印は江戸時代に作られたって偉い先生が言ってた どっちでもよくね?
どっちかに決まってなくてもいいから江戸時代から論争してんでしょ ウリナラは5000年の歴史なのにイルボンは2000年も無いのか 天皇家に忖度しまくりな研究実績をベースにしてるからお花畑みたいなのばかり 同時かほぼ同時代に近畿に大勢力
最大かもしれない勢力がいたのはわかるがそれが邪馬台国かどうかのまともな根拠を見たことがない マツラ松浦とかナ那とかハカタ博多とか途中の国として出てくるしさすがに日本だろう
近畿の途中ぽいのは見当たらないけど 伊都国は糸島だし邪馬台国がどこにあったにせよ九州北部が経由地なのは確実
しかしそこからの行程が途端におかしくなるわけで
(糸島は怡土(いと)」と「志摩(しま)」の名前をつなげて「糸島」という別の字をあてたもの) 書いてる日と距離が結びついてるアホな考え方をすると疑問に思うのはあるだろうな
現代だって京都いって3日後大阪とかあるだろうに >>15
邪馬台国は縄文系の王朝
弥生系は縄文系支配者に連れてこられた奴隷 半島から対馬までそこから九州までみたいに移動するしかない行程は日数と距離が結びつくか だがしかし奈良県の南部に文明が生まれたってのも理解し難い
歴史から見て文明を支えるのに必要そうな海や大きな川があるわけでもなし
九州やらどこかから移動してきたにしても偶然たどり着く様な場所でもないし
籠っての防御には向いてるかも知れんがよく分からん
と奈良県民のおれは思う 九州説も近畿説も両方話題なって得するプロレスみたいなものなんでは もっと分からんのが
その奈良南部から北部に都が移った後に
元の場所に行けないとか新しい場所に行けないとかいう歌が詠まれてる事だな
海や川で隔てられてるわけでは無いし高い山すらなく歩いて行けるだろ 奈良は昔はもっと川だらけだったから水運は良かったんじゃないかな 私が王だとか私が支配層だってやり出すのって大陸人である弥生人なのよ
縄文人はみんなで大人しく暮らしてる民族なの まだ畿内説唱えてるやついるのが意味不明
鏡がいっぱい出たから→神獣鏡は中国では出土しない日本オリジナルだよね
はしはか古墳→100年くらい後だってわかったし牛馬いないって魏志倭人伝に書かれてるのに馬のはにわ出てきてるよね
根拠ないよね 畿内説ってのはつまり中国から認められた一番古い王が天皇の祖先だっていうオカルトロマン的なとんでも論でこれじゃないと大和朝廷はいきなり現れた朝鮮由来の国になってしまうから >>43
プロレスにすらなっていない
現代の本州の日本人の遺伝情報調べたら弥生人9割縄文人1割
3000年前に大陸から渡ってきた弥生人が前から
いた縄文人と交雑したのが日本人
弥生人は鉄器と稲作という文明を持っていた
弥生時代は寒冷で五穀が採れにくい気候だった
寒さと石でドングリ、貝割って食べてた縄文人
は弥生人にあらかた取って代わられた
出土品比較
魏志倭人伝に記載あるもの(西暦300年以前弥生時代)
鉄刀 福岡県17出土 奈良県「ありません!」
素環頭大刀素環頭鉄剣
福岡県16出土 奈良県「ありません!」
鉄剣 福岡県46出土 奈良県「1つ出土!」
鉄矛 福岡県7出土 奈良県「ありません!」 魏志倭人伝が指すところの邪馬台国の位置はどう曲解しても九州だろ
それが大和朝廷とどう繋がるのかは難しい
九州から古墳時代の大阪経由で奈良へ移動したのか
それもとたまたま名前が似てるだけで別のグループだったのか
九州グループは大和朝廷の一員で自分等もヤマト人だと名乗ったのがヤマタイとして魏志倭人伝に残ったのか
この辺は時代がズレてる様で向こうとこっちでは年のカウント方法が違った可能性も有って良く分からんが 例えば荒廃したクラスで学級委員長とかやりたくないやろ? 瀬戸内海通った先なら途中の地名や淡路島やら少しは載ってるよな 邪馬台国纏向説を唱えている学者の胡散臭い事、この上ない
魏志倭人伝を偏向しない普通の読み方をして素直に考えたら
纏向が邪馬台国では無い事は簡単に理解出来る 縄文人って耳垢湿ってるワキガ体質だから今の日本では迫害対象だよね
ただ耳垢湿ってるのは優性遺伝だから廃れにくいけど ホンマに日本の事なん
もっと南というか
東南アジアのどっかの国とかないん? 九州北部沿岸らしき地名が何個もあるしな
そこまで可能性広げるの 邪馬台国は中国にも行ってるわけで奈良から中国なんか行けるわけねーじゃん >>60
そういう意味では距離的に可能性があるのはフィリピンあたりになるけど状況証拠的におそらくない
あとカリマンタン島だと距離的にもちょっと厳しいさすがに台湾島はねえだろうし
そもそも当時でも太陽と星みりゃ方角は分かる インドネシアやフィリピンの説も有るには有るんだよな
九州説も畿内説もどれも辻褄が合わないけど
インドネシアやフィリピン説はもっと合わないんでまぁ 奈良県人御自慢の纏向遺跡から出土したのは、大量の桃の種と
犬の骨ともうひとつはなんだったかな?あんまりショーも無い
事なので記憶の片隅にも残らんな。 >>41
古代の奈良盆地には琵琶湖よりも大きい巨大な奈良湖があったんやで
奈良湖で検索してみ >>55
九州北部までは大陸の使者が直接渡った記録だけど
そっから先の邪馬台国までの道程は倭人から伝聞した記録だから途端にあやふやになってるのよ 奈良がかなり栄えてたのはわかるんだがな
それ邪馬台国なのかって 九州の1/4~1/3程度の勢力の懐良親王が日本国王だったことがある 縄文時代は今より相当暑かったから三内丸山遺跡みたいに北の方が栄えていたんだろう
弥生時代に寒くなるにつれて文明圏も南下していったと思う >>57
当時の地形は今とは全然違うから
今の地形で考えるのはナンセンス
古代奈良湖はかなり巨大
https://i.imgur.com/Dr6kQUT.jpg
https://i.imgur.com/ol2RWgq.jpg
さらに大阪あたりはかなり内陸まで
河内湾が広がっていた
https://i.imgur.com/Oitn7DY.jpg
奈良盆地の中程にある唐古・鍵遺跡からは
古代の舟を描いた絵画土器が発掘されている >>62
当時の日本人は海洋民族なので
現代人の想像以上に長距離を舟を使って移動している
奈良には日本各地の土器や鉄製品が集まっていて
九州地方とも交易があったことが発掘品からはっきりしている
畿内から大陸との交易にも九州北部をハブ港として中継していたと考えられる
九州北部から畿内へのルートは日本海側ルートと瀬戸内海側ルートの2種類があり
海の荒れ具合や海賊対策など
時期によって使い分けていたのであろう
日本海ルートでは若狭湾を港にしてそこからは内陸を徒歩または川を渡って畿内へと至る
若狭湾には元伊勢として有名な籠神社がある
籠神社は浦島伝説のルーツでもある
https://i.imgur.com/RGnv21v.jpg
https://i.imgur.com/BOKPJnR.jpg
瀬戸内海ルートでは大分の宇佐から瀬戸内海に入り河内湾を渡り生駒山地を越えて畿内へと至る
宇佐には八幡宮の総本宮である宇佐八幡神宮がある
https://i.imgur.com/V3d7BiX.jpg
https://i.imgur.com/IBXmwV2.jpg
このように当時大陸との交易の主要な港だった土地に
籠神社や宇佐神宮を建立して丁重に祀ったに違いない >>75
ちなみに瀬戸内海ルートは神武東征でも描かれていて
神武天皇が九州から瀬戸内海を渡り大阪から大和へ向かったと記されている
これも古代の交易ルートの名残だろうね >>60
すごいのだと邪馬台国=エジプト説とかもあるんよ 卑弥呼の邪馬台国が畿内大和王朝で
敵対する卑弥弓呼の狗奴国が富士王朝
って説はなかなか面白いなって思ったけど
みんなはあの説どう? 畿内説のやつは脳がもう普通の人間とできが違うから会話が成り立たない
何百年単位の話をまったく同時期として語る 『邪馬台国は隠された』という本を読んだけど
畿内説を支持している奴は完全に頭がおかしいという裏付けになった 近畿地方で歴史研究してる人にしたら予算取りや催事行いやすくなるので邪馬台国は奈良だよ >>80
ん?具体的にどのへんが?
あっ別に邪馬台国の時代に籠神社や宇佐八幡宮が建立されたとか言ってるわけじゃないよ?
古代におけるその土地の重要性が
ある程度の時代までは記憶や伝承で伝わっていたんだろうって意味ね?
分かりにくかったかな?ごめんね >>85
大分が重要なのと
なんで奈良が大分を支配していたが繋がるんだよ
これがわからないのが頭おかしすぎだろ マザームーンが本物のお母様と信じてるひとに本物のお母様じゃないですよと言っても理解できない
それと同じものを畿内説のやつは持ってる
頭がおかしい 畿内説は邪馬台国=ヤマト王権の固定観念から成り立ってるが、ここの根拠が示された試しがない >>86
>なんで奈良が大分を支配していたが繋がるんだよ
えっ?支配?
いや別にそんなこと一言も言ってないんだけど…??? 中国まで行けてることの説明なんだから大分-中国間を自らの都合で往き来してないとおかしいやん
大分が従順でないと無理やろ? 卑弥呼と魏は遼東に敵対勢力居たけど往き来できてたんだよな >>92
友好な関係ではあったろうね
実際邪馬台国と敵対してたと記述があるのは狗奴国くらいだし
つまり交易ルートにある他の国々とは友好もしくは支配関係にあっただろう
まぁ畿内王朝と宇佐の関係性を証明しろってことなら難しいなぁ…(^_^;)
あくまで可能性の話をしてるだけだから
でもそれは九州説でも同じことでは?
一応言っとくと俺は畿内説も九州説もどっちも可能性あると思ってるんで
(厳密には現段階ではどちらとも断定できないと言うべきかな) >>89
つまりお前はひとりだけ違う話してんだわ気違い >>94
お前現代人の感覚で話してるんだよ
友好的が奈良から大分まで続くわけねーだろ
法律もないのに 邪馬台国と大和朝廷というかその前身は別物ってことかな?
交流も有ったのは間違いない?
友好的かも知れん
がどっちかがどっちかの配下かも? >>95
あーつまり
「宇佐の港使ってる」=「邪馬台国が畿内から北九州まで支配してた」ってことになるだろってことかな?
これは邪馬台国が完全に他国を支配してた国と考えるか
友好国からなる連合国家だったと考えるのかで認識が変わるよね
俺は後者だと思ってます 三国時代の台の読み方はトで
台与はトヨなのに
邪馬台がヤマトじゃないのは何故? >>96
でも魏と倭国だって友好的だったんだよね? >>100
邪馬台の当時の読み方は判明してない
ヤマトって読ませてたのかもしれない
現代日本人がなんとなくヤマタイって読んでるだけだから あれが奈良盆地の吉野のふもとの話だと思えるほうがどうかしてる ちなみに九州説だとどのあたりにあった説が有力なの?
例えば神武東征が邪馬台国から大和朝廷への権力移行の伝承だとすれば
邪馬台国があったのは宮崎あたり? 支配と友好がごっちゃだし
魏と卑弥呼の関係もわかってないし
どんな頭でどんな本読んだらこんな気違いができあがるんだろう >>108
河内湾も近かったし古代奈良湖あったからな 伊都國に代々王が居たって書いてあるんだからここが中心 >>96
魏志倭人伝に租税制度ありと記述あるから
法律とまでは行かなくともある程度の社会制度はあったんやで 畿内説野郎は湖が海に見えるぐらい頭が歪みきってるのよ >>108
そんな奈良のど真ん中じゃなくて
もっと伊勢寄りだったんじゃないかね?
海も近いしなにより卑弥呼が魏に献上した丹(水銀朱)の採れる水銀鉱山がある >>113
琵琶湖ですら現地で見たら海にしか見えんからな
古代ならなおさらわざわざ海と区別してなかったろ >>116
弥生時代の人って想像以上に長距離移動してるからな
奈良の唐古・鍵遺跡からは
伊勢や東海地方の土器とか吉備や河内等の瀬戸内地方の土器も出土してるし
貝や魚などの海産物も出土してる
さらには北九州の青銅器や新潟産のヒスイ勾玉も出ていて
弥生時代前期中期あたりから既にかなり遠距離との交易があったことが判明してる
http://www.kashikoken.jp/museum/yamatonoiseki/yayoi/karakokagi.html >>112
拡大解釈だよ
単に収穫したものを集める倉があったってだけだろ >>118
そこまで言って鉄器がないという事実を認めないのがあたおか 『古事記』にしばしば登場する「倭」の文字と、『魏志倭人伝』で「卑弥呼は倭の女王」とあることの関連性 柏原市とか王寺町の辺りから海水が来てたんだよ
カモメがどうこうとかいう和歌もある
東から海と繋がるのは無理すぎる 普通に海辺から何十kmも離れた内陸で見かける鳥やぞ >>120 >>121
「海」の定義や概念も現代と同じではないでしょうよ
記紀に出てくる鰐が鰐じゃなくて鮫であるように 湖って元々語源からしてミズウミ=水の海だからね
昔の人は海って呼んでてもおかしくない 九州説だとどのあたりが有力なの?
やっぱ吉野ヶ里? 邪馬台国が畿内にあったとすると
天皇家の祖先との繋がりがより感じられるけどいいの? 倭人伝によれば邪馬台国の民は蛤を採っていた
あとはわかるな 俺も昔は距離だの地形だの言って九州派だったけど
今考えると広大な中国に比べたら日本なんて全部近距離だし機内説が有力だと思うわ >>128
昔は湖を淡海(あわうみ)と呼び
海を塩海(しおうみ)と呼んでたって話だな
>>129
奈良の都から近い海(琵琶湖)で近江
遠い海(浜名湖)で遠江
ってことなのかなるほどな >>132
それは別にどっちでも良いけど
ダメなの? >>130
噂によると大分の宇佐神宮の下に卑弥呼の墓があるらしいよ 邪馬台国は魏に朝貢していた訳で
それが天皇家の祖先だという可能性を消したい人 >>137
祭神である比売大神もしくは神功皇后が卑弥呼である説だね
あの説も好きだわ >>138
そんな理由で九州説を推してる人がいるの?
なんかがっかりだな 大和国が邪馬台国に決まってる
近畿は地名も当て字で数多く合致してるし歴史も繋がるが九州にはそれがない しつけぇな
奈良には海が有ってそこで貝を捕ってたんだよ 聖徳太子が馬小屋で生まれたり10人の話を聞き分けられたのも
後々渡来した景教の影響を受けた架空の人物説あるね ってか魏志倭人伝での記述は
「倭の水人は 好んで潜って魚や蛤を捕っていて 身体に入れ墨をして大魚や水鳥から身を守り」
とあってその後に
「倭の諸国の入れ墨は 国々によって各々異なり 身分の尊卑によっても差がある」
と続いている
つまり魚や貝を捕ってたよって記述は倭人全体の生活風習を記しているだけで
邪馬台国についての限定した記述ではないのでは??? でも邪馬台国が畿内だと
佐賀県神埼市や吉野ヶ里町の個性が死にますし 逆に考えると分かりやすい
邪馬台国が何処ではなく畿内にあった王朝が邪馬台国なのだ 王って京から逃れた親王や大内氏が王だったことすらあるんで実際の勢力関係ないって言う 魏志倭人伝を書いた人が人伝の情報を書いただけで
邪馬台国なんて無かったかも知れない >>149
邪馬台国が何処ではなく九州にあった王朝が邪馬台国でも成り立つ文法だね 無かった説も有るんだっけ
その頃日本に人が居なかったという意味ではなく
(中国から見て)東の開拓を任されてたヤツが手柄をでっち上げてた的な 日本に国があったのはあったんだろうけど
そもそも三国志は話を盛ってるとこがあるのと
魏の敵対国である呉を牽制するために
海上から挟み撃ちに追い込める位置に同盟国である倭国があるように錯覚させたくて
邪馬台国の位置をわざと曖昧にしてたきらいはあるらしい ヤマトに中国江南地方や帯方郡があった地域の影響が大きかったら
もっと早くから歴史を残していて空白の何年なんてなかっただろうな 九州に合った邪馬台国が畿内に引っ越したんだろ
歴史の空白については文字がなかったのと移動によって伝聞が途切れたんだろうな
邪馬台国に限らず大きな事件があれば歴史として残ってるはずだから >>154
『三国志』(さんごくし)は、中国三国時代について書かれた歴史書。著者は陳寿。後漢の混乱期から西晋による中国統一までを扱う。二十四史の一つ。
成立時期は西晋による中国統一後の280年以降とされる
だから呉の滅亡後に書かれたんだよ 関西の学者は畿内説で関東の学者は九州説なんだよなw 九州にあって力をつけた時期だから国も大きかった
だから魏志倭人伝に取り上げられている
そして発展とともに中心に向かうのは地の利があるし統治するには常道
畿内に進出して同じ名称のまま大和と呼ばれ歴史がつながっていく
つまり魏志倭人伝の邪馬台国はまだ九州にあった 北海道はまだないから日本の中心じゃないかね
農業とかやり始めて税金も取らないといけないし 倭人伝に書かれた方角を平気で誤字と言い張る畿内説派は正直信用出来ない 距離は途中で何してたかもわからないからあてにならないので距離をあれこれ変えるのまだはわかる
運送業だって3時間の距離なら必ず3時間でモノがくるわけじゃないし 畿内なら日本書紀に卑弥呼を取り込むだろうに無かった事にするぐらいだから大和には都合の悪い歴史だったんでしょうなあ >>157
もちろん三国志は中国統一後に
三国時代から中国統一までの歴史をまとめた歴史書だから
呉の滅亡後に書かれたのはそりゃそうだろうね
三国時代に魏では呉を牽制するために邪馬台国の位置を誤魔化していた可能性がある
そしてその当時の記録をそのまま魏志にまとめた可能性がある
って三国志の専門家の人が言ってたんよ >>157 >>165
探したらまだ動画あったわ
これの15分頃から
https://youtu.be/s-cPhMoCuRc
見返すとちょっとニュアンス違ったな
魏が意図的に誤魔化してたというより
魏にとって「日本がそこにあるべき」という希望的な視点で考えていたせいで
日本が実際よりも南方にあるものだと魏も思い込んでたってニュアンスなのかな
そしてそう記述することで「だから呉は海洋側に逃げられなかったのだ」という歴史書としての整合性が取れると
つまりは日本がそこにあったほうが三国の戦いの経緯を説明するにあたって説得力があるってことなんだろね
要は三国志および魏志の内容は
中国が自国の歴史をまとめるのに都合が良い形でまとめられてる
という点を考慮して読み解かねばならないと
もちろんこれもあくまでひとつの観点であって記述が絶対間違ってるってことを言ってるんじゃないだろうけど
考え方としてはなるほどなと思うね 遼東公孫氏への牽制ならともかく呉とか言い出すやつが三國志の専門家て >>158
関西関東というか
具体的には京大が畿内説で東大が九州説な
でもここ十数年でかなり研究が進んだことで
最近の学会ではほぼ畿内説がかなり有力になってるらしいって聞くけど
そのへん詳しい人いない? >>164
おそらく魏志倭人伝は時期的に早かったんだろうね
だから日本の歴史に登場していない >>170
補足
日本人がゆとりを持って歴史に携われる以前ね >>164 >>170
日本書紀の中に魏志について言及してる箇所はあるよ
神功皇后の時代のくだりで魏志からの引用がいくつか書かれてる
「魏志によると倭の女王が天子に使者を送って朝貢した」
「魏志によると倭国に印綬が与えられた」
などなどの記述がある
まぁ引用内容と実際の魏志の内容とは相違があるらしいけど
魏志の存在は当時の日本人も把握してたんだろう
ただ邪馬台国や卑弥呼や台与などの名前は出てこない
恐らく日本書紀では卑弥呼のエピソードを神功皇后に比定させようとそんな引用を記述したんだろうね 最初は九州にあったのが徐々に四国から近畿にって説があるけど
九州から動かなかったとか最初から近畿にあったってことにしないと
何か都合が悪いのか 畿内説は邪馬台国=ヤマト王権にしたがっている馬鹿が言ってるだけ >>176
神武東征=邪馬台国の移動した名残って説な
あれ面白い発想よね
あれだと天照が卑弥呼ってことになるんかな? >>177
まぁ落ち着きなよ
畿内説も九州説もどちらも最初に言い出したのは同一人物なんだからさ 最初は神獣鏡が中国から送られた鏡だと思ってたからだろ
中国から神獣鏡出ないのがわかったのにアップデートされないやつは頭おかしすぎだろ >>180
最初に言い出したのは江戸時代の新井白石だよ
畿内説(大和)も九州説(山門)もどちらもヤマトって地名から 関西圏の学者が言ってる場合は信用してない
予算を得やすいや展示イベントやりやすいや手伝ってくれるボランティアが集まりやすい等あるからな 国が乱れて負けそうだから大国kに助けてもらいたい気持ちはあるけど
大陸に侵略されちゃう恐怖もあるだろ
だから案内するときには方向とかわからなくなるように距離感覚狂わせるように案内するんだよ 栄えてたのはわかるので邪馬台国そのもの判明じゃなくても
出てくる諸国のこれは間違いなく関西や紀伊半島のここだみたいな話があればな 近畿と九州で同じ地名がたくさんあるんだよね
勢力の移動はあったんだろうな 詳しい人がいそうだから教えてくれ
・曹操の墓の出土品と同じようなの鉄鏡が九州で出土したのは何故?下賜されるような人物がいたの?卑弥呼レベルじゃ貰えないよね?司馬に殺されそうになった曹の誰かが九州に逃げてきた可能性はある?
・日本語の漢字の発音は呉音が多いのは何故?
・何故呉服っていうの? 邪馬台国と対立してた狗奴国は
紀伊半島南部の熊野だと思うな
神武東征でも熊野で怪物たちに阻まれて神武の軍が倒れてピンチになるくだりがある
あれは狗奴国との抗争を描いたものだろう
そしてその後
大和の地で神武に抵抗するナガスネヒコの軍とその主君ニギハヤヒが出てくる
このニギハヤヒの治めていたクニが邪馬台国なんじゃないかな
ニギハヤヒは神武よりも先に大和の地に来ていたもうひとりの天孫とされている
そして最高神である天照大神と同じ太陽神なのも意味があるはず
ニギハヤヒは大和の地を神武に譲り
そこから大和朝廷が始まる
つまり畿内にあった邪馬台国(ヤマト国)が
他所(九州?もしくは大陸?)から来た勢力に敗れ国を取られ
そのまま元のヤマト国の名を使った大和朝廷が生まれた
というストーリーに思える >>188
詳しくないけど後年に入ってきたのもあるのでは >>187
その辺の類似点面白いよね
ただ日本の地名ってだいたい土地の特徴とか環境から付いてるから
近畿と九州だけじゃなく日本各地に似た名前いっぱいあるんだけどね 大和三山のひとつ耳成山が卑弥呼の墓って説
突拍子もない説だけど本当にそうだったら面白いなぁとは思う
平地に突然ちょこんと現れる円錐型の耳成山は
たしかに人工ピラミッドっぽい 松本清張とか手塚治虫が九州説で本かいたから
昭和世代には九州説が人気高いんだよな でも九州に邪馬台国に似た王朝は無いんでしょ
じゃあ大和に決まりじゃないですか そうそう磐井いたね
筑紫の国磐井の乱で九州王朝は大和王朝に壊滅させられたそうな(という説が) ワ国ではなくイ国なんやろな
イト(伊都)とかイヨ(壱与)とかイワイ(磐井)とか だいたい卑弥呼の墓は「径百余歩」って書いてあるんだから円墳だろ
なんで前方後円墳を「径」で測るんだよ じゃあ前方後円墳はどうやって計るの?
そもそも卑弥呼の墓はわかってないだろ 中国にない特殊な形なら記述あったやろな
つまり特殊じゃなかったんだよ 魏志倭人伝に出てくる邪馬台国は九州だろ
大和朝廷とは別物で敵対すらしてないほど別物
大和朝廷を別に父でもない中国に邪馬台国の時代から付き合い有ったと認めて貰う必要はないし
大和朝廷はその時代から立派に存在してただろ 邪馬台国が大和朝廷になったから邪馬台国が消えたんだよ
そして大和朝廷の歴史が始まり続いていく
大局的に考えれば誰でもわかることなのに何で難しく考えてるの? >>207
畿内説唱えてるやつは九州に3世紀前半に大規模な遺跡あるけどそれを国とは認めてないよ
九州説はほとんど東征だと思ってるけど そもそもなぜ卑弥呼の墓が発見されてないのに前方後円墳にこだわってるのかわからん
そして近畿にも円墳は腐るほどある九州より圧倒的に規模も数もある フランスの地方領主が渡海してイングランド王になった系の話なんじゃないの?
同じ王家の根拠が薄過ぎやろ 中国に朝議すらしてたんだから邪馬台国が戦争で滅んだら
中国の歴史に刻まれてると思うけどな >>212
それが空白の4世紀の原因かね
日本で歴史自体が無くなることはないんだから 100ほど国があると前漢時代の色んな朝貢で得た知識で認識してたんだからいちいち個々の国の滅亡気にせんやろ >>207
大局的に考えると朝廷とは別の日本国王が居るのでそうはならない
源道義とか秀吉とか 少なくとも二択
邪馬台国は機内にあり巨大な国だった
邪馬台国は九州にあり機内にある国よりショボい国だった
九州で巨大な機内勢力を牛耳ってたってのはありえんだろ 九州に逃げて北の方だけ支配してた南朝側の親王も日本国王 >>216
九州説の人はせめてこれを認めないと辻褄が合わなくなる
邪馬台国は九州にあったが地方の小さな部族でしかなかった >>216
九州の遺跡には外敵から防備する柵があるけど
奈良の遺跡には柵がない
こんな初歩的知識も持たないのはなんで? 今の日本に限らずわずかな範囲支配程度の勢力でも国王になってるからそこは問題ないだろう >>221
作を作る必要がないほど勢力が大きかったでいいんじゃねえの?
機内遺跡のほうが圧倒的規模だもん 認めてない説って例えばどれよ?
九州説って畿内に触れてるか? 機内より東に組織的な行動を起こせる連中いなかったしな 今でいう市町村や大都市の区程度をいくつかまとめてたので小さな部族は小さく考えすぎな気するけど 触れてるんじゃね
東に同じ民族が住んでる国あるって書いてあるから >>223
じゃあそもそも魏志倭人伝を読んでないってことでOK? あまりに規模少ないとさすがに日本国王と認められるのは無理だろうけど懐良親王くらいの支配状況なら可能なのは事実 >>228
牛耳らなくても日本国王として中国に認めてもらうことは可能 だから細かい事考えすぎなんだって
倭人伝とまで書いて残してるんだから大規模な和人の国の話なんだよ
大和しか無いでしょうに 山口県に逃げた足利最後の将軍ですら日本国王だな
極論しちゃうと実態は関係ないから畿内に凄い勢力いたからどうこうはアホすぎる 東に邪馬台国に属さない倭種の国があるって書いてあるから倭人の国全部まとめてるなんて書かれてない 魏志倭人伝をまともに読んでないのに邪馬台国論争に加わろうとするやつが畿内説を唱えてるんだよw
狗奴国すら知らない
毎年のように朝貢してたのも知らないから大和から中国に簡単に行けると思ってる 倭国と日本国という2つの国の記述が中国に残ってる
最初は従順な倭国だけだったが態度のでかい日本国が出てきて
ある時期から日本国だけが中国の記録に出てくるようになる >>233
逃げる前なら狭い範囲と言え支配の実態あるけど逃げてからもずっと日本国王だからな 中国が言う王なんてそんなもん
倭(日本)で一番偉い人でもないし居るところが首都なわけでもない >>234
歴史書に九州には機内の国より小さな邪馬台国が存在し
中国に勝手に朝議していたって歴史になるなら問題ないね 鉄器も作れない奈良の集落のやつらが中国なんか行けるわけねーだろ
柵がないほど平和で文明が発達しなかったんだろ
だから新潟のほうからきた朝鮮人に乗っ取られる 機内邪馬台国説なら九州は邪馬台国の勢力下になる
九州の柵も邪馬台国の一部でしないのでなんの矛盾もない そんな昔に日本が統一されてたって謎の前提ならそうなるな 三國志の時代に畿内中心の巨大な勢力があったなんて根拠はどこにもないからな >>236
当時の技術で簡単に大和から中国まで行けるはずない
ってのが現代人の思い込みで
古代日本人は海洋民族だから船を使ってかなりの距離を移動できたんだよ>>75 >>118 三国志の時代に畿内中心の巨大な勢力はなかった
なんて根拠も特にないけどね 豊富な鉄器による武力で国を守った九州の国々
いっぽう邪馬台国は宗教の力で周囲の国を治めていた
邪馬台国とその同盟諸国は祭事王である卑弥呼が治めていた
卑弥呼の没後に男王(政治王)をたてたが
それでは同盟諸国を治められなかったので再び祭事王(巫女)として女王・台与をたてた
大和朝廷もまた神道による祭事王として天皇が国を治め
その最高神に女神であるアマテラスを祀っている 鉄は貴重だったから
邪馬台国時代の鉄器は溶かして再利用して古墳〜奈良時代とかにまた使ってたんじゃねーの?
九州の国は滅ぼされて鉄器も打ち捨てられたからぞろぞろ発掘されるのかもしれんが それって邪馬台国が畿内って前提で話してるよね
根拠になってないよ >>254
巨大な勢力はあったかもね
邪馬台国かどうかだからね そうだね
九州かもしれないよね
なんかごめんね元気出してね 東に海を千余里渡ったところに別の倭人の国があるって言ってんだから畿内王朝はそれだろ 千里ってのはこの場合
めっちゃ遠い的な意味で使われてるんじゃないの 琵琶湖
というかあの時代の東西南北と距離無茶苦茶だけどな 縄文時代から海洋交易やってて中国大陸とも行き来があるのに方角や距離が無茶苦茶なわけない 意図的かどうかは不明だけど
東西南北の方向を間違えてるのは確か
距離を間違えてるのは確実 距離は1里がどれだけかきっちりしないだけじゃないの きっちりしてんだけどな
対馬から糸島の距離ははっきりしてんだから 途中までは倭人伝の記述通りの距離、方向なんだよな
それが北九州から先がどんどん怪しくなってくるから伝聞説が出てくる 記述が間違ってるから神武天皇や聖徳太子が存在しないというなら邪馬台国も存在しなかったってことになる 中国の使者は対馬に留め置かれ日本本土に入れなかった
当時対馬に日本本土から行くには九州今の福岡北九州近辺か出雲辺りの海流に乗るしかなかった 出雲と吉備には全く触れてないから九州より東に行ったとは考えられない https://www.sankei.com/resizer/5YX4wPE31TuAsooL496TEeMdgRo=/730x0/smart/filters:quality(50)/cloudfront-ap-northeast-1.images.arcpublishing.com/sankei/TLWHMF3ZOZNILDTR3TCT2KMGEM.jpg ヤマタイコク(邪馬台国)→ヤマトコク(大和国)と見るのが自然だよなぁ
国内闘争で卑弥呼流は落ちぶれたんだろう >>273
当時朱色を作るには水銀が不可欠だったからね
「朱丹を以てその身体に塗る」
「真珠・青玉を出だす その山には丹あり」
と記述があって魏に朝貢した際も丹を献上してるわけだから
丹が豊富に採れた土地なのは間違いない >>289
上のほうでも出てるけど
邪馬台はヤマタイ、台与はトヨ
って読む奴ってなんなんだろな 「邪馬台国」という表現は有っても「ヤマタイコク」と読んだかは不明だし
「大和朝廷」を「大和国」と表現したり「ヤマトコク」なんな読むことは余りないんだから
後からその方が面白いからと無理に絡めてると考える方が自然だと思うが えっ
さすがに誰も弥生時代から大和朝廷があったなんて思ってないでしょ?
大和朝廷の前身となるヤマト国があったんじゃないかって話だよ? わざわざ別の国を設定する意味がわからない
何らかの勢力があったというなら同じ大和朝廷じゃあかんの? 同じ勢力なら同じ勢力じゃなきゃあかんけど
違う勢力を同じ勢力にしたらあかんだろ まず大前提として大和朝廷っていうのは天皇制度ありきの言葉なのね
弥生時代に天皇制度が確立していたってのは考えにくいから
邪馬台国が大和地方にあったとしてもそれは大和朝廷ではなく天皇制度ができる前の国
つまり大和朝廷の前身となる国となる
別の国ってことではなくて
同じ勢力でもまだ朝廷ではなかったってことだね 最近は大和朝廷と区別するために
古墳時代なんかはヤマト王権という言葉が使われてるんよね 知らんから聞く喧嘩売るってるわけでは無いのでキレないでくれ
2600年の歴史があるのなら弥生時代の後半には居たって事ではないの?
王朝までいかなくてもそれに近い組織は居たワケじゃないの?
それが前身ってこと? そうそう合ってる
それが前身ってこと
弥生時代の日本には文字がないからその頃のことは大陸の記録以外だと記紀にある神話くらいしか根拠がない
だから現実的には天皇の歴史が2600年前から本当にあったのかは分からない
でもどうやら少なくともそれに近い前身となる勢力はあったっぽいのは遺跡から推測できる
それが邪馬台国なのかもねって話
あっこれあくまで俺の個人的な意見なんで
言うまでもなく諸説ありなのはあしからず そら前身は有っただろうけど
九州で邪馬台国をやってたとは限らんし
やってないとダメって事はなくね?
魏と付き合いが有ったからって何なんだよ
だから由緒正しいのか?
別に自分達で文化を築いてたらそれで良くね? 九州朝鮮の勢力が瀬戸内海を渡って近畿に移り住んで出来たのが今の天皇家
九州の大きな神社を近畿に当て嵌めると九州と同じ同じ位置に作ったことがわかる 大和朝廷ができる前にも後にも朝廷以外の勢力はあっただろうけど
前にあったからといって前身てわけでもないだろう 魏志倭人伝の問題は方角や距離をその通りに解釈するとどこにあるのか比定できないことだろう
そんないい加減な資料のほかの部分が正しいとは思えないんだが 距離が書かれているのは不弥国まででそこからは距離は書かれてない(女王国までトータル2000なんぼとは書かれている) やはり畿内だな
九州なら距離も正確に綴られているはず 中国からトータルの距離-不弥までの距離だと近畿はないな
かなり足りない 最初は水行何日とか距離ではなかっただろ
要するに遠すぎてやけくそ気味になったわけだ
だから畿内だ 使者は九州に上陸したところ
前線基地あたりで女抱かされて酒飲まされて
伝聞情報教えられて帰らされたとかじゃねえんかな 今だってあそこへ行って何日後にここへ行くとか普通につかうだろ
やけくそてw 高速な手段のある今でも隣の県へ行くのは何日後ってあるわけだから何日っての真面目に考えてもしゃあないとは思う 使者が到達してないはずないやろ
正始8年(247年)女王は太守王頎に載斯烏越を使者として派遣して、狗奴国との戦いについて報告。太守は塞曹掾史張政らを倭国に派遣した。
女王に就いた壹与は、帰任する張政に掖邪狗ら20人を同行させ、掖邪狗らはそのまま都に向かい男女の生口30人と白珠5,000孔、青大句珠2枚、異文の雑錦20匹を貢いだ。 里は行程のうち距離を書いた(正確ではないにしろ)
日は掛けた日を書いた
それだけだな 始皇帝や孫権が日本を目指させたとあるがこの人達は日本にたどり着けたの? 朝鮮半島南岸も倭だから漢の武帝が直接半島北部を領土にした以降は倭との接触は容易やろ
日本列島に行く難易度は知らん 里は三國志本文中にも頻繁に出てくる
短里で認識しないと揚子江の幅とかがおかしくなるそうな 魏志倭人伝を全文読んだ人はいないのか
もちろん翻訳されたものでも良い 宇佐八幡宮かもしれない
八幡=ヤハタ=ヤマタ国
もしくは大和国かもしれない
でもまぁ決定的な発見が出てこない限り
九州説も畿内説も結局はどちらも可能性の域を出ないんだよなぁ
だから四国説や富士王朝説も真面目に調査してみて欲しい >>325
天皇起源説に触れられると都合が悪いから宮内庁の妨害すごいらしい ここまで読んだが
やっぱ邪馬台国と天皇家の祖先は別勢力だろ
ってか別勢力だったら何でダメなの? >>329
国造り神話が出鱈目になるから
いま税金でやってる新嘗祭とかもなんでやってんの?ってなる 現実に天皇となった家系ですらないのなら
日本の女王がそんなショボかったら嫌なんじゃね 神話の類いは天皇家祖先がやったんじゃないの?
魏志倭人伝に邪馬台国の連中がそれをやったとは書いてないだろ? >>330
国造り神話に邪馬台国は出てこないやろ?
邪馬台国とは別に天皇家の祖先の勢力があったとすれば神話とも整合性取れるやん
まぁ俺は邪馬台国は大和朝廷と同じ勢力かもと思ってる畿内説派だけど
別に天皇一族うんぬんはどうでも良いから真実が知りたいやね
九州なら九州でも良いし生きてる内に答え出てほしいわ 朝鮮半島の根元あたりの帯方郡から半島の出発点(多分南端)まで7千
対馬まで千 壱岐まで記載なし 壱岐から末盧まで千(多分松浦半島のどこか)
500でイト 100で那 (ここまででざっと1万)
あれこれ書かれた後
邪馬台国まではトータル1万2千なんぼとのこと
さてどこだろう おまえらそっちばっか探しているから見つからないんだよ
おれは東北だと思っている 対馬(400里四方)一大(300里四方)を加算するんだよ 海峡の北岸まで7000
対馬まで1000
対馬が400四方
一大まで1000
一大が300四方
末廬まで1000
伊都まで500
奴まで100
不弥まで100
島を◇と考え二辺分の距離足すと12100になる
出てくる数字全部足すだけや >>329
九州は朝鮮半島とセット勢力
日本人起源を唱えるネトウヨ連中には1ミリでも朝鮮半島が関わることが許せないあり得ない だから別勢力で
何なら天皇軍が邪馬台国軍と戦って滅ぼしたんじゃないの? 九州から畿内へ移動した時期が失われた4世紀
それで全て辻褄が合う
九州にあったが何も見つからない理由もそれ ちなみに九州畿内に説が分かれる理由もそう考えると何ら不思議もない
両方正しいのだから そもそも神武天皇が九州出発して東征したのにまた九州征伐行くとか矛盾してるんだよ
俺が編集なら書き直しさせる 手塚治虫が火の鳥/黎明編に全ての答えを描いてるよ
邪馬台国は九州で大陸からやって来た騎馬民族の神武軍に滅ぼされた >>347
九州で豪族の反乱が起きれば舞い戻って征伐するだろ 女王を二代続けたとか男系男子に拘る所とは明らかに別だと思うんだけど
その切り口の説はないの?
もしくは女性天皇が二代続いてる時があってこの時を指してるという切り口か >>354
正確には二代続けてではなくて
女王卑弥呼から男王挟んでからの女王台与ね
もしも大和朝廷と繋がってるとしても
現実的にはまだ男系うんぬんの天皇制が確立する前だから
そのへんからのアプローチはあんまり意味ないと思うよ
(女性天皇)→(男性天皇)→(女性天皇)
で言うと
皇極天皇→孝徳天皇→斉明天皇
とか
持統天皇→文武天皇→元明天皇
なんかが当てはまる例だけど時代が全然違うし 一説には邪馬台国には祭事王と政事王がいて
卑弥呼は宗教的なトップの祭事王であり
卑弥呼の宮を唯一出入りできたという男性が政事王であった
という説もある
実際に魏志には「生涯を通じて夫はなく 政務は弟がとった」との記述もある
後に祭事王と政事王が一体化された天皇制が確立され
卑弥呼は女神・天照大神として神格化された >>341
半島南部は倭人の勢力範囲即ち日本領土
関わることが許せないどころか
日本国領土であるという主張の証明である >>349
今日日騎馬民族て
ネットで真実より酷いマンガで真実 後醍醐天皇は日本を政治統治しようとしてただろ
失敗したけど >>361
最初からそこ分けてたんかなあ?
古墳時代とかは祭政一致でやってそうなイメージだけど 書かれている距離的に近畿は無いな
いろいろ発掘されてるけどただ人が多く住んでたなってだけ 帯方郡から女王国まで1万2千里やからな
直轄領の帯方郡に隣接する韓が方4千里って記述あるんやから近畿まで届く訳ない そっちの解釈かぁー
ほんと距離は読み取りかた次第でどうにでもなっちゃうよなぁ
魏志に図解載せといてくれりゃ良かったのに 揚子江の川幅とかにも使われてるから5倍も差があったら違和感ありまくりや いやそもそも
1万2千里が帯方郡から女王国までの距離
ってのがひとつの解釈でしかないからさぁ 自郡至女王國、萬二千餘里。
他の解釈例を紹介してくれよ 松本清張は九州説だけど
1万2千里はただ遠方ということを表す観念的数字でしかない
としていたな
漢書の中でも諸外国までの距離を1万2千里くらいで表現した記述が度々出てくるからとかなんとか
あとは大月氏国と同じくらいの距離にして
邪馬台国を大月氏国とダブらせて同じくらいの大国と印象付けようとした説もあるね
同盟国である邪馬台国を大国とすることで敵対国への牽制するために
あとはまぁそもそも距離がどこまで正確なのかって問題だな
使者が邪馬台国までの距離をどう測ったのか 半島も壱岐対馬もサイズ書いてるがな
適当な数字どころか足したら1万2千になるんやぞ >>340
これよく分かんないんだけど
ここに上がってるのだけで1万2000里になっちゃったら
邪馬台国たどり着いてないじゃん? 邪馬台国どうこうは置いといて
船が途中で島に立ち寄るような旅行した経験ある? 居る場所の面積を書いてるだけで移動の距離にからめて書いていないし
文読んでないだろ
それに400ってのが正方形だとして長さは20だぞ 九州と近畿の地名の一致がなぁ
「九州→近畿に移動して地名付け直し→そのまま政治の中心」なら判るが
近畿→九州に地名付け直し→政治は近畿のままって誰か島流しにでもなったんか? 多めにみても対馬から壱岐の倍程度しか残らないし奈良が今の山口県から移転でないと畿内説無理 中国にかぎらず歴史書載るかどうかは関わりがあるかだから奈良のクニは関わりが無いか弱かったんだろ 当時の中国語では水行=船での移動では無くて川の土手歩いて移動しても
水行だって話は本当なのかな 最近の学会では畿内説有力になってんだよなぁ
https://youtube.com/watch?v=s-cPhMoCuRc
ちなみにこれに出てる学者さん達は京大でも東大でもないフラットな立場
特に三國志専門の文献学者さんが「九州にはない」と言い切ってるのが印象的
考古学の先生は「経済の中心は九州に 政治の中心は畿内にあった」としつつ割とどちらとも言い切れない感じだった >>390
なにを根拠に言い切ってるのよ
単なる気違い >>390
松木先生は畿内説
ただし卑弥呼は吉備出身という見解 考古学者は自治体と密につながってるから地元びいきになりがち
その意味で渡邉さんはフラットだったのかもしれないけど
九州の学校の理事長になってからスタンスが曖昧になった >>390
鬼道で政治を行っていた卑弥呼がいたのは、経済の中心であった九州なのか、
政治の中心であった畿内なのか、答えは言うまでもないって意味での発言だろう 邪馬台国が九州から畿内に移動したと言うよりも
九州の勢力が畿内に移って作った国が邪馬台国 断言できるだけの情報がないのに断言しちゃうやつって知能が足らないんだろうな >>401
ほんとそれ
現段階ではどの説も可能性はある だったらその一言でそれで終わりじゃん
何で未だに熱く議論されているんだ? 可能性を議論し合うのは別に良いことだろ
確証のない現段階で「九州以外あり得ない」とか「畿内に決まってる」と断言して
頭ごなしに他の可能性を排除するのはどうなのって話 議論が活発化すれば当然色んな人が参加するから気にしてたら何もできないよ 日子や彦のつく地名や山は北部九州に多いね
何か関係あるのかな? サンプルの少なくて解読の進展が鈍い文献学は他者の論を否定してナンボな世界になっている 朱が採れる四国の徳島かな
0世紀に地震があり30m級の津波がおこり九州南部 四国 瀬戸内を襲う
九州北部は朝鮮半島南部へ勢力拡大
四国民は山の上へ 山ト国
女王国卑弥呼亡き後 大乱おこり東遷都
淡路島 奈良 伊勢へ 伊都国が北にあるって解釈できる部分があるから四国はなぁ
北西だからギリギリありえるけど 淡路島も謎だよなぁ
国生み神話で最初に出来たのが淡路島って絶対何か意味ありそう 古事記編纂は奈良時代だからな
近場の神話を組み入れただけやろ >>402
そうそう、どの説にも可能性がある
でも説によって可能性が高いか低いかは分かれる
現時点で言えること
・畿内説の可能性はかなり高い
・九州説の可能性はもうほとんど残っていない >>412
各地の神話を組み入れてるのはそうだけど
日本最初の島と設定してるってことは
やっぱり大和朝廷にとって重要な土地だったはずなんよね
近年になって弥生時代の日本列島最大規模の製鉄集落が淡路島で発掘されてるわけで
やっぱりそのへんで重要な場所だったはず >>414
古事記の物語構成における神話の比重は編纂時のその土地との関係性による
編纂当時には重要視される土地だとしても弥生時代から続いてそうとは限らない >>415
もしも編纂当時も進行形で重要な場所なら
もっと淡路島をメイン舞台にした神話が記されてそうだし
でもそういうわけでもなく単に「日本最初の島」とされてるのが
過去に大和にとって重要な島だったという記憶の名残のように思うんだがどうだろう? >>416
その可能性は捨てきれない
しかし、乙巳の変で過去の歴史書は全て焼失したことにしてまで編纂したという経緯上、古事記・日本書紀という書物は当時の都合が多分に含まれているものだということを考慮しなければならない なるほどなぁ
その視点だと神武東征とかどういう意味をもつんだろうか?
天皇の先祖の故郷が九州ってのも過去うんぬんは関係なくて
編纂当時かなり九州との繋がりが何かあったってことなのかなぁ
まぁ神武東征は単に日の沈む日向から日の上る奈良の地への旅路という太陽神信仰に基づく逸話で日向という場所にそれ以上の意味はないとか
日向についても宮崎のことじゃなくて実際は北九州で大陸(高天ヶ原)から天皇の先祖となる勢力(ニニギ)が上陸した場所だとか
諸説あるみたいだけど 難しいところだけどね
神と名のつく天皇は3人だけ
九州から東征した神武
三輪に都を置いた崇神
河内に御陵のある応神
この3つの土地には深い意味があるとオレは考えるよ 九州にあったのが倭国
そこから神武が飛び出して近畿に作ったのが日本国 後から付け加えられた神話や皇統に重要でない行き場のなくなった神様は前の時代へ
差し込まれ又は追いやられる いわゆる神話の加上説
例えば国産みなどは地理観から考えても後から差し込まれた神話だと分かるが
後半の出雲神話は前王権の神話として大変重要である
そして皇統のため最も重要なのが最後の神話であり歴史時代に直に繋がる日向神話である 宮﨑に天孫降臨して東征して奈良で神武が天皇になったって古事記に書いてるのに
なんで畿内説のひとはこれが不満なんだろうな
マジで理解できない >>424
別に不満ではないけど…?
記紀の内容が史実だとしたら神武が奈良に都を作ったのは紀元前660年だから
それが後に魏志に記録される邪馬台国=大和国ってことでしょ?
九州説の人こそそれが不満なんじゃないの? >>425
紀元前660年なんか奈良ではどんぐり喰ってたわバーカ
お前弥生時代は期限前4世紀に始まりましたって学校で習わなかったの?小卒? >>426
継体天皇から万世一系でええやろそんなもん・・・ >>428
戦前だったら王朝交替説唱えただけで逮捕案件だったんだぞ
そうもいかんねん >>427
えっ >>424 が「古事記に真実が書いてあるから!!」って言うから
あなたの言うように記紀に書いてることがもしも史実ならそうなるよって言ってるだけなのに
「古事記に書いてることが真実なわけないだろ!!」って返されても困惑なんだが…??? >>426
別に記紀にも女性天皇は登場してるんだが?
卑弥呼が女系天皇か単に女性天皇なのかどっちかは分からないじゃん? >>430
アスペなの?
頭大丈夫?
記紀は天皇の正統性を現す書物だから史実に有ったことを盛って書いてるわけだろ
皇紀2600年なんてモリモリなわけよ
バーカ 別に宮内庁に気を使って九州説になるつもりはないから
万世がどーたらとかそのへんはどうでも良いんだけどなぁ >>433
だからそれは >>424 に言ってあげてよ〜 >>432
書かれてる女性天皇は繋ぎの立場であった上に継体以降は当時は遡れる歴史だと言われてるから誤魔化しようがないんだよね
この存在を認めている以上、仮に卑弥呼が同様の立場の女性天皇であればそのまま書かれるだろうと思うよ >>436
神功皇后かモモソ姫として書かれてるんじゃないかね?
政事王としての天皇とは別の祭事王としての卑弥呼(日巫女)だとすれば >>437
可能性としては十分にあるね
神功皇后の場合は舞台がほぼ九州だから九州説が強くなるし、三輪山と関係の深い百襲姫なら畿内説が強くなる 天皇が天照大神を祀る王であるのに対して
卑弥呼は現人神としてアマテラスにあたる存在だったのではないか
そうすると卑弥呼の住まいに唯一出入りして卑弥呼の神託を民衆に伝え政治を司っていた男弟が天皇にあたるのではなかろうか
アマテラスの弟と言えばスサノオとツクヨミ
スサノオはアマテラスと喧嘩して天降り母イザナミのいる根の国へ向かい(男系を拒否?)出雲にいたる
残ったツクヨミは父イザナギの命を守り(男系の受容?)アマテラスと共に天を治める
つまりスサノオは邪馬台国を出て古代出雲の勢力を栄えさせた人物
ツクヨミは邪馬台国でアマテラス=日巫女=卑弥呼の託宣を受け国を治めていた王だったのかもしれない
みたいなことを今思い付きで書いてみたけど
話としては結構面白いんじゃないでしょうか そういう合理化ってのは現代の視点で見たお前らのいう天皇『制』であって
祭祀を司る巫女も政事を執る男も大家族集団に所属して
役割ははっきり分かれているもんでもないだろ
そもそも天皇なんて漢語的表現を我々のおおきみが称するのはもっと後の時代の話 >>1
でも卑弥呼の墓って九州にあるじゃん
宇佐神宮って大分だろ? >>440
そりゃもちろん当時から天皇制があったなんて話じゃなくて
後の天皇にあたるような役職がぼんやりとあったんじゃないかってことだよ?
分かりにくかった?ごめんね? 神話と史実の狭間とはいえ神武東征は実際に有った事と解釈しないといけないのがな
それがなければ九州勢力と畿内勢力は完全に別と考える事が出来そうなのかな
というより含めて考えると九州勢力が畿内を攻めて後に移り住んだのかな
台風が多い九州より気候の穏やかな畿内が良かったのかも 別に神武東征が実際にあったと解釈しなくても良いんじゃないの?
とは思うけど
もし九州から移動したんだとしたら新天地を求めた理由は火山の活動だと思う 相続権のない末子らが参加し作った十字軍国家みたいなもの
弥生時代のある時期から長い期間見られる銅鐸の埋納や高地性集落
最終的に生き残ったのがヤマト王権 前漢の時代に倭の国々の使者いっぱい来てたそうやからな
バイキングみたいに各地に九州由来の国があったのかもよ 出発点の日向がでかい国だったかどうかすら分からんのに ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています