明菜と聖子 どっち派だったの?
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このままだと蓮舫が嫉妬するぞ
「聖子、明菜、薬師丸、原田知世、キョン2、のりピー、増田未亜、ゴクミ、小川範子、常盤貴子、工藤遥じゃないとダメなんですか?レンホーでは抜けないんですか?」と 松田聖子って強烈なあの自己演出の個性が無かったら
現在で言うところの昭和シティポップ歌手みたいなもんで
発掘されたレベルで終わっちゃったと思う
デビュー時既に18歳越えてた歌の上手いお姉ちゃんってだけになるから
そして80年代のあのアイドルカルチャーも花開かなかったか
全然別の感じだったろう いつの時代もオタクは気持ち悪い
昨今はオタク文化なんて言い始めて
キモオタが調子ぶっこいてるが
所詮オタクはオタク
宅八郎がモテるわけがない
引き篭もりがリア充に勝てるわけない
陰キャが陽キャに勝てるどおりがない 引き篭もり元不登校ニートが平日昼間っから何時間も居座るな!
いい加減働けよ!爺! 松田聖子はぶりっ子なイメージだけど実際は
結構ふっきれた性格だから良かったんだよ
ドリフとかバラエティでも面白かったもの >>63
お水の子が好きなアーティストでもあるな
当時一瞬WINKがそのライン乗りかかった 聖子はたまに口空けて手叩いてキャハハみたいに笑うの良かったわ 聖子はたまに口空けて手叩いてキャハハみたいに笑うの良かったわ 明菜はベストテンのエンディングで毎回投げキッスしてたのが良かった 聖子と同期なら河合奈保子が巨乳
明菜と同期なら早見優かな >>84
こっちの情報だと大田区池上で精肉店になってる 清瀬市出身ってのは確か有名だった
店は住まいと別にあったのかな そんな対立構造は当時存在しなかった
中森明菜といえども松田聖子で始まったアイドルブームに便乗した有象無象の一人に過ぎぬ 本当にいがみ合っていたらHEY!HEY!HEY!でボーリング対決なんてしない 当時最先端の若者達は夏は清里冬は苗場
ナイトスキーでゲレンデに流れる音楽は
達郎のメロディーズ、ユーミンのサーフアンドスノウ、聖子のキャンディ 昭和59年ぐらいだったと思うけど紅白で聖子と郷ひろみが踊ってる後ろで
明菜と近藤真彦が踊ってた
あれを見てファンは嬉しいと思うのかねえ >>90
ソロアイドルブームの火付け役は松田聖子で合ってる(河合奈保子と薬師丸ひろ子も時期としては被るが)
ピンクレディーがアメリカから戻るころには、すでに聖子ちゃんが人気に。フリッフリの衣装にぶりっ子キャラを確立する。松田聖子を筆頭にソロアイドルがどんどん増えていった。
特に小泉今日子と中森明菜がデビューしてからは「アイドル黄金期」と呼ばれる時代に突入。この辺りで「女性アイドル」という呼称が定着する。 明菜等花の1982年組が出てきたときは聖子はすでにジャニーズのたのきんトリオと並んでトップアイドルの地位にいた
明菜は1982年組の中では出遅れた方だった
デビュー自体が松本伊代や小泉今日子より遅かったし1stのスローモーションはオリコンで40位台どまりだった記憶
デパートの屋上で期待に胸膨らませて新曲披露イベントを見に行き,そこで初めて少女Aを聞いたけど
あまりの方向転換、歌詞の際物性にがっかりした記憶
ところがその曲がオリコンで20位以内までじわじわと順位をあげていった
特に同性の共感を得、支持を獲得していた
結局この曲で多くの人に認知され3rdのセカンドラブは1stと同じ来生姉弟の作品だったがベスト10の1位を長らく続けた
そこで初めて1982年組のトップに立ち松田聖子と並び立つ存在になった
聖子と明菜は学年にしても4学年も違う
どっち派って感じで比べるってのがぴんと来ない >>95
でも特に80年代は聖子クラスに売れたのって明菜くらいしかいないんでしょ
どうしても比較されるよ 歌手業で見れば聖子と明菜の2トップだね
タレント業全体含めれば小泉が多少迫れるかも ほんなもんちょっとHなミルキーっ子派に決まってまんがなw
このフレーズ考えたやつめちゃめちゃ天才ですやんw >>81
おれ2000生まれ
一枚目が現在の松田聖子と同じすぎてビビる
生え際と頬のまんまるがおかめちゃんすぎる >>96
1982年プロマイド写真売り上げランキング
<女性>
1位薬師丸ひろ子
2位河合奈保子
3位伊藤つかさ
4位松本伊代
5位堀ちえみ
6位松田聖子
7位中森明菜
8位三田寛子
9位武田久美子 聖子と明菜がアイドルの歴史を振り返ってもツートップだよ >>100
小泉今日子が入ってないからこのランキングは胡散臭い >松田聖子で始まったアイドルブーム
松田聖子が>ソロアイドルブームの火付け役
たとえば山口百恵を抜きにしたこの辺の史観がおかしいってことを言いたかった >>92
ホイチョイプロダクション、角川映画を思い出すね
「私をスキーに連れてって」「彼女が水着にきがえたら」等は1980年代後半だが
1981年から連載が始まったきまぐれコンセプト。1983年出版の見栄講座
馬場康夫は同学年の安倍晋三と並ぶ成蹊学園、成蹊大学が産んだ有名人
と思ったら友人で対談もしてたんだな 小学生の低学年のとき
同級生の女の子に松田聖子は整形してるんだよって
体育の授業のとき教えてもらって
整形ってなんだよ!ってびっくりしたの今でも覚えてる 俺は女の子から芸能人で歯茎の色が黒ずんでる子は歯を差し替えてるって言われ
持ってる中森明菜のブロマイドの歯茎がそうだったので愕然とした スタ誕の動画見るとガチャ歯がひどいんだよな
当時はまだインプラントも無かったし差し替えではなく矯正なのだろうがよくあの短期間で >>111
山口百恵の「夢先案内人」を歌ったんだっけ >>113
それこそソロ女性アイドル歌手の走り
南沙織、麻丘めぐみ
さらに浅田美代子、アグネス・チャン
そして山口百恵等の花の中3トリオ ただアイドルについてサブカル的に語る風潮は松田聖子が登場した1980年頃からだと思う
梶本学編集の「よい子の歌謡曲」というミニコミ誌が有名だった。1979年9月創刊
それとジャズ評論家(と言っていいか?)の平岡正明による「山口百恵は菩薩である」。1983年初版 もうひとつ、中森明菜は「東京トンガリキッズ」のアイドル評論家・中森明夫を産んだ
『週刊本『卒業~Kyon2に向かって~』』(中森明夫、田口賢司、野々村文宏共著、朝日出版社、1985年) 聖子の歌声はだれにも真似できない!うそだと思ったらやってみたらいい! 明菜はなあ せっかく小倉優子みたい顔してたのに歯列矯正くらいなら良かったが
差し歯全取っ替えしたのか人相そのものが変わってしまった
路線も変わってたからダメージもそれほどだったが ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています